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:ゼクロム の変更点


 ゼクロム派の軍は、アオ達の鬼神の如き活躍を目の当たりにして雪花の制圧を完全に放棄し、雪花では小競り合いすら起こらない日々が続いた。
 しかし、双龍の支配は依然譲る気はなく、守りに入った兵隊を減らすことをせずに雪花からの進軍は防いでいる。レシラム派の者たちにとっては、双龍の奪還はかつての国を二分する場所として象徴的な意味合いも大きく、西にずれた勢力線を東に押し戻したくてたまらない場所である。
 しかし、双龍は一度奪取されて以降、城壁はさらに高く、そこへ投入された兵器も増え、難攻不落の要塞と化している。弓矢が雨霰と飛びかい、敵に対しては肯定さ故に威力の落ちた矢しかお見舞いできない。ポケモンたちが鉄球を投げつけたり石をばらまくだけでも、攻める側は相応の被害を受けるであろう。
 どちらも簡単には手出しできない冷戦状態。アオ達が双龍から雪花に対する侵攻の抑止力となったおかげで、雪花の森や雪花の湿原は平和なまま時が過ぎていた。戦争に使われる木々が森から奪われることもなく、また辺境の村で徴兵されることもなく、そのおかげで人間の生活の方もうまく安定しているようである。
 ミドリと意見を違えなければ、この平和の中にミドリもいたのかと思うと少し心が痛むが、その分ヒスイやミカゲ、そしてミソギといった次の世代に兵あの森を残せてやれたら、それで積みが償えると信じてアオは戦争が終わるのをひたすら待つ。今は小競り合いすらないから、アーロンの言う火責めや焼き討ちも起こるはずはないと、そう思っていた。

 それは、乾燥した風の吹く冬の日の事。冬でも元気に青い葉を茂らせる針葉樹と、季節に応じて葉を落とす落葉樹の混ざるこの森で、長いこと雨の無い日が続いていた。今年の冬はそれほど寒くもなく飢え死にする個体も少なそうな穏やかな冬。
 当然、本能的な危機感を覚えることもなく、発情期も訪れないアオと水樹は身軽な腹のままで針葉樹の木に登ってその葉を食べる。高いところから森を見下ろすと、雪帽子をかぶった森の針葉樹は夜になると周囲を明るく照らして幻想的な風景を作り出してくれる。
 この平和がいつまでも続くと、そんな風に思っていた矢先の出来事である。

 ケンホロウ達が慌ただしく飛び回る。カイジではない別のケンホロウがわざわざ起こしてきてくれるほどの緊急事態に、何事かと思えば森が燃えているのだという。
 最初は意味が分からなかった。普通の火事ではなく、ところどころから火の手が上がり、炎に囲まれているような状況だとわけのわからないことを告げられたのだ。人間の道具の一つ、時計と呼ばれる時間を図る道具で正確に同じ時間に攻撃したのかもしれない。
 だからどうしたというわけではない。空を見れば、人間が炎のついた松明を森に投げ込み、ところどころに火事を起こしている。
「なんだあれは……」
 わけがわからなかった。アーロンは人間は手段を選ばない敵なことを言っていたが、これがそういうことなのか。これが人間のやり方なのか。
「敵ですよ。森中が火事なんです!! 早くどこかに逃げないと……」
「逃げろったって、どこに……そうだ、湿原だ。湿原まで逃げれば、あそこならば燃える物よりも水の力が勝るはずだ。お前、名前はよく知らんがとにかく湿原まで逃げろと伝えるんだ。全力で、今すぐ!!」
「は、はい!!」
 アオに凄まれ、名も知らぬケンホロウは慌てて飛び上がり、空を飛ぶ仲間に呼びかける。それを見送るよりも先に、アオは大きく戦慄く声を聴いた。レンガの声であった。その声に呼応して、防人たちが一斉に集まった。集まった後は全員で一斉に吠え、大声で湿原まで逃げると伝えるのだが、すでに湿原にも炎が回っている。
 いや、むしろ湿原にも同時に炎を放ったというべきか、逃げるべき場所からも炎が迫ってくるこの状況でどうすればいいというのか。
「道を切り開くしかあるまい……ヒスイ、お前は集まったポケモンたちに、集まる途中のポケモンたちに光の壁を貼りまくれ。
 出来る限り、限界まで……レンガとミカゲは切り開くべき道に案内代わりに木を切り倒すんだ……食料のなる木の実でも何でも、躊躇することはない、全部倒せ……ミズキとミソギはその道しるべに水を撒くんだ……私は、他のポケモンをその道に案内する。全員、良いな!?」
 アオが出した指示に、全員が了解と頷くレンガはまず、娘を引き連れて聖なる剣で木々をなぎ倒す。途中であったレパルダスの協力も得て、規格外の攻撃力を得た二人は、太い木々でさえもまるで枯れた葦のごとく破壊してく。木々が倒れる音、倒す際の雪崩すら生温い衝撃音があたりに轟き、それがレンガの存在をアピールして逃げ場を失い右往左往するポケモンはそれを頼りに作られた道を目指す。
 そして見通しの良くなったその道は、足の遅いポケモンたちを導く巨大な&ruby(わだち){轍};となって、迫りくる炎を拒む水をまんべんなく流し込むのに絶好の場所。まだ幼いミソギはおまけ程度に、集まったヒヤッキー達と共にその道を濡らす。
 ヒスイとアオは別行動をして、アオはとにかく迅速にポケモンを集めるため、持ち前の鋼タイプの煙に対する耐性の高さを生かし、深い煙の中でもしっかりと目を開けて安全なルートを確認し、助けを求める声でポケモンを発見してからは、薄目を開けているだけでも見えるようにボルトチェンジの光で導きながら足の遅いポケモンをレンガたちが作った道へと案内する。
 ヒスイは、自身も神秘の守りで煙から身を守りつつ、逃げ場を失っているkポケモンたちの元に俊足で駆け抜けては、火の粉に身を焦がされないよう光の壁を張って炎の中を風よりも速く突破する。
 小さいポケモンであれば背中に乗せて一気にという荒業も行いながら、出来る限り多くのポケモンを助けようと奮闘する。防人ばかりにいいかっこはさせないと、炎に強いバオッキーが炎の中に飛び込んで、胸の中に抱えて炎から守ったり、ヒヤッキーやガマガルも水を吐いたり雨乞いを起こしたりで、すべてのポケモンが必死で炎にあらがった。

