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異郷の扉は凶なる境か の履歴(No.1)


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この作品は非官能ですが、陰鬱・凄惨な内容が含まれています。



異郷の扉は凶なる境か






 戦争は終わった。
 数多の人々が犠牲となったかつての戦争に対する反省という形で、各国は合意の元に秩序のための骨子を作り上げた。だがそれから私が生まれるまでの何十年の間でも、その骨子こそ変わらなかったものの世界中で対立や独立が繰り返し発生し、数々の戦争が勃発し続けてきた。私の国は直接巻き込まれていたわけではなかったが、様々な形で間接的な影響を受け続けてきた。
 生まれた子供が大人になるほどの時が流れると、私が生まれた頃には既に大人だった者たちは段々と老いて逝く年齢へと進んでいく。それと同じで、私が生まれる何十年も昔からあった秩序の骨子も、年と共に老朽化していったことには諸行無常を感じる。諸国の中でもその中心にいた国々が侵略活動を繰り返すようになり、秩序のための骨子は形骸化していった。かつての権威であったそれは次々と巻き起こる戦乱に対して完全な無力になり果てていった。
 私の国も何十年ぶりの戦争に巻き込まれた。いくつもの町がミサイル等で破壊され、それを待ち望み潜んでいた暴徒たちが更なる狂乱を巻き起こした。私は幸い生き残ったが、多くの人が命を失うに至った。この時には侵略国も様々な形での反撃を受け始めており、世界には戦争をしていない国が無いと言う程の様相となっていた。
 最終的に私の国は辛うじて生き残ることができ、滅んだのは侵略国の方であった。正直、何かの拍子で逆の立場になっていたことも十二分に考えられるし、最早本当の侵略国がどの国かとは言えないほどの様相になっていると思う。
 今、私は侵略国の跡地に来ている。私に与えられた仕事は、接収したこの国の研究施設に残るデータ等を解析することだ。私は紆余曲折はあったが最終的には研究者となったため、この仕事の募集案内が送られてきたのだ。実のところ外国語は単語熟語を覚えるのが死ぬほど苦手なため、本音を言えば好き好んで外国に出たいとは思っていなかった。だが私は毒親に精神を破壊されてきていたため、そこから立ち直るまでの間国から給付を受けていた期間がある。そのため国に返せる何かの機会があるのであればという思いはずっとあった。とは言え私自身があってこその国の存在であるから、要求が自爆特攻とかであれば流石に逃亡も視野に入れたであろうが。この地はかつての国の残党がまだ残っており、時折テロ攻撃も起こるため安全とは言えない。研究者として入る私すら銃を支給されて訓練を受けてからになるという情勢ではある。そのため応募者は少なかったのだが、特攻と違い活路はしっかりあるのだから協力してもいいと考えた。
「到着です!」
 バスの乗務員の声が響く。平和な時代の観光バスなんかではないため、乗務員や運転手もしっかりと武装をしている。車窓に映る景色も崩壊した建造物が並ぶ光景で、既に平和が遠くなった今でも傷心する者が出る景色なのだろうとは思う。だが私はそれよりも、車酔いの方で少々辛くなっている。かつては舗装されていたであろう道路も戦争で傷み切っており、散発的に揺さぶられ続ける道中となったのだ。正直、若干後悔している。
「やれやれ……」
 同乗者たちがどんどん降りていくのを尻目に、私もニンテンドースイッチをしまう。戦争のあおりを受けて遅れに遅れていたポケモンの新作がようやく出たため、道中でプレイしたいという気持ちはあった。結局バスの激しい揺れでそれどころではなく、もしやっていたらバス酔いはこんなものでも済まなかったであろうが。それにしても開発が遅れたとは言っても「こんな世の中だからこそ」と開発を続けていたゲームフリークには頭が下がる。
 未だ朦朧とする頭を支えながら周りを見ると、降りる同乗者の列は私の前で途切れていた。どうやら私で最後らしい。私もその後ろに並ぶ。そのまま流れに従い降りていくと、先に降りていた面々はバスの扉の前で半円状に広がっていた。のんびり談笑する者から、私のようにバス酔いで朦朧としている者までそれぞれ。これから説明を聞いた後、バスのトランクから荷物を受け取り施設内に入っていく話だった筈。
「おい! 後ろ!」
「え? ぎゃっ!」
 半円の外から絶叫が響く。振り返るとそこでは、先に降りていた同乗者の何人かが倒れ込んでいた。その先には薄汚れた服装の人物が、コンクリートが付いたままの鉄骨――恐らく拾った瓦礫だろう――を握りしめ、振り下ろしていた。一人は直撃を受けたらしく肩を押さえて呻いており、その周りの何人かも飛び退こうとした拍子に次々と転倒していた。これは……まずいやつだ。
「くっ!」
 バス酔いなど一瞬で消し飛んだ。私は腰に下げたホルダーから銃を取り出し、倒れ込んだ一人にもう一撃を加えようとしている襲撃者に銃口を向けて引き金を引く。乾いた発破音が響いたと同時に、襲撃者の胸から赤が飛ぶ。
 その瞬間、目が合った。国を喪ったあらゆる恨み、それが最期に私に向けられたのが嫌でもわかる。今の一発で既にいずれかの臓器は射貫いており、もう生きて帰るのは不可能であると悟ったのであろう。だがまだ立っている。その最後の力で道連れにする相手として、私を選んだのがわかる。
 若干覚束ない足取りで一歩踏み込んでくる。国を喪った民の哀れさ。ともすれば私と彼で逆だったかもしれないが、いずれにしても私は生きて帰る道を選ぶ方だ。襲撃者の周りの仲間が倒れ込んでいることは、逆に私が撃つことで巻き込む心配が無いということに繋がっている。倒れ込んでいる彼らがターゲットになったのは、単純に半円の外側にいたからであり、私が半円の中心にいたのはバスを降りるのが最後だったからである。先にバスを降りていたら、或いは私がターゲットになっていたかもしれない。そんな運不運が次々と頭に流れ込んでくる中、私はもう一度引き金を引く。
「医療班を!」
 護衛の乗務員の一人が叫んだ時には、他の護衛の隊員も襲撃者に銃口を向けていた。私の放った銃弾は、狙いよりやや上に襲撃者の眉間に直撃する。今度という今度は直立を保てず、のけ反り吹っ飛び倒れていく。それでも隊員の一人は警戒を解かず、銃口を向けたまま倒れた襲撃者にゆっくりと近付いていく。他の隊員たちは直撃を受けた仲間の元に駆け寄り、応急処置を始めていた。
「立て続けに二発……容赦無いですね」
 そんな様子を戦慄しながら眺めていた私に話しかけてきた同乗者の一人。ああ、この人は確か道中私の隣の席に座っていた。銃まで支給された物々しさはやはり不安で、敵国の者であっても人間となると撃つことに躊躇いが出そうだと話していた。それにしても二発目を撃つまでの間は私にとっては色々と思考が流れ込んでくる時間であったのだが、どうやら一瞬だったらしい。私は既に銃をホルダーに戻していたが、襲撃してきたとは言え迷いもなく人間を撃ったことには驚きを隠せないようだ。
「やらなければこちらがやられる。やる以外の選択肢はありませんでしたね」
「うーん……死刑を執行した人もその場で迷ったり、後で苦しんだりとかいう話を聞きますが……」
「まあ……」
 一応、世の中の話を聞けばそうなのだろうとは思っていた。周りを見るとそれが事実であると示すように、私以外の研究者は撃つどころか銃を取り出してすらいなかった。
「恐らく、私は生きることや望むものを手放さない願望が人一倍強いのでしょうね」
 脳裏に浮かぶのはまだ戦争に突入するだいぶ前の頃。両親は私の将来が安泰であることを強く望むあまり、過干渉では片付かないほどの威圧を繰り返してきていた。ゲームなど子供のやるものであり、将来の何になるものでもないのだからいい加減卒業しなさい等、様々なことを言われ続けた。耐えきれず追い込まれた私は、親元から逃げ出すことを選んだ。親との絶縁の先には生活苦からの行き倒れの可能性も見えていたが、それでも私はあのまま「自分」を放棄していくことの方が耐えられなかった。本当に手放したくないものが何であるのか見えてくれば見えてくるほど、決断への恐怖が無くなっていたのである。だが。恐らくはここにいる他の誰もがそうであろうが、大半の人は「親との絶縁」などという決断を迫られるほどまでは進まないであろう。一人一人に確認してはいないが、ここにいるからにはそれなり以上のエリート街道を歩んできたのだと思う。人生そこまで追い込まれた人間が、持ち直してそれなりの立場まで得られること自体がなかなかないものであろうと思う。実際、私も親の支配から受けた精神的な後遺症には長く苦しんだのだから。
「そうですか。私はいざこうして目の前で死んでしまうと、あの人にも家族がいるのではないかとか色々思ってしまいますね」
「まあ、そうやってお互いを慮ることができる人の方が普通であるべきだと私も思いますがね」
 これは建前ではなく本音である。私のように追い込まれたり、何かが狂った人生などそうそうあって欲しくはない。だが、これが中々「普通」になり切れないから戦争の前からも世の中が色々と狂っていたのだと思う。それこそ今斃れた襲撃者も、私たちに対して同じような慮る気持ちがあればこのような結果にはならなかっただろう。国の教育等色々なものはあったかもしれない、生まれ付く場所は選べなかったかもしれない。それでも考えればその後を選べる部分はあるのだから、親を捨てることすら選べるのだから。やはり選択の結果というものだと思う。
「えー……! 守り切れず、申し訳ありません!」
 武装した男性が拡声器を手に叫ぶ。謝罪の後我々を見渡した中で私と目が合った時、一瞬だけ動きが止まった。それは何を思ってのことなのだろうか、こういう勘の弱い私は説明して貰わないとわからないのだが。少し目線を反らすと、負傷者は担架で運ばれ建物の中へ……あの大きな建物の中に医務室みたいなものもあるのだろうから、そういう意味では「一足先に」とは言える。重い一撃を受けてはいたが、肩であり肝心の頭ではなかったので回復すればまた研究の輪に戻ってくるだろう。
「本来であればこのままこちらでの生活を説明し、順次受け持つ研究室に案内させていただく予定でしたが、一旦は医務室で怪我が無いかを確認させていただきます!」
「わかりました!」
 私をはじめ半数ほどのメンバーが返事を重ねる。が、説明をした男性はその中で私にだけもう一度目線を向ける。何を言いたいのか具体的なことまでは分からないが、その原因だけは嫌でもわかる。男性の脇のこれまた武装した男性が、ガイドとして旗を手に持つ。我々はそのガイドに従い、いよいよと建物に入っていく。






