ポケモン小説wiki
名無しの4Vクリムガン Actio libera in causa  の変更点


 
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 ポケモンセンターのエントランスホールで、テレビを観ていた。別にたいしたことじゃない。野生のポケモンがどこでなにをしようとおれの勝手だし、少なくとも、見るという能動的行為が阻害されることもない。ただ、ポケモンセンターのエントランスというだけあり、トレーナーやポケモンが居座っていることが多いのは、いくらか問題ではあるかもしれなかった。
 追い出したいというわけでもないが、なんとなく避けたい気分が働くのだ。おそらくは、意識的な個体とは全般、相性が悪いのだろう。
 たぶん、ひと言でいえば無意識のせい。
 追い出そうという意思をもつことさえ煩わしく――N極とN極を近づけたときのように、ふらっとどこかに行きたくなる。無意識が、意識を弾くように。無意識は意識を避けてしまう。
 今は――今はだいじょうぶ。発作じみた無意識の衝動はない。それまでの少しのあいだだけ、ここにいようと思っている。そう、たまには……
「なあ、クリムガン」
 ポケモン図鑑で分類されるところの、おれの名前が呼ばれる。
 いきなり、話しかけられたのだ。ほとんど意識の外においていたのに、どうして他者はこんなにも簡単に話しかけてくるのかと、一瞬思う。友達のワルビルといえば、その筆頭だった。一般に凶暴とされるクリムガンの名を気安く呼ぶのは、ワルビルの愛着からくる思いだ。苦もあるにしろ、それなりの時を共にした友達。そして、ここはそういう場所でもあると、どこかで納得もしている。
 だから、おれは応えた。
「なんだ? ワルビル」
「おまえの、『1……2の……ポカン!』って、無意識に行動するって力なんだよな?」
「そうだ」
「でも、無意識を操るのがおまえの意思だということになると、それって意識的な行為とは違うのか?」
「そうか。気づいてしまったんだな」
 立ちあがり、地面に腰を降ろしてソファーに背中をもたれさせているワルビルに、ゆっくりと歩み寄った。
 ずい、と顔を近づけると、ワルビルの顔が恐怖に染まる。
「ひえ、訊いたらまずかったか?」
「無意識さまのことを軽々しく尋ねるなんて不謹慎だ! 修正してやる!」
「ひゃあ!」
 ワルビルの敏感なところを撫でまわしてやった。
 ワルビルは逃げようとするが、さすがにここで本格的なわざをぶっぱなすわけにはいかない。結局、おれが納得するまでくすぐり続けることになった。
「おまえが! 泣くまで! くすぐるのを! やめない!」
「ひゃ、ひゃ、ひゃあー! 俺が悪かった!」




 しかし、おれは内心においてびっくりしていた。芯をぐさりと突かれたように思った。
 確かに、言われてみれば実にそうであった。おれが無意識を&ruby(丶){意};&ruby(丶){識};&ruby(丶){的};&ruby(丶){に};操っているのならば、あらゆる行為はおれの故意だ。おれは恋多くを生きたいと思っているが、故意に生きたくはないのだ。あらゆる故意から電離し、分解されてゆくことを夢見ている。タマゴの中で死にたい、生まれる前のポケモンのような心境――といって、少しは伝わるだろうか?
 とりあえず、そんなに深刻な話じゃない。
 でも、ときどきおれは、なにかしらの行為のあとに「無意識にやったことだからしかたない」という類の言い訳をすることがあった。その言い訳は、もしかすると失当だったんじゃないか。そう思い、おれもちょっと焦ったりするのだ。タブンネやジョーイに怒られてばかりのおれである。
 おれは言葉を棄却している。どうせなにを言おうが通信など適わない。諦観めいた思いはありながら、タブンネが泣きそうな顔で「やめて」と言えば、「やめる」のがおれの原理だ。これは動かすことのできない&ruby(丶){他};&ruby(丶){律};的な心であった。おれのなかにあるはずなのに、おれ自身も触れられない強制力。けっして自律ではない。おれのなかにあるはずなのに。
 では――それが無意識の所産とするならば、おれは自分の意思で、そのルールを破ることもできるのだろうか。
 やろうと思えば、できそうな気はする。
 でも――
「やめておこうか」
 おれは、ルールを保持する選択をしたのだ。
 意識的に? あるいは無意識的に?
