[[小説まとめページへ>テオナナカトル]] [[前回のお話を見る>テオナナカトル(5):花を買うのは偽善者?]] ---- **無血の決戦 [#waf96321] // 7月9当たりのお話 聖地巡礼の旅に神龍信仰の信者がこの街を訪れると、この街は賑やかさをある程度潜めた厳かな雰囲気へと様変わりする。街の人口は2万ほどで、訪れる巡礼者は5000ほど。彼らは神龍信仰とはいえ、貧窮に喘ぐことの連続である巡礼の旅を経たせいか非常に気が立っている。 もてなしが悪いといって各地でトラブルを起こし、同じ神龍信仰の者たちから怨まれたり、酷いときには同じ国の者から恨みを買ってしまうことだってある。その浅ましさや迷惑さは、何のために巡礼の旅などしているのかたまに疑問に思えてくる程だ。 聖地巡礼の旅に参加する者たちが下馬評どおりの信仰心の深い連中であるならば歓迎ムードも流れようが((実際にそういうことが無かったわけではなく、初期の頃は手厚く歓迎しようと持て囃されていた。しかし、この時代においても品行方正な信者は稀である))、今となっては悪い事をして親に説教された時の気分を何倍にも濃度を高めたような。そんな苦痛を伴うイベントへと様変わりしてしまった。 満たされなければ奪うのがこの時代の騎士の性癖なのだから仕方がないと、途中途中の町に住む民衆は嵐が過ぎるのを待つしかないのである。 夏の暑い昼下がり。従者を引き連れ、一足早くサイリルがこの街に訪れる。街の見回りと言う名目で、案内人にフリージアの父親、ミミロップのヴィンセントを担当にして。サイリル大司教の種族はため息が出るほど艶やかな毛並みを持ったエネコロロと言う種族で、しかしその毛並みは鱗剥がしの咎を恐れているせいか、ろくな入浴もしていないために汚れ燻ぶっていた。強烈な体臭をごまかすための香水の匂いもきつく、せっかくのメロメロボディの匂いもほとんどかき消されてしまっている。 大司教ともなれば本来信者たちの見本となるべきだが、そういうわけに行かないのが腐敗した教会の象徴だ。修道士となれば税金を納める必要も無いため、信者からの寄付金を吸い上げたサイリルの格好は、どちらかと言うと世俗騎士のそれに近い印象すら受けてしまう。 サイリル司教は法衣を纏ってこそいるが、自己顕示が強い装飾品に包まれていては清貧の欠片もない。案内役のヴィンセントは普段こそフリージアと同じくボロボロの法衣を纏っているが今日ばかりは比較的新しい法衣で失礼のないようにしている。が、それでさえも隣のサイリルとは段違い。 サイリルの首にある神龍の彫り物は眩しい程に光り輝き、杖にも銀がふんだんに使われている。それを眺めるナナは苦笑するほかない。 向かってくる大司教に対し、人々は道の端に立ってお祈りのポーズをささげて迎える。二足歩行のポケモンは顔の前で指を組み、俯き気味に目を閉じ、四足歩行のポケモンは出来るだけ深く頭をたれると言った風に。 道の端に立つ人の延々と続く列。ナナはその途中にいた。サイリルとすれ違う際を待って、ナナはごくりと唾を飲む。この日のために、ロイを仲間に引き入れた。 この日のために三日前から媚薬を飲んでメロメロにかかりやすい状態を作った。この日のために、自分の髪を使い、赤い糸((自分がメロメロ状態になると、メロメロにしてきたポケモンも同様の状態にしてしまう道具))を作った。最高の一品を作り上げるために、わざわざ行商から髪を買い付け、嫌と言うほど失敗作を生み出したりもした。 その準備の全てが報われるか、もしくは台無しになり下手すれば死の運命が待っているかが決まる日。鋼の心臓を持っているナナでさえも否が応無く緊張して、動悸が早まった。 「うっ……」 ナナは炎天下にやられてめまいを起こした風にわざと足をもつれさせて、サイリルのほうへ倒れこむ。同時に彼の香水交じりの体臭を存分に嗅ぎ、敏感な嗅覚でメロメロボディの香りを嗅ぎ分けて自らメロメロ状態へと移行する。メロメロ状態への移行も、フリージアの家族を利用して何回も特訓した成果が出ている。 雄のメロメロボディ臭を嗅ぐことで、すぐさま自分がメロメロ状態になれるように。また、赤い糸によるメロメロ状態のシンクロを確実に行えるように。 (まったく、フリージアの父親や兄弟はもっと嗅ぎたくなるようないい匂いだってのに……鱗剥がしの咎とか言うのはどうしようもない迷信わね。臭いったらありゃしない。でも、一嗅ぎしただけで込み上げてくるこの発情期のような気分の昂ぶりは……やはりメロメロボディと言ったところかしら) むせ返るほどの強烈な匂いを嗅ぎながら、メロメロボディの影響で曖昧になった頭の中でナナは笑った。 「何だ、この小娘は……?」 「も、申し訳ございません……少々めまいを起こしまして」 ナナは慌てて頭を上げ、間髪いれずに謝罪する。 「ふむ……以後気をつけろ。下賎なる物が私に触れれば神威が穢れる」 (そんなこと、見たことも聞いたことも無いのに……聖書には触ったくらいで神聖さが薄れるなんて記述はあったかしら?) 「申し訳ございません」 ナナは髪をしならせるほど勢いよく頭を下げる。 「私からも、申し訳ありません……サイリル大司教。今回の市民の不祥事はこの街の教会を代表する私達の失態であります」 フリージアの父親、ヴィンセントもまた、サイリルに対してこんなときだと言うのに、ナナは媚薬の効果も相まって酷い欲求不満な気分になっていくのを感じて、その状態を悟らせない表情作りは出来そうもない。 仕方なくナナは自身の髪を縛るレプリカグレイプニルに力を注ぎ込み、幻影の自分に申し訳なさそうな表情をさせて取り繕って貰う。 「まぁいい。以後気をつけるように」 最初不機嫌そうに話しかけてきたサイリルだったが、赤い糸の効果でナナに追従して徐々にメロメロ状態へと移行したのか口元が緩んでゆく。 「ときに、ゾロアークのお嬢さん」 小娘からお嬢さんに昇格したことで、ここが第一関門の正念場だとナナは気を引き締める。 「今日の夜は暇かね?」 ストレートな物言い、どうやらサイリルはナナをモノにするつもりらしい。メロメロ状態に加えてナナの美貌を見せ付ければ落ちない男性のほうが珍しいと言うものだから仕方ないと言えばそうなのだが、聖職者としてはやはり問題行動といわざるを得ない。 「申し訳ございません。大司教様が私をお誘いになり、いかなる祝福を賜ろうと言うのか、非常にそれは興味深いことではありますが……しかし、私にはとある酒場にて来客をもてなし楽しませる義務がありますゆえ、今夜のお誘いには応じられません」 言って。ナナは頭を下げる。 「ですが、もしよろしければ私の店にも訪れてください。お酒以外の飲み物も取り揃えておりますし、清貧を心がける大司教様のお口に合いますよう質素なお食事で持て成すことも可能です。そこで今回の無礼の埋め合わせが出来るならば、是非……」 ナナは再三頭を下げる 「いいだろう」 その言葉を受け、第一関門をクリアしたと、ナナは胸を撫で下ろしたい気分になる。 「よいのですか、サイリル大司教? このような町娘の勤める店になど行っては、その神威に穢れがつくのでは?」 「&ruby(いな){否};、庶民の生活を知らずに人の上に立つことなど出来ようはずも無い。分かりますね、ヴィンセント大司祭」 ヴィンセントのもっともな忠告。しかし、サイリルはそれに対してもっともらしい言い訳をつけて断った。心の奥底では『こんな美人をモノにしなければ大司教の地位を得た甲斐が無いだろう?』と言いたいのだろうが。ナナはそんな予測をして、予測だけで酷い嫌悪感を覚える。 (全く、聖職者どころか生殖者じゃない。いやらしい) 呆れながら、ナナはため息を押し込めて笑顔を作る。 「では、私のお店はこの町の3番街イオルー表通りにございますので、どうぞ宜しくお願いします」 恭しく礼をすると、ヴィンセントは「あぁ」と頷いた。 再び御祈りのポーズをとってサイリルが通り過ぎるのを見送ったナナは、精神的な疲労からか崩れ落ちるように壁へ寄りかかった。 ◇ 「それで、サイリル大司教を誘い込むことには成功したわけか……?」 酒樽のおかれた地下倉庫にて第一関門の首尾を歌姫とロイに報告し、ナナは息をつく。 「緊張で死ぬかと思ったわ。初めて人を殺した時だってこうまで緊張しなかったっていうのに……」 これほどまでに疲れた表情をするナナを久しぶりに見たロイだが、その表情を楽しむ余裕はない。 「今日の夜、敵を討てるんですね。私……ようやく母さんの……」 どこか病的な仕草で歌姫がつぶやく。 「あら、歌姫ったらここで言っちゃうの?」 「長い話は勘弁だぜ?」 「いえ……話しておくと失敗に終わりそうですので。遠慮しますです」 何かゲン担ぎのようなものでもあるのか、歌姫は力ない笑みを浮かべて首を横に振る。 「言い忘れていたけれど、今回の依頼人はウーズ家。つまりフリージアとその家族と……後はそこの歌姫ちゃんよ。二人とも、テオナナカトルに置いて最も大事なお客さんだから失敗は許されないわよ」 え……と、ロイは間抜けな声をだす。 「そんなこと聞いていないぞ。