 やがて、度重なる波乗りで疲れ果てながらたどり着いた湿原の中で、ミズキは大量の水を自分自身の体に集める。ほかのアパ股のポケモンたちが行う雨乞いは、周囲の数十メートルほどにしか効果のないものだが、戦いを終わらせるためのつるぎ、指揮官の剣である彼女は、戦場一つ、街一つを覆うだけの雨雲を発生させることだって不可能ではない。
 アオに言われた通り、湿原までの安全な道を確保したミズキは、自分たちが来た方向の反対側のポケモンも助けて欲しいとレンガに言い、自分は疲れてもう動けないと嘘をついてここに残る。

「ミソギ、ワシのやることをよく見ておくのじゃ」
 実際に、動けないほどではないが疲れていたミズキと違い、ミソギは本当に疲れて動けなくなっていたが、鼻先で尻を持ち上げられ強引に立たされたミソギは、うつろな目でミズキを見る。
「よし、そのまま見ておれ。そしてできれば、ワシに手助けをして……森のみんなの安全を祈りながら、ワシに手助けをして少しでも消火を手伝うのじゃ」
「て、手助けって。まだワシは上手く使えんぞ?」
「出来ればで良い。失敗したらそれはそれでやりようはいくらでもあるのじゃ。ただ、ヌシも森を救ったと胸を張って言える思い出を作れるよう、頑張れと……その他名頼むのじゃ。出来るな?」
 いつになく真剣なまなざしで母親に見つめられ、目を逸らすことも出来ずにミソギは頷く。木が燃えて爆ぜる音、苦悶の声、レンガ達が木々をなぎ倒す音。それらの音を右から左へ受け流し、炎の放射熱を浴びながらミズキは深呼吸。
 足元は、砂で山を作ったように緩やかな円錐状の水が集まっており、それは見る見るうちに彼女の膝より上に胴より上に、やがて先端に行くほど急な角度となって、首から上に至っては水の柱が出来る。
 鍾乳洞の柱のように伸びた水の柱は、蜘蛛の高さまだ立ち上ると、拡散し、天を覆いつくし、やがては分厚い雨雲を作り出す。湿原の泥交じりの水は、泥が乾燥してひび割れるほどに乾燥し、それが雨として降り注いで還元されても、元のぬかるみに戻るには時間がかかりそうだ。
 湿原のオタマロは水がなくなったおかげでビチビちと跳ね回り、チョボマキもカブルモもいきなり水がなくなってどういうことかと泡を食う。その答えは星の光を隠して居座る雲を見れば明らかなのだが、明らかになったその状況がどのように引き起されたかがまた次の謎として提示されることだろう。

 とにもかくにも、すべての水を吸い上げて成長した雨雲は、ミズキの祈り一つでしずくとなってたぎり落ちる。雪花の森と湿原を覆うほどの分厚い雨雲は、荒ぶる炎の舞いを平伏させてその勢いを一気に弱めてゆく。
 そんな中でも防人たちはうごきをとめず、この雨がいつやんでもいいようにとポケモンたちの退路を確保し、また退路へと案内する。やがて、人口の雨のみならず森の煙が自然の雨を呼んできたころ、森の炎もあらかた消えて、疲れ果てた防人たちは熱く火照った体を地べたに這いつくばらせて休息に入る。
 冬の季節、この季節に浴びる雨は冷たくて凍え死んでしまいそうであったが、今はもうそんなことなど何も考えずにただ眠っていたかった。人間に対する憎しみも怒りも明日に持ち越して、防人たちの休息の夜。
 眠るように死んだ母親の死を理解できずに、ミソギは冷たくなっている母親の懐に寄り添ってすやすやと眠りにつくのであった。

 ◇

「この季節じゃ、死体はなかなか腐らないだろうな……それも逆に酷な話だ」
 今年生まれたばかりのミソギには、まだ死というものが理解できていない。目を閉じたままピクリとも動かないミズキのそばで、ずっと目覚めを待っている姿は見ていて心が痛む。
 しかし、心が痛むだけならばまだよかった。森の様子を確認するために防人たちで集まって周囲を散策していた時に見つけたゼクロム派の軍隊であることを示す、白い旗に黒い鳩の紋様。
 模様こそ部隊によって細かく分けられているが、白い旗に黒の紋様ということだけは、すべてのゼクロム派に共通している特徴であり、傭兵であっても白い旗に黒枠が義務付けられているので、間違うはずもない。良く使いこまれたそれは、兵士たちが吸っていたのであろうか、アヘンの匂い。朽ち果てた返り血の匂いに、土の匂いと蟲の匂い。いろんな匂いが染みついたこの旗は間違いなくゼクロム派のベテラン傭兵が使っていた者であろう。
「これが……これが貴様らのやり方かぁぁぁ!!」
 森を切り裂くような金切声だった。焼け焦げた死体をいくつも見つけて、悲しさばかりがこみあげていたアオであったが、その旗を見たとき、すべての悲しみがそのままそっくり怒りへとすり替わる。その怒りを全て、声にして表したかったが、それでは到底足りない。
 おそらくは山が崩れるくらいの大声を発しても、表しきれないほどの怒りが彼女を支配する。アオの声に振るいたてられるように、憎しみは伝播する。争いを終わらせるためのつるぎ、指揮官のつるぎもないままに、アオと、レンガと、ヒスイは最低限の挨拶だけを済ませて森を後にする。
 森で起こった火災は、幸いにも辛うじてほとんどのポケモンが無事生き永らえたとはいえ、この冬に多くのポケモンが飢えて死ぬことは免れない。飢えて死んでゆくであろうポケモンたちの恨みを代表するように、憎しみをたぎらせた三頭の歩みはもう止まることはない。進路は双龍。拾った旗に描かれた隊証を手掛かりに、しらみつぶしに実行犯を探して殺す。
 話し合いの必要もほとんどなしに決まったその虐殺に同伴するのは、数頭のムーランド。アオ達の足についてゆくのは到底不可能なので、アオ達が彼らに合わせて歩く形となったが、それでも旅にかかった日数は二日半。人間の足ではまだ4分の1さえ踏破しきれない距離であろうが、奴らは多くの鳥ポケモンを従えている集団だ。今頃双龍にたどり着いていてもおかしくはない。
 それに、今の彼らにとって、放火した者たちがこの場に居ようがいまいがもうどちらでもよかった。とにかく、人間に対する強い憎悪はとめどなく、一般人もまた兵隊たちお被害者であるということも忘れて、ゼクロム派の人間を殺せるならばそれでいい気がした。