 正直なところ、おれ自身にもそればっかりはわからない。




 ――心神喪失者の行為は罰しない。
 人間のルールには、そういうものがあるらしい。
 おれは常に心神喪失というわけではない。しかし、無意識的に行動する限りにおいて心神喪失状態になるわけだから、その行動のあらゆる責任から解放されるはずと思われた。
 しかし、その背後にいくらかでもおれの意思が入りこんでいる場合はどうなるのだろう。その場合もルールが適用されるとすると、かなり妙に感じる。
 おれは思いきってタブンネに訊いてみることにした。
「無意識を意識的に操ってる?」
「うん。だとすると、やっぱりすべての責任はおれにあるのかな」
「そうね……それにはまず罪と責任の関係について、説明しないといけないかな」
「なにか違いがあるのか?」と、おれは尋ねた。
「簡単にいえば、罪が成立する要件として、責任というのがあるの。多少、省略するけど、犯罪は、法典に合致する行為が、法秩序に反していて、責任があるといえるときに成立するの」
 タブンネが法を語れば、真実味を帯びる。なにより、ポケモンセンターのジョーイの相棒であるからだ。
「ふうん。それで?」
「責任というのは、いま自分がなにをしているのかわかって、しかもそれを止めることができる状態にあるからこそ、その行動の是非を問うことができるわけね。だから、自分が今どういうことをしているのかわからなければ――あるいは自分の行動を制御できなければ、責任はなくて、罪に問えないってことになるの」
「なんとなくトートロジカルな……」
「責任の本質を説明するのは、ちょっと難しいの。具体例を挙げれば、ある種のきのみを食べると、『こんらん』してしまうポケモンがいるでしょう?」
「いるな」
「そういうポケモンたちが、ほかのポケモンの縄張りに間違えて入ってしまっても、しかたないっていえるでしょう?」
「ううん。そうかもしれないな」
 おれにはそういう一般の基準となる感覚がないから、肌で感じ取れる納得はない。しかし、おれが日々収集しているデータから参照すれば、おそらくタブンネの言っていることは正しいと推測できた。タブンネの言葉はぜったいに正しいという盲信ではなく、おれ自身による判断だ。
 いってみれば、大多数は数式のなかのαに適当な数を代入することで、そのときの適当と呼ばれる行為を選択できるが、おれの場合はαではなく、具体的な数字を数式のまま記憶する感じなのだ。たとえば、五桁どうしの掛け算があるとして、ふつうなら九九を使って計算するところを、おれは計算式と九桁ないし十桁の答えを記憶している。もちろんこれは比喩表現である。現実には周囲の状況からおれが最適な行為を選択する手法を指している。
 正直しんどい。でもおれの場合は計算能力があるから、日常生活にさほど支障もなく済んでいる。
 とりあえず話を進めよう。
「『こんらん』という状態は精神を鈍らせる働きがあるからね。だから、そのとき『こんらん』しているポケモンが縄張りに入ってしまっても、罪には問えないの」
「あとで回復しても?」
「あとで回復しても」タブンネは頷いた。「自分がなにをしているのかわかっていて、それを自由な意思で止めることができる程度の判断力。これをあわせて責任能力というけど、この責任能力は、行為のときに同時に存在していないといけないの。『こんらん』した自分がなにをしているのかもからないのに、今はしゃきっとしてるから退治するなんて、かわいそうでしょう?」
 かわいそうなんて言葉。
 おれには理解できるわけもないのだが――
 しかし、ここでもまた頷いておく。
「じゃあ、おれってなにをしても自由なのか」
「そうじゃないの」
 タブンネの声は、水に沈んでゆくように深みがあり、落ち着いている。
「たとえば、さっきの『こんらん』したポケモンが、よその縄張りのポケモンが目障りで、一計を案じたとする。それで、自分がある種のきのみで『こんらん』する体質だと知りながら、そのきのみを食べて、気づくと計画どおりに縄張りを荒らしていた。この場合はどう?」
「悪いのか?」
 さすがにタブンネの言い回しは、そう言わせたいと見え見えだった。
