ポケモン小説wiki
公道を水のように、廉直を川のように の変更点


#author("2024-06-01T15:00:20+00:00","","")
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 道がひらけた。そこをいつまでも歩いていたい。
 だが、今は疲れきってしまっていた。
 体を丸め、世間を遮断した。あまりにも傷ついていた。今はゆっくりと眠っていたい。
 夢の中でこれまでのことを追想しようか。
 本当に……少しだけ。



    【第一の空想】


 太陽光線は針のように鋭かった。空を飛ぶだけでひどい体力の損失だ。
 それでも凶鳥は家畜を襲った。今日もゴーゴートを食べなければならないのは、うんざりとさせられる。だが飢えるよりは有情だろうと、自分を納得させるしかない。
 凶鳥の巨体から逃げ惑う群れの中から、適当なやつの生命力を吸収し、ニ頭を気絶させて鉤爪で掴む。
 もちろん郊外にある牧場は、凶鳥の土地ではない。凶鳥は盗みを働いていたのだ。
 現場を見られる。その状況は思ったよりもすぐにやってきた。家の戸が開いて、人間の娘が出てきたのだ。
 視線が合う。まだ子供だ。それでも落ち着きはらって、凶鳥は牧場を飛び去った。
 弾かれたように娘が走りだす。子供が相手の割に、彼我の距離は一定に保たれる。娘はゴーゴートの背に跨り、走らせていた。生活を賭けた闘争だった。
 飛びながら振り返ると、娘の目が血ばしっている。別に見えた訳ではないが、そういうふうにわかったのだ。その必死さは、狂犬の類に見えた。
 だが努力も虚しい。凶鳥の赤と黒の翼が冴え、徐々に距離は開きはじめる。一〇〇メートル……二〇〇メートル……三〇〇メートル……ついに後ろから、負け惜しみが聞こえた。それがさらに凶鳥を愉快にさせるのだ。
 凶鳥は雄叫びをあげた。
「どうした! 追いかけろよ。病気の母親のために。それとも父親に頼ってみるか!」
 凶鳥は知っていた。娘の家に大人は病気の母親しかいない。父親はすでに死んでいたし、長男は戦争に行ってしまった。だから娘の牧場を選んだのである。
 嘲笑いながら、凶鳥はより高度を上げた。森の上空を通り過ぎ、岩山の手前まで来ると、街を一望できる丘に辿り着く。
 一本の大木が植わっている。そこでプニちゃんと待ち合わせていたのだった。四本脚の友だちはジグザグな短い尾を振って凶鳥を迎えてくれた。


