*初心-ういごころ はじまりの主調 ―― Depth of the Heart [#ma3e2a9c] &color(gray){読み手を選ぶ表現は含まれておりません。}; RIGHT:Writer: [[水鏡 &size(11){@glace1surf};>https://twitter.com/i/moments/816142087070445568]] RIGHT:Writer: [[水鏡 &size(11){@GlaceonJ};>https://twitter.com/glaceonj]] ---- |CENTER:初心-ういごころ-|CENTER:[[融和-とけなごみ- &size(9){次>};>融和-とけなごみ-]]| -[[初心-ういごころ-]] --[[Day 01>#s01]] --[[Day 02>#s02]] --[[Day 03>#s03]] --[[Day 04>#s04]] ---- 心の世界は、感情で満ち満ちている。 喜び、悲しみ、ときには怒り、ときには哀れむ。 悦楽だって感じるだろうし、憎悪の念も抱くだろう。 それは、無限に広がる大海原。不思議なことに、いくらでも湧いて出てくるものだ。 それならば。 もし、それらを司ることができるなら。 もし、感情を力に変えることができるなら。 あるときには目の前で火の手が上がり、あるときには水鉄砲が押し寄せてくる。 相手の心に訴えることもできるだろうし、地震だって呼び寄せてしまうかもしれない。 これが、 私たちの秘密。 #aname(s01) **Day 01 [#lbf1c5f0] 雲一つない昼間の光が降り注ぐ。周りを囲む草木たちは、初々しい緑色の葉っぱを伸び伸びと広げている。 「ほら、こいつだ」 私の目の前には、切り株の台座がそびえ立つ。大きな椅子の上に、小さなリンゴが置かれた。 太陽に反射する赤い体は、つやが出ていて食べごたえがありそう。 「さ、やってみな」 もったいない、食べてしまうほうがよっぽどいい、などという思いは露にも叶わず。 私は、この丸っこい物体に向かって念じる。 ――浮かべ、と。 力んでしまうと、気合の息が少しだけ漏れてしまう。でも、そんなことなんて気にしていられない。 食いしばる歯が軋んでも、胸を打つ脈動が早くなっても。 今度こそ。 やってやるんだから。 浮かべ、離れろ! このっ。 念じ続けるのも疲れてしまうから、力を抜いて一呼吸置いてみる。 再び挑もうとした、その瞬間。 目の前が、一瞬だけ真っ黒に染まる。小さな風が頭の中を吹き抜けたかと思うと、全身に力が入らなくなる。 重力がなくなったような錯覚が渦巻いて離れない。大きくよろめいた私は、その先に誘われて。 「おっ、と。大丈夫か?」 ぽふり、と落ちた。主人の腕の中に収まったことは、かろうじて捉えることができた。 まだふらふらする視界で、でもあの憎らしい球体の安否は確認したくて。 私は、そいつの乗っている切り株へ目を移した。 でもそこには、依然として佇む赤い影。抱き寄せてくれた主人を挟んで、見下すように突っ立っていた。 また、敗北。何度目と知れないその一言が、またひとつ、胸の奥に傷を作る。 「疲れただろう? 今日は休んで、また明日がんばろう」 そう言って、主人は私の頭を撫でてくれる。掌は温かかった。 情けない。 いくらやってもこの調子から進展しない。エスパータイプに進化したのが運の尽きだ。 それでも、主人はこうやって面倒を見てくれている。でき損ないの私なんかに、こんなに優しく。 「こいつはおいしくいただくか」 切り株からリンゴを拾い上げる主人。 今までの苛立ちを隠せなかった。いくら念じても浮かばないそれに、今日こそは黙っていられない。 せめて、一太刀報いたい。 勢いよく跳び上がって、主人の腕に狙いを定める。 私が突然働かせた外部の力によって、その手から赤い悪魔は滑り落とされる。 尻尾に力を込める。落ちていく標的に向かって、今までの悔しさを、思いっきり振り下ろした。 「おいっ」 期待通り、果実がはじける小気味いい音が散らばる。主人の声も聞こえたような気がするけれど、耳には入ってこなかった。 果汁を少し浴びてしまったが、洗えばすぐに落ちる。毛繕いなんてお手の物。 当たった箇所からへこんで、芯まで到達した。なかなかいい打ち込みだ。これには満足。 「まーたやっちゃった」 自慢げに主人のほうを見やる。するとそこには、服や顔を濡らしたヒトが立っていて。 ……見間違えたかな。主人はどこに。 「爆発物、取り扱い注意。今日もリンゴジュースの日だな」 信じたくはない。むしゃくしゃしたとばっちりが、あろうことか私のご主人様に飛んでしまった。 いくらなんでもこれはいけない。同じことの繰り返しはさすがにまずい。 なんで、砕いちゃったんだろう。 申し訳なさが、私を俯かせる。耳まで垂れてしまうのは、種族柄の問題だ。 「いいって、いいって。その代わり、食べてくれよな」 壊れた残骸は脚もとに転がっている。 気分はいいはずなのに、食べる気にはなれなかった。 こんな軽いものすら、持ち上げられない。 多少は発達していると思っている。現に、こちら側の種族なのだし。 主人も、進化してからだ、って言ってくれた。言ってくれていた。 でも、実際はこのとおり。念力すら放てない状態だ。 私の体には、何が起きているのか。それを確かめるため、またそれを取り去るために、今日もこうやって練習を積む。 成果は、見えていない。そもそも見当なんてついたもんじゃない。 そのくせ八つ当たりして、主人に迷惑をかけるという有様だ。 どうしてこんな体になったの。 太陽に見捨てられたなら、月に向かえばよかったじゃない。 「ユウ?」 はっとして顔を上げた。少しだけ物思いに浸りすぎたかもしれない。 見ると、主人はこちらを覗き込んでいて。 うん……近い。 「おっ?」 思わずとっさの後ずさり。驚くあまり、声が喉につかえて出なかった。 主人のことを考えていたから、よけいに恥ずかしくなってくる。 「心配するなって。なんとかなる」 あまり励ましの言葉になっていないのは周知の事実。何度聞かされたことやら。 それでも、ずっと変わらず接してくれるのは、主人のいいところなのかな。大きなこと言える立場じゃないけれど。 かがみ込んだ状態から腕が伸びる。なでなでされるのは嫌いじゃない。 「さて、帰るか。リンゴも頼むぞ」 う。あいつの後始末も任されるのね。 すくっと立ち上がった主人が指で示す。その先には、半分つぶれた赤い物体が横になっている。 私がやってしまったことなら、気が乗らないけれど、仕方ない。 