Writer:[[&fervor>&fervor]] ---- シンオウ地方の中央にそびえ立つ高らかな峰。一説によれば神が舞い降りる場所だ、とも言われている神聖な山、テンガン山。 実際にその頂上には古代の遺跡らしき残骸も残っており、かつての伝説を至る所に感じることが出来る場所。 その高嶺の周りは一年を通して白銀の雪の衣に覆われており、頂上を目指す者の行く手を阻む大きな難関にもなっている。 吹雪が吹けば僅か数メートル先でさえも見えなくなり、打ち付ける冷風は人の体温を、そして命を急速に奪っていく。 このような厳しい環境であるからして、通常人が来ることはほとんど無い。夏の短い期間のみ、研究者が遺跡を調べては帰っていくぐらいのものだ。 しかしその日は違った。まだ15歳にも満たないほどであろう少年が、彼の頼れるパートナーと共に山の頂を目指していたのである。 「ふー。だいぶ登ってきたね。後もう少しだと思うんだけど……吹雪いてきたし、洞窟でいったん休もうか」 彼が隣を歩く火の馬に声をかけた。背中の赤々とした炎は、普段見るそれよりも酷く弱く、頼りなさ気であったから、恐らくは彼もその馬の疲労を感じ取ったのだろう。 「マスター、いえ、私は大丈夫ですから」 だがその馬は疲労を隠し、あくまでも彼が先へ進むことを優先してくれることを願っていた。それほどに彼へ迷惑を掛けたくないという責任感が大きかったのだ。 信頼されている以上は信頼を返さねばならない。尽くし続けることこそが使命だ、と言わんばかりの気負いを持ち合わせている彼女。プライドだけがその馬の身体を動かしている、と言っても決して過言ではなかった。 「だめだめ、僕が休むって決めたんだから休むの。ほら、ライフェ」 「……すみません」 そうはいえどもやはり彼はその馬、ライフェのマスターなのだ。彼女がいつも無茶ばかりしているのは心得ている。そして、どうすれば彼女に無茶をさせずに済むのか、ということも。 ライフェが軽く頭を下げたのを確認してから、彼は近場の洞窟へと足を運んだ。このテンガン山にはいくつかの洞窟が点在しており、その中は外に比べて圧倒的に暖かい。 彼はそこで腰のベルトに手をかけ、小さな玉を取り出し、軽くスイッチを押す。瞬時にその玉は手のひら大にまで大きくなった。モンスターボール、ポケモン達を入れておく道具。 そのボールを宙に放り投げるとすぐ、&ruby(まばゆ){眩};い閃光が洞窟内をひときわ明るく照らした。その光が収まると、その場所に佇んでいたのは一匹のポケモン。 「……マスター、どうかしましたか?」 雄のものではない、と一声聞いただけで分かるような、美しい、高い声。薄い紫の身体をした、二股の尻尾を持つポケモンがそこには居た。 「うん、悪いんだけどルプル。またいつもの、頼めないかな?」 「かしこまりました」 しなやかで優雅な動き。高貴な毛並みとぴったりの立ち居振る舞いをしながら、ルプルと呼ばれた彼女は意識を彼のリュックに集中させた。尻尾の動きがぴたりと止まったことからもその集中具合が見て取れる。 瞬間、彼のリュックからふわりと浮き上がるのはテント用具一式。浮き上がるその原理は分からないが、これがいわゆるエスパーの力、「サイコキネシス」である。 空中で器用に組み上がっていくテント。どさりと地面に降ろされ、仕上げの杭を打たれたそれは、寸分の狂いもなくきっちりと出来上がっていた。 「ありがとう。助かったよ」 考えてみれば、彼はまだ少年である。テントを一人で組み立てるのは当然大変なことなのだろう。やや小柄で華奢なその身体は、見る限り力がありそうではない。 それでも彼は此処まで登ってきた。ということはつまり、彼は恐らく優れたポケモントレーナーなのだ。彼の連れているポケモンからは余りその強さが想像出来ないのだが。 