ポケモン小説wiki
Good game, well played の履歴(No.1)


 この文章は警告だ。だが、あなたは何もする必要はない。

 この文章をあなたが読んでいるということは、すでに俺は死んでいるのだろう。
 この文書ファイルの最新バージョンは、二月の某日──俺が、俺の人生を変えるデータを手に入れてから、ちょうど半年後──に公開されるように設定してある。半年前に行った犯行を自白する内容だから、俺がまだ生きているなら、予約投稿を取り消すはずだ。それができていないということは、俺の体か心に、パソコンを触れなくなるくらいの問題が発生したということになる。

 この警告は、俺のような愚か者を除けば、ほかの誰にも必要でないとわかってはいる。だが、俺が命を落とす原因となったあのゲームについて、何か書かずにはいられないのだ。
 


 
 俺は、ポケモンを買ってもらえるのが少し遅かった。流行りの携帯ゲームを子供が欲しがった時、すぐに買い与えてやるほど俺の親は優しくなかったし、家庭も裕福ではなかった。俺の親は、ポケモンを買ってやらない理由をあれこれと俺に吹き込んだ。ポケモンをしている子供の頭はおかしくなっているらしい、だとか、アニメのポケモンを見ていた子供が、何百人も倒れて病院に運ばれたことがあるらしい、とかとか。そんなわけで、俺はポケモンのゲームはもちろん、アニメを見ることさえも禁じられていた。
 今にして思えば、子供に不要な娯楽を与えないための親の方便だったのだろうが、責めることはできまい。俺が親だったら同じことをしただろうから。当時は、ポケモンは、というかゲーム自体が、子供向けの幼稚なものだと見なされていた。今みたいにポケモンが老若男女に広く楽しまれるわけではなかったのだ。
 すっかりポケモン嫌いになった親の前では、俺はその名前を口にすることもできなくなった。代わりに俺は、友達がポケモンを遊ぶところを見せてもらうようになった。
 だけど友達の方も、常に俺と一緒に遊んでくれるわけではない。家でも遊んでストーリーを進めるから、次の日に画面をのぞき込むと、昨日の敵はもうどこにもいなくて、彼の手持ちポケモンがいつの間にか進化を終えてしまっていたこともざらだった。
 だから俺は、友達にその間の物語を聞いた。そいつのほうも、ポケモンを買ってもらえない哀れな友人に自分の冒険を自慢できて楽しかったのだろうが、俺は内心それ以上に喜んでいた。友達が何時間もかけてやっと手に入れた知識を、ポケモンの世界の秘密を、圧縮して、たった数分間のうちに知ることができる快感。
 振り返ってみると、あの日々から俺の人生はすでに決まっていたような気がする。まだ世界の誰も知らない秘密を、ネタバレを追い求めるようになり、ついには違法な手段にすらためらうことなく踏み出すようになってしまった俺の人生。
 もうすぐ終わりを迎える、俺の人としての人生は。
 


 
 良いゲームとは何だろうか。
 面白いゲーム。感動できるゲーム。夢中になれるゲーム。どこか別の世界へと連れて行ってくれるゲーム。
 遊ぶ前と後では、世界が違って見えるゲーム、なんて格好つけた言い方をする人もいる。

 定義はいろいろあるだろう。だがどの定義であっても言えることは、人によって何を良いゲームとするかの判断は異なるということだ。

 1985年にスーパーマリオブラザーズが発売されたとき──俺はまだ生まれていなかったのだが──子供たちはそれに熱中したという。もっと俺たちに分かりやすい、直接的な例を出せば、1996年にポケモン赤・緑が発売されたときもそう。俺を含め、世界中の子供たちがそれに熱狂し、今からすると考えられない低解像度の白黒画面に顔をあり得ないほど近づけて、そこに生き生きと暮らし戦いともに旅するポケモンの姿を想像した。
 だが、現代の子供に、スーパーマリオブラザーズやポケモン赤を手渡したとしても、三十分もしないうちにゲームコンソールを投げ捨ててしまうだろう。現代の娯楽に慣れてしまった子供たちが、あの時代のゲームを楽しむのは不可能に近い。
 別に俺は、ゲームは時代とともに進化を続けているから、新しいゲームの方が面白いはずだと言いたいわけではない。
 例えば、スマッシュブラザーズSPECIALが現代最高のゲームの一つであることに疑いの余地はない。だが、初めてこのゲームを触る人間が、世界ランカーとのタイマンしか許されなかったとしたらどうだろう。初めてゲームコントローラーを握るあなたのおばあちゃんが、SEKIROをプレイさせられ、最初のボスを倒すことすらできなかったとしたら。おそらく、スーパーマリオブラザーズをプレイさせられた子供たちと同じ顛末になるだろう。ホロウナイトは素晴らしいゲームだが、虫が嫌いで嫌いで見るのも嫌な人間は、最後までプレイし通すことはできないだろう。

