ポケモン小説wiki
:オマケ の変更点


 都会から、電車に乗って数時間、自動車で舗装されていない砂利道をゆれながら進むことまた数時間、さらに歩いて数時間かかるような、今となっては逆に珍しい山の奥の小さな小さな集落。治安を守るのは歳食った駐在さんがひとり。バスは一日一度来る。電機、ガスはかろうじて通っているが、心なしかテレビの画面がよく乱れる気がする。お隣さんまで歩いて数十分……ということはさすがにないが、それでも数えるくらいの家族しか住んでいない、寂しいところである。住民の平均年齢は出したことがないが、若い者は便利と娯楽とカネと刺激を求めて片っ端から外に行ってしまうので、相当高いことは間違いない。
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 空気がうまい。飯もうまい。そして何より人間がほとんどいない。そんなことを考えながら田んぼと畑に囲まれたじゃりんこ道を、大きな尻尾をゆらゆらさせたイーブイと一緒に家に帰る。特に用事がないので外に出てみたら、一緒についてきただけだ。隣のイーブイはたまにくすぐったいように首の白い毛に頭をうずめてぶるぶる震える。季節が季節なので田んぼには誰もいない。もともとの数が少ないというのもあるが。のどかというのはこのことなのだろう。俺の体毛は薄いほうなので北風が体に沁みるが、一年のこの時期ぐらいはそんなのに悩まされるのもいいかもしれない。代わりに、毛の色のおかげもあって夏涼しい。
「さむいね」
「そうだな」
 大風が吹いたので思わず目をつぶると、イーブイが首を傾けて顔を覗き込んできた。触ってみたりはしないが、きっともふもふして暖かいのだろう。俺の白くてもふもふというよりはさらさらとした毛は冬には向いていない……気がする。空では黒味がかった雲が青い空を完全に隠さんと膨れ上がっている。上ばかり見ていると爪の間に小石が挟まりそうになった。
「ね、あしたゆきはふるかな?」
「さあねえ」
 雪が降りそうなのがうれしいのか、イーブイは先に行ってしまう。後足の傷跡はそこだけ毛が生えていない。それを見てなんだか悲しくなると、自分の腹や背中や、一番ひどい顔に斜め一直線に入った傷跡なんかがズキズキしだした。今はなんとも無いが、額にもでかい傷がある。
「お、いたいた」 
 後ろから声をかけられると、イーブイは振り向いてとたとたとそちらへ歩いていった。うちニンゲンが見つけたのだ。見回しても他にポケモンも人間も見当たらないのだから当たり前といえば当たり前である。
 ニンゲンはイーブイの頭を数度なでる。そのたびにイーブイはえへへ…と笑うのだが、頭のてっぺんにも大きな傷跡があって。思いなしかニンゲンはそこを隠すように撫でていた気がする。俺は少しだけニンゲンの後ろに下がった。
 ニンゲンは俺とイーブイのトレーナーになった。といってもモンスターボールに入れてゲットした、という意味ではない。俺は一度球に入ったことはあるがすでにその球は処分されているし、イーブイだって見た限りでは入れられていない。
 二匹とも保護されたというのが正しいか。
「早く帰って温かいものでも食べようか」
 冬の冷たい風に背中を押されながら、鎌ごと大きく頭を振って、イーブイとニンゲンと、俺たちの家に向かった。

