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名無しの4Vクリムガン おれがシキジカを殺した理由 の履歴(No.1)


 
名無しの4∨クリムガン プロローグ ?】 
名無しの4∨クリムガン ヤグルマの森で ?】  
名無しの4∨クリムガン シッポウシティのムーランド ?
名無しの4∨クリムガン 人間とポケモンの非構成的証明の法則 ?
名無しの4∨クリムガン 夕陽の色の生存戦略テロル ?
名無しの4Vクリムガン ほらあなポケモンの貴重な食事風景 ?




 クリムガンというポケモンは地面や洞窟に棲むことが多い。といっても自分で巣穴を掘るわけではなく、ドリュウズなどが掘ったトンネルに棲んだり、他のポケモンが掘った巣穴を奪ったりする。狂暴で狡賢い。あまりいい感情を持たれることのない種族だといえる。
 だから、こんな話をすると余計にクリムガンに対してネガティブな印象を強めることになると思うのだが――おれは死体に魅力を感じる。
 死体とはかわいらしいものだ。見かけたら持ち帰りたいと思う。これはクリムガンとしての特性ではなく、おれという個体の嗜好だろう。
 おれは、他者に対して比較的無関心だ。興味を抱く場合、どちらかといえば部分的に興味をもつ。例えば目、例えば尻尾、例えば翼。
 そういう意味において死体は、すべてが部分だ。お得感がある。
 意味不明だろうか。まあどうせ伝達しようとは思っていない。どうでもいいことだ。
 死体はいい。親しみやすくてチャーミングだ。余計な付属品がないのもお得だと思う。
 何が余計かといえば、当然それは心というもの。
 まあ死体が動いたり考えたりするのがゴーストタイプのポケモンなんだが、心という役割をもっているのは、だいたいは脳髄だと言われていて、死体は脳髄が腐っているから、心の大部分も失われている……かもしれない。脳髄は考えるところにあらずという説もあるので一概には言えないのだが、死についての三兆候説において脳死はその最たるものと捉えられているし、脳は生と同値である。
 ともかく、おれが好きなのは全体ではなく部分なのだ。
 そいつの総合的な表象には興味がなく、部分的な装置に関心が惹かれる。あるポケモンの尻尾に興味があれば、本当は尻尾だけをぶちっと切っておれのものにしたい。
 ただ、そうすると多くの場合、その興味がある部分についての特性が失われる。本体から切り離された部分は、もはや部分ではなくなる。要するに本体だ。
 したがって、おれは本体をくっつけたままで部分を手に入れる方法を考える。
 まあ、そんなことはどうでもいい話かもしれない。おれが興味を抱くプロセスなんて、他者にとってほとんどの場合は意味不明だし、別におれが主体でなくとも他者というのは向こう側の存在だから、内的なプロセス――どう考えどう思ったかなんて、さほど興味の対象にはならない。テレビがどうして映像を映すかということについて考えるより、移されている映像に興味をもつ方が圧倒的に多いのと同じだ。
 中身などどうでもいい。心などどうでもいい。
 いや、本当はどうでもいいわけではないのだが、おれは本当のプロセスを知りたいのではなくて、外的に表される記号のやりとりにおいて、快楽主義的にコミュニケーションをとるのが好きなのだ。だから人間は、あるいはポケモンも、心というものをいつも知りたいと願っているが、それは自分が望んだものを見たいというだけのこと。相手が人間じゃなくてポケモンでも会話を試みるし、極端な話、壊れかけのラジオに話しかけて満足することもある。
 本当に知りたいというわけではなく、隣家を覗き見したいのと同じ。
 違うか?




