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群青色のハロー・グッバイ の変更点


#include(第四回短編小説大会情報窓,notitle)



writer:[[朱烏]]





 初めは幻聴だと思っていた。なにしろ、聴覚はずっと閉じたままにしてあって、何も聞こえないはずだったのだ。
「やあ」
 だが確かに、それは誰かの声だった。顔見知りに対する気さくな挨拶のように、それは軽やかに響いた。
 無意識に開かれた聴覚と憶えのない声に、私は困惑した。と言うよりも、生き物がいたことに驚きを隠せなかった。
 ――ほとんど、いなくなってしまったはずで。
 やはり、幻聴なのだろうか。
「生きてる? 死んでる? まあこのご時世だし、死んでても気にしないけど」
 気さくを通り越して生意気にさえ感じるそれは、間違いなくこの死の世界に強く息づく生命だった。






      群青色のハロー・グッバイ





 私は聴覚だけにとどまらず、視覚、嗅覚、味覚などのあらゆる感覚の機能を停止していた。植物として生きるために必要なことだった。
 ただし、触覚だけは残しておいた。
 外界変化への対応がまったくできなくなってしまうことへの恐れもあったが、触覚すらも停止したら、自我が消えてなくなってしまう気がした。

 この世界の生き物がほとんど姿を消したのは、果たしていつのことだっただろうか。小さな諍いから大きな争いまで、戦いというものはいつの時代も存在する。だが、まさか人間が戦争のために地球上の生き物を全滅させかねないような兵器を作り、あまつさえ威力を顧みずに使用するとは露とも思わなかった。
 人間の撒き散らした毒素は空と海と大地を満遍なく&ruby(おお){蓋};い、多くの生き物を死滅させた。当の人間たちは絶滅した。
 私のまわりの生き物たちも、みんな徐々に弱っていき、死へと緩やかに居着いた。
 無論、私も深刻な被害を受けた。健康的で文字通り青青とした&ruby(つる){蔓};は、半分以上が腐り果てた。

 私は歩いた。ひたすら、腐りかけた足を動かした。
 死の世界にみなぎるのは生への渇望。絶望にまみれた黒い大地を這うのに、それ以外の理由はなかった。
 生きて何か楽しいことがあるわけでもない。だが、それ以上に死ぬのが怖かった。
 歩いて、這って、歩いて、這って――その先に私が見つけたのは、私の青かった蔓よりももっと青い、大きな森だった。
 黒い空と黒い大地の狭間にある、巨大な浮島のようなそれは、まるで毒素に侵されていなかった。森全体が神秘の守りのヴェールに包まれているかのようだった。

 暗黒色の世界を&ruby(さすら){流離};う日々は終わりを告げた。森の中にいるだけで、私の体は自然に再生した。もう生死の境を彷徨うこともないのだろうと思った。
 しかし、この世界は生きる術を根こそぎ奪おうとしてくる。黒い世界の食料はほとんど毒素が染みついていて、到底食べられるものではない。そして、この森で私を生かし続けるだけの食糧を十分に得ることもまた叶わなかった。
 結局生き長らえたところで、空腹を満たせなければ死んでしまう。
 もう動物として生きることは不可能だった。

 私は、植物として生きることを決断した。
 紅紫色の足と手は、地中に埋めて固定した。眼を閉じ、口を閉じ、あるのかどうかわからない耳孔も閉じた。
 呼吸は蔓の表面だけで行った。
 やがて手と足は根となり、地中から養分を吸収し始めた。
 陽が出ないために光合成はできず、苦しかった。光合成をせずとも青さを保っている不思議な森から生命力を分けてもらいながら、なんとか耐えた。
 そして月日が流れ、いつしか私は立派な植物になっていた。蔓は伸びに伸び、自重で潰れてしまうのではと思うほどの大きな蔓の塊になっていた。もはや目すら完全に隠れてしまっていた巨塊をモジャンボだと判別するのはいささか無理があるように思われた。

