アブソルの山
目次
背から重力が消えた瞬間、俺は死を直感した。
今までの人生においてこれ以上も無いほどリアルに、そして決定的にそれを確信したというのにその瞬間は妙に冷静であったのが我ながらに滑稽だった。
その山は国境を跨ぐ山塊の4000m蜂で、過去には数多のクライマー達を飲み込んできた魔性の地としても知られていた。
かく言う俺もまた、そこでの登攀の最中この悲劇に見舞われたのである。
雪庇に気付くことなく氷の庇を踏み抜いてしまった俺は、そのまま氷塊のクレバスへと直下した。
時間にすれば数秒程度であったろうその中において、妙に冷静に現状を分析していた俺は実に様々な事へ思いを馳せた。
自身のヘマを悔い責めるのは元より、失態を冷静に分析する諦観や、果ては今朝食べた食事内容の反芻とさらには今日の夕食(ゆうげ)に気を回す場違さに至るまで、実に雑多な情報や感情が一度に去来しては流れ去っていった。
そんな走馬灯とも取れる情報の中に最後、一人の女性の顔が思い浮かぶ。
その目鼻立ちを思い出せたことに場違いにも心が和んだ次の瞬間──激しい衝撃を背に受けて俺の意識は暗転した。
しばしして覚醒を果たした時、俺は仰向けに遥か上空で絶壁に小さく切り取られた空の一部を見上げていた。
しばし困惑もしたが、それでも起き上がろうと体に力を込めた瞬間、背に走る激しい痛みで俺は呻きを上げる。
痛みも然ることながら全身が痺れて動けない。
依然として見上げる氷の渓谷にはその所々に、出っ張り(テラス)が点在しているのが見受けられた。
どうやら、あの箇所箇所に体をぶつけながら俺は落下してきたらしい。
それにより勢いが相殺され、さらに背からの着地に際しては背負っていたザックがクッションとなって一命をとりとめたようだが……この状況で九死に一生を得たことはむしろ、これ以上に無い残酷な未来を突きつけられたにも他ならなかった。
まだ興奮冷めやらぬ肉体は激痛に苛まれつつも痛みの発生源が曖昧で、今この肉体に負った正確な傷を判断するのが難しかった。
各部の骨折は免れぬであろうが、それが一体どの範囲まで及んでいるものか判断がつかない。
いずれにせよクレバスの谷底にいる状況とあって、仮に利き腕や足のいずれかの骨折が判明した時点で俺の死は確定する。
それらの支え無しに、この谷底からの脱出などは不可能だからだ。
今はただ、全身を覆う曖昧な痛みと痺れとが取れるまで寝ているしかない状況に、俺は幾度となくため息を湿らせた。
落ちた瞬間よりも、むしろ生を意識している今の方が恐怖を強く感じしてまう。
同時に、将来に対する不安に苛まれるのは山も街も変わらないのだと気付くと、思わず俺は自嘲して白い吐息を不規則に乱してしまうのだった。
そんな折り──音が聞こえた。
渓谷の下、一切の物音が遮断されたそこには鐘の余韻さながらの空気の張り詰める感覚が鼓膜に満ちていたが、その中へ明らかに異質となる『砂利を踏みしめる足音』が聞き取れたのだ。
幻聴の類であることを願うもしかし、一定の間隔で響き渡るそれが、俺以外の第三者の物であろうことは疑いようも無かった。
静寂の渓谷に響き渡るそれへ得も言えぬ恐怖を憶えつつ俺は、唯一可動可能な首を振り回しては忙しなく周囲へと視野を展開させる。
自身の恐怖が作り出す幻影であってくれと、もはや神頼みにすがる俺の視界はしかし……無情にも望まざる『第三者』の姿をそこに捕えてしまう。
堅い氷の足元に硬質の爪を打ち鳴らしながらゆっくりと進んでくるそれは──一匹のアブソルだった
白を基調とした毛並みの中、その尾と側頭部からは鋭利な刃物然とした突起物が群青の鈍い光を反射(かえ)している。
青みがかったその面は動物にしては鼻頭が低く、加えて丸みを帯びた頬の輪郭と相成っては、人間の顔の様な印象をそこに憶えて不気味にも感じた。
ポケモンに関しては興味の薄さから皆目種別の見当もつかない俺ではあったが、この『アブソル』に関しては別である。
俺達『山屋』には、このポケモンに関する数々の良からぬゴシップが存在するのだ。
曰くそれは雪崩の直前に現れるや、登攀者が事故に遭う場所はその大抵がアブソルの通り道であるなど、言わば災いの先触れとして語られるのがこのポケモンなのである。
それが今この時、そしてこの場所に現れたことに……ついには俺も自身の終焉をここに確信する。
やがてはそんな俺の元まで辿り着くと、アブソルはその表情を変えることなく鼻先を立てては幾度となく俺の全身を嗅いで回った。
警戒心が無いのはけっして野生動物特有の人ズレの無さからではなく、コイツは俺が動けないことを完全に把握しているからに他ならない。
