#navi(てるてる) [[てるてる]] '''&size(19){ルイス・ホーカー .1};''' ---- ・登場人物の紹介は[[''こちら''>ルイス・ホーカーの登場人物、世界観などの紹介]] ---- &aname(al); 白く灼けた太陽がちょうど真上に移動したころだった。 上空は相当風が強いのだろう。 筋状に伸びる何本もの雲は、遠く彼方にある海岸へと流れていく。 比較対象の少ない空では、油断すれば動いているのが雲ではなく太陽の方ではないのかと錯覚してしまうであろう。 太陽と同様に眩しく輝く青い大空から地上へと目を転じれば、地平線の向こうまで広がる広大な小麦畑が目に入る。 黄金色に照り返す小麦は、風に揺られ、海で織りなされるような波模様をこしらえている。 空の青の地の黄の境界線は白くぼやけ、曖昧に陽炎が立ち上がっていた。 小高い丘の上でそれら絶景を眺めていたヘルガーは感嘆のため息を漏らした。 「美しい」 口を突いて思わず出てきた言葉に、彼は自嘲ぎみに口元を歪めた。 美しい、か。 トレジャーハンターとして生きてきたヘルガーことアル・ドドはこんなものに心を動かされるなんて信じられなかった。 今までに魅力的に思えたものといえば錆びだらけの鉄の塊や歪んだ遺物くらいしかない。 熱さでやられたかな。 うっすら浮かんだ額の汗を、泥と傷だらけの腕で拭う。 腕以外にも、彼がどんな冒険をしてきたか一目でわかるくらいに、尻尾の先から鼻の先まで、細かな傷跡が黒い体毛の内でなりを潜めている。 アルは大きく深呼吸してこの壮大な自然の一部を腹の中にため込むとぐるりと絶景に背を向けた。 つぎはぎだらけのサーカスでも始められるのではないかと思えるほどに大きなテントが小麦の中、滑稽に思えるほど不釣り合いに建てられていた。 緑色のそれは、この華麗な黄金色の絨毯のど真ん中にあった。 ヘルガーは薄汚れた日よけをくぐり抜け、中に入った。 すがすがしい外の空気とは一転して、むわっと全身にまとわりつくように湿り気を帯びた空気がテントの中に腰を下ろしていた。 空気の流れのないこの中で、人夫たちの吐く息や機械の排気が逃げ場を失いどうどう巡りをしている。 燃料の臭気と立ちこめる人いきれに顔をしかめながら、テントの中央へ歩を進めると足下で踏み倒された麦の欠片がちくちくと足の裏に刺さる。 いきなりの雇い主の登場に、作業を中断した人夫の視線を感じながらアルは照明装置を抱えたクチートを追い抜いた。 追い抜きざまに振り返ったアルを、人夫のクチートは足を止めずに小さく頭を下げた。 ヘルガーもならって頭を下げ、再び前へ視界を傾けるとすぐ目の前に大きな穴が穿たれていた。 地獄の底まで繋がっているのではないかと言わんばかりに大口をあけた大穴にアル・ドドはかすかに寒気を感じた 一定の間隔を置いて設置されたアーク灯の灼けた光芒が、土の坂が途中から人工物に変わっていることを無言で教えてくれた。 ある意味で幻想的な景色に、ヘルガーの心臓は大きく脈打った。 なのに送られてくる血液はまるで氷に浸されたように冷たいらしく、全身の寒気が一層強くなる。 動物的な本能で感じる恐怖の寒気とトレジャーハンターの本能に突き動かされる興奮が身体の中で争い合っている。 発見が目の前に近づくと、アルはいつもこういった妄想を頭によぎらせる。 それを冷ましてくれたのは、先ほど追い抜いたクチートだった。 両手に持ったアーク灯の擦れ合う音に、ヘルガーは現実に引き戻された。 突然顔を上げた雇い主に怪訝そうな表情を向けながらそばを通り抜けた彼は、大穴の中へと入っていく。 黄色い体毛と、後頭部から飛び出している金属のような質感の突起に、設置されたアーク灯の光が交互に当たる。 段々と豆粒より小さくなる人夫の後ろ姿に励まされるようにアルも大穴の中へ足を踏み入れた。 ぬかるんだ地面に何度か足を取られそうになる。 照明の光を頼りに進んでいくと、前足に感じていた感触が変わった。 今ヘルガーは土の部分と、表面の土を剥がれてむき出しになった階段の間に立っていた。 アーク灯の光に、太古からの眠りを覚まさせられたタイルがぬらりと光る。 足を止めたアルは、自分が現在と過去の境界をまたいでいるような錯覚に囚われた。 目をつぶって階段を下まで降りれば、大昔にこの地球を支配していた人間の行き交う雑踏にタイムスリップできるような気がした。 もし、自分が彼らに会うことができたならば――実際にそんなことが起きないのはわかっていたが――彼はこう質問しただろう。 なぜあなたがたは滅びたのですか? 考古学において、不可解な謎を数えたらきりがない。 そのうちで最も不可解で最も興味を注がれるものといえば、この人類滅亡の謎である。 何万年も昔、科学力を鋭い刃のように地球に振りかざしていた人間は知的好奇心を満たすため、彼らは深い海や高い山、果ては宇宙にまでその矛先を向けていた。 その証拠にかつて人類が残していったものが随所に残されている。 宇宙空間に人工の衛星が発見されたときは、それこそ天地がひっくり返るような騒ぎが起こった。 あらゆる高名な研究者や芸術家などが、空飛ぶ遺跡の想像図を描き、次々に発表されていった。 宇宙から地球を監視するためのものという考えもあれば、調査するためのものという意見もあった。 全てに共通する考えは、人間が衛星に乗り込んでいたというものだ。 地球で生まれた人間が宇宙から母なる大地を眺める。 それを聞く度に、アル・ドドはいつも思うことがあった。 その人間は、地球から人類が死滅するときも、そこから見ていたのだろうか。 見ていたとするなら、何を想っただろうか。 家族か、友人か、故郷の景観か。 飢えと寒さと乾きに苦しめられながら、決して来ない迎えを待ち続けながら、人間は何を想っただろうか。 語りきれないほどの記憶を乗せた衛星は未だ空の彼方に浮かんでいる。 今なお消えることなくそこにいるのは何か理由があるのではないか。 