**ファーメルンの草笛 [#v3f45c25] by:まだまだの 物語の途中、血液や死の描写が入り込むと思います。 そういったものが苦手な方は閲覧しないほうがよろしいかと。 ---- ちょっとだけキャラ紹介 丙(ひのえ) ブースター 主人公。 春菜(はるな) リーフィア 医者。 ---- 序文 ここに一枚の葉っぱがある。 一見して何の変哲も無い、植物らしい青々とした緑だけが特徴の一枚の葉っぱだ。 でもソレは、この村では大きな力を持っていると言われていた。 私が生まれる以前、遥か遠い永劫の昔から。 そんなホラ話に感化されすぎた周囲の友人たちは、大人たちは、口を揃えて囁く。 「アレに関わると呪い殺される」 根拠はあるのか、と私は幾度と無く尋ね返したものだ。 そしてその問いに対する答えも、万人にして同じ。 「アレはこの村に恨みを持ってるんだ」 ……呆れたものだな、と私は常々思っていた。 幼い頃は、確かに私も彼らと同じように恐れたものだ。心から。その、何の変哲も無い一枚の葉っぱを。 村のはずれ、ありありと疎外感を感じさせる質素な作りの祠に置かれた、その一枚の葉っぱを。 この数十年間、春も、夏も、秋も、冬も、常に新緑を纏う、その不可解な一枚の葉っぱを。 樹木という母体を離れて尚、生命としての息吹を全く損なわない、その一枚の葉っぱを。 ………今、祠の暗がり立つ私の目の前に在る、ただの、その一枚の葉っぱを。 恐れていた。非常に遺憾ながら。……だが私は成長した。 周囲の者のように、理由無くそれを恐れることは無くなっていた。 何かあるはずだと感じるようになっていた。 口伝で語り継がれる『あの詩』 ……。 『呪緑に触れし蛮勇、恍惚なる高揚と数奇なる草の音に導かれ、世に潜む蜜月に犯される』 ……確かに、どうとも取れぬ不安と恐怖を煽る文句ではある。 しかしどうだろう。どこを取っても、それと死は結びつかない。 呪い殺される、なんて話も。恨みを持っているなんて話も。無限に流れる時間が作り出した、虚像と虚構に過ぎないのだろう。そうに違いない。 半ば蛮勇の気をひた隠して…それでも、私は不可解なそれを暴き解く事に、なんらかの意味を見いだしていたのだと思う。後で考えれば、それは本当に単なる無謀だったのだけど。 ――ソレへと、前足を伸ばす。 手に取って祠の外から注ぐ月明かりに晒すと、その葉っぱはより一層煌いて見えた。 まるで月の明かりを欲しているかのように、表面に艶のある輝きを湛えている呪緑の美しさ。……思わず視線が釘付けになる。 私の額に生えた一枚のそれとは、明らかに何かが違う。決定的に。根本的に。 正にその通りだった。やはり、手に取るべきでは無かったのだ。 禁忌を犯す、その意味に。結局私は気付く事さえ出来なかったのだから。 葉体そのものが、確かな意思を持って私の心の奥底にある何かを絡めとる。 野心という名の触手。振り払うことの出来ない誘惑に、いつしか私は心奪われて。 「ぁ……き、れい」 妖しい誘蛾の煌きに捕らわれた愚かな虫のように。 私は、何時の間にかその輝きから目を反らせなくなっていた。 1 先生は人気者だ。 老若男女問わず、ありとあらゆるポケモン達から好かれている。 格好良いし、綺麗だし、可愛いし、優しいし、僕みたいな頼りないブースターでも、きちんと目を掛けてくれるし。 そう。きちんと。目を掛けてくれている。すごくプライベートな事でも。 ――そういう意味では、僕は集落に住むどのポケモンたちよりも、先生と親しいと言えるのかもしれない。 こうやって昼時になったら僕を食事に誘ってくれて、とりとめない下らない相談事をいつもいつも聞いていてくれる。 ……そんなわけでリーフィアの春菜先生は、正に僕の初恋の相手とも呼べる存在だった。 恋愛の”れ”の字すら見当たらない、見当違いの恋だとは思う。けど、胸の奥でぐるぐるとトグロを巻くこの想いは、紛れも無い僕の本心なのだ。 「ねぇ春菜先生。先生はなんで医者になったの?」 「私が医者になった理由? ……そうねぇ」 それとなく問いかけた質問。テーブルの向こう側、春菜先生が額に前足を当てて思案し始める。 返答が帰ってくるのに、そんなに時間は掛からなかった。 