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著者:オレ
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2012年
2月
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3月
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&aname(Up20120223);
 アスベールと王たちとの会議から日付を改め、その日も既に日が傾きつつあった。サレドヴァニアの東の沿岸で、セラフィーとスティーレはゴーラルの護衛の下でアスベールの到着を待っていた。アスベールとの合流を考え首都からあまり離れすぎるのも良くないという判断で、この場所を選んだ。ここからだと「闇黒」に至る地峡まででもそれなりに距離があるのだが、海上と沿岸の両方の道を上手く駆使すれば封鎖でもしない限り問題は無いだろうという判断である。
「もう一度確認するけど、私たちが脱出する理由は本当にアスベール自身のことだけなんだね?」
「恐らくは。アスベール様は正しき道を進む者には意見をたがえる者であっても穏健ですが、逆に無法非道の輩には毅然とした強い態度で臨むことで有名です。北西のかの国の者たちからはそれを異常なまでに危険視されていまして、今回の遠征騒動に紛れて何をされるかが見えないのです」
 西の山並みに近づきつつある太陽で、多少の混乱があったとしてもそろそろアスベールが出発できる頃だと判断できる。そんな太陽に照らされるセラフィーの毛並みは、紫色に輝く美しいものに変わっていた。首に巻かれたリボンがセピア色にあせていることで、その力を使用したことがわかる。前の黄金のリボンと比べたら一見劣るようにも見えるが、毛並みとは大きく異なる色合いがセラフィー自身の美しい毛並みを引き立てる。リボンではなくセラフィーをメインに考えたいという意味で、アスベールが追求した一つの美しさである。
「嘘が下手だよね、ゴーラルは。私がこのくらいのこともわからないと思っているの?」
「セラフィー様、なにか心当たりでもあるのでしょうか?」
 ゴーラルの目線はそんなセラフィーに時折は向かいながらも、それ以外はずっとアスベールが来るであろう山並みの方角に固定していた。彼らが今いる砂浜はそこまで内陸までは届いていないため、波打ち際であるここからでも近くの町の時計台が見える。さすがに時針を読むことまではできないが、先ほど夕方五時の鐘が響いたばかりである。残暑も残る今の時期は、この時間帯でもまだまだ明るい。セラフィーが陽気に語るその隣で、ゴーラルは首をかしげていた。アスベールとの相談の末に自分でも本心として納得していたのだが、この話がどこかでセラフィーの耳に入るようなことがあったのだろうか? 進化したばかりのセラフィーでは、自分の心の中にしまっていることを簡単に読み取ることはできないはずである。いくら「エスパー」とは言っても、そんなに簡単に心を読み取れる力は無いのである。
「私がアトラトレンスのやつを確認してゴーラルたちに報告したけど、向こうだっていい加減私に気付くよ。私を引き渡すように何か言ってくるの、読めないほうがどうかしてる」
「セラフィー様……やはりかの国の輩のこと、覚悟はなされていたわけですね?」
 いつもの陽気で辛らつな口調だが、その裏に存在する覚悟もひしひしと伝わってくる。もう一つ、この国の北西に位置するアトラトレンスへの憎しみも。彼女自身がはっきりと語ったわけではないが、その国で起こった事件の一つを紐解けばうすうすだが予想はつく。
「私はあの腐敗しきった国を内側から見てきた証言者。それを伝えられるようになるまでは生きていなくちゃいけない。でもそれよりも一番はアスベールのこと。私に生きる意味を与えてくれたし、心の中の感情の一つまで残さずに愛してくれた」
「随分珍しいですね、セラフィーがそこまで気持ちを吐き出してくれたの?」
 スティーレもゴーラルも、いつになく悲壮さの漂うセラフィーの表情に息を呑む。もともとエーフィにならなくても相手の気持ちはかなり鋭敏に察知するところがあったセラフィーなのだ、いくら茶化したてられてもその中に何かしらの愛情のようなものはあった。しかし相手をほめることがあったとしても、それは遠まわしに表向きを毒で包んでのことである。相手の存在不在問わず。
「初めてのはず。確かにからかって遊ぶのは楽しいけど、それだけじゃない。どんなに気持ちを通じ合わせたって、死んだ先に何かが残るわけでもないって思っていたから」
「最初から諦めていたわけですか」
 全てを支配し容赦なく奪っていく存在の前に、あらゆる価値を消滅させる言葉である。セラフィーに襲い掛かったものとそれで失ったもの……それらを考えれば痛いくらいに理解できる。しかし、スティーレもゴーラルも簡単にそれに納得することはできなかった。そこに何かの思考が働いたわけではなかったが、防衛本能を起動するには十分な言葉である。
「確かに何も残らないけど、今の目の前には存在するものがある。通じ合った気持ちや成し遂げた達成感、そういう気持ちだって確実に『存在するもの』だからね」
「セラフィー……その言葉、自分に聞かせているんじゃないですか?」
 言い終えて得心とばかりにうなずくセラフィーに、スティーレは逆に首を振る。自分で作った壁の中に閉じこもっていたは良かったのだが、傷が癒えてからさらにその中で育つに従って窮屈になっていった。その言葉を向ける相手に実は目の前のスティーレやゴーラルは存在せず、壁の中から出ようとする自分自身に差し伸べた救いの手なのである。
「アスベールが着いたら、はっきり言うつもり。ゴーラルもその時までは付き合ってね?」
「それがご希望とあれば、是非」
 スティーレもゴーラルも歓喜に目を輝かせている。そこに邪な魂胆は一切存在せず、ただセラフィーが閉じこもった世界から飛び出す姿を見たかっただけである。純粋にそれだけである。悲しみ憎しみに満ちた出会った頃と、言葉によって最後の最後で壁を作っていたその後の日々。近くでずっと見ていたため、それが感じられるたびに悲痛を感じていたのである。ただ純粋に、セラフィーが本当に心開き楽しめる日々が来ることを願っていたのである。
「そんなに時間はとらせるつもりは無いから。お願いね?」
「ええ。アスベール様の到着、楽しみです」
