本作は♂同士の恋愛描写を含みます。お楽しみください。
前作【ガブリアスとジュナイパーで暖房いらずのクリスマスを本気出して書いてみた ?】
――ガブジュナが夏バテに効くってマジ?
「ほら、ネットにこんな書き込みがあるくらいロト。ミーの魂が真実を確かめろと轟き叫ぶロト!」
主人のスマホロトムが息巻いていた。ガブリアスはドン引きしている。
「それ、おまえが書いたんじゃねえだろうな」
「失礼ロト。捏造なんてすこししかしてないロト」
「すこしはしてるのかよ」
「見解の相違ってやつロト。リトルかアリトルかの違いみたいな」
「知らん、知らん。だいたい俺はな。アイツとは別になんでもねえよ」
「仲の良い幼なじみロト?」
「そうだが。だいたい、なんだよガブジュナって」
「ガブジュナとは、まあ正義ロト。我々の界隈では通常、前にくる人物が攻めで後にくる人物が受けロト。言いやすいように言ってるだけで受け攻めはあまり関係ない場合もあるロト」
スマホロトムが周囲を飛び回りながら得意げに解説する。ガブリアスは溜め息をついて首を傾げた。
「受けとか攻めとか、その時点で意味不明だな」
「知らないロト?」
「知りたくもねえよ」
「簡単に言えば、仲良くすることロト」
「ポケモン同士で仲良くしたら夏バテに良いって? 因果律もビックリだぜ」
「仲良くするロト。愛らしい二匹のようすに身悶えるロト。てえてぇーと叫ぶロト。夏バテの疲れも吹っ飛ぶロト」
「いみふ」
「意味なんていつだって不明ロト。いいロト? 世にあまねく存在する意味なんてものは、突き詰めてゆけば他者に伝達できるものではないロト。無限退行、循環論法、思考停止に陥るしかないロト」
「わかった、わかった。そんなにまくしたてるな」
「わかってもらえたロト。では、さっそくガブジュナするロト」
「わかったってのは、おまえのせいで夏の暑苦しさが三倍増しになってるってことだよ」
無論、人間にゲットされているガブリアスである。エアコンのおかげで家にいると基本的には涼しい。しかし世間はやにわに節電ムード。温度設定は二十八度がデフォルトである。夜ならまだしも昼はどうにも暑苦しいのだ。
ちなみに、本当に重要なのはエアコンの温度設定ではなく室温の方だ。人間は室温が二十七度あれば熱中症になる。
「失礼ロト。ゴーストタイプは常に寒気とともにあるロト」
人間のスマホに憑依しっぱなしのロトムがゴーストタイプの矜持などを持っていることに、ガブリアスはいささか驚いた。
「いやそういうことを言ってるんじゃねえし」
「じゃあどういうことが言いたいロト?」
「おまえは、要するにアイツにちょっかい出させて、それをネタにネットになんかしら書くってことだろ」
「スマホがネットに接続しなくてどうするロト」
「だとすれば、俺のプライバシーは白日のもとに晒されるわけだ」
「それがどうしたロト?」
「嫌に決まってんだろ」
「ユーが嫌がっていても、ミーは嫌じゃないロト」
ロトムのにこやかすぎる笑みが画面に表示されている。話が通じねえ。
「さて今日のユナイトバトルのデイリーは、と」
「ちょ、ちょちょ、ちょっと待つロト。話は終わってないロト」
「交渉決裂だ」
「待つロト。それじゃあユーの欲しいものを報酬として用意するロト」
報酬?
誰よりも頂点に君臨したいドラゴンタイプである。ガブリアスは現世利益にほとほと弱かった。
報酬次第ではやってもよいかもしれない。
この場合、ロトムに恥ずかしいプライベートをネットにアップされる危険はあるが、どうせ匿名の書き込みなど話半分である。だいたい、ガブリアスもジュナイパーもエオス島にはごまんといるのだ。簡単に特定もされまい。
「実をいうとユナイトバトルの環境をあまりに揺るがしてしまう高性能な『もちもの』が開発されているロト。その名もハイパーデラックスエターナルアドバタイズメントエオスビスケット! 通常では禁制品扱いで外部に下げ渡してはいけないことになっているロト。でもミーのフォロワーにツテがあるロト」
「ここまでうさんくせえと逆にガチっぽいな……」
通常、エオスビスケットなどというのは採用されない「もちもの」であるが、火力と耐久を両立する必要のあるガブリアスにとっては「もうこうダンベル」と同時に「エオスビスケット」でステータスを増加させることは重要であるため、ハイパーデラックスエターナルアドバタイズメントエオスビスケットがどういうものなのか知りたくはある。
「見せてみろ」と、考え考えガブリアスは口を開く。
「モノが見たいロト? なにぶん普段は禁制品扱いロト。おいそれとは外に持ち出せないロト」
「証明できるようなものはねえのか」
「それらしい画像ならあるロト」
スマホの縦長写真には箱に入ったビスケットが映っている。ビスケットの方はどうということのないエオスビスケットに見えるが、箱のほうはひと目見て豪華な作りになっていた。単なる紙箱ではなく蓋と器に分かれており、ビスケットが一枚一枚ビニールで包装されている。おまけに外箱にはリボンまでついている。
「こりゃあ、たしかに豪華だな」
ガブリアスはビスケットに見とれていた。誰も手にしたことのない強力なアイテム。そんなものがあるのなら絶対に欲しいと思ってしまった。
それを、この島で唯一、俺だけが使えるとしたら――
「じゃあ、引き受けてくれるロト?」
「ああ、いいぜ。いったいどんな強力な効果があるんだろうなあ?」
ガブリアスは不敵に笑った。にたり。
「さて、ユーにはこれを持っていってもらうロト」
外に行きたいとトレーナーにジェスチャーでねだったガブリアスは、だいたいいつものことだからとたいして心配もされずに許可をもらった。そこでロトムがガブリアスに寄越したのは、なんのことはないエナジーアンプである。ガブリアスは使う機会のないアイテムだが、珍しいものではない。
