ポケモン小説wiki
月射ちヨルニル の変更点


#include(第十二回短編小説大会情報窓,notitle)
Writer:[[赤猫もよよ]]


 多くのヒトの祈りも虚しく、明日はしとどに雨が降りしきるだろう予感がする。顔のむずがゆさとヒゲの湿り具合がその証人だった。
 大木の太枝に腰掛け、深まる雲間にちらりと覗く十四日目の月を仰ぐ。真っ白な輪郭は僅かに潤んでいて、満月の白無垢を披露出来ないことへの無念さに涙を浮かべているようだった。
 しかしまあ、こればかりはどうしようもないことだ。おれは大きく欠伸をした。
 ひととせの豊穣と繁栄を煌々と輝く満月に願う――という名目をそこそこに、ほどほどに集まって皆で美味い飯と酒をかっ喰らうのが主の目的とされる祭り――"満月祭"がいくら明日に迫っていたとしても、雨なものは雨であり、それによって中止になったとしても、やはりしょうがないものはしょうがない。えてして大衆の無念とは、現実にとって考慮に値しない材料だ。
「おい、ガオガオエン。起きてるか」
 ずん、と強い衝撃音がして、大木がゆらりと軋んだ。振動に背を押され、おれは大木から転がり落ちる。
「デガグースさん、おれはガオガエンだって何回言ったら分かるんすか」
 しなやかに着地し、おれはちょっとだけ怒った。デカグースはどこ吹く風と言った様子で顎ヒゲをさすっている。
「おうすまん。で、実はな、"満月祭"の中止が決まりそうなのだ」
「……そっすか。まーこの感じ、明日は雨でしょうし」
「そこではない」
 ふう、と深い溜息。なにやら面倒な事情の予感。

「実はな、月射ち様が消えたのだ」



『月射ちヨルニル』



「月射ち様……ヨルニルが? 消えたってどういう事ですか」
 聞き返すおれの言葉に、デカグースは微妙な表情を浮かべた。
「そのままの意味だ。明日の打ち合わせをしようと月射ち様のお宅にお伺いしたのだがもぬけの殻でな。他のものに尋ねても、誰も見ていないという」
「出かけてんじゃないすか」
「月射ち様の出不精っぷりを知っておるだろう。それに、あの方は約束を違えるようなお方ではない」
 おまえと違ってな、という効果的なダメ押しをひとつ。思わぬ方向からの攻撃で旗色が悪い。
「あーはいはい、そいでおれにも捜索を手伝えと。いっすよ、ヨルニルとも長い付き合いだし」
 ヨルニルは何も考えていないように見えて、実際何も考えていないことが多いとみている。仮に変な奴にたぶらかされてたりとかしたら取り返しがつかないことになる。
 もっとも、この善良が過ぎるぐらいの森に変なことを考え付きそうな奴など、心当たりがないのだが。
「うむ、ではよろしく頼むぞガオガオン」
「あー惜しかった。でも着実に近づいてますよ、その調子」
 明日には恐らくガオガオエン呼びに戻るだろうデカグースの背を見送り、おれはざんばらに草を掻き分け歩き出した。案外月祭りの舞台にでもひょっこり現れているのではないか、と思ったが自信はない。
 正直心当たりがあるかと言えばそうでもない。ヨルニルは昔から――おれが子猫であいつがふわ鳥だったころ――から、何を考えているのかよく分からない節があった。だから何処にいてもおかしくない。
「しかし、マジでどこ行ったんだアイツ……」
 がさがさと後ろ頭を掻きながら、ひとり呟く。ヨルニルはおれと違いほどほどの自我とほどほどの責任感を兼ね備えたほどほどのジュナイパーであり、ついでに言えば狙ったものは必ず射抜くと言われるほどの弓の名手でもある。弓を引いている時だけは、正直ほどほどにカッコイイ。
 総合的には中の上ぐらいのポケモン性を兼ね備えており、祭りの主役である"月射ち様"に選ばれたのにも関わらずすっぽかしてどこか行くような奴ではない。そんなことが出来るぐらい肝が据わっていない、善性のナイトバードなのである。
 となればやはり、なんらかの厄介ごとに首を引っこ抜かれた線が濃い。まこと難儀な雄だ。
「げえっガオガエン! よく来たな! 何してんだこんなとこで!」
 上空から声が降りかかり、おれは上を向いた。野外舞台の四方柱に止まっているドデカバシが、けったいな熱視線をこちらに送っていた。
「第一声からそれかよ。ヨルニル……ああ、月射ち様捜してんの、見てない?」
「知らんわい! つーかお前よりこっちのが探してるっての! あーもう祭りの日雨になってくんねえかなあ! やっぱ晴れてくれ! ウォォ!」
 ドデカバシは忙しなく喚き散らしている。月祭りの実行委員という面倒な役職を押し付けられ、しかし責任感故に放っぽり出すことも出来ず、ついでに月射ち様の失踪という案件に板挟みになった結果、精神がダメな感じでハイになっているらしい。がんばってほしい。
「祭りの実行委員は大変だなァ」
「ヌァァッ! おめーがすっぽかした分の尻拭い! 全部終わったらケツ出して待っとけ! ケツキャノンの刑な!」
「なんか知らんが面白そうだなそれ」
「おう! 期待しとけ! 死ね! さっさと探して来い! じゃあな! 死ね! ファイア!」
 色彩に溢れた怒号に背を押され、もう一度捜索に戻る。どうやら舞台の方には来ていないらしい。
 ついでに尻にぬるめのくちばしキャノンを食らい、おれはそそくさとその場を後にした。



