ポケモン小説wiki
プロローグ-謎の浮島- の変更点


書いてる生物 [[ウロ]]
----
-1

ごうごうと蠢く空が、仰々しくうねる。何が起こっているのか、空を飛ぶポケモン達は雲をよけ、虫ポケモン達は必要以上にざわめいていた。
通り雨が、さっと来てさっと抜けていき、雲がどんどんはなれていく。風がびゅうびゅうと吹きつけて、まるで空を切り裂くような勢いをだしている。暗澹とした夜の静寂に、強い強い風が、一瞬だけ吹きつけた。
それは自然の成せる技なのか、否、これは人工の風。ポケモン達は、雲がなくなった空を、影一つない夜の空を見上げていた。
不意に、影ができた、雲がつくった影ではない。巨大な建造物が、まるで足を持ったかのように走り始めた、そんな印象を受け、ポケモン達は夜空を見上げた。
それは、とても唐突にやってきた。雲が消えたと思ったら、いつの間にか空に現れていた。その場所に本当にあったのかすら首をかしげるような印象とともに、突如として現れた。
巨大な、島だった。見ているものを別の世界に引き込むような、圧倒的な大きさ、まるで違う世界からやってきたような、謎の浮島。ポケモン達は互いに空を見上げて、口々に囁いた。
あれはなんだ?
あれはなんだ?
あれはなんだ?
まるでわからないまま、時間だけが過ぎていく中、あれがどういうものなのか、断片的に理解するきっかけが、起きた。
あるポケモンの目の前に、何かがふってきた。それはとても古いつぼで、上を見上げると、そこにはあの浮島が漂っていた。
ポケモン達は確信した、あれは何だ、あれは、宝の島だ。
宝の島とわかっても、ポケモン達は思い思い、口々に呟いた、はて、何故こんなところに現れたのか、はて、どうして宝がふってきたのか……
考えは尽きない。ポケモン達は島に赴き、真相を確かめようとしたが、雲の上では届きようがない。どうしたものかと思いながら、揺れながら蠢く宝島を、ただただ見つめるばかりであった……