「そう。この場合、行為と責任が同時に存在しなければならないという原則を修正して罪を問うの。これを、『原因において自由な行為』と呼ぶのね」
「&ruby(丶){原};&ruby(丶){因};&ruby(丶){に};&ruby(丶){お};&ruby(丶){い};&ruby(丶){て};&ruby(丶){自};&ruby(丶){由};&ruby(丶){な};&ruby(丶){行};&ruby(丶){為};?」おれは繰り返した。「変な言葉だ。でも、どうしてそれは罪を問えるんだ。論理的にはどう説明する? 例外なのに」
 おれは知っている。およそ、大きな枠組みとしては二元的に、細かな枠組みとしては四つの象限として考えるのが多数派である。
 この場合、タブンネが言った「原因において自由な行為」は責任能力と罪との関係を修正する例外的事象だ。だとすれば、合理的な思考においては例外を許容する論理の支えを用意しているはず。そうでなければ、代入数値であるαの値がわからなくなってしまう。つまるところ、規範がなんなのかわからなくなる。
 おれにとっては、どうか。
 おれは代入数値がわからないので、たとえば人間を殺してはいけないとか言われてもピンとこないところがあるが、どうやらおよそ人間を殺してはいけないらしいことがデータベース上あきらかなので、人間を殺すのはよくないと理解している。感情や理性によって殺意を抑えているわけではない。経験と、タブンネの言葉をよりどころに殺意を抑えているわけだ。
 今回のタブンネの言葉も、同じように礎になるかもしれない。だから訊いたのだ。
「まず、罪に問いたいという感情が先にあるかもしれない。感情からすれば、計画性のある犯行を罪に問えないのは、明らかに不当だから」
「そうなのか」
 さっぱり理解できないが、そのまま飲みこんでおく。
「それで、論理的な説明としては、主に二つの見解があるのね」
 そこで、タブンネは少し息を吸った。非常に趣きのある仕草と見えた。
「ひとつは、自分を道具として扱うところに、間接正犯と類似性があるとする見解」
「分裂自我みたいだ」
 タブンネの言うことは、きのみを食う前の自分が、きのみを食ったあとの自分を道具として扱っているから、きのみを食う前の責任能力をもって、結果行為たる縄張り荒らしにも責任が及ぶ……という考えなのだろう。おれの計算能力は、そこまでをひと息のあいだに理解させてくれた。そしてそれは、ずいぶんとパラノイアじみた考え方とも思われた。
「でも、この見解の批判としては、実行行為が早くなりすぎる点にあるわね。つまり、きのみを食べる行為が犯罪の始点になるから、その時点で未遂犯が成立してしまう確率が発生するということなの」
「きのみを食っただけで退治されるのか?」
「そうなりかねない、という点で問題がある見解なのね」
「もうひとつは?」と、おれは尋ねた。
「もうひとつは」と、タブンネは言った。「意思の実現過程に着目するという考え方。計画性のある行為を最初から見れば、きのみを食べて縄張りを荒らす行為は、まさに当初の意思の実現にほかならないわけだから、責任を問えると考える」
「責任と行為が同時じゃなくなるけど、いいのか?」
「たしかに原則的には同時じゃないといけないの。でも、責任はそもそも行為に対して非難を加えられるかどうかの問題だからね。この場合、当初の犯行の意思が実現されていったのだから、その行為は非難にあたると考えられる」
「ふうん」と、おれは言った。「なんか、あまり論理的じゃないな」
「そうね。こういう行為は罰するべきだ、という感情が最初の動機にあるから、どこか歪なのかも。でも、行為というのはもともと数式みたいにきれいに計算できるわけじゃないから、そういう歪さも要求されてくるんだと思う」
「心はきたないんだな」
「心は複雑なの」
 タブンネのその微妙な言い直しは、おれには不満だった。どうも、その言い直された部分には、おれが伝達したいと思ったなにか重要な部分を排除された気がする……
 まあいいやと思い直し、おれはもう一度訊いた。
「おれの『1……2の……ポカン!』は、原因において自由な行為なのか?」
「自我を忘れるというのが、わたしにはわからないからなんとも言えないなあ。どういう感じなの?」
