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コノハと蝶と唯一女王 の変更点


SOSIA 番外編.2
**コノハと蝶と唯一女王 [#ga749ed2]
**コノハと蝶と唯一女王 [#p322fc09]
RIGHT:Written by [[March Hare>三月兎]]
LEFT:
ちゅうい:&color(red){性描写};があります。

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#contents
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◇キャラ紹介◇
・ラ・レーヌ=ド=リークフリート(年齢不詳)
『蝶の舞う園』を経営するバタフリー。

・エリオット(19)
『ウェルトジェレンク』店員のリーフィア。

・イレーネ(24)
『ウェルトジェレンク』店員のブースター。

etc.
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***00 [#qb0f1333]
***00 [#p5444efa]

 残暑が尾を引く季節、すでにあの反乱も、黒薔薇事件の影も見えない。
 フロアは満席で、忙しいことこの上なく。なんたってあのオバサンが仕事をしているほどだ。明日は雨が降るか岩が降るか。
「なかなかいいお店じゃない。シオンにしてはセンスがあるわね」
 ここはいつからヴァンジェスティの令嬢がお忍びで遊びにくるようなお店になったのだろう。
「シオンにしては、は余計だよっ」
「まあまあシオンさま。フィオーナさまもこれで褒めているのですよ。ふむ……いい茶葉を使っていらっしゃいますね。これはアザトの……セルスエラ産でしょうか?」
「……それだけミルクと砂糖をどばどばと入れてよくわかりますね姉さんは」
 一番奥の席を占領しているあいつは昔は一匹で来ていたくせに、これみよがしにハーレムしてやがる。
「経営が上向きそうで何よりだ。トモの努力がようやく実を結んだというわけだな」
「経営が上向きそうで何よりだ。トモヨの努力がようやく実を結んだというわけだな」
「私……とあの妹弟がやってんだから当たり前だよ。そんなことよりアンタはどうなんだ、ハリー」
 ヒゲのオッサンはいつの間にかマスターを馴れ馴れしく短縮形で呼ぶようになっているし。
「実入りは良いとは言えんが、食うに事欠かない程度には依頼は入っているよ」
 ランナベールに落ち延びたあの時は想像もしなかった形の未来がここにある。
 そんな光景を横目に、エリオットはせっせとワゴンを引いてメニューを運んでいた。ろくに仕事をしない店長に任せていては店が回らない。
「お待たせ致しました。コーヒーと当店特製きのみジュースになります」
「ありがとう」
 目の前にはぎこちないながらもどこか初々しい二匹の若者。
「キールお前、苦いのはニガテなのか?」
「頭を使うためには糖分が必要なのです。貴女こそ、食の好みまで牝を捨てる必要などないでしょう?」
「私の好みは生まれつきだ」
 銀縁眼鏡のクチートと凛々しいアブソルの牝はなんでも私兵団の騎士らしい。
「ところで奥にいるあの集団は……シオン達か?」
「なっ? な、何故このようなところに……」
 シオンと同じ団か。なるほど。この二匹が牡と牝の関係を持っているかどうかなんて経験の浅い俺には見ただけではわからないが、お忍びのデートだったりするのかもしれない。おめでたい騎士団だ。
 シオンと同じ団か。なるほど。この二匹が牡と牝の関係を持っているかどうかなんて経験の浅いオレには見ただけではわからないが、お忍びのデートだったりするのかもしれない。おめでたい騎士団だ。
「ちょっとそこのリーフィアの店員さん! こちらへ来て&ruby(わたくし){私};の話し相手になりなさい!」
 ひとまず注文を全て消化したところで、やたらと高飛車なグレイシアの牝に呼び止められる。
「ああ、はい……」
 こういうやつは苦手なのだが、こっちだって客商売だ。話を合わせるのならお手の物である。
「オレでよければ何でも聞きますよ」
「……やはり貴方ではダメね」
「ハァ?」
 この忙しい時に呼び止めておいてどういう了見だ。客じゃなかったらぶっ飛ばすぞ。
 ――まあ、オレにはそんな力ないんだけど。なんかコイツ強そうだし。
「見た目は悪くないのに、粗暴な仔ね。私の好みではないわ」
「うるせえ。こっちこそ願い下げ――」
 いけない。相手は客だ、客。
「――と言いたいところですが、てめ――いえ、お客様がそう&ruby(おっしゃ){仰有};るのでしたら、オレ……ボクは大人しく引き下がることと致します。申し訳ありませんでした」
「ふん。心にもないことを言う下僕なのね」
 頭に来る捨て台詞だが、また一匹の客が、カラン、とドアに付いた鈴を鳴らして店に入ってきたので捨て置かざるを得ない。ムカつくけど。
「いらっしゃいま……あっ」
 とてとてと走って迎えに上がったブースターイレーネが言葉を呑んだ。
「随分盛況じゃないか、ん? 一時とはいえこの俺様を雇っただけのことはあるな」
 歌声のようなテノールボイスと荒々しい口調のミスマッチは一度聞いたら忘れない。緑の複眼と輝く鱗粉で異色の存在感を放っている色違いのバタフリーは、今やこの国でベスト3に入る大きな娼館の経営者。
「お席に案内いたします、ラ・レーヌ様」
「ふむ。なかなかそれらしくなったものだな。弟は……おお。相変わらず小憎らしい目つきでこっちを見てやがるではないか」
「やかましい。だいたいお前に弟呼ばわりされる筋合いなんか――」
「エリオット。彼はお客様なのよ? そんな口を聞いちゃダメだって、マスターに言われているでしょう」
 最近は姉ちゃんがうるさくなってきたので、オバサンは静かになった。まあ、どっちに怒られる方が良いかといえば姉ちゃんの方がまだましかもしれない。
「へいへい。いちめーさまごあんなーい」
 世界は一つだなんて言うけど、本当は目に見えない継ぎ目だらけ。この狭い国で、同じ土地に住んでいながら、みな生きる世界が違う。
 王女様とその婚約者。使用人。私兵団員。探偵。娼館の経営者。
 &ruby(ウェルトジェレンク){世界の継ぎ目};はその狭間にある。壁も溝もなく、安らげる場所。
「ラ・レーヌ……? ってまさか」
 声は奥のテーブル席から。
「お? おお? おおお!」
 ラ・レーヌの視線がそちらに釘付けになる。彼が姉ちゃんの雇い主だったならば、シオンと知り合いであって当然だ。今日という日は偶然にも、普段は会うことのなかった客が一堂に会している。
 繋がらなかった線が、世界と世界が繋がる。

&size(18){         ◇};

「おいおい俺様の行く道を塞ぐとは無礼な端女だな。俺様はそこのエーフィに用があるんだが」
 橄欖という名前らしいシオンの侍女のキルリアが、パタパタとシオンに近づいてゆくラ・レーヌの前に立ちはだかっていた。
「お言葉ですが……主はあなたを恐れているようです。素性の知れないポケモンを近づけるわけには参りません」
「ほう」
 離れたところから見ているエリオットでさえ橄欖の視線に底知れぬ恐ろしさを感じたが、ラ・レーヌはまるで怯む様子がない。
「いいだろう。聞いて驚くがいい! 俺様の名はラ・レーヌ・ド・リークフリート。『蝶の舞う園』経営者にして、今やケンティフォリア歓楽街ナンバー2の座に最も近いと言われる牡だ!」
 なんつー中途半端な肩書きだよ。そういやあのビオラセアとかいうブーピッグ、最近見ないがあいつがナンバー1だっけか。歓楽街なんて大したことないに違いない。
「随分と態度の大きい店長様ね。その名、帝国の貴族の出かしら?」
 答えたのは橄欖ではなかった。凛とした声に、思わずきっちりと背筋を伸ばしておすわりの姿勢を取ってしまう。
「お前は……ふむ。そうか。それでアスターと……なるほど。欲しいものは必ず手に入れる、そんなツラをしている」
 しかしラ・レーヌは、この国を統べる者の娘であるフィオーナ=ヴァンジェスティに負けていなかった。あまりに&ruby(ぶしつけ){不躾};な物言いに、橄欖が顔色を変えた。
「それ以上近づくと命の保証は致しませんよ」
「おお怖い怖い。アスター、お前の侍女なんだろ。なんとかしろ」
「……その名は捨てました。僕を呼ぶならシオンと呼んで下さい、ラ・レーヌさん」
 彼と視線を合わせないまま答えたシオンに一瞥をくれ、フィオーナはすうっと目を細めた。
「橄欖、下がりなさい」
 やべえ。怖い。妖艶なだけじゃない。彼女を敵に回すということは、この国を敵に回すのと同じことだ。いかにラ・レーヌが歓楽街で大きな力を持っていても、敵う道理がない。
「シオンはこの私の婚約者ですのよ。没落貴族風情が……分を弁えなさい」
 あのフィオーナが怒ってる。店内が、あのオバサンでさえ黙りこくるレベルで静まり返ってる。恩人が殺されるかもしれない状況なのに、姉ちゃんすら動けない。
「貴族でも何でもないヴァンジェスティに没落貴族呼ばわりされる覚えはないがな」
 それなのにあの野郎ときたら、危機を察知する能力に欠けているのか、挑発としか思えない文句をフィオーナに投げつけやがった。もう知らねえからな。
「貴方にとってたかが三代の歴史しか持たないヴァンジェスティは貴族と認められないということはわかりました。事実を素直に受け止められないなんて可哀相な方ですこと。貴方の家がどれだけ長い年月を重ねていようと、過去の栄光に過ぎないでしょう? 現に一国の主である我がヴァンジェスティを卑下する資格などありはしません」
 フィオーナの傍らに下がった橄欖は今にも飛び出しそうだし、孔雀は――自分のミルクティーを飲み干して、次は橄欖のカップに手を伸ばしている。ラ・レーヌの他にもう一匹いた。緊張感のないやつが。
 それでも一触即発にはかわりない。頼むから口論だけで終わってくれ。
「そうか。まあ家をおん出された俺様にはそんな資格はないな。だが一つだけ言わせてもらおう。リークフリート家の栄光は過去のものではない。未来だ。家が俺を捨てたのか、俺が他の全員を捨てたのか。決めるのはこれからだ」
「反骨精神だけは見上げたものね。いずれこの国に牙を剥くおつもり? あのサエザのように」
 おい。冗談じゃねえぞ。たかがちっぽけな喧嘩でなんでそんな大きな話になるんだ。これだから金持ちってヤツはわからねえ。