 ただただ生きた。何も求めず、何も望まず、ひたすら生きた。感じるのは緩やかな風の流れだけだ。
 怖いものは、何もなくなった。





「やあ」
 それは再び金属音を響かせてやってきた。
 植物として生き始めて久しいはずなのに、聴覚の神経が枯れていなかったのは本当に不思議だった。私には完全に植物になることなどできなかったのだろうか。
 だが、そんなことよりも。
 いったいこの来訪者は何者なのだろうか。巨大な蔓の塊にしか見えないはずの私に、どうして話しかけてくるのだろう。
「とりあえず乗っからせてもらうぜ」
 考え込む私を尻目に、それはよく通る声で喋った。――乗っかる?
「おお、意外と弾力があって軟らかいな」
 そいつは、私の上に飛び乗った。蔓にそいつの爪らしきものが食い込んだ。
 植物は何をされようとものを言わない。だから、乗っかられようが千切られようがどうするわけでもなかった。
 そもそも、なぜ喋って私に飛び乗ることができるだけの元気な生き物が存在しているのだろうかという疑問を解決することだけで、頭の中はいっぱいだった。
 毒素が振り撒かれて世界が萎れてから、私がこの森に至るまで、まともに生き延びている生き物を見ることはついになかった。
「寝っ転がるのも良さそうだ」
 来訪者は、私の上で本当に寝転がり、ものの数分で寝息を立て始めた。
 あまり悪い気はしなかった。鳥たちの止まり木や寝床の役割を果たす樹のように生き物の拠り所となった私は、より植物らしさが増した気がした。



「やあ」
 前触れなく現れる来訪者は、とにかく私に話しかけた。私が反応するわけでもないのに、一方的に喋り続けた。
 私の上というお決まりの位置に寝転がり、それは回想する。
「世界中に毒素が振りまかれたなんて知ったときにはもう遅かったんだよな。毒素を肺に取り込んだり皮膚から吸収したりなんてしてない奴はほとんどいなかった。真っ先に人間が死んでって、後を追うようにポケモンもばたばた倒れてって。あんな奴らの後を追う必要なんてないのにな。いや、そりゃ不可抗力だってわかってるさ。でもたかが人間の作った毒で世界が滅亡するなんて理不尽すぎるだろ?」
 私も知っている、真新しさを感じない話題だった。この世に辛うじて鎖を繋ぎ留めている者の共通認識だ。
「どこを飛び回ってもポケモン一匹見当たらないし、本当に人間は罪なことしてくれたよなあ。毒に耐性を持つ鋼タイプすらいないんだぜ? 時々ハガネールとかハッサムとか見かけたけどさ、生きてても体中が腐食して、もう数日以内に死ぬなって奴ばかりで。可哀相だからちょっと話しかけに行くだろ? そしたら奴ら、恨めしそうに俺の顔を見やがるんだよ。何でお前はぴんぴんしていて、体は腐って穴だらけになっていないんだって。そんなの俺だって知ったこっちゃないよな。たぶんほかのポケモンよりも毒に強かったんだよ。鋼タイプじゃなきゃやっぱり死んでたんだろうけどな」
 来訪者の正体はエアームドだろうか。空を飛ぶ鋼タイプならきっとそうなのだろう。なら、地を這った私よりももっと広く黒い世界を見てきたのだろうか。
「やっぱりひとりって寂しいなあ。なあ、お前って実は生き物だったりしないの? 突然蔓がぬるっと動き出したりしない?」 
 それはできない。今の私は、ただの植物だ。



「やあ」
 私はエアームドが来訪する回数を数えるようになった。今日で八回目だった。
「いやあ、土砂降りだから参ったよ。雨の中をずっと飛んでたら、せっかく磨いた体が黒く煤けやがるんだ、まったく……。ここはいいな。雨が防げるっていうか、青い樹が雨の毒素を吸い取ってくれてるみたいだ」
 この森の神秘さには舌を巻くほかない。ここに辿り着いていなかったら、私は既にこの世界と別つことを強いられていたはずだ。
「この世界がこの森にすべて覆われたら、全部元通りになるのかな。試しに枝を折って外に植えてこようか。たまに人間がやってるの見たんだ。植樹って言うらしくて、何年、何十年とかけて、自分たちで森を作るんだ。すごいよなあ。なんで毒爆弾作って滅亡したのか、ますます訳が分からなくなるな。……でも、俺ひとりだけやっても終わらないだろうな。百万回生まれ変わっても、百分の一も終わる気がしない。この森の木は実をつけないみたいだし……飢えだけはどうにもなりそうにないな。俺は毒を食っても全然平気だけどさ。大体、百万回も生まれ変わったら流石に生きるのに飽きがきちゃうな」
 エアームドは勝手に希望を持って、勝手に諦め、乾いた笑いを風に飛ばした。まったく現実的ではないし、賢明な判断だろう。
「……体を綺麗にしないと」
 エアームドは不意に自分についた汚れのことを思い出したらしい。
 私の幾千本も絡まり合った蔓の一本の先に、圧を感じた。
「おお、汚れがよく取れる」
 エアームドは、私の蔓を使って体の汚れを拭き取っているらしい。
「さて、寝るか」
 満足したエアームドは、私の上に飛び乗って寝転がった。
 清々しいほどに、私の扱いが雑だ。
 しかし、私は植物。文句は言わないし、気に入らないことだって何もない。
 なのに、久方振りに心を掠めるこの感情は。
 何という名前だっただろう。



