ポケモン小説wiki
ポケットモンスタークロススピリット 第27話「狐の嫁入り」 の変更点


&size(20){''ポケットモンスタークロススピリット''};
作者 [[クロス]]
まとめページは[[こちら>ポケットモンスタークロススピリット]]
キャラクター紹介ページは[[こちら>ポケットモンスタークロススピリット キャラクター紹介]]

 ポケットモンスタークロススピリット、[[前回>ポケットモンスタークロススピリット 第26話「海竜の誓い」]]までは……

 生物を汚染し、凶暴化させる謎の物質ゾーン。そのゾーンでポケモンを汚染する浮遊島の施設を破壊したツバサたちは、シンオウ地方へとやってきた。そこでゾーンにより変身能力――クロススピリットの力を得た少年リト率いるゾーンポケモンの襲撃を受けるも、キングドラの策によりこれを撃退することに成功。
 その後、手分けしてシンオウに眠る伝説の宝石を手に入れるべく仲間と別れたツバサは、仲間に東部と南部を任せ自身は北を目指すこととなる。
 かくして旅を再開したツバサとそのポケモン一行は、美しい草花広がるソノオタウンを越え、その東の辺り――山岳地帯へとやってくるのだった。


第27話 「狐の嫁入り」


「ああ、だりぃ……。この殺風景な山道いつまで続くんだよ……」

「これぐらいでへこたれてどうする。しっかりするんだ」

 ところどころに短い草の生えた岩肌ばかりが続くこの山道に重い足音を響かせる一行。敵の気配も感じられないことで気が緩んでいるのか、ツバサは覇気の欠片もない声でだるいを連呼してしまっている有様だ。そんな彼と肩を並べて歩くルカリオは、そのだらしない様子にがっくりと肩を落とし重い溜め息をつきながらも励ましの言葉を送り続ける。過去の世界で師のアーロンと共に修行してきた彼にとって、山道を行くなど朝飯前。しかし、少しずつ体を鍛え始めたもののまだまだ未熟さの残るツバサにとって、体力は残っていながらも山道を歩き続けるのは精神的に苦痛なのだろう。その証拠として、ペースこそ遅いものの言葉とは裏腹に全く足を止めていない。それが分かっているからこそルカリオは彼を励ますのである。
 そんな彼らのやり取りを一歩後ろで見守るポケモン――美しい黄金色の九尾をかがり火のように揺らめかせるキュウコンだ。ツバサとは正反対に無邪気な笑顔を振りまきながら足取り軽く彼らについていく彼女。特別な石によって進化したため身体こそ大人に近いものの、その心は純真無垢な幼子のそれである。故にツバサには苦なことも、彼女にとっては仲間と共に行く散歩のような気持ちなのかもしれない。

「あ、おばあちゃんの家だ!」

 しばらくしたところで、藪から棒にキュウコンが声を上げ駆け出す。その様子に体をびくつかせ、大袈裟な反応を示すツバサ。いったい何事かと彼女の視線を追うと、行く手に殺風景な山道に馴染むくすんだ赤い屋根を持つ一軒の家を発見する。そこへ向けて夢中で駆けだすキュウコンにツバサとルカリオが制止の声をかけるも彼女の耳には入らず。彼女が“おばあちゃん”と言ったことを気にかけた彼らは互いに目を見合わせると、同時に首を捻り頭にクエスチョンマークでも浮かべたように疑問を抱いた表情を浮かべる。どちらも特に思い当たる節はなく、かと言ってこのまま彼女を放っておくわけにもいかない彼らはゆっくりと建物へと近づいていった。



 建物の前へとやってきたツバサとルカリオは既にキュウコンが入ってしまったそこの外観を眺め、改めて古い建物であることを知る。そんな建物に入ったキュウコンを連れ戻すべく、彼らは開いた玄関から声をかけることに。

「すみません。誰かいませんかー?」

「ヒヒヒ、お前さんかい? キララを連れてきたのは」

「キララ?」

「まあまあ、中に入りなぁ」

 ツバサの声に応え現れたのは、やや腰の曲がった藍色の浴衣を着た白髪のおばあさんだ。"キララ"という聞き慣れない名を出す彼女はツバサの疑問を知ってか知らずか、何も答えず中に入るよう促しながら奥へと消えていく。彼女がキュウコンの言う"おばあちゃん"なのか。キュウコンがここへ入ったのは間違いないため、一先ず言われるがままについていくべく靴を脱ぎ廊下へと足を乗せ奥へと進む。
 ルカリオはと言うと、ツバサが履物を脱ぐ様子を見て土足で入るのは失礼なのだろうと察するも、自身は履物など履いていないために土足も何もありはしないことに戸惑いを覚えてしまう。既に奥へと入っていったツバサを呼び戻すのも気恥ずかしく躊躇われた彼は、玄関と廊下の段差に腰をかけ、両足を手で軽く払ってから中へと入ろうとする。と、そこで玄関の扉が開いたままであることを思い出し、念のため閉めておこうと振りかえるルカリオ。そこで彼は不可解な現象を目の当たりにすることとなる。

「(扉が閉まっている!? おかしい。私たちは開けたまま入ってきたはずだ。背後で誰かが閉めたのなら物音で気付くはず。これはいったい……)」

 この現象に嫌な予感が頭をよぎる。先程の老婆に殺気はなかったはずだと思い返すルカリオ。いったいこの後何が起きようとしているのか。推測さえ不可能であるが、起きた怪奇現象は些細なこと。頭の片隅に留め、後でツバサにも伝えておこうと決めた彼はツバサを追って奥へと足を進めていった。



「フフッ、おかえりなさい」

「ただいまー……って、こら! こんなとこで何してんだお前は!」

 老婆に付き従い居間へとやってくると、そこにいたのはまごうこと無きツバサの仲間であるキュウコンだ。四角の座布団にお座りして何やら照れ隠しのような笑いをこらえながら、まるで帰りを待っていたかのように無邪気な笑顔でツバサたちを迎える彼女。その様子に思わず合わせて反応してしまうツバサだったが、すぐに現実に立ち戻り慌てた様子で彼女を叱りつける。このやり取りにはルカリオも呆れたようで、思わず肩を落としながら溜め息を漏らしたのは言うまでも無い。
 そんな二人の様子には目もくれず、老婆は抹茶色の長い座布団の上に腰を掛ける。するとキュウコンはそれに合わせて立ち上がり、ツバサの腕の袖口をくわえて引っ張り半ば無理矢理に腰を掛けさせる。いきなり来た上に、ここで見苦しいところを見せては失礼だろうと渋々座ることにしたツバサは、ルカリオを手招きして傍に腰をかけるよう促す。それにルカリオが従ったことで、長方形のテーブルにツバサとキュウコンが老婆に向き合う形で座り、角を隔ててルカリオがツバサの傍に座ることとなる。すると老婆はおもむろに話を切り出した。

「キララや、この子がお前の言うツバサ君かい?」

「うん。わたしの大事な大事な人だよ」

「キララ? だからこれってどういう……」

 口を開いたかと思えば、老婆はキュウコンと勝手に話を進めるばかり。ツバサには何がどうなっているのかさっぱりな様子。それに対しルカリオは、彼女たちが何を話しているのか既に察しがついたようで、無言で納得したように頷いている。

「キララはわたしのニックネームだよ。おうちにいた時はおばあちゃんとは何回か会ってたんだ」

「そうじゃそうじゃ。あたしゃヨウコって言うのさね。お前さんがキララを助けてくれたそうじゃの。礼を言うぞ。ヒヒヒ……ありがとなぁ」

「あ、ああ……いえいえ」

 キララ、もといキュウコンとこのヨウコと言う老婆は親しい仲のようで、ヨウコは久しぶりに再会したキュウコンからこれまで彼女がどうしていたのかを簡単に聞いたようである。物騒な世の中になり、キュウコンが怪しい連中に連れて行かれたことを知った時はずっと彼女の身を案じていたと語るヨウコ。もちろん怪しい連中とはゾーンポケモンと考えて間違いないだろう。そんな彼女が怪我もなく元気な姿でやってきたものだから、後を追ってやってきたツバサたちを快く中へと寄せたと言うわけだ。
 それにしてもずいぶん遠くから連れてこられたんだなと内心考え込むツバサ。ルカリオも同じ気持ちのようで、何故わざわざ遠方から幼いポケモンを誘拐し汚染もせず監禁していたのか、その行動に疑問を抱いている。