「どうだった、今日は」
「昨日とおんなじ。ほかに育てようとは思わないのかなあ?」
「私は、食べられるならなんでもかまわない」
「貼りだしを見かけたよ。『家畜を襲う、怪鳥に注意!』」
 凶鳥は太く長い尾を大木の根本に伸ばし、尻を降ろした。気絶したニ頭のうち一頭の息の根を止め、齧りつく。
 血と肉と、草と土の味がする。
「この町に長くいすぎたな」
 イッシュと争っていた。凶鳥が、ではなく、カロスがである。凶鳥が野生でなく家畜を盗んでいるのもそのためだ。
 この国にはもう、奪われるほどの財もなかった。誰の金庫の中身もない。人間の世間で生きるなら、こういうことも起こりうる。それは仕方がない。
 だが獲物が減るのは迷惑だった。世間の物は自分の物なのに、ド&ruby(ぐさ){腐};れ&ruby(モン){者};がそれを壊してゆく。
 ド腐れ者とは、空襲のことだ。カロスじゅうの生き物がどんどん死んでゆく。
「次はどこへ行こうか?」
 プニちゃんが言う。雨のにおいを察知したように首をもたげて凶鳥を見上げた。
「また南下するしかないのかなー」
 丘から見える、崩壊した木造建築。町の全体に群れている。空襲と修理の競争だ。死が降りそそぎ、落ちつきのない、地上の虫けらたち。
 こんな田舎を爆撃するからには、財を持ち腐れているだろう。あるいは徹底的にやらなければ、気が済まないだけなのかもしれない。最近は珍しいことに、空襲がこないでいるのだが……
「うん?」
 その時だ。
 丘の下から、誰か来る。
 走ってくる。言うまでもない、あの娘だ。
 なるほど、意外と根性はあるらしい。
「なんだよ」 
 ――返せよ、それはうちの家畜なんだよ!
 言われたわけではなかったが、近場にくると目が語っていた。ここまで乗ってきたゴーゴートの方は、娘の後ろで震えて怯えている。
 その微妙な空気の中でも、凶鳥はさわやかに笑うのだ。まだ食っていない家畜の首を掴み、放り投げる。そして寛容に言ってあげるのだ。
「根性あるじゃん。それに免じて、ひとつやるよ……オレの飯から」
 もちろん、凶鳥の言葉は人間に通じない。それでも娘は怒りに震えた。だが、憤りの割に声が出ない。
 怖かった。嘲笑するわけでもなく、平然と獲物を投げ渡してくる、凶鳥の気楽さが怖ろしかった。
 凶鳥は、家畜が自分の所有物であることを微塵も疑わなかった。だから平然と施すように、獲物を投げ渡すのである。盗んだものを、元の所有者を前にして、本気で所有権を主張していた。娘は、凶鳥のその態度が直感的に怖ろしかった。
 怖ろしい。逃げだしたい。あまりに残酷すぎている。それでも今日まで家畜を盗まれ続けた怒りをぶつけずに、さがるわけにはいかない。それはこれから先も奪われ続けることの了承だった。
 こんなやつに好き放題されて、これから生きていかれようか。


 娘が森へ向けて声を放つ。木々の合間から凄まじい勢いで何かが飛び出した。
 しかし凶鳥は頭をひねるだけでその突撃を避けてしまう。
 そして、“おかえし”とばかりに尾を振り上げ、したたかに打ち上げたものに、赤黒い光線を吐いて追撃した。過たず命中し、敵があっけなく墜落する。
「まだ手下がいたんだ」
 ファイアローだった。胃液をぶちまけ、はらわたを万力で潰されるような痛みに土の上で痙攣している。 
「やさしくしたのに、つけあがりやがって」
 ファイアローを蹴り飛ばし、片脚で娘を捻じ伏せる。
「交渉は苦手か? なあ……オレは譲歩したよね。家畜を恵んだよね。なのに襲ってくるなんて、どういうことなのかな? オレはこんなにも親切なのに、義理を果たさずに済ますのか!」
 殺される――手を出してはいけない生き物だと、娘はようやく気づかされるのだ。
 凶鳥は嘲笑していない。この生き物は、自分に反抗してきたことを本気で怒っているのだ。なんて押しつけがましいのだろう。あまりにも奇怪だし、あまりにも異常だ。追いかけてきたのを後悔した。イッシュと戦争をするよりも失策だ。
 いつの間にかみっともなく、ゴーゴートは逃げていた。
「どうする?」
 凶鳥の傍らで、プニちゃんが判決を催促した。
「そうだな……こいつの毛根を引きちぎる!」
「嫁に行けなくなる」
「だからだろ!」
 片脚に踏みにじられ、もう片脚に髪を掴まれると、娘が暴れだす。逃げようとしても、すでに遅すぎた。土の上に縫いつけられる。
 プニちゃんは憐憫の目を向けながらつぶやいた。
「すまないな。私は極力、口出ししないことにしているんだ」
 娘が悲鳴をあげた。
 ママ、ママぁ! 助けを求めていた。凶鳥は無表情だ。娘の前髪を引っこ抜いた。
 戦争は終わる。すべてが幸福になる。みんなが言っている……本当にそうなのだろうか? なら、今ここで繰り広げられている、この地上の地獄はなんなのだろう……



