ラプラス海峡漂流記
目次
西暦339年・9月9日 少年が一人、この島に流れ着いた────
その前日となる8日未明、件の少年ニエ・ラティスが家族と乗るプリンス・マーチェ号は航路上にて遭遇した暴風雨と大海嘯により、難破寸前の憂き目とあっていた。
事の始まりは同号の船長が出航の遅延を取り戻すべく、本来ならば迂回すべき海路を直進横断するよう舵を切ってしまったことに始まる。
件の海域は『ラプラス海峡』とも呼ばれる危険海域で、年間500を超える海上竜巻の発生する危険地帯であった。
当時船長を務めた人物は、就労の僅か3ヶ月前に入社したばかりの素人であり、各種の航海や船舶に関する免許や知識はもとより、航海経験ですら長期の就労はこれが初めてと言う体たらくだった。
加えて他の乗組員も皆、経験の浅い者や畑違いの人間が集められた寄せ集めの集団であり、当然のことながら現状の災害に対処できるような経験も知識も持ち合わせる者はいなかった。
そうして起こるべくにプリンス・マーチェ号は難破し、海の藻屑となる。
船の転覆に伴い、外へと頬り出された幼き少年・ニエは雷鳴轟き山脈の如くに波々の連なる嵐の海において、その暗き水平線に無数に煌めきを見る。
時折り照らす稲光に晒されて場が明瞭になると、ニエはそこに煌めく輝きの正体を知ることとなる。
それこそは無数のラプラス達であった。
10や20では済まないそれこそ大量のそれらが水平線を埋め尽くし、嵐のこの海峡へ……難破したプリンス・マーチェ号へと集結してきているのだ。
この時の恐怖たるや、自身を襲う嵐以上の衝撃を以てニエはそれらを見つめた。
それもしかし、すぐにニエの中から搔き消えた──。
荒ぶる波に飲み込まれ、その意識は強制的に断たれたからだ。
海中に沈みこむと、海上とは一変した静寂と穏やかな無重力に揺蕩う感覚に場違いな安堵すら覚える。
そうして意識を失う瞬間、暗闇の海中から自分へと迫る二つの輝きをニエは見た。
それは己へと一直線に迫りくる一匹のラプラス──それを前に僅かな恐怖を覚えた次の瞬間には、ニエは全ての意識を失った。
人には見てはならないものがある──それこそは死に纏わる内容だ。
もしそれを目にしてしまったら、その事実を受け入れてしまったら……心は破壊され、生涯その心の不具を抱えたまま不均衡に生きていかねばならぬ。
幼いニエであってもその危機を本能で察し、そして心と体はその両方を以てニエに目の前の事実の確認を拒絶させた。
それでもしかし、ニエの視線は目の前に積み上げられた死体の山へと吸い込まれていく。
そこに、在ってはならないものを発見したからだ。
「ああ……あああ………」
重ねられた死体の一角に──
「ッあああああああああ」
ニエは己が母の姿を見つけた。
青褪めた肌と苦悶に歪められたまま瞳を閉じる面相の母はしかし、斯様にして絶望に打ちひしがれる我が子を前にしてももはや、それを慰めてくれることは無かった。
既に『母』であった物はただその他大勢の死体の一角となっては、残酷なまでの現実をニエへと見せつけるばかりであった。
震える足で幾度も転びながらニエは母の死体の元へと歩み寄る。
そして恐ろしいほどに硬く冷たくなった母の頬に両手を触れた瞬間──ニエは壊れた。
母の死体に縋り、ただ震えることしか出来なくなった。
悲しみ、ひいては泣くという反応は人間性が維持されてこそ可能な行動である。
今のニエには到底それらを機能させる精神や肉体の働きは停止されてしまっている。
そうして母の遺骸に縋りついたまま震え続けるばかりのニエへと、ふいに何者かの体温が触れた。
それこそはここまでニエを運んできてくれたラプラスだった。
傍に寄り添っては、抱き揉むようにその長い首根をニエの頭に絡めるもしかし……ニエは彼女の存在に気付けない。精神は復調の兆しを見せはしない。
それでもしかし、斯様なニエへと次いで何者かの体温がまた触れた。
今度は傍らにいた大人のラプラスが鎌首を下げてはその額をニエの背中に押し付けたのだ。
そしてそれを皮切りに──場にいたラプラス達は次々とニエの周囲に集まるや自分の体の一部を押し付けては、己の体温とそして言葉にならぬ哀悼や憐憫の情をニエへと集めてくれた。
そうして小さな体温が寄り集まると、ニエは見失っていた自身の心をラプラス達の集合意識の中にて再確認した。
