ポケモン小説wiki
凍空の猫騙し の変更点


#include(第十二回仮面小説大会情報窓・非官能部門,notitle)



 毛皮を刺す風が痛い。
 身体の内から熱を沸き上げれば吹き飛んでしまう程度の痛みだけれど、それでも痛いものは痛い。
 今は少しだけ風を感じないで済んでいるけど、風よりずっと激しい痛みが次から次へと襲ってくる。
 何しろ、風を感じないのは、黒くて羽の生えた奴らに取り囲まれ、奴らの硬く尖った口先で何度もつつかれているからだ。
「こんなクソ寒い日に仔ニャビーにありつけるたぁついてるねぇ!」
「早くホカホカの肉を食っちまおうぜ! 俺寒くて堪んねぇよ!」
「何言ってんだい、さっさと冷たくしちゃもったいないだろ? ちょっとずつ味わうんだよ!」
 どうやら風のもたらす痛みは〝寒い〟というらしい。ひとつ勉強になった。そんなことも知らないぐらいオイラはガキだった。そして今更何を覚えたところでどうにもならず、このちっぽけな命は終わっちまうようだ。
 死にたくない。
 でももう寒いのも痛いのも嫌だ。
 誰か助けて。
 母ちゃん…………!!
「へへ、じゃあ次は俺の番ね。いっただきま……グエッ!?」
 またオイラを啄もうとした奴が、突然奇妙な声を上げて吹っ飛んだ。
 空いた透き間から、突風が吹いてオイラの身体をかっさらう。
 痛くない風だった。
 寒くない風だった。
 とても暖かくて、心地よい風。
「てめぇ……この性悪ニャース! 俺らの獲物を横取りする気か!?」
「おうとも。そのつもりさね」
 風はオイラの首筋を咥えていたポケモンの吐息だった。
 口から前足にオイラの身体を移して不敵に笑うその顔は曇り空色の毛皮に包まれ、額にはキラキラ眩しいお日様色の楕円が輝いている。三角形の耳と短い鼻先は、どこかオイラの母ちゃんに似ていた。
「こちとらこのアローラじゃワルで売ってるニャース様だ。横取りに文句を言われる筋合いなんぞあるもんか。狩った獲物でいつまでも遊んでるアンタらがマヌケなのさ」
「んだとぉ、よくも盗人猛々しく!!」
「マヌケっていや、獲物の扱い自体もいただけないねぇ。獲物を殺そうがいたぶろうが狩った奴の勝手だけどさ、暖まりたいんだったら何も殺さなくても、ほれ、こうやって」
 と、そのニャースというポケモンは、抱えていたオイラを柔らかな懐に包み頬を擦り寄せる。
「抱きしめちまえば、ずっと暖まれるじゃないか。腹を満たしたきゃ人間どもからいくらだってくすねりゃいい。せっかくの炎ポケモンをその時限りで使い潰したんじゃそれこそもったいないだろ? あぁ、人間から餌を狩るなんて、アンタらヤミカラスの実力じゃ無理だったかねぇ。そりゃお気の毒様! ギャハハハハ!!」