「お」
「お?」
 夜、7番道路のあたりをうろうろしていると、かわいらしい死体を見つけた。金ピカの体から伸びる四本の漆黒の手を、触手のようににょろにょろとさまよわせている。活き(逝き)のよい、人間の死体の気配。
「おまえ」と、おれは言った。「死体だな」
「なんだ、おまえ」と、そいつは言った。
「おれか? おれは旅をしているしがないポケモンだ。イッシュを放浪している」
「ふうん。そうか」
「おまえは何をしてるんだ?」
「ここを守っているんだぞ」
「ここ?」
 言われて見てみると、そいつの背後には墓場が広がっていた。ふうん。こんなところに墓場があるとは知らなかった。タワーオブヘブン以外にもポケモンを葬る墓があったのか。
「墓場を守っているのか。何のために?」
「ムジカがそう言ったからだぞ」
 ムジカ。音楽という意味の言葉だ。まあそういう音楽があるというのではなく、文脈からいって、おそらくはトレーナーの名前と思われた。
「ん?」と、そいつは言った。
「ん?」と、おれも首を傾げて言った。
「おまえは誰だ?」
「おれはおれだ。イッシュをふらふら放浪しているポケモンだ」
「ふらふらしているのか?」
「ああ。いつもふらふらしている。不定形生物だ」
 もちろん、この場合の「不定形」はタマゴグループの分類ではない。
「ふていけーとはなんだ?」と、目の前の死体はおれに尋ねた。
「形が定まらないんだ」
「柔らかいのか?」
「おれの顔は岩より硬い」
「じゃあどこが柔らかいんだ」と言って、四つのうち上二つの腕がおれの体をあちこち指さす。「ムジカの体は柔らかいぞ」
 そして、急に何かを思いついたように、はっとした。
「ここから先は行かせないぞ」
「別に行こうとしてないぞ?」
「おまえは誰だ」
「おまえじゃない誰かだ」
「意味不明だぞ」
「論理的にはそうだが、おれとしては正しいことを言ったつもりだよ」
「ともかく行かせないぞ」
「どこにも行くつもりはない」
 そもそものところ――おれはおれだし、どこにも行けはしない。()&ruby()&rubyがいるのは常に()&ruby()&rubyとしか言いようがない。
 そんなしょうもないことを考えつつも、おれはもう一歩、そのかわいらしい死体に近づいた。
「おまえ、名前は?」
 偏執。
 おれがポケモンに名前なんて訊くのは稀だ。ほとんど例外的なことだった。それほど目の前の死体は魅力的だったのだ。
「わたしか? わたしはヘレルだぞ」
「ヘレル」
 それがポケモンとしての名前か、トレーナーが個体に与えた名前なのかはわからない。
「そうだぞ。おまえは誰だ」
「おれは誰だという質問は無限に細分化できる。どこまでいっても確定的な答えは出ないだろう。おれは夕陽の美しい橋からやってきた旅するポケモンだと言っても、それはおれの一属性を表しているに過ぎず、おれの部分に過ぎない」
「名前きいてるんだぞ。おまえアホか」
「そう、名前。名前がおれという存在の全体を表す表象となりうる。だから名前を他者に教えるのはとても怖いことだ。何故って、互いが知り合ってしまうのだから」
 無関心。
 偏執と無関心がおれの心の大部分を占めている。どちらが選択されるかは無意識によるといえるし、外部的に見ればおれの気まぐれによる。
 今回に限っていえば、わずかながら好奇心が勝った。
「おれには名前はない。クリムガンというポケモンらしいから、そう呼ばれてる」
「んーそうかー」
 一大決心があっさりスルーされた気分!
「おまえ」と、ヘレルは言った。「ここから先に行くつもりか?」
