花の式日 連作短篇集
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作者からのお願い:読む前に必ず花の式日を読んでね。
「おはようございます、我が愛しの王」
昇ったばかりの陽が、城の窓枠から差し込んでくる。簡素な玉座に座っている
僕――ネイティオは王の頬を翼の先でそっと撫でた。
「ム……」
王の目が開かれる。菱形の麗しい瞳は濡れそぼち、艶々としていた。
「おはよう……である」
まだ夢を貪りたそうだが、二度寝をねだる王ではない。真面目――だと思う。正直、少しくらいは「まだ寝かせておいてほしいである」と甘えてくれてもいいのではないか。
まあ、ただの僕の願望にしか過ぎないのだけれど。甘やかしまくったら王と言えど堕落するのではないか――そういう姿を一度見てみたい、という暗い欲望だ。
王は体を完全に目覚めさせるために大きく伸びをして、悠然とした所作で玉座を降りる。行き先は食堂だった。
「本日は春野菜の盛り合わせです」
王に随行しながらメニューの説明をするが、一年中変わり映えしない献立をわざわざ言う必要はない。
春なら春野菜、夏なら夏野菜、秋なら秋野菜の盛り合わせだ。冬は――晩秋に収穫した野菜を雪の中に埋めて保存しておき、それを食べる。
もっとも、王の豊穣の力があれば、たとえどんな季節でも、どんな野菜でも食べることができる。種を畑に蒔けば、一日と経たずに芋や実が出来上がるのだ。
だが、力をみだりに使わないのが王の方針だった。民が地道に耕し、堆肥を混ぜ込み、汗を流して世話をした畑こそが強いのだと王は信じている。力は、自然の猛威が民を困窮させたときにこそ解放するべきなのだ、と。
異論はなかった。王におんぶに抱っこでは、民が堕落する。堕落は王への忠誠が疎かになることへ繋がり、信仰が薄れ、王の力は弱まる。そして王の弱体化を嗅ぎつけた異邦の民が攻め込んできて、この平和な国は滅びる。
僕の視る未来は、たった一つに確定されたものではない。幾つもの分岐点が生じていて、そのいずれかの未来に行き着くことは解る。
そのうちの一つが、前述した滅亡への筋書きだ。今のところ、そのルートを辿る確率は限りなく低い。向こう二十年は安泰とみた。
が、それは現在直面している問題を完全に解決できればの話、だ。
「王、本日は――」
「解っている」
王は黒い人参を頬張っていた。本来であれば、レイスポス――呼び名は時期によってブリザポスに変化することもある――の餌だが、どうも今年に至っては豊作が過ぎて腐らせてしまうほどに余っているらしく、こうして王や僕の皿に並ぶ。
ちなみに用意したのは僕だ。意外と馬鹿にできない味なのだ。
「身支度が終わったらすぐに発つ。レイスポスを待機させておいてほしいである」
「御意に」
西方に、暴れまくって手がつけられない輩がいるとの報告があったのは先月のことだ。こちらの領地を侵しさえしなければ様子見を続ける予定だったが、先日ついに領地内に侵入ってきた。
しかしながら、徒党を組んだ破落戸や盗賊団の類ではない。たったの一匹だった。聞けば、どこの国の者でもない、はぐれ者だという。尖兵を十ほど行かせれば容易く鎮められるだろう。未来を視るまでもなかった。
――はずだったのだが、尖兵たちはことごとく跳ね返されて、ボロボロになって帰還した。まるで歯が立たなかったと兵たちは異口同音だった。
王はそわそわしていた。大事になる前にヨが出向いたほうがいいのでは、と仰ったのを、王がお考えになっているほど深刻な事態ではありませんと制した。