 何年前かは正確に覚えていないし、覚えていてもあまり関係の無いこと。今のニンゲンと出会ったのは、どくどく流れ続ける血に蚊がたかりまくっていた記憶があるので夏だったような気がする。
 人間に捕獲または保護されていないポケモンは、いやたとえその類であってもまともに生きる価値が無いらしい。街中で、といっても大した街でもないが、その中でも特に迷惑かけないように人通りも無いような道を歩いていたら、明らかに髪の毛の色と日常生活と素行のおかしそうな男女数人に囲まれて、腹を蹴り、尻尾を踏みつけ、顔面、腹、背中など数箇所を切り裂くなど、半死人にされた。横ではヤミカラスであったであろう肉の塊が異臭を放っていた。他にもいくつか臭気を立ち上らせる物体転がっていたが、自分がその仲間になると思うと恐くて見られなかった。鎌と足だけは折られないようにしつつ死んだフリを決め込んでいたらじきに人間たちは帰っていったが、その理由がまたひどい。アブソルは災いを呼ぶから暴行する、というのはまだ可愛げがある。いつぞやはそれで人里から追っ払われた。今度は、”イイカゲンアキテキタガ、マダマダイイヒマツブシ”だと女が言っていた。こんなのにも彼氏がいるのには少々驚きあきれた。こうして表現すれば大したことなさそうだが、それは仕方が無い。綿密に伝えようとすると怒りが腹の底から沸々沸いてきてそれどころではなくなると言えばいい言い訳になると信じる。そのときにライターがあったら首から下の毛が焼かれていたが、運がよかったのか彼らは持ち合わせていなかった。金属か堅い木の棒があれば足を折られていたが、運がよかったのか彼らは持ち合わせていなかった。ナイフで刺されたけど。抵抗はするもんじゃない。縛られてなぞの薬をあおられて頭の骨から砕かれて死にたくなければの話だが。
 耳に入る音が餌を求めてやってきた小さい虫の羽音しか聞こえなくなったところで、ずるずる体を引っ張りながらその場をあとにした。痛いなんてもんじゃない。憎かったり腹がたったり、でも何にぶつけりゃいいのか分からなかったり、そもそもそんな元気が無かったり。どこをどう歩いて獣道の真ん中で倒れることになったのかは覚えていないが、歩くたびに生暖かい液体が腹から足と、額から頬を伝ってぬるぬるの真っ赤に目の前と体を染めたのは頭から離れないし、動くたびに味わう死にたくなるほどの苦痛も生憎忘れきれてはいない。
 気づいたら、夕日で真っ赤に染められた林の中の獣道で、血と脂汗にまみれながら人間に介抱されていた。今までも人間という生物がポケモンをいじめる悪い奴ばかりではないということは承知していたが、どうも人間は好きになれなかった。そもそも、俺に情けをかけるような人間は一人もいなかった気さえする。投げ出された前足に、顎から垂れた血が落ちたが、既にそこは夕日か血かで染まっていた。額から流れた血が左目に入り、涙が出た。多分目の色と同じ色をしていたんだろう。ニンゲンも汗びっしょりで俺の血を止めていた。自分をこうした奴と介抱する奴の種が同じことに多少の嫌悪感を覚えた。
「俺は人間は嫌いだ」
 ちらりとこちらの目を見たが、予想に反してニンゲンの手は止まらない。ニンゲンは臆することも無く言い放った。
「そうか。俺も人間は嫌いだ」
「お前も人間じゃねえか」
 するとニンゲンはいきなり顔をゆがめて目をしかめると、怒ったような泣きそうな声で叫んだ。
「人間が人間を嫌いになることだってあるんだよ」
 一緒にするな。吐き気がする。とも言っていた。
 そのときのニンゲンは俺にとって嫌な目をしていたが、どこかこの目を見るのは初めてではない気がした。
 一部はすべての生物に生きる権利をと叫びながら、俺は災いを運ぶと信じてやまないメクラ共。また一部は災いを運ぶのは迷信だと理解しておきながら、自分の欲求不満からくる攻撃願望や破壊衝動を満たすために敢えて知らん顔をして、我こそが秩序なり言わんばかりの良い身分共。そんな奴らといっしょくたにされることで不快感で吐き気をもよおす目の前のニンゲン。
 相当同類にされることに抵抗があるそうで、以来、こいつのことは人間と呼ばずにニンゲンと呼んでいる。
「こりゃダメだ。モンスターボールで診療所まで運ぶぞ。暴れんなよ」
 これを聞いた後に意識は途絶えた。数日後にニンゲンの家の畳の上で目を覚まして、今に至るわけである。
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「ゆーきっ!」