 鼻を突く水っ気の匂いがつんと強くなり、おれはいよいよ雨が迫ってきていることを実感する。
 何となくで足を向けた淀み森の奥は薄暗く、好んで立ち入ろうとするヒトはさほど多くない。どうせ捜査の手も回ってないだろう、と踏んでの行軍だったが、果たして。
「おーい、ヨルニルー。いるかー。いないならオモシロい一発芸しろー!」
 おもむろに叫んでみたが声はなく、代わりにがさりと傍の茂みが揺れる。
「お」
 ひょこん、と飛び出してきた黒いヒト影。墨でも浴びたかのように全身黒ずんでいるが、その姿には見覚えがあった。
「ようヨルニル。ちょっと日焼けした?」
 すっぽりと被られた葉のフードに、外套のように伸びる茶色の羽毛。そして俺に向けられる鋭利な視線と、既に番えられこちらに向けられた鋭い矢羽。いささか暴力性のようなものを感じるが、その姿形はジュナイパーのソレだった。
「なんだよ、なんでンなもん向けてんだ。まるでおれに矢を――」
 ひゅん、と軽い風切音が耳に届いた時には、既におれの肩先に矢羽が霞めていた。
 ヨルニルは狙ったものを必ず射抜く。それぐらいの名手だった。
 だからつまり、これは警告のようなものなのだろう。
「なんだよ、こっち来るなってか。そんなにオモシロ一発芸が嫌か」
 ヨルニルは無言で二射目を構え、おれからじりじりと下がろうとする。
「そんなに帰って欲しいのか」
 だがまあ、ここで引く理由もあまりない。ゆっくりと一歩ずつヨルニルに迫る度に羽矢の引き絞りが強くなっていくが、ヨルニルは矢の名手で、狙ったところから外すことはまずない。
 ――だから、何も心配することはない。
「ン、なろッ!」
 地を蹴って駆ける。瞬間弾かれたようにヨルニルは狙いをつけ、引き絞っていた矢を離した。
 的確な狙いを付けて放たれた羽矢が、的確な線を描いて俺の身体から機動を外す。首の皮一枚を掠め、矢は森の闇の中へと消えていく。
 おれはヨルニルに身体をぶつけ、吹き飛ばす。
 ジュナイパーの身体は軽量だ。ぼてん、ぼてんとゴムまりのように面白く地面を跳ね、そのまま茂みの中へ叩き付けられる。
「つかまえ、たッ!」
 飛びかかり、ヨルニルの今にも折れてしまいそうに華奢な身体を取り押さえる。その瞬間。
 ヨルニルの全身を覆っていた黒ずみが、押さえつけている俺の手を介して俺の身体へと流れ込んでくる。全身に走る強烈な悪寒と、それを遥かに凌駕する量のおぞましい眠気。
 ヨルニルのフードの隙間から覗く茜色の丸目。その輪郭は僅かに潤んでいて、今にも泣き出しそうだった。
 それと視線が合った瞬間、おれは睡魔に歪んでいく世界の中で、ヨルニルの絞り出すような声を聞く。
 
