ポケモン小説wiki
わたしのひつじ の変更点


*わたしの&ruby(し){%%ひ%%};つじ [#if4fe5fc]
CENTER:作者 -- [[十条]]
LEFT:
#contents
***名前と種族 [#hcfa11df]

ミネット…ドレディア
べランジェ…エルフーン

ラミ(ライチュウ)とミアン(ミミロップ)については[[子供たちの幻想郷]]を。
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***ひつじでしつじですから [#kb7dd901]

 私には悩みのタネが二つある。
 一つは、両親のこと。
 娘がそろそろ二十歳を迎えようというのに連絡も寄越さず、どこを飛び回っているのやら。この家の維持費や私の学費、仕送りだけはきちんとしてくれているのだが、月に一度帰ってこればいい方で、長いときには三ヶ月も会えないこともある。仕事で外国を飛び回るのも結構だが、もう少し愛情を注いでほしい。なんて、この年になって言えるはずもなく。私が母親になったら、絶対に子供と一緒に居てあげようと心に誓うことくらいしかできそうになかった。
「はぁ……」
 この広い家に住んでいるだけで、学友たちの羨望の的になることもある。学費を自分で稼ぐ者もいるし、奨学金を借りている者などは少なくない。そんな中私がこれ以上何かを望むなんて贅沢だから、私はいつも自分のことは後回しにして、自分を主張しないことにしていた。また、それが私の種族名にも冠された&ruby(レディ){淑女};の嗜みというものだから。
 そんな生粋のお嬢様――ドレディアのミネットは、ある秋の日曜日の午後、地方随一の大邸宅のバルコニーで空を見上げながら、いつもの考え事に耽っていた。曇りがちの空は重々しく、秋の花々が散りばめられた豪華絢爛な庭も、降り注ぐ光量が少なければだだっ広いだけの空間だった。かといって空が晴れていれば気分も晴れるかというと、生憎とミネットの頭はそう単純にはできていなかった。光合成で体は元気になるかもしれないけれど。
「お嬢様っ♪」
 出た。
「まーたそんな顔しちゃって。ご自慢の頭の花が枯れちゃいますよー」
 もう一つの悩みのタネを私に植え付けているのが彼である。私のひつじ、いや執事を務めるエルフーンのベランジェだ。
「おや……ああ、天気が悪いと気分も沈みますよね!」
 私は貴方ほど単純ではないの。
「てやー」
 ミネットの心の声が届くはずもなく、ベランジェは"日本晴れ"を使って空を覆う雲を取り払った。この屋敷の回りだけ、見事に円い穴が空いて、秋の柔らかな陽射しが降り注いだ。
「ほーら、笑顔笑顔っ」
「ちょっと、ベランジェ……!」
 ベランジェはミネットの肩に飛び乗ると、後ろからほっぺを引っ張ろうとする。
「&ruby(やめなさい、こら){やめらひゃい、ほあ};!」
 外部から物理的に干渉して無理に作ったものを笑顔とは呼ばない。この子は一体何を考えているというのか。子、といっても年は一つしか変わらないのだが。エルフーンという種族は根っからの悪戯好きで、いつまで経っても子供っぽいのだ。それだけだとただの傍迷惑なポケモンだが、相手の心の隙をつく能力を持つことに大きく関わっているらしい。つまり誰にもある無意識の瞬間、無意識の場所が、エルフーンには見えるというのだ。実際、彼はよくミネットが自分で気づかなかったことを気づかせてくれたりする。
「えへへ、ごめんなさい」
 ベランジェはミネットの肩から下りて、今度はバルコニーの&ruby(へり){縁};に腰かけた。ここは三階だから、もしミネットが同じことをすれば危険なことこの上ないが、エルフーンには背中の綿毛がある。ふわふわと風に乗って降下するくらい造作もないことなのだ。
「あ、花が開きました!」
「自分のことだから、わかっているわ」
「やっぱりお嬢様はその方が綺麗ですよ!」
「はいはい、ありがとう」
 花、というのはドレディアの頭に咲いている赤い花のことだ。空が晴れて、つぼんでいた花が開いただけのことなのだが。
「反応うすいですね」
「体が太陽に反応しても、気分までは晴れないもの」
「やっぱり悩み事があるんですか! 僕で良ければ何でもお聞きしますよ!」
 ベランジェは自信満々の笑顔で、自分の胸をどんと、いやぽむっと叩いた。そんな薄っぺらい胸に寄り掛かれるわけないでしょう。
 というか、悩みのタネの片割れがどの口で言う。
「えい」
 その胸を葉っぱの手でとん、と押した。
「あ」
 彼の後ろには、広大な庭が広がるばかりである。三階下に。
「ノオオオォォォォ……! お嬢様ぁあぁぁぁ……!」
 大丈夫だ、問題ない。

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***コッペパンねずみ [#d1965989]

 自己主張を抑えようとしているのに。ミネットは学校でも目立つ。なぜって、登校時や昼休みもちろん、時に授業中にまでピョコピョコ跳ね回る茶色いのがくっついているからだ。
 授業の入っていない時限や休講があると、ベランジェは必ずミネットの隣に座っている。ミネットは二回生、ベランジェは一回生なのに、どういうわけか真面目にノートを取っていたりする。学部は同じ(偶然ではなく、ベランジェがついて来た形で)なので役に立たないことはないが、履修していないので当然単位にはならず、来年同じ講義を取る必要がある。
 とにかく、何としてもベランジェはミネットの側を離れないのだ。ミネットとベランジェの関係を知らない者が見たらカップルにしか見えないだろうし、知っている者が見ても、執事と主人の関係を超えた何かがあるのではないかと思われても仕方がない。
「お嬢様、今日のお弁当の味はいかがでしょうか!」
「え、ええ……美味しいわ。このお茄子、コクがあるのにしつこくはなくて、味もよく染みているのね」
「流石はお嬢様、舌が肥えていらっしゃる! それは今日の僕の一番の自信作でして、茄子を揚げ浸しにしたのです!」
 食堂や中庭のベンチでこんな会話を繰り広げられては、友人も近づき辛いところがあるのだろう、ミネットは食事の時はだいたいベランジェと二匹か――「一回揚げてから出汁で煮るんだよな。いっこ貰っていいか?」――二回生になってからミネットと友好をもつようになったこのライチュウと三匹だった。他にも友人はいるけれど、話をするのはベランジェがいない時だけだ。彼女のように中に入ってきたからといって、ミネットもベランジェも気を悪くなどしないというのに。
「どうぞ。ベランジェ、いいわね?」
「もちろんです! ラミさんも是非食べてみて下さい!」
「お前の作ったおかずで外れはなかったからな」
 ベランジェは底抜けに明るくて、一点の闇もない。そんな彼の性格に惹かれたのか、ライチュウのラミはベランジェのことがいたくお気に入りらしい。
「美味いな! ったく、毎日こんな料理を作ってもらえるミネットが羨ましいぜ……」
「いやいや、恐縮です!」
 執事がこんな台詞を言うと本来は恭しさを感じさせるはずなのだが、ベランジェにかかれば語尾に『キリッ』という擬態語が本当に聞こえてきそうになる。
「よろしければ他のおかずもどうぞ。私は草タイプですから、こんな秋晴れの日にはあまり食べなくても平気ですので」
「くれるって言うんなら頂くけど、いいのか?」
 ラミはベランジェの顔を窺った。彼がミネットのために作ったお弁当だから、やはり抵抗があるのだろう。
「僕はラミさんに食べていただいてももう全然OKですよ! それに、お嬢様はふ――」
「ベランジェっ」
 ミネットはベランジェの言葉を慌てて遮った。これに対し不自然さを取り繕うべく放った台詞が、これだ。
「ふ……ふははははは! ていっ☆」
 神繋ぎを見せた。変なポーズまで決めて、これでは余計に不自然なだけだ。
「くくっ、お前なあ、もっと誤魔化し方ってもんがあるんじゃねーのか。そーかそーか、ミネットは太るのを気にしていたのか」
「ちょっとラミちゃん! そんなにはっきり言わないでくださいよぉ!」
 尤も、彼女にかかれば『ふ』の一文字が出た時点で、いや、会話の流れからもうそこにたどり着いていたのかもしれない。他のポケモンとは何かが違う。
 何か。そう、こんな言い方をするのも変な話だけど、別の世界から来たみたいな。
「にしてもお前ら仲良いよな。公認カップルだぜ」
「ち、違いますよ! ベランジェは私のひつ……執事ですから」
「そーなのかー」
 ラミちゃんは生返事で、ベランジェの顔を覗きこんだ。当のベランジェはというと。
「そーですよー」
 やっぱり。
「真似するんじゃないぜ」
「ぜ!」
 だめだこりゃ。
 ミネットはベランジェのほっぺを葉っぱ製の手の先で引っつかんだ。
「&ruby(お、お嬢様何を){お、およーひゃわやうぃうぉ};」
「いい加減にしなさい」
「本当、仲良いな」
 ラミちゃんは何がおかしいのか、しきりに笑っている。これでは面目丸つぶれだ。いや、ベランジェが私の執事である時点でもう面目などなかったのかもしれないが。
「ラミちゃんこそ……院生の方とラブラブなのでしょう?」
 だから、私の知り得る限りでただひとつの弱点をついてみることにした。
「な、なんでそれを……いや、ラブラブとかそういうだな、表現の仕方が違うっていうかだな」
 これが意外に効果覿面だったり。
「えっ、ラミさん彼氏いるんですか!」
「あ、ああ……まあ一応そういうことになるか」
「一応とか言っちゃって良いんですかぁ?」
「あー五月蝿いなもう。それぐらいで……でもあいつ結構子供だしな……怒るかな……」
 男の子みたいな喋り方で、普段あんなにサバサバしてるのに。なんていうか。
 おもしろい。
「だ、だいたい、お前ら中学生みたいな恋愛の仕方してる奴に言われる筋合いはないんだぜ!」
「だから恋愛じゃありませんって……」
「僕はお嬢様の執事ですから! ところでラミさん、付き合ってどれくらいですか?」
 始まった。
 悪戯心が転じた好奇心か、その逆か?
「……一年」
「ほう! 結構続いているんですね!」
「こういうのはあんまり他人に話したくないんだぜ」
「でもラミさんって絶対お姉さん気質だから年上って意外です!」
「よく言われる……って私の話聞いてるのか?」
「いやー、聞いてますよ! まだ聞きますよ!」
「だから」
「告白はどちらから?」
「お前な……」
「ねえねえ教えてよ!」
「素が出てるぜ」
「はっ! これは失礼致しました! して、どちらからですか!」
「おいミネット、何とかしてくれ」
「いえ、私も……聞いてみたいなって」
「はあ?」
「はい!」
「はいじゃねえよ」
 恋愛話――に限らず、ベランジェが一度興味を持った話を止めるのはミネットでも難しい。期待に爛々と目を輝かせるベランジェの姿に、さすがのラミちゃんも諦めたみたいだった。
 ため息を一つ、話し始めた。
「私がまだ中学生の時にな。告白して」
「おお、ラミさんからですか! しかも中学生!」
「人がせっかく話す気になってやったんだから聞けよな。そん時は色々あって答えは聞けなかったんだが、この大学で奇跡の再会を果たしたんだぜ。五年待たされたんだぜ」
「五年越しの恋! ロマンチックですね! ラミさん意外に乙女じゃないですか! おっとめー♪」
「……やっぱ話すのやめていいか? つかミネット、こいつに10万ボルトを見舞ってやりたいんだが許可をくれ」
「だ、だめですよう」
「必殺まもる! さあさあどーんと」
「よし殺す」
「ラミちゃ〜ん……」
 炸裂する電撃。稲光と轟音。そのすべてを笑顔のまま弾き飛ばすベランジェ。
「これで気が済みましたかラミさん!」
「ったく……調子狂うぜ」
「お嬢様のお怒りもよくこの方法で――」
「ベランジェ! 余計なこと言わないの!」
 悪気があるのかないのか知らないけど、ベランジェの悪戯心に振り回されてちゃストレスも溜まるわよ。だからって花びらの舞で暴れたりなんかしないんだから。
「怒ったら怖そうだよな」
「それはもう! お嬢様の花びらの舞の破壊力といったらむむむぐゆ」
 ミネットは葉っぱの手でべランジェの口をふさいだが、時すでに遅し。
「それは私も注意しないとな……」
「そ、そんなことありませんよラミちゃん、私がそんなことするわけないじゃないですか」
「どうだか。案外破天荒に見えるぜ」
 ああ、またべランジェのせいでラミちゃんに変な誤解を与えてしまった。
 この悪戯っ子をなんとかしないと、平穏な生活はいくら待っても訪れそうにない……。

