ポケモン小説wiki
ウルトラ・ディープ・ブルー の変更点


 ※このお話は某ホワイティな企画に提出したものの完全版です。
 ※このお話には残酷描写があります。ご注意ください。



  どこまでも晴れた空の下、キャモメの歌を道連れにフェリーは悠々と海原を闊歩する。イッシュ出港時の分厚い雨雲を抜けてからの旅路は順調で、フェリーは予定時間よりも早く眼前にアローラの島々を捉えた。

 「お客様にご案内いたします。後十分程でマドラス号はアーカラ島カンタイシティへ到着いたします。どなた様もお忘れ物などございませんようお気をつけ下さい」

 抑揚のないアナウンスの声に起こされたゾロアは、テーブルからひょいとベッドに飛び移り、枕を抱きだらしない姿で眠りこける人間にやれやれと頭を振ってから、鼻をかぷりと噛んだ。これでも自分では甘噛みだと思っている。
 
「いってぇー!」

 痛みに飛び起きた少年ユウヤは、じんじんと痛む鼻を押さえながら壁掛け時計に目をやる。

「なんだよ、まだ到着まで時間あるじゃん。もうちょっと寝かせてくれよ」「わうわう!」

 ゾロアはだめだと吠え、ズボンの裾を乱暴に引っ張る。
 
「はいはい、わかったよ。準備するって」

 ユウヤが頭を掻きながら大きなあくびをして荷物をまとめていると、そのうちに船体が大きく揺れて止まった。

「おっ、着いたみたいだな。アローラ地方、楽しもうな!」「わうっ!」

 ユウヤはリュックを背負いゾロアを肩に乗せて、デッキに出た。寒空のホドモエシティとは打って変わって常夏の熱気が体を包み込む。澄んだ青空と海が広がり、清々しい風が歓迎するように吹き抜けていく。
 
「マスターズリーグツアーでお越しの皆様、アローラ! お名前の確認をしますので、こちらまでお越しくださいませ~」

 旗を振る陽気なガイドの元に船から降りてきた客が次々と受付済ませ、ユウヤもその列に並んだ。このフェリーに乗っているのは、皆ポケモントレーナーの頂点を決める大会、マスターズリーグ決勝トーナメントの観客だ。今年は建設されたばかりのラナキラマウンテンポケモンリーグで開催される。

 各地方から名のあるトレーナーやチャンピオンが集結する大規模な大会だけにチケットは熾烈な争奪戦となり、決勝トーナメントともなれば倍率は跳ね上がる。ユウヤは見事ネット抽選で観戦チケット付きのツアーを引き当てた。

 座席の他にフェリーとホテルも一括予約の旅費はバッジ四つのトレーナーには厳しい額だったが、おまもりこばんを持たせてバトルをしたり、換金できそうなものをかき集めたりしてなんとか工面した。
 
 大枚を叩いた甲斐あって、訪れたアローラの風景は想像を絶する程美しかった。ポケモンと共生している話を噂程度にしか聞いていなかったが、舗装された道路に人を乗せたケンタロスが走っている姿、しかも隷属しているのではなく自らの意思で乗せている様子を見て、本当のことだったと感動した。

 生息環境に配慮されて作られたというホテルは、オーシャンビューを望めない。それでも静かで、裏手の浜辺から波の音が聞こえる居心地の良さそうな個室だった。決勝トーナメントは明日から一回戦が開催される予定で、今日はこれから自由時間だ。
 
「夕食の時間までにはお戻りくださいね。では、いってらっしゃ~い!」
 
 ガイドに見送られたユウヤは、観光案内所に立ち寄りマップを貰った。どこか遊べるところはないかとアーカラ島のおすすめスポットを見る。カンタイシティから歩いていける距離に広いビーチがあり、美味い料理店も並んでいると記載されていた。ふわふわのパンケーキと可愛らしいポケモンが描いてあり、ゾロアがパンケーキの絵をぺろりと舐めた。

 「南の島って言ったらやっぱ海だよな。食べ物も美味そうだし、行ってみようぜ」「わうん」

 ユウヤはハノハノビーチを目指して歩き始めた。道路から見える人々の生活風景は物を運ぶにも、きのみを育てるにも、子供を育てるにもポケモンがいて、それが当たり前。イッシュ地方もこうだったらよかったのにと思った。

 現在のイッシュはポケモンと人間は別れて生きるべきと理想を掲げる、プラズマ団を名乗る集団が勢力を伸ばし、各地でポケモン解放運動が盛んに行われているからだ。ユウヤも一時期はポケモンたちを手放そうと考えていたが、とんだ間違いだったと言わんばかりの光景に、思わず顔がほころんだ。

 広々としたハノハノビーチは観光客や地元のサーファーで賑わっており、波に乗るもの、バトルをするもの、写真を取りまくるものなど多種多様な人がいた。観光客向けの案内看板には【ここでは手持ちのポケモンを出してもOK!】と書かれている。
 
「それなら! よーし、みんな出てこい!」

 ユウヤは腰のベルトからボールを外し、手持ちのポケモンを外へ出した。カノコタウンを旅立った日に貰ったミジュマルが進化したダイケンキ、プラズマ団の研究施設から助け出したランクルス、リゾートデザートの遺跡で迷っていたとき案内してくれたワルビルの三匹だ。
 
 皆海に来るのは初めてで、ダイケンキは広い場所でのんびり泳ぐのを楽しみ、好奇心旺盛なランクルスは誰彼構わず話しかけて嫌がられ、ワルビルは海水を舐めてしょっぱさに悶絶していた。ユウヤとゾロアはダイケンキたちと水を掛け合ったり、砂の山を作ったり、ビーチボールを投げて遊んだ。

「アローラ! そこのお兄さん、ナマコブシ投げやっていかない? 遠くまで飛ばせれば賞金ゲットのチャンスだぜ」

 遊び疲れて木陰で休んでいると、サングラスを掛けた男に声をかけられた。ナマコブシと呼ばれる黒くてピンク色のトゲの生えた、もっちりしたポケモンを掴んで投げる競技らしい。他にも挑戦者がちらほらいるが、ナマコブシな気まぐれな性格をしているのか掴まれても逃げ出したり、口からにゅっと手のようなものを出して、挑戦者の顔面を引っ叩いて自分から海に飛び込んでいく。難易度は高そうだ。
 