 アスベールがセラフィーたちと合流した後は、ゴーラルは入れ替わりで王都に戻る算段である。アスベール以外の他の家族のこともあり、その他にもさまざまなこともありで考えてである。本当であれば余計な時間はとらずにすかさず戻りたいのだが、それでもこれはこれでゴーラルにとっては大事なことなのである。例え性格的に好きになれなかったとしても、出会った時のセラフィーの表情が今なお残るのだ。それを構わないでいられるような者はなかなかいないであろうというのが、ゴーラルの思っていることである。
「そろそろでしょうか? なんて何度言っても状況は変わらないでしょうけど……」
「手間取る何かがあればもう少しくらいは。それにしても、少し騒がしい気がしますね」
 三匹全員がアスベールが来るであろう西の方に目を向ける。遠く見える山ろくの手前は、町並みに隠れて見えない。時計台などの発展した雰囲気と、どこかのどかな商店等の風景。しかしゴーラルはそこからの雰囲気に、いつもと違う何かの危急が感じられた。警備等で各地を巡ることがたびたびあり、首都に程近いこの町も何度か訪れたことがある。そんなゴーラルの疑問に、セラフィーとスティーレもそういえばと首をかしげる。町の時計台の鐘が鳴り始めたのは、その時であった。
「ゴーラル? さっき五時の鐘がなったばっかりだよね?」
「これは警鐘です! 何か重大なことが起こったに違いありません!」
 この国は小さな町であっても、何かのことが起こった時のために警鐘が取り付けられている。それが鳴り出したとあっては、いくら非番であるという今の状況でもゴーラルが黙っているわけにはいかない。さすがにセラフィーとスティーレから離れるわけにはいかないので、ゴーラルは目線で一言二匹にも同行を願う。有無を言う間もなくセラフィーも動く体勢に入ったが、その耳では遠くからの別の警鐘も感じ取っていた。海沿いで障壁が無いためか、耳の良い者には遠くの町の音もよく響く。
「ゴーラル、遠くでも同じのが鳴ってるよ?」
「私には聞こえませんが、そうなるとこれは余程のことです! と……?」
 種族柄かゴーラルはそこまで聞こえは良くないが、近くでの警鐘であればそこまで問題にはならない。セラフィーの伝えてきた状況に思わず足を止め、頭の中に「まさか」という言葉が浮かぶ。そんなゴーラルの視界の端に、一匹のルカリオが飛び込んできた。それにゴーラルは先の「まさか」の裏づけを感じてしまった。果たして……。



「あなたは……昨日の?」
「ゴーラルさん、お嬢さん方! 無念です!」
 昨日の褒章の儀のためにやってきた王子の従者である、壮年のルカリオである。あの時の落ち着いた物腰とは打って変わって、今は荒い息で悔しさを語る。口には出さなかったが、ゴーラルは最悪の事態を把握した。その表情の変化を、スティーレははっきりと読み取っていた。セラフィーはことを理解できずにいたのだが、それは頭の中に浮かんだ「まさか」の拒絶でしかなかった。
「アスベールさんが……アトラトレンスに近しい派閥の輩に捕らえられました!」
「え……?」
 その拒絶が一瞬も持たずに打ち砕かれてしまい、セラフィーは愕然と息を呑む。その両隣で、スティーレとゴーラルは最悪の事態に目線を交差させる。
「なんで! なんでアスベールが捕まらなきゃならないの!」
「アトラトレンスで反逆を働いた隣国出身の一家の娘が、今はセラフィーという偽名を名乗ってサレドヴァニア国内にいる。そして今はアトラトレンスに反発的なアスベールの元で離反工作をおこなっている……」
 ルカリオは言いながら、セラフィーに目線を送る。それは悲しみとも怒りともつかず……。ただ真実だけは悟っている様子であった。アトラトレンスでは一部の上流階級が正当不当問わず平然と横暴を繰り返している。この「反発」というものが正当なものか不当なものかを簡単に言い切ることができない。もちろんどこの国でも反逆になるようなことをした可能性もあるが、彼らが白を黒に変えるような言い方をしている可能性の方が高いくらいである。そんな国との離反工作が持つ意味はどのようなものであるか、それもわからないわけではない。
「私を……引き渡せってことね?」
「残念ながらその通りです。ゴーラルさんが何も知らなかったということにすることはまだ不可能ではありませんし、発言力を考えるとあまり向こうも問題にはしないでしょう。しかしアスベールさんは発言力の高い論客で、しかもアトラトレンスにはかなり批判的でした。セラフィーさんが彼らに顔を見せなければ確実にアスベールさんの解放はありませんでしょう」
 それはつまり、セラフィーに対して自分とアスベールという二つの命をはかりにかけろということであろうか? 確かにセラフィーが彼らの求める引渡しの相手でなければ、そのように相手を説得できれば話は変わってくるかもしれない。だが、それがありえないことであるということはこの場の誰もが確実にわかっていた。セラフィーに顔が割れるような工作員がいるくらいなのだから、逆に向こうもセラフィーを把握できないようなことはない。進化による違い程度では顔つきや体臭、声色などで簡単にわかるのである。
「アスベールが助かるなら、行くしかないよね」
「セラフィー、でも……」
 スティーレが何を言おうとしたかはわからないが、そのセラフィーから流れてくる空気が言葉を押し込む。表情こそ平常のものに戻そうという必死さが見えたが、あまりにも無理がある。自分の身柄を差し出せばその先どうなるか知れたものではないが、それでもアスベールを見捨てることはできない。アスベールを失ってまで生きるくらいならと、セラフィーは身を震わせる。
「セラフィーさんが行っても、残念ながら助かる可能性はゼロです。たとえセラフィーさんが無関係であったとしても、彼らの目的はそこにはありません。アスベールさんを消すことですから……」
「構わない! アスベールまで失って、それで私はこれからどうやって生きるの? 通して!」
 セラフィーがその答えを固めるまでの一瞬の間に、ルカリオはゴーラルと目線で大体のやり取りを終えていた。ゴーラルも最初からほとんど同じ答えに行き着いていたため、波動を使う必要すらなかった。このセラフィーの答えは予想できていたことで、しかし彼らとしてはセラフィーを引き渡すわけにはいかないのである。残酷かもしれないが、それでもセラフィーには生きてアトラトレンスの実情を証言して欲しかった。何よりもこれだけの苦しみが続いたまま終わらせたくない、なんとか道をつかませたい相手なのである。セラフィーが戻ろうとするのを止めるため、ゴーラルとルカリオはそれ相応の構えを見せる。