肉体の温もりに気付き、そしていつしか我に返った時──ニエは泣いていた。
気付けば傍らの幼いラプラスを抱きしめては、心から母の死を嘆き悲しんでは声の限りに泣いている自分がいた。
それこそはラプラス達の心と体温がニエの心身をよみがえらせた瞬間であった。
それからの三日三晩をニエは泣いて過ごす。
その間も傍らにはあのラプラスがいてくれて、彼に抱かれることで体を温め、時には口移しに食料や水を提供してはニエを生き永らえさせてくれた。
そうしてようやくに全ての事実を受け入れ、母と……そしておそらくは父も含めた両親の死を受け止めた時、
「………ありがとう……いつもそばにいてくれて……」
死の酩酊からようやくニエは覚醒を果たした。
毎度の、ラプラスが口嚙みをして与えてくれる流動食を飲み込んだニエは、初めてあのラプラスに感謝の言葉と想いとを伝える。
そんなニエの反応にラプラスは目を丸くしては驚愕し、そして食事などそっちのけで頭を押し付けるや、横たわるニエを激しく愛撫した。
辛うじて身を起こし、島内の散策へ出ようとするニエを抱き支えると、ラプラスは再び自分の背へと乗せて、ヤシの木陰の寝床から歩み出る。
まだ体力の回復し切っていないニエはラプラスの首にもたれているのも精一杯であったが、それでもあの日見たラプラス達の行動の理由を知っておきたかったのだ。
「ねぇ……あの砂浜に、行ける? 僕の……お母さんが、いたところ……」
まだ発声も上手くいかず、辛うじてラプラスの耳元でささやくと、ラプラスは暫しの逡巡の後──やがてはニエの望む場所へと歩み出した。
かくしてあの海岸に辿り着くと、そこに母を含めた死体の山は無くなっていた。
代わりに前の者達とはまた別であろう新たな死体が数体、浜に並べられているのが窺えた。
そしてその周りにはやはりラプラス達が集まっては、そんな死体に黙祷を捧げるかのよう首をうなだれては悲痛に瞼を閉じているのだった。
この段に至り、ようやくニエはラプラス達の行動の意味を理解した。
彼らは救助活動をしていたのだ。
あの難破船の乗客達の死体を海から見つけてきてはこの海岸に揚げ、そしてその死を確認してはそれを弔ってくれていたのだった。
ニエの船が難破したあの夜──あそこに集まってきていた無数のラプラス達は、皆あの船の救助に駆け付けてくれたのだとニエもようやくに理解する。
そして海に沈むニエへと迫ってきたのは──
「あれ……君だったんだね………ありがと」
今この身を預けている幼きラプラスであったこともまた知ると、ニエは力なくその首筋に感謝のキスをした。
それを受け、ラプラスは悲しみに暮れるニエを気遣いつつも、内部に生じた強い喜びへ胸焦がさんばかりに高揚する。
そしてはそれを示すよう長い首を振り向かせると、ラプラスもまたニエの唇を奪った。
柔らかいラプラスの唇が何度も愛おし気にニエの上唇をついばむ。
そんな愛撫を受けながら、いつしかニエは眠りに落ちるような心地で意識を失った。
そうして完全に暗転するその瞬間までニエはラプラスとのキスを続け……
彼女の体温がそうやって口づけ越しに肉体へと伝わるごとに──ニエは人として再生していくような心地がした。
ラプラスの島に来てから一週間が過ぎた。
その頃になると難破船の被害者が打ち上げられることもなくなり、幼いニエは子供なりにこの島のでの身の振り方を模索し始めていた。
幸いなことにこの島のラプラス達は皆が友好的で、みなしごとなってしまったニエを我が子のように慈しんでくれては島の住人として受け入れつつあった。
そんな折、ある朝ニエはパートナーである子ラプラスに誘われて島の高台へと向かっていた。
そこに何があるものやら訝しんでいると、目の前には巨大な丸太小屋がその全貌を現し、大いにニエを驚かせた。
「もしかして……僕以外に人がいるの?」
思わず呟いてはその小屋の入り口を右往左往して様子を窺う。
互い違いに丸太を組み合わせることで箱型に造ったその小屋は、ポケモンにはけっして無い明らかな人間の意匠と造型とが見て取れた。
木製の支柱を利用して作られた出入口のドアに見られる構造は『蝶番』を機能させたそれであり、こういった細工や発想はラプラス達には不可能と思える。
やがては意を決し、そんなドアを押し開いては恐る恐る中へと入っていくニエ。
そうして目の前に広がる、椅子や机といった家具が備え付けられた室内に思わず息を飲んだ。