「……ああ、巻きこんでごめんな、クグロフ」

 その言葉に返すことも出来ず、おれはそのまま睡魔の霧の中に沈んでいった。
 暗転。

■


「おい、起きろクグロフ。起きろってば」
 ゆり起こす手つきは荒っぽく、おれは抗議に近いドドメ色のうめき声をあげながら覚醒した。
「やっと起きたか」
「おう。あれ、日焼け直った?」
 冷たい地面にのっぺりと横たわるおれを見下すジトッとした目。それはやはりヨルニルのものだが、先程見たときのような黒ずみは消えていた。ヨルニルの全身に這い回っていたものも、それからおれに伝わってきたものも。
「お前、あれ本気で日焼けだと思ってたのか」
「おう……え、違うの」
「数日で真っ黒になるわけ無いだろ! 前会った時の俺を思い出せ!」
 確かに先日寝起きのヨルニルの家に押しかけた時は、ごくごく普通のジュナイパー色をしていたはずだ。ここ最近はさほど陽射しも強くなく、確かに焼けたとは考えにくかった。
「知ってんだろ、おれがそこはかとなくアホなの。てかお前、いままで何処にいたんだ」
 おれの問いに、ヨルニルは僅かに唸った。
「説明が難しい」
「おれでもわかる感じで」
「俺の厄介にお前が飛び込んできた」
「なんだそりゃ」
「だから難しいって言っただろ。取り敢えず付いてきてくれ、ここはあんまり……うん、よくないからな」
 ヨルニルに差し伸べられた手を掴み、おれは身体を起こす。フードの奥に覗く顔が、どことない憔悴に駆られていた。
 周囲に目を配るヨルニルに習い、おれも周りを見渡してみる。先ほどと全く同じ淀み森のようだが、なんだか妙に霧が濃い。ガオガエンは比較的夜目の利く種族の筈だが、少し先の木々の形すらも白い霧に阻まれて曖昧だ。
 唯一、天に昇る金色の月だけが確かな輪郭を帯びている。
「なあ、ここ一体」
「いいから。ほら、早く――」
 がさり。
 ヨルニルの急かす言葉を遮るように、おれ達を囲む茂みがさまざまに揺れ始める。まるで茂みの輪唱を拝まされているようだ。
「ああもう!」
 ヨルニルは茂みに向けて矢を放った。ぎぃ、と耳障りな悲鳴がして、茂みの中からのっぺりとした黒い塊が転げ出てくる。
 その黒い塊には見覚えがあった。というか先ほどケツキャノンをぶちかまされたばかりだ。さっきのヨルニルのように真っ黒に淀んだドデカバシだった。
「うわっバイオレンス!可哀想だろ!」
「あれはマジもんのドデカバシじゃない! いいから走るぞ!」
「あ、おい待てって!」
 揺れる茂みに向けてまとめて矢を放ち、そのまま淀み森から離れるように駆け出したヨルニル。その背中を追うようにおれも駆け、そして4秒ぐらいでヨルニルを追い抜いた。
「遅いぞヨルニル!」
「お、お前……っが! 速い、の……!」
 おそらく全力っぽくダバダバと足を動かすヨルニル。昔からノロマだったが、相変わらずその辺は変化がないらしい。もともと早く走るのに特化した身体の構造を持っていないらしい。
「あー、そういやお前めちゃくちゃ足遅かったな。なんかごめんな」
「分かって……んなら! 助け……ろ!」
「はいはい。で、どこに行きゃいい」
「取り敢えず俺の家まで! あそこなら多少は安全だ!」
 仰せのままに、と呟き、おれはヨルニルの軽い身体を抱え上げた。そのまま肩に担ぎ、深まる霧の中を再度走り出す。