中途半端もかわいそうだから、持って帰って食べてあげよう。 ◇◇◇ 森の木々が覆いかぶさるようにできた草の小道。新緑の木漏れ日は、淡くて小さな温もりを伝えてくる。 突き当たりまで進むと、アスファルトなる灼熱の黒塗りが横切っている。今はそうでもないけれど、夏になったら歩けない。 その道を下って、反対側に渡る。山の下りの一軒家に、主人と一緒、ふたりきり。 主人は“着替えてくるよ”と言って脱衣所に向かった。昼間のことは、やっぱり気になるみたい……私があんなことしたから。ごめんね、主人。 私はその間中、喋らないリンゴに食らいついていた。 #hr 「なあユウ」 私の名前が唐突に投げかけられた。日は傾いて、青空が赤色に変わってくる頃。 そんなにあらたまって、何か深刻なことでもあるのかしら。 窓辺から振り向いた私は、どうしたの、と首を傾げる。 「あれから四年だな」 こちらを見る様子もなく、主人は座ったまま独り言のようにつぶやいていた。 低めのテーブルには、冊子らしきものが五冊ほど積み上がっている。その近くに、冷たく光る金属の薄っぺらいものが一枚置いてあった。ノートパソコン、とか言ったかな。 四年前といえば、技のことに気づいて対策を始めたときになる。 察しはついたから、近寄って隣に居てあげることにした。 「イーブイの頃は参ったよなあ……覚えさせたはずのシャドーボールが駄目だったんだから」 名を技マシン。それを使えば、一瞬で技を覚えることができる。ただ、覚えることはできても、使いこなせないと意味がない。 当時はまだ気づいていなかった。今でもずっと変わっていない、ヒトに例えると一種の病気のような症状が起こっていた。 私は、幼いときから、特殊攻撃や補助効果に分類される技が出せなかった。 出せないと言うと語弊があるかもしれない。でもとにかく、力が入らないのだ。 主人が口にした技マシンの相性問題、その頃から私の特異性を意識し始めた。 私たちイーブイ系統は補助技に長けているのだとか。それ故、選べる攻撃手段が限られるから、ただでさえ少ないそれらから特殊技が使えないとなると。もっとも、遠距離を得意とするエーフィは。 考えると惨めになってくる。技の出せないポケモンなんて、ただの生き物に変わりない。 加えて、進化する前に戻ることはできない。この体は一生ものだ。 「ユウはユウだもんな。一端のエーフィの牝の子」 言い終わらないうちに、主人の手が体に添えられる。この温かさに、何度安らぎを覚えただろう。 体毛の流れに沿って、背中を撫でられる。強すぎず、弱すぎず、しっかりとしていそうで、どこかさりげなく。 目が合うヒトに片っ端から勝負を挑むことはない。主人は私のことを気遣って、イーブイだった頃からずっとそばに居てくれた。 あのときだけ、違った。主人が居なかった。 私の体は、突然発光を始める。 それは偶然か、はたまた必然か。まだ日は高く、鳥ポケモン達の鳴き声が響いていた空の下。 光が収まった後、目に映った前肢は薄紫色だった。 しばらくの間、茫然としていた。一筋の涙が頬を伝ったことは覚えているけれど、何が私の心を動かしたのかは思い出せない。 でも主人は、私を責めるようなことは一切しなかった。むしろ“がんばろう”って言ってくれた。 不思議だった。同時に、気に食わなかった。 他人事なのに一緒に考えてくれる。うれしかったけれど、どうしてこんな私なんかにこだわるのだろうか、とも思った。 今となっては、それら全部引っくるめて、私のご主人様、だけれどね。 「でも心配だよな……」 そんな主人は、思いついたことをすぐ口に出す癖がある。 私のことを心配して言ってくれているのだろうか。主人は相も変わらず、目と鼻の先に顔を近づけてくる。 えっと、近い、ですね。 そんなに覗き込まれると、後ろに退きたい気分になる。 心配性、とは言い難いけれど、もう少し抑えてくれたらうれしいかな。 毎度のことだけれど、ちょっと気まずい。 「おっと、もうこんな時間か。食事作ってくるからな、よしよし」 主人に頭を撫でられる。いつものスキンシップだ。 後ろ姿が、台所へと離れていく。体毛を通して伝わってきたぬくもりが、外気にさらわれる。 やっぱりどこか寂しいから、そのままついて行っちゃった。 いつものこと。 #aname(s02) **Day 02 [#vd958c62] 次の日。 体を包む温かさが、まぶしさとともに目覚めを促す。 うっすらと目を開くと、窓辺から明るい日の光が差し込んでくる。 ソファから体を起こして、大きなあくびを一つつく。寝起きの頭はふわふわと、まだ夢の中だ。 私は、朝には弱いのだ。 「お。おはよう」 背後からは主人の声が響く。何かを炒めるようないい香りも立ち込めている。 冴えない頭でもう一度あくびを一つつく。体を伸ばして立ち上がった。 ソファから降り立つと、誘われるように匂いのもとへ。 おなかすいた。 ◇◇◇ 「ようし。片付けたら出発するぞ」 主人から気合いのこもった言葉が届く。これから、どこか行くのかしら。 からっぽになりそうな野菜炒めのお皿から顔を上げる。主人の考えが分からずに、首を傾げた。 「センターに行くからな。また検査してもらおう」 え。またこのフレーズ。 よく分からないけれど、冷たい場所で体を触られるのは嫌。不気味な道具に当てられるのも嫌。 センター、検査。悪いイメージばかり。 嫌がって何もしないより、どこかへ動けば見えてくるものがある。主人は私のためを思って、そう言ってくれているのだろう。 でもそれは、嫌がる私を尻目に置くことと同じ。ポケモンにだって意地はある。 無駄とは分かっていながら、小さく、首を振った。 行きたくない。 「ユウ……このままじゃ、さすがにまずいだろう」 せっかく練習してきたのに、台無しにするのか、とまで言われてしまう。 そうなると、やっぱり主人にはかなわない。 仕方がないから、一緒に行ってあげることにした。 技を放とうとすること自体、無駄である、なんてことは考えの外。やればできるのよ。 #hr 山の中腹から下って麓へ。一直線の舗装された道、主人と並んで歩いていく。 それなりに傾斜があった勾配も緩やかになった。連なる家屋が、その姿を増やす。 両脇に草木が生える山道から一変、だんだんと背の高い建物が見えてきて、道幅も広くなった。 街、と言うのだそうだ。車と呼ばれる乗り物が、けたたましい音をまき散らしながら行き交うところ。主人によると、朝の時間がよけいにそうさせているらしい。 山の静けさがより感じられる。耳が鈍ってしまいそう。 「おはようさん。今日も散歩かい?」 ほうきを持ったおばさんから挨拶された。