|&color(#00baff){&size(30){Reach For The Sky};};| Written by [[SKYLINE]] 目次は[[こちら>Reach For The Sky]] キャラ紹介は[[こちら>Reach For The Sky 世界観とキャラ紹介]] ---- ''Episode 7 抜け殻は捨てて'' 「お兄ちゃんが……」 彼女――フライゴンが口にしたその言葉は&ruby(いかり){碇};のように重く、それは彼女の喉を上り切る前に沈んでいった。言葉を詰まらせ、言い切る前に悲しみで口が動かなくなってしまった彼女。けれど、その小さな一言でもコモルーの希龍は彼女の悲しむ理由が分かった気がしていた。 文明は廃滅し、殺しすらも&ruby(ざいきゅう){罪咎};に処されず、日頃からメテオスコールの脅威に晒されているこのご時世、おそらく彼女の言う“お兄ちゃん”は亡くなってしまったのだろう。それで彼女は悲愴に塗れ、深く絶望して生きる希望を失った。そしてあのような行動に出てしまったといったところか。彼女の口から出た“お兄ちゃんが……”というたった一言で、希龍の中で点と点が繋がり線となっていた。 同時に、彼は彼女の気持ちが痛いほど分かっていた。彼自身もまた、過去に家族を亡くしているのだから。大切な者を失う辛さ。それはどんな傷よりも深い悲傷で、自分達を生かす為に危険な外界に木の実を求めて踏み出し、それ故にメテオスコールに命を奪われた母親……その亡骸を目にした時、自分も悲しみでどうかなってしまいそうであった。瞳に焼付いたその辛い過去を思い出しながら、希龍は逸らしていた視線を彼女に戻す。 「気持ちは分かるよ」 「…………」 希龍はフライゴンに同情していたが、その言葉を聞いた彼女はそれが信じられないようで、口ではなく抜け殻のような態度と死んだ目で“お前に何が分かる”と希龍に向かって訴えていた。初対面の相手に気持ちが分かると言われても、そんな言葉、ただの慰めの言辞に過ぎず、希龍を信じない様子の彼女は地面に冷たい視線を送り続ける。 希龍も正直、たった一言で彼女の悲しみを紛らわせるなどと浅墓な考えではなかった。けれどそれでも僅かで良い、自分と同じように親交のある者を失ったのであろう彼女の悲しみを彼は紛らわしたかったのだ。その真っ直ぐな思いは声となって彼の口から零れる。 「その……君の悲しみの全てを理解できるかは分からないけど、理解できるように努力はする。だからさ、せめて名前だけでも……」 少なからず希龍の思いが通じたのだろうか、彼女は少しだけ俯いていた顔を上げると赤いレンズの下から覗く目を彼に合わせる。塩辛い滴が溢れ続けたその瞳はフライゴンの特徴とも言える赤いレンズと相まって真っ赤に充血していて正直酷い目だったが、それは希龍にとってどうでも良かった。ようやく自分の声が彼女の心に伝わり、閉ざされた彼女の扉が少しでも開きそこに一条の光を差し込む事が出来た筈。彼女が項垂れる顔を持ち上げてくれ、なにより自殺を思い留まってくれた事に希龍は安堵に胸を撫で下ろす。 一安心したのも束の間、突然の出会いと突然の緊迫した状況。この二つに本来の目的を忘れていた希龍は、安心した事でふとそれを思い出す。そう、本来彼がこの岩に来たのは砂漠で一晩を超す為の岩陰やらを探す為。今までは彼女の事で頭が精一杯でそれを考える余裕などなかったが、本題を思い出した彼が周囲を見渡せば、もう既に太陽は最果てに落ちようとしていた。 現実を知った途端、&ruby(がぜん){俄然};として風が冷たく感じ、氷タイプが苦手で寒さに敏感な彼は口を大きく開き…… 「ハ……ハクション!」 ……まるで砂漠の隅々までに届くかのようなくしゃみをした。体は冷え込む大地の寒さに過剰に反応し、肌を掠める風が妙に冷たく感じる。寒さに敏感なドラゴンタイプの希龍は、話には聞いていたが熱源を失った砂漠がここまで冷え込む事に若干の驚きすら感じていた。 見るからに寒がる希龍、しかし彼とは対照に彼女はあまり寒そうな素振りを見せずにじっと彼を眺めている。