人類の滅亡した秘密を教えようとしているのではないか。 何故人類だけが滅び、ポケモンが生き残ったのか。 その謎を解くこと、それを必要としているのが考古学。 謎を解く糸口を見つけること、それがトレジャーハンターとして正しい姿ではないのだろうか。 また空想をしていたヘルガーは、自分の名を呼ぶ声にはっと意識が正常に戻った。 自分のいる場所からすぐ下のところで、ピカチュウの人夫が怪しむように眉間にしわを寄せて立っている。 「アル・ドドの旦那。どうかしましたか?」 何でもない、アルは適当に人夫をあしらうと残りの階段を下りていった。 ふと足を止め、未だその場で立ちつくしているピカチュウを振り返った。 「本当に見つかったのか?」 「ええ。案内しますよ」 今朝いきなり飛び込んできた朗報を、アル・ドドは未だ信じ切れずにいた。 何十ヶ月も探し回って、やっとのことだった。 どうにも現実感が足りない。 それの確信を得るための問いに人夫は答えると、雇い主について行った。 大穴の下まで降りると、上の蒸し暑い空気は一転して、寒気がするほどに冷え切っていた。 歯の根が合わないという程ではないが、あまり長居をする気にはなれない。 「こっちです」 アーク灯の明かりで彩られた横穴を二人は進んでいく。 気味悪く反響する二人の足音が、交互に鼓膜に張り付いた。 足下には石のような材質の板が張られ、壁と天井は細かいタイルで覆われている。 しばらく進んでいくと天井と床から数えてちょうど真ん中あたりでタイルの覆いが無くなっているのが見えた。 近づいてみると、それはただ単にタイルが無くなっているのではなく別の材質のものがはめ込まれているのだということに気づいた。 何か書かれた、薄い鉄の板のようであったが、長年の孤独を前にして歪み、ところどころが変色している。 書いてあるものを読もうとアルは表面の泥を払い落とした。 角張った文字が姿を表した。 塗料はほとんどはげ落ち、白い跡が残っているのみだった。 それを読もうと首を様々に傾ける。 今でこそコチミと呼ばれているさびれたこの場所だが、ここいらは太古の昔大都会だったのだ。 人々の往来も激しく、かなり発達した都市が築かれていたのだろう。 大昔にそんな大都市があったなんて、一面に小麦畑を見て想像できるだろうか。 この場所のようなものは、数多く発見されている。 ふと、彼は人類の残り香を嗅いだような気がした。 だがすぐに気のせいだと割り切ると、かなり遠くに行ってしまったピカチュウを追った。 人夫の曲がった角を彼も曲がると、落盤でふさがった通路に出た。 二人の人夫がおしゃべりをしながら落石に腰掛けている。 アーク灯に照らし出されている二人の影が、立てかけられた発掘用具どうように落盤箇所に長い影を落としている。 ピカチュウが二人の間に割って入った。 「おいロジャー。旦那にあれを」 ロジャーと呼ばれたフシギソウは曖昧に返事をすると立ち上がり、通路の隅の陰になっているところにツルを伸ばした。 取り出された麻袋がアルの前に乱暴に置かれた。 かちゃんと音を立てたそれに、アルは何か壊れたのではないかとひやりとした。 ピカチュウが麻袋の口を広げる。 ねじれた破片や、さび付いた金属が顔を出す。 「旦那に言われたところを掘ってたらこんなに出てきたんです。お目当てのものはたぶんこれだと思うんですがね」 言って取り出したものを、アル・ドドは食い入るように見つめた。 心臓が数回大きく鼓動する。 透明の小さな長方形の板。 これぞまさしく、彼が探し求めていたものだった。 泥で汚れ、透明度は失われているが、丁寧に洗浄すればまたもとの美しい姿に戻るだろう。 アルは人夫の手からそれをかすめ取ると、指の間に挟んで自らの体毛に擦りつけてからアーク灯の強い光にかざした。 過去からの訪問者はまばゆい光の中を乱反射する。 内部に毛細血管のように張り巡らされた装飾のようなものが自己主張する。 透明な板を持ったアルが腕を動かすと、板は様々な色に変化した。 虹を見ているような気分だった。 それも、自分の手の中で見ている虹だ。 夢物語だと考えられていたものが、今自分の手の中にあるのだ。 ヘルガーがにやりと笑って板から視線を転じると、いつのまにか他の人夫たちが集まっていた。 怪しい雰囲気をまとっている男に、誰が最初に質問するかで迷っているのか互いに顔を見合わせている。 フシギソウがツルを伸ばしてピカチュウを小突いた。 恨めしそうに振り返ったピカチュウに、ロジャーは顎をしゃくった。 「それは。それは、いったい、何なんです、か?」 一言ずつに力を込めて言う人夫に、アルは透明板を見せびらかすように振った。 「人類の遺産だよ」 明確でない答えに人夫たちは首をひねる。 アル・ドドは人夫たちに発掘する対象について詳しい説明をしていなかった。 単純に、縦2インチ・横4インチの透明な薄い板状のものが見つかったら、とにかく報告してくれと伝えていた。 人夫に与える情報を多くすれば、それだけ手間がかかり、報酬の額が跳ね上がる。 価値を知った人夫が良からぬ企みをする可能性だってあった。 おかげで、今日の本物を発見するまでに数回呼び出された。 夢にまで見た透明板が見つかったと慌てて駆けつけてみれば、ガラスの破片や、酷いときには人夫の持ち込んだガラス容器を勘違いして差し出されることもあった。 そのたびに人夫を叱責していた、だが今度は違った。 本物だ。 いまなら人夫一人一人の頬にキスしても良いとさえアルは思った。 人夫の一人が手を挙げた。 「つまりですね。目的のものは見つかったと?」 恐る恐るといった感じで問うてきた人夫にアルは頷いた。 「ではあとはそれを渡すだけですね」 それを聞いた途端、ヘルガーの顔から笑みが消え、嫌悪の情が取って代わった。 そもそもこれを見つけられたのも、依頼主の協力があってこそだった。 発掘費用も人件費もすべて、あの富豪が出してくれた。 