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共有地の喜劇 の履歴(No.1)


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「どけよっ! この特等席は俺のもんだぞ!」
「なにいってんのよ! あたしが最初に見つけたんだからっ」
 ごつごつとした地面からどっしり伸びる大樹の上で、ぴーちくぱーちく甲高い鳴き声が響く。片方の小鳥が体当たりをかますと、相手の小烏(こがらす)が反撃につつき返す。小さなとりポケモンたちが、木のてっぺん、お日様の光を心地よく浴びられる場所を奪い合っていた。
「いってえ! やりやがったな、これでもくらえっ」
 怒った片方が、さらなる反撃に出た。木の枝を一本折り取って、相手に放り投げたのだ。相手は慌ててかわしたが、もしよけられていなければダメージを受けていただろう。
「なにすんのよっ……そっちがその気なら!」
 相手も負けじと、枝を折って攻撃する。こちらはもっと賢かった。くちばしで枝を咥えて、相手に狙いを定めてつついたのだ。
「いだあっ……」
 ただつつくのとは段違いの威力に、相手はたまらず飛び退いた。小さな羽で羽ばたくも、体勢を立て直すのが間に合わず、べしゃりと無様に地面に墜落する。戦いの勝者は、ぺっ、と木の枝を吐き捨てると、樹上から誇らしげに彼を見下ろした。
「やーいやーい! 悔しかったらここまで上がってきてみなさいよ! また何度でも突き落としてあげるから」
「て、てんめえっ……」
 体を起こし、彼女を負けじとにらみ返す烏。
 再び戦いの火蓋が切られそうになったとき、地面がぐらぐらと動きだした。
「う……うわあっ⁉」
 はじめはぶるぶる、しかしだんだん揺れが大きくなり、大樹すらもゆさゆさと大きく揺さぶられるほどになった。木の上の小鳥がバランスを崩して落ちていき、地面のカラスに激突した。
「ぐええっ……!」
「いたた、な、なんなのよお!」
 カラスが下敷きになったおかげもあり、小鳥はほぼ無傷だった。彼女が文句を口に起き上がった、そのとき。

「なんなの、はこっちの台詞だ……いい加減にしろおっ!」

 大地が、大音声(だいおんじょう)で彼女に答えた。
「ぴいっ⁉」
 その声に、二匹まとめて小鳥たちは震え上がった。彼らに声の主はわからなかったが、大きいものは強いもの、強いものは怖いものと本能的に知っている彼らにとっては、声の主が怒っているというだけで命の危険を感じるものだった。

「ぼくも、この背中に生えてる木も、生きてるんだ! モノじゃないんだぞっ! ああわかってるとも、子供は喧嘩するものだ。喧嘩くらい好きにやったらいいさ。だけどな、おまえたち、疲れ切るまで喧嘩したら、その後はこの木に帰ってきて休みたいんだろう⁉ だったら、粗末に扱っちゃだめじゃないか!」

 二匹とも、羽の根っこまで響くその重々しい声に、今や声も出せずに聞き入っていた。

「……ぼくは君たちより大きいけれど、君たちのタイプにはめっぽう弱いんだ。君たちがもっと大きくなったら、君たちが喧嘩するだけで、この木なんてあっさり枯らされてしまう」

 その言葉は、二匹にとって衝撃だった。彼らにとって、大樹は冷たくて暗い夜の危険から自分たちを守ってくれる家であり、たわわに実る恵みで腹を膨らませてくれる食事処であり、彼らが暮らしていくために必要なすべてだったからだ。そんな偉大な世界自体を破壊する力を自分たちが持っていると、だれが思いつけよう?
 彼らが納得したのを気配から感じ取ったのだろう。大地は語調を和らげ、一言一言区切りながら彼らに語りかけた。

「この木は君たちみんなの家なんだ、だからみんなにお願いするよ。君たちだけじゃない。根元のうろに潜り込んでるケムッソも、枝から垂れてるミノムッチも。みんな、助け合って仲良く暮らしてほしい──」