ドラゴン、地面の二つのタイプを併せ持つ彼女は希龍以上に寒さに敏感な筈だが、さすがに砂漠の精霊と言われ、生まれも育ちもこの砂漠であろう彼女――フライゴンはこの寒さにも慣れている様子。 見世物じゃないんだぞ。まるで珍しい何かでも見ているかのように、まじまじと自分を見つめてくる彼女に希龍はそう内心呟いた。別に恥ずかしい所を見られた訳ではなかったのだが、あまりに凝視されてはどうも恥ずかしく、希龍は自分を見てくる彼女からまた目を逸らし、宛もなく空を見上げる。いわゆる照れ隠しだ。 「寒いなら下に横穴があるけど……」 「え?」 一瞬、希龍は硬直してしまった。まるで心を瞬間的に凍らされたかのように。なぜなら、今までほとんど口を利く事の無かった彼女が突然口を開き、細々とした声だったが自ら話し掛けてきたのだから。風前の灯火のような彼女の声に希龍は反応と言う反応が出来ず、小さく口を開きそこから思わず声を漏らしただけで直ぐには言葉を返せなかったのだ。それほど彼女が話しかけてきたのは希龍にとっては意外な事だった。 「え~と……マジで? ならそこで休ませてもらいたいんだけど」 「うん……」 言葉選びに時間を要してしまったが、ようやく希龍は口を開けた。あれだけ心に傷を負い、渦巻く悲しみの中心に置かれていた彼女がまさか自ら話し掛けてくるなんて彼は思ってもいなかったが、少なからず彼女は心を開いてくれたのだろう。そう信じれば自然と嬉しかった。 限りなく近い日没が砂と岩の世界に作る寒さが沁みる中、彼女は精気を失くしたように崩れていた体を持ち上げ、ゆっくりと立ち上がる。泣き疲れている彼女が直立するその姿に威厳などないが、やはり砂漠の精霊と言われているだけあり、美艶な彫刻すら連想させる姿に希龍は素直に綺麗や美しいと言った印象を受けていた。最も彼女がどんな性格だかは初見である彼は知り得なかったが、明らかに普段よりは元気がない……と、思われる彼女はゆっくりと歩きだし、希龍の横を通り過ぎて行くと、彼が登ってきた斜面を下っていく。 彼女の背中とそこに生える菱形の翼が踏み出しに合わせて上下に揺れ、その美しい形をした翼を希龍はじっと眺め、自分もあのような立派な翼を早く手に入れたいと彼は感じていた。翼さえあれば自由気ままに空の散歩が楽しめる。眼下に臨む濃淡が鮮やかな緑の絨毯。頭上に広がる果てなき蒼海。彼女の翼を見てそれを少なからず羨ましながら、彼は自分が飛んでいる姿を妄想していた。 「……来ないの?」 ふと彼女に声を掛けられ、希龍は現実に戻ると慌てて彼女を追い掛ける。彼の妄想と現実はかけ離れていた。いくら努力しようが今の自分では空を飛べやしないし、巨岩の頂から臨む眼下に緑なんてなく、頭上に広がるのは……現実に戻った彼はそう考えようとして、それを止めた。現実を見るのも大事だが否定的になっても仕方がない。それに今は彼女に付いて行くことに専念しよう。同じ過ちを繰り返さないように。そう決めた希龍は視界の中心に見える彼女の元まで早足で駆け寄ると、後ろではなく右横に付いた。 彼女――フライゴンの歩く速度に希龍はペースを合わせながら、自分よりも身長のある彼女を見上げると、視線に気が付いた彼女は瞳をそっと右下に寄せ、彼を見下ろす。彼女と目が合っているのを確認した希龍は少し間を置いてから徐に口を開くと、彼女に話し掛けた。 「あ、あのさ、まだお互い名乗ってなかったよね? 俺は希龍。……君は?」 「…………」 「あ、別に名乗りたくなかったら無理に名乗らなくてもいいよ」 口に下された錠前を解こうとしなかったフライゴンに希龍は慌てて先の発言に言葉を加える。出会って間もない希龍を彼女が信じ切るというのも無理な話。彼に対する疑いを捨て切れていない様子の彼女は歩きながら彼を見下ろすだけだった。耳障りな砂と風の音が日の入りを迎えようとする世界に響く中、会話は途絶え、寒さを運ぶ風だけが二人の肌を掠めていく。 しばし無言のまま二人は巨大な岩から降り、少し後れた希龍はゆっくりと歩く彼女に続いて歩みを進める。