ポケモン小説wiki
グルメッカ-ほんとのことを言いま章・2- の変更点


これはひどい小説だと思うんでつっこみどころは満載ですが突っ込んだら負けってことで何も考えずに目を通してくださいませ。
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#contents


**喇叭の進撃 [#ia7ed295]


 落ちた。それ以外の言葉を、クローブ・ウーはその行為に対してこれといった表現が見当たらずに、思わず子供のように叫んだ。落ちた。と。ニッキ・ロートヴァローナはその言葉に反応して、高い作りの飲食店の屋根の上を見上げた。確かに落ちて来ていた。高さからして、三階から二階の中間あたりだろう。大きな街はそれ以上にもっと大きなものが立っているが、この街は高さというものを妙に嫌っている傾向があるような気がしていた。
 落ちたときにそれの行動はいち早かった。ゆっくりと姿勢を折り曲げて、優雅に着地をした。体を震わせて、こちらを向いた。に、と破顔した顔が、この世のものと思えない、あの時見た二人組のポケモンの顔を思い浮かべた。面持ちは非常に似ている、そう思った時に、クローブが宙を舞った。
「やっぱり君達は彼らの関係性をもっていた」それは何を言うわけでもなくそう呟いた。友好的に何かを尋ねるわけでもなく、積年の恨みを晴らすわけでもなく、ただただ、単純に見たものを攻撃した。そんな印象だった。「君達は――駄目だ」
 突如として襲い掛かるそれの行動に対して、ニッキは素早く反応をすると、身を翻す。伸ばした腕が虚空を掴み、地面に叩きつけられて再度宙に浮いたクローブを抱き止める。クローブは今一何が起こったのかわからない顔をしていたが、痛みを感じ始めると、鈍った思考が先ほどのポケモンに怒りと怨讐に近い感情を沸騰させた。「何をする」その言葉はまっとうで、当たり前だと思われていた。それはくっ、ともう一度ぬらぬら笑う。「御前達こそ、何をしている」その言葉を聞いて、会話が成立しないと判断したニッキは、何を言うわけでもなく、地面に敷き詰められた煉瓦を思い切り念力で取り払うと、数個それに向かって投擲した。投擲というよりは、浮いた煉瓦が意思を持ったようにそれに向かっていく感じだった。それは首を動かし、危なげもなく煉瓦を躱すと、それを交戦と判断したのか、容赦をせずに行動を開始する。
「攻撃したね。ようし」
 それはまるでその行為が歓喜のもののように感じ、ぶるる、と震えた。狂気が雷に形を成して、市街を破壊し始める。蛇行を描いて這いずる雷が通り、地面が抉れ、焦げた臭いが鼻腔を刺激した。クローブはぎょっと眥を見開き、ニッキはその双眸をそれからはなしはしなかった。
「おい、これはどういうことだっ」
「私に聞かれても、ただ、あの方達との関係性はありそうですがね」
 あの方達という言葉を聞いて、クローブは露骨に顔を顰めさせた。関係無い自分達が巻き込まれるのは心外だと思っているのか、巻き込まれる状態になるまで気がつかなかった自分達に対しての憤りか、複眼から伺える表情はよくわからなかった。
「おろせ、自分で歩ける」
「足を負傷したくせによくそんなことが言えますね」
 クックと笑う、クローブはそんなニッキが何やら意地の悪いことをする子供のように見えて、何かを物申そうと思ったが、思い切り打ち付けた体が痛みを訴えて、声を出すことも憚るほどに自分が欠損しているのだと思わされ、悪態をついた。「情けない、不意打ちを当てられて動かなくなるなんてな」
「突然の攻撃で咄嗟に反応できた貴方もなかなかです」
「嬉しくない褒め言葉だ」守るべき存在が守るべき存在を放置して逃げ回っているという滑稽な現状に、クローブは情けなさと空しさが胸の奥に溜まり込むのを感じた。憤慨をぶつけることもできずに、どうしたものかと思う。ニッキが抱えているクローブの重さは、適度に彼の腕を苛めていた。「おい、重いだろ、そろそろ念力で持て」彼はそういうと、ニッキは大げさに首を横に振る。「今下ろしたら格好の的になりますよ。あれの」少し念力でもつ場所を維持しながら、右手で後ろを刺す。這いずりながら向かう生き物の様な雷の中心に、子供の様な笑顔を湛えたそれが追い続ける。動くものをすべて標的にして、手当たり次第に襲い掛かる。悲鳴と狂気が混ざり合い、警察が応戦しても止められずに抜き去られる。まるで本の中の出来事のようだとクローブは大仰に首を振った。「悪夢だ」
「少なくともことのほとぼりが冷めれば、私達は非難の対象になりますね」
「そりゃそうだ。これだけ被害を拡大させてるんだからな」
「では、あれを止めて英雄になるというのはどうでしょうか?」
「その案には賛成だが、どうやって止める?」
「さあ?それを今から考えるんじゃないですか」
「じゃあとりあえず、追いかけっこはやめにしよう。ちょうどいい具合に広場に出るみたいだしな」
 動くのをやめると、ちょうど喫茶店が並ぶ噴水の広場にクローブ達は躍り出る。色鮮やかな煉瓦が敷き詰められた空間に、さらさらと流れる噴水の水の音が心地よい、炙るような太陽の光は、ちょうど雲に隠れて、見えなくなった。蛇行を描いていたそれが止まると、クックと笑った。「追いかけっこはもうおしまいかな?」
「ちょうどいい場所で貴方を止めさせていただきますよ」ニッキは土埃を払いながら、クローブを下ろす。「貴方はひどい人だ。罪もない一般人をこんなにも巻き込んで、行動原理がわからない以上、貴方をこれ以上好き勝手にさせるわけにはいきませんからね、ここで引導を渡して差し上げましょう」芝居がかかった口調に半ば嫌悪を示しながらも、クローブも続けざまにそれを視界に捉える。「俺も同意見だ。品のない手段を取りやがって、全くわけのわからん。そんな被害に巻き込まれた一般人はさぞいい迷惑だろうよ」
「なぁに、別段問題はないさ、いくらでもポケモンは生まれてるからね、害虫よりも繁殖力が高いじゃないか」
 太陽の暑さがまた雲の切れ間から現れて、油を撒かれたような熱が再び広場がじり、と照らしはじめる。山の方から流れるそよ風と、空から炙られるような熱線が、奇妙な取り合わせとなり、しばらくの沈黙を作り出した。
 クローブはそれがはなった言葉に、嫌悪した。どういう意味合いをもってしても、その繁殖という言葉に並みならぬ憤慨を感じていた。ニッキは隣り合いになっている彼のそんな憤慨を、痛いほどに感じ取っていた。その理由付けとして言うのなら、とてもわかりやすい理由もあった。
 彼の恋仲であった一人の女性が、突然暴漢達に犯され、逃げようのないその証を身に宿したことがあったと、クローブは以前ここに働きに来る前の出来事をとうとうとニッキに語ったことがあった。言いたくなければ言わなくてもいいとは言ったが、クローブはとくにそれに対しては終わった事だと自嘲めいた笑みを浮かべていた。その結果は、逃げるように彼の元を離れた彼女の消息の不明と、彼がただ一人残されたという一抹の事実だけを残し、全てが終わった。