「治してあげたい相手がいたのよ。でもその人、火事で死んじゃったの」 「え……?」 「頑張って薬を作ってたんだけど。結局私は、その人の病を癒すことが出来なかったわ」 少し寂しそうな表情を作る先生。……今更ながら、僕は質問の方向を間違ったことに気付いた。 「でもね、限りなくそれに近い効能を持つ薬を作ることには成功したの」 そう囁いて、先生はテーブルの隅に置いていたポーチから、一つの包みを取り出した。 それは薄い白色のパラフィンに包まれた粉薬で、取り出したソレを先生は愛おしそうに眺めている。 「黒点病、って言ってね。人同士で空気感染する重大な病気で……っと、貴方にはつまらない話かしら?」 「あ…ううん」 「このお話はやめにしましょうか」 少し、ほんの少しだけ不服そうな表情を浮かべて、先生は薬をしまう。 ……でも正直のところ、僕はあまり病気に関しての好奇心は持ち合わせていなかった。それだけに、少しだけ後ろめたい。 それに、それとは別に僕には気なることがあった。先生の言った「治してあげたい人」のことについてだった。 「先生。火事って…一体何があったんです?」 古傷を穿り返すような真似だとは思った。だけど、それ以上に気になるのだ。。……最早、先生が医者になった理由とは話題がかけ離れていたけど、幸いなことに先生が気にしている様子はなかった。 火事、という単語が妙に気に掛かる。 僕が集落に生まれて今の年齢に達するまでに、集落内での大規模な火事の話なんて聞いたことがないからだった。 そもそも、この集落で火に関わる事件といえば(何十年も前の話になるが)村の外れにあった『四季草』の生える樹木が焼け落ちた、なんてコトくらいのものなんだ。 僕が生まれる前の話だった? ……いやそれもありえない。 だって、先生は若いんだ。僕が生まれる前まで時間をさかのぼれば、先生は仔供と言える年齢にしか達していないはず。 そう。それは当然の質問だった。 「……この村の奴らよ。病気を移されるのを怖がって、火事に見せかけて殺したのよッ!!」 「ひゃ?!」 だけど。突然怒鳴られて、僕は思わずびくりと震え上がった。 いつもは温厚な先生が、こんな怒りに満ちた叫び声をあげるなんて予想できなかったから。 僕はしばし、唖然となってしまっていた。……だけど、事実は僕にも伝わっていた。 「その時集落にいた奴らが、先生の大事な人を火事に偽装して殺した?」 「そう。集落にいた全員に、汚い金が回されたわ。 ”黙っていろ”ってね」 「……」 なんということだ。この集落に、そんな過去があったなんて。 それならば…もしかして僕の親も金を受け取って、周囲と同じように事実を偽っていたのだろうか。――もっとも、僕の両親は既に他界してるんだけど。 充分に理解出来る話だ。話に、噂にすらならない理由にも納得がいく。 先生は、その悔恨と未練の狭間で今の今まで生き抜いてきたのか。 ……僕なんかでは想像することが出来ないくらいに辛かったに違いない。 一息、心を落ち着かせるようにして深呼吸をしている。 「丙(ひのえ)君。この薬…よければ君に持っていて欲しいの」 「え?」 思っても見ない提案だった。 恐らくまん丸の瞳で見つめ返しているであろう僕に、先生は優しく…しかし真摯に説いてくる。 「私にとってね、この薬はお守りのような物だったわ。誰にも話すことが出来なかった過去……そこから来る怒りを静める、とっておきの特効薬」 「……うん」 「何度もあいつらを殺そうと思った。でも、あいつらを殺してもなんにもならない、って薬を欲しがってたあいつが私を何度も止めてくれたわ。私が罪人にならず、今まで医師を勤めていられたのは、この薬の…あいつのおかげ」 「………」 「でももう、あいつのことは考えないようにしたいの。過去に縛られながら歩くのと、過去に振り返るのとは違うことだと思うから」 過去にけじめをつけたい、ということなのだろうか。先生らしい、晴れやかな言葉だった。 「だから。私のお話を聞いてくれた貴方に、この薬を持っていて欲しいの。私の”お守り”を」 「そういうことなら。いいよ、先生。その薬は僕が預かるよ」 僕は単純に嬉しかった。先生の信頼を勝ち得たことが。