「ルシュエン王子を通してのアスベールさんからの言づてがあります。セラフィー様に『生きてほしい。どんなに苦しくても絶対に生き抜いて、本当に君を受け入れてくれる場所を見つけて欲しい』と。もしセラフィーさんが拒むのでしたら、その場合は申し訳ありませんが私も腕ずくででも従わせます」
 言うが早いか、ルカリオは波動の力を起動して体をわずかながら浮かせる。地面から遠く離れた上空までの浮遊は無理でも、動きを鈍らせる砂地の影響を落ち消すことは可能である。それと同時に、手の先端にどす黒いオーラをチャージし始めた。セラフィーはじめエスパーが苦手とする「悪」属性の波動である。殺すつもりは無いであろうが、意識を奪って動けない間にスティーレに頼んで沖に出てもらうのが目的である。沖合いから浮遊して帰還するなど、それができるエスパーが自分を突破できないわけが無い。ましてゴーラルもついてしまってはなおさら不可能である。沖に出てもうアスベールに会えないと諦めさせれば、残酷ではあるが自ら命を絶つことは思いとどまらせることができるはず。
「こうなったら仕方ないんだから! 誰にも邪魔させない!」
「仕方ないですね……」
 セラフィーの動きに警戒しながらも、ルカリオはスティーレにも一瞬だけ目線を向ける。あまりなまでの激しさで繰り広げられる状況の急展開に、スティーレはどうしようもなく呆然としている。ルカリオの目線にも気付きはしたが、それはスティーレの当惑をさらに深める程度の効果しか生まなかった。スティーレがこちらの邪魔立てをしないことが確認できれば、セラフィーの動きに集中できる。セラフィーと自分の位置を考えると、彼女がアスベールの元へ向かうには自分を突破するかよほど大きく迂回するか。ただでさえも冷静さを欠いている状況とあって、セラフィーは予想通りこちらに向かってくる。額の紅玉にエスパーの力をチャージして、セラフィーはまっすぐに踏み込んでいく。
「どいて!」
 絶叫と共にルカリオの胸元に念力の矛先を突き出す。戦闘経験は圧倒的なまでに乏しいが、それでも「特殊攻撃」の源である「霊力」の制御に秀でているエーフィになっただけのことはある。既に盛りを過ぎつつあるルカリオには攻撃性が大きい。セラフィーの眼中にあるのは彼方のアスベールの優しい表情のみで、ルカリオに傷を負わせる等の考えはまったく無かった。ルカリオが自分の攻撃を回避してくれれば、鈍重なゴーラルでは簡単に自分を追いかけることはできない。その一瞬さえ認めてもらえればよかったのである。
「お許し……ください!」
 しかしルカリオにはセラフィーの攻撃をかわす意思は皆無であった。いくら放つ攻撃の威力に差があるとしても、真っ向から撃ち合ってはかき消しきれない部分も生じてくるわけであり。しかも攻撃の真正面を外せば相手を倒せたとしても、自分とてただではすまない。ルカリオが放った波動に打ちのめされる寸前、セラフィーもその目で相手が自分の攻撃を完全な回避はできない位置に立たされていることを把握していた。
「セラフィー!」
 その時になってようやく、スティーレを包む時の流れが回復した。薄紫色に輝く美しい毛並みを、巻き上がった浜の砂が少しばかり覆う。動きづらい鈍重なラプラスの体に鞭打ち、スティーレはすぐ脇に落ちたセラフィーに顔を近づける。
「やはりこのくらいは……できますね」
「申し訳ありません。さまざまな意味で」
 ゴーラルの目の前では、ルカリオが左のわき腹を抱えて砂にひざを突く。その下の砂は滴り落ちた鮮血を吸い、晩夏の遅い落日を先取りしたかのような色に染まっていく。ルカリオはあえてセラフィーの攻撃で負傷することを選んだ。どちらかが負傷したのであれば介抱の名目で追跡中断の理由が立つし、後続の別な追っ手にも介抱の協力で足止めすることができる。
「スティーレ様、あとはよろしくお願いします」
「あなたたちも、セラフィーをいいように利用するんですね?」
 頭を下げるゴーラルに、スティーレは目線を向けない。ただ一言浴びせるだけであった。だがその一言が、今のゴーラルたちには重かった。あまりにも重過ぎた。
「相違ありません。どのような言葉も私が背負います」
「ただ周りのいいように担ぎまわされて生きる苦しみ、あなたたちにはわからないのでしょうね」
 言いながらも、スティーレは鼻先を使って気絶したセラフィーを背中の甲羅の上に乗せる。ゴーラルにもルカリオにも、ただ一度の目線も送ることなく。スティーレの脳裏には、大司教の娘という立場から否応なく与えられる周囲からの扱いが蘇っていた。周りの者たちは眼球では自分を捉えても、心ではそこから自分の父親しか見てなかった。異性として惹かれあうことはお互いまったく無かったが、アスベールは自分を自分として見てくれた初めての相手である。それはゴーラルも同じであり、どちらも誰に対しても相手自身を見てくれると信じていた。そう信じていたというのに、今はどちらもセラフィーを「証言者」としか見ていなかった。
「セラフィーのことは私が責任を持ちます。でも、あなた方がこの選択をした意味も忘れません」
 スティーレのこの言葉は、ラプラスの種族柄得意とするどのような冷気よりもゴーラルたちを凍てつかせた。本当は違う、セラフィーにこそ本当に何かをつかんでほしいという思いがある。しかしスティーレのものに対して、こちらの言葉はどうしてここまで無力に堕ちたのであろうか。ゴーラルもルカリオも無言のまま、スティーレが波を捉えて沖に向かっていく姿を見つめていた。
「誰も、誰もいなくなってく……」
 スティーレの背中の上に寝せられたまま、セラフィーは苦悶をつぶやく。南からも北からも警鐘が聞こえたらしいから、一旦沖に出なければ今度は封鎖を敷いている兵士に捕らえられてしまう。一応アスベールも封鎖を警戒していたわけで、スティーレにこの時期の海流も調べさせていた。海峡を挟んだ東の大陸の南岸まで出て、そこから相当進んだところで今度は南下する海流に乗るというコースは決めていた。事前の話ではアスベールだけでなく、名目上は軍から退いたことになる老将たちも一部は「闇黒」に潜入させる手はずである。それはアトラトレンスが行動に出た時の反転攻勢を円滑にするための布石の一つであり、セラフィーたちの護衛をさらに磐石にしようというアスベールの準備でもある。恐らく闇黒に着く頃には、スティーレたちを受け入れる準備も整っているだろう。だが、セラフィーの心は再び奈落の闇の底に叩き落されてしまった。セラフィーにどうしてこれだけの苦しみが重なるのか、スティーレはただその運命を呪うことしかできなかった。