 城門を前にして、まずはアオが自身の体にムーランドを噛みつかせると、それによって底上げされたアオの膂力をレンガたちは自己暗示で自分たちに移す。アオのリフレクターとミドリの光の壁を受けて一足先に飛び出したレンガは、見張り番の兵隊が味方に偶蹄の死神の到来を告げている間に城壁へと突進。
 すさまじい轟音と共に、城壁に風穴をあけたかと思えば、後ろから追いかけてきたミドリはレンガに手助けを送る。
 ミドリから受け取った力も加わり、無尽蔵の力を体内に宿したレンガは、振り上げた前足を思いっきり地面に叩きつけて、周囲を揺るがす巨大な地震を巻き起こす。城壁の裏にある民家を区画ごと巻き込んだ地震は、もはやポケモンの技という範疇をはるかに超えて、天災としか表現のしようもない

 城壁はフォークにつつかれたパイ生地ように脆く崩れ、足場を失って落ちた人間、崩れた壁に押しつぶされた者は一瞬で生物から肉塊に変わる。運よく街を取り囲む掘りに落ちても、見上げるような高さから水面に叩きつけられてしまえば大けがは免れなかった。
 アオとヒスイは崩れた城壁を駆けあがり、小高い丘に作られた宮殿と、その近くにある正方形の壁に囲まれた広場に目をつける。町を囲む城壁の中に作られたもう一つの小さな城壁。街のどこにいても見えそうなほど高いその施設は、大層重要なものを守っているのだろうと目星をつけて、ヒスイとアオは、頷きあってそこを目指すよう意志を伝え合う。

 どうせ他にめぼしい物もないのだからと、レンガにも手短に伝えた後は、通りを突っ切るのに邪魔で目障りな人間を踏み荒らしながら小さな城壁を目指して進む。叫び声をあげる暇もなくヒスイの角に切り裂かれたり、子供が踏みつぶされたりもするが、防人たちはそれを異に開始うこともしない。
 正方形に囲まれたその空間には兵士たちの演習場兼宿営地。今は宿営用の天幕は片付けられ、槍を振るったり弓矢の的当てをしている最中であった。ここら辺の部隊は正規兵で、王都を始めとする大きな街より集められた者と、普段からこの双龍に在中する身分の確かな兵隊の集まりである。森を焼くような特殊な任務に従事するような工作員ではないのだが、そんなことを知らないレンガは怒りに任せて扇状に岩雪崩を仕掛ける。
 冷静でいられないものはそれだけで岩の濁流にのまれて身体をすりつぶされてしまい、その雪崩に背を向けることもなく冷静に岩を見据えて避ける者は、岩の濁流の上を軽業師のように歩みながら、縫うように簡単に人間を死体に変えてゆく。
 演習場は一瞬にして。この世の地獄となり、我先にと逃げだすうちに転んで将棋倒し、まとまったところをレンガに一網打尽にされ、城壁に囲まれた広場か人間がいなくなるまでその殺戮は続く。

「お目当ての隊証はない……か」
 そもそも、正規兵の隊証だけでもその数はごまんとある。それに加え、数多ある傭兵の隊証まで探すとなれば、話し合いを一切する気のないアオ達にはそう簡単なものではない。情報が伝わり切っていない今の時点では、なぜアオ達が怒っているのかすら理解できていない。
 血だまりの中、返り血で白い旗が真っ赤に染まったところで、アオ達の気分も粗方おさまり、闇雲に探すよりも聞き込みをした方がいいかと気持ちを切り替える。ここまで暴れておけば、正義の心の特性の効果が切れた今でもそうむやみに立ち向かったり攻撃してくる者はいなかろう。
 アオ達は悔しさごと吐き出すように唾を吐き捨てると、次は宮殿に移動する。壁を破壊して内部に入ると、そこに住む領主を護る近衛兵を締め上げ、持ち寄った隊証に見覚えがないかどうかを尋ねる。殺すことにも疲れ果てたのか、不思議と殺そうという気力がわいてこなかった。