「言葉が殺されてゆく感じがする」
「あなた自身が消えてゆく感覚?」
「うーん」おれは考える。「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「でも、原因において自由な行為の問題点は、能力を発動させる前にちゃんとそのことを理解していたかどうかよ」
 おれは尋ねた。「タブンネは、自分が今なにをしているか、完璧に理解しているか?」
「どういうこと?」
「筋肉をどの程度収縮させるかとか、どういうふうに姿勢を制御しようとか、心臓を何回動かすかとか」
「ううん。無意識にやってるわね」
「そう、無意識なんだよ。おれだってふだんは無意識なんだ。でも、無意識の状態を操って、たとえば心臓を動かす回数を変えたりもできる」
 おれはタブンネの手をとって、そのまま自分の胸にぴったりとくっつける。
 ドキドキ、ドキドキ。
 その恋する音を、無理やり聞かせたりすると、タブンネはちょっとだけ恥じらうような反応をするのだ。
「無意識がなにをするか、あなたは最初の時点から完璧にコントロールできるのね?」
「でも、そのなにかをしようという動機が、無意識の囁きなんだ」
「決定しているのはあなたなんでしょう?」
「決定の瞬間がどうなのかによる。ふつうそれは見えないからわからない。でも、タブンネの言葉が少しヒントになったかもしれない」
 おれはそのままタブンネに背を向けた。
「どこに行くの?」
「うーん。どこかに」
 どこか。そろそろ離れないと、タブンネとくっついてしまう病気が発症しそうなのだった。
「お腹が空いたら帰ってきてね」と、タブンネは言った。
「気が向いたらそうする」と、おれは言った。
 でも、意外にもおれが向かった先はポケモンを保護して寝かせておく檻だった。施錠されていない檻を勝手に占領して、体を丸くしてうずくまる。それから、目をつむった。
 無意識を遡れば、もしかするとおれの「自己」が見えてくるかもしれない。おれのなかにあり、おれの行動を決定づける、自己というもの。
 正直なところ、自分の心なんてものは最初からおれが棄却していたものだし、今さらそれを掘り起こすというのもなんだか微妙な気分だが、今の自分が駆動している仕組みには、若干興味があった。それは、おれが本質において自由であることを求めているからだ。
 無意識さえも操る自由。おれが求めたものはそれだったから。
 1……2の……ポカン!
 無意識のなかに自我が沈んでゆく。巨大な水溜りのなかに沈んでゆく感覚。
 夢なんて見るはずはないのに、無意識の領域はいくつものイメージがふわふわと浮かんでは消えてゆく。それはちょうど、泡のようだった。




「ええと、ここはどこだろう?」
 見渡せば、そこは巨大な平原だ。
 どこまでも続く平らな道に、幅五メートルくらいの砂利道が続いている。
 となりには、クリムガンがいた。
 そのクリムガンのとなりにも、クリムガンがいた。
 一面、クリムガンだらけだ。
「ああ、そうか」
 おれは思い出す。たしかクリムガンは遠足に出かけていたはずだ。
 それで、クリムガンたちは五列縦隊になって互いに手を握り、仲良く前に進んでいる。どこへ向かっているかはわからなかったが、目的地に向かってゆくのはわかる。おれのメインストリート。つまり、おれの意思と呼ばれるものと思われた。
 では、この道を遡ってゆけば、いつは行為の第一因に辿り着けるだろうか。
 クリムガンたちが出発した地には、なにがあるのだろう。そこには、クリムガンたちを生み出すグレートなクリムガンがいるのかもしれない。今はそこへ向かおう。
 おれはふらりと遠足の列から抜け出した。
「ピーピー! そこのクリムガン、ルール違反だ。すぐに列に戻れ」
 クリムガンのなかの一匹が笛を吹いていた。
 どうやら引率役のクリムガンらしい。クリムガンのなかでもきちんとルールを守ろうとするクリムガンがいることに、おれは少しばかり安心した。しかし、おれの規範意識はかなり弱い。だとすると、引率役のクリムガンもやっぱり弱いのだと思われた。
「別にいいんじゃないか」と、隣にいるクリムガン。
「そうだ。別に行きたくないやつは行かなくてもいいんじゃないか?」と、別のクリムガン。