「で、野宿を繰り返してここに着いたところでフォルクに会ったと」
「確かにこの河口を境に、海流がいきなり向きを変えるのは有名です」
 スティーレの話を聞きながら波打ち際まで移動し、フォルクが用意したボートにリガルの手持ちとスティーレたちの荷物もまとめる。その準備自体は結構早くに終わったので、あとは大体スティーレの話を聞くに終始していたが。
「それにしてもまったく、馬鹿な世の中だぜ。なんでこんなに次々とよ……」
「ショタ君たちにも何かあったの?」
 いつの間にかセラフィーは起き上がり、しっかりボートの上に座っていた。油断していたところへの唐突な後ろからの声に、リガルは思わず悲鳴を上げてしまう。先ほどまでうずくまっていたのにいつの間にとか、フォルクが用意したボートにここまでも厚かましくとかいろいろ言いたいことがリガルに浮かぶ。しかしセラフィーはそれを言わせる間もなく満足げに笑い転げ、リガルの舌先から気力を根こそぎ引っこ抜く。
「こいつは……。俺らも俺らでいろいろ追われなきゃならない事情があったわけだけどよ?」
「説明については後ほど。敵の後続が来ないとは思えませんし、リガル様もお疲れでしょうから」
 笑い転げているセラフィーをゆび指し示して退けながら、フォルクは手際よくボートの底に寝床を完成させていた。セラフィーは不満げな表情を一瞬は見せたが、この位置では下手に挑発すれば襲われたときに逃げられない。悔しそうではあったが、拳に炎と怒りをまとわせ臨戦態勢のフォルクを見れば引き下がらざるを得ない。スティーレの説明ははさんだが、その間にさまざまなことを完全に忘れるほど記憶力が欠落しているわけではなかったらしい。ただセラフィーはそれに対して、むしろ歯ごたえのある相手を見たような笑顔を浮かべたのがフォルクの気持ちを疲労させる。
「スティーレさん、ラプラスであるあなたであれば『歌う』は使えますよね?」
「はい。それじゃあ横になってね、リガル……様?」
 フォルクが呼んでいるのを聞いて覚えたのだろう、スティーレは一瞬はよどみなくリガルに名前を語りかけた。しかしフォルクが使っていた敬称を使おうとした瞬間、それに戸惑いを感じてしまう。これはリガルも慣れてこそいてもあまり良しとはしないようで、目線を脇に捨ててしかめっ面と舌打ちだけを返す。
「スティーレさん、リガル様への『様』の敬称は、どうやら俺だけが特別に許されているものなんです」
「わかりました。それじゃあ……リガル君」
 今度はスティーレは迷う様子もなく声をかけた。しかしリガルの方はというと、かすかにだが顔を赤くした。ビトーニェからもガディフからも呼び捨てであったからには、この「君」をつけた呼び方はまったく慣れていない不意打ちであったようである。考えてみれば話の中でのゴーラルとやらや今のフォルクに対してもそうだが、この性格だから呼び捨てはなかなか度胸が必要なのかもしれない。セラフィーやアスベールにゴーラルとやらはまたそれとは別に親密であったらしいが。フォルクに「様」の使用を許可する自分を考えれば、それはそれで理解できることではある。背筋に走る気恥ずかしさは、また別に考えよう。リガルは仕方なさそうに横になる。
「んじゃあスティーレ、頼むぜ?」
「はい。目を閉じてください」
 スティーレに言われるがままに目を閉じると、反射的にか鼻や皮膚が少し敏感になる。歌うために軽く吸ったスティーレの息遣いに、これもこれでリガルはどこかくすぐったさを感じてしまう。なぜか先ほどからスティーレに引っ掻き回されているような気がして、リガルにはどこか釈然としないような思いが芽生えた。しかしそれも長く続くことなく、吐く方向に転じた吐息と共に優しい旋律がリガルの脳を覆い始める。
「やはり流石ですね。俺も一瞬危なかったです」
「こういう戦闘的な要素のある旋律は特別な音域を使うので、準備してくれていたリガル君にも効くか自信が無かったんですけどね」
 一般的に歌われるような歌であれば、もちろんスティーレも結構歌っているようである。しかし今スティーレが歌ったのは、特別な音域によって周りの者たちの精神を遮断する旋律である。そのような歌をまさか市井のど真ん中で歌うわけにもいかない以上、スティーレがこれに慣れているわけがないというのはフォルクの見立て通りであった。熟達した歌い手であっても成否は半々程度であると聞いており、スティーレが歌い終えるまでにかかった時間でなおさら推して知ることができる。リガルが眠りに落ちたのを確認するまでの時間もあったにせよ、少々かかりすぎた印象はある。それを下手に口に出すほど無粋なフォルクではなかったが。



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「さて、あとはこのロープで……スティーレさん?」
「え? あ……なんでしょうか?」
 スティーレが歌い終わるのを確認すると、フォルクは事前に取り出していたロープの端を結んで輪を作る。スティーレにボートを牽引してもらうためだ。スティーレの歌の間はそちらに捕まってはいけないために下手に作業には入れなかったが、その後であればものの数秒で済む。流石は海の男を父に持つだけあり、この辺りの作業は手馴れたものであるのだが……。
「スティーレさん? 今の一瞬の反応の遅れはどうしたのでしょうか?」
「いえ……いえ、特に何も無いです」
 フォルクは怪訝にスティーレの顔を覗き込むと、どうにもさっきと比べて顔が赤い。もともと種族的に青い肌を持っていたため、その紅潮は鮮やかで非常に目立つ。呂律の回りも悪く、何かがあったことは確実に感じ取れる。しかし先の敬称の話題から「歌う」でリガルを眠らせ、その間にいったい何があったというのか? フォルクが首をかしげていると、いつの間にかさりげなくボートの中に目線を戻していたスティーレの姿に気付いた。その脇で、セラフィーが吹き出し笑いをこらえているのも確認できた。繰り返し派手な笑い転げ方を見せてきたセラフィーが、このように抑えた笑い方をすることに疑問を覚えないほうが無理であった。それは恐らくスティーレの見せる不審に原因があるのだろうが。
「スティーレさん、何かあるのでしょうか?」
