ポケモン小説wiki
待っている の変更点


#include(第十三回仮面小説大会情報窓・非官能部門,notitle)
 
 



  君待つと 吾が恋ひをれば 我が屋戸の
  すだれ動かし 秋の風吹く

                   万葉集「額田王」
 




 学校最強大会も終わり、時間の都合に余裕ができたころなので、ウェーニバルの主人はパルデアの大穴に潜る時間を増やしていった。ウェーニバルが思うにエリアゼロの調査とかではなくて、単に古代のポケモンたちをゲットするのが目当てであった。
 その日は雨が降りだして、最下層の洞窟から出られずに足止めを食っていた。するとトドロクツキが水濡れやってきて、「なんだまた来たのか」と声あると、ウェーニバルは「うん」と言った。
「リーダー、どこなんだ」
 トドロクツキが言うリーダーというのは、オーリム博士が拠点としていた観測ユニットの周辺を縄張りにしているコライドンのことである。
「しい、寝てるから」
「そんなことだと思った。暑いときは寝ぐるしくって眠らねえ代わり、涼しいときは惰眠をむさぼるんだ」
 冬眠するでもあるまいにと文句も多大に、巨大な結晶体同士の隙間をトドロクツキが覗きこむと、ナマケロのいぎたなさでだらりとコライドンが眠っているのである。
「ありゃだめだな。とうぶん起きねえ」
「ねえ」と、ウェーニバルは言った。「なにかおもしろいことってない。暇でつらいんだよ」
「帰ればいいじゃねえか」
「雨でそうもいかない。人間は、ちょっと暑かったり寒かったりするだけでだめになる」
「じゃ、友達と遊ぶとか」
「友達と……」
 そんなことを言っていると、ボールが転がってきた。主人は野営の準備をしているあいだ、それでポケモンたちを遊ばせていた。デカヌチャンがハンマーで打ちだしたのをキープしそこねて、アマージョが戦闘的な顔つきでウェーニバルを見ていた。さっさとそれをよこせと言っている。
 リフティングさながらボールを足で宙に転がし、蹴り返してやった。ボール遊びなど、ウェーニバルはクワッスのころからやっていたので、とっくに飽きてしまっていた。
「まあ、あれもすこしは文明的だけどね」
「ふん。あんなのオレは興味ねえけどな。そこまでミイハアじゃねえよ。もう自分の縄張りや群れを持っててもおかしくねえんだ。ああ、いやだ。そろそろ番を見つけねえと、ついに行きおくれだぜ」
 当然のことのように言うトドロクツキである。ウェーニバルは主人とともにそれなりに大穴に慣れ親しんできていたが、やはりこういう野生との文明の差異と表現するのか、断絶をいくらか肌に感じた。それはむしろ、この土地に好奇心とともに接近した最初より、愛着の増えた今のほうが鮮明になっていた。知るほどに違いが浮きあがってしまうのだ。それでもウェーニバルはその断絶を不幸かと自問するとそうではなかった。そこにはいつも旅行者的の楽観があった。異文化を美しいと思いながらも、住みたいとねたむほどではない心境であった。
 パルデアの大穴を探索するときはなにかと観測ユニットが拠点になってしまうので、最深部に棲みついているコライドンと、コライドンを慕うトドロクツキとの交友もなんとなしに強くなっていった。コライドンはそれなりに成熟したポケモンで、トドロクツキはそれよりもいささか幼い印象だが、いずれにしろウェーニバル以上に長生きの雰囲気があった。それなのにウェーニバルの態度はあけすけになまいきで、だがかえってそこには取り繕いのない気やすさがあった。
 二匹が話していると、コライドンが起きだしてきて顔を見せた。そうして「うるっせえなあ」と眠たげな迫力のまなこでにらみつけるのである。
「おはよう」と、ウェーニバルは手をあげた。「ごめん。うるさくする気はなかったんだよ」
「オレはリーダーを起こすためにうるさくしてたぜ。謝らねえからな。わざとだし」
「そんなこと言うやつには、雨の日にとっておいたきのみも分けてやらねえでおこうかな」
 そんなことを言いながらも、コライドンはトドロクツキにきのみを持ってくるのだった。ほら、とウェーニバルにも投げてよこしてくる。ザロクのみであった。じきに主人がサンドウィッチを作ってくれるはずだが、それまでのおやつにいただくことにした。血の濃いそれは大きくて色どおり甘かった。
 大穴でのこのいっときに、ウェーニバルは捉えどころのない哀愁を感じる。それは人間で言うところの、遠くの親戚の家に子供が遊びにいったときの感傷と似ていた。あるいは季の静寂であった。ウェーニバルは大穴の脈拍にみずからの鼓動の感覚が近づいていると感じていた。こうしていつまでも古代のポケモンの傍にいると、そのうちまぼろしの深きを捉え、みどりの淡きをえがけるとさえ信じられたのである。
「なあ、それなんなんだ」
 コライドンが不意に目をつけたのは、ウェーニバルが尾羽の根元に吊り下げている「かいがらのすず」であった。ウェーニバルの、絶え間なく敵を攻め立てるバトルスタイルや、追い詰められた際に力を発揮する「げきりゅう」の特性とも非常に噛み合いのよい道具である。それはウェーニバルが仲間たちにボールを蹴り返したときから、ちりちりと趣のある音を鳴らしていた。
 それを見つめるコライドンのまなあしはなんとなく物ほしそうな感じである。「かいがらのすず」など、別に珍しくもないものだった。コライドンはそれに何かときめきのような熱を感じ、そわそわとしてしまったのである。
「欲しいの」
「ああ」