ウーズ家の事はともかくとして歌姫は……」 「歌姫を拾ったのは2年前の話よ。だから歌姫はまだ見習いなの……こうやって、サイリルを殺すために仲間になってくれたのよ」 ナナは歌姫の頭を撫でる。 「ま、そんなことはどうでもいいわ。依頼人が誰であろうと、受けた依頼は遂行するのみ。歌姫ちゃんも指示通りやるのよ? 自分で依頼した仕事だけれど、出来るわね?」 「はい、きちんとやって見せます」 歌姫がグッと拳を握る。 「ちょっと待て、指示って俺はなにもされていないぞ!?」 驚くロイに、ナナは笑顔を崩さない。 「あぁ、そこはアレ。ロイはアドリブでお願い。下手に演技を指示するよりもそっちの方がいいし……」 ロイは何も言わず、ただ溜め息を吐いて『こいつは……』と意思表示 「かしこまり」 投げやりにロイは言ってまた溜め息をつく、ナナは動じていないのに、何故だか歌姫がおどおどするという奇妙な光景が繰り広げられた。 ただいまリーバーは買い出し中。買い出しが終われば、下手を打てば今日で最後になるかもしれない仕事が始まる。地下特有の重苦しい雰囲気がさらに増して地下倉庫に立ち込めた。 「ただいま!!」 「さぁ、リーバーが帰ってきた。仕事に取り掛かるぞ、ナナ」 いつものように笑顔を見せて、ロイが立ちあがる。 「あれ、みんな御揃い? どうしたのさ?」 地下室からぞろぞろと現れた3人を目にして、リーバーは首を傾げて笑う。 「いや何、みんな涼しい地下室がお気に入りなのさ。それに……今日は大事なお客さんが来るもんでね……今日の掃除はこいつらにも手伝わせるつもりだ」 「大事なお客さん? まっさかマイレッド女王とかじゃないよね。あの人超美人だって言うから見てみたかったなー」 「当たらずとも遠からずさ。サイリル大司教って言うお偉いさんだよ……」 「ポカーン……」 「口にしなくっていいから」 相変わらずのリーバーの反応にロイは笑う。 「そんなお偉いさん呼んじゃって大丈夫なの? ここは上品にお酒を飲む場所ではなかったと思うんだけれど……僕きちんとやれるかなぁ」 「ナナが誘っちまったんだからしょうがない。美人はお得ってことだな……サイリル大司教は大変上品な方だ。粗相の無いようにな、俺は貴族の作法で何とかするから、他の奴らはあまり構わない方がいい。どうしてもって時以外は俺が対応させてもらうよ、リーバー。だからまぁ、安心しろ」 「うぅぅぅぅ……緊張するなぁ」 弱気になるリーバーの耳にロイは軽くキスをする。 「堅くなりすぎると余計失礼だぞ。肩の力を抜け、リーバー」 「ポッ……兄さん」 「なにが『ポッ……』だ!! 惚れるな!! 男に惚れられても嬉しくない」 照れながらリーバーが笑う。シドに強姦されていたせいか男性との性交に対する嫌悪感が若干薄れているような節があり、本当に惚れてしまったのかとロイは少し背筋が強張った。 「冗談冗談。でも、キスまでされちゃあ仕方がないね……堅くならずに行かせてもらうよ、兄さん」 (これからは軽はずみな事はしないでおくかな……) そんな考えを張り巡らせている間に、ナナは笑いをこらえて口を押さえている。 (やっちゃったなぁ……) 「もう、二人ともお似合いね。男同士だけれど付き合っちゃったら?」 「勘弁してくれ。1分でいいから時間を戻したい気分だ」 これには歌姫まで笑ってしまったようだ。くすくすという押し殺した笑い声が漏れる空間で、ロイはひたすらに恥ずかしさに耐えるしかなかった。 ◇ 「と言うわけで……大司教様は、庶民の生活を知ることを所望しています。失礼に当たらないよう、ちょっかいを出したり下品な言動はご法度ですが、あまり堅くなりすぎても普段の雰囲気を損ないます。いつもどおり酒を楽しく飲むことを心がけてくださいませ」 ロイは客が訪れるごとにそうやって説明して回る。中には大司教を恐れて退散するものもいて、今日の客の入りはいまいちと言ったところか。店の盛り上がりも少しばかり足りないように思えた。 「さぁ、大司教様のお出ましだ」 先ほど、この街の案内にはフリージアの父親のヴィンセントのみであったが、今回は神の婚約者として純潔を誓うフリージアもまた街の案内を買って出ていた。 「お待ちしておりました」 ロイはいわゆるお座りの体勢、それでいて刺青が刻まれた左前脚を折り曲げながら頭をたれる。上級の礼の仕草でサイリルを迎える。 「世俗騎士か」 嘲るようにサイリルが言う。すでに敵意に満ちているサイリルの物言いは言うまでも無くロイを不快にし、しかし作戦通りだと得意にさせる。 「はい。先の教会が政権を取り戻すための戦にて、アルフ大司教の温情によりこうして生きながらえることを許してもらったしだいでございます」 「しかし、まだ世俗騎士のまま修道騎士にはなっていないようだな」 「はい、それは……」 ロイは顔を上げてフリージアを見る。 「縁あって、そちらのフリージア様とお話いただく機会を設けたときに、『信仰とは民のためにあるもの。強制されるべきではないし、強制されてささげた祈りはむしろ邪魔になる』と教えられたものでして。これの根拠となる一説はヘブラスの……なんでしたっけ?」 「第11章の6でございます。読みますね……『信仰がなければ神を十分に喜ばせることはできません。神に近づく者は、神がおられること。また、ご自分を切に求める者に報いてくださることを信じなければならないからです』と、いう一節であると教えました。他にもネコブ第1章26なんかもその根拠ですよ」 //ヘブライ第11章の6 ヤコブ第1章26 フリージアはショルダーバッグから取り出した聖書をめくり、得意げに言った。 「そういうことでございます。私なんかの祈りでは、逆に神龍様の失望を促します」 再びロイは頭を下げる。教会にとってバツが悪い事を暴露されたフリージアだが、サイリルににらまれてうろたえることも無く澄まし顔をしている。しかし、サイリルの視線は酷いものだ。強制的にでもいいから祈らせようと言いたげではないか。 ロイが教会に入って修道騎士になってしまえば税金は免除されるもののロイには協会への寄付の義務が半強制的に発生する。義務ではないがそうでもしないと教会内に居場所がなくなるのだ。 (その利権むさぼりたさのこの鋭い視線だとすれば……考えたくも無いほど生臭い話だな) とにかく、こちらに全く非が無い状態でサイリルを不機嫌にするために、今回のやり取りは悪くなかった。性根が腐ったサイリルを怒らせ、こちらを攻撃させる。そこまで持っていければこちらの術中に嵌められる。 「さぁ、こちらの席へどうぞ」 しばらくはサイリルの不満を募らせることに専念するだけだ。サイリルを案内した席には、あらかじめ怒りの感情を刺激させるための香水を振りまいている。蜜と乳の匂いがする香油と浜逆の効果の香水で、これはビークインが攻撃指令を行う時のフェロモンの香りの香水だ。匂い自体は僅かながらだがこの店全体に及んでいるが、サイリルが座るそこの席だけ特に効果が高くなっているはず。 ロイが料理を運ぶ際、ロイは貴族の作法と自分たちが雇っている従者たちの作法を総動員し、なるべく無礼が無いように勤めて見せた。しかしながら、サイリルの目は冷ややかで、ロイに向ける笑顔はかけらも無い。その堅い表情は、周りの客を緊張させてしまってやはり今日の酒場は盛り上がりに欠ける。 (これではただの疫病神ね……) ナナは小さくため息をつきながら立ち上がる。 「さぁ、皆さん。お待ちかねの方もそうでない方も、是非是非私のダンスを見ていってくださいませ」 いいながらナナがいつもの場所に立ち、踊りを始める。苦虫を噛み潰したような表情ばかりしていたサイリルがようやく表情を変えた。 ナナの美しい肢体が優雅に舞う様は、やはり神すら魅了するほどの腕前である。 たまに、特製のこだわりスカーフを身に着けてのすばやい動きや、手足に光をまとうような技での美しい軌跡を描いての舞い。今日は気合が入っているのか、心なしかいつも以上の腕前だ。 たまに幻影を駆使して道具を生み出し、手を変え品を変えての一瞬も目を離せない躍動。豊穣を祈る歌姫の声と合わせて行われるタップダンスなど、瞬きの時間すら惜しいと思わせるその舞は、サイリル大司教を存分に持て成すことに成功したようで、終わったあとの拍手にはサイリル大司教もきちんと参加していた。 「如何でしたでしょうか?」 拍手喝さいを受けたナナは真っ先にサイリルの前に跪いて尋ねる。 「祭事の場でもあれほどの踊りはそうそう見られない。ここでどさまわりをさせておくのは非常に惜しい逸材だな」 「お褒めいただき、光栄でございます」 ナナは跪いたまま頭を下げる。 「時に、お前はナナといったかな?」 「はい」 ナナは顔を上げる。 「お前を気に入った。今夜、私の話し相手になってもらえないかね?」 湾曲してはいるものの、何を望んでいるかが明らかにわかるいやらしい目つきでの誘いだ。長く見ていたら、殴りたくなるような目つきに、ナナは眉をひそめないようにするのを苦労した。 「話の相手だけ……でしたら」 「それはどういう意味かな?」 