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#include(第十一回短編小説大会情報窓,notitle)
「コジョンドちゃんコジョンドちゃん」
「何、チラチーノちゃん」
夏の暑さもいずこに吹き飛び、朝晩の涼しさがだんだん身に堪えるようになってきた秋の初めのとある町の一軒家は、ポケモンを二匹持つ人間の住居だった。
といってもトレーナーやコーディネーターのような職業でもなければ普段から連れまわすわけでもなく、二匹はたいてい家の中で大人しくしているか、家の近くを散歩したり買い物するかしていた。
今日も人間が仕事に行く間はお留守番。二匹にとって人間の職業なんて興味もないし、また説明されても絶対に分からない自信があったとか。
さて、日課の部屋の掃除を終えて一息ついたチラチーノ。いつも機嫌の悪そうなのに気を遣って買い与えられたトレーニングセットにぶらさがるコジョンドを見つけると、降りてくるように促した。
「人間さんたちの昔話にね、鶴の恩返しっていうのがあるのは知ってる?」
「知らない。なにそれ」
「罠にはまっていた鶴が人間に助けてもらって、その恩返しに人間の姿に化けて、自分の羽を引き抜いて、それで綺麗な織物をつくって人間さんにプレゼントするの。最後は人間が決して覗いてはいけませんと言われた織物を織ってる現場を見ちゃって、鶴が出て行っちゃうはなし」
ところどころの差異はあれど、これが一般的な鶴の恩返しだろう。
「その昔話がどうかしたのかしら?」
「覚えてないの? コジョンドちゃんはご主人様に拾われてもうすぐ一周年だよ?」
「あー……それで何か恩返しをしたらってことね」
コジョンドはチラチーノがお茶を用意してくれたのでその前に座った。
一年前といえばそんなに遠くない昔なのに、すっかり忘れてしまったのは、コジョンドがこの人間とチラチーノと家族であることにすっかり慣れてしまったことの証左であろう。
「知ってたコジョンドちゃん、あなたの毛皮って高級品なのよ」
「え」
コジョンドが固まる。鶴が自分の羽を引き抜いて織物を作ると聞かされてから言われたら当然だろう。
チラチーノがコジョンドの腕から垂れるしなる鞭のような毛皮を首に巻いてわざとらしくわあ、すごい肌触りとおどけて見せると、コジョンドの硬直が解けてチラチーノを振りほどいた。
「うふふ、冗談よ冗談。どうかしら、恩返しに織物とはいかなくとも、手編みのマフラーとか」
「ええ……私やったことないよ」
「大丈夫、コジョンドちゃんよりちいちゃな私だってできるんだし、私が教えれば一週間でできるよ」
かくして、押し切られる形でコジョンドの恩返しは始まった。
「いつもコジョンドちゃんはご主人様につんつんしてばっかりなんだから、何か機会のある時くらいしっかり恩返ししなきゃダメよ」
コジョンドが人間のことが嫌いなわけではないというのはチラチーノには分かっていたし、かといってうまく愛情表現できているかと言ったらそれはノーであることも十分理解していた。
もう一年立つのだし何かいい機会はない物かと思案していたところこんなにぴったりの機会が目の前に転がっているではないかと気づくに至り。
人間と非常に近しい自分のようにとまではいかなくとも多少は仲良くできるきっかけにしてほしいというのがチラチーノの願いであった。
「ちがうよ、そうやって通すんじゃなくて、真ん中の指にかかってる糸の左側を後ろから前に……反転させてここに通すの、そう。もっとしっかり引っ張らないとゆるゆるになっちゃうよ~」
ぶつぶつ言ってたのを無理やり糸と針を握らせてみると、やはり根は真面目な不器用な仔、チラチーノに口を出されながら手元はおぼつかないながらも少しずつ形を作っていく。
「そういえばチラチーノちゃんは自分の一周年はどんな恩返しをしたのよ」
「んー? 私は普段からお掃除やお洗濯してるからいいの」
「何よそれ。お掃除やお洗濯なら私も手伝ってるじゃないの」
「もー、集中しないとほどいてやり直しだよ。集中集中」