これ以上の失態を犯すわけにはいかないので、兵の数を五倍に増やした。未来視によると、討伐の成功確率は九割程度だった。一対五十の割りには微妙な数字だが、さすがにこちらの戦力だって王のために
結果は同じだった。催眠術やら吹き飛ばしやらサイコキネシスやらで、みんな一様にぶっ飛ばされて帰ってきた。
王は傷ついた兵たちを癒やしながら、
こればかりは戦力を見誤った僕にも責任の一端はあるため、王を宥めすかして誤魔化すのはちょっと厳しい。
「……今日はもう遅いですから、明日、討伐に行きましょう」
「うむ」
と、ここまでが事の次第だ。
レイスポスを厩舎から出し、城の前に待機させる。キズナのタヅナも準備した。レイスポスは久々に暴れられるのではないかという期待に、少し興奮しているように見えた。
「待たせたである」
身支度を整えた王はさらに見目麗しく、瞳には勇ましさを宿していた。僕は、そのしなやかで毅然とした佇まいに圧倒される。
「往こうぞ、レイスポス! ネイティオ!」
僕の翼からタヅナを取って、王はひらりと愛馬に跨がった。
レイスポスが後肢で立ち上がって
◇◇◇
王が馬に跨がり大地を駆ける姿は、ただただ美しい。王が出征すると耳にした民は、馬の蹄が地面を蹴る音が聞こえると一斉に住居から出てきて声を上げる。
「御武運を!」
「蕾王の世よ、
民の住処の間を縫い、畑を飛び越え、森を抜ける。まるで翡翠色の彗星が黒紫色の尾を引きながら地を切るよう。
空から王を追うが、己の最高速をもってしてもついていくのがやっとだ。
やがて民の影もまだらになり、ほとんど領地の端まで来た。馬の足が止まる。葉をつけない樹がわずかばかり植わっているだけの、ほとんど何もない吹き曝しの土地。僕も王の側に降り立つ。
果たして、件のはぐれ者は尖兵隊から報告のあった場所にいた。歯抜けの櫛のようにぽつぽつと生えている樹のうち、最も背の高い樹のてっぺんの枝に腰掛けている。
はぐれ者は遥か高みから馬に跨がる王、そして僕を見下ろしていた。
あの高さであれば、王と僕がこちらにやって来るのは早い段階で判っていたはずなのに、追い返そうとしてこなかったのは何ゆえか。
王は、はぐれ者を見上げている。極彩色の鳥擬きが、青い目を瞬きすらせずにこちらに向けていた。
敵意は間違いなく感じ取れる。だがこちらから仕掛けない限りは、向こうから攻撃してくることはなさそうだ。
「何の用だ」
不遜で、傲岸で、刺々しい声だった。空気を震わせて相手の鼓膜に振動を伝えるそれではなく、エスパータイプがよく用いるテレパシーだった。
「送り込んだ斥候たちがことごとく返り討ちにあったと聞いて、ヨが直々にやって来たである」
兵を送る判断を誤ったのは紛れもなく僕ではあるが、王はすべての責を自らに帰すような発言をした。
「ふうん。あれ、お前のところの兵士だったのか。弱すぎてまるで手応えがなかった。あんな雑魚どもに兵をやらせてるぐらいじゃあ、お前の国も相当に傾いていると見受ける。ご愁傷様だ」
安い挑発だ。真に受ける必要はない。が――
「……王?」
横目でちらりと王を見ると、顔を真っ赤にしてぷるぷると震えている。
「王、落ち着い……」
「ヨの臣民たちを侮辱するな! 甚だ遺憾である! 降りてこい! その心根、叩き直してくれる!」
僕はやれやれとため息をつくが、王が民を心から愛するがゆえに呈した怒りを取り鎮めるわけにはいかず、ひとまずは成り行きを見守ることにした。
「……まあいい。俺とやるんだろ? 掛かってきな」
鳥擬きはふわりと木のてっぺんから降りて、地上近くで停空した。
王は馬から降りて、はぐれ者に向き直る。
「馬に乗って戦わないのですか?」
「大勢相手ならいざ知らず、相手は一匹である。レイスポスには申し訳ないが、ヨの活躍を見届けてほしいである」
