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ふらいとらべる4 北国訪問記 の変更点


 
 作[[呂蒙]]

 

 序章 いきなり事件発生

 年が明けて、試験やら、レポートの提出が終わると、大学は長い春休みに入る。寒いことを除けば、夏ほど過ごしにくくはないし、時間が有り余っている。勉強、遊び、アルバイト。どれに精を出すかは本人次第である。
 結城は、長い休みの恒例行事である旅の計画を立てていた。記録をつけ始めて、前々回は九州、前回は北陸だった。せっかくなので、目的地は被らないほうがいいだろうと考え、今回は北国を旅することにした。
 フライゴンのナイルを呼んできて、またまたどこかへ行くことを告げた。
「今回はだな、ゲームで言うところの、えーと……ホウエン地方?」
「九州?」
「違う違う。じょ、ジョウトって関西地方だよな?」
「そうだよ」
「えーっとだな、ナントカ地方」
「『ナントカ地方』じゃ、分からないよ」
「いいや、もう面倒だ。北海道だな」
(シンオウ地方だよね)
「ここで、問題だ。日本で一番北にある県は?」
「青森」
(ちっ……)
「ご主人が考えることくらい分かるって」
 1泊2日の日程である。今回は城や遺跡巡りはしない。北海道にそういったものがないのかといえば、そういうわけではない。渡島半島の南端部に松前城という城がある。江戸時代末期に建てられた城である。この他に城砦としては、五稜郭が知られている。城壁や堀で曲輪が仕切られ、中央部に天守を持った建造物がある……というのが日本の「城」でイメージしがちなものである。北海道に城砦に類するような建造物もしくは遺構が先ほどの2か所だけかというと、厳密に言えば違うのである。根室方面に「チャシ」という遺構が多く残っている。アイヌ人たちが使っていたのだが、記録がない(アイヌ人たちは文字で記録を残すという習慣がない)ため、どういう役割を果たしていたのかは分かっていない。小高い丘や山の上に築かれ、周囲は堀や柵で囲われていることからすると、和人(大和民族)は、城砦という認識をしていたようであるが、本当に城砦だったのかは不明である。
 今年は雪が記録的に少ないそうなので、雪に慣れていない者にとっては、好都合であった。飛行機のチケットとホテルを手配し、後は旅行の日を待つばかりである。

 ところが、旅の日を心待ちをしている結城たちにとって、大事件が発生してしまう。震源地は海の向こうであった。
 未知のウイルスが大陸で発生し、あっという間に、東シナ海を越えて日本にやすやすと侵入した。その未知のウイルス「新型コロナウイルス」の猛威は止まるところを知らず、あっという間に感染者を増やしていった。
「ご主人、どうするの、これ? シンオウにも感染者が出てるってさ」
「うん……ちょっと飛行機が無事に飛ぶか気になってきたな……。一応確認してみるか……」
 もしも感染者が飛行機に乗っていたら、それはウイルスを遠隔地まで運ぶようなもの。ウイルスがばらまかれるのを阻止するために、人の流れを遮断することは十分に考えられた。
 結城が航空会社に、問い合わせてみたところ「『今のところは』通常運行です」との答えが返ってきた。
「どうだった?」
「運行はするつもりらしいけど『今のところは』という条件付きだな。まあ、もし欠航になったら、他の便に振り替えるか、払い戻しをしてくれるってさ」
 政府の対応が後手後手に回ったこともあり、震源地からの人の流れは遮断したものの、国内移動に関しては、制限がかかることはなかった。
 日に日に状況が悪化していく中で、結城はひやひやしながら、事の成り行きを見守っていたが、幸い、何の問題もなく、旅行当日を迎えることができた。


 第1章 北の国へ


 今回の旅は、第1に今年(2020年)の5月で廃止になってしまう路線に乗る(㊟:5月6日が最終運行の予定だったが、一連のウイルス騒動のため、定期運行の最終日は4月17日に前倒しとなった。GWに余所からファンが大挙して押し寄せるのを危惧してのことだという)こと。第2に、手ごろな値段のご当地グルメを頂くことであった。前回、前々回と比べると、あちこち歩きまわるわけではないので、出発も昼の12時過ぎというのんびりしたものだった。
 出発の前日、航空会社からメールが届き、それによれば、飛行機は予定通り飛ぶとのこと。
 1回分の着替えと、身の回りの物を入れた鞄を持って家を出た。平日の昼間だったので、空港へ行くまでに使った電車はどれも空いていた。家を出てから約2時間後、電車は定刻通りに羽田空港に到着した。
「まだ、離陸まで2時間弱あるからな、少し遅くなったが、昼飯にしよう」
 チェックインカウンターに辿り着くまでに見つけた店に入り、ぱっぱと昼食を済ませる。
(ガラガラかと思ったけど、そうでもないかな?)
 感染を恐れて出控えている人が多いと思っていたが、閑散としているとは言い難い状況であった。空港内は多くの人が行き交っていた。
「う~ん、アテが外れたなぁ……。もっと閑散としているかと思ったけど」
「これでも、空いている方なんじゃないの?」
「そういうもんかなぁ」
 チェックインを済ませた後に、荷物検査を終え、それでも時間が余ったので、ラウンジで時間を潰すことにした。結城はラウンジを使うことができるカードを持っているからだ。だが、ラウンジを使う際に「混雑しているので、ご了承ください」とフロントの係員から言われてしまった。結城たちが中に入ると、係員の言った通り、かなりの席が埋まっていた。何とか、席に座ることはできたのだが、こう人が多くては、なんとなく落ち着かないというもの。
「それじゃあ、ナイル。サービスの飲み物を取ってきたら、いつも通り、目的地についての予習をしておこうか。といっても、今回はそんなにやることはないけどな」
 冬の優しい日差しが差し込むラウンジで、予習が始まる。

 北の大地、北海道。地図を見れば一目瞭然、日本で一番北に位置する都道府県であり、面積も最大である。かつては蝦夷地と呼ばれ、江戸時代の一時期を除いて松前という大名が置かれていた。と、いっても、松前の直接支配が及んでいたのは、渡島半島の南部だけであり、本格的な開発が行われたのは、明治時代になってからだった。今日のように「北海道」と呼ばれるようになったのは、明治19(1886)年になってからである。
 アイヌの人々は記録を残すということをしなかったため、日本史を扱う教科書でも、北海道が登場するのは遅い。
『続日本紀(しょくにほんぎ)』という書物によれば、阿倍比羅夫が「粛慎(しゅくしん)」を討伐し、その際に得た生きているヒグマ2頭と、ヒグマの毛皮を戦利品として朝廷に献上したという。これが、7世紀中頃の話である……のだが、比羅夫が討伐したという「粛慎」というのが何者であったのかが分かっていない。ヒグマは本州には生息していないそうなので、戦利品が朝廷に献上されたのは事実だとしても、どこまでが事実なのかというのがはっきりしていない。
 その後、コシャマインの戦い(1457~58)というのが、15世紀の中頃にあり、これは、日本史を扱う教科書や参考書にも登場する。
 ただ、12世紀後半、奥州に勢力を誇っていた藤原氏の4代目当主・泰衡(1155~89)は、鎌倉の源頼朝(1147~99)の圧力が強くなってくると、匿っていた九郎判官義経を急襲して、衣川の館にて自害に追い込んだ。頼朝が敵意を向けているのは、義経であって、自分は関係ない。義経さえ差し出せば、奥州平泉と自らは安泰とでも思ったのだろう。しかし、そうはいかなかった。頼朝の本心は奥州藤原氏を攻め潰して、東北地方を自分の版図に組み込むことだった。これまでは、戦上手の義経と、奥州に繁栄をもたらした傑物・藤原秀衡(1122~87)が健在だったため、頼朝でも手が出せなかったが、その両者がいなくなってしまえば、もう怖いものはなかった。
 鎌倉軍が北上してくることを知った泰衡は、現在の福島県と宮城県の県境付近にある厚樫山に要塞を築いて迎え撃ったものの、激戦の末に敗れた。鎌倉軍を防ぎきれないと悟った泰衡は本拠地である平泉に放火して、逃亡した。逃亡中に書状で命乞いをするが、却下され、追い込まれた泰衡は奥州の北にある「夷狄島」に逃れることにしたという。この「夷狄島」というのが、現在の北海道であると言われており、この頃には、北海道とか蝦夷地とは呼ばれていないものの、奥州の北に大地があるというのは知られていたようである。もしかすると、この頃には、和人とアイヌ人との何らかの接触はあったのかもしれない。
 ちなみに、泰衡が逃げ切れたかというと、そうはいかなかった。逃亡中、現在の秋田県・大館市に立ち寄った際に家臣・河田次郎なる人物に裏切られて殺害された。文治5(1189)年、9月3日のことである。河田からしてみれば、これ以上、泰衡に付き合う義理もなく、頼朝に手土産を持って降伏したほうが得策だと考えたのだろう。それから3日後、現在の岩手県・紫波郡の頼朝の本陣に泰衡の首を届けた河田だったが、この行為に頼朝は激怒した。
「貴様は、藤原譜代の家臣ではないか。旧恩を忘れ、主の首を手土産に、恩賞に与ろうとは、許し難い! 誰か、此奴を斬れ!」
 結局、河田は主君を裏切った罪により、斬刑となった。かつて頼朝は恩賞に目がくらんだ家来の裏切りにより、父親を殺されており、こういう根性が腐った人間は許せなかったのかもしれない。
「まあ、泰衡は、馬鹿息子として、歴史上に名を残したな。命乞いするときも『自分は悪くない、義経を匿ったのも、父が勝手にやったことだ。降伏するから、比内郡に領地を賜り、家人の一人にしてほしい』とか書状に書いているようだしな。こんな奴、殺す価値もないのはわかるけど、許す気もなくなるわな。そういう人間だよ」
 と、結城は吐き捨てた。
「随分、手厳しいね、ご主人」
「だって、そうじゃん。多分、頼朝に投降しても『父親の遺言を守らなかった不義の息子なんぞ、わしには必要ない。誰か、此奴を斬って捨てい』とか言われるのがオチだぜ。源平合戦のヒーロー・義経を自分の保身のためだけに亡き者にしたんだから、こう言われるのも仕方のないことだろ?」
 