 部屋の外から運び込んだソファベッドを、私は研究室の端に空きスペースを作り押し込む。ソファベッドを入れた際に部屋には鍵も掛けたので、もうひと段落である。今日は長かった。酔いやすい私にとってはバスでの長い移動は精神を削るものであったし、その後も襲撃やら負傷確認ついでの健康診断やら説明やらで本当に長かったのだ。
「ふー……。やれやれ……」
 私がバッグから取り出したのは、毛布と、ポケモンのイーブイのぬいぐるみである。長く離れた土地に向かうということで、かさばらない範囲で何匹か連れてきた。ソファベッドに倒れ込むと毛布を首に巻き、イーブイに頬擦りする。どちらも柔らかい感触が張り詰めた気持ちを緩めてくれる。可能なら今まで蒐集してきたぬいぐるみやフィギュア、漫画やゲーム等を全て持って来たかった気持ちはあるが、流石に申請せずとも却下されるだけの量であることはわかるのでやらなかった。ポケモンの等身大ルカリオのぬいぐるみとかを含めると、段ボールどころかプレハブ倉庫が一つ必要になってしまう。それらは故郷の貸倉庫に預かって貰い、ここに連れてきたのは本当に「精鋭」を選んだ格好だ。
「さて」
 イーブイぬいぐるみの中で息を整え、私は顔を上げる。まだ私の荷物を全て開いたわけではないため、目に映るのは鎮座する装置と無数の本棚。まず、部屋の奥に鎮座する機械は、電源が切られているらしく稼働音すらしない。前開きの扉のような形状となっているため、恐らく中に何かを保存するような装置だろうか? その装置が左右に侍らすように並ぶ本棚には、本やファイルがはち切れんばかりに敷き詰められている。私に宛がわれたこの部屋のものを解析するのが割り当てられた仕事で、恐らく他の部屋も同じような感じであろう。背表紙に書かれている文字に私の故郷の言語のものは皆無であることから、理論分析だけでなく翻訳作業も要求されるのが嫌でもわかる。外国語に関しては苦手分野であるため今から頭が痛いが、それでも来ると決めた時点で織り込み済みのことである。今は一旦寝て、気を取り直してから掛かろう。私はイーブイを脇に置き目を閉じることにした。






 数日。私は今、頭を抱えてソファベッドに横になっている。初日に翻訳した手書きのメモに「それら」の記述が見つかり、その時点で早々に絶句させられていた。だがそれはただの趣味みたいないたずら書きの可能性もある以上、他の文書もあたって確認していかなければならない。そして何度も何度も疑問ありと……半ば希望的観測で決めつけてから検証を重ねていった結果、いよいよ言い逃れが出来なくなってきたのだ。
「マジか……」
 私は頭を抱えて一声呻く。延々と巡っている奔流は、いつ頭蓋をぶち破って飛び出してきてもおかしくない。あまりにも重苦しく、たまらずにソファベッドに倒れ込む。二度三度と呼吸を整え、意を決して書類を翻訳したメモを見る。
 接収される前にここで研究していた者たちは、別の世界との接続口を作り出すことに成功したとのこと。様々な環境を調整したそれぞれの世界は、兵器の生産場所とすることになった。とは言っても機械的な工場を造るには資材機材等の問題を抱えることから、戦闘能力の高い生物を半野生の状態で生息させる養殖場とすることになったという。
「何度やっても、翻訳はこれで間違いないな……」
 つい力が入ってしまっているメモを握る手を、腿の上に投げ出す。養殖させる生物の体系を形作るため、世界中の様々な場所からデータを集めるためのハッキングを行なった。そして最終的に繁殖に成功したのは、ゲームフリークという会社から盗み出した架空生物の構想だった。
「見慣れてはいても架空の存在である筈の生き物が襲い掛かってくる……敵国の連中の顔が見ものだ、か」
 どう足掻いてもポケモンとしか考えられない。聞く限りポケモンが戦地に投入されたという話は無いことから、恐らくは準備が整う前に敗戦となったのだろう。が。私はそちらに目を向ける。私の背丈の倍ほどある巨大な扉の脇には、入力するための電子パネルとキーボードが付いている。だがそれだけ巨大な扉であるにもかかわらず、奥行きは私の腕ほどしかない。脇を見ると側面に排気ファン等が付いていることから、何らかの装置であることは想像つく。壁との間に隙間があることから向こうに繋がる扉というわけでもなさそうである。
「そんなことが……」
 私は元来「冒涜」等の考え方は持たない方であるが、そういったことを気にする者であれば火が点いたように叫んでいただろう。そんな私でも、敵国がこのようなものを作り上げてしまっていたことは心底響くものがある。だが。一方で幼い頃から親しんでいた空想上の存在が実体化している、そんな世界が手を伸ばせばすぐの場所にあるというのだ。行きたい。怖い。気持ちが圧し潰されそうになることは今までも多々あったが、こんな欲望と綯い交ぜになった感情は初めてであった。それだけ、私は「ポケモン」に入れ込んでいたのは事実であろうが。
 そう言えば。ゲームフリークにハッキングを掛けた者の話は今回初めて出たわけではない。もう何年も前、戦争が始まる寸前くらいだっただろうか。その輩は何かを作るとかいう目的ではなく、単に面白おかしいものを先に知れたことを自慢したいだけの、虚栄心に奔っただけの愉快犯であった。ここにいた研究者は目的が違うため、知ったものを広めるようなことは無かったであろうが。あの年は他のゲーム企業との訴訟沙汰も起こった。そちらにも色々思うところはあったが、あの段階では何とかいい形に収まって欲しいとも思っていた。そんな中で世界中が戦争に突入していき、どちらの訴訟も有耶無耶になってしまっている。少なくとも私は顛末を聞けてはいないが、果たして……。