ナナは口ごもるが、恐る恐る言葉を選ぶ。 「それは、その……男女が同じ場所で夜をすごすともなれば、答えは限られております。あまり女性の口から言葉に出来るものではございませんが……察してくださいませ」 サイリルがいやらしい笑みを浮かべる。エネコロロのものとは思えないひたすら卑しくて、顔の皮を引っぺがしてゴミ箱か排水溝に捨てたくなる。 「わかっているのならば話が早い。どうだね? ここのドサまわりでは得られない金を差し上げても構わんよ」 「その金は、信者からの寄付金で成り立っているはずですよね? ……寄付金はそのようなことに使うためのものですか?」 ナナは声を荒げた。全員には聞こえなかったかも知れないが、席の近いものには聞こえてしまっただろう。 「なんだぁ?」 「どうしたぁ?」 ところどころで客の声が上がる。 「なんでもない!!」 今度はサイリルが声を荒げる。店内は火が消えたようにしんと静まってしまい、バツも都合も悪くなったサイリルは穏やかな口調で言いなおす。 「なんでもないから、酒を飲んで話を続けていてくれ……」 再び、周囲が騒がしく。そして大声で内緒話が出来るようになるまでサイリルは無言であった。 「貴様……私に恥を書かせる気か?」 「いえ、そのような気は毛頭ありません……しかし、貴方の行いは間違っておられます。私はこのような職業故、刺青を彫る金もありませんが……きちんと神に毎日祈りをささげております。私は神を恐れ敬い、司教様にもそれと同じ目を向けています。しかし、貴方を尊敬したいとはどうにも思えません……フリージアさんと違って。 フリージアさん、自分のために財産を蓄えると、蛾や錆びが食いつくすから、天に財産を蓄えなさいという一節がありましたね?」 「えぇ、マタギ第6章の19ですね。文を読みあげましょうか?」 「いえ、その必要はありません」 彼女はどれだけ記憶力が良いのだ、とナナは苦笑しながらフリージアに頭を下げる。 「畏れながら申し上げます。教会への寄付によって天に蓄えた財産とは、そのような物のために使う者なのですか? それでは、天にも蛾がいることになってしまいます」 ナナは慇懃無礼に再び頭を下げる。 「正論で返そうというのか……ふん、だがそんなことはどうでもいい」 怒りでこめかみをぴくぴく動かしながらサイリルが吐き出すように言った。 「私の怒りを買ってしまえばどうなるかはわかるはずだ。よもや、私をここまで&ruby(こけ){虚仮};にしておいて断るまいな?」 「私の容姿を買って、そのような申し出をされているのですか?」 「自分が美人だと言う自覚はあるようだな……そうだ」 「でしたら、お断りします」 「何故だ?」 「そのような者に、私は相応しくないからです」 あくまでかしこまりながらも、慇懃無礼な言葉を吐くナナ。サイリルは怒りで頭に血が上っているのか、毛が逆立ち始めている。 「思い上がるな、女!! 私の顎一つで貴様の体はどうとでもなるのだぞ?」 「その言葉、忘れませんね」 「貴様こそだ!!」 楽しい酒場の中で、酷い温度差を持った険悪なムード。酒場の客は皆、心配で話の最中にちらちらとこちらの様子を伺っている。 「ナナ……あなた、流石にそこまで調子に乗ってはダメよ。今すぐ謝らないと……酷い目にあっちゃうわよ」 フリージアが焦りを帯びた表情でナナに言うが、ナナは首を横に振って微笑んだ。 「私の体は……本当はこんなですから」 ナナは、髪を束ねる珠の仲に無造作に手を突っ込み、純白の紐に紅白と蒼白の羽をあしらった髪留め、レプリカグレイプニルを解いてみせる。若く瑞々しい見た目は20代の中盤あたりの見た目になり、左半身には顔まで覆う醜いケロイド。色も、通常のゾロアークの色に戻ってしまった。 「ですから、『美しいという理由で私を&ruby(めかけ){妾};にしようと思うあなたの要望にはお答えできない』と申したのです。貴方は偽りの美しさにとらわれて私を誘おうとした。それが神に仕える者のする事でしょうかね?」 いつの間にか、酒場で言葉を口にしているのはナナだけになる。ナナはそれに気が付かないフリをして続けた。 「私はお客様を楽しませる義務があるために、姿を偽り続けていました……しかし、あなたに夜の相手を申し出られては、もはや隠し通すことは失礼に当たります。私の体は見てのとおり大火傷を負い、この&ruby(ラティアス){女天使};と&ruby(ラティオス){男天使};の羽を利用して、取り繕う力をかろうじて与えてもらっている状態。 嘘で塗り固められた体では……美しさで私を&ruby(めかけ){妾};にしたいと仰る大司教様のお眼鏡には到底適いませぬ。貴方の神威が穢れてしまわれます。神威など、そんなもの貴方にあるかどうかも不明ですがね」 実はこの作戦、ここがミソである。ゾロアークは珠が傷つけばイリュージョンの特性を使えなくなる。しかし、ここで自分の姿を偽れるのは天使の羽の効果によるものだと証明すれば、後から周囲に幻影を及ぼしたとはいえないのだ。 なにせ、&ruby(ラティアス){女天使};は自分の姿を偽ることを出来るが、それを外部まで及ぼす力はないとされている。&ruby(ラティオス){男天使};は自分の見たものや考えたものを夢映しすることが出来るが、それは幻とはっきりわかると言うような描写が聖書や伝承の中でされている。 肝心の本体である紐がダークライの髪で出来ていると知れれば、ナナを悪鬼悪霊扱いも出来る。『全てがナナの見せた幻だ』という言いがかりも通用するだろうが、この紐がダークライの髪などと誰が思おうか? 火傷を負ってから散々な人生を歩んできたナナだが、こういう時ばかりは火傷に感謝せずにいられなかった。 周りが静かなのに気づいて、ナナは慌てて辺りを見回す。 「今の……聞かれてました?」 「ナナちゃん……そんな見た目だったの?」 客の一人、ハリテヤマのトニーが残念そうな声を上げる。 「でも左半身だけならうちの女房の100倍綺麗だぜ!! むしろ、俺はこっちの方が好きかもな」 オーダイルのジョーが間の抜けた声でナナを褒める。 「馬鹿、ジョー。お前酔ってんのかよ? あぁ、酔ってるか。そっちは左じゃなくって右半身だ!!」 トニーがジョーの言葉をフォローすると、ジョーが大声で突っ込みを入れた。 「なに言ってんだ。右に火傷があるじゃないか」 「ナナちゃんから見てひ・だ・り・は・ん・し・ん・だ!!」 トニーとジョー。愉快な掛け合いに酒場が一気に盛り上がる。みんな酔いが回って気分がいいのか、意外にも醜いとか幻滅とか言う言葉が無いのは、今まで積み上げてきた人望のおかげだろうか、そんな状態じゃないというのに、ナナの心は少しばかり温かくなるのを感じた。 「でもよぉ、正体を現したってことは何? 妾がどうのこうの言っていたけれど、そいつは……」 トニーがその先を言おうとして口をつぐんだところで、ジョーがその言葉を引き継ぐ形で…… 「大司教様が夜のお楽しみに誘ってたんじゃねーの? あれだけ美人なナナちゃんならそうしたくなるもの分かるってよぉ!! 大司教様も男の子ってことだ。おいおい、教会のお偉いさんはそう言う事はやっちゃいけないんじゃなかったのか?」 「あ、一応……カリントの第一 第6章18にて……」 //コリントの第一 第6章18 客が言ってはならない事を言ってしまって、さらにそれに対してフリージアが真面目に答えてしまったために、大きな嘲笑が響き渡る。非常にまずいと目を泳がせるナナと頭の血管が切れるんじゃないかと思う程に歯を食いしばっている大司教を尻目に、嘲笑はなかなか止まなかった。 「みなさん、失礼にあたる行為は慎んでくださいと……」 耳も尻尾も垂れ下げてうろたえるロイがその嘲笑の中を縫うようにして止める。 「くそ、不愉快だ!!」 サイリルが料理の盛られた皿やグラスを前脚で弾き飛ばしテーブルの上から落とした。けたたましい音を響かせて皿が割れ、料理が床に散乱する。 「せっかくの料理に何を……貴方、神龍に御祈りをしといて何をしているんですか?」 「世俗騎士風情が知ったふうな口を聞くな!!」 ロイが怒りにまかせてサイリルの行動を諌めるが、サイリルの怒りは止まなかった。当然だ、そういう香水がテーブルの周りに充満しているのだから。 「申し訳ありませんがサイリル様」 フリージアの親、ヴィンセントが長い耳をいじりながら切り出した。 「これ以上粗相を起こすようならば、次回の大司教会議の報告書に記入せねばなりませんよ。ここは抑えてくださいませ」 「貴様まで私を愚弄するか!!」 「何を言っているんですか!? 言っている事が滅茶苦茶ですよ」 「大司教、これでは民の信頼が離れるばかりです」 ヴィンセント、フリージア共に大司教をなだめるが、まだまだ大司教は不機嫌そうだ。 (怒っている怒っている。解毒剤にも精神が不安定になる薬を混ぜていたおかげだ) ナナはほくそ笑んだ。 「くそっ……不愉快だ。私は帰る」 立ち上がろうとするサイリルをヴィンセントは手で制する。 