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十干十二支!~蝦夷襲来編~ の変更点


[[作者カヤツリ]]
作者[[カヤツリ]]
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 「これでどうだ。8八歩」
縦横に細線の走る八十一マスの盤上の世界に、どこからともなく一人の歩兵が現れた。陰陽師の華奢な手によって一枚の歩がパシッと置かれる。
その一手に含まれる意味を十分吟味したのち、今度は私が駒にゆっくりとその前足を伸ばした。
「なかなかやるわねぇ。でもそれじゃあちょっと物足りない攻め方じゃないかしら?8八玉」
ウインディの大きな前足が置かれたばかりの歩を盤上から払いのけると、今度は玉がその位置に前進する。
こちらが小気味いい音がしないのは、私の足じゃ駒をつかめなくて爪先でグイっと押す感じになるから。これでも大分器用にやってるつもりなんだけど。
私が歩を手駒に加えるのを見て、すかさず清明が新たな駒を平面世界の戦場に投入しつつ切り返した。
「ところがそうは問屋がおろさない。甘いのはスサの方だろ。8七歩」
またもやパシッと鋭い音がして、斜め前にまた一つ歩が置かれる。ちえっ、毎回毎回ちまちました攻め方しかしない奴だ。つまんないの。
すぐさまその歩を追い払って、代わりに金を横に進めながら私がイライラと言った。
「8七金。いい加減しつこいわよ、何その拙攻?そっからは攻められないことぐらいいい加減気づいたら?」
今度は清明が黙って考え込む。そりゃそうよ、私の布陣は相当堅固に組んであるから、ちょっとやそっとじゃ崩せない。
清明が攻めあぐねてるうちに好機が訪れればこっちのもの。せいぜい頑張るこったね、駆け出しの陰陽師君。
「あれ、もう手詰まり?可笑しいなぁ、あんたこんなに弱ったっけ?」
私が冷やかし半分に言葉をかければ、顎に手をやった清明が唸る。
「む、そっちだってろくな攻めしてこないじゃないか」
眉間にできたしわが一層深さを増した。いや、単にしかめっ面をしただけかもしれないけど。
「私は守りの将棋なのよ。さ、あんたがこれをどうやって崩すか見ものね」
「せいぜいほざいてろ、この思い上がり……あ、この手はどうだ。7八飛。王手」
む、これは苦しい。眉間にしわを寄せるのは私の番。うーむ、どうしたものかしら。
他の駒を張ってもいいんだけど……ここで無駄に消費するのはもったいないか。
つたない思考回路を駆使してしばし悩んだ挙句、私の頭は逃げとも妥協とも言えそうな無難な策を導き出した。
「とりあえず逃げる。8九玉」
「そこ逃げるのかよ……まったく」
危機に瀕した玉将が飛車の射程圏から逃れたのを見て、清明は首をひねって長考に入った。あちゃー、こりゃ厄介だ。
こいつが一度考え出すと冗談抜きに日が暮れることもあるからねぇ。そろそろ詰みを狙ってくるのはあいつの勝手にしても、いい加減早く打ってくれないかなぁ。
場合によっては次回から時間制限を設けるのも考慮に入れとかないと。うん、それがいい。
陰陽寮の縁側の日陰下、私はフーッと大きくため息をついた。吐息と共に凝り固まった肩の力も抜け、じっとりと暑い大気の内に拡散していく。
退屈しのぎにふと外に目をやれば、太陽がちょうど南中を迎えたところだった。

