作者名:[[風見鶏]] 作品名:失われた感情10 前作:[[失われた感情1]] [[失われた感情2]] [[失われた感情3]] [[失われた感情4]] [[失われた感情5]] [[失われた感情6]] [[失われた感情7]] [[失われた感情8]] [[失われた感情9]] ・現在注意すべき表現はありません ---- 「……リオ」 扉を開けた目の前に、二匹の姿があった。 空気は緊張感が支配しており、焦燥が伝わってくる。 「っ! フィフス!」 リオがこちらを振り向く、姿を確認するとこちらに走り寄ってきた。 だが、足は途中で止まる。 「……フィア、あなたも、何か用?」 なるべく平静に装っているつもりなのだろうが、そこには嫌悪感がにじみ出ていた。 「……なにか、進展はあった?」 その反応をわかりきっていたはずなのに、フィアは少しだけ顔を歪ませた。 そして、その言葉に対する答えも、わかっているのに、問いかけた。 「……意地悪だね」 激昂することもなく、疲れたような口調だった。 「フィアの言うとおりだったよ、セキュリティーは、解除できなかった。 緊急停止をして、潮の流れに任せようとしたけど、それも出来ないみたいだった。 ……フィアの勝ちだよ」 そして、崩れるようにその場に座り込んだ。 「あ~あ、せっかくここまできたのになぁ……」 悲観するような表情はそこにはない。 たとえるなら競争して、負けてしまったときの台詞のような言い方だった。 それは実感が持てないのか、それともその先を想像しないようにしているのか。 いずれにせよ、現実感のない言葉だった。 「……ねぇ、フィア」 視線は天井を向いたまま、リオは言葉をつなげる。 「せめて、子供たちだけは、助けてくれないかな……?」 その言葉に、フィアは返事をしなかった。 「……お願いだよ」 さっきよりもトーンが低く、切実さがます。 「……」 それでもフィアは言葉を返さない。 「……お願い」 震える声、リオの首筋に、涙の筋が出来る。 それでも、言葉は返らなかった。 「……なんで、私たち、殺されないといけないのかな」 根本的な疑問だろう。 悔しさと、やり場のない怒りを秘めたからだが、小さく震える。 「それは、私たちの存在が、自然界のバランスを崩す存在だからよ」 その声はルゥだった。 「っ!? どういうこと?」 予想しない主の答えにリオは動揺を隠せない。 しかし、ルゥは無視して操作盤から離れ、フィフスたちの下へ歩み寄った。 「かんたんなことよ、トレーナーのポケモンである私たちは、強すぎるから」 足音を立てない歩き方、そして、隙を見せ付けない視線の配り方。 確かに普通のポケモンとは言いがたい。 そして、それは確かにリオにも言えることで、 同時に森で暮らしてきた僕、フィフスにも言えることだった。 「……でしょう?」 確認するようにルゥは言葉を放った。 全ての視線がフィアに集まる。 「……そうよ、そのとおり」 船室のドアを閉め、フィアは座り込む。 「きっと、今が話すときなんだろうね」 誰も、何も言わない。 「……そもそも、あの森がなんだったのか、誰かわかっている人はいる?」 返答を期待してか、フィアはルゥのほうを見る。 しかし、ルゥの反応は好ましくなかった。 虚をつかれた表情をし、フィアから視線をそらしてしまう。 「ルゥ、あなたが言った言葉を思い出して」 それでもフィアはルゥに答えを求めた。 「……まさか、人がいらなくなったポケモンを、捨てるための森って言うの?」 数秒をかけてルゥが言葉を見つける。 自信がないような言い方だった。 違う、そうあって欲しくないからこその言い方なのかもしれない。 だが、フィアはうなずいた。 「そうだよ……」 周囲の全員が、息をのんだ。 「酷い話ね」 かろうじでルゥがそう言葉を返す。 それ以上の言葉は言い返せないようだった。 「……それに、仕事とかも、ポケモンが全部管理しているわけじゃないんだよ」 「っ!?」 「一番後ろでは、常に人間が管理していた」 「嘘でしょ……? それならナイトが黙ってないはず……」 「無理だよ、あくまで人間は文化の形成をしていただけだから、 ポケモンしかいないこの森じゃあ気づけない」 淡々と言う口調には、皮肉っぽい響きがある。 「……」 誰かが歯軋りした音が聞こえた。 「野生からきたポケモンなら、気づけたのかもしれないね。 そもそもこの森に通貨があること自体、おかしいことなんだから」 フィアはまだ言葉を続けるようだ。 「……この文化も、人間が思うように作ったもの。 ポケモンたちがお互いにつぶし合うように、この森は作られた」 「それなら……ありのままのほうがいいんじゃないのか?」 耐え切れなくなり意味のない質問をする。 「フィフスだって大体はわかってるでしょ? ……知能をある程度もたせて、感情のままに行動させれば、 力あるものだけが残る、邪魔な存在も、その力あるものに、全て殺される。 あとは、わかるよね」 「……一定数の強者が残り、後はそれに従う力ないものだけ。……恐ろしい考えね」 ルゥが僕の代わりに言葉をつなげた。 「それでも、リスクはそれ相応の――」 「聞くまでもないはずだよ。だからこそ半島であるこの森なんだよ。 隔離された地域、だからこそ強者はそれ以上の力を望まないし、 人間たちの存在と力を図れない」 言葉を返したルゥの反論をフィアは全て押しのけた。 「……そこまでして、私たちは駆除されないといけないのね」 それは、ほとんどあきらめに似た響きだった。 「勝手すぎるよ……こんなの……!」 リオがついに耐えられず、泣き出してしまう。 「何で殺されないといけないんだよ! 私たちはただ平凡に過ごしたいだけなのに! 何で人間の思うようにされないといけないんだよ! こんなの絶対おかしいよ!」 リオの言葉を止めるものは誰もおらず、慰めの言葉も、誰もかけなかった。 「……人間が、この世界において、一番強い立場だから。これ以外に、理由はないね」 泣き崩れているリオをみつめながら、フィアが小さくつぶやいた。 その瞳は、今まで見た誰よりも濁り暗く光を宿さない。 「その立場がなくなるのがいやだから、消されるんだよ。 団結して、反乱を起こされるのが怖いんだよ」 言葉はつづく。 「……だからこそ、敵意を持つ存在は、徹底的に排除される。 この森であったことと、全く同じこと」 無感情な響き。 誰も何も反論しなかった。 「そうすることで、人間の世界のポケモンを、無知のままにさせる。 そして、人付きのポケモンたちの信頼をなくさないようにしている。 皮肉だと思わない? こういうことをしていることも知らず、 人付きのポケモンは命を懸けて人間に尽くすんだよ? ……理不尽だよね」 言葉が何も出ない。 失望なのだろうか? なんだかそれ以上に、何かが崩れてしまったような感覚だった。 リオも、ルゥも、何も言わない。 同じような感覚なのだろう。 少なくとも、今の話だとリオも、ルゥも、トレーナーから捨てられたポケモンだ。 ……心のどこかではまだ、信じていたのかな。 きっとそうなんだと思う、 悔しいけれど、ご主人様とすごした日々は、間違いなく忘れられないし、 注いでくれた愛情は、嘘でも、形として残っている。 ……僕の姿として。 「人間って、みんな、そうなのかな……」 フィフスの口から、言葉が漏れる。 今となっては遅すぎる質問がその場に放り出された。 「……わからないな、私には」 そう答えたのは、フィアなりの気遣いなのだろうか。 だが、慰めと呼ぶには、あまりにも空虚に聞こえる言葉だった。 「フィフス、もし、あなたたちが生きることを望むのであれば、それは、本当に辛い道になるよ」 口に出した言葉は、あまりにも自然な優しさと気遣いに満ちていて。 フィアの意図を読み取るのを、一瞬忘れてしまった。 「……フィア?」 「こんな現状をしっても、人間を、信じることは、出来る? もういちど、マスターと、パートナーの関係を戻すことは、できる?」 その場の誰もが、フィアの言葉に戸惑っていた。 「フィア……あなた……」 「どうなの?」 ルゥの言葉を遮る。 質問に答える意思はないようだった。 フィフスの脳裏に最悪のシナリオがよぎる。 「……それしか、ないのなら、私はその道を選ぶよ」 リオが答えを返す。 「正直、難しいかもしれない。 それでもね、子供たちだけは、助けたいんだ。 何も知らないあの子達なら、きっと、新しいマスターともうまくやっていける。 だから、私は前に進みたい」 しっかりとフィアを見据えた瞳は、迷いがない。 「……もちろん、みんな一緒にね」 付け足した言葉は、もちろんフィアに宛てられたものだ。 「それでこそ、だね」 だが、フィアは小さく笑いながらその一言を返すだけだった。 「……」 リオもそれ以上言葉を言わない。 「船着場から、北西に進んでいけば、人間が住んでいる市街地がある。 そこで、新しい人間に拾ってもらえれば、あなたたちは殺されずに済むよ」 「……どうして、そこまで教えてくれるの?」 ルゥが問いかける。 