それだけが無常に誇らしく、ただただ喜んだ。 その薬の包みを受け取って、ポーチに仕舞う。 そんな僕に、先生は不意に囁いてきた。 「……あぁでも。もし、その薬が使いたくなったら、いつでも使ってくれていいわ」 「え?」 どういうことだろう。これは、病気……「黒点病」に対する薬ではないのだろうか? 僕の当然の疑問に、先生は即座に答えてくれる。 「確かに特定の病気に対する効能を重視してはあるけど、その薬の精神鎮痛効果は結構なものよ。黒点病の副次効果、精神錯乱を収めるために必要な効果だったしね」 「な、なるほど」 とりあえず、納得した。 ……だけど、精神的に疲弊するほど、僕は病んではいない。 気遣いは嬉しいけど、なんだかとても複雑な気分だった。 2 僕、ブースターの丙は一匹暮らしだ。 両親はとうに事故で他界していて、身よりもいない。 住処の近くで焼畑業を営んでいる農家を手伝うことで、僕は収入を得ていた。 ……と、そんな虚しい生活の中でも、春菜先生の存在は荒んだ僕の心を潤してくれる、純らで清らかなオアシスのような存在だと言えた。 そして、この薬は…僕が先生の信頼を勝ち得た証。いわば勲章だった。 家のテーブルの中央においたソレをじっと眺めながら、次第に表情が緩んでいくのを自覚する。 先生は「辛くなったら使え」と言っていたけど。 当の僕には、辛くなろうが死にそうになろうが使う気なんてさらさらない。だって、もったいなさすぎるから。 ずっと先生の近くに在った所為だろうか。薬の包みには、しっかりと先生の香りが染み付いていた。 寝る前に、ほんの少しだけへんたいちっくにその匂いを嗅いでから、僕はベッドの中で夢心地に沈んでいった。 草笛だ。 夢の中で、僕は何処からか響いてくる草の葉の音色を聞いている。 不思議な調和の旋律。空気の擦れる音波は、どこからともなく吹いてきて、僕の耳の中へとするする進入してゆく。 ぴゅう、ぴゅう、ぴゅう。 ぴゅう、ぴゅう、ぴゅう。 草笛の音色に導かれるようにして、目を覚ます。 僕はベッドから起き上がると、歩きだした。……勿論夢の中で、の話だ。 草の音色に導かれるままに家を出て、夢遊病者みたいな足取りでふらふらと集落の外れへと歩いていく。 やがてたどり着いたのは、見慣れない石室……祠だった。 ぴゅうぴゅうぴゅうぴゅうぴゅう。 草笛は、そこから聞こえてくる。僕はただ、そこを目指した。 草の音色に導かれるまま。 そして そして そして。 そして……? どうなった? 突然、夢の中での視界が曇っていた。 覗き窓に白いクリームが塗りたくられたように、僕の視界は真っ白に染まっていた。 状況を掴めないまま…それでも僕の足は動いている。ふらふら、ふらふら。石室の奥を目指して。 やがて、僕の足が止まる。 終点にたどり着いたのか、それとも……歩けなくなったのか。 そんな僕に、何者かが近寄ってくる気配があった。 ひたひたと、足音を消して歩きよってきて。――前足に、何かがあてがわれた。 そして、激痛。 ぶすり。ざくり。ぶしゃっ。 それは例えるのなら、包丁だとか鉈だとか、鋭利で切れ味のよい刃物で傷をえぐられる様な、そんな感触。 あぁ痛い。痛すぎる。 冷たい無機質な刃が体に食い込むその瞬間、なんだか自分の貞操が奪われているような錯覚に陥って、それが尚恐怖と嫌悪に繋がった。 音が。感触が。痛みだけが、今僕に何が起こっているのかを如実に物語っている。 ざく、ざく、ぶしゃり。 右の前足、左の前足。次は後ろ足か。どこまで僕をざくざくに切り刻めば気が済むのだろう。 肉が削がれていく。命を象徴する紅い液体がぼとりぼとりと滴り落ちて、僕の足元で水溜りを作っていくのがわかった。 切り落とされた肉体の喪失感は、夢の中であるにも拘らず、僕の中になんともいえない現実味を呼び起こす。 激痛とも取れぬ激痛の中、それでも草笛の音色は止まらない。 妖しく、高らかに。その気高く美しい旋律は、やがて僕を永劫の眠りへと誘ってゆく。 ……あぁ、ようやく楽になれる。 安寧という名の黒い沼中へと沈んでいきながら、僕は。 痛みから逃げたくて。 意識を手放したくて。 恐怖の感情を消し去りたくて。 