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花の式日 の履歴(No.2)


作者:朱烏




花 の 式 日



 頭が痛い。いや――痛むのは眼か。私の小さな頭には、不釣り合いな大きさの一つ目がはまっている。
 この痛みの由来は頭からなのか、それとも眼なのか。瞭然としない意識の中、たった一つ判ること――昨晩の宴で大量の酒を浴びるように飲まされたのが原因なのは明らかだった。
 山の上にそびえ立つ石城の前の広場には、皿、杯、椅子と卓、食べ残しなどが散乱し、その隙間に酒で潰れた寝穢いヒトやポケモンたちが零れ落ちている。
「まったく……」
 美しい朝陽も、さぞこんなものを照らし出したくはないだろうに。同情心が絶えない。
 あるとき、異郷の旅人がフィラ酒なるものをこの地に持ち込んで、それを我が愛しの王が甚く気に入った。作り方を旅人から教わり、フィラの木の畑まで作り、秋の収穫祭にフィラ酒が供されるようになってから五年経ったが、今年の酒が例年を遥かに超える出来だったのがまずかった。
 王の酒乱をなんとか諫めていた私だったが、今年ばかりはそうもいかなかった。「今年の酒は最高の出来映えなのである!」ともの凄い速度で楽しそうに次々と民の杯に酒を注いでいく王を止めること能わず、もちろん民も王の有り難き酌を断る選択肢は持ち合わせず、となれば行き着く先はネイティオでなくても見通すのは容易い。
 飲めや歌えや踊れやの大乱宴は、全員が潰れる明け方まで続いたと思われる。私は夜半ですでに潰れていたので、その先どれだけ王が乱れていたのかを知る由はないが、この有様を見るに、いくら我が愛しの王といえども本気で叱りつけなければならないような様相を呈していたことは明白だった。
 そして当の本人は――どこにも見当たらない。
 さては私に叱られることを察して、私の眼が覚めないうちに隠れたのだろう。小賢しいやら可愛らしいやら――。
 いや、いやいやいや、何を絆されているのだ私は。そうやって甘やかしてしまうから王は際限なく増長するのであって、もっと普段から王としての正しい振る舞いや気品というものを懇々と説いていれば、馬鹿騒ぎで民を全員酒で潰すという品のない行為をさせずに済んだかもしれない。
 これも側近である私と、もう一匹の側近――いつも太陽ばかり見ていて王の身の回りの世話をすべて私に押しつける私と同属性(タイプ)の馬鹿ネイティオ――の不徳の致すところである。
 とは言え、斯様な狂態を晒すのはこのような宴の場だけであり、普段はもっときちんとした方であるのだ。ゆえに直接指摘するタイミングを逃し続けている。
「王よ、我らが王よ、いったいどこにお隠れになっているのです? 怒りませんから、顔を出していただけませんか」
 極彩色の翼をはためかせ、ふわりと城の中に入る。
 城はさほど広くはない。他国の城はもっぱら軍事要塞の意味合いで建立されるらしいが、この城は小さな国の小さな王のために民がこさえた小さな神殿であり、それ以上の意味はなかった。
 もしここが頻繁に侵略者の攻撃を許す国であれば、しっかりとした造りの要塞が必要だが、冬が厳しく、土地も痩せていて、豊穣の王の存在無しではろくに作物も実らないような国をわざわざ襲ってくる輩はいない。
 我が王には、どれだけ感謝をしてもしきれない。大昔に空から飛来した隕石から民を護ったという信じがたい伝説もあり――いつか話して聞かせろと王に迫ったが、「そんな昔のことは覚えていないのである」と一蹴された――この蒼穹すら抱えきれぬほどの偉大さには敬服するばかりだ。
 だが、それはそれ、これはこれ。どれだけ偉大であろうが酒乱癖だけは直してもらわねばならない。
 どんな風に叱ってやろうか。民も見ていないことだし、いっそ尻叩きの刑でも――などと奸計を巡らせながらあちこちをきょろきょろと見渡していると、廊下の最奥の、普段開けることのない物置の扉がかすかに開いていることに気がついた。
「王よ、ここにいるのですね」
 返事はないが、気配は間違いない。サイコパワーで扉を開けようとする。が、
「あ、開けないでほしいである」
 扉の奥から声がして、私のサイコパワーとは逆向きのベクトルの力が扉を閉めようとする。
「王よ、私は怒っているわけではないのですよ。あんなに散らかして誰が片付けると思ってんだとか、酒乱が直らないようなら来年の宴の際は一晩中物置に監禁してやろうかとか、そんなこと微塵も思っていないですから、ね?」
「怖すぎるである! オヌシに迷惑を掛けているのは素直に謝るであるが、とにかく開けないでほしいである!」
 拮抗する二つのサイコパワーが扉をがたがたと揺らす。もともとたてつけが悪いのも相まって、蝶番がみしりと嫌な音を立てている。
 しかし――あれほど強力なサイコパワーをもつ王であるのに、私のサイコパワーと拮抗しているとは、これ如何に――?
 二日酔いで王の念力が弱まっているのか。しかしそれは私とて同じ。
「ふん!!」
「ああ~……」
 目玉が飛び出さんとする勢いで滅茶苦茶に念じると、扉が勢いよく開いた。
 本気で念じれば隙を突いて王のサイコパワーを一瞬でも上回れるのだなと、少しだけ自分の力に感心した。
「ハァ……ハァ……王よ、戯れはこれで終わ……」
 私は物置の壁に寄りかかって座る王の姿を見て驚愕した。
「わ、我が王……これはいったい……」
 二の句を継げぬのはまさにこのことだった。
「み、見ないでほしいである……」
 王の美しい翡翠のような眼は、泣き腫らしたせいか真っ赤に充血していて見る影もない。
 しかし、もっと大事なものが王から欠落していて、その酷い表情を気に掛けることもできなかった。
 雄大な四本の角に収まってたはずの、巨大で立派な翠緑の蕾冠が、まるっと消えていた。
「起きたら無くなっていたのである……」
 よよと泣く王を「ご安心くださいませ」と努めて冷静に宥めるが、大変なことになってしまったと私は内心狼狽していた。