    【第二の空想】


 貧乏草に毛根を抜かれた、娘のみじめな頭。むきだしの皮膚に、紫外線の刃が突き刺さる。
 何度も見ている、三〇〇〇年前の夢。
 あの熱月に、あの涅日に。
 町に……地獄が咲いた。


 娘の背中を家の方に押してやる。頭の毛を抜かれるのは痛いのだろうが、気を失うほどでもない。痛みが治まってくると、毛をむしられたという悲惨な事実だけが去来する。
 けらけら!
 凶鳥が狂ったように笑いだす。
 けらけら、けらけら、けらけらけらけらけら!
 娘を嘲笑しているわけではない。勝利を祝うような感じだった。瓶に何かを満たせた時の会心の笑い。
 娘の表情から、魂が抜けていた。拳を握り、何もできない。
 娘をファイアローを抱いて去っていった。どこにだろう……家に? どこに去ろうと敗者の目的地は、荒野か雪原に変貌すると決まっているのに。
 凶鳥も娘をさらに甚振ろうとはしなかった。結末はすでに争いの化身に委ねられた。すべてが終わってしまうと、これが現実などではなく、過去の追想でしかないように思えてくる。
 凶鳥の足元で散らばる毛の山にぞっとする。何もかもが虚しくなった。娘の背が見えなくなったころ、虚しさに耐えきれなくなった。
 地に跪き、涙が出る。
 別に悲しくはなかった。滑稽に思った。自分の生き方を。
「きみは悪くないよ」
「見せかけでやさしくするな!」
 擦り寄せ、プニちゃんは甘言を吐いてくる。すげなくしても、この友だちは憤らない。ただ瞳の中に慈悲をつやめかせている。
 なんて甘ったるく、堕落させてくるのだろう……凶鳥は翼に友だちを抱きしめ、泣きすがる。
「あんなことをしたいわけじゃなかった!」
「うん」
「でも駄目なんだ。目の前に敵が立ちふさがると、それが自分よりも弱くても、オレは凶暴になってしまう……どうして? わからない。怖ろしい。逃げだしたい! 教えてくれよ。この感情の正体を!」
「きみは何も我慢しないでいい。きみはこんなにも強いから、すべてを滅茶苦茶にしてもかまわない。きみにはその権利がある。私がそれを肯定してあげる。それで充分だろう?」
 違うんだ。わかっているくせに。
 本当は叱責してほしいのだ。プニちゃんだけは、凶鳥と対等に話すことができる。だから厳しくしてくれるべきなのだ! 自分はどうしようもないのだと。なのに甘やかす……自分が遠くへ行かないように。
 あるいはプニちゃんが凶鳥の、望みの言葉を紡がないと言うだけでも、この世に真実の善良さがないことの、絶望的な証拠なのかもしれない……公道と廉直。おまえが檻を出ないなら、何のために心の端へ、水飴のように張りつくのだ。
「きみは本当にやさしい」
 友だちに顔を舐められた。
 自分はまことに凶悪で、死の神様らしいはずだ。そう信じている。
 それなのに不満が消えもしない。殺すために産まれたのに、それに罪悪感をおぼえるなら、何のために生きているのだ?
「食べよう、戦利品を」
 自己憐憫も喉を過ぎると滑稽だった。
 戦利品とはうまいことを言う。
 また大木の根本に座り、友だちと家畜の肉にかじりつく。相も変わらず、砂の味がする。盗んだゴーゴートはもう沢山だ。
 水浴びのように頭の回路は清められない。罪悪に気がつくだけでも有情なほうだ。
 いつからだろう、奪うことにそれを感じはじめたのは。罪悪感が胸に根を張り、それでも花がひらいていないころは、万事がうまくいっていたのに。それが今では針になり、毒になり……魂を自家中毒でばらばらに引き裂こうと躍起になっている。進化の過程とは思えないし、退化とも違っているようだ。前進も後退もしていない、単に「変化」と呼ぶべきか。道徳の反発。善良さを気にするあまり、善良さを憎まずにはいられないのだ。
「あれを見ろ」
 急にプニちゃんが町の方に鼻先を向けた。イッシュの、鉄でできたファイアローが、町の上を飛んでいる。
 飽きずによくやる……すでに罪悪感が麻痺し、家屋を壊したその数を、競っているに違いない。そうでもなければ、やっていられない。感情にそれくらいの給付を与えても、誰も不満は言わないだろう。
 空襲をおかずに肉を食べられるのは気が利いている。戦争が終わった後に、この光景は切手にでもなりそうだ……木に寄りそい、空襲を見ながら、ひたむきに死肉を貪っている、死の神様……感傷と哀愁を誘うだろう……それにしても爆弾を落とさない。新参の飛行士が躊躇しているのかな? やるならやれよ。平穏な日常に流れる、音楽のように受け入れてやる。
 だが思考は、そこで吹き飛ぶ。
 突如、光の塊が町の中心で膨れあがった。
 なんだ、これは! 凶鳥はうろたえ、目を丸くした。驚愕が胸を締めあげる……あまりに急で、理解ができない。
 町の中に、巨大な光の花束が咲いている!
 町は吹きとぶ。
 あの熱月に、あの涅日に。
 地上に……地獄が展開した。
 その地獄は光と爆発がもたらした。
 もう何千年も前のことだ。