「訊いちゃうんだね、フォルクは。スティーレも隠すことに必死なのに!」
 言いながら片前足でボートの中を指し示す。スティーレは即座に顔の赤さを増してセラフィーをにらみつけるが、それが逆にとどめとなって堰を切ったような笑いを誘ってしまう。スティーレがぐうの音も出せないでいるうちに、その隣からフォルクはボートの中を覗き込んでいた。燃え上がるように顔を赤らめるスティーレと、ボートの中で寝息を立てるリガルをフォルクは見比べる。数度目線を左右させた後、フォルクはげんなりとした表情になる。
「わかってくれて良かった! 明らかに犯罪だとは思うけど、このショタ君は何歳か一応確認するね?」
「リガル様はまだ十四歳です。世相が酷かったために苦労した分成年じみてますが、色恋沙汰にあまりにも無縁すぎたのが心配です」
 セラフィーがリガルを言い表す言葉があまりにも酷かったというのに、それに対して何一つ言えないほど気落ちしてしまっていた。ボートの底で寝息を立てるリガルは、どう見ても年相応の可愛らしい子どもでしかない。十以上離れた(ことは確実にわかる)スティーレが色恋の対象にするような年齢ではない。
「さっきまでの結構荒っぽい感じのあるのがタイプみたいなんだけどね、それに一変してこの可愛らしさがどう出るだろうね?」
「ある程度付き合いを教えるくらいは必要でしょうけど……そこから先は一方的なことは慎んでくださいね?」
 その頃には、スティーレは既に恥に耐えかねてボートのへりに頭を寝せてしまっていた。フォルクにもこれは相当に駆られているものがあると感じることができるほどである。セラフィーなどもっと事態が悪く、スティーレの頭に鮮烈によみがえってきていた抱腹絶倒の悲恋を読み取ってしまっていた。これはセラフィーが望んで読み取ったわけではない事故なのだが、落胆が混じった笑いは苦しさしか見て取れない。このままただこのような話に流れていてはいけないと、フォルクは手をたたいて現実に引き戻す。
「ひとまず! スティーレさん、背中の甲羅にこのロープを結わえさせてください。俺たちも当てがあるわけではありませんでしたし、サレドヴァニアであればリガル様がお役に立てると思います」
「ご一緒いただけるんですね? よろしくお願いします」
 まだ顔赤く息も苦しげなスティーレだが、ひとまずと顔を上げる。ラプラスであるスティーレの背中の甲羅には、無数のとげが生えそろっている。先端がそこまで鋭利にはなっていないため、平時の危険性はかなり低い。戦闘時には案外馬鹿にならない危険性を備えることにもなるのだが、今はロープを結わえる場所としても役立つ。フォルクの手に握られた櫂を見れば、海上を進むすべが無いとは思えない。しかし生来が海を行く体のつくりであるスティーレとでは、やはり航行においての差は認めざるを得ない。その代わりに敵の船や草属性の搦め手を焼くことができる特殊スキルがあるのだが。
「行くのはリガル様だけです。俺は別行動をしている妻と合流して、調べたいことがあります。ともに闇黒に向かうのはそれからです」
「あんなことを言えるフォルクに奥さんがいるんだ? 運が悪いのもいるんだね」
 セラフィーが言い終わるのを待つでもなく、フォルクは彼女が座っている場所に猛然と櫂を投げつける。櫂はセラフィーが両前足で突いていた場所に正確に突き刺さり、爆音とともに大量の砂を巻き上げる。しかし砂煙の向こうから聞こえてきたセラフィーの相変わらずの笑い狂う声に、本気で命中させることを考えるべきであったか真剣に思い悩んでしまう自分が腹立たしい。
「フォルクさんの奥さんも、鋭敏な感覚と無尽蔵の体力で頼れる方だと聞いています。名前までは存じていませんけど、その方も合流していただけるのであればとても嬉しい限りです」
「リガル様の腕輪の紋章を見せれば、サレドヴァニアも恐らく俺たちを受け入れてくれるでしょう。俺たちとしても悪い話ではないのです」
 相変わらずのセラフィーの声を掻き消す目的もあり、スティーレはやや大きめの声でフォルクとの話題の継続を図る。彼方からセラフィーの不満げな声が聞こえてきたが、どちらも今は無視に徹した。フォルクは内心少々迷いながらも、右腕に巻かれた青い腕輪をスティーレに見せる。リガルの右腕を覗き込めば、なるほどフォルクと同じものが巻かれているのがわかる。それはどういう意図があっての言葉なのか、スティーレは怪訝に目を丸める。
「今はまだ言えません。それにサレドヴァニアでも王家の限られた方しか知らないはずなので、まずはリガル様にそこまでたどり着くだけのものを示してもらわないといけません」
「いい加減聞く時間はなくなっちゃったみたいだけどね。遊びすぎちゃったよね?」
 セラフィーの言葉に、フォルクは既に遠くに向いた目線を戻さないままうなずく。セラフィーはもともと表情を読みづらい相手ではあるのだが、フォルクの臨戦態勢となった表情はスティーレにも読み取れる。その答えはスティーレがそちらに目を向けるまでもなく、渦巻き型の耳に飛び込んできた。



「『轟傑』のフォルクに告ぐ! お前の妻は既に取り押さえた! 妻の命が惜しければ今すぐ『生体石』とその守護者一族の子供を引き渡すこと!」
「ちょっとフォルク! 奥さん捕まっちゃったけど……」
 夢中にというほどではなかったが、次の増援が到着するのに十分すぎる時間が経ってしまっていた。まだ少し距離は遠かったが、それでも相手部隊を編成する兵士の種族や表情は目で確認できる。隊長らしく勧告をしているオオスバメはともかく、他の者たちは「兵士」という枠で考えるのであればさっきのガディフの部隊と比べるとかなり弱弱しい。それでもセラフィーたちと比べたらまだ強そうな雰囲気ではあるが。真っ向から戦えばフォルクだけでいかんともできるような相手である、真っ向から戦えば。人質は卑劣な作戦として有名ではあるが、このままフォルクが戦えるかという恐怖を抱かせるには十二分である。実際、フォルクもこの勧告で一瞬表情を歪めた。
「見え透いた嘘はやめていただきましょうか! ビトーニェがこの国の軟弱かつ暗愚な兵士に捕まるような下手をすると思っているんですか?」
「ちょっとフォルク! そんなことを言ってもし本当だったら!」
 確かに目の前にビトーニェをつれてこられていない以上、向こうが嘘をついているという危惧もできる。しかし軟弱とか暗愚とかいう挑発的な言葉は、いくらビトーニェを信じているとしても言うのは早すぎる。確証できるだけのものがあるのであろうか?
