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グレイシア・ラプラスの事件簿・記憶と感情の裏表編 後編2 の変更点


[[グレイシア・ラプラスの事件簿・記憶と感情の裏表編 後編2]]

作[[呂蒙]]

 第6章 急襲(続き)

 各々が料理を口に運んでいる。そして時折、酒を口に運ぶ。会話が飛び交い寂しさとは無縁の空間がそこにはあった。リクソンの家のリビング兼ダイニングにて2匹と8匹による夕食の最中である。
「え? まだ飲むの?」
「こんな量じゃ、飲んだうちに入らねえよ」
「まあまあ、やばそうだったら止めるからさ」
 ビールやワインを一杯、また一杯と口に運ぶバショクをラプラスが止めるが、バリョウが側にいるので、ラプラスはこれ以上何も言わなかったが、何となく不安だった。別に今夜はここに泊るわけだから気持ち悪くなろうが、酔いつぶれようが構わないのだけれども、どうにも拭い去れないものがあった。
 一方こちらはローテーブルで食事をしている面々。
「そういえば、リクソンたち、どうしているかしら?」
「大丈夫ですよ。シャワーズさん。お姉ちゃんがついていますから」
「そうね。無駄な心配は良くないわね」
 シャワーズとリーフィアが会話している一方で、残り4匹はというと
「ふーっ、あ~、いいお酒~」
「ブースターって結構いけるクチなんだね……」
「知らなかったぜ」	
 リクソンやバショクは割とお酒を飲む方なので、影響されてしまったのだろうか? もっとも人間の手持ちポケモンというものはえてしてそんなものである。真似をしようとは思わずとも、自然と人間の生活スタイルに染まっていくので、特別なことではない。