 それに対してクローブは自分を責めていた。彼女は何も悪くない、彼女から離れてしまった責任が自分にはあるのだと、ニッキに何度もそれに対しての有効なやり直しの手段を問いただしていた。終わったことではなかったのかと、ニッキもそう言い切ってしまうほどの気持ちを持ち合わせてはいなかった。もしも夢であるのなら、夢であってほしいだろうと、クローブの言葉に何度も頷いた。それからいろいろな場所を転々とし、最終的に行きついた場所がウルチの屋敷であるということ。彼女の父親である旦那様に、全てを捧げる気概で今まで奉公人として尽くしてきたそれすらも、病という逃れようのないものに阻まれて、消えていった。
 彼の誕生がどのような場所で行われ、どのような人生を歩んできたのかがニッキにはわからなかったが、少なくとも彼は一つの身の上話をしたうえで、自分の心の中にある善悪概念が、勧善懲悪の方面に傾いているということくらいは教えてくれてはいた。そしてその善悪概念に従って、彼は今憤慨と怒りを込めているのだとも、ニッキは容易に想像できた。
 楽器で例えるのなら、彼は喇叭だった。人一人が持っている怒りや悲しみを、深部にため込み、それを爆発させる時は、何十倍にも大きくさせる。エネルギーの調節と自己制御をしているふりをして、心の中ではいつ爆発させようか、いつ爆発させようかと手ぐすねを引いている。心の中でため込んでいるものを吐き出さないのは、吐き出したところで理解する人が少ないから、その思考が、ますます自分の悪い部分をため込み、爆発させようとするのだろう。ニッキはそんな怨嗟の様な彼の感情の部分に、腫物を触るように接してきた。
 それが今、詰る様に、踏み躙る様に彼の感情を弄ぶものが存在していた。ニッキは目を細めながらも、そんな風に言って、彼の感情の矛先がそれに向けられたことに安堵の様なものを感じた。そしてそれを感じることを恥じた。彼と自分は秘密を共有し合った仲間、大仰に言いすぎているような気もするが、少なくともお互いの思いを伝えあったことがあるとニッキは思っていた。
「お前みたいなやつがいるから、思想の分割がひどくなるんだよ」
 クローブの言葉は何か含みのある言い方で、言葉の裏に痛ましいものを包み隠している気さえもした。それは自分の過去の陰惨な部分か、それとも言葉に対しての感情の抑制か、どちらなのかは汲み取れなかった。ただ、胃からこみ上げる様な吐き気を堪えているような顔をして、ぎり、と歯を噛み合わせて強く強く、それを睨みつけた。それはその憤怒すらもクスと笑い、受け止めてさらに笑んだ。
「怖い顔をしてるね、わかるよ。僕の言葉に反応したみたいだね、だけれども、君達はここで永遠にお終いだ。憤怒も恐怖も、ここで終わる」
 耳をしきりに動かしながら、それは笑った。体を震わせて、雷をまき散らす。大量の蟲が湧く様に、それはもぞもぞと動き回り、動くものに這いずり、焼いていく。
「関係無い奴まで巻き込むなんて、こりゃはやく止めないとやばそうだな」
「それはおおいに同感します」ニッキもそろそろ暴走を止めなければ、という気持ちが後ろから押しあげて、切迫した情念に駆られる。しかしどうやって止めればいいのか、何か動きを止める切っ掛けでもつかむことができれば、そう思ってる最中に、それは動き出した。腕のように伸びる雷がニッキのいた場所を粉砕する。土煙が巻き起こり、大きな音がしたその場所にとどまり貪る様に蠢く雷、少し下がって、地に足をつけたニッキに、さらに電撃が襲いかかる。
「おっと」
 彼はとにかく被害を広げないようにと、なるべく開けた場所で攻撃をひらりひらりと交わしていくが、それを追うようにそれの放つ雷も意思を持つように追撃する。それはその場所から動くこともなく、しきりに耳を動かし、こちらの挙動を確認するように周りを見渡していた。クローブも同様に、小刻みに動き回り街や建物に被害を加えないようにと最小限に努めている。音や景色を見て、ほかのポケモン達が何事かと外から見物に顔を覗かせる。
「そこか」それのとった行動は、あまりにも破天荒できちがいじみていた。声を出したその人物めがけて思い切り、蛇行してうねる雷を向けて突撃させた。驚愕するかしないかの寸でで、クローブが身を乗り出した。電撃を浴び、奇怪な声を出した。それはちょうど潰されて死んだポケモンの声のそれに酷似していて、ニッキはひどく顔を歪ませる。地面に彼が落ちるのと同時に、悲鳴と狂気の声が上がる。逃げ惑い、騒音をまき散らすそれに、片っ端から電撃を浴びせるそれを、薄い膜を張り防ぐ。広い範囲で張りつめた「ひかりのかべ」なんぞは、恐らくすぐに壊れてしまうだろうと、伝動的に伝わる電撃を浴びながら、ニッキはクローブに目をやった。
「俺のことはかまうな」クローブは何ともないという風情で立ち上がろうとしたが、全身に走った電撃の帯に絡めとられるように、どしゃりと身を突っ伏した。「電気くらい自分の体質で濾過してしまう、だから大丈夫だ」突っ伏したままでもまだそんなことを言って笑うクローブを見て、ニッキはやれやれと息を吐いた。守りを張っていた薄い膜が壊れ、電撃が襲いかかる、反射的に強い念力をぶつけ、押し返そうとするが、均衡状態のまま徐々に押し負ける。
「……これは、まずいですね。相手の力の方が私たちよりも、数十倍、いやそれ以上上でしょうかね……」
「不意打ちでもしない限り止められねーな、そりゃ」ようやく体の痺れがとれたといった風情で、クローブは重々しく立ち上がる。動悸が荒く、体中に滴る血は赤黒い、焦げた体毛に複眼も少し損傷しているようだった。「あんなのもう一回くらったら確実にあの世行きだ。捨て身の防御ももうできんな」クローブはそんな事を言って笑う。体力的に両者とも限界だったが、向こう側は笑って変わりのない雷を浴びせている。どうやら体力や持続力で根本的な違いがあるのだろうとニッキは首周りの後ろが痛くなった。
「このまま直撃を受けても被害は建物だけですし、それはそれでいいかもしれませんね」「馬鹿言うな、お嬢様を守る役目の俺達が、なんでこんなわけのわからん雑種にやられなくちゃいけないんだ。――それよりニッキ、さっきの見たか?」
「あいての行動ですか?」強い力で抑えつけられるように、両手を思い切り伸ばして電気を押し戻そうとしていたために、声が若干重く下がり、息が荒かった。「先ほどの行動ですね、何も関係ないポケモンを襲っていました。私達がいたというのに不思議な話です――もしかして、相手の方は全盲かも知れませんね」
「さっきから音のする方に手当たり次第に攻撃したり、声や足音に反応していち早くそっちに攻撃してたりしたからなんかおかしいとは思ってたんだよな」
