【最強のルカリオを本気出して書いてみた 第一話 ?】
【最強のルカリオを本気出して書いてみた 第三話 ?】
【最強のルカリオを本気出して書いてみた 第四話 ?】
【最強のルカリオを本気出して書いてみた 最終話 ?】
1
無音の砲声が鳴り響いたことを、少数の者だけが理解していた。
飾り気のなくて動きやすい服を、セレナは好んでいた。
カロスチャンピオン・カルムのライバルともあれば、世の人々の通俗的なイメージとしてそれなりの装いで身を包むのが似合いとされそうなものだが、そのような見方に迎合する必要を彼女は感じない。そもそも、十四歳やそこらの少女である彼女が豪奢なドレスなどを着こんだところで、微笑ましい背伸びにしか見えないという理由も確かにあるのだが。
いかにカロス有数の実力者であろうと、セレナはやはり十四歳の少女だった。
二年前のことを、セレナは思い出す。
旅の最中、彼女たちは幾度もフレア団と相対した。フレア団アジトを攻め落とし、世界を滅ぼそうとする彼らの野望を、たったふたりで食い止めたセレナとカルムは、若きポケモントレーナーとしてカロスに名を馳せた。
ほどなくして、カルムはカロスリーグを制し新たなチャンピオンとなった。同じようにセレナも、旅の終着としてカロスリーグへの挑戦を考えたこともあったが、彼女自身はチャンピオンの立場にさしたる興味はなかった。
四天王やチャンピオン・カルネの実力はセレナも知っていたし、正当に評価してもいる。セレナの腕前ならば、カロスリーグを制覇することもそう非現実的なことではないはずだった。
ポケモンの生体エネルギーを利用した最終兵器。フレア団の計画の要でもあったゼルネアスとイベルタル。そしてメガシンカ。そうした、あまりにも大きな力を持ってしまうことがセレナには怖かったのかもしれない。
三千年前のカロス王AZと、フレア団のボス・フラダリ。力を手にした彼らの行いは、まさしく破滅への暴走でしかない。当時十三歳にもならなかったセレナでさえ、その程度のことは理解できていた。
バカなことだ。わたしにだってわかることが、あの人たちにはどうしてわからなかったのだろう。わたしなんかよりずっと大人で、きっと頭も良くて、いろいろなことを知っていた人たちだったはずなのに。
最終兵器起動の直前、フラダリは泣いていた。自分の行動を必要悪だと考え、彼なりの罪悪感を抱いているふうだった。それでもなお暴走を止められなかった彼の姿は、滑稽であり、哀れでもあった。
力を持つと、人は誰でもそうなってしまうのだろうか。当たり前のことでさえ見えなくなってしまうのだろうか。
カルムも、いずれそんなふうになってしまうのだろうか。
わたしは、そうはならない。
チャンピオンになって、カロス最強のトレーナーだなんて言われたくない。世界中に認められて、力に酔って、たいせつなことがわからなくなってしまうような人間にはならない。
わたしは、ただのセレナでありたい。
それが彼女の結論だった。
カロスチャンピオン・カルムのライバルとまでいわれたセレナ。実力ではまず間違いなくカロス最強と数えられる彼女が、事実の上では無名のポケモントレーナーでしかない最大の理由はそれだった。
だから一年前、新たなカロスチャンピオンが誕生したとき、セレナはそのトレーナーの健闘を祝福すると同時に、すこしばかり落胆してもいた。
新たなカロスチャンピオンは、セレナの幼なじみのリサだった。ポケモン図鑑を持たず、プラターヌ博士からポケモンを譲り受けたわけでもない、正真正銘ただの少女だったリサ。彼女は、血の滲むような努力と知恵によってのみ、カロス最強に上り詰めた。
リサは言っていた。セレナが旅に出てからというもの、あなたはあたしを置いてどんどん遠いところへ行ってしまうみたいだと。「旅に出てるんだから、遠くへいくのは当たり前だよね」なんてリサは冗談めかして笑っていたけれど、彼女の目にあった寂しさは本物だった。
そして、リサは旅に出た。幼なじみとして、セレナのとなりに立ち、同じ風景を見ることができるようになりたいと言って。セレナの姿に憧れるのだと言って。
そうして、たった一年で彼女は本当にカロスチャンピオンになってしまった。セレナやカルムと同等の実力を持つ、最強のトレーナーに。
あたしもセレナたちに負けてられない。そう言って朗らかに笑うリサに、セレナは曖昧に笑うことしかできなかった。
リサがチャンピオンになったこと。それは単純に喜ばしいことだった。それほどまでにして自分を追いかけてきたリサに、わたしもポケモントレーナーの先輩として負けられないと、同じようにセレナも思う。
けれど――
強くなるということ。力を持つということ。それは、人間にとってそれほどまでに重要なことなのだろうか。気がつけば、わたしたちはポケモンバトルに夢中になっている。力をぶつけあい、互いを高めあい、競争することがコミュニケーションの大部分になりつつある。
それでいいのだろうか。
たった十四歳のわたしたちが、カロス最強だなんて言われて、その身に余るほどの力を思うがままにしてしまって……わたしたちは、それでいいのだろうか。
その思いは、ポケモンバトルでリサのルカリオと向かい合ったときにより強固なものとなった。
それは、リサがまだ八つのバッジを集めているときのことだった。旅の途中の彼女と出会ったセレナは、リサがどれだけ腕を上げたのかを見るためにバトルした。
