ポケモン小説wiki
人魚姫にはならなかった の変更点


#include(第十二回仮面小説大会情報窓・官能部門,notitle)



――とぷん

 鏡面のように静まり返った鈍黒の水面を、何かが切り裂いていった。初めにキャモメが魚を求めて潜り込んできたのかと思ったが、出ていかない。次に岩か何かが降ってきたのかと思ったが、海振の感じではそれは動いている。それなりの質量と体積のものがいきなり飛び込んできて蠢いているとなると、こうしてはいられない。
 初めにこのあたりをナワバリにしていると自負しているギャングのサメハダーが。
 次にこのあたりではなかなかの知性を持っていると自負している隠者のオクタンが。
 最後にこのあたりの面白いことには絶対に関わりたくなる野次馬――野次魚?のラブカスが。
 それぞれ現場に急行してみると、やはりそれは生物だった。
 海棲ポケモンにとってはあまりなじみのない生物だが、かといって完全に知らないかといわれればそうでもない。人間だった。
 ただ、人間の割にはお馴染みの着衣や装備もなく、太陽に照らされて薄明るい海中で白く輝くような全裸を晒していた。

――身投げか?
 隠者が叫ぶ。
――俺のナワバリでそんな勝手は許さん
 ギャングが怒る。そして、鮫肌に引っかけつつ浜辺までお引き取り願おうと泳ぎよったところで。
 人間が無重力下でくるりと身を翻し――サメハダーを引き離し始めた。
――はやっ!
 サメハダーも海中のスピードには自信のある方だった。追える限りは追おうとする。人間が必死なのかどうかは分からないが、チラリと手を振ったように見えたのをサメハダーの士気をくじいた。
 なんだ、全然遊ばれてんじゃん。
 魚のように泳ぎの得意な人間を人魚とか言ったか、それが海中に残していく白泡の軌跡をぼんやり見送った。

――うわ、サメハダーが置いてかれてる。だっさ
――るせえ、俺は心配してて本気出せなかったんだよ
 しばらくして後続が追いついてくると、野次魚が煽り、ギャングが怒り、またひと喧騒あるのだが、人間にはもう何も聞こえない。

----

 アシレーヌの日課は自分の喉に自信を持つこと。
 海の”中”での歌と海の”外”での歌は全然違う。これを分かってくれるのは海中と地上の両方で暮らすポケモンばかり。
 今日の曲は地上がメインで住んでいる連中が豊穣なる大地に人々の感謝を届ける歌で、人間には絶対に出せない音を出すのを一番の目玉とした。
 自己満足と言うならそれでよいが、この歌は元々地上の”人間”が教えてくれたもの。
 古い思い出を紐解きつつ人間の言っていた音階を思い出す。
 今日は何を歌おうか。
 海が穏やかな日は心が落ち着く。だったら穏やかな歌にしよう。
 ♪~~~
 乞われて歌う立場ではない。
 聴衆受けだけを狙った歌がいかに空しいものか。いつしかアシレーヌはその歌に没入していた。
 ♪~~~

 クライマックスのサビに入る前には、ひと呼吸の休憩がある。

 目が合った。
 人間だ。
 いや、それ以前に。
 ノリノリで歌っていた自分が急激に恥ずかしくなった。

「あら、失礼」
 目が合った主は、続くメロディが奏でられないことを察して近寄ってきた。
「あなたの歌に惹かれてここまで来ちゃった」
 人間だ。それも、全裸の。しかも、女性。
 アシレーヌは、歌にある通り、その昔人間の部下だったことがある。ずっと昔―少なくとも、アシレーヌという種族にとっては―のことだ。その時の主人はいわゆる男性という性別だったらしいが、人間の女性というのもよく聞かされていた。要するに、その時の人間はまだアシマリだった彼にいくつかの歌と人間の常識を教えてくれた。
 人間の文化を知る彼にとっては全裸の人間雌が出てきただけでもぎょっとするもので。人間の文化には基本的に全裸はあり得ない。ましてや太陽上る日高き浜辺にて。
 しかし、アシレーヌもアシレーヌで、野生の期間がそこそこ長くなっていた。自分が知らないだけで実は全裸主義者がいるのかもしれないし、人間の生活様式が変わったのかもしれない。

