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#include(第八回仮面小説大会情報窓・非官能部門,notitle)
自然の濃緑が美しく生い茂る森林地域。木々を染める夕日と涼しげに吹かれる風は、どこか暖かみのある風情を感じられる。
そして、細々と波音を立てる湖のほとりでは、2匹のポケモンが仲睦まじく湖の水を飲んでいた。
いや、正確には幼い小鳥のポケモンに対して、色彩豊かな翅を持つ蝶ポケモンが口渡しで水を分け与えているといった方が正しいだろう。
水を与えられ、嬉しそうに鳴き声を響かせて蝶に寄り添っている小鳥ポケモンはスバメ。少しぎこちない感じはするが、それでも精一杯の愛情を幼いスバメに注いでいる蝶ポケモンはアゲハントであった。
鳥と蝶。同じポケモンとはいえ、若干種族の異なる母仔は少し違和感がある。しかし、先ほどのやり取りを見る限り、2匹は微笑ましい母仔の関係にあるといって良さそうだ。
私はそんな2匹の後ろ姿を、草むらに隠れながら遠目で静かに眺めていた。本来ならばこのまま、温かく見守ってやるのが道理なのかもしれない。
でも、私もあのスバメを愛してやりたい――
本能に従うまま、私の足は無意識の内に2匹の元へと歩みを始めていた。なるべく幼いスバメを驚かせないように、羽を使わず静かに地表を歩いて近寄る。
そして、あと少し。数歩のところまで距離を縮めて話しかけようとしたその瞬間――
気配を感じたのだろうか。スバメは私の方へ振り返った。自然とお互いの目と目が合う。
あっ、と私が思った頃にはスバメはぎょっとしたような表情を見せ、一目散にそばにいたアゲハントの後ろへと隠れてしまった。身体はブルブルと恐怖に震えて、その目には雫が潤んでいた。
「こ……こわいよぉ。ママぁ……」
「こ、こら。いつも言っているでしょ! このお姉さんはとても優しいポケモンなんだから、怖がっちゃダメ!」
感情をありのままに表現するスバメに対して、アゲハントは言い聞かせるように叱る。
しかし、スバメの様子は一向に変わらず――まるで恐ろしい化け物を見るかのような、怯えた表情で私のことを見ている。
「ご、ごめんねファイアロー。いつもこの仔にあなたのことを話しているんだけど、まだ理解してもらえないみたい……」
アゲハントはとても申し訳なさそうな面持ちをして、私に謝ってきた。
「いいのよ、アゲハント。いつものことだし……それに、スバメには母親であるあなたさえいれば大丈夫なんだから」
今度こそ、あの仔と仲良くなりたい――
叶わないことは分かりきっていた願い。それでも淡い希望を抱いて、あの仔に近づいたけれども結果はいつもと一緒で、怖がられただけであった。
「そんな、この仔の本当の母親はファイアロー……あなたよ。私なんてそんな――」
「ダメ! その仔の母親はあなたしかいないのよ……私は所詮、母になり損ねたしがないポケモンなのよ!」
アゲハントのその言葉に私は思わず感情的になり、激しい口調で遮ってしまった。
そう、私はスバメの母親でも何でもない。私の存在が、あの仔を傷つけてしまうのであれば――
私は左右の羽を広げ、2匹の母仔の傍から逃げるように飛び去って行った。
ちょうは巡る
「はぁ……なんであんなことを言っちゃったんだろう……」
2匹の元から十分離れた後、木の枝の上で少し落ち着いてきた私は、アゲハントへ激しくぶつかってしまったことを悔いていた。
元々、私とアゲハントは同じご主人の元にいるポケモンとして、ヤヤコマとケムッソの頃から苦楽を共にしてきた。
出会った当初は天敵である鳥ポケモンの私にケムッソは少し怖がっていた部分もあり、よくお尻のトゲを向けて威嚇をされていた。
それでも、同じご主人のポケモン同士。そして同じ女の仔同士ということもあり、すぐに言葉を交わして仲良くなることができた。
それからお互い進化を重ね、美しい翅を持ったアゲハントと一緒に空を羽ばたくことも多くなり、私と彼女は胸を張って親友といえる間柄になっていった。
しかし、今はあの仔……スバメのこともあり、アゲハントとは少し気まずい関係が続いてしまっている。
先ほど、彼女が発した”本当の母親はファイアロー”という言葉は、彼女なりの私へのフォローであり、優しさであるということは理解していたつもりだった。