主人は、おはようございます、と軽い会釈で応じていた。 いつ見てもきれいな毛並みね、なんて聞こえたけれど、いつもの科白だからスルー。私のこととは限らないもの。 こういう性質なんです、と苦笑いの主人。 いいのよ、変わらないことが一番ね、とお節介なおばさん。 うっとうしくなった私は、主人たちのほうに振り返る。立ち話はもういいから、早く行こうよ。 「では、失礼します」 二人して私の目を窺うのはやめてほしい。でも、二人揃ってにこにこ顔をしている。何考えてるのかしら。 歩き始めた主人に、ほうきの女性が手を振っている。その視線は、ずっと私に向いていた。 ◇◇◇ 赤い屋根に白抜きのマークがそびえる。看板には、いつも見るP.C.のシンボルが浮き上がる。 とうとう来た。気乗りはしない。 「着いたな。行くよ、ユウ」 主人の語気からはなにも感じ取れなかった。 期待しているのだろうけれど、残念ながら私はその逆だ。 来たからには受けて立つ。気合が入らないのはご愛敬。 扉の開く音が、妙にうるさかった。 #hr 長いと思っていた検査時間も終わりを迎えて。 主人と、白い服に覆われたおっちゃんが、なにやら話している。たぶん今回の結果だろう。 むっくりと起こした体を、ゆっくりとほぐしていく。動けない時間が長いのはつらい。 「ユウ、お疲れさま」 主人がこちらに来た。 面倒だと思っていても、終わってしまえば簡単だった。妙にすっきりした気分になれる。 「相変わらず、だってさ。使えるようになってほしいけどなあ」 しかし現実は甘くない。まだ努力不足、再検査もあり得るだろう。 またここに来るのかと思うと、せっかく晴れた心に霧がさまよい始める。 耳を伏せたい気分になった。 「帰ろう。用は済んだから」 冷たい口調は、その矛先が向かってくる印象を受ける。がんばりが報われない、そんな思いが見えてくる。 こんなに期待されると、実現できないことがプレッシャーになりそう。 焦る気持ち、成し遂げたい心。そこまで大きい意気込みは必要ないはずなのに。 主人がセンターの出入口に向かう。彼の歩調は、いつもより速かった。 見失ったらまずい。ちょっと待ってよ。 ◇◇◇ 主人が一歩前に出ている。 ずんずんと進んでいく背中に追いつこうと、私も急ぎ脚。景色の流れが速い。 ゆっくり歩こう、あまり早足だと息切れしちゃう。 「あ、こんにちは」 主人と同じくらい低めの声が響く。 なんだろうと思って顔を上げると、目の前には一人のヒトが居た。 「えっと……どこかでお会いしましたかね」 「いや、そんなことは」 どうやら、お互いに面識はないみたい。話し込み始めたから、しばらくは身動きできないだろう。 ∵∴∵ 「おまえもか。飼われてるんだな」 ああ、しばらく暇を持て余すかもしれない、そう思ったときだった。目を向けると、後ろ脚で立ってる変な生き物が居た。 しばらくの間、体が固まっていた。 だって、喋ったよ、こいつ。 「どうした?」 いや、そもそも、主人と同じような言葉を操るなんて信じられない。 知らない相手は無視に限る。見ない振り、聞かない振り。 私はやっとのことでそっぽを向く。こういうことには、関わらないほうがいい。 「おいおいなんだよ。せっかくだからさ、お話の一つや二つくらいいいじゃんよ」 「うっさいわね。見ず知らずのあんたと交わす言葉なんてないよ」 「思いっきり喋ってるじゃねーか」 さっきから何なの。言い返そうとして振り向くと、不覚にも相手をまじまじと見つめてしまう。 黒い体毛に、&ruby(てあし){四肢};の先は、白っぽくて鋭そうな爪。 頭の部分にはトサカみたいな赤い毛が見える。 すでに会話をしていることは、もう不思議じゃなかった。 「そんなに見つめられたら恥ずかしいなあ」 予測しない科白が飛んでくる。不意を突かれた。 一瞬だけ、ほんの少しだけ、顔が熱くなったけれど、まあ気にしないことにする。 「そ、そうじゃなくって。あんたは何なの」 「俺か? 俺はナッツ。マニューラって呼ばれてる種族だ」 「種族……?」 種族。その分類があるのなら、彼の正体は一択だ。 「――ポケモン?」 「あれ。知らない? 酷いぜそれは」 冷たい眼差しを向けられても、知らないものは知らない。でも彼は、私と同じポケモンみたい。 少しだけ穏やかな気分になれた。彼、私と一緒。ヒトじゃない。 「……おまえ、野良の出身じゃないな」 なぜかその言葉が深く沁み入ってきた。 知る由はないはず。でも、どうしてそんなことを口走るのか。まるで見透かされているみたい。 認める心は、湧き上がってこなかった。 「別に。関係、ないでしょ」 「素直じゃないところもかわいいな」 「なっ……何言ってるの」 さっきから思いもよらないことをぺらぺらと喋られる。おまけに笑いながら。 言葉に詰まったじゃない。そう思いながらにらみつけるのだが、相手はにこにこ顔を崩さない。 「顔が力んでるって。マスターにそんな顔見せるなよ」 ほら、うしろ、と続ける彼。促されるままに振り返ると、手招きしている主人が見えた。 「じゃあまたな」 もう二度とは会いたくない。 ひらひらと前肢を泳がせる彼には、一瞥をくれてやった。 何事もなかったかのように、主人についていく。 引っかかりはないはずなのに、ちょっとだけ不安になって、ふたつの影に振り返った。 陽は、まだ高かった。 #hr その晩のこと。 はじめて言葉を交わしたことにうれしくなった私は、主人に話しかけていた。いや、話しかけようとしていた。 でも、言葉らしい言葉がでてこない。主人の発音に近付けようとすると、どうしても越えられない壁が見えてくる。 あのポケモンと話したときには、あんなにすらすらと言葉が出てきた。でも、主人と話すときだけ、どうして口ごもってしまうのか。 考えてみれば、当然のことだった。今まで全部、体で表現してきたのだから。そうじゃないと、伝えられなかった。 新しい発見を咬み砕くように確かめる私は、本当に、まだ幼かった。 #aname(s03) **Day 03 [#x98cfebf] 次の日。 私たちは、いつもの練習場所に来ていた。 いつもの場所で、いつものように、できもしないことをできるまでがんばる。先が見えないことは心細い。 何回検査されて、何回“がんばりましょう”と言われて。この辺りで降参するのも、正しい判断かもしれない。 身が入らない、薄々そんな思いを感じ始めていた。 「ユウ? もうちょっとだから。がんばろう、ほら」 主人は相変わらずオレンの実を差し出してくる。 ぼうっと眺めていただけの私は、とりあえず鼻を近付けて匂いを嗅いでみた。 これ、食べてもいいかしら。 