レイスポスは不満げだが、僕が持ってきた黒い人参をやると多少は機嫌を直した。
王の命令通り、僕とレイスポスは戦線から退き、はぐれ者との一騎打ちを王の後方から眺めることにする。
万が一王が劣勢になった場合に加勢できるように態勢は整えておくが、戦闘に関しては素人同然の僕が支援に回ったところで王の長い足を引っ張るのは目に見えているので、ただ王の無事を祈るのみだ。
心配はしていない。この国が周辺の国々と大きな戦争を起こさずに繁栄していけるのは、文字通り、ひとえに蕾王を頂いているからだ。
大昔、王がこの地に降り注いだ赤い災厄を大いなる力により振り払ったという伝説は至るところに口伝されていて、臣民たちもその伝説を布教することには余念がない(布教というよりはむしろ王の偉大さを自慢しているだけなのだが)。
だから、王が
(むしろ王のことを一切を知らない素振りを見せるこの鳥擬きこそ、稀有だ)
王に仕えてから二十年経つが、王に楯突く輩は初めて見た。王の偉容を見れば、今までの狼藉に対して反省する態度の一つや二つを見せてくれるのではないかと期待したのだが、まるで怯む様子はない。
もしや、あのはぐれ者は王の威光の及ばぬ遥か遠いところからやって来たのだろうか。
「往くぞ!」
王が構える。両腕から放ったのは、エナジーボールだ。
緑色の光輝を纏う球は不規則な弾道を描いてはぐれ者に向かっていく。
「……ちっ」
舌打ちが聞こえた、ような気がする。そして、極彩色の翼で、王の技を弾いた。
王の瞳がわずかに見開く。効果が今一つの技を、三割ほどの出力で撃ち出した。つまるところ小手調べだが、完全に掻き消されるとは思わなかったようだ。
(僕も同感……まさか一切のダメージも与えられないとはね)
王は強い。弱い出力の技でも、レベルの低い相手ならば大抵は一撃で吹っ飛ぶ。それを、この鳥擬きは片翼で吹き払った。
「……舐めてんのか」
鳥擬きの声が一層低く鳴り響いた。
「本気で来いよボケ!」
王に試されたことが心底気に食わなかったらしい。閉じた両翼から一気に解き放たれたエアスラッシュは、僕の目には到底追い切れない速度で王を襲う。
「王!」
炸裂。
「うぐっ……!」
王の体に無数の傷が走る。草属性である王にエアスラッシュは効果抜群だ。しかも、技の練度は想像を絶するほど高かった。生半可な受け方をしたら、王とて耐えきれなかったかもしれない。
「なぜ避けない」
不機嫌そうなテレパシーが伝わってくる。
「……ヨが避けたら、臣下と愛馬が傷つく」
王の後方に陣取ったことを後悔した。それはレイスポスも同様らしく、主の思わぬピンチに動揺の色を隠せない。
「……へえ」
はぐれ者は呆れとも感嘆ともつかぬ、妙な嘆息を漏らす。瞳が、どこか遠くを見つめるような、曇った色をしていた。
「お前はその足手まといの鳥と馬のせいで負けるわけだ」
「ヨは負けぬ。そして臣下と愛馬は足手まといではない。訂正しろ」
王は毅然とした態度で鳥擬きを睨みつける。あれだけ傷ついて王はなおも僕らを気にかける。
王は――自分の痛みや傷の一切を顧みずに臣下や臣民を慮る、慈愛に満ちた御方だ。この窮地でも揺らがないその態度こそ、僕が王に仕える最大の理由だ。
(おい、鳥。加勢しないとマズいんじゃないか)
(……いや、大丈夫だ。負けないと言っている王を援護するのは、王に対する侮辱だ。それよりあの鳥擬きの攻撃が当たらない位置まで避けよう)
レイスポスと密談するうちに、事態が進んでいく。
「つべこべ言わずに俺に勝てばいいだろうが」
鳥擬きがまた先ほどと同じ構えをとった。
(待ってまだ避けきれないから!)