 と言うコライドンに恥ずかしがる様子はかけらもなかった。コライドンはいつも物を欲しがったりはしないが、いざ欲しい物があると素直にそれを求める性格をしていた。しかし乞食のようにねだるわけにはいかないという意地もはたらいた。コライドンはただ爪の先でウェーニバルの尾羽に吊られた鈴を揺らし、音を鳴らすのみであった。
 ウェーニバルは一応、主人を連れてきた。「かいがらのすず」を外して、コライドンに差し出す。主人はそれを見て、紐を長くしてからコライドンの首に通した。
「あげる」
「いいのか」
「普通に売ってるものだしね」
「裕福なもんだな」と、トドロクツキが口を挟んだ。
「そんなことはないよ。でも街に行けばすぐ買える」
「ふん、そうなのか……」
 ウェーニバルは気がつかなかったが、トドロクツキの言い方には棘があった。それは別にウェーニバルの主人が裕福かもしれないことや、コライドンに贈り物をしたことに嫉妬しているわけでもなかった。ただウェーニバルが渡したものは穴の外の道具であった。それはポケモンが当然のように手に入れられるものではなかった。さらに深く詮索するとそこには交通の利便が関わっていた。ウェーニバルは穴と外を行ったり来たりすることを当然のように享受していた。それは多くのポケモンが羨む実力であるとウェーニバルは今まで気がついていなかったことである。
 オーリム博士のタイムマシンで過去からやってきたポケモンたちは、パルデアの異分子であった。エリアゼロこそ、彼らの安住の国であった。そうして、そこに生まれるポケモンたちこそ、世界でもっとも閉ざされた命の末裔――




「ここらじゃ草も木も生えねえくらいだが、そのぶん育ったきのみはうめえんだ。今は自分で採りにいけるが、昔はあたしも空も飛べんで盗むしかなかったから、手に入ったらうれしくってうめえっつって泣いたな」
 たとえば、ウェーニバルの主人が田舎の民宿などに泊まるとあまりの飯の多さに閉口したことがあった。年老いたガブリアスがウェーニバルたちにごろごろときのみを持ってくるのもそういうたぐいのやつで、ウェーニバルは、このじいさん、ぼくらを太らせて最後には食べてしまおうというんじゃないだろうなといぶかしみさえするのである。
 このガブリアスと知り合ったのは、ウェーニバルが大穴のコライドンに「かいがらのすず」を渡すまえのことで、それは主人が改めて大穴を探索するのに、大穴周辺の岩山の東端あたりを相棒のコライドンに乗って自由飛行しているときであった。
 あたしのなわばりだと主張するガブリアスが思ったよりも弱かったので、ウェーニバルはあっさりとバトルに勝っちゃった。そうしてそのあと歓迎された。ウェーニバルも主人も知らなかったが、大穴や、その周辺のポケモンたちは強い者が好きであった。実力主義的の考えが根深い野生において、強さはそのまま憧れとして見られた。
「遠慮するな、食べろ」
 主人がサンドウィッチを作ってくれるのに、ガブリアスは抱えるほどもきのみを持ってくるのだ。
「こんなに食べられないよ」
「若いのに何を言ってんだ。食べろ、食べろ。残したらあたしがあとで食べっから。それにしてもおめえ細いな。筋肉ねえな。ハハハハ」
 田舎的の歓迎を好む血の力でもあるのか。それとも稀な客を手放したくない心理か。
「ちょっと前もあたしがぶっつけた人間、えらい強かったな。でも来なかった。若いのはみんな遠慮しいだ」
 強い人間というのはネモのことだろうか、とちらりと思った。
「あの人は、自分並に強い相手をずっと探してるから」
「へえ。独りっきりにさもしいとなんにもなくなるって言ってやれ。んでうちにこいって言ってやれ」
 でも、あの人は自分で孤独にならなくても勝手に孤独になってしまったのだと、ウェーニバルは思いながらも言わなかった。今のネモはもう孤独ではなかった。誰々がネモを避ける理由はみんな同じで、多くの場合それは尊敬であり畏怖であった。ウェーニバルの主人は尊敬と畏怖を感じながらも、彼女のことをすこしも恐れなかった。彼女は強かったけれど、それはけっして取りつくろわない強さであった。その実直な強さに大きく心ひかれて、バトルを交わしてはネモの側面を見てたのしんだ。そのときの気持ちが、「かいがらのすず」をコライドンに渡したウェーニバルにはよくわかった。それは偶然の産物であったけれど、意外な一面を知ったのは多大な発見である。
「そういやおめえら、外のもんだったな」
 ガブリアスがそんなことを言ったのは食事のあとである。その質問にウェーニバルは、そういえば言ってなかったなと思うものの、むしろこんなところに外の者でない者など来るのかと思った。そうしてそれを口にするとガブリアスは「いやあたし人間に近寄らねえし、山にも穴にも友達いね。だから知らんこと多いな」と照れるのである。
「外はどんなだ」
「どんなってね。そうだな、最近はだいぶ寒いよ」
「そうか、寒いか。それはいやだなあ。あたしは寒いの苦手だ」
「この山もじゅうぶん寒いと思うけど」
「北の山はもっと寒い。あたしの山は小さい山でなさけなか、ハハハハ」
「わかんない」
「いい。でも、そうか。外か。おめえはなんにもなか」
 なんにもなかと言われても、ウェーニバルは何をさしてなんにもなかと言われているのか疑問であった。ただそこには心配の意が感じられた。ガブリアスの言い方とか表情でそれは汲みとれた。
「いやここらは田舎だから。田舎もんはよそものきらう。んでここで田舎もんじゃないって言ったら外のもんだ」