「随分なことを言うな! そんな態度だと本当に妻を殺すぞ?」
「妻を取り押さえたのにどうして俺の子供を言わないのですか? まだ書類申請とかはしていませんけど、捕まえたのであれば性別くらいは当てられるでしょう?」
 これにはセラフィーも一瞬首をかしげた。まさか第一声から「確証できるだけのもの」があるとは思わなかった。確かに今ここで男か女かを当てずっぽうに言っても、それで当てたところで不自然さが既に拭えなくなってしまっている。ことに慌ててか部下に連絡をとらせる姿に、フォルクの言うこの国の兵士の軟弱かつ暗愚さを感じざるを得ない。
「お前の息子なら、赤子には罪がないと孤児院で育てることが決まったぞ!」
「娘ではないのですか?」
 男か女かを言うならば、確率的には半々である。生まれて間も無くこの国を出る事態になったため、出生届等の手続きはまだおこなっていなかった。そのため本当に捕まえたのでなければ、性別を知ることすらできない。その辺りを視野に入れてのフォルクのブラフ(はったり)なのである。
「聞き間違いだ! それなら娘だ! そのような態度をとっていると、娘とてどうなるか……」
「正解は双子です! 残念ながら『両方』です!」
 オオスバメ以下部隊の者たちの硬直した姿に、どうにも哀愁が漂うのは何故であろうか。確かに「息子」と「娘」の聞き間違いならばよく起こりうることと許せるが、両方いるのに片方しか言わないなどありえない話である。それにしても明らかに敵意を向ける相手に対する丁寧口調は、実力差を笠に着たフォルクならではの挑発にも見える。
「あーあ。さっき奥さん捕まったことにびっくりしたと思ったのに、もうこの態度なんだから」
「セラフィー! それよりもフォルクさん、あの方が言っていた『成体石』って……」
 フォルクの余裕の態度を茶化すセラフィーだが、それについてはそっくりそのまま返したいというのがフォルクの内心である。しかしそれ以上に気持ちを乱したのは、スティーレの言葉の方である。聞かれていなければいいとも思って話を流そうとしたが、どうやらしっかり聞かれてしまったようである。
「そういえば聞いたこと無いその……なんだっけ?」
「どこの国でも常識になるような伝説で実在こそはっきりと確認されているものではないものの誰でも知っているようなものだというのにどうしてあなたはぬけぬけと聞いたことも無いとか仮に冗談でももう少し上手いことを言うことができないんですか!」
 フォルクはまたも息継ぎ無しに長々と反論を並べる。目の前にいる敵が軟弱かつ暗愚ということはほぼ確実であると証明されたが、それでも油断はできないと顔をセラフィーに向けることができない。せめて声とともに腹に溜まった苛立ちを吐き出すくらいしか、今のフォルクにはできないのである。ある意味セラフィーの方が、目の前の敵以上に厄介な存在であるのかもしれない。
「一つ確実なのは、その何だかはショタ君と関係があるみたいだね?」
「続きは後でリガル様に訊いてください。まずはここから離れてください」
 セラフィーたちの目的地である「闇黒」で次にどうするかという問題もある以上、到着は早い方がいいだろう。それにいくら救いようが無い実力である国軍とは言っても、海戦部隊の圏内である近海からは早く離れて欲しい。流石にリガルにとっては危険な相手である、危険な相手のはずである。ただ、本心一番大きいのはセラフィーに視界から消えて欲しいというところだろう。ただでさえもリガルの無茶で弱っているフォルクの胃に、セラフィーの挙動は最悪極まりない。
「ええい! このような屈辱的な無視をするとは! 覚悟しろ!」
 目の前で繰り広げられるフォルクたちのやりとりに、オオスバメは狂ったようにわめき叫ぶ。その後ろで呆気に取られている部下たちの声など聞くこともできないまま、オオスバメはフォルクに飛び掛る。結果は火を見るよりも明らかである。意識を失い無言で帰還した指揮官を、部下たちは心のそこから出た「馬鹿」とか「阿呆」の言葉で迎える。その一瞬で後ろを振り返ると、スティーレの姿はそこそこ離れた沖に進みつつあるのが確認できた。
「蹴飛ばして返却した俺が言えることではないですけど、随分と酷い扱いですよね。曲がりなりにも指揮官だというのに」
「あー、こいつは力馬鹿で上に立っただけだ。いくら俺が名案を考えても、聞こうとしなかったんだ。正直、邪魔でしかなかったんだよな」
 オオスバメの次にフォルクとの会話を始めたのは、見るからに軽薄そうなオニドリルである。確かに力だけで突進するような者ではなさそうだが、その口で言う「名案」とやらはせいぜいが先の人質作戦と同程度であろう。あるいは先の人質作戦もこのオニドリルが考えたものなのかもしれない。他の兵士たちの気落ちした表情が暗に何かを伝えてくる。
「ということは、俺を倒すための何かの名案でもあるんでしょうか? 人質作戦以外に?」
「いや、ねーよ。お前を倒す方法はな」
 オニドリルがその長いくちばしでフォルクを指し示すと、他の兵士たちも及び腰ながら散開してフォルクへの攻撃を準備する。一匹だけフォルクの強さへの恐れが甚大らしく、涙を浮かべて首を振っている者がいる。直後のオニドリルの「敵前逃亡だぞ?」という脅しを聞くや、仕方なさそうに入る位置を探り始めたが。脅し方も涙を浮かべるほどの兵士も、フォルクの胸に暗澹たる思いを落とさないわけがない。クイッヒたちがこの世界を滅亡させるつもりで弱体化を図っているとしても、そこに至るまでの力を得られる確信があるのかが疑問である。
「俺を倒す方法は、ですか」
「あー、おしゃべりが過ぎたね」
 言いながらオニドリルは、地面すれすれの低空飛行でフォルクの櫂の射程外を迂回して進む。フォルクも薄々相手が何を考えているのかは気付いていたが、その相手はもうひとつ肝心なことを見落としていることも確実視できた。社交辞令程度に櫂でオニドリルを打ち落とそうと踏み込むが、他の兵士たちが飛び掛り邪魔に入る。先程の者とは違う他の兵士も涙を浮かべており、それでも肉の壁となることを選んでいるのだから哀れである。オニドリルに相当脅されたのではないかと勘繰ってしまう。