 彼は複眼でその姿を捉える。強烈な光と目まぐるしい明滅に阻まれたが、確かにそれの目にはあまりにも、光というものが入っていなかった。ぼんやりと薄暗い蒼色を湛えて、瞳孔が弱々しく収縮を繰り返している。クローブは確信と同時に、打開策ができることに喜びを感じた。追い詰められている立場から盛り返し、追い詰める立場に。いささか正々堂々という言葉には欠けているようだと思ったが、相手は無関係な人物すらも巻き込んだ、これくらいの暴挙は許されるだろうと一人で納得した。
「チャンスは一瞬だ、俺の心をくみ取って、タイミングを合わせてくれ」
「この状況でさらにテレパスまで使えと言いますか。注文が多いうえに人使いが荒いですね」
「文句は成功してからいえ、行くぞ」
 クローブは電撃を交わしながら、なるべく音をたてないように移動した。電撃の焦げる音や爆ぜる音がまき散らされている分、こちらの微かな移動に気がつかないようにと体中に緊張と恐怖が走る。ゆっくりと側面に移動して。「エレキボール」の球体を後ろの建物までもっていく、強力な電気の球体を爆発させる寸前に、大きく声を張り上げた。
「後ろ、もらった」
「えっ……」
 エネルギーが爆発して、破裂音のような音が響き渡る。さながら喇叭の吹き始めのように強力な音が響き渡り、電撃の照準がそちらに向いた。
「隙あり」
 その一瞬の集中力の霧散を、ニッキは押し戻した。そのまま「サイコキネシス」で電気ごと押し返すと。そのまま体を浮かび上がらせ、締め付ける。
「しまっ――」
「成敗」ニッキの声と一緒に、思い切り地面に叩きつける。「がっ――」くぐもった声が漏れて、強い力で二度三度と念のために叩きつける。四度目に叩きつけたとき、地面が完全にへこみ、ほとんど蟲の息のように、それは動かなくなった。
「死んだ?」
「気絶です。――サンダースですか」
「へえ、そんな種族なんだな」
「先ほど話しかけられたポケモンはエーフィ、ブラッキー、似た者同士というより、もともと一つの個体が異なる形で進化したというポケモンですね……」
「元のルーツが一緒のポケモンか……なんかの偶然ならいいんだけどな」
 ニッキはどうでしょうと苦い笑いを飲み下した。偶然か、それとも必然か、どちらにしても縁起のいいものではないと溜息をもらした。
「そういう各々は、彼女が起きたらにしましょう。金縛りで縛っておけば、たぶん大丈夫――の、はず」
「なんか曖昧な見積もりだな、念のためにどく状態にでもしておくか?」
「極限状態まで拘束する必要はありそうですね、暴れられたら元も子もない」
 何かひと段落ついたような、まだ何かが起こりそうな、そんな気分だといえるはずもなく、この奇妙な襲撃を起こした犯人を、ニッキは縛り始めた。


**おしょう、そのこころ [#pc1d3cf5]


 彼女はいつも、周りに気を配っていた。必ずと言っていいほどに自分の行動は押さえこみ、他人を優先していた。石に蹴躓いたとき、周りが先に行ってしまっても、彼女だけはいつも残ってその蹴躓いたものを介抱していた。それだけ周囲に気を配っても、見返りを求めることなどなく、彼女はいつも自分の仕事だからと、そんな風に使命感のようなものを感じていた。けして気取ったような形ではなく、それは自然と形成されたもののようにも感じることができた。それがどういうものになるのか、何に変化し、最後にどう落ち着くのか、それは分からなかったが、今こうしていれば、きっと何かあるかもしれないと、心のどこかで彼女は信じていた。
 そんな時だった。彼がやってきた。その後に、彼女もやってきた。彼と彼女と、そしてその気配りのできる彼女の三人はいつも一緒だった。それが当たり前のように感じると気が過ぎていった時に、唐突に彼はこの世を去った。彼女もまた、彼の後を追うように姿を消してしまった。気配りのできる彼女は一人残され、重い病気を患った。回復した今も、結局彼女は気配りというものに縛られて、自分の重い物を、苦しい物を吐き出すことができないまま、大きな仕事を授かった。本当に成功するかどうかも分からないのに、顔も声も何もかも知らない者たちが大勢いる中に、彼女は放り込まれた。
 それがどれだけ難しいことなのか、個性に溢れたその存在を纏め上げるリーダーになって、彼女は何を得ることができたのか、気配りをし続けて、彼女は何を得られたのか。周りにばかり気を配り、心配されることすらも嫌った彼女は、一人だけ心の許せる存在を亡くし、世界から切り離された異生物のような存在になり果てていた。口先で仲間だ、大切だと言っていた彼女は、心の底では結局、その彼を亡くした日から何も変わってはないなかったのだと、改めて心の中で思ってしまった。
 そんな自分の心を汲み取れることもなく、好き勝手に振舞う仲間たち、その存在が羨ましくもあり、妬ましくもあった。彼女はそんな存在になりたいと普段から思っていたのかもしれない、しかし結局それは叶わなかった。自分から動こうともせず、他人を持ち上げることばかりを優先した彼女の心は深く深くまで沈んでしまい、掬い上げることもできなかった。そんな彼女は結局何がしたかったのか、自分がなぜこんな場所にいるのか、そもそもなぜこんなところまで行こうとしたのか。それを思い続けた結果、一つの結論に至った。
 結局自分は他人に流されるままに動きまわり、他人を持ち上げることで自分の存在を示したいだけなのかも知れないと。そんな結論に至った時に、心が痛んだ。結局自分を見てくれる人がいないから、自分はそんな存在となり、そんな存在になるのは自分がもっとしっかりしていないからだと自己嫌悪に入った。彼女の存在は他者を持ち上げる存在。そしてその他者に埋もれて、自分のことをもっと見てほしいと願うような、そんな受け身の言葉や意見を待ち望む籠の中の鳥のような存在だった。
 そんなときに彼女をよく知るものが、一人現れた。彼と彼女と一緒にいたときにもう一人ひょっこりと現れた。彼女の知り合いだと言い、笑っていたが、その彼女は怪訝な顔をしていたような気がした。その中でもっとも、彼女の気配りにありがとうと言って笑い、そして彼女のことを気のきくいい子だと笑った。そんな存在が初めて現れて、その時の彼女は舞い上がった。その彼女はとても優しく、とても聡明だった。何かを聞くとすぐに答えてくれた。物知りな人だという印象があるとともに、どこか薄暗い、夜の湖の底のような不気味さを湛えていた。そんな表情が垣間見えるときは、彼がいつも口にして、いつかは行きたいと言っていた場所を口に出し、そこはどこにあるのかと尋ねると、彼女は眥を大きく見開いて、そのあとに薄く口の端を釣り上げるだけだった。続く言葉は、私にも分からないことがあるんだよ。と、それだけだった。そんな彼女もまた、二人の後から消えるように自分の姿を消していってしまった。その彼女が現れたとき、気配りが得意な彼女は仲間を追いやって、一人で物思いに耽っていた時だった。考えることは自分のこと、他人のこと、そしてこれから先の未来のことを、考えようとしたときに、彼女は音もなく気配りの得意な彼女に近寄った。何をしに来たのかと尋ねると、今までのことを調べていたと、自分達が別れてしまった原因が、分かったかもしれないと、妖しく、笑いながらそう言った。何か一つ違うものを感じていたが、彼女はそう言って幼いころ、気配りのできるな彼女の背中の傷をゆっくりと取り払ったのだった。その中で、浅く、滑りを帯びたような肉体関係を少しだけ持った。久しぶりの再会を楽しもうという純粋な心の中に、少しだけ色欲に塗れたような感触を覚えて、それを受けた気配りのできる彼女は――喘いだ。