もちろん、手加減はした。得意とする戦法や強力な技は持ち出さず、まだまだ未熟なリサと、彼女のポケモンたちでもじゅうぶん相手にできる程度の実力しか出さなかった。
けれど、あのルカリオだけは、桁が違った。
あらゆる技が素通りしていくかのような無力感。にも関わらず、煌びやかな波導の技がセレナのポケモンたちを撃つ。自分の攻撃が意味をなさず、相手の攻撃のみが威を持つ。それでいて、それらの攻撃は実に的確に破壊力を落とし、致命傷を負うことはない。
それは、セレナがリサにしていたことと同じだった。完全にして絶妙の手加減。
セレナは理解した。自分は、あのルカリオにとって、手加減して然るべき相手なのだと。勝負の体裁をなしているのは、ポケモンバトルという縛りがあるが故。
人智を超えた力を有するポケモンの力を、勝負の領域に引き下げるポケモンバトル。その決闘方法は、ポケモンを縛る以上にルカリオの天才を制限していた。
あのとき、リサはまだルカリオの真の力には気づいていなかっただろう。
リサの作戦とポケモンたちへの指示は常に的確で、仮にミスがあったとしてもそのフォローは織りこみ済みだった。あのとき、彼女はすでに優秀なポケモントレーナーだった。そうして、そのバトルはリサの勝利に終わった。
その勝利は、セレナが手を抜いてくれたからだとリサは言った。全力を出して、やっと手加減したセレナに勝てるくらいなんだもん。あたし、もっと修行しなくちゃ。
――それは違う。
リサが最初からルカリオを出していれば、いかにセレナが本気を出したところで、勝てる見込みなどなかった。ルカリオの力を知っていたなら、リサはあんな言葉を口にすることはなかっただろう。
リサは、ルカリオの天才にいつ気づいただろう。ひょっとすると、ルカリオが願いを伝えるまで気がつかなかいままだったのかもしれない。バトルに出れば、ルカリオはリサの
指示どおりにきちんと動き、リサの求めた展開へ持ちこみ、リサの望む通りの成果をあげていた。また、リサの指揮も実に優秀だった。それ自体はリサの実力であることもある程度は事実だ。彼女は自分のポケモンの能力を過不足なく把握しているし、バトルで勝ち筋を見出すための判断にはおおむね正しかった。だからこそ、バトルにルカリオを繰り出し、勝利しても、それはリサとルカリオの実力だと思っていたかもしれない。
しかし、あのルカリオならばどんなデタラメなトレーナーであってもバトルに負けるなどということはありえないだろう。セレナは生まれて初めて、強大な力というものを肌で知った。
恐ろしいと思った。人間があんな力を持ってしまえば、傲慢になってしまうのも無理からぬことなのかもしれない。その力に誰もが見とれ、敬愛し、従う者が自然に現れるだろう。そうして力に溺れ、道を踏み外そうとも誰もそれに疑問を抱かない。それがフレア団という組織であり、AZの末路でもあった。
リサもルカリオも、人道を外れるようなものごとに興味を持つような性質ではなかったことが幸いだった。
リサはカロス最強のポケモントレーナーだ。そしてそれ以上に、あのルカリオは格の違う天才だ。
今、その天才が生涯の最期を迎えつつあり、ひとつの望みをあらわにしている。
恐ろしいと思った。
しかし、とセレナは同時に思う。
だったらわたしは、リサの幼馴染みとして、誇りあるひとりのポケモントレーナーとして、その想いに正面から答えなければならない。
大きな力を恐れるもうひとりの自分が、セレナへ囁く。それはまさしく破滅への暴走だと。あの怪物に勝てる者なんてこの世にいない。あれに限っては殺し合いという言葉すらなく、片殺しにしかならない。
だけど、それがなんだっていうのよ。
強者に挑むのはトレーナーの嗜み。
友達に応えるのはわたしの誇り。
いったいなんの不都合があるのだろう。
カロスチャンピオン・カルムのライバルとまでいわれたセレナ。
わたしだって、カロス最強のポケモントレーナーなんだから。
そしてその思いは、愛すべき友人たちにとっても同じことだった。
「ぼくたちも、いっしょに戦うよ」
囁くような声で、ホロキャスターに映るティエルノはそう言った。そのとなりにいるトロバも、しっかりと頷く。
セレナは苦笑した。
「ついてきたら絶交――って言ってもダメ?」
「当然です」と、トロバは言った。「セレナとリサが幼なじみだって言うなら、ぼくたちとセレナだって幼なじみですから」
「リサともなんだかんだで長い付き合いだしね」
すました面持ちのトロバとは対照的に、ティエルノは朗らかですらある。ふたりとも、カロス中をともに旅した仲間だ。これほど心強い味方はいない。
「本当なら、一対一で戦うのが筋なんだろうけどね……」
ティエルノは肩を竦める。そう、ふたりの気持ちはこの上なく嬉しいが、それがセレナにとっても不満でもあった。
けれど、「それは無理よ」と、セレナは言った。
適当に手を抜かれて、死なない程度に返り討ちにされるだけだろう。つまり、今までと変わらない。一対一のポケモンバトルでさえ、あれには到底及ばない。バトルという制限を抜きにしたところで、戦いにすらならないし、応えることもかなわない。
それが、本当に悔しい。自分の無力を、これほどまでに強く感じたことなんてなかった。大きい力を持つことを恐れていたはずなのに、今は、自分にあのルカリオと渡りあえるだけの力がないことが、とても悔しかった。
だから――