***ぽわぽわうさぎさん [#c6e62ba5]

 帰り道。ベランジェが私をエスコートしてくれるのは良いのだが……。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「あ、うん……キミのせいじゃないから、うん」
 頭からずぶ濡れになったミミロップは、怒るべきなのかどうか迷っている――そんな微妙な表情をしていた。
 事の発端はもちろん私の執事……いや、羊である。ただの悪戯羊である。
 北部キャンパス、農学部にある農場で院生らしいミミロップが水やりをしていたのだが、ちょっと目を離した隙にベランジェが道路際にあったホースを引っこ抜くという暴挙に出た。結果、上向きの水道から勢い良く水が放出され、作業中のミミロップを急襲したのは言うまでもない。
「いいえ、私の羊の責任は私の責任です……!」
「……ひつじ?」
「あ、ごめんなさい執事です」
 ちなみにベランジェはミネットが強制逆土下座の刑に処したので強風でも吹かない限り自力で起き上がることは不可能だ。エルフーンは背中の綿毛のボリュームがありすぎるせいで、うまく仰向けにすると体が埋まってしまうのだ。
「おーじょーぉさまーごーめーんーなーさーいー」
 ――などと手足をばたつかせているが、私ではなく他人に迷惑をかけた以上は簡単に許す訳にはいかない。
「えっと……よ、良かったらお茶でもいかがですか? もちろん私が全額奢りますから!」
 ミネットは少し緊張していた。なぜって、そのミミロップがなかなかの美男子だったから。水に濡れてはいても隠しきれない、オーラというか匂いというか。
「あー……」
 それはミミロップの方も同じだった。ベランジェをちらりと見てミネットに向き直ったが、視線が定まらないみたいだ。
「……うん。じゃお言葉に甘えちゃおうかな。農場での作業もあと少しで終わるから」
「ありがとうございます!」
「いや、キミがお礼を言うのはちょっと違う気が」
 彼こそ噂のラミちゃんが五年越しで追い求めた恋人だったというのは後に知る話。ミネットはそのミミロップに好感を持っていた。
「いえいえ。せめてほんの些細な気持ちを受けとっていただくだけでも……そうしないと私が申し訳なくて仕方ありませんし」
 ちなみに、既に想像される通りこんな事は日常茶飯事である。
「あ、申し遅れました私、文学部二回生のミネットといいます!」
「ボクは農学研究科修士一回のミアンだよ。よろしくね」
 毎日のようにミネットをトラブルに巻き込むベランジェだが、今回ばかりは少し感謝していた。ミアンさんはとても感じの良さそうなポケモンで、ミネットにとってこの出会いは嬉しかったのだ。
 これが更なるトラブルの引き金になるとも知らずに……。