「あー。分かった。休憩しよう」 そう言うと、主人はオレンの腕を引っ込める。今の私に集中力なんてものは存在しない。 再び空っぽの世界に戻った私は、一匹のポケモンを思い描く。 ただ立ち話をしただけ。それでも、彼の印象は強かった。 他のポケモンと話した記憶は見あたらない。思い出される風景には、どこもかしこも主人ばかり。 主人が居れば大丈夫だった。一匹で解決できないときには、鳴いて知らせればよかった。 その中で他のポケモンと接するのも無理があるだろう。記憶にないなら、そんな生活はしていなかったはずだ。 突然目の前に現れたあの黒毛。 そこに居るだけで集中力がごっそり持っていかれる存在には、頭が上がらない。 この近所に住むポケモンは、私だけではないのか。彼だけにしか会ってないけれど。 そう、私だけじゃない。言葉にして思いを伝えられる対象が居る。 どこか無性にわくわくしてきた。寝そべっていた体が起きる。 「ユウ? ……ん?」 主人の視線が一点をさした。私ではなく、私の後ろのほうに。 つられて顔を向ける。広場の入り口には、一人と一匹のシルエットが浮かんでいた。 あのトサカ、見たことある。 「あ、こんにちは」 またお会いしましたねえ、なんてのんきな調子の主人。入り口に向かって歩いて行っちゃった。 取り残された。どうしよう。 ∵∴∵ 「また会ったな」 こちらへと近付く黒毛を目の端に捉える。面と向かって、それもいきなりなんて、とても喋れない。 「どうした?」 「……どうもこうも」 あんたなんかに、興味なんて。 ないんだから。 どんな言葉をつむぎ出せばいいのか分からない。彼の顔を見ると、また同じような会話の繰り返しかもしれないと思ってしまう。 言葉が選べない。 そっぽを向いてむくれる私は、わがままに飢えた子どもみたいだ。 「何か、不満なことでもあるのか?」 耳が揺れた。息が詰まった。 どうしてそんなことを言い始めるのか。 ぴたりと言い当てられたことに対して、無意識の動きは正直だ。 「別に……」 「そっか。いや、この前は、ちょっと喋りすぎたかなと思ってさ」 少しだけ、驚いた。謝られるなんて思ってもみなかった。 期待はしていなかったし、私も気にしていないし。 それでも、気がつくことや気が利くことは、いいことだと思う。 それに引き替え、もともとを誤魔化している私の態度はいただけない。 悩みがあるのに。 本当はもっと話したいのに。 彼が嫌い、そんなことはない。彼に嘘をついてしまう、自分が嫌いなんだ。 そもそも。 できることなら、こんな気むずかしい私なんかに、逢ってほしくなかった。 「名前、教えてくれないか」 はっとする表情は、彼に見られただろうか。 名前なら、名前だけなら、嘘はつけない。 「ユウ」 「へえ、ユウか。よろしくな。俺はナッツ。って、もう知ってたか」 小さな笑い声が心地いい。それに混じって、この前言ったな、なんて続ける。 覚えてた。黒毛の印象が強かったけれど。 「木の見探しにきたんだ。そろそろ食べ頃の奴があるかなー、って」 私たちも、木の実はよく採りに来る。 自然の中に踏み込めば、野生の木はたくさん見つかる。ここもそのひとつだ。 他のポケモンたちは姿を現さない。こんな中腹まで下りてくる気はないのだろうか。 「ユウは? どんな用事?」 私は、ずっと俯いたままだった。 正直になろう。正直になりたい。 自分を打ち明ければ、気が楽になる。 楽しいときは楽しい、つらいときはつらい。主人に対してそうしてきたように、彼に対しても。 顔を上げてみた。隣には、少しだけ心配そうな顔をしたナッツが居た。 「技の練習」 「技?」 「そう」 詳しく聞きたい、とでも言いたげな顔をされたから、ちょっとだけ話してあげることにした。 ◇◇◇ 「特殊技、って……おまえ、よく生きてこれたな」 「生きることには不自由ないわ」 なんだか、莫迦にされた言い方のような気がする。 でも、彼の環境とは違うのだろう。私はあの主人と一緒だから、特に苦労はしていない。 「どこからどう見ても。いや、華奢な体つきだけどさ」 「お、大きな声で、言わないでよ」 まじまじと観察されるのは慣れたもの。でも、どこか落ち着けなかった。 だって、見てくるのは彼だもの。 「物理技だけ、ってことだろ」 「まあ、だいたい」 「じゃ、俺を相手にやってみるか」 「ナッツを相手に、か……え?」 耳を疑うとはこのことだろうか。 自然に聞き取れた言葉。繰り返したとたんに疑問符が湧く。 なんだって。彼を相手に。 「よし、決まり」 「勝手に決めないで」 「戦闘経験にもなっていいと思ったんだが」 「そうだけど、でも……」 彼を傷つけるようなことはやりたくない。そんな思いからだった。 言葉にできず、尻下がりの声量になってしまう。 「俺は大丈夫。ユウは覚悟しろよ」 「え? ええっ?」 思ったことをぴたりと当てられる。それよりも、傷を負うのは私だけかもしれないことが気になった。 あまり進んでやりたいことではない。 「ほうら吹っ飛ぶぞ!」 ナッツの気合いが、突然耳に入ってくる。 まるで目の前の獲物を狩りとるような、ものすごい覇気だった。そんな声が最後まで聞こえないうちに、体が宙を舞った。 空、木々、芝生。次々と移り変わる視界には目がまわる。 加えて、背筋の冷たさを覚えた。気温は低くないはずだ。 すると、背中から衝撃が伝わってくる。 今の状況を捉えることに必死になって、着地を忘れてた。 「わあ」 間の抜けた声はナッツのもの。 「ユウ、大丈夫か!」 目まぐるしい展開には、ついて行けそうにない。 「大、丈夫」 「ごめんな、いきなり大技やっちゃって」 「いいよ、いいよ。腰が、抜けちゃった、みたいなの」 「ああ、分かった。起きれるか?」 かすんでいく視界に、彼の体が近づいてくる。さらに、空気も冷えてくる。 おかしいな、と思うのと、彼に触れられるのは同時だった。 ――冷たい。 「ナッツ」 「ああすまんすまん、俺が悪かった」 「氷、操れるの?」 「は? ……あ、ああ。俺は氷と悪だ」 「へえ」 そんな彼に背負われた。 突然の変化にびっくりして、緊張していた。火照っていた体の熱が、ゆっくりと消え去っていく。 気持ちいい。瞼は自然に重くなった。 ◇◇◇ 「ユウ。ユウ……お、気がついたか」 主人の心配する声を、気だるさの残る頭が捉える。 だんだんと戻っていく視界には、ナッツとそのご主人も見えた。 みんなに囲まれてる。眠気はまだ振り払えないけれど、反射的に起き上がった。 「お、エーフィのユウちゃん。うちの真っ黒がお世話になってます」 そんなご丁寧に。