「オロチ、いる?」
私の呼び声が高らかにこだまする。
地下二キロメートルに建設された
人工的大空洞。例えるなら、巨大なモンスターボールの内部。
私が立つ
出入り口は、まさにモンスターボールのスイッチの部分に位置していた。
内壁はすべて
結晶で被覆されている。六角形にパネル化され、整然と
蜂の巣構造をとるよう並べられた結晶は、私には分からない原理で自己発光している。
波長がランダムに変化する光が前後左右上どこからでもやってきて、視神経にけたたましく干渉する。狂う遠近感。
「オロチ、返事してよ」
果たして、私が捜していた竜は――否、捜すまでもなかったが――大空洞のど真ん中にいた。
電磁浮遊しながらゆったり自転する『
匣』の中で、彼は繭のように体を縮こめていた。多数の
菌糸が体中に接続されていて、目は
閉じている。
待機モードであれば、匣が私の音声を認識してブリッジを渡してくれるはずなのだが、その気配はいっこうに訪れない。
「あいつ、
電源をOFFにしてやがる」
匣は私を嘲笑うように自転軸をふらふらと傾けた。強硬策に打って出るしかない。
「あんまりこれやりたくないんだけどな」
匣までの距離は五〇メートル。尻尾の
推進器を斜め下向きにして点火すれば、私の体は見事に噴き上がり、放物線を描いて彼の元に到着するはずだ。多分。
もし私がコウベのように飛行機能を持っていたらと思う。なぜ私は鳥型なのに飛行できないのか。私を設計した旧人類は何を思って私をこのような形にしたのか。
百万年前の仕様に文句を言ってもしかたがない。
「発射!」
久々の
万有斥力モード。出力を誤ったと気づいたのは、匣に凄まじい勢いで衝突してからだった。素早く体表面に磁性を発現させ、匣にべたりとくっつく。
〈
Abnormal vibration was detected. The function has been deactivated. 126 seconds left to reboot the OS.〉
「……おい」
キレ気味の音声が竜の喉から発せられた。外部刺激による無理矢理な
立ち上げは非常に神経に障ると聞いたことがある。
「なんだ、ちゃんと起きてるじゃない」
匣から顔を出した竜の、ブルーとイエローに発色している双眸の量子ドットスクリーンは「吊り上がった目」を表示していた。なるほど、いつも冷静なこいつにも怒りの感情回路を発火させる芸当ができたらしい。
「何、私が悪いの? いつもみたいに
待機モードにしときなさいよ」
私は匣にへばりついた間抜けな体勢のまま、精一杯の虚勢を張った。竜は呆れたように、「充電効率が低下する」とだけ言ってそっぽを向く。
「たかだか数パーセントの充電効率と引き換えに来訪者への
反応速度を犠牲にするのはどうかと思うわ」
「……用件は」
「外の充電器が壊れた」
「それを早く言え」
匣からブリッジが飛び出て、ゲートまで延伸する。
オロチは即時に
疾走形態へと変形し、流し目で私を一瞥した。
「乗れ、ツツミ」
「振り落とさないでよね」
かっこよく飛び乗るつもりが、前につんのめった。
そんな私にオロチは構うことなく発進する。
彼の肩から延びるハンドルは、私でも握れるよう磁性を持たせている。
「相変わらず座り心地は最高ね」
「そうか」
匣からふわりと飛び降りたオロチは、そのままゲートに突っ込んだ。
〈
The administrator leaves the CAVE. The system was switched to administrator-absence mode.〉
オロチそのものが
大空洞の鍵となっているため、出入り口を塞ぐ五重のゲートは近づくだけで
主にかしずく。
大空洞に入ろうとするたびに頭の悪い