 そうしているうちにお偉いさんの近衛兵なのだろうか、偶蹄の悪魔が人探しをしていると聞いて、白髪交じりの初老の男性が防人たちの前に現れる。傭兵についてもかなりの数を網羅していると語るその男は、血まみれになった旗に描かれる黒い鳩を見て、
「その隊証なら知っている……&ruby(いくさばと){戦鳩};という傭兵部隊だ」
 これで、もしかしたら偶蹄の悪魔の怒りも収まるかもしれないと、淡い期待を抱きながら答えた。
「本当か?」
 怒気を交えた声を漏らしながら、アオは相手の首に捻じれた角を当てる。
「本当だ……一度、指揮官として、その戦鳩という傭兵を遊撃にあたらせたことがある……だが、その隊はもう、数か月前の戦闘で全滅しているはずの傭兵部隊だぞ……? そんな隊の旗を…… 火事があった場所にそんなものが捨てられているなんて、亡霊でも見たか……いや、本当に火事の現場にそんなものが落ちていたのか?」
 足の痛みを歯を食いしばり、荒い息を付きながら男は尋ねる。
「確かに落ちていた。風で吹き飛ばされたにしては風化していないからな……火事の際に、誰かが置き忘れて行ったもので間違いない」
「そいつらは、ただ放火して帰ったのか……ずいぶんと行儀が、良いんじゃないのか旗を掲げる意味もないし……」
「何が言いたい? 回りくどいことを言っていないで、さっさと結論を言え……この旗の持ち主は何者なんだ?」
 アオがサラに角を強く押し付ける。初老の男は怖気づきながらも数秒で考えをまとめ、口を開く。
「まず、どこかの誰かがお前を食めようとしたんじゃないかということだ。新品の旗だと怪しまれるだろうからと、わざわざ……こんな使いこまれた旗を落として……しかもこの旗、怒りの粉の匂いが微かにする……血の匂いに隠されてもうほとんど匂いはしないが……」
「怒りの、粉? なんだそれは」
「一部のポケモンから採取できる、戦意向上のための秘薬だ。殺意や敵意が極限まで高まって、恐怖を感じなくなる代物だ。反面、冷静な判断も出来なくなるし、撤退命令も聞いてもらえない。さらには民間人が相手でも容赦せずに殺してくことから、禁薬とされ恐れられてさえいる代物だ。
 丘の下にある広場から、この宮殿まで聞こえるくらいの叫び声……お前らが相当暴れ回っていたことは手に取るようにわかったよ。それほど怒り狂っていた理由は、放火だけじゃなかったわけだ……つまり、お前たちの怒りは……誰かに作られたものだったんだ」
「結論から言えば……放火したのは、ゼクロム派の者ではないということか?」
「可能性の一つでしかないが……今となっては、過去視のできるポケモンでもいなければ調べようもない……くっそ、レシラム派の者が神まで弄んだとしても調べようもないとは……」
 初老の男が悔しげにそういったところで、アオは目を泳がせる。激しく動揺した彼女に、いつもの威厳はみじんもない。
「なぁ、レンガ……私たちは、利用されたのか……?」
 アオの体が震えている。ヒスイもレンガも、動揺しすぎて目の焦点が合っていない。『怒りの粉を浴びて冷静な思考が出来なかった』という言い訳がかろうじてあるにせよ
「わからん……だが……だが、いや……」
 そういえば、旗を見たときの自分たちの怒り方があまりにも異常だったことに、レンガはいまさら気が付いた。
「そうなのかもしれないし……いや、そうなのかもしれない……」
 何も言うことが出来ず、レンガも言動がおかしくなるほどの動揺を見せる。認めたくはないことだが、ただの勘違いであそこまでの虐殺をしてしまったとあれば、制裁という大義名分でまだ正当化できたあの山林の麓にある地図から消えた村の虐殺よりもむごいことをしてしまったことになる。

「そういえば、森は……私たちが留守にしている間、森は大丈夫なのか……」
 ヒスイが思い出したように口にする。本当に、今の今まで忘れていたが、それ以上に今この宮殿から抜け出して、いたたまれない気分に浸るのを避けたかった。ヒスイがそうであったように、アオもレンガも、いくら敵対する人間とはいえとばっちりでここまでの虐殺をしてしまったことはあまりにも申し訳ない。
 謝っても謝り切れないのは目に見えていて、だから謝るよりも先にともかくこの場を去りたい。殺してしまった者の家族にののしられたくない、『家族を返して』なんて言われたくない。冷たくなった死体が凍り付いたまま霜に覆われるのを見たくない。
 三人は、互いが互いを見回す。それでどうやって意志を伝え合ったのか、恐慌の赴くままに防人たちは逃げた。街の外まで逃げて、ムーランドを引き連れて逃げて、ムーランドを置き去りにして森まで逃げ帰った。


「ミカゲ……ロゼ。森のみんなは、平穏に暮らしているようだが……特に変わりはないか?」
「あ、母さん……父さんと兄さんも……。いつの間に戻ってきていたの?」
 すっかり角も立派になり、テラキオン特有の恰幅の良い体つきにも箔がついてきたミカゲは、すっかり兄より低くなった声でアオに尋ねる。
「帰ってきたのはついさっきだよ、ミカゲ」
 父親違いの妹であるミカゲにヒスイは笑いかけてみせるが、翳った笑顔には余裕が一切感じられない。ミカゲは母親たちに何があったかを知りたいところだが、好奇心よりも労わる気持ちを優先して何も聞かないことにする。
「防人様。報復に向かったと聞いておりましたが、無事なのですか?」
「大丈夫だ……見ての通り、体には傷一つ無いだろ?」
 と、ロゼの言葉に対してレンガは自身の巨躯を見せて無事をアピールする。