それでもその言葉を感情的に遮ってしまったのは、厳しい現実も理解しているからだ。
いくら私が強く願っても、あの仔の母親になることはもうできないという現実を――
あれは、数カ月前の出来事であったろうか。
ご主人とアゲハントと……壮大な山林が広がる場所へと出向いた時――
自由時間を設けられ、私は1匹で自然豊かな木々の間をゆっくりと飛んでいた。いつもはこういう時間はアゲハントと一緒に飛ぶことが多かったのだが、その日は少しのんびりしたかったため、彼女とは別々に行動していた。
自然の息吹に身を任せ、気持ちよく羽ばたいていると、横から神秘的な光のようなものが差し込んできた。
私は無意識に、吸い寄せられるようにその光の元へと向かっていった。しばらくすると、大きな樹木に辿り着き、その下に球体の形をしている物体がポツンと置かれていた。
一瞬何だろうと思ったが、物体に近づいてみるとすぐにその正体を理解した。これはポケモンのタマゴであると。そして、その生命を脈々と感じさせる煌めきは、私を一瞬で虜にした。
その後、私はこの山林で暮らしている野生ポケモンたちにタマゴの件を聞いた。どうやらこのタマゴはつい最近、どこかの人間が捨てていったものらしい。
”誰かお世話をするポケモンはいないの?” と私が質問すると、赤のポケモンを育てる余裕などないと返された。
その言葉を聞いて、私はこのタマゴが不憫で仕方なかった。このまま放置していたら、無事生命が生まれてもおそらくすぐに野垂れ死にしてしまうだろう。いや、そもそも無事孵化することができるかも怪しい。
誰からも相手にされぬまま、静かに消えていく哀しき生命。このまま放っておくことなど、到底できないと思った。
私はタマゴを優しくその羽で撫でる。するとタマゴは共鳴してくれたのか、強く煌めいてくれた。
その瞬間、私は誓った。
私が精一杯、愛情を注いでやろう。母親として、責任を持って――
私はタマゴを両方の羽で優しく、丁寧に抱え込んで地べたを歩んでいた。不慮の事故が起こらぬよう、慎重に慎重に運んでいく。
そして、合流したご主人とアゲハントにそのタマゴを見てもらった。ご主人もアゲハントも突然現れたタマゴにしばらく困惑していたのだが、私の真っ直ぐな想いを伝えると仲間に入れてくれることを承諾してくれた。
人間であるご主人には私たちポケモンの言葉ははっきりと理解できない。でも、長い間一緒に旅をしてきた間柄だ。声や仕草、表情である程度の意思疎通はできる。
それに今回はアゲハントも私の気持ちを理解し協力してくれた。2匹で必死にご主人に訴えたことで、私の強い決意を汲み取ってくれたのだと思う。
「ほら、今日は太陽さんが眩しいくらいに輝いているよ。タマゴちゃんも太陽さんみたいに元気に生まれてね」
晴れてご主人のパーティへと加わったタマゴに、私はゾッコンだった。
毎日のように語りかけて。そして毎日のように長時間抱きかかえて。
私の特性は”ほのおのからだ”といって、タマゴの成長を促進する効果があるらしい。
そのことをご主人から聞いて以来、私はバトル中など一部を除いて、タマゴを常に抱きかかえるようになっていた。
その様子を見ていたアゲハントから、”ずっとは大変だから、タマゴのお世話を代わろうか?”と提案されたこともある。
彼女の気遣いはありがたいものであったが、私はやんわりと断っていた。
母親として、生まれてくる生命に心地よい暖かみと、深い愛情を十分に注いでいくために。
そして、ついにその日はやってきた。
激しく無造作に揺れて。そして、以前と比べものにならない程の壮大な煌めきに包まれて――タマゴは孵化し、1匹の生命が産声をあげた。
中から姿を現したのは、全長が私の脚部分くらいでとても小さく――しかし、希望に溢れんばかりにとても大きく輝いてみえる、可愛らしいスバメであった。
目はまだ閉じたままだ。それでもその息遣いから、愛しい生命の神秘を感じ取ることができる。
その生命の誕生をずっと待ち望んでいた私にとって、そのスバメはとてもとても美しく――まるで私には不釣合いともいえる、高級なダイヤモンドのように感じられた。
生まれたらすぐに優しく抱いてやろうと思っていたのに、あまりにも高貴な存在であったスバメの姿に、すぐに順応できなかったみたいで。