「あたしゃこの子の両親のトレーナーでのう。年寄りになったもんだからトレーナーは引退したが、パートナーの子供のこのキララを孫のように思っとるんじゃよ」

 ツバサとルカリオ、二人の疑問になど気付くはずもないヨウコは自らの素性とキュウコンへの思いを語るのに忙しい。よほどこのキュウコンを溺愛しているのだろうと考え、嫌な顔も見せず話を聞いていたツバサ。そんな彼にルカリオがヨウコの話の腰を折って口を開く。

「あの、ちょっとすみません。ツバサ、私たちはキュウコンを親元へ帰すんだったな。正確な位置はわかるのか?」

「あれ? 聞いてたっけ? お山としか聞いてないような詳しく聞いたような……」

 肝心なことをすっかり忘れており首を右に左に傾けるツバサにルカリオはまたも肩を落とす。たった一時間もしないうちに、いったい彼は何度肩を落としたことだろうか。一方話題となっているキュウコンはと言うと、美しい九尾を揺らめかせながら無邪気な笑顔を振りまくばかり。そんな彼らに助け舟を出そうというのか、再びヨウコが口を開く。

「キララの家ならシンオウ地方の最北端"もらいびやま"じゃよ……ヒヒヒ」

「へえ、なるほど……」

 そこでヨウコがくれた答えにあたかも他人事のような返事を返すツバサに呆れたのか、彼の腰につけたモンスターボールと首にかけたペンダントから次々にポケモンたちが飛び出してくるではないか。すると室内はぎゅうぎゅう詰め。あたかも満員電車のような状態になってしまう。

「なるほど……じゃないわよ! 大事なことくらい聞きなさいよね!」

「こ、こらお前たち! ツッコミを入れるためだけに出てくるなよ。迷惑だろうが!」

「いいんじゃよいいんじゃよ。そこの戸を開けなさい。少しは広くなるさね」

 言われるがままツバサの背中側にあった戸を横へ開けると、八畳ほどの何もない畳の部屋が姿を現す。これならポケモンたちも落ち着いて座るくらいはできるだろう。申し訳なさそうに何度もぺこぺこと頭を下げるツバサ。その姿は仲間たちに情けなく映ったのは言うまでもない。
 一先ず落ちついたところで話を続けるべく、ツバサは質問をぶつけることに。ヨウコの言う"もらいびやま"という地名は彼がポケモン界を知る手掛かりとなっているゲーム上には存在せず、最北端という位置と名前だけでは手掛かりとしてはやや欠けているためさらに詳しく教えてほしいのである。すると、質問を受けたヨウコは喜んで答え始める。彼女は元気なお年寄りに多い、とてもよく喋るタイプなのだろう。

「"もらいびやま"は"貰う"に"美しい"と書いて"貰い美山"と言うんじゃよ。あそこの山には不思議な力があって、訪れた者に美貌を与えると言われておる。その証拠にキララはべっぴんじゃろう。だからあたしゃもこんなに肌つるっつるで綺麗なんじゃよ」

 キュウコンの棲み処についてさらなる情報を得たツバサたちは、その情報を小さく頷きながら記憶していく。当のキュウコンはやはり無邪気な笑顔を振りまくばかり。どうやら彼女は自らの棲み処の地名を記憶していなかったようだ。これではツバサも聞かないはずである。と、そこで藪から棒に笑い声を上げる者が一匹。黒い毛並みにふさふさの尻尾……グラエナである。

「&ruby(あんたが美しいだって){Are you beautiful};? Hahaha. &ruby(ただのババアじゃないか){You're just old woman};.」

「お前、何言って……」

 なんと本人を前に、突然美貌を否定するばかりかババア呼ばわりするではないか。これにはキュウコン、フーディンと英語を知らないルカリオを除く一同が額から滝のように脂汗を流すよりない。先程から快く接してくれる人を相手に、これほど無礼を働く者がいるとは夢にも思っていなかったのだから。
 そんな周囲の様子に気付かないのか、未だケラケラと笑い声を上げるグラエナを懲らしめるべくヘルガーが頭を彼の腹の下へと潜らせ、角で一突き入れる。硬く鋭い角が腹部に刺さったのだから、これにはさすがのグラエナと言えどひとたまりもない。笑い声は悲鳴へと変わり、悲痛な叫びと共に畳の上をのたうち回っている。
 しばらく反省してろと冷たい眼差しを向けたツバサは、ヨウコに無礼を詫びなければと振り返っていた首を元に戻す。そこにはさぞかしお怒りの姿があるだろう。ところが、そう思っていた彼の予想は嬉しい形で裏切られる。

「仲が良いんじゃのう。皆お前さんとおって幸せなんじゃろうな」

「うん。ツバサといるとみ~んな幸せだよ」

「え? あ、ありがとうございます……」

 先程の無礼この上ない言葉。ツバサでも分かる簡単な言葉だったが、実は英語であったためヨウコは理解できていない、つまり聞こえていないのと同じなのである。そのことに気付いたツバサはホッと一息をつき、肩を撫で下ろす。キュウコンと縁のある人である手前、下手に嫌われたくないというのが彼の心情なのだ。
 そんな彼の気持ちなど知る由もないヨウコは、キュウコンを手招きして傍に寄せると、曇りのない笑顔を振りまきながら孫に接するように優しい面持ちで彼女の頭を撫でる。そんな彼女が視線をツバサへと戻すと再び口を開いた。

「ところでお前さんたち、旅の疲れもあるじゃろう。温泉に入っていくとええ……ヒヒヒ」

「温泉かよ! っしゃ、これで水中戦を鍛えられるぜ!」

「んな深いわけないでしょうがこの戦闘バカ!」

 なんとこの家の浴槽は温泉のようで、そこでゆっくり休むよう提案してきたのだ。それを聞き戦闘の練習をしようと意気込むフーディンに、すかさずツッコミを入れるエネコロロ。抜かりのないお馴染みのツッコミに一同の顔がほころび、声を上げて笑いが広がる。
 そんな光景を微笑ましそうに見つめるヨウコは、思い出したように一言付け加える。それは湯船の大きさが全員で入るには狭く、二人ずつ入るのがいいだろうという推奨だった。この話を受け、ポケモンたちはツバサに選択権を与えることに。彼は誰を選択するのだろう。

「うーん、じゃあオレは誰と入ろうかな……」



・[[キュウコン>#kyuukonn]]
・[[ルカリオ>#lucario]]
・[[フーディン>#fu-delin]]
・[[キングドラ>#kingudora]]
・[[メガニウム>#meganiumu]]
・[[グラエナ>#guraena]]
・[[ヘルガー>#heruga-]]
・[[エネコロロ>#enekororo]]










&aname(kyuukonn);

「じゃあキュウコン、一緒に入らないか?」

「うん! 入ろ入ろ!」

 おばあちゃんのおかげでツバサとお風呂に入れることになって嬉しいな。わたしは水が苦手なんだけど、温泉はツバサが気持ちいいと思うからわたしも嬉しいんだ。それにせっかく二人だけになれるからいっぱい話したいな。ツバサはいつも勇者さんみたいに頑張って戦わないといけなくて、あんまり遊んでくれないから寂しいんだもん。でも今日はいっぱい遊んでくれるよね。先にお風呂場に入ってツバサがおばあちゃんの貸してくれた水着にお着替えするのを待ってると、ツバサの影がすごい速く動いてるのが見えたよ。きっと早く一緒に遊びたいんだよね。そんなふうにわたしがワクワクして待っていると、お着替えしたツバサがきたよ。

「待たせたな」

「ううん。さっ、お風呂にする? それとも体をきれいきれいする?」

 わたしの問い掛けにツバサは一度右手をあごに当てて考えると、先に体をきれいにするのを選んだよ。わたしを先に洗ってくれるみたい。ところが、嬉しくて尻尾を揺らしながらお座りしてるのにツバサは全然動いてくれないんだ。どうしたんだろう?

