SOSIA.Ⅴ**勿忘草3 [#mb67d624]
○キアラ:フローゼル
グラティス・アレンザの一員。ローレルの恋人。
○ルード:ルカリオ
グラティス・アレンザの一員。
○メント&ロスティリー:アリゲイツ&チャーレム
グラティス・アレンザの一員。元セーラリュート生。
○セキイ:リザード
グラティス・アレンザの一員。不良。
○セルアナ:ラティアス
etc.
「ユキノオーのツカオっちゅう奴や……! そいつ探したら辿り着ける……!」
夕刻、満身創痍のアスペルが駐屯所に駆け込んで来た。単身ハンターズギルドに乗り込む危険を冒して、やはりただでは済まなかったが、きっちり仕事はしてくれた。
それに引き換えあの能天気莫迦ときたら。情報の連絡橋だった孔雀とかいう天然木瓜は、昨日から突然来なくなった。シオンもシオンだ。何故あんな奴に重要な仕事を任せたのか。
「皆さん! 所在が判明しました!」
キールが一枚の紙を持って会議室にぱたぱたと走ってきた。
ツカオ、ユキノオー♂、29歳。タグフ家に仕える執事兼牝当主サエザの護衛。広げられた紙にはそれらの情報が記されていた。
「アスペル君の話から考えると、黒幕はサエザ・タグフと見て間違いありません。彼女はランナベール有数の富豪ですから、ご存知のことと思われますが……」
「歓楽街の女王か」
現在、駐屯所に残っているのは北凰騎士団全勢力の四分の一程度だ。団長のボスコーン自らもハンター鎮圧に乗り出しており、団の指揮は軍師のキールに委ねられている。
「シオン君との連絡が絶たれているのは不安要素ですが、仕方ありません。ハンター鎮圧作戦中の部隊を呼び戻し、タグフ邸を制圧、サエザを拘束します。ちょうど歓楽街とビル街ヴァンジュシータの狭間にある豪邸……我々北凰騎士団の管轄です」
あの豪邸はヴァンジェスティ家とは違って、かなり堅固な構造になっていると聞く。攻城戦に近い戦闘になりそうだ。
「敵の本丸が判明した以上、兵力はこちらの方が圧倒的に上ですから……あまり面白くはありませんが兵法通りに攻めましょう」
奇策は正攻法では勝機を掴めない時に初めて使うものであり、その見極めができない者は名軍師でも何でもない。キールは口癖のようにそう言っている。
「シャロンさん」
「……私?」
「貴女ですよ。シャロンという名のポケモンはこの場に貴女だけです」
くそ、いちいち腹の立つ物言いだ。可愛さ余って憎さ……まあ、三倍くらいか。
「おおかた孔雀さんに腹でも立てていたのでしょうが」
「私はあんな奴最初から信用していない」
「……わかりましたよ。とにかく、今回の作戦では貴女にはアスペル君に代わって斬り込み隊長の役割を担って貰います」
斬り込み隊長……だと。真っ先に敵陣の真ん中に突っ込んで血と氷の華を咲かせるアスペルの役割を私が。
「私がか? 六番隊の副隊長にやらせた方がいいんじゃないのか」
「アスペル君をはじめとしてこれまでの戦闘では負傷者も多数出ています。そこで五番隊と六番隊を複合し、貴女にはその連合隊を率いてもらいます」
「……わかった」
アスペルの六番隊。素早さと攻撃力に重点を置いた編成で、命知らずの猛者が集う"斬り込み隊"だ。一方シャロンが隊長を務める五番隊は、隊員の八割が牝であり、うまく調和するかどうか。まあ、牡より乱暴なくらいだから大丈夫か。中にはアマダみたいな大人しいやつもいるが。
「作戦はもう固まっているのか?」
「正攻法ですからね。まずタグフ邸を軍勢をもって取り囲み、屋敷に攻撃を加えると同時に物資の連絡を絶ちます。九番隊をメインに遠距離攻撃を仕掛け、守りを崩したところで正門から貴女の連合隊が突入する算段です。シオン君がいないのがやや不安要素ではありますが、近頃ラウジ君の働きぶりを見ていると問題はないでしょう」
基本に忠実な力攻めだ。大概の場合、攻篭城戦では攻城側が勝利する。篭城側が勝つのは、援軍が到着した時だ。外から援軍が来ると攻城側は篭城する軍と挟みうちにされてしまうため、撤退せざるを得なくなる。つまり篭城というのは、援軍が到着するまでの時間稼ぎなのだ。
「そうですね、兵力の半分も差し向ければ十分でしょう」
兵力に差があれば、半分を残しておいて援軍を防ぐのに回すことができる。サエザが雇ったハンターが援軍に回る可能性も考慮しておかなければならないからだ。
「伝令!」
「おや、丁度いいところに」
キールの部下であるウツボットのデアスが会議室に駆け……跳ね込んできた。
「鎮圧作戦中の小隊長を全員呼び戻して――」
「それがキール隊長……悪い知らせです」
「悪い知らせ?」
キールが眼鏡にやった手を止めた。
「ラウジさんとヒルルカさん……二匹の副隊長を含む部隊が住宅街でハンターと衝突、大敗を喫したとのことです……!」
「何だと!?」
我が隊の副隊長がハンターに敗れたなどと。俄かに信じられなかった。
「……両副隊長の安否は?」
シャロンと違って、こんな時もキールは取り乱さない。だが彼の手は眼鏡に触れる直前で不自然に止まったままだ。
「未だ不明です」
「まずいことになりましたね……両名が欠けるとなると……」
「タグフ邸作戦に支障が出るのか?」
少数精鋭を旨とするヴァンジェスティ私兵団にとって、実力者の欠失は大きな痛手だ。近しい部下の敗北の知らせに気が気でなかったが、シャロンとて一介の小隊長だ。一方では冷静に状況を判断しなくてはならない。
「投入する兵力を増やせば埋められるだろう」
「それはそうですが。ラウジ君が……作戦に参加できないなどということになれば、九番隊を誰が率いるのかと」
キールの手が震えている。
――もしかして、気が動転しているのか?
「しっかりしろキール。お前の頭なら最適の人選ができるだろ!」
キールは震える手で眼鏡の位置を――いや、眼鏡を外した。
「そうですね。申し訳ありません」
デアスに向き直り、一言。
「先程も言いましたが、ハンター鎮圧にあたっている小隊長を全員呼び戻して下さい。敵の姿が明らかになりました。本丸を攻めます!」
ヒルルカとラウジの顔が脳裏を過ぎり……並んで別の顔が浮かんだ。
シオン。お前は……無事なのか?
あの夜から、シオンとの間に気まずい空気が漂ったままだった。そのくせ孔雀や橄欖とは次第に打ち解けて、元の関係に戻っている。
まさに自分の言葉通り、私がすべて受け止めることとなっていた。事情を知る孔雀も、どういうわけか昨日から行方がわからなくなっている。あの孔雀に限って死んだなどということはないだろうが、今の状況では心細いものがあった。
そして、そんな事も言っていられない瞬間が来る。
「奥様ぁ、フィオーナさまぁ! 大変ですぅ!」
ラクートがいつにない大声でリビングルームに入ってきた。先を聞かずとも察しがついた。
「敵に見つかっちゃいましたぁあ!」
ラクートが言い終わるより早く、マフィナとフィオーナは立ち上がっていた。
「この別館が敵に……ですか?」
お母様は、信じられない、といった表情で執事の顔を見る。しかし、口調が間延びしていてもラクートが真剣であるのは明らかだった。
「今、シオンさまと橄欖が押さえていますけどぉ……」
「ラクート、貴方も行きなさい!」
フィオーナは叫んだ。お母様が目を見開いたが、そんなことは気にも止めなかった。
「で、でもぉ」
「私はいざとなれば自分の身は自分で守ります! 貴方はシオンと橄欖を助けなさい!」
「フィオーナ……!」
お母様抗議の声。ラクートは二匹の表情を交互に見て、ラクートにしては迅速に決断した。
「了解しましたぁ」
まるで会話のリズムと反比例するみたいに、ラクートはすぐさま小さな翼を広げて飛び出して行った。
「ラクート、待ち――」
「お母様。今ここを固めても仕方ないでしょう?」
「それはそうだけれど」
「シオンも今は貴女の息子でしょう?」
「わかっているわよ!」
マフィナはまた、ソファに身を横たえた。
「ああ……リカルディ、何をしているの……? どうして私達がこんな目に」
そうして縋るようにお父様の名を口にした。
お父様。かれこれ二年、そう、シオンを婿養子として迎えた時から……お父様はランナベールの中心にあるあのビルから出てきた事はなかった。
今もきっと、内乱の対応に追われているのだろう。家族を省みている暇などないのか……もしかしたら、頭の片隅にもおかれていないかもしれない。そこまでくると悪く考えすぎだが、父は自分の国と家族を天秤に掛けられて家族を取るようなポケモンでないことは確かだ。情に流されるようなポケモンが、金と権力に何の執着も持たないようなポケモンがヴァンジェスティ社を、ランナベールを動かす位置になどいられるはずがないのだから。
「今は、シオンと……橄欖、ラクートを信じましょう? 孔雀には……そうね。後になってのこのこ帰ってきたらきつーい懲罰をもって迎えてあげますわ」
この時孔雀はようやく深い眠りから覚めたところだったのだが。迫り出した岩が太陽光を防いでいるとはいえ、西向きの崖なのでこの時間になると夕陽が差し込んでくる。
いきなり背後に現れるのを少し期待してもみたのだけれど、お母様以外の反応はなかった。
◇
そのゴチルゼル――歓楽街の女王サエザ・タグフは、何かに座った姿勢のまま浮いていた。
「牝だけ置いて逃げるなんて、ひどい牡ね」
「わたしは……彼を護衛する立場ですから……」
「……ああ、あれが令嬢の婚約者シオンなのね。となると……ネフとヘナミーの仇は貴女とお姉さんってわけか」
一瞬何のことを言っているのかと思ったが、すぐに合点がいった。ラクートを追い詰めたブーバーとデンリュウの二匹だ。
「逆恨み……ですか……?」
「そういうことになるかもしれないわね。どう取ってもらっても構わないわ」
サエザと話しているうち、ふと違和感を感じた。彼女の座っている場所に。感情が……二つ?