おそらくは俺がここへと落下してきた瞬間から、物陰より一連の様子を観察していたのだろう。
そうして負傷を負った俺が満足に身動きとれぬことを確信しては、いよいよ近づいてきたという訳だ。
そしてそれを行動に移す理由それこそは……
「俺を……食おうっていうのか………」
エサの選定──氷に閉ざされたこの世界において、70㎏分の肉が身動きも取れずに転がっている状況など、このアブソルにとっては僥倖以外の何物でもない。
俺からの語り掛けに驚いたのか、目を見開いて正面から俺を見つめてくるアブソルにはこの時初めて感情らしいものが見て取れた。
それと同時──俺はそんなアブソルの顔の中に思わぬ人物の面影を憶えては息を飲む。
しかしそんな感傷を俺はすぐに振り切った。
死に直面していよいよ困惑の度合いが増してきたことを実感しては再び自嘲する。
今この段に至っては、全てが詮無いことだ……どうせ食われて終わるのだから。
もはや喉を反らせては天を仰ぐと、俺は両眼を閉じて一切の抵抗を止めた。
そもそもが身動きとれぬ状況ではあるのだが、それでも完全に生の放棄を決め込んだ俺は捨扶持にアブソルへ身を晒したのである。
願わくば苦しまないように仕留めてほしいなどと考えていると、案の定にアブソルは俺の体へと牙を立て始めた。
しかしながらそれはザックの肩紐を噛み締めているらしく、音を立ててはそれを食い破るとアブソルは俺からザックを分離させる。
次には足元へと回り込んで防寒着の裾を噛みしめるや、その小柄な体躯からは信じられぬ力強さで俺を引きずり出しては地へと水平に寝かせた。
そして再び頭の元へと戻ってくると──アブソルは互い違いになる様に俺の顔を覗き込んだ。
しばし物珍し気に観察してくるそれと視線を交わした後、アブソルは俺の襟首を噛みしめそのまま引きずり出しては移動を始める。
一連のコイツの行動をいぶかしんではいたがなんて事はない……どうやら落ち着いた場所で俺の吟味をしたいのだ。
巣にでも連れて行くかれるものか、いよいよもって絶望が心を占めると俺は瞳を閉じ──
後はただ、成り行きに身を任せるばかりだった。
アブソルに引きずられ続けること数分──俺は来た道を顧みながら暗澹とした気持ちでいた。
その理由は餌としてコイツに持ち帰られている事だけではない。
長く俺が引きずられてきた跡に続く血糊の筋を確認しては、そのことに気持ちを重くさせていたのだ。
我が身を見下ろせば右足のズボン裾が徐々に赤く染まりつつあるのが確認できた。
その出血の量たるや、もはやかすり傷程度の物では済まない。これではこの全身を包み込む痺れが取れたところで、以前のように歩いたり登ったりは叶わないだろう。
元より無いに等しかった俺の生存の可能性は、この時完全に費えたといって過言ではなかった。
そうして渓谷の底を辿ることさらに数分……ようやくにアブソルの動きが止まった。
巣に辿り着いたものかと待ち受けていると、アブソルは存外に高く美しい声で一鳴きした。
それから再び俺の顔を覗き込んでくるアブソルを俺もまた所在なげに見返していると、そこへ予想だにしなかった展開が訪れる。
ふいに、覗き込んでいたアブソルの隣にもう一体、別のアブソルが現れたのだ。
その登場に思わず俺も眼を剥いては両肩をすくめる。
その新たなアブソルは、ここまで俺を運んできた個体よりも更に一回りその体も顔の輪郭もまた大きかった。
すなわち俺を発見したアブソルは子供で、今新たに表れたこれはその親であったという訳である。
しばし二匹で俺を見降ろした後、その視線を振り切るとアブソル同士は互いに鼻を突き合わせては何か打ち合わせでもするかのよう低い声を喉の奥から鳴らしていた。
その直後二匹の顔が視界から消えるや再び俺は背後へと引きずられ始める。
同時に親と思しき個体がそんな俺達を追い抜いて何処かへと歩き去る後ろ姿を見送った。
尻尾の裏から見え隠れする腹部には背後からでも分かるほどに肥大化した乳房が連なっており、あの個体が母親であったことと、そして俺を運んできたアブソルはまだ離乳直後の子供であることが察せられる。
ということは俺こそがこの子供の最初の肉になるとうことかとも考えると、不思議に死への恐怖は和らぐのだった。
もうここまで来たならば成るように成れだ。
依然として引きずられ続けていると、突如として視界が暗転する。
同時に背に感じる摩擦の感触にも多く砂を含んだ気配が生じたことから、どうやら巣穴の中へと引き込まれたらしい。
そして寝床と思しき枯れた植物や薪の重なる一角へ上げられたかと思うと、今度は正面から回り込んできては、アブソルは俺の体に乗り上げてくるのだった。
胸板の上に両前足を掛けて鼻頭を近づけてくるアブソルを前に、改めて俺はその顔を観察する。