おおよそ人間らしい生活の調度を久方ぶりに目の当たりにし、ニエはそんなことでも涙ぐんでしまう自分をおかしく思った。
ラプラスと共に入室をしてしばし中を探索したニエは、この小屋がもう長らく使われていないことを察する。
おそらくは以前にこの島に住んでいた人間の誰かがこれを建てて生活をしていたに違いない。
物書き用と思しきテーブルを物色していると、そこにこれまた年代物のノートを発見した。
それこそはここに住んでいたであろう以前の住人の残した物であり、そこには彼がここへ訪れた経緯や、さらにはこの島で生活を営むためのサバイバル的な知識や情報が事細かに書き記されていた。
そのことにニエは感動した。
しかしながらそれは前住人の存在を知る興奮よりも、『火の起こし方』がそこに記載されていたからである。
まだ理解の出来ない単語は所々に散見されたが、丁寧に図解がされていることから、そこに書かれていることの概要は知ることが出来た。
さっそくニエは小屋の外に出ると、おあつらえ向きに岩の積み上げられた『竈』と思しきその前にて火起こしを実践した。
たどたどしく、手に無数の豆や擦り傷を作りながら奮闘すること数時間──夕暮れに差し掛かり、既に周囲が暗くなりつつある竈の中に……初めて火が灯った。
激しく身を揺らいで燃え上がるをそれをしばし呆然と見つめていたニエであったが、やがてはその達成感が全身に巡ると、声を殺してはその場で泣きだしてしまうのだった。
そんなニエの涙を案じては身を寄せてくるラプラスを思わずニエは抱きしめる。
そうして出てきた言葉は、
「ありがとう……ありがとう、ラプラス……火が、起こせたよ」
自分でも意図の図れぬ感謝の言葉と気持ちだった。
しかしながらラプラスまた、ニエの涙が悲しみに由来するものではないことと、そして何よりも抱きしめてくれる彼の温もりと力強さに安らぎを覚えては……燃え上がる炎に光に身を晒しながら、いつまでもその抱擁に身を委ねるのだった。
かくして『火』を手に入れたニエの生活は劇的な変化を迎える。
何よりもその影響が強く反映されたのは『食事』であった。
今も捉えてきた小魚と掘り起こしたユリ根をただ焼いただけのそれらを、ニエは夢中になって食べた。
薄い塩味だけのそれを、この世にこれほどにまで美味な物があったのかと思いながら貪る。
今日に至るまでの一週間、ニエの食事は生食が基本であった。
魚介類や果物、そして山菜を始めとした各種の木の根──どれも新鮮であったし、毒の吟味はそれを与えてくれるラプラスがしていてくれたから今日までそれにて命を繋いでは来たものの、やはり生食の文化が無いニエにとって此処での食事は過酷の一語に尽きた。
もっとも、生食が難しい食材に関してはラプラスが口中で粗食をしペースト状にして与えてはくれていたのだが、あれはニエも好きだった。
口移して与えてくれるあれだけは、『食』以外のときめきが謎の感情として心に沸き頃るのを覚え、娯楽の無いこの島においては唯一ニエを慰めてくれる事柄のひとつだった。
それを察したのか、食事も終えようかというニエにラプラスが身を寄せた。
炎の陽光に横顔を照らしながら上目遣いに見やってくるラプラス……その表情にニエは言いようもない胸のときめきを覚える。
しばしそうして見つめ合っていると、自然に二人の唇同士は触れ合っていた。
今日までは恐怖におびえるニエを慰める為や、あるいは食事の為に繰り返してきた行為ではあったが、今のキスは心身ともに安らいだ気持ちの中で出た行動だった。
ついばむ程度のキスはいつしか互いの唇をついばみ合うものへと変わる。
そうして口中に異なる唾液の味わいが感じられると、二人はそれを求めあうかのよう自然と舌先を互いの中に進入させては絡み合わせた。
しばしそうして唇を貪り合い、我に返っては身を離して見つめ合うと……また得も言えぬ感覚に囚われては抱き合いキスを交わらせる。
いつしかそこに覚える興奮は、体験したこともないほどにニエの鼓動を昂らせ、意識が朦朧とするまでニエを興奮させていく。
ラプラスの舌の感触を味わいながらその感覚に身を晒していると、ある瞬間を境に肉体の一点へと血流が充血していくのを感じた。
寝起きの時のように股間一点に血流が集中し、そして痛いくらいに勃起を果たしたペニスがふいにズボン下の下着にその先端を押し付けた瞬間──