***喫茶店“心閃堂” [#va6822b8]

 大学の近くにある老舗の喫茶店は、昔からうちの学生が集まる場所として有名だ。文学部の学生などはよく哲学的な議論をしていたりして、それもここの風景の一つ……だったのだが、最近は滅法そんな学生も減って、恋話に花を咲かせていたりサークル活動の話し合いだったり、すっかり普通の若者でしかなくなってしまった。
「ね、ホントに何頼んでもいいの?」
 ミネット達三匹は、道路に向かう窓際の角の席を取った。ミアンさんは無邪気でどこか子供っぽくて、とても三つも年上には思えない。
「それはもちろんです! 元はと言えばうちの執事がご迷惑をおかけしたのですから……私にはお金くらいしか出せるものがありませんし」
「そんなコト言ってるとミネットちゃん、ヒモにされちゃうよ? ボクが悪い男だったらどうするんだい」
「その心配はご無用です! お嬢様の財布はこのベランジェめが管理しておりますゆえ!」
「……詰んだね」
「私も不安になってきました……」
 それならば何故ベランジェに管理を任せているのかと言えば、事実としてベランジェの経済的観念や計算能力は優秀だからだ。とにかく悪戯さえしなければ優秀な執事なのだ。
「ボクはコーヒーとサンドイッチのセットにしようかな」
「私は紅茶だけで……」
「お嬢様、僕も何か頼んでよろしいでしょうか!」
「……勝手になさい」
 ミアンさんを前にしても悪びれる様子もなく、あくまでハイテンションを維持しつづける。ミアンさんもミアンさんで、怒るどころかニコニコと笑って楽しそうにしているものだから、一匹だけ気まずく感じているこっちが莫迦みたいだ。
 ベランジェが店員を呼んで注文し、品が届くまでは軽く世間話の一つでも、そう思っていたのだが。
「えと……」
「うん?」
 ミアンさんの澄んだ子供みたいな瞳に見つめられると喉まで出かかった言葉が出ない。
 私、そんなに緊張してる?
「いえ……み、ミアンさんって、どんな研究をしていらっしゃるのですか?」
 こうして誰かに食事を奢る機会も(主にベランジェの所為で)珍しくないし、慣れているはずなのだけれど。
「ボクの研究かい? 文系のキミが聞いてもつまらないんじゃないかな」
「せっかく大学にいるのですから、色々な方のお話を聞いて見分を広めなくてはもったいないですから。理系の方のお話は私達には興味深いものですよ」
「ほむ……」
「どうしたんですか」
「いやあ、前に彼女に同じこと言われちゃってね」
「ゑっ」
「おや、お嬢様が固まりました! これで六連敗です! おめでとうごあああああう」
 冷静にベランジェの口をふさぎつつ、私はミアンさんに愛想笑いを返した。
「いえ、何でもないんですのよ何でも……」
「ボクってやっぱり不器用なのかな。なんか変な期待させちゃったみたいでごめんね」
「べ、ベランジェの言うことなんて信用しちゃだめですよう。さっきもミアンさんにあんなひどいことをしたんですよ?」
 ウェイターが頼んだ品を運んできたので、会話はここで一時中断した。ベランジェを解放してあげると、嬉しそうにパフェに飛びついた。いつ心の隙をついて爆弾発言が飛び出すか、警戒は必要だが、というかその警戒の隙を的確についてくるので無意味だが、とにかくパフェを食べていれば少しは安心して会話できる。
「はあ。ミアンさんくらいお綺麗な方なら彼女の一匹や二匹いますよね……」
「綺麗? ボクが?」
「綺麗ですよ」
 本当は彼の魅力を何と形容して良いかわからなかった。すくなくとも格好いいではないし、男前はもっと遠いし、強いていえば可愛いのかもしれないけれど、年上のお兄さんって感じはちゃんとするし。
「女の子の感覚ってよくわからないなあ。可愛いとか綺麗とか、ボクたちの言うそれとはちょっと違う気がする」
 サンドイッチを頬張る姿は可愛いと思う。
「男の子は視覚的に……女の子は雰囲気で、でしょうか」
「ボクの雰囲気が綺麗ってコト? それにしたってボクなんかよりミネットちゃんの方がよっぽど綺麗じゃない」
「はい! お嬢様はお綺麗ですよ! なんたってこの僕が執事を務めておりますからね!」
「人前でそういうこと言わないの。はしたないんだから……」
 ベランジェが執事でなかったら悩みもなくなって、私の花ももっと綺麗になるのに。逆ではないのかしら。
「ふふ。その子じゃダメなのかい?」
 ミアンさんがコーヒー片手に、ベランジェと私のやり取りを微笑ましげに眺めながらそんな事を言った。
 一瞬、何のことを言っているのかわからなかった。
「僕とお嬢様がですか? いやー執事と主人の恋愛は御法度なのですよ! 七連敗ですよ!」
 ベランジェが答えたのを聞いて、初めてその意味を理解した。私が、ベランジェと?
「な」
「な?」
「ないないないないない無・い・で・す! ってベランジェ、どうして失恋カウントが増えるのよ? 私はあなたに恋なんかしていません!」
「はしたないですよお嬢様そんな大きな声で」
「あなたにだけは言われたくないわよ」
「そうですね! ではミアンさんお願いします!」
「え? ボクがかい?」
「ベランジェのペースに巻き込まれてはいけませんよミアンさん……」
「ボクは入らない方がいいよね。二匹の世界だし」
「ちがいます」
「お嬢様はマイペースで困りますねー」
「マイペースじゃなきゃあなたとはやっていけません」
「ふふ。応援したくなるんだけどなあ」
「僕は禁忌は侵しませんよ! 真面目な執事ですから!」
 ぽむっ、と胸を叩くベランジェには、突っ込む気力まで全て奪い去ってしまうくらい説得力がない。
「執事でなくてもそれはありえません」
 ベランジェと恋人同士になんて……


(・ε・)(・ε・)(・ε・)(・ε・)(・ε・)(・ε・)(・ε・)(・ε・)(・ε・)(・ε・)

「お嬢様」
 夜、寝室のベッドの際に立つベランジェが、何かを求めるような瞳で私を見つめている。
「おいでなさい」
「Yes, my lady. 仰せのままに」
 そうしてベッドに入って、彼の小さな体を抱きしめて。
「お嬢様……」
「ベランジェ……」

(・ε・)(・ε・)(・ε・)(・ε・)(・ε・)(・ε・)(・ε・)(・ε・)(・ε・)(・ε・)

「ああああああああう」
「ど、どうしたんだい急に」
 変な想像をしてしまった。やだやだ。何考えてるの私。
「お嬢様は時々このように頭を抱えて奇声を発することがあるのです」
「誰の所為よもう!」
 でも、どうして嫌いにはなれないのかしら。
 執事、ねえ。

***乙女心コッペパン [#i40dc57d]

 私はただ運命の糸だけを追っていた。私に見えた糸は&ruby(まぼろし){幻想};ではなかった。それだけで良かった。
 しかし彼と再会を果たした(彼は他の子供達と同じく、あの世界のことは忘れているが)となれば、せっかくなので大学生活も楽しみたい。華のキャンパスライフなど夢見てはいなかったが、文学部といえば学友とのてつがくてき議論だ。
 なんて、華のキャンパスライフの方がまだ簡単だったかもしれない。真面目に議論をするような学生は希少種で、ただでさえ他のポケモンを寄せつけない雰囲気がある(らしい)私は一年間、ついぞそのような仲間に出会うことはなかった。そこで私はポケモン観察をすることにしたのだ。これがなかなか楽しく、将来はその方面の研究をするのも乙なものだ、なんて思っている。
 閑話休題。
 私の運命の相手は農学研究科の院生のミミロップで、無邪気で純粋で愛嬌があり優しく、年上なのに子供っぽいのが玉に傷だがおおよそ文句のつけようのないポケモンである。
 今日は約束はしていないが、サプライズで遊びに誘ってみようと北部キャンパスへ足を運んでいた。
 その道中である。
「ん?」
 喫茶店で楽しそうに談笑している彼の姿をガラス越しに見かけた。向こうはこちらに気づいていない。
 喫茶店にいる事自体には何も問題はないのだが。
「ミネット……?」
 ミアンと会話している相手はあのミネットではないか。いつも執事のエルフーンを引き連れている生粋のお嬢様ドレディアで、ラミの数少ない友人の一人である。それがミアンと二匹で喫茶店(横に綿毛が見えるがパフェに夢中で会話に参加している様子はない)とは、どういう了見だ。そも、ミネットはミアンと面識がないはずではないのか。
「むむむむぐぐぐぐぐぬぬぬぬぬぬ」
 気がつくと意味の解らない声を漏らしていた。困惑、混乱、疑惑、閃光、白紙。
 私は慌ててその場を離れるより他になかった。


(・ε・)(・ε・)(・ε・)