「だから、彼の口車に乗りましょう」
セレナはどこでもない宙へ視線を向けて、呟いた。
「ヘマしないでよ。カルム」
2
それは静かに、着実に始まっていた。
森から鳥のさえずりが失せた。
川からは魚が姿を消した。
動物たちはなにかに脅えるように巣穴に籠り、灰色の雲が吹き荒ぶ大気に流されていく。
一部の者たちは口々に囁きあった。このカロスそれ自体が、近く消え逝くポケモンを儚んでいるようだと。それとの別れを物言わぬ草木すらも惜しんでいるようだと。
無音の砲声が鳴り響いたことを、少数の者だけが理解していた。
「つまりあなたは、私にジョーイとしての義務も本分も忘れろと、そう言いたいわけね」
ジョーイの声は、殊更に冷酷にハクダンシティのポケモンセンターに響いた。
「わかりやすく言うならそうなります」と、カルムはさらりと答えた。「きれいな表現を使ってもいいんだけど……つまり、オレたちの友達に応えてあげてほしい、と」
「ずいぶん物騒な友達ね」
からからと笑ったのは、ジャーナリストのパンジーだった。
心底楽しそうなその表情に、ジョーイは複雑な気分になる。
このところ、パンジーはいささか不機嫌だった。その理由を今さら問うまでもない。リサだった。
パンジーは、リサのルカリオが死に瀕していることをテレビの報道で知った。彼女の知人として、その報道が事実なのか、あるいは事実でないのであれば正しく事実を伝えるべきだと、リサに取材を申し出た。どこぞの馬の骨とも知れないマスコミなどよりも、真っ先に自分が彼女たちの声を届けるべきだとパンジーは思ったのだ。
しかしリサとしては、同じような取材の申し込みは掃いて捨てるほどあったのだろう。その中には彼女とルカリオのことを毛ほども知らぬパパラッチも混ざっていたことだろう。パンジーの取材も、それらと同じく十把一絡げとばかりにあえなく拒否されてしまった。
ジャーナリストとして――なによりリサと、彼女のルカリオ(パンジーが出会ったときにはまだリオルだった)を知る身であるパンジーは、掛け値なしに彼女らを案じていた。その気持ちをにべもなく断られたのだ。不機嫌にもなろうし、落ちこみもしよう。
ただしジョーイは、パンジーの気持ちを察し、リサとルカリオを思いやるのとは別の部分での視点も持ちあわせていた。
あのルカリオは、何物にも縛られることはない。
余人の好意、友誼、親愛、あるいは悪意や憎悪。それらとはまったく別の場所に佇んでいる。
それは、たとえポケモンとしてでさえかけ離れた在り様だ。
あまりにも規格外なその力。桁外れの天才。
人とポケモンの長い歴史において、ほんのたまにだがあのような怪物が生まれる。何物とも違いすぎ、何物とも交わることなく、あらゆる概念から逸脱した孤高。
「湿っぽい別れは嫌だとリサも言っていました」カルムは言った。「だからせいぜい派手な花火を打ち上げてやりたい、と」
ジョーイはかぶりを振った。
「命がけの花火だわ。どれほどの命が咲いて散るのやら」
「そうならないように、オレも動いています」
「頼もしすぎて涙が出そうです」
「あら、私は楽しくて涙が出そうよ?」
久方ぶりに楽しげなパンジーを見て、ジョーイはため息をついていた。パンジーは本当に楽しそうだった。
彼女は間違いなく本気なのだ。本気で、カルムの口車に乗ろうとしている。
あのルカリオが最期に戯れる機会を、今度こそ記事にできる。カロス中のスターとなったルカリオとの早すぎる別れを、ただ嘆いて迎えるのではなくなったその事実を、彼女は無邪気に喜んでいる。
「一応、申し上げますが」ジョーイとしての、最低限の義務として彼女は言った。「人間よりもはるかに強靭で、高い回復力をもつポケモンであっても、不死身ではないのですよ。ポケモンセンターの医療にも限界はありますし、ポケモンバトルであっても当たりどころが悪くて死んでしまうポケモンはいます」
「そんなにヤワじゃないわよ。このカルムくんも、それに私の妹もね」
自身はポケモントレーナーではないにもかかわらず、パンジーはいっそ堂々と言ってのけた。
ジョーイは再びため息をつく。なんとも頭痛のする現実であって、正直この場でカルムを叩き出したいという誘惑は大きかった。
しかしその一方で、聡明な彼女は、カルムの口車について忙しく分析を行っていた。
確率論的には、まったく馬鹿げている。
論理的には不可能ではない、というのが救い。
学術的な面から考えると――癪に障るが、興味深くはある。
「どうですか、ジョーイさん」と、カルムは言った。「頼まれてくれませんか」
いつも通りのひょうひょうとした声で言うカルムが、実に憎たらしい。しかし、この眼の奥に、真摯と称するのもはばかられる光があることに、ジョーイは気づいていた。
カルムはいつもそうだ。
彼は決して外れない。生まれ育ち、あるいは旅の経験がよほどよかったのか、小気味よいほど真っすぐな気性だ。なんとも困ったことに、ジョーイはそうした人間がまったく嫌いじゃない。
「それらしいデータを集めておきます。明日にでも受け取りにきてください」
最後にもうひとつため息をついて、ジョーイは言った。
3
砲声の残響はいや増すばかりだった。
ただし、多くの者はなにも気づかぬままに日々を過ごしていた。
それは、はたして幸せなことだろうか。あるいは、それほどにカロスが平和だった証と言えたかも知れない。
少数の者だけが、それに気づいていた。