私はその小さな生命を、ただじっと見入っていた。
しばらくすると、スバメは首を振りながら瞼をピクピクと動かし始める。程なくして、その瞳が表舞台に姿を見せた。
この世に生を受け、初めてスバメが見たものは――すぐ隣にいた私ではなく、ご主人と一緒に少し離れた場所で様子を見ていたアゲハントであった。
スバメとアゲハントの目が合う。視界が重なった瞬間、彼女は一瞬だが怯えるような仕草を見せた。
私はそんなアゲハントの様子に見覚えがあった。そうだ、私とアゲハントが出会って間もない頃に感じていた、彼女の怖がっている姿だ。
そういえばアゲハントがご主人と出会う前――野生ポケモンのケムッソとして暮らしていた時は、毎日のようにスバメやオオスバメたちに生命を狙われていたって話を聞いたことがある。
立派に進化して強くなった彼女が今でも、こんな生まれたてのスバメを一瞬でも怖がってしまうのは、もはや一種のトラウマとなっているからかもしれない。
しかし、新たに誕生した生命はそんなことは全く意に介さない。不安定な足取りでも、一歩一歩確実にアゲハントの元へと進み、そして彼女の前まで来た。
アゲハントは少し戸惑った視線を私に送った。怖いという感情はもうないのだろうが、おそらく私に配慮してのことだろう。
この生命の母親となる私より前に、この高貴なダイヤモンドの輝きに触れても良いのかどうか――正直、少し嫉妬する部分もあったのだけれど。
でも、そもそもすぐに優しく抱きかかえなかったのは私であるし。なにより、この仔の初めての意思を尊重したい。深い愛情を注ぎこむのは後からでも遅くはない。この時は、そう思っていたのだ。
私は微笑を浮かべながら、アゲハントに頷く。それを見た彼女は少しだけ躊躇をしながらも、スバメの頭の部分を優しく撫でる。
とても心地よく、小さい頬を緩ませるスバメ。それにつられてアゲハントも自然と微笑みを浮かべて、何度も頭を撫でてあげる。
傍から見ていても、心からほっこりとしてしまうその光景。ご主人も感慨深げに、2匹の姿を見守っていた。
対する私は、生命の輝きに圧倒され続けていた気持ちに、少し落ち着きが出てきた。
そして、早く私もこの仔と触れ合いたい。愛情を与えてあげたい――そんな母親としての本能が、心の底から湧き立ってくるのが感じられた。
アゲハントはそんな私の気持ちを察してくれたのか、スバメを私の方へと促してくれた。
私もスバメに一歩ずつ近づいていく。そして、あと少しでそれに触れられると思った時に――目と目が合った。
その瞬間、この仔からそれまでの愛くるしい表情は消えた。そして程なく、瞳から大量の雫を撒き散らしながら、泣き叫んだ。
ずっと待ち望んでいた、新たな生命との初対面。
しかし、それが恐怖の表情で激しく泣き喚く姿を見て、私は動くことができなくなる。
アゲハントもご主人も、その様子にポカンとしていたようだが――しかし、それ以上に私はその現実を理解することはできなかった。
何も考えることも、抱きかかえることも出来ずにただ、その場で呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
“タマゴから生まれた鳥ポケモンの仔の多くは、初めて見たものを親と認識する”
スバメが生まれた数日後にご主人に言われた、その言葉に私は深い絶望を覚えた。
何とかならないかと、ご主人がポケモンセンターのジョーイさんに相談した結果判明した紛れもない事実。
ご主人はその事実を私に伝える際、とても申し訳なさそうな面持ちで何度も謝ってきた。
“事前に確認しておくべきだった。ファイアローには謝っても謝りきれない”と。
ご主人は悪くない。私をどん底から救おうとして判明したことなのだから、むしろ感謝するべきなのだ。
何より、こういう事態になった一番の原因は私なのだ。事前にそういった経験のあるポケモンから話を聞いておくべきであっただろうし、そもそも生まれてすぐにあの仔を優しく抱いてあげれば全く問題はなかった。
私は必要以上に気持ちが昂りすぎてしまっていて、母親としての冷静な勤めができなかったのだ。
そう考えてしまうと、自然とあの時の自分を思いっきりくちばしで突いてやりたい衝動に駆られる。
しかし、後悔先に立たず――もう私が、あの仔の母親になって、愛情を注いでやることはできないのだ。