「ルールは簡単。浜辺に流れ着いたナマコブシを、どいつでもいいから掴んで、海に向かって投げるだけ! 距離が長けりゃ長いほど賞金も多くなるぜ! さあ、レッツトライ!」

「いよっし! やってみるか!」

 チャレンジ精神を煽られたユウヤは適当に拾い上げたナマコブシを力一杯投げたが、波打ち際からそう離れない近場に落ちた。不満げに口から飛び出した手でサムズダウンされ、去り際に水を吹きかけらてた。ゾロアは小馬鹿にしたようにシシッと笑った。

「ちえっ、ちっとも飛んでかないでやんの」

「ハッハー! 残念だったね。ま、そういう時もあるさ。また参加してくれよな!」

 参加賞としてパイル味のクッキーを五つ貰って、ポケモンたちと食べた。よく土産で貰うものと同じ味がして、ユウヤはより一層がっかりした。気分も落ちてきて、そろそろビーチから上がろうとした時だった。何かを感じ取ったゾロアはピンと耳を立て、浜辺の奥の方へ走っていく。

「どうしたんだよゾロア、そっちは何にもないぞ」

「わうっ、わうわうっ!」

 ゾロアはユウヤの方を振り返りつつ浜辺を駆けていく。追いかけてこいと言っているように見えたユウヤは、ゾロアの後を追う。
 
「あっ」

 波打ち際に誰かが倒れているのを見て、ユウヤは息を呑んだ。大きな白い帽子を被って白いワンピースを着た、長い白髪の少女が静かに横たわっているのだ。潮風に乗ってふわりと甘い匂いがする。

「ねえ君、大丈夫!?」

 迷うことなく駆け寄ろうとすると、ゾロアが急に顔へ飛びついてきて強めに鼻を噛んだ。

「いでででで!! 何すんだよ!」

 顔面で暴れるもふもふを引き剥がすと、少女だと思っていたものが違って見えた。腰まである長い白髪は触手で、ワンピースは胴体。帽子だと思っていたのは頭部で、顔がない。どこからどう見ても、その姿は人間ではなかった。

「うわあっ!」

 ユウヤは驚き後ずさった。ゾロアは吠えて威嚇したが、相手に動く様子は見られない。

「もしかして、ポケモン、なのか?」

 顔のないポケモンなど、ユウヤの持てる知識には存在しない。目の前にいるのは、見たことも聞いたこともない未知の生き物だ。今度は警戒しながらゆっくりと近づく。身じろぎもしない未知の生き物は、かすかに息をしているだけだった。

「弱ってるみたいだ。とにかくポケモンセンターへ連れて行かなくちゃ。ダイケンキ、手を貸してくれ」

 一人では運べないと判断したユウヤは、ダイケンキの背に乗せて運ぼうと考えた。未知の生き物の体に触れると、ゼリーのような弾力性があり、氷のように冷たい。思わず声が出た。

「冷たっ! ごめんな、痛いかもしれないけど起こすよ」

 抱きかかえて起こそうとすると、息も絶え絶えに伸ばすのもやっとの触手が一本ゆっくりと伸びてきて、ユウヤの胸部に触れる。かといって痛みもなく変化も見られないが、触手は使命を果たしたのか力なく落ちて、それきり動かなくなってしまった。

「お、おい、どうしたんだよ」

 問いかけに答えることなく、未知の生き物の体は崩れて白い砂になり、夕暮れの風に攫われていった。
 
「なんだったんだ、今の」「消えちゃったね」

「そうだな。砂みたいに……って、ゾロア!? 今、喋ったか?」

 隣にいるゾロアが突然人の言葉を喋ったことに驚いた。たまに人間に化けてからかうことはあるが、まさかこんなに流暢に喋るなんてとユウヤは目を丸くする。

「んお、ユウヤがオレたちのことばしゃべってる、へんなの」

 ゾロアはユウヤの顔をみて、首を傾げた。
 
「は? え? 嘘だろ、どうなってんだ。なあダイケンキ、俺の言葉がわかるか?」

 先程呼んだダイケンキに話しかけると、驚いた顔になった。

「なんと! これは異な事。ユウヤ殿が我らの言葉を話すとは!」

「なになに、面白いことあったー? あたしも混ぜなさいよー」「ボクもボクもー」

 後からワルビルとランクルスがやってきて、ユウヤは今起きたことを説明した。

「すっごいねぇユウヤ! ボクらと会話出来るなんて、”王様”だけだと思ってたよ。ぐっふっふ、興味湧いてきた! これだから外の世界はたまんないねぇ!」

 ダイケンキから殿と呼ばれていたことや、ワルビルがメスだったことや、ランクルスが饒舌だったことなど諸々ツッコミたいところだが、夜の帳が下り始めてきていたので三匹をボールに戻してホテルへ帰った。

 夕食はアローラの名物が所狭しと出されたが、消えてしまった未知の生き物のことが気になって、少しも喉を通らなかった。シャワーを浴びると遊んだ分の疲れがどっと来て、ベッドの上に倒れ込んだ。
 
「今日は色々あったな」「そだね。明日も楽しいことあるといいね」

「そうだな。おやすみ、ゾロア」「うん。おやすみユウヤ」
 
 その晩ユウヤは悪夢を見た。最初は綺麗な海の中で気持ちよく揺られていたが、段々と深いところへ沈んでいく。必死に上がろうともがいても体が思うように動かせないまま光は遠ざかって、深い青に視界を奪われる。

 無限に続く冷たく真っ暗な、音も届かない空間に閉じ込められて息が苦しくなってくる。もう限界だと手を伸ばした先にあの未知の生き物の触手が伸びてきて、よく見れば何十体もの群れに囲まれていた。

 「どこにいるの」
 
 聞き覚えのない声が聞こえたところでユウヤは飛び起きた。息苦しさの原因は顔の上に乗っかっていたゾロアで、現実に戻れた安堵のため息をついて押しのけた。暑かったのか、汗でシャツがびっしょり濡れている。

「おきたかー?」「お陰様で。悪い夢を見ちゃったけどな」

 目が覚めてもゾロアが喋っていて、昨日のことは夢じゃなかったと実感した。ベッドから起き上がって窓の外を見ると、晴れやかな空が広がっている。今日はトーナメントの第一試合。朝食を取ったら、ラナキラマウンテンのあるウラウラ島行きの船に乗る予定だ。昨日は昨日、今日は今日と気持ちを切り替えて、客室を後にした。
 