「や、やめてよフィオーナ。このひとは……いい人じゃないかもしれないけど、そんなことはしないよ。サエザとは違う」
「シオン? 彼とは一体どういう関係で――いえ。どこかで聞いたわね。ケンティフォリア歓楽街、蝶の舞う園……」
 フィオーナは目を丸くしてラ・レーヌの姿を見直した。シオンが昔、ラ・レーヌの下で働いていたという経緯は姉ちゃんからだいたい聞いているが、フィオーナがそこにどう関わっているかはわからない。ただ、突然上からの圧力で手放すことになったと、ラ・レーヌが嘆いていたと姉ちゃんが言っていた。
「おお。思い出してくれたか」
「そう。貴方があの娼館の経営者なのね」
「名前も顔も知らずとも、お前がそうと決めれば勝手に商品を奪い取れるのか」
 ラ・レーヌの言動はどこまでも挑戦的だ。怖れも&ruby(へつら){諂};いの欠片もありゃしない。
「私を誰だと思っているのです? 貴方がいかに歓楽街一つで大きな顔をしていようと、この国ではあまりにも矮小な存在です。理解したのなら下がりなさい」
「待て。俺はただそいつ……シオンと話がしたいだけなんだが。横暴な上に心の狭い奴だ」
「話をしたいならしたいなりの礼儀というものがあるのではなくて?」
「いいよ、フィオーナ。僕もレーヌさんと話がしたい」
 シオンが口を開いたとき、フィオーナは訝しむような目つきで橄欖を見た。シオンの気持ちが嘘か本当か。橄欖が黙って頷いたのを確認して、フィオーナは不機嫌そうに首を回した。
「……勝手になさい」
「ありがとう」
「おお。惚れた牡の言うことなら聞くのか。わかりやすい牝だ」
 ぷちん。
 そんな音が、聞こえた気がした。
「孔雀」
「ほ?」
 孔雀は木製のティースプーンをくるくると回しながら、フィオーナを一瞥した。まったく使用人の主人に対する態度とは思えないが、フィオーナの意図するところは伝わっているようだ。まあ、誰が見ていてもわかる。
「良いのですかー?」
 ゆらりと立ち上がった孔雀は――緩慢な動作にしか見えなかったのに、いつの間にかラ・レーヌの触角に短刀を突きつけていた。あまりに自然すぎて、隠し持った得物をどうやって抜いたのかもわからない。
「ほう」
 ラ・レーヌはその場から動かずに、悠々と羽ばたいてホバリングしている。まるで恐れというものがない。
「おや。なかなか&ruby(ヽヽヽ){できる};お方のようですね、ラ・レーヌ・ド・リークフリートさま」
「当たり前だ。力のない奴がこの国の夜を治められるものか。それに――」
 ラ・レーヌは突きつけられた刃などまるで意に介さず、翅を広げてビシッと胸を張った。
「俺は騎士の出だからな! その辺のゴロツキやハンターなんぞにひけは取らん!」
 まーたくだらない冗談を。騎士だって? あいつが?
 でも、フィオーナは没落貴族とか何とか言ってたような――ってことは、マジ?
「わたしを甘く見ると危ないですよー」
「いや。甘くは見ていないぞ。お前もそこのわがままお嬢さんの護衛を任されているだけのことはありそうだからな」
 気づけばフィオーナは蚊帳の外、場を支配しているのは空気を読めないのか読まないのか、とにかく恐ろしくマイペースな二匹組だった。
「ほほー。ではお手合わせでも致しますか?」
「何故この俺様がそんな面倒なことをしなければならん」
 うわ。口だけキャラかよ。
 ――なんて思うのはオレがまさしく口だけだからか。おそらく多少なりとも心得のある者は、ラ・レーヌが本当に強いのかどうかなんてお見通しなのだ。
「茶番はいい加減にしなさい! もう良いですわ! 話したいことがあるならさっさと――」
「いや。挨拶程度で構わん。元気な顔が見られたのだから十分だ」
「え? レーヌさん……?」
 ラ・レーヌが意外なことを口にするので、シオンは目を丸くしていた。ラ・レーヌというポケモンはよくわからない。付き合いの長い姉ちゃんなら、あるいは理解しているのかもしれないが。
「珍しいものを見るような顔だな。突然引っこ抜かれたお前の行く末が気になるのは普通だと思うが」
「いえ、その……おかげさまで。こうして僕は元気にしています」
「あの時の拾い物が今は王女様のフィアンセか。俺とはまるで逆だな」
「逆?」
「俺は騎士の家に生まれた。&ruby(か){彼};の国で最も皇帝家に近いと言われた、リークフリート家の嫡男としてだ」
 この&ruby(おとこ){牡};がどうして昔語りをする気になったのかは知れない。どうしてまたこの喫茶店に立ち寄ったのかも。
 ただ、姉ちゃんを助けてくれたのは事実だし、シオンとも浅からぬ縁があったらしい。
 オレだけ仲間はずれっつーのも悔しいから、聞いてやるか。
***01 [#a175ad09]

***01 [#u8a2863b]

 ラ・レーヌ・ド・リークフリートは、騎士の家に生まれた。それも皇帝家に最も近いと言われる、リークフリート家の嫡男として。
 孵化したとき、一族は驚いた。黄金色の体色をもつキャタピー。一万匹に一匹とも言われる体色の突然変異は、ポケモンの世界ではよく知られている。だが、それがこの騎士の家に、リークフリート家に生まれ落ちたのだ。ラ・レーヌと名づけられた子は、神の申し子として一族の期待を寄せられながら、また恐れを抱かれながら。十三の年には銀に煌めく鱗粉と緑の複眼をもつバタフリーへと進化していた。その上彼は武芸にも学問にも芸術にも秀でていた。その容姿に勝るとも劣らない確かな才能を備えた彼は、まさしく神童であった。リークフリート家の権勢にさらに拍車がかかるであろうことは誰の目にも明らかだった。
 &ruby(ポケモン){ひとびと};はリークフリート家を恐れた。親族さえも、この神童に全てを奪われると。恐れはやがて嫉みに、そして悪意を帯びて殺意に。
 燃え盛る中庭。散乱したガラス。折れた柱。帰宅した時、そこは既に彼の知る家ではなかった。供の者と一緒にすぐに逃げた。すぐに追っ手が来た。供の者達はラ・レーヌを庇って死んだ。
 命からがら南へ落ち延びた。ランナベールにたどり着いたラ・レーヌは何も持たない少年だった。
「あらー可愛い仔じゃなぁい」
 死んだ目をしたバタフリーの少年を最初に見つけたのは、妙齢のモジャンボだった。うねうねとうごめく触手が触れても、ラ・レーヌは身じろぎ一つしなかった。
「……誰、だ」
「おねーさんはね、ハルダっていうの。君、名前は? ひとり?」
「俺の名はラ・レーヌ・ド・リークフリート……俺は……俺、は……」
 いかな神童も、このときは考えることを忘れていた。目の前のモジャンボの目つきが普通ではないことも。貴族の名を明かすことの危険性も。
「なーるほどねぇ。薄汚れていてもわたしの目は誤魔化せないわぁ。どことなく高貴? っていうかぁ」
 ハルダの無数の触手がラ・レーヌの全身をねぶるように包み込んでゆく。
「逃げてきたのねぇ。行く当てもないのねぇ。レーヌくん。おねーさんのところに来るといいわぁ」
 何もかも手に入れる前に奪われた。道を照らす光を持たないうちに、闇の中に捨て去られた少年に、何ができたというのか。
 考えることを忘れていた? 違う。遥か先のことで頭がいっぱいだっただけだ。ラ・レーヌは思った。この牝に殺される気はしなかった。生きていられるならそれでいい。生きていれば。俺はリークフリート家の嫡男だ。愚かで臆病で狂気に囚われた弱者どもに何ができる。俺を殺し損なったのが運の尽きだ。リークフリート家を乗っ取るなら乗っ取ればいい。俺が本物だということは俺がこの手で証明してやる。リークフリート家を継ぐのはこの俺様だ。奪われた物以上の物をこれから手に入れて、あの弱者どもを高みから見下ろしてやればいい。妬み根性というやつは一度持ったら二度と消えない。俺を消した、まやかしの達成感を妬みに上塗りしても。剥がしてやる。俺様からは何も奪えない。思い知らせてやる。俺は俺一匹でリークフリート家を作り上げる。俺を消したんじゃない。俺が貴様ら全てを消したのだ。
 ――だから、これは貴様らへの復讐だ。

