ポケモン小説wiki
目撃 の変更点


作[[呂蒙]] 




 大学の試験も終わり、カンネイはのんびり気ままに夏休みを過ごしていた。家の敷地面積は広く、家はもとより庭も結構広い。そこで運動もできなくはないのだが、どうしても、父親の仕事の関係上、いろいろな人が訪ねてくる。顔なじみで父親の部下でもある法孝直なら、あまり気を使わなくてもいいが、知らない人だったりするととても気を使う。父親の部下が子供である自分に頭を下げる、というのは違和感さえ覚えた。父親にならともかく、何故自分なのだろうか、と。当然、ギャロップにも同じようなことが起こる。頭を下げられると、困惑しながらもこくこくと無言で頭を少し下げる。そういった人たちに会うのはギャロップにとって、相当に体力を使うことらしく、その後、カンネイがどこかへ行こうと誘っても「オレ、疲れたから今日はいい」と部屋で休んでいることが多かった。
 シュゼンが首相の在任中がそのピークで、しょっちゅうマスコミに追いかけ回された。かと言って、ギャロップに跨って逃げれば振りきれるが、家を覚えられてしまったのだから、どうせそこで待っていればいずれは帰ってくるのだ。その後、シュゼンは下院で、与党勢力が第一党から転落した責任を取って、党総裁と首相の職を退いた。国民の人気はあったが、本人いわく「自分のためでもあるし、党のためでもあるし、お前のためでもある。もちろん、国民のためでもある」そう言っていた。大学に入って政治を学ぶまではそれで納得していた。と、カンネイはギャロップが呼んでいるのに気づいた。
「ん、何だよ?」
「どうした、昼間っからぼーっとして。夏休みになって気抜けしたのか?」
「あ、いや。ちょっと昔のことを思い出してね。父さんが首相だった時のことさ」
「あ~、追っかけまわされたもんな。蹴り入れてやろうかとも思ったけど、それもできないから、イライラが溜まって死ぬかと思ったわ」
「お互い、忍耐と苦労を学んだな。今から本屋に行くんだけど、暇だろ? 付き合えよ」
 広い屋敷の廊下に出て、1階に下りると、父親のシュゼンがいた。
「お、出かけるのか?」
「うん、本屋」
「じゃあ、丁度良い。これ買ってきてくれ。金は後で払う」
 そう言うと、シュゼンはメモ用紙にさらさらっと本の題名と、著者名、出版社を書いてカンネイに渡した。カンネイはそれを受け取ると、屋敷を出て、ギャロップに跨る。運動にならないようにも思えるが、実は結構運動になるのだ。ぼーっとしていると振り落されるので、気も抜けない。たとえるならば縦揺れのするバイクに乗るようなものだ。カンネイはメモを見て、何を買えばいいのかを確認する。
「ん~と『上半期 セイリュウ国のニュース』か」
「シュゼンさんらしいな」
 そんなことを話しながら、ラクヨウ大学のわりと近くにある大型書店「アカデミア」に着いた。自分の目当ての本と、シュゼンに頼まれた本を買う前にその本のページをぱらぱらとめくる。本には上院議員選挙のことや、貨幣単位をルピーからルフィアに改め、紙幣やコインのデザインも偽札、偽コイン対策のためすべて変える。といったニュースが書かれていた。どれも、新聞の一面に乗ったメインニュースである。
「でも、何でこんなのを読むんだ? 新聞取ってただろ?」
「激務だから、じっくり読む暇が無いんだろ? これだと、父さんの興味がなさそうな芸能ニュースとかは無いし、スクラップとかも作る必要もないしな」
 自分の本と頼まれた本を買って店を出た。北部のラクヨウとはいえ、夏は暑い。近くのコンビニで飲み物を買って、水分補給をする。
 その後、交差点で信号待ちをしていた時のことである。
「あっ」
「どうした? おっ」
 と、カンネイたちが声を上げたのとほぼ同時に、景気の悪い、鈍い音が響いた。交差点にいた人すべてが、その音がした方をみた。
 赤信号を無視したトラックが、乗用車にぶつかったのである。人身事故にはならなかったが、まずかったのはそのトラックの方である。ぶつかったにもかかわらず、そのまま走り去ってしまったのだ。完璧な当て逃げである。
「追いかけるか?」
「……いや、警察呼んだ方が良いだろ」
 事故の目撃者たちが「大変だ」「当て逃げだ」「警察を呼ぼう」などと口々に言っているのが聞こえた。すぐに通行人の呼んだ警察が現場にやってきた。
 当然、現場に居合わせたということで、やってきた警官からいろいろと話を聞かれる羽目になってしまった。事故のことならともかく「何でここに来たのか」などというあまり事故とは関係なさそうなことも聞かれたので、少々うんざりしたが、仕方ないので全て答えた。
「何をされてるんですか?」
「学生です」
「今日はどうしてここに?」
「本屋に行って、その帰りです」
「ところで、このポケモンはあなたのですか?」
「はい。これが、許可証と登録証です」
 セイリュウではポケモンの所持に関する法律が厳格で、許可証と登録証がないのに、ポケモンを所持しようものなら、多額の罰金が科せられてしまう。もともと厳しかったが、シュゼンが首相のときにさらに厳しくなったのである。
 その後、ようやく本題に入った。
「どういうトラックでしたか?」
「えーと、引越し屋が良く使っているタイプのものですよ。屋根と壁があって、後ろに扉がついてるやつです」
「なるほど、ところでナンバープレートは見ましたか?」
「登録番号は、5301でした。けれど、千の位の前の記号とかはちょっと……」
「なるほど、他には何か気付いた点は?」
 警察からすれば一つでも多くの情報が欲しいのだろうが、しかし、一瞬の出来事だったので、記憶できることにも限界がある。すると、ギャロップがこんなことを耳打ちした。
「なぁ、カンネイ」
「え?」
「今思い出したけど、扉の下に『5850』って数字が見えたんだけど、あれなんだろうな?」
「ほんとか、それ?」
「ほんとだって」
「ん? どうかしましたか?」
「あ、いや。扉の下に『5850』っていう数字が見えたって……」
「『5850』ですか。そうですか、分かりました」
 ようやく解放された。ギャロップに跨り、帰路に着く。
 家に帰ると、孝直が来ていた。しかし、シュゼンは留守だった。多分、近くのスーパーに飲み物やお菓子でも買いに出たのだろう。
「あ、法先生」
「お邪魔してるよ。今日は総裁と仕事の話があってね」
 シュゼンは首相の座から降りると、党の総裁など一切の役職からいったんは身を引いたが、その後の上院議員選挙で議席が伸び悩んで、結局もう一回やってくれということで、再びお鉢が回ってきたのだ。
「あ、そうだ。今日大変でしたよ。当て逃げ事件の目撃者になっちゃって……」
 カンネイは孝直に、先ほどの出来事を話した。
「そりゃあ、大変だったね」
「ええ、でも犯人は逃げてしまったんで、今頃警察が捜しているでしょうね」
「あ、犯人ならすぐに捕まるよ。車は買うと、運輸局に登録が義務付けられているから、ナンバーが分かってれば、そこに警察が問い合わせて、所有者を割り出し、それで犯人逮捕というわけ。さっきの『5850』ってのは、位置からすると、最大積載量の表示だから、それとナンバーを登録証と照らし合わせれば、かなり絞れるから、後は地道に捜査するだけだよ」
「車に背番号がついてるようなもんですね」
「そうだね。君のお父上が本格的に整備したポケモンの所有に関する法律もこれがモデルだからね」
 もちろん、ポケモンのことだけではなく、その他、様々な法案を議会で可決させている。シュゼンはあまり仕事で何をしたかをカンネイに話さなかったので、大学生になってようやく父親が何をしてきたかが鮮明に見えてきた。もっとも、それ以前は知ろうともしなかったんだろうけれど。
「おや、総裁が帰ってきたみたいだ。それじゃあ、また後で」
「はい」

 ◇◇◇

 二日後、カンネイは警察に呼び出されて、ラクヨウの警察署に出向くことになった。別に何か犯罪を犯したわけではない。先日の事故のことで聞きたいことがあるから来てくれというのだ。カンネイはギャロップを連れて家を出た。カンネイはギャロップに跨る。上を見ると、雲行きが怪しい。
「ギャロップ、少し急ぐか」
「ん?」
「にわか雨がありそうだ」
「じゃあ、ちょっとスピードを上げるか」
 ギャロップがその気になれば時速100キロメートル以上のスピードで、目的地まで突っ走ることも可能だが、街中ではそうもいかない。横断歩道もあるし、曲がり角もある。さらには歩行者や自転車をこいでいる人が大勢いる。猛スピードで走れば、事故になるのは目に見えている。ポケモンの能力というのは人間からすれば強力過ぎるものばかりである。その力を悪用すれば、ラクヨウはもとより、セイリュウ国すら制圧できてしまうかもしれない。それ故、法律でポケモンに関する法律は、他の国と比べても格段に厳しいものばかりだ。
「そういえば、カンネイは警察署に行ったことってあるのかよ?」
 ギャロップが冗談めかして、そんなことを聞いた。
「警察署? あるぞ、一回だけ」
「え、あ、あるのかよ……」
 予想外の答えに、ギャロップは、やや脚の力が抜けて転びそうになってしまったが、すぐに体勢を立て直した。
「っと、そんなに意外か?」
「お前、何やらかしたんだよ……」
「んーっとな、大学に入りたての頃だったな、道に財布を落としちゃって、どこいったかなぁと思ってたら、警察署から電話がかかってきて『あなたの財布が署に届いているから取りに来てください』っていわれて、印鑑と身分証明書を持って行ったことがある」
「財布って、めちゃくちゃ貴重品だぞ。それにカードとか悪用されなかったのかよ」
「オレ、クレジットカードは持ってるけど、一応作っただけだから、机の引き出しに入れてあるんだ。身分証明書は旅券が家にあったからそれを持ってった。学生証なんて悪用のしようがないだろ。定期は、お前がいるから作ってないし。金もその時、使い切っちゃってたから、家に帰ったら下ろそうと思ってて、多分だけど、あの時ジュース代くらいしか入ってなかったんじゃないか」
「お前と言い、リクソンさんと言い、お偉いさんの息子ってのはケチっていうか、倹約家が多いな」
「堅実って言ってくれ。お、そろそろラクヨウの中心部に入るな」
 カンネイが道路標識を見上げて、そんなことを言った。道路標識に従い、警察署まで行く。
 中に入り、受付で用件を言う。
「薄暗いな……。悪いことしたみたいだな。何もしてないのに」
「ギャロップ、オレだってこんなところ、一秒だっていたくないぞ」
 奥から、刑事と思しき男性が2人出てきた。その2人に連れられて、奥の部屋に通された。部屋は四畳半ほどの広さで、ギャロップがいると少々狭いので、ボールに入れた。
「まぁ、おかけください」
 年配の方の刑事がそう言うので、カンネイは椅子に座った。椅子といってもパイプ椅子で、くつろげるような代物ではなかった。刑事ドラマで被疑者がこのように尋問されるシーンは何度も見たことがあるが、まさか自分がこの立場になってしまうとは夢にも思わなかった。
「そんなに硬くならずにリラックスしてくださって結構ですよ」
「は、はぁ……」
 カンネイは心の中では「これでくつろげる奴なんて、どこのどいつだよ」と毒づいた。冷たいお茶も勧められたが、とても飲む気にはなれなかった。早速、話の本題に入った。
「実は先日の事故のこと、覚えてらっしゃいますか?」
「あ、はい……」
「あなたの目撃したナンバープレートや最大積載量から車両を割り出したのですが……」
「が、何でしょう?」
「該当する車が無かったとか、ですか?」
「あ、いえ。あるにはあったんですが、事故発生当時、現場にいた車ではないんです。もしかすると、実はあの時は気が動転していて見間違えたのではないかと思いまして。少しして冷静になった方が、正確な話を聞かせていただけるのではないかと思いまして、御足労願ったわけです」
「そう言われても……」
「見間違えた、とかはありませんか? 百の位の数字が実は3ではなく8だったとか」
「見間違えたことは無いと思います、多分」
「そうですか、困りましたね。実は、他の目撃者の方にもお話を伺ったんですが」
 年配の刑事は、本当に困ったような表情になった。他の目撃者の話でも、見間違いではないと思うという答えが返ってきたのだ。しかし、それならあの時、あの現場に居合わせた人全員が集団催眠にかかったとでもいうのか?
 ようやく、解放されたカンネイはボールからギャロップを出した。
「うわっ、お前、汗びっしょり!」
「精神的に押しつぶされるかと思った……」
「大変だったな」
 カンネイは肯いて、こう言った。
「ギャロップ、オレなんかすごく疲れたから、早く家まで帰ろう……」
 帰りはめっきり口数が少なくなってしまった。家に着くと、カンネイはギャロップに、夕御飯まで起こさないでくれって、使用人や秘書、エルレイドにそう伝えるように言うと、自分の部屋のベッドに横になった。
(いったい、じゃあ、オレやギャロップの見たものは何だったんだろう? 法先生や父さんに話してみようかな……。明日、家でカジュウさんも含めて三人で仕事の打ち合わせをするらしいしな)
 カンネイはそのまま眠ってしまった。
 目が覚めると、丁度、夕御飯の支度ができたとのことだった。
「ふあぁあ、ああ、うまそう」
 そう言ってカンネイはテーブルについた。眠いので思考回路が活発に機能してくれず、こんなことしか言えなかった。
 今日は、カレーライスだった。別に裕福な家だから豪華な食事、というのはドラマの中での話だ。というよりもそうやって金を湯水のように使っている連中に限って、数十年後には没落して、悲惨な生活……という人生をたどると、父親が言っていた。
「あ、ニンジン」
「自分で食えよ」
「誰がギャロップにやるって言った?」
 ひとまず疲れはとれたが、頭の片隅で、やはりあの事故のことが気になっていた。
 
