コミックマーケットC93発表 『筋書き通りのハロー・グッバイ』収録 Writer:[[朱烏]] ---- CENTER: ''&size(30){&color(#ff9393){オ};&color(#ff93c9){ー};&color(#ff93ff){ロ};&color(#c993ff){ラ};&color(#9393ff){の};&color(#93c9ff){君};&color(#93ffff){を};&color(#93ffc9){食};&color(#93ff93){べ};&color(#c9ff93){る};&color(#ffff89){ま};&color(#ffc993){で};};'' LEFT: いわゆる、一目惚れっていうやつだった。 白、桃、紫、水色と流れるような美しいグラデーションが、短い脚から丸みを帯びた尖端へと染め上げられている。岩タイプの硬さをもつはずであろう体を、今にも儚く脆く砕け散りそうなくらいの軟らかさだと錯覚しそうになるのは、その淡い色づきのせいだろう。 「食べたい」 当然、そう思うわけで。ちょうど、彼女は寝ていた。いや、彼かもしれない。美しさや味に性別は関係ない。サニーゴは、雌雄問わず穏やかで攻撃性も低い。 だから僕らの餌食になる。 美麗なグラデーションは不用意なことに、まわりに何もない砂底のど真ん中で眠っていた。天敵の存在を一度でも認識したことのあるアローラのサニーゴならば、岩陰に隠れるとか、珊瑚礁に紛れるとか、賢しい方法で僕らの目をすり抜けるはずなのだが、お構いなしらしい。 がらんどうの空間には水と僕と彼女だけがあって、僕はのそのそと砂底を這いながら目標に近づいていく。今日も水の流れは穏やかで暖かだ。こんな日に美しい餌に出会えるとは、僕はなんと幸運なのだろう。青く透過した陽の光に照らされながら、僕は彼女の頭部から生えた枝を食んだ。 ぱきり。 枝の折れる音がした瞬間、黒い円らな瞳が二つ開いた。 そこからはよく覚えていない。目が覚めたときには僕は仰向けに倒れていて、嗚咽を繰り返す仲間たちに囲まれていた。 お前、どうしてあいつを食べようとしたんだ。死ににいくようなものだぞ。あいつの枝を食べようとして、生きて帰って来られるやつなんてそうそういないんだぞ。 なるほど、あの珍しい色は毒タイプのヒドイデにも効くような強力な毒をもっているというサイン。いわゆる、警戒色というものか。それにしてはひどく艶やかで、むしろヒドイデを惹きつけるようななりをしていた。 とにもかくにも、そんなサニーゴがいたならば、これからはもっと気をつけないと。 なんていうのは思い違いだったようで、よく仲間の話を聞いてみると、僕は物理的に返り討ちにあったようだ。彼女のとげキャノンが僕の体を無残に抉って、パワージェムは僕の頭の棘をすり潰してしまった。そういえば、体が痛い。 「もう、あいつには近づくなよ。他の、普通のサニーゴを食べろ」 僕の介抱のために何匹かが残り、海が夕闇に染まると残った仲間たちも自らの棲みかへと溶暗した。僕はひとりになって、まだずきずきと痛む体を岩陰で竦ませていた。この分なら、仲間がいなくても夜を過ごすのに問題はない。目を閉じて思うのは、昼間の光景。陽が差してその透明度を際立たせる海と、煌めく砂底の間に、陽炎のように佇んでいた淡色の珊瑚。 この世のすべての美しいものを詰め込んだ宝箱の中に、僕は確かにいたのだ。 ふと、口の中の妙な感触に気づいた。まだ、彼女の欠片が残っている。嚙んで見ると、ぱきり、と澄んだ音がした。硬いけど柔らかい。美味しい。まるで彼女の体に描かれたグラデーションのように、噛めば噛むほど味が変わる。 「また食べたいな」 悲しいかな、一目惚れってやつは、理性でどうにかなるものではないのだ。僕は性懲りもなく、彼女に会いに行く計画を企てた。 