 ……

 反応の仕方が分からなかった。
 見つめ合うふたり。互いの目と目。そして昼。
 アシレーヌが声をかけるにはいささか野生化していたし、できることなら、人間の言葉を解することができるので向こうからアプローチしてほしかった。
「あれ、今日はもうおしまいかしら。それとも、私が聞いてると歌えないのかな?」
 アシレーヌがしどろもどろしているのを見かねて、女性が声をかけた。
 浜辺に足跡を落とし、アシレーヌに触れるくらいの位置で、目線を合わせる。いろいろと丸出しなのはいいんだろうか。
「また明日。私、あなたの歌、好きよ」
 言うなり、ちょん、と鼻の頭に右手が触れた。彼女はすぐに海に潜っていった。

 …………また明日?

---

――女の人ってなんじゃらほい
――雌の人間ってことだよ
 彼女が去ったのち。
 海の仲間たちが謎の人間の話をしていた。何も身に着けず、アシレーヌがいつもいる方へ泳いでいったというからすぐに彼女のことだと分かった。
 ああ、あの女の人ね、と発言して今に至る。
――我々に地上の人間のことはよくわからんが
 とにかく、彼らにとってはギャングを置き去りにした泳力が印象的だったらしい。
――それで、アシレーヌとは何が?
――ぼくの歌を聴いて、好きよって
 前の人間は基本を教えてくれたが、そこまでだ。自分はもう高齢で耳が悪く、歌を聞いてやれないからと別れたのが最後。
 教わった人間の歌は海中で歌っても彼らにはピンとこなかったらしい。
 年に数度、海鳥やラプラスがいい声だと褒めてくれる程度のことが、今日は珍しく人間によってなされた。
――へー。よかったじゃん。ちゃんと聞いてくれる相手ができて
 ラブカスにそう言われたのは意外だった。なんだ、つまんない、と喰い捨てられると思ったのに。代わりに、サメハダーとオクタンがそれだけ?と反応してくれた。
 本当にそれだけだったのだけれども。

----

 今日のメロディーは、いつかラプラスに教えてもらった、再会を喜ぶ歌。
 見られている。
 アシレーヌが陽が高くなるころ合いを見計らって、この間の場所に現れてみれば、すでに彼女が浜辺で寝転がっていた。
 彼女は今日も全裸で―本当にその恰好が正装なのだろうか―ハミングまでしていた。ただし、アシレーヌの知らない曲だ。
 一瞥して、目が合う。何もやましいことはないのにうぐぅと息をのんでしまうのは何故だろう。
 そして、さあ、あなたの歌を聞かせてとばかりに、目を片方だけ閉じて、残った一方で始めるまで射すくめて来る。
 どうもやりづらいな、と思いながらもアシレーヌは岩場に昇った。
 さて、何か……とアシレーヌが思い始めた矢先、ジュークボックスから往年の恋愛歌を流された。と言うのは比喩として、アシレーヌの耳に古く懐かしい名盤が流れてきたのは確かである。
 前の主人の時に聞いたことがあるそれは、何十年たっても流され続ける名曲だという彼のお墨付きだった。
 音程こそ同じながら波形は違うと印象は変わる。彼女が歌っていた。アシレーヌが何もせずそちらを見つめて茫然としていると、彼女は挑発的に目配せをして聞こえよがしに声を張る。
 そうか、そういうことなら、よし。
 一匹と一人のデュエットはしばらく続き、アシレーヌの調子が出てきたその後は彼女の貸し切りのリサイタルとなった。

「君、昔人間のポケモンだったんでしょ」

 思う存分歌ってスッキリした後、彼女が唐突に言った。アシレーヌはアクセサリーも付けてないのに頭髪の際の人間が飾るところを抑えて飛び跳ねて逃げ、女性はその反応にすべてを察した。
「ごめんごめん。だって、アレ人間の歌だよ」
 観念した。身体の半分を海につけ、恐れるような目で彼女を見る。そうか、確かに人間の歌をポケモンが知っているのは変な話だ。
「ちゃんと意味が分かるんだよね。気持ち入ってたもん」
 彼女はそれだけ言うとおもむろに立ち上がり、じゃあねと手を上げて海に飛び込んでいった。
 ずっと恥ずかしげもなく恋愛の歌ばかりまあよくも歌い続けたな、と、アシレーヌは別れた後に思った。

 ……んん? 恋愛の歌で気持ちが入っていた?

