※全体的にグロ描写多めです、苦手な方ご注意ください
普段は暗い夜の倉庫街を赤色灯が照らす。
「B小隊、囲め」
指揮通りに警官隊が倉庫を囲むと、固く閉ざされていた倉庫の扉が静かに開く。
中から現れたのは空中に浮遊するドククラゲの様な姿のポケモン。
「UBを確認。全小隊の射撃要員、攻撃開始」
シャドーボールやタネマシンガン、10万ボルトが一斉に射出される。
大したダメージにはなっていない様子だが、それでも一斉射撃が弾幕となってひるませるには十分だった。
「近接要因、被弾に注意して攻撃せよ、射撃要因は弾幕を維持」
指示通りに近接攻撃を得意とするポケモンが接近して攻撃を仕掛ける。
「…………!」
UBと呼ばれたドククラゲの様な姿のポケモンは聞き取れない様な音声を発すると、触手を伸ばして攻撃を仕掛けていたノクタスに毒液を撃ち込む。
「ああ、助けてくれ!」
悶絶しながら助けを求めるノクタスに対して駆け寄ったドンファンも毒液を浴びせられて悶絶、しばらく悶え苦しんだ後、クラブの様に口から泡を噴き出して動かなくなった。
「退避、退避だ!」
さっきまで仲間だったはずの存在が突然敵に回った事実に流石の警官隊も一瞬で大パニックになり、指揮系統は混乱する中、突如インカムが通話状態に切り替わる。
「総員傷病者の救助と退避に当たれ、後は任せろ!」
変声機越しの声に困惑しながらも退避と救助を急いだ時、周囲に灼熱の旋風が吹き抜けた。
「なんださっきの声といい今の風といい…」
「おいあそこ、倉庫の上に誰かいるぞ!」
誰かが気づいて指差した先には、ダークネイビーの衣装で全身を覆い隠したポケモンがいた。
フルフェイスヘルメットのような仮面で顔すらも見えず、種族の判別すら困難な姿はある種の不安や恐怖すら煽るものがあった。
周囲の視線が集まると同時に仮面のポケモンはマントを翻して倉庫から飛び降り、皆の視線が下に追いついた時にはドククラゲに似たUBを切り刻み、獲物のナイフを仕舞いこんでいるところだった。
「後始末は任せた」
それだけ告げて次の瞬間には姿を消していた…
「何だったんだあいつは…」
「さぁ、俺たちを助けて、くれたのか…?」
「もしかしたら、今のが噂になってるファイって奴なのかも…」
「ファイ?お前何か知ってるのか?」
何か知っているらしいクリムガンの言葉に注目が集まる。
「ネットで今噂になってるんだが、服を着て種族も性別も分からない仮面を被った謎のポケモンで、基本的にUBの襲撃事件があった場所で目撃情報が何件かあるとか助けられたと証言してる奴もいるとかで…」
謎が解けたら別の謎が見つかっただけの事実に、警官隊たちはくたびれたまま撤収命令を待つだけだった。
かつて人間と伝説や幻のポケモンとの戦争が勃発してから200年余り。
生まれるほんの少し前にもちょっとした戦争があったけど、みんなはそんな事を考えもせず新しいものが増えた町で222年の夏を迎えようとしている。
けれど、真実が明らかになってないだけで被害は発生しているし、この町がいつ襲われてもおかしくない。
そんな事僕は黙って見過ごしたりはしない。
こんな僕を温かく受け入れてくれたこの町に、被害はあってほしくない。
それに君ならきっとこんな時にも迷わずに戦う、そんな気がする。
夜空を見上げた後、かつての僕自身に言い聞かせるように薄暗い部屋で一人羽の矢を抜いて構えた。
これは、僕が大好きなこの町を守るために戦う物語。
ため息をつくのにも疲れて見上げた夜空はほんの少し切なく感じる。
将来の話で大喧嘩した勢いでそのまま家を飛び出して来たのは良いけど、そろそろ貯金も底を尽きそうだし、こう足を止めて聞いてくれる存在も少ないとなるとそろそろ限界かな、なんて考えてしまう。
でも歌手になるのは小さい頃から信じてきた夢で、成り行きとはいえこのチャンスを逃せば次はないかもしれない。
それにあの子のためにも頑張るって決めたんだ、今更挫けるなんて選択肢はない。
財布の中身がもう心許ないけど今日はビジネスホテルに泊まることに決めて、明日のために鼻歌で音程を軽くチェックする。
これは、私が小さい頃からの夢を追いかける物語。
フェンスにもたれて買ったばかりの缶コーヒーを飲む。
マフラーを改造したバイクの賑やかなエンジン音も段々遠ざかっていく。
最も、さっきそいつらにカツアゲ目的で絡まれたから黙ってぶん殴り、逆に俺が小銭やカード類も含めて財布ごと全額奪ってやったんだから無理もない。
そういや財布に通行券入ってたけど、一体どうやって料金所とかICを抜けるつもりなのか少し気になったが俺が考える必要もない。バイクにETCでも積んでたんだろ、多分。
3対1でカツアゲしに行ったら逆にカツアゲされて全額持っていかれた、なんて普通は言わないだろう。ついでにあいつらのスマホも入水させて成仏させておいたから通報も無理だ。
空になった缶を捨てて起動キーを差し込む。
旧モデルの改修機とはいえ、下手な新型よりはよっぽどのオーバースペック機だから各種補給作業もしばらくは必要なし。
二年近く乗ってりゃそんなもんかと勝手に決めつけてフルフェイスのヘルメットを被る。
確かこの先にカンタイシティとか言う町があった。
特に行く目的もないが今から走れば3時間ぐらいで到着するし、その頃にはちょうど朝になってるはず。
まだ暗い空を見上げてからスロットルを回して走り出した。
これは、俺が俺自身の呪いを解くために戦う物語。
written by 慧斗
「…ったく」
高速道路を降りて数分走った後、駅前の大きな交差点の信号に引っかかった。
しかも赤に変わったばかりだからしばらくは変わりそうにない。ヘルメットのシールド越しに赤信号を睨んでいた時だった。
「~♪」
どこかから突然聞こえてくる歌声。カーナビのワンセグ放送や車のオーディオの物でもなければ、時報という訳でもないらしく、誰かが生で歌っている物で間違いない。でも一体誰が?