空気を切り裂く音――まるで晴天をつんざく雷鳴だ。王にとどめを刺しかねない威力。
「少しイタズラが過ぎるであるな」
ぎゅあ、と聞いたことのない音とともに、空間が捻じ曲がった。王とはぐれ者を、不透明な霧がドーム状に包み込んでいる。
(サイコキネシス……なのか!? この桁外れな出力……恐ろしい御方だ)
巻き込まれないように馬をさらに向こう側へと追い立てる。
「何が起きているんだ」
馬の言葉に僕は返答しなかった。王の念力が空間の粒子の一つ一つを歪めたために、空気の屈折率がぐちゃぐちゃに跳ね回っている。あのサイコキネシスの効力が及んでいる空間の様子を、外部から正確に観測するすべはない。
一つ言えることがあるとすれば、鳥擬きは無事では済まないということだ。
(いたずらに他者を殺めるような御方ではないけど……)
はぐれ者の胴体が捻じ切れてしまっても不思議ではないぐらいの力だ。僕が千年生きたとしても到達できない領域。
ぱちん、と霧が晴れて、空が色を取り戻した。
「……もし王に逆らったら、物理的に首が飛びそうだね」
「笑っている場合か?」
空気が重苦しいのでちょっとした
鳥擬きは地面に伏せっていた。動く気配はない。王はくずおれているそれを見下ろしている。
何か悲しいものを見たような顔。王が僕に目配せをする。
「……
「……死んでませんよね?」
ヨが誰かを殺めるなどするはずがないだろう、と王は物言わぬ菱形の瞳でこちらを非難してくるが、あんなサイコキネシスを浴びたら並のポケモンなら命を落とす。まだ息のあるこの鳥擬きがおかしいだけだ。
僕は王のサイコキネシスとは似ても似つかぬ弱々しい念力で鳥擬きの体を浮かべ、馬の上に乗せた。王も馬に跨がるため、はぐれ者は馬の尻のほうに寄せたが、どうにも収まりが悪い。
霊馬も王以外の者が乗ることに難色を示したが、今の王にはっきりと逆らう勇気は持ち合わせていないようだった。
「さて、戻るである」
帰路は終始粛々としていた。集落へ着くや否や、民が四方八方から寄ってきて、
「流石我らが王、いとも簡単に脅威を討ち果たした!」
「武においても豊穣の王に勝る者はなし!」
と銘々に凱歌を奏でるが、当の王は切り傷だらけの己の体を癒やすことなく、馬の上で憮然とした表情を崩さずに前を見やるのみだった。
民衆が王の後ろをがやがやとついてくるが、
「しばしの間、臣下とこの者以外の城への立ち入りを禁ずる」
と低い声で一喝した。
戦を制したあとは城で宴を開くものだと思っていた民衆たちは一様に困惑の色を浮かべ、しかし王の命に背くわけにもいかず、城へ向かう王を立ち尽くして見送るほかなかった。
(機嫌が悪い、というより……落ち込んでいるのか)
王は濁った霧の中で、何を視たのだろうか。
◇◇◇
鳥擬きは丸二日間目を覚まさなかった。王が自らはぐれ者の世話をすると言い出して聞かず、ほとほと困り果ててしまった。いつこの鳥擬きが覚醒し、王の寝首を掻こうとするかわかったものではないのに、いったい何を考えているのか流石の僕でも理解しかねた。
王が夜中に眠る間は、僕が寝台に寝かされている鳥擬きを監視した。しかし、これが滅法辛いのだ。僕は一日のおよそ半分を眠って過ごすが、眠るにも昼間の明るさでは寝つけない。従って、眠気が拭えぬままに夜間の監視をする羽目になる。
「いい加減目を覚ますなりしたらどうだい」
寝不足の苛立ちをぶつけるように、眠っている鳥擬きに向かって呟く。一昨日はあれだけ殺気をまとっていたのに、目を閉じているとまるで別人だ。憑き物が落ちたかのような、安らかな表情だ。
(シンボラーってどこに口があるんだっけ?)
どうでもいいことを考えながら、眠気に抗う。いきなり起き出してこちらを攻撃してくる可能性もあるので、気も張らなければいけない。
(王はなぜこのはぐれ者をを連れて帰ろうとしたのだろう)
捨て置いたって誰も構いやしないのだ。暴れまくって誰彼構わず傷つけるような奴を、わざわざ世話をするのは物好きの所業だ。よほど王の琴線に触れるものがあったのだろうか。
(きっと僕じゃ及びもつかぬような……深謀遠慮が働いたの……だろう)
ああ、眠い。
目を覚ます。ハッと息を呑んだ。はぐれ者が寝台から姿を消している。
(マズいマズいマズいマズい!)
一目散に王の部屋へ向かう。絶対に王の部屋にいるという確信がある。
(王よ、どうかご無事で!)