一定以上に鋭く、一定以上に力を持っていて、なによりあのルカリオについてよく知る者たちのみが。
そして一度気づいてしまえば、無視することも忘れることもできようはずがなかった。
それは徐々に近づいてくる遠雷の響きにも似ていたし、屋根に降り積もる深雪の静けさにも似ていた。
崩れ落ちる寸前の櫓を見上げる気分に似てもいただろうし、堤を超えんばかりに溢れた大河の泥水を眺める気分と似てもいただろう。
だからこそ。
気づいた少数の者たちは、その時に備えて牙を磨き始めた。
およそカロスに生きる者すべてにとって、チャンピオン・カルネのサーナイトとは脅威そのものであった。
サーナイトは、強大さにおいて名の知れた種のポケモンではない。伝説のポケモンのように卓絶した異能を持ち合わせているわけでもない。
目に見える力といえば、サイコエネルギー。それだけだ。全力を出せばブラックホールを生み出すとまでいわれるが、そんなものはバトルにおいて使えたものではない。自分やトレーナーさえも巻きこんでしまうような過剰な力には、なんの意味もない。
そうでありながらも、純粋な能力によってのみ、カロス最強の一角に数えられているのが、カルネのサーナイトというポケモンだった。それに向けられる畏れは大きい。
単純にして明快なサイコエネルギーをこそ唯一無二の武器とするカルネのサーナイトには、隙がない。用いる手段は徹頭徹尾、正統派。それは陳腐と言い換えることもできるが、陳腐とはどのような局面でも有効であるからこそ多用されるものである。
生まれは平凡なれど、ただ純粋な力、別の表現をするならば才能でもって最強の名を冠せられ、恐れられるサーナイトの姿は、リサのルカリオにも通じるものがあったろう。
だから、リサのルカリオがバトルを演じているようすを見るだに、思わず苦笑したものだ。
自分の手足を縛るような真似をするとは、よほど退屈をしているらしい。
正直なところサーナイトはそう思ったし、それが事実を突いているだろうとも確信していた。
最強の怪物をただのポケモンの領域に引き下げるポケモンバトル。謳われる実力主義の否定。あのルカリオは、自らルールの枠を設けることで、その制限の中においてのみ「全力を出す」ことを願った。それが所詮はお遊び――戯言でしかないことを誰よりも承知しながら、そうせざるを得なかった。
今、サーナイトはポケモンリーグからはるか遠くのメイスイタウンを眺めていた。
最初は何事かと思った。
二日目には蝋燭の最後の煌めきかとも思った。
三日目以降は、正直恐怖すら抱いた。
メイスイタウンを中心として渦巻き続ける、異様なまでの重圧。
並のポケモンでは感じ取ることもできないだろう。いや、力あるポケモンでも、あのルカリオを近くに見て、あの天才を感じ続けていた者でなければわかるはずがない。余計な知恵や言葉を持たない動物や草木の方が、よほど素直に生物の本能としてそれを悟ることができる。
完全に統御されつつも膨れあがり続ける巨大な気配。身の丈数十メートルの巨獣が息を殺して佇んでいるかのような、底知れぬ存在感。
特大の稲光が瞬いて、次に来る大音声の雷鳴を待ち受けるときのような、そんな感覚。
――まったく、とんでもない。
晴天へ視線を移しながら、サーナイトはどこか楽しげだった。
今さらに戯れに飽きたのか? いや、戯れなど所詮は虚構であることに気づいてしまったのか? 本当に、困ったポケモンだ。
恐怖がないわけではない。いや、恐怖を知らない愚か者が、カロス最強に数えられるはずもない。恐怖や敗北を楽しめるからこその最強者なのだ。
他の者たちとは違い、リサのルカリオの死期を知らされて以降も、カルネとサーナイトは見舞いに出向くようなことはしなかった。多くのマスコミが取材を求め、友人知人たち様々な延命手段を持ちかけ、それを軒並み断られたと聞いても、まあそうだろうと納得しただけだった。
チャンピオンの座を賭けてカロスリーグの最終戦を戦い、一種の共感めいた部分を持っていたからこそ、そう思えた。
きっとあのルカリオは、いつまでもどこまでも超然と、ひとり在ることを望むだろうと。だから、いちいち見舞いなどしなかったし、延命手段など考えたこともない。
正確に言えば、一度だけリサの家を訪れはした。もっと正確に言うなら、カルネの仕事でメイスイタウンを訪れ、撮影の合間に近くまで散歩に行って、遠目にリサとルカリオの姿を確認してそのまま帰ったのだが。
ルカリオはまったく完全に予想どおり、いつものルカリオだった。
呆れるほどに、哀しいほどにいつも通りだった。
カルネとサーナイトがかつて争い、負かされた、あのときの姿のままだった。
だったら、自分たちもそうあろう。物好きに倣うなど、チャンピオン・カルネに限ってはあってはならないのだから。
自分にできることはただひとつ。カロス最強の一角としてルカリオを見送り、最期の手向けにしてやることくらい。
手向けといえば――ふと、サーナイトは思った。
ルカリオの棺に飾るにはどんな花を手向けるのがいいだろうか。そう考えつつ、具体的にその光景をイメージすることが、なぜか難しい。そのことに、サーナイトは気づいてはいた。
今、そんな憂鬱な日々を消し飛ばすかのような物々しい大気が、メイスイタウンに渦巻いている。
それも、一日ごと、一時間ごとに密度を増している。
なんとも呆れたことだ。どこの死かけがあれほどの存在感を発するというのだ。