 ◇◇◇

 次の日、家に孝直がやってきた。どうやら、本人も気になるらしく犯人が見つかったかどうか聞いてきた。
「あ、それなんですけど、実は……」
「ん? どうしたの?」
「車は見つかったんですけど、現場にいた車ではなかったらしくて」
「どういうことだい?」
「先生の言った通り、警察が運輸局に問い合わせて調べたそうなんです。でも該当する車は『ラクヨウ国際運輸』っていう会社の車で、事故の痕跡もなかったし、その時間は、ケンギョウにいたとかで……。それで『もしかしたら見間違えたんじゃないのか』とか『他に思い出したことはあるのか』といったことを警察に聞かれました」
「おかしな話じゃないの。それと、警察署まで行ったのかい?」
「あ、はい」
「う~ん、じゃあ、知り合いに警察の幹部がいるから、よかったら、それとなく捜査の状況を聞いてきてあげるよ。この先何回も呼び出されるんじゃ、たまったもんじゃないでしょ?」
「お願いします」
 カンネイは応接室を出た。さすがにこれから打ち合わせが始まるというのに、部屋に留まることはできなかった。部屋の外にはギャロップがいて「どうだった?」と聞いてきた。
「先生の知り合いにそっち方面の人がいるから話を聞いてきてくれるってさ」
「おお、よかったじゃん。これで、いちいち呼び出される心配はなくなるな」
「だな。もうあんなのは二度とごめんだよ」

 ◇◇◇

 さらにその次の日のことだった。カンネイは用事を済ませるため、親戚の家にいた。父であるシュゼンが視察で外国に出かけた際に買ってきた土産物を届けろというのだ。つまりおつかいである。そのため、朝からカンネイは家を開けていた。シュゼン自身も議会に出席するため、家にはいなかった。
 その頃、リクソンは家にいて、朝御飯の後片付けをしていた。そんなとき電話が鳴った。
「なんだよ、もう……」
 どういうわけか、手が離せない時や出かける直前など、かかってほしくない時に電話というものはかかってきてしまう。蛇口から流れ出る水を止めて、リクソンは受話器を取った。
「はい……」
 1分ほどだっただろうか。リクソンは「ふぅ」と息を吐いてから受話器を置いた。シャワーズが尻尾をふりふり、リクソンの足元にやってきた。
「誰からの電話だったの?」
「ラクヨウ西警察署からだって」
「え? 何か悪いことしたの?」
「まさか。でも、何か変な電話だったなぁ……」
「変って?」
「カンネイがここに来なかったかって、言ってたぞ。その前に家に電話したんだけど、留守だったからこっちへかけたってさ」
 カンネイ自身、社会情勢の変化に大きなかかわりを持つ父親の子である。その立場というのはよく理解している。孝直がいわく「地位や肩書なんてのは、時に有用な武器だけど、時にそれが足かせになったり、ある時はまやかしだったりもする」だ。何を言わんとしているかは分かる。
「……なぁ、シャワーズ。お前ならこういう時、どうする?」
「私、私ならカンネイさんに言うわ。万が一のことってあるじゃない。ましてやカンネイさんでしょ?」
 カンネイなら、というのは危なっかしいことをする性格だからというのではなく、やはり政府要人の一人息子である。本人はそういうことを言われるのはあまり気持ちの良いものではないようだが、事実なのだ。
「……そうだなぁ。シャワーズ、後で、カンネイの家に行くから、その時になったらブースターを呼んできてくれ。あいつ『場慣れ』してるし」
「わかったわ。サンダースたちは?」
「留守番。粗相をするとかじゃなくて、分かるよな?」
「ええ」
(警察幹部に知り合いがいる法先生なら何か聞いてるかもしれないけど、今日って確か上院の審議とか言ってたからなぁ……)
 孝直は、セイリュウ国首都・ラクヨウシティとラクヨウ都を管轄するセイリュウ中央警察の幹部に知り合いが何人かいる。大学以来の友人なのだそうだ。本人の話だと警察、検事、裁判、弁護士、法務省官僚などになった友人がいるという。孝直は章武国(セイリュウの南隣りにある島国)の出身のため、出世コースに乗るのがセイリュウ出身の人よりも難しい、ひどい時はそれを理由に左遷されたということもあった。明らかな差別だが、それも乗り越え、一時はセイリュウ国の大臣である。
 いや、ほんとにすごいな、そう思いながら、後片付けを終わらせた。それが、終われば休憩、ではなく今度はたまっていた洗濯物を済ませなければならない。住んでいる人間は一人なので、そこまで洗濯物はたまらないのだが、ポケモンたちが風呂に入ったり、シャワーを浴びればタオルを使う。そのタオルが山のように洗濯機の中に放り込まれていた。
 それも終わり、少しくたびれたリクソンはソファに腰を下ろした。丁度、そばにブースターがいたので声をかける。
「ブースター、ちょっといいか?」
「どうしたの?」
「今日、後でカンネイの家に行くからちょっと付き合ってくれないか?」
「あ、さっきシャワーズさんから話は聞いたわ」
「あ、そうか。なら話が早い」
「カンネイさんの身に何か起きないといいけど、だって、彼のお父さんってこの国の前の総理大臣でしょ? もうこの時点で危険なのよ」
「う~ん、やっぱりお前もそういうことが分かるんだなぁ……。ブースターも気を付けてくれよ? オレは跡取りじゃないから、まあどうなっても良いかもしれないけどさ」
「そんなこと言わないで。それに、リクソンさんが思ってるほど会長は何とも思ってないわけじゃないのよ?」
「分かっているさ。でも、何も起きないといいな」
「そうね」
リクソンはカンネイの家に行く前に、一応電話をかけておくことにした。が、今日はあいにく、出かけていて、夕方にならないと戻らないらしい。日を改めようかとも思ったが、今度はカンネイの携帯にメールを送っておくことにした。
「えーと、カンネイのことで、警察署から電話があったぞ。お前何をやらかしたんだ? 無いとは思うけど、お互いの親父に絡んだことなら大変だからな、直接話を聞きに行くぞ? メールを見たら返信をくれ リクソン」
 というメールを送っておいた。
 リクソンは麦茶を飲むと、ソファに腰をかけて、天井を見上げると、息をゆっくりと吸って吐きだした。ふと、自分の家に会社の重役たちがやってきて、見知らぬオジサンたちに挨拶をしていた子供のころを思い出した。リクソンが10歳の時、父親と重役の一人が応接室で話しているのをたまたま廊下で聞いてしまったことがあった。仕事の話ではなかったが、当時のリクソンにとっては重すぎるテーマだった。その話は今でも覚えている。恐らく、仕事の話が一段落して、雑談に興じていたのだろう。
「自分は子供が欲しいのですが、もう54ですし、それに……」
「それに?」
「子供ができない体質だと医師から言われました。甥が一人いたのですが、その甥もバイクの事故で亡くなってしまいました。人生って不平等だなと思いました。会長は自分のお子様を大事になさってください」
「リクソン、リクソン? 聞こえてるでしょ?」
「あっ、シャワーズ……」
 声を掛けられて、リクソンは我に返った。
「夕方くらいになったら、カンネイの家に行くから、支度をしておいてくれよって言っても持ってく物とか、無いと思うけど」
「わかったわ」
「あと、カンネイのことだからな。ひょっとするとってことあるかもしれないからな。分かってるな?」
「分かってるわよ、それにそれはリクソンにも言えることでしょ」
(何も起きないといいな、けど……)

 ◇◇◇

 その日の夕方ごろ、リクソンはシャワーズとブースターを連れて家を出た。夕飯を作っておこうかとも思ったが、いかんせん時期が良くない。後でお腹を壊さたら、それはそれで面倒だ。
 リクソンの家とカンネイの家は、距離があるため歩くと何時間かかるか分からない。最寄駅から私鉄に乗って、ラクヨウ中央駅で地下鉄に乗り換える。ここから5つ目の駅である。この辺りは裕福な人たちが住む高級住宅街である。ラクヨウの中心部に近いにもかかわらず、緑が豊かで住むには申し分ない場所である。
 住宅街の一角にレンガの塀で囲まれた、ひときわ大きな家があるが、ここがカンネイの家なのだ。無論セキュリティーはバッチリで、中へ忍び込もうものなら、たちまち警報装置が作動して、警備会社から警備員が急行する仕組みになっている。厳重すぎる警備かもしれないが、シュゼンのような立場の人間は、一方的に恨まれ狙われることもある。そういう時、不審者を撃退できるかどうかが問題なのではなくて、そういうことが起こらないようにする方が大切なのだ。騒ぎが起きれば近隣の住民に迷惑がかかることは明白だ。
 表門には3人の警備員がいた。ちなみにこの家には裏門もあるのだが、そちらにも2人の警備員が配置されている。
 リクソンが警備員に用件を言うと、すんなり門を開けてくれた。
「随分厳重な警備ね」
「まあ、国家の中枢にいる人の家なんてこんなもんでしょ」
「これだけ厳重にするっていうのは、悪い人にこれだけしっかりと守っているぞって見せつけるためもあるんでしょ? そうよね、リクソンさん」
「そうだな。でもまぁ、ギャロップたちがいるから、忍びこめたとしても、ね」
 恐らく蹴り飛ばされて、重傷を負って、病院送りになるのがオチだ。広い庭の上に置かれた飛び石の上を歩いて、玄関までたどり着いた。それにしても、もう夕暮れ時だというのに、夏の日差しはまだまだ暑い。じりじりと照りつける強い日差しのせいで、リクソンの身につけている下着は汗でぐっしょりになってしまった。玄関の呼び鈴を鳴らすと、カンネイが出てきた。
「おっ、いらっしゃい。暑かっただろ」
「こうも暑いと、何にもやる気がなくなっちゃうよ」
 家の中はエアコンが効いていた。涼しいのありがたいが、湿った下着が肌に張り付いて、体温を奪うので少し寒いくらいだ。カンネイが冷たい麦茶を持ってきてくれた。
「コーヒーとかのほうが良かったか?」
「いや、麦茶でいいよ」
 空腹時にコーヒーを飲むと、胃が痛くなってしまうので、リクソンにとっては、むしろこの方がありがたかった。
「で、だ。メールは見たけどな」
「けど、何だよ?」
「警察が、オレの家に電話をかけてきたって言ってたんだろ?」
「ああ、お前が家にいないから、知り合いの家に電話したとか言ってたな」
 カンネイは少しずつ話を整理していった。
「で、何て言ってた?」
「何てって、カンネイが家に来なかったかって。でも、何か変な感じがしたから、来てないって言って電話を切ったんだけど……。今思うと、お前のことを探してるみたいだったな……。カンネイ何をやらかしたんだよ?」
「何って、この前、当て逃げ事件があって、その現場に居合わせたから、警察署で情報を提供してきただけだよ」
「じゃあ、おかしいだろ? ただその場に居合わせただけで、知り合いに電話をかけてまで、行方を捜すなんて」
「オレもそう思うけど、法先生が警察関係の知り合いから話を聞いてきてくれるっていうから、まぁ、そこまで心配しなくても大丈夫だとは思うけどな」
「とにかく、用心しろよ? カンネイは跡取りなんだから」
「分かってるよ。じゃあ、変わったことがあったら、また連絡をくれよ」
「ああ、じゃあ、この辺で失礼するよ。サンダースたちに留守番させてあるから、早く帰って晩御飯作ってやらないといけないから」
 リクソンは麦茶を飲み干すと、カンネイの屋敷を出た。その帰り道でシャワーズやブースターと、さっきのことについて少し話をした。
「ねぇ、リクソン。シュゼンさんと会長って、同じ大学の先輩と後輩ですごく仲が良いのよね? 会長は大丈夫かしら? 何だか不安だわ」
 シャワーズがそんなことを言った。リクソンとカンネイの父親同士は、同じ大学の先輩後輩で、仲が良いのは、ある程度経験のある国会議員や、政治記者、そこそこ名の通った経済、財界の人間なら誰でも知っていることだ。それを知らないとなると、その人間はモグリである。
「シャワーズの言うことも分かるけど、確かおとといから、海外の支社を視察に回るとかで、1ヶ月ちょっとはセイリュウにはいないって言うし、ちゃんと護衛もつけるって言っていたし、ずっと一ヶ所にいるわけじゃないから、平気なんじゃない? それなら所在もつかみにくいだろうし」
「え? ってことは、今はリクソンさんの叔父さんが代わりなの?」
「そうなるね。ところで、ブースターには何か言ってなかった?」
「えーっとね、会長のところからリクソンさんのところに行くことになった時に『お前のことは気になるけど、いちいち連絡すると悪いから、実家に戻ることがあったら、どんな日々だったか聞かせてくれ』って言われたから、変わったことが無い限りは、向こうから連絡してくることは無いのよ。あと『困ったらリクガイを頼れ』って言ってたし」
「あ、そう……」
 未だ子ども扱いか。内心そう思わないわけでもなかったが、シャワーズたちのおかげで、安心して暮らせているというのは事実であった。そうでなかったら、見知らぬ土地で安心して暮らせない。平和なセイリュウでも、時々とんでもない事件が起きる。リクソンは父親が言わずと知れた経済界の大物だ。それだけで狙われる理由に十分なり得る。けれども、リクソンには可愛くも頼もしい7匹がいる。そのおかげで、リクソンの家は特に防犯装置などは無い。強いて言うならば、割られにくいようになっている防犯ガラスとか、ドアのところについているチェーンロックくらいだが、そんなものはどこの家庭にもある。7匹に感謝しつつ、西日が照りつける道を歩いた