&size(18){         ◇};

「うふ、ふふふふふ」
『&ruby(ボーイズメイデン){美少年のお手伝いさん};』と書かれた看板。扉をくぐるとき、ラ・レーヌはここがどういう場所なのか理解した。密室に連れ込まれ、何をされるのかも。
「怖がらないのねぇ。強気な仔も好きよぉ」
「俺は……ここで体を売ることになるのか?」
「さぁねぇ。それは君次第ねぇ」
 無数の触手が伸び、ラ・レーヌに触れそうなところでわさわさと動き始める。
「わたしを楽しませてくれたら、ずっとわたしが養ってあ・げ・るぅ!」
 するすると触手が体に巻きついてきた。一切の抵抗を防ぐように、手足も翅も拘束される。
「虫タイプは初めてだわぁ。どこがいいのかしらねぇ? ここ? ここぉ?」
 触手と二本の腕を使って、体のありとあらゆる場所を刺激された。肢。触角。翅。触手は口の中にまで侵入してくる。
「んん、っ……ん……ぷはっ、しょ、触角は……」
「触角が敏感なのねぇ? ここはぁ?」
「ふぁ、んくっ……や、やめ……」
 総排泄孔に触手を挿入されて、思わず声が漏れてしまった。そこはそうやって使うもんじゃない。十三歳のラ・レーヌにも知識はある。虫や鳥のポケモンは突起状の性器を持たないかわりに、牝を包み込むように密着させる。断じて哺乳類型ポケモンの牝の穴のように、何かを挿れるものじゃない。
 それなのに。
「な、なに、これ……か、からだ、が……おかしく……ひゃああっ……!」
「あははははは! 強気な仔がこうして素直になる瞬間……! いいわぁ。あなた、逸材よぉ!」

 体の中を動き回る触手は、内側から的確に性感帯を刺激してくる。ラ・レーヌはまだ、知識しかなかった。本能に訴える刺激。抗えない。食欲や睡眠欲と同じか、それ以上に。頭は拒絶しているのに、死ぬほど不快なのに。その裏返しみたいに、肉体が快楽を感じている。悔しい。それがこんな牝に与えられているということが。悔しいが、どうしようもなかった。
「へ、変なのぉ……っ! だ、だめ、ぇっ……」
 これは自分の声なのか。歌を歌うのは好きだった。自分の声は好きだった。でも、こんな声、俺は知らない。
「あらぁ。まだ&ruby(ひとり){一匹};で&ruby(ヽヽ){した};こともないのぉ? おねーさんが教えてあげるわぁ。うふ、ふふふふふっ」
 体の中から波紋のように広がってくる快感が、脳天、触角まで突き抜けた。その触角を根元から先までさすられて、ぶるぶると体が震えた。
「ひぅん、ぁ、やぁっ……や、やめ、てぇっ……」
 仰向けになったハルダが触手でラ・レーヌの体を吊り上げていたことにも気づかなかった。上も下もわからない。拘束された翅を無理に羽ばたこうとしても、ハルダの力が強すぎて動けない。
「気持ち良くなったら出していいのよぉ。おねーさんがぜーんぶ受け止めてあげるからぁ」
「だ、だひゅ、って……ふぁんっ、な、なに、を……きゃんっ……!」
 頭では知っていた。けど、自分の体から実際に出てくるなんて。
 快感の波が、これ以上があるとは思えなかったのに、際限なく強くなってくる。白いフラッシュのような感覚が脳裏に焼き付くように、広がって――
「ふぁ、あ、あ……ぁああああああっ!」
 急におしっこがしたくなって、まったく我慢できなくて。体をぶるぶると震わせながら、お漏らしをしてしまった。すごく恥ずかしいだけのはずなのに、おしっこをハルダの体に浴びせている時に襲ってきたのは、これまでで一番強い快感だった。
「うふっ、こんなにたくさん……虫ってさらさらなのねぇ。それとも、まだあなたが小さいからかしらぁ」
 しだいに快楽の波が収まってきて、眼前の光景を認識する。ハルダの触手を伝って自分の体から流れているのは、白く濁った水だった。そもそもバタフリーの体の構造上、おしっこは体の中で余った水を捨てるだけのためのものなのに。水をたくさん飲んだわけでもないのにこんなに出るなんておかしい。
 遅れて理解した。バタフリーに進化した時から、自分の体はもう大人になっていたんだって。お漏らしなんかじゃなかった。これが射精という感覚なのか。
「はぁ、はぁ……ふぅ……おま、え……」
「あら。強気を取り戻したかしらぁ。安心しなさい、あなたには怒らないわよぉ。逃がしはしないけれど、ねぇ」
 体が大人の階段に足をかけていても、もとより右も左もわからぬ仔共に、その手を振り払うことなどできるはずもなかったのだ。

***02 [#z513c3e3]
***02 [#m215e1d8]

『&ruby(ボーイズメイデン){美少年のお手伝いさん};』は、ケンティフォリア歓楽街の西の端にあるバーと娼館を兼ねた店だ。客層のほとんどは若い牝、といっても二十五から三十くらい。時に年増の牝。それから、一割くらいは牡もいた。
 ラ・レーヌと同じ十三歳くらいから十六歳くらいまでの少年たちが給仕をしたり、客の話し相手をしたり。気に入った仔がいればお金を払って、奥の階段から二階へ。そんなわかりやすいシステムだったから、見ていてすぐに理解できた。
「ねぇママさん、その仔はダメなの? 可愛いのに」
「まだ教育が終わっていないのよぉ」
 ラ・レーヌに目をつける客は少なくなかった。色違いのバタフリーというだけでも目立つのに、マスターのハルダが片時も側から離さないから。
「お話だけでもいいからさあ。ね、ボウヤ、こっちに来て?」
 カウンター席で煙草を吹かすパッチールの牝性がラ・レーヌを手招きしたので、ゆっくりと羽ばたいて隣に寄った。年の頃は二十代後半くらいか。
「ふぅん……どこかの王子様みたいね、キミ」
 この牝は、持っていない。俺にとって得になりそうなものは何も。
「年はいくつ?」
「十三」
 &ruby(だんしょう){牡娼};の未来は、決まっている。十代後半になるまでにどこかの金持ちの牝に妾として引き取ってもらうか、そうでなければ使い捨てだ。牝の娼婦よりも寿命は遥かに短い。だから、探さなくてはならない。
「ふふん。そんなに綺麗なのに無愛想な仔ね。あたしにも興味はないのかしら?」
 パッチールの手が足の間にすっと伸びてきた。虫ポケモンにも慣れているのか、的確に総排泄孔のあたりを狙われる。
 ――が。
「その先は許さないわよぉ」
 伸びてきたつるのムチが、パッチールの手を止めた。
「いいじゃない、ちょっと触るくらい」
「エロエロ~なことをしたいならディルを頂戴しないとねぇ」
「じゃ、この仔と上で……いくら?」
「教育がまだって言ったでしょぉ」
「いいわ。まだ何もわからないオトコノコに教えてあげるのも、楽しそうだし」
「そぉ? 仕方ないわねぇ。それじゃ――」
 なんてやり取りをしたのは、はっきり言って五度や六度では済まない。ハルダはいつまでもラ・レーヌを自分の物としていた。気まぐれに客に売ることもあったが、こんな調子で吹っかけていた。神童はここでも特別だった。もしかしたら俺は、一生ハルダに飼われたままなのではないか。この牝が俺の何を気に入ったのかは知らないが、いずれ年を重ねれば捨てられる。身の安全が曲がりなりにも保証されている間にこの街を知り、経験を重ね、ハルダから集められるだけ知識を集める。俺はもうただのガキじゃない。いい拾い物だなんて思っているなら大間違いだ。高い買い物だったということを教えてやる。

&size(18){         ◇};