 ◇◇◇

「うーん、ちょっと飲み過ぎちゃったわ、横になるからしばらくしたら起こしてね」
「ブースターちゃん。完璧に生活スタイルが『人間モード』になっちゃったわ」
 寝息を立てて寝てしまったブースターを見てシャワーズが言う。
「あー、もうオレは飲めないなって、まだ飲むのか?」
 グラスをテーブルに置いたバリョウがバショクに言う。
「飲んでばかりじゃないぞ」
 飲みながら、つまみを盛ってある皿に手を伸ばし口に運ぶバショク。実際、会話しながらの酒だったので、普段に比べれば飲んでいないのである。その証拠に顔もまだ赤くなっていない。もっとも、いきなり大量に飲むと酔うという状態を通り越して、急性アルコール中毒になってしまうのだが、バショクも医者の子供なので、そのあたりはちゃんと心得ている。グラスに残っているビールを口に運び、テーブルにグラスを置いた。
 と、その時、突然、家全体の電気が消えた。
「あれ? 停電か?」
「あ、でも、ブラッキーの輪っか模様は見えるな」
 確かに暗闇の中に、ブラッキーの体にある輪の模様が浮き上がって見える。暗闇に目が慣れてくるとわずかではあるが、すぐそばは見えるようになった。誰も自分がいた場所からは動いていないようである。
「あ、バショク」
 ラプラスのすぐ横には、バショクがいた。
「ラプラスか。あれ?」
「どうしたの?」
「め、めまいがする……。あと耳鳴りも……」
 てっきり、最初はラプラスも酒をちゃんぽんで飲んだせいだと思っていた。が、自分の背後に何かいることにすぐにいることに気付いた。間違いない、大学にいたときに感じたあの気配である。やはりバショクに何かが付きまとっていたことが明らかになった。どうしてなのかは分からなかったが、強い殺気を感じる。このままではバショクが危ない。
「伏せて!!」
「えっ? ぐおっ!」
 とっさにラプラスはバショクを突き飛ばした、というか胸のあたりに頭突きを喰らわせた。バショクは椅子ごと床に倒れた。派手な音が家中に響いた。この音で寝ていたブースターも目を覚ましたが、すぐにただならぬ気配に反応した。
「おい、バショク! どうした?」
 バリョウの声がする。
「バリョウさん、早く電気を」
「ああ、わかった」
 バリョウはラプラスに言われるがまま、手探りでブレーカーのある方へと向かった。他の8匹も臨戦態勢を取っていた。
 暗がりの中、バリョウは必死にリビングを抜け出した。あいにく曇っていて月明かりが差し込まないのは不思議なことではなかったが、街の明かりも差し込んでこないのは気になった。が、とにかく今は一刻も早く電気をつけなければならない。何回もこの家に来たことのあるバリョウは、この家のどこに何があるかというのは分かっているつもりであったが、真っ暗で暗闇に慣れてきた自分の目を頼りにしながら進むのは、容易なことではなかった。壁伝いに進み、ようやくブレーカーのある脱衣所まで来た。はっきりとは見えないが、ぼんやりと長方形の物体が見える。後はブレーカーを元に戻すだけである。ここであることにバリョウは気づいた。手探りでブレーカーを上げようとしたのだが、どうやらブレーカーは落ちていないようだった。と、すると、電気の使い過ぎでブレーカーが落ちたわけではなさそうだ。原因が気になったバリョウであったが、こう暗くては何もできない。とにかく明かりを調達しなくてはならない。台所に非常時用のマッチとロウソクがあったのをバリョウは思い出した。来た道を壁伝いに引き返す。キッチンの横の戸棚を探り、マッチとロウソク、燭台を見つけた。マッチを擦ってロウソクに灯を燈す。小さな炎が回りを照らす。蛍光灯の明かりに比べると、小さく心許なかったが、何も明かりがないよりはいい。バリョウはそれを持ってリビングに引き返した。
その頃、リビングでは8匹が虎視眈々と獲物を狙う「何か」と対峙していた。バショクはだんだんと気分が悪くなっていった。どう考えても、先ほど頭突きされたのが原因とは思えなかった。側にいるラプラスの顔が歪み、またぐるぐると回り、耳鳴りと頭痛がひどくなってきた。さらには吐き気が断続的に襲いかかってくる。その為、動く気力すら湧かない。
(まずい、このままじゃ、バショクが)
「そこにいたかっ!」
 ブラッキーがシャドーボールを放つ。が、ギリギリのところで避けられ、黒い球は後ろの壁に当たってしまった。家の中なので加減はしたつもりだったのだが、当たってしまったところにはくっきりと焦げ跡と凹みがついていた。
「あ~、やっちまった……。おっと、って、うぐあっ! くそう、後ろから」
「何か」がブラッキーに反撃する。一回目の攻撃は避けたが、二度目は不意打ちであったため、まともに喰らってしまった。ブラッキーは首元に強い衝撃を受けて、床に倒れた。
「ゲホゲホゲホッ、ゲホッ、畜生……」
 ブラッキーを打ち負かしたものを目で追っていたリーフィアはそれが偶然狭い位置に集まっているのが見えた。
「撃ちまくりますっ! 皆さん伏せてください!」
 全員が伏せているかどうかは確認できなかったが、とりあえずバショクにさえ当たらなければ大丈夫と思ったリーフィアは、葉っぱカッターを手当たり次第に放った。何かが破れる音や、突き刺さる音が暗闇の中で響く。一時、部屋の中にいる何者かの気配が弱まった。その時リビングのドアが開いた。ロウソクを持ったバリョウが部屋の中に入ってきた。ほとんど光が入らなかった部屋がロウソクの炎で、ぼんやりと照らされる。
「おーい、なんか変な音がしたぞ。皆、大丈夫か」
 何も知らないバリョウが部屋の中に入ってきた。
「ん?」
「あっ、バカ、早く火を消せ」
「はい? 何言ってるんだ、ウインディ」
 ウインディは素早くバリョウに近づくと、持っていたロウソクを前脚でたたき落とした。火のついたロウソクが床に転がる。ウインディはそれを脚で踏みつけて火を消してしまった。
「あっ、何てことするんだ。火事になったらどうするつもりだ」
「だから、ちゃんと火は消しただろ」
「あっ、野郎、逃がすか!」
 エーフィとサンダースが外に飛び出した。エーフィとサンダースは家の塀を飛び越え、追いかける。エーフィはサンダースと別れて、先回りして待ち伏せをすることにした。この時気がついたのだが、このあたり一帯の住宅にはちゃんと電気がついている。やがて、予想通りそれが来る。住宅から漏れる明かりに影が見えた。相手がどういう行動をするか読み取るのはエーフィにとっては容易いことだった。甲高い頭に響くような耳障りな音がする。
「やっぱりこう来たか。そんなの僕にはお見通しだっ」
 飛びかかって、サイコキネシスで相手を捕縛する、予定だったのだが、相手は電線を切断して、その場から逃げた。エーフィが後を追いかけようとしたときに、電線が目の前に垂れ下がってきたので、後ろに下がってかわした。その隙に相手は気配とともに姿をくらませた。
「くっ、僕としたことが……」
 その時、サンダースが後ろから走ってやってきた。
「おう、奴らはどうした?」
「ごめん……。取り逃がした。言い訳はしないから責めるなら責めて」
「いや、んなことより、さっき見つけたんだけど、奴ら家に電気を送っている送電線を切っていやがった。こりゃすぐに復旧ってわけにはいきそうにもねーな」
「まあ、電気を切ったのはすぐに想像がつくけど」
「ああ、オレも」
 2匹は家に戻った。
 リビングには皆がいた。
「お、戻ってきた」
「あ、ブラッキー」
「さっきの奴らどうなった?」
「ごめん、取り逃がした」
「でもまぁ、ありゃ、もう一回来るな、多分。シャワーズがそう言ってたから」
 その後、バリョウたちは停電の被害がないカンネイの家に行き、今夜はそこに泊ることにした。バリョウが連絡をすると、カンネイの父親、シュゼンが電話に出たので少しびっくりしたが、訳を話すと二つ返事で泊めてもらえることになったのである。