普段は透き通るような水底も、今は濁っていた。天井は一定のリズムで流れることをやめて、ぱらぱらと空から降り注ぐ水に模様を委ねている。 陽が差さない低コントラストの海中を、のそのそと這っていく。行くあてはあるのかと問われれば、ないのだけれど。一日中歩いていれば、そのうちばったり出会えるかもしれない。会えなかったら、会えるまで何日でも這いずり回ればいい。 しかし残念なことに、僕の野望は早くも潰えた。というのも、一日中歩き回るには相応の体力がいることを考慮していなかった。 広い広いメレメレの海で、効率よくあのサニーゴを探すには――やはり彼女の同族に尋ねるのが一番早い。サニーゴがいる場所は、相場が決まっている。雨が止んで夕陽が差し込んできた。その陽が照らす向こう側の岩場の陰へと這っていく。オレンジ色に縁どられた岩から、見慣れた桃色の枝の先が顔を出している。 岩に登って、サニーゴに上から話しかけた。 「やあ」 「わわっ!?」 逃げようとするサニーゴの目の前に飛び降りて、行く手を塞ぐ。ヒドイデもサニーゴも鈍足だけれど、サニーゴのほうがより鈍い。 「こんにちは。いや、もうこんばんはかな? ともかく、君が置かれている状況はわかってるよね」 「あ、あ……」 僕はまったく理解できないのだが、サニーゴは頭の枝を食べられることをとにかく嫌う。まるで、食べられたらこの世の終わりとでもいうような顔をする。どうせすぐに生えてくる代物なのに、なぜ提供することを拒むのだろう。 「君は僕の晩ご飯に選ばれた。だからその枝をすべて頂く」 「うっ、うぅ……」 なぜ泣く。死ぬわけじゃなかろうに。 「と言いたいところだけど、僕は優しいから、言うことを聞いてくれたら枝の一本、それも先っぽだけで済ませてあげるよ」 「……本当ですか?」 その勘繰ってくるような表情もわからない。嘘をついて僕に何の利があるのだ。 「あるサニーゴの居場所を探している。不思議な色のサニーゴだ。桃色、紫色、水色と、グラデーションがとても美しい。知っているか?」 サニーゴは一瞬体をびくりと震わせて、恐る恐る口を開いた。 「し……知ってますけど……」 「教えてよ。……いや、無理にとは言わない。枝を食べられたいならその意思を尊重する」 触手を二本、振り上げる。 「て、テンカラットヒルとハウオリの間の岩場が棲みかです……」 「本当? 教えてくれてありがとう! でも嘘じゃないよね? 嘘だったら枝だけじゃ済まないよ?」 「嘘じゃないです、本当です! 信じてください……」 また泣き始めた。なぜこうもサニーゴという種族はすぐに泣くのか。鬱陶しいし、もう用はないので約束通り一本の枝の先だけを頂いて、その場を去ることにした。 ようやく目的の岩場の近くまで来れたが、もう夜のとばりは降りていて、月も蒼かったので休むことにした。結局今日口にしたのは泣き虫サニーゴの枝の先っぽだけで、ずっと海底を這っているだけの一日だった。疲れで頭の棘が萎れている。 「ふう」 切り立つ岩に背を預け、一瞬で眠りに落ちた僕は夢を見る。あの澄んだ音が忘れられない。 翌日、海は透き通っていた。視界良好、例のサニーゴを探しに発進する。 いた。彼女は だが、こんな真昼間から近づいても返り討ちにされるのは目に見えている。 改めて見ると、彼女は何から何まで普通のサニーゴと違っていた。体は通常サイズよりも一回り大きくて、枝の形も複雑で意匠性がある。ここまで特異な存在だと、彼女を狙う者は僕だけではないかもしれない。例えば珍しいポケモンと見るや否やモンスターボールとかいう恐ろしい代物を投げつけてくる人間たちが標的にすることだって充分考えられる。 かつて僕たちの群れにいた、ちょっと色が普通とは違っていたヒドイデも、いつの間にやら人間に捕らえられてしまっていたということがあった。 