「ぐ、う゛ぇぇぇ……」
 空の水桶に顔を突っ込み、身体をぷるぷると震わせながら吐瀉するヨルニルの背中を優しくさすってやる。
「大丈夫か」
「お、おまえが……おまえが……あんな揺さぶらなきゃ……うおえええ……」
「ついエンタメ性を」
「エンタメ性必要ないだろ……」
 吐き終わりぐったりと住処の寝床に横たわるヨルニルの恨めしい目線を受けながら、おれはわははと笑った。
 ただ単純にヨルニルの住処まで運んでやるだけでは面白くないだろうと、ちょっとばかしアクロバティックな道筋を辿ったのが不味かったらしい。具体的にどこがダメだっただろうか。
「やっぱ谷を飛び越えるのは不味かったか」
「不味かったよ! そこ以外も全部な! どうしてすぐ近くの俺の家に運ぶのに! 急流を下る必要がある! 」
「エンタメ性」
「ンだからいらないって言って……! うっ、おえ゛っ……うう……」
「あんま無理すんなよ」
「概ねお前のせいだかんな!」
 埒があかないという賢明な判断を下したのか、ヨルニルは深く息を吸って話題を変えた。
「で、だ……まず聞きたい、俺が居なくなってから何日経ってる?」
「何日? いや、1日ぐらいだと思うが」
 おれの言葉に、ヨルニルは何かを思案するような仕草をした。
「実はさ、俺の体感なんだけど。俺がこの霧の中に閉じ込められてから、もう二週間ぐらい経ってるんだよ」
「……あん? いや、どういうことだよ」
「まんまの意味。夜が明けて朝が来て、また夜がくる。それを十四回繰り返した」
 真剣に、そしてややくたびれたような口調で語るヨルニルの言葉が、おれにはあまりよく理解できなかった。二週間も居なくなっていれば流石にもっと大ごとになっていただろうし、そもそもおれは一昨日くらいにヨルニルと会っている。
 首を捻り過ぎて1回転半しているおれを見かね、ヨルニルはさらに言葉を重ねた。
「これは仮説なんだけど。俺、どうも同じ日を延々繰り返してるみたいだ」
「……と、いうと」
「月齢が変わっていない。ずっと満月の前の日を繰り返してる。だから、お前にとっての今日を、俺は二週間分体験してるってこと」
「?」
「よし、ダメだなこれ」
 なんだか良く分からないが、よく分からないなりによく分かった気がする。つまるところヨルニルはよく分からない面倒なことに巻き込まれており、手を出したおれも同じように巻き込まれたという訳だ。
「巻き込まれたって言うが、お前が飛び込んで来たんだからな。警告までしたってのに」
「だってお前、矢羽当てる気なかったろ。んだからなんか、本当は帰って欲しくなかったんじゃないかって」
 おれの返し刃に、ヨルニルはフードを深く被った。
「……余計なお世話だよ」
「そうかあ、そりゃすまん」
 ヨルニルは嘘が下手だ。嘘がバレないように深くフードをかぶる癖があるが、それが逆説的に嘘つきの証拠となる。
 だからまあ、つまりそういうことだ。
「で、よく分からんが今日が続いてるんだよな。抜け出すアテは?」
「ない、訳じゃない」
 ほんのりと歯切れの悪い言葉。どことなく、ヨルニルは何かに躊躇しているようだった。
「だけど、その……来てくれたお前には悪いんだけど。俺、ここから戻るつもりあんまりない」
 ヨルニルの言葉に、俺は虚をつかれたような顔をした。
「なんでだよ。だってお前、月射ち様だろ。明日が晴れ舞台じゃないか」
 月射ち様。
 その言葉を耳にした時、ヨルニルの満月のような丸目が僅かに曇った気がした。
「アレか、失敗するのが怖いとか」
「違う。俺は失敗しない。自分の腕ぐらい知ってる。慢心とかじゃなくて、客観的に」
 首を振り、ヨルニルは窓の外、僅かに欠けた月を仰ぐ。
「俺自身、よく分からないんだ。戻りたい理由もないし、戻りたくない理由もない」
「みんな心配してると思うぜ」
「月射ち様の所在を、だろ。みんなが見てるのは俺じゃない」
「そうは思わんけどな。少なくともおれはお前のことが心配だ」
「……お前だけだよ、そんなの」
「かねえ」
 会話をしながら、ふと訪れた朧げな眠気が脳の芯を痺れさせていく。おれは大きな欠伸を一つして、ごろんと床に横たわった。
「何してんだ」
「なんかねみい。お前も寝ようぜ」
「呑気だな」
「ちょっとぐらい怠けたっていいだろ。お前の言う通りなら、いくら経ったって明日は来ないんだから」
 やる気が出るまでダラダラしようぜ、というおれの言葉にのっぺりとした表情を浮かべ、しかしそれ以上何かを言うでもなくヨルニルはおれの隣に横たわった。
「そこだと寝返りで潰すぞ」
「んな事したら本当に怒るからな」
「冗談だよ。おれもそこまで暴れん坊じゃねえ」
 どうだか、と呟きヨルニルは目を瞑った。それに倣い、おれもゆっくりと目を閉じる。
「なあ、クグロフ。俺さ、本当はさ……帰る方法知ってるんだ」
 呟くようなヨルニルの声を聴きながら、おれは本日二度目の睡魔の海に沈んでいく。