「さあ、ご飯に……あ、あれ?」 「どうかしましたか、マスター?」 ライフェが彼に問いかける。その応答すら出来ないままに、彼は必死に辺りを歩き回っている。常々地面を見渡していることから考えると、何か落としたようだ。 「ごめん、ちょっとその辺探してくるよ。ライフェもルプルもボールに入って。寒いだろうから……」 言うが早いか、彼は二つのボールを宙へ投げる。赤い光が二匹を包み、ボールへと吸い込まれて消えてゆく。そのボールをテントの中の毛布に包んでから、彼は一人外へと出る。 いよいよ風が強くなっていた。風が吹き荒れ、辺り一面は真っ白に染まっている。この吹雪の中に出てきた以上、彼の捜し物は相当大切なものであるのは間違いない。 まだ昼過ぎの時間帯ではあるのだが、太陽はほとんど霞んでいて見えない。当然周りの気温も低く、このまま長時間外にいれば死は避けられないだろう。 「……ダウジングマシンで探してみないと駄目か。よりにもよって図鑑を落とすなんて」 彼はポケッチと呼ばれる腕の機器を操作した。ピッ、ピッという機械音。少し動いては機械を操作し、再び歩く。この繰り返しで道具を見つけることが可能な機能、らしい。 少しずつ、少しずつ。崖が近いことに十分注意しつつ、彼は着実に落とした図鑑の直ぐ側まで寄って来ていた。 「この辺りだ。雪に埋もれてるはずだから……あった!」 表面の雪を払い、中から彼が掘り出したのは赤い機械。ポケモン図鑑、と呼ばれるそれは今やトレーナー必須のアイテムになっている。だからこそ彼もわざわざこれを探しに来たのだ。 彼は内心に感じていた焦りからの解放に、一時の安堵を覚えた。大きく息をつき、思わず「よかったぁ」、などと独り言を漏らす。 後は帰るだけとなったその時。白銀を踏み荒らす音が、吹き荒れる雪の奥に。しかし白銀しか見えない。見渡す限りの白銀をまじまじと見つめる彼は、ふと何かにぶつかる感触を覚えた。 瞬間、身体が、そして景色が揺れる。足の裏に伝わる感触はもはや無く、ふわりと浮き上がる感覚を彼が覚えた理由は、風が彼の背中を押し上げているから。 「うわああああああああああああああああっっっっ!!!!!!!」 空に浮かぶ白い、ぼんやりとした明かり。僅かに霞んで輝く太陽は、彼のまっすぐ向いた視線の先に。となれば当然この後彼がどうなるかは明白だった。 とっさに背中を丸めて頭を&ruby(うず){埋};め、必死で自分の身体を守ろうと試みる。後は積もった雪がどこまでクッションの役割をしてくれるか次第だ。この落下の間は、彼にはどれほどの時間に感じられただろうか。 終わりも突然だった。背中に走る痛みに彼は一声呻く。頭も軽く叩きつけてしまった。眠たくはないが意識がぼやける。やがては暗い暗い闇が、彼の頭を覆い尽くしてしまった。 ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ 彼はふと目を覚ます。辺りは岩壁。自分がどういう状況に置かれていたかを思い出して、まず彼は自分がまだ凍え死んでいなかったことに安堵する。 さらによくよく周囲を眺めて、彼は明らかな異変を感じ取った。――暖かい……洞窟、かな? そう、彼が落ちたはずの冷たい外の雪の上ではなく、どこかの洞窟に彼は横たわっていた。通常ならあり得ないことだ。とすれば親切な誰かが助けてくれたのか。 隣にはぱちぱちと燃える炎。暖かさの原因は洞窟の保温効果ではなく、この炎によるものらしい。この辺りの枯れ草や僅かな枝を集めて燃やしているようだ。 まだ背中が痛くてまともに身体が動かせないが、その状態でも洞窟の入り口の方から何かが入ってくるのが見えた。助けてくれた人……ではない。影の形は人型ではなかった。 