ふと隣の歩道を見ると一匹のアシレーヌが歌っていた。彼女の隣に置いてあるコルクボードには何かを油性ペンで書いた紙が貼ってあり、足元には空の箱が置いてある。
いわゆるストリートシンガーのようだが、彼女の歌に誰も足を止めようとはしない。それは今に限ったことではないらしく、お金を恵んでくれることもほぼないのか、少し瘦せて見える。
財布に一枚だけ入っていた500円玉、それを箱にめがけて放り投げた。
日差しを反射しながら宙を舞った500円玉はコルクボードに当たって、それから箱の中に入った。
500円玉が投げ入れられたことにアシレーヌが気づくより早く、ようやく青に変わった交差点にを発進していた。
「やっぱ海はいいよな…」
この辺りでは一番の観光スポットと言われている場所からの眺めは文字通り絶景だった。断崖絶壁から見えるのは、岩肌にぶつかって砕ける白波と、空と海を隔てる水平線。
どうやら一番の観光スポットと言われるだけのことはあるらしい。
その一方で、ここは自殺の名所としても古くから有名らしく、自殺志願者が(精神的な意味で)助けを求めるための公衆電話や、自殺を思いとどまらせるための看板などがいくつか設置されていた。
地元の観光協会も【恋の聖地】と銘打って、イベントなども行ってイメージを明るくしようとしている様だが、観光客がいない辺りあまり効果はないらしい。
というかそんな気休めで踏みとどまれないからここに来るんだろ…
「こんな絶景の場所が自殺の名所って言うのも皮肉な話だよな…」
なんとなく呟いてから、駐車場に戻ると何かがおかしい。
「あれ? 俺のバッグは?」
今持っているショルダーバッグとは別に、後ろに結び付けておいたはずのボストンバッグがいつの間にかなくなっている。
駐車場には自殺防止や不審者注意の看板に並んで、【置き引きに注意!】の看板が立っていた…
「だから紺色のボストンバッグが届いたりしてないのかって聞いてるんだ!」
急いで近くの交番に駆け込んだが、当番と思われる警官のウインディは眠そうにコーヒーを飲んでいて、いかにも田舎のお巡りさんって感じでのんきなままだ。
「まあまあ、コーヒー淹れてあげるから一旦落ち着いたら?バッグの落とし物は特に来ていないから…」
「だったら余計問題じゃねーかよ!そんなのすぐに盗難届出さなきゃ不味いだろ!」
「そうだったそうだった、盗難届は何処にあったかな…」
背後にあるスチール棚から書類を探し始めるウインディ。
こりゃ長丁場は確定だなと思いながら安っぽいコーヒーを飲んでいると入り口のドアが開く。
「あの、さっきボストンバッグ拾ったんで届けに来たんですが…」
「ん?」
「お前はさっきの、ってかそれ俺のバッグ!」
「え?このバッグは貴方の、というか貴方さっきの…」
交番にバッグを届けに来たのは他でもない、さっき歩道で歌っていたストリートシンガーのアシレーヌだった。
「あれ、バッグ見つかったの?良かったね」
どうやら未だに手続きの書類を見つけられないらしいウインディは、相変わらず吞気な口調で話しかけてくる。
「一応中身とか確認しておいてね、似ているバッグとかでトラブルになることも多いから」
「それもそうだな… えっと、タブレット端末とモバイルバッテリーにソーラーチャージャー、後はタオルと防水マルチケース、それに着替えと医薬品だな」
「この未開封の睡眠薬の瓶は?」
バッグの中身を見てウインディが尋ねる。
碌な仕事しないくせに重箱の隅をつつきやがる、これだから警察は…
「俺が不眠症持ちなだけだ。かなりひどい症状だからそいつを飲まなきゃ全然寝付けなくてな、ちなみにその睡眠薬の瓶が未開封なのは、昨日飲んでたのが空になってその空き瓶を捨てたからだ。これでいいか?」
さっきまでのんきだったなら最初から最後までそれで通せよな…
「それなら問題ないね。手続きの関係上、お名前と電話番号をこちらに」
落とし物に関する書類はすぐに用意できるらしく、クリップボードに挟んで安物のボールペンと一緒に渡してきたので、とりあえず名前と携帯番号だけ書くことにした。
「へぇ、ナバールって名前なんだ」
「…何覗き見してんだよお前」
「別に。なんか昔そんな名前のガオガエンいたよねって思っただけ、もしかして本物?」
「バーカ、同じ名前のガオガエン見かけたぐらいで普通そうはならねぇよ」
なんとなく居心地の悪さを感じ、書き終わった書類をウインディに渡してバッグを持って外に出た。
「ねえねえ、あのさあのさあのさ?」
交番を出るとさっきのアシレーヌにいきなり絡まれた。
「なんだよ?」
「さっき、500円玉を道路から入れてくれたのは貴方だよね?」
「俺がそんな事する奴に見えるか?」
しかもタメ口で。
「私はグレース、よろしくね」
「…」
「おーい、どうかした?」
「…………俺はお前と親しくなるつもりはないからな」
一難去ってまた面倒なことに巻き込まれたらしい、ツイてねぇ…
「まぁ、それはいいけど友達うんぬんの前に何か忘れてることない?」
「そうだな、次エナジー補給した時に機体メンテナンスしとくか」
「いやそうじゃなくて、なんかお礼とかないの?」
「は?」
「ほら、落し物届けてもらったら拾い主にお礼するのはルールでしょ?」
“目と目が合ったらポケモンバトル”ぐらいの感覚で言ってきたが、相当強欲だぞこいつ…
「お前、馴れ馴れしいのもいい加減にしろよ!」
キレ気味に答えてやると顔の前で鰭を合わせて頭を下げてきた。
「お願い!ストリートシンガーってそんなにお金貰える訳じゃないから、家出して来たのはいいけど貯金も底を尽き欠けて最近はご飯も三食食べられなくて…だから、贅沢言わないから何か食べさせて、ください!」
「お前なぁ…」
同情誘ってたかるとはいい度胸してやがる、後で代金は5倍増しにして請求するか…?