「やあ」
 気さくな挨拶が突然やってくることにはもう慣れた。これで十五回目だ。
「今日は空を飛びながらちょっと哲学的なこと考えてたんだ」
 エアームドはやはり私の上に寝転がった。
「生きる意味って何なんだろうな。俺こんなことは今まで一度も考えたことなかったから、すごく不思議に思うんだよね。もしかして生きるって行為そのものには大して意味がないんじゃないかって思うんだ」
 エアームドは一つ咳払いし、また話し始めた。
「ただ呼吸して、食べて、寝て……それだけだったら楽しくないだろ。それ以外に何か楽しいことを見つけるのが生きるってことだと思うんだよ。でもこの世界にはもう何も楽しめるものが残ってないんだ。お喋りしたりじゃれあったりできる奴らはいなくなって、俺はずっとひとり。俺がひとりで生き延びたっていったい何になるんだ? わざわざ自分から死のうとは思わないけど、死なないからって惰性で生き続けるのって限りなく無意味に近いよな」
 エアームドはしばらく黙りこくって、それから添えるように二言三言呟いた。
「まあこんなこと植物に向かって言ったってしょうがないよな。でも大体のポケモンはそういう風に生きてたんだと思うんだ。それができなきゃ生きるなんて苦しいだけだ」

 エアームドが去った後に、私は生に固執する意味を考えてみた。
 エアームドは毒まみれの木の実を食べても平気だから、特別な努力なしに生き永らえているのだという。
 だが、私はそれができない。一切の毒素から守られているこの場所でも食料を得ることはできなかったので、水と土の養分とたまに顔を出す太陽の光だけ生きられるように植物となった。
 本当に、ただ生き延びることしか考えていなかった。
 毒素が振り撒かれる以前の生活は、エアームドの言うとおり楽しいことがあった気がする。
 野生であっても、トレーナーの下での生活であっても、それなりの楽しさとそれなりの辛さが日常を彩っていた。
 それが今はどうだろう。平坦で起伏のない日常なんて甘いものではなく、ただ存在しているだけ。そこらの石や砂粒となんら変わりない存在。
 生きるという行為そのものには大して意味がないというエアームドの言葉が、何度も私の中で反響していた。
 