息を潜める。狙うなら、太陽が沈んでから。それまで、決して彼女を見失わないようにしなければ。彼女が這って動く速度はメレメレのゆったりとした海よりも遅い。僕も彼女に気づかれない程度の距離をとって、彼女と同じ速度でつけた。 途中、ケイコウオとかヨワシとかが僕にまとわりついてきて、そのたびに毒の棘で追い払った。一方彼女はというと海のポケモンと戯れている。そりゃあ、あれだけ美しくて目立っていれば、遊びたがるポケモンもいるのだろうなと思う。 微妙な劣等感を振り払って、僕は時が来るのを待った。ついでに、脳内で作戦会議を開いた。日が暮れてから襲うのはいいが、また以前のように返り討ちに会うのはごめんだ。いかにして彼女の枝にありつきながら身の安全を守るか。 彼女の枝を折ったら、できる限り早く離れるのがいいだろう。間髪入れずに撃ってくるであろうとげキャノンはどのように対処すべきか。こちらもとげキャノンを使って相殺すれば――。いや、さきにどくどくで弱らせたほうがよいのではないか? たとえ食べる前のサニーゴを傷つけないというポリシーに反するとしても、彼女の枝は食べる価値がある。 海中の明度が下がっていくにつれ、彼女の取り巻きも減っていった。食事の時は近い。僕は月明かりと無音が支配する海の訪れに息を潜める。 「綺麗だな」 数日前と同様に無防備な姿で砂の上に佇む彼女は、月並みな言葉では言い表せないくらい美しかった。淡いグラデーションは青い月明かりによって魅惑的な雰囲気を纏っていて、海中を惑う塵さえも煌めく演出に変わる。 じりじりと近づく。僕の動きが水に伝わって彼女に届いてしまえば感づかれる。とにかく彼女に警戒されないことが肝要だ。僕は細心の注意を払って動く。 だが、僕の努力をあざ笑うかのような不快で規則的な音が鳴り響く。船の音だ。月明かりを遮りながら僕の真上を通過した船は、そのまま彼女の上に滑っていった。 嫌な予感がする。僕は最大限の速度で這っていったが、これほどまで自分の遅さを呪ったことはない。人間が海中に二人飛び込んできて、続いて水ポケモンも二匹飛び込んできた。 早業だった。攻撃と捕獲が一体となって、彼女を傷つける。あまりに急な展開に彼女も驚いたようで、応戦はするものの結果は虚しく、捕獲網に捕らえられた彼女は船に引き上げられていった。その一部始終、僕はその場に近づくので精いっぱいだった。 「行くな!」 まだ間に合うか、手遅れか。船が出発する前に、なんとか船の底部に逆さまに張りついた。 刻々と過ぎ去る時間と景色に、僕はたまらなく不安になった。このままどこへ行くのだろう。アローラを離れるのかもしれない。それは困る。冷たい海まで連れ出されたら生きていけなくなる。彼女のことも諦めざるを得ない――が、それは人間に負けたようで癇に障る。こうなったら意地だ。この身が滅びようと、この船についていってやる。 しかし僕の心配をよそに、船は結局アローラの海を出ず――それどころかメレメレ島のどこかの岸に着いただけだった。取り越し苦労で済みほっとしたのもつかの間、僕は海面から顔を出して様子を窺う。 「……さ……報告……」 人間の声が聞こえるが、内容は判然としない。人数は先ほど見たときと変わらず、二人だけのようだ。足音が消える。 僕は船の側面をのそのそと這って登っていく。甲板に降り立って、あたりを見渡す。網に絡めとられた彼女の姿はすぐに見つかった。彼女を攻撃していたポケモンの姿は見えない。 「はあ、油断してたなあ、もう」 彼女は網から出ようと頑張ってはいるものの、その短い手足ではどうにもならない。動けば動くほど、網は無情にも彼女に引っかかっていく。 「やっぱり美味しそうだなあ」 僕は思わず呟いた。海の中に静かに佇んでいる彼女もまた美味しそうなのだが、もがいている姿もなかなかに美味だ。 「あんた、この前の!」 