 ところが、エントランスへ行くとツアー客たちが集まってざわついていた。どうするんだよと不安げな声が聞こえてきて、ガイドの女性が何人かに詰め寄られて困惑していた。

「どうしたんだろう」「なんかさわいでるよ」

 人々の中心にはテレビがあり、アナウンサーが緊迫感のある表情でニュースを伝えていた。

「繰り返しお伝えします。ウラウラ島、ラナキラマウンテンで本日から行われる予定のマスターズリーグ決勝トーナメントですが、ウルトラホールの出現により、中止となる可能性が高くなりました。現場から中継です」
 
 画面が切り替わり、現場にいるアナウンサーが映し出された。晴れた空に似つかわしくない不自然で歪な穴が開いている。一見すれば合成のCGのようだが、生中継ではありえないことだ。一体全体どうなっているのか、テレビを食い入るように見つめる。
 
 「こちら、ラナキラマウンテンポケモンリーグ前です。御覧ください、我々の頭上にウルトラホールが出現しています! これはひょっとすると、ウルトラビーストが出現するかもし……ちょ、ちょっとなんですかあなた!」
 
 アナウンサーを押しのけ、全身真っ白な服に身を包んだ研究員の見た目をした男が中継画面に割って入る。

 「失礼します。我々はエーテル財団所属の調査隊です。ウルトラホールが開いた場所からは、ウルトラビーストが出現します。普通のポケモンと違い、まだ生態に不明点の多い生命体です。今回開いたものから確認されているのはウツロイドと呼ばれる個体で、強力な毒を持ち他の生き物に寄生するとの報告が上がっています。危険ですので見かけても触ったりせず、すぐに財団までご連絡ください」
 
 男は手元の機械を操作し、画像をいくつか画面に向けて見せた。それは昨日ユウヤが浜辺で出会った白いワンピースの少女めいた、夢にまで出てきた未知の生き物だった。「UB:parasite」と右下に書かれている。画像を見ているとじわじわと息苦しくなってきて、ユウヤは無意識に胸のあたりをきゅっと掴んでいた。
 
「ウツロイド出現に際しまして、安全性を考慮し今回のマスターズリーグ決勝トーナメントは中止を検討しています。決まり次第、リーグ運営チームから正式に発表させて頂きます」
 
 男が頭を下げたところで画面はスタジオに戻り、ユウヤは膝から崩れ落ちた。抽選に当たって、大金まで払って順調にここまで辿り着いたのに、楽しみにしていた大会が昨日見かけた未知の生物のせいで中止になるなんて。ゾロアは状況をよく理解していないようで、口を開けたまま固まってしまったユウヤの頭をポンポン叩いた。
 
「おいっ! どうなってるんだ説明しろ!」「安全なツアーだって言うから来たのに! 帰らせてちょうだい!」
 
「ですから、緊急事態なので船が出せないんです。安全が確認され次第帰りの便を手配いたしますので、それまでお待ちいただくしか……」
 
「ふざけんな!」「納得できないよ!」「どうにかしてちょうだい!」
 
 今すぐ船を出せ、返金しろと突っかかる客を相手に、ガイドが困ったように答えていた。エントランスは弱々しい謝罪と凄まじい怒号が飛び交い、部屋に戻ってもやることがなく行くあてもないので、ユウヤはハノハノビーチをぶらぶら散歩することにした。とはいえ心ここにあらずで、遊んでていいよと手持ちのポケモンたちを出した後は人気のないところでぼーっと海を眺めて、ため息をついている。
 
「ユウヤ殿は大丈夫だろうか」
 
 ダイケンキは心配そうにしている。声をかけたいが、今は何を言っても慰めにしかならないとわかっているので、遠くから眺めるにとどめている。
 
「あんなに楽しみにしてたのにね。可哀想なユウヤちゃん」
 
 ワルビルはゾロアの毛繕いをしながら、同じく遠くからユウヤの様子を見ている。
 
「そんなことより旅行を楽しまなくっちゃ! ほらほら、あそこで飛んでるポケモンとか研究対象にピッタリだよ。触りたい解剖したい中身が見たーい! ボクはアローラの全部が知りたいよ」
 
 ランクルスだけは、のんきに自身の好奇心を満たすためにビーチで遊んでいるポケモンを観察したり、話しかけたり自由に過ごしている。
 
 観光客の声もまばらなビーチの端っこで、遥か海の向こうのイッシュ地方を想いながら落ち込んでいるユウヤの元に、漂着したナマコブシたちが吸い寄せられるように集まってきた。気づいているのかいないのか、何もせずにいるとユウヤは顔に水をかけられてやっと我に返った。

「わっぷ、なにすんだよ!」
 
「おっ、気がついたかヘタクソ」「なーなー、オレらのこと投げに来たんじゃないのか?」「あそぼーぜヘタクソ」
 
「さっきから聞いてれば人のことをヘタクソヘタクソって! このっ! 待てっ!」

 ヘタクソと呼ばれていることに怒りつかんではそのまま投げるが、ナマコブシたちは華麗にツルッと手を抜け出して文句を言ってくる。
 
「お、なんだオレらの言葉がわかるのかヘタクソ」「わかったからってヘタクソには変わりないよ」「そうだそうだ、悔しかったら捕まえてみろよヘタクソ」

「なんだとー! 言ったなこいつ!」

 ユウヤはナマコブシたちの挑発に乗ってしまい、粘液でツルツルの身体を捕まえてやろうと躍起になった。一時間ほど悪戦苦闘した結果、ただ力を入れてぎゅっと掴もうとするのでは思い通りにいかず、優しく包み込むように持つことでちょうどフィットすることに気づいた。両手に捕まえると、ナマコブシたちはほんの少し満足げな声になった。

「おお、やるじゃんヘタクソ」「こっからこっから、投げるところまでやってからだよ」

 そのまま投げても上手くはいかない。投げるフォームと、腕の振り下ろし方と、手を離すタイミング。全てが揃ってようやく飛距離が伸びる。手持ちのポケモンたちが遠くから応援する中、ユウヤは更に一時間投げる練習をした。気づけばお互いの息遣いの合わせ方を理解し、狙ったところに投げられるようになった。馬鹿にされた怒りはとうに消え、一つのことに没頭することで楽しさを感じるようになっていた。
 