-2


夏のうんざりするような日差しが、広い原っぱをてらす。周りの林も、うんざりしたかのようにざわめいて、近辺の石や岩は、じりじりと熱を持つ。
暑い日が続くと思って、水を汲んできた。保冷庫に水を入れておけば、いつの間にか冷えている。数時間前に入れていた水を取り出して、レモンはコップに並々と水を注いだ。少しだけ部屋の中に風が入り込んで、コップが動いた。
「暑い」
言葉に出し、一気に水を喉の奥に押し込んで、ため息を一つついた。昨日の夕立の所為で、やけに今日は湿気が高い、それに加えて、猛暑日を思わせるような天気で、顔に掻いた汗を拭いながら、ハァ、ハァ、と断続的に息を吐く。
涼しくなりたいと思ったときもあったが、こんな何もない原っぱに立っている集落のような場所で、そんなものはありはしない。畑と、家がまばらに数件広がるくらいで、後は、森と呼べるかも分からない木の寄り集まりと、無意味に積みあがった石ころの数々、本当に何もないところで、田畑を耕して、水分の多い野菜や果物を作っている家に、自分達のつくったものを交換しに行かないと、みずみずしい食事にありつくことは出来ないが、暑さでそんな気力も萎えている。
窓を開けて、換気でもしようかと考えたが、そんなことをしたら汗をかいた体が冷え込んでしまうと思い、彼は考えるのをやめて、もう一杯飲もうと、コップに少なめに水を注いだ。
土の匂いがする、鼻をひくつかせて、結局窓を開けてしまった自分が、どれだけ優柔不断なのかを考えていたが、そんなことを考えることも馬鹿らしくなって、つっかえの棒を外して、木の窓を上に押し上げる。爽やかな風が入ってきて、レモンは若干身震いをした。
「ああ、畑の臭いか」
昨日の夕立の所為で、大体育てていた野菜などは土が流されてむき出しになったものが多く、ため息をつきたくなった。土の臭いが鼻腔をくすぐり、農作業をしろと体が伝えていた。
げんなりとしながら、木の窓を下げて、しっかりとつっかえ棒を差し込む。億劫そうに椅子から降りて、首を鳴らして、両頬にある電気袋の調子を確かめる。至って正常に動いて、特に問題はなかった。
ため息が漏れたのを聴力に優れた耳が拾った。最近耳を掃除していない。かすが溜まっているかもしれないと思いながら、右の耳を穿って、ふっとつまんだものを息を吹いて飛ばす。出入り口に立てかけてある農作業用の鍬を持って、やれやれと口に出した。
「大変だけど、やらないとなー」
レモンの両親が持っていた土地を、今ではレモンが守っていることに、レモンは何だか延長線上の猿芝居のように思えてしまった。だが、そんなものか、と割り切ってしまえば、案外辛くないものだということもレモンは知っていた。極貧生活を続けていた所為か、特別これがいいとか、これが嫌だとかそんなことを思わなくなってしまった。
土が完全に駄目になってしまう前に始めよう、と思った矢先に、出入り口が引かれ、一匹のポケモンが入ってきた。同居人のオレンジだった。
「土のならし、するの?」
「しなきゃ、作物が死んじゃうから」
そうだね、とオレンジも笑って、鍬を取った。
「偏りがあるんだよ、雨が降っても、大丈夫な土と、大丈夫じゃない土とさ……」
「へぇ?」
オレンジは笑う。
「現にほら、向こうさんの畑は雨が降ってもほとんど地ならししてないじゃん。僕もここのところ、地ならしなんてすっかりご無沙汰だけど、やらないといけないのと、やらなくてもいいのと分かれてるのさ」
「そうなんだ」
「そのくらい知っておいたほうがいいと思うけどね。ここから出るのなら、あまり気にならないことかも……」
「そんな事言わないでよ」
「ここに来たとき一回だけあったんだよね、こっちがひいこらして畑を耕しているときに、向こうさんは楽しそうに木の実を蒔いてたよ。こっちには肥料なんてありゃしないからね、あっちの芝生は青いってね」
皮肉のような言葉を吐いて、レモンは乱暴に扉を蹴飛ばす。ものに対して非常に乱雑な行動を起こしたことに、少しだけオレンジは嫌そうな顔をした。
「こんなにめんどくさいことするくらいなら、引かれた方がよかったかな?」
「引かれる?」
レモンは頷いた。
「僕の両親が死んだときに、次は僕の番かなって――立て続けにころっとなっちゃうのをね、両親が寂しがってるから、あの世へ引っ張るってこと」
「ああ、それで『引く』ってことなんだ」
「迷信だけどね、だけどほんとに、不祝儀っていうのは続きざまに起こる事さ。馬鹿馬鹿しいようで、それなりに説得力を感じるよ。理屈じゃなくて、皮膚感覚として」
そうだけど、とオレンジは首を横に振った。家の裏手に回り、三和土の横を通り過ぎて、柵のある畑へ足を運んで、口を開いた。
「若いのに、そんなこといってていいの??」
本当にポックリと、と言う言葉の前に、鍬を振り下ろす音が聞こえて、オレンジは口をつぐんだ。
「死は等価値さ」
レモンはそれだけいうと、機械的に鍬を振り下ろす。オレンジは暫く唖然としていたが、慌てて別の畑をならしに鍬を振るった。
「貧乏だからとか、お金持ちだからとか、そんなこと関係ない。誰が死ぬかなんて、誰もわかりゃしない。明日僕は死んでるかもしれないし、もしかしたら死なないかもしれない。誰にでも平等だからこそ、若いからとか、年寄りだからとか関係なく訪れるから、死は等価値。特別可愛そうな死なんてないね。皆、死に引かれるのさ。それがいつかは、わからないけどね」
実際に目の当たりにしたからこそ、オレンジはそれに対して頷くことしかできなかった。何かを言おうとしても、口を封じられたように、喉の奥に言葉が引っかかる。
死は普遍だ。生まれた以上、死なない生き物は存在しない。それがいつになるのかは、全く理解できない。オレンジとレモンが幼い時、レモンの両親はこの世を去った。それこそ、何かに引かれる様に……
だからレモンは等価値だといっている。それを間近で見ているからこそ、オレンジもそれに対する返答がない。しかし同時に、不可解なものだと、頭の中で思ってしまう。
生き物の死は当然なのに、周辺のポケモンの死に対して、起こるべきことが起こったと思うポケモンは殆どいない。むしろ逆だ。起こるべきことではないことが起こったという感触を抱く。それが続く。