「いいや」おれはかぶりを振って答える。「おれはここから先に行くつもりはない」
「おまえ、何しにここに来た!」
「偶然。ふらふらしてたら辿り着いた」
「ここから先に行くつもりか?」
「とくに今はそういう気分じゃないな。それより、おまえに興味がある」
「わたしに興味があるのか? ムジカが言ってたぞ。知らない人に声をかけられたら気をつけなさいって」
「おれは人じゃないんだが?」
「んー」
 そして、また何かを思いついたような反応をする。棺の形をした体に浮かび上がる真っ赤な目をぎょろぎょろさせて、おれに迫った。
「おまえは誰だ」
「んん……」おれは腕を組み、少し考えた。「ヘレルは時間が壊れてるのかな」
「時間は夜だぞ。暗いからな!」
「ヘレルは眠らないのか?」
「眠る必要などない。我らは死んでいるからもともと眠らない!」
「だから時間が壊れてるのか?」
 おれは頭の中でめまぐるしく計算する。目の前の死体について、情報を少しでも得ようと試みる。そうしないと、おれは現実に触れることができない。
 いや、あるいは過剰なまでに現実に接しているせいで、現実と折り合いをつけることができない。
 情報を得なければならない。他者よりも多くの計算をしなければならない。全て、おれの属性が原因だ。
 おれ自身もわかっている。
 とりあえず興味にばかり計算を割いていたら、ずっと起きていたりして鱗が荒れたり、あるいは餓死寸前にまでなったりするので、少しはおれの体を生かすための計算をしなければならない。
 運がいいのか、おれの計算能力は普通よりも高いらしく、すぐにピンときた。
 類似の情報を記憶の中から探ってあてはめるなんて、よくやっていることだ。経験則こそ、おれが生きてゆくためのフォーマットでもある。
 おれの記憶の中でヘレルと一番近いのは、ヒトモシやプルリルだ。ゴーストタイプは死体や魂がポケモンになったケースが多く、このヘレルとの共通項もある。
 ゴーストタイプのポケモンは、時間が壊れやすい。
 これはおれの視点で見てという話だ。ゴーストタイプは不定形で曖昧な存在だから、ときどき話を聞いてみても意味が通じないこともある。これはおれのせいではなく、おそらくは誰が聞いても同じ反応になるだろう。彼らは大抵の場合、時間が絶つと自然消滅する程度の存在感しかないが、その消滅過程は同じだ。
 まず、時間が壊れる。
 正確には時間の観念がなくなる。同じ時間を行ったり来たり。短い線分の時間を行ったり来たり。物を覚えられず、限られた事柄だけを繰り返す。
 次の段階は論理が壊れる。
 言葉の繋がりをうまく出力できなくなる。例えば、「今日は雨が降っていたので晴れていた」というような会話をする。その前段階として「アレ」やら「ソレ」やらの指示語が多くなったり、あるいは小さな事柄を極端に大袈裟に言ったりすることもあるが、最終的には言葉が破綻する。
 最後には感情が壊れる。
 まあここまで来るより先にだいたい消滅するのだが、最後には外形的にはむしタイプのポケモンのようになる。おれがこういう観察結果を伝えると、相手にはだいたい嫌な顔をされた。
 ゴーストタイプのポケモンも元は生きていたのだし、生命の最終過程がそういうふうだという事実には嫌悪感を抱くのだ。
 おれには何故だかわからない。
 おれは時間も論理も感情も壊れていない。でも、おれは他者とうまく話すことができない。なぜだろう。考えても考えても、考えて考えて考えても、答えは出ない。タブンネに訊いても知らないというのだ。
 そこでおれは、言葉を出力する前の、入力段階について考えてみた。