「誰……ですか? 姿を……見せなさい」
「あら。流石はキルリアね。彼女の存在を感じ取れるの?」
橄欖に見破られても、サエザは余裕の笑みを崩さなかった。
「セルアナ」
サエザが名を読んだ瞬間。彼女の座っていた空間がゆらゆらと揺れはじめた。次第に揺れが大きくなり、うっすらとその姿が見えはじめる。
赤と白のガラスみたいな羽毛。鳥ポケモンのようでもあるが、翼とは別にしっかりした腕と小さな脚がある。鳥というよりはドラゴンに近い。しかし翼も羽ばたいてはおらず、飛んでいるのではなく、文字通り浮いていた。
「嘘……まさか……どうして?」
橄欖はそのポケモンを、知識としては確かに知っていた。だが、よもや自分の目の前に現れようとは。それも敵として。
「へー、あたしのこと知ってるんだ! あたしいっつも姿消したり変装したりしてるのに」
くっきりとその姿が見えるようになったセルアナは朗らかに笑っていた。
「水の都の護神……ラティアス……!」
古来より、水辺の都市には護り神が住み着くとの言い伝えがある。水の都の護神ラティ。牡の神様はラティオス、牝の神様はラティアスと呼ばれる。多くは兄妹や妹弟でその都市を護っているのだという。ジルベールとコーネリアスがこの地をめぐって争っていたところに、疲弊した両国の隙を突く形でベール半島の一角を手に入れたヴァンジェスティ社が築いた国であるランナベールには、あまり浸透していないけれど。移民も多く、街の各所で海の神ルギアの彫像などは見かけるが、ランナベールでラティ族のことを知る者は少ない。
「サエザ、この仔がランナベールのにっくき敵ヴァンジェスティなの?」
ランナベールの……敵?
「そのヴァンジェスティ家を守る者よ」
「な……それは……どういう……」
「橄欖!」
そこへ、館からシオンさまが戻ってきた。その背にはラクートの姿も見える。
二匹とも、ラティアスを見て首を傾げていた。やはり知らないらしい。
「あ、昨日のエーフィくん!」
「きみが……透明の鳥ポケモンの正体?」
「鳥じゃないよ、ドラゴンタイプだよ!」
橄欖は知っていたけれど、自分から弱点を晒すとは。それだけの余裕があるということか。どこか姉さんに近いものを感じる。ただの天然じゃない。おそらく相当の実力を有していると見て間違いないだろう。
「あのぉ」
会話に置いて行かれた形となったラクートが、いつもの調子でセルアナに話しかけた。
「あなたもヴァンジェスティ家のポケモンなの?」
「あ、はい。奥様の執事ですからぁ、そういうことになりますねぇ。それで、お二方に忠告なんですがぁ」
ゆっくりした会話のリズムで惑わすかのように――ラクートの大文字が火を吹いた。完全に相手の虚をつく形で、"大"の字の炎がサエザとセルアナを包み込んだ。
「無断でこの場所に来た以上はぁ、生きて帰しませんよぉ」
が、二匹の感情は驚愕と――歓喜!? 苦痛、それに準ずるものはなかった。
「あはははははっ! 不意打ちとはやるね!」
炎の中から笑い声、そして。
まるで強い風に吹き飛ばされたみたいに、炎が消えてしまった。
サエザはすでにその背中にはいなかった。腕と翼を広げたセルアナが無邪気に笑っているだけ。
「ポケモン消滅マジック! それにしてもトゲチックくん、ドラゴンタイプだって言ってあげたのに炎なんてダメだね! 氷技打たなきゃ!」
セルアナはその場に浮かんだままで、反撃してくる様子はない。よほど耐久に自信があるのか。ラティアスのタイプはドラゴン、それにわたしやシオンさまと同じエスパーだ。有効打はあまり多くない。
「ラティアスはもう一つ、エスパータイプを持っています……!」
わたしの催眠術で眠らせ、
伝えると同時に、意識を集中させた。橄欖にとっては、相手の心に、脳にアクセスして覚醒のスイッチを切るだけの簡単な作業だ。だが。
「っ……!」
いきなり衝撃が来た。何の予備動作もなかった。セルアナに体当たりされたのだと気づいた時、橄欖は何度も後転していた。なんとか体を支えて回転を止めたが、セルアナの姿がない。
「そこっ!」
シオンさまには、見えている。空中へと
「やるね、さすがエーフィ!」
セルアナは楽しそうに飛び回っているが、シオンさまの方に余裕はない。
――速すぎて追い切れない……!
そんな心の声が聞こえる。もちろん、この間橄欖もラクートも何もしていなかったわけではない。技の
ラクートの
橄欖の目にも確認できた理由は、焦げた部分が透明ではなくなったからだ。それに、どうもそれだけではなさそうだった。
透明な部分も、よくよく見れば陽炎のように揺らめく時がある。
「痛いと思ったらすっごく寒くなるし次は熱いし! 怒ったよ! 本気出すからね!」
などと言い出すセルアナ。致命傷とは程遠いようだが、視認できるようになったのは大きい。しかし次の瞬間、セルアナの"本気出す"がただの決まり文句でないことを知ることとなった。
「
ラティアスの、おそらく両手から放たれたらしい白い弾が、シオンさまに襲い掛かった。シオンさまは横っ跳びに避けたが、地面に当たった弾が爆散。濃い霧を撒き散らした。
二発目は橄欖に飛んできた。命中の直前に咄嗟に
「ひぎゃあ」
三発目。ラクートの間の抜けた悲鳴が聞こえた。被弾してしまったか。
問題は、被弾したことではない。
広がった霧に包み込まれて、敵の姿が完全に見えなくなってしまった。
「橄欖、ラクート! 僕の所に固まって!」
ラクートの悲鳴とほとんど重なるくらいだった。シオンさまが叫んだ。この状況では、敵の位置を把握できるのはシオンさまだけだ。
「そうはいかないよ!」
殺気!
振り向いた時には遅かった。シオンさまの方へ駆けるわたしの背後から青い炎が迫っていた。瞬く間にその熱に包み込まれた。
――が、橄欖の体が竜の息吹に燃え尽きることはなかった。
「間に合ったぁ」
ラクートが一点集中で展開した光の壁のお陰で、無傷とはいかないもののダメージは最小限に抑えられた。
「ラクート……ありがとう……」
一見好判断のようにも見えるけれど、もし狙いがラクートだったら。そうは考えなかったのだろうか。結果的に助けられたが、かなり身の危険を伴うやり方だ。
「索敵は僕に任せて! 指示通りに動いてよ!」
でも、終わり良ければ全て良し。三匹は背中合わせになった。
「真上から! 散って!」
「素晴らしいチームワークだね!」
直後の声は遠い。急接近し攻撃を加えてすぐに離れる、一撃離脱の戦法だ。
「ラクート、光の壁! 橄欖は僕のところに戻って!」
ラクートを襲う竜の息吹は、光の壁に阻まれその勢いが半減する。その間に橄欖はシオンの側へと駆け戻った。
「わたしには指令は要りません!」
シオンさまの心なら読めますから。
「わかった! ラクート、すぐ銀色の風で反撃して!」
天の恵みを受けたトゲチックなら。直撃しなくても能力が上がるし、霧を吹き飛ばす狙いもある。それにエスパータイプの弱点をつく攻撃だ。
ダイヤモンドダストのような輝きを放つ強い上昇気流が、ラクートの周りの霧を吸い上げた。
「うまくいったよぉ」
さらに、ラクートの動きが格段に良くなった。驚くなかれ、すべての身体能力、特殊能力が五割増しだ。
「僕の真上! 焼いちゃえ!」
催眠術の用意をお願い! ――心の声が、はっきりと聞こえる。
「もう入っています……」
今度の大文字は、最初の比ではなかった。何たって大きい。これなら炎タイプの放つ大文字に劣らない。
「えっ、きゃっ――! あちちちちち!」
今度こそ焦げた。次第に霧も薄れてきて、橄欖の目にもセルアナの姿が見えた。
「もう! 火傷しちゃったじゃない――って、危なっ!」
シオンさまのこれまた巨大な
「っとと! キミいきなり強くなりすぎ!」
――両手で受け止められた。銀色の風の恩恵を受けているとは言うものの、やはり護り神には及ばないか。
「でも、あたしには勝てないね!」
セルアナの目に青白い光が点った。エスパーの代名詞、
「わあぁ」
呑気な悲鳴だったが、勢いはとんでもなかった。不可視の糸でぐるぐる巻きにして、眼下にいる橄欖達めがけて叩きつける……! 手の動きと感情から、そんな意図が見えた。
シオンさまの心を伺う。自分がサイコキネシスで受け止める、と。
その瞬間は、伝説の護り神も一つの事に集中していた。心に隙が生まれていた。
「
爆発的な解放。一気に相手の心の奥深くへと突き進む。こちらも尋常ではない集中が必要だ。敵の精神の守りを突き崩し、その中心へ。覚醒のスイッチは――そこだ!
