#include(第十二回短編小説大会情報窓,notitle) 元々は、いつも聖人君子然としている先生が、激昂し罵倒する画を撮ろうという企画を打ち出したのが始まりだった。 美食家で有名なマルノーム先生は、同時に非常に温厚で人格者であることも広く知られている。 どれだけ寛容な評論家でも苦言を呈するような酷い料理でも、懸命に何かほかの評論家とは異なる視点で褒められる点を見つける。そこから、言葉を選んでどこがいけない、どうすればいいと批判する。 芸能人や素人の料理自慢対決では、辛口評論家を3人並べて最後にマルノーム先生の解説、というのが構成的に一番バランスが取れていた。 そんな先生が、近ごろ指数関数的にえげつなくなっているバラエティ番組の視聴率稼ぎのターゲットに選ばれた。企画を持ってきたのは落ち目のアイドルを拾って半ば炎上気味に復活させるのが好きな某ドンカラスのプロデューサー。 「だってさー、今メロエッタちゃん冠番組いくつ持ってんの?」 少し渋る様子を見せても、こう言われたらお願いしますと言わざるを得なかった。 「昔はそーとー売れたようだけどさ、今の立場ちゃんと理解した方がいいと思うよ」 お願いすると案の定嫌味を黒い霧にのせて吹き付けられた。 「ま、心配しなくてもだーいじょうぶだって。あとはディレクターがやってくれるから」 ちなみに、このとき紹介されたディレクターも、元アイドルを食い散らかしたり大炎上した番組の指揮を執っていたりと噂されるブーピッグだった。 つまり彼女は、これからマルノーム先生を激怒させるための茶番劇を完成させないといけない。 完成させないといけない、というのはすなわち、今から用意した料理をマルノーム先生にお出しして、マルノーム先生を激怒させないといけないということ。マルノーム先生は演技が下手なのでヤラセはなし。 歌と踊りは得意中の得意だったが、料理となると未知の世界。マルノーム先生も期待と不安が混じっていることだろう。 「では先生、試食の前に、メロエッタさんの調理VTRをご覧ください、どうぞ!」 映し出されたのは、小さな体とそれに見合った手足に、ややサイズオーバーの包丁を握るメロエッタ。カメラに向かって笑顔を作って「それではお料理を始めたいと思いま~す」。ここまでは普通の映像だ。 何をつくるつもりなの? え~っとですねえ、キノコと木の実のクリームパスタで行きたいと思います! アイドルらしく、アホっぽくあざとい反応だ。当然素のメロエッタではないのだが。笑顔を作ったときの眼に生気がないのがよくわかる。 続くシーンから異常事態が連発する。 付けるサラダに使う野菜を洗うのに食器用のクレンザー。おそらくオンエアのときにはここで悲鳴のSEが入るのだろう。いや、もう観客が悲鳴を上げているか。 ソースに用いたキノコと木の実は今年基準値違反を犯した国からの輸入だとラベルしてあるものを、どこで採れたかわからないと答えさせられた。テロップにはちゃんと出ている。わざわざラベルのアップまで。ちくしょう。メロエッタは口の中でつぶやいた。 麺は乾麺だが、メーカーがひどい。不味かろう安かろうのプライベートブランドだ。……番組のスポンサーだからという事情もあるのだが。 色を付けるために着色パウダーを…………青い。やっぱりぃ~、通り一遍では満足してもらえないと思うんですよー。VTRでは確かにそう言っていた。 使ったのは食用青色○号といってスーパーにも並ぶれっきとした調味料なのだが、こういったものを好まない評論家も多い。イメージが悪いからだ。 念の為メロエッタはこれは先生にとって毒になるのではないですかと尋ねてみたら、これらの要素はマルノームに対して全く脅威にならないから心配しなくてもいいとの返事が返ってきた。もちろんここはVTRには入っていない。 ああそれと、お約束の包丁で指を切る怪我もしっかり入れて。 香りは味との相性は考えずに、香水で。当然食品の香りづけに使うような代物ではない。端的に言えば、汚物の悪臭を誤魔化すために噴霧した液体芳香剤のような。 言い訳ではあるが、これらは全て、制作陣がメロエッタに新しいキャラを付け、視聴者を刺激するための芝居である。メロエッタには常識もあるし教養もある。ディレクターにああしろこうしろと言われなければ、腕に自信はないにしろ少なくとも他人が見ても正常な料理の範疇に入るものは作れていたと自負している。 