割かし根気よくコジョンドが付き合ってくれているのは、おそらくコジョンドもある程度は意図を汲んで納得してくれているのだと思っている。
くるり、ちくりと糸を丸めて針で通していくだけの単純作業だが、こっちの方もなかなか不器用な物で、チラチーノはじっくりと懇切丁寧に指導してやる必要があったが、コジョンドがそれを拒まない以上つきあってあげるべきなのだろう。そもそも言い出したのはチラチーノでもある。
この日、コジョンドは日が暮れて人間が帰ってくるまでたっぷりと長い時間編み物の基礎を叩きこまれた。
◇ ◇ ◇
数日後。
「ああもう! 難しい……」
苦戦するコジョンドを離れたところから見守るチラチーノ。
自分でもちょっと楽しくなってきたのだろうか、他の事そっちのけで編み物に熱中する時間が長くなっていた。
これは良い傾向だとにっこり笑いながら見守るチラチーノ、もちろん人間には内緒のサプライズである。人間が仕事に出てからこっそり引っ張り出して、帰ってくる頃にはまたしまうのの繰り返しだ。
「はい休憩。たまには気分転換しようね」
サイズが小さいチラチーノでも、お湯を沸かして茶葉を入れれば簡単にお茶くらいなら用意することができる。
そこに買ってきたクッキーでも添えれば、さあ作業は止めて休憩のお時間です。
「もうちょっと待って、今いいところ」
こちらには目もくれずにせっせと手を動かすコジョンド。熱中すると嵌まる性質らしい。
「うん、待ってるね」
チラチーノも余計なことは言わずに向かいに座る。まだまだ不自然な手つきだが、少しずつ板にはついてきたようだ。
二匹以外何者もない空間で、しばし時が流れた。邪魔は入らない。
チラチーノが床に寝そべって肘をつきながら観察しているのを、コジョンドは咎めようともしない。
まさか気づいていないことはあるまい、とチラチーノ。
どうあれ、人間への恩返しという思いが詰まっているならそれでいい。それが狙いなのだから。見守らせてくれるならなおよろしい。
今日はもう掃除も洗濯もすべてやってしまったので、今日はもう特にやらなければいけない仕事はない。
時計の長い針が律義に仕事を続け、外から鳥ポケモンの遊ぶ声が聞こえてくる。たまに自動車が家の前を走り去るくらいで郵便も宅配便も来ない。目の前には当然集中してすごい顔になってるコジョンド。
自分のように毎日人間に愛情をアピールできるならコジョンドもこれほど苦労するまいに。性格だから仕方ないとか、そういう問題以前に。人間もピュアな男だからなおさらだ。チラチーノは一つため息をついた。
……あっ、そういえば。
チラチーノがふと気づけば、お茶はすっかり冷えていた。
◇ ◇ ◇
「あー……こりゃほどかないといけないねえ」
「ええ……」
翌日。
いつものようにチラチーノが朝の食器を洗い終わって手が空いたところで、泣きそうな顔したコジョンドがヘルプを求めてきた。
で、まさかまさかと駆け付けたところ、そのまさかでありまして。
完全に失敗してしまった。一人で放り出すにはまだ早かった。
からまった、というよりは編み方に失敗したマフラーのもとが放り出されていた。ちょっと呼ぶのが遅すぎよるとチラチーノ。
哀れほぼ死亡宣告に等しい診断をされて本当に泣き出しそうになっているコジョンドだが、こうなってはチラチーノにしてやれることは一つしかない。
「えい」
チラチーノが針を抜きとり、途中までは比較的それっぽい形になっていた(まあここからどうあがいても完成はしないのであるが)マフラーの端を思い切り引っ張る。
「ああっ……」
当然編まれた糸はするするする~っとほどけていくわけで。
「どうする? 辞めちゃう?」
やり直すことができる位置までほどき終わった頃にはコジョンドの眼にはこぼれるまではいかないものの大粒の涙が溜まっていた。
「……やる」
ぐいと拭ってふたたび針と糸を持ち直したコジョンドに、チラチーノは強烈に代わりに編んであげたくなる衝動を覚えたが、それでは恩返しにはならない。
「そうそう。まだ何週間かあるもんね。そのいきそのいき」