 ご存じの通り、と前置きをしよう。
 人間もポケモンも考えることをやめられるという才能を持っているから、知ってはいても考えてはいないことも多いのだが……まあそれはともかくとして。
 情報。
 この言葉には二通りの意味がある。
 一つ目はデータ。文字通りの意味で、生のデータ。ゼロと一で表される情報構成のこと。
 二つ目はメッセージ。一つ目のデータを、適切な過程を経て出力される情報の意味。
 おれが壊れているというか、普通と違うのは、一つ目から二つ目へと移る過程である――とおれは考えている。
 認知する能力は、むしろ人間や他のポケモンよりもずっと正確で素早いと思う。生のデータを受け取る力は、すさまじく高性能なのだ。
 けれど、データからメッセージに変換する過程、いわゆるデコードがうまくいかない。
 デコーダが壊れているのだろうか?
 あるいはそう言われても仕方ないのかもしれない。少なくとも、多数派的にいえばきっとそうなのだろう。
 おれは生のデータに直接的に触ることすらできる。通常、絶対に辿り着けない現実に到達することすらできる。だからおれは他者と言葉が通じない。通じなくて当然だ。
 どちらが良いとか悪いとかの話ではない。いわば、ガラスを隔てて水槽の中のバスラオを見ているようなもの。バスラオにとってはこちらこそが囚われているのかもしれないし、あるいはそんなこと考えていないのかもしれないし、わかりあうことはないのだろう。
 目に映る。ただそれだけだ。
 では――
 ここにいるヘレルという死体はいったいどこが壊れているんだろう。
 壊れているという言葉を使うと怒られるかもしれないので、不具合が出ているとか、ちょっとマイルドな表現をしてみてもいいが……要するに、普通と違うのはどこなのだろう。
 おれは数を数えるのが得意だから、多数派と違う、という表現をよく使う。
 だからここで断っておくが、普通と違うというのは、単に数が少ないという意味でしかなく、そこにはどのような価値も混入していない。良いも悪いもない。善も悪もない。優越感も劣等感もない。事実としてそうなのだという意味でしかない。
 そういった観点で、単なる事実としての意味で、多数派ではなく少数派であるところのヘレルはいったいどのプロセスが壊れているのだろう。
 おれは、デコーダが壊れているわけではないと考えた。
 多分、データの受信装置が壊れているのだろう。データが壊れているといってもよい。認識が壊れている。
 おれとヘレルは似ているようで、壊れている部分が違うのだ。
「ん!」
 ヘレルは弾かれるようにビクンと反応した。おれは、なんだ? と首を傾げる。
「おまえは誰だ!」
 ギョロ目がきつくおれを睨み、四本腕がファイティングポーズをとる。
「おれはクリムガン。そう分類されているポケモンだ」
「知らないやつだ……おまえはここを通る気だな?」
 行く手を阻むとおせんぼうのように、ヘレルの四本の腕が広がる。
「通る気はない」
 おれのなかに、一種の連帯感のようなものが生じた。
 おれとヘレルは壊れている部分が違うけれど、どちらも壊れているという意味では同じだ。だから共感した。
 おれが誰かに共感するなんて、プロトーガがアクロバットするようなものだが、たまにはそういったことが奇跡的に起こる確率だって存在する。おれにはちゃんと心があり、感情があるのだし。
 ただ、少なくとも普通のデコードとは異なるから、誤解が生じやすい。それをおれもよく理解していて、だから経験則で補っている。説明を過剰に加えてみたり、時には比喩表現を用いたりもする。こんなにもコミュニケーションを図ろうとしている個体もいないのではないかと思うくらい。
「なあ、ヘレル。おれと一緒に来ないか?」
「ん? わたしはムジカのポケモンだぞ」
 やっぱりムジカというのはトレーナーか。
「でも、墓場で一匹だけなんて寂しいだろう。ポケモンセンターならたくさんのポケモンやトレーナーがいて、タブンネもジョーイもいるし、今ならおれの友達のワルビルもいる。寂しくないと思うんだ」
「わたしはムジカがいるから寂しくないぞ!」
「時間が壊れているおまえにとっては、三分前の出来事が無限に感じられるんじゃないか。永遠の一秒に閉じ込められているなら、タブンネがずっといるポケモンセンターの方がおまえにとって幸せなんじゃないか」
「しあーせってなんだ?」
「考えないことかな」
「じゃあ、わたしはしあーせだぞ! なにしろほとんど何も考えてないからな」
「でもおまえみたいに時間が壊れた存在を、一匹だけでこんなに放っておくなんて、良くないトレーナーだ。タブンネが知ったらきっと怒るに違いない」
「別にいいんじゃないか?」
「そうか……」
 時間は壊れているが、ヘレルの方が会話する能力という意味ではずっと正常に機能しているように思う。ずっと壊れっぱなしというわけでもないのだ。少しは「正常」と呼ばれる方向に近づいてゆく。正常と異常を行ったり来たりしながらも、方向性としては訓練可能だ。
 おれはずっと前に一匹のプルリルをしばらく世話してみたことがあるんだが、時間が壊れたそのプルリルも、二週間もすれば場に慣れていた。あいかわらず会話はむちゃくちゃで、通じているとは言いがたかったが、なんとなくおれの意図を察して、行動することができていたように思う。
 例えば、昼になったらきのみをやるから、毎日同じ場所に来ること。
 そういうふうに何度も何度も教えれば、時間が壊れていても、いずれはスムーズに行動するようになる。
 昼になった。あの場所に行こう。プルリルはふわふわした調子で泳いでやってくる。デコードが正常に機能しているから、そうすることも可能だ。データは壊れているから、昼が昼であると認識されるまでに何度も何度もインプットしないといけないが、昼であればあいつがやってきてごはんをくれるのだなという解釈は、おれよりずっと上手いのだ。
 おれの場合は、昼になれば食事をするというのを無限に思えるデータの中から検索し、そして最善と思える行動を出力しているのだ。デコーダが壊れているので仕方ない。最善と思える行動を、その場その場で計算するか、検索するかしかない。
 おれとヘレルと正常という三つのカテゴリがあるとすれば、ヘレルの方がずっと正常に近い。
 おれが正常という軸に戻ることは至難だ。そもそもそういうフォーマットが存在しない。しかしヘレルの方はデータが壊れていることを除けばデコード自体は正常なのだから、感情や言葉もずっと正常に近い。
 おれにとってはひどく羨ましくて、そしてずるいという感覚。
 いつかのときに世話していたプルリルは、飽きて食った。