彼女は憮然とした表情を僕に向ける。 「ねえ、助けてあげるから枝を食べさせてよ」 「はあ? いいわけないでしょそんなこと!」 強情だった。何重にも網を掛けられて身動きが取れない状況でも助けを必要としないらしい。 「でも、このまま捕まるよりはマシじゃない? 人間は君の珍しい色の枝が欲しい。きっと君はバラバラにされる。殺されるかもしれない。僕は君の美味しい枝が食べたい。でも君は生きることができる」 人間が彼女を死に至らしめるかどうかなんて知らない。人間の手に彼女を取られたくないという気持ちのために、でたらめな脅し文句が口をついて出ただけだ。 「……いいわ、助けてもらおうじゃないの。ただし、食べていいのは一本だけよ。それ以上食べたらあなたを海の藻屑にするから」 「交渉成立だね」 効果はてきめんだった。 「ちょっと待ってて」 網に歯をかけると、そのまま噛みちぎる。幾重にも重なる迷惑な網を、一心不乱に噛みちぎる。そうしてようやく彼女の体に触れられるようになったところで、思い切り彼女を引っ張りだした。 「ありがとう」 彼女はまったく心のこもっていない感謝の言葉を述べた。しかし僕にとってそんなことはどうでもよく、間近で見る彼女の色をじっくりと観察していた。 「こんな船、さっさとお暇するわ」 僕は我に返り、ぴょんと飛び跳ねて甲板から海に落ちた彼女の後を追った。 目が覚めたときには僕は仰向けに倒れていて、月明かりとオーロラ模様の珊瑚の枝が揺れていた。 「まったく、バカじゃないの? 弱いくせにわざわざ私の前に立って盾になるなんて」 「だって……君をあいつらに渡したくなかったし」 「別にあれくらいの相手なら私一匹で追い返せるわよ」 彼女は呆れていた。同時に、冷たい目をしていた。僕は痛む体を強張らせる。 僕は強くはないけれど、何匹もの仲間を屠ってきた彼女のとげキャノンをまともに喰らってもなんとか生き延びられるくらいにはしぶとい。が、この状況は僕にとっては非常に芳しくない。彼女としては目の前で体力が底を尽きかけている天敵の息の根を止めない理由はない。口約束は所詮口約束なのだから。 しかし、まだ死ねない。彼女の枝をもう一度口にするまでは。 「僕を殺す前に、君の枝を食べさせて」 僕は目を彼女から逸らした。 「……別に殺さないわ。枝の一本くらいくれてやるわよ」 彼女のつぶらな瞳と同じくらい、僕の目は丸くなった。 「折るよ……」 「早くしなさいよ」 彼女の枝の一本を、勢いよくぱきりと折った。彼女は顔色一つ変えない。 「痛くないの?」 「さあ」 折った枝をまじまじと見つめる。白、桃、紫、水色のグラデーション。金粉がまぶされたようにきらきらと煌めいている。 細くなっている先っぽから、ゆっくりと食んでいく。ぱきり、ぱきり、と細かく歯で折って、舌の上で転がして味わう。 「そんなに美味しい?」 黙々と枝を食べる僕に、彼女は呆れっぽく囁く。 「この世に君の枝より美味しいものはきっと存在しない」 「嬉しくない誉め言葉ね」 彼女は僕に背を向けて、鈍い歩みで進みだす。 「どこへ行くの」 「とりあえず、ヒドイデと密猟者のいない快適な海を目指すわ」 「そっか」 それ以上、互いに言葉は交わさない。僕はオーロラ色の枝を食べるのをやめて、頭の触手に抱え込んだ。 ――本当は、もっと彼女に言うべきことがあった気がする。だが、深い青の泡沫の向こうに消えた姿をもう追うことはできない。 この枝は、仲間たちが食べないように釘を刺して、棲みかに飾っておくことにしよう。 「……眩しいな」 綺麗な色を一匹分失ったメレメレの海に、変わり映えしない朝陽が昇ってきた。 &ref(posca_B.png,,60%,); &ref(posca_B.png,,40%,); ---- 感想等ありましたらどうぞ↓ #pcomment