起こるべきでないことが起こったという、まるで災厄にでも遭遇したかのような感覚。常には意識することの出来ない何者かが、理不尽な現実を捏造し自分に対して突きつけるような、不快感とも畏怖とも不安ともつかない不可解な情動。こんなことが起こりえるのかという感慨と、また続いたらどうしようという不安、それが事実になったときの、やはりという原初的な畏怖。そうとはっきりわかるほど明瞭な感情ではないのだけれども、振り返って言葉にすると、レモンが言っていた様な表現になるのだろう。
偶然の仕業なのか、それとも違うのか、何かの選択が動いてるとさえ思えるような、自分の外部に歴然と存在する「死」というもの。支配することも関与することもかなわない無常の節理。それに対する曖昧模糊とした不安は、「引く」という言葉に出会って解消される。――不思議にも。
「生き物は不思議だよね」
鍬を動かしながら、レモンは微笑んだ。怪訝そうな顔をしたオレンジに、笑みを送る。
「生き物にとって死というものは、っていってもいいのかな、死というものに対して生き物は、奇妙な振る舞いをするもんだなって気がしてさ」
「そうなのかな」
「さあ、ね」
レモンはそっけなくいってから、しっかりとならした土を足で踏んで、具合を確かめた。ついでに手にとって、適当にばらすと、さらりと土の上に落ちていった。
「こんなもんでいいかな……」
「レモン、こっちも終わったよ」
「そう、じゃあ後は、適度に水をまいて、保湿しよう」
レモンの言葉に頷いて、オレンジは鍬を両手でしっかりと持つと、レモンの後に続いた。
「レモン……」
「んー?」
「さっきみたいなことは、あまり言わないで……」
「んー、考えておくね」
おざなりなレモンの返事を耳にしたオレンジは、心配そうな顔つきをレモンの後姿に送ったが、反応はなかった。
オレンジは、昔の彼を思い出し、心の中で思っていた……
(昔のレモンは、こんな風じゃなかったのに……)
昔のレモンは、もっと細やかな気が効いて、誰に対しても優しく、元気のある――と、そこまで考えて、オレンジはかぶりを振った。
昔は昔だ、いくら懇願しても、昔のレモンに戻るはずがなかった、昔に戻ってほしかったが、それは多分無理な話だろうと、半ば諦めかけていた。
今のレモンは、殆ど他人に対しても、時となれば自分に対しても無頓着なときがある。両親が死別して、生活が一気に苦しくなった所為なのかは知らないが、他人を気にする余裕がなくなったということなのだろうか。
レモンは言った。死は等価値だと。まるで自分も他人も全て他人事だといわんばかりの言葉を聞いて、オレンジは眉を潜めた。
もしかしたら、レモンはこのまま、何に対しても無頓着になっていくのではないだろうか、と……
扉を開け、中に入る前に、オレンジは後ろを振り向いた。不気味な静寂の中に、異様な雰囲気と一緒に佇んでいる浮島を、神妙な顔つきで眺める。
「気になる?」
扉を開けて、レモンが後ろから声をかける。気になるというより、目に付いて離れないというのが正しいかもしれない……
「何だか悪い感じがする……あの島……」
「ヘェ、悪い感じね。珍しく僕もそう思ってたんだ」
レモンはあっけらかんとそういって、後ろから鍬の柄でオレンジを小突いた。入れ、という合図だったのか、オレンジは少しだけ鬱陶しそうに柄を払いのけて、静かに家に入ると扉を閉めた。
「もうちょっと女の子を大切に扱ってほしいなぁ」
「それは失礼、君を女の子として見れないもんで」
レモンの言葉に、益々オレンジは顔を不快に歪ませる。デリカシーというものが欠落しているとしか思えない言動で、呆れたように息を吐いた。そんな仕草も、レモンはツン、と無視をする。
オレンジは感情が欠落したレモンを見て本当に呆れながら、改めて扉の向こうの宝島を脳裏に思い浮かべた。悪い気がするというのは、本当のことだった。
悪い、というと語弊があるかもしれない。言い換えるのなら、物凄く、違和感を感じるといったほうが正しいかもしれない。それだけ、あの島には違和感が漂っている。不思議な気持ちと一緒に、不安も混ざりこむ。どうしてそんな気持ちになるのかは分からないが、不安がぬぐい切れなかった。
「ふん、たいそうなもんが出てきたと思ったけど、妙に気持ち悪い気が漂ってる……あれはよくないものだね」
レモンは乱暴に鍬を立てかけてから、椅子に座り、ため息をついた。体中がねっとりとするような暑さに覆われて、少しだけ脳が沸騰しているのか、すぐに保冷子から水を取り出して、コップに注ぐ。この暑さの中では、すぐに飲まないと、十分もすれば温くなってしまう。
「オレンジ、氷と氷嚢取ってきて」
「どうするの?」
「足につけて冷やす」
「莫迦」
暑さでやられてしまったような発言をして、レモンはうんざりしたように天井を仰いだ。ここ最近、こんな暑さばかりが続いて、水を汲みに行くのも億劫になっていた。オレンジは家の雨漏りを直したり、暑さ対策のために料理を作ってくれたりしているので、水を汲んで来い等と言えるはずもなく、男であるレモンが自分の足腰に鞭を打って水を汲みに行っている。その分、冷えた水で作られる食事はとても美味しいものだが、大体レモンが殆ど飲んでしまうので、また翌日に汲みに行く羽目になる、という悪循環が続いている。
「あのでかい浮島、こっちに来て日陰つくってくれないかなぁ……」
「冗談じゃない。あんなもの来てほしくないよ……」
「冗談だよ、本気にしなさんな」
いって、レモンは軽く肩をならした。同時に胸の中で、言いようのないむかつきが広がっていく。
ここ最近、農作物の育ちがよくない。最近といっても一週間くらいだが、、まるで元気を吸い取られたように、野菜や果物がしなびていく。
異常だと感じていた。恐らくオレンジもそれに気がついているが、口に出さないだけだろうと、レモンは思った。これ以上被害が出ようものなら、文字通り道端の草を食んででも生き延びるような極貧生活を強いられるかもしれないと、レモンは胸の内で悪態をついた。
一週間前、雲の間にわって入った謎の浮島。出現から一週間がたったが、明らかに異常を醸し出していた。
「面倒なことになりそうだな」
レモンは口の中に溜まった唾を飲み込んで、顔を顰めた。一週間以上変な物体を見上げている所為か、首が痛いというのがあった。
あの近辺に住んでいるポケモン達は、どう思っているんだろうか……