「いや、タオルはあるんだけどどう洗おうかなと。尻尾はシャワーでもいい?」

「わたし何もしないから大丈夫だよ。ツバサになら大事な尻尾もきれいにしてほしいな」

 どうやら尻尾のことを気にしてたみたいだね。わたしにとって尻尾は体の大切な部分なんだけど、ツバサになら触られても怒らないよ。そう気持ちを込めてにっこり笑ってみせると、ツバサも優しい瞳で笑ってくれた。

「どうだー、気持ちいいか?」

「うん。とっても……気持ちいい……。何だか眠くなってきちゃった……」

 お湯で温めたタオルで優しく揉みながらマッサージをしてもらっていると、とっても気持ち良くてウトウト……。いつの間にかまぶたは閉じられそのままおやすみなさい……
 しばらくして、体がポカポカするのを感じて目を覚ましたよ。気付けばわたしは抱っこされていて、ツバサは眠ったままのわたしと一緒にお風呂に入ってくれてたみたい。

「おはよう。勝手に温泉に入れちゃったけど大丈夫か?」

「ツバサとだもん。大丈夫だよ」

 お湯に浸かって重くなった体をお預けするようにツバサへと四肢を絡めたわたしは、彼の右肩にゆっくりと頭を乗せたんだ。そしたらツバサが左腕でぎゅーってしながら、右手でよしよししてくれたよ。何だかパパとママを思い出しちゃうな。
 そこでふと思ったことがあるんだ。ツバサは違う世界からきたんだよね。パパやママと離れて寂しくないのかなぁ。気になったわたしはすぐに聞いてみたよ。

「親のことか……こっちに来てから考えたこともなかったな。ただ強くなることに精一杯だったから」

「そっか。じゃあ心配してるよね。早く会いたい?」

「うーん、会いたくないわけじゃないよ。でも心配するかもしれないけど、今はこっちにいて頑張らないといけない時だと思う。それに、親もきっとそれを応援してくれるんじゃないかな。オレの親はそういう人さ」

 "何より、オレはお前たちと一緒にいるのが楽しいし"。最後にそう付け加えた彼の瞳は輝いていて、その言葉は本物だってことがすぐに分かったよ。
 ツバサ、いっぱい頑張ってくれてありがとう。わたしもパパとママに会いたいけど、今はツバサやみんなと一緒にいられて楽しいよ。わたしも頑張るから、これからもずっと、ず~っと一緒にいてね。










&aname(lucario);

「じゃあルカリオ、一緒に入らないか?」

「あ、ああ……。行こうか……」

 ツバサに誘われた私は、気の抜けた声で応える。と言うのも、温泉と聞いてアーロン様と共に安らいだ思い出が蘇ったからだ。決して鮮明にというほどではないが、彼と過ごした日々が思い起こされるというのは、私にとってこれ以上ない安らぎである。と、そんな回想にふけっていた私を現実に呼び戻すように、ツバサが私の手を引いて歩き出す。突然のことにこけそうになる私を彼が笑いつつ、私は彼に連れられ温泉へとやってきた。

「良い湯だなぁ。ルカリオ、お前も早く入れよ」

「ああ……。おわっ!」

「ほら、返事ばっかりしてないで入れっての!」

 乳白色の湯に足のみを浸けていた私は、濡れてもいい服へと着替えたツバサに肩を掴まれ湯に引きずりこまれる。多量の水を弾き、白のみの世界へと入った私の目の前に過去の風景が蘇る。すっかり色あせたそれは、時の流れによって風化しつつあるかのようだ。そうか、考えてもみればここは未来の世界。あの日から幾年月が流れたかも分からない世界だ。そんな世界では私の時代のことなど忘れられて当然というもの。だが、私は忘れない。あの日、あの時に見たあの笑顔を……

「どうしたんだ? そんな浮かない顔して……」

 息が続かなくなり、湯から頭を出した私にツバサが不安げな表情で声をかける。私が回想にふけり会話もないことに不安を覚えたのだろう。私は何でもないと口にしつつ内心その気遣いに感謝すると、気持ちを汲んでくれたのか、彼は曇り一つない笑顔を振り撒く。彼は本当に私たちを大切に想ってくれているのだろう。見ているこちらが恥ずかしくなるほどのその笑顔は、私の曇った心を晴らしてくれた。

「温泉に来てアーロンのことでも思い出してたんだろう?」

「なっ、何故それを……」

 不思議だ。彼はアーロン様のような波導使いではなく、私の心を読むことなどできないはず。それにも関わらず私の心中をあたかも静まった清き水の中を覗くように見抜いてしまったのだ。そのことに驚きを見せていると、彼は少しだけ私の過去を知っているということを教えてくれた。
 そうか、確か現実世界では私たちの世界の一部が見えるのだったな。あんな昔のことでも見た分にはつい昨日の出来事のように鮮明に話す彼の姿は、私に時の流れを忘れさせてくれる。私の心にある限り、決して消えなどしない大切な思い出。それを彼は肯定してくれるのだろう。
 そんな彼の温かさに僅かながらの気恥ずかしさを覚えた私は、視線を逸らし再び湯を見つめる。乳白色のお湯。透明とは対極にあると言うべきそれを見つめていると、ふとある疑問が浮かび上がる。ツバサは現代より遥か昔にあたる私の時代を知っている。つまり、彼は私の未来を知っているのではないかと。力の大半をオーラペンダントに封印されている今の私では彼の心中を探ることはできない。そんな私の心情を知ってか知らずか、彼は口を開きこう呟いた。

「大丈夫。必ずアーロンのもとに帰してやるさ。迷惑ばっかりかけるけど、その時まで……これからもよろしく頼むぜ!」

 言葉の最後に私の手を優しく握るツバサ。元気づけようとしてくれているのだな。そんな彼の表情が一瞬曇ったのを私は見逃さなかった。分かっている。未来がどうなろうと変わらぬ結末が一つだけあることを。だからこそ、今この時を大切にしなければならない。それに改めて気付かされた私は、彼の言葉に力強く頷いて見せた。










&aname(fu-delin);

「じゃあフーディン、一緒に入らないか?」

「いいぜー。水中戦の練習でもするか!」

「やるかボケ!」

 へへっ、やっぱりツバサはオレを選んだか。まあ当然だよな。早速移動するとオレたちを待っていたのは浴室から湯船まで木でできた風呂場で、湯船は二人で入るにはだいぶでかい10平方メートルはあると思うものだった。しかもご丁寧にシャワーも二つあるじゃねえか。古臭えボロ屋敷のくせに風呂場は妙に立派だな。ばあさん一人で住んでるとは思えねえ広さだ。この異様な広さに驚いたのはオレだけじゃないようで、水着に着替えて風呂場にやってきたツバサも一瞬目を大きく開いて驚いた様子を見せている。まっ、ビップなオレたちにはまあまあの待遇じゃねえか。この広さならそこそこ特訓ができそうだ。んじゃ、とっとと変身といこうぜ。

「持ってくるわけないだろ……。せっかくなんだからゆっくり休もうぜ」

 なん……だと……。こんなに広いのにもったいねえじゃねえか! 残念なことにツバサはペンダントを置いてきちまったみたいで変身が不可能。つまり技が出せないってわけだ。これでは特訓になりゃしない。当の本人は呑気にくつろぎ始めるし、さすがに諦めるしかないか……と、ここで諦めたら名が廃るってもんだ。プカプカと仰向けの姿勢で体を浮かべながら目を閉じているツバサをよそに、オレはこっそりとシャワーに近寄っていく。邪魔になるのでスプーンは石鹸台にでも置いておくとしよう。青と赤の水栓……ここは何となく青でいくか。オレは左手でノズルを持ち何も知らないツバサへ向けて構えると、右手で青の水栓を捻りノズルから冷水シャワーを放水する。

「ぎゃー! 何すんだテメエ!」

 うっし、効果は抜群だな。勢いよく右肘を引いてガッツポーズを決めるオレに対し、顔面に冷水を受けたツバサは顔を左右に高速で振って水を弾くと、白目を剥き出しガミガミと文句を言い始めた。せっかく良い風呂場なのに呑気なことしてる奴が悪いんじゃねえか。こんな時ぐらい楽しく遊ぼうぜ。遊びも特訓のうちだしな。

「お前……あんまりオレを怒らせるなよ」

 ププ、どこのガキだよ。笑わせんじゃねえ。お前なんざキレたところでビビるわけねえだろ。右手で口を押さえ、笑いをこらえるオレ。ところがなんとツバサの奴はもう一方のシャワーノズルを掴むと温度調節を限界まで引き上げ、赤の水栓を捻ってノズルをこっちに向けてくるじゃねえか。するとどうなるか、今更言うまでもないだろう。湯気を吹き出しながら肌が焼けるような熱湯がオレの身に降りかかってきた。技が使えれば余裕で跳ね返してやるところだが、今のオレは身体能力を除けば生身の人間に等しい状態。断末魔のような叫びと共に飛び上がり、手に持つノズルから冷水を噴き出して全身にかけ体を冷却する。こ、この野郎……反撃にしてもまさか熱湯をかけてくるとは……。普通やっても50℃くらいだろ。あいつ限界まで引き上げたかんな。さすがにありえねえよ! しかもやり過ぎたと反省するどころか腹を抱えて大笑いしてやがる。なんて野郎だ、もう許さねえ!
 頭に血が上ったオレはノズルのシャワーヘッドを力ずくで引き抜くと、水の温度調節を限界まで引き下げる。ポケモンセンターなんかでは10℃未満くらいまでしか下げられねえんだが、嬉しいことにこのシャワーは-10℃まで下げられるらしい。なかなか気が利くじゃねえか。これであいつを氷漬けにしてやるぜ。と、反撃の準備をしていたのはバレていたようで、奴も攻撃に備えていつでも熱湯を出せるようノズルをこっちに向けてやがる。こうなったらお前の熱湯ごとカッチカチにしてやるぜー!