 ◇◇◇

 次の日の午後、孝直がカンネイの家にやってきた。メインの話は今後の上院運営をどうするかということであった。経済界を味方につけ、何とか上院では第1党に返り咲いたので、この上院をどう運営していくかは大事な話なのである。その後、例の件で、探りを入れてきたというので、カンネイとギャロップはその話を聞くことができた。
「まだこの件は公には発表されていないことだからね。いい? 不用意に誰かに話さないでね。まだ総裁にも言ってないことなんだから。まぁ、総裁にはもうちょっと捜査が進んだ段階で言うつもりだけどね」
「で、事故を起こした車なんですが、見つかったんですか?」
「昨日、ラクヨウ港に沈んでるのが見つかったって」
 カンネイとギャロップは顔を見合わせた。そして、あの時、追いかけておけばよかったかな、と思ったのだ。
「おい、カンネイ。もしかして、あのトラックの運ちゃんが逃げ切れないと思って、車もろとも海に突っ込んだんじゃないか?」
「そうかなあ? それならそうだってニュースになると思うが……」
 しかし、孝直はこう言った。
「自殺を図ったってのは多分ないよ。だって、運転手は見つかってないし、トラックの荷台は空っぽだったし。そこまで追い詰められてる人がわざわざ荷台を空にするとは私には思えないなぁ。それに……」
「それに?」
「君の目撃した車が、同じ時間に何故かケンギョウにいたっていう奇妙な話のことだけどね、驚いたのはこっちの話だったよ」
「え? と言いますと?」
「あの車、実は、ナンバープレートと外部の塗装や装飾がダミーだったんだから」
「ええっ、カンネイ、つまり?」
「ようするに、見られても、偽物のナンバーとか塗装で目撃者に偽の情報を掴ませ、捜査を攪乱して、本当のところに行きつかせないようにしたってところだろ?」
「その通りだけど、これかなり悪質だよ。絶対トーシローの仕業じゃないね」
「はぁ……。あ、後一つ聞きたいことがあるんですが……」
「お? 何だい?」
「昨日、リクソンの家に警察関係の人から自分が来なかったかって言う電話があったんですが……」
「本当かい? それ」
「あ、はい」
「まあ、君が重大事件の被疑者ならともかく、当て逃げの目撃者ってだけだからねぇ。それで、その交友関係がある人のところに行方を聞くって言うのはあり得ないよ」
「じゃあ、何でわざわざ電話をかけてきたんでしょうか?」
「うーん、ま、午前中会ってさ、いろいろと『忠告』をしておいたから。それと、直接会ったわけじゃないんだろ?」
「はい」
「じゃあ、平気かな。うーむ、でも、最悪の事態を考えると……。あ、悪いけどさ、りっくんのところに電話してもらえる? そしたら、私に代わってくれないかな?」
「分かりました」
実は、孝直にはまだ伏せている事実があった。まだ捜査中のことなので、確定したわけではないのだが、事態が悪い方向へ進む可能性の方が高いように思えた。最悪の結果を迎える前に何とか、何とかしなければ、と思っていた。
電話の受話器を外すカンネイのところにギャロップが寄ってきてこんなことを言ってきた。
「なあ、オレら実はかなりやばいんじゃない?」
 それに対し、カンネイは何も言わなかった。今更ジタバタしてどうにかなるものでもない。地位のある父の子ならば、それはある意味宿命のようなものと小さいときから思っていたからだ。だからと言って父親を恨んではいない。むしろ感謝している。男手一つでここまで育ててくれたのだ。カンネイが小さい時は、授業参観などは公務よりも優先してきてくれた。そのような父親を恨んでは罰が当たるというものだ。ギャロップのそんなことは十分わかっている。ギャロップはカンネイの考えを見透かしたように、何も言わずにその側に立っていた。
「はい、どなたですか?」
「おおっ、よかった。家にいたか。今ね、法先生が仕事で家に来ててさ、ちょっと話があるんだってさ。今、代わるな」
「ん、ああ……」
「もしもし、突然悪いね。りっくん、今、ちょっと時間いいかな?」
「えー、あー、今、ちょっと手の込んだ料理を作ってまして……。出来れば手短に」
「あ、じゃあ、火を使ってるんなら、止めておいた方が良いね。焦がしたりすると大変だから」
 その言葉で、話が長くなりそうなことは容易に想像がついた。しかし、長くなりそうな話とは一体何事だろうか? 
「シャワーズ、鍋が焦げないように見ててくれないか?」
「分かったわ」
 ちょうど、クリームソースを作っていたのである。目を離したりしたら焦げてしまう。
「で、話とは? 仕事関係なら父に電話した方が……」
「あ、いや。それはそれで、総裁から話をしてもらうから。で、実はね、この前、君のところに警察から電話があったでしょ?」
「はい」
「そのことなんだけどね、もし、直接会って話がしたいって言われたら、絶対に断ってっていうのと、君やその身内の方々に、出来れば一人で行動しないでほしいって言っておいてくれないかな?」
「はぁ、まあ、分かりました」
「あ、そうそう。あと、知らない人が来ても絶対に玄関のドアを開けて対応しないでね。必要な時は、インターホンを使って応対してね。あと、変わったことがあったら、連絡をくれないかな?」
「あ、はい。分かりました」
「ああ、あと、もう一つ。しょっかっちんって今どうしてるっけ?」
「恪先生なら、章武国に帰省していて当分帰って来ませんよ」
「あ、そーいやぁ、そうだった。私のところにもメールが来てたっけ。じゃあよろしく頼むよ」
「はぁ、分かりました」

 ◇◇◇

 変な連絡をよこすものだ。リクソンはそう思った。けれど、とても冗談を言っているようには聞こえなかった。もっとも、政治の世界なんて裏じゃ何をやっているかなど、一般市民に分かるはずがないのだ。ありとあらゆることが起こり得る世界なのだ。映画のようなことが起きたって不思議ではない。
「ねぇ、リクソン」
「クリームソースいい感じになっていたから、火を止めておいたわよ」
「あ、悪いな」
「さっきの電話って何だったの?」
「あー、これ、皆に言っておいた方が良いな。悪いけど、皆をリビングに集めてくれ」
「分かったわ、って言っても、もうすぐ御飯だから皆いるけどね」
「あ、ほんとだ」
 リクソンは7匹にも、一応話をしておくことにした。とはいえ、自分の身は自分で守れるだろうから、となると……。
「つまり、要約すると『君にも危険が及ぶ可能性があるよ』ってことだよね?」
 エーフィがそう言う。確かにその可能性があるから、身の周りに気を付けてくれよ、ということなのだろう。しかし、一人になるなと言われても、一人になりたい時だってあるのだ。
「家にいる時は、厳重に戸締りかな。後は、なるべく夜は出歩くのをやめよう。昼にできることは済ませておくかな」
「でも、手荒なことしないで、こっそり会おうとするのって、大事にしたくないっていうのもあるんじゃないかしら。そういうことしてる内は、まだ安心なんじゃない?」
「うーん、まぁ……。その通りかもしれないけど……」
 ブースターはリクソンの父親で、ハクゲングループというセイリュウ屈指の規模を誇る財閥の会長、シュウユの側にいた。お気に入りだったし、外見が可愛いので、いても特に邪魔にならない。取引先の客も興味を持ってくれて、そこから商談に持ち込むことも可能であったので、寧ろいてくれた方が良かったのだ。そんな存在であったブースターをリクソンのところへ行かせたのは、やはり心配だったのだろう。
「ブースターは親父の側で、いろんな理由でお金を持って近づいてくる人とかも見てるから、その可能性もあるけど……」
 当然、家と会社では防犯設備のレベルが格段に違う。会社なら不審者がやってきても、会社の警備員に見つかり、警察に突き出されるのがオチだ。しかし、家だとリクソンが玄関で応対しているときに、相手が豹変して、車に押し込まれたらその時点で、7匹がリクソンを自力で助け出すことはかなり難しくなる。とにかく、何らかの対策を講じないといけない。
「とりあえず、晩御飯食べながら考えよう、な?」
「そうね」
 
 ◇◇◇

 シュゼンはその頃、自宅で孝直から、例の話の報告を受けていた。
「その話、本当なのか?」
「はい。ですので、私や総裁のみならず、総裁の御子息やその友人たち、あるいはシュウユ会長に危険が及ぶ可能性があります」
「警察は何と?」
「捜査は続けるそうです。しかし、上から圧力をかけられているようで、核心の部分までなかなか踏み込めないのだそうです」
「持久戦だな」
「はい」
「この際だ。カンネイやギャロップたちにも今分かることすべてを話しておこう」
「お待ちください」
「エルレイド、何か異議でも?」
「このことをカンネイ様にお話ししたとして、カンネイ様はこの重大な事実を自分の胸だけに秘めておくことができるでしょうか? また、関係者の方にも必要以上に精神面での負担を強いることになります。やはり、全体像が見えてきたところでお話をするのがよろしいかと考えますが」
「しかし、もしこの事実を告げないで、先輩の御子息や関係者、カンネイに何かあったとして、実はこういうことがあったと言ったらどうかな? 何故もっと早く言ってくれなかった、こう言われるだろうということは予測できないかな?」
「はい、しかし……」
「彼らはもう子供ではない。今、分かっている全ての事実を話して、対策を講じてもらった方が得策だと思う。それと、このことは、国民党の中でも、私と法君、あとはカジュウ君だけで対処する。普段なら一致団結して事に当たるところだが、事情が事情なんだ、いたしかたない。くれぐれも情報が外に漏れないようにな」
「承知いたしました」
 シュゼンと孝直は、この後、自分たちが知っている全ての事実を話した。意外にもカンネイは一回肯いて「分かった」と言っただけだった。ギャロップも文句は言わなかった。ただ、こんなことを言ってきた。
「カンネイはオレが何とか守るからいいとして、他の人にも迷惑がかかるなんてことが無いように頼むぜ?」
「ああ」
 二人は部屋を出た。
「何だか、すんなり話を受け入れてもらえましたね」
「ふっ……」
「総裁?」
「ん? ああ、そうだな」
 最初の孝直の言葉に対し、シュゼンは何か言ったようだったが、ぼそぼそと話していたため、聞き取れなかった。
 一方、部屋にいるカンネイは、ギャロップに声をかけた。
「ギャロップ」
「ん?」
「頼むよ?」
「おう、任せとけ」
 やはり、予想はしていた。できれば、当たってほしくは無かったが……。
 
カンネイは部屋にいたギャロップに声をかけた。
「おい、これからどうする?」
「ん?」
「もう父さんのことだから、リクソンやその家族には何らかの形で伝えているに違いない。でも、万が一ってこともあるだろ?」
「そうだな、どうすっかな……」
 何かあってからでは遅いのだ。しかし、父親から聞いた話には「捜査中だからまだ何とも言えないが」という曖昧な部分がいくつかあった。用心しておくに越したことは無いが、用心のしすぎはかえって精神面に負担をかけることになる。今のところ、身の危険を感じたことは無いので、のんびり風呂にでも入ってこれからの対応策を練るか、カンネイはそう思った。

 ◇◇◇

 ここはラクヨウ某所。ここでこんな会話が交わされていた。
「もうちょっと、ちゃんとやって欲しいんだけどね」
「わかっているさ。しかし、上からの圧力もあってなかなか大っぴらに捜査できないんだ」
「犠牲者が出てからじゃ遅いんだよ?」
「そりゃ、分かるけど」
「下手したら君の首も危ないかもよ?」
「でも、こっちもより慎重に事を進めないといけないんだ。それは分かってくれよ」
「ああ」

 ◇◇◇

 さらに別の場所。
「ったく、何てこった。よりによって……。この責任、どうしてくれるのかね?」
「申し訳ございません」
「こっちもつてで何とかするから、そっちも何とかするんだ」
「はい」