 ひとしきりの熱烈な再開と関係を楽しんだ後に、どこか気の抜けた彼女をゆすり、クックと笑いながら、訪問者である彼女は笑った。昔のように曇りのない顔で笑い、貴方はいつでもその気持ちが変わらないから、私は好きよ。と笑ってくれた。そんなことを言いに来たのではないのに、なぜかはぐらかす彼女の思考が、ぼんやりとしていて汲み取れなかった。他者を持ち上げることくらいしかできない自分なのにと、彼女は少しだけ不安になった。本題を控えめに聞こうとすると、彼女は少しだけ眉根を寄せて、何か云い渋るような顔をした。それはまるで、言うと何かが崩壊してしまうというような感覚だった。
 そんな彼女から告げられた真実はあまりにも突拍子で、信じられなかった。彼がこの世を去った理由は、実は彼を貶めた者がいて、それがいつも一緒にいた彼女なのだと、それをじかに聞くと、ぼんやりした彼女の心もすっかりと冷めてしまい。そんなことあるわけがないと、瞬時に否定するような言葉を吐き出した。それでも本当のことだと、彼女は笑って言った。妖しくつり上がった口から漏れる言葉は、本当のように聞こえて、気配りのできる彼女を混乱させた。それが本当だとしたのならば、自分が今まで思い続けてきた日常の情景というのは何だったのか、今までありのままを見つめてきた思い出の中とは何だったのか、彼女には何もかもが分からなくなり、頭を抱えて混乱し、錯乱した。そんな彼女を窘めるように抱きしめた後、彼女は耳元で囁いた。
 君のことを分かっているのは私だけ、だから私の言うことが一番正しいから、君は私の言うとおりに、私の願うように行動してくれればいいの。それだけで、またいつもの日常に戻れるんだから、泣くことも笑うことも、感情を抑えて生きていく苦しい毎日ももうお終い。君はいつも通りに起きて、いつも通りに仕事をして、いつも通りに過ごす、ただの存在となれる。だからこそ、――を殺して、貶められた彼の魂を救ってあげましょう。可哀想な彼、そして君もとても可哀想、そんな奴に踊らされる時間も、日常も、そして君のことを何も分かってもあげられない君の仲間達も、みんなみんなぐちゃぐちゃにして、彼の憂いを断ってあげましょう。そうすれば、きっと彼も、浮かばれるんだよ。
 その言葉の本質はよく分からなかったが、気配りのできる彼女は、やはり自分のことを見てくれる存在はこの人だけだと、信じて疑わなかったのでした。そしてその言葉を信じて、彼女とともに動きだしました。彼を貶めた彼女を、その姿を剥ぎ取り、本当の姿を晒し、そして懺悔させるように、そして迷い縛られた彼の魂を解き放つために、彼女は何の迷いも後悔もなく、その彼を痛めつけました。土煙が舞い上がることも、水飛沫が吹きあがることも、彼女にとっては迷いを断ち切る、何か神々しいもののようなものにしか見えませんでした。そして遠目から見る彼女と、もう一人いた彼は、知り合いだから、攻撃しないでほしいと彼女に言われました。気配りのできる彼女は頷くと、さらに痛めつけようとしたその時に、自分が纏め上げてきた、纏め上げたと錯覚していたその気楽で何も考えず、自分の苦労を分かりもしない存在が、彼女の前に立ち塞がりました。彼女は振り上げたものを一瞬だけ止めました。そうすると耳に彼女の声が囁きかけるのでした。こいつらも敵なんだ、彼の迷いを断ち切ることを止めようとする悪い奴なんだ、仲間だ友達だと甘言で君を騙して。結局は自分達のことしか考えない愚かな存在だ。それを確認すると、躊躇することなく、何の迷いも持つことなく、彼女は思い切り痛めつける行為を再開しました
「皆皆……死んでしまえ」
 彼女にとって、もうほかの人の言葉はどうでもよかった。ただ一人の存在を解放するために、その邪魔をする者達を痛めつけて、迷い、留まっているその存在を助けるために、彼女は強く強く思う。助けたいと、開放したいと。ただそれだけで、他が如何なっても、彼女には如何でもよかった。
「やめろ、おしょうさん」
 その言葉を聞くたびに、邪魔をする、邪魔をすると彼女は呟いた。いつもいつも好き勝手に振舞っておきながら、いざとなると自分を非難する。その口が、その言葉が、やめろという言葉も、そうやって止めようとするその姿も何もかもが気に入らなかった。苛立ちが蓄積して、鬱陶しい奴だとはねのける。数人がかりで非難を浴びせるその存在が気にくわなかった。今までここまで来れたことに感謝の言葉も、迷惑をかけたことへの謝罪も彼らは口にしなかった。ただやめろと、こんなことをしても何の意味もないと高々に喋るだけだった。訴えを聞くこともせずに、彼女はさらに痛めつけようとする。
「こんなことするの、おしょうさんじゃないよ」
 その言葉にも、鬱積するものがあった。彼女は舌打ちをして、悪態を溢す。世間を呪う忌みごとのような言葉が漏れるのも気にしなかった。結局は彼らも、非難して彼女が然も悪いものだとばかりに否定することしか考えていないのだと、彼女はますます耳を閉ざした。そのままさらに痛めつける。その行動を止めようと、数人がかりで、前に立ち塞がり、彼女に敵意と軽蔑の視線を送り付けた。
「おしょうさん、ニップを傷つけようとするのなら、僕達が相手になるよ」
 上等だ。彼女はそう思った。今まで何を考えていたのかが、その行動でよくわかった。結局祀り上げたところで掌を返したように敵対し、あからさまな揶揄を、避難をぶつけてくるだけだったのだと、彼女は確信した。結局誰も、自分の心を分かってくれる存在なんていやしないのだと、歯を打ち鳴らして交戦の意を示した。その姿に驚きと憐憫の情が混ざったが、彼女はもう何も気にしてはしなかった。
「結局そうじゃないか、皆そうじゃないか。私のことを頼れるリーダーなんて思ったことが一度でもあったのか、皆好き勝手に振舞って、旅を続けていただけじゃないか、私の話をおざなりに聞き入れたふりをして、結局みんな分かってくれたことなんて一度もなかったじゃないか。どうせいるだけの存在だって、結局持ち上げてもそんな風に避難するだけじゃないか、結局誰も私のことを見てくれないじゃないか。ニップも、トリガラさんも、ガーリックも、ハッカクも、アスパラ君も、皆仲間なんかじゃない、敵だ、私の敵だ、皆皆皆……どいつもこいつも皆私の敵なんだ。皆皆死んでしまえ。首を切り落として、骨を砕いて――それでバルカンは――バルカン・レッドスワローは救われるんだ」