ひとりでにアイテムが浮かんで近づいてくるのが、なんともポルターガイストじみている。なるほどゴーストタイプらしいやり方だった。
「なんでこんなモン」
「ミーがある種の『でんじは』を飛ばして、このエナジーアンプを通してユーにメッセージを伝えるロト」
「ふうん。それで?」
「ミーがエナジーアンプで指示を送るから、そのとおりに動くロト」
「じめんタイプの俺に『でんじは』が通じるのか?」
「通じないロト。でも『でんじは』がかけられたことは感得できるロト? さすがに音を鳴らしたら気づかれちゃうロト。こっそりやるにはコレしかないロト」
「まあ、わかった。でもいきなりアイツに襲いかかれとか言われても無理だからな」
「相手がいることロト。お互いの気持ちをないがしろにするわけにもいかないロト。その点は柔軟に対応してくれていいロト」
襲いかかるというのは
「で、俺はなにをすればいいんだ? おおまかなところは聞いておかねえとな。ガブ、ジュナ? とかいうのがどういうのか、よくわからねえしよ」
「そうロト、説明しておくロト。まず、ユーはいつものようにジュナイパーのところへ遊びにいくロト。それから適当に散歩などして、いわゆるデートに行くロト。で、最終的には夏の暑さを吹っ飛ばすような仲良しの関係を見せつけてもらいたいロト」
「仲良しって言葉に、なんか陰謀めいたにおいがするんだが……」
「そんなことないロト。それにビスケットロト。ビスケット」
「そうだったな。あのビスケット、手に入れられるんだろうな」
「もちろんロト。なんとかしてみせるロト」
「チッ、本当かよ」
「疑り深いロト。野生のような思考のままでは人間のよさが受け継がれないロト」
「人間のよさってなんだよ」
「信じることを美徳とするところロト」
その言葉は確かにそうなのかもしれないと思うガブリアスである。ロトムの言うことに限りないうさんくささがあるのは別問題だが。
「まあ、いいか。じゃあとりあえず行ってくるけどな。おまえは離れたところから観察してるわけか? 部屋の中はどうする。あんまり近いとアイツは気づくぞ」
「ゴーストタイプを舐めないでほしいロト」
「覗き見か? ますます犯罪じみてきたな」
「大丈夫ロト。ユーの同意はあるロト」
「うーん」ガブリアスは尻尾をくねくね、ツメで顎の下を掻いた。「ま、いいか」
大雑把なガブリアスである。それが結論だった。
「おおい、いるかあ」
コツコツと窓を叩く。モクローとじゃれていたジュナイパーはすぐに気づき、部屋を出た。玄関へ回るのだ。ガブリアスもドアの前で待つ。
「やあ、いらっしゃい。どうしたの、今日は」
「別に。なんかおもしれえことはねえかなって思っただけだ」
このところガブリアスが退屈しているのは事実である。ユナイトバトルの環境はアマージョやギルガルドが流行していて、同じバランスタイプのガブリアスにはあまり出番がない。ジャングラーもアブソルが一強状態だ。
「おもしろいこと、ね」
ジュナイパーも似たような境遇である。あまりにアブソルが多いので、いわゆるマークスマンと呼ばれるスタイルのポケモンはバトルに出づらいのだ。ガブリアスの退屈を説明する必要もない。
「きみの言うおもしろいことって、けっこう限られると思うんだけどな」
「ンなこたねえだろ。俺は多趣味だぞ。出不精のおまえと違って」
「ジュース飲む?」
部屋に通しながら、ジュナイパーが気にせず話題を変えたため、ガブリアスも気にせずソファーに腰かける。尻尾がつっかえないよう、横長のソファーに横向きで独り占めである。
「もらえるモンはなんでももらうぜ」
「はいはい」
主人の部屋にガブリアスを残し、ジュナイパーはリビングへ消えた。こういうときに、ガブリアスはジュナイパーの暮らしぶりが人間のものに馴染んでいるなと感じる。両手が使えるというのは便利だ。ガブリアスの翼とツメではコップにジュースも注げないのだ。尻尾もあちこちつっかえるし、いまいち家とか家電とか道具とかいうものを活用できない。
「はい、どうぞ」
ジュナイパーが持ってきたのはシュワシュワ泡立つサイダーだった。人間の暮らしにあまり馴染めないガブリアスでも、夏といったらこれだよなくらいは思う。
「今日は、おめーンとこのご主人は? いねえのか」
「カジュアル戦だって。出せるポケモンに指定があって、いつもと違うポケモンで戦うらしいよ」
ジュナイパーは今日のところは留守番というわけだった。
ガブリアスは両の翼でコップを挟み持つ。飲みやすいように刺されてあるストローを咥え、じゅごご、としたたかに啜った。
「音を立てないの」
「音くらいいいだろ」
「蕎麦やラーメンじゃないんだから」
「あいかわらず細かいな、おめーは」
「礼儀作法にはそれなりの理由があるんだよ。礼って、元を正せば自然や宇宙の理のことを指すんだから、ポケモンだって無関係じゃない」
「宇宙ねえ。星のマークなら俺の顔にもついてるが」
「星なんて宇宙に比べれば小さな点みたいなものだよ」
「でもきれいだろ?」
「ずいぶんロマンティックなんだね」
「別にロマンティックでもねえだろ。きれいなものが好きなのは普通だ」
「普通って? 人間の言う普通のこと?」
「まあそうかな」
「それで、きみはロマンティックじゃないのかな」
「ヘッ、ロマンティックに決まってるだろ。ロマンが嫌いなオスなんかいねえよ」
「やっぱりロマンティックなんじゃないか」
喘息を患ったマメパトみたいな声でジュナイパーが笑い、自分のサイダーを飲んだ。そこで会話は途切れる。
無言が苦になる仲でもない。ガブリアスも平気な顔でソファーでくつろいだり、尻尾でモクローをリフティングしてキャーキャーいわせたり、のんびり過ごす。
しばらくそうしていると、持ってきていたエナジーアンプからピリピリとでんきタイプの気配があった。ロトムからのメッセージである。
『もっと積極的に』
――積極的にって。
いったいなにを積極的にしろってんだ。もっと話せってことか?