 和人とアイヌ人たちとの衝突というのが、先ほどの「コシャマインの戦い」である。1456年、志濃里(しのり・現在の函館市付近)で、起きた殺人事件が発端だった。アイヌ人たちは製鉄技術を持っていなかったため、鉄器の入手は外界との交易に頼っていた。ある日のこと、アイヌ人が鍛冶屋にマキリ(アイヌ語で短刀)の製造を依頼したが、出来たものがナマクラだったうえに、料金をぼったくったため、口論となり、鍛冶屋が「それなら本当に切れ味が悪いか試してやる」と、アイヌ人を刺殺したのである。この一件以外にも、アイヌ人に対する和人の横暴というものは少なからずあったのかもしれない。たまりかねたアイヌ人たちは一斉に蜂起し、道南のアイヌであるコシャマインを首領とし、和人に戦いを挑んだ。1457年5月のことである。
 道南にある和人の拠点を次々に落としたが、翌1458年に、コシャマインは和人側の武将・武田信広(1431~94)に討たれ、アイヌ軍は瓦解した。
 この武田信広なる人物は何者かというと、一説には、若狭守護・武田信賢(1420~71)の子であるとされている。(ただ、そうすると、親子で11歳しか歳の差がないので、眉唾な気もするが)21歳の時に若狭を離れ、その翌々年に蝦夷に移住した。桧山郡在住の武士・蠣崎季繁(かきざき すえしげ)なる人物の娘婿となり、蠣崎を姓にしたという。ちなみに、蠣崎と信広の実家である武田は縁戚関係だったらしく、信広もアテもなく若狭を離れたわけではなかったのだろう。
 その後も和人とアイヌ人の衝突は絶えなかったが、道南における勢力を何とか維持した蠣崎は、信広から4代後の慶広(1548~1616)の代になり、天下人・豊臣秀吉や徳川家康から、事実上の大名として、蝦夷地の支配権を得るに至った。慶広の代に苗字を蠣崎から松前に改めた。
 幕藩体制下で、松前藩は北海道唯一の藩となった。当時は米を北海道で作ることが不可能であった。そのため、松前藩は豊富な海産物や木材資源を余所に売って、現金収入を得ていた。ちなみに、他の藩は収入源は米であり、侍の給料も米であった。現金が必要なときは、その米を売って現金に換えていたわけである。
「お米はどうやって手に入れていたわけ?」
「いい質問だな、ナイル。米は外から買っていたんだ。具体的に言うと、対岸にある弘前藩からだな」
 米の取れ高で、藩のランク付けがされる時代において、米が取れない松前藩は特殊な存在であった。江戸幕府8代将軍徳川吉宗(1684~1751)の時代に、1万石の大名と同等のランクという扱いになった。
 大名としてのランクは最低だったが、余所との商売で得られる現金収入で、藩は裕福だった。松前藩は基本的に渡島半島の南部が直接支配が及ぶ領地としていたが、例外もある。1807年から21年までの間は、陸奥梁川(現在の福島県梁川町)に領地替えとなっていた。元の領地に戻してくれという再三の請願が通り、蝦夷に復帰した後は、領地替えがされることはなかった。
 幕末に黒船が浦賀に来航した折に、下田と箱館の2か所の港が開かれることになった。そのため、函館は外国との窓口となる。その後幕府が滅んで、松前藩による渡島地域の支配は終わりを告げる。
 今日の道庁の所在地である札幌の開拓が始まるのは明治になってからである。函館とは違い、明治初期の札幌には何もなかった。現在の札幌の人口は約196万だというが、明治時代の初期は人口は1万にも満たなかった。開拓は突貫作業で進められていたが、現在は住宅地であるような場所も、手付かずの原野や森林地帯であった。
 巨額の予算をつぎ込み、広大な原野に大都市の基礎を築くという離れ業をやってのけた先人の苦労と努力には敬意を払わなければならない。北海道の広大な原野の開拓を担ったのが、主に本州から移住した開拓民たちである。一方で、開発の指揮を執る北海道開拓使は、ただ原野を切り開くだけではなく、産業の振興も図っていた。開拓使麦酒醸造所開設も産業振興の一環であった。開拓使麦酒醸造所は後に民間に払い下げられ、名前は変わったものの、現在もビール醸造業は行われている。
「ところで、ナイル。新千歳空港と札幌の中間に『北広島市』ってあるけど、何でこんな名前が付いたのか知っているか?」
 結城が地図を指し示しながら、そんなことを言う。
「さあ……。北にある広島市だから?」
「答えになっていない気もするが、まあ、いいだろう」
 実は、ナイルの言ったことはあながち間違いでもない。北海道には「標茶(しべちゃ)」や「長万部(おしゃまんべ)」のようにアイヌ語由来の地名が多く、漢字も無理矢理あてはめたもので、知らないと絶対に読めないようなものばかりである。ところが、北広島の由来はアイヌ語ではない。明治時代になって広島県からの移民がこの地を開拓したことが由来で、当時は「札幌郡広島村」といったそうである。後に人口が増え市制を施行するにあたって本来なら「広島市」となるのであろうが、山陽にある方と区別がつかないので「北広島市」に改称したという経緯がある。太平洋に面した「伊達市」も、陸奥仙台の大名・伊達家の有力分家の当主・伊達邦成(1841~1904)とその家臣団が入植し、開拓に従事したことからその名前がついている。
 今でこそ、北海道の住宅は窓を二重にする、断熱材を入れる、床暖房にするなど様々な防寒対策が取られているが、明治時代にはそんな便利なものはなく、また寒さ対策への知識がなかったこともあり、北の大地での生活は過酷なものだった。また元来北海道は寒冷な気候に加えて、痩せている土地も多く、農業には不向きな土地だった。17世紀末期には、和人の支配領域だった渡島半島で稲作が試みられたこともあったが、うまくいかなかったという。そもそも、温暖な地域の作物である稲を北海道で育てようということ自体が無理のある話ではあったのだが。
 その無理のある話を可能にしたのが、稲の品種改良であったり、余所から良質な土を運んできて農地を作るという労力と技術である。現代では、道東と道北を除く地域で稲作は行われており、北海道産の米も普通に出回っている。
「だから、北海道の農作物は先人の労力と技術の結晶というわけだな。そろそろ搭乗開始時刻になるから、乗り場に行こうか」
「うん。うまくまとめたね」