「んッ、んんぅ……んおぉぉぉ………ッッ!」
依然としてラプラスに口中を貪られながら、ニエは射精を果たしていた。
尿道からこれまでに感じたこともない感触で送り出されるそれは排尿のそれにも似ていたが、肛門が痙攣すると共に込み上がってくるそれらは液体というより、何か個体でも排泄しているような感触をニエに覚えさせた。
ついには座位すらも保てなくなり、ラプラスを振り切っては地面にもんどりうつと、なおも続く射精に身悶えては、幾度となくニエは上ずった声を上げた。
その様子に最初こそは訝しみ、ニエの安否から不安げにそれを見守っていたラプラスではあったが、鼻腔にニエの股座から立ち上がる精液の芳香を嗅ぎ取るや、その芳しさにラプラスは目を見開いた。
青臭いその香りは何処までも蠱惑的で、ラプラスは仰向けに脱力するニエの股間に鼻先を寄せ、至近距離でその香りを嗅ぐや──脳に突き抜ける衝撃に激しい眩暈を覚える。
そして次の瞬間には──ラプラスはニエの股間をスラックスもろとも大きく咥え込み、布越しにそこへ染み込んだ彼の精液を吸い上げるのだった。
「んあ! うわああああッ! だめぇ、ラプラス! それだめぇ‼」
被服越しとはいえ、絶頂直後の敏感なペニスを吸い上げられる刺激に反応してニエも声を大きくしたが、もはやそんな声などは耳に届かぬまでにラプラスは興奮をしていた。
かくしてその味が完全に無くなるまでニエの股間を吸い上げ続けたラプラスは……いつしかニエが完全に意識を失っていることにも気付き、我へ返っては慌てて彼の看病を始めるのだった。
今より84年前となる西暦255年10月20日──手記の執筆者であるガレン・ビザールはこの島へと流れ着いた。
商業船の航海士であった彼はニエ同様にラプラス海峡で難破し、生きて此処へと漂着したのである。
当時25才であった彼はラプラス達から歓迎されて島の一員になるも、ガレンはこの島からの脱出と、そして海峡からの生還を諦めなかった。
その決意こそが、今ニエが居るこの小屋を建てたことに現れている。
全てを諦め、安寧の内に此処で生涯を終えるつもりなら寝起きの場所などは何処であっても構わなかっただろう。
しかしながら帰還を望むからこそ、ガレンは外界の様式をこの楽園に取り込むことでその決意と、さらには『人間』としての矜持を示したのである。
当時ガレンの仲間として、同じくに船から生還したポケモン達が何匹かいた。
そんな彼らの助けも借りて此処での生活基盤を固める傍ら、ガレンは脱出の準備も着々と進めていく。
しかしながらその計画の大きな障害として、ガレンの頭を悩ませた問題が二点あった。
ひとつは脱出のための『船』である。
大前提としてこの海域の構成は、終日嵐が吹き荒れる『ラプラス海峡』と、そしてその中央でドーナツの穴のごとく通年して穏やかな気候に恵まれた『ラプラス島』の、二重構造となっていた。
これは後述にも記するが、嵐の繋ぎ目を縫って脱出するこの計画においては精密な操舵技術とそれに応えられる高性能な船が必須であり、高々が木材を組み上げた程度の筏では前進すら難しいと言えた。
そして第二の問題は、天候を見極めることにあった。
明けても暮れても暴風雨が渦巻き続ける海峡ではあるが、その実この嵐はさらに巨大な気流の中にあって、反時計回りに循環していることが分かった。
そしてその嵐には比較的風雨の緩やかなポイントが点在しており、この点同士を渡り歩くことが出来れば海峡からの脱出は理論上『可能』と言えた。
とはいえその点同士の距離はまちまちで、極端な例では数㎞に及ぶ海路を辿らねばならないポイントもあったりと、その踏破は現実的に不可能と見て等しかった。
だがしかし──ガレンはこの一見攻略不可能な天候において唯一の脱出路を見出だしていた。
そもそもがこの海峡の嵐とは、大小無数の嵐同士がひとつの気流の中で循環しているというものであった。
そしてその中においてただ数日間だけ、弱い嵐がほぼ直線上に並ぶ瞬間があることを、ガレンは観察と計算によって導きだしていた。
ガレンはこれを『0時路』と名付ける──この瞬間こそが人生最後のチャンスであった。
……がしかし、その奇跡が起きる為には実に50年の周期を必要とした。
これら全ての観測を終えた時、ガレンはすでに43歳となっており、この時点での0時路の周期は丁度33年が経過した頃であった。