透明感のある大きな光彩の瞳と長くバランスの良いまつ毛の面相は、俺達人間の感覚からしたならばそこそこの美人とも見受けられた。
おそらくはメスであろうこともまた直感した俺は、生涯初となる『女性に乗り上げられる』体験が捕食者(ポケモン)であるという状況に思わず吹き出してしまう。
しばし視線を合わせ、それを振り切った後も俺の体の隅々を観察していたであろう彼女はやがて──俺の腹部に牙を突き立てた。
ついに始まるのだな、とそれを見守りながら漠然と思う。
まるで穴でも掘り穿つかのよう忙しなく前足で俺の腹部を掻きながら、剥ぎ取った衣類の端切れや綿を外部へと掻き出す彼女──今はまだ幾重にも着込んだ防寒着で留まってはいるが、あの鋭い歯牙が肉体に到達するのも時間の問題だろう。
やがては胸元から腹部にかけての衣類を全て剥ぎ取ってしまうと……途端に血の香りが深く立ち込めては俺も表情を曇らせる。
同時に鈍い痛みもまた頭を貫いたが、それは今しがたのアブソルの牙によって与えられたものではなかった。
首を起こし辛うじて自分の体を見下ろせば、そこにはどす黒い血糊をこびり付かせた右わき腹の惨状が確認できた。
おそらくはあの落下の際に負った傷だ。
それを視認するや、たちどころに鋭い痛みがわき腹に生じては緩やかな出血まで始まる。
その傍らで一方のアブソルはと言えば、今度は俺の下半身においてズボン下を食いちぎる行為に夢中となっていた。
見守り続ける中、瞬く間に下半身の衣類は全て剥ぎ取られ──俺はそこに生殖器すら露としたあられもない姿をアブソルの前に晒す羽目となった。
とはいえその光景を前にしてもしかし、俺の心は羞恥心をさらに上回る恐怖と驚愕とに包まれていた。
見下ろす下半身のその先……一際鮮血の赤が目立つ俺の右足は、さながら脛に新たな関節でも増えたかのよう内側へ直角に折り曲がっていた。
歪な花の蕾よろしく褐色に腫れ上がったその個所からは、骨折の際に分離したであろう骨の一部が皮膚を突き破っては体外へと露出してもいた。
その他も含め、改めて確認する俺の体には大小を問わぬ無数の傷や痣が見受けられ、それらを確認するや俺の脳は途端に従来の感覚を取り戻しては、それらが発生させる熱や痛みで俺を苛ませ始めるのだった。
情けなく呻きを上げては反らせた身を硬直させる俺であったが、同時にこの痛みの中であれば、彼女達に噛み裂かれることも大差はないなと楽観的に考えてしまう。
そう考えるならばこの痛みこそが死の恐怖を和らげてくれる最高の麻酔という訳だ。
そうして気付けば……いつの間に戻って来たのか、あの母親のアブソルもまた娘と一緒に俺を見降ろしていた。
不安げに俺と母親とを交互に見遣るアブソルをよそに、母親は値踏みでもするかのよう冷静に俺の体を隅まで観察する。
やがては何かを合図するかのよう小さな呻りを一つ発すると、二匹はその鼻先を俺の体へと降ろしていく。
依然として痛みに苛まれながらその様子を見守り続ける俺の視界には、脇腹の傷へと揃って鼻先を寄せる二匹の姿が写っていた。
やがて母親の顎が大きく開け放たれた次の瞬間──
「うぐあッ……あ、あぁ…………ッ!」
その牙は容赦なくその傷へと突き立てられ、鮮血をすすりあげながら俺の肉を噛み裂き始めたのだった。
貪る様に二匹の舌先が傷をえぐると、その突き刺すような痛みに反応して俺は声を上げた。
傷の淵を押し広げながら肉の内部へと侵入し、さらにはそこに置いても縦横無尽に暴れまわる舌先からの痛みに俺は意識を朦朧とさせる。
さらに母親が頷くように小首を旋回させるや──側頭部に備え付けられた刃が閃いては、新たに繰り出された切創によって古い傷の間口はさらに広げられた。
始まりの頃は親指ほどだった傷は今や拳大にまで切り裂かれては肉の断面を二匹の前に展開している。
さらにはその内部へと娘アブソルが鼻先を埋めて舌先を深く掘り入れるに至ってはもはや──俺はそこからの痛みに失心寸前の体で身を仰け反らせては息を殺すばかりであった。
そんな中しかし、ふと斯様な親子の行動に疑問も覚える。
さんざんに俺を嬲り者とする反面、二匹の『食事』は一向に進まない。
ただいたずらにこの右わき腹の傷を弄び続ける母子の行動ではあるが同時に、俺は自身の傷に対する妙な違和感もまたそこに感じ始めていた。
傷から通じる体内の中に、明らかに自分の肉体には存在しない何か異物の違和感を感じたからだ。
アブソルの舌先が体内においてそれを突き穿いたが故にその存在に気付いた俺は、やがてこの親子がその異物を取り出そうと躍起になっていることに気付く。
──もしかして……手当てをしてくれているのか?