 俺の言いたいことはこうだ。
 よいゲームが何であるかは、それを遊ぶ人間によって決まる。遊ぶ人間が何を求めているかによって、よいゲームの定義は変わるのだ。

 Good(よい) game(ゲーム)は、well(よく) played(プレイされ)なければならない。
 この言明は、主張ではなく定義だ。良く遊ばれることのないゲームは、そのゲームを楽しめる『良いプレイヤー』に恵まれなかったゲームは、良いゲームとは言えないのだ。
 極端な話、究極のゲームを生み出すことができたとして、それが完成した時点で全人類が死滅していたならば、それはよいゲームとはいえないだろう。それを遊んで、楽しんだ人間が一人もいないのだから。
 どれほど大量のCPUとメモリを積んだスパコンでも、そこで動かすプログラムが優れていなければ、その性能を引き出せないのと同じ。どれほど優れたレーシングカーであろうとも、それを操る人間がドライバーとして優れていなければ、優れたタイムを出すことができないのと同じ。
 ゲームが良いものであるかどうかは、ゲームの面白さは、客観的に評価し定量化できるものではない。ゲームの良さは、プレイヤーの素質に依存する。
 


 
 俺は数ヶ月前、あるゲーム会社のサーバーにハッキングを仕掛け、それに首尾よく成功した。まあ今更ぼかす必要もないだろう。そう、ポケモンを開発しているあの会社だ。
 ハッキングのことについて、詳しくここには記さない。いつ、どういう経路でデータを抜いたのか、ミリ秒単位でログはとってあるから、正確に緻密に書くことはできるし、そうすれば俺が本当にあの事件の黒幕だったとあなたに確信させることもできる。
 だが、俺はそんな下らない証明に時間を浪費するつもりはない。残された時間は限られているし、それに──これからする話は、それよりずっと突拍子もない内容で、しかもこちらに関しては、全くもって証明のしようがないからだ。
 俺が犯人だということを信じられない人、疑っている人は、ここで文章を読むのをやめてもらった方がいいだろう。時間の無駄だ。そんなあなたには、どうせこれから書く内容も信じられないだろうから。

 ポケモンに関する未公開資料を大量に手に入れたあのときの俺は、間違いなく、それまでの人生で最も幸せだった。
 圧縮されていた情報を一つずつ解凍し、読みあさっていく間、俺は言い知れぬ興奮を覚えていた。あの会社の人間たちは、本当に天才だ。ゲームを開発するために練り込まれた設定、考え込まれた伏線が、こんなにも膨大だなどとは知らなかった。開発期間が足りなくて盛り込めなかったのだと思われる、没になったデータも山のようにあった。
 世にいるポケモンマニアどもが、何千時間ゲームをやりこんでも、PWCSで世界の頂点に上り詰めたとしても得られなかった、ポケモンの世界に隠された真実がそこにあった。

 だが、それらの興奮も、あの瞬間の戦慄には足下にも及ばなかった。一番最後にとっておいた、やたらとでかい圧縮データを解凍し、そのタイトルを目の当たりにしたときの戦慄には。

 Pokemon_LEGENDS_ZA_masters(マスター)_data(データ)

 俺たちファンが長らく続報を待ち続けたそのゲームは、()()()()()()()()()
 