 ◇◇◇

 カンネイが、シュゼンから話を聞かされて、3日後のこと、家に孝直がやってきて、どういう具合なのかを聞かせてくれたが、結局、この前と状況は変わっていないのだ。
「他に何か新しく分かったこととかないんですか?」
「そうは言ってもねぇ、私も何か手掛かりが欲しい、そうは思うんだが……」
「サツが一枚噛んでるんじゃないのか? そうじゃなかったら、何も進んでないなんておかしいだろ?」
 ギャロップの口調が乱暴になる。突然あんな話を聞かされて、何となく落ち着かない日々を送っているのだ。いい加減にしてくれよ、ギャロップは言葉にこそ出さなかったが、表情には出ていた。しかし、孝直も同じ立場の側なのだ。前大臣で現在は党の幹事長である。警察の現段階で分かっていること全てを信じるのならば、自分だって危ないのだ。普段は飄々としている孝直も、顔には説明してやれない無念さが滲み出ていた。
 廊下でギャロップがカンネイに言った。
「ったく、サツは何してるんだよ」
「おい、言葉が乱暴だぞ」
「オレらだけのことならまだいいぜ? リクソンさんやその家族に何かあったらどうすんだよ、責任取れねぇぜ? どうやってリクソンさんたちを守るかとか、肝心な話が一つも出てこなかったじゃねぇか」
「え? 今、何て言った? リクソンをどうするって?」
「守る?」
「それだ!」
 ギャロップにはカンネイが何を言いたいのかがよく分からなかった。一体、どうするつもりなのか。
「お、おい、どうするつもりだよ?」
「あいつをしばらくこの家に住まわせるんだよ。そうすれば、いちいち、リクソンのことを気遣わなくてもいいし、それに……」
「それに?」
「頼もしい仲間が増えるわけだからな」
「でも、リクソンさんがいいって言うのか?」
「三食個室付きだし、今回のことだから、これがベストな選択だって分かってくれるはずさ」
 考えてみれば、この屋敷の敷地内に入れば、ちょっとやそっとでは部外者は手出しできない。強硬手段に訴えれば、騒ぎになるし、そうすれば得体のしれない連中が自ら尻尾を見せることになるのだ。そうなれば、こちらの思うつぼというものである。それに、警戒を強めるためにいつもは5人の警備員を10人に増やしてある。そして屋敷の中には頼もしい仲間たちがいるなど、ちょっとした要塞である。
 リクソンの返事は最初は遠慮していたが、自分に被害が及べばそれはそれで、家族に迷惑をかけると考え、しばらくカンネイの家に居候することにした。食事の時は賑やかで、最初からこうしておけばよかったとカンネイは思った。どこかへ出かけるときは、ギャロップやリクソンの連れているポケモンを何匹か連れていけばいいのだ。しかし、リクソンが来て4日目の昼過ぎのことであった。リクソンの携帯電話に一本の連絡が入った。
「もしもし?」
「あ、リクソンか?」
「リクガイ兄ぃ、どうしたの? 今日は確か、会議でケンギョウに行く日だろ?」
「あ、その事なんだが……。叔父さんが病院に搬送されたから、すぐにケンギョウに来てくれ」
「え? 叔父さんどうしたの?」
「訳はこっちに来てから話す。それとも今忙しいか?」
「いや、別に……」
 よく分からないが、ケンギョウに行くことになってしまった。とりあえず、ブースターとシャワーズだけ連れて行くことにした。どうせ明日には帰って来られる、そう思っていたので、必要なものだけ、小さなカバンに入れてカンネイの屋敷を出た。ギャロップがラクヨウ中央駅まで背中に乗せてくれた。ケンギョウ行きの高速鉄道に乗った。何とか夕方には、ケンギョウに到着した。
 リクガイに言われた病院にタクシーで直行した。2匹は疲れているようだったので、ボールに入れておいた。
「何だよ。いきなり……」
「いきなり呼び出して悪かった。実は……」
◇◇◇

 翌日、リクソンは実家で朝食を取っていた。リビングの扉が開いて、シャワーズとブースターが入ってきた。
「リクソン、おはよう」
「ん、おはよう」
「ねぇ、ところで、代行はどうしたの?」
「ああ、実はね、おっと、誰にも言っちゃだめだぞ」
 ブースターはシュウユの仕事の側にいたことがあるせいか、名前ではなく役職で呼ぶ癖がついてしまった。シュウユは会長なので「会長」、その弟、シュウホウは会長代行という役職なので「代行」と呼んでいる。ただし、全員を役職で呼んでいるわけではない。リクソンの兄でラクヨウ支社長のリクガイは名前にさん付けで呼んでいる。役職で呼ぶのか名前で呼ぶのかの基準が、リクソンには分からなかったが今はそんなことはどうでもいい。

 ◇◇◇

 リクソンがケンギョウに来ることになってしまった日は、ハクゲングループの首脳陣が本社に集まって会議を行う予定だった。三カ月に一回開かれる定例会議なのだ。たまたま、シュウユの出張の時期と重なってしまったが、何かを決めるというよりも、支社の収支状況などを報告する、いわば報告会のようなものだ。重大なことを決めるわけではないので、シュウユがいなくても、会長代行のシュウホウがいればそれでよかった。
 会議の時間が近づいてきた。
「リクガイ、そろそろ時間だぜ?」
「そうだな、叔父さんを呼んでくるか」
 リクガイはニドキングに言われ、ちらりと腕時計を、見てから、会長室に向かった。ドアをノックする。
「叔父さん、そろそろだけど? 叔父さん?」
 返事が無い。居眠りでもしてしまったのだろうか? 
「おい、代行の呻き声が聞こえるぞ」
 ニドキングがそんなことを言う。昼食の時間帯なので、食事中に何かを喉に詰まらせたのか? けれど、リクガイにはその声は聞こえなかった。会長室のドアが厚いため、微かな音は廊下にまで漏れてこないのだ。
「ドア、開けるぞ」
 ニドキングが、ポケモンでも回しやすいように改良されたドアノブに手をかけて、ドアを押す。が、ドアは開かない。
「あ、このドアは」
「しょーがねぇ、こうなったら、ブチ破る!」
「こら! 最後まで人の話を……」
 ニドキングはドアをぶち壊して、中に入った。ちなみにこの時カギはかかっていなかった。このドアは引いて開けるタイプのものであるため、押してもドアは開かないのだ。無残にドアは破壊されてしまった。シュウホウは机に突っ伏していた。
「叔父さん?」
 机の上には、お中元のコーヒーの詰め合わせと、コーヒーカップが倒れて、コーヒーが机の上にこぼれていた。
「う……ぅ……、あ……」
 シュウホウは何かを言おうとしているが、言葉になっておらず、何と言っているのかリクガイには聞き取れなかった。体の自由が効かないのか、自力で歩くことすらできず、絨毯の上に倒れてしまった。
 救急車で、シュウホウはケンギョウの大学病院へ搬送された。会議は中止となった。シュウユも出張の日程を中断して、ケンギョウへ戻ってきたが、命に別条は無いと知ると、ほっとした表情で、空港近くのホテルへと向かっていった。自宅に泊まろうかとも思ったが、それほど長い時間滞在できるわけではないので、自宅には戻らなかったのだ。

 ◇◇◇

「……というわけさ」
「でも、命に別条は無いんでしょ? 良かったじゃない」
 シャワーズが言う。しかし、リクソンはその言葉に相槌を打たなかった。
「けどな、叔父さんの血液中から痺れ薬と同じ成分が検出されたんだとさ」
「え? 痺れ薬ってポケモンの技の?」
「ああ」
「何で、そんなのが?」
「何でかは分からないけど、普通に生活してればそんなものとは無縁だし、痺れ薬を使えるポケモンを叔父さんが持っていないとすると……」
「え、じゃあ、まさか」
「ああ、毒を盛られた可能性が高い」
「何で、誰に?」
「そんなこと、オレに分かるはずがないだろ」
 やや不機嫌な口調でリクソンが言った。

◇◇◇

 その日、リクガイが実家にやってきてこんなことを言った。
「リクソン、お前何か、これから先、予定とか入れているのか?」
「いや、特にないけど?」
「じゃあ、丁度良い。お前、10日くらいこの家にいろ」
「え? どうして?」
「どうしてって、今、使用人たちは全員長期休暇中でいないだろ?」
「おばちゃんがいるじゃん」
「人間じゃないと、いろいろと不都合なこともあるんだ。新聞の集金の応対とかだな。それにこの広い家の掃除をおばちゃんだけにやらせるつもりか?」
「わかったよ、じゃあ10日な。それ以上経ったらラクヨウに戻る」
「おお、助かる。明後日からラクヨウで会議やら何やらで立て込んでいるからな。まあ、それが終われば少しは休みがもらえるがな」
(まあ、ガルーラおばちゃんなら気を遣わないからいいや。どうせ来客もないだろうし……)
 しかし、ラクヨウには当分戻れないので、その旨は伝えておくことにした。エーフィたちを残しておいてあるから、何らかの力にはなるだろう。不安が全くないわけではないが、あの家を襲えばすぐに問題が表面化するのは目に見えている。何者かは知らないが、密かにカンネイに接触を図ろうとしている奴が強硬手段を取るようには、リクソンには思えなかった。要はカンネイが一人で出歩かなければいいことなのだ。
「うーん、それにしても、叔父さんの具合が気になる。そうだ、明日、果物でも買ってお見舞いに行くか」
「さんせーい」
 リクソンは身内が入院したので、そちらの方が気がかりだった。ガルーラおばちゃんの作った晩御飯を食べ、明日はお見舞いの前に部屋の掃除でもするか、などと考えていた。今のリクソンにはカンネイのことは頭になかった。

 ◇◇◇

 シュウホウが病院に運ばれ、しかも、毒を盛られた疑いがあるとの知らせは、シュゼンの屋敷にいるエーフィたちのところにも届いた。
 最初に知らせに接したエーフィが、滞在している部屋で皆に言った。
「さっきリクソンから電話があって、リクソンの叔父さんが倒れて、病院に運ばれたらしいけど、毒を盛られた疑いがあるって言ってた」
「それ、ほんとかよ?」
「そんな嘘をリクソンが言うと思う? ああ、それと、絶対に他人には話すなって。でも、会長とシュゼンさんには伝わってるらしいけどね」
「まあ、そりゃあ、そうだろうな」
 やはり、シュゼンもその知らせに接していた。命に別条がないということで一応はホッとしていたが、部下で下院議員のカジュウに自分の代理で見舞いに行くようにということと、いくつか他にも指示を出した。
「総裁」
「おお、エルレイド」
「シュウホウ様が、病院に運ばれたそうですが」
「そのことなら聞き及んでいる。リクソン君によると、毒を盛られた疑いがあるそうだ。まあ、命に別条はないようだが」
「どうも、カンネイ様を付け狙っている不審な輩がいることと無関係ではないように思えるのですが」
「ああ、私もそう思うよ。それに、ラクヨウの警察連中の捜査が進まないとなると、その目星は付いている。が、まだ一人には絞り込めんな」
「それと、カジュウ様がケンギョウに向かうとのことですが」
「うん、さっき指示を出した。他にやってもらいたいこともあるしね。しばらくは向こうに留まると思う」
「このことは、公には明らかになっているのでしょうか?」
「どうだろう、なっていたとしても命に別条はないから、扱いは小さいのではないかと思うのだが」
 カンネイたちはリビングで、ニュースを見ていた。シュゼンは仕事のため出かけていったが、ギャロップやエルレイドが一緒なので、襲われることは無いだろう。首相の在任中、警護の人員を減らしていたのは誰も知っているが、ポケモンが側にいることが多かったので、誰も何も言わなかった。むしろ危ないのは犯人の方では、とまで言われるようになった。
 丁度スポーツ関係のニュースが放映されているところだった。
「ゲンギョウ国際空港に到着した、スペイン系アメリカ人レスラー、コキリ=デ=ヘイヘイホー選手は、16時間の長旅を終え、今夜はホテルでゆっくりと休み、5日後にライバルのトルネード=ツイスト選手との対戦に臨みます」
 次が社会関係のニュースだった。やるとすればここの可能性が高い。
「日本国で指名手配中の、凶悪犯、輪累奴駄造がセイリュウ国に潜伏している可能性が高いとして、日本警察はセイリュウ警察に対し捜査の協力の要請をしました。この要請に対し、政府ならびにセイリュウ警察は要請を受け入れ、犯人逮捕に全力を挙げる意向を示しています」
「あれ? 法先生だ」
 カンネイが画面の中に孝直の姿を見つけた。どうやら記者の質問に答えているようだ。
「幹事長! 今回の捜査要請受け入れの件に関して、一言」
「野党としても、早期逮捕のため、全面的に協力するつもりであります」
「法先生って、何だか、大学にいる時とは別人ですね。心なしか顔つきが精悍になったように見えます」
 リーフィアがそんなことを言った。ちなみにシュウホウが病院に運ばれたことに関するニュースはやっていなかった。きっと、公になっていないのか、それともニュースにする必要が無いと、判断したのかは分からない。けれど、少なくともそれほど扱いが大きくないことは分かった。
「もう、今夜遅いから寝ましょう」
 と、グレイシアが言い、5匹は部屋に戻って、朝までゆっくりと体を休めた。