「馬鹿ども! いい加減にしないか!」

 風呂中に響く大声で意気込み、いざ勝負と水栓に手をかけた瞬間だった。オレの意気込む大声を遥かに上回る耳鳴りを引き起こすような声で怒鳴り散らしてきたのはヘルガー。白目を剥き出し口から炎を漏らすその様子は、技も使えない無防備なオレやツバサを相手にも容赦ない実力行使に及ぶ構えだ。どうやらオレたちが騒いでるのがバレちまったみたいだな。こりゃまた説教が始まるぞ……

「他人様の家で騒ぎ立てるとは何事か! 水の掛け合いなら湯船でやればいいだろう。お前たちはやりすぎなんだよ……」

 牙をギシギシ鳴らしながら怒り半分、呆れ半分に説教するヘルガーにツバサはすっかり縮こまって挙句の果てに土下座までしてやがる。

「熱湯に冷水とはまた派手に暴れたなフーディン」

「お前もやるか?」

「やらんわ!」

 せっかく誘ってやったのにつれねえ奴だぜ。その後また十分ほど説教は続き、ようやくヘルガーが去ると浴室は先程と打って変わり静寂に包まれた。普段は少なからず真面目に戦わなきゃならねえわけで、こんな時くらいしか全力ではっちゃけられねえんだよな。でも、さすがに冷水はまずかったかな。そう思って少し反省したオレはツバサの様子を横目で伺うと、偶然にもこいつも横目でオレのことを見てきた。

「なんだ、心配してくれたのか?」

「へっ、お前もな!」

 そう、熱湯ぶっかけようが冷水ぶっかけようが別に互いを嫌ってるわけじゃない。こいつはまだまだ弱えし、オレもいろいろやらかす時はある。それでもオレたちは良いコンビなんだ。それは誰よりもオレたち二人が分かってる。単純にペンダントで互いが結びついているとは違う絆がオレたちにはあるんだ。ムカつく時はガンガン喧嘩しようぜ。やる時はやる。愚痴る時は思いっきり愚痴る。自分たちの根っこに何があるか。本当に大切なものは何か。それが分かってれば何も恐れることはねえんだ。へっ、これからもよろしく頼むぜ。オレのベストパートナー、ツバサ。










&aname(kingudora);

「じゃあキングドラ、一緒に入らないか?」

「ああ、もちろんだ」

 ツバサに誘われたオレは、彼に付き従い温泉へとやってくる。残念ながら人間の入る浴槽というのはオレが自由に泳げるほどではないが、ある程度の水があるだけ動きやすいというもの。ここでなら水に浮いてリラックスもできる。
 しばらくすると先に入ってくつろいでいたオレの下へ、おばあさんに借りた水着に着替えたツバサがやってきた。そんな彼を横目で見やって思うこと。こうして彼の体を見ると、少しずつ戦いに適応した丈夫なものになっていることに気付く。思えば突然この世界にやってきた彼は、ゾーンポケモンとの戦いを通して着実に強くなってきたはずだ。いや、人間もポケモンもある程度体は環境に適応していくもの。彼の体は否応なしに戦闘に耐えうるものにならざるを得なかったと言うべきか。

「ふぅ……気持ちいいなぁ。キングドラ、いつもお疲れさん。お前もたまにはゆっくりしてくれよな」

 だが、大事なのはそこではない。このくつろぎの空間において仲間を労わるその心だ。彼の強さはそこにあり、またオレが彼に望むものは危ういまでの純粋さそのもの。世の中いかなる優れた策を以てしても破れない敵は存在する。いや、正しくは策ではない。武力だ。それを知っているオレにとって、ツバサという存在はいついかなる時も正しい存在でいてもらわねばならない。今この一瞬一瞬の積み重ねが、やがて目的の達成へと導いてくれるのだから。

「なあキングドラ。こんな場所で言うのもあれなんだけど、オレにもっと戦いのことを教えてくれないか?」

「戦いのこと?」

「立ち回り方だったり、技の応用だったり。今までオレたちがやってきた合体技はだいたいお前のアイディアだからな。オレもお前みたいに頭がよければ、もっともっとフーディンとルカリオが強くなれるからさ」

 物思いにふけっていたオレに、戦闘のコツを教えてくれとツバサが迫る。彼が教えてほしいことは武力を強化するための方法のことだろう。オレにとってそれはあまり意味を成さないが、彼が望むとあらば仕方がない。彼のこの戦いに対するモチベーションを向上させ、ある程度成功の経験を積ませることで得意意識を持たせる必要がある。それによって彼の誰かを守りたいといった善なる心が養われれば、オレの望む方向にまた一歩近づく。そう考えたオレは彼の頼みを快く引き受けることに。
 まず浴槽から上がると、さっそくオレはツバサに課題を一つ提示する。

「この浴槽の湯を真っ二つにしたい。お前だったらどうする?」

 この課題にツバサは広げた左手に拳を作った右手をぶつけ、自信に満ちた表情を見せる。さすがに簡単過ぎただろうか? そう思っていると、彼は右手の拳を振り上げ浴槽に対して垂直に振り下ろしながらこう叫んだ。

「"サイコカッター"! あ、ルカリオなら"はどうだん"かな」

「…………」

 どうやらこの課題は難しかったらしい。フーディンの奴が言いそうな回答を出した彼にかける言葉がしばらく見つからなかったオレは、わざと咳き込み場を仕切り直す。当然だがこの回答は不正解。彼もオレの態度にそれを察したのか、じゃあこれはどうだとばかりに様々な攻撃技を上げていくがどれも正解には程遠い。
 ここで彼の回答を否定し続けても仕方がないだろう。そう考えたオレは、解答はこれだと言いながら氷のエネルギーを体の中心に持ってくると、口からあらゆるものを凍結させる冷気の光線"れいとうビーム"を撃ち放つ。眩い白光で周囲を照らしながら湯へと一直線に進んだ光線は、ガチガチと固い物同士がぶつかり合うような重い音と共に湯を凍結させていき、十秒も経たないうちに温泉は凍った池のような姿へと変貌してしまう。そこへオレは体を伸縮させて飛び上がると、尾から氷のエネルギーを噴射して巨大な斧の如き形をした氷を造形する。

「"れいとうビーム"……オノノクス!」

 オレが形作った氷は、ドラゴンタイプのオノノクスというポケモンをモチーフにしたものだ。その氷を体ごと凍結した浴槽の水へと激突させる。次の瞬間ガラスが割れたかのような甲高い音と共に氷は砕け、鋭利な破片が周囲へと飛散。着氷と同時に造形した氷の斧は割れ、氷からの反動に身を任せ宙返りをしながらツバサの横へと着地する。その光景にツバサは唖然と口を開けるばかり。それもそのはず、彼が驚いているのは課題の答え以上に新しい技の応用を初めて目の当たりにしたからだろう。

「すっげぇ……マジかっけえよ! どうやってやってるんだ?」

「オレも毎日遊んでるわけじゃないからな。と、それはさておき解答のほうは理解できたか?」

「いや、氷は砕けただけで溶けてないみたいだけど……」

「そっちの解凍じゃない……」

 ここでオレが見せたかったのは、機動力に優れる敵への基礎的な攻略法だ。迂闊に攻め立てるばかりでは隙を晒すようなもの。俊敏な相手には脚部を狙ったり、障害物を生成するなどしてその機動力を削ぐ必要があるんだ。この場合水は物理的な攻撃はすべて形を変えて避けることから機動力に優れる敵を、オレの攻撃は凍結させることで水の変形する性質を封じ込めたことから機動力を削ぐ行為を指す。
 それを改めてツバサに説明すると、彼はふーんと納得したのかしてないのか曖昧な声で返事をしてきた。まったく、これでは何のために教えたのか分からないじゃないか。そう思って呆れて溜め息を漏らすオレに、ツバサが小さく笑いながら背後に寄ってくる。