「客として誘われ、最後までもてなされることなく帰るのは最大の無礼((このお話の舞台では、裁判において現在でもこの行為を理由に殺意の有無という状況証拠とされるほどの無礼とされている))。どうか最後まで食事を終えてからお帰り下さいませ」 完全に静まり返った酒場にいつものような活気は無い。完全に雰囲気の悪くなった酒場の中で、ロイは散乱した皿と料理を片付けるために掃除用具をとりに行く。リーバーは物凄く不機嫌そうな顔でサイリルの視界の外から顔を睨んでいた。 それを眺めるナナはそろそろ毒を準備しようと、豊かな髪の中をさりげなく漁り小さなガラス瓶に入った揮発性の毒を散乱した料理の上に投げる。ビンが割れる音は、再び髪にレプリカグレイプニルを巻き直して、ダークライの力を借りた幻影の力で誰にも聞かせない。 あの毒はこの部屋中に散らばるし、ロイのシンクロの特性によってばら撒かれた汗によりさらにその効果は増幅させられる。無味無臭の解毒剤はすでに料理の中に入っている。 本当は、ロイのサイコキネシスで落とすはずだったグラスはなんとサイリル大司教がご丁寧にも落としてくれた。毒が入っていたグラスの破片と合わさって、ナナが落とした瓶の破片はぱっと見にはロイでさえ全くわからないだろう。後は時を待つだけだ。 「なんだか胸が苦しいのですが……」 毒の回りは体が小さいポケモンほど早い。サイリルの隣の席に座っていたチラーミィ。即ちフリージアが最初に異常を訴えた。 ロイやヴィンセントもすでに呼吸が危うい。毒をまいたナナ自身も体に不調が出始めていた。 「兄さん、大丈夫? ルインさんも……ナナさんも? ちょっと待って、お客さんで気分悪くない人、いや……お客さんに限らず、気分の悪くない人は手を上げてください!!」 リーバーが声を張り上げたおかげで、当たりは静まった。歌姫だけは遅効性の毒を随時解毒している((自然回復の特性のおかげ。自然回復の特性を持つポケモンに対しては、遅効性の毒は効果が薄い))せいかあまり気分は悪そうではないが、他のお客さんは毒タイプと鋼タイプとサイリル大司教を除いて、全員が手を下げている。つまり、ほぼ全員の気分が悪いと言うことだ。 「夏だから食中毒……? いや、それにしては何も食べていない僕らまで同じタイミングでは……兄さん、とりあえずやばいよこれ。どういうことなの?」 「わからない……が、毒を播かれたかなんかだと思う。ほら、あそこのマルノームとお前とドータクンは別に体調が悪くないだろ? あ、歌姫も他よりはましか……」 「そんなのはわかってるよ兄さん。僕が言いたいのは……なんでサイリル大司教様がピンピンしているのかってこと!!」 (へぇ、リーバー君って意外とよく見ているのね) 全員の視線がサイリル大司教へと集中する。自分が指摘しようとしていたことをリーバーが指摘してしまって、ナナは危うくおかしくて笑いそうになってしまった。 「な、何を言っている? 私がこの事態を引き起こしたとでも言うのか?」 サイリルがうろたえるが、ロイはそれを無視する。 「確かに気になるがそれは後だ……まだ死にそうな人はいないみたいだけれど、リーバー……なるべく早くモモンの実を頼む。市場で大声で叫んででも買ってきてくれ。金なんて後でいいから盗むくらいの勢いでだ」 「いえ、その必要は……」 歌姫がお立ち台の上に上がる。客たちは何をするのかと注目し、次の瞬間には全員がその意味を理解する。 歌だ。腹の奥底で、どのように声帯を揺らせばこんなに透き通った音が出せるのかと首をかしげるような透き通った快音。どういう発声法なのか、高音と低音という二つの声を同時に出す魔法のような発声法を持つ歌姫の声は、上等なハンドベルを十数の手でかき鳴らすように変幻自在の音色を奏でる。 その声を聞くだけで胸の苦しみ、手足のしびれもめまいも徐々に薄れ、心身が浄化されてゆく。病気や毒を患っていない状態がこんなにもすがすがしいものだったのかと思わせる清涼感を感じながら歌が終わると、歌が始まるまでの殺伐とした空気は一転、いつも以上の大喝采が酒場に響いた。 「癒しの鈴と言う技です……久しぶりに使ったから、うまく出来るかどうか不安でしたが……うまくいったようでよかったです」 「歌姫……ありがとう」 わざわざ財布を痛めることも無く、そして迅速に解毒できたことにほっと胸を撫で下ろす気分のロイは歌姫を労い―― 「それで、どういうことだ、サイリル大司教!?」 声を荒げてサイリルの名前を呼ぶ。 「お前は鋼タイプでもなければ毒タイプでもないし、ましてや免疫の特性を持っているわけでもあるまい。何故お前だけ、毒に犯されていない? 俺の店でこんなことをしても許されるほどに偉いのか、大司教と言うのは?」 「な……一体どういうことだ?」 サイリル大司教がうろたえるのも当然だった。本当に身に覚えが無いのだから。 「とぼけるのはよくないよ……どんな毒かは知らないけれど、兄さんも、ナナも、お客さんもみんな死ぬかもしれなかったんだよ? 僕も許さないよ」 意外にも、リーバーが予想外に勇ましく向かっていった。リーバーはロイに憧れているところがあるから、負けじと――と言うことなのかもしれない。突然降ってわいた不穏な空気によって流石に店内がざわついてきた。 「サイリル大司教……あなたもヤキが回りましたね。教会内であなたと敵対するクラウス派の私たちも合わせて葬ろうと言う魂胆ですか? それにしたって、ここまで幼稚な毒殺とは……これでは、言い訳も出来ませんね」 ヴィンセントが長い耳を掻きあげながらサイリルを睨む。 「幼稚……そうだ、私がそんな幼稚な殺しかたをすると思うのか!?」 それを、まさかの歌姫が鼻で笑う。 「どうだか? それを言い訳にして言い逃れしたかったんじゃないのですか? 吟遊詩人の私の母親と父親を殺したのも、貴方だったわけだしね」 その言葉に、誰もが『え?』と聞き返す。 「どうもこうも無いわよ。私の母親を、夫がいるというのに誘惑して、従わなかったから夫婦共々処刑したのを覚えていないのかしら? いい両親だったのに……悪魔だって罵ったわよね。今日、ナナさんが同じように誘惑されたとき、貴方を止めなきゃって思ったけれど……もうその必要は無いみたいね。 悪魔め!! 今回もまた悪魔だという大義名分の下に無実の者を殺すつもりだったのでしょう!? これだけのことをしでかしておいて、お前は二度と大通りを歩けると思うな!! この世界を支配しているのは神ではなく悪魔だと言う((神龍信仰の聖書には、この世の支配者は今の所悪魔(デオキシス)であると明言されている))のならば、それはお前だ!!」 (『場の雰囲気が、サイリルを責める雰囲気になったら、あなたの過去のお話を暴露しなさい』……と、言ったけれど、見事に指示通りね、歌姫ちゃんってば。いつものぼそぼそした声とは対照的にハキハキ喋るじゃない。やれば出来る子なんだから) ナナは自分自身を幻影で覆いながら、その裏でほくそえむ。最後の仕上げとばかりにナナは声の幻影を周囲に張り巡らせる。 「悪魔め!!」 この声はナナが発した幻聴だ。だが、この際誰がこの言葉を言ったかなんてこの酒場にいる誰も問題にしない。歌姫の演説と、ナナの煽りを皮切りに炎が燃え移るように、皆が口々に叫ぶ。 「悪魔め!! 悪魔め!! 悪魔め!!」 いつの間にかリーバーやルインもそのコールに加わっていて、ロイや歌姫も合わせて叫び始める。ナナだけはまだ戸惑っているような演技をしているが、もはや誰もナナのことなんて見ていなかった。 そんな時、周囲の席を掻い潜ってフォークやナイフが投げられた。フリージアは必死で身を伏せ、ヴィンセントは耳で防ぐ。サイリルも身を縮めていたが、そのナイフのうちの一本が背中に突き刺さた。 「ひっ!!」 ナナが驚いて背筋をこわばらせた。このナイフ、正体はナナが見せる幻影だから血が流れない。もちろんサイリルは痛くも痒くもなく、気が付かない。サイリルはナイフが刺さったことに気が付かないからナナは恐れた演技をしているし、他の者もそれを見て言葉を失った。 「どうした……って、なんだこれは!? 私の肩にナイフが刺さっているではないか」 「ちょっと待って皆……これはやばいでしょ。あ、あの……私が抜くから」 暴れようとするサイリルの肩をナナが押さえつける。サイリルの種族であるエネコロロの力はもともとあまり強くなく、暴れられたところでナナであれば簡単に抑えられる。ナナは振り払われないうちにサイリルの肩に手を掛け、刺さったナイフを引っこ抜く。 引き抜いたそのナイフには血が付いていなかった。 「うわぁぁぁぁ!!」 あまりの気味の悪さにナナは大声で叫びながら、思わずサイリルを椅子から突き飛ばし、先ほどのものと同じ毒のガラス瓶と、解毒剤を入れた瓶を同時に床に転がして。うまい具合にサイリル大司教の持ち物であるという濡れ衣を主張させる。 「あー……トニー、見ろよ。ナイフを刺されたのに血が出てないと思ったら、ナイフにも血が付いていない」 「ってことはジョー。あいつは本物の悪魔ってことだぞ」 「逃げたほうがよくねぇか?」 「大丈夫だってジョー。なんせ大司祭様が二人もいてくださるんだ。