 つまりガブリアスは、田舎に特有の排他的の一面でウェーニバルや主人が不利になっていないか気にしていた。もっとも、ウェーニバルのほうではそんなことを気にしたこともなかった。野生が外来の存在を警戒するのは当然と思えるし、歯向かってくるなら叩きのめすだけのことだったからだ。そして穴のポケモンたちの態度は、良くいうと率直で遠慮がなかった。悪くいうと頭が悪そうでもあった。それはウェーニバルが最も好んでいるエリアゼロの一面でさえあった。
「別にそんなことはないよ」
「そうか、よかった。でも用心しろ。いや、用心してるのはこっちか。おめえ、ここのやつらになんか言われても気にするな。みんな外を怖がってんだ」
「ぼくは怖がられたことなんてないよ。むしろ、なにがそっちを怖がらせるの」
「なにって、おめえら、外のもんだ。だから、怖い。それだけで、怖いよ……でも、待ってもいるから。外のこと」
 それから、ガブリアスはまた「待っている」と言った。ウェーニバルに「なにを待ってるの」ときかれても、ガブリアスは自分で「待っている」と言ったくせにうまく返事ができなかった。




 ある夜のこと、街のレストランで注文を待っているあいだに主人がスマホロトムを眺めていた。撮影した写真をネット上にアップロードしていたのだが、そのときに大穴のコライドンの写真がちらりと見えた。首に「かいがらのすず」をさげて照れくさそうにはにかんでいる。
 あのコライドンは、かわいいものに反応する。
 しかし、不意にウェーニバルはこう考えた。「あれはかわいいものというより、&ruby(丶){外};&ruby(丶){の};ものに惹かれたんじゃないか。たとえばぼくの主人でも、友達の持っているものが欲しくなって買ってはみたけれど、いざ買うとそれを途端に興味を向けるべくもないもののように扱うときがある。それは曇った羨望だ。オレンジアカデミーで歴史の授業をするレホール先生が古いことをもてはやすのと逆の意志が、あのコライドンにはたらいたのだ」……
 それは、思いこむではなく正解だったのである。
 コライドンの目から見て、「かいがらのすず」は大穴のどこにもない魅力がにじんでいた。人間の街なら普通に買える道具でも、そんなことを知らないコライドンはこれまで知らなかった外部をそれに感じ、ポケモンでもそうして道具を身につけている一方で、自分が質素な事実をめずらしくも気にしてみたりした……
 その日、アカデミーの主人の部屋に帰ってから、ウェーニバルは荷物を物色した。
 ずいぶんと物が増えた。大部分は、宝探しの旅の中で手に入れて、やがて不要になったものだった。「ちからのハチマキ」、「しんぴのしずく」……かつてはウェーニバル自身が身につけたこともあった。どうせ要らないのだしコライドンにあげてもいいんじゃないかと思った。
 コライドンに好かれたいというやましい算段がないわけでもなかった。しかしコライドンに好かれたいと思っているやつはウェーニバルだけでもなく、それを率直に行動に示してもよかろうと、ウェーニバルはやましさsに対応した。無論そこにはしっかりと算段のほかに多大の善意があった。
 友達が小さな贈りもので幸福になってくれるならウェーニバルは満足であった。
「へえ、栞ってこんななのか。きれいだな。センシンテキっていうのか。透明で、すうっと文字がはいってるんだな。知ってる。現代ああとってやつだろ。あの人間の博士が本に挟んでるのを見たことはある。そのときはなんともなかったのに、実際に見ると違うな」
 翌週くらいにウェーニバルが運送業者として持ってきた栞に、やっぱりコライドンは反応しちゃった。しかもというのか、ウェーニバルの予想どおり先進的とか現代アアトの部位にである。
 ウェーニバルがコライドンに渡すのは、主人には不要のものばかりだった。栞にしても、なにかのイベントでバトルに参加した際の記念品だったが、主読書家でもない主人は、コミックなどを読みはしても栞は使わない。
 それでも、この大穴でいちばん強いポケモンが、ほんとうはこうなのだとウェーニバルは得意になった。友達といったら主人が手持ちに加えるポケモンばかりのウェーニバルは、ひさしぶりに友達の美部を発見するのが楽しかった。
 それからである。コライドンのねぐらにはウェーニバルが持参した人間の道具がこつこつと集まっていった。それをコライドンは疑問もなく受けいれ、ウェーニバルが望んだようにうれしくって顔をほころばせた。
 しばらく最深部にこなかったトドロクツキは、そこに外部の物質が多大なのを知ると仰天して。そうしてウェーニバルたちがそのときはいなかったので、コライドンを詰問した。
「リーダー、それはなんだよ」
「ハンカチだ」
「それは」
「ぬいぐるみ」
「それ!」
「小銭入れ」
「そんなことを聞きたいんじゃねえ!」
「なんだよ、うるせえな。わかってるよ。こういうの欲しがるなんて自分でもヘンだって思う。でも、それでも。ほら、きれいじゃねえか」
 そんなふうにコライドンはぬいぐるみを抱いて見せびらかすのである。見ていられないとばかりにトドロクツキは飛んで逃げだし、風を浴びて冷静になったあとはひかえめな表現でウェーニバルに憎悪さえ感じ、それはトロドクツキでなくとも穴のポケモンなら誰でもそう思ったろうし、ひかえめな表現を嫌うハバタクカミとかなら率直に「呪ってやる」とか「殺してやる」とか考えたにちがいない。




 パルデアの大穴、それ自体だけでも興味ぶかいけれど、ほかのウェーニバルはガブリアスの生活も観察するのがおもしろかった。
 ウェーニバルもパルデアの古い伝承に心おどる部分があった。人なつっこい性格のガブリアスは、そこらで縄張りを仕切っているような傲慢屋の野生よりは近づきやすいところがあり、話すほどに大穴の神秘がわかってくる。パルデアの大穴はまさに生きた伝承であって、そこに棲むポケモンは伝承を垣間見せる鏡なのだ。