昼間は熱かった砂の感触もすでにひんやりとした冷たい物に変わっていて、初めての砂漠、そしてその変貌ぶりを彼はつくづく感じていた。砂の下から顔を出す岩に足を取られないよう、足元に目を向けていた希龍が前を歩く彼女を見れば、また彼女は俯いてしまっていた。誰かを失った悲しみはそう直ぐに癒えるものではない事くらい知っている彼はまた声を掛けようかと迷ったが、先の彼女の反応を見るに今はそっとしておこうと判断し、ただ彼女の背中を追う。 岩から降りて数十歩程度歩いた場所だろうか。フライゴンが立ち止ったそこは彼女の言う通り小さな横穴がひっそりと佇んでいた。それは洞窟と呼ぶには程遠く、メテオスコールをぎりぎり凌げる程度の空間。そこに彼女の所持品が丁寧に纏められ、その光景から希龍はここが彼女の棲家なのだとほぼ確信する。だが、その空間の中心にあった“もの”を見た途端、希龍は顔を強張らせた。 横穴の中心に転がっていたもの。それは物ではなく者であり、彼女が悲しんでいる一番の要因……彼女の言う“お兄ちゃん”の亡骸だった。それはどう見ても息を引き取っているのが明確で死後一日か二日と言った様子。一つとして動かずに中心に転がっていた。体には強烈な何かに抉られたような傷があり、その周辺は乾いた真っ赤な血で染まり、慣れていない者では直視など出来ない程の悲惨な姿。その亡骸に目を奪われていた希龍がふと彼女を見ると、肉親の遺体を前にした彼女は信じたくない現実から目を逸らし、その場に崩れながら上を向いて涙を堪えていた。 肉親の遺体を見たくないのは痛切に分かる。大切な人の亡骸を見れば見る程、その受け止めたくない現実が心を引き裂く。だが、時に現実を受け止める勇気も必要だった。母親の死を乗り越え、現実を受け止めた希龍は決して亡骸を見ようとしない彼女に陶器を扱うように丁寧な口調で声を掛ける。 「辛い気持ちは分かるけど……せめて埋葬だけでもしてあげようよ」 声を掛けるも、彼女は鼻を啜るだけで兄の遺体にも希龍にも目を合わそうとしない。ずっと上を見続ける。親しかったはずの兄の亡骸を見る……それは受け止めたくない現実を受け止める事であり、相当な勇気が必要だった。向き合いたくない現実から悲しみが彼女を遠ざけ、全てを失ったかのように身を投げようとしていた彼女が果たして現実を受け止められるのだろうか。そう心配する希龍はじっと彼女の答えを待つ。 ざわめく砂塵の喚声が反響する中、刻まれる時の中で大地は暗くなっていく。どんなに時間が掛かろうが、これはあくまで彼女の問題。家族でも友人でも、まして知り合いでもない自分が深く干渉するのを希龍は避けていた。過去に死を乗り越えたのは自分であり、今乗り越えなければならないのは彼女であったから。……それからしばらくし、現実と向き合う決心を固める事が出来た彼女は希龍と共に彼女の兄の亡骸を丁寧に埋葬したのだった…… 死者を葬り、礼儀として深い黙祷を二人で奉げた頃には、辺りは既に星の一つも見えない夜。二人は冷たい風とフライゴンの兄の命を奪った犯人であろう隕石を避けるように横穴の奥に座り、火を焚いて夜の冷え込みに耐えていた。外から吹き込んでくる風はまるで横穴の呼吸のようで、焚火の火を揺らす。ぼんやりとした優しい火の温もりの中、希龍は持ち物の整理をしながら彼女に問い掛けた。 「……あ、三回目になるけど、迷惑じゃなければさ、名前くらい教えてくれないかな?」 彼女を見る事なく、背中を向けて整理を続ける希龍を俯いていたフライゴンは横目で見る。それから数秒程、彼の背中に焦点を合わせていた彼女は視線を地に戻した。 「……フィナ」 三度目の正直だろうか。ようやく彼女は希龍に自分の名前を教えたのだった。そよ風に靡く花の如く揺れる紅の炎に背中を照らされながら希龍は作業を止めると、振り返って再び俯いてしまった彼女を見る。 「フィナ……か。良い名前じゃん! さっきも名乗ったけど俺は希龍。よろしく!」 フライゴン――フィナを元気づけようと明るく振舞いながら希龍がそう言うと、彼女は顔を上げて長い首を曲げて希龍の方を向く。