 第7章 境遇

 グレイシアが部屋にいると、リクソンが入ってきた。
「前菜の準備ができたってさ」
「わ、わかったわ……」
 どこかのレストランで食事をするわけでもないのに「前菜」があるとは、やはり自分とは生まれてからの環境が違いすぎるような気がしてきた。この家にいてもやはり落ち着かない。家の中の調度品は普通の品々で、特別高級というわけでもないのだが。グレイシアはリクソンについて1階に下り、広いダイニングに通された。やはりここも広かった。リクソンが普段暮らしている、大学の近くにあったボロアパートを立ち退く代わりに手に入れたというあの家よりも広かった。
「テーブルが長いわ……」
 グレイシアの言うとおり、そこには木でできた長方形のテーブルが置かれていた。20人はテーブルに着けそうな大きなものである。
「まあ、自分たち家族と、叔父さん一家、会社の秘書兼使用人たち、シャワーズたちを合わせるとこれで丁度いいんじゃないかな」
 リクソンは事も無げに言う。
「で、その全員が顔を合わせることはあるの?」
「年に何回かはね」
 リクソンがテーブルに着くと、前菜が運ばれてきた。特別な料理かと思ったが、小皿の上にサラダが乗っているだけの代物であった。何でも、主菜と一緒に出してしまうと、野菜を残して肉や魚を食べる、というようなことがあったため、野菜を食べないと主菜が出てこないようにしたのである。
「リクソンさんって好き嫌いあったのね」
「うん、今もパプリカは食べられないね。あの微妙な味と歯ごたえが苦手でさ。あと、梅干しもダメ。あんな酸っぱいもん、人間の食べ物とは思えないね」
「でも、この家にきてリクソンさんの知らなかったところが垣間見えた気がするわ」
「例えば?」
「それは、まあ、いろいろよ」
「ふーん……。そう」
 リクソンはこれ以上深く聞こうとはしなかった。
 そんな時、リクソンの父親が帰ってきた。
「おかえりなさいませ、会長」
「ああ、ただいま」
 使用人とのやりとりが聞こえる。素っ気ないようだが、人間疲れているときはこんなものである。リクソンも疲れているときは極端に口数が少なくなってしまう。シュウユがダイニングに入ってくる。自分で野菜を皿に盛り付けて、適当にドレッシングをかけて、テーブルへやってきた。シュウユはリクソンの向かい側に座った。広いダイニングにはリクソンたち3人だけである。何だか寂しい気もするが、リクソンを含め子供3人はみんな自立してしまっているし、叔父一家も仕事の都合上、なかなかこちらには来られないのだそうだ。リクソンたちが食事をしていると、秘書たちが慌ただしくやってきて、自分の皿に料理を盛り付けている。
「秘書って何人いるんだっけ」
 リクソンがシュウユに聞く。
「5人。会社のほうにはもう少し、いたと思うがな」
「意外と少ないのね……」
「まあ、家にあんまり来られても困るしな、ここにいるのは、特に優秀な者だけだ」
「特に優秀なのだったら、5人もいらないだろ」
「語学に堪能な者や、海外の情勢に詳しい者、経済の専門家などなどそれぞれの分野に秀でた者を連れてきている。もちろん無理を承知でな」
 ここで話が変わる。
「そういえば、シャワーズたちは? お前が連れていった」
「置いてきたよ、というか、友達に預かってもらってる」
「何匹?」
「えーと、いろいろあって手持ちが増えたから、6匹」
「……」
「いいだろー、ちゃんと面倒は見てるし、今は綺麗な一戸建てに住んでるんだから」
「待て! そんな大金どこから調達した?」
「調達っていうかくれたんだよ。建設会社の人が」
「はぁ?」
「『ラクヨウ再開発プロジェクト』っていうのがあってさ、その一環で昔住んでたボロアパートが立ち退きになって、それと引き換えにね」
「ああ、それならうちの会社も関わっていたが……」
「『ふざけんな! 住むところが無くなるだろっ!』って言ったらさ『お願いです』って頭を下げるもんだからね。1回目は叩き出したけど、何回かやってきてこれだからね。あんまりにも可哀そうなんで、住むところと当座の資金を出すっていう条件で手打ちにしたんだよね。いやぁ、もしかすると交渉の才能があるかもね、ははは……」
「……(きっと、そいつはうちの社員だ。可哀そうなことをしたな。多分誰が住んでるか知ってただろうし)」
「ん?」
「一応聞くが、その交渉した相手は若かったか?」
「ん? ああ、若かったよ。多分20代」
「ああ、そうか(みんな嫌がって、そいつに押し付けたんだな)」
 境遇ってそんなものなのかもしれない。変えられそうで変えられないもの。変えられるとしたらそれは神か魔のなせる所業、なのね、グレイシアは今の会話を聞いているとそうとしか思えなくなってきた。前の主人は非業の死を遂げてしまったけど、リクソンに出会えて本当によかった。裕福かどうかではなく、リクソンの家に不幸の二文字は無かった。それは、皆が団結し協力し合っているからこそ、ね。リーフィアが言う「リクソンさんのお役にたてて嬉しいです」というのは、媚を売っているわけではなくて、本当に嬉しいのかもしれない。それは自分の居場所があるということ、自分を受け入れてくれること、何より自分の今の境遇が、であろう。