スイッチをオフに。セルアナは言葉を発することもできなかった。ドサリ、と。重力に引かれて自由落下。
「はぁ、はぁ……姉さん、より……はぁ、強靭な……精神力……!」
「すっごい……これが催眠術? まるで別の技みたい」
「……わたしを信じて下さって……ありがとう……ございます……」
「それは橄欖も同じでしょ?」
「ひどいですよぉ!」
声は崖の下から。海から羽ばたいてきたラクートは、橄欖達とセルアナの間に着陸するとシオンに非難の目を向けた。
「崖の下に落とすなんてぇ」
「や。支えきる自信がなくてさ。軌道を反らすのが精一杯だったっていうか……」
「良いのではないでしょうか……これだけの高さがありますし……下は海……ですし……」
「僕だけ無樣ぁ……」
「いえ……ラクートの……捨て身タックルのお陰……ですから……わたしの……催眠術が……成功したのは……」
「そうだよ。その前の銀色の風も大文字もさ。大活躍じゃない」
あの時わたしを守った光の壁も。
この勝利への貢献度でいえば、ラクートの働きがかなり大きかった。
「そぉですかぁ」
最後に締まらないのが可哀相だけど、それもラクートらしいといえばラクートらしい。
「って……」
三匹は強敵、ラティアスのセルアナと戦うのに必死だった。どうして忘れていたのか。勝利を喜んでいる場合ではない。
もともと何を吹き込まれたか、セルアナはサエザに唆されてわたし達を――
「……サエザは!?」
背筋が冷たくなった。
弾かれたように飛び出して、館へと走った。
そこで見た光景は。
「フィオーナ――!」
身の危険を感じたのか、家から出てきたフィオーナたちとサエザ、どこから湧いて出たのかわからないローブシンが向き合っているところだった。
「セルアナが……負けたの?」
サエザはこちらを振り返って、目を丸くした。しかし、その顔にはまだ余裕の表情が窺える。
「まあ……いいわ。それ以上近づいたらどうなるかわかってるわね?」
サエザの傍らのローブシンが、電柱みたいな太くて長い岩の塊を二本持って頭上でぶん回している。今にもフィオーナ達に向かって投げると言わんばかりに。
「何を……目的は何なのさ!」
三匹は立ち止まるしかなかった。サエザまで十メートル少し。
「あたしの事をご存知? ケンティフォリア歓楽街の女王といえばわかるでしょう」
知ってる。昔働いていた娼館の店長から、歓楽街トップのグループ『イーノッソ』のことは何度も聞いた。その長がサエザだ。
「歴史は繰り返すの。お金と権力を持つあたしが軍事力を持てば、どうなると思う?」
「どうって……」
「独立よ。あたしはこれ以上ヴァンジェスティの下につく気はないの。ビオラセアも監禁してやったわ! 街はどうかしら。反乱の対応に手を焼いているでしょう? 随分と脆い内政じゃない」
サエザは悦に入ったように両手を広げ、高らかに笑いながら自らの所業を暴露しヴァンジェスティ社をけなした。
「まるで駄々をこねる仔共ね。お父様の手にかかれば、鎮静するのも時間の問題だわ」
凛とした響きは、サエザとローブシンを挟んで向こう側から。フィオーナは怖れもせず、あの芯の強い瞳でサエザを射抜いていた。
「何とでも言うがいいわ! ここであんたかあんたの母親を人質に独立を迫るの。ああ、どっちか一匹は死んでも構わないわね。あたしの恐ろしさに畏れ
「お父様が人質などに揺らぐと思って?」
「……いちいち気に障る女ね! そんなに言うならわからせてやるわ! オスマ!」
サエザの目が光り、横に広がった何枚もの羽みたいな髪が、羽ばたくように揺れた。飛び出そうとしたのだが、体が思うように動かない――!
「フィオ――」
「シオン!」
ローブシンがありえない瞬発力を発揮した。まるで僕の動きが鈍くなったのと反比例するみたいに。サエザが展開したのがトリックルームだと気づいたが、わかったところでどうにもならない。ローブシンがとんでもないバカ力でぶん投げた岩の柱は、
――僕の、目の前に。
痛みは少しだけ。僕は跳ね飛ばされたんだ。誰かに。
誰か、じゃない。トリックルーム下で、あの状況で、そんなことができたのは。
見たくなかった。でも、わかっていた。
誰が何をしたのか。
「か……橄欖……っ!」
フィオーナの悲痛な叫びが聞こえた。
「余計なことを……ま、結果は同じみたいだけど」
見てしまった。
血に塗れた彼女の姿を。左肩から骨が突き出していて、根本からあらぬ方向に曲がっている。
「橄欖……嘘……でしょ……?」
重い身体を起こし、這うように橄欖のもとへ近づいた。橄欖は倒れたまま動かない。左頬も陥没しており、可憐な容姿は見るも無惨に壊されていた。
「橄欖……! 橄欖っ!」
周りの状況に気を配るとか、相手が次にどう動くとか――それどころではなかった。そんなこと、考えられるわけがない。
「目を開けてよ! 橄欖!」
でも、何も考えられない中でも、僕は職業軍人としての理性を失ってはいなかった。
「橄欖! 橄欖……!」
幾度も呼びかけるが、反応はない。
耳を近づけて、呼吸音を確認する。その瞬間。
「こほっ……!」
耳に生温かい感触。橄欖が吐血したのだ。
「橄欖! 良かった……!」
生きてた。
何よりもそれが嬉しかった。
「シオン……さま……」
「喋らないで! 僕が助けるから……!」
僕を庇って死んでなんてほしくない。あの時だってそうだった。わけのわからない世界でも、体を張って僕を守った。どうして。僕は僕よりも他人の幸せを願っているのに。どうしてきみは自分を犠牲にしてまで僕を。
そこまで考えて、橄欖の気持ちに気づいた。僕と同じなんだ。だから、橄欖は僕のことしか考えていなくて。自分の身なんて省みないんだ。
「きみが死んだら僕が困るんだから! きみがいなくちゃ、誰が毎日身の回りの世話をしてくれるの? 毎朝起こしてくれるの? だから――」
「シオンさま……」
「だから……」
もともと生気のない顔から、これ以上失くしようがないのに、生気が薄れていく。
「お顔を……よく……見せ……」
「僕はここにいるよ! ほら!」
シオンは目一杯の笑顔を作ってみせた。橄欖もわずかに微笑んでくれた。
「無理しないで。ゆっくり息をして……」
「いえ……けほっ、喋らせ……て……ください……後悔……したく……ありません……から」
「橄欖……」
「わたし……あなたの……シオンさまの……こと……」
「や、やめてよ!」
そんな、これが最期みたいに。
言わなくても知ってるから。僕だってきみのこと大事に思ってるよ。だから、こんなにも。
「…………好き、です……」
こんなにも、泣きそうなんだから。必死に堪えてるんだよ?
「あなたに……その……お気持ちが、ないことは……知っています……ただ……わたしは……シオン、さまの……幸せを……願えれば……それで……」
涙が溢れ出すのを、止められなかった。
ごめん。嘘はつけない。きみの気持ちが本物だからこそ。僕は僕の幸せを生きることでしか、きみの気持ちには応えられない。でもそのためには、きみが必要なんだ。いつも一番近くで僕の幸せを願ってくれている橄欖、きみが――
「橄欖ちゃん!」
その時降ってきたのは、まさに天の声だった。
◇
二匹の会話に、シオンの応急処置に妨害が入らなかったのには理由がある。
とても簡単なことだ。
ローブシンのオスマがもう一本の岩をシオンに叩きつけるべく、振りかぶった瞬間だった。その腕にドーナツが突き刺さった。ドーナツと言ってもただのドーナツではない。どこからともなく飛来した金属の輪は、外側が鋭い刃になっている。それが二枚も刺さっては、いかな怪力であろうと投げられるものではない。岩の柱を取り落とし、重い振動が響いた。
「誰なの……!」
サエザにつられて見上げた空には、地面・ゴーストタイプの巨体にして空を飛ぶポケモン、ゴルーグと、その肩に乗ったムウマの姿が。
第三勢力――即ち、第二の敵。そう、フィオーナは冷静に判断していた。例えサエザ達と敵対していようと、この場所を知るはずのない者がフィオーナ達を助けに来るなどありえない。
だが、次の言葉に一驚を喫することとなる。
「橄欖ねえちゃん……!」
橄欖の名を口にした?
