writer――――カゲフミ
―1―
草原には二種類存在する。寝転がったときに心地よいか、素晴らしく心地よいかのどちらかだ。もちろんその条件は気温や天候、時間帯などにも左右されはするのだが。
それらの要因がマイナスの方向へ傾いた場合は大抵、心地よい草原という評価に収まることになる。複雑な言葉は必要ない。草々に抱かれながら横になれるのは素晴らしいことなのだ。
パルデア地方のトレーナーに広まるピクニックの文化は是非とも廃れずに続いてほしいとシェルティは思っていた。仲間たちとテーブルを囲むのは楽しいし、その時に食べるサンドイッチはまた格別。
ただ、最近はご主人が新たなサンドイッチのレシピを模索しているらしく、時々パンの間にライスやヌードルが挟まっていることがある。
胃の中を炭水化物で殴るような組み合わせに、最初に見たときはテーブルの周りに何とも言えない微妙な空気が漂ったこともあった。
恐る恐る食べてみると、確かに見た目の割に味はそこまで悪くはなかったが。仲間内でのご主人作新メニューの評判はいまひとつの模様。
幸い、今日作ってくれたメニューは皆が無理なくサンドイッチと呼べるスタンダードなタイプで安定した美味しさだった。
新鮮なトマトとレタスをパンに挟んで、マヨネーズで味付け。真新しさこそないものの、シンプルであるが故に奥深い味わいを感じられるのだ。
こっそり半分残しておいたそれをシェルティは口の中に放り込む。レタスのしゃきしゃきとした小気味よい歯ごたえとトマトの甘味。そして、マヨネーズとパンの仄かな塩加減に満たされていく。
横になったまま物を食べるなんて、と世話焼きなフラージェスのモカに見つかったら間違いなく咎められそうな行為。良く言えばしっかり者、悪く言えば融通が利かないのだ。
おそらくメンバーの中で一番の影響力を持っているのは彼女のような気がする。場合によってはご主人でさえ頭が上がらないことがあるとかないとか。
まあ、細かいことはあまり気にしない大雑把なところがあるからな、ご主人。ポケモンはトレーナーに似るというか、長く一緒に居れば徐々に感化されてくるというもの。
そんな中できっちりと規律を整えてくれるモカ。息苦しく感じてしまうことは少なからずあれども、やはり居てもらわなくてはならないメンバーなのだ。
もちろんシェルティも行儀が悪いのは分かってはいる。分かってはいるが、草むらの柔らかさを全身で感じながら口にするサンドイッチのおいしさは筆舌に尽くしがたい。
密かな楽しみになっていてなかなか止められないのであった。さて、本日の草原の具合はそこそこ。少し前に降ったであろう雨の水滴が僅かに残っているのが少し気にはなる。
そこはこのぽかぽかとした暖かい陽気で相殺と言ったところだろうか。お腹も膨れたことだし、横になっていると何だか眠たくなってきた。
しばらくはこの草原で休憩するってご主人も言ってたし、せっかくなのでひと眠りしようかなとシェルティが目を閉じて数秒後のこと。
足元のありとあらゆる草をあえて蹴っ飛ばしながら走ってきているような騒々しさが近づいてくる。わざわざ顔を上げて見るまでもない。こんなせわしない足音は一匹しかいなかった。
「……寝てる?」
「うん」
「ふふ、寝てないじゃん」
返事をして、少し経ってからシェルティは目を開いた。寝転がっている自分を覗き込む細身の青い姿。仲間のウェーニバルであるアイサだった。
僕が夜眠れなくならないように起こしてくれてありがとう、なんて皮肉も浮かんだが口には出さないでおいた。自分の足音で誰かが起きてしまうかも、といった心配はしなさそうだったし。
「ねえ、いつものお願いできる?」
「……いいよ。どこ?」
体を起こして立ち上がるシェルティ。立ち上がったところで大分見上げなければ目線は合わない。お互いに目を見ながら長時間話そうとすると首が痛くなってしまう。