ジュナイパーのほうも話すことがなくなって、テレビでポケモンバトルの中継を眺めている。
「あー、そういやそっちのバトルではどうなんだ」
ガラル地方やフェルム地方のことは疎いガブリアスだった。ユナイトバトルでは向かい風のジュナイパーだが、他のバトルではどうだろうか?
「フェルム地方は、あいかわらずだね。強い選手がたくさんいるみたいだ。ガラルの方は、実はすこし前にザシアンやカイオーガや黒バドレックスに強いんじゃないかって言われてた」
「カイオーガとかバドレックスは、タイプ相性があるからわかるんだが、ザシアンとも戦えるのか?」
「裏にナマコブシを入れて、『かげぬい』と『バトンタッチ』でサイクル戦に持ちこむんだ。ザシアンはナマコブシで余裕を持って受けられるし、『とつげきチョッキ』を持ったジュナイパーは珠カイオーガのダイアイスもダイマックスなしで耐えられる」
「ほう、なかなかタフだな。でもサンダーはどうするんだ? 今も流行ってるんだろ」
「ジュナイパーでもダイマックスしてダイホロウでけっこう撃ち合えるんだけど、ゼクロムを採用すれば楽に立ち回れるみたいだ」
「へえ。ゼクロムって、伝説のポケモンでもあんまり話きかねえ方だよな」
「オーガザシアンには元々強いんだけどね……ランドロスやナットレイに隙を見せちゃうのがネックかな」
また「でんじは」がくる。
『もっと一般向けの話を』
注文の多いスマホロトムである。
しかし、禁制品ビスケットのためなら致し方ない。よくわからないが、ガブリアスはジュナイパーと仲良くしなければならない。そうでなければ夏バテで苦しむ者たちが救われないのだ。
「そういや、この部屋。涼しいな」
「ん? それは、エアコンをつけてるから」
「いや、エアコンはどこも緩くしてるだろ。最近」
「ああ、それはね。ちょっと空気の通り道を変えて涼しくなりやすいようにしてるんだよ」
「おまえが?」
「そう」ジュナイパーは目を細めて得意げな顔になる。「元ひこうタイプだからね。すこしは風も操れるんだ」
「そんな方法があるのか。俺にも教えてくれよ」
「簡単そうに見えて、割と難しいんだよ。持続力が必要だからね。きみには無理だ」
「暑くて死ぬぜ~」
「ここは涼しいだろ」
「そうだな」と、ガブリアスはうなずいた。「じゃあ夏のあいだは毎日おまえのところに来てもいいか」
「だ、だめだよ。迷惑だ」
ガブリアスがこういうことを言えば、すぐに戸惑うジュナイパーである。
「ンなふうに言われたら傷つくなあ」
「ぼくも、ぼくの主人も予定があるんだから。ちょっとは考えてくれ」
「なんだよ、いいじゃねえかよ」
「もう……鬱陶しいな」
ジュナイパーはすっと立ち上がり、空になったコップをキッチンに持っていった。マメな性格であるから、もしかするとコップを洗うくらいは家族に任せず自分でやってしまうかもしれない。ガブリアスのコップはそのまま置いてあるあたり気が利いているといえる。しかし今の場合は自分をいないもののように扱われた気がするガブリアスだった。
ジュナイパーを無言で見送る。
『じれったいロト。もっと仲良くするロト』
ロトムが「でんじは」でせっついてくる。そう言われても、相手があの調子じゃ無理なんだよなあ。
『窓を見るロト』
ガブリアスが顔を向けると、窓の外にロトムがいた。スマホに取り憑いていない、ただのロトムである。ジュナイパーがいないちょうどのタイミングに来るあたり、潜入捜査員かなにかみたいだ。
「なんだ」ガブリアスは窓を開けた。「ちゃんとやるべきことはやってるぞ。いつもと同じ調子だからな」
「ユーの話し方がちょっと自分勝手すぎるロト。もうすこしやさしくしてあげれば、きっとジュナイパーも柔らかい反応で返してくれるロト」
「でも、アイツは普段からあんな感じだぜ」
「まあユーの反応が硬いから、ジュナイパーも硬くなっているってことは考えられるロト」
「硬いか、俺」
「硬いロト。ミーが観察しているからロト? いつもより刺々しいロト。もっと自分を解放するロト。ジュナイパーのことが大好きだって気持ちを爆発させるロト!」
「好きっておまえ……」
顔が熱くなってくる。
そりゃあ、好きか嫌いかの二択を迫られれば好きだろう。いつかは交尾までした相手である。ガブリアスとて、仲良くしたくないかと言われれば仲良くしたいのだ。
しかし、誰かにそうしろと言われてするのとは話が違う。
それよりは、ビスケットのためということにしておいたほうが、ガブリアス自身もやりやすい。実際、表面的にはビスケットのためだと思いこんでいた。
なにしろジュナイパーは常にクールなもので、ガブリアスのことなど頓着しない態度なのだ。こちらだけが本気というのは、
「とにかく、もうすこし甘い雰囲気を出してくれないと、ビスケットを渡すこともできないロト」
「でもあっちの反応が冷たいんだよ」
「大丈夫ロト。案外、心のなかでもっとやさしく声をかけてくれればとか思ってるかもしれないロト。いや、思ってるロト。間違いないロト。なにしろガブジュナという言葉ができる程度には、ユーたちはぴったりのパートナーロト」
「だからなんなんだよ、そのガブジュナって……」
ジュナイパーがリビングから戻ってくるのを察知して、ロトムは素早く姿を消した。敏捷なでんきタイプであり、神出鬼没なゴーストタイプである。ガブリアスは窓を締め、再びソファーに体を預けた。
「どうしたの、窓の外なんか見て」
「いや、今日はいい天気だなと思ってな」
「さっきまで暑いって駄々こねてたくせに」
「暑いのはしんどいけどな。雨が降ってるよりはマシなんだ」
「まあ、そうだね」
ジュナイパーがうなずく。伏し目がちな、オボンのみによく似たイエローの瞳。盗み見るだけで明るい色だとわかる。
美しいものには弱いガブリアスだった。思えばルカリオもそうだった。ルカリオはエオス島の夕陽のように赤い目をしていた。美しいヤツってのは、まったく瞳まできれいなんだ。
それがいけないのだ。ジュナイパーの物憂げな目を見ているだけで、なぜかガブリアスはひどく
ジュナイパーと無言を共有するのは、どうということもない。しかし腹に一物を抱えた沈黙は、居心地が悪かった。ガブリアスはマッハポケモンの名の表す通り、高速で飛び回るのが性に合う。
「なあ、あのよ」ガブリアスは言葉をもつれさせながら言う。「外とか……」
「ん?」
「行ってみねえか?」
「こんなに暑いのに? どこに行くの」
「公園とか。森とか噴水とか、涼しそうな場所もあるだろ」
「湿度が最悪なことになってると思うんだけど……」
「いいじゃねえか。たまにはユナイトバトル以外で外に出ようぜ」
「ふうん」
首を傾げるジュナイパーは、なんとも具合のよさそうな表情に見えた。
いや――錯覚、錯覚。
事がうまく運べそうな気配に、ジュナイパーの表情が好ましいように映るだけだ。ジュナイパーはガブリアスが散歩に誘ったくらいで喜ぶわけがない。それほど簡単に崩れるような性格じゃないんだ、コイツは。
いつも真面目で、洗練されていることを好んでいて、ちょっとウィットの利いたユーモアを言うときもあるけど、本当は不器用で……
くそ。
ジュナイパーの返事を待つだけの時間が、ガブリアスは苦しい。鼻から息を吸い、長く吐き出す。
「いいよ。行こうか」
「お、おう」
よかった。存外すんなりと話が決まった。しかしそれはそれでどう反応したものだろうか?