「アイツラ・殺ス」
フィオーナの疑問を余所に、ゴルーグは急転直下、重力の勢いに乗せて眼下のオスマに爆裂パンチをたたきつける。大振りのため躱されたが、サエザとの距離が離れてしまう。いつの間にかゴルーグの肩を離れていたムウマが体の下から先程のドーナツ状の円盤をいくつも取り出して浮かべていた。その数三枚。
「あなたたち、何なの!? どうしてあたしの邪魔を――」
その言葉に答えることなく
「ひぁあッ――!」
サエザは身をよじったが、一枚は羽のような髪をバッサリと切り落とし、一枚は肩口に刺さり、一枚はスカート状の衣を引き裂いて足に。トリックルームを維持することはおろか立っていることもままならなくなり、がくんと膝を折った。
「オスマ!」
護衛の名を叫ぶも、トリックルームが解けてしまえばあのスピードは発揮できない。パワーだけではゴルーグ一匹にも対処できていない。
だいいち、相性が悪すぎる。ゴルーグの方はメガトンパンチ、シャドーパンチと鉄の拳を次々と打ち込むのに対し、格闘技を無効化されるオスマは防戦一方だ。
均衡はすぐに崩れた。空中から打ち下ろした右の拳が、正確にオスマの顎を捉えた。突然の空を飛ぶ攻撃に虚をつかれた形で脳を揺らされ、オスマはぺたんと尻餅をつくようにダウンした。
何者なのかわからないが、サエザやオスマなどとは比べものにならない。私には戦いの心得はないけれど、あの動きは孔雀に匹敵するのではないか。そうでなくとも、どこか似ているところがある。
「橄欖……!」
フィオーナは敵がこちらに攻撃してこないのを見て、橄欖に駆け寄った。シオンが止血して出血が抑えられているとはいえ、かなりの酷い有様だった。
「……わたしは……シオン、さまの……幸せを……願えれば……それで……」
消え入りそうな声で橄欖が何か言っていた。シオンは私に気づいていない。ラクートはゴルーグとムウマに警戒の目を向けていた。
そこへ。
「遅イゾ」
「橄欖姉ちゃんが……! 早く!」
悲壮な顔のサーナイトが降り立った。一瞬、誰かと思った。少なくともフィオーナは、孔雀のそんな表情を見たことがなかった。
「橄欖ちゃん!」
シオンの横から割り込むように、孔雀が屈み込んだ。すぐに橄欖の体に手を当てて、癒しの波導を送り込んだ。
「孔雀さん……!」
「シオンさま、そのまま少し押さえていてください!」
「わかった!」
こういう時、何もできないのが口惜しかった。彼女は私のために侍女として懸命に仕えてくれた。私に家族の温かさをくれた。それに引きかえ私がしてやれることといえば。
「孔雀姉ちゃん! どうなの? 助かるの?」
ふよふよと近寄ってきたムウマはよく見るとまだ十代前半くらいの仔共だった。この様子からして孔雀、橄欖の知り合いとみて間違いないようだが、一体どういう
「フィオーナさま、事情は後で説明します! 橄欖ちゃんは危険な状態です……すぐに部屋に運びます!」
「わかったわ」
屋敷の方を振り返ると、サエザがゴルーグのシャドーパンチでボールみたいに飛んで行ったところだった。オスマは既に動かぬ彫像と化していた。お母様は失神していた。
今は橄欖の命が全てだ。
私が抱えているものなんてそう多くない。資産や権力がなんだというのだ。私は他の誰かほど、失う物を持っていない。橄欖がそんな私にとっていかに大切な存在なのか。こんなことになるまで気づかなかったなんて。
「橄欖を絶対に死なせないで……これは命令よ!」
ムウマの三太と二匹で橄欖をベッドに寝かせるまでの間も、孔雀さんは橄欖から手を離さなかった。
「このまま癒しの波導を送り続け……しばらくの間は絶対安静です」
「橄欖は……助かるの?」
「命は大丈夫でしょう。応急処置が良かったみたいです。シオンさまのお陰ですよ」
「命、は……」
安堵はした。もちろん、命あってこそなのだけれど、一つ懸念があった。
「あの……顔は……元に戻るの?」
孔雀さんは笑っていない。到着してから一度も笑わない。いつも笑顔を貼り付けていた――そう、貼り付けていたんだ。だから本心が見えなかった。けど、今の孔雀さんに作り笑いはない。生のままの表情。まるで別人だった。
「……わかりません。そればかりは……橄欖ちゃんの回復力にかかっています」
「そう……」
もし戻らなかったら。普段はずっと暗い表情はしていたけど、だからこそ希少なあの橄欖の笑顔を、二度と見ることができないかもしれない。
橄欖だって、笑うと可愛い顔をしているのに。
「橄欖姉ちゃんなら絶対治るよ!」
落ち込んでいたシオンを無邪気な声で励ましたのは、ムウマの三太だ。なんでも陽州から来た、孔雀さんや橄欖の古い知り合いらしい。
「だって、いっつもあんなに明るく笑ってたんだよ! こんな顔似合わないよ!」
……え?
いつも、明るく……?
思わずフィオーナと顔を見合わせた。
橄欖がニコニコ明るく笑ってるところなんて、全然想像できない。ただ、この三太という仔はきっとそんな橄欖のことが好きだったんだってことはわかる。
「きみは……僕たちの知らない橄欖を、知ってるんだね」
「ふん。僕はお前なんかよりずっと……ずっと前から橄欖姉ちゃんのこと知ってるもん」
「ごめん。もしかして、僕のこと嫌い?」
「あ、謝んなよ! お前、なんで……なんで何も知らないで……」
「ヤメロ」
三太が何か言いかけたのを、ゴルーグの二郎が制した。
僕が何も知らない?
それは橄欖の過去? それとも……僕の失った過去に関係があるのか。リュートに入学する前。父さんと母さんが死んだ時のこと。思い出そうとしても頭が真っ白になって。母さんが僕とローレルに向かって、何かを話していたことだけは覚えてる。正確に言えばその中の一つのフレーズだけ。
『シオン……それがあなたの本当の名前』
それ以前の僕がどうしてアスターと呼ばれて育ったのか、わからない。けれど、僕はその日からシオンと名乗ることにした。これ以上母さんのことを忘れないために。いつか思い出すために。
「何も知らないとは……聞き捨てなりませんね。貴方がたこそ、橄欖の何を知るというのです? シオンの侍女としての……家族としての橄欖を知るのは私達だけです。過去を知る事だけがそのポケモンを知るという事ではありません」
フィオーナの隙のない物言いは、仔共にとってはかなりキツく聞こえるかもしれない。だが、フィオーナにも譲れないものがあるのだ。僕がフィオーナに初めて会った時にはすでに、孔雀さんや橄欖と信頼関係を築き上げていた。もうただの雇用関係じゃない。
「納得。諦メタ・理由」
「諦めた……?」
「こうなった以上……いずれフィオーナさまにはお話ししなくてはいけませんね」
孔雀さんがずっと張り詰めた顔をしているのはそのせいだったんだ。僕も胸騒ぎが止まらなかった。橄欖の命が助かっても、黒幕のサエザを倒しても。まだ気を抜けない、何かが。
「紫苑」
「……何?」
「オ前ニ・伝エルコト・アル」
「はい。それはわたしから……わたしの仕事ですから」
孔雀さんは橄欖に手を翳して俯いたままで、シオンの方を見なかった。
「申し訳ありませんでした。シオンさまがわたしを信頼して……大役を与えてくださったのに」
「そんなことはいいよ。無事に帰って来てくれて、孔雀さんのお陰で橄欖も助かったんだから」
「それは違います……わたしがきちんと務めを果たしていれば、こんなことには!」
こんな孔雀さん、見たことない。辛そうで苦しそうで、今にも泣き出しそうな顔なんて。
「ごめんなさい孔雀姉ちゃん……僕達のせいで……」
笑顔の裏にどれだけのものを抱えていたのだろう。
「それも違う! 三太くんや一子ちゃんのせいでもないの! わたしが……わたしが驕り高ぶっていたから……!」
「孔雀さん……」
「申し訳ありません……取り乱してしまって」
「孔雀さん!」
「は……はい」
気づいたら、語気を強めていた。孔雀さんに対して、こんな立場で物を言うことになるなんてまるで想定外で、内心戸惑っていたけれど。
「らしくないよ。たった一回失敗したくらいでさ。いつもなら、失敗しちゃいましたーって笑ってるじゃない」
「違うんです……わたしがシオンさまの……あなたの顔を見られないのは……」
孔雀さんの目が潤み、声が震えた。
「ど、どうした……の?」
胸の高鳴りが収まらない。孔雀さんの口から次に紡がれる言葉が、怖い。これは何? 黒い液体が肺に染み込んでくるような。闇に落とされて沈み込んでいくみたいな。
孔雀さんの瞳からついに、雫がこぼれ落ちた。
「ラウジさんが……戦死しました」
◇
直撃だった。
屋根に上ると、メントには意識がなく、キアラは自力で立つこともできない有様で、二匹とも命が危うい状態だった。
ありえない判断だ。俺はあのライボルトに向けて悪の波導を放っていた。勝負手だった。決めるつもりだった。相手だってそうだったはずだ。この威力の雷とぶつかり合っていれば負けていたかもしれない。
それを、まさか最後の瞬間にターゲットを切り替えるなんて。自殺行為としか思えない。
「邪魔や……!」
「るぉおうッ」
屋根の下で、バクフーンの炎のパンチを食らったロスティリーが吹っ飛ばされた。「退くで!」
バクフーンはすぐさまライボルトを抱え、私兵隊に撤退を命令した。ルードに倒されたラフレシアはよろよろと立ち上がったが自力で歩くには至らず、別の私兵に運ばれてゆく。
「ぬぉおお逃げるか貴様等ッ! このロスティリーの必殺ヨガパワーを――」
「追いかけなくていい! 早くこっちに来て……!」
しかし二匹が屋根に上ってきたところで、ルード一匹の癒しの波導では焼け石に水だ。
「麻痺が酷いな……俺一匹じゃどうにもならねェ」
「うおおおお!」