「……まずい、こんなときに野性のポケモンに見つかるなんて」 彼は焦りながらも腰のボールに手をやろうとして、そのボールを置いて来てしまったことに気づいた。絶体絶命、そんな言葉が脳裏に過ぎる。此処で相手のポケモンに襲われたら最後だ。 目をつぶって、相手の足跡だけを聞き取りながら、願わくばそのまま出て行ってくれと祈り続ける。近づく足跡。さらに、さらに、さらに近づいてきて、目の前でぴたりと止んで。 頬を舐められた瞬間、彼は死を覚悟した。食べられてしまう。もうどうしようもない。閉じた目の内側に涙が溜まるのを彼は感じる。 そのままの状態が数十秒続いた。しかし一向に歯が突き立てられる感触がしない。可笑しい、いい加減噛みつかれてもいい頃のはずだ、と彼は疑問を抱き始める。 「大丈夫、私は貴方を食べようなんてしていないから。……さ、目を開けて」 優しい声が耳元で聞こえた。その不思議な、温かい声に誘われて彼はゆっくりと目を開けていく。光、そして目の前には白銀のポケモン。 通常野性のポケモンは喋れない。モンスターボールの力によって初めて会話が可能になる、はずなのだが。その目の前のポケモンは違った。 「気がついた? 貴方、もうずいぶんと気を失っていたのよ?」 揺れる九つの尻尾とつやつやと輝く銀色の毛。ポケモントレーナーならよく知っているポケモン、キュウコン……だが、毛の色が明らかに通常とは異なる。 色違いのロコンは珍しい。ましてや炎の石を手に入れて進化できる野性の個体などそうそう限られてくるだろう。ひょっとするとトレーナー付きのポケモンか。 「な、なんで君は喋れるの? 野性のポケモンじゃ……?」 「私はずっと野性よ? "じんつうりき"で喋っているの。正確には『伝えている』なのかもしれないけれどね」 どうやらそのポケモンは野性だったようだ。しかしとてもそうは思えないほどの気品がそのポケモンには備わっていて。 うっとりとそのポケモンを見つめる彼。そのポケモンも彼をじっと見つめている。美しさ故か、あるいは先ほどの声から察した優しさ故か。彼はもうすっかりそのポケモンを信じ切っていた。 「君は……雌、だよね? 此処にずっと棲んでたの?」 「ええ。……どうかした? ずっと私の方見てるけど……。毛並み、汚れてるかしら」 そういってぺろぺろと舌で毛繕いをする姿もどこか妖艶で。彼はあまりの美しさに声も出ない。トレーナーがいたとしても此処までの美しさが出せるかどうか。 彼女に再び見つめられた彼は、またもその瞳に吸い込まれそうな顔で彼女を見つめる。魅了された、という言葉が一番この状況を表すのに適しているだろう。 「さ、お腹空いたでしょう? 固い木の実しかないけど……待ってね、今食べさせてあげるから」 そう言うなり、彼女は洞窟の奥に積み上げられた木の実の山から数個を咥えて、地面に寝そべっている彼の顔の元へ。至近距離で覗き込まれた彼はと言うと、ぽけーっとした表情でただただ彼女を見つめるだけ。 そんな彼をよそに、彼女は咥えてきた木の実を自分の牙でかみ砕く。固い木の実でさえもかみ砕くそのあごの力を見ると、やはりポケモンの凄さが改めて思い起こされる。 ガリガリと砕く音からくちゅくちゅとすりつぶす音へ、そして彼女の唾液と混ざってドロドロになったそれが、自身の口の中たっぷりに入っているのを確認して、彼女はいきなり彼の唇を奪った。 「っ――――――?!」 見とれたままぽっかりと口を開けていた彼にとっては予想外の出来事。あまりに急だったからか、流し込まれたそれを気管に入れてしまい、思いっきり咽せてしまった。 「ご、ごめんなさい、大丈夫……?」 こくり、と軽く頷いた彼は一度大きく咳払いをしてから、今度は自分から口を意図的に開ける。その姿はまるで親鳥から餌をもらうひな鳥のようだ。 