表情こそまだ明るいとは言うには程遠い暗いものだったが、それは彼が初めて見た時の顔より悲しみが和らぎ、大分落ち着きを取り戻した顔だった。フィナが希龍の方を向いてから少しの間は互いに無言で木の爆ぜる軽い音が反響する、時が止まったような雰囲気が横穴に淀む。だが、フィナがゆっくり、そして小さく口を開くと同時にその淀みは消えた。 「さっきは……ありがとう」 「え? あ、あぁ。……でもまぁ、あれだよ。ほら、困った時はお互い様って言うじゃん。これからはお互い助け合おうよ」 「……うん」 小さいながらも返事をしたフィナの顔が少しだけ明るくなったのが希龍には見えていた。心を固く閉ざし、肉親の死に感情を失ってしまった彼女が垣間見せたその表情は妙に綺麗で、それは希龍の持つ砂漠の精霊――フライゴンに対するイメージに似合う……とまではいかないが近いものであり、垣間見えたそれは荒んだ世界ばかり見てきた希龍の目に一瞬で焼き付く。今は悲しみで辛い思いで心は一杯だろうが悲しみを取り払い、いつか彼女の感情を……笑顔を取り戻そうと希龍は不意に思っていた。 会話に一段落着いた所で、二人は夕食を取る事にした。先程整理したポーチの中から今日手に入れたばかりの新鮮な木の実を希龍は取り出し、それをフィナに差し出す。 「食べる? 今日採ったばかりの木の実だからきっと美味いよ」 「……いいの?」 「あぁ。遠慮しなくたって良いって。それにさっきも言ったろ? このご時世、助け合わないと」 希龍の短い前足に乗った木の実にフィナはそっと手を伸ばし、三本ある指で優しくそれを掴む。掴まれた木の実は希龍の前足からゆっくりと離れ、フィナは小さな木の実を落とさないように両手で器用に、そして丁寧に持ちながらそれを口に運んだ。口に含んだ木の実をゆっくりと噛み潰しながら、フィナは新鮮な木の実の味や食感を確かめていた。隣では希龍も木の実を口に含んでいて、堅い殻をがりがりと噛み砕きながら貴重な食料である木の実を飲み込んで胃に送っていく。 夕食は互いに数個の木の実だけで済ませた。腹の虫がもっと寄こせと騒ぎ立てるが、ここが砂漠である故に食糧の調達が難しい事を考えると、節約する必要があるのだ。そもそも、昼間に立ち寄ったオアシスで補給した木の実も自分の分は自分で……と言った感じで、希龍も斬空もロイスも、各々が一人分の食糧しか調達していなかった。そこで希龍はフィナに出会い、一人分の木の実を二人で消費しているのだから、なおさら節約は大事なのだ。最も、それを希龍が迷惑だなどと思う事は微塵も無かったが。 フィナの住処であるここに集めてあった少ない薪を燃やして暖を取りながら、希龍はしばし外を眺めていた。逸れてしまった斬空やロイスは今どうしているのだろうかなどを考えながら、一向に止む事の無い砂嵐が吹き荒れる冷暗な外になんとなく視線を送る。見るに値するような物は無かったが、希龍はそこに斬空とロイスの姿を映して、きっと再会出来ると自分に言い聞かせていた。 一度薪が強く爆ぜ、その音で希龍は我に返った。考え事をしていたせいか、周囲の状況がまるで目に入っていなかった彼が瞳を動かしてフィナを見ると、壁に翼の生えた立派な背中を預けながら彼女はまた俯いている。そう簡単に立ち直れる筈はないのは彼も分かっていたが、やはりまだ彼女は兄の死を引きずり、心の傷は癒えていないのだろう。自身の経験した母の死の痛みを重ねながら、希龍は彼女を心配そうに見つめる。なにかフィナの悲しみを紛らわす物はないだろうか。半開きの目で地面を見つめながら俯く彼女の横で希龍は考えると、彼はとある事を思い出した。 昼間、砂漠に転がっていた亡骸の近くで欠片のように砂に埋もれていたあの本。確かそれは小説だった筈なので、それを読ませる事で悲しみを紛らわせるかもしれない。ふとした閃きで、希龍は一時的に外し、地面に置いていたポーチを前足で手繰り寄せると、チャックを開き、中を漁る。今必要なのは木の実でも水でも道具でもない……古びたあの一冊の本。一度整理した荷物も戸惑いなく彼は掻き分け、ポーチの底にしまい込んでいたあの本を取り出す。