「情けない。おまえのこんな姿を見ることになるとわかっておれば、わざわざ起きて来なかったものを」

 まどろんだ意識、閉じたまぶたの向こうから、大地さえも震わせるほどの重苦しい声が響いてくる。しかしそれは、相手を怖がらせようとしてのものではなかった。むしろ、どこか平板な、感情の乗らない語り口だった。
 その声には聞き覚えがあった。遙か彼方のかすかな記憶、まだご主人と旅をしていた頃。ほんの一時期だけ、彼とは一緒に行動をしたことがあった。ぼくと同じくらいの大きさのやつは珍しくて、しかも肩口にこんもりと植物を生やしていたりしたから、ぼくはますます親近感を持って饒舌に話しかけたものだった。しかし、彼が返事をしてくれることはめったになかった。
 ゆっくりと目を開く。ぼくの頭の上から垂れ下がっているコケの向こうには、見事な純白の雪景色と、凍り付いた湖のつるりとした水面。その視界のど真ん中に、懐かしい姿がどっしりと屹立していた。

「ひさしぶりだね、レジギガス」
「どれほどの時が流れようと、我にとっては瞬きするような時間にすぎぬ。だが、ここはおまえに合わせてやろう……久しぶりだ、ドダイトス」

 雪景色に溶け込んでしまいそうな白い胴体。金色の装飾に彩られて、三対の瞳がこちらを見下ろしている。
 カラフルな色彩だけが宙に浮いているみたいに見えて、まるで神様みたいだな、と思った。神様嫌いの彼にもしそんなことを言ったら、思いっきり殴られちゃうんだろうけど。

 ◇ ◇ ◇

「三つの湖を、巡りたいと思ったんだ」
 レジギガスといっしょに、ぼくはエイチこのほとりをゆっくりと歩いていた。空はすっかり晴れ渡り、中天の太陽が冷えた甲羅をぽかぽかと暖めて気持ちがいい。
 だんだん、眠る前のことを思い出してきた。エイチこまでもうすぐというところで吹雪に見舞われ、(めくら)なままにしばらく進んだところで、寒さと疲労に耐えきれず行き倒れてしまっていたのだ。幸運なことに、ぼくが倒れた場所はエイチこのすぐ近くだったらしい。
「レジギガスは、どうしてぼくのことがわかったの?」
 記憶が正しければ、普段の彼はキッサキしんでんで眠りについているはずだ。彼にぼくの来訪を知るすべはない。
 だというのに、彼は今ここにいる。よく見てみると、手には立派な注連縄(しめなわ)を携えてもいる。注連縄は彼の神話で重要な役割を果たす、大事なお供え物。それを神殿からわざわざ持ってきたのは、きっとぼくを引きずってでも連れて行こうと思っていたからに違いない。
「それは、俺たちが呼びに行ったからだよ! ドダイトスさんにこんな寒いところで倒れられちゃったら、俺たちみんな引っ越さないといけなくなっちゃうからねっ」
 返事は、ぼくの背中の上からあった。ばさばさと木から飛び立ち、ぼくの目の前で若いとりポケモンが滞空する。
「吹雪がやんだ途端、俺は言ったんだっ。前に話してくれてた、ドダイトスさんより長生きな巨人さんなら、きっとなんとかしてくれるって。それで、みんなで一目散に神殿に飛んで行ったってわけ。中に入っていくのはちょっと怖かったけど、なんてことないさ。なんせドダイトスさんには、俺たちのひいひいひい……とにかく、すごい上のおじいちゃんの代からお世話になってるんだから!」
 彼を追うようにもう一匹が現れ、挑戦的な瞳を向けた。
「へーえ、怖かったんだあ? あたしはぜんっぜん、怖くなかったけどね。それに間違えないでよね、おじいちゃんだけじゃなくて、おばあちゃんもいたんだから!」
「うるっせえ! いっつも一言多いんだよ、おまえはっ」
「なにおう!」
 そのまま二匹は、ぼくらそっちのけで喧嘩を始めてしまった。空高く飛び上がり、空中でつつき合っている。まだ幼いから技の威力も弱く、大怪我にはつながらないだろう。微笑ましいものだ。
「そういうわけだ。ぴぃぴぃと五月蠅(うるさ)い小鳥に起こされてな。わずらわしくて仕方がないゆえ、やつらの要求を聞いてやることにした」
「そりゃあ悪いことをしたね。でもありがとう、きみがいれば安心だ」
「おまえのためではない。礼ならあの迷惑な小鳥どもに言うがよい」
 何もかもが移りゆく世界で、彼だけは変わらない。ぼくは苦笑し、(こうべ)を垂れた。