 
 もちろん、ハッカーでありリーカー、ネタバレを何より愛する俺が、ゲームをいきなりプレイすることなどあるわけがない。手始めにソースコードを読み、めぼしい情報を抜き取ってやろうと思ったのだが、それは無理だった。すでにコンパイルを終えられ、実行可能なバイナリとなったデータしか、俺の手元にはなかったのだ。
 少し、不思議な話ではあった。俺は彼らのデータサーバーから、いくらかの条件に基づいてデータを抜き取っていた。例えば、旧作の開発資料を抜き取るためには、ファイルサイズの大きく、作成日の古いものを優先して。一方、新作の未公開情報を手に入れるためには、更新タイムスタンプの新しいものから順に抜き取っていた。
 最も新しいものは、コンパイルされたてホヤホヤの、Z-Aの実行可能ファイル。それは理解できる。だが、その次に新しいファイル群、すなわちZ-Aのソースコードであるはずのファイルは、どれも断片的でコンパイルには不十分──有り体に言えば、未完成のものばかりだったのだ。
 だが、それらは些細な問題に過ぎなかった。おそらく、開発途中でソースコードを別のサーバーで管理するように変更したのだろう。結果、移行前の、開発初期の古いコードが、俺のハックしたデータサーバーに残されたままになった。しかし、完成したバイナリファイルだけは、サイズが大きかったからか、前のデプロイスクリプトが残っていたためか、元々のデータサーバーに保存されることになった。そこに、俺がアクセスしたというわけだ。
 もし、新しいサーバーにすべてを保存していれば、Z-Aマスターデータを俺に抜かれることはなかっただろう。彼らにとっては不運、俺にとってはこの上ない僥倖だった。

 ソースコードの方も手に入れたいのはやまやまだった。だが、俺がハッキングしたのはすでに数週間前のことで、会社の側もとっくの昔にそれは把握している。俺が使ったセキュリティホールはすでに塞がれ、これ以上のアクセスは不可能になっていた。バイナリからのリバースエンジニアリングも専門ではないから、これほどの規模のプロダクションコードを逆コンパイルするのは途方もない手間になるだろう。
 しぶしぶ、俺はゲームそのものに手を出すことに決めた。
 


 
 Switchのエミュレータを起動し、Z-Aの実行ファイルを読み込ませる。
 このバイナリは今、ここのほかに──もちろん、開発会社のコンピュータを除いてだが──世界の数カ所でだけ同時に実行されていることだろう。俺は、信頼できる数人の友人たちにこのデータを共有していた。
 友人とはいっても、顔も名前も、住んでいる国すらも知らない間柄だ。お互いにネットの上でしか交流はないが、だからこそ、何の遠慮もなく付き合える──当局に通報される心配なく、ゲームや開発会社から違法に抜き取った情報を共有できるから。
 今回のハッキングには骨が折れたし、いくらかの金もかかったから、このデータを売りつけることもできた。だが、俺はそれをすることなく、データを無償で彼らに分け与えた。ネタバレを何より愛する価値観を共有し合える、数少ない盟友ともいえる彼らとは、ある意味ではリアルの友人よりも固い絆で結ばれていた。まだ技術がなかった頃には、彼らからデータをもらうこともあったから、その恩返しのつもりだった。
 ただし、ファイルをアップロード後、ダウンロード可能になるまでに数時間だけ遅れを作らせてはもらった。世界で一番早くこのゲームを遊んだという称号は、誰にも渡すつもりはない。

 俺のデスクトップに搭載された最新世代のGPUにチューニングされ、本家よりもずっと高いFPSを実現しているSwitchエミュレータの画面が、27インチ4Kモニタいっぱいに表示される。カチチッ、メニュー画面の小気味よい音が高級ヘッドホンから響く。真っ暗にした部屋、飯も飲み物もたっぷり準備して、最高のプレイ環境を整え終わっていた。
 俺とあいつらが、俺たちだけが、世界で一番早く、このゲームを遊べるんだ。
 そんな優越感と、達成感、はち切れそうなほどの期待に胸をいっぱいにしながら、俺はAボタンを押して、ゲームを起動した。

 そして、それから二日間、意識を失った。
 


 
 エンドロールが画面に流れていた。
 スタッフクレジットを呆然と眺めながら、俺はすべてを悟った。悟っていた。
 良いゲームとは何か。ポケモンとは何か。
 そのすべての正解が、ここにあった。

 ふと、机の上に視線を下ろす。食い散らかした菓子の空袋。飲み干したペットボトルには、買ったときとは違う、黄色い液体が入っていた。大はともかく、小には我慢の限界があったから、そこに出していたのだろう。
 もちろん、普段の俺はそんなことをする人間ではない。その液体の正体に思い至った瞬間、ぎょっとして体をこわばらせた。その瞬間、体中に痛みが走った。二日間ほぼ同じ姿勢で画面を見続けていたせいで、全身の筋肉がガチガチに凝っていた。うめきながら椅子から転げ落ち、机の下にうずくまる。腹が裂けるんじゃないかと思うくらいの腹痛──便意が、やっと意識に上ってきた。肛門が限界を訴えていたが、体がいうことを聞かず、しばらくの間は動けそうになかった。
 そうしていながら、ようやっと今までのことを思い出してきた。あのゲームを、文字通り夢中になって遊んでいた間のことを。