 ……。



 見慣れた白い壁。嗚呼、またこの夢か。封印したくてもできないほどに馴染んだ記憶。私の実家だ。
「あんた、このままでいいと思っているの?」
 威圧的に睨みつけて怒鳴る女性。私の母は、夢に出るときは現実よりもずっと巨大な存在である。彼女が死ぬずっと前から、背丈では私の方がずっと大きくなっていたのだが、子供の頃に心に打ちつけられたままの楔のようなものが、彼女を圧倒的で禍々しい存在に膨れ上がらせている。
「『ポケモン』とかのゲームなんて、所詮『逃げ』の世界でしかないんだよ! あんたの将来の何になると思っているの!」
 その母の口から「ポケモン」の単語が出たことで、私の背筋におぞましい嫌悪が駆け巡る。ポケモンをはじめとしたゲームは私にとっては、この母親の難詰の中でも自分を見失わないための僅かな篝火であった。だが母親にとっては、私を堕落へと引きずり込む魔物にしか見えていないのだろう。
「そんなものはいとこの○○くんにあげて、いい加減卒業すればいいじゃない!」
 そしてまたこの言葉だ。私はスイッチを握りしめる。小学生の頃から進級のたびにゲームや漫画に対して「卒業」を要求してきた。私の中では着実に「大人になること」は「奪われること、押し付けられること」というイメージが形成されていた。手の中にあるゲームの機種は年を経るごとに変化しているが、母親が「卒業」を要求して引き剥がそうとするのだけは一貫して変わらない。こうして楽しみから引き剥がされて、結婚子育てと欲しくもないものを「年相応」の名目で押し付けられて人生を食い荒らされ尽くす。そんな未来を見た時に、言われている「勉強して進学し将来を拓く」ことがあまりに虚しく感じて手を付けられなくなってしまっていた。
「いい年して結婚もせずに遊んでいるような、ああいうオタクみたいなのが気持ち悪いと思わないの? ああいう風になっていいと思っているの?」
 正直、犯罪とかに手を出してないなら別にいいと思うのは一貫して変わらない。だが、思ったことを口にできたためしは殆どない。この剣幕の母親を前にした瞬間、心臓が縮み上がり僅かな反応すらできなくなる。正直、PTSDなんじゃないかと思う。もうこの最悪の悪夢から覚めるのを待つほかない。
『その辺にして貰おうか』
 刹那、空間を覆う轟音のような声が響き渡る。母親の影が霞み、私を縛り付ける空気も一気に緩む。これは……いつもの夢がこんな展開になったことは無い。なおも輪郭を取り戻そうとする母親に対し、一つの影が飛び掛かっていく。
「い、イーブイ?」
 更に崩れかかった母親の影。イーブイは体当たりから着地すると、こちらを振り向き笑みを見せる。その直後には、母親の残った影が閃光と炎に包まれる。
「ピカチュウに、ヒトカゲ……!」
 二匹は私の脇から一歩前に出る。その後にも次々とポケモンたちが母親の影に襲い掛かり、気が付いた時には完全に霧消していた。なおも母親の残渣は何かを伝えようとしているが……。
『この者があなたを見る目は既に子供のものではない。死すらもたらしかねない恐怖の存在を見る目だ』
 再び重厚な声が響く。母親の残渣からはなおも未練のようなものが感じられたが、それでももう夢の中で具現化する力も残っていなかったようで。それが諦めたように完全に消えると、夢の世界自体がどこか薄らと明るくなる。気持ちの重みが抜けた私は、一息ついてその重厚な声の方を振り返ると。
「ルギア?」
 こちらを見下ろす銀色の巨体は、しかし母親のような禍々しさは無かった。かと言って歓迎するでも憐れむでもなく、ただ品定めでもしている程度の目線であった。当然、それは母親からの威圧に比べればずっと気楽なものであるが。
『まったく……あの者は既に死んでいるのだ。あとはお前が忘れ去ればもうこうして出てくることは無いのだぞ?』
 ルギアは少々呆れた様子だった。母親に対してはあれだけ怯えた様子を見せるのに、同じく圧倒的な存在である筈のルギアの方には寧ろ憧れの目線を向けている。母親とのやり取りをどこまで見れていたかはわからないが、こうして反応に一貫性が無くなるほどのものが積み重なっているのはもう察しているだろう。
「それは……。わかっている。だが、できない」
 ポケモンたちの前で膝をつく。私の腕で抱えられる小さな者もいるのだが、どの者も私たちの世界にいる者とは一線を画す特異な力の持ち主である。首を傾げて寄ってきたイーブイを抱き上げる。柔らかい毛並みが特に首周りを厚く覆っているのだが、その感触が無いことから改めて私が夢の中にいることを気付かされる。
『何故だ?』
「あの母親は、私に大きな傷跡を遺した。だが私ですらマシな方だというのも知っている。もっと凄惨な目に遭い、立ち上がることもできないまま潰れて死んでいく子供が今も生まれている。立ち上がることができた私が声を上げなければ、誰が子供たちのために戦うというのだ!」
 子供を虐待死に至らせ「躾のつもりだった」と言う親の話が取り沙汰されることがある。ただの言い逃れであると思う人は多いと思うが、私はそれが全てではないと思っている。子供であればどうしても未熟な言動をすることがあり、それに対して親は「このような言動をしていたらこの子は将来立場を悪くする」と心配する場面はあるだろう。が、それを教え諭すだけの知力精神力が親の側に欠けていた場合、心配から発狂して……というのが私の母親を思うと目に浮かぶのだ。同様に「将来のため」と言い受験に血道を上げる親がいる。それは口では「将来」と言っているかもしれないが、親自身の虚栄心や老後養って貰う等の打算もあるかもしれない。いずれにしても受験で追い込まれた結果、自ら命を絶ったり廃人状態となる子供たちの話も聞く。或いは私の場合地域柄受験というものと中々縁を持てなかった部分もあるため、場所が違っていれば私の母親も受験を強要していたのかもしれない。
『自らと同じ苦しみを負う者がこれ以上生まれないために、ではあるが……。お前は敢えて苦しみの中に身を置き続けるというのだな?』
「こうしてたまに夢に見る程度、今更大したことではない」
 人生を、命を喪った子供たち。あったかもしれない私自身ではないかと、私の身代わりとなってしまったのではないかと思いそうになってしまう。私自身が子供好きというわけではなく、寧ろ人間よりも動物や目の前にいる異種族の方が好きな帰来はある。態々「子供たち」と思う柄ではないのだが、確かな物はある。
『酔狂なものだな』
「自覚はある」
 復讐だ。ルギアもそれを理解したらしい。私の人生を破壊しかけた元凶に対しては、今もなお御し得ない憎悪が迸っている。既に直接手を下してきた母親は亡いが、私のような者を再生産し続けて止まることのない社会のシステムが存在している。勿論断ち切ろうにもその全体像というのも見えないし、見えたところでどのようにすれば為せるかもわからない。今はただ「やりたいこと」「できること」に身を置いて、その復讐の路に立つ日まで社会の相互関係に在ることの対価を払い生き続けるのだ。そんな御し得ない憎悪を身の中に灯し続ける私に、ポケモンたちは憐れむ目を向けてくる。私は笑みを返す。大丈夫だ。憎悪だけは敢えて残しているが、何だかんだ楽しんで生きているのだ。ルギアは呆れた様子でため息を吐く。そして。
『だが、そんなお前だから良いのかもしれない』
 その言葉の意味を聞こうとした瞬間、声が出なくなった。世界が崩れ始める。どうやら目を覚まし、夢が終わってしまうらしい。待ってくれ。何が私だから良いのか、その言葉の意味だけでも教えて欲しい……。そんな声を出すこともできないままに、悪夢は崩壊していった。