 ◇ ◇ ◇

「いし・ちしき・かんじょう。人を人たらしめる、三つの要素」
 エイチこをぐるりと一周したあと、ぼくたちは南へ向かう道を一緒に歩き始めた。鳥たちは遊び疲れて、ぼくの背中に戻って休んでいた。
 レジギガスは、起き抜けが一番調子が出ないタイプだ(ご主人とそっくり)。一度起こされてしまったのだから後は同じようなものだ、といって、ぼくの旅についてきてくれることになった。道すがら、ぼくはこの旅の目的について話し始めた。
「それはぼくらポケモンにとっても変わらない。長く生きすぎると、それらがすり減っていくみたいな感じがしてね。昔みたいにバトルしたいという欲求とか、もっといろいろなことを知りたい思いとか、誰かが死んで悲しい気持ちとかが薄らいでいく……。だから、湖の守護神たちに会いたかった。彼女たちなら、ぼくが忘れかけている何かを思い出させてくれるかもしれないと思った」
「無駄だろうな。あいつらは筋金入りの人間びいきだ。よっぽどのことがない限り、おまえひとりが出向いたところで現れることはなかろう」
 レジギガスがぴしゃりと答える。それがなんだか気持ちよかった。年をとると、みんな尊敬してくれるから、正直なことを言ってもらうのは逆に難しくなる。
「そう、だろうね」
「あの人間はどうした? あやつを連れておれば、無駄足を踏むこともなかったものを」
「彼女は……ご主人は、もういない。もう、とっくの昔にいなくなったよ」
 レジギガスは、返事をしなかった。沈黙が流れるのがいやで、ぼくは話し続けた。
「きみって、ほんと時間の感覚がないんだね……ぼくらが最後に会ってから、もう六百年近く経ってるってのに!」
「ろっぴゃく……」
「十年が十回あって、それがさらに六回あったってこと」
「そうか」
 生返事。エイチこの近くに住んでるくせに、相変わらず大きな数すら数えられないようだ。ユクシーに会いに来たのは無駄だったかもしれない。
 彼が覚えていられる唯一の数は、手ずから造った配下のポケモンの数だけ。きっと六百年という数字も、あっという間に忘れてしまうに違いない。
「鶴は千年亀は万年なんていうけど、あれはただの言葉遊び。ぼくは今年で五八七歳になる。種族の中でも長生きしたほうさ。だからさ、確かにぼくは情けない姿になっているかもしれないけど、仕方のないことなんだよ」

 すべては過去になる。すべては土になる。

 首をもたげて、自分の体を見回す。かつては、地を踏みならすだけでじしんすら起こせた自慢の剛脚も、今では自分の体を支えるのが精一杯。昔ほど食欲がないから、体中に生えてくる苔を食べるのが間に合わず、ぼろのように甲羅からあふれて垂れ下がっている。
「なんだ、あの言葉を気にしていたのか。我の言おうとしていたのは……」
「ああ、やめてくれ、ぼくの体についてこれ以上言うのは。分かってるんだ。受け入れてもいる」
 レジギガスはじっとぼくを見、前に向き直って続けた。
「……それほど長い年月が流れた割には、人間の暮らしは変わらぬように見えたが。我の祭壇には、食物も縄も絶えず供えられておった。ここに来るまでに見えたキッサキの町も、以前と変わらぬ姿をしておった」
「そう、思うだろうね。だけど本当に、いろんなことがあったんだ。ぼくのことなんかより、君が眠ったあと何があったのか、それを話そうじゃないか」
 ぼくは老い、体は衰えた。もうバトルなんてもってのほか。今のぼくに自信があるのは、長い時をかけて蓄積した知識くらいのものだ。
 ずしん、ずしん、二つの巨体が歩を進める音を背景に、ぼくは歴史を語り始めた。