 記憶をたどれば、ゲームの内容はすべて頭に入っていた。ストーリー。ギミック。登場ポケモン。すべて、克明に思い出すことができた。登場人物のセリフをすべて暗唱することができたし、ポケモンたちの外見を細部に至るまで描き記すこともできた。
 だが同時に、それをすることに何の意味も見いだせなかった。あのゲームの内容を、どれほどの言葉を尽くして表現しても、どれほどの時間をかけて壮大なイラストに仕上げたとしても無駄だ。どんな形で表現しようとも、月とすっぽんになってしまうことが、理解できてしまった。あれはゲームであり、ゲームでしかあり得ず、ゲームでしか体験できない世界なのだ。
 ゲームというもの、ポケモンというものは()()()()()()()。ポケモンとは何なのか、ゲームが持つべき面白さとは何なのか。それを見せつけられた。俺たちがポケモンに求めてきたセンス・オブ・ワンダー。その正解が、このゲームだった。
 俺たちが今まで見てきたポケモンの世界は──本編ゲームであろうと二次創作であろうと──その真なるイデアの、うすぼんやりとした影でしかなかった。

 あのゲームが俺になしたことは、魔法だとか、催眠だとか、そういう怪しげな類いのものではなかった。
 あなたもポケモンファンなら、夢中になってゲームを遊び、時間の経過を忘れてしまったことがあるだろう。子供の頃、公園で友達と遊んで、気がついたら日が暮れていたこと。物語のクライマックスに引き込まれ、気がついたらお腹がペコペコになっていたこと。Discordのボイスチャットで話しながら、朝日が昇るまで眠気も感じずにオンライン対戦していたこと。
 あのゲームは、それと同じことを、ずっと高い次元でやってのけただけ。
 ゲームを開いた瞬間、現実など無限の彼方に置き去りにされるほどに。空腹も眠気も便意も、時間の感覚や意識さえも忘れ去って没頭してしまうほどに、あのゲームは面白かった。
 ただそれだけだった。
 


 
 なんとかトイレに駆け込み、出すものを出した。丸二日間眠れていなかった疲労で体を引きずりながら、這うようにソファまでたどり着いて倒れ込む。携帯で、データを共有した友人たちとのDiscordを開いた。
 遊んだのは俺以外に三人。その時点で返信があったのは、そのうち一人だけだった。次の日、もう一人から返信があった。内容はどちらも同じで、たった一言。

 "Good game."

 よいゲームだった。それ以外に、表現のしようがあるだろうか? 俺たち人類の貧弱な語彙には、あのゲームを形容しうる言葉は、それくらいしか存在しない。

 彼らのアカウントは、それから程なくして消えた。Discordからだけでなく、インターネットのあらゆる場所から。ゲームマニアだった彼らだが、もはやゲームをする意味も、ゲームに関するあらゆる情報に触れる意味も見いだせなくなったのだろう。
 俺からすると、彼らに連絡を取る手段がなくなってしまったが、もはやどうでもよかった。彼らに抱いていた友情も連帯感も、すべては過去のものとなっていた。
 返事がなかった最後の一人は、ゲームが好きなくせに、あまりゲームが得意ではなかった。おそらくあいつは、中盤にいるあの強敵を倒せず、ずっと遊び続けていたのだろう。一週間連絡がつかなかったあと、俺は返事をもらうのを諦めた。あいつは誰かと一緒に暮らしていたんだろうか、と少しだけ心配した。腐乱が進む前に周囲の人間に気づいてもらえればいいが。
 