希龍が一心に物を漁るその音にフィナも気が付き、彼女が横目で彼の背中を見たのとほぼ同時に希龍は振り返った。そして、彼は濃灰色の前足で丁寧に本を持ち上げ、それを彼女に差し出した。 「これ、フィナに会う前に拾った本……たぶん小説だと思うけど、読む?」 「私、字が読めない」 「あ……ご、ごめん。その、気晴らしになるかなって」 まさか字が読めないとは希龍も思っていなかった。だが、この世界では彼のように必ずしも文字の読み書きを誰かから教えてもらえるとは限らない。彼が考えてみればフィナが文字を読めないもの全くと言って決しておかしくはなかった。同時に、母や斬空に文字の読み書きを教えてもらった自分が如何に恵まれていたかと彼は感じた。気晴らしに……そう思ったが、文字が読めないのではどうにもならない。諦めてこのまま無言で過ごす……その選択肢もあったが、彼は彼女の傷ついた心をお節介でも良いので癒したかった。なぜそこまで彼女に気を遣うのか。それは彼自身も分からなかったが、放って置けないその思いは確かな物であった。 「あ、そうだ。読めないなら俺が音読するよ」 「…………」 不意に閃いた解決策を希龍が口にすると、フィナは口こそ開かなかったが、一度小さく頷いた。それが自分の提案を了承したと信じた希龍は持っていた本を地面にそっと置くと、ぼろぼろでタイトルすら読めないそれの1ページ目を開く。外はかなりぼろぼろの本だったが、開いてみれば中は意外にも腐敗が進んでなく、はっきりと一文字一文字が読み取れる程に保存状態は優良だった。 「どんな話か分からないけど、多分……あ、いや、きっと良い話に決まってるからさ、一緒に楽しもう」 本の1ページ目を捲り、それから一度フィナを見てそう言った希龍は1ページ目に視線を戻し、そこに書かれてある本――小説のタイトルに焦点を合わせた。 「え~と、タイトルは……“Fragment”」 「Fragment?」 思いの外、フィナは食いつきが良かったようで希龍が地面に広げるその本を覗き込むように見ながら、彼女はと彼に問い掛ける。 「そう、Fragmentってタイトル。意味は多分……“欠片”が正しいかな」 そう言うと希龍は前足を器用に使ってもう1ページ捲り、地面に広げる小説の冒頭を読み出した。 「え~と……轟々と唸りながら、咀嚼して舐め上げていく火の手。見慣れた家々をいとも容易く黒炭と化していくその様を、とあるポケモンが眺めていた…………」 暗い砂漠に勇猛に立つ巨石の下に灯る淡い光。光を失った砂の世界の中、砂塵に霞みながらも紅は闇に浮かぶ。そこから聞こえる優しい声は悲しみを紛らすように、&ruby(つづ){綴};られた豊富な表現力に彩られた文章の数々を読み熟していくのだった。 ……希龍が小説を声に出して読み始めてからどれくらい経っただろうか。砂嵐の前には月すらも見えなく、横穴の外は真っ暗で休む事なく吹き続ける砂嵐だけが暗闇に唸っている。彼女の悲しみを紛らわせれば……そう思って読み始めた小説だったが、いつの間にか彼自身のその物語の虜となっていた。まるで子供のように夢中になって声に出しながら読んでいた希龍は、息継ぎの為に声を止めた所で、ふとフィナの事が気になって彼女の方を見る。 この小説のおかげで悲愴に塗れた心の色を少しは塗り替えられただろうか。そんな期待を寄せながら彼女に瞳を向けた彼だったが、瞳に映ったのは既に安らかな表情で寝息を立てている彼女――フィナの姿。どうやら聞いている最中に眠ってしまったようで、その寝顔は起きている時には決して見せなかったとても綺麗で和らいだ表情だった。見ていれば見ている程、吸い込まれそうな位に綺麗で、さすがは砂漠の精霊と謳われる種族。希龍は彼女の寝顔に見惚れてしまっていた。 しばし、フィナに見惚れていた希龍は我に返ると、いかんいかん……とでも言うように顔を左右に振って彼女から目を逸らす。批評のしようがない程に美しいが、彼女に対して特別な感情を抱くのは、なにか罪に問われそうな気がした。今の自分ではとてもじゃないが彼女には釣り合わないだろうから。