■

「おはよう」
「おう」
「腹減ったな」
「ああ」
 お互いに朝に弱いタイプなものだから、寝起きの会話は焼け野原のような不毛さに満ちている。特にヨルニルは夜行性だからか、直射日光を浴びるとそのまま灰になってしまいそうなか細さがあった。
 幸いなことに今日の天気は軽い雨のようで、灰を海に撒きながら涙する必要はなさそうだ。
「メシある?」
「ない」
「んじゃ捜しに行くか」
 淀んだ脳ミソでよたりと歩き出すこと半刻ほど。おれとヨルニルは月祭りの舞台の方へと向かっていた。
 木組みの舞台の様相は昨日と何も変わっておらず、ただポケモン達の姿がどこにもないという点だけが違いだった。
「お、あったあった」
 昨晩見た時は既に舞台はほぼ完成していた。
 ついでに夜餉用の食い物も既にセッティングされており、そこからいくつか拝借するというのがおれの作戦だ。いつだって林檎は美味い。
「もう、こんなに出来上がってたんだな……」
 何処か複雑そうに舞台を眺め、言葉を噛むヨルニルの横顔は、やはり暗い影に閉ざされている。
「なあ、やっぱ俺戻らないとダメだよな」
「んだよ急に」
「だって、コレ全部、俺の為に組まれてる舞台なんだろ。だから……」
 おれは徐にヨルニルに駆け寄り、フードの紐を思い切り引っ張った。
「なにすんだ」
「いや、つい。ずっと引っ張ってみたかったんだよな」
「冗談めかすのは止めてくれ。俺は結構マジで……」
「ああ、いいぜ。お前が冗談ぬかすの止めたら止めてやる」
 なんかややこしかったが、言いたいことは伝わったらしい。
 僅かな怒気の籠った俺の手を外そうと、より大きな怒気が込められたヨルニルの両手が添えられる。
「冗談じゃない! 俺は本気で悩んで!」
「だからさー、それ誰に向けて悩んでんだよ。お前が戻りたいなら戻りゃいいし、戻りたくないなら戻らなくていいんだ。月射ち様って呼ばれんのも、変に期待背負うのも嫌なんだろ? じゃ、もういいじゃねーか」
「違う! 俺は、嫌なんじゃなくて……! ただ、俺が頑張る理由が欲しくて……!」
 ヨルニルの手の力がふっと弱まり、身体はそのまま舞台の床へとへたり込んだ。雨に滲んだヨルニルの声は、ひどく震えている。
「俺は弓射ちぐらいしか出来ない。だからそれぐらいは胸を張りたかった! でもなんか、違うんだ。上手くなって、皆から敬われるようになって、月に捧げる弓の引き手になって……でも、満足できないんだ。一番欲しいものが足りなかった」
「足りない……? なんだよ、何が欲しいんだ」
「クグロフ」
「……へ?」
「だから……その、お前。お前の為に、俺は、頑張りたかった……です」
 急転直下。曇天の霹靂。
 なんというか、なんだ。
 話が思わぬ方向に捻じれた音がした、気がした。だってその言葉は、あまりにも距離が近いもので――