   ▼△▼
    ▼



 こんな情けない姿で民の前に出ることなど絶対にできないである、と嘆く王はとりあえず玉座の間にでも居てもらうとして、失くしたという王冠を速やかに見つけなければならない。
 もっとも、あれは元来王の頭にくっついていたものであり、見つけたからといって元通りにくっつけられるのかという懸念はあるが。
「え、マジで?」
 民と一緒に地面に突っ伏していたネイティオの頭を力の限りぶっ叩き、事の顛末を説明すると、素っ頓狂な返事をした。――キレるぞほんと。マジで? じゃあないんだよ。
「お前俺より遅くまで起きてただろ。バド王はいつ王冠を失くされた? 少なくとも俺が潰れる前までは間違いなく王冠を被られていたはずだが」
「いや、僕も君が潰れたあとに王に無理矢理酒を流し込まれて気絶したし……判んない」
「っっっはあ~~~~~~。つっっっっっっかえねえなお前。存在価値ある?」
「えっ……口悪っ……。普通に傷つくんだけど。え、怒ってる? 一人称いつもと違うよ?」
「そりゃ怒るわ!! いつも糞の役にも立ってねーくせにこういう一大事ですら役立たずか!! 未来だか過去だか見通してんなら何か判れや!!」
「頭に響くから怒鳴らないでよ……ガンガンする……」
「俺だって頭痛えよ……」
 同じエスパー・飛行だってのに、こいつのポンコツさはなんなんだマジで。俺よりずっと昔から王に仕えているくせに、どこまでも能無しで眩暈がする。この件が解決したら王にこいつのクビを進言してやる。
「このことは他のみんなに話すの?」
「いや……俺たち二匹で皆が起き出す前に王冠を見つける。このあたりでどんちゃん騒ぎしていただけなんだ。王が何かの弾みで頭をどこかにぶつけられて王冠がもげてしまっただけで、どうせそのへんに転がってるだろ。お前は神殿のまわりを探せ。俺はあっちを探す」
 可能性が高いのは宴に使った卓や椅子の下に転がっていることだ。そもそもあれだけ存在感のある巨大な蕾冠など、すぐに見つかるに決まっている。
「ふー……頭を冷やそう。こんなに狼狽えていては我が王に不安を与えてしまう」
 私。そう、私だ。俺、じゃない。仮にも王に仕える者。私もしっかりしなれければ。
 まだ惰眠を貪っている民たちのを押しのけ、宴の跡に散乱している者の中に緑色の王冠が混ざっていないかを探す。
 姦しいいびきに顔をしかめつつ、散乱しているポケモンだの人だの物だのをどかしていくが、それらしきものは一向に見つからない。
「ねえシンボラー、神殿は一通り見て回ったけどバド王の王冠はなかったよ」
 いつのまにか私の後ろに立っていた馬鹿鳥の言葉に溜め息をつく。
「こっちもだ。いったいどこに転がってるのやら……」
「みんなが起き出す前に見つけられなかったらどうする? 王が部屋に籠もってたらみんな心配で騒ぎ出すよ?」
「わかっている。だが王はご自身の今のお姿を民に見られるのを良しとしない」
「なんで?」
「なんでって……」
「王冠があろうがなかろうが王は王でしょ? 堂々とみんなの前に出てきて王冠を探せって僕たちや民に命令すればいいじゃない。王は何を恐れているのさ?」
 ネイティオは目を見開いて矢継ぎ早に私に問いを立てる。
「お前は……バド王のことを何も解ってはいない」
 側に仕えてから、外からは窺い知ることのできなかった王のさまざまな胸の内に気がついた。それは、王と私が同じエスパータイプだからこそ察知できたものかもしれない(ネイティオはポンコツなので例外だ)。
 無論、王は誰にも弱音を吐かないし、愚痴の一つも言わない。どのような問題や揉め事が起こっても絶対に民のせいにはせず己の責とし、常に己を慕う民への感謝を忘れない。
 私はこの完璧な愛しい王を――酒乱癖は除くが――命の限り仕え支えたいと心の底から思っている。ネイティオだってウスノロではあるが、王に全身全霊で奉ずるという気持ちは私と同じであるはずなのだ。
 けれども、王は、王自身は、己の王としての資質を常に疑っている。本当の自分は民から有り難がられ、崇められ、仰ぎ見られる存在ではないのだと、本気で信じている。
 王は民からの信仰を力の源としているが、信仰を毛の先ほども失わぬよう忙しなく民のために動き回る。
 私は、凡俗とは異なるお姿をしていらっしゃるバド王は黙っていても民からの信仰を集められるだろうと思っているが、おそらく王も同様のことを考えている。――否定的な意味合いで、だ。
 王はそんなことを良しとなさらない。尊いお方なのだ。
 王はまた、民が気軽に自分を畏敬できるよう( ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ )王らしい振る舞いを心がけることに苦心していた。豊饒の力を振るうときの優雅な所作、ほんの少しだけ尊大な口調、滅多なことでは口角を上げぬ厳格な態度――あれはすべて自己演出の賜物だ。
 そして翠緑の蕾冠はその極めつけとも言うべき、王に王らしさを与えるのに不可欠なものだった。どれだけ努力をしても足ることを知らない王の最後の拠り所、唯一の後ろ盾。
 物置の扉の開け閉めの際に王の念力に打ち勝てたのは、王が力の源である翠緑の蕾冠を失っていたからで、一瞬でも喜んだ私は本物の馬鹿者だ。
 王冠を失い、あまつさえ側近のサイコパワーに力負けした王の気持ちを思うと胸が苦しくなる。
「ふぁ~、よく寝たわぁ」
「うぅ……頭痛が……」
 ――まずい、皆が起き出した。浸っている場合ではなかった。
「シンボラー、みんなに正直に言おうよ。王は玉座の間に籠もってもらって構わないから。ここに王冠がない以上、山頂から転げ落ちちゃったのかもしれないし、僕らだけの()に負えないよ。ヒトの手もポケモンの前脚()も借りて広範囲を探さなきゃダメだ」
「……むぅ」
 不本意だが、こうなっては仕方あるまい。ネイティオの提案に乗るとしよう。