「おまえは誰だ!」と、ヘレルは言った。
「おれはおまえじゃないポケモン」と、おれは言った。「そして今はおまえを殺したいと思ってる」
 ヘレルは、人間がちょうど腹を抱えるみたいに、下二つの手を棺に当てて笑った。
「わたしは既に死んでいるから、これ以上死なないぞ」
「もっともな話だ。でもそれなら無言のままがいいと思うぞ。おしゃべりな死体なんて無粋だ。せっかくの可愛い死体が台無しだと思わないか、ヘレル」
 ヘレルはおれにビシッと指を突きつけて、「わたしの名前がヘレルだと、どこで知ったのだ! おまえはもしかしてスパイだな!」
「自分、草いいですか?」
 スパイのことを古い言葉では草と呼んでいたので、ちょっと高等な冗談を言ってみたのである。
 後悔はしていないし、後悔する心も持ち合わせていないが、アホみたいだなとは思った。おれはデコーダが壊れているが、外形的には普通のクリムガンなのだ。タマゴから生まれてそれほど経っていないし、内的世界もそこそこ子供っぽい。だからくだらないジョークはそれなりにアホみたいだと感じるのだ。
「ここは通さないぞ。ムジカが通しちゃだめって言ってるからな」
「通る気なんてない」
 だいたい、そのムジカは何をしているんだ? なんでここをヘレルに守らせているのだろう? 疑問だが、別に興味はなかった。
「おれはおまえのことが欲しいんだ。ポケモンセンターに連れていきたい」
「わたしはどこにも行かない。だってムジカは来てくれるからな。いつかはわからないけど、絶対来てくれるからな」
「トレーナーを信頼してるのか?」
「信頼ってなんだ」
「対象がどういうふうに動くか予測できるってことだ」
「よくわからんぞ! おまえはわたしを撹乱(こうらん)しているな! わかったぞ。おまえは敵だな!」
「攻撃する意図はない。さっきはちょっと殺したいと思ってしまったが、よく考えたら人のポケモンを盗ったら泥棒ってタブンネが言ってたな。ふう……危なかった。もう少しでタブンネに怒られるところだった」
 おれは胸を撫で下ろす。タブンネが悲しもうが、泣こうが、喚こうが、あまり心苦しくはならないおれだが、なんとなく避けたい気分が働くことも多いのがおれだった。快楽原則が壊れているおれでも比較的正常なデコードが可能な部分があるのかもしれない。それが、タブンネに関する事柄だ。
 おれが生きてゆくための雛形として、タブンネの規範はフォーマットになりうる。まったく理解できないし知りもしない言語をそっくり書き写す作業に似ている。デコーダが壊れていても、そうやって普通らしさを装うことで、生きてゆける。
「普通らしく好きなものを手に入れる方法ってなんだろう……」
 そもそも好きってなんだろう。恋ってなんだろう。
 恋は来いを語源として、おれから湧き上がるものではなく、モンメンの綿みたいに空中に散布されているものなんじゃないか。それでそれをたまたま吸い込んだら、花粉症みたく発症する。
 おれの中のデコーダが震える。
 何かを形にしようとしている。ひとつの巨大な隠喩。多分それが何なのか苦労もしないでわかっているのが、いや、わからずとも自分という存在を確定させることができるのが、正常な装置。
 言葉としては知っている。
 実態としては知らない。