 彼は今日も「やあ」の挨拶とともに舞い降りてきた。四十三回目だ。
「今日は地平線の向こうが見えるまで空高く飛んでみたよ。でも青だの茶色だの黒だの、色々な色がぐちゃぐちゃに霞んで、地平線なんて見えなかった。毒素がまだまだ濃いんだな」
 彼はばたりと私の上に倒れこんだ。
「毒素が全部掃けるのはいつになるんだろうなあ。もう飽きるほど待ってるけど、俺が生きているうちに毒素がなくなることは望めないかもなあ。でももしかしたら、ずっと上空の毒素はもう掃けてるかもしれない。以前までの空の色はほとんど黒っぽい色だったけど、今は薄暗い青色なんだ。これって空の空気の状態が良くなってる証拠だと思うんだよ。大昔の真っ青で綺麗な空がどこにもないっていうのは悲しいけど」
 私は驚いた。今までもこれからも、世界はずっと真っ黒いままだと信じて疑わなかった。地球の浄化作用がある程度機能しているのだろう。しかし、結局元の世界は失われたままで、生き永らえる意味を探すことなど到底不可能なように思えた。
「けれど、この世界には一つだけ綺麗なものがあるんだ」
 声色の変わった彼の声に、私は体のどこかにある耳孔を傾けた。
「今日空を飛んでいて思い出したんだ。少し前に同じように空を飛んでいたときに見た、まるでかつての空の色が移されたような真っ青な夕焼けを」
 それは、嘘のような話だった。夕焼けといえば、西の空や雲が赤く染まる現象のことを指すはずで、青い夕焼けなんてあるはずがなかった。
 そんなことを思う私を尻目に、彼は話を続けた。
「本当に綺麗だった。なんたってこの森の色よりも青いんだぜ? ……楽しいことなんて一つもないけれど、美しいことならまだ少しだけ残ってる。あれを見たら、この世界で生きてくのもそこまで悪くはないかなって思っちゃうんだよ。死んだ奴らにはとんでもないことだと言われそうだけどな。きっと夕焼けが青く見えるのは毒素まみれの空気を通して見てるからだろうし、皮肉にも程があるってもんだけど……綺麗なものは綺麗なんだから、しょうがないよな」
 私の視覚が機能していないことをいいことに、嘘を並べ立てているのではないかと思ったが、私をただの植物だと見なしている彼にそんなことをする道理はない。
 もし本当なら、私はそれを見たかった。彼が心打たれた景色を、私の中に留めてみたかった。
「しっかし、俺はお前が今にも動き出しそうだからこうしてずっと話しかけてるのに、全然動き出す気配を見せないよな。すごくモジャンボっぽいから、実はモジャンボでしたっていうのを期待してるんだけど。……流石にこんな巨大なモジャンボいるわけないか。でも、もしそうだったら絶対あの青い夕焼けを見せてやるのになあ」
 彼は、私に沈み込んでしまいそうになるくらいの深いため息をついた。

 この日を境に、私は植物として生きることを止める決心をした。
 決心したまではよかった。しかし、いざ動物に戻ろうとしても、できない。機能しているのは聴覚と触覚だけで、一体どこにどう力を入れれば蔓を動かしたり瞼を開いたりできるのか、まったく分からない。
 そして、伸びすぎた蔓をどうにかしないと、自重のせいで動くこともままならなかった。
 毎日やってくる彼の話を聞きながら、私はひたすら根を張る前の自分を思い出そうとしていた。



「やあ」
 五十九回目。
「珍しくポケモンを見つけたよ。……死んでたけど」
 まったくもって暗い話題だった。やはり、生きているポケモンなんて、この世には私と彼のふたりしかいないのかもしれない。
「鋼タイプじゃなかったのは意外だった。チリーンだったよ。つい最近まで生きてたんじゃないかってくらい、綺麗な亡骸だったな」
 彼は、どこか遠くの場所へ思いを馳せているようだった。
「死ぬってどんな感じなんだろうなあ。痛いのかな。苦しいのかな」
 しんと静まり返る森の中には、誰も彼の問いに答えてくれる者はいない。
「まあ、楽しそうに死んでく奴は見たことないから、多分苦しいんだろうな」
 確かに、死ぬというのは苦しい。蔓を腐らせながら這いずり回っていた私は、それが嫌で生き続けようとした。
「もし死ぬとしたら、痛くても苦しくても構わないから、せめて誰かのそばで死にたいなあ。独りで死ぬのだけは、絶対に嫌なんだ。分かるだろ? 植物だって、ぽつんと荒野に一本だけ生えてて、周りに何もなかったら寂しいだろ? 今はこうして独りぼっちで生きてるけど、本当はこんな風に生きて死んでいくなんて駄目なんだよ……」
 今日の彼は、どうにも後ろ向きだった。
 私は不意に抱いた不安を掻き消すように、蔓を動かそうとしていた。
 その不安はおよそ三十日後に的中した。



「……やあ」
 八十八回目に聞いた『やあ』は、いつになく元気がなかった。
「俺、きっと頭がおかしくなってるんだよ。こう見えて寂しがりだからさ、誰でもいいからそばにいてくれないと病気になっちゃうんだよ。だからこうやって、返事をしてくれるはずのない植物に必死に話しかけてさ……」
 彼はまるで誰かに悪口を言われて落ち込んでいるという風な様子だった。
 彼に何かあったらしいことは容易に想像がついた。そして、この世界で『何かあった』というのは、ほとんど最悪の意味でしか有り得ず、私は狼狽した。
「俺、もう体中に毒が回ってるみたいなんだ。昨日、羽が一気に二本も抜けたんだ」
 私は、熱が体の奥底からせり上がってくるのを感じた。
 蔓は相変わらずてこでも動こうとしない。
 私は自分を罵った。いっそ蔓をすべて切り刻んでしまいたかった。