「うんうん、ここまでできればじょーできだ。お前、名前は?」
 
「ユウヤだ」
 
「そうか、ヘタクソって言って悪かったなユウヤ。お前なかなか見込みがあるぞ、今ならいいとこいけるかも。やってみろよ」
 
 ナマコブシに背中を文字通り強く押されて、ユウヤはナマコブシ投げの本番にチャレンジすることにした。
 
「すいません、ナマコブシ投げやりたいんですけど」
 
「ああ、昨日のお兄さんね。いいよ、どれでも好きなやつを掴んで投げてくれよな。おすすめは波打ち際にいる子だよ」
 
 昨日も浜辺にいた男はサングラスを輝かせニカッと笑った。明らかに企んでいる顔だ。
 
「おいユウヤ。そっちにいる連中はなんかヌルヌルしたやつ塗られてるからやめとけ。オレにしろ」
 
 ユウヤは言われた通りに、一番文句の多かったナマコブシを掴んだ。そいつは大柄だから全然飛ばないかもよと笑われたが、ユウヤには自信があった。
 
「いいぞ、コツはもう掴んだな? 思いっきりオレのこと投げてみろ」
 
「よーし行くぞナマコブシ! それっ!」
 
 練習の成果、綺麗なフォームから投げられたナマコブシは波打ち際から大きく弧を描いて空を舞い、遊泳禁止のブイまで飛んでいった。ちゃぽんと見事な着地を決め、口から手を出してサムズアップして海に沈んでいった。
 
「おおー! すごいねお兄さん。あそこまで投げられるなんて、歴代最高記録更新だよ! いいもの見せてもらったぜ、持っていきな」
 
 ユウヤは想像していたよりもかなり多めの賞金をもらい、お腹も空いたのでナマコブシたちに別れを告げて昨日は行けなかったパンケーキを食べに行くことにした。海沿いにあるので、ポケモンたちを戻さなくてもよいテラス席を取った。南国特有のフルーツの匂いがする。
 
「フルーツパンケーキを五つください。四つはポケモン用で」
 
「はーい。ライちゃーん、フルーツをヨンイチでお願いね」
 
 人間が注文を取り、ポケモンが調理や配膳を手伝っている風景は子供の頃に見たきりだ。イッシュではポケモンを労働力として使うことが禁じられ様々な分野で機械化が進んでおり、飲食店では殆ど配膳メカが運んでくる。

 誰かに強制されたわけでもなく、喜んでパンケーキを運んでくるライチュウは観光パンフレットを読むとアローラにしかいない固有種だとわかった。しっぽに乗って器用にふわふわ浮かんでいる。人の波を縫うように進む、海の見える店にふさわしいサーファーのようだ。

「おまちどうさま! うちのパンケーキは世界一美味しいの! 楽しんでいってね」
 
 ライチュウは自慢気にそう言うと、テーブルに焼き立てほわほわのパンケーキを置いた。ふわっふわで大きな三段重ねのパンケーキにはフルーツが盛られ、上には生クリーム。ユウヤのものにはチョコソース、ポケモンたちのものには粉糖がかけられている。

 よくイッシュのシングルサイズはカントーのキングサイズと言われるが、負けず劣らずの大きさだ。ありがとうとユウヤが声をかけるとライチュウは一瞬驚いたが、すぐにっこりと笑顔になって手を振り戻っていった。
 
「んじゃ、いただきます」「まーす」
 
 ゾロアは口を開けてガブリと噛みついた。ふんわり広がる幸せな甘さが気に入ったようで、口の周りに食べかすをつけたままあっという間に食べ終わって、図々しくおかわりを要求した。お金に余裕があったので、ユウヤはゾロア用にもう一枚だけ追加した。自分はゆっくりと楽しみ、途中ソースを追加して味を変え、口の中で調味していく。ボリュームもかなりあって、食べ盛りの少年の腹も心もいっぱいに満たしてくれる。
 
 ダイケンキはふわふわ具合にメロメロになっており、最後に残した一口分をもったいなさそうにしぶしぶ口に入れた。ランクルスは成分分析をし始めたので、ワルビルが切り分けて無理やりゼリー越しの口に突っ込んでいる。冷めないうちに食べないともったいないわよと。彼女なりの気遣いだ。食べている間は美味しさ故に無言で、食べ終わって一息ついてから各々ここがよかった、これが美味しかったとクリームがついたままの口で感想を述べている。幸せの余韻、ユウヤはポケモンと話ができるようになってよかったと感じた。
 
「食べ終わったら並んで並んで。みんなお口ふきふきしましょうね」
 
「キレーイにしてよね」「うむ、かたじけない」
 
 ワルビルがナプキンを持ってくると、ランクルスとダイケンキはいつも通りといった様子で、なすがまま拭かれていく。
 
「ゾロアちゃんもこっちにおいで。終わったらユウヤちゃんの番ね」
 
 ゾロアが終わった後、ユウヤは恥ずかしい気持ちをこらえながらワルビルに口を拭いてもらった。今まで食後にワルビルが顔を触りたがることは何度かあったが、ユウヤはてっきり構って欲しいからだとばかり思っていた。まさか面倒見の良いお姉さんだとは、話せるようにならなければずっと勘違いしたままだっただろう。

 こんな経験は初めてだった。イッシュなら、トレーナーがポケモンに身の回りのことをやらせているなんてとんでもないと非難されるところだが、ここは共存の地アローラ。よく見れば、他の客もお互いを拭き合っている。ピチューとマリルの口元を拭っているツインテールの少女は、まるで子を育てる親のようにも見えた。
 
「エマ……エマ……どこ……」
 
 余韻が消えてきた頃会計をしようと席を立つと、どこかからかすかに声が聞こえた。見ればパラソルの下で、ピカチュウがすすり泣いている。店のポケモンだろうかと様子を窺う。
 
「どうしたの? トレーナーとはぐれちゃったの?」
 
 しゃがんで話しかけるとピカチュウが振り返って、ユウヤはひっくり返りそうになった。ピカチュウだと思っていた部分は布で、顔は子供がクレヨンで描いたようなへんてこな『模様』だったのだ。しっぽは木を削った作り物で、体の下に空いている穴から目を覗かせたポケモンは、身体からほんの少し黒いものが見え隠れしている。
 