-3


日陰が続いた所為か、少し日の光が当たる場所に行くと、日が暮れるまでその場所に留まることが多くなってしまった。尻尾の炎もそこにいるときだけ元気になり、日陰に入ると力がなくなってしまうような感じがした。勿論、それはライチの思い込みであり、そんなことはあるはずがなかった。
「ただいま」
家に帰り、出入り口の藁暖簾を上げて、声を出したが、返事はなかった。当たり前だ、ライチは一人で暮らしているのだから。
「お帰りなさい、ライチ」
ライチがそう考えていた矢先に、返事が飛んできて、ライチはきょとんと目を丸くした。声の先に視線を動かすと、イーブイのグレープは笑いながら勝手に林檎を咀嚼していた。
「帰りが遅いものだから、勝手に林檎を食べてしまいました」
「ああ、別にいいんだけど、どうしたの?」
「空に浮かぶ島、一番近いこの家のポケモンと友達で、私、本当にラッキーでした。ね?ライチもそう思いませんか?」
「僕はそう思わないなぁ」
黒い雲は不吉を、あの浮島は日陰を呼び寄せる。それを楽しそうに語るグレープは、何を心に秘めているのだろうか。ライチは考えながら、木で編んだ籠の中の葡萄を一つ掴んで、一粒皮ごと口の中に放り込んだ。甘酸っぱい果物の果汁が口の中に広がり、果肉の感触と一緒に楽しんだ。
「どうしてですか?」
「僕にとっては、あの浮島は、日陰を作ったからね、早く移動してほしいんだ。おかげで果物がだめになりかけている」
「ライチの畑は、そういえば果物が多くつくられていましたね」
「そうだよ、野菜はレモンのところから貰ってきているから」
「レモン?」
グレープは眉を顰めた。ライチは微笑を浮かべて、次々と葡萄を口の中に放り込む。
「向こうのほうに家が建ってて、野菜と果物を交換しているんだ、ほとんど話したことないから、物々交換の相手としか思えないけど、別に悪いポケモンじゃないよ、豊作のときはサービスしてくれるしね」
「ヘェ、そんな人がいたんですか」
グレープは感心したように首を上下に動かす。尻尾がパタパタと、楽しそうに揺れる。
「グレープは、交換とかしないの?」
「私ですか?ええ、特にしないです。書籍の交換なら喜んでしますけど」
そういえば、グレープは本が大好きだったんだな、とライチは改めて思って、口の中に溜まった葡萄の皮を一気に吐き出した。唾液と一緒に、中身がなくなった皮が飛び出して、思わずグレープはびくりと肩を震わせた。
「びっくりしました」
「あ、失礼」
ライチは謝りながら、皮をくずかごに放り込んだ、生ものを放置しておくと大変なことになる、後で槌の肥やしにしてしまおうと考えた。
「それにしても、不思議ですよね、御伽噺に出てきそうな宝島みたいです」
ライチは訝しげな視線を、林檎をほお張っているグレープに向けた。
「宝島なんて、迷信だと思うけど」
「そんなことないと思いますよ。私たちはまだまだ夢を見る年頃だと考えてもいいはずです」
ライチは顔に一筋の汗が伝うのを感じて、妙に嫌な雰囲気になったなと、心の中で呟いた。このグレープという少女は大体こんな感じだ。何が不満なのか知らないが、刺激を求めている。毎日を平和に生きることが出来ればそれでいいと思うライチとは、考えていることがまったく逆だった。
刺激を求めるグレープ、平穏を求めるライチ、まるで意見が違う両者がめぐり合ったのは、まさに運命としか言いようがない。ライチは頭を抱えて、やれやれと一人ごちる。
一族の慣わしに従い、世界を見聞する旅に出た彼は、まもなく旅を終え、一族の元へ帰るという行動のみが残されていた。そんな中、グレープという少女は、何かにつけてライチを引っ張りまわす。アグレッシブなのは、一人でやってほしいと、ライチは心底そう思っていた。
グレープが嫌いなわけではないが、苦手意識というものは少なからず持っている。ライチにとってグレープは苦手なポケモンの一匹である。一緒にいてめんどくさいと感じることはないが、できればあまり一緒にいたくはないという感じである。
「どうしたんですか?あ、果物ばかり食べてて、何だか口の中が甘ったるいんですね、ちょっと待っててください、コーヒーを入れてきます」
別にそんなことを頼んではいないが、ライチが頼んだかのようにグレープは頷いて、意気揚々とコーヒーの豆が入った袋を台所の保存穴から引っ張り出した。
「どうしてそこにあるって知ってるの?」
「え?調べました」
さらりと恐ろしいことを言ってのけるグレープを見て、ライチはまぁいいかと、籠の中の梨を一つ掴んで、一口齧る。瑞々しい味が口の中に広がって、コーヒーがいらなくなる感覚がした。
憂鬱な思いと一緒に家の壁にぽっかりとあいた穴に視線を移動させる。自然に空いたものではなく、自分自身であけた穴だ。格子状の木枠をはめ込んで、空気の通しをよくするのと同時に、窓の役割を果たす。――その先に見える平原は、どこまでも薄暗かった。
たまにある日陰なら悪くない、多少の時間ですぐにお日様が顔を出し、温かい陽気と、やる気を運んでくれる。しかし、日陰続きで、どうも体調が悪くなったような感覚がした。めまいや頭痛、軽い倦怠感の症状があらわれたようなきがして、少しだけ気になり、この草原の近辺の医者に末梢血を採血してもらったが、特に異常はないといわれた。
(異常がない……っていうことは、僕の思い過ごしなのか……それとも)
医学では証明できない何かの瘴気が、あの浮島から発せられて、体調不良を引き起こすような何かを出しているのか。
非常に気にはなったが、気にしてもしょうがないとライチは思った。後少ししたら、荷物をまとめてここから故郷へ帰るのだ、開いた家はどうしようかと思ったが、グレープに上げればいいかと思った。浮島が近くに見えるのなら、彼女もさぞ喜ぶことだろう。
深い翳りはどこまで続くのだろう、この憂鬱な日陰はいつになったら取れるのだろう。ライチは深く考え込んでいて、器用に頭の上にのせたお盆にのったコーヒーと一緒にお茶菓子を持ってきたグレープに気がついていなかった。
「――ライチ?聞いてますか?」
「え?ああ、ごめん、なぁに?」
慎重に頭の上に載ったお盆を斜めにずらして、ゆっくりと載せてから一息つく、自由になった体を、椅子に預け、話を続けた。
「あの宝島には、一体何があるんでしょうねって、さっき話していたんですが、ライチったらまるで上の空みたいで」
「上の空だと思ってるのなら何故話したし」
ライチは苦笑しながら、視線をグレープに戻した。ちょっとばかりふてくされているような表情が浮かんで、何だか可愛らしい。
「あの宝島、きっとワクワクドキドキの冒険があるに違いありません」
「そんな莫迦な、あの浮島が宝の島って言う根拠はないでしょ?」
「古代の古い壺が落ちてきたじゃないですか」
「埃かぶった壺ね」
ライチはいかにも面白くなさそうなコメントを返して、食べかけの梨を齧り、コーヒーを啜った。口の中が変な味になって、顔を顰める。
そんな反応が面白くなかったのか、グレープはむすっと顔を険しくしたが、ライチにはそんなことはお構いなしだった、話をあわせなかっただけで、そんな風に思われるのは侵害だなぁとは思ったが、それ以上何かを言うと、益々気分を損ねてしまうので、黙っておいた。
「もうちょっと宝物っぽいものが落ちてきてたら、宝の島だってわかったんだけどね」
「たとえば?」
「何だろうね?」
わからないんですか、とグレープは苦笑した。多少なりとも笑顔が戻ってきてくれれば、それでいいと、ライチは食べきったなしの芯を弄りながら、笑った。
不意に、入口付近の壁を叩く音が聞こえて、ライチはきょとんと目を瞬かせる。私が見てきます。という声と一緒に、グレープは軽快に椅子から飛び降りると、ゆっくりと出入り口の藁暖簾を押し上げる。
「あ、やっぱりここにいたんですね、グレープさん」
「あ、イナゴさん……」
郵便配達をするハッサムのイナゴは、家主が移動しているということも殆ど知り尽くしているといった風情で、にこやかな笑みを浮かべて、鋏に挟まっている一枚の髪をゆっくりと近づけた。
「遠方のご両親からの贈り物です。一応、サインを」
「ええ?またですか?」
グレープはうんざりしたような瞳をイナゴに送ったが、イナゴはゆっくりと首を横に振った、彼もその職業所以に、郵便物をないがしろにはできないのだろう、暫く沈黙を保っていたが、無言の圧力に押されたのか、グレープはしぶしぶ家の中に入り込んで、ライチに書くものを貸してほしいと頼み込んだ。
便利なものは何一つないこの草原では、基本的に郵便の送り先と受け取り先、そして書くものと食べるものさえあれば何不自由なく暮らしていける、遠くの地方もそこまで発展などしてはいないが、ここだけはどうも時代が追いついていないような印象を受けていた。
ライチは文通用に使っていた鳥ポケモンの羽と、黒のインクを手渡した。半ばひったくるようにそれを受け取ったグレープは、器用に口に咥えると。イナゴの前までやってきて、渋るようにサインをした。
「イナゴさん、私の家に届く荷物は全部返却してくださいよ」
「そういわれましても、これが仕事ですので、グレープさんには申し訳ありませんが、どうすることも出来ません」
困ったように笑みを浮かべるイナゴを見て、益々グレープは鬱屈とした顔を向ける。その表情は、嬉しいのか悲しいのか、それとも呆れているのか憤怒しているのか、どれともつかない表情だった。
「それでは、また今度」
「こんどはなしでお願いしたいです」
イナゴは儀礼的に頭を下げると、薄い四枚の羽をゆっくりと動かして、低空で飛んでいってしまった。
残されたグレープはイナゴの持ってきた荷物をしげしげと眺めた。送り主は、遠方にいる両親で相違ない。
「どうしてそんなに嫌な顔をするの?」
「過保護な親の元で暮らしてきましたから、嫌というよりは、心配してほしくないんですよ」
なるほど、とライチは頷いた、強い愛情の行く先をライチは知らなかった。グレープにとっては、その行く先が重苦しいものなのか、光り輝くものなのかはわからないが、とにもかくにも、渡されたものだけは確認しておかなければならなかったために、いかにも面倒くさそうに包みを破り始める。大きさは中くらいで、重さもさしてないために、何か分からなかったが、中身を見て、グレープは益々顔を顰めさせた。
「あ、いよかんだ」
「……この間手紙で食べてみたいと送ったら、これですか」
喜ぶべきだろうが、先日両親に送った手紙には残念ながら、いよかんを育てているので不要としっかり追伸したはずだが、どうやらグレープの両親にはそんな言葉は通じなかったらしい。グレープは、自分の家の木に生っているいよかんを思い浮かべて、微妙な表情を燻らせる。
恨めしそうにいよかんを見つめるグレープを隣で見つめながら、ライチは苦笑い。何を言えばいいのかわからずに、こめかみをぽりぽりと掻いた。
グレープは両親に心配をして欲しくないが、そんな気持ちとは裏腹に、両親はグレープのことをずっとずっと大切に思い続けている。グレープは、それが嬉しく、そして悲しかった。
もしかしたら周りから見たら、まだまだ独り立ちのできない子供を思う親のような感じで見られているのだろうか、そう思うと、グレープの言葉にも不思議と共感がもてるような気がした。
暫く呆然とそんなことを思い出して、いつの間にか話しかけられていたことに気がつくのに、数秒を要した。
「ライチ」
「――え?あ、ごめん」
「このいよかん。食べてしまいましょう。大量に送られてきているわけでもありませんし」
「いいの?」
首をかしげていよかんを受け取ったライチに、ゆっくりと、しかし大きくグレープは頷いた。