何処からか聞こえてくる草笛に 安らかな永遠の眠りだけを、ただただ渇望していた。 3 ………。 朝。 悪夢から逃げるように飛び起きた僕は、朝食を取る気にもなれず、ただただテーブルの上に置いてある薬の包みをぼうっと眺めていた。 とんでもない。 なんであんな夢を見たのか。そして何故、その悪夢の内容を事細かに覚えているのか。 あの悪夢の蜃気楼の中での出来事は、まるで現実でリアルに体験した出来事のように、僕の体に記憶に刻み込まれていたのだ。 ――ま、実際に体中が血だらけになっていた訳じゃないけど。 とはいえ、脈絡の無い酷い悪夢だった。 夢は夢でも、全く憶えていたくない内容だ。出来れば金輪際見たくない。 ダークライの恨みを買った覚えなんてない。なんで唐突にあんな夢をみたのか、その原因には全く心当たりが無かった。 考えながら、なんとなくテーブル上の薬の包みを見つめる。 『精神鎮痛作用がある』 と先生は言っていた。ならば、調度今の僕にはよく効く薬になるのではないだろうか? そうだ。飲めばきっと、楽になれるに違いない。なんだって先生の作った薬なんだから。 勝手にそう決め付けて、前足を伸ばしかけて――だが、すぐに足を引っ込める。 これは『お守り』だ。と先生はいっていたような気がする。 比喩であることはわかっている。薬は薬だ。飲んでこそ、の代物。 でもだからこそ、なんだか僕は目の前の薬に「頼りたくない」という感情を思い起こされていた。 辛いときは使え、と言ったのは先生だけど。 眺めるだけで怒りを静めてくれる、とっておきの特効薬。と言ったのも先生なんだ。 大きなため息を吐く。 結局、体全体に染み付いた疲労感を拭い去れぬまま『お守り』をポーチに仕舞い込んで、僕は家を出た。 午前中、農家の手伝いも終わる頃には、何時の間にか僕の足取りも軽くなっていた。 起きてからずっと苛まれていた不快感もとうに抜け、僕の気分は頭上に広がる青空同様に晴れやかだ。 小さく鼻歌なんか口ずさんだりして。跳ねる様にして、春菜先生の診療所を目指し小高い丘を駆け上がる。 村の外れ、緑豊かな丘から見下ろせる、白の、赤の、黄色の、青の、色とりどりの花畑に囲まれた大きな屋敷が、先生の診療所だ。 その花々の大部分は薬草であるらしいのだが、こうやって見る限りでは実用性が感じられないのが不思議だ。 ここまで香ってくる花の香りに導かれるように、もう一歩を踏み出し…… ――と。 (あ…あれ?) 突然、視界が揺らめいた。 ぐにゃりと変形していく世界。貧血のような喪失感に犯されながら、僕はぱたりと崩れ落ちる。 なんだ。何が起きた。 気付けば、僕の体ががくがくぶるぶると激しい痙攣を起こしていた。 何が恐ろしくて震えている訳でもない。これは、心理的要因に依るものではない、肉体が勝手に起こしている痙攣だった。 ……自分の体が急速に温度をなくしていくのを感じる。 熱気が、生命力が、倒れこんだ僕の体からするすると零れ落ちていくような……不思議な感覚。 訳がわからないまま、僕は救いを求めて周囲に視線を走らせた。 人影は無い。 ただただ、四色四才の花々が視界の隅に咲き乱れているのみで…。 小高い丘。診療所の目と鼻の先で、僕は倒れこんだまま気を失った。 4 「ひのえ君。そろそろ起きてくれないかなー?」 「…ぁれ?」 ふと、黒く塗りつぶされていた意識が急速に色を取り戻し始めていた。 先生の声が聞こえてきたせいか。僕は、寝かされたベッドの上で起き上がった。 ぎしり、とパイプベッドが悲鳴を上げる。 ぼうっと周囲を見渡すと、そこは診療所の診察室だった。僕は、そこに横にされていたのだ。 窓際……そこから差し込む、黄昏色の夕日を背景に振り返ったのは春菜先生だった。 「おはよう、ヒノエ君」 「ふにゃ……おはよう、ございます」 ぼやける思考に鞭打って、目の前で僕を覗き込んでいる先生に言葉を返す。 頭の中の大事な部分が、なんだかふやけてしまっているような気がした。気を失っていた余韻なのか、どことなく意識がはっきりとしない。 …いや、そんなことはどうでもいい。 「先生…先生が僕を病院に連れてきてくれたんですか?」 「ええ、そうよ」 にっこりと笑みを浮かべて返してくる先生に、僕も頷き返す。 