その年月の中で苦楽を共にしたポケモンやラプラス達をガレンは多く見送った。
やがては最後の仲間もまた看取り、とうとう一人きりとなってしまった時……ガレンは60歳となっていた。
しかしながら、そんな人生の総決算となると決行の日はいよいよ明日と迫る。
西暦289年……奇しくも自分が漂着した日と同じ10月20日に、ガレンは0時路の50年周期が満ちたのを見極めてこの島を去った。
そして──彼の手記はそこで終わっていた。
そこまでを読み終えたニエはその続きが無いものかと、部屋中の家捜しをした。
それでもしかしこれの続きとなる手記は見つけること能わず、諦めて思考を宙へ投げ出すとその後のガレンを想像してみたりする。
よくよく考えてみれば、もしガレンが無事に海峡を抜けたのなら続きの手記がこの島に残されているはずはないし、失敗して海の藻屑と消えたのなら執筆のしようがない。
「………ガレンは、あの海を抜けられたんだろうか」
椅子の後ろ足を傾けながら天井を望み、思わずニエが声を漏らしたその時──突如としてそんな視界を遮るようラプラスがその顔を覗きこんできた。
「うわぁ!?」
その予期せぬ登場に椅子もろとも背後にもんどりうつニエを、ラプラス自身もまた驚いては鼻先を近づける。
そうしてその先端でニエの顔をなぞり、申し訳なさげにか細い声を上げるラプラスにニエもまた苦笑いで応えた。
「ははは、大丈夫だよ。考え事してたらバランス崩しちゃった」
そう言ってラプラスの頬に手を添えてやると、彼女も愛おし気にそこへ横顔を押し付けてはニエの愛撫を感慨深げに受ける。
しばしそうして俯き加減にしていた視線をニエへと定めると、ラプラスはつと鼻先を寄せてはニエの唇をふさいだ。
そうして口中に進入してくるラプラスの舌先にニエも応じながらゆっくりと立ち上がる。
依然としてディープキスを続けたまま二人が向かった先は、部屋の隅に設けられたキングサイズのベッドだった。
この部屋を訪れた当初このあまりの巨大さに、ニエはこれがベッドだとは気付けずにいた。
しばしして古ぼけたシーツが掛けられていることと埃っぽい枕を確認するにこれがベッドだと気付くわけだが……そんなベッドの巨大さの理由もすぐにニエは気付くこととなる。
彼のベッドはラプラスと寝そべってもまだ余裕があった。おそらくは彼女や自分が完全に成長し切ってもここで添い寝することに問題はないだろう。
つまりはそういうことだった──誰であろうガレンもまた、この島において添い寝をしてくれる恋人(ラプラス)が居たのだ。
その時である──ニエの脳裏に、かのガレンがどのようにして『船』の問題を解決したのかが閃いた。
思わずラプラスを正面から見つめ返してしまう。
それ受け、小首をかしげる彼女を前にニエの予測は確信へと変わった。
『船は最初からもうあったんだ……ガレンは、0時路をラプラスの背に乗って渡ったんだ!』
それに気付いた時、同時に別の思惑もまたニエの頭には閃いていた。
それを確認すべく、ニエはラプラスもそっちのけで再び机へと戻りガレンの手記を再確認する。
彼がこの島に漂着したのが84年前の西暦255年──この時『0時路』の周期は16年目であったと推測される。
そしてガレンが17年の歳月を費やし43歳の時に発覚した周期が33年目……そこからさらに17年後となるガレン60歳の西暦289年に、0時路は50年周期の完成を見たのだ。
もし彼の観測が正しいのであれば、今より『84』年前という数字から、ガレンが直近の0時路の完成までに費やした年数『34』年を差し引いた時………
0時路の完成が数日後に迫っていることを知って以来──ニエは海を眺めて過ごすことが多くなった。
頭の中には実に様々な考えが巡っていた。
それは当然の如く0時路を辿ってこの海峡から脱出する思惑であり、それに伴う強い望郷の念だ。
しかし同時に……このままこの島に残り続け、ラプラス達と暮らしていきたいという未練もまたニエを悩ませ続けていた。
今も隣に寄り添って体を預けているラプラスを手持無沙汰の撫でてやると、彼女は切なげにか細い声を上げてはニエに甘える。
思えばあの大海嘯の中から自分を救い出してくれたのも彼女なら、この島での生き方や様々なことを教えてくれたのもこのラプラスであった。
0時路をラプラスに乗って突破したとして、その後ラプラスはどうなるのか?