「今のおれはどこかへ行こうという気概がそれほどないんだ」と、これまた別のクリムガン。
「みんな言うことをきくんだ! これじゃあ自我が分裂してしまう!」と、引率役は息巻いている。
 でも、みんなきく気はなさそうだった。てんでバラバラに動きだす。隊列は乱れ、クリムガンの思考や言葉は好き勝手に飛びまわりはじめた。
 引率役のクリムガンは、ついには泣きはじめてしまった。なにしろ、クリムガンの意思の多くはルールを守ることが大嫌いだから。
「これって、もしもおれが行動していたらどういう状態なんだろう」
 最初に動いたおれは想像する。たぶん、ぼーっとしてフラフラ歩いているような状態だろう。自我が散逸することで、目的地が定まらない。したがって、意思がなくなる。無意識になる。
 じゃあ、無意識状態のおれを操っているクリムガンはどこにいるんだ?
 おれはクリムガンを探した。特権的な位置にいるクリムガン。どこにいるんだろう。やはり道を遡るしかないのだろうか。
 それにしても、この観察者であるおれはどうして原始のクリムガンの近くにいないのだろう。よくわからない。
 道を歩いてゆく。でも道以外、建物らしい建物がない。人間の建造物がないのはよしとしても、森や山といった凹凸さえない。どこまでも平原という世界は、少し寂しさを思わせた。
 おそらく、クリムガンが望んでいるとおりの世界が見えているのだろう。それとも、無意識が見せる悪夢か。
「最初からバラバラに行動しているおれもいるみたいだ」
 道を外れたところにも、まばらだがクリムガンがいた。
 たぶん、クリムガンたちは今回の件とはまったく違うことを考えているのだろう。今日はメシになにを食いたいかとか……最近は暖かいから外のところで昼寝するのも悪くないとか……たまにはワルビルと一日じゅう遊びたいとか……そんなとりとめのない思考。
 では――今、原始のクリムガンを探すこのおれはメインじゃないんだろうか。正直、そこがよくわからない。
 檻に入ったときには、おれはあらゆる因果の始まりになるおれを探すつもりだったはずだ。その意思が、メインストリートで遠足していないといけないはずなのに。
 今、おれの内的世界はメインと呼べる意思がない状態。完全に無意識に近い意識状態に以降している。だから、おれが今、檻で目を覚ませば自己を探すという動機はどこかへ消え失せてしまっているはずだ。そうすると、&ruby(丶){こ};&ruby(丶){の};クリムガンはそこらをぶらぶら歩きしているとりとめない一瞬の思考と変わりがない。
 でもまあ、その意思が消え去ってしまうまで、このクリムガンは歩いてゆこうと決めた。
 歩いて、歩いて、歩いていると、不意をつくように塔が目の前に現れた。
 その建物は場違いなほど白く、天に向かって二本の尖塔がとぐろを巻いている。見ると階段のようになっていた。
 そのふたつの尖塔のあいだには、金色の鐘が吊り下げられていた。
 教会だ、とおれは直感的に理解する。でも、教会というものの意味するところまでは知らない。
 壁を触る。ざらざらした手触りは土くれで作られているよう。しかし見た目はぴかぴかしているから、漆喰かなにかで固めているみたいだ。意思の産物。人間の手が作りだした構造物。
 おれはどこかで納得を得た。どうも目的地に着いたらしい。
 体感としては十分そこら。思えばずいぶん遠くにきたものだ。まわりにはクリムガンは一匹もおらず、風の音だけが鳴っている。
 扉の前まで歩いた。
 見上げると、おれの体のゆうに五倍はありそうな重々しい木の扉があった。手をかけ、ゆっくりと開け放つ。
 だれがいるんだろう。期待と不安が半々といったところだ。そもそも、一介のちいさな意思に過ぎない自分がこのような場所に来てよいのだろうか――なんて思うものの、開けてしまったものはしょうがない。
 中を覗いてみると、陽の光が入らず、思ったよりも暗かった。空気のにおいは湿っていた。中に入ると、埃が舞った。ずいぶん長いあいだ使われていないと感じる。無意識はずっと使われていないのだろうか。
 いや、無意識状態を操っている以上、使われていないはずはない。
 ここは、目的地?