「……なるほど。そいつぁいいことを聞かせてもらったよ」
 ヤミカラスと呼ばれたポケモンたちのリーダー格らしい雌が、ニャースと似たような口調で嫌らしく笑った。
「確かにそんな痩せっぽちの仔ニャビーを食っちまっちゃ、せっかくの炎がもったいないねぇ。ついでにわざわざ人間の餌を狩りに行く手間も必要ない。野郎ども、今夜の晩飯はあの泥棒猫だ。殺っちまいな!!」
 号令一閃、ヤミカラスたちの羽音が嵐のようにこちらへと襲い来る。
 ニャースは再びオイラを口に咥え、4本脚で硬い灰色の地面を蹴った。
 細く入り組んだ道を右に、左に、全身をバネにして跳躍しながら駆け抜けていくニャース。
「こっちだ!」
「逃がすな!」
 しかし相手は空を飛んで障害物を躱し、みるみるこちらとの差を詰めていく。いつしか先頭を飛ぶ追っ手の鍵爪が、逃げるニャースの尻尾に届きそうな距離にまで迫っていた。それでも悠然と尻尾を振って追撃を振り払うニャースの表情には余裕すら浮かんでいる。
 と思っていたら、突然ニャースが何かにぶつかった。
 口元から振り飛ばされそうな衝撃に戦慄が走る。
 ……が、それは思い違いだった。
 ぶつかったのではなく、蹴り飛ばしたのだ。
 体勢も表情も崩すことなく、ニャースは蹴った場所を足場に一際高く跳躍。夜空に飛ぶような浮遊感を味わった、その背後で、
「グギャッ!?」
 硬いものが床にぶつかる轟音と舞い上がる埃の中、ヤミカラスの悲鳴が入り交じった。
 そしてそれは、一度では済まなかった。
 次から次へと大きなものが倒壊し崩落する音がけたたましく響き、そしてその度に、
「うわぁぁっ!?」
「崩れるぞ、止まれ、止まれっ! ギャアアッ!?」
「だっダメだ、避けきれな……ギャヒィィッ!?」
 ヤミカラスたちの悲鳴が立て続けに巻き起こる。
 高い塀に登ってオイラを下ろしたニャースは、荒く息を吐き出した後、愉快そうに哄笑した。
「アッハッハ、ざまあみろ! 逃げる経路を確保もしないで挑発を仕掛けるわけねーだろ! これだからヤミカラスは脳足りんだってんだ!!」
 オイラを助けに入る前に、あらかじめ逃げ道を計算して罠をしかけておいたらしい。なんて頼りになる姐さんだろう。羨望の眼差しで彼女を見上げている内に、粉塵の向こうに未だ絶えぬ羽ばたきを聞いた。
「よくもあたしの可愛い手下どもを……このクソ猫! 楽に死ねると思いでないよ!!」
「チィッ、一網打尽にしてやったと思ったのに、しぶとい婆ァだねぇ。殺れるもんなら殺ってみな!!」
 またオイラを口に咥え、ニャース姐さんは身を翻して、塀から外の道へと飛び降りた。