「っ!」
 目を開けると。そうだ、私は異郷の研究所に来ていたのだった。研究内容は……瞬く間に現実が戻ってくる。まだ開き切っていない目を擦ると、手が涙で濡れていた。夢の中で、私はまた泣いていたらしい。鍵部屋の中のため、うなされているのを誰かに聞かれている心配は無いだろうが。蠢く頭を治める中視界が戻ってくると……。
「さっきの……!」
 イーブイ、ピカチュウ、ヒトカゲ……。私が持ち込み並べていたぬいぐるみのポケモンたちは、先程の悪夢の中で私を助けてくれた。ただ唯一、ルギアだけはいない。その意味は……。私は研究室の奥の「扉」に目をやる。
「行くしかないようだな……」
 いつかはする決断である。この「扉」の向こうにいるのは紛い物かもしれない。似て非なるものかもしれない。だがどれだけ躊躇う理由を重ねたところで「私が行かない」ことを選択をする理由にはならないし、寧ろこの目で確認しなければならない理由にすらなっている。私は起き上がり、初日に翻訳したメモを手に取る。
「パスワードと……このIDは行き先の方だな?」
 電源を入れると「扉」はすぐに起動した。電子パネルにはメモに書かれていたIDが既に入力済みの状態となっていた。パスワードの欄の方は空欄になっており、桁数はとんでもなく多かった。軽率なのか慎重なのかわからなくなりそうな管理であるが、若干手が震えて間違いそうになっている私が言えた立場ではないだろう。なんとか入力しきると。
「……」
 稼働音に重みが増し、辺りの空気が激しく震える。やがて「扉」の隙間から漏れる光は強まっていき、ゆっくりと開いていく。向こう側は光が強く視認できないが、横から隙間を覗くと存在しているはずの壁を感じない。右手で脈が加速していく胸を押さえ、左手をかざして手探りの格好で私は「扉」の向こうへと進んでいく。






