NO LIMIT シリーズ Writtr by [[クロフクロウ]] Written by [[クロフクロウ]] [[後編1へ>久遠の思いと意思:後編]] **久遠の思いと意志 後編2 [#w4a51c1f] 「屋敷の空気がさっきより重い。いったい何が始まるというのでしょうか……」 屋敷の一室、薄暗い部屋でほのかに炎の明かりがちらつく。バクフーンの炎は意志の表れと言われ、今まさに危機感の焦燥が炎に現れそうだった。フローガもバクフーンの種族ゆえ例外ではない。建物全体から伝わる微かな波を感じ取り、焦りを感じた。長年この屋敷に仕え、四六時中屋敷を見てきたが、何やらただ事ではないような雰囲気を漂わせている。 そんな気がしてならなかった。 「これ以上、座視をしている暇はないということでしょうかね」 一匹の使用として、屋敷の異変はすぐさま確認しにいかなければならない。そう言ってフローガは立ち上がった。 「その前にちょっと待て、フローガ」 自分を呼ぶ声に、振り向く。黄色い浮き袋が微かに焦げ、右手を壁に付いているフローゼルは目つきを鋭くしていた。 「アルアさん、あなたはもう休んでいてください。間一髪であの雷撃から免れたとはいえ、先の戦いで体力は落ちているはずです」 ブロンデーの最大火力の‘かみなり’を受ける寸前、フローガの‘あなをほる’でアルアを救出し直撃の危機は逃れた。 いくらフローガでも、あの技を見ればアルアの身が危険だと判断したのだろう。その後は地下を通り、屋敷の地下室へ二匹は逃げ込んだ。恐らくこの事にブロンデーは気づいているのかもしれないが、感情を剥き出しに鬼のような形相で襲うブロンデーに敵うはずもない。 「けどよ、おめーの言う重い空気ってのはオレにも薄々感じているんだ。こりゃ相当ヤバいだろ?」 「あなたの感じる空気と、私の感じる空気というのが果たして会っているか定かじゃありませんが……。しかしあなたがあそこまで、ブロンデーに挑発するとは思ってもみませんでしたよ。彼があれほど本気になるのは相当珍しいこと。アルアさん、あなたという方は心底その度胸に呆れ返りますよ」 「の割には一方的におされてあのザマだ。ホント、何なんだよあの力は。とてもじゃないがオレの力じゃ太刀打ちできねぇ」 嫌味のように聞こえるが、アルアは顔色一つ変えなかった。本来なら皮肉の一言口で返すのだが、その結果があんな惨めなことになったからには大口は叩けない。 「確かに……ブロンデーは幼い頃から種族以上の力を持っていました。天性の力、言いますか、ライチュウとは思えない莫大な電気を操ります。それ故に、色んな方々から白い目で見られることもありましたね」 確かにあの性格と力があっては異端の目で見られるのは無理もないだろう。だからあのような少々歪んだ性格になったのだろうか。 「そういやあ、おめーとブロンデーは昔からの知り合いだったんだよな」 「お嬢様から聞きましたか。ええ、彼は幼少の頃から両親と離れ離れになり、ひとりでずっと生きていた身なんですよ」 両親と離れ離れ――その言葉にクッと目を捻らせた。 「まだ電撃の力を完全に操れないピチューでありながら、何十匹というヤミカラスの大群をたった一撃で返り討ちにするなど、その潜在能力は幼い頃から彼を悩ましていました。強すぎる力が、彼を孤独に、誰かと寄り添う気を蝕んでいったのですよ。私たちと出会ったのもほんの偶然でしてね、ヤミカラスのボスであったドンカラスと競い合い、傷だらけの彼を私の幼馴染が見つけたんですよ。まだ私がヒノアラシで使用としての基礎を学んでいた時です。もはや瀕死状態であった彼を見つけた時には、驚きましたね」 その場面を想像して、とてつもなく異端のような光景が目に浮かぶ。ドンカラスと戦うなど、力のないピチューには常識には無理な話だ。思い描いただけで、あのブロンデーの力の凄さに全身が震え上がる。 「彼を皆で看病したのが彼との付き合いの始まりでした。最初はまったく心を開かなかったブロンデーも、時間が経つにつれ次第に私たちと接するようになったのですよ。今思えば、それもお嬢様……ポルンのおかげなのですがね」 フローガの言うポルンはどことなく優しい感じがした。少年期のことなのだから、エーフィではなく進化前のイーブイが、その当時のポルンの姿なのだと頭に浮かぶ。 「ですが、数年前、私たちの故郷、ノーズビレッジの大火事で私たちは皆はぐれてしまいましてね。私がブロンデーと再会したのが、この屋敷だったのですよ」 そのような過去はポルンからも聞いていない。フローガとブロンデーの間には何かあるかと思っていたが、そのような事があったことにアルアは驚きを隠せなかった。 「そんなあっさりとあの素行の悪いブロンデーが使用になるなんてオレには思えないのだがな」 「もちろん、ある事情があってのことですよ。逸れたあとに、ポルンは何者かに狙われるようになっていましてね。匿って逃げたブロンデーは……その後ポルンの護衛という形で逃亡の旅に出ていたのです。体の弱いポルンがひとりで旅をするのは不可能、ブロンデーは自分を大きく変えてくれたポルンを命がけで守ると誓ったのでしょうね。あの嫌に頑固なブロンデーですから、ポルンをどこまでも守ると誓ったのでしょうね。けれど、ブロンデーは恐れていたことに手を出してしまいましてね。どこからか情報を仕入れたのか、自警団の一員がポルンを保護するために狙われたらしく、それをブロンデーが固辞しために、ブロンデーに襲い掛かりましてね。相手が自警団ということで手加減が出来なかったのでしょう。手を掛けてしまったのですよ」 「なっ……!?」 「もちろん仕事中の自警団に手を掛けるなど、公からしてみれば重罪です。これがお尋ね者としてブロンデーも狙われる羽目になったわけですよ。そうなると自分の身とポルンの身に迫る危機には、流石のブロンデーも限界があったのでしょうね。夜も寝むれず、常に何者かに狙われ逃げる日々に体も心も持つはずありません。そんな最中に、屋敷の使用がボロボロになったブロンデーを発見しましてね。ブロンデーを屋敷の使用として働くというディレイ様からの条件で、ポルンとブロンデーを外部から狙われないようにすると、ブロンデーは承諾しましたから」 つまりブロンデーは前科がありこの屋敷に使えたというわけだ。大きなリスクを背負いながらも、ポルンを守るために。 「なるほどな。通りで使用にしちゃ荒っぽいと思っていたが、そういうことだったのか。あのブロンデーがね……見た目は確かに強面だが、そんな誰かに本気で手を掛けるようにはオレは思えないがな」 「私とて信じられないですよ。確かにブロンデーは昔から不器用な所があり他者とはあまり接しようとはしないタイプですが、本気で危害を加えるような暴力的ではありませんでした。何故こんなことになったのか……」 だがあまりブロンデーの事を掘り返してもフローガが辛くなるだけ。話題を変えてみる。 「にしてもおめーらも北方の村の出身だったとはな。偶然にしちゃすげぇな、あんな辺鄙で田舎な地域の出身者がこんなにも揃うとは」 「その口調から察するに……もしやあなたも?」 「ああ、オレもクゥもノーズヴィレッジの出身。言いだすタイミングが無かったがな。オレは知り合いの紹介で調査士の仕事に就かないかと誘われたんだ。直属の調査士になれば、フリーでも手を伸ばせない範囲にも自由に調査させてくれる。オレはそこまで本格的に就くつもりじゃないがな、いろいろと都合がいいからこちらも利用させてもらっているわけということだ。んで、オレの今の調査はその謎の大火事について探ること。そのために、オレは色んな所を旅してるんだ」 浮き袋の裏に付けていた、伝説のポケモン、ユクシーのマークが入ったバッジ。アルアの話は紛れも無い事実。アルアの正体をフローガは理解した。調査士とは今の時世には珍しいフローゼルだ。 「そうだったのですか。あの大火事の原因は未だに解決されていない。それを独自に調査している方がいるとは……」 「と言っても、ロクに大した情報を得ることも出来ず、二年間フラフラしているだけだな。何の進展もないとなっちゃ、そろそろ的を射た情報を手に入れないと、他で頑張っている幼馴染に申し訳ないからな」 「なるほど。その任務の途中でここの近くに通りかかったわけですね。それは本当に失礼なことを」 そこでフローガとシックルに捕らえられたというわけだと、フローガは始めからアルアが苛立っていた理由を理解した。自分の故郷が大火事に巻き込まれた事件を探るために、次の目的地を目指していたのだから、邪魔をされては苛立ちを覚えるのも無理はない。これは本当に申し訳ないことをしたなと、フローガは天井をうつつに見つめた。 「もうその事は気にしてねぇよ。大陸中をあちこち歩き回っていて各地の色んな噂も耳にするが、この辺りの地域は初めてだったからな。情報の少ない地域を旅するに至って、警戒しないといけないことを疎かにしたのはオレのミスだ。ま、今回はドジを踏んだというわけでオレは受け入れているよ」 「フフ、その話、詳しく聞いてみたいですが、もうあまり時間がありませんからね……」 そうすると、フローガは倒れ込むようにその場に座り込む。 「お、おいフローガ……!」 「あの雷撃を無傷でいられるほど私も器用じゃありませんから……久々に彼の電撃を浴びたから慣れてないのかな……」 「おめー……そんな無茶しなくても」 「仕事とはそういうものですよ。どんな体がボロボロでも、自分のすべきことは成し遂げないといけない。特に使用は主人の命には絶対服従、この屋敷に何かあればすぐさま向かわないと。それが、例え自分を傷つけようともね」 そんな体で乗り込もうとしたのかと思うと呆れを通りこして感心する。屋敷の使用故、危機感を感じたら真っ先に向かわないといけないのだろうが、そこまで無理してやることなのだろうか。 「オレにはそういう仕事は今までやってねーから分かんねぇけどよ、そんな無理してまでこなすようなことじゃないとオレは思う。だからおめーはここで休んでろ。オレがその仕事を片付けてくるからよ」 そう言って部屋の扉に近づく。一応これでも、アルアはまだ屋敷の使用として命じられている。やめろとはまだ一言も言われてない。最後の大仕事という事で自分なりのケジメのやり方だろう。 「あなたに出来るのですか?ブロンデーに惨敗したあなたが」 皮肉のつもりなのだろうか、だがアルアは顔色一つ変えずフローガを見た。 「そんなことは分かっている。けど、何もせず解決できるなら苦労はしねぇよ。どういうつもりか知らないが、そこまで言うならこんなことで引き下がるわけないって分かっているんだろ、フローガ。おめーがいったいどういうつもりか知らないが、オレたちはポルンから頼まれたんだ。ブロンデーの野郎を助けてくれって」 フローガの目が大きく見開く。アルアの言葉に何か感じ取ったのか。 「そうですか……ポルンがそんなことを。ははっ、やっぱり分かっていたんですね、流石はエスパータイプといったとこですか。……いや、そうでなくても分かるか」 苦い表情ながらも言葉はどこか悟った雰囲気だった。口調が今までと違う。えらくラフな感じが見受けられる。 「やはりあなたに使用を任せるべきではありませんでした。自らの意志が強く、誰にも支配されない強き心。……こんな所で飼っているなどとんでもない」 重い足を楽にさせ、近くの椅子にもたれ掛る。全身の力を抜き、フローガは肩を落とした。 「その呆れるほどの無謀な心がブロンデーを本気にさせたのなら、賭けてみてもいいかもしれません。ずっとポルンを守り例え自らが傷つこうと他意を厭わない。けど、守るために他者に手を掛けその限界がブロンデーを蝕んでいます。このままだとポルンを、全てを失ってしまう。彼の気持ちを、再び真っ直ぐ光が射すように、ポルンと向き合うようあなたの熱き意志を目一杯浴びさせてください。アルアさん」 何かを悟るようにフローガはアルアに目を向けた。自分が行かねばならぬ所で、彼はアルアに託したのだ。このフローゼルならきっとやってくれる。そんな思いにさせる強い気持ちを持っている。 そう託されては無視するわけにもいかない。そうまで言われたら嫌でも張り切らないとフローガに顔立て出来ない。そうと決まればぐだぐだしていられない。この焦燥感を確かめるべく、この部屋から出ようとした。その時、 「待てよ」 「グドさん……!まだあなたは昨日の戦いの傷が癒えてないはずです。動いては……」 物陰にはニドキングのグドがいた。そういえば昨日の戦いでこのニドキングは捕らえられていたとアルアは思い出す。確かブロンデーは地下牢に閉じ込めておけと言っていた。 「この程度の傷は日常茶飯事だ。伊達に自警団を務めているわけじゃないからな」 「あまり無理はなされないほうが身のためですよ。自分も体験のしたことのない電撃に、体は相当悲鳴を上げているはず。先ほどあなたに飲ませた薬がもうすぐ効く頃ですから、それまで辛抱してください」 強がるグドだが、表情はどこか辛そうだった。体に巻かれた包帯は昨日のブロンデーにやられた傷だろう。捕らえると言っていたが、フローガがこっそりグドの治療をしていたらしい。やはり彼もブロンデーの言葉には少なからず賛成ではなかったのだろう。 「俺の事はいいんだよ。それよりもだ、そこのフローゼル。一応確認しておくが、お前はあのライチュウだけが敵だと思っているかもしれないがな、昨日のことを忘れたわけじゃないだろ?今やこの屋敷はメックファイの自警団が狙っている。お前が今しようとしていることは、自警団に楯突くのと同じなんだぞ?」 何かを警告するような口調でアルアに語りかけた。 「ああそうだよ、忘れるもんか。その昨日は襲撃がずっと頭に残っていんだ。確かにここの屋敷は普通じゃねぇ、けどそれで自警団員が総出で衝撃するにはどう考えてもおかしい。何か狙いがあるんだろ?自警団はいったい何が目的なんだ?」 アルアの言葉にグドは視線を合わせる。何かを考えるように黙り込んだが、すぐに口を開いた。 「……ここのお嬢を保護し、ブロンデーを始末する。これがうちの隊長から聞いた今回の作戦だ」 その言葉にアルアは目を見開いた。 「どういうことだ……!?」 「そのままの意味だ」 ポルンを保護してブロンデーを始末する。いったいそんなことをして何が目的なんだと、アルアは疑問をぶつける。 「何なんだよそれ……いったいどんな魂胆なんだよ、メックファイの自警団は!」 「それを俺が答えたところで余計にお前を逆上させるだけだと思うがな。先の事を言っても、お前は自警団に何も出来ないと感じるがな」 グドの皮肉にアルアは言葉が詰まる。思いがけないグドの言葉に冷静さを失ったが、言っていることは正しい。 ブロンデーがフローガの言ったお尋ね者なら、捕らえて確保するのが普通だ。それなのに、一匹ポケモンを始末しただけで抹殺などありえるのか。そんなに始末したポケモンが重鎮な役なのか。 だがそれでも訊いておかねばならない。知っていると知らないでは全然状況の判断力が違うのだから。 「それでも……オレは知らねぇといけないんだよ。この事に関わった以上、もう見てないふりをするなんて出来ねぇからな」 なるほどな、とグドは呟いた。そこまでの覚悟があるならと、このフローゼルなら大丈夫だろうと思ったのだろう。 「ブロンデー――あいつは何でこの屋敷に仕えているのか知っているか?」 「ああ、フローガから訊いた。ポルンを狙っていた奴を始末して自警団から狙われていんだろ?」 一つグドは頷いた。 「そうだ。自警団員が公務中の命を奪うなど、公からみたらとんでもないことだ。その非道をあのライチュウはやってしまった。これは俺たち自警団全員が奴を追い捕まえないといけない義務だ。……けどな、今回のケースは更にややこしいことになっちまっているんだよ」 「何だ……?そのややこしい事って」 苦い表情を浮かべながらグドは視線を反らした。言いづらそうな仕草にアルアは気づくが、ここで止めたら意味がない。続けるようグドに言った。 「うちの隊長、お前ならもう気づいているだろう」 「気づいていたのですか……。ええ、まぁ憶測はしていました。けど不確定なことを述べるのは非効率と思っていたのですが……それが仇になったようですね」 何やら意味深な発言だが、ここは気にしないでおくようにする。 「あの使用にしてはやけに警戒心の強いストライク……シックルさんですね」 苦い表情を表す。今になって後悔しているという感じだ。 「シックルってあの無愛想な使用か。あいつが隊長とは随分と若い気がするが。オレとそう年も大差なさそうだったし」 「成り上がりだからな。若いながら腕と頭の回転は一流だ。相手の思う行動を一も二も先読みして叩く。あいつのおかげで今の隊がデカくなったのも事実だ」 確かに他の使用とは違う雰囲気をしていたが、まさかこのような事実が浮かび上がってくるとは思ってもみなかった。 「そのブロンデーが始末したという奴は……シックルの兄なんだよ」 その言葉にアルアとフローガは言葉を失った。 「兄の訃報が入ったときの表情は今でも覚えている。