…この辺でなんか食べれる店どこだ?
「ご注文の方繰り返させて頂きます。キノコたっぷりシチューオムライス、店長の気まぐれまかないパスタ、ミックスグリルプレート、ライス大盛り、フライドポテト、特製唐揚げ、ドリンクバーが2人前、以上でよろしいでしょうか?」
「はい、合ってまーす!」
「……あぁ」
「かしこまりました。ドリンクバーはあちらになります、ごゆっくりどうぞ」
ウェイトレスのアブソルが注文をとってキッチンに入っていく。
「本当にありがとう!実は昨日の晩から何も食べてなかったんだよね…」
「そりゃまあそれだけ食ってなかったら、バカみたいな量を注文するのも変じゃないよな…」
結局根負けする形で近くにあったファミレスに入ったら、こいつをが想像以上の量を注文したので、若干啞然としている。
この店自体は大手のファミレスチェーンの中でもかなり価格帯は低めに設定されているため懐は大して痛まないのだが、俺が食べるつもりで注文したのはミックスグリルプレートと大盛りライス、それとドリンクバーだけだった。
奢ってもらえると分かった途端にドカ食いするタイプなのかもしれない、本当に面倒なタイプの奴に出会ってしまったな…
「おーい、ドリンクバーにドリンク取りに行かないの? もう山盛りポテト来たよ?」
色々と考え込んでいるうちに、フライドポテトが届いたらしい。
俺も一本つまんでからドリンクバーに向かった。
「ねえ、一つ聞いてもいいかな?」
「質問によるな」
オムライスを食べながら俺に話しかけてくる。
「唐揚げに勝手にレモンかけたのは私が悪かったから、機嫌直してよ」
「唐揚げにレモンはかける派だから別に問題ないけどよ…」
「だったら聞いてもいいよね?」
「あのなあ…」
「貴方の夢って、何かな?」
「…夢か、考えたこともないな」
「私にはあるよ、私の歌で誰かを幸せにすることが私の夢なんだ。まあ、家族には反対されちゃうし、ちゃんと聞いてもらえることもあまりないけれど、それでもいつか夢を叶えるためだと思って頑張ってるんだ」
「…そうか、頑張れよ」
「ねぇ、なんか反応薄くない?」
「…気のせいだろ」
逆に“頑張れよ”以上の答えがあるとでも言うのか…?
「ちゃんと答えてくれないならこのソーセージ食べてやる!」
「おい、それは…」
「はむっ、ってちょっと何これ滅茶苦茶辛い!」
こいつ、俺のチョリソー食いやがった…
「ゲホゴホ、今度は喉に引っかかった…」
カルピスで流し込もうとしたら喉に引っかかったらしく涙目でむせこんでいる。
こいつの挙動、俺にはマジで分かんねぇな…
「でも、夢がないなら分かるけど、考えたこともないって少し変じゃない?」
「別におかしな事なんてないだろ?」
「普通はみんな小さい頃に【ヒーローになりたい】とか【ケーキ屋さんになりたい】とか、そんなレベルでも夢とかあると思うんだけどな」
「そういうものなのか?」
「普通はそうだと思うよ?それにしてもさっきのソーセージは辛かったよ…そうだ、店員さん!」
「はーい!」
さっきのアブソルのウェイトレスがやって来る。
「ご注文は何になさいますか?」
「このハニートーストをください!」
こいつデザートまで頼みやがった…
「ご注文は以上でよろしいでしょうか?」
「あ、追加でザッハトルテチョコナッツパフェも頼む」
「かしこまりました!」
追加でデザートまで頼まれて流石にイラっと来たのでチョコナッツパフェも追加注文することにした。
俺が隠れ甘党なのは否定しないけど。
「あ、ちょっと電話鳴ってるから一旦外に出るな」
「はーい」
俺が食べ終わったなら今がチャンス…
気づかれない様にさりげなく伝票を取ると、携帯の着信を見るふりをしながらレジに向かう。
「お釣りの325円になります。ありがとうございました」
手早くレジで精算を済ませると、素早く店の外に出て紅蓮のエンジンをかける。
「ちょっと、どこいくの⁉」
「お前に飯は奢ってやったんだ、だったらもういいだろ?」
「それはそうだけど…」
「じゃあな」
「待ってよ!」
あいつが制止するのを振り切って、スロットルを回して発進させた。
「何なのよあいつ!顔は悪くないしてっきり優しいのかと思ったらとんでもなく無愛想だったし、バッグなんて拾ってあげるんじゃなかった!」
突然の置いてけぼりを喰らって約30分、ご機嫌斜めのまま近くの港まで来ていた。
観光地と言っても小さな街なので、さっきのファミレスからそんなに遠くないし、港というよりもむしろ倉庫だらけの船着き場とでも言った方が分かりやすいレベル。
「なんかちょっと訳ありなだけで本当は優しいのかも、なんてね」
さっき食べたハニートーストは結構美味しかった、やっぱり甘いものっていいよね。
今度久々にプレーンクッキーでも作ろうかな…
「………?」
突然頬を撫でられた。
まさかさっきのあいつが、許しを請いに来たとか…?