おそらくチラチーノに人間ほどのサイズがあればコジョンドを抱きしめて頭をなでていたことであろう。代わりにコジョンドの好きなケーキでも買ってきてあげよう。お茶ならチラチーノにも淹れられる。
と同時に、同じ意地っ張りでもこういうのなら人間の前で見せてもいいのにと思った。
「まあ、それがコジョンドちゃんの可愛いところなんだけどねえ……」
「えっ、また間違ってる?」
違うよとクスクス笑うチラチーノ。
確かに失敗はしたがそれを笑われる筋合いはないと怒るコジョンドに対して、そんな理由ではないと弁明した。
本当は人間のことをどうでもいいと思っているなら絶対にここで投げ出していただろうし、あるいはチラチーノに代わりに編んでと泣きついたことだろう。
次の日からはできる限りチラチーノが横で見ているようになった。
人間が仕事に消える昼間ももくもくと二匹で作業を続ている。ただし、チラチーノは口を出すだけで決して代わりに編んだりはしない。
ちょっとでいいから手伝ってよと言うたびに「それじゃあコジョンドちゃんの恩返しじゃないじゃない?」決まってこう言っていた。
――といっても、まさかコジョンドちゃんがマフラーを完成させられるとも思えないのよねえ
チラチーノには同時にこんな嫌な予感もあったが。悪い予想をしても仕方がないと首を振り、考えないようにしていた。
◇ ◇ ◇
一周年に際して人間の側も何か祝いをしようと考えているらしく、チラチーノにコジョンドがされて嬉しがることは何かないかと聞いてくるようになってきた。
チラチーノはま、普段通りでいいんじゃないと返すのだが。どうせあの人間のことだ、私が何も言わない方がよく考えて洗練された祝いをしてくれる。との理屈らしい。
そしてコジョンドの方も、期日が近づくにつれて、だんだん人間がいる間も作業を続けないと間に合わないことが分かってきた。
「あの……ご主人? 私これから仕事をするから、絶対に部屋を覗かないでね? いい? 絶 対 だからね?」
夜。最近いつにもまして自分に冷たいコジョンドを気にして、人間はついに何かあったのかと尋ねた。
しかしコジョンドの返事は完全にはぐらかしにかかっておりまして――人間はろくに返事もできないままコジョンドがドアを大げさに占めるのを見届けた。
離れたところで、まるで本当に鶴の恩返しのお話し通りだと、チラチーノはくすくす笑った。それから、コジョンドの態度に大きなショックを受けてよろよろと自室に帰っていく人間を見て、今度は思わず吹き出してしまった。
より冷たい態度を取るのは本来の目的からは外れるが、大事の前の小事。人間にはかわいそうだがなんとかXデーまで耐えてもらうしかない。
コジョンドが疲れて寝た後で、布団の中で泣くご主人を慰めてあげよう……。
◇ ◇ ◇
さて、特に締め切りの迫った課題のある場合の時が経つのは早いもので。
「コジョンドちゃんわかってるのかなあ」
今日もチラチーノがピッカピカにした制服を受け取って仕事に出ていった人間。
ただし、馴れたこととはいえコジョンドが見送りに来ないのは残念そうにしていたが。
チラチーノは玄関のカギを締めるといつものような床のほうきがけや水回りの掃除もせずにコジョンドと共用の部屋に向かった。
「うふふ、コジョンドちゃ~ん? できた~?」
「きゃっ!?」
そう、きょうがそのコジョンドが来てから一周年になる日。このごろは手つきもだいぶ中級者になってきていて、長く目を離しても安心できるようになっていた。
そこで昨晩から集中していたコジョンドを邪魔すまいと部屋に戻らずリビングのソファで寝ていたので、半日ぶりだろうか。
コジョンドがびっくりして布と針を落とし、本能的に背中の後ろに隠した。
「ん~?」
「いや、その……」
うすうす感づいてはいたが、悪いほうの確信が現実になってしまったらしい。
「見せて? 本当に渡せるものかわからないでしょ?」
コジョンドはどもりながら意地でも渡すまいと姑息な回避行動を続ける。
体格差があるからチラチーノはひらりひらりとかわされてしまうが、本気出してバトルになったら負けるかもしれないけどマフラーはずたずたになるよ!との警告に、コジョンドの動きが止まった。