この透明板のため、すでに最初に見積もった金額を大幅にオーバーしている。 いまさら見つからなかっただの、渡せませんなどと言える状況ではない。 依頼主にそれを言えない理由は他にもあった。 アル・ドドは今でもあの男の顔を覚えていた。 そうそう忘れられるものではない。 あのやさしさなんてこれっぽっちもなさそうな、残忍に光る眼光を持つ男。 ハリー・オール富豪。 ―――― 外から帰ってきたアル・ドドは舌を出し、熱くなった体温を調整しながら家の扉をくぐった。 さんさんと降り注ぐ日差しを受けた路面と芝生の熱さの余燼に、足の裏がひりひりと痛む。 郊外の住宅地に立ち並ぶ白い家は、強い日差しを前に火傷しそうなほどの光を反射している。 ジョギングで乱れた体毛をそのままに、アルは部屋の中を見回した。 外の明るさに慣れてしまったため、暗い室内を見渡せるほどに目が働くまでに時間がかかった。 そして、家の中の惨状にため息をついた。 床の上には冬から夏にかけて大量に抜け落ちる毛がほこりと共に散乱し、窓際のテーブルの上には遺跡調査の資料や新聞紙が食べかすを被ったまま無言で朝日を浴びている。 アルが自身の現場優先主義的な性格をこのとき以上に恨めしく思うことはない。 普段から調査や発掘のため、遺跡と共に寝泊まりしていることが多く、まともに家で寝たことがない。 その上、珍しく暇があったときは、性格が幸いして自分から仕事を探してしまい、結局は自宅に帰らない。 アル・ドドは目を数回しばたたかせたあと、キッチンの流し台につかまり立ち、蛇口から直接水をすする。 めったなことでは家に帰らないとはいえ、ゴミ溜めにしてしまうのは嫌だ。 あとで片付けるか。 蛇口を閉めながら、アルは決意しては何度も踏みにじってきた誓いを確認するように頷くと、手始めに何をしようかと頭の中で思案しながら家の中をうろうろする。 こういうところにも、彼の落ち着きの無い性格が表れていた。 家の呼び鈴が、鋭い音で彼の計画を白紙に戻した。 いらいらと鼻を鳴らしながら、ヘルガーは扉を振り返る。 ドアについた窓とカーテン越しに、来客の姿がうつっている。 それほど背が高くない二足歩行のポケモンかな、アルは推測しながら扉を向かった。 彼がドアを開けるまでにもう一度呼び鈴が鳴る。 ちょうつがいの音が止むころ、ドアの前にいたザングースは深々と頭を下げた。 よほど丹念に手入れをしているのか、綺麗な二色に分かれた毛並みはよく太陽光を反射する。 その手には黒いケースが握られていた。 「初めまして。ハリー・オールと申します。いきなりのご訪問をお許しください」 言うが早いか、家の中へ入ろうとするザングースを、しかしアル・ドドに阻まれる。 「何のようですか?」 迷惑そうなヘルガーの声に、男はわざとらしくはっとしたように目を見開くと数歩後ずさり、先の時よりさらに深くお辞儀をする。 「すみません。実はお仕事の件で」 「ならこの場お聞きします。家の中に入る必要は無いのでは?」 アル・ドドがザングースを入れないのは妙な男を入れたくないのも理由だったが、それ以上に汚い室内を見られるのが嫌だったからだ。 出来ることならすぐにでも家の中に引き返したい。 「それはちょっと……」 後半の言葉を濁しながら、ハリー・オールは視線をよそへ振った。 その動作に、アルは諦めの混じった吐息を出した。 トレジャーハンターという職業柄、あまり評価されない依頼を持ちかけてくるものは大勢いた。 周りを気にするあたりこの男もそのたぐいだろう。 どうぞ、ハリーに言い残したアルは、家の中に引っ込むと真っ先にテーブルの上のゴミを床へそぎ落とす。 めちゃくちゃにされた新聞紙が抗議の音を立てるのも気にせず、彼は部屋の隅にそれらを押し込んだ。 後ろでドアの閉まる音が聞こえた。 室内に入ってきたハリー・オールにアルは振り返った。 「何も無いが、どうぞこちらへ」 窓際のテーブルを挟むようにして置かれた椅子を促す。 パンの細かな残りかすの乗っている椅子に、内心しまったと思ったアルだったが、富豪は特に気にする様子もなくそれに座った。 手に持っていたケースを卓の上に乗せ、覆いを開く。 「これを見てください」 数枚の紙を取り出したハリーは、テーブルの上からケースをどけてそこに広げた。 男とは反対側の椅子に遅れて座ったアルは、用紙に視線を落とした。 一枚はどこかの海岸の地図だった。 モノクロの海と大地のいたるところに、赤い丸で印が付けられている。 残りの用紙には隙間が無いくらいに文字が詰め込まれていた。 文字の筆圧が最初から最後まで同じであるあたり、タイプライターで打たれたらしい。 薄汚れた窓から注ぎ込まれる殺人的な光に文字はぼやけ、ほとんど読み取れない。 アルは顔を上げ、向かいの男を見上げた。 「これは一体?」 「わたしの依頼について、詳しい資料です」 ザングースの黒い爪が紙の上を走る。 「これが地図。これがそこに埋まっている物体の形、大きさ、重さ、特徴。これが何故そこに埋まっているかの根 拠と仮説。そしてこれが――」 「ちょっと待ってください。何です? つまりわたしに穴掘りをやれとおっしゃっているのですか?」 説明を中断したトレジャーハンターの問いに、ハリーは頷いて答えた。 発掘には莫大な金がいる。 どこかのジャングルの奥地を探検して、雨ざらしの遺跡を調査するのとはわけが違う。 それこそ土の奥深くに眠っている鉄の塊へ向けて掘り進めるのだ。 地質調査から始める必要がある。 そうすれば何ヶ月もかかるし、第一莫大な費用がいる。 「たいへん申し訳ありませんが、このご依頼は引き受けられません」 なぜだ、と問いたげにハリーが眉をひそめる。 彼が実際に口に出す前にアルはその理由を説明した。 最初の内はその釈義を黙ったまま聞いていたハリーだったが、金のことに触れた途端、腹を抱えて笑い出した。 気でも触れたのか。 狂人じみたザングースの振るまいを、恐る恐る見つめるアル。 