「さあ、ね」 「いまさらごまかさないで」 とぼけるフィアを、切り捨てる。 「そんなことをしたらあなたは無事じゃあすまないはずよ!」 激しく言うルゥ。 しかしフィアは動揺を見せず、作り笑いを見せる。 「フィア!」 「……私が決めたことだから、後悔はないよ」 今にも泣き出しそうな表情にみえるのに、顔はきれいな笑顔だった。 優しく、屈託のない。 それなのに、妙に寂しく、哀しい表情だった。 「さ、船室に戻りましょう、操作できない今、ここに居る必要もないしね」 話をきるように、閉めたドアを開ける。 生暖かい、港の潮風が流れ込む。 先ほどとは違う、何かが混ざった香りのする風は、 否応にも到着を知らせてくる。 「いきなよ、子供が待っているよ」 そういってフィアはドアの前から退く。 リオとルゥは多少不安そうな顔をしたが、黙って出て行った。 「……フィア」 ほとんど恐る恐るという感じで声をかける。 「ごめんね」 切り返しの代わりに、フィアがその言葉を言う。 「あなたが、散々強姦されてきたことも、傷ついていることも、知っているのに、 あんな形でしか、愛せなくて……」 先ほどの行為に対する謝罪。 「フィア」 「あきらめられなかったの。 このまま、何もなく、終わることが、いやだった」 どうやらフィフスに喋らせる気はないらしい。 それを、知らずのうちに理解していてか、フィフス自身も言葉をつなげなかった。 「だってさ? 嫌だよ。せっかく、逢えたのに。せっかく、最期まで、一緒に居れるのに。 何もなしに、別れるなんて、ないよ」 その言葉は、もうこれからの結論を出してしまっていた。 「……」 何も言い返せない自分が憎い。 ほんのわずかの間だけだが、フィアの言葉の間隔があく。 それはきっと、その場しのぎでも、慰めの言葉が、欲しかったのであって。 フィフスに、気づいて欲しかったのだろう。 「どんな気持ちか、最期まで、私にはわからないけど。 ……けど、受け入れてくれたことは、本当にうれしかった」 その、わずかなタイミングも、逃してしまった。 「本当だよ? たとえ、同情でも、……それ以外でも、 私の中に、残してくれたものは、変わらない」 その言葉は、求めていた言葉なのだろうか? 「何も、変わらないよ。 フィフスのぬくもりも、鼓動も、キスも、そして……セックスも。 私の中の、思い出は、ずっと、私がいなくなるまでこのままだよ……」 閉じられたドア、 風も、波音も、遮断された空間。 二匹だけの空間。 フィアが、目の前にいる。 何も、邪魔をするものはない。 「大好き。フィフス……!」 フィアが、僕に向かい飛びつく。 求めていた言葉。 望んでいた、光景。 いま、僕の思い描いた、世界が、ここにある。 僕も……だよ。 だいすきだ。 それなのに、心に残るのは。 胸を切り裂くような、悲しみばかりだった。 「……!」 それでも僕はフィアに顔を押し付ける。 それが、フィアの思いに答える手段だったから。 言葉では、応えることは、出来ない。 「ねぇ、キスして、いいかな?」 小さくフィアがいう。 「……」 もちろんいいに決まっている。 けど、答えを返したくはなかった。 「最期の、わがままだから……お願い……」 思いは、こういうところまで、現実になってしまう。 辛い。 「顔、あげて……」 けど、前を見なきゃ。 「顔立ちも、その体つきも、もちろん、フィフスの内面も、全部、大好きだよ……」 そういって、僕の口を、優しくこじ開ける。 最後になんて、したくない。 けど、もしかしたら、最期なのかも知れない。 だからこそ、二匹は躊躇はしなかった。 お互いが、求めるすべてを、絡ませたディープキス。 涙はない。 せめて、最後は、お互いの最期の思い出として、きれいに飾りたかったから。 「……」 そして、それをわかっていてか。 窓の外から見つめる彼女は、邪魔をしようとはしなかった。 「いいの?」 ルゥは確認するように語り掛ける。 「……うん。わたしは、大丈夫。もうわかっていたから」 そういうが、リオの表情はなぜだか笑えていなかった。 「誰も、死なせたくないよね」 ごまかすようにルゥに言葉を返す。 「……そうね」 お互いの体温を確かめるように、ルゥはリオに体を寄せた。 「ルゥ……子供たち、元気に育つといいね」 「……そうね」 まるで雑談でも楽しむかのように言葉をつなぐリオ。 「どんな子に、育つのかな? やっぱり、2匹に似て、賢くて、強いのかな?」 「さぁ、どうかしら?」 はじめは無愛想に返していたルゥも、リオの言葉を聞くうちに、自然と言葉が出ていた。 「ルゥ、たとえ、子供と離れ離れになってもさ、子供たちのことは、忘れないでね」 「わすれないよ、たとえ大きくなっても、私の子供なのは、かわらないしね」 その言葉の真意に、ルゥは気づけていない。 「……私も、子供、欲しかったなぁ」 「なにいってるの、たとえ、血がつながっていなくたって、 子供たちにとっては、私たちが、親に変わりはないわ」 リオのほうをルゥは向くが、リオはルゥを見るようなことはしなかった。 「そうだね……」 一言それだけを返す。 「リオ――」 「そろそろ、中も、いいみたいだね。行こう、ルゥ」 何かいおうとしたルゥを、無視するように言葉をかぶせた。 「……」 それに対し、ルゥは口をつぐむしかない。 「いこう、私たちの自由を探して」 語らない。 その目に何を写しているのかもわからないまま、リオは扉を開けた。 扉の開く音とともにフィフスはそちらを向いた。 「あ……」 やはりいつまでたってもこないからおかしく思われたのだろう。 扉にはリオとルゥがいる。もちろん子供も一緒だ。 「遅かったから、こっちから来たよ」 さして何事もないように振舞う。 まだ、キスの感覚が残っているようで、少しだけ気恥ずかしく思えた。 「まだ、穏やかに眠っているね」 リオが背に乗せている子供を見てフィアがささやく。 「うん、それよりも、本題に移ろう?」 フィアの言葉を流すようにリオは話題を推し進める。 「……わかった」 それに少しだけフィアは訝るような表情をしたが言葉をつなげる。 ルゥはもう反論しようとはしなかった。 それを見てわずかだがまだ、心が痛むように思えた。 「前を見たらわかるけど、港が見えるよね?」 そういって三匹の視界から離れるように動く。 操縦版から見える窓からは、冷たい雰囲気の町並みが見える。 長く突き出た石柱、煙突からはいくつか灰色の煙があがっているのが見える。 無機質な鉄で出来ている家は、フィフスが見てきた家やマンションとはあまりにも違って見える。 さらに奇妙なのは、輸送船が並ぶ波間の奥に、大きな鉄の缶がいくつも積みあがっているところだ。 いずれも、フィフスの思い描いた港とはかけ離れており、 その姿は「工場」と呼ぶのが相応しいように見えた。 「船は、今見えるドラム缶の山あたりにつくわ。 そこから降りたら、すぐに、その山に向かってひたすら進む」 表情は真剣そのもの、 先ほどのことは、まるで別の時間帯で起きているような錯覚を覚える。 だが、裏を返せばそれが、向こうの立場であるフィアが、 こちらと運命を共にする覚悟の表れであるという事だ。 「まって、その……ドラム缶? のほうは深い森になっているわよ?」 ルゥが言葉を返す。 「それでいいの。工場に向かうと、人間に出会う可能性が大きいからね。 危険地帯だけど、あっちに向かうほうが総合的には安全なのよ」 ここで言うフィアの人間は、おそらくフィアの立場に程近い人間のことだろう。 「……信じて、いいんだよね」 リオの言葉が聞こえた。 「……信じてなんていわない。けど、さっきも言ったとおりだよ。 私も、もう戻ることは出来ないの。 私の身分を証明するものも、居場所を知らせるものも、全てもうない。 正真正銘、野生のポケモンだよ。……あなたたちよりも、重罪のね」 そういってフィアは鎌のあたりをフィフスたちに向ける。 そこには何かでえぐったような傷があった。 ……まだ、新しい。 だが血はもう止まり、固まりかけている血の塊が、なんとも不気味だった。 「ここに、居場所を知らせるためのマイクロチップを埋め込まれていたの。 レイと、別れるときに、壊した。 だから、もう、向こうでは、私は死んだことになってる。 当然、もう連絡も取れない」 フィアは再び向き直る。 「証明になるとは思わないけど、これが、私に出来る、精一杯の答え」 誠意だけでは、潔白は証明できない。 だが、フィフスの中では十分だ。 それも、フィアとの契りのせいだろうか。 買収されているといえば、否定できない。 だけど、信じたかった。 空っぽになった自分を受け入れてくれた、大切な存在。 僕を、再び満たしてくれた、大切な存在。 だけど――。 「フィフス、ルゥ、リオ、約束する、私が、必ずあなたたちを守る」 身を賭してでも。 その言葉には裏がはっきりと見えた。 「……」 沈黙が生まれる。 それで時間は止まるはずもなく、船はそのまま輸送船の真横を通り、波止場へとついた。 「陸から見えないように隠れながら出よう。 