アイサがウェーニバルに進化してからというもの、随分と顔が遠くなってしまって不便だった。まあ、それを考慮してか彼女の方からシェルティに高さを合わせてくれることが多くなったのだが。
一応シェルティもパーモットという最終進化系ではあるものの、ウェーニバルほど縦に長くは伸びなかったのである。それでもパモの頃と比べるとかなり大きくなってはいる。
「ここ、腕のところ」
すっと草の上に腰を下ろして右腕をシェルティの方へと差し出してきた。走っているときの騒がしさとは対照的に、一つ一つの動作は妙に優雅。
アイサがあえてそう振舞っているのか、それともウェーニバルという種に元来備わっているものなのかは分からない。
ただ、彼女の仕草からわざとらしさや気障ったらしさがまるで感じられないので、おそらく後者なのではないかとは思う。
座って腕を前に出す、という何気ない動きの中にも無駄がないというか。どこか洗練されたものを感じるシェルティ。
片膝を立てたままの一見だらしなく思える座り方も、彼女がやると野暮ったさがどこかに消え去ってしまうのだ。同じ行動を自分が取ったとしてもこうはならない。
「見せて」
ウェーニバルの腕は手のように物を器用に掴める部分と、三枚の飾り羽のように広がっている部分がある。
羽の形になってはいても他の鳥ポケモンのように空を飛べたりはしないが、その代わりに強靭な足腰を携えている。本気の蹴りをまともに受ければ並みのポケモンならばひとたまりもないだろう。
バトルのときに先陣を切って相手に向かっていく姿はまさに格闘タイプといった闘志溢れるもの。それ故に、攻撃を受ける頻度も多くなりがちなのだ。
「この辺り、かな?」
アイサの手の部分から徐々に両手を動かして、手首、肘辺りまで。両手で包むように触診していくシェルティ。水タイプらしく少し体温の低い彼女の腕はひんやりとしていた。
シェルティが手を止めた個所。一見目立った異常もなく、何らかの傷跡が残っているわけでもない。ただ、アイサの腕に触れている自分の手のひらに伝わる微かな違和感。
これはもう直感のようなものだ。てあてポケモンに分類されるパーモットの先天的な能力と、味方をサポートする技を熟練させてきたシェルティだからこそなせる業。
両手でアイサの腕を優しく包み込むようにして、ぎゅっと握るとシェルティは目を閉じて祈りを捧げた。瞼の奥できらりと閃光が走った、ような気がする。
アイサが言うには、シェルティの体の周りを小さな輝きが舞っているように見えるようだ。この技を使う時は大抵目を閉じているからあまり自分で確認したことがないのだ。
シェルティが彼女に向けて発動させた技は、ねがいごと。時間差で相手の体力を回復させることができる技だ。シェルティの得意技、と言えば聞こえは良いが。
自分が誰かを回復させられる技はこのねがいごとと、さいきのいのりだけ。さいきのいのりは瀕死になってしまった味方を一度だけ復活させられるというパーモットのみが使える珍しい技。
ただ、シェルティからすれば戦う元気がない味方を無理やり叩き起こしている感が否めない。てあてポケモンなんて言われる割には、実質手当てが間に合ってないんじゃないかと分類に疑問が生まれるときもたまに。
もっといのちのしずくとか、いやしのはどう、とか直接体力を回復させる技が使えればいいのだけれども。そればっかりはないものねだりしても仕方がなかった。
「ありがとう。これでもっと調子が上がりそうな気がする」
ポケモンセンターで回復してもらった後のピクニックだったので、別に体力が減っていたわけではない。ただ、アイサからすると体のコンディションなどの細かい微調整はセンターの回復だけでは不十分らしい。
これをやったからと言って、何かが大きく変わるわけではないとシェルティは思っているが。これはねがいごと、というよりは一種のおまじないみたいなものなのだろう。
「あんまり無理しすぎないでよ」