ようやくまともに息が出来るようになったハリー・オールは目元の涙を拭い、アルのほうに顔を寄せた。 「費用のほうは任せてください。わたしがすべて出します。金ならいくらでもある」 金ならいくらでもある? 最高のジョークだな。 腹の中でつぶやいたアル・ドドは、大きく息を吸い込んだ 「ご冗談を」 吐息と共に漏らした言葉に、ハリーは目ざとく食いついた。 「いいや、冗談じゃない。このハリー・オール富豪にできないことはない」 先ほどまでとはいかないが、口の端を引き上げて言う男にアルは寒気を感じた。 こんな不気味な男は今まであったことがない。 あらためてそう思った。 剣呑の生々しい雰囲気が、毛穴から直接心臓へ流れ込んできているような気がした。 「実はですね、二ヶ月後に学校へ講義の仕事があるのです。あなたの発掘は何十ヶ月もかかるものです。残念ですが他をお当たりください」 「だったらその講義をキャンセルすれば良いのではないでしょうか」 「そんな無茶な。楽しみにしている子供たちだっているのですよ」 彼の出した不服の情の混じった声は富豪まで届かなかったようだ。 「無茶だって? ハリー・オール富豪に出来ないことはありません。その講義でもらう報酬の三倍、わたしが出しましょう。心配いりません、子供たちには楽しみが少し伸びるだけです」 アル・ドドにだんだんと諦めに近い感情が押し寄せる。 この男に何を言っても無駄なのだろうか。 子供たちへの講義の仕事なんて全て嘘だ。 はやくこの男から遠ざかりたい一心でついたものだった。 一体なぜこの富豪は発掘にこうもしつこく粘着するのだろうか。 アルは疑問に思った。 一から掘り出すよりも、競売にかけられているものを買うほうがよっぽど安上がりだ。 それとも、何かよっぽど大事なものが埋まっているのだろうか。 恐怖を食いつぶした好奇心に突き動かされて、アル・ドドは口を開いた。 「あなたはなぜあの場所にこだわるのですか?」 依頼を引き受けたと相手に思われるより前に、彼は参考までにと付け加える。 ハリーは視線をトレジャーハンターから卓の上の書類に転じた。 「ここに書いています」 言って男は地図を指さした。 「コチミの大都市跡は知っていますか」 アルは頷いた。 コチミとは、大陸の西側海岸に位置する平野のことだ。 かなり荒れた土地で、小麦以外の作物はほとんど育たないような土地だ。 言われなければ思いもしないような場所だが、一〇年くらい前に海岸沿いの崖から大量の金属とが発見され、そのことから太古の昔そこに大きな都市があったのではないかと言われるようになってからはそれなりに知られるようになった地域だ。 現在は個人所有の大規模な小麦畑になっている。 知っているとアルが答えると、ハリーはにやりと笑って指された爪を二枚目のほうへ持って行く。 「わたしが見つけてほしいと思っているのはこれです」 ある一点で爪が止まった。 なにがあるのか見ようと、アルが身をかがませて紙の上に男の手を含めて影を作る。 窓からの太陽光に照らされてほとんど読めなかった書類の内容が、ヘルガーの輪郭だけはっきりした。 歳を取ってから急激に落ちた視力に対抗するため、彼は目を細めてハリー・オール富豪に指し示されたものを読んだ。 「透明板だって?」 不可思議さに眉をひそめて、アルは男に向き直った。 「これをか? これを見つけろというのか?」 疑問のあまり、無意識に声を荒げる。 太古の人類が作り上げたと言われる透明な板の伝説は有名だ。 それを手に入れた者は世界を掌握できるという大それたお話だ。 コーヒーカップよりも小さい魔法の板の伝説は、アル・ドドが子どものころからすでに存在している。 毎日のようにその本を読んでは、本当にそれがあったらなと夢想したものだった。 好奇心の塊のようだったあのころは、透明板という馴染みのない響きがとても格好良く聞こえた。 地底に眠る透明板を探そうとして炭坑に一人で忍び込んでは見つかり、こっぴどく怒られたのをはっきり覚えている。 子どもの夢を無視して怒り心頭に怒鳴りつける大人たちに、幼少のアルは強い憤りを感じた。 あるとき、透明板を追って考古学者になると親たちに告白した。 当然のことながら父母は笑い転げ、兄弟は非常識だと笑いものにした。 適当にあしらう者がいなかったからこそ、彼の決心はより強くなっていった。 家族の反対を押し切って大学で考古学を専攻したのもそれが理由だ。 いつかこの夢物語が現実であると世界にわからせてやろうと、ティーンエイジャーは思った。 だがそれはつかの間のことで、実際に勉強を始めてみてやっと障害の多さに気づいた。 透明板への足がかりを作るはずが、足がかりを砕いてしまったのだ。 それも自分の手で。 現実に嘆いたが、しばらく経つと考古学の道を存外楽しく思えるようになった。 透明板以外にも興味深いものが存在したからだ。 だが二年目のある日、父の借金が原因で大学を去ることになった。 大学を去ることは、考古学者の道を絶たれるに等しい。 学校の友人たちはアルが大学に残れるようにと、協力してくれようとしたが、アル本人は全て断った。 友人の救いの手を掴むことは、父が借金をしたことに重なって見えたからだ。 その後、借金を全て返済できたと同時に判明した父の浮気に、母は愛想を尽かして出て行った。 年老いた母を助けるために、大学生だったころの友人の遺跡調査を手伝う形で金を稼いだ。 その時の経験を生かしたからこそ今の自分、アル・ドドがいるのだ。 自分がトレジャーハンターになるきっかけを作ってくれた伝説に再び巡り会ったのも、何かの縁だろうか。 ハリー・オールは先ほどのアルの発言を、透明板の伝説を知らないことからきたのだと勘違いしたのか、眉をつり上げた。 「そう、透明板です。輝石と言ったほうがよろしいでしょうか。お知りではありませんでしたか?」 「いいや、よく知ってるよ」 それは良かった、と言って口を三日月状に歪めた。 普段笑ったことがないのか、作り笑いなのかは定かでないが、赤い目に笑みが浮かんでいない。 