「やめときなよユウヤ、そんなのほっとこうよ」とゾロアは露骨に嫌な顔をした。
 
「そうはいかないよ。俺、なんでだかわからないけどポケモンの言葉わかるからさ、連れて行くよ」
 
 ユウヤはピカチュウのようなポケモンに近づいたが、向こうは一歩下がって日陰に隠れる。
 
「……エマのところ。帰りたい……呼んでる……でも、おひさま怖い……」

「太陽が苦手なのか。どうしよう……うーん。これしかないけど」
 
 ピカチュウのようなポケモンは太陽光が苦手らしく、ユウヤは考えた末に上着を脱いで身体をまるごと包んだ。幸いなことに小さなポケモンだったので、全身を守ることが出来る。立ち上がって辺りを見回していると、小さな女の子が何かを叫んでいた。

「ミミッキュー、どこいっちゃったのー。ミミッキュー」
 
 夏らしい涼し気なワンピースを着た女の子は手にバスケットを持っていて、困ったような顔でしきりにポケモンの名前を呼んでいる。包んだ服がモゾモゾ動く。

「エマの声……呼んでる……」
 
「あの子か。よし、今行くぞ」
 
 ユウヤは包んだポケモンを抱えて、バスケットを持った女の子のところまで駆けっていった。
 
「えっと、君がエマちゃんかな? この子が君のこと探していたよ。ほら、出ておいで」
 
 包んでいた上着を外すと、ポケモンはサッとバスケットの中に飛び込んで蓋を閉めた。
 
「わあ! 見つけてくれたの? ありがとうお兄ちゃん。わたしはエミリア。エマはおばあちゃんよ。でも、この子は私のミミッキュ! 生まれた時からずっといっしょなの!」

「え、あ、そ、そうなんだ。もうはぐれないように気をつけてね」
 
「うん! じゃあねお兄ちゃん。アローラ!」「ずっといっしょ……エマ……大好き……」
 
 手を振り走っていくエミリアの後ろ姿を見送りながら、引きつった笑顔のユウヤはポケモンの声が聞こえるのは必ずしも良いことばかりではないと知った。ゾロアが放っておけと言った意味が、なんとなくだが理解できた。

 腹ごしらえも済み、午後は昨日は行けなかったところに行ってみるかと観光マップを頼りに北上し、ロイヤルアベニューへ訪れた。目当てはご当地ヒーロー、ロイヤルマスクの試合だったが、これもウルトラホール出現の為中止になってしまい、安売りが有名なスーパーメガやすには、食料を買いだめしようと長蛇の列が出来ている。

 そこからヴェラ火山公園へ行って、炎を灯したガラガラと踊る人間の様子を横目に洞窟を抜けて高いところへやってきた。観光客も地元の人間もいない高台は、これまで歩いてきたところが一望できる。戻していたポケモンたちをボールから出して、広々とした青空を眺めながら寝っ転がる。火山なので地熱で温められており、ちょうどいい温度だ。

「今向こうに帰ったら、伝説の英雄の再来とか言われるのかな」

 ぼんやりと帰った後のことを考えながら、ユウヤはポツリと呟いた。イッシュ地方にもポケモンの言葉を理解し、迷えるポケモンたちを導いた英雄がいたという逸話が残っている。剣士たちを従え理想と真実を追い求めたとも、戦争の火種をばら撒き人間とポケモンが対立するきっかけを作ったとも言われている。どこまでが本当なのか知るものはいないし、ユウヤもこうなってしまうまでは全ておとぎ話だと思っていた。
 
「ユウヤ、ヘンなことかんがえてるでしょ。やめといたほうがいいよ」

 ゾロアはユウヤが調子に乗ると大抵ろくなことにならないと知っている。ポケモンと話せる力をどうせよからぬことに使うだろうと考えている。

「うんうん、ボクもこのことは他人に言わない方が良いと思う。確かに王様は優しい人だったけど、その分悲しい人だった。身体は綺麗だけど、心は傷だらけで見ていられなかったよ。それはみんなボクたちを守る為だったけど誰にも理解されなくて、純粋に理想を追い求める心を悪いやつに利用されて、白い石に取り憑かれて戻ってこなかった。ユウヤにはそうなって欲しくないな」

 これまでのんきで自由気ままに振る舞っていたランクルスが、急に落ち着いた口調で言った。旅の道すがらなりゆきで研究所から助け出したが、彼がプラズマ団にどういったことをさせられていたのか、実のところユウヤは知らない。王様というのも、誰のことなのかさっぱりだ。真剣な眼差しで見つめるランクルスの瞳がいつもの冗談を言っているようには思えない。心の底から心配しているし、口ぶりからして王様のことも助けたかったに違いないとユウヤは思った。

「ランクルス……。わかった。誰にも言わないよ。それに、こっちじゃあんまり意味のない力みたいだし。バッジ集めの旅が終わったら、引っ越してきてもいいかなって思ってる」
 
「あら、いいわね。賛成よ。こっちの砂場ってしっとりしててお肌によさそう」

「ユウヤ殿がいる所、我らの居場所。どこまでもお供致す」

 ポケモンたちと楽しく話しているうちに日が暮れてきた。ホテルに戻り、夕飯を食べてシャワーを浴びて、疲れから倒れるように眠りに落ちたその晩。ユウヤはまた悪夢を見た。昨日よりも景色がはっきりと見えてきて、青い青い海の中に漂っている。冷たさは心地よく、暗さも安心感がある。

 このままずっとずっと深くて潜っていって、いっそ溶けてしまえたらと思えるほど心地よかったのだが、急に目の前にあのポケモンが現れて触手を伸ばしてきたのだ。絡みつかれて動けなくなり、振りほどこうにも縄で縛られているようにぎっちり固定されて逃げられない。

「戻ってきて」「戻ってきて」「戻ってきて」
 
 耳元で囁く声はどこか懐かしく感じるが、同時に不気味で恐ろしい。触手に熱を奪われて、体が冷たくなっていく。

 嫌だ、やめろと叫ぶと同時に目が覚めて、現実に戻ってきた。ベッドから落ちて起きたらしい。心臓は高鳴り、シャツは汗だく。時計を見ると夜深い時間で、ゾロアはお行儀よく丸まって寝ている。

 目が冴えてしまい、眠る気になれなくて窓を開けると、涼しい風に乗ってかすかに歌が聞こえてくる。どうせもう眠れないからと着替えて、歌のする方へ歩いて行く。宿の裏手にある浜辺で、満月の光を浴びて人魚のようなポケモンが髪をなびかせ歌っていた。