 それから四年、ラ・レーヌはハルダの下で身を売った。巧みな話術で客から貢ぎ物を得て、ハルダに隠して資金を集めていった。身元不明のポケモンでも足形と写真さえあれば口座を開設できるヴァンジェスティ国立銀行のシステムはありがたかった。欲望に忠実な国とポケモン。この手の商売はまず客に困らない。何が真っ当で何が黒い職業なのかなんてわからない。国民の意識の中に明確な区別がない。
 新入りだったラ・レーヌは最年長となった。美しさは変わらないとひとは言う。未だにお気に入りとして指名しつづけてくる婦人もいるし、ハルダの&ruby(ヽヽ){教育};は終わる気配がない。それでも&ruby(だんしょう){牡娼};としての寿命はもう残されていない。当初の予想通り、ハルダはラ・レーヌを身請けさせるつもりはなかったのだった。
「ハルダ様。お話があります」
 だから、追い出されるくらいならこちらから出てゆこうと思った。ハルダに気に入られている自分なら、自ら進言することも許されるはずだ。
「そう。わたしの手から離れたいって言うのねぇ」
「俺も十七です。もうここにはいられないでしょう」
「ふぅん。それで、わたしに黙ってこっそり貯金してたのぉ?」
「――っ」
 カマ掛けかとも思ったが、彼女の表情を見るに本当に知っているらしかった。
「あらぁ、知らないと思ってたぁ? でも君は特別だからねぇ。黙っていてあげたのよぉ」
「俺が……特別?」
「君はわたしの個人的な&ruby(おもちゃ){玩具};なのぉ。身請けの話を全部断ったのも、ずっとわたしの相手をさせるのも、そう」
 ハルダの声色は徐々に冷めていった。低く重く、怨嗟が篭っているかのように。
「残念。わたしの玩具は壊れてしまったのね。壊れた玩具は捨てるしかないのだけど、その玩具は捨てられることを望んでいる。それじゃ、どうやっておしおきしたら良いのかしらねぇ」
「俺は壊れてなど……いや。冗談じゃない。この俺が貴様のような下卑た牝の玩具になどなるものか」
「そぉ? わたしから逃げられると思ってるわけねぇ」
 これでも騎士の卵だったのだ。この四年間とて、暇を見つけては鍛練を続けていた。たかが淫乱ショタコンババアなどもはや大人になった俺の敵ではない。
「……待って、待ちなさい? 暴力に訴えるのは良くないわよぉ。わたしはあなたを拾ってあげたんだからぁ」
 ハルダも気配を察してか、急に&ruby(したて){下手};に出てきた。このまま脅してしまえば。一瞬そう思った。そう思ったのに、考えてしまった。こいつが右も左もわからなかった子供の俺を拾ってくれたのは事実だ。いらなくなったからただ捨てるなんて。何がが痛む。親父に叩き込まれた騎士道精神というやつか。こんな奴の言うことなのになんで思い出してしまうんだ。
「……わかった。今夜限りだ。夜が明けるまで、俺はお前のものでいてやる。明日の朝になったら俺は飛び立つ。蝶は二度と帰らない」
「仕方ないわぁ。代わりなんてそのうち見つかるからねぇ。最後の夜に思いっきり楽しみましょぉ」
 俺はこの牝の本性をまるでわかっていなかったのだ。

&size(18){         ◇};

「ひぅあああああぁっ……!」
 ラ・レーヌは何度目になるかわからない絶頂を迎えて、ハルダの体におしっこを浴びせかけた。本来出るはずの精液は五度が限界だった。もはや快感と呼べるものはなく、中を掻き回される痛みさえ感じていた。体が水分を総動員して、その触手に抵抗するかのように。
「あららぁ、もうおしっこしか出ないのねぇ」
「……む、無理……だって……牡の……体は……そんな風にできて……ない……」
「もう一度お水を飲んで、ねぇ。夜が明けるまで、終わらないわよぉ」
 これで最後だから。この牝は、俺を使い潰しても構わないのだ。悔しいことに、四年間刻み込まれた習性が染み付いて抵抗できない。今は俺の方が力が強くても。

 くそ。見てろ。俺はお前なんかとは比較にならないくらいでかくなってやる。まずはお前を。この街を。いずれこの国を。そして俺を恐れた故郷のやつらにも。
「だめ……もう何も感じない……」
 俺は絶対に墜ちない蝶なんだと、思い知らせてやる――!

***03 [#u677adfd]
***03 [#t8965ed3]

「レーヌさんに……あんな、過去があったなんて」
 一通りの話が終わったあと、レーヌさんはテラス席に移ってミックスジュースを注文した。
「十年以上も前の話だ」
「チッ。同情なんてしねーぞ。オレ達だってなあ」
 三匹は同郷だった。ラ・レーヌは貴族であり、私たち妹弟は一般市民であったが、この国では身分など存在しないに等しい。
「同情……? この俺様がお前なんぞに同情されるような感情を抱いたとでも思っているのか?」
「あー、どうせテメーのことだから飼われてても俺様キャラだったんだろ」
「エリオットっ。ごめんなさい、この仔ったらほんとに口が悪くて」
 小さい頃は素直だったのに、いや、ちょっとだけ生意気だったかもしれないけれど、こんな風じゃなくて可愛い仔だったのに。今も可愛いけれど、ちょっと違う可愛さというか。
「知っている。お前がブラコンなのもよくわかった」
「ち、違いますよっ」
「違わねーよ! こっちが恥ずかしいっつーの! オレを何歳だと思ってんだ?」
「……じゅうはち、だっけ?」
「十九だよ!」
「どっちにしても未成年じゃない」
「俺から見たら二匹ともガキみたいなもんだがな」
「えっ? そういえばレーヌさんって一体いくつなんですか?」
「今年で三十二だ」
「三十二……だったら私とは八つしか違いませんよ」
「三十二……だったら私とは六つしか違いませんよ」
 レーヌさんは見た目ではまるで年齢がわからない。四年前に会った時から、ぜんぜん変わっていないし。
「なんでえ。オッサンじゃねーかよ」
「エリオット!」
「何を怒っているんだイレーネ。確かに俺はオッサンと呼ばれても仕方ない年だと思うがな」
 たぶん、レーヌさんは本気で気にしていない。実年齢より若く見える、というよりは、老けこんだ様子が見られない。苦労しているはずなのに。自分は自分であり他の何でもないという自覚の強いひとなのだ。だから年齢なんてどうでもいいんだ。
「そうだよ。三十越えてんだろ」
「そんなだったらうちのマスターはおばあさんになっちゃうじゃない」
「違えねえだろ。なんで姉貴はそのちょうちょにそこまで入れ込むんだよ」
 ガラスの扉を隔てたテラス席なのをいいことに、いつもならマスターの前で口にできないような冗談を言い合う。マスターはハリーさんとのお喋りに夢中でこちらに気がついている様子はない。
「それは……」
 恩人、だから。
 このひとが助けてくれなかったら私は間違いなく殺されていた。こうして弟と再会できたのも、レーヌさんが住宅街まで宣伝に行くとか言い出したからだし。私がここで働くことを許可してくれたのも。
「まさか姉貴、こいつのこと」
「な、ないわよそれは!」
「ふん。安心しろ弟。&ruby(ヽヽ){無理};だからな俺は」
 最初から言っていた。若い頃のトラウマで牝には何も感じないと。彼は、無垢だった少年の頃に壊されてしまったから。それなのにこうして明るく、何の悩みもないみたいに振る舞っていて。
「ちっ。だいたいな、恩人だって聞いてるけど何があったのかオレは詳しく知らねーんだよ。姉貴が話してくれないから……」
「ほう? 話していないのか」
「だって……それはエリオットも同じでしょう? 私は暗黙の了解だと思っていたのだけれど」
「妹弟揃ってよくわからん奴らだ」
「変に心配かけるといけないし」
「責任感じさせたらわりーし」
 何より、生き別れたあのときを思い出したくないのが本音だった。
「お前らは莫迦か。せっかく妹弟一緒になったってのに隠し事なんぞしてどうする」
 &ruby(ふたり){二匹};は顔を見合わせた。イレーネとしては、ラ・レーヌさんがいた方が都合が良いのは確かだ。エリオットはどうなんだろう。ウェルトジェレンクのマスターはいいひとだから話しづらいことはなさそうだけれど。
「わたしも興味がありますねー」
「っ!?」
 声は背後から突然。何度か一匹でもこの喫茶店に来ている東方のサーナイト、孔雀は神出鬼没だ。こんなポケモンが使用人にいたらシオンはさぞかし心臓に悪い生活を送っているに違いない。
「てっめーいつからそこに」
「少し風にあたりたくなりまして」
「ちょっと孔雀さん……いきなりいなくならないでよー」
 シオンまでテラスに出てきた。後ろを見れば、それを追ってフィオーナさんと橄欖さんまで。
「イレーネさんはシオンさまと浅からぬご縁がおありのようですし、エリオットさんが女装なさっていた経緯も個人的には気になるところでございます」
「浅からぬ縁……ですって?」
 フィオーナさんの鋭い視線に貫かれ、体が強張った。この眼は一種の魔力を帯びている。レーヌさんほどの器がなくては逆らえない。こうなっては全てを話してしまわざるを得ない。孔雀さんがフィオーナさんの前で余計なことを言うから。
「話していただきましょうか。私も興味がありますわ」
 にっこりと笑うフィオーナさんを前にして、イレーネとエリオットに選択権は与えられなかった。