「ロスティリー! 二匹とも生きてるから……とにかく早く処置をしないと!」
「ぬぬ……むむむ、ああ。わかった」
ロスティリーが冷静さを取り戻したのかどうかは判らないが、一刻も早く医者に運ばないと。でも、この近くに医者なんて……
「おーいそこのハンターども」
一度聞いたら忘れないような、テノールの綺麗な声が下から届いた。どうしてこんなところで。
「む? よく見たら黒薔薇事件の時のハンターではないか」
「あなたは……」
ローレル達に犯人の抹殺を依頼した娼館経営者、色違いバタフリーのラ・レーヌ・ド・リークフリートだ。ポップなデザインのカラフルな看板を抱え、ブースターの美女とリーフィアの美少年(美少女?)、厳ついゴローニャを引き連れていた。
「すみません! 俺の仲間が……雷のダメージで重体なんです! 全身が麻痺してて……」
「ふむ」
ラ・レーヌは冷静に頷いただけだった。
「店長!」
ブースターが抗議の声を上げる。もしかして、このまま無視するつもりなのか。
「おい弟。何とかしろ」
「オレかよ!? つか、オレはあんたの弟じゃねえ」
「俺達はこの辺りには詳しくないのでな」
「横暴な野郎だな……」
「エリオット! 揉めている場合じゃないんだから!」
「わ、わかってるよ! だからってオレにどうしろっつーん……あ、そうだ!」
エリオット、と呼ばれたリーフィアが何かを思いついたらしい。頼りになるのかどうかは疑問だが、今は藁にもすがるしかない。
「うちのマスターが"癒しの鈴"使えるんだ!」
癒しの鈴。聞く者のあらゆる体の不調を治すという技だ。ルードの癒しの波導と合わせれば、効果があるかもしれない。
ローレル達はキアラとメントを抱え、セキイを蹴り起こしてエリオットの案内に従うことにしたのだった。
◇
「おや。随分と沢山連れて来たね。やるじゃないか」
エリオットが店に入ると、トモヨは相変わらず何事もなかったかのように煙草を吹かしていた。
「今はそれどころじゃねえんだ!」
「ってアンタ声!」
「だーかーら! 怪我人がいるの! 癒しの鈴で何とかしてやってくれ!」
「怪我人……?」
トモヨは煙草の煙ごしに、入口からローレルとかいうブラッキーの餓鬼と、ルードとかいう変なルカリオに抱えられて入ってきたアリゲイツとフローゼルに目をやった。
「雷で麻痺してるんです……! どうか助けていただけませんか?」
ローレルが必死の表情で懇願する。普段は仏頂面でまともな応対もしないこのオバサンは、この年になって美少年に弱いという弱点を持つ。
「そこに寝かせな。で、アンタ! 癒しの波導送り続けて!」
が、今回はさすがに猫撫で声だったりふにゃふにゃと気持ち悪い態度をとったりはしなかった。
「あ、ああ」
ルードはトモヨの有無を言わせぬちなみにエリオットも昔、トモヨに命を救われたことがある。癒しの鈴を聞くのはここに拾われるきっかけとなったあの時以来だ。
「意識を集中するから……ミルクが飛ぶかも知れないけどそこはご愛嬌だよ」
「うへ」
オバサンに愛嬌とかねえよ。
「エリオット!」
「いやオレはべつに何も」
だいたい、乳に
オバサンが目を閉じて祈り始めた。じわじわと、生命力の光のようなものが全身から溢れ出してくる。
「おお。これが癒しの鈴か」
「黙ってな!」
「ふむ。悪いな」
ラ・レーヌを黙らせやがった。傍若無人度ではやはりオバサンに軍配が上がったか。
光は次第に、ミルタンクの腹にある大きな乳首に集まっていく。乳首光るミルタンク。ただし五十近いオバサン。ぐへ。グロ映像だわ。
「エリオット! 後で覚えときな!」
「だからオレは何も言ってねえだろ!」
くそ、オバサンのくせに心の声まで聞くとは。なんつー地獄耳だ。
トモヨがゆっくりと左右に体を揺らすと、シャン、シャンと、ちょうどクリスマスのあの幻想的な鈴の
「キアラ、メント……」
ローレルが祈るように、二匹の名前を口にした。どうやらフローゼルの牝がキアラでアリゲイツの牡の仔がメントというらしい。
「エリオット……このおばさんと知り合いなの?」
「ばっ――!」
「なんか言ったかい?」
トモヨは目を閉じて癒しの鈴を奏でているが、明らかに怒っている。鈴の音が乱れないのは不思議というか、流石はトモヨおばさんだな。
「えっ……私何かまずいこと言いましたか?」
「ね……姉貴!」
「エリオット、どうしたの? お姉ちゃんのこと、姉貴だなんて言い直さなくても」
「うるせー。とにかく、こいつはオバサンっつったらキレるんだ! 無難に喫茶店のマスターとかトモヨさんとか呼んどけ!」
「へえ」
しまった。姉ちゃんの莫迦のせいで思いっきり口が滑って転んで全口打撲だ。
「あんたら妹弟だったのかい。後でまとめて話があるから待ってな!」
「だ、誰が待つかよ! 姉貴、逃げるぞ!」
ほとぼりが冷めるまで避難だ。怪我人の無事を見届けたくはあったが、まあトモヨなら大丈夫だろう。ルードも頑張ってるみたいだし。
エリオットは姉を押し出すように、店の入口から飛び出した。
「えっ、ちょっと……!」
「待て莫迦弟。シャポーは俺の店の――」
「ごめんなさい店長! すぐ戻ります!」
「アホか、すぐ戻ったら殺されんだろ!」
あてもなく駆け出した。
石畳を踏み締めて、浜風のように。
背中に続く足音の懐かしさを噛み締めながら……。
最悪や。ありえへん。
「オーオー敗走かァ? 無様じゃねーか」
仲間を担いで駐屯所に戻るその途上。ヒルルカ達は新たな敵に囲まれていた。
敵はマリルリにカメックス、バンギラス。よりによってライボルトのラウジとラフレシアのレミーが戦闘不能の時になんで。こっちでまだまともに戦えるんは、ウチとバリヤードのドルリだけ。タイプ相性終わっとる。
「グラディウス・アレッシーにボッコボコにされんの見てたぜェ? あいつらつえーーーェからなァ。ヒャッハァ! んじゃ後は俺ら"ハイエナン"が手柄ァ分けて貰いますか!」
「ポケモンの風上にも置かれへんやっちゃ……ドルリ、やるで!」
「はい!」
――とは言ったものの。
リーダー各のマリルリが突進してくる。ラウジを背負ったままのヒルルカは火炎放射でその行く手を阻むが、マリルリはタイプ相性に任せて強引に突っ切ってきた。
「うるァ!」
回転してのアクアテール。ドルリがバリアーを張って割って入り事なきを得たが、カメックスがキャノンを構えているのが見えた。マリルリが跳び退き、噴射される二対のハイドロポンプ。技を光の壁に切り替え、ヒルルカを守る、が。
「このままやったらさっきと一緒や……! ジリ貧になってまう!」
いや、さっきより悪いで。何ちゅうても傷ついた味方をかばいながらでは。
背負ったラウジの状態も良くない。放っておくだけで危険なのだ。ヒルルカはラウジを味方に任せ、意を決して攻めに転じた。
「行くで!」
「るォぁっ」
ヒルルカはまず、ドルリが
「俺に任せて下さい!」
ドルリが光の壁を張って、両手を前に突き出した姿勢でカメックスに向かって走り出した。水の弾幕を弾き飛ばしながら猛進する。が、バンギラスが後方から何かを。
「破壊光線や……!」
思念の頭突きを繰り出したドルリに対し、カメックスが殻に篭って防御したところだった。後方には傷ついた味方。
――ウチが止めるしかない。
破壊光線に匹敵する、あの技で。反動は知らん。向こうかて同じのはずや。
バンギラスの口腔に光が
バンギラスの破壊光線とヒルルカのブラスト・バーンが二匹の真ん中でぶつかった。凄まじい熱気と風が吹き荒れ、視界をガタガタと揺らす。極太の棒を突き合わせて押し合っているような――自分の体重を遥かに超えた重さで、体を支えることが苦しい。そしておそらく、支えきれなくなった方が負ける。普段ならハンターなどに引けはとらないが、消耗の激しい今の状況では分が悪い。
周囲の状況を確認している余裕などない。ドルリとカメックスがどうなったのかわからないが、できればこちらにドルリが加勢できる状況になれば勝利は確実なのだが。
結果は、ヒルルカの考えていた事と全く逆だった。
バンギラスの隣でカメックスがハイドロカノンを構えるのが見えた。
――あかん。終わった。
死を覚悟した、次の瞬間。
「ラウジさん……!」
ドルリの声に、稲光と轟音が重なった。カメックスはハイドロカノンを構えたままの姿勢で煙を上げて倒れた。隣にいたバンギラスにも側雷が走り、これが均衡を一気に崩した。ヒルルカの爆炎が、高エネルギー光線を飲み込むように押し返し、バンギラスの体にまで至った時――大爆発。ヒルルカ自身も爆風で吹っ飛んだ。遅れて熱波が押し寄せる。どうにか受身をとったが、さすがに二本足で立っていることはできなかった。四肢をついて顔を上げた先に、大の字に倒れたバンギラスの姿が見えた。
「ラウジ……!」
「ヒルルカ……さん……やったっス……か……?」
「うん、あんたのおかげでな! ウチとドルリだけやったら無理やったわ!」
ヒルルカは反動で思うように動かない体をなんとか支えながら、ラウジに礼を言った。まさかあの状態で技を打てるとは思わなかった。ひとえに彼の強靭な精神力の賜物だ。
「
この時ラウジの返事がなかったのを、なんら不自然に感じ無かった。無理をして動いたのだ、体にかかる負担はヒルルカの比ではないだろう。相槌を打つだけでも辛いはずだ。
「ドルリ! あんたは大丈夫か?」
「は……はい、投げ飛ばされただけですから……!」
ドルリはバタバタと駆け寄ってきて、ヒルルカに手を貸してくれた。なんとか二本足で立ち上がり、ラウジの様子を確かめる。
「ふぅ。しかしウチが背負っていかなどうしょうもないしなあ。ごめんやけどちょっとだけ待ってくれるか?」
ラウジは答えなかった。
いや。ちゃう。動いてへん……?
