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吉凶禍福はとなり合わせ の履歴(No.2)


呂蒙

「ねぇねぇ。今、ニンゲン界では神社に行くのがブームなんだって」
「ふーん、どうしてだろうね?」
「『おかげ参り』が復活したんでしょうか?」

『おかげ参り』とは、その昔、周期的に訪れた神社やお寺への参拝ブームのことだ。60年周期といわれているが、実際はもっと頻繁に発生したようだ。
 現代と違って、移動手段は徒歩。そもそも移動の自由なんてものがない時代だったから、誰もが気軽にできたわけではない……と思いきや、神社やお寺への参拝が目的の旅に関しては、例外的に寛容で、役所も問題なく通行手形を発行してくれたらしい。
 通行手形とは、一種の身分証明書で道中にある関所で必要になる「この人は問題のある人ではありません」という役所のお墨付きと、身分証明書を兼ねた書類である。
「有休」なんていう制度がない時代のことだ。勤め人がそんな簡単に休みをとれるのかと思うが「こういう目的なら仕方がない」と、渋々勤め先も認めていたらしい。認めないと「神社やお寺への参拝を妨害した」罪で罰が当たる……なんていうことが信じられていたからだ。もちろん、迷信だろうが、そのようなことが普通に通用する時代だったのである。

 こうしたニンゲン界をとある場所から、いろいろな眼差しで眺めているのが、いわゆる「神サマ」たちである。ユクシー、エムリット、アグノム。それぞれ得意分野は違えど、かなりの力量を持った神サマたちである。他にも「創造神」とか「千年に七日しか目覚めないけど、お願いを何でも叶える」というのもいる。
 神サマの世界は、俗世とはあまり関わり合いがないうえに、ゴタゴタも少ないから、よく言えば平和で悪く言えば退屈である。
 ここには、様々なお願い事が書かれた絵馬が奉納される。ものによっては、叶えてくれるし、そうでないものもある。お願い事も様々である。本当に切実なものもあれば、ふざけるなと言いたくなるようなものもあるし、そんなことぐらい自分で何とかしろよ、と言いたくなるようなものもある。
 全部叶えなきゃ、叶えてあげなきゃ、と思うのが神サマかと思われているだろうが、それは俗世に住まう者たちの勝手な想像というものである。
「また、お願い事いっぱい来てるね……」
「悩み事が多いんだろうね」
 どうにもならなければ、いや、どうにかできても神頼みというのが俗世の考え方のようだ。それでいて、お願い事をしたのに、何の効果もなければ「嘘つき」と言われてしまう。
 神サマだって、感情を持っているのである。当然、そんなことを言われていい気分にはならない。
「でもさー、叶えなかったら嘘つきって言われるんでしょ……」
「ちっちっち、これだから『どエムリット』はダメなんですよ」
「その呼び方、やめてって言ってるでしょ!」
 知識の神サマとか言われている、ユクシー。頭はいいんだろうけど、なんというか、嫌な奴というか……。まあ、ちょっと変わっているのは事実だろう。
「発想を転換させないとだめなんですよ。お願い事を叶えなかったがために、嘘つきと言われて、傷ついていたらキリがありませんよ。私なんか嘘ついたことはありませんから」
「えー、じゃあ全部お願い事を叶えているわけ? いくらなんでもそれは……」
「ええ、そんなことしていませんよ」
「じゃあ、ダメじゃん」
「いいですか、お願い事を叶えなかったのは『嘘』ではありません」
「じゃあ、何?」
「『嘘』ではなく『これまでのお約束と異なる新しい判断』です」
「えっ……えっ? いや、ちょ、ちょっと待ってよ、それって、結局はう……」
「『これまでのお約束と異なる新しい判断』です」
「え、でもそれって……」
「『新しい判断』です」
「……」
「『新しい判断』です」
「……」
「あたら……」
「あーもう、わーかったから、もう! 頭がおかしくなりそう!」
「お分かりいただけましたか?」
「あー、はいはい。わかったから……」
 こんな感じである。アグノムや他の神サマ曰く「なんかこう、暴力的な意味じゃなく、他者をイジめるのが好きみたいだし、政治家に向いてるんじゃない?」とのこと。時には「どS」と言われることもあるが「まあ、そうなんでしょうね」と本人は意に介していない様子。
「だから『どSメロンパン』って言われるのに……」
「『どエムリット』がいるんだから、ちょうど釣り合いが取れていませんか?」
(まあ、これくらい鋼の精神がないと、神サマなんて務まらないのかもね……)