 結城たちの乗る飛行機は、16時発新千歳空港行きの飛行機である。搭乗口の前に並んだのは、離陸の20分ほど前になってからである。
「あ、良かったな……」
「え? 何が?」
「この1本前の飛行機、40分遅れだって」
 結城たちの乗る飛行機の10分前にも新千歳行きの飛行機があったのだが、こちらは、急遽、機材変更があったとかで、離陸が16時30分になるとのことであった。今回はそこまでスケジュールがタイトなものではなかったが、やはりどんな時も、旅程には余裕を持ちたいものだと、結城は改めて思った。
「……考えてみれば、新千歳空港が悪天候だった場合、飛行機が飛ばないリスクもあったな……」
 結城が今更ながらそんなことを言う。
「ご主人、そこまで考えていなかったの?」
「ああ、だって、今年は記録的な雪不足だっていうし……」
 結城たちが北の大地に旅立つ何日か前まで行われていた雪まつりも、今年は記録的な雪不足で開催が危ぶまれていたが、結局、規模は縮小されたものの、どうにかこうにか開催することができた。ちなみに、新千歳空港は寒冷地にある空港ということもあって、記録的な猛吹雪ならともかく、ちょっとやそっとの氷雪では空港が使えなくなるようなことはない。ちょっとの雪でも交通に支障をきたす東京とは大違いである。
 機内に通され、指定された座席を探す。
(えーっと、あ、ここだ)
 座席の上にある荷物入れに鞄を押し込む。機内は2列の通路を挟んで、3列、4列、3列の座席配置だった。利用客が多い路線ということもあって、飛行機も大型のものが使われていた。今回、結城たちが指定されたのは真ん中の4列にある座席だった。
 時間通りに飛行機は搭乗口を離れ、滑走路に移動し始めた。利用客が多い路線なので、飛行機の中もかなりの座席が埋まるのではないかと思っていたのだが、拍子抜けするくらい空いていた。周りを見ると、1列のうち、客が誰も座っていないところもちらほら見受けられた。見たところ、横1列すべてが客が埋まっているようなところはなさそうだった。
「ナイル。この列、オレ達だけのようだな。4席を2人で使えるぞ。ラッキーだったな」
 数分程度の離陸待ちがあったが、それ以外は問題もなく、飛行機は羽田空港を離陸した。新千歳空港到着予定時刻は17時35分である。
 航空会社からしたら、この搭乗率は好ましいものではないが、結城からしてみればありがたかった。特に揺れることもなかったし、すこぶる快適なフライトであった。
 飛行機が高度を下げ始め、無事、新千歳空港に着陸した。定刻より、5分ほど早い到着である。飛行機を出ると、まずお出迎えするのは、北海道の冬の空気である。ヒートテックの下着を身に付けたり、セーターやコートで防寒対策をしているが、冷たい空気が隙間から入り込んでくる。夏であれば快適なのだろうが、今は2月。北国の寒さに慣れていない者にとっては、体に応える。
「ご主人」
「どうした?」
「寒い……」
「じゃあ、これ。ホームセンターで売っていたから買ってきたぞ。紺色だから、まあいいだろ? ちゃんと♂用のやつだぞ」
 結城がナイルに渡したのは、ネックウォーマーである。
「ほらほら、付けてやるから」
 ドラゴンタイプでしかも砂漠地帯原産であるナイルにとっては、人間以上に寒さに弱いようである。
「あ、多少違うかも」
 ネックウォーマーをつけ終わり、出口へ向かう。空港の出口付近は、到着した飛行機から降りてきたと思しき人や、出迎えと思しき人たちで、ごった返していた……と書きたいところだが、人混みに辟易することもなかった。周りを見ると、ナイルのようにちょっとした防寒具を身に付けているポケモンもいる。防寒ということもあるだろうが、北国のファッションということもあるのかもしれない。
 この日、結城たちは、札幌の予約してあるホテルにチェックインすれば、あとはもうすることがない。空港から札幌までは約45キロ離れており、そこまではバスか千歳線の快速電車を使って移動するのが一般的である。
「まあ、そうだな……。フルマラソンよりもちょっと長いくらいかな。さて、電車にするか、バスにするか……」
 値段で言えば、バスの方が若干安いが、時間で言うならば、電車の方が圧倒的に早い。結城は考えていたが、さっさとチェックインしてゆっくりしたいという気持ちが勝った。
「ナイル、電車にしよう。これに乗れば、午後7時には札幌駅に着くから」
 18時15分発、快速「エアポート183号」という電車がある。終点の札幌には、18時52分に着くとのこと。ホームには既に電車が入線していた。銀色の車体に緑の帯が入った6両編成の電車である。特に何も考えずに、一番前に乗ったが、これが良かったのか、車内には先客がそれほどいなかった。防寒対策のため、快速電車ながらデッキがついている。車内はロングシートではなく、2人掛けの座席が進行方向を向いてセットされているタイプのものだった。
「ラッキーだったな。これは『721系』だな」
「何それ?」
 結城が言うには、新千歳空港と札幌を結んでいる快速電車には2種類の電車が使われているというのだ。この他に「733系」という型のものがあり、こちらはごくごく普通の通勤電車。デッキなどという贅沢なものはついておらず、座席もロングシート。バックパックやスーツケースを持ち込んで乗るには不向きな造りになっているのだという。
「ご主人、そういうことはよく知っているよねぇ……」
 ナイルが感心したような呆れたような口調で言う。そういう知識があるのなら、もう少しポケモンに関する知識も頭に入れておいて欲しいなと思わずにはいられなかった。
 新千歳空港駅は、地下にある。電車は定刻通りに動き出した。しばらくはトンネルの中を走っていたが、やがて、トンネルを抜けると、最初の停車駅である南千歳駅に着く。降りた客はいなかったが、乗ってきた客は大勢いた。いくつか空いていた座席はすべて埋まった。背広に鞄を持ったいでたちの人がほとんどだった。日頃通勤で、利用する人たちなのだろう。
 南千歳駅から札幌駅までの所要時間は34分だ。特急と比べても遜色のない速さである。ここから先の停車駅は、千歳、恵庭、北広島、新札幌、札幌である。間もなく、電車は千歳駅に着き、ここでも仕事帰りと思しき人たちが何人も乗ってきた。客室内には収まらず、デッキに立っている客も何人か見受けられた。電車は日が暮れた北の大地を快調に飛ばす。遠くに街の明かりが見えるものの、線路沿いに建物はあるようには見えなかった。
(あと1時間、1時間半早ければ、車窓が十二分に楽しめたかもしれなかったな……)
 千歳と札幌を結んでいるのは、鉄道は文字通り千歳線である。大きな道路は線路から少し離れたところに、国道36号線と道央自動車道がある。駅周辺を除いてこれといった建物が見当たらないということは、建物の多くは国道沿いに建っている……ということなのだろうか? 結城は北海道を訪れたことがないので、こればっかりは推測でしかないが……。
(まあ、東京とは違って、土地は広いんだ。わざわざ、電車の音がうるさい線路沿いに建てる必要なんてないわな……)
 恵庭駅と北広島駅では、さらに客が乗ってきた。北広島で、千歳を13分前に出た普通電車を追い抜く。普通電車の方は座席に随分余裕があった。ちらちらと小雪が舞っていたが、傘は必要なさそうだった。あと20分足らずで、札幌駅に着く。
 次の新札幌駅で、半分ほどの客が降りた。もう、札幌市内に入っている。次第に建物が増え、建物から漏れる明かりや街灯、ネオンサインで、外が明るくなった。札幌には定刻通りに着いた。
 鞄を持って、札幌駅のホームに降り立つ。札幌市は人口196万の北日本最大の都市である。北海道全土の人口が約527万だそうなので、北海道民の3~4割は、札幌に住んでいるということになる。
 電車の中は、暖房が効いており、電車内に設置されていた温度計は「20℃」となっていた。ホームは、冬の空気が支配しており、寒さに慣れていない結城たちに北国の洗礼を見舞う。空気は冷たい。が、関東のカラッとした空気とは違い、しっとりとした空気である。
「寒い……」
「空気が違うな……。やっぱ、遠くに来たって感じがするよな」
「そんなの、どうでもいいから、早く、ホテルに行こうよ」
「ああ、分かったよ。明日、必要な切符を買うからちょっと時間をくれ」
 ナイルが急かすので、北国の最大都市に来たのだという感慨に浸るのもほどほどに、札幌駅4番ホームを後にした。予約してあるホテルは、札幌駅から地下鉄で1駅の大通駅のすぐ近くにある。札幌から歩こうと思えば、歩ける距離なのだが、凍った道や雪道を歩くのは少々難儀である。
 案内板を頼りに、市営地下鉄南北線のホームに移動する。ちなみに「JRの駅と区別するため」という理由で札幌市営地下鉄の札幌駅は「さっぽろ駅」という平仮名表記になっている。
(ありゃ、初乗り210円か……。ちょっと高いな……)
 券売機の前で、乗るか、それとも1駅分歩くかちょっと迷ったが、結局乗ってしまうことにした。平日の夜7時ということもあって、帰宅ラッシュを懸念していたが、幸いなことに乗る人数よりも降りる人数のほうがずっと多かった。席に座ることはできなかったが、立って乗る分には、何の問題もなかった。帰宅ラッシュの時間帯なので相当な混雑を予想していただけに、拍子抜けしてしまった。
 1駅、2分ほどで大通駅に着く。駅から歩いて2分ほどのところにあるホテルにチェックインをする。どこのホテルでもやっているように、宿泊名簿に名前やら、住所やら、電話番号やらを記入し、ルームキーを受け取る。
「荷物を置いたら、夕飯を食べに、街へ繰り出そう。すすきのに行けば、飲食店の1つや2つあるだろ?」
 指定された部屋に鞄を置く。部屋の入り口正面に窓がついていた。外を見ると、狭い駐車場を挟んで、ビルが建っている。あまり日当たりがよさそうな部屋ではなかったが、部屋の明かりをつければ問題ない。
「よし、じゃあ夕飯を食べに、街に繰り出そう」