 ★

「待てやゴルァ!」
 怒声を張り上げてヤミカラスのリーダーが襲い来る。
 誰が待つか、と鼻息で応え、ニャース姐さんは近くの塀の狭間から人間の巣の中に飛び込んだ。
「キャアッ!?」
「うわ、何だっ!?」
 食事中だったらしい人間たちの仰天した声が飛び交う中、ニャース姉さんは彼らの間にある台の上に乗り、オイラを左の小脇に持ち替えて、
「ちょいと失敬」
 と木の実が乗っていた皿を右前足で持ち、木の実を咥え取って皿だけを近くの窓めがけて投げつけた。耳障りな音を立ててガラスが割れる。
「そこカァッ!!」
 割れた窓の外で黒い羽が舞い降りるのを後目に、ニャース姐さんは反対側の窓を開けて人間の巣を抜けた。
「ゲェッ囮っ!? くそっ、そっちカァッ!?」
 ヤミカラスを撒いて突き放すと、姐さんはちゃっかりもらってきた木の実を右手に取り、オイラに向けて言った。
「もう少しの辛抱だよ。近くにあたしの城があるはずだからね。あってくれれば……」
 あるはず? あってくれれば?
 妙に不確定な言い回しに疑問を感じつつも、姐さんを信じて身を任せる。
 塀と壁の狭い間を進み、汚い小川にかけられた筒型の橋の上を渡り、金網の下の堀り跡を潜り抜けて、
「後はあの塀を回り込めば……よっしゃあ!!」
 姐さんが歓声を上げて走り込んだ先には、宙に浮かぶ真っ白い宮殿があった。所々が銀色に縁取られた、まさに豪華なお城としか言いようがない建物であった。
 よく見ると、お城は宙に浮かんでいるのではなく、黒い木の実を輪切りにして立てたような奇妙な柱で四方を支えられていた。そのお城の下に、姐さんは潜り込む。天井は低く、もうこれだけでヤミカラスは入ってこれないだろう。
「こっちだよ」
 見上げた先、お城の底に入り口が開いていた。
 軽い跳躍で飛び込むと、姐さんは複雑な縦穴を手慣れた調子で登り、最奥の平らな場所に腰を据える。
 お城の中はほんのりと暖かく、身体を包み込むような狭さに心が落ち着けられた。
「どこに行きやがったぁ! ドクソ猫どもめがぁ~っ!!」
 天井の向こうでヤミカラスの悔しそうな喚き声が遠ざかっていく。
「もう安心だよ。空から見下すことしか知らないバカカラスに、お城の下から登る道なんて思いつきさえするもんか。あたしのお城にようこそ、ニャビーの坊や」
 安堵感にふっと力が抜けて、オイラはニャース姐さんの胸にしなだれ落ちる。
 お礼を言わなきゃいけないと思ってはいたけど、それよりとにかくお腹が空いた。夢中で鼻先を柔らかい産毛に潜らせて探る。
「え、あ、ちょっとお待ち、お待ちってば、アン、くすぐったい! そんなところ吸ったってミルクなんか出やしないよ。あたしはあんたのお袋さんじゃないんだから!」
 引きはがされたオイラは、渇望を訴えて喘ぐ。
「まだそんなに小さい仔なんだねぇ……そういえば坊や、お袋さんはどうしたんだい」
「わかんない……きづいたらかあちゃんも、だれもいなくなってて……もうおひさまとおつきさまがなんかいもまわって……おなかぺこぺこ…………」
「迷子かい。はぐれて何日も経ってるんじゃ、もう親御さんも諦めてるかもしれないねぇ。よく頑張って生き延びたもんだ。待ってな、今食わせてやる」
 さっき人間の巣から失敬してきた木の実に齧りついた姐さんは、頬の中で噛み砕くとオイラの顎を捕らえて口づける。
 柔らかく暖かな甘い汁が、飢え乾いた喉に流し込まれた。美味しい。
「う……ケホッ! カホッ!」
「あぁほらほら、慌てて飲み込まないで、ゆっくり啜りな。たんとあるからね」
 背中をさすって喉を通してくれたニャース姐さんは、それから何度も繰り返し、口移しで木の実を飲ませてくれた。たちまち、オイラの小さな胃袋は一杯になった。
「元気づいたかい?」
「うん……ありがとう姐さん」
「礼は言らないさ。ヤミカラスどもにも言ったように、あたしは坊やの炎で暖を取りたかっただけ。このお城、今はまだ暖かいけど、夜になると熱が逃げて冷え込んじまうからねぇ。これから一層寒くなる季節、坊やがいてくれると助かるんだよ。さぁ、こっちにおいで」
 誘われるまま、オイラはまた姐さんの懐に抱き締められた。力強く鳴る鼓動に、母ちゃんの温もりを思い出す。
 と、ざらついた感触が、ヤミカラスたちに啄まれた背中を撫でた。
「痛っ!?」
「あぁ、ごめんよ。血が出てるからね、しっかり舐め拭っておかないといけないんだよ。我慢しておくれ」
「うん……平気。姐さんに舐められるの、凄く気持ちいいよ……」
 お城の壁と姐さんの腕とで幾重にも守られている安心感に満たされて、いつしかオイラの意識は蕩け始めていた。
「あぁ、暖かいねぇ。本当に坊やの身体は暖かい。いい拾いものをしたもんだ。これからもずっと一緒にいておくれよ……」
 頷くこともできたかどうか。そのままオイラは幸せな夢の中へ墜ちていった。