だいたい、ジュナイパーというのはガブリアスの言葉に反発することが多い。大抵は論理でガブリアスを挫こうとする。それが今日のジュナイパーは素直だ。いや、コップをキッチンに持っていったあとぐらいからか?
いずれにせよ――これでひとつガブジュナに近づいたかもしれないぜ。
「じゃ、行くか」
「ちょっと待って。外に出かけるならすこしは準備しないと」
「なんの準備だよ。人間じゃあるまいし」
「夏に公園に行こうって言うんだよ。虫除けくらいはしないと。それにポケモンだけで出歩くんだ。持っていくものも……」
「バトルアイテムとかか? 今日はナシでいいだろ」
「でも手ぶらって、なんとなく心許ないんだよね」
「いざとなったら、あれだ。俺が……守ってやるよ」
おお、むず痒い! ガブリアスの言葉は異様に小声になるしかない。ヒトカゲのはじけるほのおを食らったように顔がカッカする。
いいや、夏のせいだ。夏のせいに決まってる!」
「きょ、今日は……暑いね」と、ジュナイパーは言った。
「そうだな……暑いな」と、ガブリアスは言った。
「今日は、いろいろ持たずに身軽で出かけてみようかな」
「おう。そのほうが夏バテにもいいらしいしな」
「夏バテ?」
「こっちの話だぜ」
『手を繋ぐロト』
ふざけんな。
いきなりマスターランクに放り出すヤツがあるか!
ガブリアスは静かに噴悶していた。
公園の噴水広場では家族連れが水浴びしていて賑やかだったので、ガブリアスとジュナイパーの足はなんとはなしに森のほうに向いた。案の定むっとする湿気がおびただしいが、ジュナイパーは表情としては涼しげだった。ガブリアスのほうはひっきりなしに熱い息を吐く。大きな気温の変化にはさほど強くない。人間のほうが、よほど周囲に合わせて自分を変えて生きている。
それにしても――
ガブリアスは森を歩くジュナイパーに視線を集中させている。やはりくさタイプ、森を背景にするジュナイパーはしっくりとお似合いだった。大きな翼は木の幹の色によく似ているし、頭の緑は木の葉のようで、まさしく森の生物の姿と見える。なにより綺麗好きのジュナイパーは自分でも毛並みをよく調えていて、健康で清潔な翼の瑞々しさはガブリアスの言葉では喩えようもなく美しかった。
コイツは、ほんとうにきれいだ。
今更ながら、触れるのが怖いような気持ちにもなる。しかし逆にむしょうに触れたいとも思う。そういう相反するものを想い起こさせるジュナイパーと、手を繋げというのだ。
どうする?
どうすりゃいいんだ、これは!
「やっぱ、森のほうは蒸し蒸しするなあ」
「そうだね。湖のほうに行ってみる?」
「あそこも野生の溜まり場だからな。けっこううるさいんじゃねえ?」
「今日は静かに歩きたい気分なんだね」
「そうだな。今日は……うん。そうだよ」
おまえとツーショットでいたいなどとは言えないのがガブリアスである。
そのまま、ほぼ無言でただ森を歩く。ゼフィオパークのような開けた自然ではないにしろ、薄暗い中を木漏れ日がわずかに照らす森というのも雰囲気はよい。やはりそれがジュナイパーにとてもお似合いのロケーションであり……
ガブリアスは、横にいるジュナイパーの翼をどうしても注視してしまう。しかし、どう切り出せばいいのかわからないのだ。
頭がぼうっとする。考えがぐるぐる回る。
「あっちぃ……」
「大丈夫? 息、すごいよ」
「このジメジメだからな。しょうがねえ」
人間のように汗をかくことができたなら、ガブリアスの感じる熱もすこしは違ったかもしれない。体に籠もった熱を呼吸で吐き出す程度しかできないのだ。
そのとき、ジュナイパーの翼がガブリアスの顔に添えられた。
「熱があるわけじゃ、ないと思うけど」
「よせよ、余計に暑いぜ」
ガブリアスは顔を背けた。
ジュナイパーの翼というのはふんわりとした羽根に包まれていて気持ちがいいので拒む理由はないのだが、ジュナイパーの翼をきれいだと思った直後である。じめんタイプで砂埃にまみれるのも厭わないガブリアスは、自分に触れると翼が汚れると考えていた。それがすこし嫌だった。
「そんなに嫌がらなくっても」
「ガキじゃあるまいし」
「はいはい」
「それより、おまえさ」ガブリアスは話を切り替えてみる。「けっこう平気そうだよな」
「そりゃあ、アローラ生まれだもの。暑さもジメジメも慣れっこだよ」
「そんなもんか?」
「そんなもんさ」
「でも、もしかしてよ」
ガブリアスは自分の翼をジュナイパーの翼に潜りこませるようにして持ちあげてみせる。話の流れとしては自然でも、それなりの決心は要った。しかしジュナイパーのほうはとくになにも感じていないようだった。当たり前といえば当たり前なのだが。
「お、やっぱり。ひんやりしてるな」
「そう? まあ、羽根は血が通ってるわけでもないから、そうかもね」
「そんなもんか?」
「そんなもんさ」
「なんかずるくねえか……」
「いや、これがぼくの普通なんだからしょうがないだろ。どうしろって言うんだ」
当意即妙の応えである。
ガブリアスになにかしら言いたいことがあるのを察したのかもしれない。ジュナイパーは、人間が腰に手を当てるような格好で訊いた。
ガブリアスはしばし沈黙する。
ジュナイパーの顔をまともに見られない。あまりに照れくさかった。
今がチャンスなのはわかるが、さすがに手を繋いでくれなんて……
『今ロト!』
――わかってるっつーの!