 長くてじめじめとした梅雨も終わりを迎え、平穏京は本格的な夏へ入ったところだ。
春が生命の胎動だとするならば、夏は生命の躍動にあたるのかしらね。夏の息吹は、生きるものすべてに際限のない力強さを貸与する。
虫も草木も動物も、その恩恵を最大限に享受して一瞬の眩しい煌めきとなる権利を勝ち得る。
燕が鋭い円弧を大空の絵巻いっぱいに優雅に描き出し、立木の幹には&ruby(うつせみ){空蝉};((セミの抜け殻の古称。因みにここではヌケニンを意識しているわけではなく、本物のセミの幼虫の脱皮後の殻を指している。))が、主を失ってもなおその生命力を物語るかのようにしがみついている。
普段は庭師の手でまめに手入れされている人工の空間である中庭さえも、その強靭な繁殖力の前に屈したのか雑草の楽園と化していた。
もちろん庭園の草花も負けてはいない。観賞される以前に果たすべき使命を抱えた命だもの、負けず劣らず力強くて当たり前。
松葉牡丹が地を這うように繁茂しては誇らしげに黄色い花を咲かせているかと思えば、うつむき加減の白百合が筒状の花弁を控えめに広げている。
垣根に巻き付く朝顔・夕顔は競うように展開しては朝夕にそれぞれ異なった情趣を見せ、池に浮かんだ睡蓮は完成された清楚さの中に浮かんでは日差しの中に滲む。
植え込みからはクチナシ((アカネ科クチナシ属の常緑低木。日本にも自然に分布し、白色の花にはジャスミンのような強い芳香がある。その実は古くから黄色の着色料として使用されており、食品等の「クチナシ色素」が好例。))の心華やぐ香りが漂い、青空に立ち上る白い入道雲が午後からの夕立を予感させ。
時節は&ruby(みなづき){水無月};も下旬に差し掛かった頃。「水の無い月」って書くわりには、夕立とかで結構雨は降る季節よね。
だって、夏だもん。晴れるときは晴れるし、降るときには降る。今日の午後もかなり暑くなりそうだわ、ね。
こういう日はかえってモフモフした毛は邪魔な代物、私みたいな暑がり屋は屋内に引っ込んで大人しくしてるに限る。
ひざしがつよい?そんなもん知ったこっちゃないわよ。私の守備範囲外だってば。

そろそろ清明が次の一手を考え……ついてないや。そろそろ何か打てってのに。
仕方ない、時間つぶしのためにもこのスサノオ様が読者のみんなに一つ知恵をつけてあげようじゃないの。
あくまで読者のためにやってあげるんだから、心して聞くように。
さて、読者諸君は陰暦六月を「水無月」って書く理由をご存じかしら?
まぁ大体の人はそんなこと真剣に考えたこともないだろうけど、ちょっと考えてみてよ。「水が無い月」って書き方、違和感がないかしら?
水が無い……なんだそりゃってハナシ。水が突然無くなったりするわけないじゃない?
ちょっと賢い人なら、「陰暦六月って今で言う梅雨明けだから、水(雨)が無いって意味なんじゃないか」って思うかもしれない。
残念、それが違ったりするのよね。
確かにそういう考え方もできなくもないんだけど、そうするとある問題にぶつかるのさ。
もし水無月の「無」って字が「無い」って意味なら、&ruby(かんなづき){神無月};は「神様のいない月」ってことになっちゃうでしょ。
そりゃあいくらなんでもちょっとヘンよね。神様が留守?んなわけないでしょ。
コホン。よし、じゃあここらで正しい解釈を。
そもそも水無月の「無」ってのは「無い」っていう形容詞じゃなくて「の」っていう格助詞なのね。つまり水無月の意味は「水の月」。
実はこの時期、田んぼに水を引く季節にあたるから「水の月」、つまり水無月って言い方になったらしいわよ。
日本における米の重要性は言うまでもないから、こういう稲作にまつわる呼び名になっても何ら不思議な点はないしね((実は水無月の名前の由来は諸説存在し、スサノオが述べたのはその説のうちの有力なものの一つである。古典・言語学者によってさまざまな説が提唱されてはいるが、今のところはっきりとは究明されていない。))。
だから、神無月ってのも「神様の月」っていう解釈が正しい。というのも、この月はちょうど神様を祀る月にあたるから((「神々が出雲地方に集まる月だから神のいない月という解釈が正しい」というものがあるが、これは中世に出雲大社によって作られた俗説であり、スサノオの述べた説の方が真実に近いとされている。))。
全国的にみてもわかるけど、実際に神宮の&ruby(かんなめさい){神嘗祭};((天照大御神を祀る皇室の大祭で、その年の新穀を献じて豊作と国家の安寧を祈念・感謝する祭り。現在では10月17日に定められており、各神社の秋祭りがこれに相当していることが多い。))を始めとする神社の秋祭りが盛んに行われてるのを考えればすぐにわかるわね。
どう、これで少し賢くなったかしら?