 愛。

 ――というもの。
 同一のデコーダを持つ者同士が、データを共有しあうことを、そう呼んでいるらしい。
 おれは異なるデコーダを持つから、共有なんかできるわけがない。まだ目の前の死体の方が共有しあえる可能性がある。データは壊れているが、デコーダは壊れていないから、共有しあえる部分がある。
 だから、おれがヘレルに殺意を抱いたとしても、それは至極まっとうな論理であり、何も異常なところはない。嘘つきは死ねばいいのにと思うのと、極端な話、同じだ。
「ヘレルはどちらかといえば、おれが知らないことを知ってるんだな」
「んー、おまえは誰だ」
「おれはおれ。そうとしか答えようがない」
 違う。
 それは嘘だ。
 本当は、おれは「おれ」を知らない。
 おれというのは象徴的な記号、Φ(ファイ)のこと。一枚の大きな鏡。
 だとすれば、おれの鏡はひび割れていて、時々歪んでいたりするのだ。空中に散布された鏡を拾い集めるようにして、そうやって無限に思える努力を経て、「おれ」という言葉を使うのだ。
 おれは努力家ですから。
「そうか。ここから先は行かせないぞ」
「野生のクリムガン、どこから来てどこへ行く」
「てつがくだな!」
「そんな大仰なもんじゃない。今日はどこに散歩に行こうか程度の意味しかない」
 おれはそう言って、立ち位置を自分の良い具合に直した。
「少しは期待していたところもあるのかもしれない。おまえは壊れてるから、もしかしたらおまえとなら言葉を交わせるかもしれないって。もしかしたら共有できるかもしれないって。それは多数決的にいえば少数派ではあるけど、それでも疑似的に正常な気持ちを味わえるんじゃないかって」
 データ共有による快楽を。
 わかりあえたって気持ちを。
「でも、無理みたいだ。おまえはおまえで壊れているみたいだが、おれとは違う壊れ方だから」
「よくわからないことを言ってるな!」と、ヘレルは言って、腕でバッテンを二つ作った。「ここは通さないぞ」
「通るつもりなんかない」
 この会話を傍から見ている者は、面倒だなと思う確率が高そうだ。
 おれは、そもそもそんな会話を四六時中行っているようなものだ。
 おまえたちの会話は嘘だらけ。デコーダによる情報共有を真実と誤解している。
 そうじゃない。それはみんなでつくりあげた幻想に過ぎない。現実は、データは、おまえたちには決して到達しえない彼岸に存在する。
 何故って、おまえたちの超自我は自動的にデコードしてしまうから。デコードを意図的に停止できるのは、おれのような存在だけ。
「あ、ムジカ!」
 墓場から、人間がやってきた。おれは急いでその場から離れ、木の陰からこっそり覗く。気配を消して全力で隠れる。
 人間が怖いわけではない。ただ、ムジカはおれとは違うルールを持っていて、違う演劇をしているようだから、その演劇を邪魔したらいけないと思って隠れたのだ。おれもたまには演劇に参加することはあるが、ゼロから覚えてゆくのは大変で、だからよく観察しようとする。結果として、覗き見していることが多い。
「ヘレル、今日はちゃんとここで待っていられたのね」
 当然だぞ、ムジカが守れって言ったからな、覚えてたぞ! 人間には通じない声で、ヘレルはそのように言っていた。
「いいこ」
 金ピカのボディーを優しく撫でられて、ヘレルは本当に嬉しそうに、四本の腕をふよふよとバンザイみたいにさせていた。赤い目も笑っていた。
 その撫でられているという時間も、瞬間的に生滅しているのかもしれないが、ともかくおれの目の前で繰り広げられている映像は、おれの少しばかりの観察結果に基づけば、デコードの共有状態であろうと推測できた。いずれはヘレルもさらにデータの崩壊が進んで、ムジカのこともわからなくなってしまうのかもしれないが、それでも停止する最後の瞬間まで、ヘレルはデコードされたデータを共有しようとするだろう。
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 おれはフキヨセシティに戻ることにする。
 もはやここにおれの居場所はない。