**ころろ、そのこころ [#k183b548]


 ころろ・たくわんは、カウンセラーとして、おしょうと一緒にいた時期があった。彼女の心はおしょうのすさんだ心を立ち直らせるという役割を担っている反面、なぜこうにまでなってしまったのかという部分を探り、そこに興味を持つことも入っていた。けして邪なことを考えるのではなく、そうなってしまった経緯を探らなければ、人の心の奥底になど入っていけないからだった。
 暗闇の中でもがく心を救うには、同じように心の中に入り込んで、人の深層を覗かなければいけない。それがどれだけ悪いことか、彼女は理解していたし、理解しているからこそ、彼女はその力を最大限に使って、おしょうを治そうと奮起した。
「おしょうさん、ころろはおしょうさんのことを、治してあげるためにやってきたんだよ」
 初めに呼ばれた時は何事かと思っていたが、見慣れた屋根や丘の上に立つギルドの看板を見て、ここにまた帰って来たのかという感慨が深い半面、またここに来てしまったという思いが過る。なぜこうにもこの地方のポケモン達は精神に異常を抱えるのだろうかということに対して疑問も持ったが、恐らく確率の問題だろうと結論を切り捨てた。それでもやはり、確率にしても多いなと笑う。
 それに、今回はギルドのポケモンではないと笑った。以前からギルドのポケモン達が精神に異常なものを抱えるのは、度重なる疲労やストレス性のものだったが、今回はことが重大の様な感覚を肌で感じ取った。下の村に足を運び、人だかりをかき分けて、カウンセラーだと伝えると、村人たちは救世主が来たというような顔をした。そしてその問題の患者は、人に囲まれて、何もかもを捨てた様な眼を、だれにも向けず、虚空を眺めていた。
 最初に見たときに、ころろは眥が裂けるほどに、疲弊して残りの命すらも燃やしてしまいそうなおしょうを見た。これは何があった、これは何が起こった。どんな状況でこうなってしまったんだ。それを探らなければいけない、そして彼女をさなければいけない。
 ほとんど本能のように、ころろはおしょうにすり寄った。おしょうは体を反応せずに、濁って焦点が合わないような瞳だけをぎょろ、と動かした。ころろは、その一瞥に背筋に寒いものが走るのを感じた。
(この人は、重症だ)心がそう感じた。ころろは棘の殻にこもった人物と接した時も、こんな感じだと思いだしていたが、彼女の心はそれ以上だった。棘の壁で囲み、その中で、深い沼の奥底に、一人沈澱していた。(誰も信じられない、誰も助けてくれない)そこから救おうにも、だれも何もできず、ただただ傍観者に徹している部分が、彼女を余計に沼の底に落としている。(この人は――泣いてる)
 しばらくお互いに見つめ合っていた。彼女は見下ろし、ころろは見上げる。体格差というものにこれほど圧倒されるものを感じるとは、と思う前に、おしょうが、乾いた唇をかさかさと動かし、何か呻く様な呟きを洩らした。ころろを呼んだ者達には何を言っているのか聞こえず、またこれだ、と諸手を挙げて困ったような顔をしていた。
――お前も、私のことを貶めるのか。
 はっきりとそう聞こえた様な気がした。彼女の周りは全て敵だと、その一言で彼女の心が何を思い、そんなことを言っているのかが、何となく理解できた。ころろは、暫く躊躇してから、結局彼女の言葉に返す言葉を選んだ。
「おしょうさん、だったかな、君は府抜けだ。府抜けを陥れて、弄ぶ様な甲斐性をころろは持ち合わせてない。それに、君ところろは初対面だ。ころろは、おしょうさんのことを何も知らない」
 聞こえた、ということに驚いたのか、遠回しな揶揄に眉根を寄せたのか、おしょうの体が、一瞬だけ震えた。何に震えたのか分からなかったが、ころろはなんとなしに、触れあうことはできたのだろうかと半信半疑に言葉を続けた。
「君は病気でも何でもない、自分から病気になろうとしているだけ、何もかもを放棄して、このまま死んでしまいたいだけ。それを最も手っ取り早く行いたかったら、食べ物を食べずに、ただただ待てばいいだけだものね。最も効果的で、最も見る者を悲劇的に見せる死に方だ。それでいいと思っているからこそ、君は逃げているんだよ。ころろの言葉から、君自身の言葉から、人生から、友達から――」
「お前に……何が分かる……」
「分からないよ、何もね」
 おしょうの口が動いて、呪うような言葉を吐いた。まだ棘だらけだが、触れることに変わりはないと、ころろは少し安心した。まだ完全に、体も心も死んでいなかった。それはそれでよかったと、ほっとした。立ち直らせるには、時間が必要だった。時間だけで、よかった。
「分からないなら」
「分からないなら、おしょうさんが分からせてくれればいい、ころろは、おしょうさんを助けるためにここに来た。おしょうさんは、ころろといつも一緒にいればいい」
 それが彼女の最善の言葉の誘導だった。自分のことを分かってほしいなら、話せ、私はいつでもここにいると、ころろはそういった。おしょうはただ何も言わず、疑念と、深い疑惑の目をころろに寄せるだけだった。座っていた椅子がぎしりと軋んで、口の端が少しだけつり上がった。
――おもしろい。
 確かにそういった。黒い毛に覆われた、ころろを、やせ細った両腕で抱き上げると、ゆっくりと膝の上にのせた。骨と皮の感触が自分の体毛を通して伝わってくる、どうしてこんなになってしまったんだろうと、深い憐憫が漂った。そんな視線を受けても、おしょうは何も考えることなく、ただただこう言った。
「見せてみろ」
「いわれなくても、ころろは見せてあげるよ」


 話をして、言葉を聞く半面に、食事を取らせてみると、食べた物を吐き出してしまうというもう一つの問題を発見したのは、暫くたってからだった。拒食症という言葉がぐるりところろの頭の中を一周して、どうしてそうなってしまったのかを知らなければいけないと思い、ハッカク・ノレンの部屋を訪ねた。
 ハッカクところろは直接的な認識はなかったが、彼女のことを気にかけていたという部分で、お互いに名前を知りあい、協力することを約束した存在だった。その時のころろは、おしょうさんのことを詳しく聞くためにハッカクにいろいろなことを聞いていたような気がした。話をしているとハッカクは自分には何かできないかと何度も何度も、ころろに問いかけたが、ころろという存在はひどく自分の仕事に横槍を刺されることをよしとしていなかった。悪意でも善意でもとにかく、ころろは人の心の中に入る時に、他人と一緒に入ることをひどく嫌っていた。他のことは莫迦に手伝うことをよしとするのに、しかし、深層の対話だけは、どうしても誰かと一緒ということができなかった。
「ありがとう、ハッカク。ころろはとても嬉しい。だけどね、ハッカクができることは、彼女にずっと傍にいてあげること。それだけ、それ以上は、何もしないで。そこから先は、ころろの仕事」