「おめえがいると水やりも楽だなあ」
 とガブリアスがよろこぶのは、ウェーニバルが草木への水やりを手伝っていたからである。岩山の乏しい木々では自然の成長が追いつかず、水やりをして自分が食べるきのみを育てなくてはならないという。
「ぼくは水を操るのがそんなに得意じゃないから、こういうのってヘンに疲れるよ」
「休憩すっか。冷やしたオボンがある、下のやつから盗んだ」
 たしかに山の麓でタギングルが群れをつくっていたような。
「だめじゃないか」
「ドクセンキンシ法だ、勝手にきのみを独占するのはよくなか」
「まあ、どうでもいいか」
「ん、どうでもいい」
 よそのポケモンからきのみを盗むのがガブリアスの伝承なら、さすがに拍子抜けである。
 オボンをかじりながら主人のところに帰ろうとしているときであった。
「いつ、こっちに棲むんだ」
 ガブリアスがそんな質問をした。それはうたがわない声であった。穴へウェーニバルが定住することを前提に質問していた。それにウェーニバルは驚いて、「そんな気ないよ!」と思わず叫んでしまったくらいである。
「そんなら、なんでこっちくるんだ。いやくるなっつってんじゃなか。でもくる理由なか」
 くる理由ならウェーニバルにも主人にもいくらでもあったし、実際に見せてもいたのに、ガブリアスはそれを理解できなかったのである。
「だっておめえ、遠くから来てんだ。いつでも遠くから田舎にくるのは、家から離れたいやつばっかりだ。だから……おめえ……ここに来たんじゃないかって、棲むところを探してるんじゃないかって」
「違うよ、楽しいから来てるだけなんだ」
 ガブリアスが言うのは、一くらいならウェーニバルでもわかった。古代のポケモンは人間の街とかライドポケモンとか、車とか電車とかを詳しく知らないうえに、とじこめられた空間で棲んでいる。それを加味すると、棲み家を離れるということの感覚はウェーニバルと乖離しているはずである。
「そうなのか、それは中途半端だな」
「行ったり来たりするのが?」
「そうだ中途半端だ、いつかしっぺがえしがある」
 そうして黙りこくってから、ガブリアスは唐突に、「なあ、これはおせっかいで話す。でも長いから、眠たくなったら寝てもよか」
 ガブリアスは話がうまくないうえ、独特の訛りはウェーニバルに聞き取りづらい調子がある。それでも長談を聞いて最後にウェーニバルが解釈するには、一種の警告のような感じがした。「あたしらなんかと違って、人間に近い見た目をしていたり、人間に化けたりできるポケモンは、中には人間になろうとしたやつもいた。一度でも人間と暮らすと野生に戻れないので、人間のところに行ったやつには結構な覚悟があったと思う。でも、中にはどっちにもなりたい欲張りがいて、そういうやつは昼は人間のところにいて、夜は野生の生き方をした。馬鹿だと思ったし、やっぱりそんな馬鹿はいつか正体が露見してどこにも家がなくなっちゃった。そうして最後にそういうのがどうなったかは誰も知らない」……
「あんたは人間のところに行かなかったんだね」
「うん、あたし生まれついての野生だ。人間のところに行ったら苦労するって知ってた。だからやめた。そのほうが楽だから。なあ、おめえ中途半端はその馬鹿とおんなじになるよ。そんで選ぶなら楽だと思うほうな。苦しさから逃げるためじゃなか。息のしやすいほうを選べって言ってんだ」
 ガブリアスは笑ってから、ゴツゴツとした頭をウェーニバルのたてがみに擦り寄せるのであった。
「でもあたし、見た目もいいし人間とこ行ったら強い番なんかあてがってもらえたかもな。そこは後悔だべ、ハハハハ」
「中途半端じゃん」
「んだな、それに中途半端っつったらここもそうだし、口出しできん」
「なにか中途半端なの、ここは」
「うん。人間がポケモンを連れてきたところだ。それはおかしいことだ、よくないことだ。ポケモンは、いつか人間を怖がらせたからしっぺがえしを受ける。みんな最後は人間に殺されると思うんだべ。それで、公平。殺されるならあたしは、おめえにやってもらう。でも死ぬのはいやだから抵抗は全力でする、ハハハハ」と、笑ったあとでガブリアスは言った。「だからみんなが待っていられるうちにここへ来い」




 ウェーニバルはその日、いつものようにコライドンがめずらしがりそうなものを持ってきた。それはウェーニバルがクワッスのときに使っていたタオルケットである。
「毛布代わりには薄いけど、寒い夜になにもないよりはと思って」
「なんだ、誰かいるのか」と横から言うのはトドロクツキである。
 トドロクツキがつい結晶の隙間で眠っていたのは、連日の縄張り争いが終わってしばらく休息日だと理由をつけて、自分の洞窟より湿気の少ない最深部のほうへ避難していたのである。それがウェーニバルの声で起きだしてしまい、眠たそうに前足で目をこすってみたりした。
「おはよう。なんだよ、コライドンのこと言えないじゃないか。ぼくはわざとうるさくしなかったけど」
 からからとウェーニバルは笑いかけた。しかしトドロクツキは無視して、すうっと滑るように飛んでいってしまった。この対応にはウェーニバルもさすがに閉口したし、コライドンのほうもおどろいていた。
「なんだよ」
「どうしたんだ、あいつ。疲れてんのか」
 このところ縄張りのあたりがきなくさい様子だったのは知っていたので、今の態度も疲労からだと解釈できなくもなかった。それでもウェーニバルはすくなからず気分を害した。何か失望させられるような痛みもあった。