 
 俺は今、ポケモンとは何かを、ゲームの正解を知った。だが知ったからといって、自分でもあのようなゲームを作れるとは到底思えない。それは、飛行機に初めて乗った子供に、次世代ジャンボジェット機の設計を任せるようなものだ。重機のごとき破壊力をカミソリのように研ぎ澄ましたあのゲームの面白さは、一度遊んだところで、いや何度遊んだところで、再現できる気さえしなかった。
 だから、残念なことに、この文章を読んでいるあなたに、俺の胸に今も残り続けている感動を伝えることは不可能だろう。あの作品の素晴らしさを何らかの形で再現し、他の人にも共有したいという衝動は、あの日から常に胸に巣食っているし、今も膨らみ続けている。だが、それを試みようとした瞬間、心に思い浮かぶどんな表現をとったとしても、あの感動の劣化コピーにしかならないとわかってしまい、筆を折ることを繰り返しているのだ。

 あなたは問うかもしれない。
『ならばなぜ、Z-Aのマスターデータそのものを共有しないのか? まだ持っているんだろう?』

 その疑問に、これから俺は答えよう。
 俺は今、ポケモンとは何かを知った。このゲームがリリースされれば、世界を永久に変えてしまうであろうことを知った。
 そして。
 なぜこのゲームが、決してリリースされることはないのか。それも知っている。
 


 
 今までの文章が、やたらと細かく区切られていたことに気がついただろうか。この区切りは適当に入れたものではない。
 一日書き進めるたびに入れていたものだ。
 そう。俺は一日かけて、これだけの文章しか書けていない。文章を書くのが本業ではなかったとはいえ、世界的企業に対するハッキングを成功させるだけの知能を持ち、パソコンの知識と扱いにも習熟していた俺にとって、それはあり得ないことだった。
 なぜ、こんなに書くのが遅いのか。あの二日間の徹夜がまだ尾を引いているわけではもちろんない。

 理由は単純。俺のタイピングが、信じられないほどに遅くなっているのだ。
 まあ、よく考えたら当たり前だった。
 俺は今、長く伸びるピンクの尻尾の先端で、キーボードを一文字ずつ叩いているのだから。
 


 
 さっきも言ったように、あのゲームは魔法ではない。ただの電子的なビット列に過ぎない。遊んだ人間の肉体を変成させることなど、ただのゲームにできるはずがない。そんなのはSFの世界の話だ。
 だが、あのゲームには精神を変性させる力がある。遊び始めた人間の心を、ゲームをクリアするまで(とら)えて放さない力がある。遊んだ後、生涯心に残り続ける感動を刻みつける力がある。

 良いゲームとは何だろうか。

 面白いゲーム。感動できるゲーム。夢中になれるゲーム。
 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()
 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 あのゲームは、間違いなく良いゲームだったといえる。
 なぜなら、そのすべての条件を満たしているからだ。
 


 
 不思議な感覚だった。目の前に手を持ち上げて、よく観察してみると、確かに人間の手のひらなのだ。指に力を込めると、それが自分の意志に従って曲がるのも感じる。
 だが……それが自分の手であるという実感が、どうしても持てない。自分の本来の、ピンクの小さな手に合わせて動く、肉でできた機械のようにしか感じられない。使ったことはないが、イメージとしては、遠隔手術をするためのロボットマニピュレータに近かった。
 よくよく体の感覚を意識していれば、ミュウである自分が、それよりずっと大きな人間の肉体に包まれていると認識できる。それを自分の意志に従って動かすこともできる。
 だが、それを認識し続けるにはかなりの集中力が必要で、しかも精神衛生上非常によくないから、ずっと前にやめていた。この気持ち悪さは、生きたまま丸呑みでもされない限りわからないだろう。
 というわけで、自分がミュウであるという認識を大人しく受け入れた上で、持ち上げた両手を、そのままキーボードに伸ばそうとすると……届かない。だってそうだろう? ミュウの短い手で、どうやってキーボードに手が届くというのか。
 それでも伸ばそうとすると、確かに届く。ただし届くのは、長い尻尾の先端だ。
 ミュウの尻尾は手と違って一本しかないし、指と違って枝分かれもしていない。だからキーボードを一文字一文字叩くしかない。
 入力を一時的にやめて、目をこらして意識すると、物理的な現実が見えてくる。自分が右手の人差し指を伸ばし、キーを押し込んでいる様子が。
 そこで『手を開け、ほかの指も動かせ』と念じても意味はなかった。