 そういうと、ハッカクはいつも顔を顰める。毎回のように同じことを聞いて、何度も同じ言葉を返されるたびに、そんな顔をする彼を、ころろは何か奇妙な感覚で見ていた。まるで、自分は思っている以上におしょうを助けられる存在だと、どこからか主張しているようにも思えた。そのことはころろよりも、主張する本人の方が分かっているようだった。顔を顰めた後に、すぐにはっとして、ごめん、分かった等の言葉を名残惜しそうに吐き出して。いつも後ろ髪を引かれる思いで、何か未練の残るような足取りで踵を返す。自分が役に立てないと思っている節が強いようで、ころろはいつか謝らなければ、と彼にも憐憫の視線を送っていた。
「ごめんね、ハッカク、君の気持はとっても嬉しい。ころろは、いつでも君を頼りにするよ」
 決まり文句はいつもそれだった。彼の去り際に、そんなことを言って大丈夫なのだろうか、という気持ちも少しはあったが。何も言わず、ただ帰れと押し返すよりは幾分かましな、気休めの様な言葉だったが。それを聞くとハッカクはいつも自嘲気味に笑うだけだった。それは自分の出すぎた行動を恥じるような、それでいて自分の主張は間違っていないとなおも言い正すような、そんな複雑なものが混じり合った笑みだった。
「君がそういう仕事をやっているからこそ、僕という愚かな存在が、手前勝手に何をしても、意味がない。君という存在を、君から贈られる憐憫の眼差しを、ありがたく頂戴するばかりかもしれないね」
 その時は、去り際にそんなことを言っていた。彼はもしかしたら、自分自身の心持を分かっているのかもしれなかった。自分がそういう役割を担っているわけではないと。そう言って、ころろという出しゃばった存在が、おしょうを好き勝手に触れあうことをよしとしないという子どもの様な独占と、それに対して何とも思っていないころろの澄んだ水のような思いと、世にも素晴らしいころろの仕事を、憎むよりは賛美をしなければいけないということ。その全てを理解しているからこそ、そう言ったのかもしれなかった。逆に、それを言われたころろは、もう後戻りができなかった。彼の思いがどう行き着くは分からないが、少なくとも目的の点で一致している分、一日でも早く、彼女の容体をもとに、それ以上に直さなければいけないという、理不尽な焦燥感に駆られた。それはどちらかというと、彼の言葉ではなく、自分ののろのろとした行動に対して叱咤激励し、尻を叩くような勢いだった。
「おしょうさん。ころろだよ」
「ころろ?どうぞ」
 時間がたたないうちに、彼女はしゃべることができるようになったのは、やはり傷が深くても、まだ突き放される前だったということが幸いしたのかもしれなかった。ころろはそこにだけは感謝をして、本当によかったと思い、ドアをゆっくりとあけた。おしょうは相変わらず、骨と皮だけのぼろぼろの体だったが、最初に会った時よりも、幾分かは回復しているようにもみえた。ハッカクから聞いた話を思い出しながら、改めて遠目から見るように、おしょうのぼろぼろになった体を見た。
――拒食症。
 その言葉がもう一度頭の中を通り過ぎた。確かにそれ以外にほかの病を連想させるような症状は見受けられなかった。しかし、この状態が続けばいずれはほかの病も患うかもしれないと、ころろは嫌なものを想像して、少しだけ吐き気を催した。
「おしょうさん、今日は気分がいいかい?」
「ちょっとだけ」
「それはよかった。ころろは、君が元気なことが、とても嬉しい」
「そうですか」
「おしょうさん、今日はご飯を食べたかな」
「私は、今日が晴れでよかったと思いました」
「何を食べたかな」
「本当にいい天気で、こういう日は、少しだけ、気分がいいです」
(ダメか)ころろは心の中で小さく唸る。彼女は食事というものに対して、自分から意図的に遠ざけるような姿勢しか見せなかった。(よほど食事のことを考えたくないんだろう)ころろはどうしたものかと首を捻る。この状態から彼女に食事を食べる気にさせるのは、ほとんど不可能に近いものを感じた。しかしそれでもやらなければいけないと、ハッカクの深い瞳を思い出して、気を取り直した。
「おしょうさん、ころろは知ってるよ。おしょうさんがどうして食べ物を食べなくなってしまったのか」
「……っ」
 おしょうが小さく唸った。ここに来る途中に、人々の意見をたくさん耳に入れたころろは、おしょうの拒食症がなぜ起こってしまったのかという話題が飛び交う言葉などにも耳を貸したが、一番信憑性のある。ハッカクの一言だけを信じることにした。事実はいつでも原因の身近なものにこそ待っているという思いが、ますますそれを連想させた。
「大丈夫、ころろは口外しないよ。おしょうさんは、とっても辛い思いをしたんだもの。毒を食べちゃったんだよね、おしょうさんは」
「……私は」
「ころろは、怖い思いをしたおしょうさんを、ずっとずっと癒してあげたい。君がちゃんと、自分で道を進んで、自分で歩き続けるようにしてあげたい。それを、ハッカクだって願っていたよ」
「……ハッカクが」
 おしょうの垂れた耳がぴくり、と動いた。ハッカクのことを考えているのか、少しだけ瞳が外を向いているような、そのくらい微々たる動きを見せた。
「嫌なことも、いつかは乗り越えなければいけない時が来る。忘れろとは言わない。だけど、心配してくれる人がいて、君はそれを振り切って――何もかもを放棄するのかい」
「心配してくれる人……」
 おしょうのその瞳には、何が映っていたのか、それはころろには分からなかった。
「ころろも、おしょうさんが元気になって、幸せになることを心から祈ってるんだ。だってころろは、君のその姿を見るために、ここに来たんだもの」
「……」
 おしょうは沈黙し、じっところろを見下ろした。ころろの言葉の真意を探り、嘘か本当かを見極めているような、まだ何かを疑うような視線を向けていた。そうそう信じてくれるはずもないかと、ころろは小さく息を吐いた。
「カウンセラーの仕事は、患者さんの笑顔を見る事だ。ころろは、おしょうさんのその張り付いた辛い顔を剥がして、明るくて、幸せな素顔を、君の本当の顔を見る事……それが、ころろの仕事なんだ」
 くっ、吐息が漏れるような音がした。椅子が軋んで、がたりと揺れる。木目の窓がびりびりと揺れたのは、おしょうが強く木枠のふちを叩いたのだと理解した。ころろは眥を見開いて、じっとりとねめつける様な、獣のそれを目の当たりにして、背筋が凍りついた。
「嘘吐きめ……」
 黒く、底冷えするような低い唸りが、ころろの心臓を鷲掴みにした。潰れた様な吐息が漏れて、ころろは無意識に半歩ほど下がった。それは彼女の中に眠っている、何か黒いものが大きくなっているような、押さえつけていたものが大きくなっていっているような――
「お前の言葉は本物かもしれない、だが姿形は何だ、嘘だらけじゃないか。噓の幻影で塗り固めた奴の言葉なんて、信じられるものか」
 ころろは、息が止まるような思いだった。患者の中で、自分の本当の姿に気がつくものなど、見たことがなかったからだったのかもしれない。見破られた。という感覚よりも、嘘だらけだ、という言葉に、胸を抉られた。