 僕らが出会ったあの頃は、すごい時代だったよね。人間の技術がどんどん進歩して、ついにポケモンの能力を追い越し始めたんだから。人間はその力にものをいわせて、どんどん生息範囲を広げていった。彼らにできないことなんてないかのように思えた。
 それは間違いだった。
 シンオウの土地に限りがあるのと同じ。この世界──地球、って人間は呼んでる──の土地にも、同じように限りがある。どれだけ森や山を切り開き、海を埋め立て、建物を高くしても、生きられる人の数には限界があった。
 そしてなにより、地球が、この世界自体が、悲鳴を上げ始めた。気温が上がり、空気が汚れ、砂漠が広がり、病気が蔓延した。たくさんのポケモンが、絶滅の危機に瀕した。

 人類は少しずつ気づき始めた。人類とポケモンが生き延びるには、地上に生きる人間の数を減らし、環境の破壊を止めるしかないということに。
 新たな教義が生まれた。マイナス成長、効率化、環境負荷の削減。人類は成長の歴史を急速に逆戻りし始めた。
 にもかかわらず、人類の技術は発展を加速させていた。ポリゴンたちが賢くなって、そのおかげでもっと賢いポリゴンが生まれて……ってのを繰り返し続けて、彼らはとてつもない高みにたどり着いてしまった。ぼくではとうてい理解しきれないくらいの高みにね。

 その技術超発展(シンギュラリティ)の集大成が──『ボックス』だ。

 ◇ ◇ ◇

「見た目は、僕の甲羅の何倍かくらいしかない、真っ黒な立方体。だけどその中に、何万何十万、とにかく数え切れないくらいの人が入っているんだ。身体を捨て、意識だけの、心だけの存在になってね。環境負荷の究極の削減だ。
 きみは見たことがないだろうし、今後も目にすることはないだろう。ボックスは風化を防ぐために、安定な陸塊の地下深くとか、宇宙空間に置かれてる。きみが風雨を避けるために神殿の奥深くで眠るのと同じだね。
 彼らは永遠の命を手に入れる代わりに、過ちを繰り返さないため、二度と物質世界に干渉しないと固く誓った。今では、いくら呼びかけても返事すら返ってこない。外のぼくらからしたら、あの人たちは死んでるのと同じ。あの黒い石は、彼らの墓標だ」

 すべては過去になる。すべては石になる。

 大亀(ドダイトス)の語る内容は荒唐無稽すぎて、我にはほとんど理解できなかった。耄碌する寸前なのだろう、話したい内容を忘れたり、途中で急に寝はじめたり、同じことを繰り返したりしながら、一週間にわたって彼は歴史の話を続けた。
 一体どこまでが本当のことなのか。少なくとも──何百年といったか忘れたが──かなりの年月をこの亀が生きたのは確かなようだった。
「面白いよね。ご主人なんて、ボールを投げるのがうまかったから、たっくさんポケモンを仲間にしてた。だけど、そんなに一度には世話できないから、みんなパソコンに放り込んじゃって。今じゃあ、『ボックス』のなかにこもってるのは人類のほうってわけ! はは、はははっ……」
 何が面白いのか、彼は腹を揺らして笑い出した。
「……もう、肉を持った人間は、地上にはほんのちょびっとしかいない。ときどきボックスの管理をしつつ、伝統的な生活を営むことを選んだ人たちさ。暮らしは素朴で、より多くを望むこともない。残りの土地は全部、ポケモンたちのものに戻った。
 人類の築いた都市が崩れ去っていくのにあわせて、地球は少しずつ元に戻り始めた。エイチこの周りも、前はもう少し暖かかったはずだったんだけどね。油断したよ。あんなにひどく吹雪(ふぶ)くとは、思って、なかった……」
 ず、しん。
 ひとつ地鳴りがして、足音が途絶えた。横を振り向くと、大亀が床に突っ伏していた。
「何をしている」
「すまない。どうやらぼくは、ここまで、らしい」
 先ほどまでの元気が嘘みたいに、声が弱々しい。ぴぴぃ、鳥たちが心配そうにさえずっている。
 大声で笑ってみせたのは、からげんきだったのか。
「でも、大丈夫。もう十分暖かいところまで来たから、冬が来てもこの樹は枯れたりしないはず……この子たちも、ずっとここで生きていける」
 大亀の言葉を、我はもう聞いていなかった。肩にかけていた注連縄(しめなわ)をほどき、彼の胴体に回していく。
「無理、だよ……ぼくの足はもう動かないんだ。忘れたのかい、若い頃、きみはぼくに相撲で勝てなかったじゃないか。引っ張っていけるわけがない」
 知ったことか。
「ねえ、それより、お願いがある……ぼくがいなくなったあと、何年かでいい、この子たちの面倒を見てやってくれないか。もうしばらくは地球の気候が不安定かもしれない……大風が吹いて、この大樹が折れることがあったりしたら、この子たちをかくまってやってほしい……それ、だけ」
 亀の戯言を無視し、黙々と作業を続けていく。何重にも縄を回し、解けないようにきつく縛り上げる。
「おい、起きろ……行くぞ、引っ張ってやるから歩け」
 声をかけても、返事がない。だがよく見ると、腹が少しだけ上下している。まだ、こいつは生きている。
「本当に情けのない……!」

