作者:[[呂蒙]] <10秒でわかる登場キャラ> ・ナイル/フライゴン。男のコです。 ・結城君/人間。男性です。ナイルのご主人。日本史だけでなく世界史も得意。 今更、こんな恨み言を言ったところでどうにかなるとは思えないが、今年も「ゴールデン」な連休にはならなさそうである。結城は直接関係ないが、観光客相手に商売をして食っている方々からしてみればたまったものではないだろう。 だが、問題はあった。 「ねえ、ご主人。退屈」 ナイルがどこかへ連れていけ、どこかに行きたいとせがむのである。結城本人も遠出したいのだが、三度緊急事態宣言が出てしまい、それどころではなくなってしまった。今回は、東京よりも大阪の方が事態が深刻なようだが、東京も似たような状況になるのも時間の問題だろう。 (買い物のついで……みたいな感じにすれば問題ないか? 5月の風物詩と言えば……。そうだ『くらやみ祭り』があったな) 東京都府中市の大國魂神社で毎年4月30日から5月6日にかけてに行われる行事である。まずは、神職の方々が禊を行い、祭りの期間中に雨が降らないように祈りをささげた後、神社には欠かせない道具・鏡を清めて神社に奉納する。その後、神輿やら何やらのイベントがある。 近所と言えば近所だが……。 「ああ『今年は事実上、中止』だって……」 「ご主人『事実上中止』ってどういうこと?」 今年(2021年)は、儀式そのものはやるのだが、神職の方々だけで、規模を縮小して粛々と行われるらしく、一般には公開されないというのだ。加えて言うと、お囃子や神輿、露店などはすべて中止だという。 「そういや、ナイル。昨日雷雨がひどかったよな。稲光がすごくてさ」 「そうだったね」 「多分、規模を縮小したもんだから、雨が降らないようにする祈りが効かなかったんだろうぜ」 「それ、本当かな? 手を抜いたんなら分からなくもないけど」 結城は神道の儀式に関する知識をほとんど持ち合わせていないので、適当なことを言った。なんにせよ、どこも遠出できないというのなら、せめて5月っぽいことがしたい。ナイルも「どこも行かなくてもいいから、5月っぽいことがしたい」と言う。 昨日のような雷雨なら外出もあきらめるのだが、青空が広がり、陽光がさんさんと差している、そんな天気だと今年ばかりは逆に恨めしく思えてしまう。イヤガラセか、これは? とまで思えてしまう。 「5月らしいことか……。そうだな『菖蒲湯』なんかいいだろ」 「『しょーぶ湯』?」 菖蒲湯とは、5月5日に菖蒲の根っこや葉っぱを入れてお風呂を沸かし、それにつかるという風習である。何でも、菖蒲湯につかると、暑い夏でも体調を崩さずに健康でいられるのだという。また、腰痛にも効果があるという。 このように普通に説明すればいいのだが、時々メチャクチャな説明をしたり、おふざけをするのが結城の悪い癖である。 「まあ、ナイルをお湯の中に放り込んでおけば代わりになるだろ。緑色なんだし。低コストでいいな」 「やりたければ、やれば? その代わり、ご主人が一生お風呂から出られないようにするから」 「……冗談だって」 他には、何があるかなと考えていると 「ご主人、柏餅食べようよ。これも5月っぽいでしょ?」 確かにナイルの言う通り5月っぽいと言えば5月っぽい。柏餅は食べるほか、端午の節句の供え物としても使われている。ただ、コストがかかるのが嫌だったのか 「ああ、5月6日になったら、たくさん買ってやるよ。どうせ売れ残りが安く売っているだろうから」 などと無粋な発言をする。 「他には何かないの?」 「他? じゃあ屈原」 「何それ?」 「知らないのかよ、無知なやつだなあ」 屈原(前340~前278)は春秋戦国時代・楚の王族、政治家、詩人である。今から2300年ほど前の中国の人物で、まだ日本は弥生時代である。ロクに記録もない時代なので、そのころの日本がどのようなものであったのか、知るのは至難の業である。 屈原本人は博学で政治の力量も確かなものであった。が、肝心の国のトップである国王が、無能で屈原の苦労は報われなかった。当時の楚国王は懐王(在位:前329~前299)という人物であった。 当時の中国は、現在のような統一国家がなく「戦国七雄」と呼ばれる有力な7つの国家と、それに加えていくつかの中小国が存在して互いに覇権を争っている時代であった。 