気を失う直前……のことは、なんとか思い出せた。 ――診療所を見渡せる丘を登りきって、四色の花畑を見下ろしていたら……突然眩暈に襲われたのだったか。 突然体が震えだしたりなんかして。一体アレはなんだったのだろうか。 あそこで無様にぶっ倒れた僕を、わざわざ先生は診療所まで運んできてくれたということか。 「疲れすぎてるんじゃないかしら。キチンと休んで、体力は充実させないと駄目よー?」 「う……確かにそうかもしれないけど」 悪戯っぽく微笑みながら注意してきた先生に呟きながら、申し訳なくて頭を下げる。 ……実の所、僕には生まれつき体力がない。 無理をしすぎて倒れる、なんてことも多々あって、僕の軟弱者振りは周囲には勿論、先生にも見事に知れ渡っていた。 倒れるたびに先生に世話になっている。それだけに体調管理には気を使っていたつもりだったんだけど。 勿論、昨日だって今日だって無理をしすぎないように気をつけてはいる。 でも今朝の悪夢のせいなのか。どうやら知らず知らずの内に相当体力を消耗していたようだ。 尤も。倒れる寸前、あの急激な体調の変化にだけは心当たりが無いのだが。とりあえず、今はそれで納得することにした。 「所で丙君。話は大きく変わるんだけど……最近、変な夢を見ないかな?」 「え?」 唐突に尋ねられて、困惑してしまった。 変な夢。と言われると…真っ先に昨日の夜に見た『アレ』が思いつく。 草笛に導かれて、切り刻まれるあの夢。悪夢。 でもなんで、そんなことを聞いてくるのだろう。先生に体の変調を話した記憶は無いけど…? 僕の表情に怪訝そうな色が浮かんだからだろうか。ひとつ小さなため息を吐くと、それとなく先生は語りだした。 「最近ね。そういう患者さんが増えてるのよ。……草笛に殺される夢を見る、って口を揃えて言うの。おかしいでしょ?」 「…!」 ため息をつきながら放たれた言葉に、大きく動揺する。――正直のところ、声を抑えるのがやっとだった。 正にそれだ。草笛に殺される夢…! 脚を、体を切り刻まれて、安らかな草笛の音色に導かれて死んでいく夢……文字通りの悪夢。 「……で、そういう相談事をしてくる患者さん達が今の丙君の目と同じく、瞼に真っ黒い隈(くま)を作ってるものだから」 「そう、なんですか」 瞼に隈だなんて。……いつのまに僕はそんなやつれ顔になっていたのだろうか。 今朝は鏡を見る余裕すらなかったから、全然気付けなかった。 ふと視界をずらして部屋の隅…小さく備え付けられた診療鏡に顔を重ね見る。 ――うす暗がりでも十分にソレと分かるくらい、僕の瞳の下段には黒い隈が刻み込まれていた。 同意だけして、それきり無言になってしまった僕。……図星、だと理解したのだろう。先生はそれきり、極端に無口になっていた。 「帰りたくなったら言ってね。薬を処方してあげるから」 「薬……ですか」 「帰ったら薬を飲んでゆっくり寝てね。明日はお仕事も休んだ方がいいわ」 「…はい。わかりました」 医者直々に止められてしまっては反論できない。 暗に「さっさと家に帰って寝ていろ」と言われているような気もするし。 ……自己嫌悪。 5 少し休んで、それから薬を貰って診療所を出る頃には、既に時刻は夕刻に差し掛かっていた。 黄昏色に染まる花畑は、なかなかに美しいけれど……僕の気分は酷く憂鬱だった。 夢のこともあるけど、体調の影響が大きいかもしれない。 体全体が妙にだるいし、隈が出来ている瞳は、開けているのも億劫な位だ。 とぼとぼと歩く夕刻。明日への希望もあったもんじゃない。 「…ん、丙も先生の世話になってたのか」 「あれ?」 と、例の丘までやってきたその時、目の前から聞こえてきた声に、僕は思わず顔を上げた。 見ている方が気分の悪くなりそうな顔色。僕の数少ない友人の一匹、ニドリーノの尖尾(せんび)だった。 その尖尾の目元……深く刻まれた真っ黒い隈が見えて、思わず息を飲む。――酷い人相だ。 …と、いうことは。 尖尾も、先生の言っていた台詞『最近、そういう患者が増えている』に含まれる一匹なのか。 そして、僕は彼らと同類なのだ。 こんなやつれた顔で先生と会っていたのかと思うと、少し気恥ずかしい気もした。 「ひでぇだろ? 