「そうですか……防人さんたちがいない間、ミカゲさんと一緒に森を見まわっておりましたが、森には幸いなにも起こっていないから安心してくさい」
「ほう、わざわざ街から戻ってきて娘をサポートしてくれたのか?」
「そりゃもう。私は正義の心の始動役のみならず、人間を惑わすのは得意中の得意。防人様の強さとは別次元の強さを持ってますからね……物理的な強さと搦め手の強さ、合わせて最強のロゼがついているんです。なにも起こるわけありませんよ」
「その最強を一発で見破られたのもお前だがな」
「あれはアオさんの警戒心がむちゃくちゃ強かったからでしょうに。花の悪い人間じゃ、油断していなくとも見破る事なんざ出来ませんよ」
「わかったわかった」
 口の減らないロゼのまくしたてに苦笑して、アオは話を切り上げた。
「ところで、皆疲れているようだし、なんなら今から私が番をしておこうか?」
 アオが話を切り上げると、今度はロゼが話題を上げる。ロゼ自身、母親たちが抜けた状態では何が起こるかもわからず、対応が遅れないように集中して警戒を行っており精神的にも疲れているのだが、肉体的にも精神的にも疲れて居そうな三人を見ていると、疲れたから休みたいとは言えなかった。
 むしろ、自分が率先して働いてやらなければとさえロゼは思う。
「そうだな、ロゼ。ここは私達に任せて、お前らは寝ておけ。私が眠るのはそのあとでいい」
 だからと言って、防人でもないロゼに一人で番をさせるわけにもいかず、アオは率先してロゼの手助けを申し出る。ヒスイとレンガ、男二人は先手を取られて、アオの命令には逆らえないからとその場に腰を下ろす。
「それじゃあ、お言葉に甘えて私たちは眠るが……疲れたらいつでも起こしてくれて構わないからな?」
「大丈夫。防人のお付きをやってれば体力なんて自然につく。レンガさんもヒスイさんもゆっくり休んでいてよ。もちろん、ミカゲさんも」
 にっこりと笑いかけてミカゲは安心しろとアピールをする。
「了解。それじゃあ、母さんには悪いけれど、私も寝らせてもらいます」
「ご苦労様、ミカゲさん」
 ロゼがミカゲをねぎらう声をかけて、三人が目を閉じたのを確認してからアオとロゼの二人はその場を離れる。なんだかんだで腐れ縁のようになったアオとロゼは、しずしずと森の周りを始める。
「火事の事で飛んできたのだろうが……挨拶も出来ずにいきなり森を抜けて、済まなかった。心配かけたな……」
「何を言っているのですか、アオさん。任せられた以上、防人の期待を裏切るようなこともしないし、きちんとこの森は平穏無事ですよ。正義の心がある限り、私の悪の波導が娘さんであろうとあなた自身であろうとサポートいたします」
 ロゼの言うとおり森は平穏だった。すでにミズキの死体もカイジが連れてきたバルジーナにより片付けられているらしく、なんだかんだで皆火事の後片付けはきちんとやっているようである。あとで掃除屋を呼んでくれたカイジにも感謝せねばなるまい。