でも、なあ……
ロトムに観察されていること自体は、なにか慣れのようなものが生まれてきてしまった。さほど意識もしていない。
暑くて湿度が高くて死にそうなほど不快なせいか、考えも混沌を極めてきているのも理由ではあった。
ガブリアスの羞恥心は、ロトムに見られていることではなく、むしろ自身へ向いている。
ジュナイパーと手を繋ぐという行為が、今はとても恥ずかしいのだ。あるいは、そうなることを望んでいる自分が。
「もしかして、気分でも悪い?」
ジュナイパーは無防備に顔を覗きこもうとする。
「ちょっと暑いだけだぜ」
「家に帰ろう。そのほうが涼しいよ」
「なあ!」
こんなことをしたって始まらねえ。
とにかく、大切なのは最初のひと言だけだ。強く当たって、あとは流れで。それがユナイトバトルの常である。タイミングを見計らったなら、あとは勇気を持ってまっすぐぶち当たる。それがガブリアスの
「なに?」
「手ェ、繋ぎてえ」
結果として、ガブリアスの言葉は非常にシンプルになった。
ぐ、と硬く歯噛みするガブリアスに、ジュナイパーはいつも通りの反応をした。
「ぼくの翼を冷却シートみたいにしないの」
いつものガブリアスのわがままと思われているらしい。
「でも、ほら、古代の砂漠の人間はな、体温のほうが気温よりも低かったから、人肌で涼んでたこともあったらしいぜ。だからこれは、人類文化の、文化的な、行使だよ」
「なにそれ」
ガブリアスの破れかぶれを、ジュナイパーは軽やかに笑った。そうして優雅に、ガブリアスの翼を羽毛で包むのだった。
心臓が跳ねあがる。やった。やった! ガブリアスは嬉しかった。心底からの気持ちはそれだった。しかし急激に平静を取り繕う。いやいや、なんだ今の気持ちは。鎮まれ鎮まれ、そうだビスケットだ、俺はビスケットが欲しくて嬉しかったんだよ。
舞い上がり、やってきたのは緊張だった。
意識と神経のすべてが翼へ収斂し、もはや翼こそが今のガブリアスのすべてであった。ジュナイパーの羽根はガブリアスの体温よりは冷たい。身体的特徴のためとはいえ、ジュナイパーはやはりガブリアスとは縁遠い世界に住んでいるかのように思う。
「涼しいぜ」
ガブリアスは気安い言葉を使うことで、俺は緊張なんかしてないぜと自分に対して主張した。
「そうかな。でもね、きみばかりぼくから利益を得るのは不公平だよね。持ちつ持たれつ。利害はフィフティ・フィフティで一致させるべきだよ」
「ここでそうくるか……」
こんなところで貸し一つになるとは、さすがに思わない。ちいさくとも貸しは貸し。隙あらば自分の得に繋げようと考えるジュナイパーは、あくまでクールだった。
「なんか欲しいモンでもあるのか。でもおまえが欲しがるようなモン、俺は持ってねえと思うがな」
「そうじゃなくて……」
ジュナイパーは、変な方向に顔を向けた。前でもなく、ガブリアスでもなく、そっぽでもない、言えばどこでもない場所に視線を送る。
言いよどみは、ジュナイパーにしては珍しかった。結論が出ているならさっさと明かすのがジュナイパーの性格である。
「なんだよ?」
「ぼくの翼に比べて、きみの翼はあたたかいってことになるね」
「まあ、そうなるかな」
「じゃあ、冬はきみがカイロ代わりになるんだ。それが交換条件」
「お、おう」
それは、すこしクールから外れたジュナイパーだった。
まったく、俺は、俺たちは、なにをやってるんだろう。
今の俺たちは妙だ、とガブリアスは思った。とてつもない違和感があったのだ。しかしそれは、いつもより俺がやさしくジュナイパーに接しているせいかもしれない。
自分が変われば相手も変わる。
生成の原因の問題――そのいちばん最初の原理は、おそらくそんなようなものである。
『キッスするロト』
吹き出してしまうのを堪えようもなかった。
ついに最高難易度のミッションが始まったらしい。
――さすがにこれは無理だぜ。
恥ずかしいかどうかというレベルではない。なんというか――これってもう――
考えがなにひとつまとまらないガブリアスだが、とにかくだめだとは思った。これはだめだ。絶対だめ。
できるわけねえだろ!