「ふふっ、やっぱお前はすげえな。これからもずーっといろんなこと教えてくれよな。頼りにしてるぜ!」

 そう言って後ろからオレの体に腕を回し抱きついてきたツバサ。……じゃれあうのは嫌いなんだがな。"これからもずーっと"……か。彼の言葉に一瞬表情が曇り、それと同時に信念が揺らぐ。これじゃ駄目だな。オレはこいつの良きパートナー、良き指導者でなければならないのだから。










&aname(meganiumu);

「じゃあメガニウム、一緒に入らないか?」

 ツバサが私を選んでくれた……。どうしよう……

「なあ、駄目か?」

「ううん、もちろんそんなことないよ」

「じゃあ行こうぜ!」

 二人っきりの温泉かぁ……。私は温泉に馴染みがないけど、人間はみんなお風呂に入る人が多いしツバサもきっと楽しみなんだよね。私たちポケモンならすぐ入っちゃうけど、人間は……

「オレは着替えるから先に入っててくれ」

 もちろん服を脱ぐ。今回はヨウコさんが準備してくれた水着に着替えるだけだけど。先にお風呂場にやってきた私は変な好奇心に駆られ、お風呂場と脱衣所を区切るスライド式のドアの前で立ち止まる。え、やだ、私何してるの!? こんなことをしたらツバサに嫌われちゃうよ!
 そう理性に言葉をぶつけるも、視線は着替え中のツバサのシルエットに釘付けで……。ちょっとだけ、ちょっとだけなら……。そう思いドアを数センチだけスライドさせる。ダメ、こんなことしちゃ……。胸の中で葛藤という名の激戦が繰り広げられる。普段の私と、血のように真っ赤な目をした私――天使と悪魔の戦い。

 "見たいんでしょう? フフ、自分に素直になりなさい"

 "駄目よ。人が嫌がることをして何になるの!"

 "自分に嘘をつくよりはいい。それに、彼もまたそれを望んで……"

 "それはない! いつもの彼を思い出して。誠実なほうが好かれるに決まってるわ"

 うう、頭がぁ……。顔が、全身が焼けるように熱い。いい加減に争うのやめてよぉ。混乱状態になっちゃう。あっ、いやっ、も、もうダメぇーー!!

「おい、大丈夫か? 先に入ってていいって言ったのに」

「あ、あれ……?」

「わざわざ待っててくれたんだな。ありがとうメガニウム。さっ、入ろうぜ」

 混乱しているうちにツバサは着替えを終えたらしく、いつの間にか水着姿の彼が私の目の前に立っていた。先程のことなど知る由もない彼は、私がわざわざ待っていたと勘違いしているみたい。本当はそんなことないのに……。罪悪感に駆られる私を彼が無邪気な笑みを浮かべながら撫でてくるのだからたまらない。すぐに湯船に入ろうとする彼の背を見つめる視線はやがて落ち、私は項垂れた。
 しかし、いつまでもこうしてはいられない。そう考えた私は彼を追うように湯船へと迫り、ゆっくりと前足から浸かっていく。あ、結構ぬるま湯に近いみたい。このまま全身浸かって……
 そう思っていた時だった。誤って後ろ脚を滑らせてしまった私は、まるで前転をするかのように派手に転倒してしまう。多量の水しぶきと共に水中へと放り出され仰向けになってしまった私は、急ぎ態勢を整えようと必死にもがく。ううっ、息が……苦しい……
 と、突然体が浮き始め、頭が水中から顔を出す。ふと背中に感触を覚えた私は首を左に回すとツバサの姿が。ドジな私を見かねて、抱き上げてくれたんだね。なんだか情けないなぁ……

「大丈夫か? ふふ、水の中なら簡単にお前のことも抱きあげられるな。お前とキングドラは体が大きくて重いから普段は無理だし。って、んなこと望んでないだろうけど」

 苦笑しながらそう口にする彼。そんなことないよ。私はいつだってあなたに抱きしめてほしくて……。でも、やっぱり私は体が大きくて重いのが駄目なんだなぁ。いつもは不可能なお姫様抱っこをしてもらっているのに、私の気持ちは沈んでしまう。

「どうしたんだ? そんな浮かない顔するなよ。せっかく二人きりなんだ、悩みぐらい聞くぜ?」

 そんな私の気持ちに気付いたのか、彼は心配そうにこちらを見つめる。そんな彼を心配させまいと彼の方を向くと視線が交差し、彼の瞳に自身の表情が映し出されていることに気が付く。その表情は曇っていて、目尻が下がり覇気の欠片もなかった。せっかくの時間にこんな表情でいてはいけない。そう感じた私が急いで笑顔を作ろうとしたその時だった。彼は私の首の付け根を支えていた左手を自身に引き寄せる。するとどうなるか、言うまでもないだろう。顔と顔が距離を詰め、20センチメートルくらいまで近づいた。

「無理に笑顔なんて作らなくていいんだからな。オレはありのままのお前が好きだ」

 曇りのない快晴のように爽やかな笑顔でそう言ってくれたことが私にはとても嬉しかった。いつもありのままの私を大切にしてくれる。特別強いわけでもない。きらびやかで美麗なわけでもない。それでも私という存在と向き合ってくれる彼のおかげで、私は今このメガニウムの姿でいられる。そう、彼が私を強くしてくれたんだ。男性と女性。そういう異性間での愛情を超え、いつも傍で誰よりも寄り添ってくれる彼の言葉に、起伏の激しい私の感情は穏やかさを取り戻した。ありのままの私……か。きっと時間が経てばまた異性としての目線で見てしまうと思う。でも、彼がありのままが良いと言った理由は、彼自身私という存在そのものを愛してくれているからじゃないかな。その答えは彼のみぞ知ること。でも、私はそう信じたい。










&aname(guraena);

「じゃあグラエナ、一緒に入らないか?」

「OK! Hear we go!」

 ツバサに誘われたオレは喜んで承諾。ふっさふさのテールを揺らしながら風呂場に入ると、間もなくばあさんから借りた水着に着替えたツバサがやってきた。そして二人仲良く木でできた湯舟に飛び込むと、多量のお湯が周囲へ飛散し、それと同時に水と激突する反動が身体を襲う。ツバサは足から飛び込んだから大丈夫みたいだが、オレは腹から飛び込んだから痛ぇ……。ちょっとフィーバーしすぎたぜ。
 こんなミスを気付かれては恥ずかしいため、その痛みを紛らすように犬掻きの要領で前後の脚を動かしながら湯舟の中をうろうろする。二人で入るのを奨められたものの、この湯舟はざっと10平方メートルはあると思う。ばあさんだから面積も分からなかったんだな?

「グラエナ、さっきのことだけど……」

 あのヨウコさんとやらをババア呼ばわりしたことだな? ツバサの言葉にすぐ察しがついたオレはすぐに謝っておく。でもあのばあさん綺麗だったか? オレにはそうは見えなかったんだけど。

「仮にもキュウコンに縁のある人なんだぞ。キララなんて呼んでたし……」

 注意を促す彼の表情が一瞬曇る。キララの部分で曇ったあたり、自分の知らない名前を聞いたことがショックだったのかもしれないな。オレは以前、ニックネームはレグールだと教えたがそれも成り行きに過ぎない。ニックネームは身内など親しい者同士が呼び合う時の名前だと教えたから、それを知らせられなかった彼は、周囲の信頼に疑念を抱かざるを得ないというわけだ。
 オレたちポケモンとしてはアイデンティティーの一つではあるが、今更その名で呼ばれるのも恥ずかしい。とは言え、彼のハートを察するにオレだけでもニックネームで呼んでもらうようにしたほうがいいかな。幸いもう教えてるし。

「Hey! 今度からオレのことはレグールと呼んでくれないか?」

 思い切って声に出したオレは、ちっぽけな羞恥心を捨て彼の瞳をじっと見つめる。しかし彼はその言葉に頬の筋肉を緩めてはにかみ、ゆっくりと左右に首を振りこう応えた。

「遠慮しとくよ。なんだか今更恥ずかしいしな」

 やっぱりツバサとしても恥ずかしいか。それならそれでいいと思う。別にニックネームで呼ばれないからといって大事じゃないわけないしな。

「ニックネームにはそれぞれの歴史が刻まれてると思う。だから無理にそれに触れたりはしないよ。誰にでも聞かれたくないことはあるしな。オレも自分のミスは喋りたくないし」