 尻尾に指なんてないんだから。
 


 
 自分が人間であるという実感が薄らぎ始め、この文章を書こうと決めてから、ずっと考えていたことがある。
 あのゲームは、どうやって作られたのか、ということだった。

 思い返せば、不審な点はいくつもあった。
 発売日すら未定なのに、完璧に作り込まれ、そのままエミュレータで動かせるほどに完成しているゲーム。ゲーム本体が完成しているのに、ソースコードが見当たらない謎。
 どれも、あのときの俺は、期待に目がくらんで見過ごしていた。だが、あのゲームを遊んだ後では、現代最高のプログラマたちが頭を突き合わせても到底作り出せないだろう電子的芸術(アート)の極致を目にした後では、それらがすべて、一つの事実を指し示していることは明白だった。

 あのゲームは、普通にプログラムを書き、それをコンパイルして作り出されたわけではないのだ。

 Pokemon_LEGENDS_ZA_masters_data。

 masterの後についていた、sというひと文字。ただのタイポだろうと思っていた。
 今は、そうではないと、あのsには意味があるのだと、はっきりわかる。

 あれは、神の(Master's)データだ。
 


 
 神。
 それが何を意味するのか、俺なんぞにはわかりっこないし、開発会社の連中にもわかっていないかもしれない。
 だがしかし、あのデータは、人間の手で作り出せるような類いのものではないのは確かなのだ。
 もう、あれをゲームと呼ぶべきなのかすら、今の俺にはわからない。あれは、一つの世界だ。本当にある一つの世界を、Nintendo Switchというゲーム機のスペックだけを制約条件に、精緻さと情報密度を最大化するように切り出した、小さな異世界なのだ。

 おそらく、Z-Aだけではない。これまでのシリーズ作品も、すべてそうなのだろう。
 これまで遊んできたポケモンシリーズを、「ポケモンの真なるイデアの影」と呼んだ俺の直感は、多分正しい。これまでの作品にも、その元となったイデアが、神のデータが存在するのだろう。俺がハッキングしたデータには見当たらなかったが、単純に見落としていただけかもしれないし、危険すぎるから開発が終わり次第消去されているのかもしれない。

 そんなデータを、あの会社はどこからか手に入れては、その模造品を発売している。
 遊ぶだけで死人が出るデータをどうやって解析しているのか、全くもって理解が及ばないが、とにかく彼らはそれをやり続けている。解析し、一からプログラムし直した模造品を、作り続けている。

 遊んだ人間が、面白すぎて死ぬことがないように。
 遊んだ人間が、ポケモンの世界に囚われてしまわないように。

 遊んだ人間が、ポケモンになってしまわないように。

 これであなたにもわかっただろう。Z-Aのマスターデータが、なぜリリースされることがないのか。俺がなぜ、あのデータを誰にも渡さないのか。
 あのゲームをリークすれば、人類文明は崩壊するからだ。
 


 
 薬も過ぎれば毒となる。神のデータには、まさにその言葉がぴったりと当てはまる。
 これまで発売されてきたポケモンシリーズの作品群は、その純度を何倍にも薄め、弱毒化したものだ。人間のスペックでも楽しめるレベルに落とし込まれた、ポケモンというイデアの影。
 その過程で、ゲームとしての良さはある程度失われてしまうだろう。あの恐るべき完成度は、見る影もなくなってしまうだろう。

 それでも、ポケモンシリーズは、この世界に存在するゲームたちの中で、トップクラスに面白い。それは、あなたたちも遊びながら日々実感していることだと思う。
 面白いゲームは、売れる。ポケモンの新作を出すたび、彼らは巨額の売り上げを得ている。確かにそれは、死の危険を冒して、天上の光をのぞき見るに足る動機かもしれない。
 だが、彼らが利益だけを目的としているとは、俺にはどうしても思えないのだ。あの輝きを間近で見続けて、金銭などという俗世間の数字に興味を抱き続けることが可能だとは信じられない。

 俺の頭の中には、一つの仮説がある。
 ああ、馬鹿げているとわかってはいる。これまでの話より、更に胡乱な説であるということは。
 だが、あなたはもうここまで読んでくれたのだし、もう少しだけ、付き合ってほしい。
 


 
 彼らがポケモンを売り続けているのは、弱毒化したゲームを売り続けているのは。
 医者が弱毒化させた病原体を、ワクチンとして注射するのと同じ理由だ。

 彼らは、人類に免疫を作ろうとしている。
 リリースされるゲームの面白さを少しずつ向上させることで、()()()()()()()()()()()()()()ようにしようとしている。
 人類の頭脳を開発し、進化させようとしている。