利用するだけ利用して、後は帰れと追い返すつもりか……その場面を想像した時、ニエは自己嫌悪で胸が潰れる思いがした。
斯様なことが頭の中で堂々巡りをするうちに10日間は瞬く間に過ぎていった。
そして西暦339年10月20日──もはや0時路の50年周期を今日に迎え、それでも消沈したまま悩み続けるニエの前に……いつものラプラスとは別の個体が姿を現した。
その大柄な体躯と数種の海貝を甲羅に纏わせた姿からも相当の高齢と見受けられたそれは、ニエの隣に着けて共に海を眺めた。
しばしして……
「ッ? な、なぁに……?」
鎌首をうなだれては、大蛇が得物を選りすぐるかのようその顔を覗き込んでくるラプラス。
そんな突然の接触に驚くニエをしばし見据えた後、突如として彼女はその襟首を咥えて持ち上げると……そのままニエを自分の背中へと乗せてしまう。
そして何を告げるでもなく海へと入っていき、そのまま沖へと泳ぎ出すラプラスに
「え、ええ? どこに行くの? あ、あの……島が……」
ただただニエはうろたえるばかりであった。
思えば、いつもならニエの側にいて離れないあの子ラプラスが今日に限っては朝から姿を見せなかった。そして今の大ラプラスに突如連れ去られての入水である。
ただ戸惑い続けるままのニエを乗せ、そこからラプラスは数時間を泳いで沖を越えた。
すでに背後にはすっかり水平線が盛り上がり、ラプラスの島も見えなくなってしまっている。
そしてこの段に至り、ようやくニエはこのラプラスが自分をどこへ連れていこうとしているのかを理解した。
それに気付くと同時、海上を進んでいたラプラスの動きが止まった。
そこから確認するように顔を上げたニエは、目の前に広がるその光景に思わず息を飲む──。
見上げる空は、
「うそ……空が、割れてる?」
海上から遥か天空に至るまで、その左右には黒々とした雷雨暗雲の空が絶壁さながらに立ち上がっていた。
そしてその中央を切り取られたかのよう晴れ渡った空が──天国への階段よろしくに陽光を射しては、穏やかな一本の航路をニエの前に広げていた。
『0時路………』
その光景にニエは思わず呟く。
そして同時に、ニエはここまで自分を乗せてきてくれたラプラスの正体もまた知ったような気がした。
彼女こそはかの50年前──ガレンを背に乗せてこの航路を辿ったラプラスであったのだ。
あの日もそうであったように彼女は今再び、迷える子羊を現世と異界の境界へと導いてきたのであった。
しかしそんな0時路を前にしたまま、ラプラスは微動だにしなかった。
それこそはニエの返事を──彼の最終決断を待っているに他ならない。
その選択の岐路に立たされニエは激しく自問し、そして逡巡した。
このまま帰れたのならば、今日に至るまでのすべては夢として終わる。
嵐の恐怖……父母の死……そしてラプラスとの出会い──いつしか時の流れに慰められては、それらだって思い出すことすらなくなるだろう。
今日この瞬間にまでいたる全ての苦楽が忘却の彼方へと消え失せるのだ。
そう考えた瞬間、ニエの心は決まった。
ラプラスのうなじにもたれて進むべき路(みち)を彼女へ指し示すと後は──我が家への帰路をニエは辿るばかりだった。
床の上にニエを組み敷いたまま、ラプラスは一方的なキスを続けた。
……否、それはキスというよりはただデタラメに舐めているといった方が正しい。
ただ感情の溢れるままに行動するがあまりそんな愛撫になっているラプラスへ申し訳なく思うと同時、ニエもまた彼女のことがたまらなく愛しくなるのだった。
その下からラプラスの腹部へ触れると、それに反応して初めてラプラスの愛撫が止まる。
両手で弧を描くようにニエからも愛撫をしてやると、掌には筋肉の隆起とはまた別の小さなしこりが幾つも感じられた。
そのしこりの頂点に円を描く動きを収束させていき、やがてはそこを指先で軽く掻いた瞬間──ラプラスは大きく喉を仰け反らせると甲高い声を上げる。
「ラプラス……ベッドに行こ」
彼女が落ち着くのを見計らって声掛けをしてやると、ラプラスは依然荒い呼吸のまま頷いては乗り上げていたニエの上から体をスライドさせる。
そうして二人、頼りない足つきでベッドへと向かうそのすがらも互いの舌同士を絡めあうようなキスを交わした。
ようやくにベッドへ辿り着くや、既に限界にあったのかラプラスは右仰臥に寝そべってはニエへと体を開く。
柔らかな内面にコブとなって連なるそれを見て、ニエはそこがラプラスの乳房であったのだと気付いた。