 神サマとは時に慈悲深く、時に残酷である。ひょっとすると、神サマというのは言うなれば「天使と悪魔のハイブリット」なのかもしれない。お願い事を叶える……それ自体は容易いこと。でも、良くも悪くも、その後のことは知らないというのがスタンスである。
 それぞれの事例を見ていこうか。

・凶→吉の場合

 受験や就活のシーズンが近づいてくると、その手の方面のお願い事が増える。それ自体は何もおかしいことではない。お願い事をする本人の力量次第だが、それだけではどうにもならない「運」の要素も絡んでいる。例えば、受験だったら「例年より問題が難しいか易しいか」といったことだ。
 希望の学校や企業に入りたいというのは誰だって、同じだ。だが、生憎お願いを聞き入れる神サマは「天使と悪魔のハイブリット」だったりする。
(……ふつう希望を聞き入れるんじゃ、面白くないしなぁ……)
 と思うことが、よくある。その後のことまでは、どうなろうが知ったこっちゃないのだが、それでもどうなるか、責任は持たないけど気にはなる。
 偶然か必然か、数年後に「結果的にこれでよかった」と願い事の主がそう思うようになることがあったりもする。
 寒風吹きすさぶ中、絵馬を奉納したにも関わらず、第1志望の企業や学校に入れなかった……。これだけ見ると、お願い事は確かに成就しなかった。でも、第2、第3志望のところには入ることができた。問題はその後である。
 例えば、学校の場合。受験から数年後、落ちてしまった第1志望の学校が世間の非難を浴びるようなことをしでかしたために、連日ニュースでも取り上げられるようになった。時期の悪いことにその時期は、ちょうど就職活動の時。
 企業からしてみても、印象が良くない。本人とは関わりがないとしても、学生たちは「そういうところにいた人なんだ」という目で見られてしまう。そのこと原因でなかったとしても、足を引っ張る要因になったことは確かで、売り手市場と言われるようになった就職活動で、苦戦を言いられるようになったとのこと。
(あれ? もしかして行かなくて良かった……?)
 そう思ったのか、お願い事をした主は社会人になってから、報告も兼ねてお礼にやってきたらしい。今では、忙しいながらも充実した毎日を送っているそうな。
 こんなケースもあった。
 何とかして、第1希望の企業に入りたいというものであった。就職活動である。切実なお願いだ。終身雇用制度が崩れたとはいえ、転職をしなければ40年も世話になるところを決めるのだ。
 だが、結論を言ってしまえば、このお願いも叶わなかった。仕方なく、希望しているところとは別の場所に行ったのだが、その2年後、世界中を震撼させた大事件が発生した。
 何でも、新型のウイルスが大流行したとかで、ニンゲン界の様相が大きく変わった。
(た、助かった……?)
 実はお願いの主が希望していた就職先は、旅行業界。ところが、この新型ウイルスの大流行で、世間はとても旅行どころではなくなってしまう。移動の要となる交通機関も軒並み運休や減便に追い込まれるなど大打撃を被る。需要が激減した旅行業界も同じだった。
 経営の体力が尽きた企業は潰れ、余力があると思われた大手の企業も新規の採用を取りやめたり、普通なら支給されていた賞与は無しというところまで追い込まれていた。
 一方で、お願いの主が就職した先はその業界とは全然係わりのないところだったので、そこまでの打撃は受けずに済み、会社のオフィスまで来ていたのが、リモートになるなどの変化はあったものの、路頭に迷うようなことはなかった。
 就職活動中に何となくだったが「この業界、本当は自分に合っていないのではないか?」と思うようになり、それからは別の業界に志望を変えたところ、あっさり内定を獲得。お願い事の主は「何かよく分からないけど、結果的に、その通りにしてよかった」との事で、今でもその企業で働いているという。
 数年越しだったが、こちらもお礼の参拝に訪れたという。