 そんなことがあったので、残されたウェーニバルとコライドンのあいだにも曇天じみた気まずい空気が流れてしまい、いたたまれなくなったウェーニバルは主人のところに戻っていった。
 テラスタルのエネルギーが凝縮した結晶体からいばらくテラピースを採取してまわり、やがて一休みすることになったので、ウェーニバルは洞窟から出て水辺のポケモンたちのところへ行くことにした。あそこのゴルダックやチルットたちはウェーニバルのダンスを気に入っていて、楽しくおしゃべりして過ごすのに気が合った。食事の時間には疲れているトドロクツキも呼んでサンドウィッチのひとつでも食べさせてあげようとも思いながら。
 敏捷な身のこなしであっという間に最深部を出ると、滝の流れる川に向かった。そこではチルットの群れが集まっていて、ウェーニバルもそちらへ寄っていった。
「みんな、久しぶり」
 ウェーニバルは呼びかけた。
 すると、チルットたちはなんの反応も返さずにほうぼうに散ってゆくのである。聞こえなかったのかなと、ウェーニバルは別のゴルダックのところへ行って、「久しぶり!」、今度は強く声を張った。そのときばちっとゴルダックと視線があったものの、ウェーニバルが恐怖してしまったのはそのまなざしのつめたさで、まるで檻の向こうにひそむ怪物を見くだすような感じである。
 奇妙だなと思うが、何が奇妙なのかもわからなかった。暗黙の拒否に弁解もできず、ウェーニバルは最深部へ引き換えした。そうしてようやく発覚したのは、穏やかな大穴の自然の中にいくつも同じ視線を認めることであった。大穴の野生たちは灰色の太陽のまなざしを刺しつけ、ウェーニバルが周囲を挙動不審にそのひとみで詮索すると、今度は見て見ぬふりを決めこむのである。
 ウェーニバルはついにトドロクツキの態度の意味を知った。あれは疲れなどではなく、現在なぜか向けられている集団のモラルからの攻撃と同じだったのである。その事実にウェーニバルはぞっとすると怒りもした。この陰湿な仕打ちの原因に心当たりもないので理不尽を告発するウェーニバルの心理は倍々にふくれあがっていった。
 それでも、憤りを維持するにも限界があった。敵が単一でない群衆であるために、矛先の狙いがさだまらないのである。そうして心細さが顔をのぞかせて、みじめさをいたずらに突っつきはじめたとき、ウェーニバルは観念した。「なぜだが今のぼくは大穴からきらわれている」……そう結論しなければならなかった。




 ある日のこと、ウェーニバルは主人とともにガブリアスになわばりを案内された。大穴を囲む岩山にしては自然豊かな一帯だった。別に飛んでいってもよいはずなのに、ガブリアスは徒歩にこだわった。それがガブリアスにとっては山に敬意を払う儀式的の意味があるらしく、いつもそんなふうにみどりを踏み踏み動きまわっているからなのか、えらばれた道の草は足もとのあたりだけちぢれてわかりやすい道しるべになっていた。
 それでも、人間の足はおろかウェーニバルにとっても山道はいささか野蛮すぎた。主人は息切れにあえいでおり、楽しそうに進むガブリアスを見て、ウェーニバルはこのじいさんの足裏は鉄でできているのかと思ってみたりするのである。
「おめえら、遅いよ」
「待って。もう主人がへとへとだよ」
「軟弱だなあ。もうすぐだから気い入れろ」
 人間が軟弱なのは認めるけれど、山のポケモンの足と同じに考えないでもらいたかった。
 ようやくガブリアスの案内が終わったころには、日が落ちかけていた。その、昼でも夜でもない優柔の時間は過ぎ去りし一瞬の橙色をしたまたたきである。
 そこからは、夕闇に同化してゆく大穴が一望できるのであった。ほとんど小高い林につつまれて、およそ視界は通らないだろうと思われるのに、なぜかガブリアスの案内した一角だけは岩山と同じく木々が禿げあがっていて、それでもなんとか歩いてやってこられて、そんな景色も望まれるのである。
 ウェーニバルは主人とともに嘆息を漏らした。案内してくれたガブリアスへ報いるために感想のひとつでも言いたかったが、それはかえって無粋な気がした。詩人がある場合においては文学的の虚飾をきらうように、持ちうる神秘眼を言葉で表現するよるも、無言のうちにこの夕陽を飲みこんでしまいたかった。赤い、地平線……
「おいで」
 ガブリアスは、ウェーニバルと主人を左右それぞれの翼で包んだ。「おいで」と言ったわりに「来てほしい」という逆の感情がこめられているようにウェーニバルは受けとった。寂しさをほかの温度で埋めあわせるその翼に、おどろきながらもウェーニバルは従うべきだと思った。
「ポケモンを恐れる人間たちがどの時間を最も恐れたのか、おめえ、わかるか」
「それは夜だろう」
「夜に出歩く影なんて、みんなポケモンだと決めこんでしまえばそれで済む。夜は凶悪なポケモンの出る時間だなんてわかりきったことだ。曖昧で、人間もポケモンもどちらも交わる昼と夜の聖域。その時間は、出会う影がどちらの側なのか、誰にもわからない」
「区別する方法はなかった?」
「ない。恐ろしい……ポケモンだって……今なら人間のとなりにいられる、と錯覚しちまう。聖域が、許してくれるはずもないのに」
 空でアオガラスが鳴いていた。そのけたたましい声は昼と夜をやつざきにするのである。
「ああ、いや。ごめんな。こんなこと話すつもりはなかった。おめえ、よく来てくれるから、礼に何か見せたくって。余計な問答だ。許せ、な」
「許されたい?」
 静寂が広がる。
「聖域が……許してくれたら……あんたは……うれしいの」