生体認証システムに弾かれる私とは対照的だ。毎回五十桁のパスワードを五回打ち込むハメになっている私のアナログな苦しみをオロチにもぜひ味わってもらいたいものだ。
「速度を上げるぞ」
「はーい」
オロチの青白く光る
車輪が躍動する。大空洞から地上へと繋がる通路は螺旋状。一二〇パーミルの急勾配を緩やかな左回りで延々と登っていく。全長約二〇キロメートル。
この長ったらしさこそが、コウベやカイナが大空洞を訪れない理由だ。私は尻尾の
推進器とスキー板状の足のおかげで通路の行き来は苦ではないが、皆にとってはそうではない。
昇降機はあるが、オロチが緊急時以外の使用を禁じてしまっている。
オロチが大空洞で何に執心しているのかは誰も知らない。そもそも、大空洞が造られた目的すらも分からない。
莫大なエネルギーが満ちていることだけは理解出来る。宇宙線発電システムは私の祖先が
生産される遙か前にぶっ壊れたらしいが、月に蔓延る機械生命体ががちゃがちゃと動き回れるのは、大空洞に蓄えられているエネルギーを使えるからだ。
オロチいわく、向こう五千万年は枯渇しないとか。そんなに必要ないと思うけど。
「そろそろ地上だ」
緩やかなカーブは終わり、最後は一キロメートルの直線。時速二〇〇キロメートルを保ったまま、出口にぐんぐんと近づいていく。
〈
The gates open.〉
一体となった竜と鳥が、
素粒子エンジンから白い軌跡を放出しながら飛び出した。白い砂の荒野が目の前に広がる。
「どう? 久しぶりの外の空気は?」
滑空形態へと変形した竜に、私は快適なドライブのために上ずったテンションで尋ねた。
「この星に空気と呼べる代物は無い。
母なる星の附属物たるこの星の大気の密度は地球の百兆分の一程しか――」
「はいはいあんたの読解能力に欠陥があることを考慮せずに話しかけた私が馬鹿でした。五年振りに地上に出た感想を述べてください」
「厳密には四年九ヶ月二十五日十一時間五十八分九秒だ。特に感慨は無い」
「……あっそ」
無味乾燥。無風流。いかに機械的でない機械生命体を造るかに苦心した旧人類がこいつを見たら、がっかりすること請け合いだ。
「……あれはなんだ? なぜ
蒼碧の天帳に大きな穴が空いている?」
オロチが指摘したのは、上空の異変。地球のように大気や磁気バリアを持たない月に、旧人類が創造した人工のバリア。
旧人類のみならず機械生命体すら脅かす太陽風プラズマの脅威は、そのバリアによって無毒化される。地球外で生活を営みたかった旧人類の叡智の結晶。
私が素晴らしいと思うのは、どんなときも風情を重視した旧人類の気質がそれに表れていることだ。たとえ必要が無くとも、バリアは地球のように青い空を見せてくれていた。
――そんな
蒼碧の天帳のど真ん中に、どでかい穴が空いていて。
青く輝く星がてらてらと覗いている。
「隕石のせいじゃない? 一年ぐらい前に掠めてったでっかいやつ」
「なんだと? 報告は受けていないぞ」
「んまあ、してないし」
「地下の観測機にも引っかかっていない」
「大昔の機械の性能を過信しすぎじゃない? 前々から言ってるじゃん。引きこもってないで外出なよって」
「……以前よりもノイズが頻出するとは思っていたが。穴が大きすぎる。あれでは自己修復もままならん」
ここにあるものはすべて旧人類がいた時代の遺物だ。
宇宙塵や隕石を打ち落としてくれる
巨神兵型
自動迎撃人形も、私たちを包み込んでくれる偉大な
蒼碧の天帳も、そして私たち機械生命体そのものも。
生命を老化させ、機械を錆びつかせる原因となる酸素分子と水分子。月面にはほとんど存在しないから、ものの寿命は際限なく延びたように思えるけれど。
大空洞という
時代錯誤遺物さえ無ければ、月はとっくの昔に死の星だ。