言葉は出てこなかったから、しっぽを振って挨拶してみた。 真っ黒、なんだかひどい言われ方だ。ナッツの顔がゆがんだ気がした。 「ユウ、痛まないか」 主人の疑問が、気を失っていたことを思い出させる。 ナッツに技を当てられた。吹き飛ばされる感覚にはもうこりごりだ。 それから、背負われたところまで覚えている。 見覚えのある広場で、ずっと眠っていたようだ。 周りの景色が変わっている。おそらく、ナッツが主人たちの所へ連れて行ってくれたのだろう。 ためしに筋肉をのばしてみる。 力が抜けるような、背筋の凍る感覚はなくなっている。痛い箇所はどこにもない。 至って普通、といったところだろうか。 特になし。主人に伝えるために、足元へ近寄って軽く頭突きをした。 「元気、なのか」 「エスパーの特殊アタッカーが悪の波動を受けても眠るだけで平気。俺もトレーナー失格だな」 ニンゲン二人が、不思議なものを観察するような表情で見つめてくる。 そんなにじっくり見つめられても。私、なんにもやっていないよ。 「いや、やっぱりおかしい」 「そこは認めてあげようよ、トレーナーならさあ」 「でも、ユウ、おまえは……」 主人の言いたいことは察しがつく。 経験はほとんどない。力量なんて測ろうとすることは間違い。 そうなんでしょ。私の思いを、主人の目に重ねてみた。 真剣な顔つき。期待が見える眼差しには、私とは別の勘を持っているように見えた。 「とりあえず、無事でよかった。草の上とは思えない音が響いたからね」 雰囲気をまとめたのは、ナッツの主人だった。 ところで、“草の上とは思えない音”って、どんな音だろう。 「ほら、ナッツも謝って」 ナッツがおずおずと歩みを進める。 私は大丈夫だ。ご主人様に言われたからだとしても、そこまでは必要ない。 頭を掻きながらしゅんとしている彼に、首を近付ける。そのまま、もたれ掛かってみた。 背中に腕を回された。ひんやりする心地よさが、また広がってくる。 今度会えるのは、いつかしら。 気を失うのは遠慮したいけれど、ナッツと話せるのならうれしい。 静かな抱擁も終わりを告げて。 ナッツの前肢が離れたから、私も体を引く。 ナッツ、照れくさそうだった。 「よし、じゃあ、戦ってみようか」 そうしていたら、ナッツの主人が、突然信じられない言葉を発した。 集まる視線、三対一。一斉に振り向く私たち。 「は?」 「戦わせるの。時間には余裕があるだろ?」 お日様は天頂に昇ったところだ。 そろそろおなかが空いてくる。 「そもそもこいつは戦えるような奴じゃ」 「大丈夫。やってみなきゃ分かんない」 もうやっただろうと反発し、結果から学ぶものもあるとゆずらない。私たちを尻目において、主人同士でもめている。 ナッツの顔色を伺うつもりで振り向く。少しだけ不安そうだった。 見つめているところに、ナッツもこちらに向いてきた。 目と目が合う。ちょっと気まずくなって、顔を背けた。頬が熱くなっちゃう。 「分かった。分かったよ。ただし、最悪の事態だけは避けてくれよな」 主人が白旗をあげた。 正直のところ、彼とは戦いたくない。勝てる見込みはない。 戦いたくないけれど、どうしてか悪い気はしなかった。 ナッツのほうに、ちらっと向いてみた。腕組みしたまま動かない。 心配しているのか、それともやる気満々なのか。 私に知る由はないけれど、さっきのこと、気にしてるのかな。 ◇◇◇ 「無理はしなくていいぞ、ユウ」 分かってる。主人は口癖のように言ってくれる。 私は座ったままうなずく。後ろには棒立ちの主人が居てくれる。 「使う技の制限はなし、一対一のノックアウト方式。異議は?」 「ありすぎて困る」 向かい側のナッツとその主人と対峙する。 負け戦なんてするもんじゃない。 「考えても進まないさ。じゃあ始めよう」 開始の合図と一緒に、ナッツが飛んで来た。 浮いてないけど。びっくりするほど、かなり、速い。 引け腰になってしまいそうだった。 「避けろ!」 主人の声が響いた。怖じ気づいてた脚が保ち直る。 右か左か、二者択一。どっち。 ナッツの振りかぶった爪は右前肢。軌道の外に出ようとするなら、向かって左側が無難。 思った傍から横っ飛び。真っ黒な煙を纏った刃は、目の前を通り抜けた。 うわあ、怖い。 「尻尾だ」 主人からは、反撃の合図、だろうか。私にそんな勇気はない。 でも、やるっきゃない。動作が終わったナッツ目がけて、力を入れた尻尾を振りおろす。 少しだけ、躊躇した。 尻尾は地面に激突。ナッツは避けてた。 「へえ。意外とがんばるじゃん」 「こっちは折れてやったんだ」 「じゃあ次はどうかな。ナッツ、悪の波動!」 聞き覚えのある音が頭の中で波紋を広げる。波打つ先は、私が気絶したあの大技。 悪の波動、間違いない。 「嘘だろ、ユウ!」 背筋の凍る感覚が思い出される。あれは絶対に嫌だ。 力を込めるナッツは目と鼻の先。どうやったって避けれない。 どうにもしようはないけれど。ぎゅっと目をつむった私は、無事で済みたい一心だった。 もし、私の周りを、誰かが囲ってくれたら。 「また吹っ飛ぶかな?」 「おいおい、さすがに鬼畜だろそれは。ユウ……!」 長い時間が経った。 技が発動されるには、長すぎる。体には何も影響がない。 まさか、考え直したナッツが戦意を失ったのではないか。 目の前で何が起きているのか確かめたい。つむっていた目を開く。 すると、私の周りを真っ黒な流れが囲んでいる。煙とは違う気がするけれど、脈打つ様子はおぞましいの一言だ。 でも、吹き飛ばされていない。むしろ、私を避けているように見える。 ナッツが手加減してくれたのかしら。遠慮なんていらないのに。 ちょっとだけ調子が出てきた。 「あの光は……」 「ゆ、ユウ?」 技を終えたナッツが目を開いた。私を見つけたその表情は驚きによるものだろう。 何が起こったか分からないけれど、これは攻撃のチャンスだ。 突進して体をぶつける。倒れたナッツの真上に跳び上がって、尻尾の追撃を準備する。 着地する頃には避けられていた。的のない攻撃は、再び地面を叩く。 尻尾がぶつかると、やっぱり痛い。 「補助技使えないって嘘も、ほどほどにしてよ」 「俺は事実を言ったまでだ」 「あの回復力で薄々感づいてたけどなあ。ユウちゃん……センスはありそうだ」 ふと、主人たちの会話に耳が向いた。名前を呼ばれると、よけいに気が散ってしまう。 これまでの攻防の繰り返しで、気が大きくなったのかもしれない。 何の気なしに後ろを振り返ってみた。 何か御用かしら。 「おあっ、ユウ、よそ見するんじゃない!」 焦りが目立つ主人の声をぽかんと聞く。もう一度思い出してみて気づかされる。 