「素敵な歌だね」と声をかけると、ポケモンはこちらを向いた。
 
「あら、私の歌がわかるってことはあなたがユウヤね? ナマコブシたちが噂してたわよ、言葉がわかるニンゲンなんて久しぶりだって」
 
「久しぶり? やっぱり、アローラだと珍しくないの?」
 
「ポケモンもニンゲンも同じ生き物だもの。喋れたって不思議じゃないわ。わたしアシレーヌ。挨拶代わりに一曲聞いてくれる?」
 
 もちろんと答えると、アシレーヌは息を大きく吸い込んで、清流のように清らかで透明な声で歌い始めた。
 
「夜空に輝く 太陽の月の子らは 水面を照らし 波間に揺れる
 私の心も 今きらめいてる 泡に抱かれ 海原をゆこう
 出会いと別れをくりかえし いつか帰ろうまたここへ
 青く 美しき 私のアローラ」

 曲が終わるとユウヤは拍手を送った。今まで聞いたどんな歌よりも心揺さぶられ、聞いているだけで泡に包まれて空へ浮き上がっていくような爽快感があり、悪夢を洗い流してもらったような気持ちになった。すっきりと目が覚めて、満天の星空と月明かりの照らす海の景色が視界に広がった。

「すごいね、歌がとっても上手なんだ」
 
「うふふ、ありがとう。これでもわたしアローラでは有名なんだから。いつも夜になるとここで歌って……あら、お友達?」
 
 アシレーヌに言われて振り返るとゾロアがいた。昨日も今日もうなされていたことを薄々感づいていたらしく、いよいよ外に出ていったので心配になって後を追ってきたらしい。
 
「どしたのユウヤ、きのうからずっとヘンだよ」
 
 ゾロアは不安げに近寄ってきて、足に頭を擦り付ける。ユウヤは抱き上げて、よしよしと撫でた。
 
「悪い夢を見たんだ。あの白い女の子みたいな、ウツロイドってやつに海の底へ引き摺り込まれる夢。ニュースで見た時から心が落ち着かない。それで起きたら歌が聞こえてきたからここへ来たんだ」

「アレのこと、きになる?」

「うん。ラナキラマウンテンへ行けば何かわかるかもしれない。でも、船は出ないしダイケンキじゃ土地勘のないこの海は渡っていけないんだ。イッシュに帰る日まで、待っているだけになりそうで悔しい」
 
 ユウヤは半ば諦めたようにうつむいた。海辺で遠くを眺めてため息をついていたのは、これが理由の一つでもあった。
 
「ねぇ、あなたたちウラウラ島へ行きたいの? それならマンタインを呼んであげるわ」
 
「えっ、本当!?」
 
 善は急げ。アシレーヌからの提案にユウヤは急ぎ部屋に戻り、荷物をまとめてきた。アシレーヌの歌に合わせて海の向こうから波をかき分けてマンタインがやってきて、背中に乗せてもらった。乗り心地は不思議と柔らかく、揺れても落ちないようにバランスを取ってくれる。

「ありがとうアシレーヌ。行ってくるよ」

「いいのよ、ポケモンもニンゲンも助け合うのがアローラだもの。気をつけてね」

 空は白んで明け方が近いことを知らせている。マンタインに乗ったユウヤとゾロアは、雄大な海を渡っていく。キャモメの群れに手を振り、水平線から昇る美しい朝日に見守られ、目指すウラウラ島へ上陸した。なるべくラナキラマウンテンに近いところに寄せてくれと頼んだので、ユウヤとゾロアは黒い砂浜に降ろされた。

 島の上空には、ウルトラホールが開いていて今にも何かが現れそうな異質な雰囲気を漂わせている。見ているだけで鼓動が早くなりドクドクと脈打ち、痛みに声が漏れそうになるがユウヤはゾロアを心配させまいと唇を噛み締めた。
 
 まだ早朝だというのに、島に上陸するなりゾロアは耳をピンと立てた。辺りを警戒しているのだ。黒い砂浜はいるだけでも背筋が寒くなるような不穏な空気が漂っており、人の気配はしないのに見張られているような視線を感じる。
 
 観光パンフレットを頼りに崩れかけた村を通り抜けると、ラナキラマウンテンへ続く道には白い服を着た人々が機械を使って周辺を調べている。胸に銀色のエンブレムが鈍く光っているのを見るに、テレビに出ていたエーテル財団の調査員たちのようだ。怪しまれずに突破しなければ、辿り着けそうにない。
 ユウヤはダイケンキをボールから出して、強行突破の手段に出た。プラズマ団の研究所に突入したときと同じように。違うのは意思疎通がしっかりとできていて、ダイケンキに的確な指示を与えられることだった。普段なら「キュウ」とか「がうがう!」といった鳴き声しか聞こえないので難しいが、今のユウヤはポケモンたちと一心同体と言っても過言ではない。

「あのエレベーターに乗れたら上にいけるはずだ。頼むダイケンキ、人前に躍り出てからシェルブレードだ!」

「任されよユウヤ殿。我の剣技、とくとご覧あれ!」

 勇敢な性格のダイケンキらしい大振りなシェルブレードをあえて目立つ場所で撃たせ、野生のポケモンが暴れているから応戦しようと注目が集まった隙に今度は岩陰からランクルスを出して「サイコキネシス」で持っている機械を使えなくする。連絡手段を断てば増援が来るまでの時間が稼げる。エレベーターに乗り込みボタンを押して二匹を戻し、雪山の上に向かう。胸の痛みは更に増して、突き刺さる強さへ変わっていく。

「ぐうっ、あ……」
 
 流石に声が漏れた。ゾロアは大丈夫かと心配そうな表情で顔色の悪いユウヤを見つめている。大丈夫だよと撫でる手が震えているので、ゾロアはちっとも落ち着けなかった。このまま行かせていいのだろうかと内心では思っているが、必死に頂上への道を進むユウヤの姿に口を閉じた。
 
 麓の人間と連絡がつかないことが知れたのか、洞窟に入ると調査員の数が増えてきた。忌避剤を使っているのか野生のポケモンがいない。走り抜けるには都合がいい。先ほどと同じようにダイケンキに技を使わせて揺動しているうちに、外周へ出られた。先はまだまだ長く三分の一程度しか来ていない。騒ぎはどんどん大きくなり、あちこちに人員が追加で配置されている。幸いなことにまだ見つかっていないが、時間の問題だろう。
 