失態などという言葉では済まされない。王に何かあったら、僕は冗談ではなく首を括らねばならない。
王の部屋の扉はわずかに開いていた。淡い光が漏れている。そして、テレパシーも流れてくる。扉に側頭部を預けると、テレパシーはより明瞭に意識に流れ込んできた。
「なぜ俺を殺さなかった」
「……その必要があったであるか?」
王とはぐれ者の会話は物騒だった。それにしても、鳥擬きの傲然たる態度は聞いていてハラハラする。
「あるだろう。護衛をひとりもつけず、こうして夜半に俺と対峙することを許してしまっている脇の甘さ。あの鳥は俺の監視役か? あんな間抜け面で居眠りする奴にお前の臣下が務まっているとはとても思えん」
間抜け面と言われて無性に腹が立ったが、役目をまったく果たせていなかったのは事実なのでぐうの音も出ない。
「ヨが勝手にオヌシの世話をすると言い出したのを見かねたネイティオが、夜の番を代わると言ったのだ。ヨが無理をさせたゆえの居眠りを責める道理はないである。ヨの落ち度だ」
「お前はその落ち度とやらで寝首を掻かれたかもしれないんだぞ。もっと危機感を持ったらどうだ」
僕は鳥擬きがその手段を選ばなかったことに心の底から安堵した。少なからず騎士道精神というものを備えているらしい。
「だいたい、俺を根城に連れてくるなどどういう
「そうであると言ったら?」
戦慄が走る。随分と挑発的な物言いだ。もしはぐれ者の怒りのツボに触れでもしたら、今度こそ王の身が危ない。
しかし、鳥擬きは意外な言葉を返した。
「お前の王たる器が真であるなら、喜んで仕えてやる」
僕はさらに耳をそばだてる。テレパシーだから耳を近づけたって何も変わらないのだが、とにかく体の芯をほんの少しでもふたりの会話に近づけたかった。
「だが、俺が仕えるに値しないと判断したら、今度こそお前の首を頂く」
「勝手にするがよい」
凄まじい会話の応酬に、思わず漏らしそうになった。鳥擬きはあれだけこてんぱんにやられたのに、王に対する不遜な態度を崩さないその胆力の源はいったいどこから来るのだろう。王も王でまともに取り合う必要がないにも関わらず、なぜ事を大きくしようとするのか。
程なくして鳥擬きが出ていこうとする気配がしたので、急いで近くにあった調度品の陰に隠れる。
鳥擬きの姿が廊下の先に消えるまで息を潜め、物音がしなくなってから王の部屋に滑り込んだ。
「王! ご無事ですか!」
「ム……ネイティオ。もしや今のやりとりを聞いていたであるか?」
王は恥ずかしそうに顔を伏せた。可愛い――などと感じ入る場合ではない。
「王、あんな啖呵を切られては困りますよ! 王が死んでしまったら皆悲しみます!」
「案ずるな。そのようなことは起こらないである」
王はともかく、何を考えているか解らないあの鳥擬きを信用することなどできない。
「しかしあのシンボラー、王に喧嘩を売るとはいったい何様のつもりなのか」
「……そう責めるな。あの者の国は」
滅びたのだ。
王は、そう口にした。
「滅……びた?」
うむ、と王は虚空を見つめながら頷いた。
「仔細は知らぬが、恐らくは戦だ。あやつは死力を尽くして戦ったであるが、力及ばず……。そして王はシンボラーを顧みることなく遁走した。ボロボロになって、失意のままこの地に流れ着き、自棄になって暴れていたらしいである」
王は玉座に深くもたれかかり、ため息をついた。
「なぜ、そのようなことが解るのです?」
「あの者の『過去』と対話したである。……言ってなかったであるか? その気になれば、ヨはオヌシのように過去と未来を見通せるである!」
ふふん、と王は鼻を鳴らしながら、まあ普段は面倒だからそんなことはしないであるが、と小声で聞き捨てならないことを言った。
――シンボラーの世話をすると言い出したのは、きっとその境遇に同情したからに違いない。
シンボラーという種族は国に仕え、守護することに喜びや生きがいを見出す。国を喪った怒りと悲しみとやるせなさは、きっと筆舌に尽くしがたいものがあるだろう。ましてや、王に捨てられたとあっては。
蕾王に微妙な執着心を覗かせていたのもそのせいかもしれない。
「オヌシには気苦労をかけたであるな。もう寝るとよい」