「どうしたの、いきなり」
「あー、なんか嫌な視線を感じてな」
「視線?」
ジュナイパーは周囲の気配を探る。もちろん本格的な索敵ではない。森には危害のすくない野生のポケモンもいることはいる。しかし基本的には田舎のペンションじみた平和な公園である。いくらか蒸し暑くとも怪しさはない。
どこかしらにはロトムが潜んでいるはずだった。しかしジュナイパーの感覚によれば、気配で悟られるほど近くにはいないようだ。
「誰かいるのかな」
「いや、いねえぜ。いるわけないぜ。こんなところ」
「まあ、そうだよね……」
ジュナイパーはどうやらガブリアスと繋いだ翼を気にしている。
――やっぱコイツもちょっとは恥ずかしいとか思ってンのか。
今さら離すタイミングもわからないから、とりあえず繋ぎっぱなしでいる。
だからといって、キッスは脈絡がなさすぎた。
ガブリアスは万事に無軌道というのでもない。ジュナイパーと交尾をしたのは事実だが、少なくとも冬にはクリスマスの文脈があった。そこにはジュナイパーの合意もあった。だが今、いったいどんな理由からキスがしたいと持っていけるのか? 馬鹿げている。
暑いからキッスがしたい。無理やりすぎンだろ!
素直にキッスがしたいと言うか? なんだそれは。発情期か、俺は。
別に、キッスするのが嫌とは思わない。しかしうだる暑さにも、不遜なドラゴンタイプにも理性はある。さすがにジュナイパーとのキッスをネットに書かれるのは具合が悪い。
ガブリアスの態度はもじもじした。ジュナイパーの側でもなにやらそわそわしてきている。
「どうした?」
「ん、なんかね。アサシンにGANKされるみたいで……だんだん気になっちゃって。やりにくなと思って」
「そうか?」
「そう。タンクが視界を取って、トレーナーに指示されて……そういうのに慣れすぎてたのかもね。なんだか目を塞がれてる気分だ」
「悪かったな」
「別に」
ジュナイパーにガブリアスを非難するつもりはないらしい。不安といえばそれは言い過ぎで、なんとなくの落ち着かなさ。野生には日常だが、人間の街で、人間の家に暮らしている二匹は、その感覚から離れて長い。どこになにが潜んでいるかわからない。それはユナイトバトルで競技として味わう危険とは根本的に違う。ガブリアスもジュナイパーもそれを忘れていたのだ。野生は、一歩先が闇の世界を生きている。
でも――
よく考えればジュナイパーとキッスできるチャンスは、今だけかもしれない。トレーナーから離れて、二匹で散歩している今だけが。
『早くアクションを』
なんでそこまでしなきゃいけねえんだよ、と思う。ガブリアスは頭がパンクしそうなのだ。エオスエナジーが頭の中で満タンになっているみたいだ。暑いし、ジュナイパーのほうも気がそぞろだし、翼が冷えているとはいえ、やっぱり汗をかかないから熱が体にこもるのかもしれない。
ジュナイパーの息は熱いんだろうか。
小ぶりなくちばしに、ガブリアスの視線は急激に吸い寄せられた。
ああ、もう、まったく――
「暑いな……」
「そうだね。ちょっと木陰でひと休みしようか」
「ここらぜんぶ木陰じゃねえか」
「まあそうだけど、じゃあそこで」
まったく不自然でないかたちで、ジュナイパーの翼は離れた。残念という気がするのは隠せなかった。
ガブリアスは今さらながら、自分の身なりが気になる。トレーナーが家に入れているくらい、とりたててガブリアスが不潔ということはない。しかしいつも身綺麗にしているジュナイパーに比べれば、そういうことにさほど気を払わないのがガブリアスだった。ユナイトバトルで土にまみれた後でも、体をきれいにするのはトレーナーに任せきりだ。トレーナーがポケモンを世話するのは当然のことではある。自分でなんとかしたがるジュナイパーのほうが珍しいのだ。しかし、それでジュナイパーの翼を汚す申し訳なさが消えるわけでもない。
「家の中みたいにはいかねえよな。歩きながら涼んだりできりゃいいんだが」
「体感的な涼しさならできると思うけど」
「え? そんなことできるのか?」
「うん、まあできるよ。やってあげようか」
「頼むぜ」
ジュナイパーが大きく羽ばたく。『たつまき』のように空気が渦を巻くのが、青々とした草葉が舞うので見てとれる。
「おお、こりゃいいぜ。こんなんできるんだったら最初から頼んでりゃよかったな」
「できなかったんだよ。確信がなくて――いや、考えればわかりきったことだったんだけどね」
「ん? 歩きながらじゃ無理ってことか?」
「そうじゃなくてね。ねえ、きみさ――」
――ロトムに言われて来たんだろう?
「え?」
隠そう、と思う余裕もないほどの図星だった。
なんでだ。いつバレた。どうしてバレた。今までのアレもコレも、ぜんぶロトムに言われてやったことだって……
ガブリアスはまともに狼狽えた。ジュナイパーがなにを言うのかが恐ろしくもあった。目を細め、嘆息するジュナイパーはガブリアスを断罪する一歩手前のように見える。
「ご、ごめ……」
「ううん。謝らなくていいんだ。ほら、今は風を起こしてるからロトムには聞こえないよ。普通に話してるようにして」
「お、おう。わかったけどよ」
木にもたれかかりたいが、背ビレが邪魔をする。ガブリアスというのも、なかなか難儀な体なのだ。
ジュナイパーはなにもかも了解しているようだった。
「なあ、べつにロトムにけしかけられたからってわけじゃなくってよ……ええと、なんて言やいいかな」
「はあ……ずいぶん恥ずかしいところを見せちゃったな。文脈がわからなければどうとでもなると思ったのが甘かった」
「ぶ、文脈?」
「ねえ、ロトムになにをあげるって言われたの?」
いきなり確信を突かれて、ガブリアスは面食らう。コイツ、本当にどこまでわかって言ってるんだ?