&size(18){         ◇};

 コーネリアス帝国の南端に位置する町、リークフリート。首都カリオッサに継ぐ第二の都市だが、敵国であるベール連合との国境を守る要であり、一言でいえばお堅い市民性の町だった。
 それが少しずつ崩れ始めたのは、十年前の領主の後継争いが原因だと言われている。そんなリークフリートの一角に、一年前に両親を亡くした妹弟は&ruby(ふたり){二匹};で住んでいた。
「エリオット、帰ったわよ」
 二十歳になったばかりの姉、ブースターのイレーネは町の製鉄工場で、十五の弟のリーフィアは知り合いのおじさんが経営する飲食店で働いていた。
 二十一の姉、ブースターのイレーネは町の製鉄工場で、十五の弟のリーフィアは知り合いのおじさんが経営する飲食店で働いていた。
「おかえり姉ちゃん! もうすぐできるからちょっと待ってて」
 帰りの早いエリオットはこうして、いつも夕食の支度をしてくれている。まだ皿洗いばかりしていると本人は言うが、合間に料理も教えてもらっているらしい。
「うふふ。可愛い弟を持って姉さん嬉しいわ」
「オレももう仔共じゃないんだからいい加減そういうのはやめろよな」
「いくつになっても弟は弟だもの。今日は何?」
「おっちゃんに余ったお肉もらったんだ。だから今日は豪華にビーフシチュー!」
 平穏に見える暮らしでも、危険は多いし経済的にも楽とは言えない。今代のリークフリート当主は浪費家で、傾いた財政を立て直すために市民に重税を強いている。それもこれも十年前の事件が発端なのだから、市民はたまったものではない。金のあるポケモンは市外に移住してしまって、拍車がかかるように一般市民は苦しくなった。
「できたよ」
 食卓に並べられた皿から立ち上る湯気と肉の旨味が放つ匂い。人参や玉葱が顔を出す不透明のどろりとしたスープに、きらきらとした肉汁が浮いている様に、思わず唾を呑んだ。
「どうしたんだよ」
「いえ……」
 しかも可愛い弟の手料理なのだ。世界一美味しいシチューであることは口にするまでもなくわかる。
「姉ちゃん、よだれよだれ」
「――っ」
「そんなに期待されてもね。豪華に、なんて言ったけど材料が足りないから味は質素だよ。赤ワインもないしローリエも……」
「料理の最高のスパイスは愛情って言うでしょ。愛しい姉さんを思ってエリオットが作ってくれただけでもう何もいらないわぁ」
「ばっ――そ、そんな恥ずかしい科白をよく堂々と言えるな! だいたい誰が愛しい姉さんだ誰が」
「エリオットはお姉ちゃんのこと嫌いなの?」
「うるせえ。冷める前にさっさと食べちまえよ」
 パンとシチューだけの夕食でもイレーネたちにとっては月に一度あるかないかのご馳走だ。
「いただきます」
 まずはシチューに口をつける。エリオットはああは言ったけれどコクはしっかり出ていて、家庭料理としては申し分ない。
「どう?」
 ブースターやリーフィアにとって、まず口が器用でないと複雑な料理は難しい。最近は口で扱いやすい料理器具もあるのだが、値段の関係でうちにあるのは前足の自由なポケモンが使うことを想定されて作られたシンプルなものだ。まあ、いくらエリオットが器用でも熱々の料理を味見できなかったりと不便はあるが。
「バッチリよ。もう姉さんじゃ勝てそうにないわ」
 イレーネにとってはこれでも熱いとは感じないが、エリオットはパンにつけて少しずつ。もっと待ってもいいのに、姉を思って熱いまま出してくれるのはエリオットの優しさだ。
「当たり前だよ。伊達におっちゃんのところで働いてない」
「生意気になったものね。そんなエリオットも姉さんは好きだぞー」
「だーかーらー」
 壊れるのはいつも前触れなく。
 突き上げるような地震が、突如として食卓をひっくり返した。
「うわっ!?」
「な、なんなの?」
 地鳴りと共に、壁にヒビが入る。石造りの天井が、ぽろぽろと欠片を落とし始めた。
「崩れる――!」
「外に出ないと!」
 内陸で近くに火山もないこの国に自然の地震はありえない。これはポケモンが引き起こした地震だ。
「エリオット! 早く!」
 道に飛び出した二匹の後ろで、小さな石造りの家は音を立てて崩れ去った。周りの家々も次々と。逃げ遅れた者たちの悲鳴。仔共の泣きわめく声。
 これは、何だ。
 まったくわけがわからなかった。
「姉ちゃん、無事か?」
「私は大丈夫よ。エリオットも怪我はない?」
「おう……」
 揺れは収まったが、夜の闇に&ruby(もうもう){濛々};と砂煙が立ち込めていて、遠くまではよく見えない。どのくらいの範囲がやられたのかも判然としなかった。
「ね、姉ちゃん!」
 エリオットの声にはっとして、砂煙の中浮き上がる多くのポケモンの影に気がついた。この辺りに住んでいる者たちではない。直感的な恐怖が、それが暴力の塊なのだということを告げる。
「逃げるわよ、エリオット!」
 運が悪かったのか、運が良かったのか。
 妹弟は命からがらリークフリートの街を、コーネリアス帝国を脱出した。
 それが内戦の始まりだったと知るのはずっと後になってからのことだった。

***04 [#o2413437]
***04 [#i2fd81dc]

「両親を失って……今度は故郷まで」
 自分の境遇なんてまだ幸せな方だとシオンは思った。レーヌさんやエリオットたち姉弟の抱えていたものがこんなに重かったなんて。
「国を追われるからにはそれなりの理由というものがある……というわけですね」
 さすがのフィオーナも心苦しそうに目を閉じていた。
「えっ、ちょっと待って。コーネリアス帝国の都市、リークフリートって」
「本来は俺が後継となって治めているはずだった都市だ。この俺様を追い出した莫迦どもに務まるはずがなかったのだ。だから隣の領主に付け込まれ、領地の四分の三を奪われたらしい」
「そんなこと、国が許さないんじゃ……」
「表向きはな。だが、納める国税が減る一方だったリークフリートの味方をしてなんの得がある? 結局は金だ」
 組織が大きくなればなるほどその行動原理はシンプルになる。個人の感情などそこにはなくなってしまう。
「悔しいですが私にはそれを卑下することなどできはしませんね……ヴァンジェスティのやり方などそれ以上に酷いものです」
「お前は誇っているのではなかったのか?」
「先程は少し感情的になってしまいましたが……財や権力を誇るのではなく、国を治める者として、名のある家のポケモンとして誇り高くあるべきだと私は考えています」
「なんだ。俺と同じではないか」
「貴方などと一緒にされては困ります」
 フィオーナとレーヌをこのまま会話させていたらまた喧嘩に発展しかねない。
「まあまあ。それでエリオット、ランナベールに逃げてきたの?」
「まあな……」
 何かの理由でコーネリアスやジルベールにいられなくなった時。身元を問われず入国することも永住することもできる国が近くにあればそこに逃げ込む。
 ランナベールが掃きだめの国だなんて言われるのもそのせいだった。
「ランナベールに逃げてきたオレたちは」

&size(18){         ◇};

 ランナベールに逃げてきた若い妹弟を待っていたのは、またしても悪意と暴力の塊だった。
「オラオラオラオラ! ガキはすっこんでろボケ!」
 国に入ってすぐだった。ほっとして油断していたところを、二匹組のポケモンに襲われた。
「ね、姉ちゃ――ぐわぁっ」
 バッフロンに突き飛ばされて何メートルも地面を転がった。体じゅうが痛い。痛いが、泣き言など言ってはいられない。目を開けた先で、イレーネがアーボックに締め上げられている。
「クソ……! 姉ちゃんを放せ!」
 すぐに立ち上がって駆けた。相性なんて知らない。リーフブレードを伸ばしてアーボックを姉ちゃんから引きはがす。
「ね――」
 アーボックに睨まれて身がすくんだ。声も出ない。いつまで経っても距離が縮まらない。刃が届かない。あんなもの怖くなんてないのに。お腹の顔みたいな模様からビームを撃ち込まれたみたいだった。ただ睨んだだけじゃない。蛇睨み――れっきとしたポケモンの技だ。
「死んどけガキ!」
「やめ、て……! 私はどうなっても、いい、から……!」
 麻痺した無防備な体に、今度こそ致命的な一撃を叩き込まれた。
 あまりに悔しい幕切れだった。
 痛みを感じる前に何も見えず、何も聞こえなくなって。姉ちゃんがどうなったのかなんてわからない。
 死はあまりに突然だ。予期する時間も心の準備を整える暇もない。
 十五年、嬉しいことも悲しいことも沢山あったけど――オレの目に映った最期の光景がこんなのだなんて、信じたくなかった。