 ★

「起きな、坊や」
 揺り動かされて、オイラは夢から引きずり上げられる。状況を思い出すのに、少し時間がかかった。
 お城の外壁に空いた細い隙間から明かりが漏れている。もうお日様は昇っているようだ。
「あ……おはよう、姐さん」
 身体を起こそうとするが、まだ昨日ヤミカラスたちから受けたダメージが残っているようで、うまく身体が動かない。
「ねぇ、もう少し寝てちゃダメ?」
「まだ傷が辛いだろうし、寝かしてやりたいのはヤマヤマだけどね。でも、今は起きてなきゃダメだ。もうすぐアイツが来る時間だからね」
「……?」
 ヤミカラスたちを相手にしていた時よりずっと表情を張り詰めさせている姐さんを見て、オイラも緊張に覚醒する。
「何が起こるの?」
「いいかい、これから大きな音がするけど、そんなものは平気だから動じちゃいけない。けれどその後、アイツが顔を出したら、すぐにここを飛び出すからね。その時はしっかりあたしに掴まるんだよ」
「う、うん……?」
 頷きはしたものの、正直何を言っているのかよくわからない。
〝アイツ〟って誰? それに、アイツが顔を出したら逃げなきゃっていっても、このお城は下にしか出入り口のない袋小路のはずなのに、その下の道を塞がれちゃったらどこにどうやって逃げればいいんだろう?
 疑問ばかりが募るが、少なくとも姐さんは、どうなるかもどうすればいいかもちゃんと分かっているはずだ。彼女を信じて、息を潜めながら周囲の気配を探る。
 と、足音が近づいてきた。
 2本足で鈍重そうに歩く音。小さいオイラにも人間の足音だと判る。
 だけど、ここはオイラたちの身体が丁度通れる程度の狭い部屋。人間が入ってこれるはずはない。そもそもお城の下にさえ、人間の図体じゃ入れはしまい。何の驚異にもなりうるはずが……。
 というオイラの思考は、

 直後に起こった爆音と激震によって、吹き飛ばされた。

「うわああぁぁぁぁっ!?」
 世界が揺らぐ。
 例えではなく、実際に揺れている。誰かが地面技でも使っているのか!?
 鼓膜を破りそうなほどの爆音が、幾度となく繰り返される。
 あろう事かその音は、お城の外壁から聞こえていた。誰かが、このお城を攻撃しているのだろうか!?
 姐さんに動じるなと言い含められていなかったら、とっくに縦穴を駆け降りて逃げ出していただろう。
「慌てなくていいよ。今はまだ、アイツはここまで手を出してこれないからね」
 今はとにかく姐さんを信じて任せるしかない。固唾を飲んで、敵が登ってくるであろう眼下の通路に身構える。
 だが、敵が顔を現したのは、丸っきり想定外の方向からだった。
 外壁を叩き続けてきた爆音が突如として鳴り止む。
 終わったのか!? と思ったが、姐さんは緊張を解いていない。
 遠くで金属が擦れ合う音がする。一回、二回……
 三回目はやたらと近くから聞こえた。
 そして、恐ろしいことが起こったのだ。
 まず、朝の日差しが差し込んでいた細い隙間が、突然広がった。
 その隙間から、不気味な芋虫が3,4匹ほど蠢きながら侵入し、内側を何やら探っている。
「ひぃぃっ!?」
 また金属が擦れ合う音。そして硬いものがぶつかり合う音が鋭く打ち鳴らされ、その直後……。
 烈光と寒風が、オイラたちに襲いかかった。
 眩んだ視界が真っ白に染まる中、懸命に瞳を細めて状況を探る。
「あ……ああああああっ!?」

 天井が。
 オイラたちを外界の驚異から守ってくれていた鉄の天井が、ごっそりとなくなっていた。

 空が見える。澄んだ青空。まだ低いお日様。
 今や剥き出しにされたオイラたちに、吹きっ晒しの風が容赦なく突き刺さる。
 しかし、それ以上に攻撃的に刺してくるものがあった。
 青空を遮るように、両腕を振り上げた大きな影。
 腕で支えている四角い板は、ついさっきまでオイラたちの頭上を覆っていたお城の天井か。芋虫に見えたのはその影……人間の指だったようだ。
 その人間がオイラたちを刺し貫く視線は、幼いオイラにもハッキリそうと理解できるほどの荒々しい怒気を孕んでいた。