「エオスビスケットの、なんかすっげえバージョンがあるって言うから」
「そっか。残念だけど、そんなビスケットは存在しないかもしれないよ」
「は? 嘘だろ。つうか、なんだ、どういうことなんだ」
「ロトムはすばしっこいから、普通に追いかけても逃げられるか。でもキッスの瞬間は絶対に写真を撮りたいはず……」
ジュナイパーはガブリアスをよそにブツブツ呟いている。なにかに向かって考えを巡らせているのはわかるが、置いてけぼりを食うのが面白くはない。しかし今、ガブリアスには立場がなかった。それを言い出せる身ではない。
「そうか、わかった」
不意にジュナイパーがガブリアスを見る。それでガブリアスにも話す権利が戻ってきた。
「なにがどうわかったのか、説明してくれ」
「普通、キッスをするときはどうする?」
「な、なんだァ?」深い緑色をしたジュナイパーのくちばしに視線。「そりゃあ、えー、顔を傾けてだな。目を……閉じる?」
「そう、目を閉じるんだよね。だから気づかれないと踏んだんだろう」
「な、なるほどな。まあ確かに、キッスの瞬間に近づかれたらわからねえかもな」
「よし、これで謎はすべて解けた。ロトムを捕まえよう。たっぷり
「お、おう……」
ジュナイパーには有無を言わせぬ迫力があった。ガブリアスはうなずくしかない。
「じゃ、さっそくキッスしよう」
「ちょ、えっ、はあ?」
「ロトムはキッスの瞬間をスマホで撮るはずだから、その瞬間を捕まえるんだよ」
「そりゃわかるがよ」
「じゃあ、風を止めるよ。適当に話を合わせて」
「ううむ……」
甘い雰囲気は欠片もない。
そもそも、ロトムのことなどガブリアスはどうでもよかった。ロトムを捕まえなくともよいし、こうなってはビスケットが手に入らないのも仕方ないだろう。もらえるならもらってもいいのだが。
そう――言ってしまえば、キッスだろうが手を繋ぐのだろうが、もらえるものはもらっておくというのがガブリアスのスタンスだったのだ。それが……
「なんか、違うんだよなあ」
「ほら、準備いい?」
「ああ、わかったよ」
まあ、いつものことか。
よく考えれば、ユナイトバトルで組んだときも進路を決めるのは大方ジュナイパーのほうなのだ。ガブリアスは時に囮となり盾となり、ジュナイパーを支える。そうするのが楽しいからジュナイパーといるのだ。
ジュナイパーが風の操作を止めた。
「どう? 涼しかっただろ」
「もう終わりか」
「要するに、出力を抑えたリーフストームだからね。割と疲れるんだよ、これ」
ジュナイパーの目が、「言え」と言っている。なにを言わされるのか、ガブリアスは察していた。なにぶん長い付き合いの幼なじみだ。ロトムの発破など比較にならないほど強力な信頼だった。
ガブリアスは口を開く。それは――今日いちにち、あれやこれやと思い悩んでいたよりずっと気が楽だった。ジュナイパーならば、どうとでもコントロールするだろうという信頼があるからだ。
「でもおまえ、いくら慣れてたって暑いのは困るだろ?」
「困るって?」
「あんまり暑いと発情するじゃん」
「う、そ、それは……そういう体なんだから、仕方ないだろ……」
さっきまでのクールぶりが嘘のように、ジュナイパーは狼狽える。それがガブリアスに自信を与えた。そうだ、おまえだけがクールなのはズルいだろ。ちょっと予想外のことがあるとすぐにパニックになるくせに。
ジュナイパーのそういう顔を見ると、ガブリアスは楽しくなってしまうのだった。
「じゃあ、また俺が治めてやろうか?」
「きみは……もっとスマートに誘えないのかな。あいかわらず雑だな、いろいろと」
「でも、おまえと仲良くしてえと思うのは、本当だぜ」
伏し目がちなあの目が、オレンのみよりもまあるく見開かれる。とても見ごたえのある表情だ。俺がクリスマスに誘ったときも、おまえはそんな顔してたっけな。
見つめあう。それ以上の言葉は無用だった。
ジュナイパーが、そろりと目を閉じる。ガブリアスは瞬間、そのジュナイパーの表情に胸をときめかせた。
こんなものは――
演技にすぎないことはわかっている。ジュナイパーにそんなつもりがないこともガブリアスはわかっていた。でも俺は、俺は、もらえるものはもらっておきてえんだ。
ロトムがどこからか見ているとか、スマホのカメラを向けられているとか、そんなのどうだっていい。ガブリアスはジュナイパーのくちばしに一気に迫った。
ジュナイパーの翼が、ガブリアスの背中に回る。
ふわりと肩が包まれた――その後ろから、空気を切る気配。刹那の間があり、どす、となにかが突き刺さる音。
「ロト~~!! もうすこしでフェイタルフレームだったロト!」
――「かげぬい」。
ガブリアスを抱きしめるような奇抜なフォームで、ジュナイパーは矢を放っていた。
「お生憎様だね。きみがキッスの瞬間を狙ってたのはお見通しだよ」
「おやおや奇遇ロト! こんなところで会うなんて奇妙な偶然もあったものロト」
「いや、もう話は聞いてるからね」
「なに~! よくも裏切ったロト~!」
直撃すれすれのところで木に突き刺さった矢羽に、ロトムは恐れおののいていた。たいして緊迫感のない叫びである。
「べつに裏切ったんじゃねえよ。コイツが勝手に気づいたんだ」
「あのね、今日のコレはちょっと不公平だよ。全記録の消去を要求する」
「不公平ロト? ちゃんと同意はとってあるロト」
「超すごいエオスビスケットだろ。それ、本当に存在するわけ?」
「するロト」
「物理的に存在するのかと訊いてるんだ」
「う……まあ、世のなか広いロト。きっとどこかには存在するロト」
「ほら、やっぱりそういうことじゃないか」
ジュナイパーがロトムを睨めつける。
「どういうことなんだ」と、ガブリアスは言った。「あの写真が捏造だっていうのか?」
「それらしい画像くらい、ネットに接続できるならいくらでも見つけられるだろ。そうでなくとも、スマホに憑依できるんだよ。アプリで加工してたっておかしくない」
そういう知識に疎いガブリアスはつけこまれたのだという。写真に映ったものの信頼性はそれなりに高いと思わせたのだ。
「そういうことだから」と言って、ジュナイパーはおもむろにエナジーアンプを取り出してロトムに向かって放った。「うちのスマホロトムにも言っておいて」
――うちのスマホロトムだって?