俺もここん所凄ぇ疲れてさ。先生のところに薬貰いに通ってるんだ」 あはは、と苦笑いと共に吐き出される言葉にも、何時もの勢いや覇気が感じられない。…相当疲れているのだろう。彼は大きな溜め息を吐いた。 彼の言う通り、酷い隈だ。……疲れている、なんてレベルじゃないような気がする。 「これ、黒点病っていう病気らしいな。先生が特製の薬作ってくれるからなんとかなるけどさ。何時治るのかねぇ……?」 「?! …あ、あぁ…。そうだね」 目元の黒い隈を摩りながらの言葉。彼の口から漏れ出たのは、聞き覚えのある病名だった。 驚きを隠したまま別れて、帰路で考え込む。 ……『黒点病』 先生の、大事にしていた人が掛かっていた病気…だったろうか。 考えながら、僕はつい先ほど……診療所を出る際、先生に処方してもらった薬をポーチから取り出した。 薄い白色のパラフィンに包まれた、白い粉薬だ。 一見してそれは先生の『お守り』に似ている気もするけど、処方してもらったばかりのソレには、更に細かい黒色の粒粒が所々に混じっている。 同じ薬ではないのだろうか? ……医者は信用するべきだと思うけど。 もしもさっきの尖尾の言葉が本当のことならば、僕は黒点病に掛かっていることになる。 そして、今この手元にある薬は、黒点病に対する薬ということになるのだ。 ……なにかおかしい。 先生は例の『お守り』の事を、精神鎮痛作用のある黒点病の治療薬だと言っていた筈。 じゃあ、この処方された薬はなんだ? ――これも黒点病の治療薬なのか? 確かに見かけはそっくり。ぱっと見ただけでは、二つの違いは黒い粒粒が混入されているか否か、程度のものだし。 ちょっと材料を変えてみただけ、と言われればそれだけなのに……なんだか僕は、その黒い粒々が酷く異質な物のように感じ始めていた。 自宅にたどり着き、頭を抱えたままベッドに横になる。 テーブルの上に置いたままにしておいた、二つの薬。 ……結局僕は、先生の言いつけを破って薬を飲まずに眠ってしまったのだった。 ぴゅうぴゅうぴゅう。 ぴゅうぴゅうぴゅう。 まただ。草笛。何処からか草笛の音色が聞こえてくる。 僕は眠っている。これは夢だ。夢の中だ。 家の中のベッドに横たわっている。間違いない。僕は現在進行形で眠っているはずだ。 ……じゃあ、なんで起き上がった? なんで、テーブルの上の薬を手に取っている? 僕はそれで、何をしようとしている? ぴゅうぴゅうぴゅう。 ぴゅうぴゅうぴゅう。 台所から汲んできた冷水を、コップの中に注ぐ。透明な水だ。 続いて、手に取ったパラフィンの包みを破って…その透明な液体へと注ぎ込んだ。――まさか。 勝手に動く僕の体は、そのコップを手に取り、自らの口へと近づけていく。――何を。 薬が混入されて、不気味な半透明色になった液体。コップの中でゆらゆらと蠢く黒点が視界に入って、内心で震え上がった。 ―あの薬だ。夕刻、先生に貰ったあの薬。 夢の中の僕は、それを水に溶かして飲み込もうとしていた。 ぴゅうぴゅうぴゅう。 ぴゅうぴゅうぴゅう。 夢だ。これは蜃気楼だ。 夢……夢の、筈なのに。 聞こえてくる草笛の音色は昨日の夢で聞いたものの、それ以上に澄んでいて。美しくて。 口に含んだ液体は何処までも甘くて。 ……こんなにも僕は意識をはっきりと保っている。 夢。これは本当に夢なのか? 「夢だと思うわ」 「え?」 不意に隣から、声が聞こえた。 僕の大好きな人の声だ。春菜先生が僕の隣で月明かりに照らされながら、美しく微笑んでいた。 何時から隣にいたのだろう。夢の中とはいえ、あまりにも唐突な登場だ。 「私がここに居るわけないでしょ? だからこれは夢よ」 「あ…なるほど」 流石先生だ。頭がいい。 先生の言うとおり、こんな場所、こんな時間に先生が居る筈は無い。 …やはりこれは夢なのだ。 とりあえず安心した。 これが夢だということは、実際には薬を飲んだ訳ではないのだ。あの薬は飲んではいけない物のような気がする。 「ね、丙君」 夢の中の先生が、僕の首筋に甘い吐息を噴きかけながら囁いてきた。 「ひゃ?!」 …驚いても、無理はないと思う。僕にはそういう耐性は備わっていないし、先生からそういうコトをされるとは少しも思っていたんだから。 