彼の素直な様子に彼女は少し微笑むと、二個目の木の実をかみ砕き、また彼の口の中へと流し込む。口の構造上、流しにくそうにしながらもやや慣れたような舌遣いで的確にそれを彼へと注いだ。 今度は彼も準備が出来ている。近づいてくる口と自らの唇を合わせて、流れてくる甘酸っぱい、そして彼女の香りが混ざった流動食をゆっくりと受け止める。 そして彼女の口の周りについてしまったそれを綺麗に舌で舐めとり、今度は口の中でじっくりと味わう。彼女の体温が、彼女の味が、彼女の香りが口の中、鼻の中、そして脳の中にまで染み渡る。 うっとりとしながら次を要求する彼の目には、色欲の炎が灯っていた。まだ若い彼ながらも、その燃えたぎる感情がなんなのか分からないわけではない。 よもやポケモンに一目惚れする日が来るとは誰が思っただろうか。もちろん彼は今まで考えたこともなかった。だが現に、彼は彼女に溺れていたのだ。 いつしかその餌の受け取りは舌と舌を絡める濃厚な物へ。木の実の味など彼にとってはどうでもいいもの。ただ必要なのは彼女の味だけだった。 「ん…………はぁっ……」 一体幾つの木の実を食べたのだろうか。彼は満腹感を覚えつつも、彼女の舌に残る木の実の欠片を舐めとる。漏れる吐息は荒く、紅潮した顔に興奮が見て取れる。 そして舐めとった舌を離していけば、名残惜しげにつながれる銀色の糸。彼は彼女を見据えたまま視線を一切動かそうとしない。しかし彼女の方はそれに気づいているのかいないのか。 「さ、食事はこれくらいにしましょう。貴方はまだ寝ていないと……。明日の朝には動けるようになっていると思うから」 洞窟の入り口を探すが、炎から離れた場所は暗くてよく見えない。どうやらもう夜遅くになってしまっているらしかった。だからキュウコンの言葉は正しい、のだが。 その言葉に彼は少し不満を覚えていた。出来ることならこのままずっと此処で暮らしていたい。彼女から離れたくない。そう思うまでに、この短時間で魅了されてしまったのだ。 しかしそれも叶わないこと。彼は人間で、彼女はポケモン。此処で暮らす彼女に、彼がずっと付いて行くわけにも行かない。彼には彼の生活がある。 そして彼には彼の帰りを待ち、彼を心配し、彼を慕うポケモン達もいるのだ。そのことを考えて、彼はやはり諦めて此処を出て行くことを決心していた。 「……うん、わざわざありがとう。えっと……」 「名前は無いんだけど……キュウコン、じゃ駄目?」 考えてみれば当然だ。野性のポケモンに名前なんかあるはずがない。彼は自分が考えることを提案しようとしたが、失礼かもしれない、嫌われるかもしれないと思いやめた。 その瞳を見ているとまるで自分の理性が飛んでいきそうになる。自分の心が揺らぐといけないと思い、彼はそのまま目を閉じた。 「ううん。……ありがとう、キュウコン。お休み」 「……ええ、お休みなさい」 一時の幸福、一時の安らぎ、一時の恋。彼は様々なことを胸に抱きながら、先ほどまでと同じ、深い深い闇に意識を飲まれていく。 ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ 『……間…………じゃ……さん……』 騒がしい声で目が覚める。キュウコンの物とは違う、雄のポケモンの鳴き声だろうか。はっと辺りを見渡すとキュウコンがいない。彼はキュウコンのことが心配になり、慌てて起き上がると声の方へと歩き出す。 少し残る痛みに耐えつつ、僅かに明るみが見える方へと歩いて行くと、洞窟の入り口が。キュウコンはその外に居るらしく、降る雪の所為で姿は見えない。 『とにかく! これ以上ケチろうってならあたしにもそれなりに考えがあるんだよ? 分かったらとっとと帰りな』 今度は美しくも荒い声が洞窟の中に入り込み、壁に当たって響く。間違いない、キュウコンの鳴き声だ。けれど様子が違う。