抱く特別な感情――“想い”を彼は心にしまい込み、しっかりと施錠する。 希龍は眠っているフィナから目を逸らし、荒々しい地面に置いた本を閉じるとそれをポーチの中にしまう。それから彼は寝ているフィナに視線を戻し、返事がないと分かっている上で彼女に一言“おやすみ”と、砂塵がざわめき中で小さく声を掛けると足を延ばして地面に体を預け、視界を黒に染めたのだった。 世界は朝を迎えた。沈んだ陽がまた昇り出すのと同時に空は光を取り戻し、朝焼けの日差しは砂漠に舞う砂の大群に幾本もの光の道となって映る。日の出と日の入りの数分間だけが、この砂漠で大地と空の境が分かる時間であり、それ以外の時間帯では地平線は茶色の空と同化して肉眼で見る事は出来ないのだった。 横穴の入り口から差し込む光に顔を照らされ、その眩しさから希龍は目を覚ました。どうやらこの横穴は東の方角に向かって口を開けているらしく、一条の光は一直線に横穴に差し込んでくる。陽光の眩しさに力みながら瞼を閉じていた彼はそれを慎重に持ち上げて半開きの目で外を見た。相変わらず横穴の外は砂嵐が吹き荒れていて、その向こうにはぼんやりと、けれど逞しく登る太陽の姿が浮んでいる。 目を覚ました希龍が先ず行った事。それはこの世界で最も大きな脅威と言えるメテオスコール――隕石群の確認だった。彼は昔からメテオスコールを察知出来る特異な能力を持っていて、いつもメテオスコールが降り注ぐ数時間前にはその襲来を察知出来るのだった。襲来を告げるのはじわりじわりと苦しめてくる独特の頭痛であり、それは隕石群の接近に比例して酷くなっていくが、最初は本当に小さな頭痛の為に意識を集中しない限り気が付かない。だから彼は時折このように意識を集中させて頭痛の有無を確認するのだった。 幸いにも頭痛は一切無く、しばらくはメテオスコールを心配する必要は無かった。迎えたのは何時もと変わらない至って普通の朝。&ruby(もっと){尤};も、希龍にとって砂漠での朝は初めてであったのだが。まだ少し寒さが残る中で希龍は起き上がるとそれぞれの足を伸ばして鈍った体を入念に解していく。なぜなら彼は直ぐにでもこの横穴を去り、極力早く斬空達と合流する必要があったのだ。朝になれば彼らも南方にあるとされる町――ミクスウォータを目指すであろうし、早く出れば途中で追い付けるかもしれない。さらに今は心配ないものの、メテオスコールが降り注ぐ可能性も捨て切れず、迅速に町に辿り着かなければ危険度は高くなる。それらの可能性から彼は早く出発しようと考えていた。 だが、彼には迷いもあった。どうしてもフィナを置いてはいけなかったのだ。一緒に行こうと声を掛けても彼女は兄が眠るこの地に残りたいと言い返すだろう。けれど、彼は彼女が心配……いや、それ以上に彼は彼女と別れるのが惜しかった。希龍は外の風景を映す瞳をそっと彼女に向ける。 まだフィナは寝息を立ててすやすやと眠っていて、その寝顔は夜に見たそれとなんら変わらなかった。希龍は一度彼女から目を逸らし、宛もなく地面を見ると再び考える。彼女の人生の舵は彼女自身が操る物。これ以上彼女に自分が干渉するのは良くないのかもしれない。ロイスのように自分の夢に共感してくれれば良いのだが、そうでもなければ無理やり彼女を旅に連れて行くなんて身勝手過ぎる。旅は危険だし、このように安住できる場所があるのならそこに留まっていた方が安全と言える。でも――フィナと分かれるのが何か大きな物を失うかのようで、希龍は心に風穴が開きそうだった。 その時、希龍の耳に物音が響く。考え事をしていた彼が音のした方を向くと、そこにはいつの間にか起きていたフィナが居た。彼女の瞳は昨日埋葬した簡素な兄の墓に向けられていて、瞳の奥に垣間見える悲しみはまだ拭えていなかった。 「おはよう。……起きてたんだ」 「うん……」 虚ろな目で盛り土の墓を眺めていたフィナに希龍は明るく振舞いながら挨拶したが、彼女の返事は半ば空返事のようなものだった。もっと元気出せよ。……と言いたい気持ちも少なからず彼にはあったが、そんな簡単に死の悲しみを乗り越えられる訳がない。