&size(18){         ◇};

 シャン、シャンと透き通った鈴の音が聞こえる。クリスマスの記憶でも夢に見ているのか、オレは。走馬灯ってやつなのかな。
 でも、クリスマスに鈴の音を聞いた覚えなんてないし。聞いた話にはデリバード達がサンタクロースと名を変えて各地を回るイベントは、遥か昔の宗教行事に由来しているとかなんとか。コーネリアス帝国はまったく別の宗教だから、何もなかった。クリスマスは物語の中の話にすぎない。
「目が覚めたのかい」
 地面は柔らかくて暖かくて。
 中年女性の声に目をゆっくりと開いて、ぼうっと首を巡らせた。小綺麗なマンションの一室で横たわっているのだと気づくまでかなりの時間がかかった。
 中年女性の声に目をゆっくりと開いて、ぼうっと首を巡らせた。どこかの家の小綺麗な一室で横たわっているのだと気づくまでかなりの時間がかかった。
「ここは……づあっ!」
 身を起こそうとして右前足に体重をかけた瞬間、激痛に襲われた。
「こらこら。しばらくは安静にしてな。私は医者じゃないからわからないけど、折れてるんじゃないのかい」
「おばさんは……オレを、助けてくれたのか?」
「…………」
 ピンク色を基調とした体が二本足ですっくと立っていた。四十を少し過ぎたくらいのミルタンクだ。
「私のことはトモヨと呼びな」
 彼女の声が明らかに不機嫌になった。
「……? ああ、わかった、トモヨ。オレは……エリオット、だ」
 怒った? 何かまずいことでも言っただろうか。
「倒れてるアンタを見つけたのはメインストリートの脇、ケンティフォリア歓楽街側の路地。あっちはガラが悪いから仔供が&ruby(ひとり){一匹};で出歩くもんじゃないよ。親御さんはいないのかい?」
 トモヨは一匹用ソファにどっかと腰掛けて煙草に火をつけた。
「親は一年前に……そうだ! それより姉ちゃんは……ブースターが一緒にいなかったか!?」
「私がアンタを見つけた時は他に誰もいなかったよ。一緒にいたのかい?」
 エリオットは痛みをこらえながら、事の顛末を説明した。コーネリアスから二匹で逃げてきたこと。ランナベールに入ってすぐに悪党に襲われたこと。
「なるほどねえ」
「だから、姉ちゃんを探さないと……!」
「落ち着きな。その体で何ができるっていうんだい」
「わかってるよ! でも……」
 トモヨは二本目の煙草を燻らせながら、ふぅ、と溜息をついた。
「アンタが体を治すまでは私が探しといてやるよ」
「ほ、本当か?」
「ああ。私はこれでも自分の店を持ってるんだ。情報収集ならお手の物さ」
「あ、ありがとう! でもどうしてそこまで」
 トモヨは煙草を灰皿にぐりぐりと押し付けて消し、ソファから立ち上がった。
「アンタは私が拾った。だからアンタは私の物だ。それがこの国のルールさ。覚えときな、エリオット。ただでは誰も助けてはくれない。体が治ったら私の言うことを聞いてもらうよ」
「なんだって聞いてやるさ。オレはこう見えても義理堅いんだぜ」
「仔供がわかったような口を聞くんじゃない」
 トモヨは見るからに一生独身タイプの怖そうなおばさんだが、悪人には見えない。わざわざ大怪我をしている十五の少年を助けるなんて、やましい理由だけでできることじゃないはずだ。
「私は仕事に出かけるよ。お昼はテーブルの上に置いておいた。それと、冷蔵庫に特製のミルクがある。傷に効くから喉が渇いたら飲みな」
「……母さんみたいだ」
「その呼び名は不思議と悪い気はしないね」
「――っ」
 口に出したつもりはなかったのに。
 恥ずかしい。一年前に失った母さんのことを思い出して、重ね合わせてたなんて。
「私が帰るまで大人しくしてるんだよ」
 あんなこと言ってても、内側は優しさに溢れるポケモンなんだ。
 あんなこと言ってても、心の内は優しさに溢れるポケモンなんだ。
 まさか傷が治った後にあんな無理難題を押し付けられるなんて、この時は夢にも思っていなかった。

***05 [#a6447540]

「マスターってそんなにいいひとだったの!? どうして教えてくれなかったのよっ」
「それはお互い様だろ。このあと姉貴とレーヌの野郎の話はしっかり聞かせてもらうからな」
 ウェルトジェレンクのマスターは、シオンにとってはずっといいひとだ。気に入ってくれているみたいで、優しいし。ただ、エリオットに聞いた話では従業員である自分の扱いがかなりブラックなのだという。無理に女装させられてたくらいだから、なんとなく想像はつくけれど。
「それで、シオンとの浅からぬ縁というのはまだなのかしら?」
 フィオーナにとっての核心はそこだ。といっても、フィオーナにはほとんど全てのことを話しているから特に新しい情報もないと思うのだけれど。
「私がその後どうなったのかを話す必要がありますね」
 イレーネはちらりとラ・レーヌの顔を伺った。
「うむ。この俺様が話してやろう」

&size(18){         ◇};

 妹弟が襲われた路地から少し離れた場所。ケンティフォリア歓楽街の喧騒から離れた、&ruby(ひとけ){人気};のない公園の片隅で、暴虐が行われようとしていた。
「や、やめ――」
「大人しくしねえとぶっ殺すぞ!」
 たまたまラ・レーヌが通り掛かっていなければ、そのまま犯され殺されていただろう。この街ではよくあることだ。
「おい」
 この時は護衛も連れていなかったので、面倒なことになると思った。だが、クソみたいな街の臭いから離れて翅を休めようと来た先の公園に同じ嫌な臭いを撒き散らすやつを放っておく方が面倒だ。というか邪魔だ。
「ああ?」
 若いアーボックとバッフロンの二匹組が、ブースターの牝を襲っている。
「なんだテメェは。いいところで邪魔をしやがって」
「俺の名はラ・レーヌ・ド・リークフリート。いずれこの街の覇者となる牡だ。この俺様の安息の時と場所を壊してくれたからには、覚悟はいいだろうな?」
「ハァ? 調子に乗ってんじゃね――ぐほぅぇべふぁっ」
 突進の構えを見せたバッフロンに、問答無用でシグナルビームを撃ち込んだ。強い原色の光が混じり合ったような光線がバッフロンのアフロヘアを焼き、脳天に直撃する。加減などしていないので、バッフロンはそのまま動かなくなった。
「なっ――強い……だと……?」
 頭の悪そうなアーボックは状況が飲み込めていないようだ。あと三秒で教えてやる。ESPを編んでサイケ光線のエネルギーを集束するまでの間。逃げるか抵抗するか。
「こ、こいつがどうなっても――」
「お前は俺様の話を聞いていなかったのか? 誰がそんな牝を助けると言った」
 ――そも、俺の技を舐めてもらっては困る。細く織り上げたマーブル色の光線は、正確にアーボックの頭をブチ抜いた。アーボックの選択は考えうる限り最も無意味なものだった。
「まったく何故この俺様が自らの手を動かさなければならんのだ。日々翅を動かすだけで疲れているというのに……ん? なんだ」
 ひとりごちていると、ブースターの牝が力の抜けたアーボックの体から脱出して駆け寄ってきた。
「あ、あの! ありがとうございました!」
 深夜の公園のライトが照らし出した顔を見て、戦慄が走った。美人だ。これほどの上物はなかなかいない。今抱えている商品達など比べものにならない。
 ブースターはお礼だけ言うと、ラ・レーヌの脇を抜けて走り去ろうとした。
「待て」
「は、はい?」
「お前……この国のポケモンではないな」
「弟が! さっきまで一緒にいた弟が大変なんです!」
「落ち着け、と言っても無理な相談か。弟とやらはどこにいるんだ」
「一緒に来てください!」
 こうなっては、走り出したブースターの後を追って飛ぶしかない。
 しばらく街を探してもその弟は見つからずじまいだった。
 店長が長い間店を空けているわけにもいかないので、イレーネと名乗ったそのブースターを連れ帰った。
 イレーネが初めて娼館『蝶の舞う園』に足を踏み入れた瞬間だった。

&size(18){         ◇};