連絡はなくても、見張りの人間がいるはずだから」 幸い大きな輸送船にはさまれているので周りからはまだ見えていないようだ。 「急ごう、私についてきて」 そういって慎重にドアを開ける。 先ほど感じた異質なにおいがさらに濃く感じられる。 左右を見渡し、安全を確認すると、フィアはこちらへ向き合図をした。 リオ、ルゥと続き、自分は最後に出る。 フィアは隣の貨物船のほうへ飛び移っていた。 「確かに確実だけど、私たちのことを考えてないわね……」 ルゥが苦笑をする。 たしかに貨物船との幅は3メートル以上あいており、高さもおおよそでも2メートルは高い。 アブソルならではの身体能力がなせる技なのかもしれない。 フィフスでも飛び移るには少し躊躇してしまう距離だ。 けど、行くしかない。 フィフスは意を決したように走り出す。 波に揺れる船上は普通の地面よりもやはり異質に感じる。 地をけるタイミングがばらばらなのが無意識にリズムを狂わせる。 船との境目が迫る。 手前の30センチ程度の柵も越えなければならない。 そのためには少しはやめのジャンプが必要だ。 なおかつ、距離を稼ぐためにもギリギリを。 地をける。 タイミングは、悪くない。 瞬間が、スローモーションのように感じる。 前足は、問題ない。 そして、後ろ足も、引っかかるような感覚はない。 あとは、前だ。 「……っ!」 衝撃とともにうまくいったことがわかる。 だが、後ろ足までは届かなかったようだ。 空に浮く感覚と、不自然に叩きつけられた感触。 「く……ぅ!」 半ば気合を入れるように、よじ登り、フィアのいる影まで走る。 「フィフス……、よかった……!」 使えが取れたかのように安土の表情を見せる。 この位置は陸地からはまわりこまないとみえない。 発見されないためにも、フィフスをたすけるわけには行かなかったのだろう。 「けど、ルゥはどうするんだ? 僕みたいに跳躍力はあの体じゃないよ」 ジャンプするのに、あの大きな尻尾は邪魔になる。 空気抵抗で距離もそこまで伸びないだろう。 「そこなら心配ないよ。リオがいるから」 反応はそれだけだった。 「蔓も無理だよ! 距離が伸びるだけ負担もおおきくなる!」 次の瞬間先ほどと同じ鈍い音が響いた。 「く……! 思った異常に痛いのね……」 振り向くと、先ほどと同じようにルゥが船壁にしがみついていた。 「ど、どうやって……?」 驚くフィフスをよそに、ルゥは何とかこちらへ舞い込んでくる。 「振り子の原理だよ。リオが勢いをつけて自分の限界点までルゥをつるして大きく投げたんだ。 ギリギリだけどうまくいったみたいだね」 さも当然のようにフィアは答える。 「うまくいったじゃないわよ。無茶させるわね、初っ端から……」 その会話は短くとも同じときをすごしたからこそ出来る会話だった。 次に眠っている子供たちが慎重に甲板へ下ろされる。 周囲を警戒しながら、ルゥがそれを回収した。 そして、残るリオも器用に船壁を捕まえ、自ら蔓を使いこちらへ合流する。 「よし、それじゃあ次に行こう」 そういうとさらに森側へと進む。 「……このにおいは何? さっきから……」 ルゥが怪訝な顔をする。 フィフスも先ほどからずっと感じていた。 このにおいは、どこかで感じたことがある。 「油だよ。廃油を再利用するためにドラム缶へ一時保存しているんだ」 「これが全部……?」 驚いた表情をするルゥ。 「そうだよ、だから危険地帯なんだ」 フィアは壁際までたどり着くと動きを止め、陸側の状況を確認する。 「く……人間が一人いるね」 苦い表情をするフィア。 慎重にフィフスも覗き込む。 見ると緑色の柄を着た人間が何かの機械を持ちながら話していた。 「私が囮になる。その隙にみんなはそこを突っ切って」 「ダメだよ!」 自分でも驚くほどの大きな声だった。 そして瞬時に口をふさぐしぐさをしてしまう。 幸い、何かを話しているようだった人間は気づかなかったらしい。 「フィフス……気持ちはうれしいよ。でも……誰かが気をそらさないとみんなだめになっちゃうんだよ?」 うれしそうに、顔をほころばせる。 素直にその表情は僕の好きな表情。 それなのに、それが余計に哀の念を逆なでした。 「……それでも……!」 強く言い返せない自分が情けない。 愛してる。 それは嘘じゃない。 嘘じゃないんだ……。 それならなぜ? なぜ僕は、フィアをとめられないんだ? 「もういいんだよ……。気持ちだけでうれしい。だから、行かせて」 フィアはフィフスに背を向ける。 その背中が震えているのは、誰が見ても明らかだった。 「いやだ……!」 「フィフス……!」 フィア自身も、割り切れていない。 それがわかっているからこそ、引き止めることがどれほど辛いことかもわかっているのに。 それでも、手放したくない自分がいた。 「大切に思ってくれる人がいるのって、うらやましい限りよね」 背後でルゥがつぶやくのが聞こえた。 恨めしく、それでいて、どこか母親のような優しさを感じる響きだった。 「私が行くわ。それで、問題はないでしょう?」 「っ!? ルゥ!?」 「それが一番の解決策だと思うの。 フィアがいなくなれば、私たちも街につける保証なんてないでしょう?」 穏やかに言う口調はまさに他人事だった。 「でも……!」 「いいのよ、リオは子供たちを安全に運ぶためにも離れるわけにはいかないでしょうし、 それに、……私がいたら、この体は目立ちすぎるわ」 無理やり理由付けしたような口調が耳につく。 「リオ、だから、頼むね……」 言葉少なの会話が、ルゥ自身の心境をあらわにする。 誰だって、そうなのだろう。 死ぬことがわかって、納得できるわけがない。 決まってはいない。けど、限りなく事実に近い未来。 「大丈夫。たとえ死ぬことになっても、リオに助けられた身だもの、いつ死んでも、悔いはない」 言葉を言うほど、辛くなる。 それを振り払うためか、ルゥは自ら飛び出した。 「……いい夢を見させてもらったわ。ありがとう」 それが、ルゥが残されたものに残した言葉だった。 「ルゥ――!」 一緒に引きとめようとしたリオをフィアが強引に押さえつける。 「見つけたぞ! あいつだ!」 それと同時に人間らしき声が遠くから聞こえた。 「ルゥ……! そんなのって……!」 押さえつけられたまま、リオは悔しそうに嘆く。 いつの間にかおきていたのか、子供たちが、リオを心配そうにみつめていた。 また、どこかであえるといいね。 出来れば、この世界で。 そのためにも、私はあきらめないよ。 「サンドパン! おまえは奴を追いかけて回り込むんだ! ガブリアス! おまえは追いかけながらけん制しろ!」 2対1、予想はしていたけどなかなか厳しい面子。 まともにやりあうことは避けたい。 それに、今はとにかく入り口から離れることを考えないと。 そのためにも……。 「……なっ!? くぅっ!」 間一髪で真横に飛びのく。 いた場所に鋭い岩の槍が通り抜けた。 あんなのを食らえばひとたまりもない。 どうやらガブリアスのほうは攻撃、すばやさを特化して育てられているようだ。 あんまり逃げばかりに専念してもいられない。 「これは……本当に死ぬかもなぁ……」 思わず弱気な言葉が、口をついて出ていた。 その思いを振り払うかのように、意識を周囲に張り巡らせる。 少なくとも、今はよそ事を考えず、現状を受け入れるだけだ。 「……!」 そして、予想しているよりも早く、相手が現れた。 前方、といっても建物の陰に隠れて姿は見えないが、確かにそこにいる。 もう一匹のサンドパンが待ち伏せしているのだ。 多少だけだがエスパーに精通していることが功をそうしたのかも知れない。 だが下手に悟られるかよりかはこのまま白を切るほうが効果的だ。 「ひっかかったな! くらえっ!」 真横を通り過ぎた直後、サンドパンが鋭いつめで襲い掛かってくる。 後ろは……まだ大丈夫……! 滑り込むようにしゃがみ、つめの一撃を出来る限り避ける。 背中の毛が切り裂かれる感覚、だが傷までは至らない。 そして、そのままばねのように後ろ足を振り上げる。 なれない動きに背中の筋肉が悲鳴を上げるが、無駄ではなかったようだ。 鈍い衝撃とともに、サンドパンの苦悶の声が聞こえた。 「……! サンドパン!」 相棒のガブリアスの動揺の声。 それを確認すると宙返りするように地面に着地した。 サンドパンは蹴りがあごに直撃した様子だ。 脳が揺れているのか目の焦点が合わず、力なく片腕を突いている。 この様子だと少しの間だけなら。 それだけ確認するとまた反対方向へ走る。 「待て! ……畜生!」 どうやらガブリアスのほうも見た目とは裏腹に相棒思いのようだ。 この隙に振り切りたい……! 出来る限りの体力を振り絞り、ルゥはまた走り出した。 一方、フィフスたちはルゥのおかげもあり、無事に危険地帯のほうへ入り込めていた。 「ルゥ……大丈夫だよね……」 周囲に気を気張りながらも、リオは先ほどからずっとそんなことばかり口走っていた。 だが、その答えについてはフィフスもフィアも、何も言わなかった。 