「分かってるって。まかせて」
とん、と自信満々にアイサは胸を叩いてみせる。その根拠のない自信はどこからくるのだろうか。何かと心配性な自分にも少し分けてほしいくらいだった。
パーモットに進化して彼女と同じ格闘タイプが加わったが、シェルティは元々あまり前に出ていくタイプではない。相手の懐に飛び込んで鋭い一撃を食らわすような技も覚えられはするが、柄ではなかった。
そんな彼の性格を考慮して、サポート役としての立ち回りを考えてくれたトレーナーにはとても感謝している。率先して相手に向かっていくのはアイサに任せて、シェルティは間で仲間を手助けする。適材適所という奴だ。
「ありがとね、シェルティ」
言うが早いかせわしなく立ち上がると、アイサはもと来た方向へ騒がしく駆け抜けていった。足元には千切れた葉っぱの先端が散っている。
せっかく立ち止まっている姿は優雅なのだから、彼女の歩き方や走り方もそれ相応になるようにねがいごとをしておく。なんてのはきっと。大きなお世話、なんだろうな。
―2―
シェルティから手当てを受け終えたアイサは少し離れたところで技の鍛錬をしているようだ。同じ格闘タイプでもこうも違うのか、というくらい彼女は技磨きにストイックな面がある。
ピクニックの合間に己を鍛える、なんて発想はシェルティには絶対に浮かばなかった。空いた時間が少しでもあればうとうとと居眠りしてしまうし、そこに草原があれば出来る限り横になりたいと思う。
右手を前に突き出したり、片膝を上げてぴたりと静止したり。大げさに思える動きの中にも一つ一つキレがあって、遠目からでも洗練されたものを感じさせる。
そんな彼女の近くに居るのはフラージェスのモカと、あれはキョジオーンのナムリか。特に何か話しかけるでもなく、じっとアイサの動きを追いかけていた。
彼らは技の行方を見守る観客、と言ったところだろうか。誰かに見られていると緊張してしまうよりは、むしろ気合いが入ると以前アイサが言っていた気がする。
高々と掲げられた右脚。地に付けたままの左脚を軸にしてぐるりと一回転。宙で大きく弧を描いた右脚から勢いよく水の塊が放たれる。おそらく、アクアステップの練習だな。
本来ならば対戦相手に向かっていく水圧だが今回は対象がおらず、虚空に向かって飛んでいったそれ。やがて、何もないところでぶわっとはじけ飛ぶ。
アイサを中心に広がった細かい水の粒が辺りに降り注ぎ、太陽の光を浴びてきらきらと輝いていた。遠くから見ると本当に宝石の欠片が落ちてきたかのような美しさだった。
技の終わりを見届けたモカは笑顔でぱちぱちと惜しみない拍手を送っている。その隣のナムリも笑顔、かどうかは分からないが両手を上げておそらく賞賛の意を示しているのだろう。
がんえんポケモンのキョジオーンという種族柄、ナムリの表情はとても分かりにくい。ぱっと見た感じ黄色い目と思しき部分はあるが、どこが口なのかはっきりしない。
さらには無口ときているので、同じ仲間とはいえシェルティはまともに会話した記憶がなかった。岩タイプ故に口の形も自分たちとは違っていて、声を出すのが難しいのかもしれないが。
割とモカと一緒にいるところを見るけれど、あれで間が持つのが不思議でならなかった。それとも、モカが一方的に喋っているのをナムリが聞き役として成り立っているのだろうか。
モカ曰く、よーく見るとちゃんとナムリも表情が違う、らしい。ナムリとのやり取りはトレーナーでさえ苦戦しているときがあるというのに、大したものだと感心する。
技を一通り出し終えたアイサはひらひらと手を振って声援に応じると、再び別の構えに入る。時間が許す限りはトレーニングに勤しんでいたいようだった。
今度の技は、何だろうか。さすがに今の動きだけではシェルティには判断が付かなかった。右膝を高々と掲げてぴたりと静止。目を閉じて静かに呼吸を整えているようだった。