「ラウジ! あんたホンマに大丈夫なんかいな? 無理して動いて……」
まさか……それはないよな? さっきあんだけの威力の雷をぶっ放したやつが。
「ラウジ副隊長! 返事して下さい!」
ドルリの声も届かず。
ヒルルカが耳元でもう一度呼び掛けようとした時。
「わたしに見せてください!」
背後からの声は、いつ現れたのか、和装フォルムのサーナイト――シャロン隊長から聞いている。フィオーナ嬢の護衛が情報の橋渡し役をしていると。
サーナイトはラウジの横に屈みこんで手を当てていた。このサーナイトが癒しの波導を使えるなら、大丈夫なはずだ。歩ける程度にさえ回復すれば。
だが、サーナイトは目を閉じて首を振った。
その動作の意味を、ヒルルカは即時に理解してしまった。
「え、ちょ……どういう事ですか? 副隊長は……」
「……申し訳ありません。癒しの波導では……もう」
癒しの波導は、被術者の体力が残っていなければ効果がない。あくまで自然治癒力を高める技に過ぎない。すでにそれを失ってしまった者には。
「ラウジ副隊長! そんな……冗談ですよね? シオン隊長に言われたこと忘れたんですか!」
ドルリがラウジの体をばんばんと叩いて呼びかけたが、一度動かなくなった彼が再び動き出すことはなかった。
「敵を道連れにしての討ち死には許さないって! シオン隊長は俺達にそう……そう命令したじゃないですか! 副隊長が、それを破って……破っ、て……どうす……」
ドルリの言葉にならない言葉は、最後は涙に溶けて、虚空へと消えた。
――ウチにはそれすらも、何もでけへんかった。
誰が想像しただろう。
「隊長……ほんまウチはあかんやっちゃ……!」
ヒルルカが泣いて帰還するなんて。
「何があった? ヒルルカ! 泣いてる場合か! それでも副隊長か!」
ラウジを背負って。
「シャロンさん……! 今は……」
これまでにも犠牲は出ていた。その中で、自分と近しい者に死がいつ訪れてもおかしくなかった。
それでもこうして現実を目の前にすると、それが何にも変わることなどないと知っていながら、涙を流さずにはいられない。
しかし私は、この団の頭だ。誰が取り乱しても、私だけは乱れるわけにはいかない。
「ヒルルカさんは早く治療を受けて下さい!」
九番隊を率いていたラウジが欠けたことで、今後の作戦を変更しなければならなくなる。九番隊員の誰かを暫定的に隊長に立てることもできるが、副隊長の死を冷静に受け止めて、突然降ってきた大役をこなせる者がいるとも思えない。
かといってシャロンにこれ以上の負担を強いるわけにもいかない。
「九番隊は暫定的に私の指揮下に――」
「待って……!」
彼は勢いよく会議室に飛び込んできて、キールの言葉を遮った。すみれ色の体には傷こそついていなかったが、激しい呼吸の乱れに合わせて上下に揺れていた。
「ら……ラウジは……ラウジはどこ?」
「シオン君……」
シオンの顔には、その答えを知っていると書いてあった。訃報を聞きつけてここまで走ってきたのだ。
キールが答えあぐねていると、ボスコーン団長が進み出た。
「安置所だ」
「安置……所……」
一縷の望みを、希望の芽を摘み取る言葉だった。だが、事実を変えることはできない。絶対に花開くことのない芽を大切に育てて何の意味があろうか。
「シオン。お前は、ラウジの訃報を聞きつけ任務を放り出して駆けつけたのか?」
「そ、それは……」
シオンは北凰騎士団員としての職務を全うしなければならない立場にある。
厳しくも、団長がそれを黙って見逃すわけにはいかない。
「お前は私情を差し挟んだのか?」
「それは……違います」
シオンは俯いて小さな牙をカチカチと震わせていた。しかし、彼の言葉には明確な意志があり――ただの言い訳ではなかった。
「ほう。では、務めを果たしたと?」
「……はい」
彼の言葉から、キール達は事件の全貌を知るところとなった。
反乱の首謀者はケンティフォリア歓楽街の女王、娼館グループ『イーノッソ』会長のサエザ・タグフ。牝のゴチルゼル、43歳。莫大な資金を投入し、ランナベール中のハンターズギルドに反乱を起こすよう依頼する。この陽動の隙に、ラティアスのセルアナを使ってフィオーナ、マフィナの行方を追っていた。姿を消すことのできるラティアスは海兵隊に発見されることなく別館を見つける。サエザはセルアナ、側近のオスマを引き連れて別館を襲撃。シオンの護衛、橄欖が負傷したものの、駆けつけた増援によりサエザは倒された。
話に聞くと、呆気ない幕切れだが――私達は何をやっていたのか。何もかも相手の方が一手早かった。敵の正体を掴むのがあと数日早かったなら。先手を打ってタグフ邸を攻めれば、あわやというところまで迫られることもなかっただろう。まして、ラウジ君や数多くの同志が命を落とすことも。
「くっ……!」
あとになって思い返せば、私らしくもない。
がくりと膝をついて、拳を床にたたき付けた。こう見えても鋼の身体だ。固い金属質の音が、会議室に鳴り響いた。
余韻はどこか重い鐘の音に似ていた。
◇
「光の壁、リフレクター展開! 突入隊を援護して!」
タグフ邸は二重の城壁に囲まれた堅固な造りで、構造だけならヴァンジェスティ家よりもはるかに落とし難い。
が、主のサエザを失った軍の士気は低く、シオン率いる九番隊を中心とした遠距離からの猛攻に脆くも崩れ去った。
「五番六番連合隊! 私に続け!」
隊長の戻った九番隊の勢いは凄まじいものだった。彼らにとっては副隊長ラウジの弔い合戦の意味合いもあるのだろう。
――それは私とて同じか。
ラウジとは少なからず交友があった。
「門を壊すよ! できる限り最大の攻撃で!」
後方からシオンの声が飛ぶ。シャロンたちを迂回する軌道で、
続く二つ目の門を越えると、噴水や種々の花々に彩られた庭園が広がった。それは、ヴァンジェスティ家に勝るとも劣らない美しさで。
狭いアパート暮らしのシャロンにしてみれば、一体何が不満で反乱など起こしたのか、理解に苦しむ。この家の主は、何が欲しかったのか。
隊列は前衛にシャロン率いる連合隊、次いで突入したキール隊が拡散し、その後ろにシオンの後方支援部隊、殿を四番隊と七番隊が固めている。
全ては滞りなく。
しかし決して油断することなく。
「キール隊がビオラセアを保護しました!」
館内に突入していたシャロンの耳にその知らせが届いた時には、既に勝負は決していた。敵の抵抗は止み、
「シャロン隊長! ツカオを討ち取ったとの知らせにございます!」
反乱が革命となることはついになかった。
全てが解決した頃。
ヴァンジェスティ家の住人達は本邸に戻っていた。荒らされた箇所もあったが、屋敷内の多くは無事だった。シオン、孔雀、橄欖の三匹を同時に出してしまったフィオーナのミスもあったが、警備について見直す必要はありそうだ。とはいえ、少なくとも現在は安全と言って良いだろう。
門をくぐり、林を越えて。先に広がる庭園は、静かで荘厳で美しく。噴水が太陽の光を反射してキラキラと輝いていた。まるで何事もなかったかのように。
「おっかえりー!」
玄関に到達する前に、元気な声に迎えられた。庭を飛び回りながらやってきたのは。
「セルアナ……きみがどうして」
「そーだよシオンくん! ごめんね、あたしサエザに騙されてた!」
「……軽すぎない? 僕たち、きみに殺されそうだったんだよ」
「許してなんて言わないよ! だから今度はあたしがキミたちを護ってあげるの!」
セルアナの底抜けの明るさはヴァンジェスティの庭園にはよく似合っていると思う。彼女の存在が、動くもののいないこの庭園に命を吹き込んでいるみたいだ。
「そう……」
その下で枯れそうな、あの小さな青い花。
噴水の石壇の角に生えたその花に目を落としていると、セルアナが首をぐっと下げて覗きこんできた。
「あの花が好き? でも、もうだめだよ。暑さには弱いから。この国じゃ夏は越せないね」
あのまま枯れるしかないんだ。
ふと誰かの目に留まることはあっても、きっと誰の記憶にも残ることなく忘れ去られる。
僕だって、覚えてはいないだろう。名前も知らない花のことなんて。
「でも、忘れないでいてあげてね! だってあのお花、忘れないでって言ってるよ!」
「どうしてわかるの?」
「あのお花はね、
「勿忘草……」
その身が朽ち果てようとも、その青い姿を、枯れない花のように、僕の心に咲かせていてくれる?