すでにそれについてリオは理解しているらしく、何も文句は言わない。 いったところで、ルゥはこちらに戻ってくることも出来ない。 それでも言葉を出してしまうのは、 リオ自身が、自分を責めてしまっているせいであり。 言葉を出すことで、自らを正当化させたくないからかもしれない。 正当化してしまえば、ずっとそれに甘えてしまい、 誰かの犠牲も、当たり前になってしまう。 フィフスも、言葉には出さないが、リオの言葉はずっと痛かった。 フィアも、同じ気持ちなのだろうか。 横目でみつめたフィアの表情は、どこか不安そうな表情だった。 「おかしい……」 「……え?」 足を止めたフィアと並び、動きが止まる。 周囲を警戒するように見渡すフィア。 「いくら危険地帯といえ、人がいなさ過ぎる。さっきもそうだけど……何か引っかかる」 「だけど、現に、姿はないから、大丈夫じゃないの?」 気休めだとはわかっていても、安心を得たい自分がいた。 「……そう、だといいけどね」 止まった足は再び前に進みだす。 「森まではそうとおくないわ。ここを抜ければ、人間たちもさっきのような反応はしなくなる。 町で拾われれば、また、何事もなかったかのような人付きの生活が、戻ってくる」 言葉を語るフィアは、遠い目だった。 言葉には出来ても、フィアには、想像できていないのかもしれない。 「人付き、か」 その思いを代弁するかのようにリオが呟く。 「子供たちはいいけれど、私たちって、本当に、もとに戻れるのかな……?」 その言葉は、この場にいる全員が思っていることだろう。 「……ごめん、こんなこというもんじゃないね」 自ら、言葉を取り消す。 「戻らないといけないんだ、よね。 それしか、もう方法はないんだから」 そう、戻らないと、いけないのだ。 今になって、フィアの言葉が理解できる。 「こんな現状をしっても、人間を、信じることは、出来る? もういちど、マスターと、パートナーの関係を戻すことは、できる?」 その言葉が、今になって、重くのしかかる。 出来ないかもしれない。 「人」という存在を、知りすぎた。 それに対しての代償なのだろうか? 「……行こうよ。立ち尽くしてたら、何も進まない。いまは、前に進もう」 空気を断ち切るようにフィアが切り上げる。 状況を察したのではなく、おそらくはフィア自身も、その感情を持っていたせいなのかもしれない。 ……だからこそ、消されるのだろう。徹底的に。 この思いを持ったまま、戻ってしまえば、きっと反感を持ったまま、生き続けるだろう。 それこそが、人間が恐れていることだということもわかっている。 なら、理解するしかない。 強引に理由付けしても、いまは、理解するしかないのだ。 受け入れなければ、未来はない。 理不尽でも、受け入れるしかない。 それが、残された道。 不信。 思えば、この森に捨てられて、ずっと持ち続けていた感情なのかもしれない。 それを認めたくなくて、何もかも受け入れた。 そのせいで、僕は壊された。 それで、今度は何もかも拒否をした。 そうしたら、僕は脆くなってしまった。 たった一つの慰めで、屈してしまうほど。 だからこそ、僕は信じた。 その中から、ひとつだけ、フィアだけを支えにして。 ……でも、それも本当なのだろうか? 信じていたのなら、どうしてあの時、フィア自身に問いかけることが出来なかったのだろうか? どうして、リオ達を僕は選んでしまったのだろう? それこそ、きっと、僕自身が、フィアを信じきっていなかったせいだ。 ……違う。 僕が、僕自身を、もう信じていないせいなのだろう。 言葉では、なんとでも取り繕えても、 僕は、僕自身を、認めていない。 「……見えてきたわ。最後よ」 思いにふけっているさなか、フィアが言葉を発す。 目の前にはとげとげしい鉄のつたが張り巡らされていた。 「この有刺鉄線を超えればもうおしまいよ。 さっきと同じで、リオなら何事もなく越えられるはず。……お願い」 目の前にある有刺鉄線は大体2メートルほどまで張り巡らされ、 見るからに刺々しい雰囲気のそれは、近づくことすら気が引けるものだ。 それに、なにか震えるような感覚が走っているようにも思えた。 「……わかった。でもまず、どれほどまで大丈夫かやらせてね。 さすがにこんなのに触りたくもないし……」 リオも怖がっているあたり、野生のポケモンたちを遠ざけるのにも、 この柵は役目を果たしているようだ。 首から蔓を限界まで伸ばして、慎重にアーチを作る。 「……っ!?」 確認して戻そうとした瞬間、リオが悲鳴とも取れないうめき声を上げた。 「リオ!?」 あわてて声をかける。 「だ、大丈夫、これ……電気も走ってるね……。痛いなぁ……」 わざと苦笑いして見せるリオ、 表には出していないが、ここまでにやってきた負担が積もっているようだった。 「念のため、子供たちから先に行かせるね」 視線を子供たちに向けると、ちょっとだけ不安そうな顔でリオをみつめていた。 やはり小さくても、周囲の気持ちに感応するのだろう。 だからこそ、早く自分たちからも離したいきもした。 「……く」 細心の注意を払い、反対側におろす。 二匹を向こう側へおろした後、リオは大きく息をついた。 「……うまくいったね。あとは、私たちだけだ」 ほんの少しの希望を宿した顔が、少しだけ輝いて見えた。 僕は感謝の意味もこめてリオの首元に前足を置いた。 「……でも、今の状況だとちょっと厳しそうね」 少しだけ遠慮がちにフィアが呟いた。 「ごめん……そうだね。私の力だと、どうしても降ろすことはむりだよ」 言葉を語る姿も、消耗しきっていることがわかる。 「なにか方法を探そう。僕も、何かしら協力しないと」 責任や、義務感なのではない。 純粋に、リオ達の支えになりたかった。 「……フィア、これって、壊せるものなのかい?」 電流の流れる有刺鉄線。 超えられないのならばまず思いつく方法は壊す選択肢だった。 「……本来ならそうするはずだったんだよ」 言いよどむフィア。 「まさか電流が流れてるなんて……」 思うよりも簡単にはいかないらしい。 「シャドーボールとかの特殊技じゃダメなのか?」 言葉を投げる。 「わからない、けど、大技を使って壊すと一つだけ不安要素があるの」 フィアは周囲を見渡す。 「……このドラム缶、油に引火する危険があるのよ」 すっかりなれてしまったが、フィフスたちが歩いてきた敷地には、 ずっとドラム缶の山が視界に写っていた。 もしそれに引火するようなことがあれば大惨事になることは避けられない。 「……それでも僕たちのタイプの技にはそんな危険はないんじゃ?」 「この柵を壊すと、ショートしない可能性がないわけじゃない。 火花が散れば、一気に可能性は高くなるの」 よく考えられているのか、それともただ急ごしらえで作っているだけなのか。 どちらにしろかなり厄介なことには代わりがない。 「じゃあ、どこか安全な場所で壊すか、回り込んで適当なところで抜けるしかないってこと?」 「そのとおりだね。とりあえず子供たちだけは、抜けれたから、最悪の事態は抜けたといっていいけど……」 「ちょっとまって! まさかそれって、子供たちだけで行かせるつもりなの!?」 フィアの考えに、リオが反発する。 「じゃあ、またこっちに引き戻すつもりなの? それでもし、私たちが見つかったら、あなたは子供を守れる?」 冷たいように聞こえるが、フィアの言葉は何よりも的を射ている。 「く……!」 「それに、いずれは別れるんだよ。それが、ちょっと早くなっただけ。……理解して」 これでも、言葉を選んだほうなのかもしれない。 目を伏せて言葉を放つさまは、その言葉でも非情だということがわかっているからだ。 「……!」 歯軋りの音がフィフスのほうまで聞こえる。 自らの思いを嚙み殺す音。 「……わかった」 その姿がうなだれて見えたのは、気のせいではないだろう。 「……せめて、ルゥに別れの言葉ぐらいかけさせてあげたかったな」 今になり、実感する。 先のことばかりと思っていた別れが、現実となっていること。 きっと大丈夫と思い込んでいた。 だからこそ、認めるのが辛い。 先延ばしにしていた、覚悟。 それが、重圧をかける。 「……あのね、よく聞いて」 まだ理解をしていない子供が、きょとんとした顔をこちらへと向ける。 有刺鉄線が張られたフェンス越し。 顔は、半分ほども確認できないのに、 本当の親子でもないのに。 リオは泣いていた。 泣いたらダメだよ、リオ。 その言葉をかけるべきなのかもしれない。 けど、いえない。 近い未来、それは僕にも言える話だというのがわかるから。 そして、そのとき、僕には泣かない自信がないから。 わかるんだ。 照らしあわさなくても、痛いほど。 思いは違えども、別れというものは辛い。 すぐに逃げてしまうよりも、面と向かう別れのほうがずっとずっと辛いんだ。 あの船の上での出来事も、 ルゥはやっぱり、辛かったんだ。 誰よりも。 だから、言葉を聴かなかった。 「リオ……」 抑えられないリオをフィアが見かねて言葉をかける。 