もはや妄想にすら近いその考えはしかし、あながち的外れとも言えなかった。
事実見守る親子の仕草たるや、傷口に向き合っては俺の体内に埋没した石礫を取り出そうとする娘に対し、それを見守る母親は冷静にその手際を見守っては何やらアドバイスめいた声掛けをしている。
しばしして娘アブソルはその前歯に石礫の端を摘まみ取るや、ゆっくりとその抜き出しに掛かった。
徐々に体内に埋没していたそれが姿を現し、そして完全に抜き取られて体外へ排出されるや──今まで栓となっていた傷口からは新たに出血が湧き上がる。
しかしながらそれを前にしてもアブソルは慌てることなく再びそこへ鼻先を埋め、舌先を挿入して出血を止めると同時、丁寧に裂けた筋繊維の内部もまた舐め尽くしては傷の消毒と、そして細かな破片の除去も施してくれるのだった。
その傍らでは一連の手術を見守っていた母が、雑草めいた何かを口に含んでは唾液と共に咀嚼している姿が窺えた。
やがてそれを口に含んだまま娘の隣に着けて鼻先を寄せて来たかと思うと、それを見計らって傷口から口唇を離す娘と入れ替わるよう、その間隙を狙っては口中のグリーンペーストを母アブソルは俺の傷口へと吐きつける。
瞬間その軟膏然とした物質が傷に染みて呻り声を上げた俺ではあったが、すぐにそれも傷に馴染むとまるで、人間の営む医療機関で処置を受けたかのよう俺の傷口からあの不快な鈍痛や異物の感覚は取り払われているのだった。
そしてこの段に至り俺は確信する──このアブソル母娘には、俺へと危害を加える気はない事を。それどころか、むしろ救ってくれようと尽力してくれている。
「……あ、ありがとう。助かった、よ……」
辛うじて首を起こし、息も絶え絶えにそう感謝を口にする俺の言葉を受け、瞬間アブソル達はキョトンと俺を見つめた。
しかし次の瞬間にはどこかはにかむように微笑む母親と、さらにはあからさまに喜色満面の様を見せる娘の反応を見るに、俺の感謝は恙無く二人に伝わったようであった。
斯様にして一時、俺達の間には和やかな空気も流れたが……数瞬の後にはしかし、場は再び地獄絵図へ変わることとなる。
再び面をあの無表情然とした野生の顔へと戻した母親は何やら娘に告げては次なる処置へ移ろうとする。
それを受け、俺に身を預けては鼻先を舐めるなどしていた娘アブソルは名残惜し気に俺から離れる。
そして二匹は右足へと移るや、娘は俺の足の上に乗り上げてはまるで固定するかのように身を伏せて足全体を抱き込み、そして母親は……大きく息を吸い込んだ次の瞬間、折れて直角に曲がった俺の右足首へと噛みついた。
それこそ一切の力加減無しに、食い込んだ牙が表皮を突き破っては鮮血の飛沫を上げさせるほどの圧ではあったがしかし──俺の意識はそんな牙による咬傷以上の激痛に見舞われては、高圧電流を浴びた感覚さながらの衝撃に脳を焼かれた。
割り折れ、分断面の切っ先が表皮から露出した『解放性骨折』の治療には、まず分離した骨同士を正常位置に接がねばならない作業が必要となる。
神経の集中した末端とあっては、術中の痛みを緩和するためにも何らかしらの麻酔を施すのであろうが……如何せんポケモンによる原始的な手術とあってはそれも叶わない。
故に彼女達の施すそれは、俺の意識の有無を問わずに力づくでこの骨接ぎを行うよりなかった。
あまりの痛みに絶叫し、半狂乱で身をのたうたせる俺を娘アブソルが騎乗位に取り押さえ、そして母は引き離した骨を鉛直に伸ばそうと躍起になる。
もはや股関節すらもが外れかねない力で引張を続けると、やがて表皮から露出していた骨は徐々に体内へと戻され、ようやくに俺の右足は従来の形へと強制される。
そして脛の内部において、断ち分かれた骨同士の切断面が一致するのを見計らうや、母アブソルは今までの引張を一変させ、一思いに咥え込んでいた俺の足を押し込んだ。
その瞬間、俺はこの日一番の……否、おそらくは前後の生涯においても最大級であろうその痛みに失心を果たしては、排泄可能なあらゆる体液を肉体から放出させた。
斯様にして意識を暗転させたのも束の間──予備電源に切り替わるかのようさながらに俺は覚醒する。
あるいはしばらくの間、意識を失っていたのかもしれない……それでも俺が知覚する時間的感覚は、意識を失った直後からすぐさま今へと繋がっていた。
治療を終えたばかりの右足も然ることながら、肉体全身は焼けるような熱を帯びては俺を苛んでいた。
そのあまりの痛みと灼熱感にうなされては、うわ言に誰へともなく救いを懇願する俺は不意に下半身に生じたその感覚に目を剥いた。
痛みとは明らかに違う何者か第三者に労られているその触感は、こんな地獄の責め苦においてどれだけ俺を慰めてくれるか知れない。
それを受けながら徐々に意識も鮮明に自我を結び始めた俺は直後、改めて自分の体のどこにその愛撫が施されているのかを知ることとなる。
依然として仰向けたまま疲労と痛みに痺れる首を持ち上げて自信の体を望む俺は──……
そこにてあのアブソルの母娘が、頬を寄せ合いながら屹立した俺のペニスへと舌を這わせている光景を発見するのだった。
頬を寄せ合い俺のペニスへと舌を這わせる二人の母娘……勝手が分からず舌先だけで小刻みに裏筋を上下している娘とは対照的に、母アブソルはその舌全体を押し付けては大きく全体を舐め上げていた。