 カウンセラーという職業についたときに、自分の本当の姿を、晒したくはなかった。こんな奴が、こんな子供が、そんな風に思われたくなかった。彼女の心の内を見透かすように、おしょうは一言で、彼女の存在を否定した。嘘つきという言葉が、彼女のその存在を、ずんばらりんと切り捨てた。
「莫迦にするな、気がつかないと思っていたのか」おしょうの言葉は、刺し貫くような鋭さを持っていた。「お前が本当にそうなりたいと望むのなら、その姿を曝してみろ。何が願うだ、私は、そんな言葉信じられない。願った結果、大切なものなんて無くなった。信じた結果、大事なものは両手を離れた。消えないように、取られないように、私が支配した方が――ずっとずっとましじゃないか」彼女の言葉は、これから記すべき悪事の供述のようだった。まるで、これから先は、こんなことをして、人を掌握するんだと。そんな風に聞こえて、ころろは瞬間的な吐き気を催した。
(――支配欲)
 彼女の心に眠っていたものを、垣間見た様な気がした。ころろはこれ以上聞かないようにと、大きく声を出し、言葉を遮った。
「分かった。ころろの負けだ」
「――っ」
「ころろのこの姿は確かに、幻。霧より浅く、靄より狭い、手で振り払えば消える、ただの幻想。だけど、騙していたわけじゃないんだ――ころろは――ころろは――」
「なんだ?」
「……性機能不全……成長機能不全……ころろは、欠陥品。生き物の、欠陥品だよ」
 おしょうの双眸が、大きく見開いた。黒い霧がもやりと立ちこめ、ゆっくりとその姿があらわになる。その姿を見たおしょうは、ずっと想像と違っていたその姿を見て、あっ、と声を出した。
 小さく、弱く、儚げなその姿、黒い毛に覆われた、小さな小さな姿形をしたそれは、弱く笑い、小さく首を垂れた。
「ちいさい……ころろは、ちいさいでしょ。ころろ、成長機能不全。進化できない」
「……」
 おしょうは、言葉を失った。噓を剥がす言葉を剣に切り裂き、槍にして突き刺し、その嘘を剥がした姿。何かに抓まれたように、呆然となる。おしょうの想像とはまるで違っていたその姿を見て、今度は、おしょうが無意識に立ち上がっていた。椅子が倒れて、乾いた音が響き渡る。
「おしょうさん……ころろは、けして自分の姿が情けないから、姿形を変えていたんじゃないんだ。成長機能不全、うん、聞けば同情を誘うようなまあ何とも都合のいい病気じゃないかな。でもねおしょうさん、違うんだ。ころろが姿を変えるのは、けして自分の醜いそれを包み隠すためじゃない。ころろは自分の体がどんな風になってるのかはよく分かってるから、逆なんだ。この体じゃ、他人と接するときに、不安を与えてしまうから、ころろは姿を変える。患者さんも、こんな乳離れしてないころろの姿を見たら、きっと不安や侮りを抱くから。「こいつで大丈夫か」「こんな奴ができるわけがない」最初の患者さんはそのせいで、命の炎が消えたの」
「……」
 ころろは喋り憑かれたのか、少し咳こむと、息を吸いなおして、言葉を紡ぎ直す。
「おしょうさんには嘘だらけの姿だと思われるかもしれない。けれどもね。ころろはこの噓を纏った姿じゃないと、他人を救えないほど、体が満足に成長してくれないの。嘘という外套で自分を覆わないと――誰かを救うことすらできない」
 ころろはそう言って、自嘲気味に笑った。おしょうは、その未成熟な肉体を何度も何度も視線で舐めまわすかのように見て、目ばかりをパチパチと瞬かせて、可哀想という想いよりも、すまないことを言ったという謝罪よりも先に、彼女の心の中に眠る忌わしさ、惨めさ、悲しさを、自分のそれと天秤にかけ、思案するようにまた、目をパチパチと瞬かせる。彼女の寂しそうな笑顔は、悔しさや悲しさの中に、幾分がセンシュアルな部分も混ざっており、そんな風に感じられる彼女のその本当の姿が、ぞっとするくらい恐ろしく魅力的だった。
「誰かを救いたくてこの仕事をしているころろは、けして自分のような悲しい人を増やしたくないから、とか、そういうくだらない正義感でこの仕事をしているわけじゃないの。ころろは、自分の持っているものを一番大きく使える、ころろのこの姿でできることが、この仕事。以前ころろの恩師は教えてくれた。ころろは人のセンチメンタルな部分を敏感に感じ取って、それを癒してあげられる、他にはない特別なものを持っているって。だからころろは、それをもっともっと磨いて、誰かのために使いたいって思った。この姿ではどうしようもなくても、自分の力を正しいことに使えば、きっとできるかもって」
「ころろ……」
「安い正義かもしれない、そんな風に思われるかもしれない。だけどころろは、それでいくつも救ってきたから、少なくとも、ころろが間違ったことをしているとは思わない。おしょうさんには、ころろの姿は嘘だらけって思われちゃったけど。それも否定しない。ころろ、おしょうさんには、本当の姿で話すよ、だからおしょうさんも、ころろを信じて――おしょうさんの本当の姿に、戻ってほしいな」
 憂いを含んだその双眸を捉えて、おしょうは息をのんだ。自分自身にビアンの気がないと思っていたとしても、これはたくさんの滑った欲望を引き寄せるその姿に相違ないだろうと、おしょうはやはりころろのその姿は、何か間違ったものを引き寄せるのに十分な魅力を感じているんだろうと思った。彼女が性機能不全だということは、もしかしたら近い未来に、彼女はビアンに走るのではないかと背筋に寒いものが走り抜けた。
「だめ……かな?」
「……本当のころろを見れたから……私も、ころろを信じてみます」
 ころろの瞳がパッと明るくなり、良かったと笑う。しかし、その姿すらも、何か扇情的なものに見えてしまうことが、おしょうは心に引っ掛かった。


 おしょうところろは、たくさんの話をした。自分のこと、誰かのこと、友達のことや、今まで生きてきたことで楽しかったこと、悲しかったこと。その中で、おしょうが自ら毒を食らい、そして毒で友人を失ったこと。そしてそのせいで食べるということに離れがちになってしまったこと。食べるということ自体に恐怖を感じてしまったこと。それを避けていたら、いつの間にか胃が縮小し、食事を受け付けなくなってしまったこと。一か月という時間で、彼女の容体が元に戻るに至ったのは、ころろは奇跡だと思った。それは誰でもない。おしょう自身が、おしょうを待ってくれている誰かのために、まだ生きなければいけないという思いを持ってくれたこと。食事をとることに抵抗をなくすために、ころろは何度も食べることの素晴らしさや、命を繋ぐことの尊さを教えた。おしょうの心の底に眠っている。元来の食べることが大好きだったという思いは、燻りから燃え始め、ころろの言葉が薪となり、食事を取り出したことも手伝い、すぐに回復できた。いつの間にか、おしょうはころろの言葉を心待ちにし、ころろもまた、おしょうに話すことを目的として、妙な依存関係になっていた。