「わかってる、わかってるよ……! だから……もう少し待って……」 言葉を確認したフィアは、それ以上言葉をかけようとしなかった。 ただ少しだけばつの悪そうな顔をして、再び距離を置く。 「ねぇ、どうして泣いてるの?」 初めて子供が口を聞く。 何も知らないその言葉は、何よりも一番辛いということも知らず。 「……ううん、なんでもないよ。なんでもないの」 リオは涙ぐんだ声で、必死にそう答えた。 「泣かないで、お母さん、泣いたら、僕も悲しいよ」 もう一匹の子供、ルゥの子供が言った。 「……!」 リオが必死に抑えていた何かが、音を立てて崩れていくのがはっきりと見えた気がする。 「う……うあああぁぁっ……!」 地面に頭を抱え込むようにして崩れるリオ。 「お母さん!?」 もう一匹が突然崩れ落ちたリオに向かい飛びつこうとする。 「危ないよ! 大丈夫!? お母さん!」 ルゥの子供、ロコンはもう一匹の子供、 レイの子供であるエネコの前に立ちながら言葉を言う。 「……ちがうの……ちがうんだよ」 震える声。 「わたしね、おかあさんじゃ、ないんだよ……」 混乱する思考の中、必死に言葉を探して、何とかつなげている。 「ほんとの、おかあさんはね……もう、いなくなっちゃったの……」 フェンス越しの子供たちの目が見開かれる。 「あとね、あと……わたしもね、もう……いっしょにいられないの……」 「う……うそだっ! うあっ!?」 冷静さを失い、勢いでフェンスに飛び掛ったロコン。 しかしフェンスにつかまることはかなわず、電流により不自然な飛び退き方をした。 「……ごめん、ほんとうに、ごめん……」 それしか言葉が出てこないのだろう。 実際の思いは、たくさんあふれ出てくる。 「……わかってた」 「……え?」 ロコンではなく、後ろのエネコからその言葉は発せられた。 「船に乗せられたときから、なんとなくだけど、わかってたんだ……」 細い目からは表情がよく読み取れない。 「もうよく思い出せないけど、おかあさんは……ほんとのお母さんは、捨てたんだよね、わたしたちを」 「それはちがうよ!」 「違わない!」 「……!」 リオの言葉を、エネコは先ほどのロコンの否定よりも大きな叫びで切り捨てた。 前に立っていたロコンが思わず横によける。 「いらない子なんでしょ? だから、捨てるんでしょ? 名前もないんでしょ?」 その言葉は、あまりに悲痛に聞こえた。 「だったら、産まなきゃよかったのに……」 その言葉の直後、激しい金属音が響いた。 「取り消せ! 今すぐその言葉を取りけせぇっ!」 体全体を使い、リオが電流の流れる有刺鉄線のフェンスに飛びついていた。 「レイとルゥが! どんな気持ちで手放したか! わかっていないんだ!」 飛びついたからだが触れた部分からは血が流れ出し、全身は電流のせいか不規則に震えている。 だが、リオは言葉を止めず、離れようともしなかった。 「あんたたちの親は! あんたたちを守るために離れたんだ! 身を捨てたんだ!」 二匹の子供の目が、驚いたように見開かれた。 「望まれない、子供なんかじゃない! 生きて、欲しいんだ! だから! だから……!」 だんだん言葉が途切れ途切れになり、力がなくなっていく。 「悲しまないで……そして、親の分まで……」 最後の言葉は言われず、糸が切れたかのように後ろに倒れた。 「っ! リオ!」 あわてて駆け寄る。 ……どうやら気絶しただけのようだ。 「……行きなさい」 フィアが呆然としている子供たちに向かい、一言声をかけた。 「でも――」 「言葉で、わかったでしょう? あなたたちは、望まれないこともなんかじゃない。 こんな形でしかいえないけれど、誰よりも、大切にされている子供なのよ」 気を失ったリオをみつめ、言葉を返す。 「今あなたたちができることは、謝るよりも、生き延びることよ。 一秒でもいい、長く生きること。それが、何よりの親孝行だよ」 どこまで通じるのか、それは考えていないのかもしれない。 「……」 子供たちは黙ったままだった。 「行きなさい。とにかくまっすぐ。そして、あなたたちを抱き上げてくれる人が、 新しいお母さん、お父さんだよ」 言っても理解できるはずのない言葉。 だが、それがやろうとしていたこと。 「……ごめんね、こんな形で別れることになっちゃって」 最後の言葉は、おそらくフィア自身の声なのだと思う。 放り投げるような形で終わってしまうことの悔しさと、 自らが、非情な言葉しかけれなかったことのせめてもの償い。 「……納得できるわけないよ」 ロコンが苦い表情で呟いた。 「でも……」 「いやだよ! 何でそんなことになっちゃうのさ! わからないよ!」 半狂乱でわめく。 「いやだよ! いやだよ! いやだよぉっ!」 「……」 エネコのほうも、とめようとはしなかった。 いや、とめられないのだろう。 思いは、どちらも一緒なのだ。 むしろ黙って受け入れているエネコのほうが異常な反応なのかもしれない。 「……いきましょう、フィフス、リオは、私が担ぐわ」 フィアが、リオを抱きかかえる。 「まてよ! まてよぉっ!」 しかし、フィアはふりむかない。 「フィア――」 「振り向いたら、ダメ……」 フィフスの言葉をかき消すようにフィアが小声で呟いた。 「たとえ、恨まれる結果となっても、引き離さないといけないんだ……」 すべてはよりよい結末のため。 「……」 こんな場面でも、かける言葉が浮かばない。 誰よりも、一番つらいのはフィアなのに。 「……そんな顔しないで、私は、大丈夫だから」 顔に表れてしまったのだろう。 こちらに笑いかけながら言葉を投げる。 だが、その表情はあまりにも力なく、哀れなようにしか思えなかった。 「……うん、いこうか」 いま、僕がしてあげられることは、これが精一杯なのだとおもう。 中途半端な慰めや、気遣いよりも、こっちのほうが、ずっと、ましなのだろう。 それだけのことしか出来ないほど、僕は、フィアのことを理解していない。 ……もともと、理解なんて、出来ないのだと思う。 それでも、群れをなさないと、生きていけないのが、現実だ。 愛するもの、信じるものがないと、壊れてしまう。 決して、つなぎとめるための道具と思っているわけではない。 ……だけど。 あまりにも、目の前の彼女は、 僕には遠い存在のように思えた。 「まてよぉっ! おねがいだから! いかないでくれよぉっ!」 叫び声が、離れていく。 やがて、それはただの喧騒にしか感じ取れなくなり、 それすらも、耳に入らなくなる。 フェンス越しに追ってこなかったのは、それこそ、事実を受け入れているからこそ。 さようなら。 その一言もない。 だけど、言葉をかける以上に、胸が苦しく思えた。 なにか見えないもので、首を締められているように、息苦しくて。 「……」 足が自然と鈍る。 無理もないね。 だって、我慢しているのに、涙が止まらないんだもの。 おかしいな。 僕は、何にも言葉もかけなかったはずなのにね。 とうとう、自分がお父さんだってことも話さずに。 慰めも、突き放す言葉も、かけなかった。 「……フィフス?」 とうとう、足が止まってしまう。 「ごめん、ちょっとだけ、休ませてくれるかな……」 そういって、近くのドラム缶にすがりついた。 すがり付いてから油で汚れることを考えたが、背面だったためその心配は杞憂だった。 「……フィフス、大丈夫?」 まだ気を失ったままのリオをおろし、フィアがそばによってきた。 「……フィフスは、強いね」 そして、涙でぐしゃぐしゃになった僕の隣に座り込む。 「……強くなんかないよ、僕は、何もいえなかった。 あの子達に、慰めも、何もいえなかったんだ。 僕が、お父さんであることも、ね」 後から後から、まるで先ほどの出来事を流すかのように涙があふれる。 「だからこそ、あの子達は前に進めるんだよ」 「……え?」 「フィフスが、何もいわなかったからこそ、あの子達は、必要以上の傷を負わずにすんだ。 そして、憎まずにすんだ」 フィアの言葉は、自嘲するような言葉に取れた。 「知らないことほど、罪なことはないっていうけれど、私はね、 知らないほうが、ずっとずっと、幸せなんだと思うんだ」 その言葉は、今の自分たちには遠い言葉だった。 「何もいわないことで、あの子達は、少しだけだけど、救われる。 意識していなくても、フィフスはそれをしたんだよ」 「……気遣いはよしてくれよ」 自嘲気味な笑みで言葉を返した。 「気遣いなんかじゃない。本当のことだよ」 その言葉に、表情が固まる。 「……フィフスだって、もう、わかっているんじゃないかな」 フィフスの方向は向かずに、まだ倒れているリオをみつめたまま話す。 「何も言わずに、そのまま別れることが、どれほど辛いか、 そして、残されたものに、なにを残すのか」 「……」 言わずとも、わかっている。 「でもね、正しいんだよ。それが、一番、あの子達にとっては……ね」 それも、わかってるよ。 「だから――」 「言わないでくれっ! もうこれ以上……!」 決して望んで言わなかったわけじゃないんだ。 そんなに、大それたことを、考えることが出来るほど、僕は利口でもない。 ……でも、気づいてしまった。 だけどだめなんだ、それを認めると。……認めると。 「……」 フィアは察したように言葉をそれきり言わない。 「……行こう、僕はもう、大丈夫だから」 気持ちをごまかすため、僕は先を急ぐことにする。 「だめだよ」 「大丈夫――」 「嘘はつかないで、あなたの気持ちは、正直わからない。 けど、中途半端なわだかまりを残したまま進んで欲しくないの」 「……」 フィアは言葉を続ける。 「フィフス、本当は、あなたが、誰よりも、子供を思っていたんだよね?」 その言葉が、何よりも痛い。 「だからあえてあなたは子供たちに正体を明かさなかった。 どんな形であれ、生きて欲しいと思っていたんだよね?」 「……違う」 「たとえそれで恨まれる形になっても、前に進んで欲しかったんだよね?」 「違う!」 「じゃあ、なんであなたはことあるごとに子供たちを心配そうに見ていたの?」 「……!」 言葉が止まる。 「どんな形であれ、あなたが子供を愛していたことは、事実だよ。 リオだってそれは同じ、ただ、最良だと思う選択が、違っただけ」 「……それでも、認めることは出来ない……」 「なんで……?」 「認めてしまえば、あのトレーナーと、同じだから……」 「……!」 そう、僕を捨てたあの主と……。 「そうさ、やっぱり、僕は愛してなんかいないんだ。 だったら、あんな別れ方なんて、しないはずだ」 脳裏によぎるあのときの光景。 静かに森の前に下ろされ、 「さようなら」 その一言だけを残して、去っていった。 「認められるか! そんなのっ!」 思わず激しく前足で地面を叩く。 それは憎しみなのか、それとも悔しさなのか、わからない。 けど、ひとつだけいえたのは、 僕も、所詮は主と同じだったということだった。 「……ごめん、なさい」 フィアが詰まらせながら言葉を言う。 「謝る必要はないよ。ありがとう……」 それが謝辞といえるものなのか。 だけど、言わなければ、いけない言葉だった。 言葉を意味のないものにしないために。 「……っ、うぅ……」 言葉が途切れて、しばらくたった後、ようやくリオが意識を取り戻した。 「……よかった、気分は大丈夫?」 正直このタイミングでおきてくれたことはよかった。 お互い、言葉もかけづらくなってしまっていたからだ。 「……ごめん、待っていてくれたんだね」 倒れた体を起こし、リオは小さく微笑んだ。 心配させないために、あえて無理しているのは見え見えだ。 けど、その気使いも、またうれしいものだった。 「行こう、急げばさ、子供たちに、追いつけるかもしれないし、ね」 言葉を言えば、言うほど、リオが惨めに見えてくる。 返せば、自分たちは、すでに泥沼をずっと歩いているようなものなのだろう。 「そうだね……いこう」 僕は言葉を返した。 なら、進むしかない。 いまさら立ち止まったところで、何も解決しないのだ。 「……!」 言葉をかけ、前を向いた瞬間、リオの息をのむ音が聞こえた。 その目は、見開かれ、まるで信じられないとでもいいそうな表情だった。 「リオ……?」 リオの視線の先をみつめる。 そこにはドラム缶の物陰からどこかをのぞいているキュウコンの姿があった。 だが、その姿はところどころ血が滲み、痛々しい。 「ルゥッ!」 抑えられなかったのだろうか、リオがルゥのほうへ走り出す。 叫び声に反応したのか、キュウコンもこちらを振り向いた。 そして、 「リオッ! 止まってぇっ!」 渾身の叫び声が響いた。 そして、ワンテンポ遅れて乾いた音が鳴り響いた。 それは、たとえるなら密度の高い木材を、硬くぶ厚い金属板に叩きつけたような、 酷く嫌悪感のある音。 そして、リオは、 不自然な格好で横に倒れた。 「リオォッ!」 ルゥが悲痛な叫び声とともにリオの元に走ってくる。 追い討ちをかけるように乾いた音がまた鳴り響いた。 しかし、ルゥには命中せず、目の前で音の元凶は停止した。 小さな鉄の玉だ。 「やはり仲間がいたようだな……泳がせて正解だった」 先ほどの人間が、重々しい鉄の棒を持っていた。 「さて、面倒ごとはさっさと済ませる性分なんだ。大人しく死んでくれよ?」 そういってモンスターボールを投げる音がする。 「フィア……!」 フィフスはフィアをみる。 すこし苦い顔をしながらフィアはうなずいた。 「機を見て加勢しましょう。まだこっちには気づいていないみたいだから……」 「……!」 それを見越してか、ルゥはこちらとは反対側の物陰に逃げ込んだ。 「ルゥ……耐えてね……!」 フィアは、逆側の方向へ回り込む。 フィフスはその場で遊撃することにした。 「リオ……!」 物陰に隠れながらルゥは倒れたままのリオをみつめる。 倒れた地面には血だまりが広がっていた。 「もっと早く気づいていれば……!」 最悪の事態になってしまったと後悔する。 しかし、深く考える余裕はないようだった。 先ほどしのいだガブリアスがこちらにまたやってきたのだ。 「あなたもしつこいわね」 手短にそういうと身構える。 「……!」 ガブリアスは無言で振りの大きい[ドラゴンクロー]を繰り出してくる。 当然ルゥにはそれは余裕のある攻撃であり、身軽にかわしていく。 だが、攻撃はしなかった。 先ほどのような伏兵を警戒しての行動だ。 しかし、そのような様子はなく、先ほどの人間が繰り出した攻撃の動きも見えない。 「……そんな攻撃じゃ一生当たらないわよ? さっきの相棒も見えないみたいだしね」 挑発をかける。 「……よ」 攻撃のさなか、ガブリアスが何かを呟いた。 「……ん? 小さい声じゃあ何もわからないわねぇ」 口調を崩さず、ルゥは続ける。 「死んだんだよ! サンドパンは!」 「……!?」 さすがに動揺を隠せなかった。 「あの程度じゃ死なないわ! せいぜい脳が揺れる程度のはずよ!」 相手と距離をとり、フェンスとドラム缶の間に位置取る。 「そうさ、そのせいで殺されたんだよ! 人間にな!」 「……! それだけで……?」 頭の中が真っ白になりそうだった。 だが、目の前に意識を集中させる。 「ああ! それだけさ! おおよそ俺が逆上して、 お前を徹底的に追い詰めるんだとでも思っているんじゃないか?」 ガブリアスの表情は明らかに濁っていた。 もはや現実に呆れを抱いた目。 「……」 「同情なんかいらねぇよ。お前と俺は敵なんだからな。 さっさと決着をつけようぜ!」 そういって再びガブリアスはこちらに襲い掛かってくる。 「まさか……」 そしてルゥはまたひとつの結論を見つける。 「どうした! まともに攻撃もできねぇのか!?」 「あなた……殺されるためにわざわざ……?」 そのために突っ込んでいるようにしか思えなかった。 「……だったらどうした? やることはかわんねぇだろ!」 無理に強力な攻撃を連発しているせいで息が上がっている。 かなり痛々しい光景だった。 「……」 あまりこちらも、回避ばかりにかまけている時間はない。 やっていることに、罪悪感がないといえば嘘になる。 だけど、進まないといけない。 ルゥは再び振りかざされる爪をよけると、ガブリアスの顔に尻尾をたたきつけた。 「ぐ……!?」 視界が遮られ、バランスを崩しフェンスにぶつかる。 だが、ドラゴンタイプであり、地面タイプであるガブリアスにはそれほど効果はなく、 皮膚が軽くはがれた程度だ。 「く……そ……!」 すがりつくような形で、ガブリアスは叩きつけられた方向に視線を向けた。 そこには、ルゥの瞳があった。 「……!」 超至近距離での[あやしいひかり]だ。 「う……ぐ……」 これで、当面は無力化できる。 着地するとガブリアスをそのままに、また物陰へと隠れた。 「ま……て……!」 「はぁっ!」 「くぅぅっ!」 一方、フィフスは不利な展開を迎えていた。 相手はハッサムとサマヨール。 火力の高い[シザークロス]が何度もフィフスを掠めてくる。 先ほどから紙一重で避けれてはいるものの、あたればただではすまない。 「……ぐあっ!」 そして、サマヨールが隙を突いてちまちまと攻めてくる。 [シャドーパンチ]がきまり、地面へ無様に転がる。 「……!」 「くうぅっ!」 それを見計らうかのように[れんぞくぎり]をハッサムが畳み掛けてくる。 転がる形でかわすことが出来たものの、消耗しきってしまうのは時間の問題だった。 「……せやぁぁ!」 今度は4,5発ほど[シャドーパンチ]が飛んでくる。 この技は必中だ。軌道を描いて飛んでくる。 急いで体勢を立て直し、[シャドーボール]を目の前に作り出す。 そして、背後にハッサムが近づくのを感知した。 「フィフス! しゃがんで!」 この声は……。 判断する前に、体が動いていた。 横に倒れこむように、体を動かす。 その瞬間、頭上を風が掠めた。 「ぐああっ!」 ハッサムの悲鳴が聞こえる。 「ぐ……!」 フィフスは勢いのせいで強かに背をドラム缶へぶつけた。 「……!」 サマヨールが[シャドーパンチ]をその相手に向かいはなつ。 「ぬるいわね……必中技は裏を返せばこっちを攻撃してくる選択肢しかないってことよ?」 