神の力で悪魔も退散って奴だ」 「違いねぇ!!」 ハリテヤマのトニーとオーダイルのジョーが二人揃って、間抜けな話をしているが、血が付いていないから悪魔であるという言葉は中々的を射た話だ。二人の言うとおり魔女が魔女だとする根拠の一つが生きてくる。魔女は血を流したり痛みを感じたりしない。日常生活でそんな仕草をするのは、普段は周りの人民に溶け込むための演技であり、化けの皮を剥がされた魔女はいかなる痛みも感じないという。 教会で魔女裁判をする際には、先端部分を押すと内部に引っ込むギミックを施し、刺しても血の出ない針を利用して対象を魔女に仕立て上げているが、それをやり返されたというわけだ。 しかも、針と柄の部分が別のパーツで構成された物ではなく、一本のナイフでそれと同じ事が起きれば、言い訳は無用だ。 (私の幻影で。それに似た状況を再現されるとは滑稽ね。骨まで絶望に染まって、そして悔いなさい) カランッと音を立てて落ちたナイフはナナがあらかじめ持っていたものでこれは幻影ではない。髪の毛の中に隠しておいた、元から血の付いていないナイフである。床に転がった毒薬や解毒剤と思しき瓶と合わせて、サイリル大司教を陥れるには十分すぎるほどの状況証拠だ。 これで、サイリルは完全に悪魔となり、ヴィンセントとフリージアの言うことが絶対的に正しくなるという魔法の方程式が完成する。ここまで追い詰めれば、後でなんとか口封じをして無実を証明するのと、サイリル大司教を一人殺すこと。どちらが簡単化は火を見るよりも明らかだ。 「……これは、何の瓶だかはよくわかりませんが。一体どういうことですか? この瓶に入っているのが毒であれば、今回の騒動は貴方がやったとしか思えません」 フリージアが、割れた瓶の破片を覗いて問い詰める。 「そっか、さっき皿やコップを落とした時に……同時にこの瓶の中身も床に撒いていたのね……貴方は」 ナナが冷ややかな視線でサイリルを見た。 「こ、これは何かの間違いだ……そうだ、そこのゾロアークの女の幻影だ!!」 ナナは首を振って否定する。 「申し訳ありませんが……私は、珠を失いまして幻影が及ぼす能力は失ってしまいました。天使の羽を用いても、幻影を及ぼせる範囲は腕の長さとほぼ同じ……とても、投げられたナイフがあなたの背中に刺さったままの幻影を生み出すことは出来ません」 「だ、そうです……申し訳ありませんがサイリル大司教。この場合はあなたよりもナナさんを信用させていただきます。私、この酒場とは顔なじみですので……彼女らが悪魔で無いことは貴方に対してよりもずっと確信が深いので。 それに、貴方の悪行の噂は絶えることがありませんし……ね」 フリージアが言い終えても、サイリルは諦めない。 「くそ、さてはこの店全員グルだな!? グルになって私を嵌めようというのだろう?」 「ふざけるな!!」 以外にもここで叫んだのはリーバーだ。 「兄さんも僕も、ここに来るのを楽しみにしているお客さんたちも、絶対にそんなことはしないぞ!!」 (あらら……これはちょっと可哀想かもね。少なくとも貴方の兄さんと私と歌姫はグルだから……) ナナはリーバーの言葉に少々良心を痛ませながら、眉をひそめた。 「俺の店と客を侮辱してまで生にしがみ付きたいか……往生際が悪いな。俺の店で好き勝手してくれた報いは、きちんと受けてもらうぞ。お前の信じている神龍信仰のやり方でな」 ロイがサイリルに歩み寄って黒い眼差しで睨みつける。 「あ、ロイさん。黒い眼差しをそのままお願いします……我ら神龍信仰の名を語り、大司教に化けたこの悪魔を逃がしてはなりませんし、決して許しておくべきでもありません……我ら神龍信仰の者が……ご迷惑をおかけしました」 ヴィンセントは耳が地面に触れるほど頭を下げて謝罪した。 「顔を上げてください……悪いのはヴィンセントさん、貴方ではありません。そうだ……大司祭様達が安心出来るように、誰か縄を持ってきてくれ」 「まかせて、マスター。何だか大変なことになっちゃったけれど、私はロイについて行くわよ」 今まで厨房からこっそり覗いているだけで、誰もが存在を忘れかけていたフリアおばさんが頷いて、厨房に隣接する倉庫へ向かい、荷物を縛って固定するための麻縄を取りに行った。 (アドリブでお願いとは言ったけれど……ロイは良い仕事するわね。リーバーも……私達の計画を知らないとは思えないくらいよく動いてくれたわ) 「……終わりね」 ナナは感慨深く口にした。 ◇ 『こんなに大騒ぎになったというのに、終わりはとてもあっさりとしたものだ。結局、拘束されたサイリル大司教はそのまま何処かへ連れられてゆき、そして一般人のあずかり知らない所へと消えてゆく。 三日後にこの街の処刑台に立たされた彼は、斬首刑によって処されることになる。火あぶりや水攻めのような苦痛を伴うものでは無くて、本当に楽に死ねる斬首刑はお偉いさんの特権と言うことだろうか。これでは、歌姫の両親とやらも報われないだろう。 歌姫は仕事の時間は絶対に泣かないけれど、営業時間が終わるとナナや俺の胸で発作的に泣き晴らしている。早く立ち直ってくれるといいのだけれど…… 流石にこのニュースは大々的に報じられ、一週間に一度のはずである新聞に号外が出た程だ。残された巡礼者、つまる所の神龍軍は混乱して巡礼者の中でもお偉いさんにあたる者たちに対しての暴動が起きたほどだ。死者も数人出たし、混乱に乗じての強盗など、街の住人も犠牲になった。恐れていた事態そのものだ……俺とナナは必死で止めたが、止めようにも数が多すぎて、多くの死者が出てしまった。 さらに恐ろしい事は、この街は大司教が悪魔認定されたと言う前代未聞の事態が起こり、そして『大司教を騙る悪魔の血が流れた穢れた地』として巡礼者達の順路からはずされたという。つまるところ、それは連動して巡礼者の道中の治安を守る神龍軍がこの街からいなくなるということだ。それによってこの街の治安が悪くならなければいいが……。 だが、それは逆に言えば神龍信仰に支配されない街ということだ。ある意味これってすごい事なんじゃないだろうか? それにしても、本当に色々な事があった気がする。それでも街は何の変わりもなく動くのだろう。その証拠に、今日も愉快な常連、トニーとジョーはこの店に訪れては酒が美味いと言ってくれている。 さて、長かった半年もようやく終わった。サイリル司教という心配ごとを取り除いたこれからのテオナナカトルは、積極的にスカウトを行うらしい。そのために、ユミルとローラは店に来れる日が少なくなるかもしれないという。……少し寂しいな。 ナナ達は、一応この街にいて、酒場の経営を手伝ってくれるらしい。俺に付き合う意味はなくなったはずなんだけれどな。酒場で客の相手をするのが気に入ったのか、それともこの街でシャーマンを探す方が効率がいいと考えているのか。確かに、この街は人の出入りも多いし、人口も多い。後者の理由ならともかく、前者の理由だったら……嬉しいな。いくら酒場で人の笑顔に触れることがシャーマンの力を増させると言ってもさ……酒場で働く事がが好きになってくれたんなら、こんなに嬉しい事は無いよ。 俺はどうしよう? とりあえずここで、テオナナカトルの皆が帰る場所を守っていればいいのだろうか? フリージア達ウーズ家は俺達には迷惑を掛けないようにと、この酒場と自分達が無関係であることを主張してくれたわけだし、完全とは言えないが俺達は安全だろう。もし危険が迫っていたら、周りの神器達がそれを教えてくれるとナナやジャネットが言うから、その言葉を信じてしばらくは平穏な日々を過ごそう。 サラさんの墓参りにも、またいかなくっちゃな。黒白神教では祖先の霊を大事にしないと自分達を守ってくれないって言うから、この店の元主人にして俺を雇ってくれた恩人であるサラさんは大事にしなくちゃ。……最低な奴だったとはいえ、あんたが愛していた旦那さんを殺してしまった俺に、そんな資格があるのか疑問だけれどさ』 「……今日はこんなところかな」 ロイは日記を閉じて溜め息をつく。 「今日はお客さんがお出ましのようだな……」 部屋の様子に違和感を覚えたロイは、苦笑してつぶやく。 「出てこいよ、ナナ」 ロイが微笑むと、ナナは笑みを湛えた表情で窓を開いて、そこからは這い出して姿を表した。 「どうしてわかったの?」 「戦士の勘さ。後は、三日月の羽が教えてくれた……ダークライがここに居るってね」 「そう、相変わらずその羽は敏感なのね」 「そうね、敏感だね」 ロイは苦笑して肩をすくめる。 「でさ、今日は何のようかな? 俺はもう眠いから寝ちゃいたいんだけれどさ」 すまないけれど、と付け加えながらロイは肩をすくめる。 「私はね……眠れないから来たの。ごめんね、あなたと全く逆だわ」 ナナはベッドに腰掛け、身振り手振りを交えながら続ける。 「そうかい……ちょっとで良いなら付き合うよ」 「私……不安なの」 それだけ言ってナナは沈黙する。ロイが隣でお座りの姿勢をしてもまだ不安そうな面持ちのナナに、痺れを切らしたロイが尋ねた。 「何が不安なんだ……?」 