人格すら砕くその悲しみを癒すには時間が必要な事はそれを経験した彼自身、良く分かっている。今はそっとしておく。それが希龍の考えだった。 希龍は無言でフィナの元まで歩みよると、彼女の足元に木の実を一つ置く。そして、彼女の顔を見上げながら、「食べな」と、一言だけ声を掛けて身を引いた。それを見たフィナは、少し申し訳なさそうに希龍が置いた木の実を三本の指で丁寧に持つと、昨日と同じように小さく口を開きそっと齧る。一方、身を引いた希龍は、二本目の瓶に蓄えていおいた水を一口飲んだだけで木の実を口にする事は無かった。この先の移動を考えると食糧の確保は難しく、今ここで消費してしまうのを彼は躊躇っていたのだ。 木々の見当たらない砂漠での移動。ミクスウォータと言う町に到着するまでは一切の補給も望めず、一日歩けば辿り着ける距離らしいが、昨日のように不測の事態も考慮すると節約をするしかなかった。それなのに、何故希龍がフィナに木の実を差し出したのか。その理由は至って単純だった。彼はフィナの元気を取り戻したかったのだ。傷ついた彼女の姿が過去の自分と重なっていたから…… 水の入った瓶の蓋を、両前足を器用巧みに使って閉めながら、直ぐにここを出発しなければならない希龍は話を切り出した。 「あのさ。実は俺、旅をしててさ、昨日仲間と逸れちゃって、合流する為にも直ぐに出発しなきゃならないんだ」 「……旅?」 旅人を見たのがフィナは初めてだったのだろうか、少し驚いたような表情で彼女は言った。 「あぁ、多分信じない……と、言うよりは先ず信じられないと思うけど、本当の空は澄んだ青色で、俺はそれを探しているんだ」 「青い……空?」 「そう、青い空。……って、やっぱ信じられないよな」 「…………」 会話しながら荷物の整理も同時進行していた希龍は、当然フィナは信じないだろうと思っていた。彼女に背中を向けているので顔を見た訳ではないが、何も言葉を返さないあたりそれはほぼ確実の事であった。おそらくは信じ難い事を聞かされ、どう言葉を返せばよいのか迷っているのか、または自分の正気を疑っていると言った具合だろうか。とにかく何も反応が無い辺り、彼女は青い空など信じてはいないのだろう。荷物をポーチに詰め込みながら、希龍はそう確信していた。 昨日の夜、焚火の温もりと一緒にフィナに読んであげた小説を始め、一通り荷物を片付けた希龍は立ち上がると、光が差し込む入り口を一度見てからフィナとの別れを惜しむように振り返った。 「じゃあ、俺は行かなきゃならないからこれで。……その、もう自殺なんて考えないでくれよ?」 優しく語り掛けた希龍の声を聞いていたのかいないのか。フィナは何か考え事でもしているかのように、希龍に目を向けながらぼんやりとした表情で座っている。そんな彼女の姿を瞳に焼付け、彼は目付きを鋭くしてから、入り口から見える外の世界を睨む。ここからは一人で町まで辿り着かなければならない。心に定めたその決意は彼の瞳にも宿っていた。 心配……と、言うよりは別れるのが希龍は惜しかったが、フィナが自分に付いてくる意志を持っていない以上、彼女を強引に連れて行く事なんて出来ないし、彼女の人生は彼女が歩むものであり、自分には自分の歩む道がある。そう希龍は自らに言い聞かせ、疲れていないのに重たくなった足を前へと踏み出す。 砂漠の砂は彼の本心を見抜いていた。別れたくないその気持ちを具現化するように砂は彼が踏み出す足を掴んでくる。自分に心の残りがあるのをこんな形で痛感させられるとは。彼は砂に沈む足先を見ながら、そう思っていた。心に残る淀みを吹き消せない内に旅を再開するのは少し気が重くなるが、自分は行くと決心したのだ。彼は再び自分にそう言い聞かせ、砂に埋まる足を力強く引き抜いて前に進んだ。 その時だった。背後の横穴に物音が一度反響したかと思うと、彼の耳は砂嵐の雑音すら無音と化した。 「ま、待って……私……付いてく……」 「え?」 声事態は小石のように小さかった。だが、その声――フィナの声は希龍の耳に強く響いていた。