これ以上寒気を感じないように、アルは視線を書類へ移した。 大きくため息を吐く。 外の日差しが先にもまして強くなったような気がした。 「オール富豪、失礼を覚悟で申し上げますがこんなものを信じているのは、今時子どもくらいです」 それは当たり前のことだ。 いつまでも昔の物語を本気にしているような者はいない。 いずれは夢だということに気づく。 どうやらこの男は、その重要なプロセスを踏まなかったらしいなとアルは思った。 「それは物語の透明板のことではないのかね。わたしが言っているのは現実の透明板だ」 アルが頭の中で何を考えているのか気づいたらしく、富豪は付け足すように言った。 それに対してアル・ドドはいらいらと鼻を鳴らした。 「そんなことはわかっています。大事なのはあなたの言う透明板は存在しないということです」 その言葉に、ハリーはさも驚いたように目を見開くと地図を指さした。 「存在するんだ。そこにある。そのコチミの大都市跡に」 認めようとしない富豪の態度に、アルは悪態を飲み込むと背もたれに寄りかかった。 黙ったまま睨み付けてくるハリー・オール富豪と、彼に指さされた地図とを交互に眺めながら、このわからず屋をどう処理しようか思案した。 たしかに、コチミにまだ大がかりな発掘が行われたことはない。 場所が悪かった。 そこに遺跡があるとわかったのはつい最近のことで、その上には古くからある小麦畑があった。 大都市となれば、小麦畑すべてを封鎖しての大規模な発掘現場が必要になる。 大陸の人口のほとんどを養ってい大畑を一ヶ月でも止めよう物ならたちまち食料が足りなくなってしまう。 今までに数回、小規模の発掘が行われたことには行われたが、がぜん小規模であるがゆえに、発見はほとんどなかった。 その点で見れば他の遺跡よりも可能性は高いかもしれない。 だが、それだけでは透明板があるという保証はない。 そのことを伝えようと口を開きかけたアル・ドドだったが、ハリーと目が合った途端口をつぐんだ。 この男に何を言っても無駄かもしれない。 だからと言ってこんな途方もないことをさせられるのは敬遠したい。 理屈を並べ立ててもわかってもらえない相手にすることは一つだけだ。 「お帰りください」 にべも無く言い放つと、アルは出口のほうを顎でしゃくった。 いきなり家に押しかけてきた男を早く目の前から消し去りたかった。 その動作の意味を理解していないのか無視しているのか、ハリーは小首を傾げるだけで動こうとしない。 いちいち腹の立つ男だ。 無意識のうち、彼は歯ぎしりをしていた。 「出て行ってくれと言っているのです」 それでもなお動こうとしない富豪にアルはかぶりを振ると立ち上がり、ドアを乱暴に開けた。 さあ、と片手で外の方を示すヘルガーに、ハリーは肩をすくめて見せた。 「わたしが出て行くのは簡単だ。だがわたしが出て行ったあと、お前さんは一〇秒と生きてはいられないぞ」 外から流れ込んでくる生ぬるい風が、緊張と共にアルの頬から尻尾の先までを舐め上げた。 しばし、部屋の中は壁に掛けられた時計が秒を刻む音のみが行き来した。 普段聞こえない心臓の脈動が、彼の肌を震わせる。 「……どういうことだ」 身じろぎ一つせず、立ちすくんでいたヘルガーはからからに乾いた喉からやっとのことで声を出した。 言下を与えず、ハリー・オールは窓の外へ視線を動かした。 「そろそろ配置に付けたころだろう」 じわりと額の汗が眉間を伝って床に落ちのを、アルは感じた。 打ち出されたような素早さでドアを閉めると内側から施錠する。 続いて寝室へ飛び込むと、窓の前にかかっているブラインドを全て下ろした。 長年この仕事をしていると、危険から身を守る術を自然と身につけてしまう。 この場合、うかつに外へ飛び出すよりも建物の中へ籠城したほうが相手の隙を突ける。 裏口の鍵をかけ終えたアルは富豪のいる部屋へ身をかがめて入った。 ハリー・オールの座っている椅子の前の窓だけ、カーテンなどの遮る物がついていない。 部屋に戻ってきたアルに気づいた富豪は、窓の外を指さした。 「安心しろ、わたしが合図しなければなにもしない」 自身の毛並みを整えながら椅子に座っているハリーの陰から、アルは恐る恐る外へ視線を広げる。 嫌気が差すほどに眩しい太陽光に目を瞬かせながら、しかし決して外から目を離さずに見つめた。 芝生の向こうの道路に、見慣れない車が三台、連なって駐車されていた。 黒塗りの車体は閑散とした住宅街の中でまばゆい光を切り裂いてしきりに自己主張をしている。 暗い車内で何かが動くのを確認できた。 この調子では恐らく裏口の前でも同じように見張られているだろう。 もう一粒、汗が先ほどと同じような道をなぞって床へ落ちた。 耐え難いほどの緊張を口内に溜まったつばと共に飲み込むと、彼はハリーの方を向いた。 「なぜこんなことを」 「わたしの持ちかけている依頼は、知っている者は少ない方がいろいろと好都合でね」 最初会ったときと変わらない謙虚な物言いだが、今となっては悪魔が無理に天使の声を真似ているようにしか感じられなかった。 周りを漂うほこりが、窓の光芒に照らし出されている。 アルは外から死角になる位置の床に腰掛けた。 相手に透視できる者がいればそれまでだが、無防備に身体を晒すよりかはましに思えた。 荒くなっていく呼吸に反して息苦しさが増していく。 いつのまにか股のあいだに挟み込んでいた尻尾をほどく。 落ち着けと自分に言い聞かせるように頭を一振りするトレジャーハンターに、目の前の男はテーブルの上にあった書類を突きつけた。 「依頼さえ受けてくれたら、何ら危害は加えない」 「保証は?」 アルの訝しげな問いかけに富豪は書類を下にずらした。 ひとつがいになった赤い目が、脅し掛けるように細められる。 外の光を背に抱いた男の双眸は、深い穴のように黒ずんで見えた。 「信じてもらうしかない」 アルは舌打ちと共にうなだれ、床に視線を落とした。 