そして先の愛撫の続きとばかり、再びその先端を指先で突きほぐすや今度は僅かに湿り気を帯びて乳液がそこへ滲んでくるのを感じた。
その眺めに吸い寄せられるよう顔を寄せるとニエをはそれを口に含む。
途端口の中に甘く柔らかい匂いが広がる。溢れていたものはラプラスの母乳に他ならなかった。
まだ出産経験のない彼女であっても、ニエへの愛情が昂るあまりに体はその最たる反応を表へと現していたのだ。
それを知るからこそニエもまたラプラスのことが愛しくなる。
張り出した彼女の乳房を両手で揉みしだいては交互にそれを口に含んでラプラスの母乳を存分に味わった。
ラプラスの乳房は複乳の造りとなっており、メインで張り出した最上段の乳房の下には徐々に小さくなりながら残り4つの乳房が並んでいた。
吸い付けられていたニエの唇もまた下降をしながら残る乳房を愛撫していくが、その終点において先の乳液とはまた様相が異なる液体が尻尾の付け根を濡れそぼらせていることに気付く。
それは縦に割れた小さな溝であり、ラプラスの呼吸や快感に反応してはその身を収縮させてそこからとめどもなく体液を滲ませ続けていた。
その眺めに生唾を飲み込むと、ニエはそこへ鼻先を寄せてはスリットの両端に指先を添える。
そしてそれを左右へ展開した瞬間──内部に凝縮された肉が外部へと飛び出してはそこに激しく飛沫を拭き上がらせた。
斯様に白みがかった肉の断面とはラプラスの膣であり、興奮に蒸し上がった陰唇も不規則に蠢いては愛液の溢れ続ける膣口を見えつ隠れつさせている。
それを目の当たりにし、性の知識など皆無であるニエもまた謎の興奮に脳を支配された。
本能の赴くまま肉襞をかき分けて指先を挿入させると──一際大きくラプラスは鳴き声を上げた。
甲高く、そして苦しさを滲ませたかのような声を絞り出すラプラスの嬌声はしかし、強い快感に根差した声であることを震える肉体が物語っていた。
さらに指を往復させ、その先端が内部の膣壁へと当たっては突き刮ぐと、もはや半狂乱といった体でラプラスは頭を振り乱して身悶える。
やがて一際強くニエが指を挿入し、その先端が奥底に在る子宮口へと刺激をもたらせた瞬間──ラプラスの身は激しく痙攣し、限界まで膣壁を収束させてはニエの指を締め上げた。
しばし前足と後ろ足になるヒレを伸ばし、さながら爪先立ちになるかのよう体全体を直線状に伸ばしては硬直した後……ラプラスは一気に脱力してはベッドに沈んだ。
締めつけていた膣圧もまた解かれてニエの指を開放すると、そこからは夥しい量の愛液とも失禁ともつかぬ体液が溢れ出してはシーツへ放射状に染みを作る。
そんなラプラスの痴態を前に、いよいよ以てニエの興奮は最高潮へと高められていた。
今しがたまで締めつけられていた人差し指をしゃぶると、そこに染み込んだラプラスの愛液に刺激され、ニエのペニスは痛いくらいにスラックスの下で勃起を果たす。
無意識に肛門が締まりペニスへと血流が巡るたび、その痛痒さにも似た感覚を沈めたくてニエは無意識にそれを扱いていた。
そしてその最も効果的な方法として本能は……今しがたまでニエの指を締めつけていた膣へのペニス挿入を閃かせる。
それを直感してからニエの行動は早かった。
即座にスラックスを脱ぎ捨てると、ニエはラプラスを仰向けに転がしてはその股座の前に陣取る。
膝立ちになり目下にラプラスの膣を開かせると、陰唇の咲き濡れたそこへドラムスティックを打ち付けるようにペニスの裏筋を当てては彼女の愛液を纏わせる。
その刺激に反応しては打ち付けられるたびに短くも野太く声を漏らすラプラスにいよいよ以て発情を覚えると、ニエはその先端を陰唇の割れ目へと宛がった。
途端に焼けるようなラプラスの体温がペニス越しに伝わってニエも息を飲む。
胸の内に湧き上がるのは未知の感覚に対する期待と恐怖であり、それがせめぎ合う葛藤もまたニエの興奮をかき立てる材料でしかない。
その感覚で存分に自身を焦らし、やがては交尾への気持ちが最高潮にまで達すると──
「入れるよ………ラプラス」
次の瞬間、一息にニエはラプラスの膣へとペニス挿入を果たしてしまうのだった。
異物感の発生と膣壁全体を擦りあげてくるその快感に驚いては、ラプラスは激しく膣内を収縮させる。
柔肉と愛液を介し、隙間無くラプラスの膣がぺニスへまとわりつくと、二人は文字通りのひとつとなった。
「ああッ、なにこれ……吸われる……気持ちよくておかしくなる……!」