あのルカリオは消えようとしているのではなく、今からまさにその天才の全盛期を迎えようとしているのではないか。
よろしい。大いによろしい。では付き合って差し上げましょう。あなたの相手ができるのは、自分を含めてこのカロス地方に数える程度。ならばその有資格者のひとりとして、私はあなたに殉じてあげる。
あなたの寿命はあと十日? それとも一週間? きっとそのとき、あなたの天才は完成する。完成された才能が、終焉に向けて加速する。
ならばそのとき、私はあなたの前に立ちましょう。この素敵な宣戦布告を受け取って。
頭上を雲が、恐ろしいほどの勢いで流れていく。サーナイトは飽きることなくその場に佇んでいた。
4
――カロスのあらゆる場所で、あらゆるポケモントレーナーの間で、似たような会話が交わされていた。
近く没するであろうポケモンを悼む、不安と悲哀に満ちた声が交わされていた。
かのルカリオを知る一部の者たちのみが、無音の砲声を聞き取っていた。
あらゆる街で。あらゆるポケモンジムで。あらゆる街道で。
より高く、より深く響き続ける残響を、聞き続けていた。
そして、アサメタウンではサナがカルムの家を訪れていた。
彼女がカルムの家を訪れるのは、そう珍しいことではない。二年前にこの街へ引っ越してきたカルムは、同じ旅の仲間で、親友だ。
けれど、同じポケモントレーナーとしては実力で劣るサナにとって、同い年でありながらカロスチャンピオンとなったカルムは、やはり異色で、複雑な存在だった。正直な話、彼はもう自分の手の届かないところにいる人間だと思うこともある。
ポケモントレーナーにとって、バトルをすることとは呼吸することとほぼ同義だ。より強くなり、より高みを目指すのはポケモントレーナーならばみな同じ。
けれど、いろいろなポケモンと友達になりたいという尺度でトレーナーとなったサナは、カルムほどにはバトルに情熱を燃やすことはできなかった。
もちろん、自分もバトルの腕が未熟だとは思わない。プラターヌ博士からポケモンを譲り受け、カロスを巡り、ポケモンジムに挑戦し、相応の実力は身につけた。けれど、フレア団を壊滅せしめ、カロスチャンピオンとなったカルムはトレーナーとしての次元が違う。
フレア団のアジトを攻め落としたカルムやセレナとは違い、サナはふたりをサポートすることしかできなかった。それに負い目を感じるわけではない。最終兵器の動力として生体エネルギーを吸い上げる装置から、ポケモンたちを解放する。その役目もまた重要だったのだから。
けれど、カルムのとなりに立ち、共にフレア団と戦うことはかなわなかった。それができたのはサナではなく、トロバやティエルノでもなく、セレナだけだった。後にカロス最強のトレーナーと知れ渡ることになるあのふたりは、カロスリーグに挑戦などしなくともその片鱗を見せていた。
最強のトレーナー。カロスチャンピオン。
当のカルムやセレナにしてみても、そんなものに意味を見出しているとはとても思えなかった。あのふたりはいつだって、自分にできることを着実にこなしていくだけだった。その過程で力をつけ、彼の手の及ぶものごとがどんどん大きくなって、結果、フレア団の計画を打ち砕いた。カルムなど、最期にはカロスリーグを制覇してしまった。
サナはそこに呆れつつ、感心もしていた。草の根に大樹の枝葉を接ぎ足すような努力をしながら、カルムとセレナは昂然と前を向く。チャンピオンのカルムは言うまでもなく、セレナの実力も彼に劣るものではない。ただの十四歳の少年少女でしかないふたりが最強となるために、バトルにおいてはかなりの工夫を凝らし、知恵と経験を積み重ね、ひたむきに努力を続けた。
けれどそれは、強さであると同時に脆さでもある。ありていにいうと、ひどく危うい。いかに強くなり、意志がくじけずにいようとも、子供はしょせん子供。自分たちはまだたったの十四歳なのだ。大樹の枝葉を積み過ぎた草の根は、いずれ千切れて朽ち果てよう。
誰にも話したことはないが、バトルに猛進するカルムとセレナのことを、手のかかる弟や妹を見ているような感情すらサナは抱いていた。
この日も、カルムの部屋の扉に手をかけた彼女の脳裏にあったのは、ある種の危惧だった。
このカロスで幾人かが気づいているであろう、あのメイスイタウンに渦巻く無形の大気。その中心に座している旧友の相棒。
あのルカリオは今、自分に迫る死と、高まり続ける存在とを天秤にかけながら、なにを思うだろう。
そしてカルムは、なにを思っているのか。
小耳にはさんだところによると、カルムはここ数日、カロス中を飛び回っているという。
自分とリサと、共通の知り合いのところに押しかけては何事か持ちかけているらしい。昨日の朝はミアレシティにあるプラターヌ博士の研究所を訪ね、昼にはカロスリーグへ行って四天王やチャンピオンたちに会い、夕方にはキナンシティへ向かう姿が見かけられたとか。
いったい、なにが始まってるの。
――いや、正直なところ、サナには粗方の見当がついてしまっていた。
セレナやカルムを知っているのと同じくらいの深さで、リサのこともまたサナはよく知っている。誰の手も頼らず、たったひとりで旅をしてカロスチャンピオンを凌駕してのけた、リサの実力を知っている。
白状すれば、リサとはセレナたちほど交流があったわけではない。とりたてて仲が悪かったわけではないけれど、いわゆる「優等生」タイプの彼女とは、なんとなくそりが合わない部分があったから。