 ポケモンセンターに戻ると、大好きなタブンネが待っていた。
 いや、別に好きとか嫌いとかそういうことを思わないわけじゃないんだ。
 わざとそう思い込んでいるというか、演技しているというか、そんなような部分もあるが、これは嘘に対する受容だ。おまえたちが無意識に押し込めて隠したものを、気付かないフリをしてやってるだけだ。
「おかえり、クリムガン」
「ただいま、タブンネ」
 意味もわからず、笑顔で出迎えられる。おれはいつものシークエンスに従って、微笑んだような顔になる。そうすると、タブンネは安心したように息を吐く。
 タブンネは正常に生きるポケモンで、デコードを共有しようとする。ジョーイと共にポケモンセンターで働く身だし、おれを放っておけないのは当然だし、おれと話をしたいと思うのも当然だ。
 置き換えは可能だろう。
 おれがヘレルと同じように、データが壊れているタイプだったとしても、タブンネは笑っておれを出迎えようとするだろう。
 嫌いじゃないよ。
 嘘つきだらけのこの世界で、そういう幻想が溢れているのは知っているから。
 でも、タブンネにだけは気付いてほしいと思っているのかもしれない。
 だから、こんなにも殺意が膨らんでくるのかもしれない。
 本当にわかりあおうとしていないのは、タブンネの方なんだって――




 その日、おれは野生のシキジカを殺してバラバラにした。





【名無しのクリムガン】

じょうたい:Lv.35 HP60% 4V
とくせい :?
せいかく :?
もちもの :なし
わざをみる:かえんほうしゃ ??? ??? ???

基本行動方針:きれいな夕陽が見たい
第一行動方針:殺意を満たす
第二行動方針:自分が生まれた橋を探す
現在位置  :フキヨセシティシティ・ポケモンセンター

 ピカピカの 黄金の 体。 もはや 人間だった ことは 思い出すことは ないと いう。
(ポケットモンスター ソード 図鑑説明文より)
 
 長らく放置していたこのシリーズですが、思いがけずモチベーションを得たので新作です。

  



 


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