「よし、これで行こうか。4五……」
清明の声に意識を戻され、将棋盤を見てみれば。他の駒より少し大きくて偉そうな角行が、私の陣の目の前に置かれていた。
ほう。けっこう厳しい手を打ってくるのね。というか、けっこうまずい……さて、どうしたものか。
このまま行けば三手先には詰みが待っている。何としてでもそれは避けなくちゃ。
顔を上げれば、清明が満足げに表情を綻ばせていた。いかにもしてやったりといった顔だ。
「なによ、その得意げな顔は。無性に腹が立つんだけど」
「ン?悪くない一手だろ?」
私の中で渦巻く目一杯の苛立ちは舌打ちに集約された。
「チッ、今に見てなさいよ……」
そうさ、自称策士のこの私が一介の冴えない陰陽師ごときに引導を渡されてたまるもんか。
駒の配置と数手先を読む力。幅広い視野と巧妙なからくり。将棋にはどれが欠けても成り立たない。
考えなきゃ……いまこそ至高の一手、逆転の一手を……!
思考を再度奮い立たせて、この戦況を切り抜ける術を模索する。打開策は必ずどこかにあるはず。
三分ほど必死に知恵を絞った結果、熟慮の末とまではいかないにしろ、なかなか良い手筋が脳内に浮かび上がった。
桂馬をあそこに置いて、向こうが逃げたらこっちの飛車をあっちに配して、止めに来たところで香車を張れば……。
なんと。我ながら見事な逆王手の成立じゃないの。よーし、これで行こうっと。
その一計を実行に移さんと私が盤上に前足を伸ばしたそのとき。
遠くから慌しい足音が聞こえてきたと思えば、脇のふすまが勢い良く開いた。