「ゴルアァァァァァッ! さっさと出ていけぇぇぇぇぇぇっ!!」

 ヤミカラスリーダーの罵声を遙かに凌ぐ激昂が、息がかかるほどの至近から叩きつけられる。
「キャアアアアアアッ!?」
 まさか下からじゃなく上から、天井を外して敵が現れるなんて!? 恐怖の余り、オイラは全身の毛を逆立てて竦み上がった。
「ずらかるよ!!」
 叫び終える前に、姐さんはオイラを抱えて縦穴を飛び降りた。青空が一瞬で遠ざかり、お城の底が流れて、あ気がつけば塀を飛び越えた向こう側に着地していた。
「心配すんな。人間は力は強くても動きはトロいから、塀の向こうに飛び降りたらもう追いかけちゃこない……ヤミカラスは!?」
 咄嗟に周囲を見渡すが、空には何の影もなかった。
「……いないようだね。ひと安心だ」
 ほっと塀にもたれた、その向こう側から、何かを叩くような音が重苦しく鳴った。
 それに続いて、咆哮が轟いた。
 地獄の底から呼びかけてくるような、何か巨大な獣の雄叫びが。
 何やら油の焦げたような異臭まで漂ってくる。火を吐く大怪獣でも現れたのだろうか!?
 最早声も出せず、姐さんにしがみついて震えるオイラを、
「大丈夫。あれが何であろうと、こんな狭い塀と壁の間にまで入ってこれやしないんだから」
 姐さんは力強く抱いて支えてくれた。
 そうしている間に、咆哮は唸り声へと変わり、地響きをならして遠ざかっていった。
「……何、だったの、今のは?」
「見てみるかい?」
 恐怖より好奇心が先立って頷くと、姐さんはオイラを咥えて塀の上に登った。
 脱出するとき、姐さんはこの塀しか越えていない。だから塀の向こうにあるのは当然、昨夜ひと晩を過ごしたあのお城だ。
 そのはず、なのに。
「え? えぇ……っ!?」
 我が目を疑う光景が、そこに広がっていた。
 塀の向こうには、何もなかった。
 あったのは、ただのまっ平らな空き地。
 白地に銀で飾り付けられたあの美しいお城は、跡形もなく、痕跡のひとつすら残さず消え失せていた。
「そんな……バカな……っ!?」
 やっと安息の場所を見つけたと思ったのに。
 たった一晩で、その楽園は失われた。こんな酷い話があるか。
 きっとあの人間が壊してしまったんだ。それか、後から現れたらしい怪獣の仕業か。
「う、あ、うわあぁぁぁぁんっ!!」
 ショックの余り、オイラは姐さんに縋りついて号泣した。
「ちょ、ちょっとどうしたんだい坊や」
「だって、お城……お城が…………」
「あぁ、そういうことかい。大丈夫、泣かなくったっていいんだよ」
 住処が消えてしまったというのに、まったく動じた様子も見せずに姐さんは言った。

「夕方にはちゃんと、全部元通りになってるんだからさ」

「ゆ……夕方にはって……えぇっ!?」
 一瞬で忽然と消えてしまったお城が、半日もすればまた忽然と現れるなんて、そんな夢みたいな話があるのだろうか?
「本当だよ。あたしがあのお城に住み着いたときから、いや、住み着く前からずっとそうだったんだ。夜現れた城で一晩身体を休めて、朝になったらあの人間に叩き出されて戻ってみればお城が消えてる。毎日その繰り返しさ。ただ、大体いつも夕方頃になれば元通り現れるんだけど、たまに現れるのが遅いことがあってねぇ」
「あ……そう言えば昨日、『お城があってくれれば』って……」
「まぁね。実は割とバクチだったよ。無事に現れてくれてほっとしたもんだ」
「でも、どうしてあんな大きなお城が出たり消えたりするんだろう? あの人間だって、一体どこから出てきてどこに行っちゃったの?」
「あの人間は、お城が出る場所の隣の建物を巣にしてる奴だよ。昼間はいつもお城と一緒にどっか行っちまうんだ」
 指し示された隣の建物は、お城があった空き地よりもずっと広くて大きそうだった……考えてみれば当たり前か。あんなに大きな人間が巣にしてるんだから。
「……何だかズルいや。あんなに大きな巣を持っているのに、どうしてオイラたちをお城から追い出すの? 人間の大きな身体じゃ、お城に入ることもできないだろうに。姐さんのお城なのに……代わりにオイラたちがあの巣を使うことってできないのかな?」
「しっかり戸締まりされてて入れやしないよ。屋根の下や庭の木陰を自由に使わせてもらってるけどね」
 やっぱり凄く理不尽な気がする。
「まぁ、朝までは使えるねぐらがあるってだけでめっけもんだよ。消えてるときは餌でも漁って歩き回ってりゃいいんだし、おかげで坊やを拾えたんだしね」
「うん……そう言えば、あの雄叫びみたいな声を出す奴も、あの巣から出てくるのかなぁ」
「さぁねぇ、あたしもいつもスッ飛んでトンズラしてるから、声しか聞いたことないんだよ。分かっているのはあの雄叫びと油臭い匂いがしたらお城が消えて、戻ってきた時には消えた時と同じような匂いが漂ってるってことぐらいさ。お城が出たり消えたりするのと何か関係があるんだろうけど、詳しいことはあたしにも分かんないねぇ」
 う~ん、あれだけ賢いニャース姐さんにも分からないことがあるのか……。
「考えても仕方のないことを考えてる暇なんかないよ。差し当たって考えるべきは今食う飯さね。漁りに行くよ!」
「うんっ!!」
 オイラを背に乗せて、ニャース姐さんは朝の町を駆ける。
 まだ走るのにも姐さん頼みのオイラだけど、暖房以外でも姐さんの力になれるように、早く強くならなきゃ。