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「みんな起きたね。バド王が今朝からお見えにならない件について、シンボラーから話がある。真剣に聞くように」
 おはようと言うにはあまりにも遅い時間に、城の前の広場に皆を集めた。二日酔いのため、全員一様に顔が酷い。
「単刀直入に言おう。王が王冠を失くされた。皆で手分けして探す」
 思念を直接聴衆に送り込むと、俯いていたり呆けていたり、王に仕える者の言葉を聞く態度としてはまったく相応しくない表情をしていた者たちが、まるで苦い気つけ薬でも飲まされたかのような顔をした。
「それはてぇへんじゃねえか!」
「なんてこと……」
「おうさまかわいそう……」
 獣もヒトも大人も子供も互いの顔を見やっては事の重大さを確かめ合ってるようで、ざわめきが大きくなる。
「狼狽えるな」
 ぴしゃりと言い放つ。王の厳威を借りている身であるため、私の言葉も民を従わせる力があった。
「我らが王は無事なのですか!」
 聴衆の後ろのほうで声を張り上げた少年は、今この場にいる民が最も気にしているであろう事柄を代弁した。
「我らが愛しの王は至って健康であられる。が、王冠を失くされたことをひどく嘆き悲しんでおられ、とてもではないが玉座の間からお出になられるような状態ではない」
 しんと静まり返る。溜め息をつきながら胸に手を当てるヒト、顔を伏せるポケモン。悲しみに暮れる王の姿を銘々が脳裏に浮かべていると見る。
 私は空へと舞い上がり、太陽光を受けて己の極彩色の翼を煌めかせる。
「王の偉大なる恵みに(あずか)る臣民たちよ! 今こそ我らが愛しの王への忠義を果たすとき! ヒトは山の麓から神殿に至るまでの道を、強靱な脚をもつ獣は山の斜面を、翼を持つものは空から、それぞれのやり方で翠緑の蕾冠を見つけ出すのだ!」
 翼を蒼天に掲げての大号令。
 民はまるで戦へと赴くときのような(とき)を上げた。――この国は戦などできないし、ただの失せ物探しなのだが。
 民が方々へ散っていったのを確認し空から降りると、ネイティオが気色の悪い笑みを浮かべて私を地上で迎えた。
「さっすがシンボラー! すぐにみんなを纏め上げちゃったね!」
「茶化すな。お前も探しに行け。私は王の側で待機している。王冠が見つかったら念を飛ばして報告しろ」
「……りょ~かい」
 ネイティオの顔に「面倒臭い」と大々的に感情が描き出されている。だらしない羽ばたきで飛んでいったネイティオを見送ると、私はおずおずと神殿の中に入っていった。
 最奥の間の扉を開けると、中央に据えられているこじんまりとした椅子に王は座っていた。
 王の威光を示すため、玉座は豪華絢爛にすべきと私はかつて提案したことがあったのだが、嵩高(かさだか)な王冠に装飾が当たって不快感を覚えるとのことで、背もたれすら半分に削ってしまったのが今の玉座だ。
 質素な椅子に蕾冠のない王。王が自分の姿を民に見せたくないという気持ちも少しは解る。
 首回りの麗しい玉飾りが、辛うじてバド王の威厳を支えていた。
「王よ、ご安心ください。優秀な臣民たちがすぐに王の蕾冠を見つけ出すでしょう。それまでしばしのご辛抱を……」
「……うむ」
 王の声に張りはない。流石に落ち着きを取り戻してはいたものの、王の頭上の虚空はそのまま王の心を蝕む憂いや苦悶を示すようで、私一匹(ひとり)の慰めではどうにもならない嵩であるように思われた。
 王の側にいて報告を待つことしかできない己の非力さを痛感する。
「この神殿は……今のヨにはいささか広すぎるであるな……」
「そのようなことはありません」
 案の定気分がネガティブな方向に振り切れている。こうなってしまったら王の自虐は止まらない。
「もうこの城は取り壊して新しく掘っ立て小屋を建てるである。この椅子もヨには過ぎた代物である」
「何を仰っているのですか、もう! 八千代まで続く王の御威光の前には、この神殿すらまだまだ貧小です! 立て直すならもっと立派な城にするつもりですよ私は!」
「酩酊して王冠を失くして民に探させるなど……ヨはヨを許せないである……」
「確かに酒癖の悪さは本当にいい加減にしろよって感じですけど……あ」
 マズい、泣き出す。めちゃくちゃ(おだ)て捲らなければならないところを、つい本音が漏れてしまった。目が潤んでいる。
「……ぅうぅぅうう」
「お、王よ! どうか落ち着きなさってくださいませ! 今のは決して王を貶めようとした意図はなく! ただ王の御威光をより偉大なものとするためのささやかな提言を、過ぎた身ではありますが差し上げただけであり……」
 涙をぽろぽろと流す王にもはや私の弁明を聞く余裕もない。悔やんでも悔やみきれない失言だった。
 ぐずる王をあの手この手で宥めすかしながら、誰でもいいから早く王冠を見つけてくれと祈るほかなかった。



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『発見したよ、シンボラー』
 五分に一度王に励まし(フォロー)を差し入れるという生活を続けて三日三晩、丸い胴体がやつれて楕円体になってきた頃、ネイティオから念願の吉報が飛んできた。
 相当な遠方から通信しているらしく、ネイティオの声は霞がかっていて明瞭さを欠いていた。
『よくやった! かなり遠いようだな! はるばる大変だとは持って帰ってきてくれ』
 王冠がそのような遠い場所にあったという摩訶不思議にツッコみたかったが、ネガティブを通り越して厭世的(ペシミスティック)になっている王を慰撫し続けるのに発狂寸前だった私は、一秒でも早く王の頭に王冠を載せてしまいたかった。
『いや……それが……』
 しかしそんな私の気持ちをよそに、ネイティオの歯切れは悪い。
『どうした? 何かあったのか?』
 念波の速度は音波のそれとほぼ同等のため、ネイティオとの物理的な隔たりが会話のやりとりを遅々なものとしていた。
『不測の事態が発生して、持って帰れる状況じゃない。王とシンボラーにも来てもらわないと収拾がつかない』
『どういうことだ。説明しろ』
『説明したところで状況は変わらないよ。とにかく来てほしい。場所は城から南南東へおおよそ三千パッスス』
『南南東へ三千パッスス……?』
 そのあたりは王の治めている範疇の際ではないか。嫌な予感がする。
「どうやら見つかったようであるな。向かおう」
 念波に聞き耳を立てていたらしい王は、先ほどまでうなだれていた様子が嘘のように精悍な顔つきをしていた。
「ネイティオの口ぶりからすると急いだほうがいいであるな。ゆくぞシンボラー」
「お、お待ちくださいませ。レイスポスは……」
「ここ最近は姿を見ておらぬ。乗ったほうがもちろん早く着くであるが、今のヨには呼び寄せられるだけの力がない」
 王は素早く玉座から降りると、神殿から瞬く間に飛び出した。私は急ぐ王の後ろをついていく。
「しかし、一日経っても見つからなかったから半ば諦めていたのである。もし今日も見つからなかったら、皆引き上げてもらうつもりであった。これ以上ヨの失態の尻拭いのために民を疲弊させるのは耐えられぬのである」
「民も、もちろん私も、王のためならいつまでも王冠を探す所存ですよ」
「だからこそヨにはそれを止める責務があるのである」
 山を下りている間、ずっと王の背中を追っていた。私よりもずっと小さな背中に、背負っているものの大きさに思いを馳せながら。