ガラガラッ、ドタドタッ、ドカッ、ジャラジャラジャラ……。
そのあとに続くのはお馴染の破壊音。宙を舞うは将棋の駒。あ~あ、せっかくいいところだったのに。

……はい、というわけで清明の師匠、&ruby(かものただゆき){鴨只行};のご登場でしたー。
私と清明の戦いの場は、突然襲い掛かった第三者による地震で崩壊していた。両軍ともに甚大な被害、もはや修復不能。
大半の駒は縁側に飛び散り、かろうじて盤上に残った駒ももはや陣の原型をとどめていない。
毎度毎度の展開とは言うものの、呆れてものも言えない二人はひっくり返った将棋盤を挟んで沈黙した。
「おお、すまんすまん。対局をしているとは知らなかったもんで……ってちがうわい!こんな緊急時に将棋なんか打っとる馬鹿がおるか!」
開口一番、年老いた陰陽師は大声で怒鳴った。でもね。
「……」
私たちから返ってきたのは恐ろしく冷たい視線だった。その冷たさたるや、経験豊かな老陰陽師でさえ多少ひるませるほどのもの。
もし只行が将棋盤を蹴散らすなんてことが無ければ、普通に入ってこれたならば、私たちの対応はもっと違ったものになってたでしょうね。
一喝されたことにびっくりするとか、居住まいを正して師の話に耳を傾けるとか、それこそ只行が期待するような。
しかし真剣な対局の邪魔をしたうえでのこの発言、火に油とはいかないまでも非常に相手の不快を誘う。
ともかく迷惑をかけた相手に高飛車に出るのはいかがなものか。いくら師匠と言っても、ね。
「コホン。いや、すまんかった」
仕切り直しの意味を込めて空咳と謝罪を述べると、改めて私達に向き直った。
「いいか、よく聞け。つい先ほど連絡が入ってな、&ruby(えみし){蝦夷};が反乱を起こし……」
「ふーん、そりゃよかったわね」
「で、それがどうかしたんですか?」
床に散らばった駒を拾い集める二人から返ってきた投げやりな返事に、只行の話は出鼻を挫かれる形になった。
「お主たちそれを聞いてもうちょっと驚くとか焦るとかせんのか?」
さすがにここまで来ると只行もむっとした表情を浮かべる。そりゃ、誰だって自分の話が真剣に受け止められないとそうなるわね。
「蝦夷の反乱なんてしょっちゅう起きてるから珍しくもないじゃないですか」
「そうそう。それも毎度小規模なうちに鎮圧されてるから今頃終わってるんじゃないの」
「別に普段の程度だったらわしだってお前たちに報告したりもせんわ。大規模かつ重大だから来ておると言うに」
自分のもたらした知らせが軽んじて受け止められた事に、いささか気分を害した様子の只行が続ける。
「今回の反乱の規模は相当膨れあがっとる。兵の数にして二万近い軍勢が集まった上に、いつもとは勝手が違う」
「違うと言うと?」
眉根を寄せた弟子の問いには、思いもよらない答えが返ってきた。私だってこの答えは想像もつかなかったなぁ。
「向こうには識神使いがいる」
さすがのこれには、私も清明も駒を拾い集める手を止めた。奇妙な静けさにあたりは包まれる。

ふうむ、それは興味深い。ここにきてやっと私の興味が只行の話の方に傾き出した。
陰陽師以外にポケモンを捕まえて操る?めったに聞かない話よねぇ。だって世間じゃ私達はちょっとした化け物扱いだし。
ただし、決して初耳というわけじゃない。先月起きた謎の覆面野郎の一件は忘れるには印象が強すぎた。
今回もそいつらが一枚噛んでるのかしら?調べるに値する事かもしれない。
ただし、“死ぬほど”とか“死んでまで”知りたいとは思わないけどね。
「で、そいつと戦えとおっしゃるわけ?戦場に飛び込んで、命を賭けて戦えって?」
確認するように私が片眉を吊り上げると、肯定の頷きが返ってきた。
「フン、冗談じゃないわよ」
問いの後半までもがあっさりと肯定されたことに若干の驚きを感じつつ、私は強く反発した。
何で自分からわざわざ死地に赴かなくちゃいけないのさ。それもそんな理由で?
自分の命を危険にさらす義理なんて無い。特に他人事に関しては。
「頼み手なら他にもいっぱいいるでしょうに。別に人間が識神と戦ったってかまわないじゃないの、なんだっていつも面倒で命懸けな仕事ばっかり押しつけんのよ。生憎私は人間同士の争いに加担するほど暇じゃないから」
そこまで言ってから一旦言葉を切ると、私は不機嫌な顔で老人を睨みつけた。
「つーか只行、あんた自身が行けばいいじゃない」
そうよ、こいつ辰年でレックウザ従えてんだから自分が行けばいいのさ。私なんかよりよっぽど戦力になるだろうに。
私の言葉に只行は渋い顔で返事をよこした。
「む、疲れた老人に戦場に行けというのか?」
「……それを言うならあんただって未来ある若者二人を今まさに戦地に送ろうとしてるじゃないの」
うん、我ながら絶妙な切り返し。こういう機転の利いたやり取りは得意とするところだ。
案の定、苦り切った表情を浮かべた只行にこう言われた。
「スサノオ、お前こういう時はやたらに雄弁なのだな」
「ありがと、褒め言葉として受け取っとくわ」
それきり会話は一時止まってしまった。じとっとした空気、重苦しい話題。不快指数だけが高まるばかり。