「グレイシア?」
「へっ、リクソンさん?」
「冷たいカボチャのスープがきたけど、飲む?」
「あ、うん」
 リクソンは器を口元まで持ってきてくれた。そして、スプーンでスープを掬って口に流し込んでくれた。
「子煩悩というかポケ煩悩だな、リクソン」
「しょうがないだろ、こうしないと飲めないんだから」
 といつつも、スープを飲ませてくれた。こんな些細なことが一生忘れられなくなりそうだった。
「普段食事はどうしてるんだ?」
「ああ、汁物は出さないんだよね。4本脚だから、食べづらいだろうと思ってね」
 やがて、スープが無くなると、リクソンは自分のスープを飲み始めた。
 メインの肉料理も食べ終わると、何だか胃袋が重たくなった気がした。リクソンは持っていたハンカチで口元を拭く。腹はおいしい料理で満たされたはずなのだが、どういうわけが甘いものが食べたくなってきた。リクソンはキッチンへ入って行った。そこにはガルーラおばちゃんがいて食事の後片付けをしていた。
「あら、ぼっちゃん。ごはん足りなかったの?」
「いや、そうじゃないんだけど甘いものがほしくなっちゃってさ」
「そう、小さい時は食が細かったのに」
「そりゃあ、大人になって子供と同じ食事量じゃあね」
「ま、そうよね。甘いものねえ……。フルーツの缶詰は昨日デザートで使っちゃったし。あ、そうだわ。確か冷蔵庫の中に頂き物のプリンがあったはずよ。3日前にうちに届いたものなのよ」
「お中元かな?」
 リクソンが冷蔵庫を開けると、白い箱が置いてあって、蓋を開けるといくつかプリンが入っていた。カボチャプリンとカスタードプリンが残っていた。リクソンはカスタードプリンを選び、ダイニングへ戻った。蓋をぺろりと開けると、黄色い円形の物体が現れる。スプーンで掬って口に放り込むと、口全体に甘みが広がっていく。すると、グレイシアがこちらを見つめているのに気がついた。リクソンはちらりとグレイシアの方を見るとプリンを半分だけ切り取って口に入れて飲み込むと、半分残ったプリンをグレイシアに差し出した。
「欲しいか?」
「え、いいわよ、太っちゃうし」
 遠慮する素振りを見せたグレイシアだったが、リクソンの好意を無にするのも悪いと思ったらしく
「ありがとう、リクソンさん」
 と言ってプリンを美味しそうに食べた。シュウユや秘書たちも食事が終ったらしく、皆、冷たいお茶やコーヒーを飲んで雑談をしていた。ちょうどその頃、家に置いてきたシャワーズたちは大変な目に遭っていたのだが、そんなことをリクソンやグレイシアが知る由もなかった。
 しばらくして、ポツリポツリと雨が降ってきて、たちまち大雨となってしまった。外は月明かりも消え、ただ雨音と暗闇、湿気が支配する世界となった。
「あ、雨か」
「そういえば、今日は夕立になるって天気予報で言っていたな」
 この時期に夕立が起こるのはごく普通のことであったので、誰も気にしていなかった。まして雨の多い南部地方のことである。いちいち大雨に気を使うようではこの地方では暮らしていけないというものだ。やがて雷が鳴る。それでも皆は動じない。雷など夕立にはつきものではないか、それにこのような激しい雨はそのうち止むに決まっている。昔からそういうものであるから、だれも気にも留めていない。大粒の雨が屋根を叩こうが、大気を震わせるような雷鳴があっても、お茶やコーヒーを飲み雑談に興じている。こうしている間にもますます雨は激しさを増している。
「うーん、ちょっと今日のはひどいな」
「そうですね」
 シュウユたちはようやく気に留め始めたがそれだけである。
「あ、そうだ、雨戸閉めたっけかな」
 リクソンが席を立つ。
「あ、待って。私も行くわ」
 後ろからグレイシアがついてくる。何だか、グレイシアは妙な胸騒ぎがしたのだ。杞憂に終わってくれるといいが……。階段を上り自分の部屋に入る。窓の外には漆黒の闇が広がり、大粒の雨が容赦なくベランダに叩きつけられている。幸い窓は閉まっていたので、部屋が濡れているようなことは無かった。強い風が吹いているのか、ガタガタと窓が音を立てている。部屋に雨が入らないように素早く雨戸を閉める。そして部屋を出て長い廊下を歩く。
 と、その時グレイシアが立ち止った。そしてこんなことを言った。
「ねえ、何か変な音しない?」
 しかし、リクソンは
「雨音と、雷と、窓のカタカタいう音しか聞こえないけど?」
「その音じゃなくて……」
 そして、シュウユの書斎の前に来た時に、突然、書斎のドアが勢いよく開いた。
「うおっ、びっくりしたっ」
「行ってみましょ、リクソンさん」
 何かを感じ取ったのか、グレイシアはリクソンを置いて書斎に入った。風と雨が勢いよく窓から吹き込んでいる。そこの窓枠に取りつけられている日差し除けのブラインドが、風にあおられてカランカランと乾いた音を立てている。リクソンが遅れて部屋に入ってくる。
「窓が開いているのか?」