・吉→凶の場合

 残念ながら、先ほどのケースと違ってめでたしめでたしとならないこともある。
 よくあるお願いが「宝くじに当たりますように」というもの。一攫千金、濡れ手に粟、そういう気持ちを抱くのは分かる。誰だってそうなのだから。
 皆が皆、大金を手にするとどうなるかというと、世の中はたちまち、ハイパーインフレである。紙幣は紙くずになり、社会は大混乱だ。でも、1人くらいだったら……。
 こうして、神サマの助力で見事1等と前後賞に当選。大金持ちの仲間入りである。だが、当然ここで終わりな訳がない。その後のことまでは、どうなろうが知ったこっちゃないのだが、その後、どうなるのかは気になる。ただし、悪い意味で。
 神サマというのは、崇高にして残酷な存在である。本当に藁にも縋るような思いで、お願いをしてくる者に対してはこんなことはしないのだが……。この絶頂から、どのように転落していくのか、それが気になるのだ。
 本当に残酷な話だが、こういう絶頂からの転落劇を眺めるのは、神サマにとっては娯楽の1つでもあったりする。後世への戒めとするためでもあるのだが、単純に見て楽しむという方が大きかった。
 だって、自分たちにはどのような結末を迎えようが、関係ないのだから。絶頂から転落に至るまでは、眺めるだけで何もしていない。それで文句を言われても困るのだ。
 どうなったか、簡単に記すと、突然大金が舞い込んだがために、金銭感覚がおかしくなり、浪費を繰り返した。その時点ではまだ宝くじの当選金は残っていたのだが、それを元手にビジネスを始めたが失敗、負債は宝くじの当選金で何とかなったものの、10年ほどで何もかもがなくなってしまい、元よりも貧しい生活を送っているそうな。
「まさに『大ばくち 身ぐるみ脱いで すってんてん』だな。あれ、誰の言葉だ……?」
 ある神サマはこのように感想を述べたという。このように、大金が舞い込んでも、堅実に生活をする者がいる一方で、金銭感覚がおかしくなってしまい、転落していく者もいる。永年お勤めの神サマ曰く「後者の方が多い」とのことだ。
 他にも、どういう経路なのかは不明だが、高額当選したというのが外に漏れてしまう。それで集られるようになってしまい、他者が怖くなった結果、精神を病んでしまったというケースもある。大金持ちから貧乏に転落するとまではいかなくても、不幸になっていることのほうが多いそうなのだ。
 大金を手にしても不幸になるのは、実はこういう仕組みなのかもしれない……?

 しかし中にはうまい具合に回避している強者もいる。例えば、神社にお礼の参拝や、この後面倒事に巻き込まれないように、祈祷を依頼するといった方法である。地獄の沙汰も金次第である。
(ここまでされてはな……)
 とにかく、用心深く隙を見せないこと。加えて、先を読む力……だろうか? 神サマであっても舌を巻く世俗のニンゲンがいるのは事実である。

・どうしたらいいのかわからない場合

 中には、本当にそう思っているのか、ふざけているんじゃないのか? と思うようなものもある。例えば「世界征服」というのもある。本気なのかふざけているのかどうにも分からない。まあ、どうしようもないので見なかったことにするのが決まりになっている。
 変化球としては「『綾波ちゃん』のぱんてぃが欲しい」というもの。これには、神サマも困惑するしかなかった。
(いや、何だよ、これ)
(『綾波ちゃん』って誰やねん!)
 神サマが困惑する様を想像して楽しんでいるということも考えられたが、どうしようもないので、これも放置して、お焚き上げの時にドサクサに紛れて炎の中にくべてしまった。