「おめえが仲間はずれにされていたときのことは聞いた。よかった。あのときうちにこなくて。もし来ていたら、おまえを切りきざんでた」
「ねえ答えて」
 静寂が広がる。肩を包む翼がわずかにりきんでいた。
「うれしいよ。あたしは人間のこと好きだから。でもそれはあたしの想いであって、みんなの想いじゃない。それにおめえの言いたい聖域は、違うな」
「そうだよ」
「穴と外が交わることに聖域を見つけたんだな」
「ぼくは、外のほうが大穴を恐れているんだと信じてた。それは正しかった。でも答えとしては半分だ。穴のほうも外を恐れていたんだ」
「穴のポケモンたちの血は呪われているんだよ」
 ウェーニバルは肩を抱くガブリアスを振り払って、ひとみを強く視線でつらぬいた。くちばしが知らぬうちに噛みしめられた。
「呪われてない!」と、ウェーニバルは言った。「もし呪われているとしても、トドロクツキはあのとき、ぼくに&ruby(丶){ず};&ruby(丶){る};&ruby(丶){い};と言ってくれた……それは、ぼくたちが大穴に憧れたように、トドロクツキが恐れながらも、外を受けいれようとしているからじゃないのか! ぼくは、ぼくはただ好きになってほしいのに……ぼくが大穴をうつくしいと知ったように……人間たちは、大穴を呪ってなんていないのに、自分で自分を呪うなんて、どれだけの意味があるというんだ?」
 叫ぶように、これまで言えなかった言葉を吐きだしてしまうと、目の奥が急に熱を持った。それもまぶたをぎゅうっと閉じて、あふれそうな脆さをこらえきると、ウェーニバルはふたたびガブリアスを見返した。
「強い呪いは簡単に解けない。見なさい」
 ガブリアスは顎をしゃくって、ウェーニバルも流れるようにそちらを眺めた。
「大穴は山に囲まれて創られている。あたしは山を知ってるから言うんだ。あの尋常でない穴は呪われた命のために、穴を創った霊性どもが、山を引き裂いて均したのだ。そうして、呪われた者どもと人間たちを遠ざけようとしたんだな。そして、逃げだしたいと思われないように工夫まで。大穴の自然は衰えない。大穴が見えるこの丘の草木はひどく弱々しい。それが本当のすがたなんだ。霊性どもが祝福して無理やり肥えさせたこの土地は、きれいすぎて、とてもいやな感じがする。あるべきすがたを教えてくれるのは、この場所のような、稀に山で見かける祝福し忘れたところだけ」
 そう教えられて、ウェーニバルは大穴がまるで森のただなかに穴が空いているように見えたのであった。みどりは円の周囲をきっちりと埋めつくしていた。それをウェーニバルは一種の結界、あるいは厳密な国境線のようだと思うのだった。
「おめえ、ポケモンを恐れるなら、なぜ呪われた大穴の周囲に人間は住みついた? なぜパルデアから逃げてしまわない。それはポケモンよりも人間たちのほうが恐ろしいからだ。あたしは大穴のポケモンの由来は知らない。しかしこの土地にこのんで住みつくようなやつは人々にきらわれて、神々の琴に触れて、霊を地から呼びさますような嫌われ者だったと信じている。そして呪われたポケモンの子供たちも、血が続くかぎり同じように呪われた。血は言いつけを守らせる」
 そうしてガブリアスは唱えるように、今なお続く呪いに畏れを含み、こう教えた。
 ――親たちは子供に伝える。子供たちは知る。
 ――外を恐れろ。外を許すな。絶対に許すな。
 ――罠を張りなさい。警戒をおこたらないようにしなさい。
 ――穴から出てつらい思いをしないように。血につらい思いをさせないように。
 ――哀れな子供たち。
 今に太陽がすべて沈もうとしていた。まもなく聖域が終わりを迎え、夜が産まれつく。
 穴のポケモンたちにとって、人間たちはまさに「外の生きる伝承」であった。




 かつて人々のかかえていた霊性どもへの畏怖というものの原始的のかたちがどのようであったのか、ウェーニバルに知る方法はない。もとより闇深くにひそむ者たちであったけれども、ついにはさらに深いところへ消えてしまい、それに足なみをそろえる呪われた人々のほかに、もはや知る者はいなくなってしまった。霊性どもは古来より、迫害の民の友達であった。
 ――聞こえるかい? まだ待っている。
 主人を置いて山を駆けおりていったウェーニバルは、ゼロゲートに飛びこみ、転送装置へ飛びこみ、観測ユニットを飛びだして、だれにも相手にされないまま、最深部へ向かった。その途中で大穴の大自然を見渡した。こうして眺めると、無言の攻撃にさらされたことがウェーニバルには信じられなかった。みどりが日ざしの下でやわらかな空気につつまれている。穏やかにポケモンたちが群れをなしている。幼い野生が輪をえがいている。だからこそ、大穴のポケモンたちのモラルと対比して、ひどく薄らざむい思いにさらされた。
 やがて最深部の洞窟へやってきて、ウェーニバルはコライドンを探しはじめた。コライドンにだけはつめたくされなかったことをおぼえていたのである。しかし洞窟に飛びこんで最初に会ったのは、うつむいて宙に佇むトドロクツキであった。あるいは、ただ佇んでいたと表現するより「待っていた」というほうが正しいのかもしれなかった。
「待ってたぜ」
「どこにいるんだ、きみのリーダーは」
「どこに行っても相手にされなかっただろう。かわいそうに。でも、おまえがわるいんだ。わるいことをするからオレたちは、掟破りをそうするように、おまえをあしうんだよ」
「ねえ、トドロクツキ。怒らないよ。コライドンはどこにいるの」
「オレたちを、名前なんかで呼ぶな!」と、トドロクツキは激昂した。「中で昼寝してるよ。おまえの渡したタオルケットなんて使ってさ。ほんとうにいまいましい光景だ」