 リクソンが部屋の明かりをつける。
「あ!」
 リクソンとグレイシアは思わず声を上げた。窓にカギはかかっていたが、一枚の窓ガラスが跡形もなく割られていたのだ。そこの部分は、窓枠しか残っていなかった。そこから雨風が吹きこんでいたのである。窓のそばに置かれていた机はほとんど雨ざらしの状態でずぶ濡れになっていた。むろん、机の上に置かれていたペン立てや万年筆、ボールペン、雑記帳の類もすべて濡れてしまっていた。グレイシアが机によじ登る。が、すぐに飛び降りて、こう言った。
「リクソンさん、早く会長さんを連れてきて!」
「え?」
「早く!!」
 リクソンは言われるがままに、シュウユを連れてきた。
「あーあ、これは、一体、どうしたことだ……」
 グレイシアが机の上の雑記帳をくわえてきて、シュウユに見せた。次の瞬間、シュウユの顔色が変わった。
「こ、これは、一体、誰が、こんなことを……」
「ん、どれどれ」
 リクソンが見た雑記帳にはこんな文字が書かれていた。全てカタカナで赤いインクを使ったようである。
「ワ ガ ク ル シ ミ イ マ ダ キ エ ズ」
 字が乱雑だったのと、インクが滲んでいたこと、電報のような書かれ方をしていたのでどこで区切ればいいのか分からなかったが「我が苦しみ未だ消えず」と書かれていると見て間違いなさそうだった。
「そ、そんな、馬鹿な……。こ、こんなことが……」
 シュウユの顔からは血の気が失せてしまっていた。それだけならまだしも、足に力が入らないようで、立っていることすら困難なようであった。
(会長さん?)
 その時、グレイシアはあの時のことを思い出していた。別に接点は無いのだけれど、どうしても無関係なことのようには思えなかった。そして、妹に、リーフィアに呼ばれている気がした。もちろん声が聞こえたわけではないのだけれど、何となくそんな気がしたのである。
 一連の事件に何か関わりがありそうだったので、問い詰めたかったのだが、当の本人は、ふらっと部屋を出ていくと、ダイニングで晩酌をし、そのまま酔いつぶれて寝てしまった。多分そうでもしないと何日か眠りにつけない、それくらいの出来事だったに違いない。リビングのソファでシュウユは顔を赤くして寝ていた。これでは朝まで起きないだろう。放っておいてもいいのだが、こんなところで寝ていられると邪魔なので、秘書の一人と協力して部屋まで運んでベットに寝かせた。
「あ、そうだ。親父に会社から仕事関係の電話があったら、急な出張でいないって言っておいて」
「分かりました」
 何日も留守にするわけではないのだ。明朝、本人が目を覚ますまではそっとしておいた方が良いに違いない。さて、本人が寝てしまったのなら仕方ない。リクソンはシュウユの書斎に入った。本棚に目をやると様々な本が詰まっている。経営の理念を書いたものから小説まで様々なジャンルの本がある。が、日記はなかった。まあ、会社に全て置いてあるのだから当然か。パソコンはどうせパスワードを打ち込まないと動かないようにしてあるし。とにかく明後日には帰らないといけないので、何らかの手がかりを持って帰らなければならない。リクソンはあれこれ理由をつけて、明日も会社についていくことにした。
 リクソンは部屋に戻った。そこにはグレイシアがいた。
「今日はもう遅いし、寝ようか」
「そうね」
「それじゃあ、お休み」
 リクソンはほどなくして寝てしまった。今日はいろいろあったし、疲れたのかもしれない。グレイシアも早く寝ようとしたが、何故か寝つけなかった。何か妙な胸騒ぎがしてならなかった。眠れないグレイシアはそっとドアを開けて廊下に出た。
(水でも飲んでから寝よう)
 長い廊下を歩く。一階の階段までの途中に先ほどの書斎があった。後ろ脚で立って、前脚でドアノブを回した。先ほど壊れた窓のところにはバスタオルで穴が塞がれていた。ちゃんとガムテープで固定もしてある。階段を下りてキッチンへ行く。もう皆寝てしまったらしく、家の明かりはすべて消されていたが、いつの間にか晴れていたらしく、月明かりが窓から差し込んでいた。キッチンシンクによじ登って蛇口から水を出す。音をたてて流れおちている水に顔を近づけて水を飲む。喉の渇きがとれたところで水を止めて部屋に戻ろうとした。ふと、何かの気配を感じた。グレイシアはその気配がする方へ向かった。誰もいないはずの風呂場から明かりがもれている。
(まさか、泥棒?)
 本当に泥棒だったら大変だ。明かりがついているのは男湯のほうだった。廊下と脱衣所を隔てているドアの前まで来る。その光に影が映っている。そして浴室のドアが開いて影の主はその中へと入っていった。こっそりと脱衣場に忍び込んだグレイシア。そこには洗濯機と乾燥機が置いてあり、衣服が脱ぎ捨てられていた。そして浴室からは声がした。
(……何だ)
 ドアを開けようかと思ったが、開けたら別の意味で大変なことになっていた。急にバカバカしくなったグレイシアは、何か引っかかりつつもリクソンの部屋に戻った。しかし、翌朝本当に大変なことになっていた。