 ★

 街の影に隠れながら夜まで餌を漁って元の場所に戻ってみると、姐さんの言った通り、何事もなかったかのようにお城はそこにあった。外されたはずの天井も無事なままだった。
 そしてその日から、
「またお前らか! いい加減にしろぉ!!」
 毎日朝になると、姐さんと一緒に人間に叩き出される日々が始まった。
 人間が来る前に起きてお城を出ていれば怒鳴られずに済むのだろうが、オイラも姐さんも本来は夜遅くまで活動する種族。朝はまだ寝ていたい時間なのだ。
 日々の走り込みと、姐さんが要領よく狩ってくれる餌のお陰で、オイラが引っかく技ぐらいは使えるようになるまで大して時間はかからなかった。

 ★

「しっかりおし坊や! もうすぐいつもの軒下だからねっ!!」
 この日、オイラはドジをやらかして、久しぶりに姐さんの背中に運ばれていた。
 野生のツツケラを狩ろうとして失敗し、空からドブ川に振り落とされたのだ。
 炎ポケモンのオイラにずぶ濡れは大敵。生憎朝から姐さんみたいな曇り空で、濡れた毛皮は乾きやしない。おまけに、昼前になってみぞれ混じりの雨まで降ってきやがった。
 冷たい雨粒に背中が穿たれる度に、体力が削られていく。本当にヤバい。
 不幸中の幸いにして本拠地のすぐ近くだった。一端軒下に避難して雨を防ぎ、お城が現れるまで耐え抜けば何とかなる。寒風を浴びながら夕方まで待つのは厳しいものがあるが。
 お城さえあれば……夕方現れたばかりの暖かいお城の中なら、寒風の届かない狭い部屋の中、あっという間に毛皮を乾かせただろうに……。
 ……ヤバいなぁ。
 油が焦げたような臭いを感じる。夕方現れたばかりのお城に残ってる怪獣の匂いだ。
 まだお昼なのに。現れているはずはないのに。お城が欲しいからって匂いまで幻覚が……?
「嘘……だろ?」
 驚愕に震えた姐さんの声に顔を上げる。
 ここからもう見えるはずの人間の巣が、白と銀の輝きに遮られて見えなかった。
 お城だ。こんな時間なのに現れている……!
「ついてるよ坊や! これで助かる!!」
 大急ぎで姐さんはお城の下へ潜って縦穴を駆け上がった。
 中は日溜まりのような暖かさで、あっという間に毛皮が乾き、身体の芯に火が焼べられていく。
 ホッとして温もりに身を委ねていると、外から毎朝聞く鈍い足音が聞こえてきた。
「そんな……まさか追い出す気かい? ダメだよ。もう少し坊やを暖めさせておくれよ……!?」
 悲痛に呻く姐さんの思いは届くことなく、
「まぁ、まさかとは思うが……一応、念のためな」
 という呟きと共に、朝同様の外壁への攻撃が始まった。
 姐さんはオイラに覆い被さって、お城の温もりと挟んで暖めながら、激震と爆音に耐えつつ人間の動向を伺う。
 期待も虚しく、いつものように天井の隙間に指が差し込まれた。
「くそ……仕方ない。坊や、せめてお城の下まで降りるよ!!」
 オイラが五体満足なら怒鳴られるギリギリまで待ってから逃げるところだが、今のオイラは初めてここにきた頃より大きく重く、姐さんが担いだんじゃもう早くは走れない。だから早めに動いて、最小限の範囲で逃げるしかなかった。成長したことで、却って姐さんの足手まといになるなんて。
 引きずられながら縦穴を降り、少し横に動いたところで止まる。上から覗き込む人間に見えない位置に。
「いない、か。さすがに警戒しすぎかな?」
 重い音が上で響く。天井が閉じられたようだ。
 この先は人間の動向次第で、できるならまたお城の中に戻るか……いや、オイラが満足に走れない以上、このままお城の下で息を潜めてやり過ごすのが得策か……? 姐さんはどうする気なんだろう? と、彼女の表情を伺おうとして、