「そんな馴れ馴れしいことしたって別に許してあげないからね?」
また撫でて来た、それも両頬を同時に。
「だから、あんまりすると怒るよ?」
今度は両頬だけじゃなくてお腹周りも撫でて来た、流石にセクハラが酷いんだけど…⁉
「流石に警察呼ぶよ!ってあれ?」
警告しながら振り返ったはずが誰もいない。
それでも両頬とお腹周りを撫でてくる手は止まる気配がなくて…
「…待って3か所同時?流石に手が3つなんて訳、ないよね…?」
覚悟を決めて、妙にぬるぬるする手を掴んで振り返る…!
「………!」
ドククラゲに似た謎のポケモン、それが馴れ馴れしい手の正体だった…
「いやあああ!来ないで、来ないでよ!誰か!」
毒液に濡れた鰭をバルーンで包み込んで、この状況から逃れるため必死に逃げ出した…
「ただでさえ近くにいるだけで調子狂うような奴とこれ以上一緒にいられるかよ!」
特に行く先のあてもないまま紅蓮を走らせる。
そのまま5分程走った後、近くのバス停の傍にをマシンを停めてすぐそばのベンチに腰掛ける。
バス停に貼ってある時刻表を見る限り、しばらくバスは来ないようだから座っても問題はない。
足を伸ばして空を見上げると、映画のポスターにでも使えそうな青空と入道雲が広がっている。
ショルダーバッグから不規則なバイブレーション、携帯の着信だ。
「…とうとう出やがったか」
画面にはこの周辺のマップが表示され、赤い点が光っていた。
噂をすれば示された方向で騒音と悲鳴が聞こえる。それもほぼ確実にさっきまで一緒にいたあいつのものだ。
あいつがトラブルメーカーなのか、それとも今日は星占いの運勢が最悪だったのか、なんにせよあいつとはまた接触しなくてはならないらしい。
右腕のリストバンドの位置を調整して、あいつの前でどんな対応するのが正解か悩みつつ発進した。
「それ以上近づいたら警察呼ぶよ!」
威嚇しながら実際にスマホで通報もしたが全く効果はなく、ドククラゲもどきは執拗に私を追いかけてきた。
家出がそんなに悪いというなら謝るから誰か助けてよ…!
正直警察呼んだってさっきのウインディみたいなのしかいないはずだし、私が自力で何とかしなきゃダメってことだよね…!
バルーンを生み出して牽制すると、今度は向き直ってほとばしる水流の旋律を歌い上げる。
「近づかないでって言ったよね!」
今使った技は泡沫のアリア。
歌い上げた水流の旋律がドククラゲもどきに襲い掛かり、水しぶきで姿を見えなくする。
「………♪」
「ウソでしょ⁉あれを喰らっても平気なんて…」
さっきまでの勇気が退却したのを確認し、悲鳴をあげて回れ右して必死に逃げた。
アシレーヌって種族は陸上での移動はあまり速くない。バルーンを有効活用したり、アクアジェットで移動することもできるけど、この状況じゃ上手くバルーンを活用できそうにないし、アクアジェットも覚えてないから、どうしても遅くなる。
海に逃げたら逃げたで助けを呼べなくなるし、ドククラゲもどきなら普通に追ってきそう…
息をするのも苦しくなってきたし、このままじゃあいつに捕まっちゃう…
もう逃げ切ることを諦めかけた時、遠くでエンジンの音が聞こえた。そしてその音は段々と前から近づいて来たと思うと、ワイヤーの音と共に私を飛び越えて行った。
必死に逃げながら振り返ると赤と黒のカラーリングのモトトカゲみたいなマシンが近づいてきて、そのままバイクタックルでドククラゲもどきを吹っ飛ばし、近くの倉庫の壁に叩きつけた。
「グレース、怪我はないか⁉」
「貴方、さっき触手に触っちゃって毒が右の鰭に…」
マシンを操縦していたのは他でもないさっきのナバールとかってガオガエンだけど、あまりにもシリアスな表情に思わずこっちまでシリアスになっちゃう…
「バルーンに包んで正解だったな、奴の毒は水に弱いから流水で綺麗にしときな」
「う、うん…」
言われるまま口から出した水で洗うと、毒液は本当に綺麗に流れ落ちた。
「貴方は一体…」
「とりあえず下がってな、敵UBは1、いやもうちょいいるっぽいからな…」
防衛戦は手慣れてないが、下手な場所に逃げられるよりは安定したものに隠れてくれた方が守りやすい。
紅蓮から降りてそこに隠れてろと指示を出しておく。
ウツロイドが攻撃に移ろうとするよりも早く殴り、さらに殴られてデフォルトよりも浮いた状態を思い切り蹴り飛ばした。
ウツロイドは蹴られた勢いのまま倉庫の窓を突き破って倉庫の中に転がり落ち、俺もそれを追って経年劣化で薄くなったトタン壁を蹴破って中に入る。
不意打ちで襲い掛かるウツロイドのパワージェムを目視で躱すと同時に背後から飛んできた蹴りは片手で受け止めてそのまま回転させて地面に倒す。伏兵だったらしいフェローチェを倒れ込んだ状態からさらに腹部を蹴りつけると痛みに転がりまわった。
ウツロイドが起き上がったタイミングに合わせて追撃の連続パンチを叩き込む。水まんじゅうのような頭部をひたすら殴り続けて、倒れこみそうになったタイミングでハイキックを叩き込み、ダメ押しの裏拳で勢い良く殴り飛ばした直後に手首を小さくスナップする。
「…………!」
一瞬の隙を唯一の反撃のチャンスと見たフェローチェはこれ幸いとばかりにインファイトで襲い掛かってきた…!