 翌日の水曜日。改めて、今度は約束を取り付けてからミアンの所へ向かった。今日は研究室の作業がいつもより早く終わるらしく、ラミも四限までなので時間がある。
 昼休みにミネットには会ったが、昨日の事は聞かなかった。正確に言えば問い質す勇気が出せなかった。
「ラミちゃーん!」
 そんな私の心境を露知らず、ミアンはぴょこぴょこと跳ねながら手を振っている。
「でかい声出すなって……」
 でもミアンの嬉しそうな顔を見て少し安心した。私に対する気持ちがなくなったわけではないらしい。
「あはは、ごめんごめん」
「ただでさえお前は目立つんだから自重してくれ」
「ボクって目立つの? ミミロップって地味な色してると思うけどな」
「いちいち跳ね回るからだってば」
 ああ、だめだ。昨日のことを聞く機会を見つけられそうにない。
 なんでミネットと一緒にいたんだ。もしかして二股なのか。知らなかったのは私だけで、ミネットは最初から……いや。ミネットはそんな表裏のありそうなポケモンではない。ことはない。むむ。
「どうしたのラミちゃん。浮かない顔して」
「浮いた顔すればいいのか。そんな簡単にデレないぜ私は」
「またまたぁ。そうやってごまかそうとするんだから。話を聞くくらいしかボクにはできないかもしれないけど、話してよ」
 お前のことだからお前に言うしかないんだが。
「喫茶店行こうぜ喫茶店」
「心閃堂?」
「どこでもいいけど。近いしそれでいいか」
 心閃堂。
 老舗の喫茶店の店名に相応しい心の閃きは、もうほとんど生まれていない。昔は様々な閃きが生まれ、議論され、多くははかなく消えてゆき、大人になり……そういう意味ではまだ、私達は大人になりきれていないのだ。
 それも今は昔。近頃の大学生ときたら、男がどうだ女がどうだと(哲学的な意味では決してなく)、やっていることは高校生となんら変わりないではないか。いや、真面目に勉強し部活動に励む高校生の方がまだまともかもしれない。そも、自堕落な生活を送りながらでも卒業できてしまうこのシステムに問題がある。
「ラミちゃん」
「……ん、ああ?」
「注文は決まった?」
「おおう。私はコーヒーだけで」
「ボクはミルクティーにしようかな」
 ミアンが店員を呼んで注文を伝える姿を見ながら気づいた。私や彼も近頃の大学生となんら変わりないではないか。これから話題にしようとしているのは、彼が昨日他の女と一緒にいたことについてなのだ。
 ミネットのやつ、なんでミアンと。
「昨日さあ、ボク酷い目にあったんだよ」
 こちらが言い出せないでいると、ミアンの方から話し始めた。
 空いていたのでコーヒーとミルクティーはすぐに持ってきた。
「酷い目?」
 コーヒーはブラック派なので、ミアンがミルク挿しから紅茶にミルクをどぼどぼと注ぎ、角砂糖を放り込む姿を見ながら一口。うん、キレのある苦みが堪らない。
「農場で水やりしてたらさ、悪戯っ子にホース引っこ抜かれて頭からずぶ濡れになっちゃったんだよ」
「とんでもない奴だな」
 悪戯っ子と聞いて思い浮かぶのはあの執事くらいのものだが。
「なんかその子、執事……らしくて」
「ぶっ」
 私のコーヒー返せ。
「ど、どうしたの」
「お前、昨日それでミネットと一緒にいたのか!」
 おしぼりでコーヒーを拭きながら、妙に納得していた。どうせミネットのことだ、ベランジェのイタズラをダシにミアンをお茶にでも誘ったのだろう。
「えっ、ミネットちゃんのこと知ってるの」
「同じ学部の友達なんだぜ……」
「そうだったんだ。そういえばラミちゃんと同じこと言ってたな。気が合いそうだね」
「お前と?」
「キミとだよ」
「あ、ああ……まあ、そうかもな」
 調子狂うな。納得したはずなんだが、この胸の引っ掛かりは。
「もしかしてラミちゃん」
「何だ」
「ヤキモチ焼いてる?」
「ぶっ」
 ああ私のコーヒー。
「もう、きたないなあ」
「お前が変なこと言うからだろ!」
「べつに変なコトは言ってないと思うけど」
「私がやきもちなど焼くか!」
「そうだよね。ラミちゃんらしくないもんね」
 完全に負けている。私の方がミアンにベタ惚れで、ミアンもそれをわかっていて、だから余裕なのだ。
「あ、友達だったんなら話は早いや。あの子達のことでラミちゃんに相談しようと思っててさ」
「何だ相談って」
「ほら、応援したくならない? あの子達」
「応援ってお前、あいつらをくっつけたいのか」
「ミネットちゃんは出会いを求めてるけどずっとうまくいかなくて、ベランジェくんはミネットちゃんのコトが好きみたいだけど執事と主人の関係でそれはやっちゃいけないって思ってる……これはもうあの二匹をくっつけるしかないじゃない! ボクたちが恋のラブカス((キューピッドの意))になろうよ!」
「はあ?」
 どこの女子高生だよお前。
 こいつが妙に子供っぽかったり女っぽかったりするのはわかってることなのでいちいち突っ込まないが、内心笑ってしまいそうになる。まあ私がかなり男っぽいのでカップルとしてはバランスが取れているかもしれないが。
「つかベランジェってミネットのこと好きなのか? 全然見えないぜ」
「ミネットちゃんが真面目に付き合ってって言ったら一発オッケーしそうな勢いじゃない?」
「そりゃお前、純粋な子だからだろ」
「いくら執事でも好きじゃなかったらあそこまでミネットちゃん一筋になれないよ。純粋な子だから恋だって気づいてないんだよきっと」
「言われてみれば」
「ボクが彼女持ちだって知ったら、うっれしそーに『六連敗です!』なんてさ。きっとホントは狙ってるんだよ」
「……あれだけ一生懸命な子ならミネットも文句ないと思うんだが、何が駄目なんだ?」
「悪戯……かな?」
「何だそれ。可愛いじゃねえか。私だったらそんなもん許しちゃうぜ」
「ボクも悪戯してもいい?」
「それはやめろ」
「どうしてさ?」
 どうしてってお前。
 ミアンが悪戯なんかしたら本気で怒れないし知らないふりはできないし。
「……私が大変だからに決まってるだろ」
「ちょっと困らせてみたいな」
「今困ってるんだ」
「そうなの?」
「もういい。それよりあいつらの事だろ」
 ミネットとベランジェをどうくっつけるか。
 ラブラブ大作戦ってか。やかましいぜ。
 心のなかで一匹ノリツッコミをやりながらも、本当は心が踊っていた。
 成就した恋ほど他人に語るに値しないものはなく、こちらは成就してしまったので後は二匹の世界を楽しめばそれで良い。となると、まだ発展途上の他人の恋を見守ることでその楽しさを何度も追体験することによって……
「ラミちゃんもそういうところは女の子なんだね」
「私を何だと思ってたんだ」
 まあ、要するにそういうことなんだが。
「ボク、面白いコト考えたんだ」
「ほう」
 ミアンがラミの耳元に口を寄せた。
 長い耳が体に触れて、ああ、この香りは私を……酔わせる。
「あのね……」

***レンタル執事 [#c1876ce2]

「なあミネット。折り入って頼みがあるんだぜ」
 ミアンさんとの一件があった翌々日、ラミちゃんが真面目な顔で相談してきた。ベランジェは自分の講義に出席していて今はいない。
「何かしら?」
「ベランジェをしばらく貸してほしいんだが」
「ゑ!?」
「おいおい&ruby(レディ){淑女};が頓狂な声あげるなよ。私はお前のひつじ……じゃない執事を貸して欲しいって言っただけだぜ」
「だ、だめですよう。ベランジェは私の……」
 私の……何なんだろう。執事には違いないのだけれど。
「べ、ベランジェだって男の子ですよ? 一匹暮らしのラミちゃんにお持ち帰りさせてしまうわけにはいきません……!」
「バカヤロ、いくらベランジェが可愛いからって手は出さねえって。私にはミアンがいるんだから」
「えっ!? ミアンさんって……ミアンさんの彼女ってラミちゃんだったんですか!」
「ああ……そういや言い忘れてたぜ」
 ラミちゃんがミアンさんの彼女、ってことはだ。ミアンさんから話を聞いて、ベランジェに復讐するつもりなのではないだろうか。
 私だって、もしベランジェが誰かに理不尽な目に遭わされたら黙っていられない。いかに普段の行いが悪いと言えども、だ。
「お嬢様ー! ラミさーん!」
「おお、本人様のご登場だぜ」
 ベランジェに向ける視線や表情を見る限りでは、ラミちゃんにそんな気はなさそうだけど。
「講義はどうしたの?」
「教授の私用で早く終わったのです! それよりお二方、何のお話をしていたのですか?」
「それがね、ベランジェ……」
 こうなったら本人に話して、決めてもらおう。ラミちゃんとベランジェの間に確執はないのか、それと、ベランジェは私の事をどう思っているのか。
「ラミちゃんが、あなたをお持ち帰りしたいんだって」
「待て、誤解されるような事を……」
「僕をですか! ラミさんも執事が欲しいのですね!」
「そう! それだけだぜ。変な事はしないぜ」
「うーん……」
 強調するところが怪しいけれど、ベランジェは気にも止めていない様子だ。
「僕がいないとお嬢様は何もできないのでだめです!」
「ほむ」
「ベランジェ、それはあまりに私を莫迦にしていないかしら?」
「というと!」
「まるで私を無能みたいに言うのは心外だわ。私はあなたがいなくても生きて行けます」
「ほむ」
「それでは……お嬢様は僕をラミさんに差し出してしまわれるのですか?」
「勝手にどこへでも行きなさい」
「そんなぁ」
 ベランジェが珍しく悲しそうな顔をした。普段は何を言ってもまるで堪えないのに。
「イヤなら無理にとは言わないぜ」
「そんなことはないのですが……ラミさんの頼みでしたら喜んで引き受けさせていただきますよ!」
「おお」
「そう。せいぜいおふたりで仲良くしてくださいね。それでは私はこれで」
 なんかよくわからないけれど、面白くない。数日の間くらいベランジェがいなくたってどうということはないし、大学に来れば会えるんだし。べつに会わなくたって。予てより悩みのタネだったのだから、羽を伸ばす良い機会じゃない。
「一匹の時間を伸び伸びと楽しみましょ!」
 自棄になんてなっていないんだから。
***レンタル羊 [#te765864]