----

 そのシーズン、海が穏やかな日は本当に毎日。
 アシレーヌが歌っている横には人間がいた。いつの間にかそれがアシレーヌにとっての普通になり、ただ一匹自分の満足のための歌は彼女のためのものに変わっていた。
 離れて聞かれていたのがだんだんお互いに寄っているのを、ラブカスは海中からニヤニヤしながら見逃さなかった。
 アシレーヌも自覚している。
 奇妙な関係になってしまったものだ。
 今やその人間雌は手が触れるどころか体の半分以上が密着するくらいまで接近し、たまには共通の知る曲ででデュエットするほどになってしまったじゃないか。何なら彼女がアシレーヌに教えることも少々ある。
――なんだ、これは
 なんだ、と言われても。
 昨日海の仲間に問うて返ってきたのが全員のこれである。サメハダー、オクタン、ラブカス、それぞれの思惑はあろうけれども。
 アシレーヌと彼女が背中合わせに座り合い、身体を密着させながら仲良くデュエットをしている。
 野次魚、ギャング、隠者が順番に言った。
 アレでしょ。 アレだな。 アレしかなかろう。
 嫌じゃないんだろ? むしろ好きでしょ。 そりゃもう一つしかないでしょ。 と。
 なんとまあ勝手なことを言ってくれるが、自分でも薄々感づいてはいた。ただ、自分で認めるのが恐かっただけ。
 指摘されること自体は怖いことじゃない。ただ、自覚するのが恐かっただけ。三匹から顔を背けて、そうだよねと絞り出す。
――ごめん、息継ぎしてくる
 アシレーヌは海中にはずっといられない。いまほどその不便をありがたいと思ったことはなかった。息苦しいのはそれだけが理由じゃないから。だって自分はポケモンで、彼女は人間で――そりゃあ、やっぱりヘンでしょ。こいつらは何も気にしてなさそうだけど。
 ただ少し待とう。人間同士やポケモン同士のような関係ではなく、人間たいポケモンの適正な関係なら問題ないのではないか。アシレーヌはこの関係は経験済みだ。

――そうだ、昔の主人が僕に置いて行ってくれた――

----

 今日は雨だ。否、今日”も”雨だ。
 さすがに今日も来られないよね、いくら泳ぎが上手いと言っても、彼女は所詮人間だから。水かさの増した海を突っ切って来られても困る。溺れられるのは何より怖い。
 自然と旋律を口ずさんでいた。大昔、まだアシマリだかオシャマリだかだったころに主人に教えてもらった悲しい歌。
 あなたが恋しいです、今すぐ会いたいです、という。
――あれ。

 ぽとり

 何でこんなものが落ちたのか。アシレーヌはアシレーヌでもそこまで彼女に忠誠を誓った記憶はないはずだ。
 つまり。
 自分の心に反してそれだけ大事な存在になっていたというわけで。
 いっそこっちから会いに行こうと思っても、愚かな僕は君の住処を知らない。
 旋律につけられた歌詞がシンクロする。この曲本当に他人が作ったものなのか。

――マジかよ。

 ぽとり。この前探し出した前の主人との絆に涙を落とす。これだけでは満足できないかもしれない。まだ暖かい夏だというのに、背筋が凍るような思いがした。

----
 その日の海は凶暴だった。何せ今日は満月だ。満月なだけなら潮が高いだけで済むが、風が強く海の中がかき混ぜられ非常に泳ぎにくい流れを作っていた。しかもここ数日は雨が続いた。
――おい、アシレーヌ、大変だ!
――……サメハダー?
 こんな格好悪い姿は見せられないと、急いで顔をぬぐう。
――いつもの人間、今日も泳ぎに来て溺れかけてやがる! 手伝え!
 返事するより早く、海に飛び込んでいた。
――どこ!?
――こっちだこっち
 普段より強く激しい潮の流れも、今は何とも思わなかった。

 ◇

 