「ルギア……」
 これが夢の答えだと言わんばかりに佇む伝説のポケモン。私の声に気付きルギアの方もこちらを向く。薄暗い洞窟の中ではこの銀色の肌はより印象深い色調である。ポケモンたちの中でも圧倒的な力を持つルギアが、私の夢の中に入り込み呼びかけてきた……そう思いそうになった瞬間、私は何かの違和感を抱く。
「いらっしゃいましたね」
 その声は柔らかく、包容力のある雰囲気であった。夢の中に出てきたルギアは重厚で圧倒的な雰囲気であったのだが、こちらは正反対である。或いは別個体のルギアがいるのかもしれないが、少なくとも夢の中に出てきたのは彼女ではない。よく見ると目つき等がどこか違っており、私ではなくもっと勘の鋭い人であれば一発で違うと感じるだろう。
「ああ。私は……」
 ふと、名乗りに困る。単に名前を言えばいいのかもしれないが、それだけでは別の世界から来たことを形容できない。かと言って元の世界や故国を言ったところで、こちらに説明できるものではない。そんな困惑する私に対し、ルギアは。
「存じております。あなたたちは『創造主の怨敵』ですね?」
 何を言い出すのだ? 私の心に何やら太い物が突き刺さる。この瞬間にも襲い掛かってきてはいないので問答無用という様子ではないのだが、私と交わる目線は明らかに警戒したものである。
「何を……?」
「あなたの前に来た人間が、あなた方のことを語っていました。彼らが私たちを生み出したこと。あなた方との戦争に敗れ、元の世界を逃げてきたこと。次に現れた者は私たちにとって『創造主の怨敵』であると」
 警戒を忘れていた私自身を後悔した。曲がりなりにも彼女たちは、元来であれば私たちを殺すために作られた兵器であった。その中でも特に圧倒的な力を持つ者であれば、私たちの「敵」であった彼らとも接触していることは想定しておくべきであった。夢に浮かれてしまうとは。
 私は銃のホルダーに手を伸ばす。まだ襲い掛かってくる素振りは見られないが、少しでもそれが見られたら。撃たなければならない。これからの問答次第なのかもしれないが、撃たなければならない。先日の襲撃者のように、撃たなければならない。ルギアを? ポケモンを?
「くっ……!」
 しばし震えた後、私の手は力なく垂れる。銃のホルダーは、カバーも開けられなかった。何かが入り込んでいるような感覚も無いため、ルギアが力で抑え込んでいるとも思えない。だというのに私の手が言うことを聞かない。同じ人間を撃った私が、人間ではないルギアを撃てないのか?
「いかがなさいました?」
 ルギアはなおも警戒はしたままであるが、何もしないうちに戦意を失ってしまっていた私の様子には気付いたのであろう。だが、そう訊かれても私自身が今の私の中で起こっていることを説明できないのだ。とにかく、何故なのかを把握しなければいけない。
「いや。あなたたちも、彼らに生み出されることを望んだわけではないだろうから」
 慌てて出した答え。私は自身でも何を言っているのかと思う部分もあったが、実際これはその通りではある。誰に生み出されるか、どこに生まれるか。それを選べるなら私の人生は全く違ったものになっていただろう。同じことを理解し、私は彼女を撃つことを逡巡したのだ。そのような答えに行き着いた瞬間。
「違いますね?」
「な、何を!」
「あなた自身の、もっと深いところに何かが響いていた。だからあなたは、その攻撃のための道具を使用する手が止まってしまったのです」
 そうか。どこまでも単純だったのだ。私は、生きたポケモンを撃てない。人間を撃ったというのに、ポケモンを撃てないのだ。腕どころか膝からも力が抜け、崩れ落ちていた。またしても泣いてしまうか。
 そこからはもう自棄であった。親の愛情の暴走で「将来」の美名の下に「努力」を押し付けられ、無数の苦痛を与えられてきたこと。その中で気持ちの拠り所として求めた楽しみの中でも「ポケモン」は主要な存在であったこと。親はそこからも引き剥がし「将来」を押し付けようとしたので、私は私自身を守るために逃亡生活を送ったこと。その「ポケモン」にはルギアを含め様々な種族が登場しており、私の祖国と戦った敵国はそれをモデルにルギアたちを生物兵器として作り上げたこと。深く帰依していた存在を前にした憧憬と、それを敵国が兵器として作り上げた現実への苦悩。こちらの世界にどれほどの概念が存在しているかなどもう考えない。説明の前後関係など考えられない。ただ感情の中で出てきたものを、捲し立てるように吐露していった。
 ルギアは途中途中疑問を浮かべる様子は見せていたような気はするが、結局口を挟まず最後まで聞いてくれた。私も言えることを吐き切り、気力が尽きた後はお互い黙り切ってしまう。しばし後に。
「わからないこともだいぶ多いですが、あなたのことは時間を掛けて理解していくことにします。あとは……よろしければなのですが、その道具を見せてもらえませんか?」
 ルギアは銃への興味を示す。先程彼女はこれを「攻撃のための道具」と表現しており、ここから銃どころか「武器」という概念も無いのかもしれないという予想が立つ。事がここに至っては、彼女に言われるままに銃を取り出すことに躊躇うほどのことは無い。だが、ふと私の脳裏に沸いた物がある。
「構わない。ただ、代わりに……」
「代わり、ですか?」
「ああ。その……あなたを、触らせてもらえないだろうか?」
 正直、自分でもとんでもないことを要求してしまったのは分かっている。印象から私の中ではルギアのことは「彼女」という感覚で形容しているが、実際のところその辺は確認していない。確かゲーム上では性別が存在しなかった種族ではあるが、伝説ポケモンだと例えばザシアンのように性別確認できる記述があるにも拘らず無い扱いとなっている種族もいる。そのため伝説のポケモンの場合性別はあったとしても、それが作用する状況が無いから無性別として表記されているだけではないか、という見解を抱いたことはあるわけだが。
「まあ……いいでしょう」
「申し訳ない」
 正直なところ、別段変な欲を抱いたわけではないと自分を信じている。夢の中でイーブイを抱えた時は、その感触が無かった。私の脳に「現実」として刷り込むために感触を確認しないといけない、それだけなのだ。私はホルダーのカバーを開けて銃を取り出すと、ルギアが差し出した手に渡し、その脇を抜けて腿の方へ。体格差から、私の顔は大体腰から脇腹くらいの位置だろうかと思った瞬間。
「あの……」
 腿に手を伸ばそうとした私にルギアが制止を掛けてきた。私は怪訝にルギアの顔を見上げると、ルギアは私と目線を合わせてから銃を渡した手の方を示す。ああ、これまたやってしまったか。どうやら銃を渡した後そのままその手に触れてもいい程度の意思で、腿や脇腹に触れるような深いスキンシップになるつもりではなかったらしい。
「ああ……失礼した」
 決して邪な気持ちがあったわけではないので、私も流石に手を引っ込める。勿論感触の確認という意味ではより中心に近い方が良いような気はするので、手先よりはそちらの方が良いという意味では少々残念ではあるが。だが流石に出会ったばかりでいきなり脇腹にハグなどこちらの世界でも失礼なのかもしれないと思うと、いくら残念に思っても仕方がないだろう。そんな風に思った一瞬。
「……。仕方ないですね」
 私は背中から何かに突き飛ばされる。両手とも特に動かした様子が無く、それがルギアの念力の類であると気付いた時には私の顔はルギアの脇腹に入り込んでいた。まず、温かい。それは生き物として持っている当然のぬくもりであった。そして柔らかく、なめらか。肉体的な接触は人間含めてもいつ以来であっただろうか。滑らかな鱗肌は、過去に触れてきた犬などの動物とはまた違った良さを持つ。どこか潮のような香りがあるのは、ルギアが「海の神様」と呼ばれる所以であろうか。折角ルギアが許してくれたのだから、もっと遠慮なく触れていこうか。そう思った瞬間。
「この道具は、恐らく同じようなものですね」
 銃を眺めていたルギアは、こちらを見下ろし声を掛けてくる。どうやら話に移るらしいので、私も顔を離す。少々名残惜しいが、あくまでも目的は確認なのだから仕方ない。ルギアはその手で眼前に寄せて眺めていた銃から目を逸らし、洞窟の奥を向くと。そこから何かが淡い光を纏いゆっくりと私の前に飛んできた。
「私たちの言う『創造主』が持ってきたものです。恐らくは同じ使い方をする道具なのですよね?」
 ルギアがそういった瞬間に光が消えると、それは形すら保てず崩れ落ちる。金属片が散らばる音がひとしきり響く。私は疑問に頭を支配されながらも、散らばった金属片に手を伸ばす。
「これが、同じ……?」
 ルギアの言葉には当惑するばかりであったが、よく見ると残っている中でも一しきり大きい物は確かに砲身の形をしている。よく見ると焼け爛れており、僅かながら血が付いているのも確認できる。何かがあって粉砕されたのは見て取れるが……。
「『創造主』は、こちらの世界で最期を遂げました」
 今度はルギアが説明をする番となった。なんでも祖国が敗れた『創造主』は、国の再興軍を結成すべくこの世界の者たちで兵を募ることにしたのである。拒む者を無理やり連れて行くのでなければ、ルギア自身はそこまで気に留める必要も無いと思いつつその様子を眺めていたのだ。ところが募兵のために歩いていた最中、この世界の逸れ者に襲われたので、この銃を取り出した。そして銃口を向けて引き金を引いた瞬間、苛烈な爆発が次々と起こった。銃もこのように原形をとどめない形となり、同時に『創造主』も爆風と飛んできた無数の破片で見るも無残な姿となり即死したのだという。砲身から弾が一個だけ飛び出したためにどういう攻撃をする物なのかはルギアも把握はしたが。弾の方は爆発の煽りで照準が外れ、逸れ者に当たることなく飛んで行ったとのこと。ルギア自身も銃という物をましてや仕組みまで知っているとは思えないので、これはルギアの言葉からの私の意訳ではあるが。
「……案外、こちらと向こうとで、物性も若干違うのかもしれないのか」
 ルギアの話から想像するに、引き金を引いた際の弾薬の破裂は、私たちが元居た世界など比にならないような強烈なものだったのだ。私たちの世界であれば通常は射撃時に弾倉が砕けるような爆発力を出すわけではないのだが、こちらの世界ではそうもいかなかった。それは連射できるように込めていた残りの弾の弾薬にも次々と点火し、あとはもう爆発の連鎖が止まらなかったのだろう。私の呼吸の方は今のところ問題は無いが、物によっては異なる物性を示すことがあるというのはわかった。
「私はあなたを撃てなかった。だが、もし引き金を引いて撃とうとしていたら、同じ結果になる可能性が高かったわけか」
「恐らくは」
 一通り眺めて満足したらしく、ルギアは私の手元に銃を返してくる。こんな話を聞いた後だと更に複雑な気持ちとなってしまうが、ひとまず受け取りホルダーにしまう。気は重いが、一通りやることは済んだだろうか?
「何はともあれ、あなたが私たちに敵意が無いのはよくわかりました。折角ですし、一緒に外出しませんか?」
 ルギアは洞窟の奥に目線を向けると。その「洞窟の奥」だと思っていた岩盤がいきなり動き、光が飛び込んできた。どうやら岩か何かで塞いでいた入り口を念力の類で動かしたらしい。やはり超常的である。
「まあ……そうしますか」
 私は一度「扉」の方を振り返る。研究室内では翻訳のためのメモは大量に書き、それは「整理した」とは言ってもあくまでも「私が見るため」の段階である。流石にそうすぐに合鍵で入ってこられることは無いであろうが、もし入ってこられたら中を見た者は色々と困惑したままどうしようもなくなるだろう。謎の機械が稼働している中、肝心の私の姿が無いのだから。まあ、いくらルギアと話し込んでしまったとは言っても、まだそんなに時間は経ってない。朝食の時間には顔を出せるようにルギアに声を掛ければいいかと、私は一歩前に出た。