 苦笑しながら言葉を付け加えたツバサ。彼の言葉はまさにオレの意に沿っていて、まるで心が見透かされているようだった。もしかすると前の一見で何か感づいたところがあったのかもしれない。その中で今の言葉が出てきたのは、他でもない彼の気遣いだろう。彼が感づいたかどうかは定かではない。それでも無意識的にでもオレを気遣う結果を出した彼には心から感謝したいし、同時にそんな彼に気を遣わせているかと思うと自分を恥ずかしく思う。
 おっと、こんなんじゃいけないな。今はオレなりにツバサと一緒に世界のために戦っているんだ。行いは悪くないし、何より常に前向きでいて元気を与えることがツバサに、みんなに対するオレの使命だと思う。

「ツバサ、確か今のところ手に入れてる宝石は五個だったよな。残りはあと4つだ。これからもファイトしていこうぜ!」

「ああ、もちろんだ。オレはもっと強くなる。そして必ずガレスたちを倒してやるんだ。うおおおぉぉ! 燃えてきたー!」

「ハハ、その意気だぜ!」

 オレたちの旅も半ばを過ぎたところか。この先ガレスとは必ず戦うことになるだろう。オフコース、レイカたち含め。その中でオレが果たせること、それはきっと小さくなんかない。いつもみんなを励まし、いざという時はこの風のレグール様がちょちょいっと敵を片付けてやるさ。こんなふうに勢いに乗れるのは、他でもないオレ自身もまたツバサたち仲間に励まされてるからだよな。

「Hey! いつもThank you!」

「お、おい! 急にどうしたんだよ!?」

 オレは前後の脚で水を掻き彼に近付くと、肩組みの代わりにペロッとその頬を舐めてみせた。










&aname(heruga-);

「じゃあヘルガー、一緒に入らないか?」

「私は水が苦手なんだがな。まあいいだろう」

 彼に誘われた私は、複雑な心境の下それに承諾する。というのも私は炎タイプ故に水に浸かるのは好まないからだ。しかしながらせっかく八匹もの仲間から私を選んでくれたのにその誘いを断っては、ツバサとてあまりいい気分ではないだろう。それではあまりに大人気ない。このような理由から、私は彼に付き従い温泉に浸かることにした。木目の見える床を踏み締め、だいぶ埃にまみれたガラスのある脱衣所を抜けると、人一人と私のような中型のポケモンが入るには十分過ぎる広さの浴場にやってくる。これだけ広ければさぞくつろげることだろう。自分が炎タイプであることが少し恨めしい。
 そんなことを考えていると、おばあさんから借りた水着に着替えを終えたツバサが後ろからやってきた。

「あれ、先に入っててよかったのに。律儀だなぁもう。待たせて悪かったよ。じゃあ一緒に入ろうぜ」

「あ、ああ……」

 彼は私が湯に浸かっていなかったことを待っていたからだと思っているようだ。残念だが、あいにくそうではない。すべての炎タイプが湯に浸かるのさえ嫌うわけではないのだが、私は浸かると疲労が解消するどころか体が重く感じてしまう。そのため入るに入れずにいたのだ。しかし、ここで雰囲気を壊すわけにもいかない。少しだけでも入るとしよう。そう考えていると、湯に浸かろうと足を伸ばしたツバサが突然足を止め振り返る。

「ヘルガー、お前炎タイプだからやっぱり温泉も苦手?」

「あ、いや、そんなことはない」

 ここに来て私の覇気の無さに気付いたのだろう。なるべく普段通りを装っていたつもりだが、通常けだるい様子をあまり見せない私がこの状態ではさすがに気付かれてもおかしくはないか。ツバサはだらしないところこそあれ、決して自己中心的な思考を持つ人間ではないからな。これくらいは気付いてしまうか。そんな彼が思わぬことを口にする。

「いやぁヨウコさんに勧められたから大袈裟に喜んだんだけどさ、実はオレ風呂嫌いなんだよね。入らなくてもいい?」

 嘘だな。普段ポケモンセンターにある共用の浴場を使用する際に彼が嫌がる様子は一度たりとも見たことがない。つまり、水を苦手とする私に風呂に入らずに済む口実を与えたのだ。まったく、見え透いたことを……嘘つきが下手だな。だが、そんな不器用は不器用なりに気遣ってくれた彼の思いやりが私には嬉しかった。私は彼の言葉にゆっくりと頷くと、彼が腰をかけた浴室用の椅子の隣に伏せる。今すぐ戻っては湯に入っていないことがばれてしまうので、しばしの時間潰しである。そこで彼は、私にある質問を投げかけた。

「なあ、お前が一番落ち着く時ってどんな時だ?」

 落ち着く時……か。そうだな、私にとっては星を見ている時が一番いい。群れで暮らしていた時からの癖だが、普段はおおよそ血生臭いことばかり考えているからな。当面の敵をどう陥れるか。仲間のモチベーションを高め、どう連携を取って敵に立ち向かうか。周囲に危険因子となり得るものはないか。こんなことばかり考えていてはとても気の休まるところではない。無論好きでこうしているわけではないが、これまでの行動からその思考が根付いてしまっている。そんな私にすべてを忘れさせてくれるあの時間において、私の魂は最も解放された状態にあると言えるだろう。と、彼に答えたはいいが、少々堅苦しい話になってしまったか。ここまで規模の大きい答えを彼は望んでいないだろう。

「そっか、じゃあ夜はゆっくり星を見れるように昼のうちに敵を倒しておかないとな。そうと決まれば特訓あるのみ。早速腕立てを開始だ! 司令官、コーチをお願いします!」

 私はいつから司令官になった? 思わずそうツッコミを入れたくなるほど彼は私の答えに対し面白おかしく切り返してきた。ま、これくらいで良いのかもしれないな。私のように根を詰め過ぎてはいずれ耐えられない時が来てしまう。そんな当たり前のようで大切なことを教えてくれたツバサだが、彼が根っからの真面目で誠実を旨としていることは私もよく知っている。その彼がこうしておどけてみせたのは、他でもない私への気遣いだろう。どことなく自分と性格上多くの共通点を感じるツバサという存在。その関係は、私に彼の良き理解者となるチャンスを与えてくれているように思う。今でこそふざけているが、彼はそうメンタルの強い人間ではない。この先必ず立ち塞がる壁に彼がぶち当たった時、私はどう支えればいいのだろう。

「おーい、ヘルガー。ちょっとくらい乗ってくれてもいいだろ?」

「フンッ、言っておくが私の課すミッションはそう楽なものではないぞ。ほら、この状態で腕立て百回だ!」

「ぎゃー! その乗るじゃねえ!」

 腕立てをすべく四つん這いになった彼の背に飛び乗り、右前足で軽く叩きながら指示を下す。まあ私の体重は40kgもないから大丈夫だろう。ん、さすがにやりすぎか? だが、一回もできないどころか床に突っ伏して悲鳴を上げる彼の上に堂々と鎮座するのもなかなか悪くない。と、ふざける先に私なりの彼に対する支え方が見えることを願う。結局、一番不器用なのは私なのかもしれないな。そう思って苦笑すると、その羞恥心を隠すように私はツバサの体に真っ黒の細い尻尾を打ちつけた。










&aname(enekororo);

「じゃあエネコロロ、一緒に入らないか?」

「え、あたし? しょうがないわね。あんたがそこまで言うなら……」

「別にそこまでってほど言ってないけど……」

「う、うっさい! 早く行くわよ!」

 まったく、まさかあたしを選ぶなんて……。恥ずかしくなってついきつく当たっちゃったけど、選択肢がある中で自分を選んでくれたのはその……嬉しかった。ちょ、ちょっとだけよ! ヘルガーじゃなくてツバサだし……
 脱衣所にやってきたあたしは、先程照れ隠しに怒ったことで顔が紅潮していないか気になってきた。とっさに無造作に置いてあった埃まみれの小さな丸鏡を見つけ、ふぅっと息を吹きかけ埃を払う。息を吹きかけるだけでは綺麗にならないくすんだ鏡は、あたしのしかめ面を映し出す。何こんな顔してんだろ。嬉しいなら素直に喜べばいいのに……

「さっ、入るぞ」

「えっ?」

 突然四肢が床を離れ、体が宙に浮く。ツバサがいつの間にかおばあさんから借りた水着に着替えを終え、温泉に入るべくあたしの腹へ手を伸ばし抱き上げてきたのだ。だ、誰も見てないからって恥ずかしいじゃない! ってか着替える時くらい声かけなさいよ!
 心臓がバクバクと激しく脈を打つ。こうなると気が気ではない。心の声が生の声として出ているかさえ判別がつかず、抱かれていることでこのドキドキがツバサに伝わっているかと思うと一層脈は速くなる。それだと言うのにこいつは悪気もなく楽しそうに振る舞うのだからもはやどうしようもない。