すぐ近くにいるモカもナムリも、彼女の技の成り行きをじっと見ているのだろう。きっと、自分がアイサに送っている視線の行き先とは違っているはずだ。
大きく上げられた彼女の右足。それも付け根の方面へ、シェルティの目線は自然と吸い寄せられてしまっているのだ。太腿というだけあって太いことは太い、だなんてアイサには口が裂けても言えはしない。
ただ、その太さも自堕落な太さではなく逞しい筋肉で引き締まった良い太さというか何というか。彼女が脚に力を込めたときに入る筋肉の筋も造形美があってシェルティの目を楽しませてくれていた。
ここからなら遠いし、そんなに目立たないはずという免罪符を盾に。練習中のアイサの太腿やお尻をぼんやりと追いかけているシェルティ。我ながらいやらしいな、と思う。
アイサとはお互いに未進化のときからの幼馴染。ご主人が旅立ったときの初めてのポケモンがクワッスで、続いて手持ちに加わったのがパモの頃のシェルティだったのだ。
続いてモカ、そしてナムリもパーティの一員となったのだが、三匹目のモカが加わるまでかなり間が開いていて。一回目の進化を迎えてもしばらくはアイサと二匹だけだった。
そのためアイサと一緒に過ごした時間も長く、それこそご主人と同じくらい、あるいはそれ以上に顔を合わせる機会が多かったと言えよう。
何もないような道で転んで涙目になっていた頃から知っている間柄だ。ちょっと、いや、だいぶ落ち着きがないけど、いつも元気をくれる大切な友達。
アイサのことはそう思っていたし、これからもずっとそうなんだろうとシェルティは思っていた。彼女がウェーニバルに進化したのは、自分がパーモットになってから少ししてからののこと。
ウェルカモ時代からの体格の変わりようにトレーナー共々驚きつつも、最初はおめでとうと祝福していた。だが、進化した彼女と一緒に過ごしていくうちに、今までとは明らかに違う自身の感情にシェルティは気づき始めたのだ。
アイサのすらりと伸びた肢体や、くびれた腰つき。主張するように膨らんでいるお尻の部分。至る部分に雌としての色気のようなものを感じて、彼女を純粋な目で見ることが難しくなってきていることに。
何よりウェーニバルとパーモットの身長差がこれまた良くない。並んで歩くとアイサの股や脚の付け根辺りがちょうどシェルティの目線に来てしまうのだ。これで何も意識するなというのが酷な話である。
アイサの後ろを付いていくと目のやり場に困るので、出来るだけ隣や少し前を歩くようにしている。だいぶ歩幅が違うので基本は早歩き。そんなシェルティの苦労を、アイサはきっと知らないだろう。
雄と雌なんて関係なく仲間で友達だと思ってきたアイサに、こうした下心を抱いてしまうのはもちろん後ろめたさがあるのだけれども。これはシェルティの意思だけでどうにかなる問題でもなかった。
最初のうちはシェルティも自分の中に浮かんでくる劣情を気のせいだと思い込もうとしたり、頑張ってサンドイッチのことを考えて気を紛らわそうとしたりと、あれこれ努力はしてみたのだ。
だが、そうやって振り払おうとしてみても、ふとした瞬間に。アイサの太腿やお尻が、シェルティの意識の中に滑り込んできてしまう。同じトレーナーの元の仲間なのだから考えないようにするのは無理だと悟ってしまった。
それに、成熟した異性に対しての興味は本能的なものであるし、完全に抑え込んでしまうことは難しい。今のところは滞りなく来られてはいるが、この先も大丈夫だという保証はなかった。
そのうえアイサは自分が雌として他からどう映っているかの自覚がないらしく、ウェルカモの頃と同じような感覚でシェルティの方へぐいぐいと来る。まあ、それに関してはモカやナムリに対しても彼女は分け隔てなく接しているようなのだが。
顔や体が近いな、とシェルティが思ったことは数知れず。自分の中で冷静に判断できているうちはまだ良い。腕や肩に密着したアイサの感触や香りを楽しむくらいの余裕はある。