    【第三の空想】


 閃光。
 衝撃。
 熱風。
 粉塵。
 悲劇が町に降りかかる。
 地獄が町に舞いおりる。
 眠りが、三〇〇〇年の悪夢を連れてくる。
 体が痛かった。意識が戻ると、全身の皮膚が“ぴらぴら”になっていた。猛烈な痛みに絶叫し、虫けらのようにのたうった。
 あの爆発の熱波が原因だ。あれが自分をこんなふうにしたのだ。
「プニちゃん……」
 隣で友だちがぐったりと、同じように皮膚を焼かれ、木へ体をあずけていた。
 体を揺すると、虫の息が聞こえた。重症を負った体は、セルに分解されてゆく。
「ふウーー……ふウーー……う、お、お、お!」
 怪物のように吠えたてる。何が起こったのかは理解できない。分からないからこそ、不条理に腹を立てるのだ。
 体をぎしらせ、友だちを背負い、丘をあとにする。


 街へ降りた。
 どうして降りたのかは、自分でも分からない。また爆発がくるかもしれないのに……それでも向かわずにいられようか……この光景を見ろ……町が粉砕されている。すべてに炎が絡みつき、即席の地獄を創っている。その真ん中で、光を放った後の鉄の花だけが真新しい街のシンボルのように綺麗でいる。
 焼死体もある……あれは、なんだ……川が人間たちで埋まっている。重度の火傷にまみれながらも、まだ生きているやつが、川へ飛びこんだのだ……
 歩いていると、子供の声がした。
 声にはおぼえがあった。髪をむしった、あの牧場の娘だった。頭を瓦礫に押しつぶされた、ファイアローの前で泣いていた。彼女の火傷もひどく、すぐに死んでしまうだろう。それでも動けているのは、悲しみで脳が麻痺しているためなのだろうか……
 理不尽の化身の吐息が、町に充満していた。
 凶鳥の傷は、眠れば塞がる。別に死にはしないだろう。神様は被曝も火傷も致死にはならない。
 同情でも皮肉でもなく、本当に不思議だった。どうして悪党の自分が生きていて、人間たちが死んでいるのだ? 天は、こんなにも不平等でよいのだろうか?
「オレを!」
 凶鳥は娘へ叫んだ。まるで彼女が人間の代表だとでも言いたげに。
 娘は凶鳥に気がつくと、過剰なまでにすくみあがる……虫けらの顔……非力で無力な顔……その態度がさらに自分を、いやな気分にさせるのだ……どうして悪徳に立ちむかおうとしないのだ!
「オレを殺せよ! オレを……いるだろうが! 人間の敵が、おまえたちの前に! オレがそれだ! それなのに……どうして人間と人間で争うんだよ! オレを見ろよ! 人間の敵なんて、オレだけで充分なんだよ! それがオレの役目なんだよ……それなのに、それなのに……どうしてオレを殺して、道徳の優位性を証明してくれない! 何百年も待たせるなよ! 飽きるだろうが! 証明してよ……道徳は悪徳にまさるって……オレがいつまでも、やさしくなるための……勇気を持てないだろうが!」
 歩み寄る。
 プニちゃんを地に投げだし、娘の頭部を食い千切った。彼女は……抵抗してくれなかった。生きることへの意思がなかった。
 奪え。葛藤。
 やめろ。自制。
 楽にしてやれ。欺瞞。
 鼓舞してやれ。虚言。
 凶鳥は娘を食い殺した。
 道徳は一度も自分を理解してくれない。いつも自分を蔑んでいる。畜生を見るように。
 道徳を屈辱の底へ沈めてやりたい。
 納得させてくれ! おまえがいつまでも現れず、自分のような悪党をのさばらせる、その本当の目的を。