旧人類は月面での生活に限界を感じて、かつての地球のような住み良い惑星を探しに太陽系外へと飛び出していった。機械生命体は旧人類に比べ月の環境に適応できていたから、一部は月に残ることを選び、旧人類とそれについていく機械生命体たちに別れを告げた。
『いつの日か、君たちを迎えに来る』
彼らはそう言い残した。その時には、きっと彼らは新しい形へと進化している。そして私たちを彼らの築いた楽園へと連れていくだろう。
月の機械生命体たちは漠然とそんな神話を語り継いでいるが、九割九分九厘、月とともに朽ちていくのだということを皆理解している。
「あった、あの充電スタンド」
半径二〇〇メートル、深さ十五メートルのクレーターの中心に、鉄の
東屋がぽつんと立っている。
クレーターの縁に着陸すると同時に、オロチは
疾走形態へと変形した。滑るようにスタンドへと走り寄ると、充電器のそばには六枚の翼でゆるゆるとホバリングするコウベと、充電切れでシャットダウンしているカイナがいた。
私はかっこよく飛び降り――られずに地面につんのめる。
「呼んできてくれてありがとねェ、ツツミちゃん。オロチくん、久しぶりだねェ。五年ぶりじゃない?」
そんな私を立て直しながら間延びした声で語りかけてくるコウベは、顔面のすべてが量子ドットスクリーンで覆われている。いつでも目の表示が上向きの弓なりとなっている『にこやかモード』なので、コウベのボディには『通常モード』がインストールされていないのではないかと私は訝しんでいる。
「正確には四年九ヶ月二十――」
「ああもうそういうのいいから」
オロチの言葉を遮って、充電器を診るよう促した。
「これでカイナくんも動くようになるかなァ」
「大丈夫。オロチが絶対になんとかしてくれるよ。……今さらだけど、他の充電スタンドで充電すればよかったんじゃない?」
コウベはゆっくりと首を振る。
「カイナくんはここじゃないと充電したくないんだってぇ。電荷の質が違うとかなんとか……」
気のせいに決まっている。充電スタンドなんてどこも同じ規格だ。だが、馬鹿にするつもりはない。
カイナの謎のこだわりの強さは、旧人類のそれに通じるものがある。それは――愛すべきものだろう。
☆
月面にあるもの。
旧人類の住居。一様に白い正方形で、彼らいわく「トーフ」という地球にあった食べ物に似ている。
機械生命体たち。五キロメートル四方の居住可能区域に、それぞれが思い思いの場所にいる。
オートマトン。パラボラアンテナ。充電スタンド。ロケットの破片。月の砂。
見慣れた風景。月が繁栄していた時代はもっと色彩豊かだったらしいが、今はどこもかしこも白っぽくて殺風景だ。
――
蒼碧の天帳が穿孔したとき、私は覚えたのは危機感ではなく、強い憧憬だった。
帳の向こうに薄ぼんやりとしか見えていなかった
母なる星が、闇の中で鮮やかに輝いている。今はもう住むには難しくなってしまったようだが、昔の地球はどれほど素晴らしい場所だったのだろうと思いを馳せる。
「あ、ツツミちゃーん!」
頭上からコウベが飛来する。いつもと変わらない笑顔。
「どこ行くのぉ?」
「オロチのとこ。カイナの充電が終わったあのあとに、三日後に来いって言われて」
「わたしもついてっていーい?」
「ご自由に」
コウベが大空洞に来たがるなんて珍しいこともあるものだ。
「おわっ」
コウベが私の体を持ち上げた。
「こっちのほうが速いでしょお?」
「んじゃあ、お言葉に甘えて」
凸凹した土の上は滑走できない。コウベの言うとおり、運んでもらった方が早い。
大空洞行きの地上ゲートからは役割を交代した。コウベは私のツノに両手で掴まり、私は継ぎ目のない滑らかな通路を時速二〇〇キロメートルで滑走する。