それが例え、夢の中の出来事でも。 「センセイの言うこと、守ってくれてなかったのね」 「え……?」 「クスリ。飲んで、って言ったよね」 うふふ、なんて艶の含んだ声で言われる。体が勝手に震えた。 確かに言われたけど。でもそれは。 「怖かったんでしょ? 分かるわぁ。…私も最初、そうだったもの」 「…どういうこと?」 「だから、私が飲ませてあげる」 ……気になって声を上げた僕の質問は、ものの見事にスルーされてしまった。 だけど、僕はようやくそんな悠長に構えていられる状況ではないことにすぐに気付く。 ぐい、と顎を掴まれる感触。 抵抗するいとまさえ、与えてはくれない。 そのまま引っ張られて、何が起こったのかさえ理解できない僕の顔面に押し当てられたのは――先生の、唇だった。 「?!?!」 「――…っふ」 強引にねじ込まれた舌の感触。そして荒々しく鼻先に吹きかけられた、先生の生々しい吐息。 それと一緒に、僕の口内へと液状の何かが流れ込んできた。 これは、夢なのか? 夢のような出来事だ、と思う以前に。 起こった出来事に対して、僕は現実味の欠片も見出すことが出来なかった。だからこその現実逃避。 だけど。流れ込んでくる液体は、事実は、味覚は、あまりにも現実的(リアル)で。 先生の前足が強引に僕の顔を引っ張りこんできて、接吻の中断を許してはくれなかった。呼吸をするのと同じように、僕はただただ与えられるソレを飲み込むしかない。 口の中が、ただただ甘かった。 ごぽごぽごぽ、と先生の唇と僕の唇のつなぎ目から、真っ黒い液体が滴り落ちて床にシミを作る。 先生から与えられた、その甘くて黒い液体を…僕は考えなしに喉を鳴らして飲み込んでいた。 やだ。いやだ。 そんな願いは、罷り(まかり)通らない。 ぴゅうぴゅうぴゅう。 ぴゅうぴゅうぴゅう。 それを飲み込むたび。 先生から与えられた薬を飲めば飲むほど。 聞こえてくる草笛の音色は、より鮮明によりクリアになっていって。 (なにが……どうなって…?) 「あはは、あはははは」 先生が、笑っている。 「ぅ…おぇ、ひゃぁ…っ!」 僕は、泣いている。 甘い。甘い。甘い。甘い。 僕の口の中は、既にとろけそうになる位に痺れている。 叩き込まれた味覚が、僕の体中に染み渡っていくようだった。 「じゃ、これで最後の診察です」 先生の声。いつも…聞いている筈の、声。 でも今は、それが無性に怖かった。恐ろしく感じた。 先生の言葉と共に、僕の前足に冷たくて無機質な何かがあてがわれる。 ――奇妙な既視感(デジャヴ)。 ぶすり、と肉に刃が食い込む、気の遠くなるような激痛が腕から体全体へと電撃の様に広がっていく気がした。 次は左の前足。後ろ足。胸。首。最後の仕上げとばかりに、くりぬかれる眼球。 ……昨日の夢の続きなのか。 周囲に立ち込める血の匂い。先生が前足を振るうたびに巻き起こるのは、地濡れの水溜りが跳ねる音と、空気を切り裂くかまいたち。 先生に無理矢理薬を飲まされて、先生に体を切り刻まれて、先生に殺される夢。 悪夢。これ以上にないってくらい、悪趣味な。 でも、やっぱり終わりは訪れた。 それは夢だから。僕の『死』という一つの幕引きの方法によって。 ぴゅうぴゅうぴゅう。 ぴゅうぴゅうぴゅう。 草笛の音色が、耳にやかましくなってきた、その頃。 体中がうずいて、クスリが欲しくなって仕方がなくなってきたその頃。 痛みが痛みだと分からなくなってきた、その頃。 ようやく僕は、その悪夢から解放された。 ---- (まだ続きます) - 初めまして。プロローグから本章への場面の移り変わりが良いと思いました。伏線をにおわせつつ、違和感なく読めたというか。&br;一人称で主人公目線で進んでいく、私の好きな文体です。一話でほのぼのしていただけに、二話の描写はちょっと衝撃的でしたが(汗&br;血の表現とか、痛みとかがリアルに伝わってくるようでした。こういうホラーチックな雰囲気もいいですね。&br;丙が見たのは夢なんでしょうか、それとも……。続きに期待してます、頑張ってください。 -- [[カゲフミ]] &new{2008-09-03 (水) 00:20:30}; - 初めまして。