 ベランジェは確かに有能な執事だった。
 料理はうまいし掃除も洗濯もてきぱきとやってくれるし、こちらの行動を先読みして立ち回ってくれる。
「ただいま戻りました!」
 私が読書をしている間に夕飯の買い物まで。夢の全自動生活だ。
「おう。ありがとな」
「礼には及びません! 今の僕はラミさんの執事ですから!」
 優秀な執事ではある。
 のだが。
 本を本棚に戻そうとして、違和感に気づいた。
「しかしこれはなんだ?」
 違和感などというレベルではない。
 マイ本棚のコレクションが全て上下逆さまになっているではないか。
「ひゃー! バレてしまいました!」
「いつの間にこんなことを……」
 全く気づかなかった。
 集中して読書をしていたとはいえ、周辺視野には入るはずなのだが。
 これがエルフーンの特性というやつか。
 私は黙って一冊ずつ元に戻してゆく。
「おや? 怒らないのですか?」
「怒られたいのか?」
「できれば怒られたくありません!」
「ったく……こっちはいいから晩メシの準備を頼むぜ」
「はい、ラミお嬢様!」
 作戦のためとはいえ、何故私がこいつを預かる役回りになってしまったのか。
 ミアンの提案というのが、ミネットとベランジェをしばらく引き離すという作戦である。
 夢で出逢い、夢枕に立ち続けた彼の姿を追って、夢に導かれて再会するまで。
 逢いたいという気持ちが消えることはなかった。
 本物なら、離れていても、どこにいるかわからなくても逢いたくて逢いたくて胸が張り裂けそうになるんだ。
 こいつらもそうして互いの気持ちに気づいてくれれば良いのだが。
「らんらんらん♪ お料理楽しいなー」
 あれから三日、このド天然悪戯執事にそんな様子は一分たりとも見られない。
 ミアンのやつ。何が『絶対うまくいくって!』だ。ミネットはミネットで絶対に自分のペースを崩さない、ある意味冷静沈着なところがあるし、今頃ベランジェを心配しているかどうかさえわからない。本当に宣言通り涼しい顔をして羽を伸ばしているかもしれないのだ。
「なあベランジェ」
「はい!」
「一週間も放っておいて、ミネットの事は心配じゃないのか?」
「ミネットお嬢様とは毎日学校でお会いしていますから。花の色もお美しいままでしたので健康を損なったりなどはしていないようです!」
「お前に普通の質問をした私が莫迦だったぜ」
 これ以上の期待はできないと思い、ひっくり返った書籍を元に戻す作業を再開した。
 一冊を手に取ったその時である。
「ぅおっ!?」
 その横に並んでいた本が十冊ほど引っ張られて、バラバラと崩れ落ちたのだ。
「わーいわーい! 引っかかったー」
 正体は細い紐である。
 この迷える子羊ならぬ何かを血迷った子羊野郎は私の大切な本に穴をぶち開け、紐を通したというのだ。本の重みに引っ張られて紐は切れてしまったようだが、当然本に空いた穴は残っている。
「なあベランジェ」
 私は声の震えを抑えながら、ベランジェの頭にぽんと手を乗せた。
 ミアンの提案を受け入れたことを激しく後悔した瞬間だった。
 その後ベランジェの体に10まんボルトの電圧がかけられたことは言うまでもない。

***全開マイペース [#j695a369]

 短い足を回転させるようにして全力疾走。ポケモンの中では足が遅い方ではないけれど、不格好だ。衆目に晒すべき姿ではない。
 また寝坊してしまった。
 勘違いのないようにことわっておくが、何も毎朝ベランジェが起こしてくれているわけではない。あの羊は早朝から私をどんな悪戯で起こしてやろうかと悪巧みをしているから、おちおち寝ていられないのだ。だからベランジェがいないと安心してついつい。
 私は一限開始ギリギリで講義室に滑り込んだ。大講義室体の大きさに合った席がすでに空いていないので、少し大きめの所に座ることにする。
 ラミちゃんが慌てる私の様子を見てほくそ笑んでいた。
「もう……」
 既にフーディンのヒーゲ教授が超能力で&ruby(ポケモン){人};力パワーポイントをスクリーンに映し、講義が始まっている。急いでペンとノートを机の上に出した。
 ルギアとホウオウの誕生秘話について……その共通点と差異点……。

 九十分の後講義が終わり、私はラミちゃんと合流して次の英語の講義室に向かう。
「ようミネット。今朝も寝坊だったのか?」
「間に合ったことですし……寝坊ではないと思うのですが」
「ギリギリセーフだな」
「ギリギリでもセーフはセーフですっ」
「へいへい。ところでベランジェの事なんだが」
 ベランジェは今日を含めてあと三日間はラミちゃんの執事だ。また何か問題でも起こしたのだろうか。
「なんですか」
「機嫌悪そうだな」
「ベランジェのことなんてどうせ良い話ではないのでしょう?」
「ところがどっこい、いい話だぜ。期限には早いがベランジェはお前に返すことにした」
「えっ」
「執務の恩恵と悪戯の被害の割が合わない……」
「また何かベランジェがとんでもないことをしでかしたのですか」
「私の本に穴を空けたんだぜ。十冊も」
「じ、十冊!?」
 心配してはいたのだけど。あの子ってば本当に限度というものを知らないんだから!
「ご、ごめんなさい! 私が弁償しますからどうか許して下さい」
「いや、無理言って貸してもらったのは私だからな」
「で、でも、私にも管理責任がありますし……も、もちろんベランジェのお給金からも差し引きますよ、そうしないとあの子も反省しませんから」
「あいつ反省とかするのか? 怒られても全く平気っつーか、効果がないみたいだ。怒る気も失せてくるぜ」
 悪戯好きはエルフーンの性質だから仕方ないのかもしれない。しかし理性を以てすれば本能を抑え込むことだってできるのだから、そんなのは言い訳だ。だいたい私が諦めてしまったらいっそう歯止めが利かなくなるに違いないし、学生のうちはまだいいけど卒業したら私の仕事のパートナーとして働いてもらわなければならないのだ。あれでは社会に出られないのではないか。
 どうして私がベランジェの教育係にならなくてはいけないの。
 英語の授業が始まってしまい、話は昼休みに持ち越しとなった。

***スタイリッシュ返却 [#qf9632d1]

「氷の神、炎の神、雷の神の管理者、海の神ルギア。古代ポケモン三匹を従えるホウオウ。違わないと思うんだがなあ」
 私に言っているのかもしれないし、独り言とも取れる。
「一限のあれですか?」
 フリーザー、ファイヤー、サンダーは自らルギアに従っているわけではない。一方でスイクン、エンテイ、ライコウはホウオウを恩人とし忠誠を誓っている。ルギアは三羽の神鳥が暴走しないように抑制し、ホウオウは三頭の古代ポケモンを空から見守る。ルギアとホウオウの立場は似通っているが、ルギアは三羽の父でありホウオウは三頭の母である。
 そんな考察だったと思う。
「三話を力で押さえるルギアは父的で、三頭を優しく包容するホウオウが母的とするのは浅いと思うんだ。見守るのは父親の役割だと思わないか?」
「言われてみると……」
 現実を見なさいと言う母親像、ロマンを追いかけてみろと背中を押す父親像が私の頭に浮かんだ。
「逆の解釈もできるんだよな」
「そうですよね」
「私は思うんだが、特殊な主従関係……そう、ちょうどミネットとベランジェのような関係だと考えた方がしっくりくるんだ」
「どうしてそこで私とベランジェが出てくるのですか?」
「ラミお嬢様! お待たせして申し訳ございません!」
 ベランジェがぱたぱたと走って食堂のテラスに現れたのを見て疑問は深まったがそんなことよりも大切なことを思い出した。あろうことかラミちゃんの本十冊に穴を空けたとか。
「いやー二限の講義が延長されてしまいまして……お嬢様もご機嫌麗しゅうございますか? 何やらしかめっ面をなさっておりますが!」
「ベランジェ。話があります」
「なんでしょう!」
 ラミちゃんはこれから楽しいショーが始まるのを待つ子供みたいな顔で、私とベランジェを交互に見ている。期待に応えるつもりはないが、言うべきことは言わなければならない。
「ラミちゃんの執事はおしまい。すぐに私のところへ戻ってきなさい」
「おお! やはりお嬢様には僕の存在が必要不可欠であるとお気づきになられたのですね!」
「何を寝ぼけているの。ラミちゃんにこれ以上迷惑をかけないために決まっているでしょう」
「へ? 僕がラミさんのご迷惑に?」
 ベランジェは途端に目を潤ませて我関せずの態度を取るラミちゃんを見た。ラミちゃんは少し戸惑ったのか、取り繕うように
「いや、役に立ってもらってるぜ?」
 とはぐらかした。ベランジェには遠回しな物言いなど通用するはずもなく。
「それなら安心しました!」
 ベランジェの顔がぱあっと明るくなった。今までのやり取りは一体なんだったのか。私はまた頭を抱えたい衝動をこらえなければいけなかった。
「とにかく。ラミちゃんもベランジェを私にお返ししたいと言っているのよ」
「つーことだベランジェ。ミネットの&ruby(もと){下};に帰ってやれ」
「ええ、よろしいのですか? まだ僕を自由に使える時間は残っているのですよ!」
「ああもう! いいからお前はもっと素直になれ!」
 ラミちゃんはベランジェの体を尻尾でいきなりぐるぐる巻きにしてコマを回すみたいに放った。「あーれー」「きゃっ……!」回転しながら飛んでくるベランジェを私は反射的に受け止めてしまう。
 ぶつかった時偶然にもベランジェは私の方を向いていて、彼を胸に抱く格好となってしまった。この仔ったら、よく見ると可愛い顔をして――
「お、お嬢様……?」
「へ? あ、あらやだ私ったら」
 顔が熱い。慌ててベランジェの体を離したが感触はまだ残っていて、どうしてか気恥ずかしい。どうしてしまったのかしら。
「お前らなあ……私の苦労は何だったんだよ?」
 何のことか私にはわからなかったが、ラミちゃんは単純すぎるだろ、と独り言を呟いていた。