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「あれです、王!」
 日が傾きかけてきた頃に、ようやくネイティオたちを見つけた。ネイティオは他の民にも念波を飛ばしていたらしく、かなりの数のポケモンやヒトが集まっていた。
 群衆は、雄々しくそびえ立つ巨木のまわりを取り囲むようにして、怒号やら叫び声やらを発していた。
 そして幾人かが王の姿を認めると、王冠を失くした姿を初めて見た者たちはどよめいた。王は、今だけは構いやしないといった態度ではあったが、私は内心でハラハラしていた。
「ああ、お待ちしていました、バド王。王冠はあの木のてっぺんです」
 群衆からひょっこりと顔を出してこちらへと飛んできたネイティオの顔には、疲労が色濃く表れていた。
「して、この騒々しさはいったいなんであるか」
 眉をひそめる王に、ネイティオが決まり悪そうに嘴を開く。
「あの木に棲む鳥ポケモンが、王冠を巣の材料としてしまっているのです」
「なんと!」
「ハァ!?」
 目を丸くする王。ブチギレて白目を剥く俺。
「先ほどから説得を試みているのですが、彼らは頑として聞き入れず返却に応じようとしません。しかし力ずくで取り返そうにも王冠を傷つけたり壊してしまったりする恐れがあるため、にっちもさっちも行かなくなっていたところなのです」
 目を凝らすと、確かに木のてっぺんには夕陽を受けて黒紫色に照り返している鳥ポケモン――アーマーガアが、こちらを睨みつけながら喧しい鳴き声で威嚇していた。そのまわりをアオガラスたちが飛び回る光景は、異様かつ不気味である。
 アーマーガアは、圧倒的な存在感を放つ翠緑の蕾冠を、あろうことか踏みつけにしていた。
「我が王の大切な王冠を足蹴にするとはなんと不敬な連中だ! 脳味噌詰まってんのか!? サイコカッターで切り刻んで鍋の材料にするぞ腐れ鳥どもが!」
「怖いからその言葉は念波に乗せないでね。ヒトに聞かれたらドン引きされるよ?」
「シンボラー、怖いである……」
 私は王やネイティオの反応を一顧だにせず、空へと飛翔する。
 空という空間は必ずしも王の威光が届く場所ではない。あの鳥どもも臣民ではない――翼持つ埒外の者たちゆえ、王冠が王の持ち物であることを知らないのだろう。なんと哀れな奴らだ。
「おい、鎧鳥! (かしこ)くも我らが王の御冠を巣の材料にするとは何事か! 今すぐこちらに引き渡せ! さもなくば貴様らの狂態を我が王ならびに我が国に対する許されざる冒涜と看做(みな)し、苛烈な攻撃を加える!」
 不届き者たちと相対する。下方のネイティオから「なんでいきなり宣戦布告するんだ」と念波が飛んできたが、煩わしいので遮断した。
「何を言う! これは俺が山に落ちていたのを拾っただけだ! お前らこそ横取りする気だろう、蛮族どもめ!」
「なっ……!」
 よりにもよって私たちを蛮族呼ばわりだと!?
「ぶち殺す!!」
 サイコカッターを力の限りぶっ放す。
「あー! シンボラー! ダメだって!」
「うおっ!」
 知らぬ間に私の後ろをとっていたネイティオが私を羽交い締めにしたせいで体勢が崩れ、サイコカッターは上向きに逸れて何もない空へと飛んでいった。
「そのキレ芸は流石にシャレにならないから!」
「誰がキレ芸だ! てめぇも切り刻むぞ!」
「シンボラー、落ち着くである」
「……はっ」
 空でわちゃわちゃと騒いでいるエスパー・飛行ポケモンたちを諫めに王がふわりと寄ってくる。
「一度降りるである。話は聞いたのだろう? 無用な戦闘は感心しないである」
「うっ……申し訳ありません」
 群衆の喧噪の中に、王と側近が降り立つ。王の来臨に民は静まり返る。
「して、かの鳥たちは何と?」
「山に落ちていたものを拾って持って帰ってきただけだと。私たちがそれを横取りしようとしているという主張でありました」
「ムゥ、なるほど」
 王は顎に手を当てて目を瞑り考え込んだ。――なんかあざといなそのポーズ。
「何を考えているのさ、シンボラー」
「うるさいぞネイティオ」
 勝手に私の心を読むな。
「きっとヨが酔っ払って頭をぶつけて落としてしまった王冠を、巣作りのための材を探しているかの鳥たちが丁度よく見つけて拾っていってしまったであるな。彼らの立場を思えば、返却に応じないのももっともである」
「王よ、取り返しましょう! 王のお力があれば、彼奴らから取り戻すなど造作もないことです!」
 私が声を上げると、民たちも同調し賛同する。王よ、王よ! と合唱が始まり、この場にいる誰もがバド王の振るうサイコパワーで埒外の鳥どもから王冠を奪い返すのを期待していた。
 声はまるで地響きのように唸るが、王はずっと顎に手を当てたまま、ゆっくりと口を開いた。
「……冠は彼らに譲るである」
「……………………え」
 合唱が鳴り止む。
 私は丸い目をこれ以上ないぐらいに丸くする。
「これはひとえにヨの落ち度。彼らは何一つ悪くないである」
「っ王! 何を仰っているのですか!」
「王冠なぞしばらくすればきっとヨの頭から生えてくるである。一年か、十年か、待たねばならぬ時間はわからぬが……」
「しかし王! あれは王の力の源です! ご乱心遊ばされましたか!?」
 慌てふためく私と、騒ぎ立てる群衆。ネイティオだけはいやに静かだが、呆れて口も利けなくなったか。
「シンボラーよ、そして皆の者、オヌシらの言い分は重々理解しているである。だが」
 王は翡翠の瞳を目一杯に開く。頭上にないはずの王冠がまるでそこにあるかのような貫禄。王の持つ本来の親しみは削ぎ落とされ、有無を言わせぬ風格を纏う。誰しもが口を噤んだ。
「ヨは豊穣の王、恵みを与えし者。いかなる理由があれど奪掠は良しとしないである」
「王……」
 群衆の顔も見ても、王の意向を素直に承服するものはほぼいないように見受けられる。かく言う私だって、こればかりは納得できかねる。
 だが、きっと民全員で王の説得を試みても徒労に終わるだろうということも承知していた。
 皆、王の優しさは知っている。バド王は、このような決断を下すからバド王なのだ。それを本気で止めにかかるのはまさしく不敬の極みである。
「……承知いたしました。王の御心の赴くままに」
「さて、城に帰るである」
 じきに日が沈む。私は気落ちしたまま、しんがりを務めて民を先導した。
 こんなことになるなら、王に留守番をしてもらい、私たちだけで王冠を取り戻すべきだった。
 後悔してもしきれない。横に並ぶネイティオが特段悔しそうな表情をしていなかったので、私は思わず彼を睨めつけた。