自分の最も信頼していた兄貴の命が奪われたと知った時はどんな気持ちになるのか想像も付かない。けど、心の内から全てを吐き出しそうな絶望感は薄々と伝わっていた。そしてシックルは俺に言ったよ。『兄貴を殺した奴に必ず復讐してやる』ってな」 「……っ!」 シックルとブロンデーの間にそのような溝があった事に、アルアは大きな衝撃を受けた。肉親の命を奪われた悲しみと恨みというのはとてつもない負のエネルギーとなる。その衝動がシックルを支配しているとしたら、ブロンデーはかなり危険な状況に陥っているに違いない。 「はん、まさかその標的が、自分の担当になったメックファイの近くにいたと知ったときは俺も驚いたがな。今回の屋敷に侵入させる計画も殆どがシックルの編んだ作戦だ。ポルンを保護するという目的は囮のようなもの。本当はあいつ自身の復讐のためになんだとな」 よく考えてみたら滅茶苦茶なことだ。フローガはグドの言葉に目を尖らせた。 「貴方はシックルさんを止めなかったのですか?自らの復讐のために自分の自警団を利用して、シックルさんの作戦なんてただの職権乱用じゃないですか!」 「止められたらこんなことにはならなかったよ。あいつはもう半ば我を失っている状態だ。どうすることも出来ない」 「例えシックルさんが目標を完遂したとしても!その後にどうなるか、グドさんも分かっていることでしょうが!」 背中の炎を爆発させてフローガはグドを睨んだ。フローガには珍しく感情のパラメータが上がりきっているのだろう。いつもの冷静さが失われている。これは炎を見るよりもマズイことは明らかだ。 「よせ、フローガ!今は落ち着けってんだ!」 「ぐっ……!すみません、取り乱してしまいました……」 普段冷静で顕著なフローガを見ているギャップから、アルアも多少焦っていたがすぐに落ち着いてくれた。 グドも黙りっぱなしの状態で、場の空気が深い海の底のように重く感じる。ここで話すべきことだが、互いの事情があまりにも複雑すぎてより混乱へと導いている。ブロンデーさえ何とかすればと思っていたが、これはあまりにも残酷な事実だ。アルアの中で湧き上がっていた勢いが、グドの言葉で徐々に尻下がりになっていた。 だがここで怯んだところで何もしないわけにはいかない。どちらにしろ、グドの話からシックルが何か仕掛けてくるというのは聞き捨てならない。今すぐにでも、クゥヤたちに知らせてやりたい。ポルンだけでなく、ブロンデーにも身の危険が迫っているなら、何もかも手遅れにならないうちに対策を取らないといけない。 しかしアルアとしてはもう少し情報を集めたかった。ブロンデーやシックルの事についてはよく分かったが、肝心のポルンについてはまだ薄い。 「でもよ、その筋だと直接関係していんのはブロンデーだろ?ポルンは関係ないんじゃ」 「その辺については俺にも分からない。あのエーフィが何をしたのか知らないが、そこまではな」 「復讐のついでって奴か……気に入らないというかムカつくな」 「俺の思う所もあるが、良い扱いにはならないだろうな。元々自警団は前々からポルンに目を付けていた。シックルの復讐だけじゃない。うちの隊長や隊員の一部はこの屋敷に予め潜伏して使用として働いていたんだ」 つまりもうこの屋敷にはポルンを付け狙う者がすでにいたということ。その言葉に自分の中にあった不安は更に大きくなっていった。 アルアの推測が正しければあの悪夢を見るというポルンの言ったことに何か関係しているのだろうか。 「けど、ポルンはクゥヤさんと付き添っているから、そう簡単には上手くいかないと」 「わかんねぇぞ。シックルは計画を遂行させるためには時に強硬な手段をとる。特に今回はさっき言った通りほぼ統率を失って暴走している状態だ。何が何でもやるだろうな、たとえどれだけ犠牲が出ようと」 クゥヤが軟にシックルの手に陥るわけがない。だがグドの言葉を聞いてから妙な胸騒ぎがしてならなかった。いったい何に動揺しているのか分からないが、心のどこかで焦りが出始めたのか。 「それ故に、最近はどこか作戦に棘が出始めたというかな。いつもなら俺も含み策を練るんだがな。いったいこれからどう動くかは、俺にも分からないが恐らくもう計画は最終段階に入っている。シックルの奴は待ってくれない。いや、もう手遅れかもしれないな」 「ぐっ……」 何か自分の中で冷めていたものが急激に燃え上がるような感じがしてならなかった。ふつふつと湧き上がる気持ちが静かにアルアの全身に行き渡る。表情には出さないが、すでに心の中は今にも我慢出来ないほどだった。 「ただでさえブロンデーの奴に手を焼いているというのに、そんなややこしいことに巻き込まれちゃどうしたらいいものか……」 フローガもグドも怪我で戦える状態ではない。クゥヤもポルンを連れ今はどうなっているか分からない。これらをひとりで請け負わなくてはいけないとなる。想像以上の過酷な戦いになるに違いない。 「お前まで全てを止める必要はない。……けど、このままシックルが己の道を踏み外すなら、俺は本気で止めなくてはいけない。ただでさえ今の自警団は連携がとれておらず、好き勝手やってる連中もいる。そんな事じゃあ、評判も悪くて当たり前だ。今の歪みを正さない限りはいずれこの大陸は廃れていく。大袈裟に聞こえるかもしれないがそんな気がしてならないんだ」 ブロンデーに対する恨みがシックルの隊全体を包み悪い方向へ向かっている。そう感じ取られる言動に、アルアはますますこの場にいる場合ではないと感じ取った。 あらかた話は聞いたんだ。あとは行動するのみ。アルアは部屋の扉に手をかざした。 「行くのか?さっきも言っただろう、お前ひとりで何とかできるのかって」 「んな話を訊かされちゃ、もう黙っていられねぇよ。何が復讐だ、オレには理解出来ねぇよ」 この説明の難しい苛立ちは焦りを生む。誰かに感傷している余裕もない。 だがアルアは不思議な気持ちだった。今まで感じたことのないこの心が沸騰するような感情。いつも冷静に物事を考えるよう意識していたが、今回はその融通すら効かない。自分では理解できないような感情がアルアの中で渦巻いていた。 「確かにシックルがどれほどの実力なのか知らねぇし、ブロンデーともし対峙したら次は勝てるかどうかもな。けど、オレはあくまでポルンの頼みを優先するため動くだけだ。おめーらの隊長がブロンデーにどうこうしようと、オレはそこまで請け負うつもりはねぇ。そっちの問題だ。……けど、それがポルンに何かしら繋がるなら、どんな奴だろうと許しはしない。一度聞き入れた約束は、どんな障壁があろうと絶対に裏切ってはいけねぇんだからよ!」 蒼眼の瞳から溢れる銀色のオーラがフローガの目に映った。静かな海が途端に怒りに荒れ狂い今かと溢れだしそうな光景が瞳の中で刹那に映る。その瞬間をフローガは見逃さなかった。 「アルアさん……あなたは……!」 再びフローガに振り向くが何もない。気のせいだったのか。フローガはもう一度アルアの目をよく見るが何も変わらないフローゼルの目。疲れているのか、変な幻覚でも見たのだろうか。 「いえ、何でもありません……。それよりアルアさん、そこまで言うならもう私から言うことはないです。けど、無茶だけはしないでくださいね。あなた方を信頼したポルンも同じことを思っているはず。それだけは忘れないでくださいよ」 「はんっ、まったくだな。俺たちだけならまだしも、まだ自由な未来のあるお前のような若造に、このようなごった返したことに巻き込みたくはないんだがな。自警団を敵にまわすということの恐ろしさを小一時間教えてやりたいが、もう時間がない。可能性など微塵に等しいが、今はお前に任せるしかない」 ふたりの意志が胸に突き刺さるように伝わる。ポルンを救い、ブロンデーを説得する。その途中に立ちふさがった相手が例え相手がシックルだろうと、自警団には怯まず立ちうけなければならいが、やるしかない。全てを託されたアルアは、勢いよく部屋から飛び出していった。 「あいつの目……まんまあの青二才と一緒だ。この大陸にまだまだ輝く青年がいるもんだな」 「グドさんも……さっきのを?」 こくりと頷く。グドもさっきのアルアの異変に気付いたのだろう。伊達に自警団の一角と言われるだけある。 「それはいったい誰なのですか?」 「俺たちとは違う隊の自警団員でな、腹の立つほど真っ直ぐな若いルカリオだ。そいつとあのフローゼルは全くおんなじだ。誰かのために全力で戦える強い心を持っている。今の若いやつらにはない、自らを確立させた精神力は見ていて何か不思議な力を感じさせられる。その表れだろう、さっきの瞳から溢れる意志は」 確証はないが不思議と不可能を可能にしてくれそうな気がする。何故だかは分からないが、フローガは自分の心の中でそう呟いた。 ---- ブロンデーが屋敷に戻ったのはアルアを逃がした直後だった。 抑えようのない感情を‘かみなり’に込め、あのフローゼルに一発かましたが、焼け焦げた後にフローゼルの姿はなかった。変わりに、誰かが‘あなをほる’であの瞬間に救出した痕跡が残っていた。 あの窮地の場でとっさに技が使える者といったら、ブロンデーの頭の中では一匹しか思い浮かばなかった。生真面目で昔はよく行動を指摘されたヒノアラシの面影を残し、守る強さを教えてくれ共に成長したマグマラシの意志を思い出させ、何年ぶりかに再会した時には立派な執事として一人前の使用になったバクフーン。 自分とは大きく違う。目標に向け、一生懸命だったフローガはその道を歩み、成果を残した。自分の成りたかった言葉を実現させ、今はこうしてここディレイの屋敷で使用として働いている。 それに比べ自分はどうだ。ポルンを連れ旅に出て、何か目標を達成したか。何かを成し遂げるどころか、道を踏み外し、ポルンを危険な目に会わせ、苦しめていった。 そんな自分が嫌いだ。守るといいながら、その言葉を実現させていない。寧ろ守られてばかりだ。ポルンは身を張って自分を庇ったこともある。あの時の情けなさは今でも苦い記憶として色濃く残っている。 ブロンデーは屋敷の壁を右手で思いきり殴る。コッペパンのようなライチュウ独特の腕に痺れと痛みを伴うが、記憶の痛さに比べれば大したことない。歯を噛みしめ、八重歯を剥き出しに感情を抑え込む。何も出来ていない焦りから徐々に蝕む現状。 「ポルンは俺が守ると誓ったんだ。これまでもこれからもそれは変わんねぇ。けど何だ……この心の渇きは……。前が見えねぇ、足掻こうとすればするほど余計に乾く。何だ……俺は……何か間違っているのか……?」 使用という役に就いてから色々な経験をさせてもらい、今はここの主人、ディレイから長を命じられている。そんな大層な役を任されてもまったく嬉しくはないのだが、長となった故にやりやすくなったものもあるのも事実だ。 だがこの現状でいいのかと聞かれたら、はいとは答えられない。このままでは本当の意味でポルンを守ることは出来ない。それは分かっている。けど、どうすればいいのか分からない。 誰にも相談など出来ない。使用の長というわけではない。ポルンは自分に関係すること。他者に関与する理由はないからだ。いったいどうすれば…… 「ここにいたのか。ブロンデー」 「シックル……お前か」 苦い表情を隠しブロンデーはシックルに目を向けた。そういえば自分の仕事を全部シックルに押しつけていたと、ブロンデーは思い返す。だがそんな話ではないということは場の雰囲気で掴めている。 「お嬢を連れ出したキュウコンはとりあえず確保しといた。お嬢も連れ返して今は安静にしている。そっちのフローゼルはどうなった」 「紙一重で逃げられた。まぁ、とりあえず二度と刃向わないよう徹底的に恐怖は与えたがつもりだがな」 キッと目つきの光るブロンデーには、他のライチュウにはない心に突き刺さる恐怖がある。だがシックルは怯まずその言葉を受け入れ軽く頷いた。 「そうか。ならお前はもう休んでおけ。後は俺が片づけておくからよ」 そう告げると、シックルは背を向ける。要件は済んだらさっさと去るのが彼の主流、無駄な時間は切り崩すと、ブロンデーとの会話も終われば次の仕事に切り替える。 だがブロンデーは何かいつもとは違うシックルの違和感に勘付く。この鼻に付く匂いは―― 「随分と匂うな……何か香水でも付けていんのか?」 シックルは立ち止まった。だがブロンデーの言葉には聞き返さなかった。 「そのニオイ……オレンのみから搾り取ったオレンジパフュームの香りだ。俺は昨日ポルンがその香りの付いたタオルをやったはずだ。それが何でお前から匂うんだ」 少しでも安らいでもらおうとポルンにオレンジパフュームの香水を選んでやっていた。色んな香りが好きなポルンのことなので、気にはいってくれるかまだブロンデーは聞いていな。その匂いをシックルから匂うことにも不快感を覚えていた。 「随分と鼻が利くんだな。お嬢のことを一番思っているだけあってそういう所は嫌に敏感だな」 「嫌味か?別にお前とお喋りすることなどない。俺はお前に質問をしているんだ。何でお前からポルンにしか与えていない香りがすんだと」 シックルの戯言にもブロンデーは屈しない。嫌な予感がさっきから止まらないのだ。この胸騒ぎはシックルと先ほど会った時から続いている。それを一刻も早く確認したかった。 「お嬢を運ぶときにでも付いたかな。その時だよ」 軽く言葉であしらおうとする。しかし退くどころかブロンデーの表情は徐々に険しさを増していく。 「てめぇ何か隠してやがるな」 「何もねぇよ。お前はいつもそうだな、お嬢の事となるといつも以上に誰かに敏感になる。その性格直した方がいいぜ……」 「話を濁すな。そんなことはどうでもいいんだよ。……ポルンに何した」 まるで他者の声に耳を傾けないブロンデーの態度は何者にも屈しない傲慢さが際立っている。どんな手を使おうが事実を言うまで必ず逃がさない、その圧倒的な威圧感はシックルすら抗えない。 そしてふぅ、とシックルは息を吐いた。何かふっきれたようにも見える仕草にブロンデーは目にしわを寄せる。 「ハッ……やっぱもう我慢出来ねぇな……」 「あん?」 シックルの呟きにブロンデーは聞き返した。こいつにはもう勘付かれていた。ブロンデーの鼻の敏感さはポルンが絡んだときに絶大な効果を発揮する。それを忘れていたわけではないが、ここまで瞬時に見抜くとは呆れるほどの心酔力というか何というか。満を持してシックルは鎌をブロンデーに向いて斬りかかる。鋭い空を切り裂く攻撃にブロンデーはとっさに後方にジャンプした。 「っ……!何しやがる!」 突然の行動にブロンデーは怒鳴るが、シックルは怪しい笑みを浮かべ鎌をこちらに向けていた。 「ずっと耐えてきたんだ……いつ始末してやろうとぐっと堪えていた。けどもう限界なんだよ。俺は……ずっと……お前を……!」 目の色を変え、シックルはブロンデーに襲い掛かった。鋭い鎌の進撃がブロンデーを襲う。 「ぐっ!いったい何なんだ!」 応戦しようにも場所が狭く、ストライクの鎌のリーチに対して有利な状況が作れない。今は後退しながらシックルの鎌を避けるしかなかった。 「忘れたという口は開かせねぇぞ……お前の手で命を奪ったあのハッサムの自警団を!」 その言葉にブロンデーは察する。 「あのハッサム……か。ポルンを保護するとかほざきながら無理やり痛めつけたあの……まさかお前――」 「ああそうだ!あのハッサムは俺の兄貴だ!」 怒涛の咆哮にブロンデーは表情を苦くした。まさか自分の手の下したあのハッサムがこのストライクの肉親だったとは、これはかなりややこしいことになったと。 「ふん、まさかお前たちが兄弟とはな。ということはお前がこの屋敷に入ったという自警団の一員か!」 「ククク、自分から明かすつもりなんてなかったが。その前に始末しちまえばよかったんだからよ……」 言葉の視線はブロンデーにしか向いていなかった。この狂気ともいえるシックルの目と言動にブロンデーは歯を強く噛みしめる。 しかし自警団だとしたらだ。昨日の襲撃から察するに、自警団としての目的がある。嫌な予感はこの衝動からだと理解した。 「ちょっと待て!じゃあやっぱりポルンは……!!」 「ふん、安心しろ。あのお嬢に手出しはしてねぇよ。少し眠ってもらっているだけだ。……安全な場所でな」 ニタリと薄気味悪い笑みが表情に出る。その言葉でブロンデーの瞳孔がカッと開いた。 体中の電気が激しく稲妻を走らせながら帯電し、尻尾からバチバチと電気が漏れ出した。 「いったいポルンに何をした!どこに連れていきやがったんだ!」 やがて蓄積量を超えた雷撃がブロンデーの周りに渦巻く。アルアの戦いの時と同じ、感情が一気に爆発して電撃がブロンデーの意志を表すように荒々しく飛び散る。それを見て、シックルは面白くない表情を浮かべていた。 「その電撃で……俺の兄貴を……か……!」 ハッサムを倒したという莫大な電撃に反応するように、シックルは体を震え上がらせる。 「すぐに兄貴の後を追わせてやる!じっくりと!俺が味わった絶望をお前にも与えてやる!」 再び鎌を振りおろした。自分の怒りと悲しみを込めた攻撃は先ほどの行動よりもキレが増していた。まともにくらえば命取りになる。