 彼は急速に衰えていった。
「やあ」
 九十五回目でも、挨拶はいつも通りだった。しかし、彼が私の上に乗ることはもうなく、ただ私の体に背中を預けて、地面に腰を下ろすだけだった。
「羽が抜け落ちてるから飛ぶのも一苦労だよ。疲れてたまらないから、森の中を歩いてきたんだ」
 彼の荒い息遣いが聞こえる。
「体も錆びてきたし……酷いよなあ。今更毒が効いてくるなんてさあ、どっきりにも程があるよなあ。毒まみれの木の実を食べ続けたのが悪かったのかな。でもそうでもしなきゃ空腹は満たせないしな……」
 乾いた声で笑う彼が痛痛しかった。
「俺は完全に思い上がってたんだな。鋼タイプに毒は効かないなんて、生き物がいなくなっちゃった今じゃ信じられるわけないけどさ、俺は例外で、ちゃんと毒に耐性を持った鋼タイプなんだと思ってたよ。でも、やっぱり無理だったみたいだ……」
 私の心が彼に呼応するように締めつけられる。
「なあ、返事してくれよ……。俺、死ぬ前に一度でいいから誰かと話したいんだ……。ひとりで喋り続けるのはもう疲れたよ……」
 私は、体の至る所に力を入れた。それでも発声器官が震え、音を出すことはなかった。相変わらず蔓も動かない。だが、自分がどこに力を入れているのかがはっきりと感じ取れるようになっていた。

 それから幾日が過ぎた。
 彼はどこかへ飛び立つことなく、私にもたれかかりながら、日に日に弱っていった。それでも、彼は目覚めとともに挨拶することを忘れない。今日は百回目だ。
 この不思議な森でさえ、彼の容体の悪化を食い止めることはできなかった。私と違い、ずっと毒素を蓄積してきた彼の体を治す術はもうなかった。
 私は蔓を動かすことと、五感を完全に取り戻すことに苦心していた。枯れた神経を蔓の先まで行き渡らせることだけを考えた。
 あと少しでできそうな気がした。植物的な感覚は九割方脱している。
 そんな中で、彼はついに限界を迎えた。
「なあ……今まで冗談で言ってきたけどさ……もしお前が、外見は蔓が絡まりまくってる仰々しい巨大な蔓植物だけど、実際はモジャンボが蔓を大量にこしらえてもっさりしてるだけでした、みたいな面白い事情を持ったポケモンだったらさ……いや、きっとそんなふざけたことは有り得ないだろうけど……もし万が一そうだったら……俺を看取ってくれよ。……嫌だったら顔を見せてくれるだけでいいんだ。……独りで死にたくないんだ」
 私にもたれかかる彼は、体を小刻みに震わせ、すすり泣いていた。私のそばで輝いたたった一つの生命は、今にも消え入りそうだった。
 私は奮起した。彼の願いをなんとしても叶えなければならない。そして、彼が見せてくれると言った青い夕焼けをこの目で見なければならない。
 今、この時間において、それが生きるという証なのだと思う。
 動物として生きることによって避けられない空腹感も、彼がいなくなったあとにどう生きるかという問題も、さして重要ではない。
 すべてが熱を帯び始めた。
「はは……俺、幻覚でも見てるんだな。お前の蔓が俺に絡みついてくるよ」
 彼の&ruby(いまわ){今際};を前に、私の蔓はようやく動いた。ついに私は、ただの植物を止めた。
 私は彼の羽を、一枚もいだ。それは驚くほど簡単にぽろりととれた。
 毒に侵され脆くなった鋼の羽根は、なお鋭さを保っていた。
 私はそれを蔓の先に持ち、長く伸びすぎた蔓を次々と切っていく。切り刻み、切り刻み、切り刻み――ひたすら体を切っていった。
「お前……何してんの」
 彼の呆れた声をよそに、私はどんどん小さくなっていった。やがて、重すぎる体は、かつての大きさに戻っていた。
 隠れていた目が露わになる。私は羽を手放した蔓の先で目を触った。
「……ここが、私の目だったのね」
 目の位置を確認した私は、ゆっくりと瞼を開けた。いつの間にか発声器官も元に戻っていた。
 目の前にいるエアームドは、放心したように口を開いていた。
「嘘……だろ……お前……本当に」
 彼の銀色に輝いていたはずの体は褐色に腐食していた。こんな状態で生きているのが不思議なくらいに、彼の体は損なわれていた。
「青い夕焼け……見せてくれるんでしょう?」
 彼の瞳から、一筋の涙が伝った。
「……ああ」
 根となっていた腕と足は、地面から引き抜くと奇怪な形を現した。彼の羽根を使って余計な根を切り取り、足の形を整えた。
 弱りきって動けなくなった彼の体を蔓に携え、私は森の外へと歩きだす。
「……生きてるな……俺たち」
「……ちゃんと生きてるよ」
 彼の体は、大きさと釣り合わないほど軽くて、悲しかった。