ただ、彼女はたまに思い付きで想定外の行動に出るときがあって、シェルティにも読めないときがある。そんなときにうっかり体が反応してしまったりしたら、と思うと。あまり考えたくはなかった。
トレーナーの友達の手持ちポケモンで、たまに顔を合わせるくらいの浅い付き合いならばともかく。最初からずっと一緒に旅をしてきた仲間だ。いつまでも自分がこんな調子だと、きっとどこかでアイサとの間に亀裂が出来てしまう。
アイサは進化する前とそんなに変わっていないように見える。少なくともシェルティが知る限りは、クワッスの頃の彼女がそのまま大きくなった印象が強かった。
だけど、自分は変わった。変わったはずだ。いずれはこの気持ちに区切りを付ける必要があるとは思っている。思ってはいるが、今のアイサとの関係性もそれなりに心地良くて。
ぬるま湯のような環境に安住してしまっていることもまた事実。自分が行動を起こせば、その結果がどう転ぼうとも彼女との間柄は大きく変わってしまうだろう。
クワッスとパモの頃から積み上げてきたそれを崩してしまう度胸は、シェルティは持ち合わせていなかった。とりあえず、今のところは。
「おーい、そろそろ行くよー!」
遠くでご主人が大きく手を振っている。どうやらそろそろ出発するらしい。纏まらない考えを遮断するにはちょうどいいタイミング。行こうか。
アイサ、モカやナムリもそれぞれご主人がピクニックで広げていたテーブルの方へと向かいだす。それにやや遅れつつ、シェルティも足取りを進めたのだった。
―3―
「来るよっ、シェルティ、下がって!」
ご主人の声が聞こえるか聞こえないかくらいのタイミングで、シェルティは既に後ろに飛びずさっていた。その直後、ひゅっと赤紫色が目の前を掠めていく。
相手のアマージョから放たれたトロピカルキックの風圧がシェルティの頬を撫でていった。もし、少しでも動くのが遅れていたら直撃していたことだろう。
あんな細身のどこにこんな力が、と思わずにはいられないくらい重たい一撃だった。前のめりになっていた体をまっすぐにして、体勢を整える。
視線の先のアマージョは、技を避けられたというのに片手で黄緑の前髪のような部分をさっと流してまだまだ余裕ありげといった感じだった。
ほんのりと漂ってくる果物のような甘い匂いがまたこちらの調子を狂わせてくる。地味にいい香りなのが腹立たしかった。
戦況はあまり芳しいとは言えなかった。相手の手持ちはまだ三体も残っていて、アマージョ以外の残り二体は場に出てきてすらいない状態である。
相手の一体目のデンリュウはモカとナリムでどうにか退けたものの、ほとんど相打ちで二匹とも戦う力は残っていなかった。
そしてシェルティは二体目のアマージョの鋭い一撃に押され気味。だが、残っているのが草タイプに相性の悪いアイサなので、ここはどうにか凌いでおきたいというのがトレーナーの狙いか。
とはいえ、直接殴るのは得意でないシェルティ。もちろん補助技だけではバランスが悪いので、攻撃する技も覚えてはいる。ただ、ご主人の指示があったとしても、だ。
普段使ってない技を、いきなり本番で上手く決められるかどうか。まったくもって自信はないけれど、状況的にそんなことも言ってられないな。
技を決められなかったらなかったで、あの余裕たっぷりなアマージョに鼻で笑われてしまいそうだし。それはそれで癪だ。
「シェルティ!」
ご主人の次の一声。さあ、何が来る。攻撃の指示か、補助の指示か。どちらが来たとしても、シェルティは一生懸命やるつもりでいた。
「さいきのいのりよ、モカへ!」
シェルティの意思をくみ取ってくれたのか、どちらかと言えば無難な補助技の指示。アマージョを殴りに行かなくて少し安心した自分がいる。
復活を祈るのは、モカか。確かにナムリだと相性がまた悪い。というかご主人のパーティは草タイプに弱すぎるのでは。いや、タイプ相性の偏りを嘆くのは今じゃないな。