「ツツミちゃんってオロチくんのこと好きなのぉ?」
「何? 藪から棒に」
「だってぇ、
大空洞なんてつまらないところに通う理由なんて、それぐらいしかないでしょぉ?」
「コウベ、あのね、私たち機械生命体の優れているところは生命誕生の時代から連綿と続いてきた生殖とそれに関わる近傍概念すべてから脱却できたことにあって」
「急にオロチくんみたいなこと言うんだねぇ」
「なっ」
「ああ、急に速度上げちゃだめだよぉ」
推進器の暴走。こんなところで事故ったらオロチに烈火のごとく怒られる。
なんとか体勢を立て直し、コウベに「変なことを言わないで」と釘を刺した。
「でも、わたしはカイナくんのこと好きだよぉ?」
「……未塗装のボディに生まれ変わっちゃったのに?」
「うん。色が無くなっちゃってもカイナくんはカイナくんだよぉ」
☆
「なんだ、ツツミだけじゃなかったのか」
黒光りする匣から顔を出したオロチは、開口一番にそう言った。
「だめ?」
「いや、コウベなら構わない。カイナがいなければいい」
ゲートにたたずむ私とコウベは互いに顔を見合わせる。
「どういうこと?」
竜が
匣から降りてきて私たちに向かい合うと、あー、とか、うー、とか、何かを言いよどんでいる。彼らしくない。
「オロチ?」
彼は一つため息をついて、口を開いた。
「カイナのボディの
在庫が切れた」
時が止まったような静寂。大空洞の内壁を埋め尽くす
結晶だけが空気を読まずにキラキラと輝いている。
コウベの顔を見る。『にこやかモード』ではない彼女の表情を見たのは初めてだった。『通常モード』を通り越して『悲しみモード』が表示されている。
「そんな……」
コウベはやっとのことで声を絞り出した。
三日前の充電スタンドでのこと。カイナを満タンに充電しても、彼の右手は持ち上がらなかった。
オロチが診断した結果、単純な接続不良ではないということだけは分かった。分子レベルで精密に組成されている機械生命体の不具合は、オロチですらどうにもならない。
カイナの前回のボディ交換は六十年前だった。あまりにも寿命が短すぎやしないかと誰もが思ったが、そもそも初期不良があった可能性も否めない。
結局、古いボディから新しいボディへ換装することになった。旧人類や従来のポケモンは生殖で命を繋いでいくが、機械生命体は体を新品にすることで分子機械化されたDNAを次に繋いでいく。記憶も
おおよそ引き継がれる。
カイナは生まれ変わった。ただ、オロチは未塗装のボディしか用意できなかったといい、頭部と足のネイビーブルーが無くなって見栄えが悪くなってしまった。
でも、今なら理解できる。カイナのボディの在庫は、未塗装のものがたった一つだけしか残されていなかったのだ。見栄えなど些末な問題だった。
「カイナだけではない。皆の分の在庫もあまり残っていない」
旧人類は、月に残る機械生命体たちのために、莫大な量のストックを造って残していった。しかし、それが底を尽きてしまうほどに時間は経過していたのだ。
「もってせいぜい百年だろう」
オロチが淡々と告げる。
「嘘でしょ?」
「カイナの古いボディの早くにダメになった原因は、おそらく
蒼碧の天帳が破損したせいだ。有害な太陽風プラズマや宇宙放射線に曝されては、頑強な機械生命体といえども
耐久年数は飛躍的に早まってしまう。お前たちの体にも少なからずダメージが蓄積されているはずだ」
狼狽、そして悄然。オロチは、そんな私を真っ直ぐに見つめている。
「百年じゃ、来ないよね」
コウベが独り言のように言う。
「何が……?」
「新人類」
彼女の顔は『にこやかモード』に戻っていた。