「いいか。ここはお前のような牝が一匹で出歩ける街ではない」
「それでも弟を諦めることなんてできません!」
 これだから牝というやつは。
 融通は利かないわ、己の立場もわきまえないわ、すぐ感情的になるわ。
 娼館を経営してはいるが、牝が好きでやっているわけではない。ガキの時分にハルダに囚われていた俺が一番知っている世界だからだ。手段なんて何でもいい。
「自力で逃げたか、連れ去られたか、運が良けりゃお前と同じように誰かに拾われたか。いなかったってことはそういうことだ」
 さりとてこのブースターに愛想を尽かされても困る。こちらまで感情的になっては元も子もないので、あくまで穏やかに対応することにした。
「そ、それはわかっています! けど……」
「もう一度言う。ここは何も知らぬ牝が一匹で出歩けるような街ではない。さっきみたいなクズ共は溢れるほどいる。再会を望むなら今は俺に従っておけ。弟をあの世で待つというのなら話は別だがな」
「……ごめんなさい」
 ふむ。思ったよりは物分かりのいい牝だ。
「私、助けてくれた貴方のことも、何も……考えていませんでした。そう、ですよね。私が生きていないと……弟には二度と会えなくなってしまう」
「誰が助けたと言った?」
「貴方にそのつもりがなくても、私は助けられたんです。だから、貴方の言うことを聞きます。これでいいですか?」
「投げやりになるな。お前が変な気を起こさない限り、俺は良い主人でいてやる」
 ポケモンの心を動かすのは恐怖ではない。あの牝を反面教師に俺が学んだこと。恐怖で縛ってもポケモンはついてこない。
「俺の店がどういうところか、わからぬ歳でもあるまい。覚悟はできているのか」
「二言はありません。その代わりと言ってはなんですが……弟を探すことを許して頂けますか」
「プライベートまでは干渉しない。多少の食事制限はあるかもしれんがな。この国に慣れたら探しに行くなりハンターを雇うなり好きにしろ」
「ありがとうございます!」
 どうもやりにくい牝だ。恐怖で縛るつもりはないとはいえ、最初は俺を怖がる牝も多いというのに。
 ともあれ、どう言いくるめて店に迎え入れようかと思案していたのだが、自分からやる気を見せてくれているならいろいろと手間が省けるというものだ。
 いずれこの店の稼ぎ頭になる。それは推測ではなく、確かな予感だった。

***06 [#b72ac047]

「最初から姉貴がナンバーワンになるって予感してただって? ウソくせー話」
 僕に仕事を教えてくれたシャポーことイレーネさんが蝶の間う園に入った経緯。
 誰も彼も、見えないところに苦労を抱えている。そんな者たちばかりが集まるのがこの国なんだ。
「エリオットには、お姉ちゃんがそんな才能ないように見えるのかしら?」
「ち、ちげーよ。姉貴がナンバーワンになるのは当たり前で――」
「矛盾しているぞ弟よ」
「う・る・せ・えっつーの! それとオレを弟って呼ぶんじゃねえ」
 怒るエリオットとは対照的に、イレーネさんは満更でもなさそうな様子で。
 少なくともイレーネはラ・レーヌに対してそれなりに気はあるようだ。
 フィオーナがローレルを弟と呼んでくれたときの嬉しさ。きっと似たようなものなんだろう。
「シオン? 私の顔に何かついているのかしら?」
「や。ちょっとね……」
 イレーネさんとレーヌさん。歳は離れているけど、お似合いなんじゃないのかな。名前もちょっと似てるし。
「それより、イレーネさん。シオンとの浅からぬ縁というのはその先のお話ということですね?」
「はい……私が娼婦として働き始めてから二年くらいあと、でしたでしょうか」
「僕がレーヌさんの下で働いてたことはフィオーナも知ってるんだし、その話はしなくても……」
「私はあなたの事情を知った上で全て受け入れたのよ。過去に何があっても驚きも怒りもしないわ」
 それはそうかもしれない。
 独占欲が強いようなところもあるけれど、フィオーナは僕が過去にしていたことについて何も言わない。僕をあの世界から救ってくれたときから。
「フィオーナさんに話してもいいかな? シオン?」
「今更隠すこともないですし……あれは仕事でしたから」
「いいえ。事情は飲み込めました。おおかた、貴女がシオンの教育役でも務めたのでしょう」
 やっぱりフィオーナは何でもお見通しだった。
 僕に夜の営みの手ほどきをしてくれたのはイレーネさんだ。厳密にはわからないけど、記憶にある限りでは初めての相手だ。
 あのときは必死で、本当に仕事でしかなかった。だから今も彼女に特別な感情は持っていない。
「おいちょっと待てよ姉貴っ。つーことはシオンと姉貴は……!」
 フィオーナは大人の対応をしてくれたけれど、我慢のできないポケモンがここにいた。
「今更何を驚いている。娼婦と男娼にどんな関係があっても不思議はないだろう」
「るせえ。わかってるよ! わかってるけど……」
「エリオットはシオンのこと嫌いなの?」
「そういう問題じゃねーっ。仕事だったんだろ? 嫌々だったんだよな?」
「うーん……嫌、ではなかったけど。少なくとも他のお客さん相手よりはねえ。キレーな仔だし」
 うわ、気まずい雰囲気になってきた。
 フィオーナの目の前でなんて危ない発言を。
「何を慌てているのシオン。さっきも言ったけれど……私が過去にこだわるようなポケモンだったらあなたはここにはいないわ」
 良かった。冷静だった。そりゃ、僕の前で嫌だったなんて答えられないし。イレーネさんがいかに言葉を選んだか、それが苦渋の決断であることは容易に想像できる。
「くっそおおおシオンてめー」
「や、嫉妬されても困るよ……僕だって好きでやってたことじゃないし……」
「姉はブラコンで弟はシスコンか。幸せな姉弟で結構なことだな」
「そんな言い方しないでくださいっ。仲の良い姉弟で何が悪いんですかっ」
「俺は悪いとは言っていないぞ」
 エリオットの針のような視線を躱しながら、話が逸れていることに気がついた。
 フィオーナが僕とイレーネさんの関係について聞きたいと急かしたせいなのだが、もとはエリオットがここのマスターに拾われてからの話だったはずだ。
「そんなことよりエリオット、きみの話聞かせてよ。ペロミア誕生秘話、聞きたいな」
「てめぇシオン、話逸らすんじゃねえ」
「お姉ちゃんも聞きたいなあ。途中まで話したんだから最後まで話しなさいよ」
「っ……胸糞わりーけど仕方ねえな」
 エリオットも本当はわかっているんだ。言ってどうにかなるものでもない。二匹の間にあるのは体の関係&ruby(ヽヽ){だけ};なのだから。

&size(18){         ◇};

 ミルタンクのトモヨに介抱され、エリオットの傷は日に日に良くなっていった。
 日に日になんてもんじゃない。前足の骨折は一週間で痛みがほとんど消えたし、擦り傷や打撲なんてもうあったのかどうかわからないくらいだ。
「なあトモヨさんよ」
「なんだい」
 夜の十時。カップを片&ruby(つる){蔓};にソファに体を預けながら就寝前のひとときを過ごす。
 無法の街といえど、住宅街は静かなものだ。
 この辺りは昔ながらの石造りの古い家が立ち並んでいて、もともとこの土地に住んでいたポケモンが残していったものなのだという。高層建築が集中する都市部のマンションは高額には手が出ないが、港市場に近いアパート群では狭すぎる、そんな家族が暮らしているのがいまの住宅街。トモヨは独り者だが、もとは年老いた母親がいたらしい。その母親が亡くなってから、彼女は一人でここに住んでいる。
「このミルクってやっぱり」
「ミルタンクがわざわざミルクを買いに行くと思うかい」
「そう、だよな……」
 回復が異常に早いのは、こうして毎晩作ってくれるホットミルクの効果だろう。ミルタンクのミルクに体力や傷を回復する作用があるのは有名で、市場でも高額で取引されている。
 繁殖期も終盤を迎えているかすでに終わっている歳に見えるが、どうやらこのミルクは仔育てとは関係なく出せるらしい。
「なんか失礼なこと考えてないかいアンタ」
「言いがかりはよせよ。オレがあんたに持つ気持ちなんて感謝以外あるわけないだろ」
 今思うと信じられないくらい、優しいポケモンだった。そんなトモヨに、エリオットも心を許していた。
「そうかい」
「オレみたいなガキ一匹助けたって何の得もないのにさ」
「私もアンタに救われてるよ」
 トモヨは窓を開けて煙草に火をつけた。
「オレがあんたを?」
 窓にもたれかかって紫煙を吐き出している彼女の顔は見えない。
「この歳で独りモンだと楽しみもないからねえ。アンタのお陰で最近はここに帰ってくるのが楽しみなんだよ、エリオット」
 はじめは警戒もした。独り者の知らない中年の牝が十五歳の少年を拾ったってだけで怪しむなって方が無理な相談だ。
 でも、この一週間を過ごして、彼女には本当に何の下心もないってことがわかった。ぶっきらぼうだけれど困っているポケモンを放っておけない性格なんだ。
 このオバサンがあと二十歳若ければ、オレは恋に落ちていたかもしれない。
「あんたみたいなひとを放っとくってのもさ。この国の牡って見る目ないんじゃねーの」
「ふん。仔供には好かれるみたいだがねえ」
 たしかに、第一印象はあまり良くなかった。
 表面ばかり見て彼女の魅力にみんな気づかないんだ。
「勿体ねえ&ruby(ポケ){人};生だなあ。オレはこの先もっと希望に満ち満ちた人生を送ってやるぜ。姉貴もいつか絶対見つけてやる。案外どっかで誰かに拾われたりしてるかもしれねーし」
「仔供のくせに、偉そうに……そう甘くはないって叱咤してやりたいところだけれど、そんな説教くれだしたらいよいよただの嫌な年寄りになっちまうからね。何年生きたって、先に何が起こるかなんてわかりっこない。私もアンタを見習うべきなのかもしれないね」
 ついでに、アンタにいい出会いがあるといいな。
 まだ遅くないんじゃねえか。そりゃ仔作りはもう無理かもしれねえけど、パートナー探しなら応援してあげたい。
「それより、傷の具合はどうなんだい?」
「おかげさまでほとんど治ったよ。約束通り、頼みなら何だって聞く」
「それなら、明日からぼちぼち研修でも始めるかね」
「研修?」
「アンタにはうちの店で働いてもらう。少し前にウェイトレスが辞めちまってね。ちょうど&ruby(ポケ){人};手が欲しかったところなのさ」
 その晩のことは今でもよく覚えている。
 優しさ百パーセントのトモヨとの最後の思い出。
 私人としての彼女は、聖母みたいだって思えるポケモンなのに。
 明くる日、店長としての一面を目にしたとき。
 またしても彼女に対する印象を一新しなくてはならなくなった。