シェルティは目を閉じて、モカへと祈りを集中させる。モカ、お願い、もう一度立ち上がって、戦う元気を取り戻すんだ。
さいきのいのりは一度倒れてしまった仲間を復活させられる強力な技だが、祈っている間は完全に無防備。またあの蹴りが飛んできてもきっと避けられない。
だけどこれはモカへの祈りのためだ。痛いのくらいは我慢するさ。幸い自分の体力はまだまだ残っているし、相手の一撃をどうにか耐えきるんだ。
案の定、アマージョは隙だらけになったシェルティへの攻撃に転ずる。もちろん、お得意のトロピカルキックが飛んでくるものだとばかり。だが。
彼の方へ向かってきたのはアマージョの足先ではなく、全身。彼女は両手両足を使ってシェルティへと飛びかかってきたのだ。
ありとあらゆる方向からアマージョの攻撃が炸裂する。痛い。色んな所を叩かれたり蹴られたり。随分と暴力的じゃないか。これはトロピカルキックじゃなくて、じゃれつくだ。
一撃なら受けても耐えられると見越してのさいきのいのりだったが、効果抜群ともなれば話は別。ふらふらと前のめりに倒れ込むシェルティ。
だめだ、まだモカへの祈りは済んじゃいない。せめて、せめて祈りを完遂させてから。両腕に力を込めて何とか体を起こそうとするも、目の前の景色がぐらりと揺らぐ。
そのあとは記憶が曖昧だった。さいきのいのりは失敗したと思う。自分の後に出てくるはずのアイサでは相性の悪いアマージョを押し切るのは難しそうだ。
仮に押し切れたとしても、相手のトレーナーの残り二体を何とかするのは、アイサでもさすがに。ごめんなさい、ご主人。自分が祈りを届けていられれば――――。
◇
その日の夕方。やっぱりというか、あの後みんな仲良くポケモンセンターのお世話になることに。体の調子は戻っても、気持ちの方まではすぐには戻らない。
旅を始めてからそれなりに経験を重ねて、進化もして、新しい技も覚えて。元々バトルには消極的だったシェルティでさえ、自分自身が結構強くなったつもりでいた。
だけど、まだまだ上には上があるということを思い知らされたバトルだった。正直、相手の方が一枚も二枚も上手で歯が立たなかったと思う。
ピクニックのテーブルを囲む皆の表情も、なんというか硬かった。ナムリが硬そうなのは見た目通りというかいつも通りだったけれど。
自分が倒れた後の流れは分からない。おそらく、アイサもあのアマージョに完封されてしまったのではないだろうか。一際沈んでいるように見える、彼女の顔つきがそれを物語っていた。
「さ、今日は奮発したから。みんな食べて」
テーブルを囲む皆の面持ちにそぐわない、一人だけにこやかな笑顔を保ったままのご主人。でも、手持ちのポケモンが次々と戦闘不能になっていくのを見届けるのはなかなか辛いものがあったんじゃないだろうか。
いつもは綺麗に並べられている、サンドイッチを乗せるお皿が傾いていたり、パンの中に挟まれた具材の大きさがまばらだったりと、こんなところで気持ちが出てしまっている。
よく見るとその笑顔もどこか引きつっていてぎこちない。きっと、無理して明るく振舞っているんだろう。さすがにそれが分からないシェルティ達ではなかった。
だからこそ何も言わずに頷いて、各々がサンドイッチを味わうことにしたようだ。用意されたサンドイッチは、景気づけも含めてなのかいつもより具材が多くて豪華だった。
シェルティは目の前のそれに手を伸ばして、一口かじる。食材の種類が多いだけあって、色々な味が混ざり合って口の中へと広がっていく。
今回のサンドイッチも攻めた内容ではなくて、一般的なサンドイッチに具をいくつか足したもの。間違いなく美味しいものであるはずなのに、食べ物が喉を通り抜けていくだけの感覚。
やっぱり何を食べるかよりも、どんな雰囲気の中で食べるかの方が食事の味を左右するみたいだ。せっかく材料を奮発して作ってくれたご主人には申し訳ないけど。