「ちょ、ちょっと待て。そりゃどういう意味だ」
「そのまんま……」
「えー……あー、す、好きってこと、か? おれのことが?」
 項垂れたまま、ヨルニルの首が僅かに上下する。その仕草が表すのは肯定だった。
「ど、どこまでの範疇で? ほら好きと言っても色々あんだろ、その、友好とか、愛情とか」
「後者……」
「おおっと、そうか。そうかあ……そうかァ……」
 しとどに身を打つ雨の感覚が次第に遠くなっていき、おれは湧き上がる雑多な困惑の熱を舌の上で転がした。
 別にいやではない。恋慕における性差など些細な一要素でしかない。ただ上手く言えないが、ヨルニルとおれの間に広がる世界の中に、愛情という概念が存在していたことにおれは驚いていた。
 ともあれ、だ。ヨルニルが求めている物が分かった以上、おれはそれに応えてやる義務がある。とりあえず友人として、ひとつ。
「分かったよ。じゃ、ほんとはこっ恥ずかしいから言うつもりなかったんだけどさ。――おれ、お前の格好いいところが見たい」
 ヨルニルはどこまでもただのジュナイパーだ。ほどほどに良いやつで、ほどほどによくないところもある。結構怒りっぽいし、あと物凄く体力がない。人付き合いもそれなりに下手くそだ。
 でもおれの無茶苦茶を飲み干してくれるぐらいには人格が出来ているし、そして何より。
「おれさ、お前が弓を引く姿、めちゃくちゃ格好いいって思ってる。なんせほら、おれは真っ直ぐ歩けないから」
 ヨルニルは、射手であることになによりも真っ直ぐだ。その弓から放たれる矢と同じぐらい、綺麗に前へと伸びていく。
「だから帰ろうぜ。んで、おれに格好いいとこ見せてくれよ」
 手を取り、立ち上がらせる。重なった視線が、ほんのりとした熱を帯びて緩んでいた。
「じゃ、帰るかぁ。寝る前に言ってたアレ、帰る方法知ってるってマジなの?」
「知ってる。ていうか最初に教えて貰った。帰る理由なかったから帰らなかっただけ」
 今は違うけどな、とちょっと雑気味に付け足して、ヨルニルは自分から離れるようおれに言った。誰に聞いたんだ、という突っ込みを繰り出す前に、矢継ぎ早にヨルニルの声が飛ぶ。
「あと、出来れば目を瞑ってほしい。ていうかこっち見るな」
「注文が多いねえ」
「どうせなら一番格好いい姿を見せたい。こんな雨っ降りの事前演習じゃなくて、もっと綺麗な、月明かりに満ちたところがいい」
「へいへい」
 おれは肩を竦め、既に矢を取り出し始めているヨルニルに背を向けた。
「あ、そうだ、ヨルニル。一つだけ言っとくけどさ」
 緩い雨の音に紛れ、矢を引き絞る音が耳に届く。
「巻きこんだとか、気負わなくていいからな。おれはおれの為に、お前に会いにきただけなんだから」
 矢を放つ。雨雲を裂く張り詰めた音に続くように、おれはそれだけを言い切った。