   ▼△▼
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 王が眠りにつくのを見届けたあと、私は神殿の外へと出た。山の透き通った凍てつく空気は、冴えた月と無数の星々の煌めきを一切の曇りなく伝播させる素晴らしい媒体だった。
 が、その冷たさゆえに私は身をこごめている。風がないのが幸いだが、寒さが身に凍みる。
 ネイティオは――同じく寒さを得意としていないにもかかわらず、石畳に棒立ちして令月を眺めていた。
 私はネイティオの視線に覆い被さった。
「月が見えない」
 ネイティオの文句を無視する。こうでもしないとネイティオは私を見ないのだ。
「お前はこれでいいと思っているのか」
「何が?」
「王冠は絶対に取り戻さなければならなかった」
 私の言葉の意味するところを、いくらポンコツのネイティオだろうと、理解しないはずがない。
「このままでは王が振るわれるお力もさらに弱まってしまうことは必至だ。王のたゆまぬご尽力により維持されてきた実りの時代は終わり、冬の時代が来る……王は理解しておられるのか」
 王冠をなくしたと泣いていた王を見たとき、動揺はした。大変なことだとも思った。だが、ここまで憂慮すべき事態になるとは考えもしなかった。
「心配しすぎだよ、シンボラー。なるようになるって」
 だというのに、この大馬鹿野郎はどこまでいっても楽観主義を振りかざし悠長に構えている。
「……真面目に言ってんのか? あ? いい加減キレるぞ?」
「やだなー。もうとっくにキレてんじゃん」
「@#★◇※○;▼!!!!」
「待って待って、本気で殴らないで! 痛い痛い痛い痛い!!」
「お前ふざけんなよ!! おい!! どれだけヤバいことになってるか解ってるのか!? あぁ!? 王の力がなけれればみんな飢えて死ぬんだぞ!! 少しはマジになれよてめえ!!」
「シンボラー落ち着いて! 側近同士の喧嘩は御法度だって王にも言われてるでしょ!!」
「……!!」
 王の言いつけを盾にする馬鹿ネイティオを突き飛ばす。苛々しすぎて目玉が飛び出そうだ。
「そんなに怒りんぼだと寿命縮むよ?」
「……ぶち殺すぞ」
「落ち着こうよって話だよ、シンボラー。君はさ、王のこと信じてないの?」
 ネイティオが不気味な笑みを湛えて俺を見る。手負いの獣を哀れむような目だ。
「王は大丈夫だって言ってるじゃない。信じようよ、我らが偉大な王を」
「っ! だが!」
「僕は王を信じれるのに君は信じられないの? もしかして僕より忠誠心劣ってる感じ?」
「はぁ!? 俺は誰よりも王を愛してるし忠誠を誓ってる! お前なんかより……っ!?」
 不意にネイティオに抱きしめられる。
「!?!?」
 もがいて振りほどこうとするが、想像以上に力が強い。その貧弱な体のどこにそんな膂力が潜んでいるのか。
「シンボラー、安心してよ。近々答えは出る。君の不安はすべて杞憂に終わり、式日は来るだろう」
 まるでネイティオが十匹に影分身し、前後上下左右から話しかけられているような、(ダブ)った声だった。
 こいつ、俺に何かしやがったな――
「……お前のその眼には何が視えているんだ」
「愛があれば君にも視えるはずだよ、シンボラー」
 微睡みを誘発するような残響(エコー)。こいつは――何を――企んで……
「そうやって怒ってばかりでは疲れてしまう。今日はもう寝るといい」
 ネイティオは催眠術など使えないはずなのに――生き長らえたエスパータイプは――余計な(すか)しを覚えるから――本当に小賢しい……
「おやすみ」
 ――。


   ▼△▼
    ▼



 ネイティオの言葉を真に受けたわけではないが、かといって自分にできることは思いつかず、やきもきした気持ちのまま一週間が過ぎた。
 王の威容が減じた影響は凄まじく、まだ秋口だというのに山の頂上から見える景色の大半を占めている鮮やかな緑は徐々に褪せていく。
「これほど早く差し響くとは……」
 今冬をなんとか乗り切ったとして、その先の未来はどうなってしまうのか。王は相変わらず玉座に引き籠もり姿を見せない。
「おい、我が主を出せ」
 そんな折り、硬い(ひづめ)が神殿前の広場の石畳を叩いた。
 黒紫色の捻れたたてがみ。引き締まった黒い身体。蹄と脚が切り離されている異様な風体。
「いったいどこをほっつき歩いていた、暴れ馬。お前の主が一大事だというのに」
「だからこうして来てやったのだ」
「……ちっ」
 癪に障る馬だ。まあ、こんな暴れ馬を御してこそ王の威風も確固たるものになっていたのであり、不遜な部分には不承不承ながら目を瞑っていた。
 しかし、性格を抜きにすればこの黒馬の洗練された姿はどこを切り取っても絵になる。王が愛馬に跨がり野を駆け回る姿は、この世で最も美しい光景だ。
「バド王はお休みになられている」
「彼奴はもう王などではない」
「なんと不敬な! 言葉を慎め、駄馬め! 畏くも一国の王を誹るとは無礼にも程がある!」
 翼を広げて威嚇するも、馬は頑として動じない。
「ふん、ならこの有様はなんだ? 冬の到来はまだ先だというのに緑は死に始めている。王冠を失い、この地を治める力もじき失うだろう。もはや王の器ではない。当然我が主である資格もなし!」
「黙れ! 王の御加護は永遠だ! 所詮お前のような駄馬にバド王の真の偉大さは理解できまい!」
「うるさいである。何事か」
 はっとして振り向くと、玉座の間から出てきたバド王が私の後ろにいた。
「おお、レイスポスか。来ているとは思わなかったである」
「……なんだその貧相な頭は。嘆かわしい」
「貴様ッ!」
「よいである、シンボラー。そう目くじらを立てるな」
 暴れ馬は心底がっかりしたと言わんばかりに小さく(いなな)くが、それを見つめる王の翡翠の眼は湖面のように穏やかで慈愛に満ちていた。
「そのようにオマエが言うのも致し方あるまい。これが今のヨである」
 王冠を失くした当初は取り乱していた王だったが、今はもう以前の佇まいを取り戻さんとしていた。もっとも、荘厳さはどう取り繕っても欠けているのは否めない。
「今のヨではお前を御すことは叶わぬ。どこへでも行くがいい」
「言われずともそうするつもりだ」
 黒馬は一鳴きして身を翻し、石畳を壊しかねない勢いで踏みつけながら広場から出ていった。
「……寂しくなるであるな」
 ぽつりとごちた王の小さい背中がいたたまれない。
「……我が愛しの王よ。このシンボラー、王がどのようなお姿であられようと命尽きるまでこの身を捧げる所存です」
 地面に降りて深々と頭を下げる。
「顔を上げるである、シンボラー。ヨが未だ王として君臨していられるのはそなたの力添えがあればこそ。誠に感謝の念に堪えぬである」
「身に余るお言葉です。……これに懲りて酒はほどほどにしてください」
「ムゥ……耳が痛いである。しかしオヌシは見違えたであるな。初めて(まみ)えたときはレイスポスに負けず劣らずの狼藉者だったはずであるが」
「王よ、それだけは言わない約束だったはずです……あれは若気の至り。王に対しあのような無礼を働いたこと、思い返すだけでも慙愧に堪えません」
 王はカラカラと笑う。王の明るい表情を見るのは先の収穫祭ぶりで、思わず顔が綻ぶ。
「フフ、懐かしや。あのようにヨに力比べを挑む者は、それこそここ百年余りレイスポスぐらいしかいなかったであるから、誠に楽しかったである。今のヨなら、きっとオヌシともいい勝負をするであろうな」
「……お戯れを」
 王のためならば、この命は惜しくない。王が滅ぶときは、自分も死ぬときだ。
 だが、諦観するには、自分は何一つ王のために為せたことがない。このままでは諦めきれない。