戦闘中だ。ナッツはどこに。 右からの空気に違和感を感じた。 状況を把握しようと確かめた。右を向いたのは間違いだった。 黒い風が迫る。三本もの鋭い爪が、私の腹部を突き破ったかのように見えた。 切り傷は痛くて熱い。でも影を纏った攻撃は、穴が空いてなくなるようで、冷たい。 開きっぱなしの口から、静かな吐息が漏れて。 ナッツが前肢を離したすぐ後に、崩れ落ちた。 「ユウっ!」 主人の声が遠のき始める。 ナッツの言葉が、頭の中によみがえった気がした。 “よく生きてこれたな”。彼は、たしかそう言っていた。 「決着ついたよな?」 「そうだね」 「ユウ! 大丈夫か!」 主人がこちらに駆け寄ってくる。 負けちゃった。ごめんね、主人。 抱き上げられる感覚が私の体を包み込む。視界が高くなって、主人の腕の中に納まった。 自分で歩ける元気はなさそうだ。 それでも、意識ははっきりしている。 「出血なし……ナッツ、手加減したのか」 対戦相手もこちらに近付いて来てくれる。 私を中心に。そう思うと、顔が綻んでいたかもしれない。 「ユウちゃん、すごいや。将来大物になりそうな気がするよ」 「無理矢理戦わせて、言いたいことはそれだけだったんじゃないのか?」 「うわ、ひどいなあ。俺が見る限り才能は眠ってる気がする。お世辞じゃなくて」 私も、いつまでも主人に頼ってばかりじゃいけない。 がんばろう。がんばりたい。 ちいさな気持ちが高まった。せめて、自分の脚で立って歩けるようになりたい。 攻撃された。そのまま一匹で地面にしおれていると、何されるか分からない。最期まで殴ってくる奴も、居ないとは言えないんだから。 倒れなければ、なんとかなる。 主人の腕の中でもぞもぞと動いてみた。 「ユウ? おまえ、もう大丈夫なのか……おっと」 主人の手から離れて地面に着地した。でも、まだ体はふらつく。 立って歩こう。自分の体で、生きていくんだ。 日差しが強くなった気がした。ゆっくりと空を見上げてみる。 雲一つすら盾にしない太陽は、堂々としていて、暖かかった。 「日差し? いや、これは」 力が戻ってくる。立ち上がって伸びができた。 主人を見上げて、ナッツたちのほうに振り返った。 みんな揃って私を見つめてる。黙ってたナッツもまん丸い目をしていた。 何か御用? 「ユウやっぱりすげえ!」 お持ち帰りしたいーとか、あんたうらやましいなあーとか、いろいろ聞こえてきたけれど。 これでよかったのかしら。わ、ちょ、くしゃくしゃ撫でないでよ、主人ったら。 #hr 「ざっとこんなもんだ」 「よく分からなかったけど」 「自分の体だろうに」 トレーニング後の反省会。一番近いから、という単純な理由で、私たちの家に集まった。 頭を抱えるナッツが必死に説明してくれている。私の身に起こったことを分析しているみたい。 それを聞いていても、いまいちしっくりこないというか、何というか。ナッツすらも信じられない様子だ。 「何が納得できない?」 「すべて」 「よし、一から説明してやる」 「ありがとう」 「……本気で言ったのか?」 「そうよ。ナッツが一番分かってそうだし」 「あのなあ……」 俺が分かっておまえに理解できないことがあるのか。険しい顔をしながらぶつぶつとぼやいている。 私は知らない。ナッツに丸投げしてあげる。 「ええっとだな。まず俺が吹っ飛ばしたときのこと」 「あれはびっくりしたわ」 「ごめんって。あのときユウは、気絶じゃなく眠ったんだと思う」 「意識がなくなるから、両方同じね」 うーん、違うんだ。なんて面倒くさい話になりそうだったけれど、まあ、ほっとこう。 「眠ったんじゃないのか?」 「背負われて気持ちいいとは思ったけど」 「そうか。起きたときにぴんぴんしてたからなあ」 俺の背中はいい寝床。腕組みしながら自信満々に言うから、ほんの一瞬だけ、この言葉にのしかかってやろうかと思った。 ううん、自重しようと思う。私って偉い。 「で、俺の波動を防いだとき」 これは不思議だった。 黒い煙、彼の言う波動が、私の周りをきれいに避けていた記憶がある。 「ナッツが手加減してくれたんでしょ?」 「威力だけ、な」 「私の周りだけ寄ってこないなんて、器用ね」 「そんなことはできん」 だから私が何かしたんじゃないか。ナッツの言いたいことはそんな感じだった。 何かした覚えはない。私は知らない。 「まあ、断定はできないな。眠るも守るもマシン技だし」 私は補助技を使うことができない。 でも聞く限りでは、これら二つとも、技マシン……というものから覚えないと習得できない補助技みたいだ。 日常生活では触れることがない、しかも未発達なエーフィが、そんな真似をしていいのだろうか。 ナッツの洞察力も凄いけれど、正解であってほしくない。技は出せない。 ……技が使えるようになったのならうれしいのだけれど。 「問題は、おまえの驚異的な回復力だ。いつ覚えた?」 自分なりの考えを広げていたところ、ナッツの口調がいきなり真剣なものになったから、ちょっとだけたじろいだ。 「え」 「朝の日差し。知らないとは言わないでくれ」 「いや」 「使いこなし方も目を見張るほど鮮やかだ。俺が今まで見てきたなかでもトップクラスだろう」 「あの」 「そんな奴が本当に補助技が使えないのか? もともと熟達してないと使いこなせないんだぜ、これは」 「えっと……」 だめだ、聞く耳を持っていないみたい。そっぽを向いて喋っている姿は後戻りできないだろう。 知識をかき集めるために、より多くの戦闘をこなす。それ相応の経験を積んだ者でないと得ることはできない。 でも、努力だけじゃない。ある程度の素質も必要だ。 それは、太陽と会話ができるようになる、と比喩されるほど。ナッツはそんな大げさなことを言っていた。 朝の日差しは、あまり好きではない。朝には弱い。 そもそも、体を元気にさせる効力を持つなんて。私は、ただ単に、なんとかしようと思っただけ。 願いが叶ったのよ。 「信じられん……よし、ユウ」 「なあに?」 「何か補助技でもやってみようぜ」 「はあ? あんなのまぐれよ」 「今できなかったら認めてやる」 「だからできないんだって」 「やってみなけりゃ分かんないだろう」 「あんたも、あんたの主人と同じこと言うのね」 ナッツがこちらへと詰め寄ってくる。その赤い瞳に嫌とは言えない。 思い通りに丸められてしまった。私も、私の主人と似たり寄ったりかしら。 仕方ない。手加減してもらうしかない。 「分かった。やってみる」 ため息混じりに開き直ってみたところ、どうしても不安が拭えない。 どうやって技を発動させようか。 