たちどころにニエは射精を果たし、一体となっている二人の局部の温度がさらに上昇する。
ニエの煮えたぎるような精液の奔流を深部で感じるラプラスもまた、強制的に絶頂へと導かれては声を殺し、激しく頭を仰け反らせる。
怒りにも似た表情で強く眉もとをしかめては牙を食いしばるラプラスの形相たるや、いかにこの快感が激しいかが伺えしれるようである。
斯様な絶頂に在っては呼吸すらもままならないであろう状況にも関わらず……
「う、うわわッ!? ら、ラプラスッ?」
ラプラスはそのまま立ち止まること無く、仰向けの姿勢から腰を突きだしてはニエとの交尾を続行させた。
過呼吸から引き起こされる酸欠の苦しみに在っても今のラプラスはそれを幸福に感じた。
これこそはニエから与えられるものであり、そしてそれは此処にニエが居る何よりもの証なのだ。
ニエを見失い、宛もなく島中をさ迷い歩いたあの苦しみと寂しさに比べたならば、どれほど今のこれは優しく愛しいものか……──。
そんなラプラスのひたむきな純情さは、不思議とニエにも伝わった。
それを知ることで彼の中にもまた
「ごめんッ……ごめんよ、ラプラス! 僕は、キミを捨てようとした!」
新たな感情が爆発をした。
覆い被さり、力の限りに抱きしめるニエは……
「0時路のことを知って、キミを裏切って島を出ようって何度も考えたんだ! だけど……だけど忘れられなくて……キミの顔がまた見たくなって……!」
自分でももう何を弁解し、何を伝えようとしているのか分からなかった。
ただ支離滅裂に思い浮かぶことだけを叫んでは抱き直すを繰り返すニエを──ラプラスもまた前足と後ろ足のヒレを以て迎え入れるように抱きしめる。
「ラプラス! もうどこにも行かない! 僕はもうこの島のニエなんだ! だからいつまでも一緒にいて! 僕と一緒にいてぇ‼」
叫ぶニエに共鳴するようラプラスもまた嬌声を上げると──二人は同時に達していた。
荒い呼吸のままようやくに動きを止めた二人は固く抱きしめ合ったままいつしか眠りへと落ちていく……。
夢現にニエは、0時路を前にこの島へと引き返した時の自分を見つめていた。
そしてなぜかその姿は、知り様もないはずのガレン・ビザールと重なっては──万感胸に迫る望郷の夢をそこに置いて、新しき我が家へと戻る彼の姿をいつまでも見送った。
この島で生涯を終えることを決意したニエはその日──あの0時路へと導いてくれた老ラプラスに誘(いざな)われ、島の中央部を訪れていた。
密林然とした森を抜けると途端に視界が開け、目の前には今までの木森が嘘のような草原が広がる。
周囲を森に囲まれて、この場所ただ一点が穏やかな平地となっている様は、さながらにラプラス海峡とこの島の縮図のようだとニエは感じた。
その草原の中をしばし進んだ後、老ラプラスは歩みを止める。
俯き加減に足元へと視線を落としている老ラプラスに釣られてニエもそこを見ると……足元には50センチ四方程度の石板が、足の低い草々の中から頭を覗かせていた。
やがてその石の表面へ老ラプラスが咥えてきた花を一輪供えるのを見ると、ニエはこれが『墓石』であることを悟る。
そして同時にこの墓がこの島の先住者であったガレン・ビザールの物であることもまた無言の内に理解したのであった。
それを前にしてニエもまた黙祷を捧げる。
彼の残してくれた手記や建物がどれだけ今のニエを助けてくれているか知れない。
顔も知らなければ面識などももちろん無いガレンではあったが、なぜかニエはそんな彼に家族にも等しい親近感と感謝を覚えてしまうのだった。
しばしそうして祈りを捧げていると、ふいに老ラプラスはニエを促しては墓の前にひざまずくように促す。
訳もわからず言われるがままに墓石の前へ屈みこんだニエは、一枚岩だと思っていたそれが上下に分離する箱と蓋の作りであることに気づいた。
振り返りそのことを尋ねるように視線を送ると老ラプラスもまたゆっくりと頷く。
改めて墓石と対峙したニエは、その縁に手を掛けて力の限りにそれを引き起こした。
墓石の蓋は縁に芝や土を張り付けたまま分離をする──そうしてニエの目の前に露となったものは、石棺の中に納められた一冊のノートだった。
震える手でそれを取り出して、その1ページ目をめくる。
西暦289年の10月21日から始まるそれは──間違いなくガレンが0時路を訪れた後の手記であった。
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