 第2章 繁華街閑散


 すすきのは北日本最大の歓楽街・繁華街である。その起源は、明治時代初期の北海道開拓である。この時、本州から渡ってきた開拓民とともに、その開拓民を相手に商売をする者たちもやってきた。札幌開発の責任者・岩村通俊(1840~1915)は、最初は特に規制を設けることはしなかった。開拓民を繋ぎ留めておくには、楽しみを提供する場所も必要だったからである。しかし、今で言う風俗店のような施設があちこちにできてしまうと、風紀や治安の乱れのもとになると考え、政府公認の歓楽街を作りその区域内で商売をさせることにした。これが、今日のすすきのの起源である。
 ホテルを出ると、正面にテレビ塔が見えた。気温計が付いており、それによれば、現在の気温は0度とのこと。
「ご主人、0度ってのは暖かい方なのかな、それとも寒い方なのかな?」
「さあ……。でも、今年は記録的な暖冬らしいからなぁ、暖かい方なんじゃないか?」
 大通公園といえば、札幌駅の隣であり、近くにはテレビ塔もある。少しくらい観光客や仕事帰りと思しき人の姿があってもいいのだが、なんと人一人いない。時計を見ると、夜の7時30分よりも少し前で、決して遅い時間ではなかった。雪まつりが終わった直後で、閑散期なのかもしれないが、それにしても人がいなさすぎるように思えた。寒空の下で、渡る人のいない横断歩道の信号が煌煌と輝いていた。
 雪まつりが終わった直後であることと、ウイルス騒動の影響という負の相乗効果によるものだろうか。ちなみに、この時はまだ外出制限などはなかったが、結城たちが関東に戻って1週間ほどすると、北海道に1回目の「緊急事態宣言」が出され、週末の外出に制限(といっても、強制力はなかったが)がかかるようになった。
(あまりにも、人がいなさすぎて、ちょっと不気味だな……。これが、人口196万の大都市なのか……?)
 きちんと除雪がされた歩道をすすきのに向かって歩く。
 しばらく、歩くと市電の停留所があった。乗ってみたい気もするが、すすきのまで大した距離ではないので歩くことにした。市電が出た直後だからだろうか? 停留所で待っている客はいなかった。値段を見ると、大人1人200円とある。
(そういえば、長崎の市電は、130円だったな……)
 温暖な長崎と、厳しい冬がある札幌とを比較すると、後者の方がメンテナンスや冬の除雪にコストがかかる。その分のコストが上乗せされ、値段に出ているのかもしれない。
 寒空の下を歩く。人があまりいないから、歩きやすいのはいいことなのだが、少し寂しい気もする。やがて「ニッカウヰスキー」の看板がある交差点に出る。ここが北日本最大の歓楽街・すすきのである。
 さすがに歓楽街とあって、人がいないかといえばそういうわけではないが、混雑というには程遠かった。客引きも何だか暇そうにしていた。
「ナイル、何でもいいぞ。何を食べる?」
「体が温まるものが良いよね」
 北海道といえば、食の宝庫である。ドラゴンフルーツだとか、ランブータンのような南国のフルーツを除けば「何だってある」といっても過言ではないようにも思う。さて、何を食べるか?
 何だってあるのだから、結構迷う。ラーメンに成吉思汗、スープカレー、魚介料理等々。米どころでもあり、ビール醸造所もあるから、お酒を頂くのも一手だ。さて、どうしようか?
 ふらふらと、道を歩いていると、赤い看板の一軒の店の前で、足を止めた。
「どうしたの? ご主人」
「な、なあ? カレーと餃子って合うのか?」
「え? カ、カレーと……餃子?」
 その店には確かに「カレー・餃子」とある。餃子の中の餡がドライカレーなのか? 気になったので、入ってみることにした。時間はまだ8時前であり、夕飯時のはずだが、店の中には先客が2人しかいなかった。その2人も結城たちが席に着くと、程なく、勘定を済ませて出ていった。
 定番だというカレーと餃子のセットを頼んだ。値段は520円と手頃であった。しばらくして、本当に運ばれてきた。餃子とカレーが……。セルフサービスだというキャベツの漬物をカレー皿の片隅に置いた。
 まず、餃子を食べる。水餃子ではなく、焼き餃子であった。皮はしっかりと焦げ目がつくまで焼かれている。
(中身が熱いな……)
 タレにつけて、口に入れるが、中の餡が思った以上に熱かった。中は挽肉と野菜で、それ以外の余計なものは入っていないようだった。次に、カレー。ちょっと辛めの挽肉カレーといったところである。
「もぐもぐ……。うん、カレーと餃子だ」
「そのままじゃん」
「だって、そうとしか言いようが……」
 合うか合わないかといえば、合わないというのが結城の感想である。だが、不思議なもので
「合わないんだよ。カレーと餃子なんだよ。でも、これはこれで、アリかもしれない」
 口に入れても、カレーと餃子で分離したままなのである。合わない。だが、飲み込んで、少しすると「アリかもしれない……」と思うのである。何とも不思議な組み合わせである。
(北海道に来ることがあったら、ぜひ、また来よう)
 腹を満たし、代金を払って店を出た。寒空の下を歩き、ホテルまで戻る。
 部屋に戻ると、早々に風呂を済ませることにした。カレーを食べた後汗をかいたまではよかったが、そのあと寒空の下を歩いたことで、かえって体が冷えてしまった。このホテルの最上階には大浴場があると、部屋に置いてあったホテルの案内に書いてあった。
 大浴場に着いてみると、脱衣所にも、浴室にも先客はいなかった。事実上の貸し切りであった。
 雪まつりが終わったとはいえ、まだまだウインタースポーツの時期ではあるので、少なくとも閑散期ではないはずだ。ちなみに札幌の中心部の近所にもスキー場がある。ここまで空いているのはやはり、新型コロナウイルスによるものだろう。空いているのはありがたいといえば、ありがたいが……。だが、事情が事情だ。大喜びするのは如何なものか……? 何とも複雑な気持ちである。
 体を洗った後、誰も先客がいない湯船につかる。
「ご主人~。やっぱり、大きいお風呂っていいよね」
「そうだな」
 寒さに弱いナイルにとって、体が冷えた時のお風呂ほど、ありがたいものはないだろう。
「この辺に温泉ってないの?」
「この辺だと、定山渓温泉かな? でなければ、朝里山温泉かな……」
「温泉宿に泊まりたかったな……」
「おいおい……贅沢を言うなよ……。あ、そういえば、新千歳空港に温泉があるとか聞いたな……」
「じゃあ、決まりだね。明日早めに空港に行って、そこに行こう」
「え、ええ……」
 結城は、早めに空港に行くことにはしていたが、そこでは様々な土産物を見て、時間を潰そうと決めていたのだが……。
(まあ、離陸時間の4時間前に行けば、ひと風呂浴びるくらいはできそうかな……?)
 風呂を済ませ、部屋に戻る。結城は、持参した缶ビールとつまみで晩酌をし、午後10時過ぎには部屋の明かりを消して眠りについた。