だがブロンデーにはそんな余韻を考える頭などなかった。 「兄弟揃ってポルンを……な……」 何も感じなかった。あの時はただ無我夢中でポルンを守ることに専念し、相手の状態など伺う必要なんてなかったからだ。故に手を下した罪悪感など微塵にも思っていない。 それ以上に、シックルはポルンに手を下したんだ。今はいったいどこにどういう状態になっているか分からない。危険と隣り合わせにな状態ということに怒りと不安を覚えていた。 「遠慮なんかしねぇ!ポルンを狙うやつは皆敵だからな!!」 大きく爆発した電撃は廊下のあちこちに飛び散る。まるで雷が落ちたかのような轟音が鳴り響き、光が充満する。これほどのエネルギーを自分の力で引き起こせるブロンデーには、ライチュウの種族であることを完全に忘れ去られてしまうくらいに。 だが、シックルは未だに気味の悪い笑みを浮かべたまま鎌を尖らせていた。何かを核心させたようにせせら笑っていた。 ---- えらく屋敷の中が静まり返っていた。嫌なほど先ほどまで感じた不穏は相も変わらず全身の肌で感じるが、それに不安を煽るように屋敷の中は物音ひとつない。 アルアはポルンの部屋を目指し、敵に見つからないよう慎重かつ迅速に動いていた。複雑な建物内での侵入行為は、忍び込んだ遺跡などで多少は慣れているため動きに無駄はない。 「何だ……急に冬みてーな風が……」 だが途中で背筋の芯まで凍ってしまいそうな冷気に悪寒が走った。こんな屋敷で寒気を感じるなどまず自然的な現象ではない。 フローゼルとはいえ背筋までゾッと凍ってしまうような冷気に身震いした。 「あの部屋か……?」 冷気が漏れている部屋を見つけ、アルアは扉を開ける。途端に吹く冷気が口の中を冷たくさせ、その温度の差に顔が一気に冷たくなる。そして扉の向こうにある、その光景に目を見開いた。 「なっ……!?」 部屋が妙に寒いと思いきや、そこには巨大な氷の像があった。暗くて正確な大きさまではよく分からないが、何かが凍らされた後だと思い、部屋のランプを見つけ即座に灯りを点けた。 小さな光だが、氷の中の様子までは分かるようになった。その中の様子を確認すると、アルアは息を飲む。 中にはポケモンがいた。複数のポケモンが一度の場所で氷付けにされていたのだ。触ろうとするととてつもない冷気で思わず手を引っ込めてしまう。水タイプのアルアでさえ、この氷はうかつに触れない。相当強力な氷の技で凍らせたに違いない。 「こいつら……この屋敷の……!?」 更に観察すると、氷付けにされたポケモンは、皆この屋敷の使用の印として、黒いジャケットやリボンを着用していた。間違いない、この凍らされたポケモンはこの屋敷の使用だ。 「くっ、いったい何が起きているんだ……」 胸騒ぎがしてならない。アルアは凍った使用のいる部屋を後にしようと、背を向けた時だった。 「お前、ここで何をしている」 突然の強襲に、アルアは紙一重で攻撃をかわす。爪のような鋭いものが空を切り裂いた。 フローガと同じ蝶ネクタイをしていることから、この屋敷の使用の恰好だろう。だがこちらに向ける目は完全に敵意を向いていた。 「おめー……屋敷に潜入した自警団の!」 「何だ、もう知られているのか。なら話は早い、お前もここの使用と共におとなしくしてもらうぞ」 そう言うと、サンドパンは爪を鈍く光らせこちらに向ける。‘つめとぎ’で攻撃力を上げたその爪は息を飲むほど鋭さを増していた。 サンドパンはこちらと戦う気満々だが、アルアはそんな悠長にかまっている暇はない。ここにクゥヤやポルンがいないとなれば、無駄な時間を過ごすわけにはいかない。 「チッ……おめーなどにかまっている暇はねーんだよ!」 サンドパンに野次を飛ばすように叫び部屋を飛び出した。 「この!逃がすか!」 サンドパンもアルアを追い、部屋を飛び出した。部屋から出て右折した所までは確認してた。しかし、突然現れた影にサンドパンは怯んだ。 「ぐっ!?」 突然サンドパンの腹に、‘れいとうパンチ’がクリーンヒットする。その一瞬の光景にサンドパンは目を見開いた。 「わりぃな、ホントにおめーにかまっている時間はないんだよ」 サンドパンは必ず追ってくると予想し、アルアは扉の角を曲がった所で‘れいとうパンチ’を予め待機させていた。サンドパンの象徴でもある背中にトゲは皮膚が硬くなったもの。それ故攻撃しても簡単に跳ね返されてしまう。なら皮膚の柔らかい腹ならまともに急所にいくはず。そう考えたアルアは一瞬の隙を付き、‘れいとうパンチ’をサンドパンの腹に当てたが、上手く懐に入ったようだ。 サンドパンは気絶してその場に倒れる。見た目以上の強敵ではなかったことにアルアは一つ安心した。 このサンドパンには悪いが、今は一刻も早くクゥヤとポルンを見つけ、危険を知らせたい。こんな光景を見せられては焦りが収まるどころか余計に不安が大きくなるばかりだ。 だがうかつに動いてサンドパンのように見つかっても面白くない。屋敷から漂う重苦しい空気は更に重くなってくる。胸がキュッと締め付けられそうな気分の悪い。時間が経つにつれ、その重みは徐々に大きくなってくる。 クゥヤのことだから、ポルンは自分の部屋に連れかくまっているに違いない。だがシックルの奴が動き出したとなると、この屋敷のどこにいても危険極まりない。使用として共に活動しているすらも、得体の知れない存在だったシックルだ。一対一で戦うならまだしも、相手は自警団の隊長クラス。ポルンを連れ戦うなどいくらクゥヤでも難しい。 ブロンデーもそろそろ屋敷に戻っているかもしれない。先の戦いで途中離脱したからにはしっかり決着をつけなければならないが、真正面から挑んでもさっきのように返り討ちに遭うだけなのかもしれない。それでも自分はやらなければ。 ポルンと約束した。ブロンデーの目を覚まさせてやると誓った。 その約束を守るためにも、まずは今何が起きているか知りたい。クゥヤを見つけ、ポルンがどうなったか一刻も早く耳にしたいのだから。 焦る気持ちが次第に大きくなってくる。そう思い込み始めた矢先だった。 「……何だ」 屋敷の廊下には何やら焼け焦げた後、そして何かで切り裂いた斬撃が残っていた。床のカーペットは無残にも黒く焼け焦げており、壁紙は抉るように切り裂かれていた。それは通路を伝い、奥の方にある部屋の中に続いていた。 「あの部屋……確かポルンの……!」 アルアたちが最初にポルンと出会った部屋で間違いない。あの黒い扉は今でも見覚えがある。 あの部屋にクゥヤとポルンがいたとすれば、これはかなり不味いことになっているのかもしれない。時折聞こえる衝撃音は、この部屋から漏れているのが聞こえる。 この攻撃後から、誰と誰が戦ったのかを想像するのは容易い。心の不安が一気に大きくなった。もう時は動き始めていたのだ。 そうと決まれば行動は一つ。急いでアルアはポルンの部屋に向かった。 だが扉の前に立つと、中からとてつもない轟音が鳴り響いていた。 急いで中を確認すべく、勢いよく扉を開けた。 「ぐあ!」 目の前を何かが吹き飛ばされるような勢いで通り過ぎる影が映った。その直後にドン、と壁にぶつかる鈍い音がした。 「なっ!ブロンデー!」 そこには体中傷だらけのブロンデーがいた。切り裂かれた後のような傷が体の至る所に付けられ、見て分かるように危険な状態であった。 「クックク……ざまぁねぇな」 ブロンデーの目先にはシックルがいた。ストライク特融の鋭い鎌をブロンデーに向け見下す。 この傷はシックルがやったのか。よく見ればシックルも体のあちこちに焼かれたような後が残っている。恐らく電撃の火傷だろう。少なからずとも、ブロンデーはシックルにダメージは与えているものの、シックルの方が圧倒的に有利にたっているようだ。 それよりもやけにこの部屋が寒く感じた。先ほどのサンドパンに襲われた部屋のように、何か冷たい空気が。 その冷気はシックルの更に後方からしていた。 「あれは!」 そこには先ほど見た使用のポケモンと同じく、氷付けにされたポケモンの姿があった。けど、ここからでは遠くて中に誰がいるのか分からない。いったい誰が凍らされているのか。 あの氷像を見たときから妙な胸騒ぎがする。一刻も早く確認したかった。 だが向かおうとした直前、シックルと目が合ってしまう。こちらに目を向けた瞬間、言葉を発するよりも先にシックルは‘かまいたち’を放った。 空を裂かの如くキレの良い‘かまいたち’に反応が送れたが、紙一重で自らも‘かまいたち’を放つ。しかしシックルの方が何枚も上手なため相殺しきれず、アルアは吹き飛ばされ、部屋の壁に叩きつけられる。 「こんなところに何をしにきた。こいつとの戦いで負けたお前がこんなところに来て何になる」 いきなり痛い言葉を被せられ言い返しの出来ないアルア。その衝動に押され、自らも‘かまいたち’を放つが、シックルの‘かまいたち’とアルアの‘かまいたち’が再び相殺し、激しい風圧が起こる。 結果は先ほどと全く同じ。アルアは力負けして吹き飛ばされる。この攻撃で力量を把握した。自警団の隊長の猛攻を、アルアは止める力を持っていない。ただの力押しでは圧倒的な差がある。 「お前はそこで大人しくしていろ。何も出来ない癖にしゃしゃり出てきて目障りなんだよ」 カッと目を見開き、瞳孔を開くシックルにアルアは後ずさる。 グドの言った通り、シックルは兄を亡き者にしたブロンデーに恨みを持っている。復讐に染まったシックルの眼を見れば、一目瞭然だ。 追い打ちとしてシックルはブロンデーに‘きりさく’を繰り出す。足はふらふらと今にも倒れそうな具合に、動きは読めていても行動を移す体がない。 「ぐあっ!」 「……っ!」 このままでは壁にぶつかり更に体が傷ついてしまう。アルアはとっさにブロンデーに向かい‘アクアジェット’でブロンデーをキャッチする。水しぶきが激しく吹き荒れ、間一髪の所で壁の直撃は免れた。 「ぐっ……うぅっ……お前……」 確かめなくても分かるブロンデーの唸りは痛々しいほど伝わる。喋る気力すらシックルの攻撃に奪われている。 「もうおめーは喋んな。これ以上体力を減らしたら本気で命が危ない」 アルアには前科があるため、宥めるつもりはないが、目の前で力尽きる姿は見たくない。あの自分を一瞬で追い込んだライチュウがこんなにも傷ついている所など想像が出来ない。それほどシックルは圧倒的な強さを持っているのだろうか。 「……逃げろ……お前じゃかなわない……それになに……より……」 枯れそうな声が耳に響くが、それ以降は発せずブロンデーは意識を失ってしまう。やはり体に限界がきていたのだろう。 「んなこと言ってもな……ここまで眼飛ばされたら逃げるも逃げれねーだろうが。それに、おめーを死なせちゃ、ポルンの奴が悲しむ。それは目に見えているからな」 もうここは自分がやるしかないのか。意識を失っているブロンデーを壁にもたれさせるように寝かせる。そしてアルアはシックルに視線を向け、身を構えた。 「ふんっ、お前が相手になるのか。そこの化け物に負けて逃げ出したお前がな」 言い返せない言葉にアルアは怯んだ。だがそんな事を思っている暇などない。 自分が手も足も出なかったブロンデーにここまで追い詰める実力を持つシックルに太刀打ちできるのだろうか。ブロンデーに手も足も出なかった自分に、自警団の隊長と競り合える力などない。 自分は特別な戦いの知恵や経験などない。メインは調査として各地を周り、その糧として身に付いた荒削りの腕しかない。 だが考えた所でどうしようもない。戦いの場に足を踏み入れた以上、背中を向けるわけにはいかない。 「第一お前には関係ないはずだろう。屋敷に知らず知らずに侵入し、無理やり働かされたいたんだ。それなのに何故そんな奴を守るんだ?」 「わっかんねぇよ。確かにこんな屋敷に無理やり連れられ、訳も分からないまま、しかも理由も訊かされなかった。それがよ、ポルンを守るためというのは分かった。外部の奴らに無駄な情報を流さないよう、オレたちの判断が下るまで余計な詮索をさせないためにそうしていたのは理解した。けど、ポルンを狙う奴らっていうのはこんなにもくだらねぇ奴らだったていうのは心底がっかりしているがな」 何故ポルンを狙うのか、はっきりとした理由は分からないが、ポルンを何かしらで捕らえようとしていることにアルアは腹が立っている。 「それにおめーはただ自警団の任務として活動しているわけじゃないだろう?ブロンデーに始末されたてめぇの兄の敵討ちで、こうして戦っていんだろ。聞けば聞くほど頭の痛くなるくだらねぇ行動だな。おめー本当に自警団の隊長なのかよ!」 シックルの行動にはことごとくアルアの癇に障る。だがシックルは鼻で笑うだけだった。 「ふん、誰に訊いたかは知らないが、お前には関係ないだろ。そのライチュウは俺が始末する。巻き込まれたくなかったら……そこをどきやがれ」 「……断ると言ったら?」 「お前ごと切り裂く。俺は容赦しねぇぞ」 鋭い目つきと同時に、鎌を鈍く光らせる。口だけの冗談ではないらしい。息を飲むかのような重い空気が漂う。 何なんだろうな、この緊張感―― こちらに敵意を向けた時のシックルの殺気で足が異様に震え始めていた。これが本当の戦いの場なのかと、アルアは身を以て知る。 今すぐにでも逃げ出したくなるような恐怖と、自分の力が通用するのかという不安が心を支配していた。 「ブロンデーを失ったらポルンの頼みを破ったことになるからな。この何を考えているか一向に分からない馬鹿はオレがケリを付けさせる。おめーの復讐には付き合ってられねぇからな」 だが後ろ向きでいるわけにはいかない。この場に自分しか味方がいない以上、身体を張って闘わないといけない。 「ハンッ、戯言を。何も知らないお前のような奴に時間を食っている場合じゃねぇんだよ!」 鎌を左右に上げ、素早い動きで‘つばめがえし’を繰り出した。 ‘つばめがえし’は絶対に避けることの出来ない必中技。ここは覚悟を決めてアルアは両腕をクロスさせて受け身の態勢をとる。 「無駄だ!」 容赦なく突っ込み、シックルは‘つばめがえし’をアルアにヒットさせる。流れるような一撃にアルアは後方に突き飛ばされた。 (今の……そうだ‘テクニシャン’で大きく攻撃力を上げている。ものすげぇ一撃だ) ストライクの特性、‘テクニシャン’が‘つばめがえし’の威力を上げ、受け身の態勢ととってしてもほとんど守りきることが出来なかった。 だが相手の攻撃に感心している暇などまったくない。アルアも全力で立ち向かわなければならない。 こちらも‘アクアジェット’で接近し、シックルに少しでも傷を付ければと思った。直撃の直前で‘アクアジェット’をキャンセルして、勢いを保ったまま‘アクアテール’を繰り出す。 「むっ」 体を回転させ、力の赴くままに水のまとった尻尾をシックルに目がけヒットさせる。だが、シックルは軽々と鎌で受け止め、とてもクリーンヒットさせたとは思えない。 「ぐっ!」 今の全力の一撃を受け止められたことはアルアにとって心の体力を大きく減らす出来事だった。自分の一撃をこうも涼しい顔で流されるようでは逆に気分がいい。 小細工が通用しないとなれば、正面から突っ走るしなかない。連結で‘れいとうパンチ’を繰り出し、シックルにヒットさせる。 「くっ」 今のは入ったのか、シックルは後退して距離を置く。勢いそのままに半ばダメ元で繰り出したのだが、それなりには上手くいったようだ。 「なかなか鋭い一撃だな。伊達に各地を旅しているだけはあって、そこらの餓鬼よりはやるようだな」 褒められている感じはまったくしないが、何も気にしないようにした。 休んでいる暇はない。今の感覚を忘れないように、アルアは一向に攻撃を仕掛ける。 自分の使える最大限の技を連続で繰り出す。怒涛の攻撃にシックルはただ受けるだけだったが、その さに次第に苛立ちを覚えてくる。 「小癪な」 一瞬の隙をつき、アルアを弾き返す。 「お前なんかに構っている時間はねぇんだよ!」 一気に勝負を決めようと、シックルは‘かまいたち’を繰り出す。 「くそっ!」 再び力比べになるが、アルアも同じように‘かまいたち’をシックルに向け繰り出す。双方の‘かまいたち’と‘かまいたち’が再び衝突し、二匹の周りには激しい風圧が起きる。 しかし押され気味のアルアの‘かまいたち’に耐え切れず、アルアは吹き飛ばされてしまう。力を存分に込めた技すらもまともに相手にしてもらえない。 体制を整えるため距離をおくも、短時間で激しい動きをしたアルアは息を切らし始めていた。 「そういやあ最初に戦った時もおめーの‘かまいたち’を見たな。そん時からものすげぇ威力だと思ったけどよ……」 自警団のリーダーと聞けば納得だ。技のキレも威力も並大抵の実力で適うものじゃない。本当のエリートにしか身に付けられない本物の力。 だからこそ気に入らない部分がある。何故そこまでして力があるのにこんなくだらないことに使うのか。 「なぁ何故ポルンを狙う。ブロンデーの敵討ちのついでというわけにしちゃ結構大がかりに思えるんだがな……」 「それを知ったとこでどうなる。」 「見た目は普通のどこにでもいる小娘じゃねぇか。