 洞窟から出ると、木々の間を踏み分けただけであろう申し訳程度の道が続いていた。ただ全く何も作っていないというわけでもなく、いくつか鎮座する岩や大木には縄飾りが付けられている。印象としては注連縄が近いような気はするが、どこか違うような感じもするのはこちらもこちらで独自の発展をしてきた部分があるからだろうか。そんなことを少し思っている間に、湖の前に着いた。しかもただ湖岸という感じではなく、簡素で原始的ではあるが建物がいくつも並んでいる場所であった。この世界にも既に集落くらいはあるらしい。
「~!」
 物陰から声を掛けられる。そちらを向くと、ピカチュウが歩み出てきた。ルギアの方を見た後は鼻先をひくつかせ、私の方の様子を窺っている。
「~~~」
「~~~!」
 それに対しルギアも何やら答えたが、それは鳴き声なのか何かの言語なのかは私にはまだわからない。そんなやり取りを脇で見ている間に、他にも次々とポケモンたちが出てくる。ルギアはここでは重要な存在らしく、多くのポケモンたちから声を掛けられていた。その流れから外れるように、ピカチュウの他にイーブイやヒトカゲも私の前に寄ってきた。ルギアは私のことは説明してくれているであろうか。
「えー……と。私の言葉は、わかるか?」
 私は膝をついて屈んで、三匹に声を掛ける。するとイーブイが更に数歩寄ってきた。今度は「現実」で抱き上げさせてくれるのだろうかと思い、手を伸ばしてみると。
「っ!」
「うわっ!」
 イーブイは星形の欠片のようなものを飛ばしてきた。恐らくスピードスターという技だろう。いきなりでちょっと痛い。
「♪」
「~っ!」
 私の驚いた様子に満足げに笑い転げるイーブイ。それに対してピカチュウは何やら怒鳴りつけている。ヒトカゲも頭を抱えため息を吐いている。イーブイの方は日頃から少々悪ふざけが過ぎる性格なのかもしれないが、ピカチュウやヒトカゲのこの反応を見る限り感覚的な部分は私たちとそこまで大きくは異ならないだろうか? そんなことを考えていると。
「そろそろですね。これを聴きに来たのです」
 ルギアが声を掛けてきて、目線で湖の方を示す。ピカチュウたちも待ってましたとばかりにそちらに目を向ける。何か始まるのだろうかと思ってそちらを見ると、ラプラスが顔を出しゆっくりと浮上してきた。そして私を含め周りのポケモンたちの様子を確認すると軽く息を吸い。
「♪~」
 歌い始めた。ゆったりと伸びる優しげな高音の旋律。滴る水の音は、まるで拍子をとる打楽器のようにラプラスの声に調和している。歌詞を乗せているのかまではわからないが、透明感のある水底の世界を思わせるようであり。
 ……。
 ラプラスがひとしきり歌い終えると、暫しの静寂の後にポケモンたちがそれぞれに満足げな声を漏らす。生憎と私には音楽の専門的な知識は無く、分析のようなことはできないが。それでも聞き入ってしまったのは間違いない。流石にもう少ししたら帰る時間になるが、研究作業に疲れたらまた聞きに来ようか。そんなことを考えている間、ラプラスも悦に浸るポケモンたちを順々に眺めていき。見慣れない存在である私の姿があるのを見て、ルギアに目線を送る。そこから少し会話をしているように見えた。すぐにルギアがこちらに目を向け手招きしてきたので向かっていく。ピカチュウとヒトカゲも私に興味があるのかついてくる。
「彼方から来た客で、我々と友好的に接してくれるだろうからよしなにしてくれと説明しました」
「それはありがたい」
 ポケモンたちが私を見る目は物珍しさを感じている風であった。まあ、恐らくはこの世界に「ニンゲン」という種族がいないというのもあるのだろうが。それでも警戒心敵対心を抱く目線が無いのは、間違いなくルギアのお陰である。このまま私たちの世界と友好的な関係を築いてくれるのであればこちらとしても得る物は……などという建前は捨てよう。単純に嬉しい。それだけで十分だ。
 何はともあれ。私はポケモンたちに囲まれ大注目だ。だが生憎と彼らに通じる言語は恐らく喋れない。何かしらはできないものかとも思うが、言葉が通じないとどうしようもない。何か糸口が無いものかと、ピカチュウやヒトカゲ、イーブイが帰っていった方などを順に眺めていき。やがてラプラスともう一度目線が合うと。
 そうだ、歌だ。私は息を吸うと。

まだ夢の途中 この先は見えない
本当は 怖いんだよ
大切な仲間 大切な時間
過ぎてって 消えちゃいそう
ずっとずっと先の 夢の終点に
行けるかな いつかは
これからもずっと 君と笑ってたい

 未来コネクション。アニメのポケモンの主題歌になっていた曲で、歌詞をひと目見た瞬間に私は衝撃を受けた。私は親から逃げるために、本当に歌詞の通りに独りぼっちで世界に迷い込んだ。まさに燻った心カバンに詰め込んで、何か変えたいって無我夢中で。そして。このフレーズはまさに今この瞬間と重なっている。これだけの事態に直面した今、これからも何があるかわからず怖くなる部分は間違いなくある。だが、何があったところで、ポケモンたちと、君たちと笑っていれるならそれは私の救いになるから。
「私の歌、どうだったでしょうか?」
 親元から逃げ出した後は、私は気ままに色々なことに手を出すことができるようになった。とはいえ、親に起因するにしても精神は色々と人から外れてしまっていたため、行く先々で迷惑をかけていたのは自覚しているが。それでも反省を重ねながら色々なことを楽しんできた。歌もその一つであり、自信がある、までは言えないまでもそれなりのところまではきているだろうと思っていた。
「~♪」
 ラプラスに目を向けると、何やら嬉しそうに一声上げる。茶化すように訊いてみたが、まずまずだっただろうか? そんな風に思った次の瞬間、ラプラスは私の歌を真似て旋律を流し始める。流石に歌詞に関しては言語の壁があるので真似られていないが、旋律の方は……ところどころ間違ってる!
「あー……私もまだまだだな」
 先程ラプラスは歌に関しては十二分に示してくれた。恐らくは私の歌は完璧にコピーしているだろう。そうなるとコピー元である私の方が間違っていたということになる。ラプラスの歌を聴いた後の私の表情に、ポケモンたちは怪訝な様子を見せていた。何か不満なのかと。なのでルギアを通じて説明し、何とか納得して貰えた。少々笑われた様子も見受けられたが。
「さて……。流石に時間かな?」
「帰られるのですか?」
「ああ、一旦は。まあすぐ来れるから、これからはちょくちょく遊びに来ようと思う」
「ええ。来てください」
 色々とあったが、ルギアをはじめとしてある程度好感はもって貰えたようである。最後の歌に関してはちょっと渋い気持ちはあるが、或いは結果的には良かったのかもしれない。何はともあれ、まずは戻って説明しないといけない。そのことが頭によぎった瞬間。
「折角だし、君たちがこのまま私たちの世界に来てみるか?」
 私はピカチュウとヒトカゲに語り掛ける。これに関しては、正直打算である。論より証拠というやつで、実在しなかったはずの架空の生物を実際に連れて来て見せることは、どんな説明よりも手っ取り早いからだ。私が膝をつき手を広げると、ある程度のことは悟ってくれたのか、二匹とも私の腕に入ってきてくれた。生き物らしい重みはあるが、小柄な種族であるためよろけたりするようなものではない。あとは帰りの道中、どこに向かうのかはルギアが説明してくれるであろう。