ヨも眠いである、と王は大
「僕も、寝ないと……」
張り詰めていた気が一気に緩んで、力が抜けた。玉座の肘掛けに、くずおれるようにしてもたれかかり、深い眠りに落ちていった。
◇◇◇
朝起きると、玉座はすでにもぬけの殻で、シンボラーも寝床にはいなかった。
しかたなく外に出る。お腹が空いたので、厩舎から黒い人参を失敬した。レイスポスは山を降りているのか、姿は見えない。
明けたばかりの空はまだ白んでいる。なんだか、厭な予感がする。未来視を信奉する僕にとって、ただの心理的な不安がもたらす不確かな『予感』というものは速やかに棄却すべきものだが、こういう時に限って未来視は不調だ。
――この不安こそが未来視を危うくしている原因そのものなのか。人参を囓る。味がしない。
「ネイティオ、早急に臣民たちを城の前に集めてほしいである」
振り返ると、我が愛しの王がいた。そしてその後ろには極彩色の鳥擬きもいる。
「早くしろポンコツ」
「は……?」
鳥擬きに喧嘩を売られた。僕を虐める気か? 泣くことも辞さないぞ。
「シンボラー、粗暴な言葉遣いは感心しないである。すまぬ、ネイティオ。よろしく頼んだである」
ふい、とそっぽを向いたシンボラーを置いて、王は神殿に戻ってしまった。
「……あのさあ、王の御前でそういう態度やめてくれない?」
「お前が俺を苛つかせる愚図なのが悪い。王が命令を発して一分が経過したが、なぜお前は未だここに留まっている? 馬鹿なのか?」
「うっ……!」
温和と評判の僕も、ここまで言われると腹が立つ。
「君! 馬鹿とか愚図とか間抜けとか、言われっぱなしで黙っていられるほど僕は利口じゃないからね!」
「ほう……?」
シンボラーが、にたりと嗤った。こんなに表情が豊かなポケモンだったのか?目が邪悪な形に歪んでいる。
具合が悪い。悪い予感ばかりするのに、未来視が一切働かない。汗が、羽毛の隙間からぶわっと噴き出した。
◇◇◇
澄み渡る晴れ空の下、神殿前の広場は異様な雰囲気に包まれていた。
群衆は、王が登壇しているというのにざわついたままだ。何しろ、王の左隣には――王が先日討ったはずの一つ目のはぐれ者が睨みを利かせているからだ。右隣にいる臣下の僕は、もはや存在感が皆無に等しい。
王が咳払いをし、右手を挙げたことでようやく場は静粛となる。
「今日からシンボラーがヨの配下に加わる」
民衆がどよめいた。無理もない。僕も吐きそうだ。
王よ、ご乱心遊ばされましたか! 何処の誰とも知れぬはぐれ者を臣下にするなど! 我々に仇なした厄介者ですぞ! ――方々から不平不満が湧き起こる。
「鎮まるである」
王が取りなそうとしても、なかなか民衆は納得しない。僕も民衆に同調していたので、王に助け船を出すつもりはない。未来は未だに僕の目に映らなかった。
「オホン! 皆、静粛に!」
王が珍しく声を張ったので、民衆もやむなく口を閉じる。
「オヌシらの気持ちはよく理解している。ヨの身勝手な決断を憂慮することも、そしてこの者が信用に足るかどうかという懸念を抱くのも、もっともである」
「しかし、ヨはこの者――シンボラーの真髄に触れるにつけ、この国の安定に是が非でも力を貸してほしいと切願するに至った。そして、シンボラーはヨのため、延いては臣民のために忠義を尽くすことを約束してくれた」
民衆が再びどよめいた。頭痛が止まらない。
シンボラーは自らを訝しむ声に対してどこ吹く風といった様子で、まるで怯む気配がない。心臓にびっしりと毛が生えているのは間違いないが、やはりこれを配下にするのは正気の沙汰ではない。
「シンボラーより挨拶がある」
バド王の号令で、鳥擬きはずい、と前に出る。民衆から一斉に生唾を呑み込む音がした。時が止まったかと思うほどの静寂が広場を包み込む。
「本日より蕾王へ仕えることとなった。蕾王の治世を盤石なものとするため、そしてこの地の安寧と繁栄に寄与するため、私の持つすべてを注ぐ所存だ。以後、何卒よしなに願い申し上げ
恭しく頭を下げたシンボラー。民衆に三度目のどよめきが起こる。
(意外とまともだった)
まだ厭な汗は止まらないが、民衆に向かって宣戦布告してもおかしくはないと思っていたので、丁寧な言葉遣いで抱負を述べる姿にはいい意味で裏切られた。