「読めてんだよ!」
半歩左に下がって平然と回避、逆に足払いを仕掛けてフェローチェを地面に倒し首を踏み砕いて叩き潰した。
「あと一匹…!」
雑魚のUB程度ならもはや素手で十分、この技で終わりだ…!
ウツロイドが再び起き上がった時、俺の右腕に黒い炎を纏わせたラリアットが頭部を粉砕し、繋ぎ目を失った触手が地面に落ちた。
「あのドククラゲもどきは⁉」
「大したことなかったな、ついでにフェローチェも始末完了」
息が荒いまま俺に駆け寄ってきたが素っ気なく答える。
「ったく何でお前はよりによってUBを引き付けて…どけっ!」
咄嗟にグレースを横に突き飛ばした直後、俺の体は吹っ飛ばされ、近くに積み上げてあった木箱にぶつかって木箱が崩れる。
「…………!!」
さっきまでいなかったはずの大型UB、アクジキングが明確に俺たちを狙って攻撃を開始していた。
「もう次から次へと何なのよ⁉」
必死に逃げているグレースの悲鳴が聞こえるが、俺の方も体勢を立て直すにはちょっと時間が…
起き上がると倉庫の壁にもたれたグレースが必死に首を横に振っていた。
背後を絶たれてしまってもアクジキングの動きが遅くて食欲旺盛なおかげでほんの少し時間の猶予はあるが、流石に俺の様に壁を壊すことはできそうにないらしい。
攻撃も通じない以上、助かる方法をはないと察してお祈り状態といった感じか…
下手な武器を使えばグレースごと巻き込んじまうし、徒手空拳の肉弾戦だけじゃ時間がかかる。
「何か一発であいつを倒せる武器、そうだ…!」
紅蓮に本来搭載してあった熱線焼却機構、スペアでセットしてたものだが俺の炎を直接送り込めば増幅機構に応用できたはず…
腰のホルスタージョイントを取り外して右足にセットし、トーチ状の熱線焼却機構を装着した。
「ナバール!助けて!」
「そこから一歩も動くなよ、いいな!」
やっと可愛いとこ見せてくれたことに内心まんざらでもない感情を抱きつつ、アクジキングの背後に狙いを定める。
中腰でかがんだ様な体勢を取ってベルトの炎を集中させていき、フレアドライブ並みの火力の炎をベルトからあえて右足にだけ集中させる。
そしてアクジキング目がけて全力疾走の助走を付けてジャンプ、そのまま空中で宙返りを決めると炎に反応した熱線焼却機構が作動、アクジキングの急所に錘状の熱線を射出した。
炎を纏った右足で飛び蹴りを決めると熱戦も同時にアクジキングの全身を貫き、体をすり抜けるようにそのまま着地。
タイプ相性をものともしない程の威力だったらしく、アクジキングはそのまま戦闘不能になる。
「………⁉………………!」
だがそのまま倒れると思ったアクジキングはうめき声をあげると、そのまま全身が灰になって崩れ去り、後には何も残らなかった。
「アドリブながらどうにか上手く行ったってとこか…」
「ナバール、あいつら何だったの⁉」
ホルスタージョイントを腰に戻してスペアを仕舞っていると、ようやく呆然状態からグレースが元に戻った。
「倒したからもう問題ないぜ、怪我は?」
「怪我はしてないけど、これじゃ警察呼び損だね…」
「死ななきゃ安いレベルなのに無傷なら儲けものだぜ、ってかお前警察なんか呼んだのかよ…?」
「だってあんな変なのに襲われたら普通警察呼ぶよ?」
「…huh?」
…わりと面倒なことになった。
非常事態で責めることはできないし今更いたずら電話でごまかすこともできないが、この一件を明るみに出してしまうのは危ない石橋を渡る前に叩き壊して渡ってから爆破するぐらいには危険すぎる気がする。
俺だけなら単独でずらかることもできたけど今回はそうも行かない。
なるべくさっきのウインディみたいな無能警官が来てくれよ…
「本当なんです!あの化け物は私たちを襲って来たんです!」
「なるほどね…“あいつら”ってことは、君たちの言う化け物以外にも仲間がいたってことで合ってるのかな?」
「そうです、ドククラゲみたいなのも一緒にいました」
「なるほど、二匹いたのか…」
通報を受けてやってきたゴロンダの質問に対して、一つ一つ答えていく。
この時点では無能警官かどうか判断できないので警戒は解かずに沈黙を貫いておく。
「すると、知り合いのガオガエンが助けてくれなかったら危ない状況だった、という訳か…ごめん、ちょっと待っててくれるかな?」
「はい、問題ないですよ」
電話の着信があったらしく、ゴロンダはパトカーへ戻っていった。
「ねえ、なんでさっきから何も喋らないの?」
「警察呼んだのはお前なんだから、サツの質問だってお前が答えるのは当然だろ」
「確かにそれはそうだけど、ずっと黙ってたら不審に思われちゃうよ?」
「それなら本当のことを見抜けない警察の目が節穴なだけだろ」
「そういうことじゃなくて…!」
「お待たせ、ちょっと別件の連絡があってね。それはそうと、他の化け物はどうなったの?」
グレースがちゃんと答えろとアイコンタクトをものすごく送ってきたので、黙って親指で背後の倉庫を指さす。
「なるほど、あの倉庫にいるのか。おい、早く倉庫のドアを開けろ!」
グレースが俺を睨んでいたことは気付かずに、ゴロンダは部下に倉庫のドアを開けるように指示した。
倉庫のドアを開けると中に西日が差し込んで、戦闘不能、というかかつてウツロイドだったものとフェローチェだったものが転がっていた。
「あれが、君たちの言っていた化け物、こりゃ原型留めてないな…」
そりゃ俺も原型留める必要とか考えてなかったからな…