一口だけ食べたサンドイッチを持ったまま、シェルティはテーブルの前を後にした。ここで黙々と食べ続けていると、ますます味が分からなくなってしまいそうだったから。
いつものように草むらの上に寝転がって、残りのサンドイッチを齧るシェルティ。味は、どうだろう。さっきよりは少し分かるようにはなってきただろうか。
美味しいと言えば美味しいのだが、やっぱり物足りなさが残る。それはきっと、ご主人の笑顔とか、一緒に食べる仲間たちの活気とか、そういうスパイスが足りていないのだ。
ここの草原は丈が低くて若干硬い。その分さらっと乾いていて手触りは良かった。ぐっすり眠るには背中が痛くなりそうだったが、軽く仮眠を取るには程よい寝心地である。
「派手に負けたわね」
「んぐ」
この声はモカ。ちょうど最後のサンドイッチを口に放り込んだ直後だったから、危うく喉に詰まらせそうになる。タイミングも声を掛けてきた相手も良くなかった。
行儀が悪いのはシェルティも重々承知している。何か小言を言われるのではと、どうしても身構えてしまっていた。薄暗いからあんまり見えていない可能性を期待して、シェルティは出来るだけゆっくり体を起こした。
「隣、いい?」
寝ながら食べていた件については何も言及されず。今回の重々しいピクニックの空気を案じて、モカの注意も引っ込んでしまったのかもしれない。目を合わせたときに一瞬だけ顔をしかめたように見えたのはきっと気のせいだ。
「いいよ。でも、珍しいね」
「たまにはいいじゃない」
すっとシェルティの横に腰を下ろすモカ。座ったときに揺れた彼女の花飾りから、ふわりと優しい香りが広がった。心が落ち着くような上品な匂いだ。
少なくとも、寝ながらサンドイッチを食べるときに漂うような香りでないことは間違いない。考えてみれば、二匹だけでこうやって話すのも久々な気がする。
「ナムリは?」
「石探しみたい」
「なるほど」
大体モカと一緒にいるナムリの姿が見えないのはそういうことか。シェルティが草原の寝心地にこだわるように、彼にも好みがあるらしく、新しい石を求めて散策するときがあるのだ。
ナムリが変わった形の石や綺麗な色の石を拾っているのを何度か見かけたことはある。かなり嵩張るはずの集めた石をどこにしまっているのかは謎のまま。
ひっそりと食べたり、塩分が少なくなった時の補給に使っているのではと憶測しているが、真相は定かではない。もっと彼と意思疎通がしやすければ、こうした話題でお喋りもできそうなものなのだが。
「祈り、間に合わなかったよ」
「気にしないで。それに、成功しても全快じゃないしね」
倒されるのが一回で済んでむしろよかったわ、と手をひらひらと振って冗談交じりに言う。その言葉には彼女なりの皮肉も含まれているような気がした。
さいきのいのりで復活はできても、万全の状態ではないのだ。モカも薄々感じ取ってはいたのだろう。例えシェルティの祈りが成功していたとしても、敗北という結果は同じであったと。
それだけ力の差を痛感する戦いだった。普段は勝っても負けても感情表現が控えめなモカでさえ、それなりに応えているらしくどこか物憂げな表情だ。
ただ、少し俯きがちで物思いにふけっているような顔つきも、モカが振舞うとなかなか様になっていたりする。あまり面と向かって話す機会がなかったので、新鮮な発見だった。
「なあに。私の顔になにかついてる?」
「なんでもない」
元気の無さそうな表情を褒められても、モカは良い気はしないだろう。でも、これはきっとアイサのような優雅さとは別の方向性の良さなんだろうなと思いながら。シェルティはやんわりと首を横に振ったのだった。
・なかがき
会話メインのシーンの難しさ。
何かあればお気軽にどうぞ
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