(とにかくシンボラーのボロが出ないうちに式典を終わらせ――)
「ところで先ほど王の公告に対し文句を言った奴は誰だ? 潜在的反乱分子は速やかに粛せ――」
「わ――――――――――――!!」
シンボラーに覆い被さる。エスパー・飛行属性のポケモン二匹がもみくちゃになって転がった。
「何をする黄緑野郎!」
「いいから黙れ!」
式典は騒然となり、あまつさえ「いいぞ、もっとやれ」と喧嘩を煽る輩まで登場する始末だった。
「と、とにかく皆もシンボラーと仲良くしてほしいである! 解散!」
流石の王も焦ったのか、無理矢理に着任式を終了させた。
後にこの騒ぎは、僕とシンボラーの与り知らぬところで、過去に例を見ないてんやわんやのぐだぐだな儀典であったと記録されることになる。
◇◇◇
「シンボラー、そういうのをヨは求めていないである……」
王は玉座に深く腰掛け、眉間を両の手で押さえながら浮遊するシンボラーを見上げた。
「……………………………………失礼いたしました」
この鳥擬き、めちゃくちゃ不満そうな顔をしているが。王よ、お願いですから目を覚ましてください。こんな奴を臣下になどしたら国が滅んでしまいます。
「ですが、僭越ながら私見を述べさせていただきます。ああいう小さな火種を放置すると、いずれ大きな災禍を招きますよ」
「……オヌシの境遇を軽視するわけではないが、ヨにはヨのやり方がある。民を上から押さえつけるのは、民から自由や意思を奪い取ることと同義。豊穣の王たるヨは、与えることを良しとし、奪うことを良しとしないである。大切なのは臣民たちと信頼関係を築くことだ」
王とシンボラーの間に、長い長い沈黙が流れた。シンボラーは、バド王の価値を見定めている。自分が仕えるに値する主なのかを熟思している。
「……王の理念、理解いたしました」
「それは何よりである!」
カムカムと笑う王。僕はほっと胸を撫で下ろす。これで安泰とは言わないが、少しはこのじゃじゃ馬も大人しくしてくれるだろう。昨日からずっと痛かった胃が、少しばかり回復してきたようだ。
「というわけでネイティオ。シンボラーの教育係を任せるである」
「………………は?」
前言撤回。心臓まで痛くなってきた。ストレス性の心臓病で死ぬ未来が視える。
「ヨは少し出掛ける。留守を頼んだである」
「ちょっ……王! 困りますよ!」
王は無視を決め込んで、そそくさと部屋を出ていってしまった。王の部屋には新旧二匹の臣下が取り残される。一つ目がぎょろりと僕の顔を覗き込んだ。
「何が困るんだ? 有能な俺が臣下となることで相対的にお前の無能さが白日の下に曝されることがか?」
言葉が攻撃的すぎる。逃げようとすると、肩をとんでもない強さで掴まれた。
「おい」
「ひっ」
そのひらひらした翼のどこにそんな力があるのだろうか。
「侍従なんて俺一匹で十分だが、とりあえずは先輩であるお前の顔を立ててやる。よろしくな、ポンコツ」
「ええ……」
もはや堂に入ってさえいる凄まじい見下し具合に、生まれて初めて心の底から泣きたいと思った。僕はこれから先、このシンボラーと二匹で王の世話をしなければいけないのか。
「さて、着任式も終わったことだし、
「しょ、哨戒? 何のために? この国はずっと平和だし。そもそも僕が教育係なんだから僕の指示に……」
「ああっ!? その嘴、二度と開かないように上下で縫いつけてやろうか!?」
「ごめんなさい今すぐお供させていただきます」
えげつない舌打ちの音が部屋中に響き渡った。もう逃げられない。王宮の和やかな日々は今日をもって終了した。
(面倒なことになった……一日でも早くこいつをどうにかしないと)
こうして、王の御前ではふたりで取り繕い、裏では互いに突っつき合う最低な侍従コンビが爆誕することになった。
シンボラーが平和ボケしたこの国の色に染まるのは、もう少し先のお話だ。
文庫化した連作短篇集『花の式日』が手元にほぼ残ってないのでwebに再録していきます。
23/05/20 『王の器』更新
感想・誤字脱字報告等ありましたらどうぞ↓
コメントはありません。 Comments/挿話 -花の式日- ?