◇◇◇

 その次の日のこと、ケンギョウの実家にいるリクソンのもとに父親から電話があった。
「ぼっちゃん、おとーさんからよ」
「あ、おばちゃん、今行く」
 ガルーラおばちゃんから、電話を受け取るリクソン。
「もしもし?」
「おお、リクソンか? 実はだな、やっぱりシュウホウのことが心配なんでな、出張を切り上げて、セイリュウに帰ることにした。それで、シュウホウの体調がもとに戻ったら、今度は奴に行かせる。私より語学が堪能だからな。ところで、シュウホウの具合は?」
「今日、もう一回行ってみるつもりだけど、でも医者の方からは、痺れ薬の成分が体から抜けるまで少し時間がかかるらしいぞ?」
「まぁ、何か変わったことがあったら連絡をくれ」
「ほいほい、じゃあ切るぞ」
 リクソンは受話器を置いた。しかし一体、わざわざどうしてこんな連絡をよこしたのだろうか? 別に出張の予定を途中で切り上げるのならば、それはそれで、リクソンに連絡をするほどのことではない。
「ぼっちゃん」
「あ、何? おばちゃん」
「朝ご飯できたわよ?」
「あ、うん」
 誰かが朝御飯を作ってくれるなんて一体何日振りだろう、リクソンはそんなことを考えながら、食卓に着いた。炒り卵にケチャップをかけて、それを口に運ぶ。食事の時くらい考え事などしたくないのだが、どうしても考え事をしてしまう。
「ねぇ、リクソン」
「ん、何だ。シャワーズ」
「今日はこれからどうするの?」
「とりあえず、叔父さんのお見舞いだな。でも……」
「でも、どうしたの?」
「カンネイたちのことが気になる。警察の捜査は進んでいるのかなぁ」
「そういうのってね、慎重にならないといけないから、分かってても発表しないことも多いのよ」
 やはり、ブースターは情報を発表する側の方の世界をよく知っている。実際そうなのだが、じれったい。しかし、リクソンにはもう一つの可能性もあるのではないか、そう思えてならなかった。
「なぁ、ブースター?」
「え?」
「ブースターって割と長く親父の側にいたよね」
「それがどうかしたの?」
「例えば、だよ? 会議で決定したことを親父の一声でボツにするのってできるかな?」
「できるでしょ、会長はそういうことする人じゃないけどね」
「そりゃあ、分かってるよ」
 つまり、どんな社会にも上下関係はある。もしかすると、野生のポケモンの群れにだってそういうものはあるかもしれない。上の立場だから偉そうにしているとか、ふんぞり返っているというのはもはやテレビドラマの中だけの世界だ。けれど、実際権力が強いのは確かだ。もっともその分、自分が負う責任は重いものになっていくのだが。権力の関係だけで見ると、下のやることに上が待ったをかけることもできる。と、すると……。
「リクソン、食べないの?」
「あ、いや。食べる」
 リクソンはどうも、昔から同時に二つのことができない。食事の時に会話をしていると、話す方に夢中になってしまい、手が止まってしまう。
「あ、そうだ、シャワーズ。もし、オレの7匹の中でランクを付けるとしてだな、自分より上にいてもいいと思うポケモンは?」
「そんなの、考えたこと無いわ。皆、おんなじ立場じゃない」
「だから『もし』といっているだろ?」
「じゃあ、グレイシアさんかしら。7匹の中で一番年上だし、頭もいいし」
「じゃあ、サンダースよりもランクが下になったら」
「絶対、イヤ! なんでわたしがあんなのより。百歩譲ってもおんなじでしょ?」
「じゃあ、サンダースから偉そうに何か命令されたら?」
「ぶっ飛ばす」
「あ、そう……」
 何だか「ぶっ飛ばす」のところだけ、仏頂面になっていたように見えたので、案外本当にそう思っているのかもしれない。しかし、そうは言っても、いつもは仲の良い7匹なのだ。お互い協力して、自分たちのことはほとんどやってくれているので、リクソン自身はそれほど面倒が大変とは思っていない。もちろん慣れていないと大変だろうが、今大変なのは食事の世話くらいのものだ。
 南国のケンギョウは北国のラクヨウ以上に暑い。今日も夏の日差しがさんさんと照りつけている。空は青く雲もないので、日光を遮るものは無い。大通り沿いに植えられている街路樹の緑もラクヨウ以上に濃い。昼を過ぎると、暑さのため、何をするのにも億劫になってくるので、用事は午前中に済ませ、午後は夕方になるまで、冷房の効いた自室でゆっくりするか、あるいは、同じく冷房の効いた喫茶店でコーヒーでもすすりながら読書としゃれこむのも悪くない。どちらにせよ、午後どうするかは午前中の用事を済ませてからにしよう、と、リクソンは考えた。 
 食事を済ませ、ミルクを飲みながら、新聞に目を通していると、来客を告げるベルが鳴った。ガルーラおばちゃんがインターフォンを使って応対する。出ていくのが面倒ということもあるし、もしかすると悪い人の可能性もある。ガルーラなど、野生では滅多に見つからないので、出て行って、捕まったらそれこそ一大事だ。外国に売り飛ばされるかもしれないし、莫大な身代金を要求されるかもしれない。シュウユは家の使用人、ポケモンに対し「来客の応対は必ずインターフォンを使ってすること」きつく命令しているのだ。台所には、それを裏付ける張り紙があり「来客の応対は必ずインターフォンを使ってすること」と書いてある。
 ブースターのような四足歩行のポケモンがインターフォンまで届かないことを考慮して、ちゃんとインターフォンの真下に階段状の踏み台が置いてあった。
「ぼっちゃんお客さんよ。カジュウ議員の使いの者だって」
「あ~、わかった。じゃあ、玄関に行くから」
「ところで、カジュウ議員って誰? ぼっちゃんの知り合い?」
「うん。友達のお父さんの部下。で、前外務大臣で今は下院議員、国民党の下院選挙対策委員長。というか、この辺の人だけど?」
「あら~、そんなお偉いさんと知り合いになってたなんて」
「多分、この家にも来たことあると思うけど」
「だって、会長っていろんな人をここに連れてくるから……。きっと顔は見たことあると思うけど、名前まではねぇ」
 確かに、いちいち、ハウスキーパーにまで自己紹介はしないだろう。テレビにも結構出ていたが「前」とはいえ、今の内閣になってからは、結構時間がたつので、忘れてしまうのも無理はないだろう。
「あんまり待たせると悪いからさ、応対してくるよ」
 しかし、リクソンは考えた。今日は誰かが訪ねてくる約束はしていないはずだけどなあ。しかも、ケンギョウにいくことはカジュウは知っているだろうけれど、一体、何の用だろう?
「リクソンさん、待って。私が応対するわ」
「え、ブースターが?」
「うん。カジュウ議員なら会ったことがあるから、私のこと知ってると思うし」
「あ、でも、一応ついてこうか? ブースターに何かあったら、親父の雷が落ちるどころじゃ済まないから」
 ブースターは、シュウユが特に可愛がっていたポケモンである。他にもブースターならいたのだが、リクソンが今連れているブースターは、ここに来る前の境遇があまりにもひどいもので、それに心を痛めたシュウユが自分の子供のように育てたのである。他のポケモンは家で留守番させても、このブースターだけは会社へ連れていった。また、こっそりレストランで美味しいものを食べさせたこともあった。それだけ、特別待遇だったのだ。
「大丈夫よ、会長の心配性にも困ったものだわ」
 乳白色の尻尾をふりふり、玄関の扉を開けた。堅牢な作りの扉の向こうには、ドンカラスがいた。
「あ、カジュウ議員のドンカラス。何か用?」
「しばらくだな。今日は、カジュウからの伝言を預かってきた」
「伝書カラスね。そんなことするくらいなら、メールにすればいいのに」
「あ、いや。カジュウの奴、リクソン君のメアドが分からんって言うもんだから、こうして」
 翼の羽毛から一通の封筒を取り出して、ブースターに渡した。
 それにしても『メアド』とは、随分人間の世界になじんでいるものだと、物陰からそっと様子を窺っていたリクソンは思った。もっとも、人間の手持ちならばそうならない方が圧倒的に少ない。野生ポケモンからすればもはや別世界だろう。だから、野生のポケモンにとっては自分たちとは住む世界が違いすぎるので、人間がどうとかいう感情は普通はないのだそうだ。よく分からないので、屈折した感情は起きにくいとされているのだ。
「何か、飲んでく?」
「あ、じゃあ水をくれ。こんな羽毛だと暑くてかなわない」
 家に上がってきて、リクソンを見てこう言った。
「リクソン君、元気か」
「あ、おかげさまで」
 まるっきり立場が逆だ。リクソンの方が年下なので、仕方ないといえば仕方ないのだが。一度、年齢を聞いたことがあるのだが、それによると、リクガイの1つ年下ということだった。鳥ポケモンは普段は群れで暮らす習性のため「ランク付け」を自己の本能でしてしまうのだ。もちろん本能なので、矯正はほぼ不可能だ。人間の手持ちになっても同じことだ。基本的に年齢の上下で決めるらしいのだが、詳しいことは研究が進んでいないので分からないのだそうだ。だから、シャワーズと視線があった時も「よっ、久しぶり」である。シャワーズは頭を下げて「こんにちは」とだけ言った。
 シャワーズは、相手に悪気が無いとはいえ、頻繁に顔を合わせているわけでもないのに、勝手にランク付けされているのが、内心、気に食わなかった。むろん、だからといってオーロラビームをお見舞い、という暴挙に出たことはない。分かっているとはいえ、何となく嫌なものは嫌なのだ。普段は顔を合わせないので、それはそれと割り切っているのだ。水をごくごくと飲み干したドンカラスは、カジュウのところへ帰っていった。
 リクソンは渡された封筒の封を切って、中の手紙を読み始めた。
「んーと、なになに……」
 

 ◇◇◇

 ラクヨウのシュゼン邸でも、朝食が出され、それを皆で食べていた。前法務大臣で党幹事長の孝直は、最近はシュゼン邸に寝泊まりすることが多くなった。孝直の自宅はラクヨウ市内なので、国会への出席が難儀なわけではないが、報告がすぐにできることと、こちらの方が安全という理由から、シュゼンに頼んでしばらく滞在させてもらっているのだ。いつもは仕事が忙しいので、孝直とシュゼンがゆっくり話をする機会が無いのだが、たまたま今日は午前中は何もないため、その心配はない。
「法君、一応だけど、今どんな感じ?」
 朝食のクロワッサンをかじり、コーヒーをすすっているシュゼンが尋ねた。
「まあ、こうなるだろうとは予測していたんですが……」
「むぅ、やはり?」
「はい、もはやラクヨウ警察には期待できませんね。捜査をすると言っても、上からの圧力で遅遅として進んでいませんし。私の知り合いに捜査をさっさとするように強く求めたんですけど、やはりダメみたいで」
「カジュウ君がどういう働きをしてくれるかだが……」
「はい。ですが、これで、事件の黒幕の見当はかなり絞り込めました」
「だが、彼奴らが強硬手段に出る可能性もあるな。所詮、ラクヨウの外なら何の権限もないわけだから、当然そこからの切り崩しがあるとすれば……」
「ええ、恐らく何らかの行動に出るでしょう」
 その場にいた誰もが、その話を聞いていた。
「要は、警察は役に立たないってこったろ?」
 ギャロップがそんなことを言った。ギャロップは警察の捜査がなかなか進まないことにイライラしていた。おまけにここ数日誰かがつけているそうな気がしてならない。振り切っても、家を覚えられてしまっているとすると、恐らくどこかで見張っている可能性が高い。
 すると、孝直はふぅ、と息を吐き出して言った。
「じゃあ、もう言ってしまおうか? これはあくまで仮説なんだけど。仮説って言っても、恐らくこれが真実だと思う」
「ん?」
「今回の黒幕に、警察内部に協力者がいる。そして、その協力している奴というのが……。今のラクヨウ中央警察庁の長官、と考えられる」
「えっ!?」
「嘘ぉ!?」
「マジかよ!?」
 その場にいた全員がそのような反応を示した。当然、報道されていないことである。
「エルレイドさんは知っていたんですか?」
 リーフィアが聞くが、エルレイドは返事に詰まっていた。
「どうなんだよ、知っていたのか?」
 ギャロップが詰め寄ると、ようやく口を開いた。
「申し訳ありません。実は昨日の夜、孝直様本人から聞きました。ですが『これで間違いないと思うが、万一ってこともあるから他言しないでくれ』そう言われましたので……」
「まぁ、あんまり責めないでやってくれ。私ももっと早くこの結論に行き着くべきだったんだ。しかし、どうしても信じられなかったのでね。まさか、長官が圧力をかけて捜査の妨害をしていたとはね」
 孝直の警察関係者の友人の一人が、ラクヨウ中央警察庁の次官で、孝直は度々この人物に会って、捜査の進捗状況を聞いていたのである。普通ならそんなことは絶対にできないだろうがお互いの信頼関係が強固だからこそできるのだ。さらに、自分や上司、その子息に被害が及ぶ危険もあったという状況が、その事をさらに有利にした。
「次官の言う上っていうのは『長官』か『国会議員』くらいなものだよ。正直なところ、もうこれ以上のラクヨウ警察の捜査は無理だね。これ以上は知り合いが左遷されたりする可能性もある。彼にも幸せな家庭があるんだ。それを……ね」
 孝直は言葉を飲み込んで、ぼかした。それは、孝直のみならず、知り合いの幸せのことを考えれば、当然の気持ちだろう。私情は捨てるべきだろうが、他人からの指示で、捨てさせることなどとてもできなかった。
「ん? てことは、法先生が、裏で警察に指示を出したことも?」
「うん、恐らくばれたな。だから、カジュウ君に命じて、知り合いが多くいるケンギョウの警察を動かして、切り崩しを図って、何とか犯人一味を逮捕したい」
「いや、でも、ケンギョウの警察が、ラクヨウで捜査することなんてできるのか?」
 ギャロップが言う。確かにその通りだが、今回は事情が少しばかり特殊だった。
「先日のシュウホウ氏の一件、誰かの恨みを買っていなかったかどうか、ラクヨウのリクガイ氏に話を聞きに行くことは確実だ。その時に少々探りを入れてもらおうと思う。ケンギョウ警察をどうこうする権限はラクヨウ中央警察庁には無いからね。とすると、焦った相手は必ず動き出す。この時に一気に勝負をつける」
 食事が終わり、グレイシアたちは部屋へ戻った。
その日の午後、シュゼンは剣術道場へ出かけていった。体を鍛えているためか、56歳の割には体格が良い。もともとスポーツをしていたこともあるが、やはり激務の間を縫って自己を鍛えているというのが一番の要因であろう。その日の夕方、シュゼンから電話があった。
「あれ、稽古の途中じゃなかったのか?」
「今日持っていくはずのお茶菓子を忘れたから、ギャロップに言って、道場まで届けさせてくれ。道場の場所は知っているだろう?」
「はいはい、分かったよ。ところで晩飯は?」
「ああ、家で食べる。少し遅くなると思うが」
 カンネイはギャロップにまたがって家を出た。別にギャロップだけに行かせても良かったのだが、暇だったのだ。事情が事情なだけに今は不要不急の外出はできない。カンネイとしては、早くいつもの生活に戻りたかった。しばらくして、ギャロップがこんなことを言う。
「誰が後をつけてるみたいだぜ?」
「じゃあ『あれ』やるか」
「そうだな久しぶりにやるか、手綱を放すなよ?」
 ギャロップは少しスピードを上げ、路地に入り、さらにいつもとは違う道を通り、角を曲がって行き止まりの道に入る。その先は道路と敷地を隔てる塀が行く手を阻む。普通ならこのようなところ、通れるはずがない。しかし、ギャロップは身軽な動きで、塀に前脚をかけ、それを踏み台のようにして、敷地内の家の2階の屋根に登った。そして、さっと道路に飛び降りた。絶対に人間にはできない芸当である。
「ちょっと下手になったな。今度家で練習しないとな」
 ギャロップはそう言うが、カンネイにはそのようには感じられなかった。とにかく、何かあれば力になってくれる頼もしいやつなのだ。
 道場に着き、お使いを済ませたカンネイは家に戻ることにした。その時には、もう西に日が傾きかけていた。
「無駄に遠回りしすぎたかな」
「そうだな、もう飯の準備とかしてるだろうから、急ぐか」
 その頃、シュゼン邸では、夕御飯の準備が進められていた。台所では料理人たちがせっせとメインディッシュの下ごしらえをしている。料理人は、シュゼンが雇ったわけではなく、先輩であり、ハクゲングループ会長のシュウユが、気を遣って、月に何回か社員食堂で働いている料理人を家に派遣してくれているのだ。家族が揃って食事をする機会などあまり無く、作るのも面倒なので出前をとったり、買って来てしまうことが多かったが、それを聞いたシュウユがたまには栄養バランスの取れた食事をしろということで、このような形になったのだ。
 廊下に、肉料理にかけるデミグラスソースの匂いが漏れてくる。なんとも食欲をそそる匂いで、嗅ぐだけでいっそうおなかが減ってしまう。
「あ~、腹減ったなぁ……」
「あ、そうそう。サンダース」
「ん? 何だよ、エーフィ?」
「リクソンからの伝言で『サンダースとブラッキーがはしたない真似をしないように見張っててくれ』って言われてるから」
「んなこたぁ、分かってる。曲がりなりにもオレだって、会長に礼儀がどうとか叩き込まれたからな」
 シュウユは礼儀に関してはとても厳しかった。最近はあまり言わないが、リクソンが実家から連れてきた4匹は、進化前、すなわち小さい頃から、そういったことを叩き込まれてきた。とはいえ、特殊なことを要求したわけではない。
「会長ってそんなに厳しかったんですか?」
 リーフィアが聞いた。
「ああ。つっても、挨拶はちゃんとしろとか、そういうことだけどな」
「挨拶、ですか? 何か当たり前のような気が」
「だって、そういうしつけを受けたのって、オレらが小さい頃だからな。例えば『こんちはとは何だ、こんにちはだろ』とか『挨拶をするときはきちんと頭を下げる、相手に敬意を払う』とかな。実家にお偉いさんが来ることとかあったから、必要なことではあったんだろうな。今も抜けてないぜ? だから、今は実家に帰っても何も言われないな」
 滞在している部屋でテレビを見たり、毛づくろいをするなどして時間を潰す。
 しばらくして、ドアをノックする音がして、ドアが開く。
「御飯できたってさ」
 この家に滞在している孝直が呼びに来た。孝直自身、例の一件以来、身の危険を感じて、この屋敷に避難しているのだ。自分の家もラクヨウ郊外にあるのだが、そこにいては妻子に危険が及ぶと考えていたのだ。今回の事件の黒幕が誰であるかは見当がついていたが、そうやすやすと手の出せる人物ではない。一国の上院議員が手を出しづらい人物ならば、かなりの力を持った人物であり、その力でもって実力行使に出ることは十分に考えられたからだ。しかし、この家の中にいれば、そう簡単に中に侵入はできない。相手が攻撃してくるのならば、こちらは反撃し、一気に片をつける算段だった。
「あれ、カンネイ君はまだ帰ってきてないのかな? まぁ、もうすぐ帰ってくると思うけど、せっかくの料理が冷めてしまうなぁ」
 テーブルに着いた孝直が言う。飲み物と料理が運ばれてくる。皿の上にはデミグラスソースのかかったハンバーグと、付け合せのポテトとブロッコリーが乗っていた。おいしそうな料理が目の前に置かれ、自然とよだれが出そうになる。
 そんな時、何故か来客を告げるベルが鳴った。
「お? カンネイさん、帰ってきたか?」
「でもねぇサン君、自分の家に入るのにわざわざそんなことするかしら?」
「……だよな?」
 グレイシアが言うのももっともだった。普通自分の家に入るのに、わざわざそんなことはしない。
「家の鍵を忘れて、中に入れないから、開けてくれって言うことなのかもしれないぞ?」
「いえ、それなら、警備員に言えば家の鍵は開けてもらえると思いますが……。全員合い鍵を持っていますので」
「僕、ちょっと見てくるよ。何か嫌な予感がする」
 エーフィが玄関のほうへ歩いていった。
「あ、待って私も」
「お姉ちゃんが行くなら私も」
 エーフィの後について、グレイシアとリーフィアが玄関の方へ行った。
 玄関の扉を見ると、鍵はかかっていなかった。といっても、引き戸なので、外からは押しても扉は開かないようになっている。そっと、扉を開けて外の様子を窺う。
「カンネイさん? って、こ、これは……?」
「どうしましたー?」
「どうしたの?」
 後からぱたぱたとグレイシアとリーフィアがやってきた。