「おーい聞いてるかー?」

「はっ……! え、なんか言った?」

「体洗ってやるよ。水とお湯どっちがいい?」

「お湯に決まってんでしょ! あんた馬鹿じゃないの!?」

「だって、体がやたら熱いから……」

 ああもう、それはあんたのせいなの! この振る舞いがわざとだったらホント電撃浴びせるわよ。と言いたいところだけど、そうでもないのよね。あたしは重い溜め息を漏らすと、観念して好きにさせてやることにした。
 ヘルガーもそういうところあるけど、こいつもホント鈍感よね。デリカシーが無いと言いたいところだけど、この純粋さがこいつの魅力で……。大した顔してないくせにね。と、そんなことを考えていると突然視界が反転し、再び体が宙に浮く。

「はい終了。うん、さすがエネコロロ! 綺麗だな」

 ツバサがあたしの前脚を掴み、脇を抱えるようにして持ち上げたのだ。無防備な腹を正面に、顔と顔が向き合う。さらにその顔を急に近付け、額を突き合わせてくるではないか。するとどうなるか、もはや言うまでもないだろう。互いの唇の距離はもう数センチ。そんな中こいつはニコッと無邪気に笑ってみせるのだ。"綺麗だな"と、そう呟きながら。
 醜態をさらけ出させてからの接近戦を仕掛けてきたこいつに、あたしは手も足も出ずノックアウト。もうダメ……クラクラしてきた……。頭が回らず、このまま唇が重なってしまえばいいのにとさえ思ってしまい重力に従い瞼を閉じる。ごめんねヘルガー……

「お、おい! しっかりしろ!」

 キスじゃねえのかよ! このシチュエーションで気絶と勘違いだなんてマジありえないんだけど。雰囲気に飲まれ大好きなヘルガーより先にこいつと唇を重ねようとしてしまった自分が恨めしい。まったく、あたしの馬鹿!
 そんな時だ。胸が痛むほどの強烈な罪悪感により、自責の念に駆られていたあたしをツバサがぎゅっと抱きしめる。こいつめ、もう怒ったわよ!

「さっきから変だぞ。お前……病気じゃないよな? お願いだから体調が悪かったらいつでも言ってくれよ。オレ、お前に倒れてほしくないから……」

「ツバサ……」

 馬鹿……ホント馬鹿なんだから……。あたしをドキドキさせておいて病気と勘違いするだなんてなんておめでたい奴なの。でもこいつの……ツバサの声は震えていて……本当に心配してるんだなって思った。あたしも馬鹿よね。元々ツバサに悪気はなくて、ただあたしが勝手に妄想を膨らませるから……

「もう少し……こうしてていい?」

「お前が望むだけしてていいよ」

 ツバサ、ごめんね。いつも素直になれなくて、でも本当はあんたのこと好き。大好きよ。あとで謝るわ。だから、今だけは病という虚の力を借りてこうして素直でいさせてね。





 入浴を終えたツバサたちはその後またこれまでの出来事をヨウコと語りあい、気付けば外は満月が大空の主役となるほどに漆黒の闇がその濃さを増していた。
 ヨウコが久しぶりに再会したキュウコンと一日で別れるのが惜しいと言うため彼女の家に寝泊まりすることになったツバサたちは二十畳もの広い和室を借り、そこに人数分の布団を敷いて一晩を明かすことに。消灯し、一同が眠りについてからどれくらい経っただろう。
 ふと目を覚ましたルカリオは、キュウコンが寝床を離れていることに気付く。最年少でまだ幼いだけに普段誰よりも就寝の早い彼女が夜中に姿をくらますことは初めてだ。そこでこの家に入った際入口の戸がいつの間にか閉まるという怪奇現象を思い出したルカリオは、念を入れるべくすっかり夢の中のツバサを叩き起こす。

「オレにもチョコをよこせよ……あだっ!」

「起きろ。キュウコンがいない」

「うーん、まだ2時くらいじゃないか……って、なんだって!?」

古びた四角い時計を見ると時刻は既に丑三つ時。そんな中キュウコンがいないことを知らされたツバサは寝ぼけ眼から即座に平常時へと回復し、知らされた事実に目を見開いた驚愕の表情を見せる。そこでさらにルカリオはこの建物を訪れてからの怪奇現象についても知らせ、彼の様子を伺う。その際ルカリオは話しそびれていたことを詫びるも、ツバサはゆっくりと左右に首を振り気にするなとルカリオを気遣う様子を見せる。建物の怪奇現象。キュウコンの行方不明。二つの事柄は何か関係しているのだろうか。ふとそう考えたツバサはある共通点に気付く。

「……ヨウコさんだ」

「私もあの老婆を怪しんでいたところだ。この部屋もそうだが、古びた外観とは裏腹に不自然なほど広く立派な内装であることも気になるな」

「でもキュウコンの様子から見て偽者とは思えないし、そもそもゾーンが関係していたらあんな平常ではいられないよな」

 キュウコンに縁のある老婆ヨウコに焦点を当てるツバサとルカリオ。彼女の様子やこの建物について互いの見解をまとめ、本当に彼女を危険要因と判断すべきか相談する。しかし、確信的な答えが出ず焦りを見せ始めたツバサ。彼が残りの仲間を起こそうとすると、ルカリオはそれを止め二人で探しに行こうと提案する。あくまで他人の家であり、事を荒立てるのは好ましくないためだ。仲間を起こすのはキュウコンが建物内で見つからず、またヨウコの様子を伺ってからでも遅くはないと判断したのである。ルカリオがいれば万が一の際は変身して戦うこともできるためそれに納得したツバサは、早速戸を横へ引きルカリオと共に部屋を後にした。



 まず建物内にヨウコがいるかどうかを探るべく、探索を始めるツバサとルカリオ。

「抜き足、差し足、忍び足。三歩進んで、二歩下がる」

「こら、ふざけている場合か」

「ギャー! 腕のトゲぇー! 殺す気かボケ!」

 真夜中に他人の家を徘徊するのだから、当然ズカズカと歩くわけにもいかない。そう思い息を潜め、忍び足で歩くツバサに裏拳でツッコミを入れるルカリオ。事態は深刻な可能性があるにも関わらず、二歩下がるツバサをふざけていると勘違いしたためだ。
 ところが彼の腕の裏には棘が生えており、それが腹部に刺さったのだからツバサは悲鳴を上げずにいられない。結局は隠密行動どころか、騒音全開の探索となっていることにルカリオは溜め息をつきつつも、一応の謝罪をして探索を続ける。

「でね、それでね……」

「ん?」

 突然どこからか聞こえる声を、耳を僅かに震わせ聞き取るルカリオ。聞こえるその声はまだあどけなく、ワクワクする気持ちを抑えられないように一生懸命話しているのが分かる。間違いなくキュウコンの声だ。そう判断したルカリオは、彼女の声が外から聞こえてくることを小声でツバサに伝える。
 その知らせに目を見合わせ素早く首を縦に振ったツバサは、彼と共に玄関へと向かい、淡い月の光が漆黒の闇夜を照らす外へと飛び出した。

「あのね、そしたらね」

「キュウコン! ここにいたのか」

 声を追ってやってきたルカリオたち。そこには月光に照らされ金色の毛を輝かせるキュウコンの姿があった。何かあったのではと心配していたルカリオたちをよそに、彼女は何ら悪びれる様子もなく屈託のない笑顔を振りまく。これにはルカリオも苦笑するしかなく、何とも言えない気持ちを紛らわそうとツバサに視線を向ける。叱るに叱れないと考えているのは、彼とて同じであろうと判断したためだ。
 ところがどうしたことか。ツバサは血の気が引いたように顔を真っ青にし、あたかも雪山にいるかのように体をガタガタと震えさせていた。

「ル、ルカリオ……あ、あれ……!」

 震えながらもゆっくりと右腕を上げ、人差し指でルカリオの後ろを指すツバサ。首を傾げつつも、それに従うように振りむいたルカリオの目に恐るべき光景が飛び込んでくる。なんと、一人の老婆が宙に浮きながらこちらを見ているではないか。その体はかすかに透けており、月明かりを浴びてできるはずの影がない。