「私はね、親もそうなんだけれど……やることなすこと全部裏目に出て。そういう風に育ってきたからそういうのが怖いの……今回も、暴動が起こって多少の死者が出るのは正直……想定の範囲内だったけれど。 このイェンガルドとその周辺の町が巡礼者たちのルートから事実上永遠に外され神龍軍による治安の維持を受けられなくなった。これは……こんなこと予想だにしていなかった」 「確かにな。これでこの街周辺は、悪くすれば犯罪者天国になってしまう。そうなれば……サイリル司教を悪魔に見立てて殺すなんて計画を立てた俺達の責任だ」 「良かれと思ってやったことが悪い結果を生み出す。それが幼い頃から何度もあった……この顔の火傷も……」 消え入りそうなか細い声でささやき、ナナはダークライの髪で出来た紐を外して幻影の下にある正体を晒す。 「ロイ、聞いてくれるかしら?」 「……火傷の話を話したいと言うのなら聞いてもいいが」 「ありがと」 ナナが口元に力ない笑みを浮かべる。 「私の母親はね、私が2歳後半の頃に死んだの……それで、ずっとずっと父さんが育ててくれた。私はね、財布を見てため息をつく父さんの姿が見ていられなかったの。幼い私は、財布を火の中に投げ込んだわ……」 「それはまずくないか?」 「幸い、財布って言ってもただの麻袋だし、お金も溶けたり変形したりせずに残ったけれど、私はお父さんに怒られてしまった。他にも、良かれと思って捻挫した足が冷えちゃいけないと思ってぬるま湯に浸からせたり……ねんざの応急処置って冷やすべきだったのね。でも、そんなことは可愛いことだった。 私が、ゾロアークに進化して幻を自由に操れるようになって……踊り子の仕事に舞台装置の幻影を出せるようになった頃ね……今回と同じように、巡礼……という名の侵略が行われていたの。他国へ赴き、神龍のための祈りを正しく出来ない奴らから略奪すれば、財と死後の幸福が約束されているから……神龍軍に入って聖地警備の任務に着かないかって誘われたの。あ、もちろん誘われたのは父さんよ。 父は迷っていた。でも、決断させたのは私……楽な暮らしをしたいって、無邪気に言ったの。そして父巡礼に出て、確かにわずかばかりの財産は手に入れたようだけれど、前脚を片方失って帰ってきた。貴方と同じ、悪夢のおまけつきでね。 父さんは……もう自分には構わず一人で暮らしなさいといってくれた。『どうせ仕事も出来ないこの体では、お前に世話をさせる苦労を掛けてしまう。それでは私が辛くなるだけだから』……ってね。でも、私は父親の世話を焼いた」 「それが間違いだったとお前は思うのか?」 ロイが問いかけると、ナナは頷いてみせる。きっぱりと自分は間違っていたと言い張ったのだ。 「ある日、父さんが悪夢を見ていた。うなされた父親を起こそうとして私は……ヘルガーの父さんから、火炎放射をまともに、至近距離で浴びてこうなったの……私が間違っていたと思うのは……その後結局私が父さんを捨てたこと。私は、住んでいたケルアントから逃げた……父さんが僅かばかり残していた指輪や宝石と言った財産を荷物に詰め込んで……あてもなく逃げた。 でも、あの日……父さんが私に『お前はもう一人で暮らしなさい』とい言ったあの日に私が居なくなっていれば……父さんは私を殺した罪の意識から自殺することなんてなかった。神龍信仰において大罪の道((自殺のこと。神龍信仰において自殺は大罪である))をたどることもなかったのに……」 「だからと言ってお前の優しさは無駄じゃないだろ……?」 「えぇ、無駄じゃなかったことなのかも知れない……でも、私はそれでも後悔するべきことだったと思う。確かに今私がこうしてテオナナカトルに居ることはすばらしいことだと思う。けれど、もしフリージンガメンを拾わなければ。テオナナカトルに出会えなければ……踊り子しか出来なかった、幻影を作ることもできずにのたれ死んでいたかもしれない。 私怖いの……今はフリージンガメンが導いてくれているけれど、いつかはこのフリージンガメンも私を裏切るんじゃないかって。そもそもこのフリージンガメンに頼ること自体が裏目に出ているんじゃないかって」 ナナが&ruby(フリージンガメン){琥珀の首飾り};を持つ手が震える。 「なんだよ、今は&ruby(それ){フリージンガメン};に頼り切っているクセして……」 「頼り切っているからこそ……なのよ」 ナナもロイも沈黙してしまい、周囲は重い雰囲気に包まれる。 「ねぇ、南の大陸のオースランドにこんな神話があるの。平和を望んで……しかしやることなすこと、全てが裏目に出てしまったダークライが、時間を司る塔を壊して世界の時間を停止させた神話((詳しくはポケモン不思議のダンジョン空の探検隊参照))……」 「あぁ、知っている……ジュプトルとその仲間二人が最終的に世界を救うお話だな……ジャネットが神話の中でも異質((口伝が基本の神話の中では有り得ないほどに矛盾点・あいまいな点が少ないとされている。編集者及び作者が一人ないしはごく少数であり、なおかつその時代に正確に文字を操れた稀有な存在であるのがその要因だとされている))なものだとか言って読む事を勧めてくれたから知っている……で、それがどうかした?」 「人には神器との相性がある。ジャネットが湿った岩、私がダークライの髪紐、貴方が三日月の羽と言った風に……私は、自分がダークライと相性がいいのはなぜかって考えて、何度考えても神話のダークライと同じわだちを踏む運命を内包しているからだとかそういう結論に陥って、ずっとそれを恐れていたの」 「つまり……最終的にお前が世界を破滅させる存在になってしまうってか? そんなの、想像できねぇさ。それに、幻影を見せるゾロアークの力と悪夢を見せるダークライの力の相性が良かっただけじゃないのか? ナナは、人の笑顔を見るのが好きじゃないか……そんな奴がどうして世界を破滅させる? 有り得ないだろ……」 とりとめのない言葉を言っているだけのロイは、前後の言葉も支離滅裂に言葉を紡ぐ。 「えぇ、笑顔を見るのは好き……でも、不安は沢山ある。だってそうでしょ? 私のやることなすこと、裏目に出ているんだから……まるで神話のダークライのように。もう沢山よ」 グスッと、ナナは鼻をすする。 「でもね、最近は不安を解消するための答えを一つ用意できたの」 ふーっとゆっくりため息をついたナナが、ロイをベッドに引き倒す。 「それはね、クレセリア役の誰かと結ばれるためなんじゃないかって。だって、その神話の中のダークライは心の支えになる相手が居なかったんだもの。クレセリアは何か理由があってダークライの元から一度だけ去り、見離されたと思ったダークライはさらに心を病み、自分もクレセリアのことを避け続けるようになった」 いつ涙するのかと言うほど暗い表情をしていたナナの顔が、明るい物に変わる。 「その時、隣にクレセリアさえ居れば……って思ったことがあるの。私にとって、心の支えとなる貴方のような存在がね……クレセリアの力と相性の良い貴方なら、クレセリアになれるんじゃないかしら?」 今までの悲壮感漂う雰囲気はどこへやら。ナナはこのまま食べられてしまうんじゃないかと思うほど嬉々とした表情を浮かべている。 「な、なんだ……そうか。そういう方向に話を持ってきたかったんだな。俺がクレセリアになれってか……」 「うん……そういうこと。私は貴方が好きってことを伝えたかったの」 しかし、ナナの表情はまたしおらしくなた。 「でも、ちょっと演技は入っていたけれど……それでも不安に思っていたのは本当よ。このまま突っ走ってもいいものかってね……豊作祈願のお祭り。果たしてその先に何が待っているのか? それは……それが、幸せな結末ならいいのだけれど」 「突っ走るのをやめたらテオナナカトルらしくもないし、ナナらしくもないだろうよ」 「そうかもしれないわね」 ロイのまじめな返答に、ナナはそっけなく返す。 「ねぇ、ロイ」 「な、なんだよ?」 「私は貴方と結ばれるためにダークライとなったのだと思う。だから、あなたはクレセリアになるの」 「クレセリアは女しかいないはずなんだけれどな。俺は男だぞ?」 「細かい事はいいのよ」 ロイの指摘はもっともだが、ナナはロイを鼻で笑って気にしない。 「気分だけでもそれらしいことをしたいの。いいかしら? 私を、抱いて」 遠回りな言い方だが、要は男女の交わりをしたいとナナは言った。 「お前さ……男を素直に誘えないのか。まぁ、いいや。構わないよ。でも、痛くしたりしないでくれよ」 「大丈夫、なんだかんだで痛くしないように男の子を満足させるのも慣れたものだから」 言葉が終わる。と、共にナナの髪の珠から力の流れが感じられた。枕元に置いておいた三日月の羽も呼応するように力を発する。 安眠を約束するクレセリアの力と夢を見せるダークライの力、二つの力が混ざり合ったこの空間はどこか現実離れした空気に満ちはじめた。暑いはずの気温が嘘であるかのように二人は暑さを忘れ、文字通り夢中で口付けを交わす。いつもはナナが上に覆いかぶさる形が多かったが、今日は二人とも横向きに寝転がり、上下は無い。 