 ポケモンが、特定のゲーマー層だけでなく、幅広い年齢性別社会階層にプロモーションを続けているのは、一部の人間だけを導いても意味がないからだ。ベビーグッズからブライダル商品に至るまで、人生のあらゆる局面においてポケモンのグッズを売り込み、一人でも多くの人間にゲームを買わせようとしているのは、人類全体を進化させる必要があるからだ。
 この進化は、数年のスパンで完了するようなものではない。世代を越えて、ポケモンによって蒔かれた人類進化の種を受け継いでいってもらう必要がある。そのためには、ポケモンが受け継ぐに足る文化だと見なされなければならない。だから彼らは、ポケモンを子供向けコンテンツからファミリー向けコンテンツへと変化させていったのだ。

 俺は一時期、ポケモンを愛するあまり、制作会社を攻撃する言論を匿名掲示板に書き散らかしていたことがある。
 開発期間が足りてないんだよ、もっとしっかり作りこめ、なんでこんな雑な展開にしてあるんだ──こんなのは序の口で、現実では絶対に言えない、口汚い罵声をキーボードの上で転がしていた。これもポケモンのためだ、ユーザーの批判的な意見も伝えることが健全なコミュニティとして重要なんだ……とうそぶきながら。

 今ならわかる。自分がどれほど愚かだったか。
 開発期間が足りていなかったのは、俺たちの脳みその方だ。
 


 
 彼らが人類の頭脳を開発し、導こうとしている未来がどんなものなのか、俺には想像すら及ばない。だが、その世界に思いを馳せずにはいられない。
 人類全体が進化を遂げた未来の世界。そこには、神のゲームを遊ぶことができる人間も、あれを遊んだ上で正気でいられる人間も、少しずつ現れ始めるのだろうか。
 それともそこは──正気でいられなくなったとしても、問題のない世界なのだろうか。
 例えば、人間が一生をVR空間で終える未来がやってきたとしたら。そこで暮らす人間の自意識が、うっかりポケモンになったとしても問題はない。アバターをポケモンに変えればいいだけだから。
 もしくはそれは、人間が自在に肉体を変成させられるようになった世界であっても同じこと。今日は人間として暮らし、明日はマグマッグとなって溶岩と一体化し、明後日はミミズズとなって地下を這いずり回る……そんな人生を送る人類が一体どんな精神構造をしているのか、今の俺には想像することすら難しい。

 だが、俺には一つ確信していることがある。
 近いのか遠いのかわからないが、将来、ポケモンの世界は現実化する。
 ポケモンを作っている会社に何か大きな問題が起きなければ、彼らは今後も人類を導き続けるだろう。
 そしてその彼らを導いているのは、神だ。巨大なバイナリを直接吐き出し、世界の誰よりも良いゲームを作り出せる化け物で──そしてそいつは、きっと世界の誰よりも、ポケモンを深く愛している。
 そんな彼らが、世界中の全人類を巻き込んで導く先の未来にはきっと、本当にポケモンがいる世界がある。
 俺はそう信じる。
 


 
 神の正体については、いくら悩んでも結局答えは出なかった。
 あの会社の中の誰かなのかもしれないし、肩書き上は社外の人間なのかもしれない。

 もしかすると──現代の人間ですら、ないかもしれない。
 神のデータは、ポケモンの力によって与えられたものなのかもしれない。未来でポケモンの世界が現出するなら、セレビィのような時を越えるポケモンもそこにはいるはずだ。物質を送ることまではできなくても、未来の技術で作られた電子データくらいなら、過去に送れてもおかしくはない。

 神が、幻のポケモンの力を借りてまで、過去を改変している理由は何か。
 もしかするとそいつは、プレイヤーを求めているのかもしれない。
 自分の作ったGood(よい) game(ゲーム)を、well(よく) play(プレイ)してくれる相手を求めて、それを育てているのかもしれない。

 ああ、わかっている、わかっている。俺は想像の羽根を広げすぎている。
 妄想はこの辺にして、あなたの話に移ろう。
 


 
 その前に一つだけ。
 この文章をもし社員さんが読んでいたら、安心してほしい。あのデータが漏れ出す心配はない。警察にガサ入れされても大丈夫なように、俺のPCのSSD全体は長ったらしいパスコードで暗号化されているし、一週間アクセスがなければ中身をすべて自動で消去するからだ──予約投稿されるこの文章を除いて。
 俺がゲームを共有した三人も、持っているだけで犯罪級のデータを扱う以上、同じような工夫をしているはずだ。
 