主人と一緒に練習しているときは、力を込めたら、目眩を起こして倒れ込んでしまう。 それが今回、監督はナッツになる。 もしナッツのほうに、倒れ込んだら。 だめだめ、何考えているの。 「ユウ?」 「えっ、あっ。呼んだ?」 「できそうか?」 「いや、うーん、難しいかなー、なんて」 いきなり呼ばれると驚いてしまう。 やましいことは一切考えていないつもりなのに。 「そうかあ。そうだな……それなら、気分を変えて特殊技だ」 聞こえた言葉に、さらなる動揺を隠せない。 つまり、彼は念力を試してみたいと言っているようなものだ。 立ち眩みを起こす確率が、とてつもなく高くなってしまうではないか。 「特殊なら取っつきやすいと思うんだ」 彼のことを思うと、心臓の鼓動が聞こえてきそうだ。 もし失敗したら。いやいや、そんなこと考えたら。 早まる思考は自分の世界へと導き入れる。 「どう思う? ……ユウ?」 名前を呼ばれたところで、現実に引き戻される。 「あっ」 「聞いてたか?」 「えっと、特殊技、だっけ」 「ああ。どうせやるならこっちのほうが簡単だろ」 「ええー。それはさすがに」 とりあえず、ナッツに悪いことと、疲れていること、今は室内に居ること。この三つで凌ごうと思った。 実は、疲れは取れている。走り回っても大丈夫だろう、と思えるほどに回復している。 無性に、解決してしまいたくなかった。ただそれだけだった。 「そうだよなあ。今までの経験が少ないのに、がんばりすぎると体に毒か」 ナッツは納得してくれたみたいだ。 とりとめのない、さりげない、偽り。 これで、よかったのかしら。 「腹減ったな」 「もうすぐだとは思うけど」 実戦演習をこなしているうちに、お昼をまたいでしまった。主人の料理に、空腹の口が四つ集まる。 ナッツの食べっぷりに驚かされるのは、また後のことだった。 ◇◇◇ 「ユウ! さすがじゃないか!」 お昼をすませて間もない頃に、主人の大きな声が響いた。ナッツたちは帰っちゃった。 よその人が居なくなったからって、大きな声出さないでよ。 「ナッツと会って、変わったな」 じっと見つめてくる主人は、含んだ笑みに見えた。 彼を引き合いに出してほしくない。言葉にできない恥ずかしさが、喉の中に立ち込める。 「やっぱり、ポケモン同士で遊ばせるほうがいいんだな」 断言する。遊んでいない。 力尽きることが身にしみて分かった。 別に、ナッツだったから許せた、そういうわけではないから……ナッツが理由になんて、ならないんだからね。 でも主人が言うには、私は今まで他のポケモンと接していないらしい。 この家には、私一匹。食事が関係して、二匹めは敬遠したみたい。 ナッツなら、私は大歓迎。 「これでユウも一人前だな」 いつもの通り、頭を撫でられる。 手の隙間から、主人を見上げた。 にこにこしている。はずなのだけれど、どこか曇った表情をしていた。 #aname(s04) **Day 04 [#w18c4da3] ちいさな感覚が浮き上がってくる。薄目を開けると、だんだんと意識が戻ってくる。 いつものあくびを一つつく。 ソファの上に起き上がっても、寝起きの体はあまり言うことを聞かない。 窓の外には、空を薄くさえぎるやわらかい雲が出ていた。 気づいたことが、また一つ。陽が、差していない。 台所を見てみた。主人が、居ない。 空は明るいのに、太陽が顔を出していない、となれば。 早起き。これに尽きる。 ソファから降りた私は、主人の居る寝室へ向かった。 #hr 「それにしても、珍しいな。ユウが起こしてくれるなんて」 私の目覚ましは、あまり期待しないほうがいいと思う。もともと、早起きは苦手だ。 朝ご飯をすませた後、おなかいっぱいの休憩時間を満喫する。伸び伸びと過ごす気分は、これまで感じたことのない新鮮なものだ。 「よし、センターに行くか」 げ。 また、ですか。 せっかく調子が出てきたと思ったのに、その一言で台無しだ。 仕方のないことかもしれないけれど、気は乗らない。 私はうつむいて耳を伏せた。 「そんなに落ち込むなって。いい結果はついてくる」 顔を上げると、こちらを向いて微笑んでいる主人が見えた。 嫌いなイメージを好きだと思いこむのは難しい。 なんとかならないものかしら。 主人の足に擦り寄って、体を伏せる。行きたくない。 「ユウ?」 首を左右に振る。 こうなったら、徹底的に駄々をこねてみよう。 私は嫌だ。 「協力してもらったナッツのこと、裏切るのか」 主人の言葉に驚いた。とっさに顔が向く。 ナッツを、裏切る。 私は、そんなつもりじゃ。 びっくりして、見上げたまま固まってしまった。 「そんなに嫌なのか? うれしい結果が待ってると思うぞ。ナッツに報告してあげたくならないか?」 今まで、技を出す練習をやってきた。 達成されたのは、昨日。ナッツだって知っている。 技を使うことができれば達成されたも同然だ。そこにはセンターも何もない。 どうして検査が必要なのか。私はそれが知りたかった。 「でも……いきなり補助技が出せたなんてなあ。本当にまぐれか、ユウが隠してたか」 主人の言葉に注意が向く。 まさか、隠していたなんて。そんなことは一切ない。 またまた大きく首を振る。 「それを確かめに行くんだ。ユウだけじゃなくて、俺も知りたいし」 なるほど、技が出せるということをカタチにする、ということか。 なんて納得できると簡単だ。 逆に、技が使えれば結果もその通りになるはず。検査をするまでもない、火を見るより明らかだろう。 さすがに疲れてきた。ここであきらめるのもありかもしれないと思える。 「行こう。な、ユウ」 しぶしぶ体を起こした。仕方ない、ここまでやったのだから、最後まで見届けよう。 ちょこんとお座りの姿勢から背を向ける。主人に振り返って、エーフィ独特の一鳴きをした。 「いい子だ」 玄関に向かう主人。その姿を追いかける。 背中が小さく見えたのは、気のせいだろうか。 #hr 「おはようございます、朝早くからご苦労様……あ、ユウちゃん」 開門一番、とでも表現できようか。 毎回ここにお世話になるため、私と主人は顔を覚えられているみたいだ。 来院者に笑顔を添えて、丁寧に言葉をかける女性。白地に赤い十字の帽子をかぶっている。 主人いわく、ジョーイさん、という人物だそうだ。詳しいことは分からない。 「いらっしゃいませ」 「お世話になってます」 今日も検査ですか? 尋ねるジョーイさんに、主人は肯定の相槌。 やっぱりやられる。いざ目の前にしてみると、ため息の一つもついてみたくなる。 「いつもいつも、すみません」 「いえいえ、こちらは仕事でやってる者ですから」 検査代は、本当に無料なんですか? と主人。