    【第四の空想】


「迂遠な比喩に酔っぱらっていないでさ」
 そのときだ。
 後ろから、声がした。
 振り返ると、投げだしたはずのプニちゃんが立っていた。
 地獄を背景に、分解しかかっているずたずたの体で、友だちは語りかける。
「言ってしまえよ。それをもたらしたのは&ruby(丶){最};&ruby(丶){終};&ruby(丶){兵};&ruby(丶){器};だって。それがもたらされたのは&ruby(丶){セ};&ruby(丶){キ};&ruby(丶){タ};&ruby(丶){イ};&ruby(丶){タ};&ruby(丶){ウ};&ruby(丶){ン};だって。そして何より……自分が死をそこへ連れてきたから、何千、何万の命が無残に死んでしまったのだと」
 これは対話ではない。
 言葉は火薬。喉は撃鉄。声はひきがね。
 これは決闘の一種なのだ。
 すべての戦争は言葉で始まる。
「それは証明できない! それは……&ruby(丶){か};&ruby(丶){も};&ruby(丶){し};&ruby(丶){れ};&ruby(丶){な};&ruby(丶){い};だけだ!」
 凶鳥は弁明する。
 火傷がまだ、痛んでいる。神経に海水を塗りこまれているようだ。
 自分が数多の命を死の巻きぞえにしたなど、絶対に認められるはずがない。だがプニちゃんは凶鳥にすげないのだ。
「それを本心で信じられるか? あの狂気の時代……世間が血みどろの火あそびに浮かれていたころ、できたての凶器を持てあましていたころ……死は世間に満ち満ちて、きみの力は強まっていた。これまでにないほど! そんなきみがいたばかりに、セキタイタウンが最悪の悲劇の渦に巻きこまれた。その可能性はあるだろう?」
「オレは認めない!」
 よくもそんなふうに言える……どれほどセキタイタウンへ来たのを、自分が後悔してきたか……こんなことが起こると知っていれば、プニちゃんと海の果てへでも行ったのに……おかげで何度も悪夢を見るのだ……死体の山……風前の町……自責の刃……がむしゃらに飛んで、逃げだすしかない。
「なら、どうして笑う?」
 笑うだと……急に何を言っているのだ?
「自分の口をなぞってみろ」
 凶鳥は翼で口角をなぞった。
 ぞっとした。口角が上に裂けていた。
 自分はあのとき……幾万の死を、喜んでいたのだ。
「オレは……どうして?」
「当然だろう。きみは死の神だ、生物の苦しみを、笑わないはずがない。きみは善良になりたくても、絶対にそれを成せない。その笑顔が何よりの証拠だ」
 そのとおりだ。あのときの自分は……自分がこの光景を連れてきたのかもしれない……そう考えると、高ぶっていた……血が熱かった!
 自分はそう言うふうにできている。
 そんなことは分かっていたのに。
 うなだれる。そんな凶鳥を友だちは甘やかす。頭を擦り寄せながら言うのだ。
「きみは何も悪くない」
 言葉は甘く、からみついた。凶鳥はその甘さにすべてを委ねたくなってしまう。
 だが凶鳥は友だちを押しのけた。
「絶対に……いやだ!」
 そして距離を取ると、ありたけの声で、布告してやるのだ。
「私は……オレは悪徳と決別する。オレはこれまでと別の生き方をする! 産まれたときから、苦しんでいるんだ……苦しい。苦しい。もう誰かを苦しめながら、何百年も生きたくない……死にたい……だけどオレが死ぬと、またみんなを巻きこんでしまう! どうして? どうしてだよ! ほかの神様は誰かを救うために産まれるのに、オレだけが誰かを苦しめなければならない……そんな咎を結びつけられて、あまりにひどすぎるじゃないか……そのうえで罪悪感まで、おぼえなければならないのも……もう飽き飽きなんだ!」
 プニちゃんは表情を歪めた。怒りにおののき、まずるを震わせる。
「おまえにそんなことはできないんだ! おまえなんて“ごみ”なんだよ! “あくた”なんだよ! どうして分からないんだよ!」
 ――なんだって?
 凶鳥が、はっとして口を閉ざした。
 違和感で胸がむかついた。プニちゃんが自分に暴言を吐いたのが、どうにも信じられなかった。
 いつでもプニちゃんは凶鳥を見守っていた。見守って、甘やかすのだ。なのに“ごみ”だと……“あくた”だと?
「おまえ……誰?」
 急にプニちゃんの声が、凶鳥の声に変化した。