安らかな死に顔だった。
最期まで職務を全うしたのだ、九番隊副隊長の名に恥じぬ戦いだったと、ヒルルカさんが涙ながらに言っていた。
でも、僕は許さない。
あの時命令したのに。間違っても自分の身を犠牲にしての道連れなんて、許さないって。命令違反だ。最期に隊長の命令を守れない副隊長なんて、僕は認めないんだから。
きみは何を満足そうにそうやって寝ているの? 僕、怒ってるんだよ。
「ほら泣かないの! 優しいキミの笑顔を待ってるポケモンがいるんだから!」
護り神には僕の心が読めるのだろうか。小さな勿忘草の花を通して、ここにはいない彼に、二度とは届かぬ想いを馳せている僕を励ますセルアナは、最初に会った時と同じ、向日葵みたいな笑顔で。孔雀さんのような仮面のない、本当に屈託のない笑顔だった。
「泣いてない!」
シオンはセルアナから逃げるように駆け出した。
そんな顔されたら、こっちが莫迦みたいじゃないか。
「早く橄欖ちゃんに顔見せてあげてね!」
言われなくてもわかってるよ。
最初からそのつもりだよ。
両側に水が流れる大きな石の階段を上って、玄関扉の前にたどり着いた。
両開きの扉を
「お帰りなさいませ……」
和装のサーナイトが控えめにお辞儀をして、妹の代わりを務めてくれた。
や。何か変だ。
「橄ら……孔雀さん……だよね?」
彼女は病人みたいな――憔悴しきった顔をしていた。このサーナイトが本当にあの孔雀さんなのか? 一瞬、本気で疑ってしまった。
「はい、孔雀ですが……? 橄欖ちゃんは変わらずの石を身につけていますから……もう進化しませんよ?」
「そう……だよね。びっくりした。孔雀さんのそんな顔見たことなくて」
だって、これじゃまるで。
「それは……申し訳ありません」
まるで橄欖みたいじゃないか。
「孔雀は橄欖に付きっきりでしたからね……」
艶やかな声は階段から。静かな足音を立てて、フィオーナがロビーに下りてきた。
「お帰りなさい、シオン」
「ただいま」
少し遅れて、フィオーナの後ろや反対側の階段からお義母さまや使用人がぞろぞろと下りてくる。
「お帰りなさぁい」
「シオンちゃん……無事で良かったわ」
「お帰りなさい!」
「オカエリ」
「ふん」
数が多すぎる気がするのだが。
「えっと……?」
お義母さまとラクートに加えて、あの時助けてくれたゲンガー、ゴルーグ、ムウマの三姉弟がいた。でも、それがどうして未だにこの屋敷に留まっているんだろう。
「彼女達は屋敷の使用人として雇い入れることにしました。別館の場所まで知られてはそうするしかなかったのです。口を封じるわけにもいきませんし」
「そう……」
事情はわかった。
そんなことより、だ。
一匹足りない。僕の大切な……友達。僕を好きだと言ってくれた。応えることはできないけど、してあげられるだけのことはしてあげたい。僕の笑顔なんかが力になるのならいくらでも笑ってあげる。だから。
「あの……橄欖は……?」
だから、どうか助かっていて。可憐なままのきみでいてほしい。
フィオーナの口が開く様子がまるでスローモーションに見えた。どうか杞憂でありますように。
もうこれ以上何も失いたくないよ。
◇
同じ頃、住宅街のはずれの喫茶店にて。
「ほらさっさと注文取る! ぼーっとしてんじゃないよ!」
「む。いつの間に客が」
ぱたぱたと飛び回るウェイター。色違いのバタフリーが人目を引くせいか、今までにないくらいの客の入りだった。
「ラ・レーヌさん大変だね……」
「やっぱり貴族の出だからこんな仕事は向かないのかしらね」
カウンター席にはブラッキーとフローゼルのカップル。テーブル席の一つには首の毛に黒いメッシュを入れたルカリオ、ピアスだらけのリザード、面白い顔のチャーレム、声も顔もデカいアリゲイツが座っている。
彼らがサクラの役割を果たしてくれているお陰もあるのかもしれない。
困ってるヤツを助けるのも悪くないな。
「あいつが連れて来たブースターのせいでウチのウェイトレスが消えたんだ。向いてようが向いていまいが、穴は埋めてもらわなきゃ困るね」
「ウェイトレスって……あの仔、男の子よね?」
「ウェイトレスにした方が客が来るんだよ」
あのバカは店をほっぽらかして一体どこをほっつき歩いてんだか。
おおかた、勢いで飛び出したはいいが帰るのが怖くなったのだろう。どうせすぐに泣きついて戻ってくるに決まっている。
「ラ・レーヌさんがウェイターやってる方がお客さん多いみたいだけど」
私が癒しの鈴で命を救った一匹、フローゼルのキアラ。澄ました態度を崩さない牝で、いわゆる姐御肌ってやつだ。
「やかましい牝だねあんた」
「これは失礼」
紅茶を嗜みつつクスリと笑う姿は優雅というよりもどこか危険な香をさせている。
「あのリーフィアもマスターが助けたんだよね?」
一方のブラッキーは、どこかシオンに似た雰囲気を纏う少年で、なんというか、シオンをもっと男の子らしくしたようなポケモンだ。名をローレルと言うらしい。
「ほんの気まぐれさ。あんた達と同じだよ」
「おい、マスターさんよ」
そこへラ・レーヌがお盆を吊り下げてカウンターまで戻ってきた。
「なんだい」
「よく考えたら俺がこんなことをやっている意味がわからんぞ。お前の店の被害は高々ウェイトレス一匹だ。俺の店は今No.1と店長が欠けた状態なんだが。そもそもうちの牝を連れていったのはお前のところの莫迦ではないか」
正論だ。素直なヤツだと思ったが、頭は悪くないらしい。
しかしここで屈するわけにはいかない。
「わかった。あんたの給料は出すよ。これで公平だろ」
「ふむ。納得するわけではないが、お前のような中年牝では逆はできんからな。痛み分けとしようか。ただしこの俺を雇うからにはそれなりの金を」
「おだまり。それなりの金が欲しかったらそれなりの働きをしな」
「……正論だ。何かがおかしい気もするが――」
ラ・レーヌはくるりと店内を見渡して、自分に向けられる視線や囁く声をそれとなく確認した。
「――こんな仕事もたまには悪くない」
彼の評判はトモヨの耳にも入るが、どうやらエリオットの莫迦よりも人気があるみたいだ。とくに女性客が増えたのは、ラ・レーヌの独特の魅力によるところが大きい。
ラ・レーヌは元貴族というだけあって味覚はしっかりしていて、紅茶や珈琲の淹れ方にも間違いがなかった。教えれば料理もすぐに覚えたし、はっきり言ってエリオットよりかなり優秀だ。
このまま帰ってこない方が店にとってはプラスなのではないか。
カラン、と扉が開いた。
――そうは問屋が卸さないらしい。
「いらっしゃ――おお、シャポーではないか」
「て、店長……その格好は一体」
「黙れ。お前が帰って来なかった所為だぞ」
「ご、ごめんなさい。どんな懲罰でも受けます! だから……弟のことは許してあげてください!」
「ふむ。で、その弟はどこにいる」
「えっと……」
姉の大きな尾に隠れるようにして、リーフィアが顔を覗かせた。俯いたまま、何かを恐れているようだった。
「まあ、俺が決めることではないがな」
どうしたものか迷った。
ラ・レーヌが『弟』だと言ってしまった以上、今さら女装させるのも無理がある。新規の客が多いし、少なくとも今いる客はペロミア目当てではない。これを機に方向性を変えてみるか。
「エリオット。こっちに来な」
「お……オレが悪かった! 頼むからクビにはしないで! 今まで以上に働くから!」
また自分で墓穴を掘るようなことを。
「お客様の前でみっともないことするんじゃないよ。ま、これだけ大勢の前で宣言したからにはしっかりやってもらうよ」
叱るのは店じまいの後でいいだろう。ついでに、弟を放っておきながら今になってのこのこ現れた姉にも言いたいことがある。
「決めたぞ。クビだ」
声は意外なポケモンの口から。透き通る美声の持ち主は、解雇を宣告した。
「え……」