「ミソギはどうなった?」
 人間に騙されて、無意味に大虐殺をしてしまったかもしれない。それを話しておかなければならないが、現実逃避したくなるような内容だから、アオは別の事を考え、別のことを質問する。そうして、自分が犯してしまったことから目をそむけていたかった。
「彼女は……母親が喰われていくことを見て、泣いていたよ」
「そうか……」
「でも、目をそらさなかった。泣いた目を&ruby(しばた){瞬};きながら……必死で今の状況を理解しようとしていてね。死ぬっていうことがどういうことかをきちんと受け止めていたよ」
 ロゼはため息をつく。
「いっぱいお話もしてあげたさ……お母さんには二度と会えないことを説明したし、お母さんは立派に務めを果たして死んだということも説明した」
「彼女は何か言っていたか?」
「『みんなのために頑張ったから疲れて眠っちゃったんだよね?』って……聞いてきたよ。だから俺は、『永い眠りについたんだ』って言っておいた。そしたら、なんというか納得してね……吹っ切れたのかどうかは知らないけれど、ミソギの奴、きちんとバルジーナに対してお礼も言っていたし、賢い子だと思うよ、あの子は。
 バルジーナに甘えて泣くこともあるし、ミソギや俺の胸で泣くこともあるけれど……みんなの前では泣かないから、気丈なもんだよ。ちゃんと甘えるべき相手、弱みを見せられる相手もわかっているから、将来は本当に良い指揮官に成長するかもしれないね」
「そっか。ミソギは……賢い子だな」
「うん。ミカゲだったら、アオさんが死んだらあんな風に振舞えるかどうか……ケルディオは指揮官のつるぎだって言われているそうだけれど、ああやって冷静に受け止められるところが、そういう資質なのかな?」
「なんだかんだで、種族で性格がある程度傾向があるものだ。ロゼの言うとおり、ミソギは生まれついての指揮官なのかもしれんな」
 そう言ってから、アオは一度ため息をつく。
「そうか、ミソギは……そうか。そばにいてやらなかったことを帰り道で後悔したが、気丈な子でよかった……」
 言いかけた言葉をアオは飲み込んで、別の言葉を言ってしまう。言いたいことはそんなことじゃないのにと、思っているのに口にできない。
「私たちが、報復をしに遠征に出ていた時の話だがな……」
 その話をするとき、愚痴をぶちまけてしまいたいと思ったが、決して愚痴は言わないと心に決め、意を決してアオは告白する。
「何があったんだ、アオさん?」
「人間の残した隊証入りの旗を見つけた時、私たちは怒りに任せて人間を殺しに双龍まで出かけた……」
「知ってる。その時のお母さんはすごく怖かったってミソギが言っていた……」
「双龍についたら、我を忘れて殺しまくった……たぶん、千や二千は軽く超えていると思う……」
「俺たちが初めて戦争に参加した時よりもか?」
「あぁ、殺した。一般人も容赦なく。しかもな……私たちはとてつもない勘違いをしていたかもしれないんだ」
 『それは何だ?』と言いたげな視線でロゼはアオを見上げる。
「あの旗は、レシラム派の奴らが用意した自作自演の道具なのかもしれないと……言われたんだ。ゼクロム派の人間に。名前も身分も知らないが、屈強な軍人だったよ……もしかしたら有名な将軍かもしれないな。たくさんの傭兵部隊の旗の紋様を網羅しているらしくて……森に落ちていたあの旗なんだがな。もうだれ誰も使ってないはずの旗だったのだと」
「え? どういうことだよ、アオさん」
 アオの説明が要領を得ず、ロゼは詳しく話せとつっこみを入れる。
「もう、戦争に負けた時に全滅したはずの傭兵たちが使っていた旗が落ちていた……ということらしい。だから、その旗はもう使われていないはず。そのはずなのに、どうして森に落ちていたかなんだけれど……一つは、私達にゼクロム派の仕業だと思わせるため。
 もう一つは、あまりに新品過ぎるとばれるから。もう一つは、存在しない、無名の傭兵部隊のそれを使うことで、余計な情報を得させないため……そんなところだと思う」
「それに、まんまと引っかかっちゃったの? 防人たちは……ヒスイと、レンガは止めなかったの?」
「耳が痛いな……その旗には、怒りの粉とかいうものがたっぷりとついていたらしい。これは、匂いを嗅ぐだけで怒りを刺激する粉でな……冷静な判断が出来なくなるなって、しかも性格も狂暴になるらしい」
「その効果を存分に浴びてしまったと?」
「そんなところだよ。それで、私たちは……誤解でゼクロム派の者たちを殺してしまったのかもしれないんだ……」
 アオが涙ぐんでいた。鼻をぐずらせながら、顔の周りの体毛を濡らしている。
「でも、森は平和になるんじゃないですかね? 火事になったのは、確かに胸糞悪いことですが……これで、レシラム派の者が双龍に一気攻勢に出たら、きっとこの辺は戦争とはしばらく無縁になる。
 まぁ、徴兵や食料を税として納める必要性はなくならないでしょうが、この森には関係ないことでしょう? 食料危機はすぐそこに迫っていますが、それならいっそ人間たちに責任を取らせればいい。
 雪花のような拠点として重要な街は、敵の侵攻に対して籠城できるように街には巨大な食糧庫があると言います。もう、双龍からの侵攻におびえて籠城する必要もなくなるんです。英雄として崇められているうちに、我が物顔して奪っちゃいましょう。幸い、ミズキさんのおかげで死者を少なく防げたのです。後継者のミソギちゃんも気丈な子ですし、ここから立て直していきましょう。
 未来は子供のためにあるんですから」
 励ますつもりで言ったロゼの言葉。アオは励まそうとしてくれること自体はありがたいのだけれど、励まされれば励まされるほど辛くてたまらない。
「でも、私はその未来を奪ってしまったんだ……しかも、不本意な方法で。復讐心を正義感と勘違いして村を一つ壊滅させた時よりも、ずっとずっと罪深い。そんな私に、幸福な未来なんて許されるのか?」
「私が許しますよ。いっぱいがんばって生きて来たんです。幸福になったっていいじゃないですか。それとも、不幸になればなるほどアオさんは幸福なんですか? そんなことはないですよね?」
 自分の言葉で悲しんでいることを忘れられればいい。そう願って、ロゼはアオを励まそうと口を休めない。
「幸せになる権利ってなんなんですかね。罪を償う義務は、幸せを捨てる義務なんですかね? アオさんってば、人間みたいにむずかしいことに悩んじゃってまぁ……貴方を利用した誰かがどこかでほくそ笑んでいるかもしれないのに」
「誰かがほくそ笑んでいるか……そんな風にはなりたくないな」
「意味のない殺害は嫌いですか? 殺しには意味がないと嫌ですか?」
 ロゼは問答のように言葉をかけるが、アオの返答を待つ気もなく早口に話を進める。
「だったら、今から意味を持たせればいいじゃないですか。戦争が終わる。それが大きな意味になるように、胸を張って殺したことを誇ればいいじゃないですか。どうしてそう卑屈になるのです。確かに、無意味に殺したという事実だけを聞けば、貴方の事を軽蔑する人もいるでしょうが、貴方は……もしかしたら戦争を終わらせて森を守ることに繋げたのかもしれませんよ?
 確かに、この前の火事で食料不足は確実。でも、五年もたてば回復しますよ。でも、何十年も続きかねない国を二分する対立に終止符を打ったこと……これは評価されるべきでは? 今はまだ確定していませんが……そんなに気になるのならばいっそのこと、本当に終止符を打ってしまいましょうや。
 開き直ればいいんです……今度は、誰かの策略に嵌められるのではなく、自分の意志で」
「……考えておくよ」
 ロゼが熱弁を振るう間に止まっていた涙を瞼から絞り出して、アオはそう告げる。
「それよりも、聞かせてくれ……ロゼ。お前はどうして、私をこんなにも気にかけるんだ? お前は、ただ幻影の能力が使えそうだったから傍に置いているだけで……私にとってはただの部下の一人。カイジとなんら変わらないつもりで接してきたのだぞ?」
「ハンターにこき使われていたところを拾ってもらった恩があります。まぁ、それだけじゃアオさんはきっと納得しないので、加えて言うのならば……私がアオさんを利用したかったのかもしれません。アオさんは行動力がありますから……人間との関係を変えられると思ったのです。」
 ロゼは拳を強く握りしめる代りに、指に長い髪をこれでもかというほどを絡ませて、熱弁を始める。
「悪い方に転がったぞ」
「この程度で諦めるのですか? まだ、いくらでもやりようはあります。このまま人間に、悪魔だなんだとののしられて終わるか、それとも……英雄として称えられるか。
 それを決定させるのはアオさんですよ。そして、アオさん一人が不幸になるくらいならどうでもいいかもしれませんが……この森も、そして後世の子供たちもそれに関わるのです。
 確かに、ポケモンをこき使うような人間や、ポケモンお暮しを脅かすような人間は嫌いですわ。でも、そういうやつですら被害者である事もあるんです。それなら……加者だけを狙ってもらいたいってアオさんに頼んだことは覚えていますよね?
 兵士なんてのは大半が民衆への加害者ですよ。生産活動は鈍るし、戦争のために山の岩が切り崩されたり木を切り倒されたり、たまったもんじゃない。国を守るために兵士が必要だというのなら、攻めてくる相手国が一番悪い。今の戦争だってもとはゼクロム派が引き起こした戦争なんだから、アオさんはただ森が荒らされる原因の一つをブッ飛ばしただけ。アオさんが倒したのはそんな加害者ですよ、罪に思うのは兵士の方で、アオさんじゃない。
 そもそも、山を守るという大義名分がありながら、それをアオさん個人の感情で立ち止まってどうするというのですか? 防人なら防人らしく、最後まで責任果たしましょうや……私に、軽蔑されたくはないでしょう? 私は今までアオさんを軽蔑したことなんて一度もないんですから」