「ちょ、ちょっと!」
「へへ! おじょーちゃんもいただき!」
 敵兵たちの怒号の隙間から、かすかにセラフィーの悲鳴が聞こえてくる。結果的には彼女が攻撃されることにもなったため、フォルクにとっては満足である。そしてそのオニドリルの末路もまた、あまりに予想通りであった。今しがたのセラフィーのものとは違う、明らかに野太い悲鳴が上がる。
「このガキ……ひぎっ!」
「ガキで悪かったな!」
 ゼトロから聞いた話では、曲がりなりにもリガルは敵の主要な指揮官を撃破したとのこと。それを知っているのかは別にしても、単身襲い掛かる相手に選ぶのは非常に危険である。子供とは言っても「成体石の守護者一族」という彼らの目からすればよくわからないものであろう肩書きがあるのだから、多少は警戒してもらいたい気持ちもあるのだが。オニドリルもまた指揮官のオオスバメ同様、気を失った無様な帰還を完了させる。
「ったく! 折角寝付いたところにいきなり……フォルクも防げなかったのかよ?」
「無理よ。フォルクがあんなところじゃ」
 リガルが若干嫌味を込めて言い放ったのには、フォルクにはその関連で結構なだらしなさがあったからに他ならない。今回のセラフィーの絶叫のように、何かあればある程度機敏に目覚められることはリガルにとっては自慢できる部分である。それでもまだ寝起きで思考まではうまく回らないせいか、直後のセラフィーの言葉を理解することができなかった。
「フォルク? へ?」
「リガル様! 俺はやることがあるので闇黒に先行していてください!」
 やや間があって、リガルは一気に目を覚ます。慌ててリガルは数度周りに目線を送るが、ボートの上にもスティーレの背中の上にもフォルクがいないことにようやく気付く。炎属性のフォルクが海水に直接触れるなど考えられない以上、隠れる場所の無いここでフォルクが見つからないことは何を意味するか。ようやくリガルはボートから背後に目を向ける。先程はいなかった地に伏す数匹の敵兵に囲まれて、フォルクはこちらに大きく手を振っていた。
「フォルク! お前!」
「予定変更で俺は残ります! クイッヒの事を少し調べます!」
 それについては間違いない。クイッヒの事を調べておきたいというのが内心にはあったが、十分な戦力といえるかが微妙であるリガルがこのまま戦い続けられるとは思えなかった。いくら敵の主力指揮官を倒したといっても、それは一過的なこと。先のガディフとの戦いでも見れたように、既にリガルの体力は限界に突入していた。最初からそれがわかっていたからこそ、フォルクは海路で東の隣国を目指そうとしていたのである。もちろん、リガルにもその辺はわかっていた。
「畜生が……。俺は結局、誰も守れなかったわけかよ」
 わかっていたのだが、いざここまで突きつけられると無力感から逃れられなくなる。がっくりとボートの底で絶望に沈んでいくリガルの姿を、フォルクは遠目で眺めていた。そこで出てくるであろうやるせなさは先に覚悟していたが、それでもフォルクはフォルクで耐え切れない思いになった。ゼトロの言葉が気にかかるというのもあり、しかもそんな不安定な気持ちを読まれかねない予想外なセラフィーという存在あり。あのパーティに自分があまり長居できないというのもあるのだが、それでも苦しいものがあって仕方ない。セラフィーやスティーレはリガルだけに対してであれば無害な存在であろうし、ゼトロの仲間がどの程度かは不明だがそれを信じることを前提にするなら最悪の事態は起きないはずである。
「リガル様はどちらにしても大丈夫でしょう。次は……」
 一応兵士たちは気を失っているのは確認した。しかしいきなり目を覚まさないとも限らないので、それ以上は口の中に留めることにした。特にゼトロの名前はおいそれと出すわけにはいかない。どちらにしても向こうがどのように出てくるかである。あの様子だとゼトロがこの場所を把握していないとは思えないし、そうでなくてもつかず離れず尾行していたということも考えられる。いずれにしてもすぐに会えるとは思うが……。



 フォルクは一旦河口の砂浜の波打ち際まで移動する。先程のセラフィーが掘った穴は、どうにも見て思い出すと腹立たしい。冗談でも想像できないような言動は、その悲痛さが度重なった過去の裏返しであることはわかる。
「考えても仕方ないですね」
 軽く足先に当たったので、そこに小石が転がっているのに気付く。五つ、六つ……。砂浜にあまり石が転がっていることは無いが、この黒い色だと先刻までは闇の中で見えなかったのであろう。足先で足首のところまで転がして、真上に蹴り上げて手に取る。手元の石も転がっているものも、磨かれた感じではないにしても自然な丸さがある。
「ん? そういえばこの形は……」
 手に握っていた石を元の位置に戻すと、なるほどすぐに納得した。常に北の空で輝きを放つ星の位置を告げるこの星座の並びは、夜道をも行く旅の者たちの間では有名である。色合い的にも不自然さを感じていたのだが、もしかするとこれはゼトロの何かの合図かもしれない。
「ちょうどこの星と星の間の感覚が俺の足と同じ……ゼトロなら確認する暇もあったのでしょうね」
 中心軸になるように配置されている二個の石の隣に足を並べると、なるほどフォルクの足先からかかとまでと同じ長さである。この二個の石が作る延長線上に五倍の距離をたどると、そこにあるのが導きの星であるとわかる。他の星々と比べたら控えめに目立つことなくありながら決してぶれることなく多くの者たちに役立つ姿は、どこかの国では自国の紋章として使っていると聞いたことがある。足跡がよく残る砂浜で、自身の足跡の五倍の位置をたどるのは非常に簡単な話だろう。
「ここですね。まあ、さっきの位置から目で何も無いことはわかるので……」