薄くはったほこりの層の上にパンくずがこぼれている。 掃除はしばらく後回しだ。 盗賊や武装集団の窮地から幾度となく逃げ延びてきたアル・ドドが、こんな狂人まがいなザングースに危機に陥れられるのは心外だ。 顔を上げたアルは富豪を睨み付け、腹立ちにわななく腕をさする。 見張りさえいなければこの場でかみ殺してやれるのに。 衝動的な欲求を飲み込んで何とか平常心を保つと、彼はハリーを睨み付けた。 「詳しく話せ」 また例の作り笑いを浮かべたハリーは、向かいの空いた席を手で仰いだ。 「まあまあ、落ち着いて。座って話そうじゃないか」 「断る」 きっぱり否んだアルは、鼻にしわを寄せて牙をむき出す。 少しでも怖じ気づくかと考えての行動だったが、男は別にどうて事無いと言わんばかりに眉をつり上げた。 「そうかい、ならそれでも良い。先ほど申し上げたとおりあなたにはその透明板を見つけてほしい。そのためにコ チミの小麦畑に穴を開けてほしいのだ」 「そんなことをすれば大陸の人間のほとんどが飢え死にするぞ」 アルは言った。 葉などが主食のポケモンは良いとしても、大多数のポケモンはそんなことをするように身体が出来ていない。 存在自体があやふやな板きれ一枚にそんなことをする必要があるのか。 疑念のしわをみけんに刻む彼に対してハリーは見下したような含み笑いを浮かべた。 「人の話を最後まで聞くことだ、わたしもそこまで悪じゃないさ。大陸全土に食糧危機を招くような愚かな真似は したくない、そこであなたの登場だ」 ハリーは手に持っていた書類を投げ捨てると、卓の上の地図をつまみなおした。 地図に記された海岸線を次々に指し示していく。 「不必要な場所まで掘り起こさないように、あなたのトレジャーハンターとしての知恵と経験と勘をつかっていただきたい」 返答を待つ富豪の手から、アルは地図を奪い取った。 穴が空くほどにそれを睨め付ける。 この男が自分に依頼をしたのは、被害を最小限に抑えた発掘をするためだ。 逆を返せば、自分が依頼を拒んだ時点でこの男は手当たり次第に掘り返すつもりなのだろう。 海岸線から内陸まで、斜めに見ただけでも赤丸の数は二〇を超えていた。 ハリー・オール富豪はアル・ドドの命と共に大陸全体の命を掴んでいる。 アルはこの男のあまりの卑怯さに、吐き気を覚えた。 額の黒い体毛の下で皮膜を張っている汗をぬぐい取った。 自分の命と無関係な人々の命を人質に取られたアルは、手に持った地図を富豪の代わりにぐしゃぐしゃに丸めた。 飛びかからんとするくらいの勢いで富豪に詰め寄る。 床に舞い降りていたほこりがぶわっと舞い上がる。 それでもなお涼しい顔をしている男に余計腹が立った。 「依頼は引き受ける。だが確実に掘り当てるためには調査が必要だ」 激情を堪えるために食いしばった歯の隙間からうなり混じりの声を出した。 通常発掘には一見して何もない地面に穴を開ける作業から始まる。 そこに目印は当然無い。 あるのは文献と地理情報と、あとは当時の環境の予想モデルだけだ。 そこから徐々に目標の埋まっている地点を割り出すのだ。 かなりの日数がかかるうえ必要な情報が集まる保証もなく、大抵は勘を頼りにする。 「時間も必要だ。それまで待ってくれるか」 駄目だと言われればそれまでだった。 ごくりと息を飲む彼に、富豪は考え込むようにうつむいた。 時計の音がいやに大きく感じられた瞬間だった。 ザングースの耳がぴくりと動いた。 むくりと頭を上げると、真っ向からアルを見つめた。 「全て任せる。わたしも無用な犯罪は犯したくない。わたしは一旦自宅へ帰って自らの仕事を片付ける」 「えっ?」 男の自宅へ帰ると言う言葉に、アルは思わず声が出てしまった。 外にいる見張りの姿が脳裏をよぎる。 彼の動揺を感じ取ったのか、富豪はこう付け加えた。 「安心してくれたまえ、合図をしなければ良いんだ。だが……」 持ってきたケースから残りの書類を全て取り出してテーブルの上に積み上げ、気だるげに立ち上がった男はゆっくりとした足取りでドアへ向かう。 「あまり妙なことはしないほうが身のためだぞ。なにせわたしの部下は神経質な者が多い」 すれ違いざまの言葉にアルはどきりと身体が跳ねた。 「監視するのか」 アルの問いに対して、当然だろう、と背中越しに言った男はそのまま振り返ることもなくドアを開けた。 閉じられるドアを唖然と見つめていたアルは、ばたんという戸が閉まりきる音に意識を引き戻された。 誰に急き立てられるわけでもなく、ぐるりと室内を見回す。 テーブルの上の紙の束以外、いつもの部屋だった。 ほこりっぽい床にパンの食べかす。 読みっぱなしの新聞などすべていつものままだった。 しかし、決定的に違うものがある。 空気の流れを遮断されたのとは比べものにならないほどの空気のよどみが天井から床まで、何から何まで覆っていた。 窓から射し込まれる光芒が、部屋の四隅に暗い陰を作り出している。 配置された家具と同様に、自らの輪郭が床へ影を落とす。 ヘルガーの影に向かって、アルはにがにがしいため息を吐いた。 まだかすかに残るハリー・オールのにおいに胃がきりきりと痛んだ。 突然鳴り響いた、後ろからの鋭い音に彼の心臓は跳ね上がった。 音の発生源を確かめる間もなく、振り返りざまに火炎を放った。 柱が天井近くの梁と交差する辺りに命中した炎の塊は、ごうっと酸素ごと音の原因を飲み込んだ。 途端、ぴたりと止んだ音。 ぱちぱちと壁や天井に煤を塗りたくる炎のはぜる音が取って代わった。 ずり落ちるようにして、炎の塊が床へ落下する。 衝撃で炎が消え、真っ黒に煤けた壁時計があとに残った。 木材特有の甘みを含んだにおいは、彼の頬を多少ながらほころばせた。 自分は一体何におびえているんだろうか。 一時間ごとに鳴る時計の音に過剰に反応してしまった自分がばからしく感じた。 怖がる必要はない、たかが一人の男の依頼だ。 言い聞かせるようにかぶりを振る。 