声の主はやはりルゥだった。 フィフスが視線を向けると[シャドーパンチ]が見えない壁に吸い込まれていくところだった。 「力技だけじゃなく、けん制も、立派な戦略……よ!」 その言葉と同時に、何かがルゥの前から放たれる。 「……!」 おそらく[サイコショック]だ。 吸い込まれた形でとまった[シャドーパンチ]も一緒に飛んでいく。 サマヨールはあわてて横に飛びのく。 [サイコショック]よりも、[シャドーパンチ]が一緒に飛んできたのが相手には嫌だったらしい。 ルゥは畳み掛ける形でサマヨールに飛び掛っていった。 だが、その後にハッサムが体勢を立て直し、追撃のたいせいをとる。 こちらもうかうかして入られないようだ、 ハッサムはルゥのほうに気をとられている。 今なら……! 「……!」 サマヨールの周囲があやしく光る。 [ナイトヘッド]だ。 「残念ね。硬い敵相手にがっつくほど強欲じゃあないわ」 まるで先読みでもしていたかのように真横のドラム缶を後ろ足でけりつけ、 上方向へ体制をずらす。 「攻撃は、あなたが受けなさいな」 そのまま、追撃してきたハッサムの背中を前足で叩きつける。 「な……!」 まるで絵に描いたような戦い方だ。 周囲に展開された[ナイトヘッド]の中にハッサムが突っ込む。 「ぐううぅっ!」 うめき声を上げて、再びハッサムが無様に倒れこむ。 サマヨールはハッサムを一瞥すると、ルゥのほうへまた視線を移した。 無防備になったルゥを迎撃するつもりだ。 「……させない!」 「っ!?」 ルゥに気をとられていたせいで、二匹の意識はフィフスから完全に消えていた。 その隙を逃さず、フィフスはサマヨールの背後をとったのだ。 「はあぁっ!」 零距離で、[シャドーボール]を叩き込む。 「……!」 目の前でエネルギー体は弾け、音もなくサマヨールは吹っ飛ばされた。 「ぐうぅ……!」 ハッサムがしゃがみながら飛び掛る形でこちらを狙う。 「がっ!?」 しかしそれもかなわなかった。 ルゥがハッサムの真上に着地したからだ。 「フィフス、もう一度[シャドーボール]よ!」 ルゥにはハッサムに通る有効技がいまは使えないのだ。 「わかった……これで大人しくなれ!」 ハッサムのおびえた顔が一瞬映る。 しかし、技をうとうとする動作の最中、嫌な金属音が響いた。 「な……!?」 危険を察し、音の方向を向くと、ドラム缶が、こちらのほうに倒れてくるところだった。 さっきの衝撃で、バランスが崩れたのか? 「く……!」 ルゥの苦しそうな声とともに、ドラム缶が空中に静止する。 「せえぇぃっ!」 ありったけに力を振り絞る声とともに、ドラム缶が間逆の方向へ吹っ飛んだ。 「はぁ……はぁ……!」 相当無理をしているせいなのか、ルゥの表情はかなり苦しそうだった。 「……はぁ!」 「っ!?」 先ほどの隙を見逃すほど、相手も甘くない。 上にのしかかったルゥを振り払い、フィフスに向かい硬いはさみを叩きつける。 完全に無防備だったフィフスはこめかみにその一撃を受けた。 だが、痛みだけでたいした一撃ではない。 これなら……! 攻撃動作に移ろうとした瞬間、背後で嫌な音が聞こえた。 何か無機質な何かが触れ合う音……。 とてつもなく嫌な感覚に、フィフスは背後を振り向いた。 振り向きざまの視界の中に、人間が、こちらに向かい、鉄の棒を構えている。 これは……やばい……! 考えるよりも先に体が動いていた。 真横に体が跳ぶ。 ワンテンポ遅れて嫌な音が、再び響いた。 「ぐああっ!?」 フィフスは電流の流れるフェンスにぶつかり、苦しみの声をあげる。 ……だが、凶弾は避けられた。 だが、それを変わりに背負った相手は……。 電流の流れるフェンスから身を離し、自分のいた場所を見る。 そこには先ほど自分を攻撃したハッサムが倒れていた。 すでに息はないようで、瞳には生気が宿っていない。 「惨いな……」 思わず言葉が漏れた。 虫の派生とはいえ、鋼の甲殻を貫くあたり、殺傷能力はすさましく思える。 フィフスは再び人間の方向を見据えた。 人間は、再び弾を発射する姿勢をとっていた。 「フィフス……!」 ルゥが前に躍り出る。 「……ちっ、使えない奴め……!」 ルゥの存在を確認すると、人間はそれを引いた。 「ろくに一匹もしとめられないとはな……」 忌々しげにこちらをにらみつける。 だが、次の瞬間には邪悪な笑みが見えた。 「だが、これまでだ、数がいれば、こんな奴らもさすがにしとめられるだろう……」 悪寒が走る。 とてつもなく嫌な予感。 だが、考える余裕は与えられない。 背後で、騒々しい金属音が鳴り響いた。 「っ!?」 フィフスは振り返る。 「……まさか!? まだいくらなんでも早すぎる!」 ルゥの焦りを含んだ声、その言葉で、大体理解した。 おそらく先ほどルゥが相手していたポケモンのことだ。 「うがあああっ!」 獣じみた咆哮とともに、周囲にある物体を見境なく攻撃する。 「一体何のつもり……?」 ルゥがその光景を見て、不可思議につぶやく。 誰を標的にしていることもなく、ただただ暴れるだけ。 積み上げていたドラム缶は無残に散らかり、黒く濁った液体を血のように流す。 痛みを感じない無機質を執拗に攻撃し続けた彼の体は、すでに限界が見えていた。 「あああああぁっ!」 鋭い有刺鉄線を引き裂く。 「がああああっ!」 腕に引っかかる金属のフェンスを力任せに引きちぎる。 「やめなよ……」 その光景は、凄惨で、言葉を失いそうだった。 「あ……がああぁぁっ!」 何を叫んでいるのか、何が、彼をそこまでさせているのか、理解など出来ない。 「もうやめなよおっ!」 ルゥの悲痛の叫びが響いた。 その叫びも、フィフスにはなぜかは理解するよしもなかった。 「……!?」 また、嫌な感覚が走る。 「ここにも使えないのが一匹……」 渇いた声、そして渇いた火薬の音。 ルゥの視線の先で、カブリアスがゆっくりと、崩れていく。 うつろな瞳で、最期何を思ったのか。 「……! ……!」 ルゥの言葉にならない声、それは嘆きなのか、それとも怒りなのか。 ……あまりにも、惨い。 そして、理不尽だ。 思わず目を伏せたくなる。 でも、それはかなわないことだ。 再び振り返ったそこには、敵も味方も関係なく、死へと誘う人間がいるからだ。 ……もしかしたら、人間ではないのかもしれない。 目の前にいるのは、もう、かつて自分たちが信じていた人間とはあまりにもかけ離れていた。 それを悪夢と呼ぶにも、一言で片付けるには、重すぎて。 目の前の現実に、逃げ出したくて。 それを考えるだけで、吐き気がこみ上げてきそうで。 「思った以上に使えない連中ばかりだったな…… 所詮はぬるい戦いしか知らないポケモンか」 構えた道具をしまう、どうやらこちらを攻撃する気はないようだ。 やはりルゥがいるからなのだろうか。 「こいつ……!」 ルゥが前に一歩踏み出す。 「なんだ? やる気なのか? てっきり逃げるとばかり思っていたが、 それなら話は早そうだな」 腰に手を伸ばす、 まだいるのか……。 ルゥは足を止めた。 「……」 その表情から読み取れるのは、 決して怖気づいているわけではないということ。 「……この外道!」 言葉は人間には伝わらない。 相手には泣き声にしか聞こえない。 それを分かっているはずなのに、ルゥは叫んでいた。 フィフスにも分かる、戦えば味方ごとまた射抜くつもりだ。 戦うことで逃げることは出来ない。 なら、選択肢は退くこと……。 「……逃げなさい、フィフス」 「……!」 「言いたいことは分かる。 私なら、大丈夫だから……」 ルゥの言葉は、無感情だった。 「……」 フィフスは黙ってルゥを睨む。 「……許して、フィフス……」 その言葉は、紛れもなく、ルゥの心の、悲鳴だった。 「もう……私には、無理みたい」 細められた目は、心なしか潤んでいるように見えた。 「無理じゃない……」 その言葉を、どこまで信じられるだろう? フィフス自身、どこまで貫ける? 「親友を目の前で殺されて、本来自分の仲間であるはずのポケモンまで、 無差別に殺す……そんな姿を見せられて、 冷静でいられるほど……私は利口じゃない」 一言一言が、か細い。 「ダメだよ……! それじゃあ、何のために、ここまできたんだよ……!」 何のためだろう。 もちろん、少しでも長く生きるためだ。 「あなた自身がそれをわかっているなら、これからあなたがするべきことなんて、わかってるでしょう?」 引き止めたフィフスに向かい、ルゥは優しいまなざしをむけた。 「行きなさい、罪滅ぼしのつもりなんかじゃないけど、 あなたには、もう少し生きて欲しいからね」 どうしたらいいんだろう? 僕は、どうすれば、いいんだろう? こんなの、いやだよ。 せっかく、みんな集まったのに。 せっかく、ここまでがんばったのに。 いなくなってしまうなんて。 「……フィフス!」 半ば放心している自分の背後から、声がかかった。 「……フィア?」 そこには多少新しい傷が目立つフィアがいた。 「もう……あまり時間が残ってないわ。 