「やっぱり、一連の事件に関係があるのか…?」
「一連の事件ってことは、他にも似たような事件があったのか?」
さっきまで黙っていたけれど、頭を掻きむしりながら困ったように呟いたゴロンダの発言からして探る必要はあるな…
「君は何も聞いていないように見えてなかなか鋭いな…これはメディアには公表してないんだが、各地方で同じような事件が発生していて…、今回の事件もそれと特徴が似てて…」
やっぱり、か。
「正直あいつらとまともにやり合えるのは専属の部隊でもきついとは言うけど、君あいつらを倒せる腕があるなら志願して見たらどうかな?」
「…俺はただの観光客だ」
これ以上面倒ごと抱えてられるかってんだよ…
「そんな怖い顔しなくても冗談だよ。とはいっても本来は違う部署が担当してるから、観光中で悪いけど明日担当が話聞くように手配させてもらう。どちらかの携帯番号交換してもらえるかな?」
「私のスマホ、電源切れてた…」
よく考えたらこいつは色々物資不足な感じだっけ、まぁそれ自体は仕方ないか。そのとばっちりが俺に飛んでくる事を除けば。
仕方なく携帯を取り出し番号を確認してゴロンダに伝える。
「それじゃ、ここのラーメンは有名だから良かったら食べてみてね」
…結論、あのゴロンダは形式的な仕事はできるタイプの無能警官だった。
「あああつかれたぁぁぁ…」
グレースは誰の目にも疲弊しきった事が分かる状態になっていた。
携帯の時刻表示ももうすぐ夜の7時、確かに変な奴らに追い回されて警察から取調べされたら普通は疲れる。流石の俺も警察絡みのケースは慣れてない。
「流石に余計な時間食いすぎた…」
「全くもって同感、お腹すいた…」
「…俺はこれから適当な場所で宿取って一晩泊まろうと思うけど、お前はこれからどうするんだ?」
「これからって、しばらく歌って眠くなったら公園のベンチで寝るかな」
「あのなぁ、ちょっとは自分の身の安全ぐらい考えたらどうなんだ?」
「そんなこと言ってももうホテルで泊まれる程のお金は持ってないし…もしかして私も一緒に泊めてくれるの?」
「いい加減ご都合主義な脳内お花畑どうにかしろよ、まあ言い出したのは俺だし一晩ぐらいは面倒見てやるけどな、俺も持ち合わせそんなないしチェックイン時刻も考えたらあんまり期待するなよ?」
「いいよ、泊めてくれるんだから贅沢は言わないよ?」
どうこうするつもりはないにせよ、出会って半日の雄に泊めてもらう危機感のなさに呆れつつ携帯を開いて近くのホテルを調べ始めた。
良さげなビジネスホテルはシングル部屋しかないし、二部屋借りたら高すぎる。どこか安いツインルームの部屋があるといいんだが…
「お前、ダブルベッドって気にするか?嫌なら止めとくけど」
「ダブルってことは二匹用だったっけ?問題ないよ?」
「そっか、なら問題ないな」
言質は取った、悪く思うなよ…
「ん?どうかした?」
「別に、晩飯買うのに先コンビニ寄ってくぞ」
「はーい」
シートに跨ってエンジンを始動させると、慣れた感じで俺の背中に両鰭を回してしがみつく。
一回乗っただけで乗り方の要領をつかむなんて大したものだなと思いつつ、紅蓮を発進させた。
「いらっしゃいませ!」
お馴染みの入店音の自動ドアをくぐり抜けるとごく普通のコンビニの様に思えたが、よく見るとお土産が何種類か売っているのは観光地特有だな、なんて思う。
店員のアブソルがレジ打ちしているのをちらりと見ると、特に何も考えずに窓際のコーナーから入っていく。マンガの置いてある棚には、流行りのマンガの最新刊や過去作品のセレクション、「伝説の悪女スペシャル!」とか「被害者は語る!虐待の真相アンソロジー」みたいな、いかにも読み手を選びそうなマンガが置いてある。雑誌コーナーは週刊誌やクロスワード雑誌、週刊少年系のマンガ雑誌に…
「ねえねえ!これ見て!」
「ん?」
グレースが笑顔で見せてきた本の表紙とタイトルを二度見したが、俺の目が変じゃない限り、あられもない姿のアシレーヌがこれでもかと載せられた本のタイトルは『スペシャルDVD封入! 私たちにスパルタなレッスンしてください♡ 魅惑のドMアシレーヌ50連発!』…
つまるところ、笑顔で俺に見せてきたのはエロ本…
「お前その本の内容分かってんのかよ⁉」
「うん」
「いやうんじゃなくて、『スペシャルDVD封入! 私たちにスパルタなレッスンしてください♡ 魅惑のドMアシレーヌ50連発!』とかタイトルからして危険な本なのに、なんでお前は危機感を感じないどころか俺に勧めて来るんだよ⁉しかもお前と同族!危機感持て!」
「卑猥なアシレーヌに興味ないの?それとも攻められる方が…」
「…それは嫌だ」
「じゃあやっぱりこれかな?いやこっちも好きそうだよね、あるいはケモホモ…」
「もうお前晩飯自腹な」
「あっごめんなさいそれはマジで勘弁してください」
「それが嫌なら早く行くぞ」
「うう…はい…」
もう本当何がしたいんだこいつ…
「すごーい!ちょっと離れた場所にあるお城みたいな建物ってホテルだったんだ!」
「あーそうだなー、うん…」
金銭的事情を最優先にして脳内で強行採決したら、想像以上のグレースの無知によって思わぬ罪悪感に包まれることになった。こんなはずじゃなかったのに…
グレースの方も嫌悪感を感じているのならまだ精神的にマシだったが、素で気づいていないのが余計に罪悪感を増幅させていた。
「なぁ、お前はここが普通のホテルだと思ってるのか?」