「わたしね、新人類が迎えに来るっていう預言、けっこう楽しみにしてたんだぁ。……ううん、というより、それだけが楽しみだった。あ、カイナくんとお喋りすることも楽しかったよ? でも、カイナくんもまたすぐダメになって、わたしも、ツツミちゃんも、オロチくんも、ほかのみんなもダメになるんでしょ? ……なんだが、気が抜けちゃったなぁ」
神話が成就せずに終わるなんて、心のどこかでは分かっていた。けれども、何万年、何十万年、何百万年と月でぼんやりと暮らしているうちに、なんとなく未来は永遠だと思い込んでいた。
「地下で
冷凍睡眠して、来たる時を待つという手もある」
神話をなおも信じるなら、妥当な提案に思える。しかし、
「それは、嫌だな」
コウベがオロチの提案にはっきりと物申した。
「みんなと話せなくなるのは、嫌。
冷凍睡眠ってひとりでカプセルの中に入って、ただじっと待ってなきゃいけないんでしょ。みんなと一緒なら何億年でも待てるけど、ひとりぼっちは一日でも耐えられないよ」
間延びしないコウベの音声を、私は初めて聞いた。オロチは長い思案のあとに、「ツツミはどう思う」と私に意見を求める。
「私は……」
私たちは、臆病だった。辛い太陽系外への旅路を拒否して、月での安住を選んだ。
間違いだったとは思わない。最初から旧人類に太陽系外へ連れていってもらえばよかった、なんて言うのは今さらだ。それでも、もし何かを求めていいのなら。
「私は……有意義な終わり方をしたい」
もう楽園には行けない。せめて、意味のある終焉を。
「有意義な終わり方……か」
オロチの目が閉じる。
「一つ、提案がある」
オロチが翻り、匣に乗り込んだ。
「……在りし日の楽園への片道切符に興味はあるか?」
〈
The Time Machine was activated.〉
☆
目指す時空はおよそ一億年前の
母なる星。
旧人類が私たちに残した
時空転送装置は、何十世代にも渡ってオロチによりずっと
保守されていた。
もし月がダメになり、楽園も望めなくなったならば、せめて過去に存在した楽園に還れるように、と。
「楽しみだねぇ、大昔の地球」
コウベの
顔は心なしかいつもよりハイトーンだ。
「……そうだね」
この三日間、コウベやカイナと一緒に、月の事情とオロチの提案を月面のみんなに話して回った。
反応はさまざまだったが、拒む者はいなかった。月で延々とボディを付け替えて命を繋いでいくよりも、地球で最期を迎えるほうがずっとわくわくすると思ったのだろう。
あの青い星は、神話と同様に、機械生命体たちの憧れだった。
☆
「オロチ、来たぜ」
大空洞のゲートに呼びかけるのはカイナ。私とコウベが次いで並び、その後ろには大勢の機械生命体たちが控えている。
ゲートが、ゆっくりと開いていく。
「入れ。準備は完了している」
大空洞は、さらに様変わりしていた。
球状の空間を上下に隔てる半透明の床。中央には匣が設置されていて、オロチが中で悠然と佇んでいる。
そして、オロチの真上――天頂には、まるでブラックホールのようにすべてを吸い込んでしまいそうなタイムマシンが静かにうなりを上げている。
「各自、壁に沿うように配置してくれ」
オロチを除く百五十体の機械生命体たちが、匣を取り囲むように円形に並んだ。
「皆、ツツミやコウベ、カイナから十全に説明を受けたと思うが。今一度説明を行う――」
なんだか実感が湧かない。月を捨て、神話を捨て、私たちは楽園へ赴く。
オロチの機械的な説明は月面の景色のように単調で、時空の向こう側への憧れを増幅させる。
「――以上、質問のある者は?」
皆、互いに顔を見合わせる。オロチの完璧な説明を理解できない者はいないはずだ。
「質問いーい? オロチ」
ワダチが挙手の代わりに背中から伸びるトレッドを挙げた。
「ぶっちゃけ、これってどれぐらいの確率で成功すんの? わけわかんない時代の宇宙空間に放り出されたりしない?」