初めてタマゴに出会った時から、脈々と流れる生命の鼓動にゾッコンしていた私。
夢描いていた、母親としての夢広がる物語。しかし、それはもう叶わぬ願い。
私はその日、夜が明けるまで1匹で啜泣いていた。負の哀しみを、全て吐き出すように……
全てを吐き出した後、私は何とか少しずつ前向きに考え始めていた。
母親になれないことを自覚していても、あの仔を愛してやりたい気持ちは変わらない。
だから、あの仔の母親となったアゲハントの仔育てを少しでも助けてやろうと。
アゲハントは私のその意思を汲み取ってくれた。予想だにしない形で突然母親となった彼女であったが、ひた向きにその愛情をスバメに伝えていった。
どうしても種族が異なるため、お世話が不器用になってしまう面もある。でもそこは、私が精一杯のサポートをしてあげて。アゲハントを楽にしてあげて。そしてスバメに愛情を注いであげて――なはずだった。
しかし、負のスパイラルはまだ続いていた。私が少しでもスバメに近づくと、あの仔は必ず怯えてしまい、母親であるアゲハントの裏へと隠れてしまう。
なぜ怯えてしまうのだろうか。おそらくだが、私の顔が怖いと感じているのだろう。
ファイアローというポケモンは、眼がとても鋭い。そのため、普通の表情をしていても、睨まれていると思われてしまうことが多々あった。
現に私がファイアローへと進化を遂げた際に、ご主人とアゲハントですら一瞬怯むような仕草を見せていた。勿論、その一瞬だけであり、今は全く問題ないのだが。
おそらくスバメも私の顔に慣れてもらえれば、自然と分かり合えるだろう。
そんな風に何とか前を向いて、色々な方法を試してきたこの数カ月。
結果は全く持って変わらず。今日みたいに恐怖の表情を浮かべ、すぐにアゲハントの元へと駆け寄って助けを求めてしまう。
ただ、今のところスバメ自身は勇敢な雄らしく元気一杯に、すくすくと成長をし続けている。簡単な言葉でなら、コミュニケーションを取り合うこともできるようになった。
無論、私はまともにあの仔とお話しできた試しはない。楽しそうに母親であるアゲハントやご主人と話している様子を遠目から見ているだけだ。
これだけ強い愛情があるのに……私の存在が、逆にあの仔を苦しめているのかな。
最近ではアゲハントとも気まずい感じになってしまっているし……必死に前を向いて考えてきた私ももう、何が良いのか良くないのか、頭の中がグチャグチャになってきていた。
「おーい、こんなところにいたのか―」
木の枝の上で自問自答していた私の思考を遮ったのは、下から聞こえてくる爽やかでありつつ、少しだけ意地悪っぽく感じる雄の声。
その声の主はゾロアーク。つい数日前に、ご主人の仲間に加わったばかりのポケモンだ。
「主人が探していたぞ。そろそろ夕食の時間だとよ」
「ああ、そう。ありがと」
いかにも上の空な感じで、私はゾロアークに言葉を返した。
その様子を見ていた彼は、思わずため息をついていた。彼は仲間に加わったばかりではあるが、今の仲間ポケモンたちの状況をご主人から聞いているらしく、当然私の今の状況も理解している。
「また、スバメのことか?」
「別に。あなたには関係ないでしょ」
ゾロアークの心配する言葉に、私は冷たい返事をしてしまう。既に出会ってから数回程、彼はスバメのことについて問いかけてくるのだが、私は毎回さらっと流してしまっている。
彼は彼なりに私のことを心配してくれているのは頭の中では理解している。
それでも、今の私には“経緯も何もしらないあなたに何が分かるのか”と邪な考えを抱いてしまう。どこかでは、彼に申し訳ないとも思っているのだが。
私はゾロアークを差し置いて、先にご主人の待っている場所へと戻っていった。
その日の始まりを告げる太陽が大空へと姿を見せた。
私はどこか重い身体を何とか身震いさせて、目を覚ました。
結局のところ、ご主人が調合して作ってくれた夕食のポケモンフーズを、私はほとんど食べることができず。
そして野宿することになった夜も、あの仔のことばかりを考えてしまい、ほとんど眠ることができなかった。
起床後も少し身体のダルさを感じてしまうのは、そのせいなのか。
いや、肉体的な不調も勿論あるが、それよりも精神的な部分が大きいのであろう。
出発までの少しの自由時間。