あんな子に何か事情があったとしても何故それを自警団が狙う?何だ?何が目的なんだ?」 シックルの行動には疑問しかない。いったい何の魂胆なのかアルアには疑問しか浮かばない。 だが口を開く度にシックルの表情が怪訝なものに変わっていく。 「いちいち口の減らない野郎だ」 しゃくに障ったシックルは。風圧で身動きの取れないアルアにシックルの鎌が襲い掛かる。鈍い光りと共に、シックルは一閃の攻撃を繰り出した。 「なっ……がっ……っ!!」 一閃が光となり、風を斬った。その芸術とまでにいく‘シザークロス’に、アルアは声すら上げずに後方の壁に叩きつけられた。この一撃でアルアは痛感した。敵うわけがないと。絶対に認めたくない事だが、現実というものをそこに垣間見た。 「お前には何も関係ない。どんな口を利こうが俺の怒りを書き足すだけだ……」 あれだけアルアの攻撃をかわし、かなりの動きを働かせたものの、シックルは全く息が切れていなかった。 その圧倒的な体力と技術の差に、アルアは精神力さえも軽く叩き斬られたような気がしていた。 「グラキエス、そいつも同じように凍らせておけ。二度とその生意気な口が叩けないほどにな」 「……!」 シックルの声で物の陰から表れたのは、ジュゴンのグラキエスがいた。その存在にアルアはピンとくる。もしかして今までのあの氷の塊に閉じ込められた使用たちは、グラキエスの仕業でやられたのかと。 ここから見ても分かる。あの標的に真っ直ぐと狙いを定め、確実に仕留めようとする目はアルアに向いていた。あの見ているだけで凍ってしまいそうな、口に冷気を溜める技を見た途端にアルアは肝を冷やした。 勢いよくグラキエスはその冷気を放つ。一撃必殺の‘ぜったいれいど’がアルアに襲う。シックルの攻撃で自由に動けない体に、容赦なく氷の檻が立ちはだかる。 「ぐっ!」 精一杯に無理やり体を動かし、紙一重の所で直撃は免れた。もう少し反応が遅れていたら確実にやられていた。 だが完全に避けれたわけではなかった。左腕が‘ぜったいれいど’の攻撃に僅かにかすり、空気が凍り始め左腕が氷の鎖に繋がれたように壁から身動きがとれなくなってしまう。 それでも全身から避けきれただけまだマシな方だが、自由を奪われたという意味では非常に危険な状態だった。 「な、何なんだよこの攻撃……グラキエス……」 不気味なほど心の奥でゾッとした攻撃だった。真に相手を仕留めようとする一撃必殺の本当の攻撃というのを間近で体験した。 あんな攻撃を一度誰かに放てば、それだけで簡単に氷付けになる。まともにくらえばそれでおしまい。まさに恐怖の代名詞とでも言うべき恐ろしい技である。 これほどの攻撃を繰り出せるのだとすれば、確実にグラキエスも自警団の一員ということになる。あの大人しい性格のグラキエスがシックルの自警団の一員など考え付かなかったが、氷像の仕業からジュゴンのような氷タイプしか成しえない技。 他にこの屋敷にいる氷タイプの使用は皆凍らされていたのだから、あのグラキエスで間違いないだろう。 シックルだけでなく、あのグラキエスにも対抗しないといけないということになる。これはアルアが思っていた以上に苦戦を強いられそうな戦場らしい。 左腕が凍らされて身動きが取れないが、ここからなら氷像の中が見える。先ほどの‘シザークロス’で視界がぼやけているが、誰がいるのか確認しないといけない。 「!」 うっすらとだが中の姿が確認出来た。だがそこには信じがたい姿が目に映った。にわかには信じがたかったが、それが頭の中まで伝わってしまった。 「ク……クゥ!!ポルン!!」 氷像の中には静かに目をつむった状態のキュウコンとエーフィがいた。飽きるほど毎日のように見るその腹の立つ顔つきは、死ぬまで忘れないに違いない。傍から見ればかなりの別嬪どころだと言われるクゥヤと、初対面ながらも、その前を向こうと一生懸命な所がとても凛々しいと感じたポルンがそこにはいた。 しかもポルンはクゥヤと違い、持ち運びが出来るように球体の氷の中で凍らされていた。恐らく事が済んだら、速やかにポルンを運べるようにしているのだろう。どこまでも用意のいい陰湿な自警団と思う。 「ふん、そこのキュウコンも、グラキエスの前では歯が立たなかったからな。所詮旅の放浪共の実力など自警団の訓練した者には敵わない」 あのクゥヤがやられたのか。アルアが大丈夫だろうと思っていたクゥヤの情けない姿を身動きの取れない自分が見てしまうとは。本人なら「おあいこだねー」と冗談交じりに笑うも、その言葉さえ凍結してある。 まるで冷凍で保存してあるようなその場の空気が止まっているかのように、まるで幻覚でも見ているようなその状況に、アルアは歯を食いしばった。 まるで時が止まったかのように冷気が身を凍らすくらいに伝わってくる。クゥヤももしやこれにやられ氷の姿にされてしまったのだろうか。 シックルのあらゆる者を見下すあの目つきに、怒りが込みあがってくる。 この光景を見てもう黙ってはいられない。クゥヤとポルンがこうなってしまっている以上、この場から自分が逃げ出してはならない。ただ唯一の仲間がこのような状況に陥っている今、アルアの感情は大きな炎が燃え上がろうとしていた。 だがそれにはこの氷の楔を何とかしなければ。力付くで解き放とうとも、頑丈でびくともしない。牙で砕こうとしても、とてつもない氷の冷たさに牙が耐え切れない。みずタイプのはずなのに、氷に耐え切れないとはあのグラキエスの氷というのは相当鍛え上げられ放てるものだろうか。 「フンッ、邪魔が入ったが俺が狙っている獲物はお前だ。ブロンデー」 アルアから目を反らし、シックルの攻撃で体力を大幅に削られたブロンデーに近づく。全身に強いダメージを負い、意識を失ったブロンデー。今は動かない人形のようなもの。だがそんな姿を見てもシックルの眼は依然としてドスの利いた色をしていた。 「おい……!やめろ!」 「お前はそこで黙っていろ!その口さえも凍らせたくなければな」 アルアの声はシックルをより触発するだけだった。それに今の言葉、先ほどもそうだったが、まるでグラキエスを自分の手足のように扱っているような口調。グラキエスを道具として見ているような、そのような怒りの込み上がる言葉だった。 そして動けないブロンデーにシックルはお構いなく、攻撃を繰り出す。 「ブロンデー!」 ‘きりさく’は鋭い弧を描きブロンデーに命中させる。キレのあるシックルの鎌の攻撃に予想以上のダメージを負わせ、意識を失っているブロンデーは目を覚ますはずない。 「いつの状況もお前の顔を見る度、兄貴の事を思い出す。胸の内から悲鳴を上げたくなるような痛みがいつも湧き上がっていた……」 両鎌に力を溜め連続で斬りかかる。まったく隙のない‘れんぞくぎり’の強襲にブロンデーは成すすべもなく攻撃を受け続ける。 「お前の存在全てが邪魔だった。あのエーフィを守る義務などどこにある?あいつはいつも自分で行動を起こしていた、常に何かを考えている風な感じだった。それをお前はただ自己満足で世話してるだけだろ?それがいつもいつも目障りなんだよ!」 「おい……おいやめろシックル!それ以上傷つけたら!」 アルアの叫び声など耳を貸す仕草を見せない。ただ目の前の仇にしか目を向けていない。「ここで……ここでお前を始末すれば兄貴の無念も晴れる!どうせお前のような手を差し伸べてくれるやつなんて屑野郎が生きていようと手を貸してくれる奴などいないからなぁ!」 最後に蹴りでブロンデーを壁に追いやり、気の済んだかのように溜め息を一つ吐く。だがシックルの様子が今まで以上におかしいと感じたのはこれからだった。 「これで……もうお前の顔をみなくて済む……やっとこの苦しみから解放されるんだ……ハハ……ハハハ……アッハハハハ!!」 両鎌をまるで死神の持つ鎌のように鋭くさせ、黒い閃光を漂わせる。次で絶つ、という狂った意志の表れでもある。 次にシックルの‘つじぎり’をくらえばブロンデーがどうなるか直感で分かる。虫の息のブロンデーに避ける力どころか、意識を保つ力をも失う。そうなると取り返しのつかない状況に陥ってしまうのは目に見えている。 「やめろ……」 目の前で何もしてやれずに朽ち果てるのを見ているだけなのか。 「やめろってんだよ……」 たかが氷に凍らされて腕が動かせないだけじゃないか。何度もがいても左腕はびくともしない。まさに万事休す。最悪の展開に染まろうとしている。 「やめろっつってんだよおおおぉ!!」 非力なんて言葉で済めばいい問題じゃない。奴に対抗出来る力が必要だった。 昔から喧嘩早いところがあって度々それを指摘されることもあった。 共に育った幼馴染と共に強くなっていった。 しかしそれは単なる遊びに過ぎなかったのか。 いや、そんなことはない。 共に過ごした時間は無駄なんかじゃない。 自分の記憶の中にはしっかりと刻まれている。 死にもの狂いで助け出そうとしたアイツの事も思い出させてくれる。 そうだ、あの頃から強くなろうと決めた。 目の前で困っている奴を助けるには、まず自分が強くならないと自分まで傷ついてしまうからだ。 もう誰も悲しむ顔を見たくないからだ。 (そうか……そういえばそうだったな……・) 何かが大きく渦巻くような感覚。心の奥底から熱いマグマが勢いよく湧き上がるように、途方もない感情が脳裏に焼き付く。 視界は真っ暗で何も見えない。しかし体が軽く感じる。冷たい感触から、自分は水の中にいるのだろうか。 それにしては何か違う。エラ呼吸をしなくても済む感じに、大きな違和感があった。ここは水の中じゃないのか。 そんな深い闇の中、一つ大きな光の影はうねりを上げ上昇する。真っ暗で何も見えない中をもがき、ただ光ある方へ。 何も語りかけず、ずっとこちらを見つめる影にアルアは何も考えなかった。見とれていたのか、恐怖で縛られていたのか分からない。だが直感で感じた。この影は見たことがある。自分の中で何か、大切な、とても大事な存在だと。 (ぐっ!) そして光の陰は自分の中に吸い込まれるようにこちらに向かって来る。その光は、とても暖かくて身を溶かしてしまうかのような。体の芯まで力を抜けさせてくれる暖かな影は、やがて全てがアルアの全身に染み渡っていた。 (あったけえな……この温もり……見ていてくれてんのか……) 突然語りかけてくる声にアルアは目を見開いた。聞きなれない、野太い声だが、何故か赤の他人という感じはしなかった。 (そうだよ……何のためにオレは……これ以上あいつを好きにさせる気はねぇってか?なら思いきり暴れろってか?今目の前にいる守りたい存在を手放すなってか?……好き勝手言いやがって……) 言葉は自分の心の中で鈍く光っていた。神秘的な光がどこか魅力的でいつまでも見ていたいという気にさせる。 そして右腕にかけられた、腕輪になった‘ぎんいろのはね’が、自分の鼓動に共鳴するかのように羽根に光が宿る。 その光は腕を伝い、肩へ、左腕へ、全身へと 光は辺りの闇を照らし、水面下に自分の顔が映る。まるで別の誰かを見ているような感覚。 『かつてお前と共に歩んだ者と同じ鼓動を受け継ぐ者ならその限界を超えてみろ』 意識はそこで取り戻した。今まで自分が何を見ていたのか、誰と会っていたのかもう覚えていない。 体中から湧き上がる心の鼓動にじっとしていることが出来ない。頭では考える必要などない。心と直感で何をすればいいか勝手に体が動く。 そして決して引き離せなかった左腕の氷を無理やり腕の力だけで破った。冷たさを感じる暇もない。あれだけ苦労した氷の鎖がいとも簡単に砕け散った。 足は自然とシックルの方へ向いていた。‘アクアジェット’を繰り出し、これなら充分に間に合う。そう確信を持った行動は、その自分でも感じたことのない瞬発力で一気にブロンデーの元に辿り着く。 そこでシックルの‘つじぎり’を右腕で弾き、ブロンデーへの攻撃を間一髪で防いだ。 「何っ!?」 一瞬の出来事にシックルは何が起こったのか戸惑いの表情を見せる。更に、技も出さずに攻撃を防いだというのか、そう思わざるをえないアルアの立ち回りにシックルは目を見開いた。 「こいつがずっとひとりだ?」 防いだ鎌を退ける。そしてアルアは目を閉じる。 「ポルンはブロンデーを心から思っていた。そしてブロンデーは不器用ながらもポルンを大切に思っていたんだ」 グッと拳を握りしめる。 「ひとりなんかじゃねぇ!こいつには、ずっと、ずっと考えてくれていた相手がいる!誰かに手をかけても、それでもずっと信じてきたんだ!」 今日までその心は本物だとアルアは知っている。変わりのないポルンの気持ちを直接耳で聞いたのだから。 「ずっと感じている久遠の思いと意志、お互いに理解しあっているなら言葉にする必要なんてない。シックル、おめーが殺された兄の仇だろうと、ましてや自警団だろうと関係ねぇ!どんな理由を付けようともな、こいつにはポルンという大切な存在がいるんだ!守るために汚した手は報われることはないかもしれねぇ、けどポルンはそんなブロンデーをずっと信じてきているんだ!そんな思いをオレは主張したい。気付けよ、仇を恨みで晴らしても何も得られないんだよ!隊長の角印を背負ったおめーなら分かるだろうがよ!シックル!!」 感情を爆発させて叫ぶ。その時、アルアの両ヒレが青白く輝きだし空気の渦が出来る。それだけではなく、腕から逆手にヒレが銀色のオーラを漂わせながら伸びる。長さは裕に元のヒレの三倍近い。フローゼルとは思えないそのヒレの威圧感に場の空気は重圧がかかるかのような雰囲気があった。 眼は深海の奥底を思わせるような深い蒼の色をしていた。いつもより澄んだ色をした眼の輝きは、普段の口の悪いアルアからは想像もつかないほど綺麗で凛としている。 そしてヒレの刀をクロスさせると、より輝きが増す。雰囲気ががらりと変わったアルアは、真っ直ぐとターゲットをシックルに向けていた。 「その目……」 普段から目つきが鋭いアルアだが、更に鋭さがより増していることにシックルは気付く。そしてその瞳の奥から発する鈍い光り、そして一気に変形したヒレに興味を示した。 「クッ……ハハハ、心か。お前は心の底から力を爆発させたというわけか」 この状態はアルアの感情そのものを具現化させているとシックルは推理する。これほど感じたことのないオーラと気迫に、シックルは不敵な笑みをも浮かべる。 「面白いじゃねぇか……」 先ほどまでの恐怖心はまだ若干残っているが、それ以上に興奮する闘争本能がアルアの中で大きく燃え盛っていた。 足を一歩踏み込みシックルに進撃する。防御の構えなど考えず、ただ真っ直ぐと敵を見ていた。 鎌とヒレが交差すると衝撃波が周りの空気を震え上がらせる。二匹の 「ハンッ、所詮はその程度か!どうした、まだ半分の力をも出していないぞ?」 力では負けているが気迫で押している感じがする。このままではただの力比べではやはり勝てない。アルアは鎌を受け流すと、そのまま左手に込めた‘れいとうパンチ’で先制を畳み掛けようとした。 しかし簡単には流れに任せられない。シックルも‘れいとうパンチ’を受け流してアルアのふところに鋭い鎌を入れようとする。 だが自分でも驚くほどアルアは冷静になっていた。何も考えなくても見える。シックルの攻撃の軌道が、鎌がどこを狙っているのか心の眼で分かる。 「何っ?」 僅かな時間の中で駆け巡る脳内の情報に適切に対応し、アルアはシックルの鎌を素手で受け止めた。 そしてそのまま、鎌を鉄棒のようにして飛び越え、シックルの背後を取った。 背後に回れば反撃あるのみ。尻尾に多大な力を溜め、アルアの二股の大きな尻尾が水をまとい青白く輝きだす。力を存分に蓄えた‘アクアテール’で、シックルを前方の壁へと突き飛ばした。これまでで一番手応えのある一撃に、確かな核心を持つ。限界すれすれのこの状況で、アルアは勝利の糸口を見出せていた。 もちろんシックルもこの一撃で倒れるような者ではない。‘アクアテール’のダメージに加え、壁に叩きつけられていても、まだ立ち上がる。まるでパッチールのようにふらふらした動きでアルアを睨みつけた。 「ふん……ブロンデーの他にこんな化け物染みた奴がいたなんてな」 落ち着きがいいというか、アルアからは感情の波が見えない。心の全てを力に変えているのか、その波が確認出来ないだけなのか。 「……何故なんだ……」 今までにない暗い声にアルアは反応する。そのままシックルは立て続けに声を上げた。 「何故そんなやつを庇う……そいつは俺の兄貴を始末した極悪もんなんだよ!お前はそんな奴に味方するのか!?」 怒涛とも言える激しく感情を震え上がらせるシックルの言葉に、アルアの表情はより険しくなっていく。そしてヒレの銀色のオーラを激しく燃え上がらせ、口を開いた。 「勘違いするんじゃねぇぞ。誰が善で誰が悪かは自分で決めるもんだろーが。オレの今の悪はポルンを浚ったおめーだ。オレが味方してんのはポルンだけだ。その延長線上でブロンデーを助けちまうかもしれねーが、今は関係ねー!」 銀のオーラを存分に巻き上げシックルを睨む。声を上げる度にアルアの感情をシンクロするかのようにヒレの輝きは増す。 