「資金的に選んでお城みたいな所を選んだなんて、よくコスパ最強なホテルを良く見つけたよね」
「見た目についてはジャンルがジャンルだからな、ほら見ろよ」
ダブルベッドに腰掛けたまま指さした先には避妊具、いわゆるコンドームがいくつか置かれていた。
「え?じゃあここって…」
「…悪い、お前をどうこうするするつもりはないんだが、金の都合で安いとこ選んだらまさかのラブホになっちまって」
こればかりは流石に謝るしかなかった。
「そういうことなんだね…」
「ああ、嫌なら今から他のとこに行くか?あるいはお前はそのままで俺が別のとこで泊るかなんなら野宿でも…」
「そうじゃなくて、私からメスとしての魅力とか感じないの…?」
死活問題とでも言わんばかりなわりと真剣な表情で聞かれた。
そんなこと俺が知るかと言いたい衝動をぐっとこらえて傷つけないような台詞を考える。
「急にそんなこと言い出した理由は知らんが、魅力がないわけではないだろうな。俺から見たら…」
「見たら…?」
「…何でもない。ほら、腹減ったしとっとと飯にしようぜ」
「え~ 言ってくれてもいいじゃん」
「うるせぇ部屋から閉め出すぞ」
「こんばんはキモリです。今日も始まりましたミュージック…」
「チャンネル変えるぞ」
「ちょっと、なんでチャンネル変えるの⁉」
グレースの制止を無視してニュースを放送しているチャンネルに変える。
「それでは今日のニュース特集です。年々増加している児童虐待に関して…」
「それでは聞いてください、『恋のTOD』」
「被害を受けて…」
「タイムリミット♪」
「これに対して警察は」
「勝ち逃げなんて許さない♪」
「もしこのようなケースを見かけた方は」
「挑発しかないよね♪」
ニュースと音楽番組が目まぐるしく入れ替わり、途切れ途切れの音声が絶妙に補欠感漂う迷曲かつ怪文を生成し続けていた…
「…お前何でチャンネル変えまくるんだよ!」
「別にいいじゃん、私が先に見てたんだし!」
「お前も歳近いなんだからニュースの一つぐらい見ろよ!」
「ねぇ、女の子に対して年齢の指摘はデリカシーなさすぎない⁉」
「俺の知ったことじゃねえよ、てかお前カップ麵にお湯淹れてからどんだけ置いとく気だよ?」
「知ったことじゃない、ってきゃあ!これ絶対麺のびまくりだよ…」
「まあ頑張って食べな、ちなみに俺はもう食い終わったからごゆっくり?」
「そんなぁ…」
「分かってると思うけど残さず食べろよ?俺はシャワー浴びてくるからテレビのチャンネルは好きにしな、それじゃお先にごちそうさま」
実に清々しくて歌でも一つ歌いたいようないい気分でバスルームのドアを開けたが、結局グレースに振り回された事実が何とも言えない感覚を残してきた…
「辛っ、これ美味しそうだったのに辛すぎ…⁉」
「そりゃチリマトマだからな、普通のよりは辛いだろ。俺は辛い麺類好きだけど」
「もぉ、今日はあんたと言いチリマトマといい変なのに振り回されっぱなし…!」
「火猫とマトマはセットではない!寝言は寝て言えよ!」
「一緒に煮込んで激辛バージョンにして食べなさいよこの辛党!」
「だったらお前とマトマを煮込めば辛口シーフードヌードルだな!しっかり味わえ!」
一瞬沈黙が挟まった瞬間お互い何とも言えない馬鹿らしさを感じ、のびたヌードルをすすりドアを閉めた。
右腕に付けていたリストバンドを外し、水温を最大まで上げてからシャワーの蛇口を捻る。炎タイプの俺でも温かいと感じるレベルの水温は、炎タイプ以外のポケモンが浴びればまず火傷確定。
炎タイプといえばポケモンの技かどうかに関係なく水が嫌いなイメージがあり、それは決して間違っていないのだが、水温を上げればシャワーぐらいは平気という炎タイプのポケモンは結構存在する。
そして中にはシャワーを浴びるのが嫌いじゃないどころか好きだという炎タイプのポケモンも一定数いたりする。
まぁ、俺の場合はちょっと訳ありだけどな…
「っし、身体乾かして出るか…」
10分程浴びたらそれで満足、シャワーを止めて今度は体温を上昇させる。体温が上昇していくにつれて体毛に付いていた水滴が蒸発していく。
「…で、なんでお前はこんなとこにいるんだ?」
シャワーカーテンを開けるとグレースは何故か目の前で待機していた。
「私もシャワー浴びたいからここで待ってただけで別にあなたの裸を見に来た訳じゃないよ、悪い?」
「それなら中まで入ってこなくてもいいだろ、ったく…」
「この腕の傷どうしたの?」
「…これか?何の変哲もないガキの頃の古傷だ」
「そう?結構深い刺し傷みたいだけど…」
「身体のあちこちにこんな傷があるから別に珍しくないだろ?とにかく、俺はもう出るからシャワー浴びたきゃ好きにしろ」
「はいはーい」
リストバンドで古傷を隠すように右腕に付け直すし、そのままドアを閉めた。
出てきてからテレビを点けるとニュースも音楽番組もとっくに終わってバラエティー番組に変わっていた。溜息をついて携帯を開きニュースを調べるが、特に情報は出ていない。
田舎でも大手チャンネルから中継来そうなレベルで明るみに出たにも関わらず何も放送しないなんて以外にメディアは呑気なものだなと一瞬思ったが、警察が色々とメディアに伏せているのだろうと推測して携帯を閉じる。
これ以上続くと隠すのも時間の問題かもな…
ベッドの方は当然のようにダブルベッドなのだが、一人なら特に気にする相手も不在。
携帯を枕元に置くとそのまま横になって目を閉じる。