リサは昔から聡明で、努力家で、負けず嫌いだった。彼女の志は常に高く、やると決めたことはどれほど時間がかかっても必ずやり遂げた。そうして彼女は旅に出た。いつもと同じように、決して易しくはない目標を掲げて、新たなチャンピオンになった。
本気になったリサに、越えられない壁なんてこの世にはないのかもしれない。彼女はそういうものだと、サナはつつがなく理解していた。
けれど、それは壁を前にしているときだからだ。サナに対してなら、彼女はおそらく本気を出すまでもない。本気を出せる相手ではないから、常に手を抜いて接してきたのだ。それは気楽な関係だとも言えるけれど、その倦怠と退屈を、リサは理解していたし、サナもなんとはなしに感じ取ってきていた。自分では、彼女とは到底吊りあわないのだと。
それが今――消え逝く相棒の命とともにタガが外れたように、すべてが溢れかけている。
――お願いだから。
早まった真似はしないで。
祈るような気分で、サナは扉をノックして開ける。
「カルム……?」
サナは声をかけた。
窓際に据え置かれたデスク。無数のメモと、積み重なった本と、端末とモニター。
彼は手元のノートに一心不乱にペンを走らせ続けていた。
悪夢かなにかを見ているような心地で歩み寄り、サナ横から覗きこむ。
瞬間、慄然とした。
カルムの横顔は、はっきりと憔悴していた。異様な迫力に満ちていた。
書き散らされているのは、戦術・戦略の研究。それはポケモンバトルにおいて通用するものではない、本物の闘争についての記述。
悪魔のような様相で書き殴るように綴られているそれが、どの程度高度で緻密な研究であるのかはわからない。わからないけれど、ひどく繊細で難解な研究に身をやつしているのだということはわかる。たった数日で身につけた知識は付け焼き刃でしかなく、けれどそれを付け焼き刃で終わらせないために、カルムは今、死に物狂いで研究に没頭していた。
文献を読み漁り、ネットのムービーを見て、どこか遠い地方で起きたポケモンの戦争をもとにした戦闘をシミュレート。ポケモントレーナーとして積み上げてきたすべての経験と結果を白紙に戻し、ポケモンバトルなどではない新たな領域に踏み出すための研究。
言葉を失ったサナは、凝然と部屋の中心にあるテーブルの上を見渡した。
ポケモンの能力を飛躍的に向上させるバトル用アイテムの類が大量に散らばっている。使用量を誤ればきつい副作用や重い後遺症があらわれるため、それらの道具はごく少量を使用するが原則だ。そんなものが、なぜこんなにたくさん必要になるのか。
「カルム……」
サナは諦観と絶望の入り混じった声音で呼びかける。
親友は、そこではじめて気づいたように、顔を上げた。驚くべきことに――あるいは恐るべきことに――そこに浮かんでいたのはあくまでいつも通りの、痛ましいほどひたむきに前を向く少年の表情だった。
「ああ、来てたんだね。でもごめん、ご覧の有様でお茶も出せそうにない」
サナを透過して、ここにいない誰かに語りかけるように。
宿題が終わりかけている子供のような、溌剌とした声で。
その瞬間、サナはすべての説得を放棄した。
5
霧が深い、早朝だった。
リサのルカリオが最期の望みを告げたそのときから、実に十日という時間が経過している。なにが起こるということもなく過ぎ去った、その時間。
カルムは自室の姿見の前で、ひとり服装を整え、バッグに手にした。
部屋の明りを消し、窓から射す薄明かりの中で、最後に自分の姿をもう一度確認する。鏡を見て、どこか不敵に笑う。
よし、いつも通り。
そのとき、扉がノックされた。「はい」とカルムが応え、扉が開く。
「なにニヤついてるの」
呆れたような声で、母は言った。
いつの間に起き出していたのか、母は寝姿の上にガウンを羽織った格好で立っている。「お客さんよ」
それだけ言って、母は戻っていった。入れ替わりに、少女が部屋に入ってくる。
「ごめんね、朝早くに」
サナは、はにかむように言った。
彼女はずっと、ほとんど朝から晩までカルムの研究の手伝いをしてくれていた。ともすれば食事や風呂まで忘れてしまうカルムのかわりに、その支度までしてくれたのは、照れくさい反面、正直ありがたかった。
「わたしも行く」
宣言するように、サナは言った。
「嬉しいけど」と、カルムは言った。「でも、いいのかい」
「うん。自分でも呆れちゃうけど、本当に」
でも、とサナは言った。
「まだカルムは未完成なんでしょ? せいぜい、三割か四割ってところじゃない?」
「十分だよ。あとは実戦で完成させる」
事の重大性をわかってるのかいないのか。頭に手を当ててサナは呻く。お互い様だよ、とカルムは笑った。
ふたり連れ立って、家を出る。こんな早朝にふたりで出かけることに、母はなにも言わなかった。
不思議と、カルムの心は凪いでいた。浮き立つものがないとは言わないが、それでも奇妙にフラットだ。
アサメタウンの抜ける途中、セレナと顔を合わせた。
「おはよう」と、カルムは言った。「時間どおりだね」
「当然」
そう言って微笑するセレナは、カルムがプレゼントした白いニットキャップを被っていた。
「似合うよ」と、カルムは言った。
「ありがと」と、セレナは言った。
そのとき、背後から声をかけられて、カルムとサナはその場で飛び上りかけた。
「進んで地獄に飛び込むようなものですよ」