「確かによ、一度道を踏み外した奴はもう二度と戻ることは出来ない。だがそれは、踏み外しちまったもんはただ戻るんじゃなくて、そこでまた戻るために道を創るんだ。外しちまったことに気付いた奴は、何が何でもまた戻るために努力しなくちゃいけねぇんだよ」 この大陸を旅して分かったのは、結局は自分で判断するしかないということ。他者に任せても、それは自分にとって良い結果など何も帰ってこない。自分で判断し、道を創る。それは基本的なことでとても大事なことだ。 ブロンデーはポルンを守ることに執着しすぎて道を外してしまったのかもしれない。しかしそんなブロンデーも必ず道があるはずだ。ポルンが隣にいるということに気付けば、絶対に光ある方向に向かっていける。フローガもブロンデーを陰で支えているのだ。ひとりじゃない。必ず周りには自分を支えてくれる奴がいる。 その僅かな可能性を信じるのは悪い気分じゃない。アルアも思っている、その可能性にブロンデーを引っ張り込んでやりたいと。 「しゃらくせえ……綺麗事ならいくらでも言える。他者の真の気持ちも分からないお前のような奴からそのような口を訊かされるなんてな。反吐が出る」 声にならない声だった。アルアの言葉はシックルの言葉を宥めるどころか傷を深くえぐるように痛みを与えていた。 「もういい……俺の心に傷をえぐるような奴は……皆殺しだ」 逆鱗に触れたシックルの表情は禍々しいほどに憎しみに満ちていた。痛みを伴うような激しい感情にアルアは目つきを鋭くする。 「なに言ってもまともに聞いちゃくれねぇか……」 一言アルアは不機嫌に呟く。何も聞き入れなくなったシックルにはもう力で収めるしか方法はないと悟ったからだ。ならこの戦いに意地でも勝つしかない。限界まで力を振り絞り負かすしか道は無い。 「舐めんじゃないぜ……!」 これ以降アルアは口を開くことはなかった。100パーセントの集中を補うために余計な消耗は避ける。 狂瀾怒濤の如く、シックルの鎌が襲い掛かる。すでに容赦など斬り捨てたシックルの一撃には重い力が伸し掛かっておりまともに受ければケガで済むレベルではない。 だが自然とそれが怖いと思わなかった。体が心にシンクロし、反応する前に動く。体はもう本能と力で支配され興奮しているのに心はクールに、落ち着いていた。 微妙な温度差が絶妙のバランスと保ち、本能と意志が交差する。相手の動きに合わせ技が繰り出せ、シックルの動きが読める。 一発目の‘きりさく’と二発目の‘きりさく’の軌道が瞬時に読め、頭で考える前に体が動く。たった一つのラインが的確に分かり紙一重の所でそれらをかわすことが容易になっている。 その後の攻撃も同じように集中力を砥ぎ散らさずに軌道を読み、アルアは一瞬の隙を待っていた。 たとえどんな突破口の無い攻撃でも時が経てば必ず一線の穴というものは出来る。戦闘経験の豊富なシックルでも、境地に達したポケモンでもない限り会心の一点というのはある。誰かに聞いたわけでも知っているわけでもないが、アルアの本能という闘争心がそれらを理解へと導いていた。 そして何回目かの‘きりさく’を繰り出したその瞬間、シックルの動きが鈍る。何回も技を繰り出し体力が尽きた時だった。 体制を低くし、前屈みになったアルアはシックルの腹に狙いを定める。尻尾に水の力を溜め、付け根から中心に水の渦を造ると、そのまま前足を軸に回転しながら尻尾を腹に向け一気に‘アクアテール’を繰り出した。 (コイツ……何て集中力だ……っ!) そう思わせるには遅い。反応したころには対策すら考える暇も与えずに、シックルは‘アクアテール’の威力に空中へ弧を描きながら後方に突き飛ばされる。 だがアルアの本能はこれで終わらせるなと囁いていた。すでに‘アクアジェット’で素早く接近し、第二の追撃へすでに技を構えていた。 ‘アクアジェット’の勢いそのままに、自分が飛ばされないよう足に力を籠め、‘れいとうパンチ’をシックルの懐狙いを定めた。 刹那に一呼吸、歯を食いしばり重い拳に冷気を溜め力のある限りの‘れいとうパンチ’を突き出す。空中でヒットさせた拳は勢いそのままに体重をかけ、今持っている全ての力を振り絞った。 シックルは氷の感触を感じる前に天井に体を叩きつけ、地上へ落とされる。2度3度衝撃を受けた体は、一瞬で体の節々に痛みを負い体力も残り少なくなっていた。 重い一撃を受けたシックルは足をふらつかせた。あまりの速さと勢いに自分のプライドはもはや崩壊寸前。 一斉に優勢を敷いていたシックルの表情が徐々に曇り始め、アルアのポテンシャルに酷く驚いていた。 最初はまるで赤子の手を捻るような貧弱なはずだったのに、今は逆に自分が弄ばれているかのように相手のペースに飲み込まれている。恐ろしいほどシックルの攻撃を見切り、一点に集中を込め繰り出した技。あのうみイタチポケモンは、すでにフローゼルという種族を超えようとしているのかもしれない。 激しいながらも、落ち着いたその振る舞いはまるで海のように。時に柔らかく時に激しい波を打つかのようなアルアの感情は今の全てを飲み込むかのように。 「ぐっ……くそっ!」 状況はさっきと全く逆転している。今から元に戻そうとしても波に乗ったアルアの進撃を止めることは困難に近い。もはや悪足掻きでもしているかのように全ての動きがおぼつく。 息を上げるシックル。あの連撃を、次まともに受けてしまったら今度はない。近距離からではとてもじゃないが応戦するのは厳しい。ならと、距離を置き‘かまいたち’でシックルはアルアに攻撃を仕掛ける。 真空を裂く‘かまいたち’で隙を作り、リズムに乗せない作戦だった。だが、 「何っ!?」 勢いとキレはまだあったはず。それなのにヒレの刀で‘かまいたち’の渦を弾き返した。とてもじゃないがそんなことをして自分の体が大丈夫なわけがない。だがアルアはやってのけた。今目の前で自分を凌駕することを行ったのだ。 「隙ありだ」 ‘かまいたち’を放ったシックルの一瞬の隙。これまで仕返しと言わんばかりに、アルアは仕掛けた。鎌の切り上げと同時に瞬時にシックルの懐を狙い、ヒレの刀を斬りつけた。重い一撃が二度繰り返し、シックルに衝撃を与える。 (捉えた……!) それだけではない。アルアの周りを覆っている銀色のオーラが一か所に集まり、アルアの背から翼のようなものがほんの僅かだが目に映った。気のせいと言いたい所だが、まるで空を舞う鳥のような鮮やかな動きから連想させる刹那の技はシックルの戦いの目には見えていた。 「何だ……今の……とても普通じゃねぇ……」 幾度の戦いをくり抜けて来たシックルすら見切れなかった‘ダブルアタック’のダメージに膝を崩す。そのチャンスに、アルアは目を光らせ一歩踏み込んだ。 動けないシックルに鋭利なヒレの刃でトドメを繰り出す。あのヒレで急所を狙われたらひとたまりもない。窮地に追い込まれた状況だが、シックルに恐怖はなかった。これで兄の後を追えるのかと考えたら、そこまで未練な無かったからだ。 だがそんなシックルの覚悟とは裏腹に、首元でアルアのヒレはストップした。目の前で銀色に光る青いヒレに迫力は相当なものだ。 「お、お前……」 いったいどういうつもりなのかと、言いそびれる。アルアはヒレを首元から離し、一歩退いた。 「これ以上オレが叩きのめしても意味ないからな。それに、オレはブロンデーみたいに誰かの命を奪うほど度胸ないからな。死にたきゃ自分で首でも斬れ、アホ隊長が」 腕のヒレを背でクロスさせると、まるで背中から青白い蒼牙の羽が生えているかのように見える。ぼんやりと視界がかすんでそう見えるだけなのかもしれないが、シックルにはその光景が力強く印象に残っていた。 情けをかけられたのが相当悔しかったのか、シックルはその場で無気力にへばりつく。苦い表情を浮かべ、体中の力が入れたくても入らなくなってしまった。 「さて……」 息を切らしながらも、アルアは限界ギリギリの勝負に一手を打つことが出来た。体のあちこちが悲鳴を上げている。今は精神的に体を支えているのだから、こうして立っていることが不思議なくらいだ。自分もいつ倒れてもおかしくない、だがまだやることは残っている。 次にアルアが目を付けたのはクゥヤの氷像の前に立っていたグラキエスだった。 「っ……!」 シックルを追い詰めた相手にグラキエスは恐怖の表情を浮かべた。青白く輝くヒレの刃を向け、アルアは近づく。隊長を倒した相手に、部下の自分が勝てるはずがない。何をされるか分からないその威圧感に反撃の態勢すらもつくれなかった。 「グラキエス、この氷を溶かしてくれ」 「えっ……?」 恐怖に慄き言葉が上手く聞き取れなかったのか。どうすればいいか分からない仕草をとる。 「こいつらを解放してやってくれ、頼む」 アルアの瞳にグラキエスの表情が映った。 いつものようにグラキエスはシックルの方を見ようとした。けど、長いアルアのヒレに視界は遮られ、シックルを確認できなくなってしまう。グラキエスの視界には傷だらけのアルアの姿しか目に映らない。 「あのヤローにばかり頼ってていいのか。おめー自身、どうしたいか分かっているだろう。こんな屋敷の使用たちに酷いことしやがってよ……屋敷の使用たちを凍らせたのもおめーだろ」 あんな強力な氷技を使うことの出来るのはジュゴンのグラキエスしかいない。クゥヤの氷像を触っても何ともないグラキエスを見る限りそれは明らかだった。 「グラキエス、おめーの意志で判断してみろ。本当こんなことがやりたかったのか?自分が何をしたのか、それを含めおめーの心で考えろ。こんなオレの言葉をどう受け止めるか、それを含めてだ」 険しい表情もアルアの言葉はグラキエスの心の奥底まで響いた。 自分の気持ちを、正直な、だれにも指図されない心の奥底にある感情を。 自分はこんなことをしたくなかった。こんな強引なやり方で許されるはずがない。 自分の優しくしてくれたクゥヤをこのような目に合わせ、後悔ばかり押し寄せていた。そんな簡単な気持ちさえも自分は押し殺していた。 やり直したい、だがそんなことは不可能だ。一度訪れた『過去』をなかったことには出来ない。たとえ時の神が許そうとも歩んできた道は許してくれない。 後悔と念、恐怖が感情になって湧き上がり、目に涙を浮かばせた。分かっているじゃないかとグラキエスは自分に言い聞かせる。 「わたしは……信じてくれたクゥヤさんを裏切ってしまいました。でも、本当はこんなことしたくなかった。本気で信じてくれたクゥヤさんを裏切ってしまった!でも、でもこんなわたしにもう一度チャンスをくれるなら、やり直したい!変われるなら、変わりたい!動かされるのではなく、自らの意志で決めたい!」 心の叫びというのは痛いものだ。ましてや自分の気持ちを押し出すのが苦手なグラキエスにはとてつもない痛みだろう。 だがそんなグラキエスだから、越えなければならない。心の壁を打ち破ったグラキエスを見て、アルアはニッと笑みを浮かべる。その表情を確認したグラキエスは強く頷いた。そして氷の塊に自分のヒレを当てると、徐々に氷が溶けていく。 溶ける、というよりも氷が消えていくという表現は少しおかしいが、まさに氷は空気の如く消滅していく。‘ぜったいれいど’の氷というにはそのような仕組みなのか、はたまたグラキエスの特殊な力の技なのか。 二匹は極寒の氷から解放され、目の前でぐったりと倒れ込んだ。 長い時間氷の中に閉じ込められていたのか、体力が大幅に消費していた。ポルンの方はまだ意識が戻っていないが、体力のあるクゥヤの方はすぐにアルアに気付いた。 「うっ……遅いよ、アル……。もう少しで風邪ひくところだったじゃない……」 「馬鹿言え、ヘマしたおめーに何も言われたくないがな」 いつもの口調を聞きどうやらクゥヤは大丈夫だな、とアルアもいつもの口調で接する。聞き慣れた声にアルアの表情も少し緩んでいた。 水しぶきを体を震えさせ飛ばすと、金色の美しい毛並が元に戻る。炎タイプ故に乾くのは早い。 まだ体はフラフラしているが、表情の方は次第にはっきりとしてくる。どうやらそこまで心配する必要はなさそうだ。共に旅をしてきた縁のような関係なのだから、クゥヤについてはもう大丈夫だろう。 「聞いていたよ。ふふ、いい目をしているよラキ、今までの自分を振り払って、本当の自分をしっかりと見ているね。例え自分の行いが間違っていてもね、自分がやり直したいと思った時からもう変わっているんだよ」 クスリと笑うクゥヤに、グラキエスは自然と笑みがこぼれた。嗚呼、本当にこの方は何て綺麗で凛々しいんだろうと。太陽の如くその照り刺すような笑みは、グラキエスの心の内まで光は届いていた。 「クゥヤさん……でも、わたしはあなたに胸を張って言えない。あなたの気持ちを裏切ってしまった事実は変えられないです。あなたが許しても、わたしが許せそうにないですから」 だがグラキエスにその光は眩しすぎる。真っ直ぐにクゥヤを見られない。その光に慣れるまでは少し時間が必要だ。 「けど……もう逃げない。わたしはわたしの意志で、これから歩いて行く。それが少しでもわたしの償いになるなら……どんな痛みにも耐えていくんだから……!」 そしてグラキエスはシックルに駆け寄る。シックルを見る目にもう恐れはない。真っ直ぐと、自らが敬う隊長としての仲間を見る目だ。 「大丈夫ですか?隊長。すぐにケガを治療して――」 「……くっ……!」 しかし差し伸べるグラキエスを払いのけ、突き飛ばす。そして表情を隠すように、シックルは部屋を飛び出していった。 茫然とするグラキエスだが、振り返る瞬間に見えたシックルの悲しい表情に複雑な気持ちになる。あの表情が何を意味したのか、想像するには容易い。 「追いかけなくていいのか?」 「……恐らく気持ちの整理が付いていないでしょう。自分の仇をとれず、アルアさんに負け、しかも部下である私の前で無様な姿を見せてしまったのですから。今はひとりにさせてやっておいてください。もう……シックル隊長からはおかしなことはしないと思いますから」 自分の行った数々の業に向き合ったのだとグラキエスは思った。ただ自分の私恨で動いていたことに気付いた、しかし完全に割り切るには時間が必要なのだということだろう。 「そうか。おめーもいつもよりすっきりした表情してんな、グラキエス」 「はい、もう何もかも吹っ切れました。今まで酷いことしてきたわたしですが、それを償うよう、隊長にも付き添っていきますよ」 ひとつアルアは返事をすると、緊張の解けたのかヒレを元に戻し体の力を抜く。すると倒れるように壁にもたれた。 「ア、アルアさん……!?」 「ははっ……どうも体が言うことをきかねぇな。まるでなんせボロボロの状態でシックルに挑んだようなものだ。」 限界寸前で戦いを行ったからにはそれなりの代償はある。すでにアルアの体は痛みという領域をもろに越えていた。 普段あのようなキレた動きなどしないアルアにとって今回の戦いは命を糧としての戦いだった。自分の力を限界まで引き出し惹き寄せた勝利は本人にとってはいい味とはいえない。 掴み取った結果よりも、自分の身体の悲鳴のほうが大きいからだ。 「っと、それよりポルンとブロンデーの野郎を治療しないとな」 「あなたもね、アル」 命がけで食い止めてくれた旅のポケモンにより、ひとまず屋敷の事件は一旦幕を下ろされた。 ---- シックルにやられ、気絶したブロンデーが次に見た光景は夕日の照り刺さる小さな部屋の天井だった。藁の布団の上で目が覚める。 「……生きてる……ということは……」 何かしらの進展があったということだろう。自分は助かった、そしてここにいるということは悪い結果にはなっていないはず。 「……ポルン……!」 だがそれよりも気になるのはポルンの安否。目の前で凍りつけにされ、嘲笑うかのように激昂するブロンデーを叩きのめしたシックルが頭の中に浮かぶ。完全に理性を失ったのを皮切りに、相手のペースに持っていかれ不甲斐ない結果に終わったことに悔む。自分がもう少ししっかりしていれば、ポルンをあんな目に合わせなかったという後悔を共に。 「ポルンならだいじょーぶだよ。今は安静にしているから」 後方から聞こえた声にブロンデーは振り向いた。本能的にその言葉に体が動いた。 だが、目の前にはキラキラと輝く赤い瞳と光を屈折させる黄金の毛並。 「おっ」 「……!」 目を覚ますや否や、いきなり目の前にキュウコンの姿があれば誰でも転げるだろう。そう思いたいと願うブロンデーだった。 「アッハハ、案外目覚めるの早いと思ったら案外可愛い仕草するじゃん」 「いきなり目の前に現れておいてその口か。……何なんだよ」 どうやらドッキリは苦手のようだ。ブロンデーのぎこちない表情が語っている。 「それよりポルンは……」 「あーはいはい、ここだよ」 クゥヤの長い尻尾を退かすと、暖かいわらの上で寝息をたてているポルンの姿。どこも異常の無いポルンを確認してブロンデーは安堵の溜め息を吐いた。 「だいぶ体温は下がっていたけど、すぐに回復したから何も心配ないよ。強い子だね、ポルンは」 「……」 無言を貫き数秒の沈黙が走った。このような無音の空間が苦手なクゥヤは我慢出来ないのかこちらから口を開いた。 