 そのときトドロクツキは空からおりてきて、はじめて露骨な憎しみを顔に掘った。鼻面に皺を寄せてウェーニバルを強くにらみつけた。ウェーニバルはすこしたじろいでしまった。この友達がそんな表情をするとは、考えたこともなかったからである。
「何がなんだかわからないよ。みんな、そんなふうに呪いそうな目で見つめてくる。なんなんだよ? ぼくが何をしたっていうんだ」
「何をしたって、してるじゃねえか。オレたちのリーダーをたぶらかして……どういうつもりなんだ」
 トドロクツキの言うことは、あまりに突拍子もなく感じられて、ウェーニバルは場違いにも目をぱちくりとさせてしまった。
「ほら! 思ったとおり、わからねえんだ。わるいことをしてるのに、自覚がねえんだろ。これだから礼儀のないよそものはいちばんムカつくんだよ」
「たぶらかすって、なんのことだ」
「リーダーに外の道具を渡してる。それがオレたちには非常にムカつくんだ。いいか、オレじゃない。オレ&ruby(丶){た};&ruby(丶){ち};だ」
 ウェーニバルは息を呑んでから、ひとまず冷静に情報の整理につとめてみた。しかしどう考えても話がうまく飲みこめないのである。あることを簡単にできる者が、できない者にどうしてできないのだろうと嫌味のない疑問をいだくように、それはけっして噛みあわない。産まれのへだてから露わになる思想の差異であった。
「待ってくれよ。たしかにコライドンに外の道具を渡したけど、たぶらかそうだなんで思っていない。ただうれしそうだったから」
「おまえがどう思っていたかなんて問題じゃないんだよ。大切なのはオレたちにはそうとしか見えねえってことだ。でもおまえはこう思ったりしたんじゃないか。リーダーを外に連れていってみたい、とか」
 ウェーニバルはぎくりとした。コライドンが外の道具でよろこぶすがたに、そんなことを考えないでもなかったのである。
 つねづね自分が大穴を知ったように、大穴にも外を知ってほしかった。しかしその友情はウェーニバルはあまりに一方的と感じられた。だから素直に外を知ろうとするコライドンはウェーニバルにとって、外と大穴を結めあわせる触媒にもなっていたのである。
「困るんだよ。リーダーが外に行ってしまって帰らなかったら……オレたちにはリーダーが必要なのに……誰も最後はリーダーに勝てないから、本気で外に行こうとしたら止められないんだよ! どうしてよそものはそんなこともわからないんだ」
 呪われろ。トドロクツキがそう呟いた。
「どいつもこいつも、この穴に外の伝説を連れてくるやつは呪われちまえ! 呪われて……死んぢまえ!」
 そう叫ぶと、トドロクツキははっとして、今度はゆっくりとウェーニバルに語りかけた。露骨に死を強要したのが、罪の意識にひびいてしまったのである。
「おまえ、ずるいよ。なんでおまえは簡単に棲み家を離れて穴にくる。なんで怖くない。外のやつらにとって、巣を置き去りにするのはそんなに簡単なことなのか。オレたちだって外に興味がないわけじゃない。それでも、興味なんかより、群れを離れることや、外に穴の中身を圧迫される恐怖のほうがよっぽど怖いんだ」
「外は怖くなんかないよ」
「忘れていたくせに、オレたちのことを」
「すぐにでも思いだせる」
「だめだ……わかっているんだ、ほんとうは。外も、人間たちも、恐ろしくなんかない。おまえたちを見れば、外がオレたちを受けいれてくれるって。でも信じねえよ。まだ信じられねえ!」
「だいじょうぶだよ。信じて」
「おまえのことは、好きだ。これからもそうでいたい。たのむからリーダーを誘惑しねえって誓ってくれ。おまえをきらいになりたくねえ。おまえのために脅迫してくけどな、これ以上はオレたちが簡単に済ませてくれるとは考えるなよ。おまえは呪われて、殺してくれとさえ思う。でも誰もオレたちを止めてくれない。誰もおまえを助けてくれないんだよ」
「なにしてんだ、おまえら」
 二匹して、一瞬だけ時が止まったように感じられた。夢中で言い争っているうちに、起きだしていたコライドンが自分たちを見つけてしまったのである。
「喧嘩か?」
「いや、別に……」
 ごまかそうとするトドロクツキに、ウェーニバルは割りこんだ。
「ねえ、きみは外に行きたいと思ったことはある?」
 それは咄嗟に出てしまった質問であった。トドロクツキが絶句しているのが見えたので、ウェーニバルは「これは殺されてしまうな」とわかった。奇妙にも恐ろしくはなかった。ただ漫然とコライドンの返事にすべてを託した。
「別に」
 あまりに簡単すぎる返事なので、ウェーニバルは腹をかかえて笑いだしてしまいたかった。コライドンは外の道具をおもしろがりはしても、外のことはどうでもよいのだとウェーニバルは即座に理解してしまった。だからウェーニバルは諦念を含めて、こう返した。
「そっか。わかった」
「よ……よかった! わかったって、そういうことだよな。ごめん。卑怯だったよ。おこらないでくれ。オレは自分がわるいことをしたちは思わねえ。なにもかもおまえがわるいと思ってる。それでも謝るよ。ごめん。ごめん……」
「ぼくは最初から、おこってなんかない」
 トドロクツキは前足にウェーニバルを抱きかかえた。そうして子供のように泣きはじめた。ウェーニバルのほうでもつうっと涙がこぼれたが、泣いてしまった理由はよくわからなかった。ただコライドンが「別に」と返したとき、外と大穴のわずかな友情がこわれる音がした。別にそれはくやしくもなかったし、悲しくもなかった。それでも泣いていた。まるで違う誰かが泣いているような……