  第8章 足跡

 バリョウ達は、鉄道とバスを乗り継いでカンネイの家に向かった。ラクヨウの中心部からそう離れているわけでもないのに、この一帯は都会の喧騒とは無縁であった。この辺りは台地で、港町として栄えたラクヨウの外れにあるというわけではないが、貿易の品々を港から持ってくる必要はない。港近辺は昔から栄えていたが、この辺りが今のような高級住宅街になったのはつい二、三十年前のことだという。
「それにしてもデカい家だなあ……」
「ほんと……」
 一行は、ため息をもらしながらそう言った。高級住宅街と言っても、大きな家が密集しているわけではない。カンネイの家はその中でもとびきりの広さを誇っていた。家の前には屈強なガードマンが二人立っていた。
「おいおいおいおい、何であんなのがいるんだよ。カンネイの親って何やってる人なんだよ。何かヤバイことやってるんじゃないだろうな?」
「失礼なことを言うなウインディ。カンネイのお父さんはこの国の要人中の要人なんだから、警備員くらいいるだろ」
 バリョウが警備員の一人に何か言うと、警備員は門を開けてくれた。全員が敷地の中に入ると、金属製の大きな門が閉められた。
「あー、怖かった」
 バリョウはハンカチで額の汗を拭っている。敷地内を歩いて、建物の呼び鈴を鳴らすと、中からシュゼンが出てきた。
「こんな暑い中大変だったね、さあ入って入って」
 身なりのいい初老の紳士が中に招き入れてくれた。バリョウ達は客間に通された。ペルシャ絨毯が敷かれており、高い天井から吊るされている六つのランプが部屋を明るく照らす。
「何か持ってこさせるから、ちょっと待ってて」
 シュゼンは部屋から出ていった。バショクがボールからラプラスを出す。
「あれ、ここは?」
 きょろきょろと周りを見るラプラスにバショクが答える。
「カンネイ先輩の家」
「ふ~ん」
 客間のドアが開く。
「待たせて悪かったね、こういうのは使用人にやらせてるから手間取っちゃって」
 シュゼンがアイスコーヒーとグラス、氷、ケーキを持って戻ってきた。
「しかし、ポケモンの数がすごいな。グラス足りるかな、えーっと、2,4,6,8,10、私を入れて11か。1つ足りないな」
 グラスを取って戻ってきたシュゼンは椅子に腰を下ろした。シャワーズ、サンダース、エーフィ、ブラッキーはまあこういう場は慣れているので何ともなかったが、他のポケモン達はいつもに比べ言葉少なだった。緊張しているというのもあるし、自分たちにとっては異質な空間であったからだ。
「ささ、遠慮しないで」
 とシュゼンは言うが、シャワーズ、サンダース、エーフィ、ブラッキー以外は刻々と肯くばかりだった。
「ん、そういえば、リクソン君は元気かな?」
「相変わらずよ、んぐんぐ……」
「それは何よりだね。それじゃ、先輩は?」
「『あれ』が元気じゃないのはくたばった時だけだぜ、もぐもぐ……」
 コーヒーを飲んだり、ケーキを食べたりしながら、シャワーズとサンダースが質問に答える。シュゼンは苦笑しながら言う
「全く、どーしてこんなに悪態をつくようになっちゃったのかねぇ?」
「いやいや、それほどでもあるよ」
 笑っていたサンダースだったが、心なしか空気があまり良くないことに気付いた。
「え? 何だよ?」
 サンダースがバリョウたちに向かって言う。サンダースの隣にいたブースターが言う。
「知り合いなの?」
「ん? 知り合いっちゃ知り合いだな」
「ウソでしょ? こんなすごい人と知り合いなんて」
「あ~、ブースターたちは知らなかったんだな。シュゼンさんはリクソンの親父の後輩でさ、仲も良かったから、よくリクソンの実家に来てたわけな、それで仲良くなったってわけよ」
「じゃあ、最近もよく来てたの?」
「うーん、最近は来てなかったと思うけどな、てか、カンネイさんは?」
「ゼミナールの合宿とかで、今日明日は帰ってこないよ、帰りは明後日だったな。ギャロップも連れてったから、今日は蹄の音を聞かされないで済むな、ははは」
 4匹とシュゼンは楽しそうに話をしている。久しぶりに会ったから嬉しいのだろう。シュゼンは仕事が忙しく、家に帰ってきても寝るだけの日々が多く、なかなか会えることはない。その様子を黙ってバリョウたちは見ていた。会話に入れないというよりもこの微笑ましい空間を部外者が入っていくのは何だか許されないような気がしたのだ。
 リーフィアにとっては少し寂しい気もしたが、誰にだって踏み込まれたくない空間はあるのだ。それがあるからこそ、一人で落ち込んだり、思索にふけったり、頭を空っぽにしたりすることができるのだ。
 シュゼンが氷だけになったグラスをテーブルに置こうと前のめりになった時、何かが切れる音がした。そして、何かが割れる音。良く耳を澄ますと、もう一つ別の音が聞こえる。タッタッタッという何かが走るような音である。
(誰? 誰の仕業だ? 一体……)