-4


目の前に置かれた食事を見て、アップルは不審げに首を傾ける、黄身と白身の見事な調和をした、どこからどう見ても、目玉焼き。
「うーん、僕の記憶が正しいのなら、この目玉焼きにかけるのは……」
おもむろに呟きながら、調味料が入っている籠から、ゆっくりとタバスコを取り出した。
「これだっ」
「違います」
後ろから現れたメロンが、やんわりとアップルからタバスコを取り上げる。
「え?」
「かけるのは、醤油ですよ」
そう言って、醤油を取ると、にこやかに微笑んで手渡した。
「へぇ、そうなんだ……」
しきりに頷いて、醤油をゆっくりと垂らす。
「記憶が無くなって不便かもしれませんが、一つ一つ覚えていきましょう」
「うん、わかってるよ」
記憶がない以前の自分を思い浮かべても、何も思い浮かばない。アップルはゆっくりと目玉焼きを咀嚼する。
改めて外を見ると、引き寄せられるかのように、大きな島が浮かんでいる。アップルはその島に何か吸引されるかのように食い入っている。そんな姿を、メロンはさみしそうに見つめることしかできない。
急にやってきた記憶喪失のゾロア、普通の記憶喪失というのは、食事や立ち歩きの方法は記憶されているが、アップルは、それすらも忘れてしまっていた。そんなポケモンと対峙した時に、メロンは何を言えばいいのか分からなかった。
目の前にいる、言葉を話す赤子のような存在と対峙し、どうしたらいいのだろうと思っていた時に、アップルはゆっくりと口を開いた。
――君は、僕と似ているね。
似ている。自分の姿が、ロコンである彼女と重なったのか、すぐにその言葉が出てきた。
それを聞いた時に、彼女は思った。この子は、私が何とかしないと。単なる同族に対する同情よりも重い何かが、彼女にゆっくりと被さった。
一匹ということ。事故で亡くしてしまった両親のことは今も夢に出てきてはいるが、これ以上自分のような存在を身近で増やしたくないのかもしれない。
最初は大変だった、立ち歩きの方法や、食事や就寝の方法、教えることはいろいろあったし、いろいろ聞かれることも多く、眠れない日々が続いた。
しかし、いろいろなことを覚えれば、アップルもほとんど一匹でできるようになり、今は二匹で穏やかに過ごしている。
だが、穏やかな日常、平穏な毎日は、ほんの些細な契機を通して、ゆっくりと遠ざかっていく。
喉元に何かが使えたような気分で、メロンは食べているものを飲み下して、ゆっくりとスプーンを置いた。食事が喉を通らない。――と、言うより、あの不気味な浮島のことを考えると、起床してから一日のやるべきことがすべて気後れしてしまうような気がした。例えば、笑ってはいけないところで笑うことなど。とても不謹慎な感じ、一抹の後ろめたさ。
「だめだよ、ちゃんとご飯食べないと」
険のある顔をして、アップルが見とがめると、メロンはゆっくりと頷いたが、それでもやはり旺盛な食欲はわかない。喉の奥に小骨がつっかえるような気分で、どんよりと垂れこめている心の中の暗雲を振り払うこともできない。最近ずっとこうだった。
洗濯物をたたんでいた時に、何をしているんだろうと思い、空を見ると浮島が近付いているような気がした。外に出て運動をして、浮島のことを忘れていると思って、はっとした時に、上空にある島がまた近付いているような気がした。そんな思いから逃れることができず。少し頭が痛んだ。
ご飯を掻き込んでいるアップルが、心配そうな顔をした。
「大丈夫なの?」
「え?」
「僕の言葉が聞こえないほど、別のこと考えてたの?それとも、やっぱり元気ないんじゃないの?」
「そんなことないよ」メロンはそう言って、ぎこちない笑いを返す。アップルはそれに対する返答はない。まるでそれが本心から言っている事でないと思っているかのように、肩を竦ませる。「メロンがそういうのなら、そうなんだろうね」その言葉はまるで、君の言葉を信用しているといったような風情のようで、メロンは微妙な後ろめたさを感じていた。
(あの空に浮かぶもの……)
本当に何なのか、体中が不気味なものに捉われるような感覚がする。胃の腑から怖気が湧きあがり、喉を封印しているような感じすら受ける。霊感体質というべきなのか、ただの考えすぎたと割り切るべきなのか、メロンは声にならない声を出した。
「あの浮島、なんだか呼んでいるような気がするんだ。どう思う?メロンはさ」
「私は知らない」言葉を遮って、メロンは食事を一方的に中断して、椅子から跳ねるように飛び降りる。関節が軋む音がして、背筋に生ぬるい嫌悪感が駆け抜ける。浮島の話題を出されただけでも、頭の根がぎりぎりと痛みだす。そんなことを考えていたいわけでもなく、誰かに当たりたいというわけでもないのに、誰かに当たってしまう、無意味に突っぱねてしまう自分を恥じ、恥じた自分を哀れだと思ってしまう心をさらに恥じた。
「ごめん、寝る」
アップルはなにもいうことなく、ただお休みと言葉をかけ、そのまま後ろ髪を引くようなメロンを背中で追った。
頭の中がゆっくりと腐敗するような気分になりながらも、アップルは浮島のことを考えた。
あれは何なのか、どうしてあらわれたのか、自分が呼ばれているような感覚があるということは、メロンには黙っておいた。
非科学的で、あまりにも突拍子で、現実性をひどく欠いた考え方だと、アップルはひとり笑う。メロンはもしかしたら、自分があの宝島にひかれて行ってしまうのかもしれないと思っているのかもしれない、または、それ以上に何か不吉なものを感じ取っているのかもしれない。どちらにしても、メロンにとっては都合の悪いことばかりなのだろうと、アップルは自嘲気味に微笑んだ。
(僕の記憶)
おぼろげで、かすかなことしかわからない記憶のどこかがつげている。あの浮島に秘密があると、どうしてそんな風に思えるのかは分からなかったが、記憶のない自分のかすかな記憶が告げているのだ。あそこに何かがあるのだと……
(何があるんだろう)
自分の記憶の手がかりは何だろうか、あれはどんな所なんだろうか、どうやって行くんだろうか、自分と同じようなポケモン達がいっぱいいるのだろうか、考えれば考えるほど、あの浮島のこと以外のことを考えることできなくなってくる。いけないことだと、悪いことだとわかっていたとしても、どうしても考えてしまう。
傍観しているだけでは分からないことがある。アップルは小さな決意を目に宿しながら、窓の外に見える浮島を見つめていた。