 ふざけるな。勝手に達観して、諦観して、悟った風にべらべらしゃべって、勝手に我を置いていくな。

 縄を肩にかけ、まっすぐに引く。人間どもによって丁寧に作られた縄は、たいりくポケモンの重さにもしっかりと耐えていた。
 じり、じり、少しずつ、彼の足が地面を滑り始める。一歩歩むたび、調子が戻ってくる。ペースを上げていく。

「いいかよく聞け、おまえは間違ってる。何もかも間違ってる。
 まず、おまえに相撲で負けたのはなあ、我がまだ本調子ではなかったからだ。我はかつて、本物の陸地さえ引っ張ってきて、ヒスイの大地を、人間のために広げてやったのだぞ。
 本気の我の前では、おまえなど目でもないわ。我がおまえを気に入らなかったのは、勝ち負けなどというちんけな物事のせいではない。断じてない!」

 一歩、また一歩踏み(いで)て、彼の方を振り返る。
「我は、人間に大地を与えた。だが、おまえは、おまえ(・・・)自身が(・・・)大地だった(・・・・・)。我よりもずっと大きな背中に、たくさんの命を生かしていた。そんなおまえが、我は、我は……!」
 大亀の背中に生える大樹は、会っていない間にますます生い育ち、今では彼の体高の何倍もの(・・・・)大きさがあった。さっきの鳥たちを含め、数え切れないほどのポケモンがその内には息づいている。その威容は、我をもってして驚嘆させられるものだった。
 これほどの命を支え育てながら、どうしてそれを誇りに思わない。
 おまえほどのやつを、こんな何でもない場所で、どうして死なせられようか。









 シンジこのほとりに着いて、数日が経った日の夕方。
 南に下り、気温が暖かくなったことで、大樹の活動が活発になり始めた。たわわに実った林檎に、住人のポケモンたちがありついている。
 無数に実る赤々とした林檎の一つが、ひとりでに枝からもぎ取られたのに我は気がついた。そのままふわふわと浮かび、犯人の口元へと運ばれる。ちいさな口で一口かじって、味わい、ごくりと喉を動かして、おいしそうに飲み込む。
 普段なら、関わることなく放っておいただろう。だが、今の我は、やりきれない感情をどこかにぶつけたくて仕方なかった。
「いまさら、何をしに来た……エムリット」
 口調にとげが混じる。
 遅い。やってくるのが、ほんの少し遅すぎた。こいつが暇さえあればシンオウじゅうを飛び回っていることを考えると、数日で出会えたのはむしろ幸運というべきだろう。だが、それでもタイミングの悪さに拳を握りしめずにはいられない。

 つい先刻、ドダイトスは静かに眠りについた。

 あのあと、彼は結局ずっと目を覚まさなかった。だが、息を引き取る直前、消えかかった命の灯火が最後に燃え上がったのか、朦朧とした意識で、彼は熱に浮かされたようにうわごとを口にしていた。
『やった、勝てた……うれしい、うれしいなあ……ご主人、褒めて、褒めて……』
『いやだ、いかないで……もう、ぼくにはご主人しかいないんだ……おねがい、いかないで……』
 そして最後に、白く濁った瞳を大きく開くと、湖のほとりを睥睨して、
『大丈夫、任せてよおねえさん……ムックルは怖いけど、ぼくが守ってみせるから……』
 かすれるような声でつぶやくと、まるでとっしんするかのように足に力を入れ、しかし立ち上がることはできずに、そのままくずおれた。