振り返った先に、呆れ顔のトロバと、晴れやかな表情のティエルノがいた。
「度し難い物好きです。誰も彼も」
「いちばん先にここに来てたくせに」と、ティエルノがこぼす。「バトルの方はそんなに得意でもないんじゃなかったっけ?」
「必死になってる幼なじみを見過ごすわけにはいきません。重大ななにかをなすとき、ぼくたちはいつも一緒だった。ぼくは未熟だけど、少しでもカルムとセレナの役に立ちたい」
トロバは宣誓するように告げた。
「そして、友達の願いを叶えることも、同じくらい大切なことです」
物好きばかりだ。
カルムとサナは顔を見あわせて笑った。セレナとティエルノも応じて笑う。
そしてその表情のまま、五人は歩きだした。メイスイタウンまでの道のりは、そう長くない。誰が言い出したわけでもないけれど、五人はゆっくりと歩いていった。
アサメタウンを出て、アサメの小道を抜け、メイスイタウンの入口で出会ったのは、ハクダンシティのジムリーダー・ビオラ。姉のパンジーも当然のように控えている。
特ダネの機会よ、とパンジーは笑った。それに、ポケモントレーナーをずっと追いかけ続けたジャーナリストとしての、最期の礼儀のようにも思うのよ。
街の中心へ向かうにつれて、一行は次第に人数を増していった。
プラターヌ博士やミアレタウンのジムリーダー・シトロンなどはともかくとして、シトロンの妹ユリーカまでもが同道していることについて、シトロンは道中珍しいほどにしつこく帰るように諭していたが、「お兄ちゃんだってまだ子供なのに、こんなときばっかりジムリーダー面しちゃって」という一言に黙ってしまっていた。
腕が鳴るね、と言い放ったのはシャラジムのリーダーであり、キーストーン継承者でもあるコルニ。同じくどこか武者震いでもするように沸き立つ表情をしているのが、ショウヨウジムのリーダー・ザクロと、エイセツジムのリーダー・ウルップだった。クノエジムのリーダー・マーシュもいつもどおり優雅な居住まいで微笑んでいるが、その目盛りがひとつぶん増しているように見えた。彼女もまた、祭りかなにかを心待ちにするような不思議な高揚を覚えているようである。
ヒヨクジムのジムリーダー・フクジや、ヒャッコクジムのリーダー・ゴジカなどはさすがに落ち着き払っていた。ただただ悠然と、ジムリーダーに相応しい貫録をまとわせて佇んでいる。そしてどうしたことか、そこにはキナンシティのバトルシャトレーヌ四姉妹までもが顔を揃えていた。
一行はメイスイタウンを進んだ。それぞれ思い思いに話しながら、けれどその速度は示し合わせたように一定だ。
その歩調が、街の中心部、ポケモンセンターのある大通りの前で止まった。
そこには、カロスリーグの四天王と、チャンピオン・カルネの姿があった。そして、彼らを引き連れるように立っているのが、リサの父。
カルムとセレナが、正面に向かい立った。
「きみたちは」と、リサの父が言った。「自分たちがなにをしようとしているか、わかっているのか?」
彼は刑事の凄みをもって問いかけた。右隣にはジュンサーがひとり、左隣にはジョーイを従えるように立っている。背後に下がっているカルネたちは、一行を睥睨していた。返答次第では、力づくでも目の前の一団を叩き返す。そう無言で物語っている。
「いかな理由があったとしても、トレーナーがポケモンを命の危機に晒すような真似は許されない」
――厳密に言うならば、人間の定めた法律において、ポケモンの存在は保障されるものではない。法はあくまでも人間のためのもの。法の定義のうえであれば、ポケモンはあくまでトレーナーの所持する『器物』として扱われる。ときおり悪質な業者によるポケモンの密猟や乱獲が行われ、ジョーイたちによって検挙されているが、それはあくまで違法な狩猟行為や営業行為を罰しているものであり、ポケモンが法に守られているわけではない。
トレーナーがポケモンをゲットし、ポケモン同士を競わせるポケモンバトルが定着したのは、たった六十年前。オーキド博士がポケモンの習性を発見し、モンスターボールを開発して以来のことだ。ポケモンの存在は人間の法の尺度に収まるものではなく、その詳細は未だ手つかずのままだ。ポケモンの扱いは、トレーナーの道義と倫理のもとに一任されている。
だからこそ、刑事やジョーイとてカルムたちの行動を抑制する公的な義務など存在しない。だが、多くのポケモンが命を落とす危険性を無視することもできない。彼らはそういう理由でそこに立っていた。
一同の中から一歩歩み出たカルムとセレナのうち、カルムが真っ向からリサの父を見つめた。
「委細承知の上です。それがわからないで、リサの願いを叶えられるはずもない」
「無責任だとは思わないか」と、リサの父は言った。「きみはカロスチャンピオンだ。そこには権威がある。きみが彼らの――ポケモントレーナーやジムリーダーたちの意思を誘導したのではないと、言い切ることはできるかね」
セレナは息を吸いこみ、幼なじみの父に向かって、決定的な一言を叩きつけた。
「連れ添った友達を、盛大な花火で送ってあげたいというだけです。彼らはその協力者です。それぞれの意思で、わたしたちについてきてくれています」
――長い沈黙を破り、天才のあげた悲鳴を受け止めるのは、誰だ。今まで誰にもできなかったことをやるのは、誰だ。
わたしだ。
このわたしがやるのだ。
「それのなにが悪いんですか」