「――お別れ?」
「おしょうさんは、もう一人でも大丈夫。ころろは、また新しい患者さんのために、行かなくちゃいけない」
「……そうですね。ころろは、それが仕事ですものね」
 行かないでくれとも、一緒にいるという約束を破ったとも、おしょうは思わなかった。来るべき時がきて、ころろは去っていくという思いを、ずっと持っていたからこそ、なにも未練がましく尾を引くような言葉を掛けなかった。他人に気を使う、彼女の優しい性格が完全に表に出るほどに回復したことが、ころろは一番自分がやり遂げたことだと、ほっと胸をなでおろした。
「もう、行くの?」
「うん、この後すぐに、お仕事が待っている。ころろは、おしょうさんのことは忘れないよ。大切な友達だから」
「ええ、私も忘れません。――大切な友達だから」
 おしょうのその言葉は、一瞬だけ濁り、躊躇した。ころろは最後の最後に、その引っ掛かりを感じ、自分の正体を嘘だらけだと貫いたときの、彼女の獣のような欲望を思い出し、身震いをした。村から去って、少し歩いた道すがら、それだけが最後の心残りだった。
(おしょうさんは、またきっと何か、悪いことになってしまいそうな、そんな気がする)ころろは、完治したとはいいがたい引っ掛かりを残したまま、新たに苦しんでいる患者のことを考えることが、どうしても疑問に残ってしまっていた。道を歩きながら、また噓の外套で体を覆い、黒い靄が尾を引く様に、その姿を覆いかぶせる。姿形を包み隠したのは、前方に人が見えたからかもしれなかった。
「すみません。イッシュ支部のギルドは、こっちで合っていますか?」
 前方に見えた。紫色の塊の、その姿がはっきりと映り込み、ころろはその姿を見上げる形で見つめていた。
「ええ、問題ないと思います」
「そうですか、ありがとうございます。……ころろさん、彼女の容体はどうでした?」
「――貴方は……?」
「電話口で、貴方に彼女のことを頼んだものですよ」
 そう言われて、ああ、と思い出した。確かにこの声は、おしょうのことを頼んだ人の声に相違ないと、ころろは思い直した。
 おしょうのことを知ったのは、その一つの電話が始まりだった。電話越しの相手は詳細を伝えることもなく、ただ、そこで命が尽きかけようとしているものがいると、助けてあげて欲しいと、嫌に逼迫したような声で話していた。何かの焦りがあったのか、それとも、その患者に対してその声の主は何か後ろめたいことでもしてしまったのか、ころろは考えを張り巡らせながら、分かりましたと承諾した。イッシュ支部のギルドに向かったのは、これで何度目だろうと思いながら、不思議な縁に引かれるような感覚で、そこで仕事をした。そして、声の主は、整った顔立ちと、魅力的な体つきをしていたが。牡なのか牝なのか、微妙に分かりかねた。
「おしょうさんの容体は、どうでした?」
「大丈夫です。――けど」
「けど?」依頼主は、訝しげな顔をした。何か不安を感じているのか、心の不安定な部分が少しだけ見えるような感覚がした。「……もしかしたら、近い未来に、彼女は彼女の周りの大切な人達を、傷つけるかもしれない……そんな気がします」ころろの言葉に、依頼主は、口を引き結んで、唾を飲み下した。数回瞬いて、息を静かに吸い込んだ。「そんなこと、僕がさせない。今度こそ、僕は彼女を、守って見せるさ」
「お知り合い?」
「大切な、友達だよ」
「そうですか……お名前、聞かせてもらってもよろしいですか?」
「……ニップ、ニップ・シャドーホップ」
「ニップさん」ころろは、ニップの何か一つ強いものを持った決意を見て、静かに息を吐いた。「おしょうさんはきっと、支えのよりどころがなくなれば、たくさんの人を不幸にしてしまうかもしれません。ころろは、それだけが心残りでした……もし、本当に貴方がおしょうさんの友達なら――彼女の支えになってあげてください」
「わかったよ。ありがとう、ころろさん」
「はい、それでは」
 ニップはそのまままた行く道に体を向けて、どこか急き立てられるように、その道を急いだ。ころろは、もしかしたら、また彼女は何か恐ろしい出来事を引き起こすのではないかと。何度も何度も、後ろ髪を引かれる思いで、その場所を見た。


 暫くして仕事を終えた彼女は、また新しい仕事を求めて、船に乗ろうとハニータウンにやってきた。しばらく滞在して、船出の時を待っていた時、その出来事は何の前触れもなく起こった。野次の人だかりをかき分け、その姿を見る。間違いなく彼女で、間違いなくニップだった。近い未来に起こった出来事は、ころろの双眸にしっかりと焼き付いた。
(起こってしまった……)ころろは強い後悔を心に抱いた。もっとちゃんと彼女のことを見て、彼女のことを知っていれば、こんなことにはならなかったのではないのかと、自分の思いの弱さが、助けられなかったんだという後悔が、彼女の背中を打ち付けた。(ころろは、おしょうさんを助けなくちゃ)嘘の姿を刺し貫き、本当の姿で彼女の心と触れ合っても、彼女の強い強い押さえこんだものを、全て知ることができなかった。彼女の一片に触れて、どうしようもないものを感じ取り、抑え込むことを良しとした自分の弱さを、今ここで清算しなければと。ころろは自分の幻影を剥がし、おしょうの前に立ちふさがった。
「おしょうさん」
「……ころろ」
 おしょうの動きが止まった。ころろは、こんな形で、こんな姿で、彼女を見たくなかったという思い、彼女と再会したくなかったという後悔を、抑え込んだ。「会いに来たよ、おしょうさん、君を、助けに来た」
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to be なんとか
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IP:180.11.127.121 TIME:"2012-11-23 (金) 16:45:51" REFERER:"http://pokestory.rejec.net/main/index.php?cmd=edit&page=%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%AB-%E3%81%BB%E3%82%93%E3%81%A8%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8%E3%82%92%E8%A8%80%E3%81%84%E3%81%BE%E7%AB%A0%E3%83%BB2-" USER_AGENT:"Mozilla/5.0 (compatible; MSIE 9.0; Windows NT 6.1; WOW64; Trident/5.0)"

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