娼館のNo.1だというシャポーに。
「どんな懲罰も受けると言っただろう」
「え、その……確かに、言いましたが」
シャポーは戸惑いの色を隠せない。それもそのはず、ここでシャポーを解雇することのメリットがラ・レーヌにあるとは思えないからだ。
「お前もそろそろ歳だ」
「ちょっ、姉貴はまだ二十五だぞ! ババアみたいに言うなよ」
「莫迦弟は黙れ。娼婦としては終盤にさしかかっているのだ。ややフライングだが、今回の件で俺も考えた事がある」
ラ・レーヌ。読めない奴だ。一時この喫茶店に来ていた孔雀とかいうサーナイトの娘もそうだったが、あれとはまたジャンルが違う。バタフリーの彼にこう言うのも何だが、一見地に足がついていそうで実はふわふわしている、しかしその裏ではやはり計算高い――孔雀にもう一枚皮を貼ったような。
「俺のいない間娼館の経営はラサに任せているが、殊の外うまく回っているらしい。俺という最強の経営手腕を持つ存在とお前というチート美人に頼ったやり方では今は良いが先がないっ……! 後継となる
「はあ……」
「シャポー……いや、イレーネ。お前の欠けた分を埋めるべく他の娼婦がNo.1を目指し競争する。俺がいない事でラサの能力も上がったはずだ」
ラ・レーヌは私の顔をちらりと窺った。緑の複眼に、思いやりの色が見えた。
私に託すってか。
「おい、あんたまさかこのオバサンの事……」
エリオットは何を勘違いしたか、急に慌てふためいた。
「やめとけ! 牡のオレが言うのもなんだが、あんたとこのオバサンじゃ釣り合わねえって! それに、こんなのでもちゃんとハるぃうぉアッ」
何を言い出すかと思えば。とりあえずのしかかりで頭から叩き潰しておいた。
「どうしようもない阿呆だな」
「あああ……お願いします、トモヨさん! 莫迦な弟を許してあげてください……!」
「てめ、重いんだよ! オレみたいなピュアボーイ五十近いオバサンがのしかかるなんてセクハ……ぎああああっ」
「ウェイターさーん! コーヒーまだー?」
「おお。忘れていた。これはまずいな」
「なに呑気にしてんだい! 急ぎな!」
「うむ」
一連の流れを見ていたローレルとキアラが、二匹で笑い合っていた。
「随分と賑やかな喫茶店ね」
「うん。俺、こういうの好きだな」
「確かに。ちょっと遠いけど、また来たくなるわね」
喫茶店ウェルトジェレンク。
『世界の継ぎ目』というその名に相応しく、当店は様々な世界に生きるポケモンが一堂に会し、笑い合える空間を提供します。
なんて、初心を思い出しちまったよ。
◇
「なんだ結局何事もなく解決かよ面白くねえなリュート平和すぎマジつまんね」
「不謹慎ね。たくさんのポケモンが死んだのよ?」
「アヒャ。不謹慎厨テリーア」
「黙りなさい」
セーラリュートのカフェテリアで、変わらず語り合う三匹組。パツは知らないらしいが、今回の反乱で、就職に影響が出たのだとか、なんとか。
「それに、私にとっては大変なのよ? 保安隊と私兵団を統合……というか、私兵団所属の下部組織にするって。ハンターの実力を甘く見ていたって、リカルディが言ってたわ」
「マジかそれじゃテリーアと俺就職先一緒じゃねヤッフー」
「ヤッフーじゃないわよ。街の治安を守る保安隊と敵国と戦う私兵団じゃぜんぜん違うんだから」
「オレ蚊帳の外涙目」
「少しは黙って聞いてなさいよ! でね、今回被害の大きかった北凰騎士団が、兵士の追加募集をするそうなのよ」
「やっぱオレ関係なくね」
「追加募集よ? グヴィード、一応私兵団入り目指してたんでしょ。もう一度挑戦してみたら?」
「お」
すぐに気づかないところがグヴィードらしい。そんな風だから私兵団入団試験に落ちるのだ。
「おーそれはいいじゃねえかグヴィード今度は俺もテリーアも就職決まってるしよ手伝ってやるぜてめーの脳みそでも受かるようにな」
「アヒャヒャヒャヒャ! オレに風が吹いてきたぜぇ!」
はたく、いてっ、その笑い方はやめなさいのお決まり三連コンボ。すでにカフェテリアの名物となってしまっていて、もはや意味を為していない。
まあ、残り少ない学生生活だし、今までにない目立ち方というのも悪くないかもしれない。
ところでシオン君、無事だったのかな。
裏庭は一面の、この季節に盛りを迎えた真っ赤なポピーのお花畑だった。可愛らしいカップ咲きの花が崖の端まで続いている。花畑の赤と青い空、わずかに見える海が綺麗なコントラストを描いていた。
彼女はこちらに背を向けてその真ん中に立って、風に吹かれている。さらさらと揺れる緑の長い髪の間に、ポピーの花と同じ色の二本の角が、太陽に照らされて艶やかに光っていた。
花畑と澄んだ空に溶け込むかのような、あまりに可憐な後ろ姿に――僕には心に決めたポケモンがいるのに――ときめいてしまった。フィオーナがいなかったら、僕は彼女に心奪われていたかもしれない。
まっすぐ空に向かって伸びる花の茎を踏み倒さないように、彼女に歩み寄ってゆく。すっくと立つ彼女のたおやかな肢体は、まるでこの花のよう。
近づくことはできても、声をかけることができなかった。
彼女が振り向くのが怖かった。
あの時大きな傷を負ってしまった彼女の顔は、元に戻るかどうかわからない。玄関先で孔雀さんの疲れきった顔を見てしまっただけに、悪い予感が頭を離れない。
でも……彼女がどんな顔で振り向こうと、生きていたことを喜んであげよう。セルアナに言われた通り、精一杯の笑顔で応えてあげよう。
そう決心して、口を開こうとした時。
橄欖がふわりと、軽やかに、振り向いた。
「お帰りなさいませ、シオンさま!」
孔雀さんが乗り移ったみたいな笑顔で。
橄欖の顔には傷ひとつ残っていなかった。その瞳は、この花畑のどの花にも負けない輝きを放っていた。
僕はこの風景を一生忘れないだろう。
「橄欖……!」
その瞬間、決心も覚悟も、極度の緊張も解けてしまった。
心に決めた通りにできなかった。
僕は純白の衣に包まれた橄欖の胸に飛び込んで、そのあとはもう、こみ上げてくるものを抑えられなかった。
「シオンさま……」
橄欖の上に倒れ込んだまま、僕は泣いた。嬉しさと安堵、悲しみとやるせなさが同居して、もう何の涙なのかわからない。
「痛いほど……わたしには痛いほど伝わります! シオンさまのお気持ちが身に染みて……ああ、わたしの拙い表現では言葉になりません……言葉にはなりませんが、あなたの感情の色はすべて……どんなに複雑でも、わたしにはわかりますから!」
橄欖はその細い腕で僕を抱きしめてくれた。
言葉にならない想いは、涙に形を変えて。
失って、失いかけて、やっと気づいた。
僕が誰かを愛するのと同じくらい、いやそれ以上に。
――僕はこんなにも、誰かに愛されていたんだ。
-Fin-
僕の心に咲いた勿忘草は枯れない。
「ラウジの仇は――」
だが、命を散らしてしまった同胞たちの葬儀の席で。
「――ジブンの弟や、シオン」
アスペル先輩に告げられたその事実に、勿忘草は鋭い棘を持つ薔薇と化した。
後半はフラグ回収が大変であまりふざけたことをできませんでした。。。
反省することをひとつ挙げるなら、(またしても)ヒロイン涙目(笑)になっちゃったコト。
大丈夫、シオンはちゃんとフィオーナのことが好きですよ!
本当に好きな人には弱いところを見せられなかったりします←
クライマックスシーンはちょっと十条さんのトップ絵に影響されて(蹴)
問題があったら書き換えます。。。
それではここまでお付き合いいただいた読者の皆様方に感謝しつつ、リクエストを参考に、次の作品の構想を練りたいと思います!
たぶん次はチラ裏的な短いのになるかな。。。
最後まで読んでいただいてありがとうございました!!
by 三月兎
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