 ◇◇◇

 自分の家の側まで来たので、カンネイはギャロップの背中から降りて、歩いて家に向かっていた。別に今日に限ったことではなく、いつもそうしているのだ。十数メートル先に家が見える。敷地を塀で囲まれているこの住宅街の中でもひときわ立派な家だ。
 ここまで、来たところで、ギャロップが脚を止める。
「ん? どうした?」
 不審に思ったカンネイが聞く。
「……。いいか? 絶対にむやみに動くなよ? 大ジャンプで一気に塀を越えて敷地の中に入るからな」
「えっ? って、おい!」
 カンネイが訳を聞く前に、ギャロップはカンネイの着ているシャツの襟をくわえると、少し助走をつけて、自慢の脚力で、大きく飛び跳ねた。地面が遠くなり、途端に視界が広くなる。
「何で、いきなり、こんな?」
「わふぇはあふぉへはなふ」
「……」
 何と言いたいかはカンネイには分かった。きっと何か理由があってのことに違いない。と、いきなり、地面が近くなったような気がした。そして、すぐにカンネイの体は宙を舞い、庭の芝生の上に落下した。どうやら、さっきの大ジャンプの時、距離を見誤ったのか、後ろ脚が塀に引っかかってしまったのだ。幸いカンネイには怪我は無かった。
「痛たたた、何やってんだよ、ヘタクソ」
「いや、今のはオレじゃなくて……」
「?」
「おい、庭に誰かいるぞ、気をつけろ!」
「え? いや、誰も……」
 ここで、カンネイは何かがおかしいことに気づいた。そういえば、さっき門のところに警備員が誰もいなかったような……。といっても、一日中張り付いているわけではなく、4グループが交代で屋敷の警備に当たっている。そして、交代のときは屋敷の中で引継ぎや打ち合わせを行うため、どうしても、10分ほどは誰もいない時間ができてしまう。しかし、きちんと防犯カメラがついているので全くの無防備ではない。それに敷地に不審者が侵入すれば、警報装置も作動するようになっている。
 だから、最初は変だとは思わなかったが、4交代で一日6時間ずつで、午前零時より6時間ずつの区切りになっているので、引継ぎのために持ち場を離れるとすれば、午後6時前後のはずだ。しかし、今はもう7時を回っている。引継ぎのためとはいえ時間がかかりすぎではないか?
「はいはい、失礼ですが」
「? 何、お前?」
 カンネイは痛むひじをさすりながら、そいつに言った。
「見ての通り、ラフレシアです」
「何で、他人様の家に入り込んでいるのかって聞いているんだよ」
「えーっとですね、ご依頼を受けて参りました。まぁ、誰からとは申し上げられませんが。カンネイ=ギホウ様をお連れすれば、成功報酬として、1000万ルフィア戴けることになっています。すでに前金としての100万ルフィアは戴きましたが、私たちにも生活がかかっておりますので」
「……嫌だといったら?」
「それならば仕方ありません。力ずくでも来て頂きます」
 そのラフレシアの丁寧な物言いに逆に恐怖を覚えた。とても嘘を言っているようには思えなかったからだ。
「あ、それと一つ。入り口のところに転がっているギャロップですが、先ほど毒を仕込んでおきましたので。すぐに血清を打てば、命に別状は無いと思いますがね。では皆さん。やっちゃってください。あ、くれぐれも怪我をさせないように」
 物陰や、庭の植え込みの影から、続々と草タイプのポケモンが出てきた。10匹はいるだろうか。その中の1匹のツタージャが飛び掛ってきた。このような極限状態になると、理性というものはほとんど働かない。働くとすれば本能である。こういう時、普通の人間なら、逃げる。ツタージャをかわした後、全力で表門のほうへ走って逃げようとした。ドアを開けようとも思ったが、ドアを開けている最中に捕まるような気がしたのだ。ツタージャはそのまま、ドアの横にある、インターホンに顔から突っ込んだ。
 全力で走ったが、足元に何かが絡みついた。
「な、何?」
 靴が脱げたが、そんなものまた買えばいい。片方の靴が脱げたおかげで、一時、足は解放された。が、数メートル走った、ところで、またも何かが足に絡みついた。
「植物の蔓? あ、あれ、千切れないぞ?」
「手をどけろ、焼き切ってやるから」
 ギャロップは、立ち上がると、炎で蔓を焼き切ってくれた。
「動いて大丈夫か?」
「いや、動いたら毒が全身に回ってかなりまずい状態になるけどな、そうも言ってらんないだろ」
 そんな時、玄関のドアが開いた。
「カンネイさーん!」
「リクソンのエーフィ! 危ないぞ、下手をすると毒を」
 エーフィは、多数の草ポケモンと対峙していた。しかし、幸いなことに多くの草タイプは毒タイプでもあるので、毒さえ食らわなければ何とかなる。そう踏んでいた。あと、数が多いほうが好都合だった。
 エーフィは自分の体内にためていた力を解放していった。エーフィの放つ天蚕糸に一度かかれば、技を解かない限りは、体の自由を奪われなすがままになる。つまり、操り人形と同じである。無理に動こうとすれば、関節が外れるだけだ。サイコキネシスで、5匹のポケモンを飛び石にたたきつけた。
「ぐうっ」
「うぐう」
 ツタージャやフシギソウの呻き声が聞こえる。よく見ると、飛び石に血糊がついている。恐らく相当強い力でたたきつけたのだろう。
「おっと、僕には変な小細工はお見通しだからね、無駄なことはしないことだね」
 痺れ粉や毒の粉を超能力で弾き返しながら言った。ドアが開いて、グレイシアとリーフィアが出てきた。
「フィー君、大丈夫?」
「あ、グレイシアさん。11匹のうち、2匹は重傷を負わせたから」
「じゃあ、後は私に任せて。一気に決めちゃうから」
「あ、お姉ちゃん。じゃあ、私、家の中に入ってるわね」
 グレイシアは精神を集中させると、吹雪を放った。この技は威力が強いうえ、技の効果が広範囲に及ぶため、普段は使わないのだという。草タイプにはかなりの効果があったようで、氷漬けにされたり、凍傷を負ったりしている。いずれにしても、もはや反撃できる力は残っていないだろう。
「……。甘く見てました。一時撤退としましょう」
「待ちなさい!」
 ラフレシアは、花びらの舞を使った。飛んでくる花びらを落とすので、時間を食い、取り逃がしてしまった。

 ◇◇◇

「表が騒がしいが、これは、もしかすると……」
 何だか、不安に思ったエルレイドは裏門のほうへ行ってみることにした。この屋敷には玄関の他に裏口があるのだ。
「あれ、エルレイドさん。どこに?」
「あ、いえ。もしかすると、表で騒ぎを起こしている間に、裏口からこの屋敷に侵入する気ではと思いまして」
「あ、じゃあ、ブラッキー、オレらも行くか」
「そうだな」
 裏口のほうへ行くと、幸い、ドアは開いていなかった。が、外に出ると、屋敷を警備している警備員が全員倒れていた。
「えっ、こいつら、まさか死んでるんじゃ……」
「あ、いえ、見たところ眠らされているようですよ。20人なんで、引継ぎの時間の前後にやられたんでしょう。そして、どうやらこの近くに曲者がいるようです」
「ん、あの木が怪しいな」
 裏口の近く、敷地の片隅に1本の木が植えられていた。
「炙り出すか」
 サンダースが電磁波を放つ。いきなり雷を落とそうかとも思ったが、人の家の植木にいきなりそんなことをするのはためらわれた。しかし、反応はなかった。
「……どうやら、感づかれたようですね。こっそり裏口から侵入する予定だったが、表で苦戦し、ほとんど全滅したので、逃げたのでしょう」
 エルレイドたちは、屋敷の中に戻った。