あの優しいキュウコンのものとは思えない、怒ったような鳴き声。 さらに近づいていくと、ようやくキュウコンの姿が見えた。その奥には何か別の影が見えたのだが、すぐにそれは走り去ってしまって、結局何かは分からず仕舞いに終わった。 「あら、びっくりさせちゃったかしら。ああいう奴らにはびしっと言った方が効き目あるかな、って思ったから」 どうやら先ほどの口調は彼女の考え出した雄撃退法、だったみたいだ。ただそれで引き下がるとも思えない。きっとこのキュウコンは凄く強いのだろう。 外の寒さに震えながら少しその場所を見渡す。洞窟の外に出たことで、ポケッチの通信機能もようやく回復したようだ。地図で現在位置を把握する彼。 「心配かけてごめんなさいね」 いきなり近づいてきたかと思うと、舌で彼の頬を舐めるキュウコン。そのまま彼を暖かい洞窟の中へと誘う。その間も彼の身体を尻尾で覆う気遣いは忘れない。 彼を焚火の前まで誘い、弱まった炎に向けて彼女は炎を放つ。さらに洞窟の壁際に積まれていた枯れ草を咥えて放り投げると、その炎は&ruby(たちま){忽};ち昨夜と同じように燃え上がった。 「ありがとう、キュウコン……っ?!」 心配をかけたお詫び、とは到底思えない。彼女は何を思ったのか彼の身体を前足で押さえつけて倒し、その上に馬乗りに。彼女の目はまっすぐ彼を見つめている。 彼自身もその目に吸い込まれそうなほど釘付けで。惚けたまま上半身を起こし、思わずキュウコンに抱きついた。そんな彼の頭をキュウコンは軽く前足で撫でて愛しむ。 そしてとろんとした目のままの彼からそっと離れると、彼女は昨夜と同じように木の実の山から木の実を咥えて戻ってくる。彼はそれを待つ子供のようにちょこんと座っていた。 「さ、ご飯にしましょう。待ってね……」 ガリッ、と固い物を噛む音、砕けていく音、すりつぶす音、昨日と同じ光景が再び広がる。ただ違うのは彼が爛々と、期待するような目で彼女を見ていること。 近づいてきたキュウコンに飛びつくようにすり寄って、がっつくように彼女の唇を奪う。少々驚いた様子のキュウコンではあったが、あっさりとその口付けを受け入れる。 長い口の中に精一杯舌を入れ、柔らかくなったドロドロの木の実を舌で掻き取っては飲み込む。彼が甘過ぎるほどに甘いと感じたのはきっと、単に木の実の所為だけではないのだろう。 キュウコンの口内の餌が無くなってもなおそれをせびる子供のような彼。舌で彼女の口の周りを、鼻を、頬を舐める姿はどことなく淫らだ。 されど彼女はそれを&ruby(たしな){窘};める。彼にその場で待つようにささやいてから二個目の木の実を口に。その間もべったりとキュウコンに目を向けたままの彼。 嫌そうな顔をしない彼女もやはり彼のことが気になるのだろうか。時々前足で彼の背中を&ruby(さす){摩};るなど、まるで母親、あるいは恋人のよう。 彼にとっての至福の時間は二個目の木の実を食べ終えた時点で終わってしまう。彼女の口からねっとりと零れる液体を舐めとって、その行為は終わりを告げた。 「さ、名残惜しいけどこれで終わり。怪我もある程度治ったから、お別れ、しなくちゃね……」 そう、彼が此処で過ごした理由は怪我をしていたから。動けるようになった今、彼のことを心配しているであろうテントのポケモン達の元へ彼は帰らなくてはならない。 寂しそうな目をしたまま彼を見つめる。彼もまた同じような目で彼女を見つめる。お互いがしっかりと見つめ合ったまま、暫く時が流れた。 「ただ、もし、ね。もしも私とまた会いたいなら。今度は貴方の持ってるポケモン達も連れて、また来て欲しい。……分かった?」 「……うん」 暫くの沈黙。見つめたままはっきりと彼女が彼に伝えた言葉。頷く彼。また会いたい、彼女にそう思わせるだけの何かが彼にあったのか、彼女はそう言い残す。 