 明転。

■

「ガガガガン! ガエガエン! これ、起きなさい! 邪魔だぞ!」
 どうせデカグースのものだろう雑な呼びかけに釣られ、おれは舞台の上で目を覚ました。天頂に覗く月は丸く、金色の光にこれでもかというほど満たされていた。雨に濡れていた筈の身体は不思議と乾いており、蔓延る白い霧もない。
「んあ……満月……おい、ヨルニル起きろ! 戻ってきたっぽいぞ!」
「もう起きてる。お前の方が寝坊助だよ」
 背から呆れたような声が飛び、おれは振り返る。死ぬほど似合わない祭装束に着替えたヨルニルが、どこか憑き物の落ちたような顔で俺を見下ろしていた。
「……クソ似合わねえな、その装束」
「うっせ、自覚してるよ。ほらどいたどいた、もうすぐ祭りが始まる」
 ヨルニルにぺしぺしと尻を蹴り飛ばされ、おれはごろごろと自主的に舞台の外へと退場した。
 森中のポケモンが、月祭りの始まりに立ち会おうとひしめき合っている。多くの視線が舞台上の月射ち様に集中していたが、肝心のヨルニルの眼差しは、透明な夜空に浮かぶ大きな満月にだけ向けられている。
「おい、クグロフ。寝ぼけてないでちゃんと見とけよ。――格好いいとこ、見せてやるから」
 白無垢を纏った立派な満月を背負い、羽根で出来た外套をふわりとはためかせる。
 息を吸い、吐く。流れるような所作で矢羽を引き抜き、蔦弓につがう。寸分の力の狂いもなく、矢を引き絞る。
 静寂を帯びた矢先と、ほどほどの凛々しさを兼ね備えた月射ちの双眸が、天の満月へと向けられる。
 身体の火照りと、高鳴っていく心臓の鼓動。
 何処までも凛々しく、真っ直ぐに前進していくお前の姿を焼き付ける。
 真っ直ぐに歩けないおれにとって、誰よりも、そんなお前の姿は憧れだった。


「天に満るいと眩き光に、この矢を奉ります」


 放たれた矢は伸びていく。
 静寂の舞台を飛び立ち、迷いの霧を脱し、透明な宵を切り裂いて。
 眩く輝く月のもとへ。








 加熱した祭りの夜の灯火は、夜更けを越えた頃になろうとも燃え盛っていた。
 ほどほどに混じり疲れたおれとヨルニルはそっと会場を抜け出し、木の実酒の促す酩酊にほんのりと脳裏を痺れさせながら、大木の枝に腰掛けてぼんやりと遠くの景色を眺めていた。
「結局さ、ありゃなんだったんだ。黒い影もそうだし、お前さんをあっちに連れ去ったのは誰なんだよ」
「説明が難しい」
「おれでもわかる感じで」
「一言で言えば、善意?」
「なんだそりゃ」
「知らん。本人はダークライって名乗ってたけど。でもこの森に住むんだから、たぶん良いやつ」
「はあん」
 知らない名前だったし、あまり深く知る必要もなさそうだった。
 ともあれ、まあ。友人が世話になったのだから、そのうちお礼ぐらいはしておこう。
「あ、そいでなヨルニル。ちょいと前の返事なんだが――」

 つかの間の静寂。俺は息を吐き、言葉を終える。
 ヨルニルの隣で眺める月は、とても綺麗だ。
 つかの間の静寂。
 俺は息を吐き、言葉を終える。
 お前の隣で眺める月は、とても綺麗だ。


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あとがき
つまるところ文字数との戦いでした。もよよです。
満月を矢的に見立て、そこに向けて弓を引く射手という光景がいの一番に浮かんできて、何かこれで上手いこと出来ないかなあと考えたのがこの作品の始まりでした。つまるところ見切り発車といいます。一万字あればなんとかなるやろ、と思っていましたがこれがまた意外と短く、どうにか成形は出来たもののちょっと(かなり)説明不足が目立ちました。
色々捕捉したいところはあるんですが、作中で語るべきところを作外で付け足すというのもちょいとばかりナンセンス。その辺についてはいずれ描くだろう後日譚にて埋められればなあ、と思っています。ほんとだよ。ちゃんと書くよ。
つまり何が言いたいかというと大雑把なバカと繊細なバカの組み合わせっていいよね。みたいな。もよよでした。
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