「考えていてもしょうがない」
 おれは探索を開始した。一階部分は大きなステンドグラスがあるほかは、とくに気になるものは置いていない。両側には横長の椅子がいくつも設置してあり、やはり教会じみている。でも、教会にはつきものの、例の象徴がない。父の名なんてものはないので、ここは廃教会といったところか。
 少しワクワクしてきた。おれは廃墟が好きだからだ。意思が現在進行系で死んでゆく感覚が好きなのだと思う。人工物が自然になってゆき、そのなかで意思が消失してゆく……そんな感覚。死にたい気持ちが廃墟を魅力的に思わせる。
 この気持ちは、おれだけ?
 わからない。
 おれ以外の音がない世界で、おれの足音だけが静かに響いた。一階はなにもない。だったら二階に上がらないと。
 すたすた、軽いステップで二階に登る。やっぱりどこにもクリムガンの気配がない。それどころか、生き物の気配を感じない。無意識を動かす超すごいクリムガンはどこにいるのだろう。
 今ここにいるおれは、さすがに違う。それくらいはわかってる。
 じゃあ、ほんとうに無意識を操れるクリムガンがここにいるんだろうか。それは探してみなければわからない。
「クリムガン、いたら返事をしてくれ」
 ――おとなしすぎる。美しすぎる音のなさ。
 おれのなかには恐怖を感じるおれが、どこかに隔離されているか絶滅するかしているので、今ここにいるおれも恐怖を感じはしない。そもそも、無意識を操っているといっても、おれであることには変わりないのだ。
 しかし、一般にはどう感じるかということを、常に意識しているのがおれである。
「たとえば、ふつうなら予期が不安になるはずだ」
 風の音が聞こえてきたので、おれは立ち止まり耳をすませた。
「そう。この風の音も生き物の声のように聞こえて、怖いと思ったりするはず。次になにが起こるかわからないから……たとえばワルビルの尻尾が一日ごとに長くなっていったら……ふつうなら怖いって思うかもしれない」
 空想に空想を重ねてみても答えは出ない。
 どうやら三階はないらしい。外に出る階段があった。ここから尖塔のほうに出られるが、鐘があるほかはなにもなさそうだ。結局、この教会にクリムガンはいないということになる。
 おれは思案した。首も傾げたくなる。
「まあいいか。もしかして鐘のなかにいるのかもしれない。
 尖塔の外側をぐるぐると回る螺旋状の階段を歩いた。手すりはついているが、足場はおれ一匹ぶんほどしかない。それに、岩肌のごつごつしたものだったから、お世辞にも歩きやすいとはいえない。ホップもステップもできないので、歩調はゆっくりだ。
 尖塔と尖塔をつなぐ、短い塔に着いた。
 鐘がある。タワーオブヘブンにあったのと同じくらいの大きさ。おれが両手を広げても、鐘に手をつけることができない。
 見上げてみても、クリムガンがへばりついているなんてこともなく、やっぱりだれもいなかった。
「おかしい。だれもいないなんて。ここが目的地のはずなのに」
 独り言を言ったところで、答えを返してくれる者はない。風がひゅるるんと鳴っている。高い場所から見下ろしてみても、近くにクリムガンはいない。だれかが近づいてくる気配もない。
 もしかしると、無意識を操っているクリムガンなんていないんじゃないか?
 その考えは、なぜかとても的を射ているように思われた。
「でも、それはおかしい。なぜって、現におれは無意識で動くことができるんだから」
 それとも――
 ふと鐘に目をやった。この鐘を鳴らすのは、いったいだれだろう。
 それは?