 私は来る時とは逆方向に「扉」の光の中を通る。来た時との違いは、両腕の中にピカチュウとヒトカゲがいること。光の中を抜けると、早くも見慣れた研究室が広がり。
「ああ! 戻ってきた!」
「いや、入って来てたんですか!」
 私と同じ研究者の一人が、安堵とも当惑ともつかない声で叫ぶ。いきなりのことにピカチュウもヒトカゲも少し驚いた様子である。というか私も正直不満である。いくら「扉」の稼働音がうるさいとは言っても、それはこの部屋の中にいるからである。研究を行う関係上防音防振がしっかりした造りとなっている壁や床なのだから、ほんの数時間で合鍵を使ってまで入ってこられるのは……。
「『いや』じゃないですよ! 三日間も食事にすら出て来ないのでは、流石に入ってきますよ!」
「だからって……三日?」
 三日と言ったか? え? マジか? 確かにルギアと話し込んだり色々してはいたが、それでも半日だって経っていない筈だ。これはまさか、しでかしたのだろうか?
「ええ。それで我々が入って来てからも、既に半日は経っていますからね!」
「マジですか……?」
 冷汗が噴き出すのを感じる。迂闊であった。これはひょっとしなくとも、こちらと向こうで時間の流れが違うのだろう。そんな可能性は思い浮かべもしなかった。つまり私は三日もの間誰にも報告も無く姿を消し、流石に何事かあったのではないかと合鍵で部屋に入った人は、否が応でもよくわからない機械が動いていることを見せ付けられる。流石に半日もあれば私が書き散らした翻訳のメモもある程度は読めているはずではあるが、明確な置手紙すら無い以上下手な手出しはできない。動かした機械で何か事故があったのかもしれないと考えるのも当然の範疇であり、考え無しに「扉」の光の中に入ることなどできない。そういう状況が私の思考に一気に流れ込んでくる。というかこの失念だと三日で済んだのが幸いですらあろう。それこそ何かの童話のように帰って来てみたら何百年も過ぎていたとかあっては絶望しか無い。
「まったく……。というか、ピカチュウ? 本物?」
 そんな私の戦慄をよそに、私が腕に抱えた生物に言及してくれた。まあ、流石にピカチュウは知っているか。世界的に有名なコンテンツとなっている「ポケモン」は、ゲームのみならずアニメや玩具等様々な形で世に出ている。そのため私のように全てのポケモンが頭に入っているようなファンならずとも、ポケモンの中でも特に知名度の高いピカチュウは見ればわかる人は多い。そしてそちらに話題を向けて貰えたのであれば、正直私としても助かる限りである。
「ええ。一先ずはゲームフリークという会社に連絡を。あと、言語学者と獣医もお願いします」
 必要になりそうな連絡先を頭の中に浮かべ、話を進めることができた。それだけで少し気持ちを紛らわせることができる。まずはゲームフリーク。この件に関しては社内の開発情報をハッキングされた上、構想されたポケモンたちを無断で生み出された最大の被害者である。そちらには急ぎ連絡を取らないといけない。そしてここまでのやり取りで何となくピカチュウたちにも言語らしきものがある可能性は見て取れたので、そちらの翻訳ができれば意思疎通の利便性が大幅に向上するだろう。あと忘れてはならないのが獣医だ。こちらの世界に来たことによる環境の違いで、ピカチュウやヒトカゲが体調を崩さないとも限らない。人間と違い発見個体数が少ないような動物も診察する必要に迫られることがある獣医は、二匹を元気なまま帰さないといけない状況では不可欠である。もしこちらに来たことが原因でどちらかでも命を落とす結果になってしまえば、どこかの孤島に住む民族のように友好関係を築けない状態に陥らせてしまう。それは防がないといけない。そんなことを説明しようとしたのだが。
「この……! 呼びますけど、それよりも会議ですからね!」
「会議……」
 誤魔化せなかったか。名目上は「会議」だが、間違いなく糾弾と懲罰が待っているものである。苦い表情する私に構わず、彼は苛立った足音を立てて部屋から出ていく。ピカチュウもヒトカゲもこの様相には当惑するばかりと見える。