遠くのほうで人間たちの援軍がくるのが見えた」 厳しい目つきだった。 「……いきましょう、フィフス」 「でも!」 「たとえ限りなく低くても、全員生き残る未来。それは、私だって望んでるわ」 まくし立てようとしたフィフスに向かい、フィアは恐ろしいほど冷静で、静かにいった。 「でも、これは遊びじゃないんだよ」 フィフスを見ずに人間をみつめる。 「そして、都合よく出来た御伽噺でもない」 ガチャリと、金属音がした。 はっとして人間をみつめる。 「……フィフスは恨むかな? それでも、私は生きて、欲しいんだよ?」 血を吹いてうずくまる人間の姿。 そして、その次の瞬間、後頭部に鈍い痛み。 何が起こったのか一瞬わけがわからなくなる。 だが、簡単だ。 フィアが、僕を、殴ったのだ。 「――」 ルゥが何かをいう。 目を細めて、感慨深そうに。 わからない。 でも、もう、知るよしもない気がした。 いやだ。 いやだよ。 もう、いなくなるのは。 僕の体が浮き上がる。 最後に、ルゥのやわらかな微笑が、僕の視界に入った。 それは、感じたことはないけれど、 きっと、大切なものにだけ向ける、 特別な、もの。 「……またね」 ルゥは一言また残す。 損だとか、もう、考えることもない。 「……ふふ」 これからやろうとしてること。 それを考えると自然と笑い声が漏れる。 「そんなことも、いえないなぁ」 思考がちくはぐになってるのだろうか? 口をつく言葉も整合性がない。 「これでいいんだよ、そう」 いいきかせてるわけでもないよね。 「私しか、いないんだもの」 足元に、火を放つ。 火は、瞬く間に広がって、黒い煙を立て始める。 「なんだ!? まずい! 退け! 退けえっ!」 人間たちの慌てふためく声が聞こえる。 無駄だよ。 それに答えるかのように、次の瞬間、近くで爆発音が聞こえた。 「……!」 素早く身をかがめる。 完全に後手にも火が回ったようだ。 風は……向かい風。 森に引火する危険は少ない。 「役目は、終わったよ、リオ」 これで、よかったんだよね。 少しずつなくなっていく安全地帯。 それをみつめながら、ふりかえる。 これが、走馬灯みたいなものなのだろうか? 「ふふ……ほのおポケモンが炎で死ぬなんて、誰にも話せないなぁ」 ゆらゆらと空に陽炎が立ち上る。 日が沈み、暗くなり始めた空を、淀んだ橙が明るく染める。 「あぁ……なんか、すごく、つかれたなぁ」 妙にすがすがしく感じてしまう。 まるで、この炎が、いままでの全てを燃やし尽くしていくよう。 「ずるいんだろうな。きっと……」 ずるくてごめんね。 きっと、なにも背負うものが、なくなるから、なんだろう、 この開放感は。 黒煙がルゥを取り巻き、息苦しさを感じさせる。 そして体も、熱を持ち始めた。 「……」 呼吸が荒くなっていくのを感じる。 いよいよ、特性もきかなくなってきたのだ。 リオ、そろそろ、そっちに行くね。 ばたりと力なく倒れこむ。 フィフスたち、あとは、うまくいけば、いいね。 出来ることも、なにも、もうのこっていない。 まぁ、でも、 悪くない、人生だったかな……。 どこかで警報のサイレンが聞こえてくる。 規則正しく大地を踏む感覚がする。 「……!? なんだ!?」 異変を感じ、フィフスは身を起こす。 「きゃっ!?」 突然フィフスが身を起こしたので、フィアのバランスが崩れる。 そのままフィフスは地面へと落ちてしまった。 「フィフス……気がついたんだね」 わずかな間をあけて、フィアが言う。 何から話していいかわからなかったのだろう。 「フィア、この炎……」 全部は言わないで。 そう感じ取れた。 「……」 黙りこむ。 一瞬、フィアを責めてしまいそうになった自分が憎い。 どうしようもないのだ。 すべて、もうおそすぎる。 「……結局、二匹だけになっちゃったね」 ここまで油のにおいが飛んでくる。 空には火の粉がちらちらとまう。 それは、まるでルゥの魂が空へと上っていくかに思えた。 「……」 フィフスは目を閉じ、空を仰ぐ。 ……さようなら。 ろくに、別れもいえなかったルゥに、言葉を送る。 さようなら。 そして、リオにも。 「あっけないね」 自然についた言葉。 まさに、似合う気がした。 「こんなにも簡単に、なくなってしまうなんて」 何を言うべきなんだろう? 僕は、何をすればいいんだろう? 「……フィフス?」 固まったまま動かないフィフスに向かい、フィアがたずねる。 「……あはは、何でだろう。なにも思い浮かばないや」 渇いた笑いで、ごまかそうとする。 でも、うまくいっていないことは誰にでもわかった。 「ごめん……すこし、一匹にさせてもらえるかな」 何のつもりでいったのだろう? それはフィフス自身にもわかっていなかった。 「……」 フィアはすこし不安そうな表情をする。 「お願いだよ」 視線を地へと落とす。 「……」 やがて、足音が離れていくのを感じた。 「……ずるいな、僕は」 力をぬくように、その場に座り込む。 風がふく。 その風は、懐かしさを感じる、町のにおいを運んでくる。 本当に、ここまで、これたんだな。 なのに、なにも感じなかった。 「……」 目を閉じる。 瞼の裏にはなにも写らなかった。 「……寒いな」 町のにおいも、鼻を抜けると、あとは空しい凍えにしかならなかった。 僕は、一体、何を求めたのだろう。 「……」 なにも、出てこない。 何のために、生きてきたんだろう? 僕は……、 不安が、どこからともなく湧き上がってくる。 「……!」 震えが走る。 僕は……どうすればいいんだ? 「フィフス……」 そのとき、ほのかなぬくもりが、わき腹に触れた。 一瞬びくりと体が震えたが、すぐに収まる。 「フィア……」 恐ろしいほどかすれ、小さい。 「一緒に、いても、いいんだよ?」 暗い闇の中に、フィアの声が聞こえる。 その言葉は、本当に、心を和らげるようだった。 「フィフス……一匹じゃ、ないんだよ」 強く、顔を押さえつけてくる。 「……ありがとう」 言葉を投げる。 そして、フィフスはフィアの体から身を離した。 「……いかなくちゃ」 自分に言い聞かせる。 前を、向かないといけないのだ。 「フィフス!」 「いいんだ。……いいんだ、ありがとう」 振り返り、精一杯の笑い顔を見せた。 見えただろうか? 見えて、ほしいな。 「君のおかげで、僕は、ここまで、これたんだ。 なにも、もう、恐れる必要も、ないんだ」 そう、あとは、人間の世界に、帰るだけ。 なにも、なにも、考えなくて、いいんだ。 「フィア……君が、いてくれて、本当によかった」 終わりが見えた。 今、この瞬間。 「……忘れない。ずっと」 望んでいない、別れ。 それは変わらない。 「……さようなら!」 踵を返して、走り出す。 「フィフス――!」 フィアの声が聞こえた気がした。 でも、それも、ここで、打ち止めだ。 寂しいね。 ……辛いね。 でも、いいんだよ、もう。 あの時間に、君はいた。 僕の中に、君はいてくれた。 変わらないよ。 ずっと、僕の大切なポケモンなんだよ。 それだけで、十分だったよ。 ……十分、だったんだよ? 走り出した足が、息切れとともに鈍ってくる。 なのに、なんで? 「はぁ……はぁ……」 この気持ちは、なに? 「はぁ……えぐっ……」 なんで、僕は、泣いているんだろう? 「ぅ……うわああぁぁっ!」 なんで、こんなにも、泣いちゃうんだろうな? 始まらないのに、 これから、始めないといけないのに、 どうして、耐えられないのだろう? 「フィア……、フィア……!」 いっても始まらない言葉、 その言葉は、届かないように、必死に残った理性で押し殺す。 戻れない、 ……戻らない。 「……」 いかなきゃ。 歩かなきゃ。 あの、名もなき僕の子供と、同じように。 同じ道を進まなきゃ。 そうしないと。 そうじゃないと。 ねぇ? 僕は、何を求めて、生きているのかな? ふらふらと歩く中、脳裏によぎったその質問は……、 僕に、響かなかった。 ---- ・ごめんなさい。 終わるといっておきながら、長くなりすぎてます。 次が、本当の最終話です。 視点変更が何回か入っていますがそこは申し訳ありません……。 ここまでみてくれている人、ありがとうございます。 何かコメントをいただけるのならうれしく思います。 #pcomment(,,) IP:61.7.2.201 TIME:"2014-02-26 (水) 18:05:50" REFERER:"http://pokestory.rejec.net/main/index.php?cmd=edit&page=%E5%A4%B1%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%9F%E6%84%9F%E6%83%8510" USER_AGENT:"Mozilla/5.0 (Windows NT 6.1; WOW64) AppleWebKit/537.36 (KHTML, like Gecko) Chrome/33.0.1750.117 Safari/537.36"