昨日アゲハントとスバメの母仔がいた、湖のほとりに1匹で佇んでいた。
アゲハントとは昨日の件から、まだ一言も会話を交わしていない。
悪いのは私であるし、謝らなくちゃな。と心の中では思いながらも、彼女と話をするきっかけが中々できずにいた。
そして、この場所に1匹で来ているということは――やはり私はまだ、スバメの母親になりたいという未練があるのかもしれない。
無意識に私は、昨日のアゲハントとスバメの仲睦まじい様子を、私自身だったらと置き換えて想像していた。
私だったらこうやって声をかけてあげて、こうやって水を飲ませてあげて――
そこまで思い描いた後、私は思わず吐息をもらす。
本当に何をやっているのだろうか。私は。
叶うこともない儚い願いに、いつまで縋り付いているのか。
そのせいで、みんなに心配をかけて、みんなを不幸にして。
私の脳裏には、激しい自己嫌悪の渦が絶え間なく生み出されていく。
その辛さに耐えられなくなった私は、本能のまましばらく瞼を閉じていた。
なるべく、何も考えないようにと。
数十分程の時間が経過しただろうか。
ふと、私の羽に不思議な感触が伝わってきた。ドアをノックするかのように、小刻みに突かれるような感覚。
私は思わず瞼を開き、その感触が伝わる羽の方へと視線を移す。
それは、ずっと夢描いていた光景だった。
私が愛してやまないスバメが、甘えるかのようにその小さなくちばしで、私の羽を突いていたのだ。
おそらくずっと目を閉じていた私を起こすために、この仔がしてくれた精一杯の行為なのだろう。幼い割には少々力強い感じがして痛みも感じたが、そんなことは気にもならない程の心地よさが全身に広がっていた。
私とスバメの目が合う。視線が重なると、すぐにスバメは頬を緩めて、あどけない笑顔を私に見せてくれた。
釣られて、私自身も自然と微笑んでいた。この穏やかに流れる幸せな時間。
私はその羽で、優しくスバメを抱いていた。この仔もそれに応えて、その身体を私に預けてくる。
叶わないと思っていた儚い願い。それが今、現実世界で実現している。
何が起こったのか、どうしてなのかは正直分からなかった。
それでも、私はこの刻を過ごすことができたことに、心からの感謝の気持ちを持っていた。
嗚呼、夢を叶えてくださった神様。私は今、とても幸せです。本当にありが――
「ファイアロー、もうすぐご主人が出発するってよー」
突然周囲に響き渡ったのは、アゲハントの声。
思わず声の方向へと振り向くと、そこにはフワフワと飛行して私を探しているアゲハントが見えた。
そして、その近くには最近少しずつ飛べるようになったスバメの姿が――あれ?
なぜスバメが、アゲハントの元にいるのだろう。
この仔は今、私が抱きかかえているというのに。
私は抱きかかえていたスバメに視線を戻す。
何だか、様子がおかしい。なぜか私から顔を逸らしているし、その額には冷や汗のようなものが浮かんでいた。
私の姿を見つけて、徐々に近づいてくるアゲハント。しかし、私の元にいるスバメの存在に気がつくと、彼女は咄嗟に元来た道へと引き返していった。彼女の近くにいたスバメも、母親の後をついていく。
少し冷静に物事を考え始めた私は、最終的にある一つの結論を導き出すことができた。
……正直、信じたくはなかったのだけれど。
「……あなた、ゾロアークでしょ?」
しばらくすると、私の元にいたスバメは観念したのか、その正体を現した。
徐々に本来の姿に戻っていくそのポケモンは……やはりゾロアークであった。
「バレちまったか。まあ、仕方ない」
彼はバツが悪い様子で、そう呟いた。
「でも楽しかっただろう? 一瞬でも、夢を叶えることができてさ」
私は身体中から、激しいマグマが煮えたぎるのを感じていた。
「これで元気も出ただろう? なぁに、お礼はいらな――」
私は燃えるように熱くなっていた右側の羽で、彼の頬を思いっきり叩いた。
あれから数日の刻が過ぎ、再び始まりを告げる太陽が昇ってきた。
今は出発までの、少しばかりの自由時間。私は特に何かをするわけでもなく、1匹で近くの木の下に寄りかかって休んでいた。
ご主人が言うには、上手くいけば本日中にこの森林地域を抜けることができ、新しい町に到着するらしい。
どんなトレーナーのポケモンとバトルができるのか? どんな美味しいものが食べれるのか?