彼もその言葉をしっかりと受け止め、決意も新たに立ち上がった。昨日の怪我の痛みも今やほとんど感じないほどらしい。どうやらそれほど酷い怪我ではなかったようだ。 「じゃあ……またね」 彼女の声が洞窟の中で&ruby(こだま){木霊};する。そんな彼女を、洞窟を背に、彼はテント目指して山を登っていく。ちらちらと彼女の方を見ながら少しずつ、少しずつ。 やがて彼女の白銀は、しんしんと降る白銀に溶け込んで見えなくなってしまい。彼はそれを最後に振り向くことはしなかった。後は前へ、前へ。 どこまで落ちたかはポケッチでだいたい把握できている様子だ。彼はひたすらテント目指して歩き続けていく。怪我が完治していないとは思えないほどの速さで。 そしてあっという間にテントを張った洞窟へと入り、やや焦った様子で毛布の中にしまい込んだボールを二つ取り出し、宙に投げた。 光と共に二つのボールが開かれる。中から閃光が飛び出し、さらにそこへ現れたのは炎を纏う馬と二股の尻尾を持つ獣。二匹共が一斉に、ボールを開いたその主に駆け寄った。 「マスター、大丈夫でしたか?! よかった……ひょっとしたらこのままずっと……なんて思ってて、私、私……」 「ライフェ、落ち着いて。マスター、ご無事で何よりです。一度山を下りるんですよね? そのお怪我では……」 ずっとテントの中でボールに入れられていた二匹。マスターの安堵が分かってほっとしたライフェは今にも泣きそうな顔をしている。 一方ルプルは澄ました顔ながらもやはり安堵が見て取れる。マスターを慕っているのは二匹とも確かだったようだ。 「……ポケモンセンター行かなくちゃ」 しかし彼はまだ上の空。どこを見ているのかも分からないような目。ただそれだけを呟いて、彼はまたひたすら歩き出す。 二匹はそんな彼の様子にやや首をかしげながらも、慌てて彼の後を追いかけるのだった。 ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ 『そろそろ、かしら』 彼女――キュウコンは呟く。朝に彼を見送ってからもうどれほど経っただろうか。すやすやと眠りに就いていた彼女はゆっくりとその身体を起こす。 入り口を見やれば夕焼けの朱が光っており、そしてそれを遮る二つの影も見える。外に見える高嶺の白銀もすっかり朱く染まっていた。 あくびを噛み殺しつつ彼女は優雅に洞窟の奥から入り口へと歩む。そこにどっかりと腰を下ろして待っているのは大きなポケモンが二匹。 浅緑の巨躯、刺々しい背中、屈強な体付きのポケモン――バンギラスは座ったまま。これまた大きな身体をした灰色のポケモン、頭の角が特徴の彼――サイドンは立ちあがって彼女を迎えた。 『……報酬はいつも通り、用意しておいたぞ。で、昨日姐さんが突き落として誘い込んだ獲物はどこに居るんだ?』 『落ち着けよ相棒。あとは奴さんが来るのを待つだけ、なんだろ姉御さんよ』 思い思いに話しかける彼らは、彼女のその超絶な美貌にはあまりにも不釣り合いに見える。しかし彼女は親しげに、そして強い口調で彼らを窘める。 『ケチらず持ってきたようだね。木の実は運んでおきな。&ruby(じき){直};に獲物がくる』 軽い返事を返して彼らは入り口に積んでおいた大量の木の実を出来る限り手で抱え、洞窟の奥へと運ぶ。その様子を片目に見つつも、雪の白の中に探している影を待つ。 ゆらり、と降る雪が一部分欠ける。黒く光を失った部分はやがてはっきりとある形に収束し、より大きくなって彼女の目の前へと現れた。 「おかえりなさい」 優しく微笑む彼女は先ほどまでの様子を微塵も見せていない。その瞳を見るやいなや、その影、彼はキュウコンの元へと走った。 首元の毛に顔をうずめるように彼女に甘える彼。