戦ねぇ。私たちポケモンからすれば、人間の成しうる最も愚かなことのうちの一つ。
無用な血が流され、正義の名のもとに悪がまかり通る非常ーにあほらしい年中行事。
世界のどこを見渡したって好き好んで同族を滅ぼすイキモノなんていないってのに。
私が時々疑問に思うのはさ、なんで人間ってお互いを殺すとこまでやりあうのかなってこと。
野生の動物もポケモンも、そりゃ喧嘩こそすれど殺し合いまでには発展しない。多分人間が恐ろしく弱い生き物だからなんだろうね。
私たちみたいに牙やら爪やら、殺傷能力の高い部位を持ち合わせてる生き物は自然と抑止が働く。
殺し合いに発展しないように、けんかの決まりごともある。相手が逃げたら追撃しないとか、降参したらそこで終わりだとか。
武器を体に有する者として、昔から培われた良識ってもんが備わってる。
私に言わせれば、人間はその逆。
体に大した武器がそろって無い生き物だから、殺傷に関する規制を持ち合わせてない。だって、本当なら必要が無いんだもん。
そういう生き物が武器という道具を持ったらどうなるかしら?結果はご覧のとおり、人類二千年の血ぬられた歴史が答えってわけ。
それにしても何で私まで巻き込まれるかなぁ。
まぁ清明は平穏京の人間だから一応の責任があるってことで構わないにしても、問題は“ポケモン”であるこの私。
何でこのスサノオ様が人間同士のつまらないいがみ合いに参加しなくちゃいけないのさ。
他人の喧嘩に口出して、命を落としてちゃ洒落にもならない。

その場に流れる沈黙を最初に破ったのは清明だった。やれやれと首を振り、水干の袖をまくりあげながら。
「ったく。じゃあ少なくとも俺は行くしかなさそうですね。その識神使いを探るだけにしても」
「いかにも。そして主人が行くとなればスサノオも行くしかあるまい」
ちょ、何で私の随伴が前提なのよ。私の権利は皆無ですか。
「え~、私も行かなくちゃダメ?」
「当たり前だろ、お前がいなければ清明の行く意味がない」
わかってる、十分わかってるわよそれぐらい。でもねぇ、なんとなく今はゴネたい気分。
わがまま言ってどうにかなる問題じゃないのは重々承知なんだけどさ。
「別に清明一人で行ったって構わないじゃない。あんたが敵の識神を素手でねじ伏せてくればいいんでしょ」
これだから困ると言わんばかりに年老いた陰陽師は首をやれやれと振った。
「……もうちょっと主人への忠義とかそういったものは無いのか?」
「別に私、好きで識神やってるわけじゃないしー」
只行と清明、二人の首がガクッと落ちた。フフ、これを見るためだけにも、さっきの台詞は言う価値があったってもんね。
とは言いつつも、この時点で私の心は決まっていた。ここまで来たら一緒に戦場に行くしか無いってね。
実際に清明から離れるわけにはいかないもの。このスサノオ様のいない清明なんて、てんで役に立たない。
私と清明は二つの歯車みたいなもんなのさ。
歯が欠けようが油が切れようが、何かを動かすために二枚の歯車はとりあえず一つに噛み合ってる必要がある。
喧嘩したり皮肉ったり、いがみ合いながらも仕事だけは確実にこなしていく。
そのためにはたとえ奴がどんなにダメ主人でも、二つの歯車は離れちゃいけない。
そうしないとなにも機能できない不器用な一人と一匹だから。特に清明。こいつ、私がいなかったら一体何ができるのか大いに疑問だ。
大げさなため息をつくと、私は腰を上げて冴えない相棒の隣に立った。
「仕方ないわね、清明一人で放っておけるわけないじゃないの」
満足げに老陰陽師はうなずいた。
「では行ってくれるな。うむ、それでこそわしの見こんだ識神、よくぞ言った」