 それでもネイティオは言う。
「僕と君だけが王の側にいることを許されている。役割を果たすんだ。君が王の側を離れてはいけないよ」
 王やネイティオに黙って埒外の者どもから王冠を取り戻すことも考えた。
 しかしネイティオに気持ちを見透かされたような気がする上に、王の意向を私が無視したことでどれだけ王が悲しむのだろうと考えると、迂闊なことはできなかった。
 


   ▼△▼
    ▼



 民は冬籠もりの準備のために忙しくなり、王への供え物を持ってくる使い以外に神殿に訪れる者はいない。
 寒さに木々は葉を落とし始め、城から見える景色は殺風景なものに変わっていく。
 ネイティオはいつものように神殿の外に突っ立って太陽を見つめるばかり。
 レイスポスのいない空の東屋は物寂しく、側のカゴには黒い人参が一本だけ入っている。
 相変わらず王は城の奥にひっそりと籠もっている。
 神殿は森閑としたがらんどうで、これから来る冬の時代を暗示しているようにも思えた。
「おい、ネイティオ。式日だか吉日だか知らんが、ぼうっと待っていたってこちらから迎え撃たなければ掴むことなどできやしないぞ。おとなしく飢え死にするつもりか?」
「……まさか」
 黒々とした瞳がこちらを向くことはない。
「ねえ、シンボラー。我らが愛しの王の時代は、いつまで続くと思う?」
「王があらせられる限り、永遠だ」
 後ろ盾を失っても、はっきりと答える。王に仕える者として、王を信奉する者として、不変の答えだ。
「永遠というものはないよ、シンボラー」
「お前は王を信じているんじゃなかったのか」
「信じようがいまいが、永遠なんて僕たちの言葉の上にしか存在しないものなのは事実だ。僕だって王の時代が、たとえ命が尽きて王の行く先を見届けられないとしても、永遠に続いてほしいと心から願っているけどね」
 こいつは天秤にかけている。客観的な事実と、王への信奉心とを。
「最近よく思うことなんだけど」
 ネイティオは私が余計な口を挟まないように、前置きをした。
「王は遙か昔、僕らが生まれる前からずっと、己の愛の大きさをこの地に証明し続けてきた。数多の命を癒し、恵みを与え、繁栄をもたらした。先達の彫った、王の功績を讃えるための石碑はあちこちに点在している」
 言われずとも知っている。石碑の場所はすべて覚えているし、彫られている文字も一字一句記憶している。王を愛するならば当たり前のことだ。
 大昔に空から降ってきた災厄と王が闘った記述も、石碑の一つに書かれている。私はその情景を、まるで自分の眼で見たかのように想起できる。
 青く神々しい光を纏い、ヒトの掌のような形の化け物と闘った王は、数多の命をお救いになった。
 王の偉大さが記録されるのは、当時の民がいかに王に敬服していたかを思えば、至極当然であると思う。それが、民が王への感謝を示す数少ない方法の一つであるのだから。
「本当にそうかな?」
「あ?」
 また心を読まれた。
「偉大な王と(くら)べればずっとちっぽけな僕らだけど、残せるもの、残すべきものは他にもあるんじゃないかな?」
「何が言いたい」
 ネイティオが左目を(すが)める。はっきり開いているのは、未来を見通すという右目。
「一両日中に、式日は来る。この神殿はちょっと寂しいから、いい感じに飾りつけておいてよ、シンボラー」
「はあ? 何を言い出すんだ、もう収穫祭は終わったぞ」
「君は見たくないのかい?」
「何をだ」
「何って……」
 ネイティオはにっこりと笑う。 
「証明さ」