そんな彼を軽く前足で撫でてから、彼女はいったん彼と距離を取る。 そして現れたのは先ほどの二匹。洞窟の奥から帰ってきた二匹はニヤリと笑うと、キュウコンと共に彼を取り囲む。 その二匹を見ようともせず、彼はただまっすぐ彼女を見ていた。まるで彼には彼女しか見えていないよう。 「さ、持ってきたポケモンの中で、雌の仔をまずは出して?」 こくり、と頷くと彼はキュウコンから少し離れ、三つのボールを宙に放り投げる。立て続けに出てくるのはギャロップ、エーフィ、そしてパソコンに預けていたのであろうトゲチック。 ボールから出された三匹はこの異様な空気、そして訳の分からない状況に警戒する。しかし肝心のマスターからの指示が無ければ動くわけにはいかない。 キュウコンの瞳は依然として彼を捉えたまま放さない。彼はしばらくの間座ったまま彼女を見つめていたが、ふと手をついて立ち上がった。 「……みんな、警戒しないで。絶対に攻撃しちゃ駄目だよ」 ふっと三匹の警戒心が薄れた。力を込めて今にも飛びかかりそうだった彼らの身体の筋肉の弛緩。その一瞬の隙に巨体は動いた。 「ひっ……!」 バンギラスはルプルとトゲチックを手で掴み上げ、サイドンはライフェをその手で抱き寄せた。三匹の悲鳴が一斉に響く。 ある程度身体を動かしてはいるものの、先ほどのマスターの指示が頭から抜けきらない三匹は全力の抵抗を躊躇っている。 『じゃ、まずは雌をありがたく頂いていきますぜ。残った雄は、後で肉だけ取りに来ますんで……』 サイドンのその声を合図にバンギラスが外へと歩き出す。待って、と喚くルプルの声。トゲチックの呼びかけ。そのどれにも彼は一切反応を見せない。 立ち上がって彼のポケモン達に指示を出した後、ずっとキュウコンに抱きついて離れようともしていない。ポケモン達をまるで気にせず、ただ自分とキュウコンだけの世界に浸っている。 「マスターっ……! マスター!!!」 ライフェの叫び声にようやく彼は反応を示した。しかしその彼を一瞬引き留め、キュウコンは彼と目を合わせる。ぽん、と頭を前足で小突いて今度こそキュウコンは彼を解放した。 サイドンとライフェの元へ駆け寄る彼。ライフェは助かった、と安堵の顔で彼を見つめる。一方のサイドンはキュウコンの顔をちらりと覗き、そして笑った。 「キュウコンとぼくの……じゃまをするなっ!」 彼の片足が彼女の無防備だった腹部を直撃する。鈍い音が微かに響いた。ライフェは驚愕と失望の顔を隠しきれない。その隙にキュウコンが目の前に躍り出る。 刹那の後、ライフェに沸き上がるのは怒りの感情。しかしそれが大きな炎に変わる前に、キュウコンはライフェの目をしっかりと見据えた。途端にライフェを襲うのは急激な眠気。 此処に来てようやく、ライフェは全てを理解した。薄れる意識の中、洞窟の奥に僅かに見えた白の積もりが人骨であることを確認し、主人を守れなかった悔しさで彼女は涙を流す。 やがて、ライフェがぐったりと動かなくなったのを確認して、キュウコンは首でサイドンに指示を出した。軽くお辞儀をしてからライフェを抱え、サイドンは雪の中へと消えていく。 ライフェを蹴った後、ずっと立ち尽くしていた彼。彼女はその顔を優しく舐め、尻尾で器用に抱き寄せる。彼は何事も無かったかのように彼女に寄り添って再び甘えだした。 「さ、残りのボールは置いておいて。お疲れ様、私のためにありがとう」 にっこりと微笑むキュウコン。彼は言われたとおりにボールを置いた後、えへへ、と得意げにはにかむ。甘い甘い時間を彼は過ごしているつもり、なのだろうか。 「今日は疲れたでしょう。私も疲れたし、早いけれどそろそろ寝ましょうか?」 首を大きく縦に振る彼。キュウコンが優しく洞窟の奥まで彼を導き、尻尾を器用に使って彼を包み込み寝かせる。