 第3章 1日1本


 朝の5時30分に目を覚めした。モーニングコールを5時45分にセットしておいたのだが、それよりも前に目が覚めてしまった。モーニングコールの時間まで二度寝をしようとも思ったが、もしも、深い眠りに落ちてしまい、モーニングコールの音で目が覚ませなかったら、予定が全部パーになってしまう。だから、起きていることにした。カーテンを開けると、外はまだ暗かった。
 結城は、顔を洗い、寝癖を直し、歯を磨き、身支度を済ませていく。今日はまず、札幌駅へ行き、そこから特急「ライラック3号」で、滝川駅に向かう。この特急の発車時刻は7時49分である。乗り換えに少し時間がかかることと、駅で朝食を調達しなければならないので、少し時間に余裕を持たせる必要があった。7時過ぎにはホテルを出たほうがいいな、と結城は判断した。
 時間になり、モーニングコールのけたたましい音が部屋中に響き渡る。
(あぁ~、うるせえな、もう……)
 眠気は消し飛んだが、このけたたましい音で、いささか不愉快な気分になってしまった。ナイルがもぞもぞと起き上がる。
「ご主人……。また眠たいよ……」
 ナイルはもっと寝かせろというが、後でもう一度叩き起こすのも、それはそれで面倒なのだ。
「ところで、今日は朝御飯はどうするの?」
「札幌駅で調達する」
「何だ、ホテルで食べるんじゃないのか……」
 結城と違って、ナイルにとって旅の楽しみは「食」にあった。そのことは、結城も十分理解できる。
「じゃあ、昼は何かおいしいものを食わせてやるから」
「やったね」
 せっかく北海道まで来たのだ。寿司、スープカレー、ラーメンなどなどせめてどれか1つは食べて、東京に戻りたい。結城もそう思っていた。
 忘れ物がないことを確認して、部屋を後にする。チェックアウトを済ませると、朝の冷たい空気が体を包み込む。歩道がところどころ凍っている。
「寒い……」
「すぐに地下鉄に乗るんだから、我慢しろ」
 大通駅から、地下鉄に乗って隣のさっぽろ駅に移動する。平日の朝の7時過ぎといえば、通勤、通学ラッシュの時間である。通勤あるいは通学客と思しき人たちが、ホームで地下鉄を待っている。それなりに人がいたが「ホームに人がぎっしり」という表現とは程遠い混雑具合であった。
(東京のラッシュも、いつもこの位の混み具合だったらなぁ……)
 結城がそんなことを思っていると、麻生行きの地下鉄がやってきた。車内にも通勤あるいは通学客と思しき人たちがそれなりに乗っていたが、この大通駅で半分くらいが降りていった。
「あ……そうだったのか……」
「どうしたの? ご主人」
「いや『麻生』って『あそう』かと思ったけど『あさぶ』なんだな、読み」
「あ、そう、そうだね、うん」
 そんな話をしていると、地下鉄はさっぽろ駅に着いた。時計を見ると、特急の発車時刻までは30分少々ある。
(まずだな、後でまた札幌駅に戻ってくるから、旅行鞄をロッカーに預けないと……)
 小さなバッグに、必要なものを移し替え、JR札幌駅近くのロッカーに旅行鞄を預ける。これから乗るのは、7時49分発特急「ライラック3号」旭川行きである。この特急電車で、途中の滝川駅まで行き、そこからバスと徒歩で、新十津川駅に向かう。この新十津川駅を訪れることと、この駅から出る10時丁度発の石狩当別行きの列車に乗ることが今回の旅の目的であった。
 今回、特急に乗るわけだが、越前に行くときに乗った特急とは違い、6両のうち4両は自由席ということもあり、早めに乗り場に行けば座れるだろうと踏んで、指定席を予約していなかった。
 札幌駅の改札を通り、乗り場に行く前に朝食を調達しなければならない。
「ナイル、朝食、何にする? 何でもいいぞ」
 こう言ったのが良くなかった。
「ん? 今『何でもいい』って言ったよね?」
「え? ああ……」
 ナイルに言葉尻をとらえられてしまい、何となく嫌な予感がした。しまったと思ったが、時すでに遅しであった。
「じゃあ、とりめしがいい」
「へ? とりめし? そんなのあるのか……?」
 駅の売店には「知床とりめし」なるものが売られていた。どうやらこれのことらしい。
(た、高いな……。900円もするのか……)
 このように銘打っているからには、鶏肉も粗悪品ではなく、ちゃんとしたものを使っていることだろうし、輸送コストや人件費も考えれば、適正価格なのかもしれないが……。
(朝食に900円も使うのか……)
 今回は自分にも言い方が良くなかったという、失策があったため、ナイルを責めるわけにもいかず、やむなく購入した。ちなみに、結城はサンドイッチと牛乳を購入した。乗り場は7番ホームだそうなので、そこへ向かう。
 発車までは20分少々あった。防寒具を着込んでいても、ホームに吹き込んでくる風が冷たい。隣の乗り場では、稚内行きの特急列車「宗谷」が発車を待っているところであった。自由席の車両はかなり混雑していて、デッキに立っている客もいる。
「ご主人、隣、結構混んでいるね」
「ああ、そうだな。とはいえ、全員が稚内まで行くわけじゃないだろう。途中で降りる客の方が圧倒的に多いと思うぞ?」
「それにしても、寒いなぁ……。早く来ないかな……」
「それは、我慢しろ」
 時間になり、多くの客を乗せた「宗谷」はエンジン音を響かせ、日本最北の駅を目指して旅立っていった。ちなみに終点の稚内到着は12時40分である。もし、終点まで乗り通すとなると、5時間を超える長旅になる。やはり、北海道の大きさはスケールが違う。稚内や、網走、根室といった最果ての地がどんなところなのか。結城にとって、大いに好奇心を刺激させられるものがあったが、残念ながら、今回は時間がない。
 次第に、自由席の乗り場にできている列が長くなってきた。結城たちはそのことを見越して、乗り場の一番前に並んでいたので、確実に座ることができよう。
(早めに来ておいて正解だったな)
 発車の7分前に緑色の6両編成の電車が入線してきた。車両中央部よりもやや前方の席に腰を下ろす。北海道の最大都市と第2の都市を結ぶ特急だけあって、席はあらかた埋まっている。この特急「ライラック3号」で、滝川駅に向かう。滝川到着は8時41分である。 
 時間通りに、電車はするすると動き始めた。1時間足らずで目的地に着いてしまうので、さっそく朝食をとる。
 結城はナイルの朝食をちらりと見た。その「知床とりめし」なる弁当は、御飯の上に錦糸卵と鳥の照り焼きがのり、空いているスペースにこんにゃくやシメジ、ニンジンの煮物など様々な種類のおかずが入っていた。かたや、結城が食べているのは普通のサンドイッチ。
(くそ、朝から贅沢なもん食いやがって……)
 そんな結城の気持ちが通じたのか
「ご主人、これ、欲しいの?」
 とナイルが言ってくる。
「いや、いいよ別に。滝川に着くまでに食べるんだぞ」
「大丈夫だよ、ご主人」
 札幌駅を出た時は、雪は降っていなかったのだが、厚別駅を過ぎたあたりから、雲行きが怪しくなり、江別市に入ったころから小雪がちらつくようになった。江別駅を通過すると、住宅の数がぐっと減ったように思う。雪は次第に強くなり、最初の停車駅である岩見沢に着いたときには、空は厚い雲で覆われ、しっかりと雪が降っていた。ホームや線路上には雪が積もり、人の往来の邪魔にならないところに除雪した雪が集められていた。これほど、雪が積もっていたら、東京であれば完全に交通がマヒしてしまうだろう。
(あれ? 結構降りるなぁ……)
 車内は座席があらかた埋まっており、てっきりほとんどの人が旭川まで乗っているものだと思っていたのだが、ここで、6割ほどの人が降りた。数人が乗ってきたのだが、車内には空席が目立つようになった。電車を降りた客が雪の積もるホームに靴跡を作りながら、出口へと歩いていく。
 時間通りに電車は動き始めた。あと30分足らずで、滝川駅に着く。
「そうだ、ナイル、弁当は?」
「え? もう、全部食べちゃったよ?」
「あ、そうか……。食うの早いな……」
「ちょっと足りなかったな……。車内販売とかないの?」
「んなもん、無い」
「えー、なんだよー」
 人件費を削減しようということなのだろうか、最近の在来線の特急は、車内販売がないことの方が多いように思う。あったとしても、飲み物の自動販売機が置いてあるくらいだ。だから、車内で何か飲み食いするのであれば、事前に用意しなければならない。