 ラプラスには何となく見当がつきかけていたが、それでも分からないことがあった。何が目的なのか? 誰が標的なのか? それが分からないのでは防戦に徹するしかなかった。
 使用人が部屋のドアを開けた。
「先生、大変です」
「どうした、そんな血相変えて」
 使用人に急かされて、シュゼンは部屋を出ていった。ダイニングに入ると、そこには無残な光景が広がっていた。天井からつるされている電燈が床に落ちたため、電球が割れてテーブルの上に破片が散らばっていた。落下したのがこの電燈一つだけであり、当時ダイニングには誰もいなかったのでけが人がいなかったのが不幸中の幸いだった。
「こりゃあ、ひどいな。何でこうなった?」
「はい、多分、この電燈をつっているコードが切れたのが原因かと」
「いや、それは分かるけどさ。何でそのコードが切れたのかって聞いてるのさ」
「そ、それは、私にも分かりかねます……」
「とにかく、早く片付けて、代わりの電燈をつけておいてくれよ」
 使用人にそう言うと、シュゼンはダイニングから出ていった。そして、ソファに座って、意味ありげに息を吸い込んで、それを吐きだした。そして、おもむろに口を開いた。
「いやいやいや、何か電燈が床に落ちてえらいことになってたよ。まぁ、それはいいんだが……」
「?」
「だれか、ダイニングにさっき入った? 何か、足跡っぽいのがダイニングに残ってたからさ」
 皆は首を横に振る。
「あ、そう。そうか……。いやまぁ、君たちがそんなことするわけないよね。そもそも私とずっと一緒にいたんだし」
「シュゼンさん。心当たりとかないの?」
 シャワーズが聞く。
「あると言えばあるし、ないと言えばない」
「随分はっきりしねえなぁ」
 サンダースがそのあいまいな答えを咎めるような口調で言う。
「そうだけど、私みたいな仕事をしていると、こちらはそのつもりじゃなくてもどっかしらで、恨みを買うようなことがあるからね」
「ぐ、まあ、そりゃそうか」
 確かにその通りだった。もしかすると、毎日毎日お気楽で何不自由なく暮らしている自分もその対象になるかもしれないと考えると、それ以上のことは言えなかった。ポケモンも人間の手持ちと野生がおり、ほとんどの場合人間の手持ちのポケモンは野生よりも良い暮らしをしており、それが野生ポケモンからすると羨ましくもあり、妬ましくも思う。では人間の手持ちになればいいではないかというと、自由が無くなるのを嫌うとかで野生のままでいるポケモンも多い。
「しかし、一昔前は、ポケモンをとっ捕まえて外国に売り飛ばすなんて言うのが結構あったようだけど最近はめっきり減ったね」
 シュゼンが口を開くと、その場に居合わせた誰もがその話を詳しく聞きたがった。他人事ではないから、というのが一番大きな理由だろう。もっとも、シュゼンは話題を提供しただけだったのでこの反応には少々困惑していた。
「まあ、知っていると思うけどさ、この国は昔から、ポケモンに関する規制が厳しくてね、ポケモンを持つには役所に届けがいるとか」
「あ、それ、いっつもリクソンが面倒くさいとか、言っていたわ」
「最近、ていうか、私が首相をやってる時に議会に法案を出して、強行採決で決めたんだけど」
「いいのかよ、数の横暴じゃねぇか」
「ん~、野党連中がガタガタ言うもんだからさ、まあそれは置いてといて、一年ごとに健康診断を受けさせろとか、バトルをするときは決められた場所で行いその日時を役所に届け出て、許可が下りたときのみ可能とか、後は、所有者は許可書を持つ、ん~と、後は、そうそう、ポケモンを商業目的で外国に持ち出すのを禁止するっていうのもあったな。外国に売り飛ばされる恐れもあったからね」
「けっこう、良い法律だね。何で反対者がいたの?」
「いやまあ、いろいろあると思うよ。あんまり法律を厳しくし過ぎると、密売が横行するとかさ。んまあ、じっさいあったんだ。法君と先輩が熱心に調査してたよ、それについて」
 途端にシュゼンが言葉を打ち切った。
「どうしたの?」
「シュゼンさんも知ってるでしょ、法先生とリクソンのお父さんが誰かに襲われたのよ」
「みたいだね。まだ大っぴらにはなっていないようだけど」
 シュゼンが言葉を続ける。
「しかしねぇ、あれはもう3~4年前の話だよ? 何でまた今頃?」
 それが分かれば苦労しないのだ。しばらく考えたのちに、ラプラスが言う。
「僕なりに考えたんだけど、密売の犯人が表ざたにされるとまずいことがあって、2人の所在を突き止めて、消そうとしたとか?」
「そりゃ、絶対にないよ」
 シュゼンが即座に否定した。
「え?」
「だって、その密売の主犯は2年前に死んでいるんだから」
「殺されたのかよ?」
「うんにゃ、病死だよ。拘置所にいたから殺される可能性はゼロに近いでしょ。それに係わっていたのも、芋づる式にお縄になって今は裁判中だしね」
 ラプラスが考えていたことは外れていた。そうだとしても、バショクの一件の説明がつかないが何とかなるだろう。そう思っていたがやはり考え直さないといけないようだ。