&size(18){         ◇};

 翌日、エリオットはトモヨの経営する喫茶店に連れて行かれた。定休日なので客はいないが店内は広く、そこらのレストランよりはテーブルも多い。海の見えるテラス席まであって、シックでお洒落なカフェだ。
 ――で。
 いや無理だろこれは常識的に考えて。
「ちょっ、オレは&ruby(オトコ){牡};だぞ! なんでウェイトレスなんだよ!」
「言ったろ。ウェイトレスが辞めたって」
 トモヨがさも当然のように用意していたのは、ウェイトレスの衣装だった。何食わぬ顔で煙草なんか吹かしやがって。
「あんたの趣味かよ?」
「&ruby(マスター){店主};と呼びな。今日からアンタは私の部下になるんだからね」
「ぶ、部下……?」
「私がアンタを雇うんだから、そうだろ? それで、今日からここに勤めることになった新人のアンタは&ruby(マスター){店主};の私の言うことが聞けないってのかい?」
 おいおいなんだこの威圧感は。昨日までの優しさは何処へ行ったんだ。
「返事は?」
「はいッ! き、聞きます!」
「よろしい。じゃあさっそく接客の基本から――」
「ちょっと待ってくれ。なんでウェイターじゃダメなんだ。あ――マスターの趣味ってわけじゃねえんだろ?」
「今のアンタじゃ牝の客は釣れないからさ」
「ばっ、オレだってもう十五だ。牝の扱いぐらいわかってるつーの」
 嘘だ。今まで恋の一つもしたことがない。
 なんたって昨日、一瞬でもこんなオバサンが魅力的に見えてしまったくらいだ。自分でも血迷っていたとしか思えない。
「生意気言うんじゃないよ。牝が釣れないなら牡を釣りゃいいのさ。顔だけは可愛いんだ、それを売りにしなくてアンタみたいな声変わりもしてない仔供に他に何ができるってんだい」
「……クソッ、言い返せねえ」
「ま、アンタが成長してイイオトコになったら考えてやるよ。そんときゃウェイターに転身してもらうのもありかもねえ」
「お、言ったな? オトコ磨いて絶対ウェイターになってやるからな、姉ちゃんに会ったときにこんなんじゃ格好つかねえし」
「ふん、当分はなれそうにないねえ」
「うるせー。接客でも料理でも何でも覚えてやるから教えてくれ、マスター」
 果たして、エリオットの想いも虚しく。
 三年後、姉のイレーネとはウェイトレス姿のまま再会し、ウェイターへの転身が叶ったのもその後になってのことだった。

***07 [#r4d0b3ef]

「あんのババア約束破りやがってよ。オレが声変わりしても無理に声作ってまでやらせてたんだぜ。姉ちゃんが来なけりゃ今もまだ続けさせられてたね」
「ほう。ようするに弟ではなく妹だったわけか」
「ちげえよ! 何聞いてたんだよあんたは」
 ラ・レーヌのボケは天然なのかわざとなのか時々わからなくなる。
 過去の話を聞いてもやっぱり掴めない&ruby(人){ポケモン};だ。
「エリオットはどんな格好してても可愛いとお姉ちゃんは思うわ」
「ほんと、いまだに同一人物だとは思えないや。もう一回やってみない?」
 エリオットがまだペロミアだった頃。僕には彼より彼女のいる喫茶店の方が馴染みがある。
「お前がやれよシオン」
「ぼ、僕が? ちょっとそれは……だって、元々こんなだし、わざわざ」
「元々? なんだお前本当は女の仔でしたなんてオチじゃねえだろうな」
「あはは。バレちゃった?」
 エリオットが口を開いたまま動かなくなった。
 動揺してる動揺してる。
「ど、え、ちょま、んなバカなことあるかよ。だって……」
 慌てふためいているのが自分だけだとエリオットが気づくのに時間はかからなかった。
 だって、ここにいる彼以外の皆――ラ・レーヌもイレーネさんも橄欖も孔雀さんも、当然のことながらフィオーナもシオンが確実に牡だってことは知っているのだから。
 イレーネさんにいたってはこらえ切れずにクスクス笑っていた。
「ってめえ、からかってんな!」
「顔赤くしちゃって。キスでもしてあげよっか?」
「うるせえこのカマホモ野郎! オレにはそんな趣味ねーよ!」
「わたしにはありますよー大アリですよー! シオンさまって異性を相手にするとああなのに、びぃえるでは意外にも攻めの素質が……」
「孔雀。何の話をしているのです?」
「姉さんっ! 妄想は心の中でするものですっ」
「ふーん。お姉ちゃん的には、シオンくんの方がエリオットの今の彼女よりはいいかも」
 戯れの一言のつもりだったのに、女性陣の空気がいきなりピンク色になった。
 こういうのが好きなのって孔雀さんくらいだと思ってたけど、橄欖やイレーネさんまで何やら悶々としているのだから。
「これだから牝というやつは……牡も牡でバカばかりだな」
 ラ・レーヌさんは&ruby(ひとり){一匹};ストローであらごしのミックスジュースを吸って、テラスの外に広がる空と海を眺めていた。僕なんかよりもずっと辛い過去を背負って、それでも面白おかしく生きようとする強いひと。
 今にも暴れだしそうな弟をなだめるイレーネさんも、華やかなナンバーワン娼婦じゃなかった。何かを失ってこそ、強く輝ける。
 姉に止められてしぶしぶ引き下がるエリオットにも背負うものがあった。彼に年相応の仔供らしいところを残してくれたのはあの口の悪いマスターだ。こうして語り合える友達をくれたことに、僕も感謝したい。
 少し前までふさぎ込んでいたのが莫迦みたいだ。彼らに比べたらまだまだ弱くてちっぽけな僕が、この国を守るなんて。一小隊を率いていることが恥ずかしくなってくる。

「――そろそろ帰ろっか、フィオーナ」

 消してしまいたかった過去がある。
 それでも僕たちはまた出会った。

 消えてほしくない過去がある。
 消してしまうわけにはいかない過去がある。

 会いたい&ruby(ポケモン){人};がいる。
 会えない人がいる。


 この道の続く先にいてくれるだけでいい。
 きっとまた会える。

 この世界にいなくなってしまった彼にも、いつか。

 もしも天の上に世界があるのなら、僕たちを見ていてくれるのかな。

 それとも何もかも忘れて、別の誰かとして産声を上げているのかな。

 ちっぽけな僕にできることは一つだけ。
 僕は僕の&ruby(しあわせ){未来};へと歩いていこう。

 いつかどこかできみに出会えたとき、笑って話せるように。



~Fin~



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**あとがき [#k45c9cf2]

To be continued...
お久しぶりです^^*
はじめましての方ははじめまして。

書かなきゃってずーっと思っていたんですけど、忙しくて・・・
まだ少女だった頃がなつかしい(*´ω`*)

でも、時間をみつけて執筆は続けていきます。

遅筆なわたしですがこれからもどうぞよろしくお願いいたします(・ω・)


RIGHT:[[&ruby(マーチヘア){三月兎};>三月兎]]

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IP:36.3.209.56 TIME:"2013-06-17 (月) 23:13:39" REFERER:"http://pokestory.rejec.net/main/index.php?cmd=edit&page=%E3%82%B3%E3%83%8E%E3%83%8F%E3%81%A8%E8%9D%B6%E3%81%A8%E5%94%AF%E4%B8%80%E5%A5%B3%E7%8E%8B" USER_AGENT:"Mozilla/5.0 (Windows NT 6.1; WOW64) AppleWebKit/537.31 (KHTML, like Gecko) Chrome/26.0.1410.64 Safari/537.31 Sleipnir/4.1.3"

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