 ◇

「ぶはぁっ!」 
 アシレーヌは彼女を抱えて陸に上がった。
 サメハダーもオクタンもラブカスも手伝ってくれた……もっとも、ラブカスは潮にほとんど何もできず流されていたが。
 アシレーヌもかなり体力を消耗した。ただ、それでも休んでる場合ではなかった。できることはほとんどないが、じっとしていられない。
 起きてくれ。
 せめて決意を伝えたい。
 息はしているか。人間は溺れた時はどうすればいいんだっけ。
――水吐かせたらどうだ
 隠者が砂浜の限界まで来て助言をくれた。多分人間の体に一番近い構造をしてるのは自分だから、アシレーヌは自分ならどうすれば水を吐き出すかを考えて体に触れる。表面から触って内臓を押し上げるように。
――そんなにびくびくせんと、もっと壊れるか壊れないかの境目くらいじゃないと意味ないぞ。訓練だけなら何度も見てるからな。
 壊れるか壊れないかの境目くらいで……?
 そんな恐ろしいこと、できるわけない。でも、やるしかない。
 人間の身体は想像以上に丈夫だった。硬い弾力のある人形が、生きていることを主張しているかのような反発を見せて来る。体温があるから生きてるのは間違いない。あとは意識を戻させるだけ。彼女を沈めた海水を吐き出させて、呼吸を復活させる。ので、いいはず。
 しかしこのまま目を覚まさなかったら?
 だめだだめだ、余計なこと考えるな。
――息入れてあげたら?
 この声はラブカスだった。
 ずっと息が止まっていたら確かにそれはまずい。なんだっけ、人工呼吸とか言う奴。息を吸って顔を持ち上げる。どうか目覚めてくれますように、と祈りながら口を開けさせ、自分の口を近づけようとしたその時。

 ぶっ、げほっ、げほげほげほ!!!

 目覚めた。
 胸の底に溜まっていた水をすべて吐き出した。
 アシレーヌはぎょっとして彼女には悪いが放りだすように飛びのき、びくびくしていた。
 ともあれ、ああよかったと――アシレーヌは力なくその場にへたり込んだ。例の三匹もお疲れさんとばかりに泳ぎ去っていく気配を感じる。
「君……」
 彼女がアシレーヌを見つけると、一瞬目をこすり、頬を叩いた。そしてもう一度見直してやはりアシレーヌがいることを確認すると――有無を言わさず抱き着いた。
 まあ、察するよね。この子が私を助けてくれたんだろう、みたいなこと。
 アシレーヌも悪い気はしない。協力してくれたあいつらには悪いが一番頑張ったのは自分なのだから、これくらい感謝されてもいいだろう。
 感謝に任せて彼女が顔を摺り寄せてくると思ったらアシレーヌにも想定外のことが起こった。人工呼吸の続きでもされたかのような―口と口がくっついて、相手の唇がぺろりと侵入してきたとき、それが人工呼吸以外の何物かに気づいた。
 アシレーヌは彼女を引きはがした。
 それは、人間とポケモンですることではない、と。
「ごめんね」
 でもやめないよ、と言うことなのだろうか。引きはがしたヒレに両手を重ね、再び体を預けて来る彼女。
「最後まで、お願いできますか?」