***ノースタイリッシュ帰宅 [#id5e4e84]

 授業が終わり、私はミアンさんと出会った農場を横目に北部キャンパスをベランジェと並んで歩いていた。
 今日は彼の姿は見えない。
 実はベランジェのいない間、ミアンさんと話す機会があったのだ。変にふわふわしていて、何かを期待するような目で私に尋ねた。「ラミちゃんがあの子を借りて何をしたいのかボクにはわからないけれど……キミは平気なの?」と。即答で平気です、と答えはしたが、いざ彼が私の下へ帰ってくると自分にも見えない穴が空いていたことに気づかされた。妙な安心感に包まれる。私一匹で家事ができないわけじゃない。それでも、認めたくはないけれど、ベランジェの存在は今の私にとって必要らしかった。
「お嬢様ー。今晩の夕食は何になさいます? しばらく僕のお料理を食べられませんでしたから、お嬢様のお好きな物何でも作っちゃいますよ!」
「何だか上品なお料理よりも、重量感のあるものをたくさん食べたい気分だわ」
 光合成のできる草タイプは他のポケモンよりも摂取カロリーが少なくて済むのだが。
「ふむふむ。丼ものなどいかがでしょう?」
「いいわね」
 今日はどこからか食欲が湧いてくる。つっかえ棒が取れたみたいに。
「お夕食の話をしているとお腹が空いてくるわね」
「僕も今からお嬢様のお喜びになる顔が楽しみです!」
「期待してるわ。早く帰りましょう!」
 私は上機嫌だった。
 悩みのことなんて忘れていた。
 帰り道、ベランジェが通行人のナットレイに後ろからわたほうしを振りかけるまでは。

***野菜丼 [#mfd2713f]

 狙い通りナットレイのトゲトゲははわたほうしがくっついて取れなかったのが面白かった。お嬢様には怒られたけど。
「ヤゲキヤゲキヤゲキッスヤードランヤドランヤサイドンー?((http://www.nicovideo.jp/watch/sm13100497))」
 ベランジェは一匹厨房に立ち、お嬢様のために野菜たっぷりのヘルシーな中華丼を作っていた。帰り際には重量感のあるものを食べたいなんて仰有っていたのに、ナットレイにちょっとした悪戯をしただけでお嬢様は食欲がなくなってしまったというのだ。困ったお嬢様である。そこで親子丼はやめにして中華丼を作ることにした。ミネットお嬢様の執事たる僕は、彼女を喜ばせるためならどんなわがままでも叶えてみせる。
「ヤゲキヤゲキヤゲキッスヤードランヤドランヤサイドーン?」
 僕は執事なのです。
 お嬢様はご主人様なのです。
 僕は男としての役割は持てないのです。
「ヤゲキヤゲキヤゲキッスヤードランヤドランヤサーイ・ドーーーーン?」


 厨房を覗いてみると、意味不明な謎のフレーズとじゅうじゅうと野菜を炒める音がミスマッチして不協和音を奏でていた。あれで実際料理の腕が確かなのだから世の中わからない。変な歌とベランジェの危なっかしい後ろ姿に目をつぶれば、漂う中華風の香りはたしかに食欲をそそる。
「おや。これはお嬢様。もう少しで出来上がりますのでリビングルームでお待ち下さい」
「私にお手伝いできることはないかしら?」
「お、お嬢様が……?」
「なあに。私はそんなに信用がないのかしら」
「いえ、決してそのような! あまりに意外なお申し出でしたので驚いてしまっただけです」
「私だってベランジェを手伝いたいと思うことくらい……」
 私は一体何を言っているのかしら。これではまた誤解を生んでしまうわ。
 ここ三日間、私一匹で全てをこなしてきた。あと四日間はそのつもりだったのにいきなり中断されてしまって、肩透かしをくらったような気分だったから、自分で動かないと精神によろしくない。それが理由なのに。
「お、お気持ちは嬉しいのですが、執事がお嬢様のお手を煩わせるわけには参りません」
「それが私の希望でも?」
 かといって今更引っ込めることもできない。
「お嬢様のご希望でもです! お言葉ですが僕は執事という仕事に誇りを持っておりますゆえ!」
 誇りを持っているなら悪戯病を治してほしいわ、とは言わなかった。なぜだかこの場は黙っておこうと思った。
「それに、こうしてお話をしている間に盛り付けを残すのみとなってしまいました」
「ではお願いするわ。明日は私にお夕食を作らせて下さい」
「そんな……お嬢様の手料理など頂くことはできません!」
「へえ。それはどういう意味かしら?」
「あ! 違います誤解です! 執事の僕に手料理を振舞われるなど勿体ないことです、と申し上げたかったので……」
「執事執事っていうけど、貴方はそれ以前に私とは幼馴染でしょう?」
 ベランジェの家の者は代々ミネットの家に仕えていて、父の執事はベランジェのお父さんが務めている。ベランジェは執事になる前からお父さんに連れられてよくこの家に遊びに来ていたから、ミネットとは進化前からの付き合いである。
「ですが僕がミネットお嬢様の執事となってはや六年……僕はもう子供ではありませんから」
「どうせ紙一重で執事だかただの羊だかわからないんだから、私にとっては同じよ」
 それにしても我ながらどうしてこんなにムキになっているのか。
 ベランジェもべランジェで何故折れないのか。
「執事である貴方は私の命令を聞くしかないんだから。明日は私にお料理をさせなさい。これでいいわね?」
「むぎゅう……そのように仰有られると返す言葉がございません」
 このまま言い合いをしても終わらないので、半ば強引に決着をつけた。
 私は一体何を楽しみにしているのだろうか。

***お嬢様の本気 [#f253b0fd]

 講義が早めに終わったミネットはいつものようにベランジェを待つことなく、スーパーマーケットに寄って帰宅した。我が家では農家から直接取り寄せたり庭で栽培している野菜もあるのだが、なにぶん家には二匹しかいないのでこうして普通に買い物をしなければならないことも多い。
 私もベランジェも草タイプなのでほかのポケモンに比べるとそんなにたくさん食べる必要はないのだが、動かない植物に比べると多くのエネルギーを使うわけで、実は大した差はないのかもしれない。とはラミちゃんのお話。というか元はミアンさんに聞いたらしいのだが。などと食材選びにはあまり関係のないことを考えながら、ベランジェの好きな海老が安売りされているのを見つけた。
 あの子、ひつじのくせに海産物が好きなのよね。アボカドを買って、サラダにしよう。メインディッシュは何にしようかしら。蒸し鶏なんてどうかな。もう一品はスープでも作って、それから……
「ありがとうございましたー」
 膨らんだレジ袋を片手に、ミネットは弾む気持ちを抑えながら帰路についた。


 大昔、いろんな動物から今に至るまでに種々のポケモンが分化したのは小学生でも知る話で、自分と祖先の近い動物は食べないのが普通だ。ドレディアは純粋に植物から進化したポケモンなのであまりそういうのは気にしないが、例えばエルフーンの前でラム肉を食べるのはマナー違反だったりする。鶏肉の&ruby(したごしら){下拵};えをしながら、鳥ポケモンはどこまでアウトなのだろうかとつまらないことを考えていた。知り合いに鳥がいないのでよくわからない。少なくともカモネギは鴨肉を食べないだろう。
 鶏肉に塩を振って、それからポタージュを作るためにコーンを挽く。べランジェをラミちゃんに貸し出すまで長らく料理はしていなかったのだができないわけではない。小さい頃から、&ruby(レディ){淑女};の嗜みとして基本的なことは一通り身につけている。
 私より子供なくせに、自分がいないと私は出来ないなんて偉そうに。私を莫迦にするのもこれまでよ、べランジェ。