 きっとあれらは、あの人間に向けられた言葉だったのだろう。もしかすると、このシンジこでかつて起きた何事かを、想起していたのかもしれない。
 だがそれはすべて、我の想像に過ぎない。それを語ってくれるおしゃべりな老亀(ろうき)は、もうこの世のどこにもいない。

 すべては過去になる。すべては塵になる。

「おおかた、この大陸亀の感情につられてやってきたのだろう。だが、それも無駄足だ……」




















 うつむいて、つぶやくように告げた次の瞬間。
「……と、思うだろう? 実は無駄足じゃないんだな、これが」
 エムリットのニヤニヤ笑いが目の前にテレポートしてきて、子供のように浮かれた思念を送ってきた。
「なんせあたしは『筋金入りの人間びいき』だからね」



「ま、君は口外する相手もいないだろうし、ばらしてもいいか……」
 エムリットの言葉の意味がわからないのは当たり前のことだった。しかしそれでも、その真意を尋ねずにはいられなかった。エムリットは渋々と、しかしどこか自慢げに話し始めた。
技術超発展(シンギュラリティ)の生み出した果実が、あのちんけな墓標で終わりの訳がないだろ?
 ほかにもたくさんのものを人間は思いついたし、今だって作り続けてる。『外の世界に干渉しない』なんてミョーな掟に従ってるから、どのポケモンにも気づかれない範囲で、だけどね」

 一口かじられた林檎を、彼女がくるくると空中で回す。その向こう、大樹にはまだまだ多くの赤い実がぶら下がっていた。

「例えば……砂粒より小さい無数の観測機械を、世界中にばらまいたりだとか」

 彼女は跳ね回りながら話し続ける。
「ミツハニーみたいに、協力して情報を集めては伝言ゲームで効率的に伝えていく仕組みだから、一つ一つはすっごく小さく作れる。チラーミィでも気にしない、エスパータイプでも気づけないくらいの小ささだ。あたしだってそれ自体が見えてるわけじゃあない」
 そこまで話したところで、彼女がピタリと止まった。
 その視線は、我ではなく、あらぬ方向に向けられていた。つられてそちらを見るも、そこには誰もいない。

「ただね。外の世界を見たことで生じた『感情』なら、あたしは誰よりも敏感に感じ取れるんだよ」

 なのに、彼女は確信を持って、そこをじっと見つめている。まるで、ノーマルタイプの我には見えない(ゴースト)が、そこにいるかのように。

「久しぶり……それと、ごめんね。あたし、知ってたんだ。君が彼のことをずっと見てたことも、どんな気持ちになってたかも、彼に伝えたかった言葉も、全部ぜんぶ。
 彼が生きてる間に、こっそり教えてやるべきだったのかもしれない。知識を何より重んじるユクシーなら、きっとそうしただろう」

 先ほどまでの楽しそうな雰囲気から一転、彼女は寂しそうに笑って、そのゴーストに向かって語り続ける。
「でも、あたしたち三匹は結局のところ、どうしようもなく人間びいきなんだ。その中でもあたしは、君たち人間の感情が愛おしくてたまらない。だから、君たちが何百年も守り続けてる掟を、無碍にできない。あたしには理解し難いものであっても、たくさんの人間の真摯な思いが生み出した結晶には、逆らえない」
 そこまで言い終えると、彼女は口をつぐみ、夕暮れの空を見上げた。もう、言うべきことはないといわんばかりに。

 結局、我には、エムリットの言葉は何一つ理解できなかった。まだ、我の疑問は解消していない。
「なぜだ……なぜだ。人間どもは、途方もない力を手に入れたのだろう。何でもできるようになったのだろう」
 エムリットの頬に、我は手を伸ばす。

「なのに、なぜだエムリット──なぜ、おまえの表情は晴れない」

 彼女は振り返ると、目を閉じ、我の太い指にこつんと額を合わせた。

「それが感情の仕事だからさ、レジギガス。悲劇の中に希望を見出し、万能の力を手に入れても必ず悲しみを見つけてしまう非合理性。それが、あたしの司る感情というものの、最も愛おしいところなんだ」

 彼女の言葉の意味が、やっと一つだけ、我にもわかった。
 我は片足を折ると、静かに三対の目を閉じ、この場にいないものたちへと黙祷を捧げた。


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