さっさと終わらせて、わがままな依頼主を満足させれば良い、それだけの事だ。 励ますように彼は自らの額を軽く叩くと、充満した煙を追い出すためにテーブルのそばの窓を開けた。 燻されそうなほどのにおいと熱い空気がすれ違う。 芝生のむせ返るほどの緑に視線を巡らそうと顔を動かした彼は道路の黒い三台が目にとまった。 ちょうど富豪が乗り込むところだった。 ドアが閉まると同時に掛かったエンジンが、閑散とした住宅街を響かせる。 先頭の一台を残して走り出す二台の車。 不意に富豪がアルの方に顔を向けた。 口元を歪め、片手を上げるハリーの姿に、アルは目を逸らした。 ここまであの不快な声が聞こえてきそうだ。 彼の不安をよそに、二台の黒塗りの車は徐々に速度を上げていき、丘の向こうへ消えていった。 わずかに残るエンジンの轟きにUターンの前触れが無いだろうかと耳を傾けていた彼は、すぐに取り越し苦労だということに気づいて胸をなで下ろした。 そこで初めて自分が息を止めていたことに気づいた彼は目をつぶり、しかし意識は外の見張りへ向ける。 自分はこれからどうなるのだろうか。 いままでなりを潜めていた不安が段々とかたちを成していく。 いつ死んでもおかしくないような状態には何度か立ち会ったことはあった。 盗賊に襲われたときや海賊から奪われた財宝を取り返したときがそうだ。 だが、それらはみな危険というたしかな気配を伴っていた。 今回は違う。 漠然とした不安のみがとぐろを巻くばかりで、はっきりとした身の危機がもやのようにあやふやなのであった。 現に、先ほどの怒りと恐怖はほとんど消え去っていた。 目を開くと、目の前には富豪の置きみやげがテーブルの上で山となって積まれている。 上から数枚の内容を斜めに読んでみると、そこには地質の構造や海岸線の位置の変化などおよそ発掘に必要な資料であることがわかった。 材料は渡すから料理はおまえがつくれ、といったところだろうか。 立ち上がり、ため息を吐き出しながらアルは台所へと向かう。 流し台の引き出しの中から紙巻き煙草を取り出す。 流し台のステンレスの部分に炎を吹き付けた。 みるみる内に冷たい色をしていた金属が、赤く発光しだした。 頃合いを見計らって煙草を口にくわえた彼は、身をかがめて先端をそこに押し付けた。 青白い煙が一筋天井へと登っていく。 霧散していくそれらを目で追っていたアルはふと、自分が何をしているか気づいた。 禁煙を誓って、それを破ったのはこれで何度目だっただろうか。 歳もそんなに若くない彼にとって、一度失った体力は中々もとに戻らない。 煙草の有害性が謳われ始めた今、自らの体力を削ってまで吸うことは懸命ではない。 それは頭ではわかっているつもりだったが、ほとんど習慣化されてしまったものを断ち切るのはかなりの意志が必要だった。 煙草を口から離して、流し台に溜まった水に赤く点った部分を押し付けて消す。 火の消えた、水を含んで重たくなった煙草を再度口にくわえた彼は、喫煙への欲求の戒めの言葉をつぶやきながら卓の前に戻った。 書類を見つめながらふと窓の外を見ると、いつのまにか車が消えていた。 だが油断はできない。移動しただけかもしれない。 自分に言い聞かせると、彼はまた書類に視線をはわせる。 それには依頼を早く終わらせたいという思いもあったが、それ以上に富豪のあの言葉を忘れたい思いもあった。 ――ハリー・オール富豪にできないことはない。 たった一度か二度聞いただけだったが、妙に耳に残った。 自分の威厳に慢心した男の代名詞とも言える言葉だ。 愚かでもあるが、同時に危険でもある。 彼は首をねじって、考えを振り落とす。 忘れてしまおう、今は仕事だ。 ――― 手の中の透明板がきらりと光った。 世紀の大発見をしたという漠然とした喜びと共に、これが一人の男の手に渡してしまうことの後悔がアルの中で右往左往する。 アーク灯の強い光線に、アルとその周りの人夫の影がゆらゆらと壁で踊る。 湿気だらけの冷たい空気が、張り詰めた緊張ともども息を止めている。 「その通り。あとはこいつを渡すだけだ」 やっとのことで、アル・ドドは口を開いた。 老けと疲労を感じさせるしわがれた声が緊張の重い垂れ絹を振り払う。 人夫の一人が小さく安堵のため息をついた。 隣にいる人夫をこづく者もいた。 発掘が始まってからの長い間、雇った人夫たちはほとんどここで働き通していた。 人夫たちの手のひらの赤く腫れ上がった肉刺がそれを物語っている。 先ほどのピカチュウは仲間たちと何かをつぶやきあった後、出口のほうへ駆けていった。 何事かとアルが問うと、人夫は上にいる者にこのことを伝えに行ったと答えた。 交代の準備をしているであろう人夫たちは、この知らせのうれしさに拍子抜けすることだろう。 ざわめきだした人夫たちにアルは咳払いをしてこちらに注意を戻させると、それぞれの顔を見つめていった。 土で汚れた顔が、照明によって明るく照らされている。 「諸君らも知っているはずだが、仕事はこれだけじゃないぞ。依頼人のこいつを持って行かなきゃならん」 「どこへでも行きますよ。こんな洞穴の中で一日中過ごすより、ずっと良い」 一人の言葉に周りの者たちも同意するように、それぞれ頷いた。 ハリー・オール富豪が初めて訪ねてきた後日、早速電話がかかってきたのだ。 言い忘れたことがあったという切り出しのあと男はアルに口を挟む暇も与えずに矢継ぎ早に用件を言ってきた。 目当てのものが見つかったらすぐに教えてほしいということ。 その時に受け渡し場所と日時を伝えるということ。 雇った人夫もそこに連れてきてほしいということ。 その三つだ。 富豪が一息ついたところを見計らってアルは用件の三つ目について問うてみた。 なぜ人夫を連れて行く必要があるのかという質問に対して、富豪は特別に渡したいものがあるからだと答えた。 アルがその渡したいものについて聞く前に、電話は既に切れていた。 かけ直しても繋がらなかった。 そして今に至る。 