「お化けだぁーー!」

「まさか幽霊だったとは……」

 我を忘れて叫ぶツバサと、衝撃の事実に驚きを隠せないルカリオ。それもそのはず、その老婆はキュウコンと縁がある人物であり、日中ツバサやルカリオとも普通に話をしていた"ヨウコ"だったのである。
 キュウコンは彼女の正体を知っていたためか全く驚く様子も見せないが、ツバサは気が気ではない。多少の怪奇現象であればいざ知らず、日中何ら幽霊と感じることもなかった人物が、今目の前で幽霊となっている事実に頭の整理が追いつかないのだ。
 一方幽霊であることを知られたヨウコもまた、平常心ではいられなかったのだろうか。生きている者と何ら変わらず接してくれるキュウコンと異なり、自分を恐怖の対象としか見ていないツバサにただならぬ怒りを抱いたのである。

「成仏しろと言うのじゃろー!」

 ヨウコはキュウコンの話を聞いていた時の穏やかな表情から一変、眼球が飛び出すほどに白目を剥き出しにした恐るべき表情を露わにしたのだ。既に死者である彼女にとって、怒りで眼球が飛び出そうが痛くもかゆくもない。今彼女にあるのは、自分をおぞましいものとして見るツバサへの憎悪だけなのだ。
 そんな場の雰囲気から彼女を危険要因と判断したルカリオは、それを排除すべく彼女とツバサの間に割って入る。彼とてこの事態に困惑を隠せないが、ツバサを守るためであれば例え誰が相手でも始末しなければならない。それがアーロンとの約束――彼の使命なのである。
 ところが、鋭い目つきで睨みつけ半身の体勢で構えるルカリオをすり抜け、ヨウコはツバサを追い回し始める。彼女は幽霊のため、実体を持たないのだ。

「う、うわ、こっちに来るな化け物!」

「黙れい! その減らず口から魂を引き抜いてくれるわ!」

「おばあちゃん、もうやめて!」

 キュウコンの制止の声さえ届かず、恐怖の形相でツバサを追い回すヨウコ。その口からツバサの魂を引き抜くとの言葉を聞いたキュウコンは、かっと目を見開き駆け出す。
 次の瞬間、なんと彼女は逃げるツバサに体をぶつけて押し倒したのだ。

「気でも狂ったか……!」

 彼女の行動にますます事態が読めなくなったルカリオは、憤怒を露にし叫ぶ。
 しかし、事態の混乱はさらに深まるばかり。ぎゅっと目をつむったキュウコンは、押し倒され仰向けになったツバサに対し、ゆっくりと顔を近付けて自らの口で彼の口を塞いだのである。
 恐怖で顔を歪ませ、同じく瞼を固く閉じていたツバサは、口元に温かく柔らかな感触を感じはっと目を見開く。

「ぜったい……ぜったいわたしが守るからね……」

 大切な人を守りたい。その一心で身を動かし、ツバサの恐怖を和らげようとテレパシーで語りかけるキュウコン。口を塞ぐことで、ヨウコが魂を抜くことを阻止しようというのだ。そこに邪念などありはしない。開いたツバサの目にはそんな彼女の必死な表情が映り込む。
 その瞬間、彼の中で何かが切れる。即座にキュウコンを払いのけて起き上がると、驚いて目を開いた彼女の頬を両手で掴み、緊迫の面持ちでこう叫んだ。

「お前にもしものことがあったらどうすんだ!」

「だって……」

 彼の気迫に押され、目に涙を浮かべるキュウコン。そんな彼女を一度ぎゅっと力強く抱きしめると、ツバサは立ち上がり、首に巻いた白いマフラーを脱ぎ去りハチマキのように額へと巻きつける。それに合わせルカリオが彼の傍に迫ると、ツバサは開いた左手に右手の拳を打ちつけてこう言った。

「こうなればやるしかない!」

 キュウコンが敵意を抱いていないことから避けていたが、身の危険が極まれば手段を選んでいる暇はない。そう判断したツバサはマフラーの下に着けていたペンダントの一つ――オーラペンダントを右手で強く握る。
 そして変身しようとした矢先のことだ。突然ヨウコの形相が元に戻り、穏やかな表情になったではないか。

「悪かった悪かった。今のはちょっとしたお遊びじゃよ」

「は?」

「よかったぁ。おばあちゃんがこんなことするわけないもんね!」

「そうじゃとも。よう分かっててお前はえらいなぁキララ。よしよし良い子じゃ」

「……」

 予期せぬ事態に、頭に疑問符を浮かべるツバサとルカリオ。そんな二人をよそに、キュウコンとヨウコは和気あいあいとした様子。さすがに呆れるよりなかったのだろう。ルカリオは重い溜め息を漏らすばかり。

「何がお遊びだこのクソババア!」

 一方のツバサは命の危険まで感じたために、白目を剥き出し地団駄を踏む。
 しかし、キュウコンがヨウコを見てニコニコと可愛らしい笑顔で笑う姿を目の当たりにし、とりあえずは何事もなくてよかったと安堵する。
 少し落ち着くとキュウコンが自分を守ろうとしたときのことを思い出し、少しずつ顔を紅く染めるツバサ。普段は鈍感な彼でも、異性と口が合わさって何も思わないことはない。

「(あれは……ううん、ありがとうキュウコン)」

 それでも今は、ただお礼が言いたい。自身のために身を盾にする覚悟で守ろうとしてくれたキュウコンを思い、心の中純粋な気持ちで礼を言うツバサ。彼女がそうしてくれたように、彼にとってもまた彼女の身は自身の身に勝るのだ。





「う、うーん……」

 温かな優しい光が身を包み、それに気付いたツバサたちが目を覚ます。時刻は既に朝を迎えていた。そこで気付いたことが一つ。

「ええーっ!? 家がなくなってるじゃない! ど、どうなってるわけ?」

 昨晩泊まったはずの家は跡形もなく消えており、またそこにヨウコの姿はなかった。そう、すべては幻だったのである。エネコロロを始め、一同困惑した様子を見せたためツバサは深夜の出来事を簡単に説明することに。

「……と言うわけなんだ」

「なるほど……変なこともあるものね」

 説明を受け納得した彼らを見ると、ツバサは旅を再開すべくポケモンたちをボールやペンダントに入れていく。しかし、一人で歩くのは危険であることから、キュウコンはボールに入らず彼と共に歩くことに。
 伝説の宝石、そしてキュウコンの棲み処を求め北へと歩みを進める一人と一匹。ツバサの胸には、身を盾にしてでも自分を守ろうとしてくれたキュウコンの姿が、キュウコンの胸には、誰よりも自分の身を気遣ってくれたツバサの姿がある。
 そんな彼らを茶化すように、突如降りだす雨。

「あれ? 空は晴れてるんだけどなぁ。こりゃまずい。急ぐぞキュウコン! 雨宿りできる場所を探さないと」

「うん、いこいこ!」

「って、なんでオレの背中に掴まるんだよ……。ったく、しょうがないなぁ」

 雨宿りできる場所を求め、足を速めようとしたツバサ。そんな彼の背に飛び乗るキュウコン。ボリュームたっぷりの黄金色の尾があるものの彼女の体は軽く、ツバサでも十分に背負える重さだ。そんな彼女が何の躊躇いもなく甘え、身を預けるのは信頼の証。それを分かっているツバサは、言葉とは裏腹に静かに喜びを噛みしめ走り出す。
 そして彼らを木の影から見送る者が一人……

「あの子とならきっと乗り越えられようて。良い婿さんを持ったもんじゃわい。狐の嫁入りじゃ。ヒヒヒ……」

老婆は満足した様子を浮かべると、彼らを祝福する七色のアーチを残し天へと昇っていくのだった。





----
[[ポケットモンスタークロススピリット 第28話「ゼロとジェネシス」]]
----
''あとがき''
今回のお話は、サービスシーンとなるものを多めに入れようと意識して書きましたがお楽しみいただけたでしょうか?
分岐点に関しては本編に関わる秘密などは入れていませんが、それぞれの個性を再認識する上でも役立つと思うので、まだ覚え切れていない人はここで改めて覚え、覚えている人はお好きなキャラクターのシーンを楽しんでいただければと思って書きました。
これからは終盤戦というわけで山場が多くなりますので、今回で一息入れてもらえましたら幸いです。

ここまで読んでくださりありがとうございました。
よろしければ誤字脱字の報告や、感想、アドバイスを頂きたいです。
#pcomment(above)

トップページ   編集 差分 バックアップ ファイル添付 複製 名前変更 再読み込み   新規作成 ページ一覧 ページ検索 最近更新されたページ   ヘルプ   最終更新のRSS
This site is protected by reCAPTCHA and the Google Privacy Policy and Terms of Service apply.