束の間、少女と刑事が視線を合わせた。
両者の間には、倍以上の年齢の差と、絶対的な立場の差異があった。一方は無名のトレーナー、一方は公僕。
しかし、このとき、並いるトレーナーたちはそれぞれ瞠目していた。迷いなく胸を張る少女の姿が、カロスチャンピオンである少年と同じほどに、眩く揺るがない、その事実に。
ややあってから、不意にカルネが肩をすくめ、おどけたように口を開いた。
「お芝居はそこまでにしましょう、お父様。あなたも、彼らととくに違いがあるとも思えません」
それを聞いて、ジュンサーとジョーイが目を丸くした。
「……さすがはカロスチャンピオンだ。見透かされていたとはね」
彼もまた、相好を崩す。
それは年寄りた老人のようでもあり、あるいは我が子の巣立ちを見届ける親のようでもあった。
「素直になられてもよろしいでしょうに」
「あいにくと、世には必要な形式とか通過儀礼とかいうものがあるんだ」
そうですね、とカルネは微笑んだ。
「行きなさい」と、リサの父は若干の諦観をにじませた声音で告げた。
「いいんですか」と、カルムは尋ねた。
「今回のことは、カロスチャンピオン・リサが開催した特別なルールの交流戦だという扱いにしておく。もとより、これは事件でもなければ犯罪でもないのだ。認めるのは、いささか癪だがね」
あくまで口惜しそうに言う刑事の姿に、一同は苦笑した。
「チャンピオン・カルム。それにセレナちゃん」と、彼は言って深く頭を下げた。「あの子を、お願いします」
声を合わせて、カルムとセレナは、はい、と応えた。
カロス中に名を馳せたひとりの少女。そのパートナーである怪物的な天才を持ったポケモン。解放することのなかった天才を縛るものは、なにもない。
そしてこの場には、解き放たれた怪物と全力で向かい合うことを決した物好きたちが顔を並べていた。
なにげない足取りで、カルネはカルムとセレナの横に並ぶ。四天王たちは無言で――バキラはひとり、にやりと笑ってから――その後ろに続いた。周囲のトレーナーたちは呆れたようにそのようすを見つつ、納得したように視線を交わしあう。まさにこれより始まる祭において、この三人こそが並び立つに相応しい。
ふたりのチャンピオンとひとりの少女を先頭にして、一団は街を行く。日はいつしか南中に昇っていた。
リサがキッチンで朝食のオニヨンスープをかき混ぜていると、不意にインターフォンが鳴った。母が玄関へと駆けていき、ややあってから、リサを呼びにきた。
「カルムくんたち」
リサは、黙って頷いた。スープを母に任せて、まだ眠っている妹たちを起こさないように静かな足取りで自室へ行く。
ルカリオは、部屋の真ん中に佇んでいた。リサを見て、主人がなにも言わずともすべてを察しているように、歩み寄った。
ルカリオを伴って、リサは玄関扉を開く。
はたして、照りつける陽光の中、玄関先に揃って並び立つ一団が、リサとルカリオを出迎えた。
「リサ」と、代表のように一団の先頭に立つカルムが声をかけた。「オレたち、決めたよ」
ルカリオが、まず呆れたようにかぶりを振った。リサも、うなだれるように視線を落とす。
――みんな、救いがたい物好きばっかりだわ。
耳聡い何人かが、そんな呟きを耳に拾い、そしてそれがどうしたと胸を張った。
「考えなおさない?」
地面に視線を落としたまま、小声でそう言ったリサに、セレナもまたかぶりを振った。
「わたし、あなたと戦うよ」
どうして、とリサはたずねた。
だって、とセレナが言った。
「友達だから」
リサが、口だけを動かして、声もなく言った。
――バカ。
本当だね、とセレナは思った。
リサは、最後のなにかをふっきるようにため息を漏らす。
そして、誰もが見惚れる笑みを浮かべた。
傍らを見ると、ルカリオと目が合った。相棒もまた、腹を決めたようだった。
少女とポケモンが頷きあい、カロス最強にふさわしい威厳を含ませて、声をはりあげた。
「三日後! 場所はポケモンの村、時間は午前五時! 各自、最後にもう一度よくよく考えなおしたうえで、それでなお意志を変えないというバカだけが来なさい!」
その布告が響き渡った直後、一瞬の静寂が落ちた。
そして次に、爆発的な歓声、あるいは笑い声が充ちた。
「今さらなにを言ってやがる」「アンタわたしらなめてるでしょ」「才能の差が力量の差ではないことを教えてさしあげます」「枯木も山の賑わいといいますし」「まあ、誰が枯木ですって!」「これは、儀式。絆の誉れ」「ああ、ちょっと後悔してきたかも。なんでこんな戦闘狂連中といっしょに……」「おまえもその一員だろうが」
もはや誰がなにを言っているのかわからない。
見る者が見れば、いったいなんの宴会だと首を傾げただろう。
三日後、カロス史始まって以来とされる最強最高の天才がはじめて牙を剥く。
三日後、おそらくは空前絶後の闘争が幕を開ける。
三日後、この場にいる何人か、あるいは全員が、永遠にいなくなるかもしれない。
にも関わらず、彼らはどこまでも彼らだった。
数日後には、確実にいなくなってしまうポケモンとの別れを、カロスに生きるトレーナーらしく、ギラギラとした、それでいて賑やかな価値観をもって迎えようとしていた。
カロスチャンピオン・リサのルカリオ。
その生涯は、ここに終章を迎える。
オリキャラ無双のこの話がどれだけ受け入れてもらえるのか、すこし不安ではありますが、書き始めたからには完結させなければなりませんよね!