「こういうドラマが見られるから神サマはやめられないんですよ」
「やっぱ『どSメロンパン』じゃないの」
 結末が訪れるまで数年、数十年単位にはなるが、作り物のドラマよりもよほど面白い。神サマの中には「ニンゲンなんてロクでもない生き物だから滅ぼしてしまえ」という過激派もいるにはいる。しかし、圧倒的少数派であり、多くは「このようなドラマを見せてくれるのだから、いいじゃないか」という意見のほうが圧倒的に多い。
 今日も神サマたちは、世俗の動きを注視している。そして、お願い事にやってきた者を世俗の連中には見えないところから、こっそりと観察する。
(さて、どんなお願い事と、その後のドラマを提供してくれるのかな?)
 と、内心、残酷な期待を込めながら。



 現状と今後について

 私の書いた作品で、皆様に多大なご迷惑をおかけしていることをお詫びいたします。私自身も、投稿したっきり半分は忘れていたので、何が起きたのかと困惑しています。
 仕事が多忙を極めているのは、以前もお話ししたので知っているかと思います。寝る時間を限界まで削って、どうにか完成にこぎつけ、票が入ったかと思いきや、この騒ぎ。
 正直、驚きというのもありますが、怒りとか落胆という感情はなく、微かに虚しさがあるだけです。文字通り身を粉にして、その行き着く先がこれか、と。
 現在、私は中々執筆ができないでいます。元来、遅筆なのもありますが、どういうわけか「書くことが苦痛」で、たまの休みでも執筆から遠ざかっている状況です。
 仕事のせいだとか言い訳はできますけれども「書くのが苦痛」というのは今までになく、創作力の衰えを感じ、私ももう終わりだと、引退も時間の問題だなと感じています。


 今後どうするか?

 以前あげた作品を執筆中にも、書き始めたはいいが、書くのが苦痛になり、それでも未完成よりは完成させるべきであると思い、長さの割に多大な時間を要して、端折りに端折って完成ということになりました。
 ネット上では相手の顔が見えないため、現実世界以上に自分には厳しく、言動にも気を付けてきたつもりでした。それでも、やはりWikiが荒んでいた時期は叩かれたものです。
 作者として名乗っている以上、全然作品を書かない、ましてや、書くのが苦痛などというのは論外だと、私は思っていましたし、執筆は楽しいと他の創作勢の方々にも言っていました。
 しかし、もはや私は執筆ができません。そうなった私に、存在価値はあるのでしょうか? 多分、無いと思います。
 そして、今回の騒動。私にも疑惑の目は向けられているでしょう。知らないところで起きたとはいえ、作品で起きた問題の責任は作者である私にあります。
 私が何も知りませんで済まされるはずがありません。この際、けじめとして私は責任を取りたいと思います。
 私はこの日、2024年6月30日をもって、Wikiにおける全ての創作活動にピリオドを打ち、今後はWikiでは創作活動を行わないことにします。
 未練が残ってしまうので、問題の作品を含め、全ての作品は消してから立ち去るつもりです。この作品に頂いた票もすべて無効票、得票0扱いにしていただければと存じます。
 乗り鉄の記録はつけるかもしれませんが、それはもはやWikiとは関係のないところ。個人で細々とやっていくつもりです。
 今はそういうことはなくなりましたが、昔は結構叩かれました。もしかすると、今でも、私のことをよく思わない方もいることでしょう。
 このまま、Wikiの空気が荒んでしまうことは私の望むところではありません。私がいなくなっても、Wikiがますます賑わっていくことを陰ながら願っています。
 2024年6月30日午後6時をもって、作者ページ内の作品を全て、消し、ページには10年以上お世話になったお礼の言葉を残して、私はWikiにおける創作活動から引退します。
 10年以上お世話になり、実際に作者の方々にもお会いでき、これまでの創作活動は、私の人生の中ではかけがえのない財産です。これまで本当にお世話になりました。

 2024年6月30日 呂蒙子明


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