-5


深夜に目を覚ましたレモンは、ぐっしょりと汗をかいた自分の体を見て、目を見開いた。
頭の跳ねた毛がしなりとしているのを見て、軽く舌打ち。跳ねるように寝床からとび起きると、月が出ている中で大きく動いているように錯覚する、浮島を見上げた。
(奇妙な島、奇妙な夜)
レモンは、何やらおどろおどろしいものを感じながら、三和土を通り過ぎて、裏手の畑のほうへ体を向ける。嫌な予感がするのと同時に、何か突き止めたくてうずうずしている自分に対して辟易した。体中が震えるのは、汗をかいたせいでくしゃくしゃになってしまった自分の心の中なんだと、必死に言い聞かせながら――
畑を見て、レモンは悲鳴にならない声を上げた。
「――っ!!」
レモンの視界で、育てていた木の実の木が萎れて行くのを感じた。幻でも何でもない、ありのままに起こった現実を目の当たりにして、レモンは心臓を鷲掴みにされるような気分になり、急激な嘔吐感に見舞われた。口元を押さえて、嗚咽を漏らす、鼻にかかる土の匂いが、腐臭を帯びているような気がして、めまいも併発する。自分はまるで意味の分からない世界を見ているようだと、頭をたたき割りたくなった。
(あの浮島だ……!!)
レモンは胃の腑から湧きあがる憎悪をすべて、空に向けた。直観にすぎないし、バカな妄言とも思えるが、ここ最近、すべてがうまくいかない。栽培も、収穫も、何もかもがおかしい。そして、このあり得ない現実を目の当たりにして、レモンは頭の中が沸騰しそうだった。訳が分からないまま、出入り口の戸を蹴り飛ばす。けたたましい音が鳴り響いて、眠っていたオレンジがもぞもぞと鬱陶しそうにうごめいた。
「っ!!!起きろ!!馬鹿!!!」
「なぁに?」オレンジは、いかにも不機嫌そうな声を出して瞼をこすった「馬鹿はどっち?こんな時間に起こさないでよ」眠そうな瞳をとろんとさせて、オレンジは欠伸を噛み殺した。
「馬鹿!!浮島だ!!浮島に全部吸い取られてる、僕たちの育てたものも、この近辺の生き物の活力もだ!!」
何を言い出すのかと、オレンジは首を傾げた。普段から浮島のことを嫌悪しているような言葉を吐いているような気もしたが、いきなり何を言っているんだろうと、オレンジは寝ぼけた思考で考えていると、強く腕をとられて、レモンは走り出す。
「痛いよレモン」
「馬鹿、寝てる場合じゃない」
「何言ってるの?こんな時間になんでこんなことをするの?」
「見たんだよ!!」
ヒステリックな金切り声をあげながら叫び散らすレモンを見て、オレンジは喧しい蟲ポケモン達の声よりも煩いと感じていた。
「見たって何を?」
「吸い取られてるんだ、何もかも!!!」
何を言っているのか全く分からないまま、まぶたを閉じかけているオレンジの頬を、レモンはあらん限りの力で思いきり張った。小気味のいい音が流れて、オレンジは小さく呻く。
「っ!?ちょっと!!なにするん――」
「寝るな!!おきろ!!現実を見ろ!!」
瞳に涙を浮かべて物申そうとしていたオレンジを制止すると、レモンは思い切り指を突きつけた。先ほどの畑に来て、オレンジは驚愕に目を見開いた。
「なっ……なにこれ?」
「わかっただろ?寝てる場合じゃないんだ、きっとあの浮島だ、絶対そうなんだ」
レモンはしきりに頷いて、夜の空を見上げて、浮島を睨みつける。
(なにかあるんだ……悪い何かが……絶対に、絶対に見つけ出さないと!!)
誰にいうわけでもなく、胸に強く手を打ちつけて、レモンはぎり、と歯を打ち鳴らした。