「ところでそっち、もう体は大丈夫なの?シックルに随分と痛めつけられたじゃない」 くいっと首を傾げクゥヤは特別心配するような表情もせずに言う。 「あれは……俺が油断していただけだ。本当ならあんな奴、手こずる必要ない」 「強がっちゃってさー。……ま、シックルにポルンを盾にとられていたんじゃあ仕方ないよね」 「なぜそれを知っている」 「あなたが眠っている間、色々聞いたのよ。アタシも氷付けにされていたから、アルに助けられるまでどういう状況だったのか殆ど知らなかったし」 クゥヤはニヤっと妖しく笑った。シックルがこの事件の主犯と判明し、怒りを露わにしたブロンデーに付け入るように、シックルはポルンを利用してブロンデーの戦意を奪った。最も守るべき相手を盾にされては手も足も出ない。卑怯とも言えるべきシックルだが、まともに相手しては埒が明かないと判断したのだろう。 グドの言っていた、どれだけ犠牲が出ようとシックルは計画を遂行させるために、時には強硬な手段をとるという話はこのことなのだと。 「そういえばそうだったな。ったく、お前らが勝手なことしやがるから面倒なことになってしまったんだからな」 「それはあたしからも謝るけどさ。あなたも他者のこと言えないんじゃないのブロンデー。感情に任せてシックルにボコボコにされてよく大口叩けること」 無自覚なのか、自然とキツイ言葉を発するクゥヤにブロンデーは目を反らした。 「見た目通りなかなかしゃくに障ること言ってくれんじゃねぇか。見た目に及ばず生意気な口だな」 「どういう意味かなぁ、それ」 ふん、と鼻で笑うブロンデーだが、決して無視出来ない言葉に口を噛んでいた。アレは自分のミスなのだと、もっと冷静さを保っていればポルンを救い出せたんじゃないかと。 あらゆる失態は自分の責任。守るべき相手を守れなかった罪がブロンデーの背中に、重く伸し掛かっている。 「あのフローゼルが……シックルを退けたんだよな」 「ええ、そうよ。アル――アルアが今回の騒動を治めてくれた。文字通り、命を懸けてね」 相変わらずの柔らかい口調だが、芯のある強い言葉。全てをアルアに任せてしまった悔いが僅かながら感じられていた。 「俺が……退けられなかったあいつを負かすなんてな、見た目によらないってか」 「確かにね。アルは子どもの時に少し訓練を付けてもらっただけで、そんな特別に戦いに備えて鍛えてはいない。でも、それを補うように、アルは強い精神力を持っているからね。どんな時も、最前の方法を探して相手に立ち向かう行動は、見ているこっちもひやひやさせるけどね」 そうでなければあれほど落ち着いて修羅場に出くわすことは出来ない。数々の経験がアルアを少しずつ育てているのは共に旅をしてきたクゥヤもよく知っている。 思えば随分と時間が経ったのだなぁ、とクゥヤは目を細め思い出に浸っていた。 「ずいぶんとあいつのことを分かっているんだな」 「そりゃなんだかんだでずっと旅してきているもの。その点はあなたもおんなじなんじゃないのブロンデー」 ポルンの事を言っているのだろうか。ブロンデーもポルンとはずっと旅をしてきていたが、クゥヤたちとは違う。言葉から感じ取れる、形には現れなくても互いに伝わっているものがある。ブロンデーにはそれが羨ましくもあり、輝いて見えていた。 「俺は……お前たちとは立場が違う。一日一日を死にもの狂いで生きていたんだからな」 「そりゃ必死なこと。ポルンはそんな感じでもなかったけどね。一緒にいるだけで特別な事がなくても幸せそうだった。立場なんて、そんなの個々の幸福の差にはなりゃしない。絶対的な幸せなんて、そんなの誰にも得る権利はあるのだから。ホントはあなたも気づいているんでしょ、ポルンの真の気持ちが」 返す言葉が見つからずブロンデーは口を開かなくなる。ピンポイントに貫くクゥヤの言葉は痛々しく、けど誰かに気付いてもらいたかったという願いが混じり合い複雑な心境の内になった。 「……何でお前たちは俺の癇に障る言葉を連ねるのか。つくづく腹の立つ奴らだ」 眉間にしわを寄せクゥヤを睨む。鋭い眼光は見るものを恐れ慄かせるが、クゥヤは平然とその目を見つめ返す。 そしてしばらくして、ふっとブロンデーは息を吐く。 「だが……そんな憎いお前たちに簡単に見透かされる俺が、一番ムカつくんだがな。まるで変わっていない……あの時から俺はたった一匹のエーフィを守るために全てを犠牲にしてきたつもりなのに、何も賭けていなかった。その結果がこのザマとは、まさに因果応報だ。もっと……もっとそのことに早く気付いていれば、こんな面倒くさい事態には堕ちいらなかったのにな……」 そうして力なくブロンデーは背をもたれ、全身の緊張を抜く。全てのしがらみを解いたかのように、無気力な表情で窓の外を見つめていた。 (何も変わっていない……いや……寧ろ悪化している……いったい俺は……どうしたらいいんだ……) 目の前の光すら見えないブロンデーにとって、その現実は大きな壁となっていた。今までしてきたことは誰のためでもない。ポルンを守っているつもりがこんな危険な目に合わせてしまった。そのことを悔やんでいた。 荒野の先に沈む夕日を見つめ、これからどうしたらいいか頭の中は真っ白になっていた。 「それよりあなたケガの方はもう大丈夫なの?痛むとことか、起きたら確認してってフローガから頼まれているのすっかり忘れていたわ」 「別に。どこも違和感のある所はない。流石だな、アイツの療法はすでに使用のレベルを超えている。いつ実感しても奇跡なくらいだ」 「その割には渋い顔してるわね。お腹でも減ったの?」 「別に。今は……何もする気が起きないだけだ。ポルンが無事なのも確認出来た。それだけでいい……」 その後再びブロンデーは黙り込む。話す気すら失ったように窓を見つめたままクゥヤを視界から外そうとする。 これ以上話すことはない、という頑固な一面も垣間見える。無駄に口を開かない主義なのだろうが、その空間はクゥヤにとって居心地は悪かった。 一つ浅い溜め息をすると、立ち上がる。 波揺れる九本の尻尾が窓から照り刺す橙の光により美しさを増す。金色の体毛は夕闇の光によって一本一本が鮮烈に輝きだす。何かを閃いたかのように薄い笑みを浮かべると、 「んー?」 鼻と鼻がくっつきそうな距離までクゥヤが迫る。ゼロ距離で目と目が合い、束の間の沈黙。 赤く妖艶に輝く瞳はブロンデーを硬直させてしまうのは容易いことだった。宝石の如く見るものを虜にしてしまうクゥヤの目に、ブロンデーは大きく目を見開きそのまま背中から転び落ちた。 「な、なにしやがるんだ!いきなり!」 「なーんだ、毒気が抜けたら案外可愛いとこあるじゃない」 「なっ!」 不意に言われた言葉にブロンデーは頬を赤くした。別に意地悪で言ったつもりはなかったが、予想外の反応をするブロンデーにクゥヤはにやにやと口を吊り上げた。 「なーに?もしかしてこういう言葉かけられたこと無かったりしたりする?そんなわけ?」 「べ、別にそういうわけじゃない!ただ……そういう事に慣れてないだけだ……!」 これも彼の個性というものか。あの他者に向ける背筋が凍りそうな目つきのイメージとは大きくかけ離れた、彼の純粋な表情が今現れている。 一度ボロを出してしまった相手に付け入るのはクゥヤのお得意だった。自分のペースに持ち込めば手のひらの上に乗ったのも同然。 「口は素直なのね。そういうとこアタシは嫌いじゃないよ、嘘付く者より素敵だもん」 「とっつきにくい言葉だな……いったい何が言いたい?」 「いんやいんや、特に深い意味はないよ。あなたならどういう口説き方をするのかなという、少しの興味と好奇心」 「ふんっ……別にお前などにリップサービスをしたところで何もないだろ」 「酷い言葉ねぇ。それって……遠まわしにアタシが魅力ないということ?」 「はぁっ!?い、いや、別にお前に何も感じてないわけじゃない……メ、メスとしてはなかなか良いんじゃないか……」 「ほっほー。硬派な感じだと思っていたのに、まさかのムッツリだったとはこれまた意外」 「ぐっ!ぐぅ……っ、う、うるさい!何なんだお前は!」 「ただのキュウコンよ」 「そういう事を言ってるんじゃない!」 一度調子に乗せたクゥヤは相手を手玉に取るようにからかう。それにつられるように口車に乗るブロンデーはただ純粋な青年のように思える。使命させ取ってしまえばそこいらにいる普通のポケモンと同じ、何も特別なことはない。 口で反抗すればするほど、クゥヤのペースに持っていかれそうだ。頭の中では警告しているのに心がこの心地よさから離れようとしない。 まるで心を、精神がくすぐられるように異性を惹きつける魅惑がクゥヤにはある。甘い蜜を求めるむしポケモンのように、このままゆっくりと匂いに誘われる。 初めて対面したときは、何を考えているのかよく分からないマヌケなキュウコンだと思ったが、今は違う。 ポルン長い間一緒にしたが、その時では感じなかった。正常なオスなら無視できないこの色気の匂い。一度表に出せば虜にさせられる。魅力のあるキュウコンだからこそ敏感に感じる、メスという性の香り。 一秒が経過していく度に、鼓動が早まっていく感覚。なに自分は緊張しているのだと心に言い聞かせるが、本能がそれを拒む。 体感したことの無い、体が熱くなっていく様にブロンデーの戸惑いは大きくなっていた。 「おい、からかうのはその辺にしとけよ」 ドスン、と重い振動がクゥヤの頭に走った。後方から割り入るように現れた者は、水がたっぷりと入ったボトルを勢いよくクゥヤの頭に落とした。鉄球でも頭に落ちたかのように、重い振動が尻尾の先まで伝わり視界が反転した。同時に意識がほんの少しだけ吹っ飛んだ。 ハッと我に返ったブロンデーは、心をまさぐるように魅力のあった影の存在が一瞬のうちにいなくなることに目を見開いた。夢から覚めたような後味の残る出来事に平常心が揺らいでいた。まるで狐につままれたように自分は何をしていたのだろうと、ブロンデーは舌打ちをした。 「暇だからって遊ぶな。こっちは色々やることあんだからよ、たくっ……」 そうして水を持ってきたアルアは空になっていたボトルと自分の持っているボトルを入れ替える。衝撃がまだ頭の中で響いているのか、クゥヤは前足で頭を抱えながらのたれ回っていた。 この大混乱で屋敷の使用たちは傷を負い、ろくに動ける者も多くはない。少しでも動ける者は患者の手当てや片づけなどを迫られていた。 アルアも完全に傷は癒えてないものの、体力の回復した彼なら簡単な雑務くらいは行える。 二匹の間に息の詰まるような空気が流れた。一度戦い、充分な決着がつく前にアルアは逃避した。勝負は付いていないとはいえ、あの時は完全にアルアの敗北だった。 こうして真正面から話すのはその時以来。お互い様々な借りや因縁をこの短い間で痛み分けしているのだから、良い雰囲気で話すという方が難しい。 「こいつとそこまで口を訊けるならもう大丈夫のようだな。あれだけケガをしていた割に大した回復力だ」 「嫌味な言い方だな。不様な俺を笑いにきたのかよ」 相変わらず毒のある言い方にアルアは溜め息を吐く。ギスギスした表情だが毒はない。ポルンを救い、気持ち的にも余裕が出ているのだろう。荒野で感じた殺気はもうなかった。 「おめーはずっとポルンのために命賭けてきたんだってな。この屋敷に仕えているのも、その一つだってことを」 「俺がどういう状況で……ここにいるのか全部聞いたのか……」 ここまで事情に踏み込めば嫌でも入ってくる。今の状況はポルンを匿うためにブロンデーが渋々選んだ決断でのこと。自分では納得がいったかどうか、今ブロンデーの顔色を見ればそれは何となく分かる。 「確かにな、オレはおめーのことを全く理解してなかったよ。オレが想像していたものより過酷だったんだな。おめーは自分を犠牲にして、身を通して守ってきたんだろ。手を汚しても、ただ一匹の守りたい者を」 シックルの兄。それに手をかけた時からブロンデーは苦しんでいた。自分のしてしまった罪には逆らえない。だがそれを受け入れてでも、ポルンには決して汚すような真似はしたくない。葛藤がブロンデーを大きく締め付けていた。 「それが間違っているかどうかオレに決める権利はない。けどな、少しはポルンの声にも耳を傾けたらどうだ?ポルンはおめーの事を心底信頼している。本当に守ってあげてぇんなら、おめーももっと信じてみたらどうだ?」 アルアの力強い言葉に、ブロンデーはアルアの言葉に目を向けた。 「ポルンはおめーの思っている以上に強い。心が、誰かを思いやるという芯そのものがな。そんなすげぇ心を持った奴をそこまで過剰に保護する必要なんてないと思う。信じないのはもったいないぜ」 力の問題ではない。ポルンは見た目以上にしっかりしている。どんな苦難が待とうとも、ポルンはそれを受け入れる強さを持っている。そうアルアは感じていた。 ブロンデーがポルンを心配するように、ポルンもブロンデーを心配していた。自分の事で必要のないところまで悩んでいるのではないかと。それで無茶なことをするんじゃないかと。 自分一匹で全てを背負う必要はない。背負いきれない時は、誰かに背負ってもらったらいい。何もかも一匹でやり遂げようなど不可能に近い。ポルンはもっと自分を信じて、ブロンデーの業を自分も背負うと言わんばかりに信頼してほしいのだ。 ずっと一緒にいたのに、何故そのような簡単なことに気付かなかったのだと。一匹のライチュウに映る眼差しは今まで見てきた中でも最高の輝きを見せていた。 轟く稲妻は猛々しいほどに力強い、怒涛の光となり雷撃の閃光が厚い雲を貫いた。 「……不快だな。お前のような奴からそのような説教じみたことを言われるのは」 軽く鼻で笑いを漏らした。この生意気な口を持つフローゼルに言われたことが唯一の気に入らない点だった。 「けど……お前たちと出会って……ポルンは大きく踏み出したんだな。俺の知らない間に、こいつは俺より先を見据えているというわけか……」 そう言うと、ブロンデーは立ち上がる。傷の癒えてない包帯の巻いた体では動かすだけで負荷が掛かる。だがブロンデーはそのまま眠っているポルンを抱え始めた。 「何してんだ」 「……この屋敷から立ち去る。これ以上俺たちがここにいては迷惑がかかるからな」 ぐっすりと眠っているポルンを見つめ、ブロンデーは扉を開ける。 「まだケガが完治してねぇのに、無理しなくてもいいんじゃないか?」 「このくらいの傷、屋敷に仕える前までは日常茶飯事だ。どうってことはない」 多少強がったような口を効かせるが、何を言っても訊かないという頑固な口調。だが心配する程度でもないなと、アルアは「そうかよ」と一言察するように言い返した。 顔つきこそ険しいブロンデーだが、これまで見たことのない柔らかな表情でこちらを振り返る。何もかも吹っ切れた者の表情は今までの心配事を一気に吹き飛ばすかのようだった。 「アルア、お前とはちゃんと決着はついていないからな。また次の機会にとっておく。それまでに、俺の電撃を一撃くらい耐えれるような体になっておいてくれよ」 最後にアルアに一言を突き付けると、ブロンデーは目の前から去って行った。気のせいだと思いたい、アルアを獲物のような目で語るように発したその言葉は自然と体の芯から震え上がらせた。 「何だ、今物凄い寒気がしたんだが」 「よかったじゃない。何だかんだで、あなたに良い意味での闘争心を持ってくれたようじゃない。次出会った時が楽しみだね」 「二度と出会うことのないよう、まじないでも付けとくか?オレは絶対ゴメンだね、あんな化けモンみたいな奴とか」 「ブロンデーが勝てなかったシックルに勝ったのだから、大丈夫でしょ」 「そんなオレが楽に倒したような口で言わないでくれ。オレはどうにもアイツが好きになれそうにないな」 「やだなぁ、素直じゃないねぇアッハハ」 ケガをしてなかったら、今度はその腹の立つ顔に一発拳骨を仕掛けたいものだ。 しかし毒気が抜けても、ブロンデーの威圧感は相当感じるものがあった。あれが素のブロンデーだとしたらと考えてもゾッとするものがある。 一度ブロンデーの電撃を受けた者だけが痛感する恐怖。この気持ちは二度と消えるものではないだろう。 だがいつかどこかで必ず再開する。確証など無いが、今はそんな予感がしてならなかった。 「しっかしシックルのあの半端ない力……思い知らされたぜ。誰かを憎む気持ちっていうのはあんなにも力を増幅させてしまうのか」 「うーん、でもあの感じ……『ただの』憎しみだけなのかなぁ……」 「何だ?何か言ったか?」 「ふにゃ?あ、いやいや、ずっと氷の中に閉じ込められていたからお腹すいちゃって」 「あ?何だそりゃ」 耳をパタパタさせクゥヤは愛想笑う。緊張感のないマヌケなクゥヤの表情はこっちまで自然と肩の力が抜けるほどだ。 ---- 絶えず笑顔の広がるこの空間。ずっと憧れていたものが今目の前にあった。 少し寂しい表情で、一匹のジュゴンは西日が眩しい、山の峰から照りつくテラスでたそがれていた。 「そっか……単純なことだった。それなのにまったく気がつかなかったなんて……」 夕焼けがいつもより綺麗に輝いて見える。