見守る中やがては母親の口中が大きく開け放たれたかと思うと──口中の上下に無数の牙を有したその口唇は、俺の亀頭の先端を丸々と咥え込んでしまうのだった。
牙の持つ鋭いイメージとは裏腹に母アブソルの口中は何処までも柔らかく、そして潤沢な唾液を擁して吸い上げるに至っては膣さながら感触を憶えさせるようだった。
そのあまりの快感に思わず俺からも呻き声が漏れると、それに反応して二人の視線が俺へと向いた。
茎の根元に舌先を這わしたまま上目遣いに見つめてくる娘と、依然としてペニスを咥え込んだまま俺を直視する母……そんな母アブソルの下瞼が上ずるや、彼女は明らかな淫靡さの色を顔(そこ)へ写してみせた。
男性器を口にしたままのメスの微笑みに、俺の中のオスは途端に刺激されては熱を帯び始める。
母アブソルもそれを知ってか、依然として俺を見つめたままに頬を窄めた口唇を上下させる動きをより激しくさせた。
彼女の口中に満ちる唾液と腺液とが撹拌される粘着質な音がこの狭い巣穴に響き渡る。
斯様にハードなフェラチオを敢行する母アブソルの口の淵から泡立って漏れ始めるその唾液に、娘もまた舌先を這わせると丁寧に舐め取っていく。
やがては一際深くまで飲み込み、喉頭にまで亀頭を迎え込んでは締め上げてくるその奉仕についには俺も絶頂を迎えかけるも──まるでそんな俺の心中を読んだかの如く、母アブソルはいとも呆気なく口唇を引き上げては口中から俺のペニスを解放してしまうのだった。
白く泡立った粘液を纏わせては、オーブンから取り出された料理さながらに寒中へ湯気を立ち上がらせるペニスを前に満足げに舌なめずりをする母と、そしてその光景を前に驚いたよう視線を釘付けとさせる娘。
しかしながら一方でお預けを食う形となった俺の心中には、消化不良な気持ちのしこりが残る。
胸中に満ちる思いは、ただ射精を果たしたいというその一点だ。
そしてまたしてもそんな俺の心を読んだかのよう母アブソルは新たな行動を開始する。
身を起き上がらせるや、前足を俺の両足の上に置いてはそこから娘とペニスとを見下ろす。
そして腰を浮き上がらせては前進し俺の体の上を移動してきたかと思うと、母アブソルは屹立するペニスの先端に自身の股間を宛がった。
その眺めに再び俺の興奮と期待とは最高潮にまで熱し上げられる。
見れば彼女の股間──膣回りもまた濡れそぼっては、そこの毛並みを薄く周囲に貼り付かせていた。
排泄する犬のポーズさながらに引いた腰を落とし始めると、膣の間口が亀頭に触れてはその柔らかさと愛液による滑らかな感触に俺は息を飲む。
もはやポケモンと性交を交わしてしまうことのタブーなどは、この時の俺の頭には微塵として残されてはいなかった。
ただ強く求めるものは──この淫靡な雌獣の肉壺に、自身の滾る欲望の証を収めてしまいたいという、動物にも劣る浅ましい欲望しか俺の中には無かったのだ。
母アブソルもまた、目視出来ぬ姿勢ゆえに身を前後させ粘膜同士を触れ合わせては亀頭の位置を確認する。
やがては粘着質な水音が響く中、大小の陰唇をかき分け僅かに亀頭の先端が膣に埋まる感触に俺も母アブソルもそろって野太い呻きを吐き出した。
そして大きく吸い込んだ息を胸に留めた次の瞬間──母アブソルは一思いに腰を落としては、俺のペニス全体を膣の中へと迎え入れてしまうのだった。
体格的に規格外となる大きさのペニスを膣内に迎えた母アブソルは、喉を伸ばして身を仰け反らせると、細く長い雄叫びをあげた。
眉元をしかめ、波の如くに膣壁全体を蠢かせながら身を痙攣させるその反応は、けっして痛みなどではない強い快感に由来する反応であった。
おそらくは今の挿入それだけで絶頂を迎えたであろうそんな母の姿に驚いて、一連の俺達を見守る娘はただ交互に忙しなく視点を移動させるのみだ。
やがては仰け反ったまま硬直していた体が突如として脱力するや、母アブソルは深く頭を下げては、俺の胸板の上に鼻先を垂らして荒く呼吸をした。
一方で俺もまた、そんな母アブソルを前に言葉とも呻きともつかない声を発すると彼女の注意を自分へと向けさせる。
それに反応して母アブソルが半眼の疲れた顔を上げるや……俺はそんな彼女を抱き寄せてその唇を荒々しく奪うのだった。
無遠慮に口中へと舌先を侵入させると、その中で存分にその身をのたうたせては彼女の唾液を貪る。
それを受け、始まりこそは驚いた様子であった母アブソルもまた、自身の舌も起こして挿入される俺の舌とも絡ませると、そこからは存分に唾液交換を繰り広げるのだった。
同時に俺は腰を浮き上がらせるとペニス越しに彼女の体を持ち上げ、さらにはその腰を引いて再び突き上げるという浅いピストンもまた開始する。
ソフトタッチに子宮口を小突かれると、母アブソルは依然として口づけをしたままの口唇から咳き込むような喘ぎを漏らした。
その反応を楽しみながら徐々に俺も腰の動きに緩急をつけていく。
一定のリズムを以て突いていたそれをある時は深く挿入したまま子宮口を押し潰し、また浅い挿入の中へ無慈悲に深く腰を突き上げる動きや、はたまた亀頭のカリ首において膣壁の内部を削ぐかのような動きを意識したり……と、騎乗位に乗り上がられている体位から出せる、おおよそ思い付く限りの責めを彼女の膣(なか)で展開させていった。