「さて、別にわしはお主らに一万の軍勢を相手に戦えというのではない。その識神使いを、いや、その識神を倒せばいいだけのことだ。追い払うだけでも構わない、他の雑兵相手は都の&ruby(ひょうぶしょう){兵部省};((平安時代の軍政をつかさどる役所名。軍事全般に関して権限を握っていた。))の者どもが何とかするであろうからな。だから基本的にはその識神使い以外は相手取らなくて良い。わかったか?」
「はぁ。どのぐらい強いとかわかります?その敵の識神は?」
「さぁ、詳しい情報は入って来ておらぬが、電気系の技を使うらしいとだけは報告が来ておる。だがそれ以外は全くわからん。そもそもわしらのように木簡で縛りつけて操っておるのか、ただ懐かせているだけなのかもわからん」
電気ねぇ……お互いに等倍か。分がいいわけでも悪いわけでもないけど……。
「スサノオ一匹で足りるといいんだけど」
「そうね、そんじょそこらのポケモンよりは私の方が強いって自負はあるけど、この前のバンギラスみたいな感じだとちょっとマズいかも」
顔を見合わせた私たちに、只行は今日初めての笑顔を見せた。
「まぁそう心配するな、そんなときのためにこの前と同じようにお前たちにもう一匹識神をつけてやるのでな」

え゛?

その“ありがたいご提案”を聞くや否や、私達二人は思わずのけぞった。え、まさかまさかの……?
「ひょ、ひょっとしてまたミカヅチじゃないでしょうね?あの弱腰で役に立たないあいつを連れてけって?」
例の頼りないライコウが思い浮かんで、私はちょっと顔が引きつった。あいつは連れて行っても邪魔なだけ、こっちが被害を受けかねない。
何をどう間違ってもあいつだけは連れて行くのは勘弁願いたい。味方に雷落とすような奴、こっちから願い下げだもの。
私よりは多少電気耐性がある事を差し引いても、お荷物以外の何物でもないし。
「違う違う、今回はもう少し勇敢な性格の奴を選んでおいた。戦場にて活躍すること間違いなし、一騎当千の攻撃力をもっておる」
只行は懐から古びた木簡をとり出して清明に手渡した。その妙な自信、どっから湧いてくるのやら。ミカズチを押しつけたという事実は容易には払拭されない。
なんだかいや~な感じがするのは気のせいかしら。ろくでもない識神な予感がしてたまらないんだけど、ねぇ。
「……こいつ、扱いやすい奴なんでしょうね?」
清明の方も疑心暗鬼にかられたのか、いぶかしげに漢字の呪文だらけの木の板を見つめる。
いかにも胡散臭いと言った表情を浮かべた弟子に、“心優しい”師匠が言うには。
「まぁスサノオよりは苦労することなかろうて。この跳ねっ返りのつよいじゃじゃ馬よりはな」
そう言って只行は私の方をジロリと見た。えー、そんな藪蛇な。なんで私に矛先が向かうわけ?
「そりゃ悪かったわね、生意気で身勝手なウインディで」
フンと鼻を鳴らして、私はそっぽを向いた。あー腹立つ。
もうちょっとましな扱い受けてもいいと思うんだけどねー。