どよめきが起こる。今まで一度もその役目を果たしたことのないタイムマシンの信頼性を疑いたくなるのはもっともだった。
「……俺はタイムマシンの管理は行っていたが、設計者ではない。成功確率は俺にも分からない」
思わぬオロチの回答に、さらにがやがやと騒がしくなる。
「だが……これを造ったのは旧人類だ。俺たちがどれだけ彼らの技術の恩恵に預かってきたかは言及するまでもない。俺たちの旧人類に対する信頼性が、そのまま成功確率の数値と言えるだろう」
オロチが具体的な数字を羅列しないのは、らしくない。けれども、これ以上合理的な言葉はない。私たちは旧人類に大して無類の信頼を置いている。ゆえに、タイムマシンを疑うことはあり得ない。
「馬鹿なこと聞いてゴメン。詫びといっちゃなんだけど、オレが一番手行かせてもらいまーす」
ワダチが茶目っ気たっぷりにウインクする。あんなことを聞いておきながら、実は
時空転送を心の底から楽しみにしていたのではないか。
「他に質問がなければ、時空転送を開始する」
オロチが再度問うが、誰ひとりとして反応はしない。
「……よろしい」
〈
Set the destination to Earth 100,382,245 years ago.〉
螺旋状の
スロープが出現する。ぐるりと二周して、最上部の
吸い込み口へと
誘うそれはまさしく楽園への道。
〈
Start the space-time transfer.〉
「ワダチ、行け」
「合点!」
オロチの号令とともに、ワダチは車輪のごとく猛烈な勢いでスロープを駆け上っていく。そこには一切の躊躇はなく、楽園への渇望だけがあった。
ワダチが吸い込み口へと飛び込む。タイムマシンは、しゅん、とわずかばかり赤く光った。ワダチの姿は一瞬にして消えた。
「行っちゃった……」
まるで何事もなかったかのように。時空転送は達成されたように見えた。
しんと静まり返り、タイムマシンの不気味な駆動音だけが
大空洞をこだましている。
「どんどん行ってくれ。何時間も安定して作動させられる自信がない」
オロチの言葉を皮切りに、堰を切ったように機械生命体たちがスロープへとなだれ込んだ。
「よっしゃ、行くぜ!!」「僕も!」「アタシも!」
次々とタイムマシンに吸い込まれていく仲間たち。非現実的な光景に、私はただただ圧倒されていた。
「カイナくん、一緒に行こう!」
「わわ、押すなよコウベ!」
コウベが重量感のあるコウベを力強く押してスロープへと運んでいく。
「あれ、ツツミちゃんは来ないの?」
「……私は最後に行くよ」
「そっかぁ。じゃ、また地球で会おうねぇ!」
コウベは手を振る代わりに、頭の飾りをマゼンタ色にちかちかと点滅させた。
☆
百四十九匹目がタイムマシンに吸い込まれ、残るは私と、匣に乗り込んでいるオロチの二匹のみ。
「どうしたんだ、ツツミ。早く行け」
私は、大空洞の端で佇んでいた。
「行かないよ、私は」
「……何を言う」
オロチが怪訝な顔つきをする。
「オロチ、私に隠しごとしてるよね」
「何の話だ」
「タイムマシンの動力源は何?」
「……」
「オロチ自身だよね?」
「……」
私は滑りながら徐々にオロチに近寄っていく。
「おかしいと思った。タイムマシンを動かしてる間、ずっと匣から出ようとしないんだもの」
「……匣の操作盤は、
素粒子エンジンが点火されている状態の俺が接続されていなければ動かない」
「どうしてそういう大事なことを先に言わないのよ!」
私はヒステリックに叫んだ。
「……オロチが行けないなら私はここに残る」
「馬鹿を言うな」
「ッ! 馬鹿はそっちでしょ!」
匣を思いっきり叩いた。オロチが体を仰け反らせる。