 次の日は雪が降った。朝、田舎の一軒家の小さな畳張りの寝室で一家二匹と一人は危うく凍え死にしそうになった上、寒い寒いとニンゲンが訴えるので俺の朝食はいつもより数刻遅い時刻にもなった。ニンゲンはストーブの灯油がなくなってきたから入れに行こうなどといっておきながらなかなか外に出ようとしない。ストーブの前はニンゲンより先に占領して座っていたが、とうとう切れてしまった。
「イーブイは進化の兆候すら?」
「残念ながら」
「うーん……今年中にはと思ったが……ダメか」
 イーブイだというのに、図体は一番小さい進化形の中の小くらいはあった。それほど成長しても、まだ進化が訪れないのはニンゲンは、一つは進化のいしという選択肢が用意されていないのがあるだろうが、完全に心を許していない方が大きいのだろう、とニンゲンはいう。
 イーブイがやってきたのは数年前のこと。
 当時としてはいつもどおり帰りの遅いニンゲンを待つ気など毛頭無く、さっさと灯りを消して寝てしまおうと壁のスイッチを押すために後ろの二本だけで立ち上がったとき、いきなり玄関が乱暴に開かれて、「包帯と水と消毒液と持って来い」と怒号が聞こえたので、バランスを崩して背中から床に叩きつけられた。
 包帯と絆創膏を銜えて外に出れば、傷だらけ、痣だらけ、垢まみれの腹ペコのイーブイが横たわっていた。
 ニンゲンと俺がてんやわんやしている間ずっと起きていたが、一緒に洗って、絆創膏を張って包帯を巻いて飯を食わせてやると、やっと安心して眠った。それこそ死んだように。
 実戦で役に立ち、見た目も好く、また、非常に従順であることから需要は凄まじく、うっかり繁殖させたり何の計画も無かったりただ単に飽きたりといったおよそ崇高で高等な人間的理屈で扶養と保護の義務が無かったことにされたり虐待という形で返ってくることももはや日常茶飯事となったらしい。もっとも、人間皆がみんなこんな奴らではないと思うが、残念ながらうちのニンゲンとこの集落の人間以外では見かけたことが無い。なお、こいつは虐待に当てはまったらしい。
 いつぞやイーブイが寝惚けて寝ていた俺の左の前足に噛み付いて、ハッとしたように部屋の隅で腹を出して服従のポーズを取ったのを覚えているが、ニンゲンが言うにはこれもそのおかげらしい。そのとき見た腹はところどころにもう消えないであろう傷跡が刻み込まれていた。
 そんなことをしているうちにイーブイは縁側からゆき、ゆき、と目を輝かせながら飛び出していって、雪降る中をぴょんぴょん跳びまわっている。もっとも、飛び出していったからあんな会話をしたのだが。火も消えたことなのでその後ろをのっそりついていった。ニンゲンはようやく決心して分厚いコートを掴むと外に出て行った。
 しばらく雪の上で歩き回っているイーブイを見守っていると、きなよ、と言われたので一緒に足跡をつけて回っていたが、ニンゲンがいつの間にか大きな雪かき用のスコップを引っ張り出してきて内に呼び戻された。
「雪降ろしにいってくるから留守番は任せたぞ。こんな天気だし盗られる物は何も無いから大丈夫だと思うけど」
 イーブイは目をぱちくりさせるとおうちからはでないよと言って再び雪と戯れに、ニンゲンと一緒に外に出て行った。目の届くところにいるほうがいいだろう。灯りが消えているか、確認のために家の中を一回り……ストーブは消しっぱなしのクセにテレビはつけっぱなしじゃないか。
――……政府は、去年一年間にあった死因が人間からの虐待と見られるポケモンの数がおととしを大幅に上回る過去最高に達したと伝えました。同時に、虐待の相談や虐待から保護されたポケモンの数も大幅増です。さらに、この状態に抗議して、今年度の公式戦の出場をボイコットするトレーナーたちの名簿が運営のポケモン協会に渡されました
 トレーナーからは法の整備が遅れているとの指摘も……四年間に渡るポケモンリーグ出場レース((ポケモンリーグは四年に一度。四年の間にバッジを8つ集めれば無条件で出場可能。あるいは四年のうちに公式戦で手に入れたポイントが多い順に出場権が与えられる。これをレースと呼ぶ))の一年目、ボイコット者の中には『ポケモンだって生き物で、感情を持ち、言葉を話す。私の子供のころもポケモンを大事にしなさいという法律は無かったが、今は酷すぎる』と語った、今年、ポケモンリーグで92歳での最年長勝利を挙げたあのトレーナーの名前も。人間とポケモンの関係が問われています。ボイコット者のほとんどはトレーナー歴30年以上((10歳以上でポケ免取れば自動的にトレーナーとなる。たいてい10歳のうちにとってしまうので40歳以上となる))のベテランで……――
 ふぅ、と吐いた息は白かったが、冷たくて鋭い今朝の冷気に引き裂かれて華やかに散ってしまった。敵討ちにやかましい箱を前足一本で黙らせてやった。