さて、VTRが終わるまで、マルノームは静かに座っていた。元から起伏の少ない顔をしてるからわかりにくいが、今日は一段と鉄面皮だ。 「それでは実食いただきましょう、お願いします!」 司会者のジュプトルがマイクを振り下ろすと、ばばぁ~~んとSEが入り、ワゴンに乗ったメロエッタの手料理が運ばれてきた。 毒々しい色と似つかわしくない香りをした逸品である。 ワゴンを押すスタッフも司会のジュプトルも一瞬顔を曇らせた。 マルノームはうつむいて、紫色のブヨブヨした体をふるわせている。 自分がこれから食べさせられるものに何を思っているのか。恐怖か、憤怒か、それとも大穴で歓喜か。悪いが、歓喜なら狂っていると思わざるを得ませんよマルノーム先生、とは、このときのメロエッタの心の声である。 直前に恥ずかしい思いをすると、意外に冷静になれるものだ。 ワゴンから、マルノーム先生の座るテーブルへと料理が運ばれ、スタッフが退場するのを、じっと見守っていた。 「ほう、これは素晴らしい料理だ。困ったな、涎が止まらないぞ」 空気が凍った。いや、むしろ、その場にいた誰もが面食らって固まってしまった。マルノームに絶対零度は使えない。 メロエッタには確認する余裕はなかったが、きっと、後ろでふんぞり返っているプロデューサーはでんげきはで胸を撃ち抜かれたようなアホ面を晒し、ずり落ちるモノクルを慌てて受け止めたことだろう。 動けぬメロエッタにマルノーム先生がさらに続けた。 「メロエッタちゃん」 「はいっ」 きっとアイドルらしからぬ顔をしていたに違いない。まひの解けたメロエッタが仕事の表情を作り直す。 「私がこの料理をほめるわけを教えてあげよう」 マルノーム先生の調子はいつもと変わらない。物腰柔らかく、穏やかだ。ただし、言っていることの意味は、この場にいる本人以外にはよく分かっていない。 「君は私を喜ばせるために誰もやらないような冒険をした」 メロエッタがはあ、と首を90°傾ける。誓ってこれは演技ではない。他のスタッフたちも似たような反応だった。 マルノーム先生が気にせず続ける。 「冒険の中にもこれだけはやってはいけないということもある」 ブーピッグの、意味を聞け、という心の声が聞こえてきたような気がした。カンペを出そうとした向こう側のスタッフが、プレートを下げた。 「……と、申しますと……?」 「例えば……ヤドンのしっぽやラッキーのタマゴは栄養満点の高級食材だが、これらの食材を不用意に他人に出すのは適切ではない。なぜかは分かるね? ポケモン同士での食う、食われるを快く思わない人もいるからだ」 その点ではマルノーム先生は大丈夫らしい。ケンタロスのランプステーキやシザリガーのグリルマヨコショウに舌鼓を打つ姿がこの間批判的な論調で週刊誌に掲載されたばかりだ。打ち合わせのときにブーピッグが読んでた週刊誌だが。 それはそうと、少しわかった。つまり、言いたいのは一歩間違えば無礼極まりない方法を敢えてとったと受け止められているらしい。 ……そんなことないのに。ちくりと胸が痛む。うっかり包丁で切ったということになっている指先からまた血が出てきたような感覚がある。 「他には……そうだね。明らかに他人を害そうと思って出す食事。これもいけない。私が見た中でもひどかったのは暴力を盾に解毒能力を持たないポケモンに使用済み灰皿テキーラを強要した俳優だったなあ」 ドンカラスとブーピッグにも聞こえているはずだが、反応はない。ただただメロエッタの腫れ切った良心にぐさぐさ刺さり、中に溜まった膿がどろどろ垂れてくるのみ。 聞けよ、クソが。 誰かに聞かれたらアイドルとして終わってしまうような言葉が頭に浮かぶ。こんな仕事を受け入れた自分に責任があるが、かと言ってプロデューサーやディレクターに責任がないのはおかしい。 なお、この場合は遠回りな言い回しはよろしくない。聞けよ、ではなく、お前らにも心当たりがあるだろう、と言うのが正しい。 うつむいて何も言うことができないメロエッタをよそに、マルノーム先生の食前講釈は続く。 「でもね、君はこれを食べるのが私だと分かっていた。私には食器用のクレンザーも青色着色料の化学物質もまったく害にならない。腐敗しかけた肉も大丈夫だし奇抜な香りづけも嫌いじゃない。