舌を絡めあっている間、ナナの手はロイの体を愛撫していた。体中の凹凸をねちっこくなで上げ、マグマッグが這うようにその手は股間へと伸びる。ナナは遠慮しないし、ロイは抵抗しなかった。 「ロイ……貴方は私を見限ることなく、見捨てることなく、そして常に私を支えてくれるかしら? 私はやっぱり不安……」 「俺はお前の過去を教えてもらっていないから良くわからんけれどさ……でも、俺だって絶対に死ぬと思っていたどん底からここまで這いあがってこれたんだ。大丈夫、そんなに心配するなよ」 その会話をするためだけにナナは口を離したが、目的の会話を終えると再び一方的に口を塞ぐ。ロイはされるがままに鋭い牙の並ぶ歯列をなぞり合い、放熱のための器官である舌同士をさらに熱で躍らせる。やはり、二人は暑さを微塵も感じていない。 二人がおかしくなっただけではないし、二人が身に着ける神器のせいだけでもない。興奮と神の力の相乗効果。深く眠りに落ちるようにゆっくりとロイには快感が訪れる。寝返りをうつよりもゆっくりなナナのペースに焦らされているとも感じず、逸る気持ちもわかずに身を任せていたいと思い続ける。ナナの『絶妙』では安っぽいが、それ以外の言葉も当てはまらない手淫の技巧に、ロイは体の芯まで愛撫されているような夢心地。 長い舌で口の中をひたすらかき回されながら、下半身にも、耳や脇腹に絶え間ない刺激。思わず本能的に腰が浮きあがり、ロイがゆっくり達しようとした直前に、ナナは愛撫を中断してしまった。 「おい、ナナ……どうして途中でやめるんだよ?」 恥も遠慮なしに物欲しそうな瞳で言うロイがナナは愛おしくてたまらない。このまま射精させてしまいたい衝動をぐっとこらえて、ナナは無理やりに笑顔を作る。 「言いたい事は分かっているわ……いい所なのに中断しないでくれって言いたいんでしょ? でも、そんな時だからこそ……貴方に頼みたい事があるの」 ナナが糸を吐くように細く長い呼吸をして、ゆったりとベッドに仰向けになる。 「ロイ……私はね、さっきも言った通り不安なの」 本を朗読するかの如く、整った喋り方でナナが言う。 「ゼクロムやレシラムをこの地に呼び出し、大地に走る龍脈に力を与える……そうすれば、この国の実りが豊かになる。そう、それで喜ばないものは誰もいない……昔はそう思っていた。でも、本当にそうかしら? 私達の国が豊作になれば周辺の国の者は嫉妬するかもしれない。その嫉妬は憎悪となり『我々の国の実りが少ないのは奴らが大地の活力を奪ったせいだ』と言われかねない。 その大義名分があれば、民兵を動員するための原動力となる。そして大義名分があれば、戦争を正当化できる……実際に、聖地を奪い合うのは、聖地を奪った先に蜜と乳の流れる土地があると言う噂があるからなの……そんな馬鹿みたいな噂が、攻める理由になるの」 「そうだな。でもそれだけじゃないぞ」 ロイは仰向けの姿勢をやめ、横に四肢を投げ出して続ける。 「人は豊かになり量が満たされれば、次は質で満たされたくなるものだ。香辛料、砂糖やチョコ、コーヒーやタバコなどの嗜好品。金銀などの貴金属や宝石……それを得るために奴隷がいくら駆り出されるだろうかね? 神権革命によって国がごたごたしているうちに他国がこの国を攻め込もうとしているなんて噂も立っている。それに対する備えのために現在でさえかなりの奴隷狩りが行われていると言うのに……奴隷狩りが今以上になることだって予想できる。&ruby(虫の楽園){南西の大陸};に住む者達はたまったもんじゃない」 お座りの姿勢になったロイの冷静な物言いにナナは沈んだ表情をする。 「じゃあ、ロイ? 私がやることは……裏目に出るのかしら? 神話のダークライと同じ道をたどるのかしら?」 「まぁ、そうなるかもしれないがな……」 ロイはかぶりを振って否定した。 「蝶が羽ばたけば地球の裏側で嵐が起こるなんて話((俗に言うバタフライ効果と言うもの。カオス理論の引き合いに出される))がある……けれどそんなことは早々あるもんじゃないだろう? 俺が言ったこともお前が言ったこともこじつけに過ぎないさ……。実際、豊作の祈りをささげることで1年2年豊作が続いたって、それだけじゃ羨む理由には足りても攻め込む理由には足りない。せいぜい、出稼ぎに人が流れてくるくらいだろうよ。むしろ経済が潤う。 それにさ。お前は平和のためにその神様とやらを呼び出すわけじゃないんだろ? 確かゼクロムとレシラムはこの世界を支えてきた家族のようなものなんだっけ?」 「うん……」 控えめにナナは頷く。 「家族に会いたい。それに酒を振る舞いたい……それが間違ったことではないはずだと、ナナ。お前は言ったはずだ。お前は今間違っていると思い始めたのか? ゼクロムだかレシラムだかに会って、酒を振舞う。それが裏目に出ようが出まいが……それとこれとは関係ないはず。 だからと言って、知らぬ存ぜぬで居られないのは分かるが……それってお前が悪いのか? 善意を踏みにじったのは誰だ? 誰が悪いのかよく考えてみろ……どういう結果になったって、ならなくったって、お前が悪いなんてことは無いんだよ」 「私、昔はね……食料がたくさんがあれば皆仲良くできるって無邪気に信じていた。けれどね、勉強をするたびにそうじゃない事がわかって、段々怖くなってきた。今回サイリル司教を殺したことで、神龍軍がこの街から消えることになったのは……もしかしたら最後の警告なんじゃないのかとも思ったの。『私が軽率な行動をすると酷い結果が待っている』っていうね。 それでも私は……子供の頃のジャネットが願った無邪気な願いを叶えたい。私は……この世界を支える神と会いたいの」 「神に会ったとして……それでお前は何を得る? そしてそれを得なきゃダメなのか?」 「手にしたいのは満足……かな? でも……例え次の年が大豊作になろうと、戦争が始まるんじゃね……意味無いわよね……満足できない」 口にする内に思いつめたナナは、琥珀の首飾りを胸に押し付ける。 「フリージンガメンは何も教えてくれない……私に道を指し示すだけ……私を止めようとはしない。貴方を仲間に引き入れたのもフリージンガメンなのに……フリージンガメンは私に対して道を指し示すだけで、私達を止めようとはしない。もしかしたら、私達を……壮大な野望に巻き込もうとしているのかもしれないわね。世界戦争とか……」 「また物騒な妄想を……」 「そうね。でも、そんなことになりたくないでしょ? でも、私はフリージンガメンに頼り切っている……フリージンガメンの依存から抜け出せないの。だとしたら、私を止める役目を担ったのは誰? ……ねぇ、ロイ?」 「……俺だって言いたいのかよ、ナナ」 しおらしく、優柔不断なナナに呆れながらロイは言う 「えぇ、言いたいわ……」 口元を笑みで歪めたナナがロイに覆いかぶさる。 「ちょ、ナナ……」 ロイの前脚を押さえつけて天を仰がせ、ナナはロイの肉棒にかぶりつく。今まで汗と先走りで僅かにしか濡れていなかったそこが、唾液をたっぷりとまぶされ熱を伴う。長い話をしている間にすっかりと堅さを失ったそこも、ナナの不意打ちによって即座に堅さを取り戻した。 「ねぇ……ロイ?」 唾液にまみれた口周りを晒してナナが笑う。 「なんだよ」 「私を止めてみないかしら?」 再びごろりと仰向けになって、ナナは艶めかしい肢体でロイを誘惑する。手を使わないで自慰するかのように股を擦りあげていて、火傷や年齢さえ気にならなければ、男はこれだけで欲情せざるを得ない。 「とめ……る?」 唐突な言葉の意味を図りかねて、ロイは素っ頓狂な返答をする。 「私は処女。私は処女だから神子になれる……そして神子として……祭りに参加しようとしている。じゃあ、私が処女を失ったならば……私は神子からただのシャーマンになり下がる。私がシャーマンに成り下がったらもう、何十年も前から行われていない祭りを今更復活させる気も起きなくなるわ。 だからロイ。『祭りなんてくだらない』、『ナナがそんな事でいろんな問題を起こすところなんて見たくない』。そう思うなら……私の処女を奪って、ロイ。もう、祭りを復活させるだなんてくだらないこと、やめちゃいましょうよ。きっと、私が祭りを開催したらそれは裏目に出ちゃうわ。 私、神に愛されていることを確認したいがために人生の半分以上の時間を費やしてきたけれど……貴方に愛されていれば、私はそれで満足かもしれない……だから、私を抱いて。その逞しい下半身で私の夢ごと処女を貫いて……」 投げやりな口調をしてナナが誘う。 「俺が、お前の処女を奪うことでナナ……お前を止めるのか……こんなに、欲情させといてよく言う」 ロイはお座りの体勢を取り自分の下半身に滾る物を覗き見て毒づく。 「そう、欲情させている。貴方のそこは……私を犯したくって堪らないはず。それでも、処女を奪うことなく、私とお祭りの準備を一緒にやってくれる? 最後まで私に付き合ってくれる? 私が、祭りを開催する過程で何かまずいことを引き起こしたとして……それでもあなたは私を愛してくれる?」 ナナはロイの前脚をとり、親指で肉球を撫でる。 