「おい、慣れないことしてくれるんじゃないぞ。ひどくなったら大変だ」
「今も昔もこれが本職だ」
 保護されてしばらく経った日の夜、包帯やら絆創膏やらの取替えにニンゲンが俺の脚に触れた。
「じゃあ、何でわざわざこんな顧客の少ない田舎に越してきた?」
 先ほどまではこちらと目を合わせていたが、真剣な顔をして背中の自分でもでかい傷だと分かるところの逸らしてしまった。
「転職のためさ」
「転職?今も昔もこれが本職だって言ったろ?」
 本当はほとんど無かったのだろうけどしばらくの沈黙を経た気がして、ニンゲンが口を開いた。
「人間のためにポケモンを直す整備士から人間とポケモンのためにポケモンを治す獣医に転職したのさ」
 このニンゲンは半分笑ったように見えるほど憎悪を含ませた表情もできるんだと感心して、足を四本投げ出して寝転んだまま、包帯で動けないながらに背筋に雪が積もったように震えた。ニンゲンは隣に布団を敷いて電灯の紐を引っ張ると、すぐにすやすや寝息を立て始めたが、俺は痛いのとよく分からないものでなかなか眠れなかった。

 外に戻ったときには雪はまた一段と強く降り始めた。イーブイはご機嫌でどんどん白い中を進んでいってしまう。家の敷地からだしてはいけない。彼女の毛並みのようにふわふわした足元はさくさく音を立てた。
「ね、きみもゆきはすき?」
「雪が好きなのか?」
「うんっ」
 一つの笑顔で元気な返事は静かに降り積もる雪に吸収されてかすれてしまったが、耳やら尻尾やらを揺らしながら誰も足を踏み入れていない新雪のフィールドにダイブした。
 ふわふわの雪が飛び跳ねて顔にかかったが不思議と悪い気はしない。ストーブがついていれば火に当たっているが、寒さには強いほうだと思っている。生物は自分の生まれた季節に強く育つらしいから俺もイーブイも冬に生まれたのかもしれない。
「家から出るなよ」
 わかってるよ、と言って吹雪舞う銀世界を駆け回る。灯油かなにかを売るトラックが良く流してるね。雪やこんこ あられやこんこ 降っても降ってもまだ降り止まぬ ガーディは喜び庭駆け回り ニャースはコタツで丸くなる
 地域によってガーディがポチエナに、ニャースがエネコになったりするらしい。喧しい箱が言っていた。目の前のはイーブイだが。
 ひとしきり遊びまわった後、ようやく満足したイーブイ。雪まみれで、暴行で欠けた牙を出してニコニコ笑うので、多少複雑な気分になりながらも、額にでかい傷のある痛い顔で笑い返してやった。
「きみは、ぼくとか、ごしゅじんさまとかは、すき?」
「おうともよ」
「わーいっ!」
 背後から、イーブイの全力の圧し掛かり。喉の奥から、何か詰まらせたわけではないが、そんな声が。そこに、首の辺りに頬ずり。ちょっとちべたい。
 雪の照り返しが眩しくて、顔を顰めた。イーブイが重いのではない。断じてそういうことではない。決してない。曲りなりとも、イーブイはオンナノコだかんね。

 ……違う。雪の照り返しが眩しいんじゃない。なにを恐れるのか自分では理解できなかったが、恐る恐る背中の重しに目をやると、やっぱりあっとなって固まってしまった。
 イーブイの体が、光っている。
 イーブイはどうか分からないが、少なくともニンゲンと俺は持ち望んでいた、進化の金色の閃光。
 目で捉えたときには既に体は光に完全に包まれていた。光の中で姿かたちをかえるだなんて、何と神秘的なことか。自分には進化というものが無いだけに、余計にそう感じる。
 そして、じきに光は収まる。イーブイはまだ口をあんぐり開けている俺から飛び降りると、かゆいのかくすぐったいのか、首を捻る。進化の終わりは、意外に呆気ない。
「お、おい、イーブイ……」
「…………わー……」
 これがあたらしいぼくか、などと言いながら前足を見て、背中を見て、腹を見て、尻尾を振ってこちらを見た。
 イーブイの時とは打って変わって触ればひんやりさらさらであろう蒼い体毛。額の氷の結晶と、両耳の付け根から下がる飾り毛と、尻尾は水晶のように美しく、鋭くなった。
 ニンゲンに教えてもらったイーブイ八変化では、たしかグレイシアとかいったと思う。
「とりあえず家の中に戻ろう。俺がニンゲンに祝わせてやる」
 まだ半分夢の中にいるような表情をした彼女を引っ張っていった。