----

 アシレーヌがこれからしなくてはならないことはよくわかっている。人間風に言えば愛の営み。ポケモン風に言えば交尾。ただしポケモンも知能が高く感情を持つ生物だ。その行為自体に愛が介在しないかと言えば全てがそうではないとも言えない。
 アシレーヌは心臓をちょっと抑え、息を整えた。そういえば、人間ってどうすればいいんだろう。
 たぶん、気持ちさえこもっていれば同じことをすればいいはず。ポケモンにするように、顔から下の毛づくろいをしていく。もっとも、人間には繕うような毛はないから、肌を舐めることになる。彼女が恍惚とした表情をしているから不正解ではない、みたい。
 口元から首元へ、腹や胸を啄み、だんだんと見上げる体勢になっていく。彼女が悪戯っぽい笑みを浮かべると、見上げていたアシレーヌは目を逸らさざるを得なくなった。
「こうかな……」
 人間の五本の指が下半身をまさぐり、割れ目の中に侵入してきた。アシレーヌは雄だからその中にあるものを求めてのことだろう。
 プルリルのように柔らかく、オクタンのように器用な五本指が雄の象徴を捉えた。人間がポケモンを愛撫する方法を知っている訳ではないだろうが、彼には試そうとしているだけで十分だった。
「わ、ちゃんと大きくなってる……」
 下腹部をまさぐられる感触と、自分のそれがこう、元気になっていく感触はアシレーヌも十分実感していたし、だから彼女への毛づくろいもできず俯いて声を我慢していた。
「聞きたいな、君の綺麗な声」
 大きく膨らみ、精巣から種が昇ってきていることが何となくわかったらしい彼女は、愛撫をより一層強めた。 
 結んでいた口から、声が破裂した。雄が最も快感を感じるその瞬間をアシレーヌは耐えきれなかった。ブチ撒かれたそれは彼女の臍を犯し、腹を犯し、砂浜にしみ込んだ。
 彼女はポケモンの量ってこんなに多いのか、と、ちょっと引いている。 
「……一回出したから、もう大丈夫だよね……?」
 おそらく独り言。アシレーヌは答えるすべはない。息が上がっている。そして下の雄は上がった息と同じ呼吸でびくびくとまだ吐精を続けている。
 ただ、行為を続けるのに支障はない。まだ大きいままなのだから。彼女が上になった。
「ごめんね」
 雌の象徴をちらりと見せると、そこからは海水ではない粘性のある液体が零れてきていて、こちらもまた十分に支障が無くなっていることを意味していた。アシレーヌの答えを聞くまでもなく、彼女が腰を落とす。
 セッションした。 
 くぐもった唸り声が上がったものの、彼女の雌は全てを咥えこんだ。あとはもう二人で狂ったように――歌いまくった。歌詞も音程も音量も歌を言うにはほど遠いものだったが、そう表現したほうがいい。他のどんな媒体で用いられる行為に関連する言葉よりも、この場ではその表現を用いるのが適切であろう。最も盛り上がるサビ、とか前戯に相当するイントロとか、そういうのもいらない。
 やがて二人のそれは終わり、雄が雌から離される。体力を使ったので次にどうるというのを考える余裕はないが、一つだけ決めていたことがある。
 このままわかれるのは、ダメだ。 
 人間もアシレーヌも、図らずも同じことを、その時思った。

----

 お互いに息が整った。
 彼女がいとおしげにアシレーヌの後頭部を抱き寄せ、愛人にしか言わないような言葉をつづる。
「今日、ね。どうしてもあなたに会わないといけなかったの」
 ずっと雨で来れなかったから、と彼女は付け加えた。
「この浜辺に遊びに来て、かすかに聞こえてきたあなたの声に惹かれてここまで滞在を伸ばしたけど……」
 ああ、とうとうこの日が来たということか。
 彼女の顔が曇り、ヒレを握る力が一層強くなるアシレーヌが息を飲むのと、彼女が深呼吸するのは同時だった。
「私たち、今日でお別れ。もう行かなくちゃ。伝えるのが遅くなってごめんね」
 アシレーヌも覚悟はしていた。というか、いつかこういうことを言われる日が来るというのは感じていた。だから彼はこんなことがあった時のために一つ決断していたのだから。
 まるで動揺していないと言わんばかりに真っすぐの双瞳で見つめ、彼女が驚いたような顔をした。
「アシレーヌ?」
 アシレーヌは体の中を探し始める。海の中で流されてしまったか。そうすればもう気持ちを伝えることは諦める。歌よりも行動で示したい。
 あった。
 震える手がアシレーヌの髪の中から取り出したのは、古いモンスターボールだった。
「これを私に?」
 前の主人が置いて行ってくれたものだ。一緒に行きたいという人間に会えたら渡すといい、と。
――僕を、パートナーにしてくれますか?
 真剣な眼差しで、こちらを見つめるアシレーヌ。
 言葉は通じずともわかる。
「喜んで。これからよろしくね」
 彼女が、ボールの開閉スイッチを押した。

----

――たいへんたいへ~ん。アシレーヌ、一緒に行っちゃった~
 野次魚が帰ってきた。
――来年のラプラスはきっと悲しむな!
――何言ってんのサ。ギャング、君も悲しいだろう
 サメハダーがるせえ、とそっぽを向く。
――っていうかぁ~、人間とポケモンが結ばれるとかチョー面白いんですけど
――そうでもないぞ。昔は普通のことだったからな
――隠者、それ実際に見てきたの?
――…………見てないけれども!
 少し静かになった海の中、それでも今日も賑やかだ。



トップページ   編集 差分 バックアップ ファイル添付 複製 名前変更 再読み込み   新規作成 ページ一覧 ページ検索 最近更新されたページ   ヘルプ   最終更新のRSS
This site is protected by reCAPTCHA and the Google Privacy Policy and Terms of Service apply.