その頃には母アブソルにももう、俺の手術を施してくれていた時の淑女さなどは微塵として残されていなかった。
上目を剥き、苦し気に喘ぎ声を吼えたけつつもその顔は喜色に歪み、全身を以て俺のペニスを……延いては久方ぶりに味わう『ペニスの感触』に我を忘れては、既に娘アブソルの母でも指導者でもない、一匹の雌へと浅ましいまでの変貌を遂げていた。
その様を傍らから見守るばかりの娘アブソルはと言えばその眉元を困惑に歪め、怯えともつかない表情でそんな母親の変貌を見守り続けるばかりであった。
しかしながらそんな不安の中にも、俺は彼女がこの交尾に対する並々ならぬ興味もまた抱いているであろうことを発見する。
内腿を地に着けるようにして座る娘アブソルは、自ずから腰を前後させては自身の膣を地へと擦り付けていた。
そしてその下にはナメクジがのたうったかのような、粘液の染みが生じていることもまた見逃さなかった。
その矢先、半狂乱に上下にピストンを繰り広げていた母アブソルが突如として動きを止めた。
頭を垂れ、静止していても激しく蠕動する膣壁の動きは彼女が絶頂に打ち震えていることの証でもある。
やがては荒く息を突くと、依然として呼吸の弾む鼻先を上げては傍らの娘を望む。
そして何やら語り掛けたかと思うと──その申し出に驚愕の色を面に出す娘アブソルを前に、母はゆっくりと身を起こしては自身の膣からペニスを抜き取った。
今後の展開についておおよその予想はついていた。
そしてそれを証明するかの如く──
次はあの娘アブソルが、自身の膣の上に俺のペニスを跨いだのであった。
大小の陰唇がはみ出しては隆起に富んだ母アブソルのそれと違い、娘アブソルの膣は白地の毛並みの中に赤い肉の線が一筋走っただけの質素なものだった。
それでもしかし一連の俺達の行為に興奮を昂らせていたことからも、僅かに間口の開いた膣部の周囲は溢れた愛液で色が変わるほどに濡れそぼっていた。
そして先の母の行為をなぞる様、娘アブソルもまた俺の亀頭の上にそんな膣口を宛がうと、小刻みに腰元を前後させては擦り付け、互いの粘膜を馴染ませようと試みる。
自身の愛液は元より、俺のペニスにおいては亀頭そこから滲む腺液に加え先の母アブソルの愛液にもまみれては、多分の滑りを帯びた状態だ。
故に擦り続けるうちに膣口もまた解れてくると……自然と彼女の膣は俺の亀頭を迎え入れてはその内部へと飲み込み始めるのだった。
自身ではけっして触れることも無かったであろう癒着した膣壁が、粘液を介しては俺のペニス状に押し広げられていく。
もはや真空さながらにペニスへと張り付く膣壁の感触は、同時にその持ち主である彼女自身にも未知の感覚を味あわせては奇妙な呻り声を上げさせた。
咳き込むよう野太い声を上げるそれに先の母アブソルの様な妖艶さは無く、問い訊ねるかのよう語尾のイントネーションを上げた滑稽な響きをそこに有していた。
しかしながらそれゆえに、処女を手籠めにしている事実の実感は何よりも俺を興奮させた。
やがては根元まで俺のペニスを全て納め切ると、娘アブソルは大きくため息をついた。
既に疲労困憊といったその目尻には小さな涙の玉が浮かび、端整なその顔つきと相成っては見守る俺も愛おしさを憶えずにはいられない。
いま俺の胸中を満たしているものは、けっして単純な性欲だけに起因するものではなかった。
それこそは初めて彼女を確認した時から感じていた違和感──この娘アブソルは俺の想い人とその目鼻立ちが酷似しているのである。
アブソルに限らずポケモンの人相などはどれも変わりない物だという偏見を持っていた俺ではあったが、いま目の間にいるこの親子はその目鼻立ちに明らかな相違が感じられた。
基本的なパーツに変わりはないのだというのに、顔全体を俯瞰した時にこうまで印象が変わってしまうのが不思議だった。
そして俺の目には今、なおさらにこの娘アブソルが愛してやまない人と酷似して見えている……けっしてその想いの叶わない想い人と。
「……リリナ」
意識せずにその名を語りかけると、娘アブソルは針に刺されたかのよう機敏に反応しては面を上げた。
騎乗位に俺を見降ろしてくるその表情たるや、驚きと同時に何故を俺に問うかのような気配が感じられた。
その明らかに『リリナ』……俺の想い人の名に反応する様子と、そして件の彼女と酷似した特徴を持つ娘アブソルの符号──その不可解な要素に心奪われたのも一瞬で、俺は彼女に組み敷かれたその下から、小さく腰を動かし始めては娘アブソルへの愛撫を開始した。
互いの腰元が密着した状態から突き上げてくるその緩やかなピストンに彼女もまた戸惑いの声を上げる。
とはいえそれも痛みや苦しみから来るものではなく、明らかな快感に戸惑いを覚えての物であった。
その証拠に数度目に突き上げた時にはもう、彼女は自分の声で快感に喜ぶ声を歌い始めていた。
そんな彼女の肉体が馴染むのを見計らいながら、俺も徐々にピストンの強弱に緩急を生じさせていく。