 ニンゲンが家に戻ってくると、珍しく駆け寄ってきた俺を軽く撫でて、コートを椅子にかけてせっかく黙らせた箱の電源を入れて、カーペットの上で寝そべって休日のオヤジモードに突入しおった。そんなニンゲンに腹が立ちそうになったが、いつものことだと思いとどまる。
 向こうがいつもどおりなら、こっちがいつもと違えばいいんだ。
「おいニンゲン、今すぐ街に行って最高級の刺身と肉と買って来い。今日はそれぐらいしないと割に合わない」
「な、何だぶっきらぼうに?」
 障子を背にして、ニンゲンを基準としてテレビと俺の為す角は直角より少し大きい。障子の向こうには、もちろんグレイシアが畳の上にお座りで控えている。

「よっしゃ分かった。待っとれ」
 椅子にかけたコートを掴んで財布のなかを覗いたあとの表情に不安を感じたが。

 ニンゲンを待つこと数時間。天井近くにかけられた時計をグレイシアと一緒に眺め続け、おそいね、まだかなと僅かな言葉のキャッチボールにも飽きてきたころにニンゲンが帰ってきた。この村は人間が少ないのはいいが、物資の供給も同じく少ないのは不便だ。

「うんっ。ありがとう」
 恐ろしいほど静かで、落ち着いて、彼の他は誰もいない雪の夜半に、舞台に舞い降りた妖精が一匹、屈託無く笑って、こちらを向いた。まぶたに古傷のついた目を細めて折れた牙を見せて。頬も破れたような痕があるし、進化前と同じく右耳の付け根に噛み千切られたように傷が残っている。月を背にしたため体のこちらに向けた側には影を落とした。
 それでも、酷なことかも知れないが、その傷が彼女の短所になるわけでもなく、むしろ一層魅力を引き立てて、もふもふじゃなくなったのは少し残念だが、さらさらの蒼い毛並みが雪灯りに映えて、綺麗だ。
――少なくとも俺のことは、信頼してくれたんだな
 見たことの無い彼女の笑顔をぼんやり眺めているとそんな気がして、こちらも口元が緩んだ。
 雪はいつの間にかやんで、空にはお月様がこうこうと世界を見守っていた。
 ざく、ざく
 雪を踏み分けてグレイシアが寄ってきたら、無意識のうちに後ずさっていた。
「きみは、ぼくのことがきらいなの?」
「いや。そんなことはない」
 人間によれば、自分のことをぼくだと呼ぶのは前の主の趣味らしい。
 まただ。彼女が一歩前に出れば、俺は一歩後ろに下がる。おかしいな。
「ほらまた」
 そもそも人間ですらないのだから怯える要素は何も無い。なのに、なのに。
「嘘、じゃないんだ。イーブイも、ニンゲンも、好きだってのは」

 彼女のほうが実力が上になったから?

 もう後ろがない。何があるって、



「……ねぇ」
「ん?」
 二匹で雪の上に倒れこんでお月様を見上げながら。
「こわかった?」
 何を言っているんだろう、と思ったのは一瞬。小さく首を縦に振ると、クスクス笑った。
「ぼくはこわくなかったよ」
 そういって顔をこちらに向ける。呼吸は大分整ってきていた。それでも目はうつろだったが、焦点は俺に合っているように見えた。
 いくら火照った体でも積もった雪はさすがに寒い。隣の彼女はタイプ柄なんとも無いようだが。
「つぎはこわくなんかないよ」
 こっちを向いて、欠けた牙と歯を見せて目を細めて笑う彼女に何も言い返せないまま、うん、とだけ返事をするしかなかった。

「おいっ、おいっ、大丈夫か」 
「どうした!」

「いきなり苦しみ始めて吐いたんだよ」

「なあ、ニンゲン、グレイシアは大丈夫なのか。こういうのは専門だろ?」
 いつに無く真剣な顔で、グレイシアを仰向けにさせて、背をなでたり腹を触ったり、心配だから最初は俺もそばでちょろちょろしていたのだが、邪魔だと怒鳴られて隣の部屋に退散した。
 しばらくは止まっていられたが、三つほど数えるともういても経ってもいられない。獣医なんだから大丈夫に決まってんだろ。時計を見ると、いつもはきびきびと働く一番長くて細い針が今日は怠け気味に見えた。


「妊娠だ」
「……は?」

「父親は誰だ? アブソル、知ってる?」
「……さぁ?」
 悪いけどニンゲンには孵ってからのお楽しみにしておこうか。

IP:218.122.77.5 TIME:"2012-04-30 (月) 03:57:23" REFERER:"http://pokestory.rejec.net/main/index.php?cmd=edit&page=%3A%E3%82%AA%E3%83%9E%E3%82%B1" USER_AGENT:"Mozilla/5.0 (Windows NT 6.1; WOW64; rv:11.0) Gecko/20100101 Firefox/11.0"

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