 ――世間よ、この手に、搾取されろ。
 その魂を、支配させろ。
 すべての祝日と、日曜日を譲りわたせ。

 直感した。
 これを、殺さなければならない。
 そうでなければ、何も変われない……どうすればよいのか? それは間違いなく、自分の中にあるのだ……だが、それには実体がない……それは自分の一部であり、自分の歴史でしかないのだ……だからといって、諦めるのは、ごめんこうむる……
 そのときだ。
 急に悪夢は溶けだしてゆく。ばらばらの砂粒になる。雪になる。炎になる。
 ちくしょう! 悪夢がとじる……なんの手段も思いついていないのに……
































 ――だいたい、欺瞞を感じるよ。我慢とか、欲望を飼いならすとかいうことに。不可能な幻なんじゃないの?
 ――まあ、宿命を克服するのは大変だからね。
 ――そうじゃない! オレが言いたいのは、欲望に身をゆだねろってこと。そうしてしまえば、なんの苦痛もないわけだから……
 ――さすがに、きみは破滅主義だな。
 ――破滅主義って……生き物は野生に従うのが、本来のありかたのはずだけどね。
 ――たしかに野生に従うのは甘美だろう。でも全員がそうしたら、互いを信用できなくなり、みんなが孤独になってしまう。
 ――それの何が悪い?
 ――神様だって、孤独は恐ろしいよ。私は、孤独にならないためなら、どんな我慢もいとわない。私はみんなが好きだから、みんなと一緒にいたいから、そのために自分を制御したい。他の何を諦めても、みんなと一緒に笑っていたい……
 ――オレはさみしくなんてない。
 ――そうか。でも、私はしつこいぞ。
 ――ふん。
