というか、コイツはなんでエナジーアンプなんか持ち歩いてるんだ。今日は手ぶらで出かけるって言ってたはずなのに……
「バレちゃったものはしょうがないロト」
「幼なじみなんだよ。あれだけ様子がおかしければ、すぐに気づくよ」
「仲がいいロト。微笑ましいロト」
ロトムとジュナイパーの話を聞きながら、ガブリアスは理解した。
そもそも最初の違和感はスマートフォンだ。人間がだいたいいつも持ち歩いているスマートフォンを、ロトムが常に好きに使えるわけがない。「でんじは」でエナジーアンプにメッセージを送るのはいいとしても、ロトム自身はどうやって写真を撮りにくるつもりだったのか。今日、ガブリアスの主人はオフで家にいるから、スマホをなかなか手放さないはずだった。
もう一匹、自由に動けるロトムがいたのだ。今、カジュアル戦で試合中のジュナイパーの主人のスマートフォンに憑依すれば、試合中にスマホを持ち出してキッスの瞬間だけを撮影するチャンスはある。持ち出し役のロトムと、監視・指示役のロトムが協力すれば映像と音が同時に取得できる。
「てンめえ!」
「待つロト、二匹ともそれなりに同意をもらってるはずロト!」
「はあん? おまえ、なにもらう約束だったんだよ」
「ぼくは、ちょっと値の張るトリートメントだよ。ずっと欲しかったけど、高級品だから主人にねだるのもちょっとね。そんなのロトムに用意できるのかどうかも怪しいけど」
「そっちは本当に渡せると思うロト」
「だめだよ。本物の超エオスビスケットが手に入らないんじゃ、結局フェアじゃないだろ」
「そんな、ユーも最初は自分のことしか考えてなかったはずロト」
「ぼくからしてみれば、単にうちのスマホロトムの妄想かもしれない画像が掲載されるだけの予定だったんだよ。でも目撃者が増えたらどうなる? 信憑性がうんと増すんだよ。ふだん対立しているぼくらだけにね」
「ぐぬぬ……そこまで見破られてしまっては仕方ないロト。でもおかげで実況掲示板は大盛りあがりロト! ここでユーたちに捕まるほどミーは遅くないロト!」
「もう遅いよ。こんな森で、このぼくを相手に逃げられると思わないことだ」
「空を飛んで逃げればいいだけのことロト。あまり舐めないでほしいロト!」
「やってごらん」
ゴーストタイプの動きを「かげぬい」で封じることはできない。ジュナイパーの翼にスマホを置き去りにして、ロトムは目にも止まらぬ速さで木々の合間を飛び回り、上昇を始めた。
「じゃあ、行こうか」
余裕の笑みで、ジュナイパーは言う。
「おうよ」
どういうつもりなのか、ガブリアスにはわかっていた。ジュナイパーを背に乗せて飛翔する。
敏捷なでんきタイプであり、神出鬼没なゴーストタイプである。しかし、マッハポケモンのスピードと、やばねポケモンの狙いからは逃れられない。
ガブリアスが飛んだのは、ロトムよりはるかに後だ。にもかかわらず、森の上空に飛び出すのはガブリアスのほうが速かった。
ガブリアスの背に立ち上がるジュナイパーは、木々の合間から姿を表したロトムを瞬きの間に捉える。ジュナイパーの十八番、瞬時の長距離狙撃だ。
ジュナイパーの
かげぬい!
こうかは ばつぐんだ!
ジュナイパーの側のロトムは、スマホが戻ってくるのを待っているだけだった。スタジアムとの距離がありすぎるため、ガブリアス側のロトムと連携して動くことはできなかっただろう。
撃墜したロトムといっしょに『いま、会いにゆきます』と書いた大きめのプラカードを掲げた写真を撮り(ポケモンのくせに人間の文字がわかるのだ、コイツは)、その写真を画面に表示したままスリープにして、スタジアムの落とし物としてスマホを届けた。これでジュナイパー側のロトムを精神的に追い詰めることはできるはずだという。結論からいって、怯えたロトムはこの日、家に帰ってこなかった。今にもどこかからジュナイパーの矢が飛んでくるかもしれないと、そのへんで震えているかもしれない。
ともあれ、今日のやりとりで撮られた写真や動画などはジュナイパーがすべて消去した。閲覧履歴からネットを覗いても、そのようなデータがアップされた形跡はなかった。どのように演出して公開してゆくか、それを考えてから一気にアップするつもりだったのだろう。
ともあれ、一件落着である。
そして、ガブリアスはやっぱりジュナイパーの家にいる。
「ふう、生き返るぜ。おまえんとこは涼しくていいな。夏はエアコンに限る」
「うちも節電、節電でね。ぼくはいいけど、人間は暑さに弱いから」
人間には勘弁してもらいたいレベルの暑さが続くのが、エオス島の夏なのだ。
「ポケモンだってキツいっつーの。もっと温度下げてくれよ」
「だめだよ。節電中なんだから」
「ンなこと言ってっと、また交尾したくてたまらなくなるんじゃねえのかよ?」
「そ、そのときは……その……」
どうしようもない生態に関することを言われて、ジュナイパーの目はすこし泳いだ。今度ばかりは演技ではなかった。
ガブリアスは涼しいはずの部屋で、なぜか熱いものが体にこみあげるのを感じる。
ジュナイパーはおずおずと口を開いた。
なにを言ったのかはわからない。
盗撮趣味のロトムたちは、今日のところは夏バテのせいかお休み中だったので。
おまけ 「あっついなあ」 「公園なら噴水があるからって思ったけど、あの混みようじゃあな」 「どうしようか。湖のほうにでも……うん? なんか今、よく知ってる波導が」 「お、元最速のガブリアスくんか。それと、ジュナイパー?」 「なにしてるんだろう、あんな森で」 「へえ? いつも喧嘩ばかりしてるヤツらが……これはにおうな」 「そうだな。二匹とも、モモン色の波導がする」 「――尾けるか」 「できるのか?」 「元最強アサシン・ゼラオラ様のハイドの見せ所だ!」 「うっひゃあ~!」 「見てるこっちがもどかしくなる波導だぞ……」 「きた……きたきたきた! いいぞ。そこだ。やれ、いっちまえ!」 「お、おお……いい感じじゃないか。元最速も、なかなか隅に置けないな」 「俄然、面白くなってきたぜ!」 「あっ……ああ、マジか! こんなところで!?」 「ヒュー!」 バレバレである。