 ロゼは熱弁が終わると、ため息をついて深紅の髪をいじる。髪を梳くように指を通すそのさまは髪の手入れをしているようだが、興奮して頭皮がぞわぞわとした感覚を無意識に防ごうとした結果であった。
「ならば、ロゼ。私は何をすればいい? 謝るとか、罪を償うとかそういうことではなく、何をすれば防人の責任を果たしたと言えるのだ?」
「それは……検討中ですね。雪花で情報を集めて、それから決めますよ……だから待っていてくださいな。必ずアオさんの道を開いてやりますよ!!」
「頼もしくないな」
「なら、ご自分で考えてみます?」
 鬼の首をとったようにロゼはアオに尋ねる。
「私はそれ以上に頼もしくない」
 ロゼの言葉に反論する言葉もなく、アオはそう言って笑う。
「では、明日には雪花に向かいます。それまでは、ミソギさんのためにも一緒に居てあげてくださいな……母親の代わりになってあげたら、もしかしたら喜ぶかもしれません」
「了解したよ、ロゼ。いい報告を頼むぞ」

 ◇

 ロゼと話しているうちに鬱屈した気持ちも少しずつ晴れていったアオはせわしなく動き回っていた。道しるべを作るためとはいえ、レンガとミカゲが思いっきり木を切り倒して回ったり、焼けてしまったりで足りなくなった食料を、枝葉を切ることで何とか補おうとするために奔走しているのだ。
 木の生長を良くするために人間は剪定などということをしているが、そうやって枝を切っても一応木は成長を続ける。だから、上手く木を切ってそれを食料として振舞いつつ、来年もまた食料にできますように――なんて、人間の真似事というのは少し浅はかかもしれないが、とりあえずアオも今できる最善のことをするしかないのだ。
 ヒスイもレンガもミカゲもそうして人間の真似事をしており、身軽で木の上にも楽々登れる防人たちは大忙しだ。アオはミソギを連れまわし、自分の真似が出来るようにと彼に色々と跳び方のコツを教えている。
 悲しみを紛らわそうと、優しく教えてあげようなどと思っていたアオだけれど、ミソギはアオの思惑よりも先にがむしゃらに練習に励んでいる。それはまるで、アオに言われるまでもなく悲しみを紛らわそうとしているような。
 だけれど、自分たちも食事にしようなんて言って休む時は、さりげなくかたなんかを寄せて甘えてきたりして。やっぱり、母親のぬくもりが恋しくて、アオにそれを求めてしまうのだ。そんなミソギをアオは受け入れ、自分の子供と同じように愛してあげる。
 かつて自分たちの教育役であったモエギが出来なかったことをしてあげられることが嬉しくて。こんな自分でも誰かに必要とされるのが嬉しくて、また一つアオの癒しが増えた。
 ロゼの報告が『もう戦わなくてもいい』というもので、これからこの幸福がずっと続けばいいのにと、アオは願う。

 そして、その無邪気なアオの願いは、彼女が決して望まない形で叶うこととなる。
 空がおかしいと思ったのがきっかけだ。分厚く黒い雲。それは積乱雲のように見えたが、その割には非常に大きく広範囲にわたる、化け物のような大きさに成長する・ そのまま成長していった雷雲が地表を覆う様は、地平線の先まで夜になったようだ。台風とか、そんな物とは次元が違う天変地異、幼いころに見たトルネロスなんて比べ物にならないくらいの災厄が、イッシュに迫ってきている気がする。
 たまらず、レンガやヒスイを集めると、その雲の中枢へ向かって異変の原因を調べるべくアオ達は駆け出した。雪花の森の外、草原を抜けた先にある雪花の街。そこには、数えきれないほどの雷が束になったような膨大な電力が、黒い龍のを中心に渦巻き、街を蹂躙していた。
 巨大な龍の体当たりは、城壁を薄氷のごとく崩壊させ、雷を纏ったまま地表を割り砕き、削り取り、そこに生きる生物を無慈悲に消し炭に変える。自分たちがどうこう言える立場ではないが、アオ達防でさえもあれほどの大虐殺はしていない。
 雷が濁流となって押し寄せる。雨のごとく光の矢が降り注ぐ。焼かれ、潰され、人の命は抗うことも出来ずに死に呑まれて消えていった。その殺戮の暴風の中心には、赤い眼光を光らせたゼクロムが、膨大な怒りを湛えていまだ残る獲物を探している。
 運よく逃げ延びられるものがどれほどいるものか。
「……ロゼは? 助けなきゃ!!」
 あまりの光景に我を失っていたアオが、そうつぶやいて走ろうとするのをレンガが止める。
「よせ、お前も死ぬ気か!?」
「でも、ロゼが……ロゼが……」
 ロゼが危ないと言おうとして、言っているうちに冷静になったアオは歯を食いしばって地面に根を張ったように足を動かさない。
「私達、何もできないの……?」
「見ればわかるだろ……もうどうしようもない……スターあたりが助けてくれることを祈るしかないが……この状況ではスターも……」
 半ば絶望しながらアオ達は燃え上がる街を見ていた。火の手が上がった町からは人間が逃げていく。アオ達偶蹄の英雄の姿に気づき。助けの懇願をする声もあったのだが、アオ達は無茶言うなと首を横に振り、ただ茫然と見守ることしか出来なかった。
 悪タイプのポケモンの補助がなければ無力な自分の力に歯噛みしながらアオ達が立ち尽くしていると、前方で突如閃光が走る。視界が一瞬真っ白に染まるが、不思議と目を瞑るような幻影も発生せず、何事かと前方を見てみれば、そこには小脇に幼児を抱えたロゼが、正体を晒したままこちらへ向かって歩いてくる。
 すぐさま駆け寄ったアオ達に子供はおびえ、子供に配慮しない防人たちに苦笑しながらロゼは言う。
「いや、何とか生き残ってきました……子供を助けてたら遅くなっちゃいましたけれど……」
「その子供は?」
「さあ? 名前も知りませんよ。しがみついてきたから仕方なく……ほっとけなくってね。この後どうやって生きていくのか知りませんけれど」
 肩を竦めてロゼは笑う。そうして、手慣れた様子で聴覚に作用する幻影を用い、『お別れだ』と突き放し、軽く尻を蹴る。痛くはなかったろうが、もう面倒を見るつもりはないという意思は伝わったらしい。縋るような視線を向けても、ロゼはそれに目もくれずに、アオと人間にはわからない言葉で会話しているので諦めるのは速かった。
「あの子……このまま浮浪児ですかね。助けないほうが幸せだったかも」
「ここまで来ると、なんといってよいのやらな……」
 周りの人間は、まだアオ達の周りに群がっていた。偶蹄の英雄が、あのゼクロムを蹴散らしてくれるのを望んでいるらしい。確かに、ロゼが来てくれた今ならばそれも可能だろう。ゼクロムはまだ散り散りになった人間を殺して回っている。もしもこっちに来るならば迎え打つことも可能だろう。
「アオさん……どうします? 私の方は準備できておりますよ?」
「どちらでもいい。人間を助けてやりたいなら、やってくれ……」
 アオに言われた内容を聞いてロゼは悩む。あの火事については、ロゼとて憤懣やるかたない思いでいっぱいである。
 いまさら、人間を助けて何の意味があるのかと。見捨ててしまっても、どうせ何も変わらないだろう。むしろ、人間の数が減ってくれるのならば、そっちの方が喜ばしいことなのかもしれない。
 だが、ここでゼクロムを倒しアオ達がさらに英雄として持てはやされるのならば、それの方が森を守る手段になるのかもしれない。