 ◇◇◇

 この後、すぐにギャロップは病院で手当てを受けることになった。幸い、命に別状はないという。カンネイは植物の蔓が足に絡みつき、そこがあざになってしまっていた。が、あの状況だと、アザですんだのは不幸中の幸いといえるだろう。
「大丈夫だった?」
「ええ、リクソンのエーフィたちが助けてくれたんです。ところで、どうもあの一団、誰かに雇われたようです」
「何だって!?」
「襲ってきたラフレシアが言ってました『前金で100万ルフィア、成功報酬で1000万ルフィアがもらえる』と」
「そりゃあ、すごい額だ。恐らく、私と、カンネイ君をどこかに拉致し、何らかの要求をするつもりだったんだろうな。やはり、私が裏で警察に働きかけていたことを知る人物でかつ、私が邪魔者である、ということは……。今回の黒幕は……。しかし、やつがそうだと言う証拠がほしい。そうでないと、逮捕が難しいな」
「それだけの大金を使ってでも、先生やカンネイさんをどうにかしたい人の仕業ってこと?」
「ああ、そうさ。今回の引き金になった事件だが、恐らく、中央警察庁の長官が黒幕と何らかの裏取引をしたんだろうな。見返りは金ではなく、地位だ。しかも『国会議員』というゴールド級のね。国会議員なんて、実力がなくてもコネや後ろ盾次第では簡単になれるからね」
「あ、それと、今回の一件はポケモン保護局に通報しておきました。どうせ、警察に言ったところで何もしてくれないでしょうしね」
「うん。ご苦労様」
 シュゼンが帰ってきて、事件のことを知ると、ものすごい剣幕で警備員たちに怒鳴り散らしていた。普段は冷静で激昂することなどないのだが、息子が危険な目に遭ったのと「警備員が寝てた」という言い方がまずかった。てっきり職務怠慢だと思ってしまったのだ。孝直が説明して、ようやく怒りを静めたが、警備員の数は前の5人体制に戻すことにした。いくら増やしてもこのような結果になるなら意味がないように思えたし、これだけの騒ぎになったのに性懲りもなくまた襲撃するとは考えづらいと思ったからである。
 しかし、考えようによっては、相手がかなり焦っているとも取れた。シュゼンにはケンギョウにいるカジュウがどのような情報をもたらしてくれるかが、待ち遠しかった。

 その頃、ケンギョウにいたカジュウにもカンネイが襲われたという情報は届いていた。予想はしていたが、まさかこんなにも早く行動に出るとは思っても見なかった。
「カンネイ君が襲われたらしい。事がうまくいったら、1000万ルフィアを成功報酬で渡すことになっていたそうだ」
「ん、でも結局は失敗だろ?」
「いや、前金で100万ルフィアすでに払っているそうだ」
「前金で100万って、額がでけぇよな」
 カジュウはしばらく考えていた。誰が金を出したかということではなく、その額が大きすぎる金を実行犯がどう使うかだ。一国の政治の中枢にいる人間の家を襲撃するのだ。その見返りに大金が必要なことは分かる。しかし、大金を仮に手に入れたところでそんな額を銀行に預ければ、絶対に誰かに覚えられてしまうだろうし、銀行側にも記録が残るはずだ。
「アブソル、お前なら1000万ルフィアがあったら、どう使う? ただし、銀行に預けるという選択肢はなしだ」
「難しい質問だな、うーん、うまいものをたらふく食うとか? か、使わないで、ラクヨウのどっかに埋めておいて、ほとぼりが冷めたらこっそりと掘り起こす」
「そうか……」
 たしかに、アブソルの言うように、銀行に預けるのがアウトならば、どこかに埋めておくという方法もある。しかし、その姿を誰かに見られるかもしれないし、そもそも埋めた場所など忘れてしまうかもしれない。どこかの空き地に埋めたとしてもしばらくすれば、ビルの建設がそこで始まり、大金は地上に出てこられないセミの幼虫になってしまう恐れもある。
「オレなら、逃げるな」
「いやでも、ドンカラス。ポケモンだけで海外に行くのは無理だろ?」
「野生のポケモンを嗾けて襲わせたとすれば、つじつまが合うんじゃないのか?」
「野生のポケモンがそんな大金もらっても嬉しくないだろ? どうせなら食料3年分とかのほうが喜ぶだろ?」
「う、まぁ、たしかに」
 どうしても人間と一緒にいてその暮らしになじんでいると、野生のポケモンがどのような生活をしているのかなど、いまひとつピンと来ない。例えば、なしをどのように食すか? 人間と生活をともしているポケモンならば、きれいに洗ってそれから皮をむいて食べる。皮をむかないで食べるというのもありだが、どちらにしても「洗う」というプロセスは踏んでいるのだ。野生にはそれがない。目の前に木の実があれば食べるのだ。もちろん毒のある木の実も自然界には存在するが、毒の有る無しは自然で培ったカンで避ける。果物一つ食べるにしても大きな違いが出てくる。
(待てよ、野生のポケモンには不必要な大金……。そうか!)
 カジュウはこれしかないと考えた。野生のポケモンにそんな大金を支払うはずがない、というよりも意味がないとくればこれしか考えられなかった。本棚から時刻表を取り出して、何やら確認すると、受話器を掴んだ。
 カジュウはこれしかないと考えた。野生のポケモンにそんな大金を支払うはずがない、というよりも意味がないとくればこれしか考えられなかった。
 
 ◇◇◇

 リクソンがカンネイが襲われたという知らせを受け取ったのは、丁度夕食のときだった。怪我がたいしたことないと分かるとほっとしたような表情になった。一方でいくつかの疑問が湧いてきた。誰の仕業か、というのもそうだが、それ以上にその大金の受け取り手は誰かということだった。
「前金100万の、成功報酬1000万か……」
「ちょっと、額が尋常じゃないわよね?」
「ああ、まぁ、それもあるけど」
「そもそも、ポケモンがそんな大金受け取っても使い道がないもの」 
 ブースターが言った。それこそ、リクソンがもっとも言いたいことであった。やはりリクソンも、数百万単位の現金を受け取ったところでポケモンにとってそこまで有益なのか? という疑問が湧いてきた。
「そうそう、それだよ。ブースター」
「え? でも、会長の会社で働いているポケモンってお給料もらってるんでしょ?」
「ああ、あれね。私ももらってたわよ。でもね、あのお金は、ポケモンの持ち主の口座に振り込まれることになってるから、私たちが直接受け取ったことはないわ。まぁ、誰かが出張に行ってきたときに買ってきたお土産をもらうことはあったけどね」
「じゃ、今は?」
「リクソンさんの銀行口座に振り込まれているはずよ」
「ああ、しっかりとね」
「じゃあ、リクソンってブースターちゃんに養ってもらってたことになるのね」
「バカ言うんじゃない。お前らにいくらかかってると思ってるんだよ! 定期健診のお金、登録証と許可証の更新の手数料……。ポケモンを持つのって大変なんだぜ? それに会社で働いているポケモンたちには『労働許可証』と『厚生労働登録証』を主人が新たに取得しなきゃならないし、その手数料もバカにならないからな。おまけに健康の維持費とかで、結局給料を多めにもらってると言ったって、出て行くほうもそれなりになるんだよ」
「……知らなかったわ。私って世間知らずだったのね……」
「まぁ、セイリュウじゃポケモンを持つっていうのが珍しいことだからな。持っていなかったら制度とは無縁だしな。けどな、そのおかげで国からの保護を受けられるんだ。予防接種のときはいくらかの補助が出たりとか」
「もっと、勉強しないといけないわ。リクソンに何かあったら、私とグレイシアさんで皆をまとめないといけないんだから」
「頼もしいな、シャワーズ」
 この複雑で、やたら面倒で出費がかさむシステムのおかげでシャワーズたちは国からの保護を受けることができるのだ。その為、セイリュウ国独自のシステムが出来上がったのと同時に「ポケモントレーナー」あるいは「ポケモンブリーダー」という職業につくハードルが著しく高くなってしまった。そのため、ポケモンを交換するという他の国では行われていることが、この国ではほとんど行われていない。逆に言えば、取り替えた後で「やっぱり返してほしい」「嫌だ、もう交換した後じゃないか」というトラブルはなくなった。街中での所構わぬバトルで公園が破壊されたということもない。
「ねぇねぇ、ブースターちゃん。会長はこの七面倒なシステムをどう思っているのかしら?」
「『面倒だけど、良いシステム』そう言っていたわね。今の形にしたのシュゼンさんなんだけど、文句を言いに行ったこととかなかったわね。結構そっち方面からは恨まれたらしいけど。シュゼンさんなんか」
「ふ~ん、やっぱ側にいただけあっていろいろと見てきているのね。私はあんまり関心がなかったけど」
「それで、シュゼンさんのバックにいるのが会長だって言うのは有名だったから、セイリュウや外国からもポケモン愛好家とか、トレーナーとか、あと、ポケモンジムを管轄しているポケモン協会とかの人たちが結構頻繁に来ていたわね。正直来てほしくなかったけど」
「『ぽけもんじむ』って何だ?」
 リクソンにはゲームの中でのことだと思っていた。まさか、本当にそういうものがあるとは思いもしなかったのだ。
「え~と、何だったかしら? 外国にはポケモンジムのリーダーに勝つとバッジがもらえて、いくつか集めるとリーグに行けるとかなんとか……。この国にはそういうのないわよね、健康のためにポケモンを鍛えるスポーツジムはあるけど」
「そうだな、でも親父がたまたま外国のポケモンバトルを見て『ポケモンを出汁に金儲けするのは、個人的には賛成できない』って言ってたな。試合させるのが嫌なんじゃなくて、試合の後の金銭のやり取りが嫌なようだったけどね」
「ところで、何で来てほしくないって思ったの?」
「うん、会長は大事な交渉をするときは会長室でするのは知ってるわよね」
「ええ」
「それで、ポケモントレーナーやポケモン協会の人たちが、会長室に入るなりそこにいた私をカメラで撮ったり『ポケモン図鑑』っていう機械に勝手に記録させたりっていうのが頻繁にあったのね」
「えっ、それ無許可で?」
「うん」
「嫌よね、そういうの。せめて許可を取ってからにしてほしいわよね」
「それを会長が咎めて、相手が『それくらい、いいじゃないか、我々にとってはごく普通のことです』って言うもんだから、会長が激怒して、会長室を追い出して、交渉はそこでおしまい。そういうことが続いたから門前払いにしてたわね。私としては会長がかっこよく思えたわ」
 そういう人たちはセイリュウ国内で、もう少しトレーナーやブリーダー人口を増やす、あるいは自由に活動できるようにしてほしい、門戸を開放してほしいというのが、交渉の要であった。法律を一段と厳しくした首相のシュゼンに、シュウユから働きかけてもらおうというつもりであったのだ。セイリュウは法律が厳しいため、ポケモンの乱獲問題などはなく、研究者にとっては魅力的であった。トレーナーにとっても、セイリュウ国というポケモンに関しては未知の世界での活動は魅力的かつ刺激的なように思えたのだろう。しかし、それらをシュゼンやシュウユは悉く退けてきた。
「ってことは、本当に恨まれてるかもしれないな」
「会長になんかしたら、私が許さないわ。私の炎で燃やし尽くして、灰にしてもまだ足りないくらい」
 ブースターにとって、シュウユは恩人でもあり、親のような存在である。親の顔も知らず、密猟者に捕まり、運の巡り合わせでこの屋敷にやってきたのだ。どうしてそうなってしまったのか、答えはシュウユの企業と提携を模索している企業の仕業だった。ポケモンが好きなシュウユのご機嫌を取るために密猟者に金を渡していたのだ。シュウユの調査でそれが発覚した。相手はしらばくれたが、調査を進めると、他にもいろいろな悪事が出てきた。シュウユはその企業の悪事を告発し、企業そのものを社会的に抹殺してしまった。その後、自然の世界に帰るか、それともここに留まるか判断は任せると言われた。ブースターは迷うことなく恩返しのためにここに留まることにしたのだ。
そうだ、カジュウさんから渡されたものに目を通していなかったな」
 封筒を持ってきた。口が糊付けされているので、はさみで切って中身を取り出す。中からは3枚の紙が出てきた。それらはホチキスでとめられていた。どうやら、今回の一件についての調査の報告書のようだ。
「んーと、どれどれ」