昔の私だったら、新しい町にとてもワクワクとした気持ちを抱いていたに違いない。
しかし――今はとても、そんな想いを持つことはできなかった。
アゲハントとは最低限の会話だけは交わすようになったが、謝ることもできずお互いギクシャクした状態が続いてしまっている。
ゾロアークは……時々私に対して、申し訳なさそうに顔を覗かせてくる。
勿論私は許すことができずに、彼に対しては完全に無視を決めている。
どうしてあんなことをしたのか、何か理由があったのかもしれないが。
私にとってはずっと夢見ていた、大事にしてきていた、溜め込んできた想いを踏みにじれたようにしか思えなかった。
そして愛してやまない気持ちを抱き続けているあのスバメには、相変わらず怖がられてしまっている。会話を交わすことも、撫でたりすることも出来ていない。
……私は一体、何なのだろうか。
ずっと面倒を見てくれている、ご主人に心配をかけてしまうし。
長い間親友として仲良くしてきたアゲハントには、気まずい思いをさせてしまっているし。
そして、母親として深い愛情を注いでやろうと誓っていたあの仔の親になることもできない。それどころか、会うたびにあの仔を傷つけてしまっている……
……私はもう、この場にいるべきではないのかもしれない。
私が、このパーティからいなくなれば、みんなが余計なことを考えなくても済む。
あのゾロアークだって、私がいなくなれば清々とした気持ちになれるだろう。
可愛らしい、スバメも幸せに育ってくれることだろう。私の愛情なんか、必要なか――
「大変! スバメがいなくなっちゃった!!」
その時、とても慌てた様子で、息を切らしながら呼びかけてきたアゲハントの声が響き渡っていた。
今まで考えてきたことを全て投げ捨てて、私は鬼の形相でスバメを見つけるべく、森林の間を飛び回っていた。
詳しく聞くと、アゲハントが少し目を離したスキにスバメの姿が消えてしまっていたらしい。
目を離したのは僅かな時間であるらしいし、あの仔はまだそんなに上手に飛ぶことはできない。
だからそんなに遠くには行っていないことは分かる。ただ、だからこそ何か嫌な予感がしてしまう。
早く出てきてくれ! そう、心の底で願いながら私は木々の間を巡っていく。
そして途中、聞き覚えのある鳴き声が耳に入ってくる。
“これは……怯え泣いているスバメの声だ!”