 言いながら、フォルクは足先で軽く砂を払ってみる。やはり何も出る様子は無いが、万が一でやや深めに埋めていることを考えてもいいだろう。フォルクは櫂を持ち直し、そっと砂を払ってみる。数十センチ程度掘り進んだところで、円筒状の先端が姿を現した。何とはなしに見比べてみると、ちょうど足先からかかとまでの長さと同じ深さであった。ここまで自分の足のサイズに固執されると少々妙な気分ではあるが、とりあえずとフォルクはしゃがんでその円筒に手をかける。周りが砂しかないため触っただけでも動き、簡単に引っ張り出せることはわかる。それでも炎属性が苦手とする砂に含まれた水分は、ある程度慣れているとはいっても苦手意識が消えないわけではなく気持ちが悪い。それでも砂が巻き上がっていないだけ状況はいいのだが。
「これは……笛でしょうか」
 先端しか見えなかったからわからなかったが、そこそこの長さを有している筒であった。指を立てれば簡単に貝開きになるその筒の中には、穴が並んだプラスチック製のやはり筒が入れられていた。材質はプラスチックながら深みある黒を基調としたデザインは、この国の北西に位置する国のものを彷彿とさせる。その下に挟まった紙の材質も併せて、その国との関連をなんとなく想像してしまう。
「フォルク殿のお子二方の名前の文字数を合わせた秒数吹いていただきたい。某(それがし)……。さらに手を込めたわけですか」
 昨日の会話でエクトートとエクトーネの名前までは出さなかったため、ゼトロが彼らの名前を知っているとすれば驚きである。出生登録等がまだ済んでいない以上この国にも知られていないのに、何か調べる方法はあったのだろうか。直接「十秒」と言わなかったことは万が一他の誰かに先に見つかった場合の意味もあるのだろうが。何かを考えても仕方ないので、フォルクは軽く息を吸い込んで先端に口をつける。「エクトート」と「エクトーネ」で合わせて十文字だから、十秒吹くということか。ゆっくりと息を吐き出す。
「ふぅ……流石に随分と手をこめてくれましたね」
 足のサイズといい子供たちの名前といい、フォルクはなんとなく不気味な感覚を抱いた。いくらなんでもここまで自分他一部の者にしか知れない情報を並べられると、クイッヒのような得体の知れなさを考えざるを得ない。そんなやり場の無い感情で悶々としだしたフォルクだが、すぐに沖からの翼の音に気付く。
「カイリュー……ゼトロの仲間でしょうか?」
 進化の条件が厳しいため、この系統は他よりもさらに最終形態への進化が少ない。しかもゴルグールドには在住者自体が少ない系統の種族であるため、この国でお目にかかれることは殆ど無い。恐らくかつての戦乱の中で命を落とした彼を最後に、次にお目にかかれるかがわからないくらいの腹でいたが……。そう考えるとゼトロの仲間であることの方が濃厚だろうと、フォルクは少しだけ警戒を緩める。徐々に近づいてくる視線の先のカイリューと、フォルクの記憶の中で知る唯一のカイリューが重なる。その瞬間、フォルクは目をむくことになる。
「リュアーム様!」
 敵の増援がしばらく来る気配が無いのは確認していたが、それでも口走って思わず周りを見回してしまう。彼はかつての戦乱の末期に今のこの国のために戦い、命を落としたはずである。そんな彼の名前を敵兵に聞かれたら、クイッヒまで考えるとどんな危険があるかがわからない。だが見れば見るほど、近づいてくる彼はフォルクがずっと尊敬してきた勇者で間違いなくなる。
「久しぶりだ、フォルク。話は道中するから、まずは乗れ」
「は、はい」
 だが本来のつくりは同じだというのに、表情はまったく変わっていた。以前はセラフィーほどではないにしても少々冗談めかした態度をとることが多かったのに、今は随分と落ち着いた雰囲気である。それは今この瞬間に限定した気分的なものではなく、根本的なところでそういう気質だったのだろう。ひとまず促されるままに乗ろうと近づいたリュアームが晒す背中は、遠い昔に見たほどではないが今もとても大きい。フォルクもバクフーンとしては非常に大柄な2メートルを超える巨漢なのだが、このカイリューも種族柄以上に大きいのである。
「では、よろしくお願いします」
「しっかりと掴んでいろ」
 自身と残っている荷物の重さを考えると、フォルクの性格で気後れしない方が難しい。だがいざ跨りしがみついてみると、微動だにしない相変わらずの頼もしさに徐々に嬉しくなってくる。戦乱の中でフォルクが生活していた地域の勢力は壊滅し、暴走した兵士に追われていたあの日。崖に追い詰められて落ちたその先は、冷たい海水でも硬い岩盤でもないこのしなやかで滑らかな鱗の肌であった。戦死と聞いて何度も嘘だと叫び、泣き続けた日があった。やはりあなたは簡単に死ぬような方ではなかったのだと、久しぶりの浮かび上がる感覚の中で目頭を熱くする。



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なにかあればよろしくお願いします。
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IP:122.25.224.163 TIME:"2012-11-03 (土) 21:41:41" REFERER:"http://pokestory.rejec.net/main/index.php?cmd=edit&page=%E5%85%AB%E3%81%A4%E3%81%AE%E6%89%89%E3%81%B8%E3%80%80%E7%AC%AC4%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8" USER_AGENT:"Mozilla/5.0 (compatible; MSIE 9.0; Windows NT 6.1; WOW64; Trident/5.0)"

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