「全然私の言うこと聞いてくれないし! 何度遊びに誘っても全然外に出てきてくれないし! 色々やることがあって大変だったのは分かるけど! ……分かるけど」
「……すまない」
「……ねえ、私、オロチのこと凄く好きだよ」
「俺もツツミのこと好いている」
「だったら一緒にいようよ。オロチがいるなら私は月で死んでもいいよ」
こんなことになるならもっと早く思いを伝えるべきだった。
「……ツツミ。こっちにおいで」
匣が開く。私は間髪入れずに飛び込んで、オロチの胸に背中を預けた。
「わあ……」
眼前いっぱいに広がるスクリーン。
「ミライドンという名の初代の俺が記録していたものだ。一億年前の地球の景色だ」
「……綺麗」
オロチの熱を感じながら、私は空の青さと茂る緑に見とれている。
「ノイズだらけの映像でもこの美しさだ。実際の景色はいかほどだろうと思わぬ日はなかった」
オロチのしみじみとした語りが、私の核をきゅうと締め付けた。
「ツツミ。もし俺の願いを聞いてくれるなら」
「……うん」
オロチに向き直る。
「俺の代わりに、その目でかつての地球の美しい景色を目に焼きつけてくれ」
★
「ツツミちゃーん!」
頭上から見知った影が飛来する。いつもと変わらない『にこやかモード』。
「どうしたの?」
「あっちでブジンくんが変なキノコ見つけたんだってぇ! 見に行こぉ!」
コウベはそのまま高度を上げて、どこかへ飛んでいった。
「あんなにはしゃいだら充電切れしそうね」
従来の生命体の呼吸機構を模した酸素発電機能。月では無用の長物だったが、充電スタンドがない今、これが私たちの命綱だ。
厳めしい岩肌。滝の落ちる音。草木のさざめき。切り取られたような天空の青。
オロチが見たかった景色。
「あれから五年かあ」
感傷的な気分のまま、コウベが飛んでいった方向とは真逆に、尻尾の
推進器をふかして下へ下へと滑り降りていく。
私たちが転送されたのは、広大でありながら、どこか閉じ込められていると錯覚させられるような場所。切り立った岩壁に囲まれていて、私たちはその外側の一切を知らない。
けれど、それでも良かった。月の居住可能区域より断然広かったし、何よりも楽しい。毎日のように新しい発見がある。
降りきった先に、大洞窟への入り口があった。
大洞窟の中には、私がとびきり好きなものがある。
地球の神秘が表出したような、大きな
結晶。視神経が狂いそうになるほど眩く輝くそれは、月の
大空洞の輝きに似ていて。
そして、彼を思い出せる。
彼はどうしているだろう。今も匣の中で眠っているのか。いや、今は彼がいた時代の一億年前だ。この時空に彼はいない。
いないはずなのに。
「嘘……」
信じがたい。私のOSがついに誤作動を起こしたか。
「オロチっ!」
洞窟の最下部を見下ろす。誰も寄りつくことのない場所。
蒼い竜が――倒れている。
「オロチっ!!」
脇目も振らず飛び降りる。地面に激突する前に起動しようとした
万有斥力モードはポンコツで、私はしたたかに腰を打ちつけた。
それが功を奏したのか、蒼い竜はその音で
待機モードから目覚めたようだった。
「ツツミ……?」
オロチの外殻は、驚くほど艶を失っていた。煌めいていたチタン鋼の爪はガサついて、左目の量子ドットスクリーンはほとんど輝度を失っている。
「どうやら……同じ場所に……辿り着いたようだな」
「どうやって……」
言葉にならず、ただ彼に抱きついた。
素粒子エンジンが静かに唸る。
「ただ神話を信じていただけだ。……
冷凍睡眠で、五千世紀ほど、な」
終
以下追記
イメージソング:
絶世生物 (Mrs. GREEN APPLE) クリックでYouTubeに飛びます。
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