  第9章 終局へ

 一晩をシュゼンの屋敷で過ごした一行は礼を言って、午前中にその屋敷を後にした。それぞれの表情には休んだはずなのに疲労がはっきりと見えていた。そのことについては誰も言わなかった。言うまでもないことだと皆が思っていたからである。
  無言でリクソンの家に引き返す。リビングは無残な状態のまま、朝の日差しを浴びていた。グラスは倒れたままになっていたし、グラスからこぼれた飲み物そのものは蒸発し、テーブルについたその跡でそのことがかろうじて分かった。
電気が切れた時に持ってきたロウソクは、ほぼ新品の状態で床に転がっていた。その後使った懐中電灯は家の郵便ポストに入れておいたのだが、これもその時の状態のまま置いてあった。違うことと言ったら、郵便ポストに新聞が入っていたことくらいだろうか。
「あ~あ、こりゃ、ひどいね……」
 部屋の光景を見て、バリョウがそう言ったが、みんなそれと同じことを思っているに違いない。リクソンは明日には帰ってくるので、それまでには家の中を綺麗にしておかなければならない。壁に掛けてあったカレンダーは葉っぱカッターの乱射の巻き添えで、ずたずたになっていた。リーフィアに悪意があったわけではないことは明らかなので、きちんと理由を話せばリクソンも咎めたりはしないはずだ。
バショクがブリキのバケツと雑巾を何枚か持ってきた。
とりあえず、ゴミを始末するのと、掃除をする組に分かれて家の中を綺麗にすることにした。
「ラプラス、お前はボールの中に入ってろ」
「え?」
「眠そうだしな、それにそんな体じゃ雑巾がけは無理だろ?」
「あ、うん……」
 バショクもあまり眠れていなかったが、掃除が終わったら眠るつもりだったので、今は我慢することにした。
 散らかったゴミを片っ端からゴミ袋に入れ、雑巾がけをする。シャワーズが後ろ脚で立って、ローテーブルを布巾で拭いていると、やはりここにも足跡がいくつか見つかった。
「ねえ、ここにも足跡が」
 シャワーズが言うと、バリョウをはじめ全員がやってきた。リクソンは赤系の派手な色よりも青系の落ち着いた色を好むのだが、このテーブルも茶色の地味なものだった。よく目をこらさないと分からないが、確かに足跡のようなものがいくつか見つかった。
「ちょうど、私たちと同じくらいの大きさくらいかしら?」
 ブースターが言う。
「じゃあ、私たちのじゃないんですか? 大きさは私のとほぼ同じ様ですし」
 リーフィアの言う通りかもしれないが、何だかそうじゃない気もしてくる。リクソンはテーブルを使ったら、必ずその上を拭いていたから、そのまま残るとは考えにくい。
「この足跡、何だか、泥がついたというよりも、水、だな。この形に水が溜まって、それが蒸発したらこんな形が残ると思うな」
 バリョウが言うには、テーブルや窓ガラスを水ぶきしてそのままにすると、その時に付いた水が蒸発してその痕が残ることがある。これと同じ原理ではないかというのだが、誰がどんな理由で残したかは分からなかった。
 この足跡は布巾で強くこするとちゃんと消えたので、皆は掃除を続けた。昼過ぎにようやく掃除が終わり、リビングも元通りになった。
 
 その頃、リクソンとグレイシアは父親の会社にいた。当の本人は風呂場で滑って頭をぶつけてしまい、そのまま病院へ運ばれたが命に別条はないとのことだ。頭をぶつけて気絶した割には回復も早く医者もびっくりしていたが、それくらいでないと30年も会社を束ねるという激務はこなせない。体が丈夫で元気であることに越したことは無いのだ。
 たまたま、リクソンの叔父が外国から帰ってきたので、会長の仕事の代行をするというので会社内も大きな混乱は無かった。この前の日にシュウユが飛行機のチケットを買ってきたとかで、叔父がそれを渡してくれた。夕方の便でどうやら普通席ではない上等のシートのようだった。会長室の中にある資料室にリクソンはいた。めぼしい報告書を叔父の許可をもらってコピーしておいた。
「グレイシア、目当てのものがすべて手に入ったよ」
「本当!?」
「これで、大きく前進したね」
 あっけないようだが、ここに来るということを思いつかなかったら、永遠に前進しなかっただろう。経済を左右するほどの力を持つ父の偉大さを改めて知らされた。
 しかし、前進はしたが、肝心の動機が分からなかった。世の中分からないことだらけだが、これもその一つだった。リクソンはその話を横にいたグレイシアに話すと、グレイシアも考え込んでしまったが、やがてこんなことを言ってきた。
「ねえ、リクソンさんは、どうして大金持ちの家に生まれたのかしら?」
「そ、それは、運?」
 そうとしか言いようがないではないか。有名になるとか出世するとかは運が絡むとはいえ、自分の努力が一番の要因だろうし。
「じゃあ、どうしてグレイシアはウチに来ることになったのかな?」
 この質問はタブーな気もしたが、リクソンは敢えてその質問をしてみた。
「それは、知ってるでしょ」
「じゃあ、ウチに来てからはどう?」
「……」
 これも答えようがなかった。もちろん何不自由なく暮らせているし、仲間もそばに大勢いる。家の中を飛び出して余所のポケモンと知り合う機会もできた。しかし、前の主人の所が居心地が悪かったかというと、もちろんそんなことは無い。大富豪を主人に持つポケモンに対しては「ちょっとうらやましい気もするかな」これだけだ。自分とは関係ない世界のことなので良く分からないというのもあったが。グレイシアは他人を僻んだり妬んだりすることはしない性格だが、まあ中にはそういう性格なのもいるかもしれない。
 結局「望んでいるわけではなかったけど偶然の積み重ねでここまで来た」というのがグレイシアの出せた結論で良いか悪いかは言わなかった。というよりも分からなかったのだ。前の主人とはリクソンの先輩で面識はあったので、全く知らない人のところへ行くわけではなかった。前の主人と永遠に別れてしまうという事実は消せないし、変えられないことだ。が、いつまでも悲しんでいては前の主人も浮かばれないに違いない。せめて生きられなかった前の主人のためにも妹と一緒に生きて、今の主人を守り通すこと。今のグレイシアにできるのはそれくらいだった。
「悪い質問をしたね。ごめん……。じゃあ最後にもう一つ」
「何かしら?」
「グレイシアやリーフィアみたいな人間の手持ちのポケモンって野生からはどう思われてるのかなぁ?」
「さあ、野生だったことないし……。案外どうも思ってなかったりして」
「あ~、そーいうもんなのかなぁ。あははは」
 もっとまじめな答えが返ってくるかと思いきや、一本取られたリクソンは思わず笑ってしまった。
「じゃあ、そろそろご飯にしようか」
「そうね」
 リクソン達は資料室を後にした。
 
 物語は「終章」へと続きます。

 まだまだ続きます。感想、誤字脱字、指摘などなどありましたら
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