    【現実世間】


「あれが、悪徳の末路なの……」
 自分の発言が侮辱的なのは理解していた。同情をすることに愛情はあっても、同情をされることには憎悪がある。
 凶鳥は、自爆したフレア団のボスを思っていた。彼の道連れに崩壊した秘密基地から、目が離せなかった。
「あの末路は、きみの“もしかしたら”だよ。なりたいのか?」
「プニちゃん」
 いつの間にか、肩には友だちが乗っていた。ばらばらに分かたれたセルの欠片。友だちは、繭になっていた自分より先に覚醒めていたらしい。
「でもそれも……オレの歴史だよ」
「陳腐な言葉だが」
 プニちゃんは諭す。
「歴史は勝者が創るという。きみは別の歴史を創ればいい」
「許されるかな?」
「だいじょうぶ……そんなふうに悩めるだけで、きみの命には意味がある。私がきみの道徳を肯定する。本当に……何百年も、何百年も耐えたな」
 凶鳥は、本音の部分では、少し羨ましかった。
 フレア団のボスは、エゴイスティックなことに邁進していた。それを崇拝していた。狂っていた。しかし、人間の善性に負けた。
 自分にもそれが欲しかった。善なるもので叩き潰してもらいたかった。殺されたかった。道徳が、欲しかった。
 だが、今ここで自分の失敗を話すよりも、さらに大事なことがあるのだ。語らなければならない。自分の目的と、自分のこれからを。
「オレは、道徳が欲しい。それを許して。認めて」
 凶鳥の背後には、凶鳥をモンスターボールに捕らえた少女と、ゲッコウガが立っていた。
 少女はゲッコウガの他にも、ルカリオやらニンフィアやらヌメルゴンやら、多くのポケモンを使役していた。そこには、何の因果かファイアローもいた。
 凶鳥は、毛根を抜いた牧場の娘を思う。彼女たちは別段、似てもいなかったが……自分の悪徳の&ruby(しるし){首};をいつまでも忘れずにいるには、ファイアローを連れた少女はちょうどのトレーナーだった。
 プニちゃんは空を見た。基地からのぼる逆円錐の煙が支配している。
 あまりにも不快だし、あまりにも不当だ。プニちゃんは天に憤っている。
 どうして凶鳥に苛酷な宿命を強いるのだ? ――天は答えない。
 天は、我々に興味などない。
 天は、道徳と不道徳を考慮できない。
 それが在るのは、我々が気にするからである。
 道は途方もない……終着点などあるのだろうか?
「行くのか?」
 凶鳥はうなずく。
「残念だ。きみといると、それなりに遊べたのに」
「オレも。でもカロスは、土地が狭すぎるよ。こうして目が覚めちゃったら、同じところにはいられない。オレが何かをしなくても、どこかにいれば、どんなところもいずれ滅びる」
「我々の世界はそんなに脆くない。この土地を馬鹿にするな。きみはこの土地にいてもかまわない!」
「ありがとう、プニちゃん。おかげでオレは、何百年もひとりぼっちじゃなかった」
 それは受け入れるための言葉ではなかった。凶鳥の声は突き放している。
 プニちゃんは凶鳥の肩を飛び降りた。
「そう、わかったよ。ありがとう。楽しかった……二度と、会わないといいな」
「そんなこと言わないで、いつかオレに会ってよ。まともな生き物に産まれなおした時にでも」
 新たな主を背に乗せて、凶鳥は飛び去った。
 歯車をはめ直そうと、凶鳥はもがく。その姿勢だけでも価値がある。
 プニちゃん&ruby(丶){た};&ruby(丶){ち};は天を見上げる。
 空は曇天。災害は雪。
 天は、我々に興味などない。
 天は、道徳と不道徳を考慮しない。
 天は、黙々と降るだけである。
「産まれなおしたら、か。今のきみを疎んだことなど一度もないというのにな。いいだろう。好きにするといい。友だちとして、きみの道を祝福しよう。それで冬が終わるなら」
 不敵に笑え……昨日がなければ、今日もない。
 プニちゃんは凶鳥を尊敬した。

 


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