 数日後。私は会議に掛けられていた。隣には、まずピカチュウとヒトカゲ。あの後は少し研究施設内を散歩させた後一旦帰し、今日また来てもらった。二匹は状況をどこまで理解しているかはわからない。一応向こうに帰す際にルギアを通じて説明はして貰ったが、今は呑気にナッツを齧っている。次に逆隣にゲームフリークの社長。少し前に交代で就任したばかりの若き社長である。世界中が巻き込まれた戦争の後であるため、ゲームフリークも例外ではなく相応の煽りは受けている。とは言え何か悪いことがあったとかそういう理由ではなく、世代交代の中で就任したばかりの新社長である。スケジュール的にこの研究施設に来れるのが今日だったので、この会議も今日になった。恐らく僅か数日のうちに動ける日があったのは相当運が良いことだとは思う。ピカチュウとヒトカゲの様子を見ている言語学者と獣医もいる。ここまでは私としてはありがたい状況であるのだが。
 私と向かい合う席には、研究施設で責任を負う幹部の人たち。権威とか威厳とかそういうのを気にする方ではない私だが、如何せんしでかしがしでかしである。今回の始末書を、私とやり取りの多い研究者数人に質問しながら読み直していた。非常に気が重い。
「では、時間なので始めようと思います」
 正直、この瞬間にもピカチュウとヒトカゲを連れて逃げ出したい気分ではあるが。初日の襲撃者の件を思うと、外は尚更に危険である。結局この心苦しさを甘受するのが一番安全なのであった。
「まず、君の行状について。三日間もの間、何の連絡もなく行方をくらませてしまった」
「本当に申し訳ありません」
 これに関しては平謝りするしかない。向こうの世界と時間の流れが違う点は、失念していてもある程度仕方ないことではあるが、研究中の事故というのも想定しなければならないし、外が例によっての状況なので侵入者等も考えないといけなかっただろう。いや、腹の底から申し訳なかったと思っている。
「当の君自身は行った先で出会った超常的な生物に泣きつき、その後は感触を堪能し」
「待ってください! それは誰が報告したものですか!」
 この話はそこら構わず話したものではない。いくら対面とかを気にしない私であっても、流石に泣いてしまった話は必要も無いこともあり態々報告書には書かなかった。だが。先程まで幹部たちに質問をされていた研究者たちは、当惑する私の表情を見てにやけている。このことを知るのはルギアと、帰って来てから詳しいことを話した彼らだけである。そんな彼らは、これが罰であると言わんばかりだ。正直私刑の気がするが。
「その後は三日三晩歌って踊って遊び明かした」
「踊ってはいないって言うか、誇張にしても酷くないですかそれ!」
 少なくともここは「歌って」しか合ってない。私の側では時間の流れが違ってた以上、ここまでの言われようは流石に反論しないといけない。というか私の側の始末書も読んでいるはずなので、ちょっとこの辺は幹部も本気では言っていない様子である。私の立場的には多少マシなのだが、これはこれで腹立たしい。
「この懲罰は追って伝えます」
「流石に今読み上げたことそのままの前提にはしないで下さいよ!」
 何だか思っていたのとは違うろくでもない形になっているのは分かった。幹部たちも少々にやついており、これは案外そこまで厳しい処罰にはならないのではないかと感じる。とは言えそうだとしても腹立たしいことには変わりないが。ゲームフリークの社長もこれには吹き出している。
「それで、ここからが本題です。ゲームフリークの社長さん、そちらの生き物ですが……」
「はい。紛れもなく『ポケモン』の、ピカチュウとヒトカゲで間違いありません。また、ハッキングについても極秘事項にはしていたのですが、形跡は確認していました」
 顧客情報等の社外の人間に迷惑を掛けるものではないからとかだろうか。いずれにしてもハッキングした連中も恐ろしいが、その形跡を既に確認しているというのもそちらも恐ろしい話である。ただ、かつてことを起こした別のハッキング犯は、開発情報をリークする愉快犯的な行動で終わっていた。今回もその類だと踏んで、リークするのを待って相手の情報を特定するつもりでいたのだろう。いずれにしても私企業の社長であり警察権は無いため、この辺は待つしかない部分もあるのだろうか。
「そうですか。では、ゲームフリークさんとしてはどのような対応をご希望でしょうか?」
「はい。我々としては、その別の世界との接続を行なう『扉』を我々の管理に移譲して下さるのが理想ですね」
「なるほど。確かにあの『扉』の管理権を得られれば、相応の利があるのは間違いないでしょうね」
「それもありますが。私たちの与り知らない所で行われた勝手な開発とは言え、既に生物として生み出された彼らには何の罪も無いわけですからね」
「なるほど。彼ら自身に対しては穏当な対応をして欲しいということですね?」
「はい。管理に関しては、発見者である皆さんが加わっていただくという形であれば文句はありません」
 これに関しては、ゲームフリーク社内でも相当の議論があっただろう。研究施設やその上の国際機関側としては「処分」も検討する手段に入っているのは恐らく確実である。ゲームフリークとしては、流石にそこまではして欲しくないということで、議論に議論を重ねた末の結論であろう。後ろにそれだけの議論が存在しているのも、今この場においては言葉は一字一句まで選んでいるというのも、どちらも同じだろう。ただ、最大の問題は。
「お気持ちの方は察して余りあります。ただここにいる彼らは、既に滅んだこの国が『生物兵器』としての目論見で開発したことは事実として動かせません。平和で純粋なファンタジーの世界の生物とはわけが違うのです」
 即座に私の脳裏に「エアプ」の単語が浮かんだ。ゲームをプレイしない人が見る「ポケモン」は、玩具等で見られるファンシーで愛くるしい姿が主である。ただ少しでもゲームをやってみると、そこには中々に重苦しい描写が点在しているのは嫌でもわかる。初代から最近の作品まで、たとえどんなに明るい雰囲気を出しつつも、一歩踏み込めば死をはじめとした重い描写があるのは見せつけられる。何よりも単にファンシーで愛くるしいだけの生物では、たとえ生み出したところで世界を構築するなど不可能である。
「仰ることは重々承知しています」
「我々として最も恐れなければならないことは、彼らが『扉』を逆用してこの世界に侵入し、人類に攻撃を仕掛けることなのです」
 わかっている。この「扉」は凶なる境なのかもしれない。人類として国際機関として、人類のことを第一に考えなければいけないのは仕方ないことなのだ。それはわかっていることだ。ただ、私は。私は、人類としては失格かもしれない。だが、ルギアとの邂逅を通じて見せ付けられたものが答えである。
「だからこそ、管理が大事なのではありませんか?」
 私は口を開く。この場で中心に立つべきなのは、間違いなく私ではない。それはわかっているが。押さえようとしても押さえきれない強い語気の声が、私の口から飛び出ていた。
「それは、君の意見かな?」
「これもまた申し訳ありません。ただ、どんなに世界のフェーズが変わったところで、やらなければならないことには一定の普遍性というのはあります」
「普遍性と?」
「はい。相手と様々な形で意思疎通を重ね、立場等の違いを共有していき、利害を擦り合わせていく。一般庶民であっても行うことである一方で、人類という大きな単位になると凄惨な失敗も数多く繰り返してきたことです」
「大きなことを言うね」
「そもそも状況が大きいですから」
「まあ、そうですがね。君はその言葉に責任を取れますか?」
「取れません。事は既に誰かが責任を取れるような状況じゃないのです。それはどんな選択をしたところで同じです。そして、そういう状況だからやらなければならないことがあるんです」
 それは私の「あの選択」と同じである。親元から逃げ出した時、私の目には生活が破綻してからの行き倒れで死んでいく可能性も、しかも小さくない確率で見えていた。それは選択した私自身に対して責任を取れないことである。だが。自分に責任を取れないことを恐れて危険な選択をできなければ、親の手により徐々に「自分」を放棄させられ着実に崩壊していくのだけは間違いなかった。今回の状況と一概にすべてを重ねるのは非常に無理はあるが、それでも「責任」で片付けられない状況があるということを私は知っている。そうしなければ生きることすら叶わなかった、この命に刻み込まれている。
「ふむ……。君の意見は、後でもう少し詳しく聞こうか。ひとまず、一旦休憩としよう」
「はい」
 幹部の提案に、研究者の一人が大きく息を吐く。それを聞き、別の幹部は軽く笑って返し、おもむろに部屋を退出する。他の幹部たちも順に出て行った。隣を見ると、ピカチュウとヒトカゲは会議の内容は全て理解しないまでも何やら警戒している様子を見せていた。仕方の無いことである。






 それから一年が経った。私は故国に戻っていた。そして……。
「よしっ!」
 スパナでナットの締まりを確認する。固定したのは「扉」である。この一年で、世界の戦争の傷跡は幾分かは回復した。私はと言うと、この「扉」の管理者の一人に選ばれることとなった。私は「扉」を故国に持ち帰り、今は研究者ではなく「門番」という立場になっていた。
 初めて「扉」をくぐった時点で、既に何かが始まっていることはとっくに理解していたつもりだった。だが「扉」を使って幾つもの世界を行き来する日々、その先に待っている日々が私の理解を超えていることを見せ付けられるのに、そう時は掛からなかった。だが、私に引き返す道など無かった。

 私の「門番」としての日々は、既に始まってしまったのだから。


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