   ▼△▼
    ▼



 いい感じに飾りつけておいてよ、と言ういい加減なネイティオの指示を馬鹿正直に守る謂れはない。が、ああも意味深長な笑みで言われては、癇に障ることこの上ないが、何かが起こるのだろうと思う。
 毎度のことながら、もったいぶらない言い方をしてくれれば私のネイティオに対する心証はまだマシだった。ネイティオは――というよりネイティオという種族は、自分の眼で視たことを決してはっきりと言わない。
 揺れ動いて如何様にも転ぶ不確定な未来を、さも予知したかのように明言するのは極力避けたいのだろう。ネイティオは並外れて慎重なのだ。
 だが振り回される身からすればたまったものではない。
 収穫祭の際に神殿を彩っていた飾りはほとんど廃棄されてしまっていたが、ヒメリの木の枝と花で組み合わせて作ったリースや、黒い人参が胴体となっている魔除けの人形(ほぼ子供騙しの代物に見える)、器用に編まれたレースは来年の収穫祭に使い回そうとしたためか、まだ物置の奥に残っていた。
「流石に野菜は捨ててくれ……」
 ずぼらな民の所業はときどき目に余ることがある。
 おおよその飾りつけが終わった昼下がり、東屋で身体を休めていたところ、緑色の鳥がのそのそとやってきた。
「祭壇は?」
「は? 必要なのか?」
「王に居てもらう場所は必要でしょ。あと三十分もしないうちに民全員ここに集まるけど」
「先に言えよ! あんなでかいもん物置から引っ張り出すのにどんだけ時間かかると思ってんだ! お前も手伝え!!」
「いだだだだだっ!」
 嘴を掴んで物置まで引っ張っていく。どれだけ痛がろうが知ったこっちゃない。こいつはなんでいつも後出しなんだ。ウスノロの化身め!
「せっかくの式日なんだから怒らないでよ」
「お前がちゃんとしてれば俺だってこんなに怒鳴ったりしない!」
 文句を言いながら、息を合わせてサイコパワーで祭壇を持ち上げる。若干饐えたにおいのするそれはとても重量があり、ひとたびバランスを崩せば横倒しにしてしまいそうになる。
 慎重に神殿の外に運び出すと、山道を登ってきたヒトやポケモンが神殿の前に集まり始めているのを見た。
 皆、収穫祭の時と同様に色鮮やかに着飾っている。ネイティオの言う式日とは、いったい何なのか。王の側にずっといた私は何も聞かされていない。
 広場から神殿に上がる階段の上に祭壇を設置する。
「シンボラー、王を呼んできてよ」
「ポケ使いが荒い」
「君の役目でしょ?」
 私にいくつ役目を押しつければ気が済むのかと辟易したが、確かに王を呼ぶ役目に相応しいのは王の側にいることが一番多い私であるのは間違いない。
 神殿の最奥の扉に立つ。
「王よ、失礼いたします」
「うむ」
 勝手に部屋に入ることを許されている身ではあるが、私の流儀にはそぐわないので、必ず一言声をかける。
「神殿の外で民が王を待っています」
「用があるなら入らせればよい。ヨは構わないである」
 玉座に小さく座っている王は、こちらを見やることはなかった。
「いえ、そうではなく……臣民全員が階下で王のお成りを待っているのです」
「なんと!」
 王は心底驚いたようで、何ゆえそのようなことになっているのかと私に尋ねた。
 そして私は王の心中を見抜いてしまった。
 王は、レイスポスが自分に浴びせかけた言葉を、臣民からも投げつけられるのではないかと怯えている。
 力を失った自分にもはや求心力など微塵も残っていないのだと、それが今から証明されるのではないかと思っているのだ。
 それでなくとも、今の姿を衆目に晒すのは恥ずかしくも思っているのだろう。王冠を取り戻しに山を下りたときだって、本当は怖かったはずなのだ。
「王よ、今日は式日です」
「式日……?」
 ネイティオの受け売りだ。私の言葉には実感など伴っていない。
「カムゥ……」 
 バド王は不安と困惑の眼を私に向ける。
「大丈夫です、王。私を信じてください」
 本来であれば、ご心配には及びません、とか、恐れる必要はございません、とか、丁寧な言葉を掛けるべきだ。だが、上っ面を撫でるような慇懃な言葉では、王の恐れを取り除けない気がした。
 ――なぜネイティオが私をずっと王の側にいさせたのか、少しだけ理解できた気がする。
 私は王に翼の先を差し伸べた。
「さあ、行きましょう」
「……わかったである」
 王の小さな手が私の翼に触れた。
 王の手は温かった。そういえば、王の手に触れたのは初めてだ。王の身体に触れるなど、畏れ多いことだったから。
 王をエスコートして、神殿の扉を開ける。城壁に切り取られた四角い空は冴え返る青さで、端に留め置かれた太陽は城壁に据えられた飾りを照らしていた。
 祭壇まで王を導く。階段の下には民が多数集まっていた。祭壇に上った王。祭壇の隣で侍する私。
 ひしめく集団の最前列の中央――まったく見覚えのない物があった。
 こちら側から見てヒトが右側、タチフサグマが左側に立ち、ふたりが両の手でそれを丁寧に持っていた。
「……嗚呼」
 式日、か。なるほど、確かにそうだ。
 今日が佳き晴天に恵まれて本当に良かった。
 満を持して、私は宣言する。
「これより、我らが愛しのバド王の、再戴冠式( ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ )を執り行う」
 階下に立つネイティオ。――不意の秋波(ウインク)
 調子に乗るなと心の中で軽く毒づき、二名は前に出よと促す。
 落とさないよう、恐る恐るといった足取りで、それを運ぶヒトとタチフサグマは階段を上る。
 見れば見るほど、絶巧の王冠だと感ぜられる。美しい翠緑の蕾冠とは色味も作りもまったく異なるが、赤々と燃えるような生命力を感じさせるその冠も、王の威厳を飾るのに相応しいものであるように思えた。
 南にある湖の中央に伸びるようにある丘、そこに生えている一本の巨大な樹――一ダイ木の葉を使ったのだろう。一年中赤く茂っているそれはこの地に輝く生命力の象徴であり、収穫祭の飾りとして用いたこともある。
 一体どのような作り方をしたのか判ぜられないが、柔らかい枝か蔦で丁寧かつ精巧に編み込まれているのが解る。
 王の様子を横目で一瞥した。
 驚嘆――だろうか。翡翠の目はそれを物語っている。そして一差しの、徐々に花開く喜び。
 怯えや不安が上書きされて、安堵の灯も点っている。
「王の美しい翠緑の蕾冠に比べればずっと不格好ではありますが、皆が王を想い、材料を一から集め、()り合わせ、精一杯作ったものです。どうかお納めいただきたく……」
 恭しく頭を下げるふたりに、王がゆっくりと近寄る。
「とても……嬉しいである……こんな、立派な……、感激で言葉が……上手く出てこないである……」
 王がどれだけ喜んでいるかは、誰もが一目見て理解した。王がこれほど感情を露わにすることは滅多にないのだ。
「被せてもらっても構わぬであるか……?」
 王が頭を傾ける。タチフサグマもヒトも、本当に自分たちが被せていいのだろうかと私に目配せをするが、私は「構わない」と合図を送った。
 静かに、王の四つ角の中に、燦爛たる赤い王冠が据えられる。
 ふたりが両脇に避け、王の新しい姿がお披露目された。
「なんとお美しいお姿!」
「お似合いでございます、王!」
 王の見目を賞賛する言葉が飛び交う。巻き起こる拍手、鳴き声、遠くの嘶き。祝砲代わりに、誰かが天に向かって光の束(ソーラービーム)を放った。
「こんな素晴らしいものをもらったのは、この世に生まれ落ちて初めてである!」
 王は鳴いた。その眼に涙を湛えて。
(……あ)


『王は遙か昔、僕らが生まれる前からずっと、己の愛の大きさをこの地に証明し続けてきた』
『偉大な王と較べればずっとちっぽけな僕らだけど、残せるもの、残すべきものは他にもあるんじゃないかな?』
『君は見たくないのかい?』


「そんなの……見たかったに決まってるだろう」
 気がつけば、俺も滂沱(ぼうだ)の涙を流していた。
 王は、その身に抱えきれないぐらいの大きな愛を、この地に、民に、ずっと与え続けてきた。己は見返りも求めず、ただ民に求められるがままに。
 俺も、民も、きっと同じぐらい王を愛していた。だが、その証明はいつ行ったというのだろう。
 王を生き長らえさせる供物だの、王に畑を荒らす馬を御させるタヅナだの、所詮王をこの地に留め置くためだけのものを、どうして愛の証明だと誤解したのだろう。
 石碑に彫られた記録など、過去を振り向かず未来だけを見据える王にとっては何の役にも立ちはしない。
「シンボラー、新しい王冠はヨに似合ってるであるか?」
 王が横にいる俺に話しかける。
「ええ、ええ、とてもよく似合っておりますよ、王」
 悲しみに暮れる王を癒やすためだけに作られた、祈りの王冠。王に元気になってほしいと、そんな願いだけが編み込まれている。
 その王冠は、愛だった。
「何だか……力が(みなぎ)るである!」
 赤い王冠が、青い光を帯びる。
「お、王……!?」
 不可思議な光景だった。タヅナのように、王の特別な力が込められているわけでもない、民の手製の冠が輝き始めた。
「カム、カムゥ……!」
 神殿が揺れ、民も惑い始める。
「王よ、どうか気を確かに!」
「問題ない! 気が散るから話しかけるなである!」
 王の瞠目。掲げられる右手。
「カムクラウ!! カム カムーィ!!」
 眩い閃光に、神殿ごと包まれる。俺は眩む眼をなんとかこじ開け、王の威光をこの目に納めんとした。
 光は空を、地を、海を覆う。それは一瞬のことであり、青い煌めきは瞬く間に消失したが、王の堂々たる威風が遥か遠くまで伝わった――そんな光景だった。
 光の粒が冷たい空気に溶けきったとき、若緑の芽吹きの匂いがし始めた。
 真っ先に城壁の外側に出る。民も皆、いったい何が起こったのかと門をくぐった。
 わっと歓声が上がる。まもなく冬が来るというのに、一面の緑、咲き誇る花。
 振り返ると、感涙に咽ぶ民たちの後方、門の真下で、王がニコニコと笑っている姿があった。