「誰だ、そこにいるのは!」
 
 探索範囲が広げられ、とうとうユウヤは見つかってしまった。志半ばでリーグにたどり着けずに終わるのかと思った瞬間、上空のウルトラホールが光り輝き、ウツロイドがわらわらと群れをなして現れた。鼓動はますます早くなり、ユウヤは急激な息苦しさに立っていられなくなった。このままではマズいと手持ちのポケモンたちを全員出したが、グラグラと視界が歪み地面が上になったところで意識が切れた。


 

「ユウヤ、ユウヤおきて! おきてよ!」
 
 ゾロアの叫ぶ声に意識を取り戻すと、ユウヤはいつの間にか触手で岩に縛り付けられていた。悪夢で見た深い深い冷たい岩の海が眼前に広がっている。まるで続きを見ているようだが、意識ははっきりとしている。紛れもなく現実だ。手持ちのポケモンたちはウツロイドに取り囲まれている。ゾロアだけが足元に駆け寄ってきていた。
 
「やめてくれウツロイド! 俺たちは敵じゃないんだ!」
 
「あの子の声だ」「意識が戻った」「変だ、雑音が混じってる」「こいつらのせいかも」
 
 ユウヤは話しかけたが、ウツロイドたちには話が通じない。囲んでいた手持ちポケモンたちに攻撃を仕掛けてきた。悪意は感じられないが、ユウヤから遠ざけようとしている。縄張りを守るように触手を伸ばし、毒液を放ってきた。未知のポケモン相手にはタイプ相性もわからないが、ユウヤはランクルスに指示を出した。毒液を受けても平気なランクルスが「サイコショック」を喰らわせると、ウツロイドたちは怯んだ。どうやら効果があるようだ。
 
 これで押し切れるかと思ったが、違和感を拭い去れなかった。ウツロイドたちは余裕があるかのように揺れているのだ。
 
「だぁいじょうぶだよユウヤ! ボクは毒なんかにやられないって知っててててってててえってあれ? ボク、なんで、溶けて」
 
 次の一撃を準備していたランクルスの身体を守るゼリー状の部分が毒々しい紫色へ変わり、ドロドロ溶けて地面にベチャと落ちた。ランクルスの特性はマジックガード、状態異常が一切効かないものだが、それはあくまでこの世界での話。異次元の向こう側からやってきた神経にまで作用する強力な毒までは無効化しきれなかったのだ。
 
「あ、がが、が、うがががが、あ、ユ、ウウヤ、たすけ、だずげでぇ!!!!」
 
 毒が体中に回り、ランクルスは苦しみ悶え悲痛な断末魔を上げて溶けてなくなった。皆が絶句する中、ウツロイドたちは赤いオーラに包まれた。移動速度がグンと上がり、毒液の量も増えた。突然のことにユウヤは理解が追いつかない。何故早くなったのか、技の兆候は見えなかった。特性だとするならば、かそくに類するものだろうか。一過性のものか、永続的なものか。

「ダイケンキちゃん! 危ない!」

 ユウヤが考えてばかりで指示を出せずにいると、ワルビルがダイケンキをかばって毒液を浴びていた。ワルビルの優しさが仇となったのだ。
 
「あっ、やめ、やめでぇ! ぐるじい、だずげでユウヤぢゃ」
 
 地面に伏したワルビルは触手に捉えられ、ゴキュゴキュと命を吸い付くされてものの数秒で骨と皮だけになった体がボトリと落ちた。また素早さが上がって、目で追いかけるので精一杯になった。

 トレーナーとして今までピンチは幾度もあったが、ポケモンが惨たらしく死ぬことなど考えたこともなかった。何か指示を出さなければダイケンキも死んでしまう。一緒に旅立った友まで失う訳にはいかない。ユウヤは声を張り上げて叫んだ。
 
「ダイケンキ、相手を引き付けてからハイドロポンプだ!」
 
「承知。喰らえ属共!」
「承知。喰らえ賊共!」

 アシガタナで毒液を切り裂き、近づくしかないと選択肢を迫ってからダイケンキは体内の水を溜め、勢いよく放ったハイドロポンプは、周囲を取り囲んでいたウツロイドたちを一斉に吹き飛ばし、空間に強い衝撃を与えた。ビリビリと空気に振動が走り、ウルトラホールがほんの少しだけ歪んで開いた。

「よし、これで……」

 吹き飛ばしたウツロイドたちが岩に叩きつけられ戦闘不能になり、ほっとしたその時だった。別の場所から開いたウルトラホールから増援が来ていたことに気づくのが遅れた。

 そしてダイケンキの勇敢さが仇となった。不意打ちを好まない彼は馬鹿真面目に正面に立ってアシガタナを振り上げ毒液をもろに受けてしまい、たちどころに平衡感覚を失ってその場に倒れ込んだ。
 
「我は、ユウヤ殿に出会わなければ捨てられていた。絶対に守ると、あの時誓った。ま、もる。我は、まだ、ずっと、見ていた」
 
 感覚不能に陥るダイケンキのアシガタナは、ウツロイドに届くこと無く落ちた。ユウヤはダイケンキのことを声が枯れるほどに呼ぶが、もう反応はない。涙が溢れてくる。一番不幸なのはユウヤだった。旅の苦楽をともにしてきたポケモンたちが殺されていくのに、何も出来なかったのだから。判断が遅かった、道具も使えない。トレーナーとして、これ以上の失態はない。
 
「片付いた」「よかった。今助ける」
 
「来るな! あっちへ行け、近寄るな!」
 
 増援のウツロイドたちは、ハイドロポンプに押し流された仲間を助け、一仕事を終えたようにお互いの身体を拭った。ユウヤは身を捩ってみるが、固い拘束は緩みもしない。
 
「おかしい、なにかある」「一つの器に二つある」「取り出そう」「取り出そう」
 
 一匹のウツロイドが頭上から覆いかぶさり、ユウヤを蝕んでいく。ジュワッと流し込まれる毒の焼けつく痛みに腕と足は伸び、体は逆に縮み、徐々に透き通ったガラスのようなものになる。体中の細胞が強制的に書き換えられ、変化していく。
 
「うぐっ、あっ、ああっ、嫌だ! 離せよ! みんなを返せ!」
 
 暴れてももがいても体の変化は止まらない。嫌がる気持ちを置き去りにゆっくりと、しかし着実に人間から遠ざかっていく。
 
 上から覆いかぶさった一匹の触手が胸部に触れ、そのまま体内へ侵入してくる。毒の効果か不思議と痛みはないが、不快感が内蔵を這い回っている。吐き出したくても迫り上がってこないもどかしさがどれほど続いただろうか、そのうちに触手は心臓の中の大事な部分に触れた。これを失えば完全に人でなくなると本能が猛烈に反発を起こす。動けない体は何度も跳ね、人であろうと抵抗する。意識が飛びそうになっては衝撃で揺り戻され、体が変化する痛みも強くなる。
 