一際深く抜き引いては大きく膣壁を刮ぐようペニスの出し入れをし、さらには犬狼型特有のその薄い尻腿をワシ掴んでは強制的に彼女の腰を打ち落とさせるなど、時に手荒な愛撫もまた俺は繰り出していく。
それらを一身に受けとめる娘アブソルはそのつどで悲痛に泣きわめいては上半身を振り乱したりもしたが、吼え猛るその声がけっして制止を求めるものではなく喜びの内に更なる行為の激化を俺に求めているであろうことが、ポケモンの言葉などは皆目分からない俺にも手に取るように理解することが出来た。
そしてそれに応えるべく、陸へ打ち上げられた魚よろしくに腰を弾ませると、もはや互いの接合点に残像が生じるほどの素早いピストンを俺は打ち付けていく。
その責めからの息をつかせぬ連続した快感に舌を吐き出し、涙の滂沱する上目を剥いては娘アブソルも幾度となく上体を痙攣させた。
やがては座位を保てなくなって俺の胸板の上へ倒れ込んでくると、俺もまたそれを抱きしめては荒々しく彼女の口唇を口づけに塞いだ。
これによってもはや呼吸すらも塞がれてしまったアブソルはしかし、今日にいたるまで経験したことも無いような快感に脳を焼かれては、もはや体全体を激しく痙攣させる。
そして僅かに互いの口唇が外れ、吸いこんだ空気が肺に満たされたその瞬間──娘アブソルは断末魔さながらの声を上げては生涯で初となる性的絶頂を迎えた。
それに反応して膣壁もまた激しく収縮しては絞め上がり、さらには降りて来た子宮口が亀頭の先端を咥え込んでは放出を促すよう吸い付いた瞬間──その刺激に俺もまた、彼女の膣内へありたけの射精を打ち込んでは果てるのだった。
胎内で放出されるそれが直に子宮の内壁へと打ちかけられる熱と快感に反応しては、送精のつどにアブソルもまたくぐもった声を上げる。
やがてはそれら射精も緩やかとなり、俺のペニスもまた硬度を失って膣から抜け落ちると──容赦なく打ち込まれたそれら大量の精液は、激しく水音を立てては痙攣する娘アブソルの膣口からあふれ出してくるのだった。
「はぁはぁ……リリナ………」
しばし胸の上に彼女を抱いたまま事後の余韻に浸っていると……突如としてペニスには艶めかしい違和感が生じた。
抱きしめる娘アブソル越しに自身の体を見下ろすと、股間の元そこには健気に事後のペニスと娘の膣に舌を這わせる母アブソルの姿が確認できた。
娘とはまた違った面の端正な目鼻立ちの彼女が、その淑女然とした表情を取り澄ませながらペニスに舌先を這わせる様子に……俺の興奮は再び刺激されては勃起を促されてしまう。
斯様にして、再び目の前で起動を始めるペニスを目の当たりにした母アブソルはその一時驚いたよう目を剥いたが、再びその瞼が妖艶に細まるや──その視線は再び俺へと向けられ、そして正面からとらえた。
言葉など無くしてもその視線が意味するものは、次なる奉仕の要求だ。
母アブソルは身を起こしては依然として腹上に横たわる娘の尻に乗り上げてくると、再び腰を浮かせては自身の膣口を亀頭の先端へと宛がった。
そこから一思いに腰を落とせば、再び母アブソルの膣壁が俺を包み込んでは締め上げた。
娘ほどの狭小さはないものの、ふくよかな弾力に富んだ経産婦の膣壁は何処までも優しく、そして貪欲にその胎内を蠢かせては口唇の如くに俺のペニスを吸い上げてくるのだった。
そこから先ほど以上に獣染みた嬌声を上げるに至っては、初体験を控えた娘の手前、遠慮もあったことが窺い知れる。
そして今は、彼女本来の雌獣に戻っては存分に久方ぶりとなる雄の肉体に溺れるのみ……。そんな母アブソルに対し、娘アブソルを抱いた時には感じなかった粘つくような欲情の滾りもまた俺は胸の奥底に覚えると──
後は胸の上に圧し掛かる母子を纏めて抱きしめては、いつ果てるともなく彼女達を愛し続けるのだった。
彼女達の元で保護されること数か月──狭い巣穴はちょっとしたベビーラッシュに沸いた。
娘アブソルから一人、そして母アブソルからは二人となる計三人の子宝に恵まれたのだ。
言わずもがな、この子達の父親は俺に相違ない……。
雪深いこの山において、右足の骨折を始め全身のケガで身動きのとれぬ俺は元より、このアブソル母娘達もまた互いの身を寄せ合ってはこの狭い巣穴での生活を余儀なくされた。
その間、俺達は巣籠りの余暇のことごとくをまぐわい続けることで消費した。
斯様な生活の中においても時折りエサの調達に外へと出ていた母は別として、娘アブソルに関してはそれこそ文字通りに四六時中を俺と共にしていたことからも、もはや彼女の産む子の父親が誰であるのかは疑いようも無かった。
しかしながらこの状況を受け入れる俺に禁忌を犯したという心の重荷は一切無かった。
そもそもが現世ともいうべき人間社会に辟易しての登山行こそが今回の事件の始まりであった俺には、もはやそこへの回帰などという意識は元より薄かった。
そんな逃避行めいた今回の登山の目的こそは、とある人物の捜索に端を発する。
俺にとってその人は、登山家の師匠筋に当たる人だった。
高名なアルピニストでもある彼に師事をして数々の山に随行した俺は同時、そんな師匠の娘に恋慕することとなる。
彼女は名をリリナと言い、俺とは同年代となる女(ひと)だった。
とはいえ俺がその想いを告げるよりも先に、彼女は別な男の元へと嫁いでしまう。