草笛の音色に誘われるまま歩き、辿り付いた場所……祠に見覚えが無いということは――? &br;謎や伏線らしきものが豊富で、続きがとても気になりました。それらが明かされる事を期待し、想像を膨らませながら楽しみに待ってますね。応援しています。 -- [[水無月六丸]] &new{2008-09-03 (水) 17:42:03}; - >カゲフミ様&br;コメント有難う御座います。ホラーちっくと言って頂けると、書き甲斐がありますね。そういう雰囲気を心がけたいので。&br;>水無月六丸&br;コメント謝謝ですよ、期待の新人様っ!ROM人間ながら、貴方様の物語にも期待させて頂いてます。互いに頑張りましょうね。 -- &new{2008-09-03 (水) 20:52:48}; - その薬ってまさかそっち系統の……でもって初めにあった葉っぱも……ごめんなさい、全く分かりません(殴)&br;伏線から次回予測をするのって苦手なんですよね。作者様にはそちらの方が良いかもしれませんが。&br;つまり、続きが気になってしょうがないという(笑) -- [[XENO]] &new{2008-09-03 (水) 21:25:24}; - どうもこんばんは。初めまして、孔明です。・・・ミステリアスですね。大人なリーフィアの先生が何者なのか、「薬」がなんなのか・・・。すっごく気になります!続き、楽しみにしてます!がんばってください。 -- [[孔明]] &new{2008-09-03 (水) 21:39:34}; - 病気というはっきりと形が残るものがあって、その病名に思い当たるものがあると、不安になりますよね。ホラーとは違った現実的な怖さというか。&br;薬のことといい、夢のことといい、先生に対する疑心は深まるばかりです。が、夢の中の先生は色っぽかったですね(蹴&br;これからも目が離せません、期待しておりますー。 -- [[カゲフミ]] &new{2008-09-03 (水) 21:43:57}; - …なんか某ホラーゲームの神様を食って呪われた黒幕を思い出しました。すみません、全く関係がありませんね。すごいですね、この引きずり込まれる感。これからどうなってしますか気になります。がんばってください -- &new{2008-09-03 (水) 22:50:12}; - な、何だこれは……期待せざるを得ない話ではないか…&br;まず文章力の高さに驚き。ホラーな雰囲気も最高です。&br; …ブースたんとリーフィアたんもツボなのです、執筆頑張って下さいね。 -- [[昆虫王]] &new{2008-09-03 (水) 23:15:27}; - >XENO様&br;きっぱりと言うと、分かりにくいお話かもしれません。完結させたので、伏線は半分ほど回収したから十分です(笑 &br;>孔明様 &br;彼女の正体は結局アレですが、薬の正体は七変化です。栞ごとに変わるアレです。(意味不 &br;>カゲフミ様 &br;思い当たるものがあると恐ろしくなる。それって人間の心理ですよねぇ。 …色っぽいせんせーは可愛いと思います。 &br;>名無し様 &br;某ホラーゲーム…残念ながら心当たりが無い(爆) 一応解説すると、怖さの取り入れ方は『忌火起草』から学びましたww &br;>昆虫王様&br;ぶーすたん&リーフィアコンビ好きですか。オレが居るぞ。目の前にオレが居る! -- &new{2008-09-04 (木) 02:25:27}; #comment IP:133.242.146.153 TIME:"2013-01-30 (水) 14:44:26" REFERER:"http://pokestory.rejec.net/main/index.php?cmd=edit&page=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%81%AE%E8%8D%89%E7%AC%9B" USER_AGENT:"Mozilla/5.0 (compatible; MSIE 9.0; Windows NT 6.1; WOW64; Trident/5.0; YTB730)"