 その向こうから伸びてくる、それに気づいた。

「危ない、姐さん!!」
 喉を振り絞って上げた警告が届いたか、すんでのところで姐さんは咄嗟に攻撃を躱した。
「見ぃつけたぁ!!」
 二度と聞きたくなかった声の主が、嘴をお城の下に潜り込ませていた。
「アンタ……あの時のヤミカラス婆ァ!? まだあたしらを諦めてなかったのかい!? こんなみぞれ雨の中、執念深いこったねぇ!?」
「カカカ、アレだけ虚仮にされて許せるもんか! 何、みぞれ雨ぐらい、そのニャビーのハラワタでも食らえば凌げるだろうよ。ついでに貴様のもまとめて、生きたまま引きずり出して食らってやる!!」
 凶悪な勢いで突き込まれる嘴の攻撃を、
「一昨日来やがれクソ婆ァッ!!」
 姐さんの爪による反撃が弾き返す。オイラも重い身体に活を入れ、牙を剥き出し威嚇して防戦する。
「こら、そこで何をしている!? シッシッ!!」
 騒ぎに気づいた人間が、ヤミカラスを追い払いにかかった。
「今だよっ!!」
 まさに絶好の隙だった。姐さんの支持を受けて、オイラは残った力のありったけを奮って縦穴に飛びつきよじ登る。姐さんが続いて飛び上がり、オイラを押し上げた。
「下に何かいるのか? ……何もいないじゃないか。何を騒いでいたんだ、まったく」
 どうやらお城の下を覗き込んだらしい人間が、諦めてその場を離れる。
「やったね……!」
「あぁ、やった……!」
 もう再び人間は、お城の中を調べようとはしまい。もうオイラたちは追い出されない。オイラたちはお城を勝ち取ったんだ!!
「さぁ、また上に登って暖まりなよ」
「ううん、姐さん、ここ、何だか触り心地がいいよ。ここも充分暖かいし」
 オイラが飛び乗った場所には、弾力のある柔らかな帯が、いくつかの円盤を通して張られていた。その帯のひとつに頭を乗せる。うん、枕として丁度いい。
「おやまぁ、いい場所をみつけたね。あたしも休ませてもらおうかね」
 と、姐さんも隣の帯に頭を並べた。
 散々オイラを担いで走って戦って疲れていたのだろう。その吐息はすぐに規則的になる。
 オイラも姐さんに寄り添って、帯に揺られながら瞼を閉じた。

 ★

 ★

 ★

「ヤミカラスが騒いでいたの、何だったんだろうなぁ? ニャースたちがいるかもと思ったけれど、見あたらないし……?」
 まぁ、いなければいないに越したことはないのだが。
 いくら何でも、昼休みに忘れ物を回収するため帰ってきた、この僅かな時間にニャースたちが入り込んでくるだなんて、ちょっと心配しすぎたか。
 ひょっとしたら、毎朝毎朝怒鳴り続けてきたから、ついにあそこには入っちゃダメだと理解してくれたのかも……って野良ポケモンにそれはないわな。
 この寒い時期、暖を取りたくてあそこに入ろうとするニャースたちの気持ちは分からんでもないが、だからといって入ることを許すわけには行かない。こっちも困るし、あいつら自信の安全のためにもだ。