ある意味一番覚えている声だからこそ、反応することができたのだろうか。
疾風のような速さで、私は声の元へと飛んで行った。
声の元へと辿り着くと、そこには目から大量の雫をこぼして鳴き声をあげているスバメの姿が見えた。
ついに見つけた! 私は一瞬安堵したのだが、周りを見渡して恐ろしい事実に気づいてしまった。
数十匹はいるであろうフシデが、あの仔を取り囲んで今にも襲いかからんばかりに睨みをきかせている。
こうなった詳しい事情は分からない。もしかしたらフシデたちの住処に許可なく入ってしまい、襲われてしまっているのかもしれない。
どちらにせよ、ゆっくりと考えている時間はなかった。私は木やフシデたちに燃え広がらない程度にひのこを吐き、周囲を威嚇した。
フシデたちは、その熱気におされて遠くへと逃げだしていく。
1匹残らず逃げていく姿を確認し、私はホッと一息をつく。
そしてすぐに、あの仔の傍に駆け寄る。
フシデが逃げ出したことで、スバメは少し落ち着きを取り戻してくれたらしい。
既に泣き止んでおり、きょとんとした表情で私の顔を見てくる。
その表情もどこか愛嬌があり、私の母性本能をくすぐられる。
そして、私はふと気がつく。私を見てもあの仔が怯えることもなくなったことに。
少しは私のことを、信頼してくれたのかな? そんなことをおぼろげながら思ったりしていた。
ただ、ゆっくりはしていられない。いつまでもここにいると、また襲われてしまう危険もあるだろう。
私はスバメを連れて、ご主人たちの元へと戻ろうとし始めた。
その時、とてつもない猛毒の液が放たれるのが見えた。
猛毒の液の照準にいるのは――あの仔だった。
私は咄嗟に反応し、あの仔の前へと立ち塞がる。
その液は私の急所に直撃したらしく、私の身体は少しずつ猛毒に蝕まれていく。
徐々に意識が薄く、遠くなっていく。
それでも、あの仔を何とか護ることができた。
それだけで私は――とても幸せだった――
永遠の暗闇を彷徨っていた気がする。
それでもどこか、光が見えてきた。
私はその光の道に向かって、必死に羽ばたいていた。
私の瞼が少しずつ開いていく。徐々に、周りが見え始めてくる。
私の前には、心配そうに見つめていたご主人とアゲハント、そしてゾロアークの姿が。
目を覚ました私に気がつくと、みんなは明るい表情になって、胸を撫で下ろしていた。
そして、ふと私の羽に不思議な感触が伝わってきた。ドアをノックするかのように、小刻みに突かれるような感覚。
この感触は以前も経験したことがある。でも、あの時ほど激しい痛みは感じない――何よりゾロアークは、今私の目の前にいる。
私はその感触が伝わる羽へと、視線を移すと――
あの仔が、私の羽を、その小さなくちばしで優しく突いていた。
あの仔の目を覗くと、雫を纏わせていた。私が、何度もみた光景。
でも、その雫は今までのような恐怖から生まれたものではないということを、私は感じることができた。
そして、あの仔は私にその小さな身体を私に預けてきた。私も優しく、あの仔を羽で抱きかかえる。
私たちはお互いの温もりを感じていた。それは、単純な体温だけではなく――愛情という想いも含まれていた。
ずっと願ってきた生命との触れ合い。夢ではないのだ。
私はこの幸福を、ずっとずっと感じていたかった――
すっかり空は満月を迎えていた。
既にスバメは寝てしまったようで、アゲハントが起こさぬように撫でている。
私は彼女の隣に座り、一緒に空の月明りを眺めていた。
「今日は本当にごめんなさい。私の不注意で、こんなことになってしまって……」
「何言ってるのよ。あなたは母親として頑張っているわ。私の方こそ、以前は感情的になっちゃってごめんなさい」
お互いが頭を同時に下げた。すると、何だか不思議な気持ちが湧いてきて、思わず笑ってしまう。彼女も同じみたいで、しばらく2匹で笑い続けていた。
「私も見習いたいわ。ファイアローみたいな、子供に対しての深い愛情を」
親友からそう言ってもらえるのは、やっぱり嬉しかった。
「私もあなたを見習いたい。これからは、困ったことがあったら一緒に協力しようね」
私も彼女が母親として、一生懸命愛情を注いでいることを知っている。種族が大きく違うのにも関わらず、頑張ろうとする彼女はとても立派に見えた。
「そうね、ゾロアークも協力してくれると思うわ」
私はアゲハントから、ゾロアークの話を聞かされた。
私に少しでも元気を出して欲しいと思って、スバメに化けてたこと。
それが私を傷つけることだと知って、深く後悔をしていたこと。
私が最後に受けた猛毒の液を放ったペンドラーをナイトバーストで追い払ってくれたこと
この森林地帯一面を駆け巡って、沢山のモモンの実を集めてくれたこと。
その話を聞いて、私は心の底から彼に感謝した。
後でしっかりとお礼と……ごめんなさいを言わないとね。
私は母親になるという夢は、叶えることができなかった。
それでも私のことをこれだけ想ってくれている仲間、そして私の愛情を受け止めてくれる幼い生命がいる。
十分すぎるほど、私は幸せだ。
さて、明日からも前を向いて、楽しく生きていこう!
みんなを、もっと幸せにするために――
End