ジョーイさんは、構いませんよ、それに院長が気に入ったみたいなんです、と返事をしていた。 「いやいや待って、先生が?」 「研究のやりがいがあるってことですよ」 「……ああ、そうですか」 一瞬だけ、主人の目の色が本気になった。 どうしたのかしら。 「じゃあ、処置室に移動しましょう」 そう言ったのはジョーイさん。ユウちゃんはお利口さんなので助かるんですよね、と続けられた。 「そうですか。こう見えて、けっこう駄々はこねるんですよね」 「本当に? ご主人様には遠慮がないのかな」 ジョーイさんが微笑んだ。 まったく。主人、よけいなことは言わないでよ。 本番手前に、和やかな空気が訪れる。ただ、それが自分自身の内面となると気まずいばかりだ。ほら主人、にやにや笑ってんじゃない。 ため息の一つもついてみたくなる。 #hr 「ほい、検査結果だ。うちに来る頻度が増していないかい?」 今日も白衣のおっちゃんに診られた。私を扱う手つきがとてつもなく気になるけれど、それさえなかったらいいヒトだと思う。 「そうですね。もう今日で最後だと思うので」 主人に紙が渡る。たぶん、今回の結果だ。 「大丈夫か? 相変わらずだぞ」 紙を見た主人が、小さな、驚いたような声を出した。私は聞き逃さなかった。 「パワーポイント、&ruby(ゼロ){〇};。まだ技が出せないってこと」 「そんなはずは」 比較的大きな声が遮った。 主人が発したものだった。 「失礼ですが、検査のやり方、間違ってないですよね?」 「……と、言うのは?」 「技は、出せました」 「……まさか」 二人とも神妙な顔つきになった。よく分からないけれど、深刻なことなのだろう。 さっき聞こえたパワーポイントなら耳にしたことがある。私たちポケモンが持っていて、技を使うときに消費するものだ。 それはとりわけ、物理攻撃以外のものに。体当たりなんて体をぶつければいいだけの話、誰にでもできる。 私が技を出せないのは、それがないから。主人の推測を確かめるべく、検査してもらえるセンターを見つけた。 案の定、結果はパワーポイント切れだった。技の元になるチカラがからっぽ、ということになる。 その後からが大変だった。 ピーピーマックスなんて妙な薬品は飲まされるし、ポイントアップだのドーピングだのと試させられた。 成果は皆無だった。主人が言うには、副作用が出なかったことだけよかったみたい。 主人の懐もさびしくなって身動きがとれなかったところ、それじゃあ初心に返りましょう、と先のジョーイさんにアドバイスされた。 技の練習を重ねていた途中に、ナッツと出会って。それから今に至る。 「いきさつを、聞かせてくれないかね」 「いいでしょう。マニューラとの戦闘中でした」 あ、ナッツとの訓練だ。そう思える私は、とんでもなく無頓着なのだろう。 からっぽのお皿に、水が湧いて出てくるようなもの。その水を使う私。あり得ない。 あり得ないと分かっているから、よそ事みたいに冷静なのかもしれない。 「眠ると、守る。それに朝の日差し。これらが使えたように見えたんです。技マシンを使った覚えはないですけど」 「技マシンを使ってない? それに、技量の少ないユウちゃんが?」 「そうですよ。でも出せたんです」 「そうか……ふうむ」 「……疑われるのも、無理はないと思います」 「いや、私は信じる。常々思っていたが、君のエーフィは新種かもしれないぞ」 エーフィの形をした化け物かもな。って失礼な。私に向かって言わないでよ。 おっちゃんの冗談に、気さくな主人は……笑っていなかった。 「とにかく、様子を見よう。理論上では無理なのに可能だとすれば、不確定、悪ければ底無しを意味するからな」 「悪ければ、底無し……せ、先生、それって」 「あまり深い意味はない。君の大切なポケモンだろう」 守ってやりなさい、とおっちゃんが続ける。 いささか、主人の返事が震えていた。何に対しても見下ろし目線の、あの主人が、まさか動揺したなんて。 若干の不安がよぎる。私、どうなるの。 ◇◇◇ 「お疲れさまです」 ロビーに戻った私たちに、ジョーイさんが挨拶をしてくれた。 「どうかされたんですか?」 その言葉は主人に向かっていた。主人が気づいたように足を止める。見てみると、顔色が悪かった。 「あ、いえ」 「ユウちゃんはしっかりしてるから大丈夫ですよ」 とっさの切り返し。ね、ユウちゃん、なんて言われたから、私はあわてて、主人の足に頭をこつんとぶつけた。 そのまま見上げる。主人と目が合った。 苦しそうな目をしていた。 なんで、そんな顔するの。主人らしくない。 「そう、ですよね」 じっと見つめてあげたら、主人の顔が、やっと綻んだ。 「ユウなら、大丈夫ですよね」 そうですよ、とジョーイさん。深く考えないで、パートナーを信じてあげて。 「朝早くからご苦労様です」 ジョーイさんが入り口に向かって行った。 一組の来院者が居た。 「ユウ、これからどうする?」 主人の声を追いかけて。もう一度、見上げた。 どうするも何も、私は主人につき従うだけだ。 尻尾を振って一鳴き。私をよく分かってくれるヒトは、主人しか居ないもの。 「おまえの能力は把握できない。でも、ほんとうの意味で技が使えるようになってほしいんだ」 主人の言葉は分からなかった。“本当の意味”って何だろう。 少しだけ首をかしげる。主人なりに思っていることがあるのかな。 「じゃあ、終わったし、帰ろうか。またここには来るかもな」 ええー。もう技は出せたし、ホントに終了したと思っていたのに。 落胆した。また検査なんて嫌だ。 出入り口に向かった主人。遅れまいとついて行く私。 これから気温が上がるのだろう。扉に差し込む朝の陽は、その高さを増している頃だった。 ---- 心の世界は、感情で満ち満ちている。 生きている限り、それらは存在し続ける。 感覚として感じ取れることこそ、生命を燃やす証。 その源を。 それらを司ることができたときには。 感情を、力に変えることができたときには。 これまで起こり得なかったものが、実現されるのかもしれない。 それでも、 私たちは、生きている。 『初心-ういごころ-』 ―了― ---- *あとがき [#kb35b864] うわあ厨二ったったった。乙。orz。 冗談はほどほどにして。 続くかも。 続かないかも。 作者のやる気次第となりますので、期待せずにお待ちください。 文章は書き続けます。 ---- |CENTER:初心-ういごころ-|CENTER:[[融和-とけなごみ- &size(9){次>};>融和-とけなごみ-]]| ---- お気軽にどうぞ #pcomment()