 僕の愛車のエンジンルームに入ることは、絶対にやめさせなければ。

 エンジンルームには動くものがたくさんある。入り込んだポケモンが機械に身体を挟まれたりしたら、車にもポケモンにも大ダメージだ。
 特に剥き出しになっているラジエーターのファンベルト、あれは危ない。巻き込まれでもしたら手足や尻尾を切断なんて自体にもなりかねない。
 その上最近、ニャビーまでもが入ってくるようになった。今はまだ小さいからいいが、成長して中で炎を吐かれたら、燃料に引火して車両火災になるのは必至だ。
 ゲットしてしまえば問題は解決するんだが、アイツら僕の顔を見るとすぐ逃げちゃうし。困ったもんだよ本当。
 あぁ、ボヤいている暇はない。昼休みが終わっちまう。それこそニャースたちが乗り込んでくる前に、早くエンジンかけよっと……………………。

 ★

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 ★

 ★

 思い出したくもないみぞれ雨の日から、随分と時が経った。
 あたしのした行為が、あの野良ニャースとニャビーの運命を変えちまった……そう思うと、深い後悔の念に苛まれる。
 過ぎたことに囚われるのはもうよそう、と雑念を振り払い、留まっていた塀に腰を落ち着ける。
 しばらくして、怪獣が唸るような音と油を焦がしたような匂いを捲き散らしながら、眼下の道に白い車が走ってきた。銀色のグリルが眩しい、もうすっかり見慣れた車だ。
「やぁ、いつものヤミカラスさんだね。ほらっ」
 運転席の窓を開けたドライバーが、木の実をあたしに投げてよこす。ありがたくそれを頂戴した。
「君の友達たちも元気だよ。さぁ、出ておいで」
 こっちにしてみれば不愉快極まりないことを言って、ドライバーは後ろ手にふたつのモンスターボールを投げて後部座席にポケモンを放つ。
 デカい顔を曇り空色に染めた雌のペルシアンと、
 墨色の身体を炎の縞で飾り、首元に燃える鈴を光らせる雄のニャヒートを。
 2頭はあたしに向けて穏やかな笑顔を向け、嬉しそうに前足を降ったりしている。
 あぁ、バカにして! そんなにあたしをおちょくりたいのか!?
「お前たち本当に仲いいよなぁ」
 そして勘違いも甚だしいことを、今日もドライバーは呟きやがるのだ。

「何てったって、ヤミカラスさんは2匹の命の恩ポケだもんな!」
 
 くっそ忌々しい!!
 あたしがあのみぞれ雨の日、今にもエンジンをかけようとする車のボンネットに飛び乗り、フロントガラスをつつき回してドライバーにエンジンルームを開けるよう促したのは、あたしの獲物を外へ出せと訴えたかったのであって、助けようとしたわけでは断じてない。
 あのまま放っておけば2匹とも挽き肉になる運命だったと知っていたら、喜んで静観したものを。
 ましてや、蓋を開けてみたら呑気に仲良くおねんねしていたクソ猫どもを、ドライバーがこれはチャンスとばかりにモンスターボールに入れてそのままゲットしようとは、想定外もいいところだ。あいつらどれだけ悪運が強いんだよ。まんまと飼い猫の座に収まりやがって。
 悔しいかなニャースの言っていた通りおつむが足りなかったせいで、うっかり敵に塩を送り間違えちまったあたしだったが、そこで真実にこだわってちゃそれこそ脳足りんだ。善意と思われたならそれに乗って堂々と恩ポケ面して、こうやって餌を楽にせしめるのが賢い生き方ってもんさ。そうだろクソニャース、いやクソペルシアン?
 幸せ一杯の奴らを運ぶ車に愛想良く羽を広げて見送り、あたしは今日も騙し取った美味い木の実を啄むのだった。

 ★END★



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