砂漠に精霊の如く舞った彼女の言の葉に乗った意志。彼女が放ったその言葉に希龍は足を止めて振り返る。横穴の入り口から身を乗り出すように立つ彼女。昨日と打って変わり、しっかりと立つその姿を前に、希龍は口が上手く動かなかった。 だが、彼の耳ははっきりと砂塵の中に舞い散る言の葉を拾い取っていた。そして、彼女の決意も。しばし無言の間が続き、風声が騒ぎ立つが希龍は動かなかった口を開く。 「……ほ、本当に付いてくるのか? 旅は危険だし、厳しいし、なにより旅をするなら相応の目的がないとただ辛いだけだ……」 「……駄目……なの?」 「い、いや。そんな事はないけど……あ、寧ろフィナが良ければ俺は大歓迎だよ。でも、言った通り辛い事も厳しい事もあるだろうし、命の危険だってある。それでもいいなら……」 「……うん」 希龍の耳に届くフィナの声事態は貧弱だった。しかし、彼はその中にある彼女の決意をしっかりと感じ取っていた。彼女が望むなら……希龍はそう思おうとしたが、それ以上に彼女が付いて来てくれるその喜びが、彼の心を一杯にしていく。一度小さく頷いた希龍は体の向きを変え、入り口に立つフィナに向かって歩いていくと、身長の関係上彼女を見上げた。 「改めてよろしく、フィナ。……一緒に青い空を探そうな」 まだ悲しみは拭いきれていない表情だったが、昨日とはどこか違うフィナの顔を見上げながら、希龍は明るくそう言った。そんな彼の言葉に耳を傾けながら、フィナはゆっくりと頷く。そして、フィナは希龍と共に果ての見えない砂の大地を歩き出す。 決して彼女の中の悲しみが拭われた訳ではない。しかし、彼女は抜け殻だった自分を捨てて希龍と共に歩を進めていく。砂漠の越えた先にあるとされる町――ミクスウォータを目指して。 To be continued... ---- [[Reach For The Sky 8 ‐久々の再会‐]] ---- あとがき 前回登場のヒロイン――フライゴンのフィナ。今回の話でようやく彼女の名前が明らかとなり、[[キャラ紹介のページ>Reach For The Sky 世界観とキャラ紹介]]にも載せておきましたので、興味のある方は覗いてくださいませ。大した事は書いていませんが(苦笑) さて、今回のお話をお読みになった方の多くは途中で「ん?」と思ったか、または「これはもしや!?」と、ニヤリとして頂けたかと思います。(笑) もうお分かりの方も多いかと思いますが、希龍がフィナに読んだ小説――[[Fragment]]は、このwikiで活動なさっています[[ウルラ]]様の長編作品です。勿論、チャットにて本人に了解を取り、コラボレーションの許可を頂きました。今一度、許可してくださったウルラ様にはこの場でお礼を申したいと思います。この度はありがとうございました。 また、Fragmentをお読みにならないと何が何だか分からない……と、言う展開はない予定ですので、その辺りはご安心を。 貴重なお時間を割いてまで、お読みくださり誠にありがとうございました。 感想や誤字の指摘などなど、コメントがありましたらお気軽に書き込んでくださると嬉しいです。 #pcomment(Reach For The Sky 7 抜け殻は捨ててのこめんと,10,below) IP:220.109.28.39 TIME:"2012-01-02 (月) 14:20:51" REFERER:"http://pokestory.rejec.net/main/index.php?cmd=edit&page=Reach%20For%20The%20Sky%207%20%E2%80%90%E6%8A%9C%E3%81%91%E6%AE%BB%E3%81%AF%E6%8D%A8%E3%81%A6%E3%81%A6%E2%80%90" USER_AGENT:"Mozilla/5.0 (Windows NT 6.1; WOW64) AppleWebKit/535.7 (KHTML, like Gecko) Chrome/16.0.912.63 Safari/535.7"