 電車は雪の降りしきる岩見沢駅を定刻通りに発車した。流れゆく車窓に目をやると、外は一面の銀世界である。雪に滅法弱い東京の鉄道とは違い、何の問題もなく、電車は空知地方を北上していく。
 岩見沢や滝川、新十津川がある空知地方は、かつては石炭の採掘で栄えていたところである。岩見沢から苫小牧を経て、室蘭まで伸びている室蘭本線も、もともとは石炭を苫小牧の港まで輸送するために敷かれた路線である。ところが、石炭の採掘が行われなくなると、急速に人口が減少し、過疎化の問題に直面している。特急の停車駅でもある砂川の近隣にある歌志内市は、かつては石炭採掘で栄え、最盛期の人口は約4万6千だった。石炭産業が無くなっても、温泉とスキー場という観光資源があるのだが、人口流出は止まらず、5千を切り、4千を切り、今は3千人ちょっとの住民しかいない。ちなみに、目的地である新十津川は「町」なのだが、こちらの人口は6500人ほどであり、町よりも人口が少ないという現象が起きている。
「もうそれじゃあ『村』だよね」
「だな。日本で、一番人口が少ない市らしいぞ」
「それにしても、町よりも人口が少ない市ってどうなの?」
「『どうなの?』って……オレに言われても困るんだけど……」
 10分ほどで、次の停車駅である美唄駅に到着した。ここでも、それなりに降車客がいた。岩見沢の時とは違い、乗ってくる人はいなかった。雪が降りしきる駅を、これまた時間通りに発車した。
(旭川まで行く人が多いかと思ったけど、そうでもないんだな……)
 札幌と旭川という大都市間の人の移動が無いとは思えないが……。
(旭川まで行く人は、高速バスを使うのかな? 多少時間はかかるけど、バスのほうがずっと安いしな……)
 美唄駅を出ると、15分ほどで滝川駅に着いてしまう。そろそろ、降りる準備をしなければならない。降りるのが終点であれば、駅に着いてから準備をすればいいのだが、途中駅だとそういうわけにもいかない。
 雪の降りしきる中を走ってきたが、滝川駅に着いた頃には雪は弱くなった。雪国ではこの程度の雪、どうということもないのだろうが、2、3センチの積雪で交通が大混乱に陥る場所に住んでいると、とても頼もしく思えた。滝川駅にも遅れることなく到着し、時間通りに発車していった。ホームには吹き込んできたであろう雪が薄く積もっていた。また、ホームの階段の陰には雪かきで集めてきたであろう雪が集められていた。
 滝川駅は遥か道東へと伸びている根室本線の始発駅でもある。南千歳駅と新得駅を結ぶ近道路線が全線開通(全線開通は1981年)するまでは、道東方面へ向かう特急はこの駅を通っていた。そのためなのか、駅の構内は広かった。かつては乗り換えの客や列車の切り離しなどの作業で多くの人が行き交っていたのだろうか? 今は、ホーム上には結城たち以外に誰もいない。隣のホームで、岩見沢行きの電車が寂しく発車を待っていた。
 ちなみにこの駅から、遥か道東の釧路駅まで結んでいる2427Dという普通列車が最近まであった。308キロの道のりを8時間以上かけて結ぶというとんでもない普通列車である。「日本一運行時間の長~~い定期普通列車」と銘打ち、鉄道好きの人たちの間では有名な存在であった。観光資源として活かせそうな列車だったが、2016年に大雨で線路が寸断されてしまい、この列車は消えてしまった。復旧させようにも、寸断されている東鹿越駅~新得駅は採算がとれるエリアではないので、復旧工事がされるのか、それすらも分からない。北国を走る列車の環境はまことに厳しい。
「ご主人、寒いよ。早く暖房があるところに行こう」
「ああ、分かった分かった」
 ナイルが急かすので、結城はホームを後にした。駅の待合室に向かう途中で、1番線に根室本線の列車がやってきた。結城は、ホームに入ってきた列車を横目で見ながら「日本一運行時間の長~~い定期普通列車」が復活する日を願って、改札の外にある待合室に入った。
 次に乗るのは、9時04分に駅前から出る新十津川町役場行きのバスである。
 これから向かうのは、新十津川駅である。町役場からは歩いて10分もかからないところにある。役場の近くにあるということは、町はずれにポツンとあるというわけではなさそうだが、新十津川駅には列車が1本しか来ない。石狩当別駅からの列車がやってきて、新十津川駅到着が9時28分である。そして、その列車が折り返し石狩当別駅行きの列車として10時ちょうどに出ていくと、もう、この駅に列車はやってこないのである。
 滝川は市制も施行されているし、空知地方の市町村の中では、大きい方である。駅前にも住宅や商業施設の建造物がある。札幌に行くにも特急列車は一部の時間帯を除けば、約30分に1本あるし、それ以外にも駅前を発着する高速バスがある。かたや、新十津川駅は、1日1本の列車だけ。滝川と新十津川は石狩川を挟んで4キロほどしか離れていないのだが、随分、差が出ている。
「そろそろ時間だから、バス停に行こうか」
「え~……。寒いの、嫌だな」
「聞き飽きたわ、もう。嫌なら置いていくぞ」
 結城はスタスタと歩いて、バス停に向かった。バスの発車は、9時04分とのことだが、時間になっても、バスは来なかった。雪道を走るのだから、さすがに時間通りというのは無茶なのかもしれない。20分も30分も待たせるようなら、最終手段として、タクシーという手もあったが、幸い10分遅れで、バスはやってきた。
「ああ、やっと来たね、寒かったな」
「ほらほら、文句言っていないで、乗るぞ」
 ナイルの背中をぐいぐい押すようにして、バスに乗り込んだ。終点の新十津川町役場のバス停までは15分ほどで着く。バスは待っている客を全員乗せると、ゆるゆると動き出した。バスは、駅前の住宅街を走る。道路脇には、除雪された雪が集められていた。住宅街をしばらく走り、国道に出ると、北海道の大河・石狩川を越える。それから、10分もしないうちに、バスは呆気なく終点の新十津川町役場に到着した。ここから、新十津川駅までは歩く必要があるが、10分もかからないところにある。
「よし、着いた。運賃を払って降りるぞ」
 所定の運賃・230円を払ってバスを降りた。列車が1日1本しか来ない町なのだから、とんでもない山奥なのか、はたまた陸の孤島というに相応しい集落なのかと思いきや、役場から、駅までの道のりはいたって普通の住宅街である。滑って転ばないように小雪が舞う中、雪道を慎重に歩く。少し歩くと、ぽっかりと開けた場所に出た。ここが新十津川駅である。新十津川駅は札幌から伸びるローカル線・札沼(さっしょう)線の終着駅である。全長約78キロの路線だが、新十津川駅から北海道医療大学駅までの約48キロの区間は2020年の春で廃線になることが決まっている。札沼線はかつては新十津川駅のずっと北にある留萌本線の石狩沼田駅までを結んでいたのだが、新十津川より北の区間は1972年に廃止になっている。
(くそぅ、こんなにも『同志』がいるとは……)
 廃線が近いローカル線、しかも、1日に1本しかないこともあり、駅前は『同志』たちでごった返していた。地元の人がわざわざカメラを持って駅舎を撮影などするものだろうか、おそらく駅と駅前にいる99%は他所から近々廃線になるローカル線に一度乗っておこうとやってきた方々なのであろう。
「ご主人の『同志』がいっぱいいるね」
「ああ……」
「あれ、どうしたの? テンションが低いね、疲れたの?」
 ナイルがそんなことを言う。
「いや、廃線までまだ日があるから、もっと空いているかと思ったんだけど……。そうでもなかったなぁ、と思って」
 廃線直前になれば、大混雑することは容易に推測できる。だから、日にちに余裕を持ってきたのだが、結城の予想は外れてしまったことになる。もっとも、この時はまさかの混雑ぶりに不満そうな結城だったが、東京に戻った後、新型コロナウイルス騒動の影響で定期運行最終日が突然前倒しになってしまったというニュースを聞いて
「結果論だけど、早めに乗っておいて大正解だったな……」
 と、言っていた。連休最終日の5月6日を定期列車の運行最終日にしたのは、言ってみればJRなりの「同志」たちに対する気遣いであったのかもしれない。だが、非常事態ともいえる社会情勢になってしまった以上、突然の前倒しもやむを得ない判断だったのだろう。