人夫たちには追加の報酬があるという風に説明した。 無論、それが報酬であるという保証はどこにもなかったが、大勢の人夫に疑われることなく連れて行くにはそう言うしかなかったのだ。 アルはその時に感じた嫌な予感を思い出さないように、さっさと次の言葉を吐き出した。 「そうか。よし、では依頼主にはわたしが連絡をしておく。予定が決まったらきみたちに追って連絡する。それと、最後にわたしから一つ言わせてくれ」 アルは目を細め、改めて人夫たちを眺めた。 何を言われるのかと互いに目を合わせている人夫に彼は小さく笑ってみせる。 「ありがとう」 深く頭を下げる。 つられたように、遅れて人夫たちも頭を下げた。 視界の前に広がる濡れた地面から、少し視線を転じると前肢の指と指のあいだに挟んだ透明な板が目にとまった。 アーク灯の光がおぼろげに透明板を捉えている。 トレジャーハンターは思った。 決してこれを奴らの自由にさせるわけにはいかない。 最初こそ自分の命のためにしていた発掘だったが、研究をするにつれてその考えは大きく傾いたのだ。 もしこれを悪用されれば、自分や一大陸の人々の生命だけでなく、全世界の生命すべてが脅かされることになるのだ。 普通の人間なら迷信だと言って鼻から信じようとしないだろうが、トレジャーハンターとして過去の遺物と多く触れ合っていると、少なからず俗信を意識してしまう。 彼は人夫たちがとっくの昔に頭を上げたころ、思い出したように顔を上げた。 訝しげな視線がいくつもアルに降りかかる。 咳払いをして誤魔化すと、辺りを見やって話題を探した。 アーク灯のそばに置かれた麻袋が目にとまった。 「他にも何が見つかった?」 アルがそれに顎をしゃくると、フシギソウのドジャーがツルを伸ばして麻袋を掴んだ。 「見てみますか?」 口を縛っている紐が抜き取られる。 開いた部分から様々な破片が顔を覗かせた。 アーク灯に捉えられたそれらはきらきらと輝いている。 アルは透明板を口に咥え、その他の出土品を一つずつ手にとって観察していく。 角度を変え、持ち方を変えて破片に意識を集中させる。 自然とみけんにしわが寄った。 その横では、人夫たちは各々で談話していた。 いくら考古学的に価値があろうと、金にならないものに彼らは見向きもしないのだった。 たった一人を除いて。 クチートは気づかれないほどかすかに口の端を上げる。 後頭部の突起がきらりと光った。 壁に立てかけてあった自身の持ち込んだ砂だらけのカバンを担ぐと、人夫が話しかけてくるのを無視して真っ直ぐに出口へ向かった。 彼の名を呼ぶ人夫の声も、角を曲がって少しすると聞こえなくなった。 それを合図にさらに足を速めたクチートを、向かいから戻ってきたピカチュウが呼び止めた。 「そんなに慌ててどうしたんだ?」 ピカチュウの声が、早足で通りすぎようとする彼の足音と共に周囲に反響した。 無言ですれ違ったクチートに、ピカチュウは怪訝そうに首を傾げて見送った。 坂にさしかかった彼は湿った土に足を取られながらも、しかし歩をゆるめようとはしなかった。 額の汗が、たらりと顎まで伝い落ちる。 大穴から這い出したクチートは、半ば祝宴のような雰囲気の人夫たちを横切っていく。 数人が話しかけるも、すべて無視した。 テントから出た彼はまず呼吸を整えるよりも先にカバンを逆さまにひっくり返した。 ばらばらと音を立てて小物が収穫時期にさしかかった麦をかき分けて地面に落ちていく。 クチートは空っぽになったカバンの裏地に爪を立てて、内張を破いた。 黒っぽい円形の筒が顔を覗かせるや否や、それをつかみ出す。 用済みになったカバンを投げ捨て、筒の裏のスイッチを押した。 小気味良い電子音が一定の間隔を置いて鳴る。 音が止まった。 同時にスイッチの横の灯が赤く光った。 彼は舌打ちをすると、いらいらとスイッチとは反対側の面からアンテナを引き延ばした。 背丈以上に伸び上がった鉄の竿が、クチートの腕の動きに合わせてたわむ。 電源を切り直し、再度スイッチを押した。 先ほどよりも短い間隔で電子音が鳴り響く。 音が止まった。 マイクのハウリングに似た甲高い不快な音が数秒発せられた。 それも止むと、見計らったかのように灯が緑に光る。 「見つかったのか?」 筒に内臓された装置がそう発した。 あまりの雑音のひどさに、その一言を聞き取るだけで三回聞き返した。 興奮に震える口をどうにかしようと深呼吸をクチートは繰り返す。 筒に向かって、彼は言った。 「はい。トレジャーハンターも確認しました。間違いありません」 「よくやった、シド。本当によくやった」 回線の向こうの男は、うれしさに声を上ずらせている。 シドと呼ばれたクチートは顎の汗を拭った。 「これで透明板はオール富豪、あなたの手に収まったも同然です」 「わたしの手の中ではない。我々の手の中だ」 「そうでした。ではオール富豪、もうすぐトレジャーハンターから電話が掛かってくると思います。集合場所でお会いしましょう」 そう言って筒の電源を切った。 空を覆う澄んだ青に一瞬視線を合わせた後、シドはにやりと口元を歪めた。 赤い瞳に、ぎらりと猛悪がよぎったのを見たものは誰もいない。 ---- [[LH2]]へ ---- 初めての長編だぜ。 勝手がわからないんだぜ。 というわけで、妙な部分や改めるべき点を発見されましたらコメントください。 ここまで主人公が登場しないというのもなんだかなあ。 #pcomment #navi(てるてる) IP:114.188.27.126 TIME:"2012-08-15 (水) 10:15:30" REFERER:"http://pokestory.rejec.net/main/index.php?cmd=edit&page=LH1" USER_AGENT:"Mozilla/5.0 (compatible; MSIE 9.0; Windows NT 6.1; WOW64; Trident/5.0)"