いつもはこんなにも美しく見えなかったのに、何故だか今は心の底からすっきりした気持ちで夕日を見ることができる。様々な不安や痛みから解放され、何もかも清々しい。何年ぶりだろう、と穏やかな心でグラキエスは笑みを浮かべていた。 「改めて太陽の光は暖かいことが分かったでしょう、グラキエス」 「あ、フローガさん」 隣に付き添うように、フローガは夕日を見つめながらグラキエスに言った。すっかり体力の回復したフローガはいつになく清々しい表情で隣に付き添う。 「今回の事件……何とか解決できてよかった。最悪の結果に陥ることもなく、みんな無事に終わりを迎えてホッとしていますよ」 「そうですね……」 ただ自分は従うだけでしかなかった。結果誰かに大きな迷惑をかけてしまった。この失脚はずっとグラキエスの胸に刻みつけるだろう。 「けどこれで完全に終わったわけではありません。ブロンデーは私の幼い頃の友。その友が、あなたたちの親密な関係であるシックルさんの兄弟に手をかけてしまった。この事実は、私も深く受け止めないといけません」 フローガが気にしても仕方ない、と口を開こうとしたがグラキエスはそれが言いだせなかった。自分の中で何か複雑な思いが絡み合い、自然と引っ込んだ。 「シックル隊長のお兄様は、彼が一番尊敬していた方でしたから。その憧れの存在、そして無二の兄弟を一瞬で奪われた悲しみというのは、私の想像をはるかに超えるものだったということです。本当なら、部下である私が止めなければならなかったのですが……隊長に圧力を押され、自分を閉じ込めてしまった私が言う台詞じゃありませんね」 グラキエスも今回の事件についてはかなり責任を感じているようだった。自警団の仕組みは以前からややこしいと聞いていた。いったいどういう風になっているのか詳しく聞いてみたいものだが、そんな雰囲気であることは分かっている。 「私も、ただブロンデーから逃げていたに変わりありません。彼が迷っているのにそれになぜ声を掛けられなかったのか、それはブロンデーが何に悩んでいてどう解決したらいいのか分かっていたからです。掛けて上げる言葉がない、同情しても傷に触れるだけ。そうして刻々と時間だけが過ぎていき彼を次第に蝕んでいった。結局は真正面からぶつかるしかなかったのです。それをアルアさんがひとりでやってのけた。シックルさんの件もそうです。何故気づいていたのに止められなかったのかと」 「それは……わたしだって同じです。結局逃げていただけなのですよね。相手を傷つけたくないと思っていても、それはただ自分が傷つきたくないからなのですから。相手を救うというのは自分も同じ痛みを感じなければ本当の意味で助けてやることは出来ないのですね。アルアさん……あの方は本当にすごい方です。誰にも敵わなかったうちの隊長をあそこまで追い詰める精神力は羨ましい限りです」 「本当に……不思議な方たちだ。彼らがいなければ、今頃ポルンやブロンデーは相手の思うつぼになっていたでしょうね。この屋敷の敷地に迷い込んだのは定めだったのかもしれません、ただの偶然じゃない気がします」 「導き、というのは突然ですからね。ふふ」 自分たちでは決して気付けなかった、共に声を掛けられなかったものを、アルアは請け負ってくれた。それは傍から見れば情けないことであり、自分たちのためにもならない。 一度亀裂が入ると、そこから戻していくのは互いの心を許しあわないと亀裂が大きくなっていくだけ。戻そうと思っても戻せない、そんな煩わしい気持ちが時間の経過と共に大きくなり、後ろを振り返ればもう取り返しのつかないことになっている。 アルアはその亀裂を無理やりに戻してくれた。心の壁をこじ開けてくれた。振り返ってみれば、しょうもないことだったのかもしれない。 しかし現にグラキエスとフローガは彼に救われた。内に秘めた真っ直ぐな心で打ち破ってくれたのだ。 「感謝してもしきれない。それはあなたも同じでしょう、グラキエス」 「ええ、何だかあの方たちに付いて行ってみたいくらい。これから彼らがそのようなことに立ち向かっていくのか、すごく興味がある」 「けど、あなたにはやらなきゃならないことがある。そうでしょう」 「それはお互い様じゃないですか」 どうやらお互い考えていることは同じ、ということだろうか。この大陸、広い世界であのようなポケモンがいるなら、明日への希望という光へ誘うことが出来る。確証はないが、そのような感じがしてならなかった。 「そういえば、これからグラキエスはどうするのですか?やはりメックファイの自警団に戻るのですか?」 「はい。今回の騒動でこの屋敷の方々には大変迷惑をかけました。もうわたしたちがこの屋敷にいることは許されないでしょう。何も償いをせず、ここから去ってしまうのはただ逃げていると同じですが……それでも、自警団としての仕事をこれからも熟して行きたいです。今までの蛮行を挽回するには、やはりわたしたちの活動で示すしかありませんから」 なるほど、とフローガは頷く。グラキエス自身が選んだ選択なら、何も文句を言う必要はない。止める権利は無いのだから。 「今回の騒動でわたしたちの隊は外も中もボロボロです。先日の屋敷の襲撃で大多数の団員は負傷、使用として潜入した仲間も今日の戦いで傷つき、シックル隊長はこれからどうしていくか分からない。グドさんも今回の一件で身を引くみたいですし……」 「え?そうなのですか」 「はい。グドさん自身も前々からもう潮時だと言っていましたし、今回の一件で責任を取って辞退するみたいです。隊長の片腕であったグドさんが抜けるのは痛いですがね」 「そうなのですか……」 「グドさんにも何か思う所があったのでしょう。任務の一貫とはいえ、ブロンデーさんを私怨で始末しようとしていたのは自警団にとっては大きな失態です。しかし、グドさんも家族を亡くしていますから、それが分かってしまうんですよ。だから今回の作戦に、グドさんは否決できなかった。だからとはいえ、それを許してしまったのは自分の責任にある、ということで今回の一件、全てを請け負うみたいです」 一帯して全てを負うということかと。そこまでしてシックルの負担を減らしたいのか。理に適っているとはいえ、フローガはどこか納得のいかない表情を浮かべていた。 「確かにグドさんは、シックル隊長に前に進んで欲しいと言っていました。その真意はそういうことだったのですか……。けど私は、あの方がひとりで背負い込む必要はないと思います。元はといえば、シックルさんが仕組んだことですし……。私もある意味被疑者なのですから、偉そうな口は叩けません。自警団のルール、やりとりというのを理解していない自分が深く口出しする義理などない。ですが、メックファイの自警団隊長はシックルさんですから。あの方が責任を負わなきゃ、それは組織として成り立たないと思います」 あくまで自分の意見だ。これをどう受け止めるかは相手次第。 「なかなか厳しいことを言いますねフローガさん」 「ハハハ……とは言っても一般的な案を述べただけですよ。……とまぁ、私もこの屋敷で起こったことも考えないといけないですから複雑なのですよ、正直なところ」 一つの価値観に囚われず、多種多様の考えというのは大きな悩みを生み出す。それ故に自分の考えで決めつけてしまうのはとても難しい。だが突き通さないと自分を否定してしまう。 バランスをとるのが非常に難しい。その答えはいつまで経っても出ないだろう。だがその都度悩まないといけない。それが考えるということなのだから。 「今のメックファイの状態では、いずれ潰れてしまうのも時間の問題というわけですね……」 「グラキエス、確かに大雑把に言ってしまうとそうかもしれませんね。ですが、これに怯んではいけません。少しでも前に進まないと……」 「前に……ですか」 迷いのないグラキエスの言葉は本当に頼もしい響きだ。普段氷のように静かで冷たい印象が強いが、やはり彼女も自警団としての魂を持っている。こんな綺麗で逞しい子を屋敷のスパイとして選出したのは大きな間違いだろう。この子はもっと輝いていく。それがいばらの道だったとしても、グラキエスの氷は道なき道を凍らせ造っていく。 フローガは一つ笑みを浮かべた。 「様々な出会いと驚きを経験しないと、良い答えというのは生み出せない。だから世界というのは広いのかもしれないですね」 その言葉に振り向く。グラキエスもフローガも、もっと自分を成長させないといけないと心から思った。 ---- 山々まだ顔を出していない時刻。冷たい北風が身を引き締める荒野。その一角に建てられた不相応な屋敷に、三匹のポケモンがポツリと。一匹はまだ日の出ていない朝焼けを見上げながら欠伸をし、もう二匹は何やら会話をしながら、お互い爽やかな表情を浮かべていた。 「もう行くのですね。まだ体の傷が完全に癒えてないのですから、無理はしなくても」 「あまり厄介になるのは性には合わないんでな。この短時間でここまで自由に動ける体になったのだけで大助かりだ」 「そうそう。騒動のお詫びとしての美味しいご馳走もいただいたし、アタシは思い過ごすことはないよ」 「おめーはどんだけ厚かましいんだよ」 傷も回復し、万全の状態となったアルアとクゥヤは屋敷から発とうとしていた。僅か二日という短い間ながら、この屋敷では色々なことがあった。 「フローガも大変だろう。ブロンデーは出て行っちまったし、シックルの潜入していた自警団はいなくなって、事実上屋敷の使用は大きく減っちまったんだからよ。色々めんどくさいことあるんじゃねぇか?」 「旦那様から留守番を任されている身としては、この被害は言い訳の余地がありません。これからのこの屋敷での仕事は骨が折れることばかりでしょうから、気が気では有りませんよ」 やれやれと、フローガは両手を上げる。だが決して苦の表情は見せず、寧ろ楽観的で明るい雰囲気が漂っている。色々吹っ切れて気持ちに余裕があるのだろう。 「ですが、ブロンデーがあのような決断をされたのなら何も言うことはありませんよ」 「おいおい、そんな軽い言葉でいいのか?アレでも一応ここの使用の責任者だったんだろ?今でも俄か信じられねぇけどよ」 「そうなんだよね、それアタシも気になってた」 「アハハ、ああ見えてブロンデーはリーダーシップに関してはなかなかの太刀筋ですから。あの強面なら簡単には逆らえないでしょう?」 「言われてみればまぁ……確かにな……」 さっきまで納得してなかった自分が急にどこかに行ったような気持ちだった。思い返せば最初にこの屋敷に連れて来られた時も、ブロンデーの言葉に簡単に圧してしまった。言葉や態度から見てみれば、下の存在からしてみれば恐怖の対象だ。 「使用の件に関しては、私から旦那様に言っておきますよ。……今回の事件でこの屋敷に多数の自警団の密偵者がいることが発覚しましたからね。管理の乏しかったところを突かれたのは私たち使用のミスです」 「そんなおめーが全部背負う必要なんてないんじゃねーの?おめーもブロンデーもそうやって何でもかんでも抱えようとしやがって……」 「ブロンデーと同じにしないでくださいよ。私は自分で処理できる範囲で請け負っているのですから」 薄ら笑みを浮かべフローガの目つきが緩む。嫌に自身に満ちた言葉にアルアは何かを感じ取っていた。 「……何か変わったなおめー。ちょっと前の堅苦しかった時とはえらい違いだ」 「何ですかその皮肉な笑みは。……ですがそうかもしれませんね。今回は本当、あなたたちには助けられました。恐らく私たちだけでは解決できなかったでしょう。ブロンデーが敗れてしまったとなったら、誰も太刀打ちできそうにありませんでしたから」 「んなこと言っても、オレも何が何だかだけどな。ただ許せなかったのと……何だ、頭からっぽでただ相手に集中しただけだ。それくらいだったらフローガ、おめーでも相対することはできたんじゃないのか?」 「とんでもない。シックルさんとは何度か戦ってもらったことはありますが、まだ一回も勝ったことはありませんから」 「うっそだー。あのアタシの‘じんつうりき’を上手く利用した戦術、アタシは忘れないよ」 これについては意外だった。昨夜の襲撃でもフローガはかなりの力を発揮していた。一個の群勢を退けるあの実力はブロンデーと肩を並べてもおかしくない。 だが過ぎたことを詮索しても何もない。この話はここで打ち切ることにした。 「アルアさんたちも、これから旅を続けていくんですよね?これからどこへ?」 「ああ、メックファイで仕入れた情報を頼りに、北に向かうとするよ。ここから北……つまり」 「あ、ノーズヴィレッジ」 「そういうことになるな」 ノーズヴィレッジはアルアとクゥヤ、そしてフローガとブロンデーの故郷の地。懐かしく響くその名前に表情は複雑なものになる。 「あなたたちは帰るのですね。私も何年も帰っていませんから、少し羨ましく思えますよ」 「帰りたいならいつでも帰ればいいじゃないか。ここからなら、おめーの足なら二週間もかからないだろ」 「それでも帰れないんですよ。数年前の大火事が原因……と言えば察してくれますかね」 その言葉の真意を探るのに時間は必要なかった。 「……無くなっちまったのか」 「そういうことになりますね」 つまり大火事でフローガたちの故郷は滅ぼされたということになる。どうやら余計な口を開いてしまったなと、アルアは懸念な表情をした。 「まあフローガ、アタシもおんなじ。その大火事でアタシの村も、家族も無くなっちゃったんだし」 「あなたも……ですか。これはとんだ失言を」 「いいのいいの、気にしないで。みんなあの事件で色んなもの失っちゃったんだもの。それなのに、その事件の引き金となった事例や、詳細などなんにも分かっていない。それを解明するため、アタシたちは旅しているんでしょ、アル」 「そういうことだ。二度とあんなこと起こさせないために、オレたちは各地を巡っているんだ。そのためにも、早いとこ情報を握っている奴に合わないとな」 パチン、と手を鳴らしアルアは口を吊り上げた。その鍵を握るポケモンは絶対に会わなくてはいけない重大な情報を持っているのは間違いない。たとえどこに行こうとも、自分たちは追い付いてやると決意を込めている。 「……本当不思議な雰囲気を漂っています。あなたたちなら、きっとあの時の事件の謎を解明してくれると信じていますよ」 「ああ、期待しててくれ。その方がオレとしても気合い入るからな」 同じ出身としてフローガと交わした約束。アルアの拳とフローガの拳が強くぶつかり、決意の表れを確認した。こうもだいだいと言ってしまえばもう背くことは出来ない。気持ちを昂るのもいいが、責任が増えることとなる。 「んじゃ、そろそろ行くぜ。色々世話になったな」 「ええ、色々迷惑をおかけしましたが、あなたたちと出会えてよかったです。お気をつけて」 ---- 荒野を抜け、アルアたちはただ北の方角へと向かう。まだ日の出ていない早朝なだけに、北風がより冷たく感じる。暗い小道をクゥヤの炎で照らしたランプで道を確認しながら、いよいよ冬本番という感触を噛みしめていた。 今回の一件はアルアを大きく成長させてくれた。自分の限界に垣間見え、勝てないと思った相手に一矢報いることが出来たのだから。自分の力など微々たるものだが、それでも誰かのために命がけで助けたことには変わりない。 アルアはグッと銀色の腕輪をした右手を握る。まるで夢の中にいたかのように、柔らかく冷たい感覚が今んも残っている。深い海の中、全てのみずポケモンの故郷である海が見えたあの光景は簡単には忘れるようなものではない。 蒼く、暖かな光が自分の中で大きく爆発した。ただシックルを止めようとした気持ちが後押ししてくれたかのように、あの影は自分の中に取り込んだ。 どこかで見たことはある。だがそれがはっきりと思い出せない。 記憶がぽかりと空間を開いた時期がある。そこに手がかりがあるのだろうか。 「にしてもとんだハプニングだったね。生きてあの屋敷から出られてホント良かった良かった」 「良くねぇよ。この二日でどれだけ寿命が縮んだことか。そういえばシックルの野郎からちゃんと話が聞けなかったな。いつの間にかいなくなりやがって……」 あの戦いからシックルは行方不明になっていた。アルアはしっかりとポルンを狙う事情を聞こうとしたがいなくなってしまって結局聞けず仕舞いだった。 ポルンはもうブロンデーと旅立ってしまったので、もう細かく訊く必要はないと思いやり過ごしたが、胸の中でもやもやとした不快感は依然として残っていた。 「ま、たまにはこういうのもいいとは思っていたけど、しばらくは勘弁ね」 「全くだな。元はといえばどこかのライターの適当な情報がだな・・・・」 「同感。デタラメな情報を提供したわる~い情報屋には、おしおきしないと……ね」 その通り、とアルアも共感の指差しをした。元はと言えばあの鳥野郎がもう少し詳しい情報を与えていれば―― めちゃくちゃな理論で合致しているが、今回のことで誰かに八つ当たりしたいのはアルアもクゥヤも同じだった。 「そういえばクゥ」 「ん?なーに?」 「昨日言ってたシックルの状態、おめー少し漏らしたよな」 「ああ、やっぱり聞いてたんだ。