今日はこの疲れに身を任せれば睡眠薬なしでも眠れるかもな…
「あー気持ちよかった!あれ、もしかしてベッドの上でスタンバイ中ですか?」
「…huh?」
ダブルベッドの中央に寝ている俺に構わず横からベッドダイブされて腹部に重圧がかかる。
前言撤回、しばらく眠れそうにない。
「またまたぁ、お互いシャワー浴びたんだからそれはもう交b」
「…何をどうやったらその発想に至るんだ淫獣」
「普通はこの年頃ならみんなこの発想になって当然じゃない?」
「生憎俺はその発想には至らなかったらしいな、じゃ」
流石にベッドの上で終わりなき言葉の攻防にはこれ以上付き合いきれない。
「え、もう寝ちゃうの?」
「お前と関わると気疲れする…」
「そりゃ疲れるね…じゃ私も寝ようっと、お休み」
「へいへい…」
ベッド横のライトを消してぼんやりとする、こんな時間もわりと久しぶりか…
「ねえ、全然寝付けないよ…」
「huh?」
「だって普段寝るより明らかに早い時間なんだよ…」
「ウールーでも数えてりゃそのうち寝れるだろ」
勝手に起きてろよ、とは言いたくなったが喚かれることを思えば黙っておくか。
「じゃあさ、昔話とか聞かせてよ!」
「お前ガキか…適当に動画調べてやるから」
「私は既製品なんかじゃなくて、ナバールのオリジナルのお話を聞いてみたいの!」
俺はなんでこんな奴と一晩過ごそうなんて思ったのか…
「…流石にこれは貸しにしとくからな」
「うん、貸しでいいよ」
「分かった、ちょっと待ってろ」
俺は児童書を書く作家の気分でストーリーを組み立てていく…
「一応出来たぞ、あんま期待するなよ」
「聞いてみなきゃそんなの分からないよ?」
「はいはい、タイトルは未定な」
『昔、あるところに小さな男の子がいました。男の子のお父さんは男の子が生まれてすぐに死んでしまい、お母さんは別の雄と結構しました。そして男の子にはお父さんの違う弟が出来ました。男の子は弟とすぐに仲良くなり、父親違いとはいえ本当の兄弟の様になりました。しかし、弟のお父さんは弟が生まれてすぐに、アルコールやギャンブルなどにのめり込むようになりました。それを知ったお母さんは他の雄と仲良くなり、ほとんど家に戻ってきませんでした。』
「なんか、話の内容重くない?」
「そうか?あんま詳しくないけど大体こんな感じじゃないのか?」
『そして弟のお父さんは、ギャンブルや夜の街へ遊びに行っている時以外は家でお酒を飲み、男の子や弟に暴力を振るい始めました。男の子が逃げ出すことは簡単でしたが、小さな弟が怖がって震えていたり、叩かれて泣いていたり、ずっとお腹を空かせているのを見ると自分だけ逃げるわけにも行きませんでした。弟のお父さんはもちろん、ごくたまにしか帰ってこないお母さんも面倒を見てくれるはずもなく、男の子は慣れないながらも弟の世話を始めました。そして時には暴力の嵐を防ぐ盾にさえなって。男の子は毎日傷だらけでくたくたになってしまっても、弟だけは笑顔でいられると思うと頑張れました。けれども、弟は病気になってしまい、そのまま死んでしまいました。男の子の心に、小さな穴が空きました…』
「…めでたしめでたし、で締めくくりだったか?」
役者かと思うほど千変万化してたグレースの表情がお通夜モードと化していた。何かあったのか?
「…いや、うん。どこから突っ込めばいいのか分からないけど、とりあえず“めでたしめでたし”はそのお話には使っちゃいけないよ…」
「そうか?じゃあ“to be continued”でも入れるのか?」
「そういう事でもない…」
本気で困ったような表情をしている。終わり良ければすべて良しは逆もまた然りだったのか?
「その手の話には詳しくないけどよ、リアリティあって面白かっただろ?」
「うん、悪い意味でね…」
ものすごく哀れんだ目で俺を見ている。どうやら頭の中に浮かんだ光景から即興で作った自信作もこいつにはお気に召さなかったらしい。面倒なヤツ…
「まぁいいや、私も気疲れして眠くなってきたから満足かな。この借りはちゃんと返すね…」
「…へいへい」
別に期待はしてないけどな。
一瞬まさかとは思ったが、この幼さの抜けない感じといい歌声といいこいつは間違いなくあのグレースだろう。最後に会ったのが何年前だったかすらも曖昧だが、元気そうで良かった。
こいつは気づいていないらしいしいつもの癖でナバールと名乗ってしまったが、今後のことを考えれば俺だと気づかれない方がいい。
そしてUBはこの地方にも出現している。予想通りならこの町は戦場になるかもしれない、どうにかしてこの町から逃がさないといけない。
これ以上俺のせいで傷つく奴は一匹もいてたまるかよ…
7月23日の日記を携帯に入力して充電器にセットする。
肉体疲労のせいか精神な違和感のせいか、今日は睡眠薬に頼らず済みそうだな…
ラブホテルの道路を挟んだ向かいの建物の屋根から、一室を眺める。
レントラーじゃないから中の様子は分からないけど、恐らく何もせずに眠っているのだろう。何もせずに。
休める時にはゆっくり休んだ方がいいだろう。これから休もうと思っても満足に休める時間はないだろうから。
他獣のこと言えないな、なんて自嘲しながら翼を広げて屋根から飛び立つ。
今日は彼が頑張ってくれたから僕もこの際力を蓄えておこう。
「君がこのアローラに来てくれたなんてね、いずれ僕の方から会いに行ってあげるよ…」
to be continued…