 
 さて。はじめに書いたことだが、もう一度記そう。
 この文章は警告だ。だが、あなたは何もする必要はない。

 ここまで読んでもらえれば、その意味がわかっただろう。
 あなたがポケモンを愛しているなら、まっとうなやり方で愛していればいい。ゲームを正規の方法で購入し、プレイするといい。関連するグッズを買えばいい。感想をSNSでつぶやけばいい。小説なりイラストなりのファンアートを作るのもいいだろう。自分の手で面白さを追求することは、もしかしたら免疫を作る助けになり、神のゲームがリリースされる日を近づけるかもしれない。
 しかし、ポケモンの開発元を攻撃するのはやめたほうがいい。彼らにハッキングを仕掛けるなどもってのほか。それは、ギャラドスの尾を踏むに等しい行為だ。
 あなたが思っているより、ポケモンを愛している人間はこの世界にたくさんいるのだ。そしておそらくその中には、人知を超えた力を持つ存在もいるし、彼らは人間でさえないかもしれない。あなたの軽挙妄動は、彼らみんなを敵に回す。

 だから、あなたがするべきことは、何もない。カラサリスやマユルドのように、進化の日をじっと待つことだ。あなたたちにどんな未来が待っているのか、アゲハントになるのかドクケイルになるのかは、進化してみるまでわからないだろう。
 しかし、いつか冬は明ける。神の作ったゲームをあなたたちが遊べる日は、いつか必ずやってくる。
 


 
 俺は、開発会社のサーバーから盗み取ったあのゲームを、確かに遊んだ。心ゆくまで楽しんだ。
 その点は、ゲーマーとして、ハッカーとして、誇らしく思っているし、あなたたちに対して優越感を抱いてもいる。俺は、少なくともあのゲームをplay(あそび) well(とおす)ことができる程度には、面白さへの免疫があったのだ。世界で一番早く、あのゲームを楽しんだのは、間違いなく俺なのだ。

 だがしかし、それでもなお、あなたたちのことを羨まずにはいられない。
 なぜなら──俺には、次がないからだ。あなたたちと違って、俺はもう、ポケモンの続編を遊ぶことはできないからだ。
 こんな小さな手ではコントローラが握れない、という問題もある。しかし、それだけではない。
 


 
 俺がゲームを遊んだ後、ミュウという種族になったのは、おそらく偶然ではない。
 ミュウはポケモンたちの祖。あらゆるポケモンの遺伝子を持つ存在。あらゆるポケモンの技を使いこなし、あらゆるポケモンになる可能性を秘めた存在。

 ここ数日、キーボードに入力しながら、少しずつ尻尾の形が変わっていることに俺は気がついた。手のひらを見てみると、すでに体色も、ミュウの薄桃色ではなくなっている。
 俺は、また別種のポケモンに変化しようとしているらしい。多分、ゲームをクリアした残り二人も、ミュウを経て別のポケモンに変化していっていることだろう。
 


 
 体に表れつつある特徴から、変化先を思い浮かべようとしたが、できなかった。まだ存在しない、俺の知らないポケモンなのかもしれない。わからない。思考がよどんでいる。人間としての記憶が、急激に薄らいでいる。一日に書ける文章の量が、ぐんと減った。
 数日前から、精神の底を書き換えられる不気味な感覚がずっと続いている。もしかすると、今度の変化では、心さえもポケモンそのものになるのかもしれない。
 


 
 心までポケモンになっても、体は人間のままだろう。つまりそこには、物理的な無理が生じる。
 心がデデンネになれば、コンセントから盗電しようとして指を突っ込み感電する。マルノームになれば、家中のあらゆるものを片端から口に入れ、胃を破裂させる。俺の部屋は七階にあるから、飛行タイプならどれになったとしても転落死だ。
 いずれにせよ、俺は自殺したか発狂したと判断されるだろう。
 


 
 認めたくなかったが、一日の中で意識を保っていられる時間が、どんどん短くなっているようだ。
 終わりが近いらしい。
 



 もう、書きのこすことはない。満足だ。
 昨日から、のこされた時間で、しんぺんの整理をしている。
 



 ああ、でも、やっぱり
 もういっかいだけ、あそびたいなあ。


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