 駅前には、新十津川駅にやってきた記念として、写真撮影を行う「同志」が大勢いた。結城のようにポケモン連れも相当数いる。その様子を見て結城は
「『シンオウポケモンセンター・空知支部・新十津川出張所』だ」
 などと無駄に長い形容をしていた。結城も、せっかく来たのだからと、駅舎を持参したデジタルカメラで撮影した。駅は滝川と比べると随分小さかった。駅舎というよりも「小屋」といったほうがいいかもしれない。駅舎の入り口には「新十津川駅」と書かれたプレートがかかっている。駅舎の周りには廃線が近いということもあって「ありがとう札沼線」と書かれた黄緑色の幟がいくつか立っていた。
 これから、結城たちは10時丁度発石狩当別行きの列車に乗って、終点の1つ手前の北海道医療大学駅で札幌行きの電車に乗り換えて、札幌駅まで戻る予定である。札沼線は新十津川を出ると、札幌の隣の桑園駅までは1本道で、ひたすら南下することになる。
(石狩当別から来る列車は9時28分着だから、もう来てはいるよな……)
 結城が腕時計を見ると、時計の針は9時40分を指していた。切符は前日に札幌で買っておいたので、あとは列車に乗るだけである。駅に入ると、1両きりの列車が1番ホーム(といっても、1つしかホームがないのだが)で、発車時刻を待っていた。この列車が新十津川駅を10時に出る、始発列車にして、最終列車の石狩当別行きの列車である。
 ホームにもやはり、多くの「同志」がいる。雪が降ってはいたが「同志」たちにそんなことは関係ない。近々、使われなくなってしまう駅や、折り返し時刻を待っている列車を写真や動画で記録に残している。
 発車の15分前なると、列車のドアが開いたので、乗車して、席を確保する。長時間の乗車にはありがたいボックスシートである。
 窓の外を見ると、駅舎やホームは多くの「同志」たちで賑わっている。列車が上下1日1本ずつしかなく、この列車で新十津川駅に来ることが「同志」たちにとっては、一種のステータスなのである。新十津川駅に来るのだけが目的であるのなら、滝川駅まで行き、そこから新十津川町役場行きのバスに乗り、役場から歩いてくればいい。だが、それではいけないのである。「同志」たちにとっては、札沼線というローカル線に乗ることと、この駅を訪れることがセットでなければいけないのだ。
 午前10時というとんでもない時間に最終列車が出るということが観光資源にもなっているようだ。札沼線関係のグッズも駅舎の中で売られていた。
「なんか、駅の近くに大きな建物が建っているね」
「ん?」
 確かに大きな建造物がある。空知中央病院である。新十津川駅の周りには、病院だけではなく、役場、農業高校、図書館、小中学校、コンビニがある。決して、駅の周りは見渡す限りの原野で、人の往来が稀なド級の僻地などではない。
 しかし、札沼線の石狩当別~新十津川は最高速度が65キロに抑えられており、かなり足が遅い。近くには国道275号線があるので、車社会である北海道では本数が少ない列車というのは、そもそも移動の選択肢にないのかもしれない。
 10時丁度になり、1日1本の列車が石狩当別駅に向かって、ゆるゆると動き出した。恐らくは、石狩当別からやってきた「同志」たちであろう。1日1回の列車が出ていく光景を映像に収めている。また、列車が動き出す際「同志」たちや、地元の観光業界の人たちが列車に向かって手を振っていた。この1日1回の光景が見られるのも、今年の春で最後である。車内を見ると、4人掛けのボックスにはそれぞれ1~2人ほどが座っていた。
 約48キロ離れた北海道医療大学駅まで、1時間18分かかる。普通列車の中で見ると、遅いのか速いのかは分からないが、先ほど乗ってきたのが特急電車だったこともあり、随分のんびり走っているように感じる。
「ねえねえ、ご主人。あれ、なんて読むの?」
「ん? えーっと、みなみしも……とくとみ?」
 線路のすぐ傍にに雪の積もった田んぼや畑があり、その向こう側には国道275号線が通っている。平坦で、変化に乏しい風景は、早起きをした結城に眠気を催させる。みなみしも……ナントカ駅は、新十津川駅の次の次の駅であった。駅名の看板には「南下徳富」とある。この路線に限ったことではないが、北海道の駅名は読みが特殊なので、余所者には絶対に読めないものが結構多い。
 旅好き・鉄道好きの結城でも読めなかった「南下徳富」駅は「みなみしもとっぷ」と読むのだそうだ。読みが特殊なので、アイヌ語由来の駅名なのだろうか。駅自体は吹きさらしのホームと、駅舎代わりの粗末な小屋があるだけの無人駅である。周りは一面の田んぼである。眺めはいいが、それだけだ。廃線になった後は、線路や駅を撤去して、駅周辺の土地は田んぼにするのだという。陸別駅のように、鉄道が廃線となった後も、駅舎が別の目的で使われ、かつて鉄道があったという痕跡が残る場合もないわけではないが、この駅周辺の場合は、廃線後に田んぼにしてしまうということだから、痕跡を見つけるのは困難であろう。
 ちなみに新十津川という地名は、明治時代の大水害で故郷・奈良県十津川村を離れた人々が開拓民として移住したことに由来しているという。
 窓の外をぼーっと眺めていると、除雪された国道を走る車が軽々と列車を追い抜いていくのが見えた。時折、踏切を通過するのだが、その時、カメラを持った人がいて、列車を写真あるいは映像として記録に残している。列車が走っている姿や、踏切が稼働している姿は間もなく見られなくなってしまう。
 次の於札内(おさつない)駅では人の乗り降りはなかったが、その次の鶴沼駅では5人の降車客があった。バックパックやカメラを持っているから、おそらくは地元の人ではなく、余所からこの列車を乗りに来た人ではないかと思われるが……。この鶴沼駅、特に何かあるわけではない。ホームというよりも、列車に乗り降りするための大きな踏み台とでも言ったほうが良い簡素なプラットホームと、待合室代わりの小さなプレハブ小屋が建っているだけである。この列車が行ってしまうと、もう鶴沼に列車は来ない。この後どうするのだろうか? 駅から1キロほど離れたところに浦臼温泉があるそうなのでそこへ行くのだろうか? それとも知り合いに車で迎えに来てもらうのだろうか?
 結城があれこれ無駄なことを思っていると、列車は5人組を残して、鶴沼駅を発車した。
 次は浦臼駅である。ここから、石狩当別駅まではこの列車を含めて、上り下り6本ずつの便がある。ホームが1つしかない小さな駅ではあるが、駅に茶色の小綺麗な建物が併設されていた。町のふれあいセンターとして使われているらしい。この駅も長時間停まるわけでもなく、時間通りに発車した。列車は相変わらず、のんびりと南下していく。北海道医療大学駅までは、あと約1時間かかる。
 いつの間にか、雪がやんで青空が広がり、冬の優しい日差しが列車内に差し込んでくる。列車内は暖房が効いていることもあり、眠気を催させる。
「ねえねえ、ご主人。あれ、なんて読むの?」
「またかよ、今度は……?」
 浦臼駅の次の次の駅である。またも、踏み台を大きくしたような簡易な造りの1面だけのプラットホームと、プラットホームから少し離れたところに、駅舎というよりも小さな小屋とでも言ったほうがいいような建物が建っていた。駅名は「晩生内」とある。さて、何と読むのだろうか?
「ばん……ばん、ナマ、うち……? ばんき……?」
「え~? ご主人、分かんないのぉ?」
「読めるか、こんなの!」
 結城でも読めなかった「晩生内」駅。これは「おそきない」と読ませるのだという。こんな特殊な読み方をさせるのだから、きっとこの由来もアイヌ語なのだろう。
(あ、まだ30分しか経っていないのか……)
 うとうとしている結城を乗せた5426D列車は相変わらず、のんびりと南下していく。
(眠い……)
 列車に乗ること自体はいいのだが、車窓が単調で変化に乏しいので少々面白みに欠ける。東京には決してない風景がそこには広がっているが、一面田んぼや畑というのも最初は新鮮に思えるのだが、やがて見慣れてしまう。トンネルに入るとか、渓谷を通過する区間でもあればいいのにな、と思うが、あいにく札沼線は広大な石狩平野に敷かれている路線なので、そんなものはない。例外的に豊ヶ岡という駅の前後は丘陵地帯で、駅もうっそうとした林の中にポツンと佇んでいた。まわりに集落のようなものは見えなかった。いったい誰が使うのだろうと疑問だったが、豊ヶ岡駅は、地域住民の請願によって1960年に設けられた駅なのだという。