「私と一緒に祭りを行いたい……と、かつて貴方は私に賛同してくれた。けれど、さっき話した通り、豊作や幸福を祈願する祭りが成功したとして、その成功が招く事態が必ずしも良いこととは限らない。 よい結果を招くとは限らない……ならば、それを止めるべきかどうか……貴方が決めて」 「お前の歩みを止めるなんてやなこった」 ロイは明瞭な声で即答する。 「……ったく、意地悪な奴だ。その潤んだ眼、もうすでに濡れ始めている大事な所、何かを求めるように開いた口、発情しきった雌の匂い……反則だ。反則的な魅力だ。なのにお預けを喰らうだなんて……考えたくもない。本当にお前は悪い女だ。 悪過ぎて……やる気が萎えちまう……」 「幻影で取り繕っていない私はそんなに美人じゃないのにぃ……私の事をそんなに褒めても何も出ないわよ?」 褒めちぎるロイに対して決まり文句のような照れかくしを言う。 「確かに、お前の火傷の跡は醜いさ。でもダメ。お前は火傷していても魅力十分じゃないか。それに、それを補える魅力があるし。純粋に他人の幸福を願える心がさ。祭りを行いたいっていう無邪気なところも大きな魅力だよ。 いいじゃないか、祭りで得られるものが自己満足でも。戦争が起こるのはそりゃ悪い事さ……でも、戦争なんていつだっていずれ起こることだ。もしも、俺達が祭りを行ったとして……その祭りによってこの地域が豊作になったとして。それで戦争が起こっても……お前や俺の気に病むことじゃない。俺はお前を責めたりはしない。絶対にね。お前の魅力を信じることにする」 「あらら、そんな理由で……貴方はこんな美女で処女な私を前にしても貞操を奪わなかったわけだ……私の女としての魅力、そんなに無いかな?」 「大ありさ」 ロイは余りに歯の浮きそうなセリフに肩をすくめながら口にする。 「でも、お前の事は例え男であっても魅力的だったと思うよ。何十年も行われていない祭りを復活を行おうとしているその姿勢が魅力的だ。祭りを行うためにはシャーマンとしての力を高めねばならない。シャーマンとしての力を高めるために人助けも殺しも請け負い……色んな人の人生を見ている。それが魅力だ。 その証拠に、ローラも同性でありながら若干お前に惹かれているし、歌姫だってジャネットだってお前をリーダーだと認めているんだろう? お前にはそういう魅力あがあるから……それを失って欲しくない。お前の処女を奪う事が、同時に魅力を奪う事に繋がるなら……俺はお前の処女を奪えない。 処女を奪うのはさ……せめて目的だった祭りを成功させてからにしてくれ。『男は女の魅力を育て、女は男の魅力を育てるものだ』って親父が言っていたし。お預けは辛いが、親父のように立派になるにはそれも通過儀礼だ」 力なくロイは笑い、小さなため息をついた。 「ありがとう……それと、ごめん」 ナナは起き上がり、ロイを抱きしめた。 「なんか変なこと試しちゃって……本当は、ロイは私の処女をこんなタイミングで奪ったりしないって信じていた。けれど……誰かに後押しして欲しくって……本当にごめんね……」 涙ぐみながら、顔を伝い落ちる涙をぬぐおうともせずにナナが声を震わせる。 「はは、謝るくらいなら最後までやってくれ。このままじゃ収まりが付かないよ」 力なくロイが言うと、ナナはロイの頬を優しく撫でる。 「最後までやったら、あそこで焦らした意味がないじゃない……あの誘惑に耐えてまで、私と一緒に祭りを行いたいって言って欲しかったから私は誘惑したんだもの。そうね、イかせてあげるのは次にお預けね」 「え、そんな……」 と、その先を言おうとしたロイの口をキスで塞ぐ。 「そうそう、もう一つだけ謝る事があったわ。前こういう雰囲気になった時は……『次はもっと甘えていい』って言ってあげたのに、結局今日は私が甘える結果になっちゃった。そうね、『頼りがいの無い男って』いつかあなたの事を言っちゃった気がするけれど、撤回する。 ロイ、貴方はとっても頼りがいのある男の子ね。た・の・も・し・い・わ。これからも持ちつ持たれつよく付き合って行きましょう」 「あ、あぁ……よろしく」 唐突な話の転換や雰囲気の変化について行けず、ロイは戸惑いながら返事をする。 「ところでロイ……この部屋に入っていたときから気になっていたんだけれど、あれ何かしら?」 「ん?」 と、ナナが指さす方向へロイが振り向いても何も無い。嫌な予感がしてナナのいる方を振り向くと、すでにナナは消えていた。なんとも粋な退場の仕方だが、中途半端な状態で残されたロイは非常に煮え切らない。 「いつから幻影だったんだろう……このままじゃ俺眠れないよ……」 ナナに滾らされた肉欲を解消するには、結局自分がどうにかするしかないようだ。大きくため息をつき、ロイは立ちあがる。 (性欲が治まるまで、日記でも書こう……) 「ったく、本当にナナは何しに来やがったんだ!!」 毒づきながらロイはペンを口に咥え、インクの蓋を開く。 『人は誰もが赦されて生きたいんだ。赦すという事は、愛するという事……後ろめたさを感じたまま愛されることも嫌で、つまるところ、後ろめたさを感じたまま生きる事は苦痛なんだ。神龍信仰は、その赦されたい相手が神龍であるというだけ。黒白神教は、赦されたいと思う相手が唯一でも絶対でもない、豊穣の神様だったり白陽の神様だったりご先祖だったり……たったそれだけの違いなのに、信仰ってのは本当に難しい。 ナナも神に愛されて生きたいとか言っていたけれど、ナナにとって、神の愛の『神』というのは固有名詞ではない。神龍信仰の奴らは『神』は『神龍の他に有らず』って言うんだから……だからナナは神龍信仰を捨てた。どうしてここまで話がこじれるのだろうな。 まぁ、宗教に関する愚痴は置いておこう。フリージアは何度もすまないって言っているんだ。 そんなことよりも大事な問題があるんだ。俺はまぁ、神に赦されて生きることももちろん大事だと思う。けれど、もっと身近に赦してもらいたい人物がいるんだよな。俺には……まだ、本気で誰かに愛してもらいたいって思った事は無いんだけれど……ナナにならば。そしてナナも俺に愛してもらいたい……赦されて生きたいようだ。 ナナは思いつめた表情をしていた(何処まで演技か分からんけれど)。それで、↑で書いた神龍軍がこの街からいなくなる件を気にしていた。 ……まぁ、良かれと思ってやったことが困った事態を引き起こしてしまうと言うのは確かに気持ちの良いものではないかもしれない。自分を神話のダークライになぞらえて戸惑ってしまうのも分からないことじゃない。これから大災害を起こしてしまうかもしれない自分を止めて欲しいと思うのは間違っていることじゃないのかも知れない。 豊作祈願の祭りが戦争と奴隷狩りを引き起こす……か。有り得ない話ではないが、あまり現実的な話しでもない。でも心配は心配……か。 ナナが心配したそれが現実になったとしても、俺はちゃんとナナを支えてあげなければならない。それはそれは辛いかもしれない、苦難の道かもしれない。けれど頑張ろう。 あの時、誘惑に耐える事が出来た俺の気持ちを強く保ち続けてやればいいんだ。 だからナナ……お前がダークライの神器と相性が良い事を、気にしているなら……俺がクレセリアの神器と相性がいい事を思い出してくれ。俺が支えてあげるから、さ。 こんな恥ずかしい言葉も……日記じゃなきゃ呟けないよね。あー……いつかナナに言ってみたい台詞だなぁ。なんだかんだ言って、俺もナナが好きだよな。 守ってあげたくなる。不安そうなナナを赦し、愛してあげたくなる…… ふう。くさい台詞で本当に息がつまる。後はそう。ナナの言っていたお祭りやらを成功させるために力を尽くそう。俺が出来る限りをやってみよう。そして、いつかは……フリージンガメンの予想の上をいく幸せな家庭を築けたらいいな。 テオナナカトルの活動は、これからが本番だな!!』 「さて、と……」 ロイは寸止めの後にお預けを喰らった事については、悩んだ挙句日記に書く事をやめた。万が一誰かに見られたらあまりにも恥ずかしいからである。 そうしてペンを置いたロイは室内を月輪で照らすのを止め、辺りを真っ暗闇に戻す。先程懐中時計を見た時は、もう午後3時を回っていた。ロイがようやく眠ることが出来ると、気持ちよく溜め息をついて、すぐに静かな寝息を立てた。 いつもより穏やかな眠りは、明日からも動き続ける街での活動に備えるために深い眠りであった。 [[次回へ>テオナナカトル(7):神憑きの子と正義のヒーロー・上]] ---- 何かありましたらこちらにどうぞ #pcomment(テオナナカトルのコメントページ,12,below); IP:36.2.145.65 TIME:"2013-12-31 (火) 01:51:24" REFERER:"http://pokestory.rejec.net/main/index.php?guid=ON" USER_AGENT:"Mozilla/5.0 (compatible; MSIE 10.0; Windows NT 6.1; WOW64; Trident/6.0)"