それでもしかし生来の不器用さから俺は彼女への気持ちを断ち切ることが出来ず、密かにその想いを焦がし続けていたところに、師匠がこの山で遭難したとの一報を受けた。
捜索は難航し、彼が携帯していたであろう食料のリミットである1週間が経過しても戻らなかったことから、その死亡は確実なものとされた。
当時は俺もまたその捜索活動に参加し協力も惜しまなかったが、如何せん時期が悪かった。
師匠がこの山の冬季無酸素登攀に挑戦していたその時期は例年にない大雪が観測されたこともあり、後に続く捜索隊は皆、前後の雪に阻まれては足止めを余儀なくされた。
その死が確定的となると自然、捜索隊もまた解体されることとなり……誰が命じるともなく、一連の騒動は収束へと向かった。
後日、近親者のみで行われた当人不在の葬儀に際し、涙に暮れるリリナを目の当たりにしては、密かに師匠の遺体を彼女の元へ持ち帰ることを俺は決意したのである。
しかしながら今度は、対外的な問題が立ち上がってきては俺の邪魔をする。
著名なアルピニストの事故──さらにはこの山が国境間にあったことも手伝い、一連の遭難事件は当時ちょっとした国際問題となった。
それぞれに山を有する両国は当面の入山禁止を打ち出し、再度この山への入山が叶ったのは事故から実に4年の時間を有してからとなった。
師匠の死から時間が止まってしまった俺とは裏腹にリリナには子供が生まれ、周囲もまた既に師匠の死を過去のものとして前へ進み続ける中……不器用な俺だけが様々な思いを胸に停滞を続けていた。
斯様にして誰に告げるでもなく師匠捜索の為に山へと入った俺の行動はもはや、その後追い自殺にも近い行動であったのかもしれない。
あのクレバスへと落ちる雪庇を見落としていたのも無意識化にそれを望んでいたが故だったのかもしれないと、今になって俺は思うのだ。
それゆえに……今こうしてアブソル達に囲まれて、歪ながらも家族を得られた俺の心は皮肉にも、人の世界にあった頃よりも落ち着いてはようやくに人並みの幸福を享受出来たという状況であった。
かくして今となっては妻となった彼女達母娘と、そして三人の子供達と過ごすうちに冬は終わり──全てを凍り付かせていた雪が解け始めると、山にはようやく春の兆しが訪れた。
その頃には俺の体の傷もその大半が癒えており、右足もまた多少の変形は見られたものの不器用ながら立って歩けるほどにまで回復した。
そんな矢先、ある時俺は母アブソルに誘われてはとある場所へと導かれた。
今いる巣からさらに数キロを進んだ先にある別の洞窟の中において、俺は『それ』との対面を果たす。
そこにおいて眠るように蹲っていたものは人の死体──それこそは見違えようもない、師匠のそれであった。
岩窟の壁面に背を預けては眠るように俯く彼の死体には両足が存在しなかった。その切断面から想像するに、おそらくは獣の類によってそれらは食べ尽くされてしまったのであろう。
そしてそんな師匠の横顔へ愛おし気に舌を這わせる母アブソルの仕草に俺は全ての真相を悟る。
人間と子を生したアブソル──すなわち俺と番(つがい)になったあの娘アブソルは、師匠とこの母アブソルとの子であったのだ。
彼女の中に想い人『リリナ』の面影を感じたのは、誰でもない彼女の父がこの師匠であったからに他ならない。
おそらくは彼もまた、生まれてきた娘アブソルに対し『リリナ』の名を付けてはそう呼んでいたのではないだろうか……それこそがあの娘アブソルに纏わる全ての違和感の答えであった。
今となっては物言わなくなった師匠の前に膝まづいては俺も黙祷を捧げる。
全ての真相を知った俺には、もはやこの人に対する感謝以外の念は抱けなかった。
思えばこの人は、生前から今に至るまで全てにおける俺の『命の恩人』であったのだ。
もはやこの山において、人間(ヒト)ならざる存在に身を窶した俺にとってはその事実がなおさらに深い意味合いを帯びては、在りし日の彼への想いをいっそうに焦がせるのだった。
しばし3人だけの時を過ごし、俺達はその霊廟を後にした。
妻アブソルの役に立てればと食料を胸に抱いて、俺達は本来の家へと帰路を辿る。
そこからふと見上げた空は、数か月に望んだものと同じよう聳える左右の絶壁に切り取られた狭い眺めではあったが──その彼方には透き通るような空の青さもまた望めた。
ようやくに冬の暗雲が取り払われ、季節は春となる。そして人のしがらみを捨てた俺もまた、この場所において新たな生活を始めることとなる。
人でも無ければポケモンでもない俺は、きっと生き物というよりももはやこの山の一部であるのだろう。
それもまた良いと思った。
この厳しい山の自然こそが俺の血肉であり、そしてポケモン達が家族であるのならばむしろこれ以上に望むべきものも無い。
そんな俺の心を思い図ったかのよう傍らの妻が身を寄せてはその首筋を擦り付けて来た。
それを嬉しく思い立ち止まると、俺もまた屈みこんではそれを抱きしめて感慨に耽る。
そんな全ての命と想いを包み込んではなおも──アブソルの山は悠久と在り続けるのだった。
【 アブソルの山・完 】
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