 ◇◇◇

「今回の一件に関してご報告いたします。公表されていないことなのでくれぐれも他言なさぬようお願いいたします」
 という書き出しで始まっていた。文を目で追っていく。ちっとも警察の捜査が進まないことにリクソン自身は疑問に思っていた。捜査中なので公表できないということがあるのは、知っている。しかし、当事者に対して何の連絡もなかったり、その知り合いに電話をかけて所在を確かめるというどうにも解せない行動があった。他にも分からないことや疑問はあったが、裏で誰かが動いていることは確かなように思えた。相手は相当な権力を持つ人間なのだ。権力に対抗できるのは権力しかない。孝直は具体的な名前を出すことを避けていたが、そこにはきちんと名前が書かれていた。
 黒幕とされるのが、ラクヨウ首都圏内の一つの選挙区から選出されたバイショウ下院議員であることが書かれていた。リクソンは背中に汗が流れるのを感じた。部屋のエアコンは効いている。暑いわけではない。知ってはいけないようなことを知ってしまった。しかし、汗は暑いせいだ、言わなければ誰にもばれないさ、そう言い聞かせて続きを読んだ。
 バイショウは比較的若い議員で構成されている国民党の中では少数派の、年配の議員だった。近頃体調が優れず、議員の座を誰かに譲るという噂があった。警察官僚出身で、現在のラクヨウ中央警察庁長官の先輩で元上司にあたる。それ故、そこに対する影響力は絶大なものであった。見た目はクリーンだが、裏で権力を振りかざしてよからぬことをやっているとの噂もあった。警察に圧力をかければその動きを封じることなどいともたやすいことであった。ある時、国会議員の息子が起こした交通事故の捜査もある日を境にぱったりと報道されなくなった。国民党内では、バイショウが圧力をかけたという噂が流れていた。
「ねぇ、リクソン。国民党って……」
「ああ、そう。シュゼンさんの」
 シュゼンが政権を握ったのは9年前、47歳のときだった。その時国民党は、シュゼンを中心とする若手・改革派と保守派に割れて抗争が繰り広げられていた。当時与党の国民党がそんな状態なのだから、と思いきや野党は静かだった。捨て置いて分裂すればこちらのものだからだ。ある法案にシュゼンらが強硬に反対したため、政党は二つに割れた。時の首相はお飾りで保守派がまつりあげたに過ぎなかった。シュゼンをそれ相応の地位につけたのは、本人の人気を利用するため、また、保守派の傀儡であることを分からなくするためであった。
 が、意のままにならないシュゼンをどうするか、切るか、それとも……。シュゼンらは10ヶ条の要求を保守派に突きつけ、その要求を呑まねば政党に協力しないと宣言し、先手を打って支持者と孝直ら仲間の議員で、党本部と、上院の国民党議員の控え室前にバリケードを張って籠城線を挑んだ。一か八かの賭けである。しかし、当時の政党の中心は保守派であり、多数派に敵対することを恐れた議員も多く、戦況はシュゼン側に不利であった。シュゼンは、先輩で経済界に大きな影響力を持つシュウユに自分を支持するという声明を記者会見で発表してほしいと頼んだのだ。さすがに即答は避けたが、次の日に緊急記者会見でそのことを発表したのである。シュウユ本人にとっても大きな賭けであった。失敗すればダメージがかなり大きいことは分かっている。しかし、成功すればお金以上の利益が会社全体に転がり込むのだ。その利益を独り占めできる。その魅力がシュウユの背中を押したのだ。
 最初は2人とも40代で子供の遊びだと保守派は甘く見ていたが、その声明で、経済界はシュゼン支持に傾いた。それどころか、野党議員のにもシュゼンに賛同するものが出始めた。カジュウも実はその一人だった。若く実力のある外交官というので、擁立されたが、いざなってみると、理想とは程遠く、嫌気がさしてしまった。そんな時この抗争が勃発した。カジュウはこの人なら理想に近い人かもしれないと、シュゼンにひそかに会いに行った。そして、やはりと思ったのだ。ケンギョウ選出だったので、シュウユの援助を受けるのは簡単だった。政党を離れて議員を辞め、次の選挙で国民党議員として当選すればいいのだ。
 その後もいろいろあったが、結局、時の首相がシュゼンを総裁にして事態の収拾を図るという案を出して、シュゼンは首相となった。人気があるので、政権そのものに対する支持率は高かったが、最初は抵抗勢力に悩まされた。結局クーデターではないか、そういう声もあった。鬱陶しかったが、それも承知でこの座に就いたのだ。シュゼンは何とか合法的に反対勢力を抹殺する方法を考えた。そして、一つの案を思いついた。国民の信を問うという名目で、下院を解散して選挙を行い、反対派の選挙区に自分が擁立した候補者を送り込んで、反対派を落選させる作戦に出た。時期がよかったこともあり、この作戦は当たった。また、上院の選挙も同じ手を使った。
 この粛清劇に「やりすぎではないか」という声もあったが、シュゼンは無視した。かろうじて生き残った元保守派も、これまで築き上げた権力を大幅に削られてしまった。この政権は約5年間続いた。2年くらいで首相が変わっていることを考えると、長期政権であった。
 リクソンは報告書を読みながら、当時のことを思い出して、ふぅと息を吐いた。その時は、何だかすごいことが起きているなとしか思わなかった。知らない人が家にやってきて、何やら話し合って……。
「あの時は大変だったな、シャワーズ」
「そうよねぇ。もう10年近く前のことなのよね」
「進化するかしないかって時だったっけ?」
「あ、そうそう」
 報告書には、詳細な内容がつづられていた。そして、間もなくケンギョウ警察が動くことまで書かれていた。この場合「動く」とは犯人逮捕に向けてだろう。
「これで、黒幕が捕まるのかしら?」
「だと、いいけど」
「私は黒幕が捕まるとは思えないわ」
 ブースターがそんなことを言った。そして、続ける。
「だって、そんな地位のある人が、自分でそんなことしないもの。多分誰かにお金を渡して、カンネイさんを襲わせたんじゃないかしら?」
「と、いうと、捕まるのは実行犯だと?」
「うん、多分」
 しかし、それでも事態が前進するのは確かだった。
「でも、黒幕が捕まらないと、また誰かが襲われるかもしれないしなぁ……」
 リクソンは不安だった。何よりも自分は国会議員がよからぬ事に手を染めているということを知ってしまったのだ。しかも、かなり詳細に。

 ◇◇◇

 その頃、カジュウは夕食を済ませて、パソコンをいじっていた。犯人がこのままセイリュウに留まるとは考えにくかった。とすれば、海外に高飛び……と考えたからだ。どのようなルートを取るか、見当をつけていた。
 ラクヨウ国際空港は24時間開いているが、深夜の時間帯は到着便か、貨物便がほとんどだ。といっても、数は少ないとはいえ出発便もある。
「おや、どっかに行く予定でもあるのか?」
「あ、アブソル。いや、ないけど」
「じゃあ、何を調べてるんだ?」
「総裁の屋敷を襲った犯人がこのままラクヨウにいるとは考えづらいんでね、もしかすると、外国に逃げる気かなと思って、どういうルートを取るか見当をつけていたわけだ」
「外国に逃げるつったって、確か、総裁の家を襲ったのはポケモンの集団だろ? ポケモンだけじゃ外国にいけないって法律があるだろ?」
「だから、昼間言ったとおりの可能性が出てきたんだよ」
「けど、そんな傷だらけのポケモンが持ち物検査で見つかったら、絶対に怪しまれるんだから無理だって。捕まっちまうぞ。それとも傷が完治するまで待つのか?」
「……」
 確かにその通りだった。しかし、実行犯は恐らく黒幕に雇われただけの者。捕まれば洗いざらい話してしまうだろう。と、すれば捜査の手が届きにくい海外に逃がすのが安全策ではないかと、カジュウは考えていた。
「そうだけど、ううむ……。あ、そうか! その手があったか!」
「えっ?」
「確かにお前の言うとおり、飛行機では逃げられないな。しかし、船を使うという手がある。いかに国際航路でも旅行者の手荷物や、同伴のポケモンのチェックは貨物や飛行機に搭乗するときと比べてはるかに甘い」
「時間がかかるぞ? 船が一回岸から離れちまえば、到着まで逃げ場はないぞ?」
「そりゃあ、逃げられないのは飛行機でも同じだろう? 船の時間を調べてみるか」
 カジュウが調べていくと、章武国との間に何本も便があることが分かった。さらに章武国は島国でかつて中継貿易で栄えたときの名残なのか、今も国際航路で多くの国と結ばれており、そこからさらに別の国へ船で渡ることもできる。
 ケンギョウ国際フェリーターミナルと章武国の北洋国際フェリーターミナルには1日1便の船便があることが分かった。
「ええと、時間は?」

 ケンギョウ港 18:00→北洋港 9:10→濡須港 13:20

「章武最大の都市まで15時間ちょっとか」
 事件が午後7時ごろに起きているので、今日の便に乗ることは不可能だ。と、なると明日の可能性が高い。カジュウは先手を打って、ケンギョウ警察の知り合いに、明日、ケンギョウ国際フェリーターミナルに張り込んでもらうことにした。
 シュゼン邸が襲われたことは一応知らせておいた。もちろん、外部には漏らさないという約束をしてだ。手配を済ませたカジュウはふぅと息を吐いた。仕事場のベランダで一服していると、月下の空中をドンカラスが飛んできて、何やらカジュウに耳打ちをした。
「で、どうだった?」
「カジュウの言うとおりだったぞ。そんなことは聞いていないって言っていたな」
「やはり、そうか」
 あと気になるのが、シュウホウ一件だった。シュウホウの一件はシュウユの指示で世間には公表しないことにしていた。大企業の幹部が狙われたとあっては経済界の混乱・同様は避けられないと考えたからだ。
 ドンカラスは、ケンギョウのビジネスエリアにあるハクゲングループ本社に出向いていた。捜査状況も知らせるという目的もあった。しかし、もう一つ目的があった。例のコーヒーのお中元のことである。お中元の包みには「ミカワグループ株式会社」と書かれていた。ハクゲングループとかなり親しい付き合いをしている会社である。シュウユは帰国後、そのことをミカワグループに電話で「お中元が送られてきたので、一言お礼が言いたい」という旨を話したのだ。しかし、相手側は困惑したような声でこう言ってきたのだ。
「何のことでしょうか?」
 どうやらそんな物を送った覚えはないらしい。ミカワグループの会長が電話を変わったが、やはり送るような指示は出していないとのことだった。
「結局、ミカワグループの会長は『何かの手違いがあったかも分からないから、庶務に問い合わせてみる』って言っていたそうだ」
「ふーん、やはりそうか」
 カジュウは言った。
「ということは、だ。やはり会長も標的の一人だったのかもしれないな。計算に狂いが生じて、シュウホウ氏が運悪く標的になってしまったようだが」
「お、おい、カジュウ。どういうことだよ」
 アブソルが言う。標的はカンネイさんじゃないのか、そう言った。
「犯人は恐らく、会長に毒を盛って病院送りにし、総裁がラクヨウを離れた隙に法さんや、カンネイ君を拉致し、総裁に何らかの要求を出すつもりだったんだろう。しかし、標的の会長は生憎、出張中で目標は達成できなかった」
「けど、総裁がずっとケンギョウにいるわけじゃないだろ?」
「が、家を空ける機会は増えるはずだ。総裁は基本的に国会があるとき以外は自宅で仕事をしていらっしゃるからな。そこで仕損じて騒ぎになれば自分らが危ない。また総裁に感づかれてもアウトだからな」
「……」
「まぁ、それか会長の御長男が標的の可能性もあったが、彼はラクヨウ支社で働いておられるようだし、リクソン君とは違い、ポケモンが何匹も側にいるわけではないから、出社するときや帰宅のときを狙うだろう。そんな面倒なことはしないさ」
「とにかく明日が勝負だな」
「ああ、そういうことだ」

 ◇◇◇
 
 ラクヨウにいる孝直は、大学の同僚の一人、恪に電話をかけていた。同僚といっても7つも年下なので、気安くあだ名で呼んでいる。
「もしもし、法さんですか?」
「そうだよ。しょかっちん、今何やってる?」
「え、ラクヨウに戻る準備をしてますけど」
「おや、大学はまだ始まらないぞ? 始まる何日か前まで、章武にいるんじゃなかったのかい?」
「それが、巨大なトロピカルストームが章武を直撃するとかで、国際フェリーや飛行機が欠航しそうなので早めに帰ることにしたんです。嵐が過ぎても高波や強風で飛行機や船は止まったままですし、再開直後は足止め客で混雑しそうなので」
「そうかい、気をつけてくれよ。ところでいつの便なんだい?」
「明日の国際フェリーですよ。飛行機は満席でしたので。えーっと、午後5時に濡須(じゅしゅ)港を出て、北洋を経由して、次の日の正午にケンギョウに着きますね。まぁ、寝台なんでゆっくりと体を伸ばせます。ところで、何か、私に用でも?」
「うんにゃ、暇なんで電話しただけ。じゃあ、お土産頼むよ」
「はぁ……」
 電話を切った孝直はほっとした。恪は犯人の興味の対象からは外れているようだ。
「トロピカルストームってなんですか?」
 リーフィアがたずねた。
「章武では夏に発生する熱帯低気圧のことをそう言うのですよ」
 エルレイドが答える。ラクヨウからはまだ遠い位置にあるが、これから徐々に影響が出始めてくるかもしれない。
「それにしても、ギャロップ君、大丈夫かしら?」
 グレイシアは心配そうだった。あの時、傷を負わせたとはいえ、何匹かは取り逃がしてしまったのだ。
「すぐに血清を打ったそうですので、余程のことがなければ大丈夫かと」
「よ、余程のことって?」
「その、傷口に毒を塗られるとか、そういったことがなければ、ということです」
 グレイシアは浮かない顔をしていた。
「お姉ちゃん、どうしたの? ギャロップさんはすぐに病院に運ばれたし、自身は日頃鍛えているんだから、大丈夫よ」
「あ、それもあるけど」
「『も』って他にも何かあったの?」
「うん。フィー君や私が重傷を負わせたポケモンは、あんまり強くなさそうだったんだけど、何匹か取り逃がしちゃって……」
「でも、怪我はさせたんだから大丈夫でしょ?」
「あ、もう一回襲ってくることはないと思うんだけど、あのラフレシアとか数匹はかなり鍛えられているっていうか、戦い慣れしているような感じがして……。普段、人間と一緒にいるポケモンなんじゃないかしら? そうじゃなかったら、人間の家を襲うなんていう発想にならないわよ」
「それ、僕も思った。この近くにはいなかったようだけど」
 エーフィが言った。取り逃がしたとはいえ、撃退できたのがほっとしなかったといえば嘘になる。エーフィはわずかな空気の流れで、いろいろなものを感じ取ることができる。対戦相手の考えていることも、だ。空気のわずかな振動をも体毛で感じ取ることができる。リクソンが普段何を考えているかも分かる。が、リクソンが自分たちにひどいことをするわけもないので、別に気にならないのだ。それだけ信頼しているのである。
 食事を済ませたシュゼンは、カジュウと電話で話していた。その姿をエーフィは見つめていた。事態は大きく進みそうな気がする一方で、シュゼン本人は思いつめているのが読み取れた。と、同時に何としてでも、黒幕を捕まえて、サンクションを加えてくれんという怒りの気持ちが読み取れた。

 
  続く(この続きは別ページになります。現在執筆中)


 

#pcomment

トップページ   編集 差分 バックアップ ファイル添付 複製 名前変更 再読み込み   新規作成 ページ一覧 ページ検索 最近更新されたページ   ヘルプ   最終更新のRSS
This site is protected by reCAPTCHA and the Google Privacy Policy and Terms of Service apply.