隅におけないねーまったくもう」 一つ溜め息を吐いた。だがいつものクゥヤの言葉は心に余裕を持てる。 「おめー、オレが戦っている時は氷付けにされていたんじゃねーのか」 「アタシを甘く見ないでよねー。身動きはとれなかったけど、何とか意識は保っていたからね。アルとシックルの状態も何となくなら分かっていたのよ。けどまさかラキに刃を向けられるとは予想だにしてなかったからね。あれはアタシのミス。油断って怖いね」 「調子に乗りやがって……まぁ、オレもデカい口は叩けないけどよ」 あの時、フローガの助けが無ければ自分はどうなっていたのか。確実とは言えないが、その時のブロンデーの殺気はとてもじゃないが普通ではなかった。自分たちがポルンを連れ出したことに苛立っていたのか、それともアルア自身に何か気に障ることがあったのか。その真意はもう確認出来ないが。 「とまぁ本題なんだけど、どうもアレは普通の状態じゃなかったね。いくらブロンデーを憎んでいるからって、あの無茶苦茶な力の出し方は理に適ってない。本当に理性を失っているようだった」 まるでストライク離れした力に終始圧倒されていた。 「あれだけ暴れていたのに、アルに勝機があったのは自分を見失っていて隙が生まれたということかな」 「それは遠回りにオレを侮辱していないか?」 「気のせい気のせい。うーんとつまり、考えられる事例は二つということで」 すると赤と青、二つの炎をクゥヤは空中に浮かび上がらせた。 「シックルがブロンデーのように後天的な能力を持っていたのか――」 赤い方はぐるぐる輪を描きながら、 「それとも背後の陰に何かしらの種をまかれたのか」 青い方は交差するように縦に回転しながら炎はクエスチョンマークを描く。首を傾げながら試すような口調に、アルアは難しい顔になって溜め息を吐いた。 「じゃ、もしクゥがそのどちらかの可能性を肯定するなら?」 あえて質問を返してみる。クゥヤは顔色変えず二つの炎を一つにして、透き通るかのような淡い紫の色をした炎を創り上げた。 「さぁ。その点についてはアルの方がよく分かっているんじゃないの?実際に戦ったんだし」 「ハッ……そうきたか」 クゥヤの悪戯な笑みにアルアは渋い表情をした。そして炎はクゥヤの合図で空中に燃え尽きて消えてしまった。 アルアの中ではすでに一つの答えは出していた。自分の中で感じた直感的な答え。あれは間違いなく―― 自分でもはっきりとは覚えていないが、銀色の陰と一つになれたあの時。暖かい光が全身に流れ込み、心を沸騰させた。 改めて自分の右腕にかざす銀色の腕輪を感じ取ってみるが、今は何も感じない。何もかもが謎に包まれているが、不思議と不気味な感じはしない。 自分に力と心を貸してくれたあの存在に、もしかしたら今後も助けてもらうかもしれない。その時に、自分はその力に耐えられるのだろうか。少しでも神経を緩めると、広大な海に呑み込まれるかの如く一瞬にして意識を失ってしまいそうだった。ただひたすらがむしゃらに、相手のことを見ていて何とか保った意識。次また同じように使いこなせるとは思わない。その時までに自分も成長していないと、守れるものを失ってしまうかもしれないのだから。 すると山々の方から太陽の日差しが照りこんできた。日の出の時間となったことで辺り一帯は光の恩恵を受け、闇を照らしていく。 あの山を越えればアルアたちの故郷、ノーズヴィレッジ。すっかり手がかりを見失ってしまったゾロアークの情報屋も、あの山を越えてしまったのだろうか。 冬が近い季節というが、あの山を越えれば話は別。北風の生みの母とも言われる霊山がノーズヴィレッジにあるため、この時期でも相当な寒さなのが北の大地の特徴だ。本格的な寒波がやってくる前に、あの山を抜けたいものだ。 「アルアさーーん、クゥヤさーーん」 「ん?この声は……」 遠くから姿を確認できる。朝の日差しですっかり遠くのポケモンもはっきりと分かる。アルアたちに情報を交換しているフリーライターのムクホークのレイガだ。 何やら急いでいる様子でこちらに向かってきている。その余裕のない表情とは裏腹に、アルアたちは徐々に目つきが鋭くなっていた。 「いやー、ここのいたッスか。あちこち探し回って――グヘッ」 到着するや突然、アルアは鳩胸を掴み地面に叩きつけた。突然の事にレイガは困惑した表情を浮かべアルアを見た。 「おめー……こっちも会いたかったぜ、レイガ?」 「な、何ッスかいきなり!?オレっちはただアルアさんに手紙を渡しにきただけッスよ!」 「おめーの事情なぞ今は聞いていない。あの荒野でどれだけオレたちが酷い目に合ったんだと思っているんだよこのトサカが」 眉間にしわを寄せるもほくそ笑むアルアの殺気にレイガは口を慎んだ。レイガにとっては何が何だか理解するのに時間が足りない。ただアルアに胸を掴まれたまま、苦笑いを浮かべるしかなかった。 「そ、そんな……ク、クゥヤさん、た……助けて――」 と、クゥヤに救いの眼を向けるがクゥヤの眼差しもいつもと違った。いつものように誰にでも対して向ける笑みを浮かべているが、レイガに向けられる眼差しがまるでゴミを見るような目だった。 クゥヤも許してはいない。腹いせなどガキのやること。だが無性に目の前の鳥を焼きたい。 ゆっくりと立ち上がりクゥヤは九本の尻尾をなだらかに揺らす。キュウコン特融の灼眼は妖しい輝きを放っていた。 「あ……はっは……これって、オレっち朝っぱらからここでくたばる感じッスかね?」 「当たり前だこのすっとこどっこいが。その羽毛、全部むしりとるまで逃がさねぇからな」 「えぇっ!?ちょっ、それはダメッス!!命の次に大事な羽根だけは絶対に勘弁してくださいッス!あっ、クゥヤさんその炎は何ッスかね……まさかこっちに狙うわけじゃないッスよ―――ぎゃあああああああ!!」 間違いは誰にでもある。だが提供した責任は取らないといけない。 反省というのは二度と同じ事態が起こらないよう考えること。ブロンデーやフローガたちなら、きっと二度と同じ過ちを繰り返さないだろう。あの屈強なポケモンたちなら何があってもやり遂げる。 だが無残に羽根が舞い散ろうが、あのお天道様が許してもアルアたちはこのライターを許すことはないだろう。 そしてレイガの持っていた荷物から一枚の手紙がひらりと落ちた。丁寧な字で、送り主の名前はこう書かれていた。 『自警遊撃隊 カリュトスより』と。 ---- 赤いじゅうたんで敷き詰められた部屋で、シックルは傷だらけの体で座り込んだ。体力も尽き、激闘を繰り広げた傷は深い。体よりも心に力が入らない、満身創痍の状態。暗闇の部屋でシックルは静かに息を整えていた。 主のいない一室でシックルは苦い表情を浮かべていた。ディレイの執務は上質なわらの布団とぎっしりと敷き詰められた本棚しかなく、その分より広く感じる部屋だ。 たった一匹の無名のフローゼルにやられた。突然屋敷に現れ、全く動じないその振る舞いにシックルの脳裏は衝撃の一色で染まっている。心と体が一つになり、潜在能力以上の力を引き出すその様は、異国の地で聞いたことのある限界を超えた『進化』のよう。 だがそれとは違う、何者かと同体になった凄まじいオーラ。白銀の抱擁に包まれたフローゼルは目を疑うばかりの行動に飲み込まれて行った。 その事実はシックルの自信を大きく崩れさせる。これほど情けない負け方をしたのは初めてなのだから。 兄に戦闘のセンスを絶評されながらも、決して奢ることはなくひたすら前を向いてきた。その意地とプライドは絶対のものだった。 世の中の広さというのは計り知れない。この敗北を受け止めるしかないのだろうが、時間が必要だ。今はただ無気力に闇に染まる外を見つめていた。 「……」 気配がした。微弱だが、勘の鋭いシックルが気付くのに時間はかからない。不気味な雰囲気が辺りに漂う。 「……お前か……」 後方に振り向くが、誰の姿もない。体の内側から感じる冷たい空気が、より怪訝を濃く表している 「期待外れだネー。あのエーフィを逃がし、悪夢の子すらも始末できないなんテ。それでもキミは自警団の隊長なのかい?」 頭に響くようなせせら笑う声と共に、突然真っ黒な煙がシックルの辺りを囲む。周りが煙に包まれ、何も見えない。故に相手の姿も確認できない。 奇妙な口調と共に、暗闇の中の影は現れる。相も変わらず頭の痛くなりそうな声に表情が歪む。 「お久しぶり、ストライクのシックルさん。今日も元気だネ~」 歌を唄うかのようなリズムのある言葉。不気味な音程に心のざわつきが一気に増す。 「いやいやこの度捕らえたポケモンに計画を邪魔されるなんて、一流の自警団員には最高の屈辱じゃないのかい?」 その言葉に苦い表情を浮かべる。今まさに心に突き刺さっていることをそのまま言われ言葉も出ない。 「どうしたんだい?ああ、あのフローゼルにこてんぱんにされたことが今でも悔しいのかい?」 「違う……あのフローゼル……今思い出しても俺の脳裏に浮かぶんだ」 突然の豹変にシックルの体が小刻みに震える。 「何なんだこの震えは……屈辱以前に湧き上がるこの恐怖は。そうだ、あいつの眼……今思い出しても頭の中に鮮明に映る……そうだよ、俺は自警団に努めていて見たことある。あれは……間違いなく――」 滲み出る恐怖の言葉。植え付けられた敗北には、言葉以上に感情が溢れ出ている。予想もしなかった事態に油断がなかったとは言い切れないが、それよりもあの奇妙な心の強さにシックルは劣等感を抱いていた。それが直接今の恐怖に繋がっているのか分からないが、何もかもが弱気になっていた。 「自警団の隊長がたかが一匹のポケモンに脅えるのですか?そうですか?」 先ほどとまでの口調とは一変に荒々しい声。だが怒りの感情はこもっていない。相手を驚かそうとする雄叫びのようだ。 「んっふふふっ、キミのさっき脅えた顔、なかなかにプリティーだったよ。よっぽど強烈な瞬間を頭の中に埋め込まれたんだよネ。キミのような自信家がそんな不安になるなんてね。ボクも‘キョーミ’が出て来たなー。あのフローゼルってそんなに面白い子なの?」 「……ぐっ!」 一瞬の隙を付いて、シックルは鎌を振り払った。すると黒い煙が晴れ、声の主の正体がうっすらと見える。 「ふざけた芝居はよせディース。俺はそんな茶番に付き合うほどの気力は無いんだ……」 「なんだいなんだい、ボクはキミにちょーっと力を貸してあげたのにその言い草はないだろう?」 えらく表情がはっきりした。暗い影の中でも分かる。記憶の狭間から無理やり引っ張り、声の主の正体を鮮明に思い出す。 艶やかな赤い瞳をしたゴーストポケモン。マジカルハット――大きな帽子が特徴のムウマージは少し得意げな表情を浮かべていた。表情が隠れてしまいそうな帽子の陰から見える薄気味悪い表情は、ゴーストタイプ宛らの雰囲気を漂わせている。だがこのムウマージ、ディースからはそれ以上に見た目以上からの独特の存在感がある。 まるで本物の死神の眼だった。 「いつの間に……もしかしてあの時、あのフローゼルとの戦いも……」 「大したことはしてないけどネ。ちょっとばかしキミの心を覗かせてもらっただけ。お兄さんが亡くなってその大きな穴にお邪魔して――」 その刹那に悪寒が走った。何かとんでもないことを言ったような気がした。 「おい……今なんて言った……!」 「あっはははは、冗談に決まってるじゃないか。なに本気になっているのサ」 冷や汗が流れ出るシックルの表情を嘲笑うかのように、ディースは口を吊り上げる。共にいるだけで魂まで吸われそうな胸の苦しさがシックルを苛立たせていた。 「心が割れそうだ。もうお前なぞに力は借りない。やはりデマカセの力なんか当てにならないからな!」 シックルは勢いよく鎌を斬り付ける。突然の強襲にディースは後ずさる。 「危ないなあ。いったい何の真似だい?」 「お前からは危険なニオイしかしない。ここで俺が止めないとつまらないことになりそうだからな!」 動きにかなりのムラがあるものの、しっかりと標的を向けたシックルの攻撃は鋭く空を切り裂く。ゴーストタイプのムウマージだが、キレのある攻撃はまともに受ければダメージになる。ディースは空中でふわりふわりと右へ左へと避ける。 「飼い主に刃向うのかい?」 「飼い犬になったつもりはない!」 激しく激昂したシックルの攻撃はこれまで以上に荒れていた。不甲斐ない自分への苛立ちか。それとも本能的にこのムウマージを放置しておくことに大きな危機感を持ったのか。 複雑な思いが重なり、シックルの鎌はまさに怒涛の凶器となっていた。 鬼のように振るう鎌を避けながら、ディースはシックルの変化に少しずつ表情を変えていた。 ――いいねぇその感じ―― ディースは妖しく笑みを浮かべた。自分が求めていた、欲しかった‘モノ’へ近づいている。 「気持ちも分かるけどサ、もう少し付き合ってヨ。ボクにも色々考えはあるんだから」 「ふざけるな!それ以上気味の悪い口を開くんじゃねぇ!」 「悪いようにはしないって。もう少しボクに付き合ってくれるだけでいいんだ。これからすごく楽しいことをしようと思っている。キミも招待してあげるからサぁ」 その時にディースの姿が一瞬にして消える。ゴーストタイプとはいえ、姿を消したわけではない。気配は感じる。だがどこにいるのか全く関知できない。 「頼むヨ。わざわざこっちから色々仕組んであげんだから。あのライチュウが誰かにひれ伏せるよう仕掛けたのもボクなんだし」 「……!」 鎌の動きが止まる。体が言葉の魔力に憑りつかれたかのように震える。 「苦労したんだよ。結局は諦めちゃったけどね」 楽しむかのような笑みの裏側にある闇の顔。とてつもない野望を抱いた邪悪な目。ふざけた表情とは裏腹に言葉には心理が込められている。 すぐには理解出来なかった。奴の言っていることがすぐに受け入れられなかったからだ。だが気持ちが徐々に高まってくるこの感じ。自分の気持ちをすぐに受け止めシックルは一つの答えを導き出した。 「なるほど……そういうことか……っ!お前が…!全部……全部全部お前が仕組んだことか!!」 怒りを露わにして、怒声を轟かせる。だが依然と表情の変化はない。寧ろ暗黒の笑みが少しずつ表に出てきているようだった。 「サイはもう投げられているんだ。後はコマを揃えるだけ。遠回りになっちゃうけど、仕方ないね。大局を動かさないと何も始まらないんだから……」 煙を掃うように風を起こすと、シックルの周りに黒い渦が漂う。まるで生きているかのような奇抜な動きをする煙は全身を縛りつけるように絡みついた。 「ぐっ……!がっ……!」 瞬時に体が麻痺したかのように自由が効かなくなる。強い力で押さえ付けられたように意識が遠退いていく。暗い闇に包まれるかのように少しずつ体が重くなっていく。 「ボクと一緒に来な。そしてあの子を救い出そうじゃないか。そのためには色々と手伝ってもらわなきゃ」 霧に包みこんだシックルを‘サイコキネシス’で持ち上げる。 「それに、あのフローゼルとキュウコンを間近で競い合ったのはキミしかいないんだし。色々話を詳しく聞いてみたいからネ……フフフ……」 必死に脱出しようにも抜けられない闇に囚われながら、シックルは頭の中であるポケモンの姿を浮かべた。幻覚じゃない。確実に今危機が迫っている奴がいる。 (フローガ……グラキエス……お前たちに伝えないと……何としても……!) 屋敷に極秘に潜入した日から接したバクフーン。あるときから自分の隣に付き始め、内気な性格ながらも尽くしてくれたジュゴンの姿が。 ただこれ以上誰も苦しむ思いをさせたくなかった。そんな健気な事を思いながらも、闇と一緒にシックルとディースの姿は部屋から姿を消した。 時計の針は今動き出した。凍りついていた邪悪な闇は少しずつ大陸を蝕もうとしている。 後に重要な秘密を握り、身を削る選択を迫られることとなるとは、この時悪魔すらも知る由は無かった。 ---- ---- 約二年ものの時間をかけてようやく完成致しました。色々時間が無かったというのもありますが、自分の計画のなさがものを言いましたね(短編といいながら普通に10万字越える辺り……) 初めてこのwikiに投稿して、様々な方々からメッセージを貰ったりする度に励みになりします。まだまだ小説の腕、文章共に未熟ですが生暖かい目で見てもらったら幸いです。 では、また近いうちに続きを掲載していきたいと思います! ---- #pcomment(above) IP:219.173.58.226 TIME:"2014-04-28 (月) 00:54:21" REFERER:"http://pokestory.dip.jp/main/index.php?cmd=edit&page=%E4%B9%85%E9%81%A0%E3%81%AE%E6%80%9D%E3%81%84%E3%81%A8%E6%84%8F%E6%80%9D%EF%BC%9A%E5%BE%8C%E7%B7%A82" USER_AGENT:"Mozilla/5.0 (Windows NT 6.1; WOW64; rv:28.0) Gecko/20100101 Firefox/28.0"