楚そのものも南方の大国であり、一時は覇権国家であった東方の越を滅ぼして領土を大きく広げていた。しかし、いくつもの大国を敵に回すのはまずいということで、西方の大国・秦と東方の大国・斉、どちらと同盟を結ぶかで意見が割れていた。 屈原は「秦は確かに強いが、約束破りの常習犯であり信用できない」として秦を危険視していたが、懐王は意見を聞き入れなかった。 屈原は剛直な性格で、相手が国王であっても遠慮することなく諫言をするので、懐王からは煙たがられていた。が、結局、屈原の悪い予感は当たってしまい、懐王はことごとく秦の策謀に引っかかり、騙されたと気付いて報復のために大軍を秦に攻め込ませても、返り討ちにあってしまう有様であった。 そして、懐王は秦の昭襄王(在位:前306~前251)の「両国の友好を祝して宴を行う」という誘いに騙されてのこのこ秦へ出向いたところ、捕まって監禁されてしまう。最終的に懐王は楚に帰ることができず、紀元前296年に秦で没した。 国王が捕まって監禁されてしまうという異常事態に陥った楚では、斉にいた太子が帰国して国王となった。この人物が頃襄王(在位:前299~前263)である。しかし、国王が変わっても剛直な屈原は煙たがられるだけで、都から遠く離れた僻地に追放されてしまう。都の喧騒から離れたことで、詩作には良い環境と言えたが、屈原が中央政府に復帰することは二度となかった。 頃襄王が即位した頃、秦では宰相の魏冄(ぎぜん)という人物が政治を取り仕切っていた。魏冄は、国王をもしのぐほどの権力を持っていたという。その魏冄が将軍として抜擢したのが、今日、長平における20万人の坑殺で知られている白起(?~前257)である。 白起は戦場に赴けば、奇策を無限に繰り出し必ず勝利した。そして、敵国の将兵を大量殺戮するので、諸国は恐れおののいた。やがて、その脅威は楚にも向けられることになる。 紀元前279年、楚軍は白起率いる秦軍と戦って大敗し、翌年に都の郢(えい)を落とされてしまう。頃襄王は逃亡。逃亡先を新たな首都としたため国の滅亡は免れたが、追放先で郢の陥落を知った屈原は、国の将来に絶望し汨羅(べきら)という河に身を投げて自ら命を絶った。 屈原の命日が5月5日で、その死を悼み、河に糯米を投げ入れて祭祀を行ったことが、一説にはその日に粽を食べる風習につながっているとも言われている。 「まあ、粽はおいしいからな。ちゃんと5月5日に食べよう、うん」 などと言い出す結城。よく分からない基準で冷遇される(?)柏餅が哀れである。 テレビのニュースでは空港や東京駅で様々な理由で遠出をする客の姿が映し出されていた。遊びに行くという人から田舎の両親の具合が良くないので、看病に向かうという人まで理由はさまざまである。個人の移動が禁止されているわけではないし、そもそも緊急事態宣言と言っても出ているのは4都府県のみでそれ以外の地域の人にとっては、関係のないことなのかもしれない。 (まあ、何もホテル代や飛行機代が高い時に出かけることもないだろ……) 結城もどこか行きたいのは確かだったが、料金が無駄に高かったり、混んでいるのが嫌なので、そう考えると、幾分どこかに行きたいと思う気持ちは消えてくれる。 どこにも出かける予定がないので、結城は家の掃除をすることにした。ホコリを出すために部屋の窓を開け放っていても、この時期は心地よい風が入ってきてくれる。6月、7月になると湿った空気が入ってきてかえって不快になるが、この時期の空気はカラッとしている。 「ねえねえ、ご主人」 「何だ、ナイル?」 掃除をしながら、手は止めずに言葉のキャッチボールをする結城とナイル。 「さっきテレビで『八十八夜』なに? さっきテレビで言っていたけど」 「『八十八夜』ってなに? さっきテレビで言っていたけど」 「関西の人に『100-12は?』って聞いて、返ってくる答え」 「……」 「っていうのは冗談で、立春から数えて88日目のことだな。ちょうど今くらいの時期だな。新茶の季節だわな。あと、遅霜が発生することがあるから注意なさいっていう注意喚起の意味もあるかな。今の時期って、晴れると日中は暖かくなるけど、夜は冷えることがあるだろ? そういう時に霜が発生しやすいんだ。