ついに観念したのか、コジョンドはしょんぼりしながら差し出した。
「無理だよ、やっぱり一か月もないんじゃ……」
途中までは出来上がっていたものの、完成とは言えない段階のマフラー。今がまだ朝の早めの時間であることを考慮しても、夜の人間の帰宅時間までには到底間に合いそうもない。
カレンダーにはちょうど今日のところに赤ペンで大きく印がしてある。
あーらら、まあやっぱりねえ
完全に力が抜けてぺたりと座りこんでしまったコジョンド。
見ていて気の毒になるくらい落ち込んでいて、しばらく何も言えないほどであった。
泣きこそしなかったものの、今日のお祝いはどうすればいいのかと狼狽する表情が見て取れる。
よかった、くだらない発想とはいえおそらく代わりになるだろう案を考えておいて。
「安心してコジョンドちゃん。マフラーと同じくらい喜ばれるものを今から用意できるプランがあるわ。もちろん黙って従ってくれるならの話だけど」
「本当?」
お世辞にも器用とは言えないコジョンドちゃんがこんなにも頑張ったんだもの。
それなりに形になるものにはしないとね、とチラチーノは悪戯っぽく笑った。
◇ ◇ ◇
さて、いよいよ人間が帰ってきてコジョンドが家族になったお祝いを始まろうかという時に。
昼にプランを乗り換えてから、すぐに風呂で徹底的に綺麗にされ、さらに丁寧に丁寧に毛並みを整えられた。
実際の鶴の羽じゃ無理だろうけど、実際に高級織物の親戚のコジョンドちゃんだったら余裕だろうねとよくわからないことを言っていたが、具体的にどうすればいいのか聞いて悟った。
チラチーノちゃんのバカ。最初からこっちが本当の狙いだったんじゃないかとコジョンドは心の中で悪態をついた。
顔から火が出るように恥ずかしい思いをしないといけないじゃないか。
マフラーが間に合いそうもないから代案を考えたチラチーノにしてみれば邪推が過ぎる話だが。
「今日だけよっ!今日だけなんだからねっ!」
「そんな怒ったようなものいいじゃダメよ」
そして最後に、帰ってきた人間にどう話せばいいかの練習。
「えっと……今日は私がこの家に来たことを祝ってくれてありがとう」
「それで?」
「本当はお祝いのお返しを用意したかったんだけど、間に合いませんでした」
「そうそうここまでは上出来上出来」
相当抵抗があるのは間違いないようだが、なんだかんだでしたがってくれるコジョンド。ちょっとちょろいんじゃないかとチラチーノは思ったが、ここではそれは問題ではない。
「本当にこれで喜ばれるの……?」
まさか人間が嫌がることはないと思うが。
疑問はごもっともながら、他に案が思い浮かばなかったのだから仕方がない。
というか人間ならどんな形であろうと恩返しの気持ちを汲んでしっかり受け止めてくれる。はず。
「いやそれはそれで困るんだけど」
「もう帰ってきちゃうよ」
チラチーノが何を考えていたのか伝わったみたいだが、当然の反応をばっさり切り落とす。
それはそれ、これはこれとチラチーノがじっと見つめて続きの言葉を待つ。
コジョンドは恥ずかしそうに目を泳がせて頬を掻く。チラチーノがさあと迫る。ぶっつけ本番はできないでしょう?とも言うと、ついに観念した。
「今日は……今日だけっ、私を、好きに撫でるなり触るなり、添い寝に使うなりして楽しんでください」
恥ずかしいのを我慢しながら懸命に絞り出すコジョンド。出てきた言葉と普段とのギャップがおかしくてつい笑い出してしまう。
「なんで笑うのよ!」
「ごめんごめん。でも、それをちゃんとご主人の前で言えて完成だからね?」
ふっきれたのか覚悟を決めたのか、少しコジョンドの顔も晴れたようだ。ふんふんと鼻息を鳴らして気合を入れている。何をするかわかってるのだろうか。
問題はこの後人間が帰ってきてからだが。
「ただいまー。ふたりともすぐに集まってくれるかー」
さあ帰ってきたよコジョンドちゃん。
あなたの恩返しはどんな形になるかしら?
でも、マフラーは来年のこの日までには完成させようね、コジョンドちゃん。あと少しだし。