グレープがライチの家の戸を乱暴に叩いたのは深夜で、ライチは眠そうな瞳を擦り応答する。最初は強盗か何かの類かと思ってはいたが、戸を規則的に叩くようなリズム感が聞こえて、強盗の類ではないと判断した。同時に、こんな深夜に押し掛けてくるなんてどうかしているとも思った。グレープは他人の家のドアをノックする時、妙にリズムをつけて叩く癖のようなものがあった。ゆっくりとドアを開けると、喜色満面の笑みを浮かべて、グレープは開口一番大きな声を出した。
「私、あの空に行きます。ライチも行きましょう」
「……」
苦虫をかみつぶしたような顔をして、ライチはグレープの顔を見据える。期待と不安が入り混じったような瞳を向けられて、どのように返答すればいいのか、ライチハ分からずにため息をついた。心の中がぽっかりとしてしまったように不安な感情が頭の中を支配していく、このままではいけないと思いながらも、グレープの言葉に耳を傾けてしまう甘い自分を恥じる。
「どうして急に?」
「私はもう我慢が出来ないんです」グレープは右の前肢を握り込む。体中の毛を逆立たせて、はやる気持ちを抑えようとしているように見える。まるで失速しそうな体に鞭を打って、走らせるかの如く。妙な圧迫感に気おされて、ライチは眠そうな瞳をごしごしとこする。
「見ているだけで満足できるならいいんですが、私にはそれができません。私もあそこに行きたいのです」
「そう、いってらっしゃい」ライチは大きく欠伸をして、そのまま踵を返して寝床に戻ろうとしたところを、グレープが腕をとった。まるで絡み付いて話さないといった感じで、ライチは少しだけ顔を顰める。
「眠いんだけど」
強調するように言い放ち、擦った瞳の先にいるグレープに視線を投げかけ訴えるが、グレープはまるでそんなこと気にもしないといった風情だった。話を聞かないというのがなんともグレープらしいといえばらしいが、それが時偶に非常に鬱陶しく感じてしまう。それは夜だからなのか、それとも安眠を邪魔されたからなのか、真意は不明だった。
(まったく、何を考えているのか)
まるで空に行きたいと言っているような発言を聞いて、ライチは肩をすくめた。実際に行きたいと言っているからこそ、ライチは首を傾げる。行って何になるのだろうと思ってしまう。冒険をしたいのならこの近辺を適当に歩いているだけでも大きな発展に貢献するだろう。そして何よりも、自分が付いていく義理が微塵もないというのが大きな理由だった。
自分はもう少しで、ここを離れて仲間たちのところに戻るのだから――
「私一人で行っても面白くないです」グレープは当然と言わんばかりに声を出す。
「だから、ライチも一緒に行きましょう」
「あのね」ライチはため息をついて、どんよりと両目を濁らせた。「僕はあと少ししたら、帰るんだ」それが何を意味するのかはあえて告げなかった。告げても意味がないからだ。
「帰るなら、最後に思い出を作っていきませんか?」
それがさも当然と言わんばかりの言葉だった。帰る前に作るものは作っておけという、豪放磊落な物言いに、ライチは苦笑した。
「いやだよ。遅れちゃうじゃないか」
「無理はさせませんよ」
「いやだってば」
「そんな冷たい言葉を」と言いかけたグレープの口を、ライチは無償に縫いつけたくなった。「つめたいっていう意味がわかってないね」ライチは鼻から息を出して、口元をゆがめた。
「冷たいっていうのは、本当に見捨てるときの言葉であって、今みたいに露払いみたいなことをしているわけじゃないんだからね」
露払いという言葉に、グレープは一瞬で顔を嫌悪に歪ませた。
「なんでそんなひどいことを言うんですか?」
「ひどいもんか」ライチはくっくと笑い声を押さえた。
「そんなにべたべたとはりつかれて、こっちはいい迷惑だよグレープ。僕はそういうの嫌いなんだ、だれがそういうことしているか分かっているから嫌なんだよ」
「ライチって、そんなに冷たい性格でしたっけ?」
「君なら許せるかい?いやだなって思ってるのに、そんな風にべたべたされて、行きたくないって言ってるのに無理やり付き合わされること、そんなことされて、そのしたやつにありがたがれって?感激しろって?冗談、僕はそういうの気味悪いし、頭おかしいと思ってるから」
「そんな」「僕はさ、そういうの気味悪がらずに、喜んじゃうタイプじゃないから」ライチはそれだけ言うと、再度大きな欠伸をした。
「そうですか……私は、あなたと冒険がしてみたかったです」
またそんなうまいことを言って、こちらの反応を見ているのだろうとライチはため息を堪えて首を静かに横に振った。この少女はいつもそうだ。こうしてほしい、こうなってほしい、自分がこういえば、きっとこのポケモンはこういうだろう……と。
甘やかされて育ってきて、自分は親離れができているといいはってはいるが、やはりこんなものかとライチはため息をついた。自分の思い通りに動かなければ、すぐに涙ぐんだり同情を誘うような言葉を吐かせようと試行錯誤する。吐き気がするほど鬱陶しいと、ライチは何度も思ってきた。こういうことをすれば、きっとこう思ってくれるだろう、かわいそうと思ってくれるだろう、そんな風に見えて、滑稽だった。
ここで甘い言葉をかければ、グレープはすぐに期限を戻すだろう、猿芝居だった。
グレープはライチが言葉を発するのを待っている、まるで捨てられた子供が親の帰りを待つように、言葉を待っていても何も始まらないとライチは伝えない。
「わかったよ」
ライチは、心の中でため息をついた。ここから先は、言葉を発した自分の責任になるからだ。グレープの顔色がみるみる明るくなっていくのを確認しながら、都合のいい性格だと思う。他人の思いをおもちゃにしている自分も、都合のいい性格だとライチは自虐した。
「本当ですか?」
「本当さ」ライチは笑う。「足手まといになるかもしれないけどね」
「それでもいいです」
グレープの微笑みに、ライチはやりきれないものを感じ、無性に嘔吐したい気分に駆られた、だれのせいでもない、自分の言葉だからこそだった……