よくもてなされる私のことを理解している。つまり君は私のためにわざとこんな調理方法をとったということだ。これは全く新しい試みだ」 大衆向けに美食レストランとして紹介されている店は”一般的な”料理ばかりで揃えられていて、マルノーム先生はこういった店に対する仕事が多い。 一部特定ポケモンのための美食レストランや料理レシピを特集する雑誌もあるが、専門外のためマルノーム先生が呼ばれることは少ない。全くないわけではないが。 それでもこのような方法で作られた一般的な料理に出会うのは初めてである。 そりゃそうだ。わざわざいくら食べる側に無害といったって常識知らずと怒られる危険を犯した調理を誰がのっぴきならぬ理由なくしてしようか。 「私でもこういったものは初めて食べる。いったいどんな味がするのか。香りや舌触りは? 体内に入った後の感触は? すべてが未知でワクワクしているよ。これ以上のんびりしていると冷えてしまうな。それではいただきます」 全然効いてないな。後ろの方で声がした。 聞き間違えようはずもない、ドンカラスの独り言だ。 なぜ未だにそんなことが言えるのか。恐らく真剣に褒めているだろうマルノーム先生の顔を見ているのか。私は顔を見られないからうつむいていているしかないというのに―― ぷちんっ 不思議だった。良心の呵責という段階はとっくに通り過ぎ、混沌とした魑魅魍魎の世界へと迷い込んでいた。 申し訳ないとも、悔しいとも、かと言って怖いとも似ているようで微妙に違う気持ち。胸の奥に溜まった膿が悪さをし、眼がしらに熱いものを創っていく。堰が切れるのは確実で、あとは、タイミングのみ。その状態だったのが、ドンカラスの独り言をきっかけに、音を立てて崩壊した。 「おや? 食べるための食器がないね? 手づかみでお願いしますということかな、これは失礼した。見た目は普通のスパゲッティなのによく考えているのだね。まだ仕掛けがあるのかい」 ついにメロエッタは、スタッフたちが見ている前で皿を下げ、舞台袖へと逃げ出した。 浮足立つ下っ端のスタッフに、やがて舞台袖から聞こえるすすり泣く声。 何のことだかわからず唖然とするマルノームに、一応カメラ回しとけと怒鳴るチーフ。なだめに行くブーピッグと微動だにしないドンカラス。使えない野郎だ、と一睨みされた司会のジュプトルが半ば跳び上がり、とっさのアドリブで話を始めた。 メロエッタはそのまま退場した。 あのあと、収録は一応終わったらしい。残りの映像は後日取り直すとのこと。ブーピッグには褒められたのかけなされたのかよくわからない評価をされ、ドンカラスにはただお疲れとだけ言われた。 アイドルが大泣きする画は取れたことについては大満足のドンカラスは、仕掛けられた側が怒る方の映像に満足いかなかったので絶対に怒らないことで知られるポケモンレースの名指導者を怒らせに行ったらしい。しばらく前に売れた一発屋芸人が餌食になったそうだ。 なお、この奇抜な創作料理は、スタッフがおいしくいただくこともできずに、結局、捨てるのは忍びないとマルノーム先生の腹に収まったのは、期せずしてなかなか皮肉の効いた意趣返しである。 ---- あとがき 今回のテーマは『ぜん』でした。善か膳か禅かで悩み、善は荷が重すぎる、禅は話が作れず、まあ膳なら何とかなるだろうということで……自分でもビビッとくる変換はなかなか来ませんね。&size(8){誰か偽善で来ると思ったのですが}; ちょっと置きに行ったというか、ほかの作品と違うベクトルならばそれで満足!といった感じの作品になってしまいました。ポケモンである意義も薄かった気がします。 せめて文字数的にはかなり余裕があったので、ここから誰もがすっきりするようなエンドにするのも、最後まで救わないと決めたならよりドロドロネチネチと追い詰めてみるのもよかったかもしれません。%%後者になったら何人が読破してくれるかわかりませんけど%% >4コマではジャムご飯ばかりだった先生も実はこんなお方だったんですね (2018/05/27(日) 23:50) すいません4コマの先生がどのようなお方かは存じ上げませんが、きっと何事にも動じないポケモンだったのでしょう。ジャムご飯は新しい味覚の探訪だったりして 投票ありがとうございました! #pcomment