漂うのは木の実の山積みの甘い匂い。 その香りと、キュウコンの妖しげな眼。それらによって彼はうとうとと&ruby(まぶた){瞼};をひくつかせる。彼が何を思うのかは誰にも分からないが、きっと幸せな心地なのだろう。 そう、彼は気づかない。気づけない。どこまでも彼女に堕とされてしまっていることに。どこまでも彼女に支配されてしまっていることに。 彼を見据える彼女の眼が、一段と妖しく輝く。もはや目を開けていられなくなるほどの眠気に、彼はその身を委ねる。 「どう? 私の尻尾、温かいでしょう?」 ふわりとした毛の感触が彼の手に、頬に触れる。さらりと整った毛並みが彼の身体を優しく包み、温めて。彼はその白銀を瞳に焼き付けたまま、ゆっくりと黒闇へと思考を沈めていく。 「お休みなさい。私の大切な、可愛い可愛い……」 霞む意識の中、瞼の隙間から僅かに入り込んでいた一筋の明かりが、ついに――。 「……食料君?」 ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ 陽はさらに傾き、その色を一層濃厚なものに。朱から紅へと変わった光達が空を覆い尽くし、さらには高嶺の西側を、そして西に入り口を持つこの洞窟の全体を照らす。 宙を舞う紅達が、白銀の衣を彼らの色に染め上げていた。 ---- 【作品名】 高嶺に降る白銀 【原稿用紙(20×20行)】 37.7(枚) 【総文字数】 11216(字) 【行数】 300(行) 【台詞:地の文】 14:85(%)|1644:9572(字) 【漢字:かな:カナ:他】 34:57:6:0(%)|3901:6483:721:111(字) ---- -あとがき こういうお話、文章の癖。既に分かっていらっしゃった方もいるかもしれませんね。 色違いのキュウコンのお話。キュウコンというとやはり真っ先に妖艶な姿が思い浮かびますが、今回は少し方向性が違います。 ハッピーエンドを期待されていた方にはごめんなさい、ですが。今回も暗いお話でした。 ちなみに、タイトルの読み方にはこっそり二通りあるのです。 雪の意味を込めて「高嶺に&ruby(ふ){降};る白銀」、そしてキュウコンが降り立つ様子を表して「高嶺に&ruby(お){降};る白銀」。 ……まあ、どうでもいいんですが。 今回は伝えたかったことがあるわけではなく、今回は色違いのキュウコンが出したい、という一心から始まりました。 今回は伝えたかったことがあるわけではなく、色違いのキュウコンが出したい、という一心から始まりました。 本当はエロでハッピーエンド、という予定もあったのですが、エロをあっちにすることに決めちゃったのでこういうことに。 暫く非エロは出ようか迷っていましたが、せっかくだし出しちゃえ、という軽い気持ちでエントリー。 しかしこれが間違いでした。なかなか筆が進まないものです。何とか書き切れた、と言うのが正直なところ。 ちなみにエロ予定の名残として、彼が口移しで木の実をもらうシーンが。官能っぽく、少し濃い目に書いてみました。 これが「官能ではないのに官能っぽい」と紹介した所以です。そこまで官能ではない……はず。 ここで、投票の際に頂いたコメントに返信しておこうかと思います。 >トレーナーを骨抜きにして手持ちポケモンの戦闘力をも無効化する手口に震え上がりました… >恐ろしく知略的なキュウコンですね。 (2010/04/01(木) 23:44) 確かにその通りですね。一体何人が犠牲になったのやら。 じわりじわりと支配していくキュウコンの恐ろしさ、少しでも伝わっていれば幸いです。 貴重な一票、どうもありがとうございました。 それでは、読んで下さった皆様、どうもありがとうございました。 ---- #pcomment(高嶺に降る白銀/コメントログ)