   ▼△▼
    ▼



 翌朝、城の外に出ると、雪がちらついていた。本格的な冬の到来がいよいよそこまで来ている。
 東屋の側で、ネイティオはそこが己の定位置であると主張するように突っ立っていた。
 私は後ろから忍び寄り、
「っ痛!」
 黄緑色の頭をはたいた。
「……どこまで視えていた?」
「結末は視えてたけど」
 今度からちゃんと全部言え、と言おうとしたが、私が言ったところでどうせこいつは変わる気はないのだろうと諦めた。
「これで少しは……王の自己不審もマシになるといいね」
「どうだか。ウン千年の筋金入りだからな。でも」
 愛の証明はできたんじゃないか――と思う。
「何言ってるのさシンボラー」
「あ?」
「確かに民は王への愛を証明したけど、君自身は何もしていないじゃないか」
「何だよ。それをいうならお前だって同じだろう」
「ふふ、果たしてそうかな?」
 ネイティオが気色悪く笑う。どこから見ても、私を嘲っているようにしか見えない。
「僕はね、君が来る何十年も前から王に仕えてるんだよ。王のことは何だって知ってる。愛の証明方法だっていくつも知っているし、当然実行もしている。王は、僕が王のことを愛していると知っているんだ、たとえば……ゴニョゴニョ……」
 不意の耳打ち。嘴の奥から聞こえる囁き声。
「は、はあ~~~~~!? おま、そんな、不敬なっ」
「何が不敬なもんか。王は意外と甘えたがりなんだ。君が知らなかっただけだよ。君もすればいいじゃないか」
「だ、だが! そんな、ことっ」
「君は僕を口先ばかりだと嘲っているんだろうけど、僕から見れば君のほうこそ口先だけだ。少しは勇気出しなよ」
 ネイティオは今までのお返しと言わんばかりに、私の背中をばちんと叩いた。
「痛゛!!」
「君も王を愛してるなら、ちゃんと証明してごらん。王は受け入れてくださるだろう」
 頭が混乱する。そんな――そんな証明方法があっていいのか――?
 不敬で、無礼で、いかがわしい――は流石に言い過ぎかもしれないが、しかし――





   ▼△▼
    ▼





「王よ……少しだけお時間を頂きたく……」
「ム、何であるか?」
 玉座に座る王は、私を見上げる。その目は、私のことをほんの少しも疑っていない、無垢な眼だった。
 こんなことを口にするのは、やはり憚られる。
「その……誠に身勝手かつ無礼を承知でお願い申し上げるのですが……」
 随分な畏まり方だと訝しがる王は、数秒後、私が仕えたその日からから一度も目にしたことのない、大輪の花が咲いたような笑顔をした。
「まさかオヌシからそのような提案を受けようとは! よもやよもや!」
 ネイティオのドヤ顔が頭に浮かんで、無性に腹が立った。
 しかし、私はネイティオの言う通り、たぶん口先だけだった。
 私は、己の翼の一番柔らかな部分を、王の頬に添える。

 王への愛を証明する旅路は、始まったばかりだ。






 -終-



続き⇒挿話 -花の式日-



あとがき

 何かと死臭漂う小説を書くきらいがあるので、たまには『愛』を書きたいなあ、全員ハッピーになるエンドにしたいなあ、と思いながら書いていました。
 カンムリせつげんが配信されてバドレックスとのイベントをプレイしたのですが、「これは物書きとして絶対に物語にしたい!」っていう気持ちが芽生えまくったので、形にできて本当に良かったです。
 バドレックスを観察していて「そういえばこの頭の冠?って取れるの?」っていう疑問から着想を得た本作ですが、書き上げるにあたってある御方のバドレックス二次創作漫画にかなりインスパイアされましたので、ここにpixivと通販サイトのリンクを貼らせていただきます。全人類読んでくれ。(在庫なしだったら在庫復活までお待ちください)
https://www.pixiv.net/artworks/85765684
https://hakaipower.booth.pm/items/2555457
(もともとシンボラーは出す予定でしたが、ネイティオはこれを読まなければ間違いなく登場させてなかったと思います)
ところでバドレックスのモンコレを買ったんですが、土台が貧弱すぎてなかなか立たないんですよね……バン●イもう少し頑張ってくれ。




というわけで、第十二回仮面小説大会 非官能部門 にて6票を頂き、準優勝でした。
以下投票コメント返信です。

バド王が可愛くてたまりません。強大な力を持っているのに過剰に謙虚で役割を果たそうと精一杯頑張る誇り高い王様と、その王様を敬愛しつつ保護者みたいなシンボラーとネイティオがたまりません。王様が民に愛されている様がホントたまりません。大好きです。 (2021/01/14(木) 23:13)

カンムリせつげんをプレイしたときにこれは絶対にバド王を書かなければ……と思い、ゲームと図鑑説明を自分なりに解釈してこういうキャラクタになりました。そしてその王様を支える侍従もドタバタしながら懸命に支えてるんだろうな~(幻視)って感じで、とにかく王と侍従(と民)の関係をひたすら描写しようと努めました。伝わってホッとしてます。ありがとうございました。


クレイジーで楽しいやり取りが楽しかった上で、少しずつ和やかなエンディングにまとまっていくのが好きですね。(2021/01/15(金) 23:27)

ギャグ調を書くのは苦手意識があったんですが、今回はちょっとだけ挑戦してみました。ふわふわしたエンディングにしたかったので満足です。


バドレックスの絶妙なポンコツ具合が可愛いです (2021/01/16(土) 22:26)

カンムリ雪原でもわりかしポンコツでしたね。バド王のポテンシャルを感じます。


投票します (2021/01/16(土) 22:35)

ありがとうございます。


シンボラー君の方がいざという時ポンコツなのがいっぱいちゅき (2021/01/16(土) 23:44)

愛ゆえに空回りすることはよくありますね(温かい目)


お茶目な王が魅力的で、側近や民から愛されるのも納得でした。 (2021/01/16(土) 23:53)

いや~生まれ変わったらバド王に仕えたいですね。早く輪廻転生したい。



読んでくださった方々、そして投票してくださった方々に感謝御礼申し上げます。

感想・誤字脱字報告等ありましたらどうぞ↓

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