 注意力散漫。集中力の欠如。天然木瓜。自分を罵る言葉をどれだけ用意しても足りない。
 あろうことか私は、水を入れるのを忘れたまま蒸し器を火にかけるという大失態をやらかしてしまった。
 なぜ気がつかなかったのか。蓋を開けずとも蒸し器の中の惨状が伺える。
「ただいま帰りました!」
 しかも、最悪のタイミングで玄関から声が聞こえた。キッチンには肉の焦げた臭いが充満しているし、蒸し器からは黒い煙まで立ち上っている。ベランジェにこんな現場を押さえられたら莫迦にされるに決まっている。
 ミネットは四本の足をぺたぺたと動かしてロビーへと全力疾走した。
「お帰りなさい、ベランジェ!」
「お嬢様……? どうかなさったのですか?」
 息切れするほどに走ってきた私の姿を見てはさすがに不審に思うだろう。
「しばらく貴方がいなかったものだから、こうして貴方がうちに帰ってくること嬉しくて、つい」
 言い訳のためだったとはいえ、どうしてこんなことを口走ってしまったのか。勘違いさせてしまうようなことを。
「おお……! なんという勿体なきお言葉! きっと今の僕は世界一幸せなエルフーンです!」
 ベランジェの言葉は、妙にリアリティがあった。世界一幸せなポケモンでも世界一幸せな男でもなく、エルフーンに限定するあたりが。
「いやー僕はてっきりお料理で大失態でもなさったのを誤魔化しにこられたものだと思いましたよ!」
 なんなのかしらこの鋭さは。悪戯執事のくせに。
 図星を刺されたのを気づかれないように微笑を浮かべながら、ミネットはベランジェに自室に戻って休憩しているよう促した。
「そんな、お嬢様が御自ら炊事をされているというのに執事の僕が何もしないでいるわけには」
「貴方に手伝わせたら、なんのために私が代わったのかわからないわ。今日は休んでいなさい」
「……では、お言葉に甘えさせていただきます」
 ここで食い下がらず私の気持ちをきちんとわかってくれる素直さも彼の持ち味のひとつだ。本当に何度も言うけれど、つまらない悪戯さえしなければとても良い子なのだ。


 厨房に戻ったミネットは、コゲの塊と化した鶏肉の表面を削ぎ落とし、なんとか使えないか思案した。が、焦げた部分を取り除いたところで元には戻らない。あまりに小さくなった肉を黙って出したら分量の感覚を疑われかねない。
「正直に謝るしかないわね……」
 こんなことなら最初からそうすれば良かった。隠そうと必死になった挙句にあんなことまで口走ってしまうなんて。
 とにかく、これ以上の失敗は許されない。そして落ち込んだままでは第二、第三の失敗を重ねるばかりだ。楽しみに待っているべランジェをがっかりさせないように頑張らなくちゃ――!

***華の囁き [#n00e95c9]
 
 茗荷、大葉などを散らした――というより埋もれてしまった和風の蒸し鶏に、アボカドと海老のサラダ。お手製のポタージュと、バゲットの入ったバスケット。和洋折衷メニューなのでお米にするかパンにするか迷ったのだけれど、見た目に上品なパンにしておいた。
 盛り付けが終わって、テーブルをいろんな角度から確認した。綺麗に整えられた食卓は、べランジェの仕事にも引けを取らない出来栄えだった。唯一の失敗を除けば完璧だ。
 さあ、べランジェを呼びに行こう。


 今はこの屋敷に私とべランジェしかいないので、二匹とも一回の部屋を使っている。何せ広いものだから、それでもダイニングルームからべランジェの部屋まで行くのに一分ほどはかかってしまう。
 今はこの屋敷に私とべランジェしかいないので、二匹とも一階の部屋を使っている。何せ広いものだから、それでもダイニングルームからべランジェの部屋まで行くのに一分ほどはかかってしまう。
「べランジェ、できたわよ」
 ドアの前に立って呼びかけてみたが、反応がない。いないのだろうか。
「べランジェ、いるの?」
 今度はノックしてみたけれど、ドアの向こうは静まり返ったままだ。
「開けるわよ」
 ノブを回すと、鍵はかかっていなかった。普段から鍵をかけていることなんてめったにないのだが。
 綺麗に整頓された部屋は、机と小さな本棚、ベッド、ナイトテーブルがあるだけであの子の趣味を伺わせるようなものは何もない。
 べランジェはいなかった。部屋の隅に大学に持って行っている鞄が置いてあるので、一度部屋に戻ったことは確かだ。あの子のことだ、きっと私が料理をしている間に別の仕事を片付けようと考えたのだろう。
 生活空間となっている一階と三階の一部以外は定期的に業者に清掃を依頼しているのだが、御父様の言いつけで書庫にだけは外部の者を入れないようにしている。今朝べランジェがそろそろ清掃をしなければいけないと零していたので、書庫にいるに違いない。
 ミネットはべランジェの部屋を後にして、屋敷の奥にある書庫へと向かった。


 我が家の書庫は所狭しと本棚が並んでいるだけでなく、ソファやテーブルも置いてあってちょっとした図書館のようになっている。ミネットもべランジェも、幼い頃からよくここで本を読んだり読んでもらったりしていたものだ。
「べランジェ、いるのでしょう? ご飯ができたわよ」
 声は聞こえないが、書庫の扉が少し開いていたので中にいるはずだ。
「べランジェ? ……あら」
 いた。
 べランジェはソファの上ですやすやと寝息を立てていた。
 べランジェのいなかった三日間で私は彼の大変さを知った。この子はそれを毎日、しかも二匹分の家事を一匹でこなしているのだ。疲れるのも無理はない。
 眠っているところを悪いけれど、お料理が冷めてしまう前に起こさなくては。
 でも少しだけ、寝顔を眺めているのも悪くない……かもしれない。つまらない悪戯なんかせずにこうして静かに眠っていればとても可愛らしい顔をしているのに。
 ねえ、べランジェ。貴方は私のことをどう思っているのかしら。
 執事だから、ただ当たり前のごとく主人に尽くしているだけ?
 そうでないことは私が一番良く知っている。貴方には揺るがない気持ちがある。けれど、その気持ちが何なのかを知らない。
 べランジェの気持ちがわからないのは当たり前だった。だって私は、自分の心さえ理解していないのだから。 
 なんて、ね。"理解していない"は言い訳に過ぎない。考えるのが怖くて、目を逸らしているだけ。
「私は……」
 口に出そうとすると、喉に鉛の塊でも押し込まれたみたいに息ができなくなる。
 何を避けることがあるというのか。その可能性を考えてみないことには、嘘か真かも明らかにはならない。
「……好き、なのかな。貴方のこと」
 なるほど、囁いてみると。
 その響きは妙に心地よかった。どうしようもなく高鳴る胸に呼応するかのよう。
「ふぇ……? お、お嬢様……?」
 今度は胸に錐を打ち込まれたみたいだった。
「っ……!? べ、べランジェっ」
「はっっ!! ぼ、僕としたことが何たる失態を犯してしまったのでしょう! 仕事中に居眠りをしてしまうなんてお嬢様の執事失格です! あまつさえお嬢様に起こされようなどとは――」
「い、いいのよ。休んでおきなさいと言ったはずよ?」
 どうやら聞かれていなかったらしい。
「いえ、お嬢様がお料理をなさっているのに僕が休んでいるわけには」
「その言葉、さっきも聞いたわ。それより、私からも謝らなくてはいけないことがあるの」
 冷静になるんだ。冷静に。私はマイペースなことだけが取り柄なんだから、こんなことで取り乱してちゃいけない。
 心を落ち着かせてべランジェと視線を合わせた。先程抱いた疑問の答えの縁にもう手はかかっている。
 私はただ、貴方が知りたい。その壁の向こう側を私に見せて。

***揺れる羊 [#s8d78b7c]

「大分焦げてしまったみたいですねー! あ、申し訳ありませんこれはとんだご非礼を」
「いいわよ。失敗したのは事実なのだから」
 結果的に言えば、私の料理は成功を収めたといってもいい。
 少なくとも味覚には自信があるけれどそれはべランジェのお料理のお陰だから、所詮はべランジェの劣化に終わるのではないか。べランジェはそんな不安をすぐに吹き飛ばしてくれた。
「それにしてもこの和洋折衷感が素晴らしいです! どうも幼少の砌よりの教育のせいか、格式張った僕には到底真似できませんよ! それにこのポタージュ、すごく香りが良いです! どんな方法でお作りになったのか、教えて頂けませんか?」
「お口に合ったようで何よりだわ。ポタージュは、コーンを挽くのに花弁の舞を使ったのよ」
 ミルで挽くのが面倒だったので容器の中に小さく花弁の舞を展開させて挽いたのだが、時間をかけずに一瞬で粉々にしたのが良かったのかもしれない。
「ではこれはお嬢様の花の香り……ですか?」
「自分ではわからないけれど……そうだとしたら、ちょっとまずかったかしら」
「いえいえとんでもないです! お嬢様の香りでお料理がまずくなるなんてことがあるわけないじゃないですか。僕はその、お世辞で言っているのではありませんよ、えっと、その……」
 ふとべランジェの様子がいつもと違うことに気づいた。はきはきと喋るべランジェがこんな風に&ruby(ども){吃};るのは珍しい。それに、私と話すときはいつも私の目を真っ直ぐに見ているのに、食事が始まってから一度も目を合わそうとしないのだ。
 書庫の整理の途中で寝てしまった失敗を引きずっているというのではなく、そうだとしたら考えられる可能性は。
「どうかしたのかしら?」
 あくまで平静を装うつもりでいた。
「ど、どうしても気になって、僕……このままではお嬢様と普通にお食事をすることができません。ですから、非礼を承知でお尋ねします」
 べランジェの口から次の言葉が発されるまでは。
「僕を目覚めさせたあの言葉は、一体どのような意味で?」
「な」
 聞かれていた。
 やっぱり私のあの言葉で、べランジェは目を覚ましたのだ。
「な、なんのことかしら?」
「その……申し上げにくいのですが、お嬢様が……」
 ここへきて白を切るのはべランジェに悪いと思った。言いづらいことを、べランジェの方から切り出してくれた。
 執事と主人という立場上、私からはっきり伝えるしかないんだ。
 もう心に迷いはない。
 否定する言葉も感情も見当たらないんだもの。
 ずっと貴方のことが私の悩みのタネだった。
 これが答えだった。
「貴方のことを好きだって言ったこと? どのような意味も何も、文字通りよ」
「ま、まさかそんな」
「何度も言わせないで。そうでなかったら執事である貴方に私が手料理を作ってあげたりなんてしないわ」
 もっと早く素直になれば良かった。どうして今まで気づかなかったのか。
「お嬢様が僕を……?」
「だから、私は貴方が知りたいの」
「も、申し訳ありません! ぼ、僕はお嬢様の執事ですから……れ、恋愛はご法度なのですよ……っ!」
 やっぱり、そう。
 私は誰を好きになってもダメなんだ。
 今度こそ七連敗ね。
 振られることには慣れっこだから、べつに落ち込んだりなんてしない。そう都合よく両想いなんてあるわけない。
「私の方こそごめんなさいね。変な話をしてしまって」
「変な話だなんて、そんな」
「さあ、冷める前に頂いてしまいましょう? べランジェはこれまで通り、私の優秀な執事で居てくれたらいいの。でも、悪戯だけは勘弁ね」
 けれどもべランジェは、それから終始無言だった。
 食事を終えると、食器洗いくらいは自分が、と断る暇さえ与えさせずに食器を片づけ始めたので、ミネットはお礼を言ってダイニングルームを後にした。