 助けるべきか、見捨てるべきか。助けるということは、防人たちがゼクロムへと立ち向かうことを意味している。
「逃げましょうや」
 結局、結論はそうなってしまった。
「……ロゼ。我らが死んでしまうことを懸念しているのか?」
 レンガに図星をつかれ、ロゼがびくりと体を震わせる。
「ばれておりますね……ですが、レンガさん。私の判断は間違っていると思いますか?」
「間違ってはいないさ。だが……私は、もうミカゲという後継ぎがいる。後継ぎが必要なのは、もうコバルオンだけだからな……アオすまない。万全な状態で行きたいから、お前がまず正義の心を……」
 レンガはアオに振り返り、頭を下げる。
「承知した……ロゼ。すまない……やってくれないか?」
「……良いんですか?」
 一人だけを死地に送り出すなんて、正気の沙汰ではない。
「ロゼ。我は何も死にに行くわけではない……生きて帰るつもりだし、死んだとしても人間のために戦ったという言い訳程度にはなる。お前はきっと、我らが人間にとっての英雄であれば、人間は我らを尊敬し、森に手を出さないでくれると思ったのだろう?」
「ええ、まぁ……」
 ロゼは力なく答えるが、そのロゼに話しかけるレンガの目は力強い。
「大丈夫。言い訳程度には活躍してくるつもりだ……」
 その力強い笑みに諭されては、もう何も言えなかった。
「アオさん、歯を食いしばってください」
「あぁ、やってくれ、ロゼ」
 アオは地面稲を張るようにしっかりと大地を踏みしめ、ロゼの悪タイプの攻撃を微動だにせずに受け止める。レンガはそのアオの姿を目に焼き付け、自分の姿と重ね合わせる。やがて、正義の心により強化された膂力を自身の者として体に取り込んだレンガは、自身を奮い立てるべく足を踏み鳴らして気合いを入れる。
「レンガさん……ご武運を」
 ヒスイがレンガに光の壁を張りだす。アオもリフレクターを張り、最後に親子で手助けの技を行い、初っ端の一撃を強化する。考えられる限りの補助を受けたレンガは、いまだ自分たちを見ている人間たちに道を開けるよう命じ、街から逃げる人間を襲い続けるゼクロムへと向かって走り出す。
 一歩踏み出すごとに大地が割れるような衝撃と地響きが巻き起こる。攻城塔も投石器も一撃のもとに粉砕する力を伴い、アオはゼクロムの元に駆ける。正義の心を現t回まで積むことにより、膨れ上がり高ぶった気分は悪鬼羅刹すら震え上がる。
 いち早くそれを察知したゼクロムは、戦ったら殺されるとすぐに理解した。三十六計逃げるにしかずとばかりにゼクロムは尻尾を巻いてその場を逃げ去り、結局レンガは――
「なんだよ……ゼクロムが帰ってくるごろにようやく飛び出しやがって……」
「助けに来るのが遅すぎるよ……」
 人間からはこんな評価しか与えられない。たとえ味方であるとわかっていても精神が強くなければ立つことすらできないほどの威圧感がレンガからは漏れだしていたというのに、人間たちはそれに気付けない。くらいからゼクロムの表情の変化も読み取れず、ゼクロムは『レンガから逃げた』のではなく『飽きて帰って行った』と認識されてしまう。
 そして、レンガたち防人は、ゼクロムが帰ったころにようやく動き出した間抜けだと。そんな不名誉なそしりを受けてしまうことになる。最悪な結果としか言いようがなかった。

 結局、防人たちは何も得られないまま。むしろせっかくの評価すら失って、その場を後にすることとなる。
 意気消沈する防人たちに何か声をかけてあげたかったが、ロゼは言葉が見つかることもなく、彼らは無言のまま、失意のままに住処の森へと帰って行った。

[[:これから]]

IP:223.134.158.230 TIME:"2012-07-02 (月) 00:04:59" REFERER:"http://pokestory.rejec.net/main/index.php?cmd=edit&page=%3A%E3%82%BC%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%A0" USER_AGENT:"Mozilla/5.0 (compatible; MSIE 9.0; Windows NT 6.1; WOW64; Trident/5.0)"

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