夜の月を外から見上げていると、ゆっくりと草を踏む足音が近づいてくる。アップルは耳を研ぎ澄ませながら、空を見上げる。その瞳の中は澄んでいて、吸い込まれそうな青に月が光っていた。
「風邪ひくよ?」メロンはそういうと、ゆっくりと体を密着させる、アップルの方が少しだけ震えるが、またすぐに元に戻った。寒いのか嫌なのか分からずに、メロンは少しだけ言葉を濁らせると、息を吐いた。
「寒いの?」
「いやって言ったほうがよかった?」
メロンは顔を顰めて、アップルを小突いた。実際に嫌と言われたら、それは相手のことを心にとどめていないということになるのかもしれない。しかし、アップルに温かいから、ずっとこうしてほしいなどと言われるのは正直に言ってしまえば吐き気がした。一緒にいることがほとんどないので、そういうことを今更されたとしてもどう反応すればいいのか分からないというのが本音だ。しかし、一人でいるよりはよっぽどましだった。
今もまだ頭の中にこびりついて離れない。死んだ両親――空に浮かぶ浮島。
両親は幼くしてなくなった。それとあの浮島は何の関係もない。メロンの頭の中にはそう思えるほどの確信がたくさんあったにもかかわらず、あの浮島が何かをしでかしそうで体が震えた。アップルにそんなことを話そうとも思えない、昼間の妙に気まずい諍いを作ってしまったし、変な溝ができてしまったのもあった。なんであんなことを言ったんだろうと自分を強く叱責したが、答えは返ってこないだろう。
今になってみると、どうしてアップルの言葉を冷たくあしらってしまったのだろうと、今更ながら不思議に思う。それでなくても普段の言動から見て、アップルをあそこまで悪し様に言うことはないし、そこまでする必要性もない。だからこそ、どうしてあんな言葉が口から出てきたのかが、不思議でならなかった。時間を巻き戻せることができるのなら、今すぐに戻るだろう。そんなことを考えなければいけないほど、昼間の出来事は心に重くのしかかっている。言ってはいけない言葉を発してしまったかのような、あの妙な感覚。後ろめたさや後悔とはまた違った感覚が、メロンの中に鬱積する。
アップルがその思いに対して何と答えるのかは分からないし、それを聞く気にもなれない。
昼間の出来事はもう終わった。メロンの中ではそうしっかりと記憶していたからだ。今更掘り返してもどうしようもないし、どうにかなるわけでもない。
「月が、綺麗だね」
「うん」メロンは言葉を返して、アップルと一緒に月を見上げる。静かな夜に蟲ポケモンのさざめきが聞こえて、なんとも言えない感慨に浸る。言葉に表せない安心感が、メロンの体中を漂っていた。
「ねえ、メロン……」
「なぁに?」
「僕、あの浮島に行ってみたい」
唐突に切り出した言葉はメロンの耳に届き、意味を理解するまでに数秒かかった。そして、驚きと同時に、心のどこか片隅で、やはり、という気持ちもわきあがる。分からなかったわけではないし、絶対に来るとは思えなかった。来てほしくないとも思っていたが、やはりきてしまったという感じだった。落着きを払っているメロンを見て、少しだけ驚いたアップルは、穏やかに微笑んだ。
「あの浮島に、僕の記憶の手掛かりがあるかもしれないんだ。勝手かもしれない、今まで一緒にいてくれた君を裏切るかもしれない、けど、僕は知りたい、何の手がかりもないまま、幸せな日々を送ることもいいかもしれないけれど、きっとそれだけじゃダメだって、僕の中の何かが告げてるんだ。心の中の何か大切な何かが……」
「私は、あなたを止める権利はありません」メロンは小さく息を吐いて、少しだけ頭を下げる。月に照らされた陰りを帯びて、はかなく消えそうな雰囲気を醸し出していた。アップルはそれを見ながら、とても綺麗だと思った。消えかけた蛍火や、朽ちかけた古時計など、尽きかけるものにはなぜかそういう儚げな美しさが宿ると思っていたのかもしれない。
考えていると、メロンは今にも消えそうな笑みを湛えながら、噛みしめるように言葉を吐き出す。一言一言が、アップルの胸に突き刺さるように。
「あなたが現れた時に、私は心の中で安堵していました。もうひとりぼっちじゃないって、私はそのことを神様に感謝しました。この出会いが私にとって幸か不幸かは、私が決めるんだって」
アップルは黙ってそれを聞いている。言葉を聞けば聞くほど、メロンに大切にされていたという実感が湧く。まるで親のような口ぶりで話しているが、大体あっている。何もわからない自分をここまでしてくれたメロンは、まさしくアップルの親と呼べる存在に違いないだろう。メロンの声には涙ぐんでいる嗚咽が混ざっていて、とてもじゃないが聞き取れない。耳を固くふさぎたくなった。
「楽しかった」メロンは息をすることも忘れたように言葉を吐き続ける。
「毎日が楽しくて、新しい変化があったらそれがとても嬉しくて、アップルにとってはただの知識の吸収かもしれないけど、私にはすごく嬉しいことで、いいことだった。君の成長を見ることが楽しくて、毎日の幸せをたくさん噛みしめていた」
アップルは何も言わなかった。何と言えばいいのか分からずに、視線を泳がせる。
「あの浮島が来てから」メロンの口調は、どこか重苦しく、終わりを告げさせるような声だったような感じがした。「君の感じが変わった。なんだか、あの浮島を見て何かを思い立つような、そんな感じがしたんだ」アップルはゆっくりと体を揺らしながら、静かに話を聞いていた。
「いつかこんな時が来るとは思っていたんだ。君が離れていってしまうんじゃないかってずっと思ってた。それが怖くて、君とちゃんと接するのを恐れていたんだ。頭ではわかってたって言い聞かせても、やっぱり心のどこかが呟いてた。こんなの絶対おかしいよって……」
「メロン」
「アップル、私はあなたを止める権利はない。だけど、私も一緒に行きたい、君にもう会えなくなるんじゃないかって思って、ずっと怖かった。最後に、もし会えなくなってもいいように、思い出を――」
掠れるような声が聞こえる中、アップルは静かに頷いた。メロンが来てくれるとは思わず、心の中に嬉々とした感情が湧きあがる。一人でも行くつもりだったが、大切な友達が一緒に来てくれるなら、これほど心強いことはないだろう。
(僕の記憶は、本当にあの浮島にあるのかな?)
考えても分からない、行ってみないと始まらない。待っていれば記憶が戻ってくるというバカな考え方は、アップルにはできなかった。


-6


空に浮かぶ浮島に、六つの影が飛翔する。
疑念と怒り
好奇心と不安
追及と寂寞
六つの心が、空に向かって伸びていった――
----
[[大天空空域突破]]へ続く
----
- 新しい小説ですか!!
こういう感じの小説好きです。
これからも頑張ってください!!
――[[春風]] &new{2011-04-01 (金) 09:33:32};
- 吸い寄せられてきました、スペードです(笑)
今回は可愛らしいポケモンが勢揃いですね♪オレンジだけ正体を明かしていないのはわざと何ですか?
見落しだったらすみません。

ウロ様は小説も絵も上手で、本当に羨ましい限りです!続きも頑張ってください!
――[[スペード]] &new{2011-04-01 (金) 11:07:39};
- リメイクktkr!
この小説大好きなのでリメイクされてかなりうれしがってる自分がいますwww
―― &new{2011-04-01 (金) 13:04:53};
- "使えた"→"つっかえた"
"期限"→"機嫌"
間違いがありました。
長編小説の連載待っています。頑張ってください。
――[[名無し]] &new{2011-04-01 (金) 19:59:29};
- こんばんは。

以前に、同じように空に浮かぶ島が出てくるものを書かせていただきましたが……
冒頭の文章が本当に素晴らしいですね。
正体不明の浮島の、ぐっと惹きつけられるような不思議な魅力が良く伝わってきました。
僕にはとても真似できないです。

それぞれの異なる動機、そこから繰り広げられる物語がどうなっていくのか。
可愛らしい名前の可愛らしいポケモンたちの冒険に、期待が募ります。

執筆がんばって下さい。応援しています。
――[[コミカル]] &new{2011-04-01 (金) 22:53:48};

#comment

IP:180.11.127.121 TIME:"2012-11-23 (金) 16:49:01" REFERER:"http://pokestory.rejec.net/main/index.php?cmd=edit&page=%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B0-%E8%AC%8E%E3%81%AE%E6%B5%AE%E5%B3%B6-" USER_AGENT:"Mozilla/5.0 (compatible; MSIE 9.0; Windows NT 6.1; WOW64; Trident/5.0)"

トップページ   編集 差分 バックアップ ファイル添付 複製 名前変更 再読み込み   新規作成 ページ一覧 ページ検索 最近更新されたページ   ヘルプ   最終更新のRSS
This site is protected by reCAPTCHA and the Google Privacy Policy and Terms of Service apply.