 コライドンは、二匹が急に泣くので、ただおろおろと困惑している。




 夜になった。
「帰りなさい」ガブリアスは暗くなってゆく空を眺めた。「飛んで帰れ。あたしは歩いて帰る。行け。これでも野生のはしくれだ。夜は我慢ができなくなる」
「今まで我慢していたの」
「うん。おめえ、まずそうだけど無防備だから」
「笑えない」
「ハハ、ハハハハ」
 主人がコライドンに跨り、その後ろにウェーニバルも乗った。山肌を短く駆け、ふわりと空に浮かびあがると、ガブリアスは山の暗闇へ消えていった。がさがさと草を踏む音ばかりがした。その音までも小さくなるころに、弱々しい木々の狭間を抜けて、今日の別れを告げる声がした。
「ウェーニバル!」
 ガブリアスは、人間が呼ぶポケモンの名前を覚えていた。
「私たちはこわがりで、外にはあゆみだせないけれど、それでも待っていますから。いつになるかはわからない。それでも外にあなたたちのような人間とポケモンがいるならば、やがてすべての悲しみに報いることができるかもしれない。私たちは呪われている。それでも私たちを求めて、私たちを見つけて。永遠に待っていますから!」
 声は吹きぬけていった。それからはわずかに揺れて触れあう木々の葉のざわめきと、風切り音だけである。どういう意図なのか、おおよそガブリアスらしくない言葉づかいに、ウェーニバルは違和を感じた。しかし聞きなれないにも関わらず、意外と耳ざわりはよかった。どこにも、何にも属していない、そんな声……
 振り返ると、山々の麓には街明かりが漏れはじめていた。今や夜の世界にも人間の活動がある。それでも夜の山を歩くような恐れ知らずは誰もいない。




 そうして季節は巡っていった。
 冬である。前日にやたらと雪が降っており、パルデアの大穴さえも白く染まっていた。夏と秋のにぎわいが終わると、ポケモンたちは巣からあまり出てこないので、大穴は昼間も静かであった。
 ウェーニバルは主人とともに、ざくざくと雪を踏みながら歩きなれた大穴を進んだ。道中、野生のポケモンたちがちらりほらりと寄ってきた。決して敵対的ではなく、ウェーニバルも心安く接した。そうしたポケモンたちを見ていると、ウェーニバルは自分にもたらされたつめたい災いを思いだすのである。
 コライドンに外の道具を渡さなくなると、みんなの態度が一変したのを強烈におぼえていた。それがあまりにあとくされを感じさせず、ほとんど豹変とさえ言えたので、つめたい災いはそれこそ夢の出来事だったのではないかとうたがうほどである。
 最深部ではめずらしくトドロクツキが踊りを踊っていた。サンバのリズムである。
「上手くなったね」
 当然、教えたのはウェーニバルだ。
「だろう。リーダーはいないぜ。きのみを採りにいってる。このところは寒くて獲物も捕まらねえから、毎日でもきのみがメシだ」
「きみってさ、コライドンにだけ乞食っぽいところあるね」
「言ったな。なら今日はリーダーのきのみを食うなよ」
「ぼくは乞食です!」
「うん、うん。乞食は最高だな」
 ウェーニバルはトドロクツキと洞窟を出て、退屈しのぎに雪だるまを作ることに意見が一致した。ウェーニバルが体を、トドロクツキが頭を転がした。意外と文化的で、わるくない遊びだった。しばらく雪ころがしにふけっていると、トドロクツキがこんなことを言った。
「おまえもここに来て長くなるな」
「そうだっけ?」何度も来ているが、まだ半年も経たないはずである。
「棲んだらどうだ」
 二匹はぴたりと手を止めた。
「少なくともオレは歓迎するよ。おまえはおもしろいからな。棲む場所がないなら、オレのところに寝床を作ってやる。メシの準備なんかはしてもらうけどな」
「優良物件だ」
「だろ?」
「トドロクツキ、ぼくは棲めないよ」
 ウェーニバルはほほえんでみせた。
「ぼくはこの大穴が好きだけど、外も好きなんだ。どちらも大切だ。だからどちらにもいける中途半端でいいんだよ」
「そうか。ずるいな。やっぱりおまえはずるいやつだよ」
「うん。ぼくってずるい」
 そのうち雪玉がふたつ完成すると、小さいほうをウェーニバルが持ちあげて、大きい雪玉の上に載せた。最深部への入り口のまんなかに雪だるまができあがった。
 そのとき、丁度よくコライドンがのろのろと飛んでいる姿が見えた。ウェーニバルが渡したタオルケットがきのみで膨らんでいる。二匹が手を振ると、相手もぎこちなく振りかえした。
「なんだそれ」二匹の傍におりたつとコライドンは訊いた。
「雪だるま。ぼくは童心を忘れないんだ」
「それでも洞窟のまんまえに作るなよ。邪魔だぞ」
「なら、これは参道の神さまってことにしよう」
「へい、へい。好きにしろ。今日は食っていくのか?」
「うん。今日は主人がお菓子を買ってきたから、あとでみんなで食べよう」
「聞いてねえぞ」と、トドロクツキが言った。「なら乞食はオレだけじゃねえか」
「そうなんですなあ、ふふふ」
「おまえら、腹は減ってるのか」
「実はぼく、もうお腹ぺこぺこ」
「雪あそびって腹が減るなあ」
 そのときである。ごく短く、しかし力づよく雪を舞いあげながら冬風が吹く。それにあわせて、コライドンが首に吊っている「かいがらのすず」がちりちりと音をたてて揺れた。
 大穴を囲む山に隠れかけた陽ざしを背に、コライドンは笑ってこう言った。
「待たせたな」



 
   ごめえん、まったあ? きゃぴ、きゃぴ。
   第十三回仮面小説大会、準優勝でした。ありがとうございます! 絶対にありがとうございます!
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