***禁忌と勇気 [#m4cde72a]

 軽くシャワーを浴びてから自室に戻ったミネットは、明かりも点けずにベッドに体を投げ出した。
 明日は休日なのでもうやることもない。
 胸のつっかえがとれてすっきりした分、今度はぽっかりと大穴が空いてしまったみたい。
 これでよかったのだろうか。
 ぼうっと眺めている天蓋がいつになく高くにあるように見える。財産に物を言わせた豪奢なベッドに横たわる私。なんてちっぽけなのだろう。べランジェもきっと私のことが好きなんだろうって、そうに違いないって、自分の心を相手に映して勝手にそう思っていた。つまるところ、べランジェはすごく真面目で素直なんだ。私を言い主人だと思って懐いていただけ。それを自分がべランジェに抱いている気持ちと同じだなんてどうして勘違いしてしまったのか。自分の気持ちに答えが出たからって、相手にそのまま当てはまるはずなんてないのに。
「なんて莫迦なのかしら」
 失恋に慣れているなんて嘘だった。
 私は本当に誰かを好きになったことなんてなかったんだ。大切な人がこんなに身近にいることも気づかずに恋に恋していただけだった。
 べランジェが執事でなかったなら。
 ただの幼馴染のままでいたら、貴方の答えは違っていたのだろうか。
 仮定はいつだって仮定のまま。この関係を変えることはできない。私も、貴方も。
 そして明日からの日々も変わらない。私は貴方の主人で、貴方は変わらず私の執事でありつづける。
 背中合わせでもいい。貴方と同じ方を向いていなくても歩んで行ける。
 マイペースに生きることだけが、私の――


 ドアをノックする音で目が覚めた。
 いつの間に眠ってしまったのかわからないが、まだ朝にはなっていない。枕はまだ湿っている。
「べランジェ……?」
 夜中に私の部屋を訪ねてくるなんて、よほど大事な用でなければありえない。
「待って。今開けるわ」
「どうかそのままでお聞きください」
 ドア越しにべランジェの声が聞こえたので、ミネットはノブにかけた手を引っ込めた。
「ずっと気になって眠れなかったのです。僕はお嬢様を傷つけてしまったのではないかと」
 べランジェがこんなに真面目に話すのを聞くのはいつ以来なのか。遠い記憶にも見当たらない。初めてかもしれない。
「僕はとんでもない間違いを犯したのかもしれません。あまりに突然のことで、信じられなくて。あんな答え方しかできませんでした。でも、ミネットお嬢様。違うんです。本当は、僕……」
 べランジェの声がどんどん小さくなってゆく。ドア越しではかろうじて聞き取れるくらいだ。
「僕も、お嬢様をお慕いしています。きっと貴女よりもずっと昔から。僕は貴女のことが大好きだから、全身全霊で貴女に尽くしたいと思って努力してきたつもりです。貴女の執事として伺候していられることは僕の何よりの幸せなのです」
 これは、夢?
 ベッドから起き上がったつもりでいるけれど、私は本当はまだ夢の中なのではないか。
「それだけは、ミネットお嬢様に知っておいていただきたかったんです。僕も貴女と同じ、それ以上の想いを貴女に抱いているということを……」
 この向こうにいるのは本当にベランジェなの?
 声だけじゃ確信が持てない。貴方の&ruby(かお){表情};が見たい。
「……お休みのところ大変失礼いたしました。こんな不肖の執事ですが、明日からはまた――」
 ミネットはドアを開けた。
 驚いて立ちすくむべランジェを部屋の中に引き入れるように、抱きしめた。
「お嬢様……っ」
「本当に、もう……執事としては失格ね。主人と恋に落ちてしまうなんて」
 屈んで目線を合わせると、べランジェのつぶらな瞳は何かを怖れるような、それでいて歓喜に満ち溢れるような、そんな涙で潤んでいた。
 私はべランジェを抱いたまま、扉を閉めた。
「ぇ、ええっ……んっ……いけません、お嬢さ……まっ……!」
「大丈夫。もちろん、このことは二匹だけの秘密よ」
 絶対にありえないと思っていた。
 あの想像が今、現実になろうとしている。
 それも私から望む形で。

***二匹の歩む道 [#k41474e1]

「成功だった、のかな」
 ミアンと二匹、心閃堂でお茶をしながら。話題に上るのは雌雄の恋愛の話。
 もちろんあの二匹のことである。
「明らかに何かあったと私は思うぜ。本人達は隠してるつもりらしいが」
「そうかなあ。ボクには前と何も変わらないように見えるけど」
「だーっ。ほんとに鈍いなあお前」
「鈍感で悪かったね。でも、もしラミちゃん以外にボクに好意を寄せるの女の子がいたとしたら、ボクが気づかない方がキミとっては都合がいいんじゃない?」
「あの国を出る最後の瞬間まで気づいてもらえなかった上に私のことなんか忘れてのほほんと生きてた奴の言う台詞かよ。私の積年の苦心をちょっとは考えてみてくれ」
「だからボクは今、こうしてお返ししてるつもりなんだよ? だいたい積年って、ラミちゃんまだ二十歳じゃない」
「お前のせいで倍は老けこんでるね、精神的に――お? 噂をすればというやつだ」
 窓の外に並んで歩くドレディアとエルフーンの姿。
 鈍感のミアンは気づかないが、二匹の距離は縮まっているし、あんなにボディタッチすることも多くなかった。
 どこからどう見ても普通のカップル以上にカップルだった。
「私達も負けてられないな」
「そお? じゃ、今度の週末どこかに連れてってよ」
「まーた私がリードするのか。たまには年上らしいことでも」
「研究室が忙しくて考える暇もないんだよ」
 何かを乗り越えて結ばれた二匹の絆はそうそう切れるものじゃない。
 こいつとずっと一緒にいたいという私の願望が含まれていることは否定できないが、ともあれ。
 二匹の旅路に祝福を!

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***あとがき [#f2fb4d85]

結局のところラブコメと純愛物の違いってなんなのでしょうね。
後半コメディ要素なかったですね、はい。
長期間の更新停滞、そして小説データがPCごと吹っ飛ぶという事件もありましたがなんとか完結させたいという思いを胸に執筆を進めようやく投稿することができました。
何を隠そう、完結させることができたのはTwitter等で応援してくださっていた方のお陰だと思います。


最後までお付き合い下さった読者の方々、ありがとうございました。

できればこれからも十条をよろしくお願いいたします。

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#pcomment

IP:222.228.150.49 TIME:"2012-03-02 (金) 18:24:41" REFERER:"http://pokestory.rejec.net/main/index.php?cmd=edit&page=%E3%82%8F%E3%81%9F%E3%81%97%E3%81%AE%E3%81%B2%E3%81%A4%E3%81%98&id=n00e95c9" USER_AGENT:"Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 6.1; WOW64; Trident/4.0; GTB7.3; SLCC2; .NET CLR 2.0.50727; .NET CLR 3.5.30729; .NET CLR 3.0.30729; Media Center PC 6.0; Sleipnir/3.0.11)"

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