「うわぁ、すごい。こんな林の中に駅があるよ。なんでこんなところに駅があるんだろうね?」
「う~ん……。ただ、この駅は住民の陳情で作られた駅らしいんだ。開業当時はそれなりの需要はあったと思うんだけどなぁ、過疎化の進行で誰も使わなくなったってところじゃないのか?」
「『住民』ってニンゲンだよね? クマとかシカじゃないよね?」
「クマとかシカがそんなことするかよ……。もしかすると、近くに炭鉱があって、労働者の集落があったんじゃないかなあ……。調べていないから分からんけど……」
 クマやシカの陳情などというのは、おとぎ話の世界でのことだ。ただ、結城も実際はどうであったのか、調べていないので分からなかった。降りる客もいなければ、乗ってくる客もいなかった。もちろん、エゾシカもヒグマも乗ってこなかった。
 次の駅は、石狩月形駅である。新十津川からのんびりと南下すること、約50分。ここで、初めてすれ違いが可能な駅に出くわす。乗り換え駅の北海道医療大学駅までは、あと約30分の旅である。
(う~、眠い……)
「もしもーし、ご主人?」
「えっ!?」
「無理しないで寝ればいいのに……」
 眠かったが、初めて乗る路線なので、結城は起きていると言う。北海道医療大学から札幌までは廃線の対象外なので、寝てしまっても、また来ればいい。だが、廃線になる区間はそうはいかない。
 時間通りに列車は、ゆるゆると動き出した。相変わらず、のんびりとした足取りである。「先を急ぐだって? そんなこと知るか」と言わんばかりである。これまで晴れていたのだが、石狩月形駅までは晴れていたのだが、急に曇ってきた。雲行きが怪しくなり、間もなく雪が降ってきた。
「ご主人、雪降ってきたよ……」
「うん……。あ、そうだ。昼飯どうするよ?」
「え? お昼?」
「そう。北海道医療大学で乗り換えてさ、札幌に着くのが12時15分なんだ。昼飯にするにはちょうどいい時間だろ?」
「確かにそうだね。何がいいかなぁ……?」
「まあ、これを見て決めておいてくれよ」
 結城は、網棚に置いた鞄の中から、札幌のガイドブックを取り出し、ナイルに渡した。
 石狩月形から2駅進んだ月ヶ岡駅の周りには、除雪で集められた雪が高く積まれていた。プラットホームは積雪が少なかった。人の手が入っていることは明らかだったが、いったい誰がやっているのだろう? この駅は無人駅なので、周辺の住民がやっているのだろうか? 駅の周りに住宅らしきものは見えなかったが……。それでも、利用する人はいるにはいるらしい。1日に3、4人ほどだが。
 雪がどんどん強くなってきて、窓に雪がへばりつくようになった。視界が悪くなり、車窓を楽しむことが難しくなってきた。だからと言って、窓を開けるわけにもいかない。
(う~ん、残念……)
 列車はしばらく、吹雪の中を走ってきたが……。しかし、どういうわけか、乗り換える予定の北海道医療大学駅に近づくと、雪雲はどこへやら、青空が広がっていた。先ほどのは、ゲリラ雷雨ならぬゲリラ吹雪だったのだろうか?
 新十津川駅から、のんびり南下すること78分。乗り換え駅である北海道医療大学駅に定刻通りに到着した。ここで、11時29分発の札幌行きの電車に乗り換えるために、2番ホームへ移動する。2番ホームには、すでに札幌行きの6両編成の電車が止まっており、発車を待っていた。
 先ほどの列車とは違い、こちらは普通の通勤用の電車である。車内はロングシートであった。今回乗る時間は1時間弱だが、これが、1時間30分、2時間となると、ちょっときついのではないか、と結城は思った。車内には、ゴミ箱が設置されていた。あと、先頭車両と前から4両目にトイレがあるとのことだった。結城たちは「多分、空いているだろう」という理由で、先頭車両に乗った。
 すぐ近くに、北海道医療大学のキャンパスがあり、この駅もここに通う医大生のために作られた駅である。駅の設置は1981年と比較的新しい。春からはここが、札沼線の終着駅になる。
 時期が時期なのだろう。大学生と思しき乗客の姿は少なかった。時間通りに電車は発車した。
 次の石狩当別駅は、当別町の中心地である。駅の近くに農協や銀行、役場などがある。新十津川駅を発車してから、駅の周りにあるものといえば、見渡す限りの田んぼや畑という風景に見慣れてしまったせいか、駅の周りにいくつも建造物があるというのが、随分、新鮮な風景のように思えた。ここで、それなりに乗車があり、車内の座席は半分ほどが埋まった。
 眠いのを我慢してきた結城だったが、廃線になってしまう区間で居眠りをせずに済んで、気が抜けたのか、猛烈な眠気が襲ってきて、2つ先のあいの里公園駅に着いたところで、意識が飛んでしまった。
 結城が目を覚ましたのは、電車が新琴似駅に停車した時だった。もう、札幌市内に入ってしまっている。あと10分少々で、終点の札幌駅である。
(ん……15分くらい寝ちゃったか……ナイル?)
 横を見ると、ナイルも寝てしまっていた。起こすのも可哀想なので、そのまま寝かしておくことにした。幸いこの列車は札幌止まりなので、終点に着いたら、叩き起こせばいいと思ったからである。
 新琴似までくると、周りは住宅街である。多くの建物がひしめき合っている。
(ああ、大都会に戻ってきたんだなぁ……)
 結城はそんなことを思った。しかし、である。今でこそ札幌は人口196万の大都市だが、かつては札幌は原野で何もなかった。明治時代に入植が始まっても、人口は1万に満たなかったという。最初から開拓民が、大挙して何十万人も押し寄せたわけではないのだ。そのことは歴史的な事実なのだが、大都会の建物群を見ていると、にわかには信じがたかった。
 さて、ナイルを起こそうかと思っていると、終点の1つ手前の桑園駅を出たところで、ナイルは目を覚ました。
(あ、起こす手間が省けたわ)
 12時15分、電車は札幌駅に時間通りに到着した。乗客たちは足早に改札口へと向かっていく。
「ナイル、昼飯何にするか、決めたか?」
 と、結城は聞いたが、ナイルは決めていないという。と、いうよりも、食べたいものが多すぎて決められないのだという。そして、こんなことを言い出した。
「せっかくだから、お寿司とラーメン食べようよ」
「『お寿司とラーメン』って、そんな都合の良い店があるかよ」
「だからー、まず、お寿司屋で、お寿司を頂いてから、ラーメン屋に移動」
「おいおい……」
「だって、ご主人も食べたいんじゃないの?」
「そりゃあ、まあ……」
 確かに、札幌に来てラーメンを食べないという手はないだろう。時期が時期なので、昼飯時でもお店は空いているかもしれない。加えて、もしかすると、今後旅行をすることが難しくなるかもしれない。さすがに、飛行機や長距離列車が全部欠航になってしまう、ということはないだろうが……。
「まあ、いいだろう。思い出作りだ。さっそく店を探そうか」
 結城たちは改札に向かって歩く。駅の時計は12時20分を指していた。昼食をとるにはちょうどいい時間である。


 おわり


 <あとがき>

 今回は真冬の北海道(ゲームで言うところのシンオウ地方ですね)への旅となりました。記録的な暖冬だったからでしょうか? 札幌はあまり寒く感じなかったというのが正直なところです。
 この時は、緊急事態宣言が出る前(北海道で1回目に出されたのが2月28日)だったのですが、大通駅周辺や、すすきの周辺は人がいるかといえばそういうわけでもありませんでした。まだ、その時は営業自粛とかはなかった思いました。
 しばらくは、この旅モノシリーズは書けないと思います。実際に作者が旅行したうえでの副産物的な作品ですので。とはいえ、まだまだ、行きたいところはたくさんありますし、自分自身いろいろと精進しなくてはと思っています、はい。
 以前は、ゲームのようにポケモンとトレーナーが旅をするといったようなお話がWikiにもあったと思いましたが、今は見かけないですね。それにしても、推しと旅をするって考えただけでも素敵じゃありませんか? 夜はホテルで、ね?
 またどこかでお会いしましょう。読者の皆様、体にはどうかお気を付けて。


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