「ううっ、くっ、ぐうっ! やめっ、あ、あ、あ……」
 
 触手はユウヤの中の大切なものを引きずり出そうとする。毒の回りが早く、興奮状態になったユウヤの顔は恍惚の表情に満ち溢れ、耐えきれぬ体の痛みに泡を吹いて声にならない叫び声を上げる。苦痛と快楽が同時に襲い、ユウヤは自分が今どこにいてどうなっているのかさえ知覚できなくなっていった。
 
 どうなってもいいから早く終わってくれと願うほどの激しい痛みと奇妙な快楽が頂点に達した時、体から真っ白な丸いものが抜けて、ユウヤは深い深い虚ろの青に堕ちていった。残った身と心は白く美しいウツロイドに生まれ変わり、仲間たちと触手を絡めて再会を喜びあった。抜き出した真っ白な丸いものは、ウツロイドたちが大切にしている石の中にそっとしまわれて、海には静寂が訪れた。
 
 阿鼻叫喚の地獄が広がる中、ゾロアはウツロイドに化けて岩の陰に隠れていた。ウルトラホールが開いたら向こうへ戻って助けを呼んできてほしい、それがユウヤからの指示だった。
 
 厳密にはゾロアはユウヤの手持ちポケモンではないので、指示ではなくお願いだ。けれどもゾロアはユウヤと旅の仲間たちのピンチを救うべく、願いを叶えられるタイミングをじっと待っていた。ランクルスが狂って溶けてしまっても、ワルビルが萎びて川と骨だけになっても、泣き叫びたいのをグッと堪えていた。ダイケンキの攻撃でウルトラホールが開いた時、気配を察知されないうちにそっと近寄って飛び込み、アローラへ戻ってきたゾロアはラナキラマウンテンのポケモンリーグにいた。人々の熱狂的な歓声が聞こえる。
 
「決まったーっ! 準決勝第二試合を勝利し、無敗の王者ダンデに挑むのは若きイッシュのチャンピオン、流星の織姫アイリスだーっ!」
 
 スタジアム内は興奮が渦巻いていた。よかった、人がいる。誰かに助けを求めなければ。ゾロアは入り口へかけていく。しかしこの時ゾロアは恐怖のあまり忘れていた。ウツロイドに变化したまま逃げてきたことを。
 
「おい見ろあれ」「ウツロイドだ!」
 
 胸にエーテル財団のエンブレムを光らせた警備員は、無線で応援を呼びゾロアを追いかけ回す。捕まらないように必死に逃げるゾロアは、なんとかして助けてくれそうなニンゲンを探さなければならなかった。ユウヤのことを伝えなくては。今のゾロアは使命感で動いていた。
 
「ヌル、ブレイククロー」
 
 冷たい攻撃の指示と共に鋭い爪の一撃がゾロアを襲う。氷に覆われた場所になぎ倒され、自分の顔を見てようやく変化を解いていないと気づいたが、パニックを起こしているゾロアは元に戻れない。戻りたくても体のどこに力を入れたらいいのかわからなくなってしまった。押さえつける鉤爪の主は様々なパーツが組み合わさって出来た、ツギハギのポケモンだった。助けてくれ、大切なニンゲンが大変なんだと声を出すが、通じないのか相手は黙して応えようとしない。

 そしてゾロアの自由気ままさが仇となった。ツギハギのポケモンが飛び退いたところにエーテル財団が対ウルトラビースト用に作成した捕獲装置、ウルトラボールが頭に当たって、中に吸い込まれていく。
 
 ユウヤの手持ちであったなら弾かれるところだが、ゾロアは旅についてきただけの野生のポケモンで、誰かの手の内の収まることを嫌っていたために今まで拒否し続けていたのだ。ウルトラボールは対ウルトラビースト用に開発されたボールだが、れっきとしたモンスターボールの一種であり通常のポケモンも捕獲可能な代物だ。憔悴しきったゾロアには抵抗できるほどの力は残っていない。三度揺れて、動かなくなった。
 
「よし! ウルトラビーストを捕まえたぞ! ほら見てくれ姉さん」
 
「よくやりましたねグラジオ。ヌルもご苦労さまでした。戻りなさい」
 
 ヌルと呼ばれたポケモンをボールに戻しながら、白い服に身を包んだ少女が弟の手柄に拍手を送る。

「ロトロト! ウツロイドの情報をポケモン図鑑に追加……ロ? これはゾロアだロト! イリュージョンで化けていたロト!」

 図鑑に入っていたロトムが情報を映し出す。少女は首を傾げ、弟はガックリと肩を落とした。
 
「どうしてゾロアがウツロイドに化けていたのでしょう……」
 
「なんだ、ゾロアか。せっかくウルトラビーストを捕まえられたと思ったのに」
 
「そう落ち込まないでグラジオ。財団に戻って、生体検査が終わったらあなたのポケモンにしましょう」
 
「えっ!? いいのか姉さん! やった、オレの最初のポケモンだ! 父さんにも見せてこなくちゃ」
 
「こらこら、お父様は財団の仕事でお忙しいのですから、あまり邪魔をしてはいけませんよ」
 
「わかってるよ。こいつの名前はもう決めてあるんだ。今日からお前はノワールだ、よろしくな」
 
 屈託のない無邪気な笑顔が、閉じられたウルトラボールに反射して光った。

 到着から五日目の朝。アローラを離れる予定の日、帰りの便が到着した。出発前の点呼でユウヤがいないことにガイドたちは初めて気づいた。ウルトラホール関係の対応に追われいつからいなかったのか把握しているものはおらず、マンタインサーフ貸出所にも利用記録が無いことから、島内のどこかにいるのではないかと推測されたが、観戦も観光もロクにできなかった他の客たちの怒りははちきれんばかり。一刻も早く出発しなければならなかった。

 探している余裕はない。これ以上は待てないと判断したガイドによってユウヤの名前は名簿から削除され、最初から乗っていなかったことにされた。
 真相は冷たい岩の海に沈んだまま。誰も知らない、どこまでも深い青の底。

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