 森の外は相変わらず黒かった。どうしようもないほどに黒かった。
 空だけは黒さを手放していた。
 何も聞こえない無音の世界で、西の空が静かに焼けていく。
 青い炎がまぶされたような夕焼けは、確かにこの世界で一つの美しい景色だった。
「な……綺麗だろ……」
 彼の呼吸音が弱まっていく。
「うん……とっても」
 共に過ごした時間は、あまりにも短い。
 群青色の幻想的な風景に包まれて、私が彼にした初めての挨拶は、四文字の別れの言葉を送ることだった。









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***投票コメントへの返信 [#h43121ed]

>感動しました。 (2013/06/24(月) 13:59)
>>ありがとうございます。

>悲しいけど、とても泣けるお話でした! (2013/06/25(火) 22:05)
>>ありがとうございます。

>読んで一番惹き込まれた作品でしたので投票させていただきますね。 (2013/06/26(水) 02:22)
>>ありがとうございます。次もそんな作品を書けるよう頑張ります。

>一番読みやすく、内容も良かった (2013/06/26(水) 12:40)
あなたの中で一番になれたようで何よりです。

>生きることって何なんでしょうね?平和な毎日を生きてる僕には正直まだ答えは分からないけれど、やっぱりエアームドの生きることへの考え方が好きです。 (2013/06/29(土) 03:53)
>>エアームドは孤独の中で生きてきたからこそ、より作中で示された考え方になっていったのだと思います。

>逸る思いがひしひしと伝わってきて、読んでいるこちらも動け、動けと応援したくなってしまいました。
塵の中に浮かぶ青い夕焼けが、これからそれぞれ旅立つ彼と彼女に奇跡を運んでくれますように。 (2013/06/29(土) 04:16)
>>最後のモジャンボが奮闘する場面はなかなか苦戦しました。彼らが一緒に過ごした時間と記憶に留められた景色が、彼らの大切な何かになるよう、私も祈ってます。

>悲しくも綺麗な話でした。 (2013/06/29(土) 20:42)
>>もっときれいに書けるよう頑張ります。

>感動しました;; (2013/06/29(土) 22:54) 
>>ありがとうございます。



 二回目と三回目の短編大会は出られなかったので、今回出ることができて非常に嬉しいです。が、また懲りずに遅刻をかましたのがなんとも……。
 24.7票中7.2票を獲得して優勝することができました。投票してくださった方々、並びに読んでくださった方々、本当にありがとうございました。
 なお、改稿して大会に出したものから差し替えました。差し替える前は[[こちら>:群青色のhello,goodbye]]になります

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#pcomment




あとがき(白抜き反転)↓
 &color(White){普段から何かハッピーエンド的な話を書きたいと思っているのに打鍵する手は勝手に死滅した世界を据えようとするあたり、一生無理なんじゃないかと思ってしまいます(笑)};
 &color(White){普段ものを書くときは上から順番に書いていくのですが、今回はバラバラのピース(エアームドの台詞)を最初に書いて、それを情景描写なりモジャンボの独白なりで繋いでいくという方法で書きました。頭の中で場面を整理するのがなかなか大変でした。};
 &color(White){青い夕焼けというのは、火星なんかで見られます。地球よりも空気中の塵や不純物が多いせいらしいです。だから毒素=不純物が空気中に満ちているこの世界なら同じ景色が見られるんじゃないかと思いました。そこらへんももっと書きたかったのですが時間が圧倒的に足りませんでした。次からはもっと時間配分を考えながら書きたいところです。};

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