作物に霜がつくと、一発で作物がダメになるからな」 「歴史の話じゃないのに、詳しいね」 「理科は地学選択だったからな」 「ふ~ん」 黙々と作業をする方が早く終わるのは分かってはいるのだが、どうにも退屈だ。ついついおしゃべりをしてしまう。 本棚の上のホコリを叩き落とす。高いところの作業はナイルにやらせる。どうせ、暇そうなのだし少しでも体を動かさないと、必要以上に太ってしまい、健康にも良くないというもの。 「うわっ、こんなに汚れているよ。もっとまめに掃除しなよ。ご主人ってズボラなんだなあ。分かっていたけどさ」 「お前に言われたくないわ! 無駄口叩いていないで、きびきび動け」 「あ、棚の一番上は薄い本コーナー……」 「見るなら、後だ」 「ご主人が買ったんでしょうよ……」 下に落ちたホコリを掃除機で吸い取る。その後、床や机の上、窓などを水拭きする。年末に大掃除はしたが、それ以降掃除はしても徹底した大掃除はしていなかったので、思いのほか汚れていた。 雑巾を洗うために、バケツに張っていた水も最初は無色透明だったが、最終的には真っ黒な汚水になってしまった。これには、結城もナイルも驚いたようだ。 「うわぁ~……。真っ黒だね……」 「今の東京湾よりも汚いんじゃないか?」 結城の部屋は、本や鉄道の時刻表、旅行のガイドブックなどがそのまま床の上に置いてあるということはあっても、時々テレビで放送される「ゴミ屋敷」「汚部屋」というには程遠い状態であった。一見すると、そこまで汚れがひどいようには見えないのだが、想像以上の汚れに結城もナイルも驚かされた。 掃除を終え、部屋が綺麗になると、一仕事を終えたからか、急に空腹を感じるようになった。それもそのはずで、時計を見るともう午後1時を過ぎていた。 いくら出かけるなと言っても、日々の生活に必要なものは買い出しに行かなければならない。大掃除を終えた結城はナイルを連れて家から少々離れたディスカウントストアに買い出しに出かけることにした。片道歩いて20分少々かかる。 家から歩いて10分もかからない場所にスーパーマーケットがあるのだが、運動も兼ねて少し遠くに行くことにしたのである。せっかく晴れているのだ、食材の買い出しの時に春の暖かな日差しを浴びることくらいは許されるだろう。 脇道から国道の大通りに出る。国道の2つの車線のうち、1つの車線は車が繋がっていた。どこから繋がっているのかな、と思って歩いていくと、家から歩いて15分くらいのところにあるホームセンターの立体駐車場から車が伸びていた。どうやら満車で駐車場の順番待ちをしているようだ。 最近は家にいる時間が増えたためか、家庭菜園が人気だとか聞いている。もっとも、結城もゴミ袋を買うためだけにわざわざホームセンターに来ることがある。家具から文房具にいたるまで様々なものが売っているので、買うつもりがあまりなくても、退屈しのぎに売り場を見て回ることがある。どこにも出かけられないから、そういう目的で来る人も一定数いるのだろう。 (とりあえず、今日明日の食材は買っておくか。何度も買い物に行くのは、それはそれで面倒だしな……) ディスカウントストアで、今日明日必要なものを購入し、家路についた。ナイルにも買い物袋を持たせる。せっかく連れてきたのだから、これくらいのことはやってもらわなければ。 結城の家にある冷蔵庫はそれほど大きいものではないので、それほど食材を入れておくことができない。また、肉は冷凍しておけばそれなりに日持ちするようになるが、魚はそうはいかない。 もしかすると、良いやり方があったのかもしれないが、一度刺身を冷凍しておいて、次の日に解凍して食してみたのだが、べちゃべちゃになってしまい、とても食えたものではなかった。 「うわっ、べちゃべちゃだよ、ご主人!」 「……すまん」 ナイルが文句を言ったのに対して珍しく素直に謝った結城。結局、結城が責任をもって刺身は全部食べたのだが、それ以降魚を冷凍することはしなくなった。主菜は肉料理が圧倒的に多いのだが、たまに魚が食べたくなる。そういう時は、その都度、買いに行くことにしている。 それにしても、日々献立を考えるというのもなかなか面倒である。おいしいものを食べに近隣に遊びに行くというのも、難しい。 (……まったく、いつまでこんな状態が続くんだろうな……) 少しブルーな気分になりながら、掃除をして綺麗になった自宅に着いたのだった。 おわり #pcomment