 それはおれしかいない。おれの各意思が……すなわち興味……好奇心……タブンネやワルビルへの信頼……封じこめられているはずの恐怖……規律……愛……倫理などが、鳴らしてみようかなと思ったときに鳴らすのだろう。
 じゃあ、今ここにいるおれも鐘を鳴らすことができるはずだ。
 頷いて、おれはその場で飛びあがりながら、思いきり体をひねった。尻尾を叩きつけると、ゴーン、と大きな音が響いた。
 割と大きい音がうるさかった。
 やがて、わらわらとクリムガンたちが集まってきた。どうして集まってきているのかは、わからないようだった。
 鐘を鳴らしたおれもよくわからない。鐘を鳴らしたのは、鐘を鳴らしたかったからである。意思の発生因は、それ以上分解できない。ここにいるおれを解剖しても、おれが鐘を鳴らした理由は明らかにならない。
 おれは、少しだけ理解した。無意識状態に移行する能力は、たしかにおれの意思によるものだが、その意思は無意識に操られている。無意識が導くままに鐘を鳴らす。
 その無意識をさらにおれが操ることもできるのかもしれないけれど、意識と無意識の戦いに果てはない。
 言葉と感情のどちらが先なのか、どうやらおれにはわからないらしい。




 ゴーン、ゴーン……
 檻のなかまで響いてくるのは、ポケモンセンターのエントランスの壁かけ時計の電子音だった。もう夕方になっているらしい。
 少し寝ていたみたいだ。おれは顔を擦って、まわりを見渡した。
 目覚めはいいほうだ。いつもぼーっとしているだけのことはある。おれはすぐにタブンネのところに向かった。
「あ、クリムガン」と、タブンネは言った。「今日はちゃんと帰ってきたのね」
「もちろん」と、おれは言った。「無意識について少しだけわかったことがある」
「原因において自由な行為だった?」
「いいや。無意識を操るのは、意識を操られることと等価交換だった」
「無意識が意識を操るの?」
「せめぎあいというか、意識と無意識の動的安定だ」
「磁石の同じ極どうしみたいな感じ?」
「近い。さすがタブンネだ」
「あなたの意思はどこにあるの?」と、タブンネは言った。
「ここにある、としか言えないな」と、おれは言った。
「あなたに責任能力はあるの?」
 おれは、ん、と一瞬だけ遅延した。
 その遅延こそ、おれの心の証明だったのかもしれない。
「ここにいるおれを全体的に見れば、やっぱりおれはおれのやりたいようにやってるんだから、責任を問うことはできる。でも境界は常に曖昧だ。鐘を鳴らすクリムガンがだれなのか、おれ自身にも検討がつかないんだから」
「あなたはなにをしても自由よ」と、タブンネは言った。「でも、自由には責任が伴うことを忘れないでね」
「タブンネの言葉を忘れないおれがいたら、そうなる確率が少し高まる」と、おれは言った。
「あと、ごはんを食べに毎日帰ってきてくれたら嬉しい」
「それはおれの責任?」
「ううん。わたしの願望」
「どうして、タブンネはおれに帰ってきてほしいんだ?」
「あなたのことが心配だから」
「おれの尻尾が毎日グレードアップするのを予期してるんだな」
「よくわからないけど……」タブンネの困り顔からは、訝しみが滲み出ている。「そうね。あなたの尻尾が変わっていたら、怖いかもしれないわね」
 おれはいつものように微笑した。
「意識も、じゅうぶんにしかたないな」



【名無しのクリムガン】

じょうたい:Lv.36 HP100% 4V
とくせい :?
せいかく :?
もちもの :なし
わざをみる:げきりん かえんほうしゃ ふいうち へびにらみ 

基本行動方針:???
第一行動方針:自分の心の有り様を掴みたい
第二行動方針:次の目的地へ向かう
現在位置  :セッカシティ・ポケモンセンター
 
  いつかのネタをリメイクしました。
  私としては「クリムガンは刑事未成年だから大丈夫だよ」説を採りたいと思います。
 
#comment() 
 

 

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