少し気分を害した私を余所に、清明と只行は今後の相談に移っていた。
「出発はいつごろになりそうですか?」
「まぁそれほど焦るほどのものではなくてな、一週間後に都を出発する大きな部隊と一緒に行けばいいとのことだ」
「じゃあ陰陽寮として自力で向かわなくてもいいんですね?」
「うむ、だから食事や寝る場所の心配はいらんし、馬も貸してもらえるであろうな」
「で、あんたが馬にゆられてる間、私はずっと札の中で窮屈にしてるわけ?」
思わず私が横から口を挟んだ。それは聞いてないわよ、しばらく札に閉じ込められるなんて。
札の中っておっそろしく退屈で窮屈なのよねー。お腹もすかなければ喉も渇きもしない。でも何もない場所。
何をするのも自由、だけど外へ出ることはできない。漢字でできた呪文の鎖が私を札に縛り付けてる限りはね。
ガーディだったころはまだしも、ウインディに進化してから札の中はますます狭っ苦しくて不快な空間になっていた。
「まぁまぁ、誰もいないとこ見っけたら出してやるから」
清明の気休めも当てにはならない。めったに私を散歩にも連れて行かない男の話なんて、誰が信じるもんですか。
「どうせ口約束でしょ?あんたはいつも口ばっかり。やっぱついていくのやめようかしら?」
そう言って思いっ切り背中を向けてやると、さすがの清明も少し考えるものがあったのかある提案を口にした。
「わかった、わかったから。この一週間はできるだけお前の行きたいとこに連れてってやる。それでどうだ?」
嘘!?本当!?思わぬ収穫に私は色めき立った。ホント、散歩なんて久しぶり。
意気消沈してうなだれていた私の尻尾も、しばしの期待を反映して左右に大きく揺れていた。
「じゃ、早速行きましょ。しばらくこっちには戻ってこれないかもしれないから、いろんな場所見て回らない?」
見おさめとは言わなかった。縁起でもない、私は絶対ここに生きて帰ってくる。
そのぐらい勝気じゃないと私らしくないじゃん?さ、残り一週間目一杯遊び倒すわよ!

ところが。災いや面倒事というのは私達に“常に”ついて回るようなのね。
この“常に”の解釈は人それぞれなんだろうけど、私達の場合それが毎月必ず一回に相当する。
ひっきりなしに問題の方が飛び込んできて、私達は忙しくその事後処理に当たる。無論、今回も例外じゃなかったのさ。
私達が面倒の方に突っ込む前に、面倒の方は私達に突っ込んでくる準備はできていたみたい。
そう、散歩の楽しみも何もかもお預け。運命は私達をそっとしておいてはくれないらしい。
それは散歩の準備をしようと清明が立ちあがった丁度その時だった。

ズド……ン……!

腹の底に響くような鈍い衝撃音、地を揺るがす振動。
縁側の三人はパッと立ち上がった。
「いったい何事!?」
「知らぬわ!」
三人とも縁側から中庭に飛び出し、四方を見渡す。何なの、さっきの音は?
音の原因はどこかと方々を見まわしていると、西側の空に黒い煙の筋が上がっているのが見えた。
狼煙?何かの合図?その煙にただならぬ気配を感じ取った私は急に落ち着かない気分になった。
「見て!あっち側に……」

……ドン……!

今度こそはっきりと、誰の目にも見えた。音の原因は、遥か天から呼び寄せられた雷。
雷雲も出てないのに大気を切り裂いて落下した光の柱は、先ほどの黒い煙の方向に落ちた。
「あんなの自然の雷じゃない!ってことはあれは……」
私が最後まで言い終わらないうちに嵐山((京都市の西に位置する山。現在ではその寺社の多さおよび景観から国の史跡および名勝に指定されている。因みに正式には「嵐山」は単なる呼び方であって、一応「京都市西京区桂川右岸」というのが正しい扱いであったりする。))の方から響いてきたのは、まぎれもない蝦夷の角笛だった。
いまさら私が説明する必要もないことだけれど、やっぱり面倒事は飛び込んできた。それも、今回は超特大の。

#hr

さて、あれから場面は夜の嵐山へと移る。
開戦から八時間以上経過した現在、嵐山山中の戦いは文字通り泥沼の激戦と化していた。
切り立った崖を際にしての攻防戦は、夜中に入っても終わりが見えそうにない。戦場を乱れ飛ぶは石、矢、槍。あちこちで上がるのは血飛沫、怒号、悲鳴。
槍の穂先が稲穂の如く並び、鍛えられた鋼は松明の揺らぎを映して闇夜に煌いた。
&ruby(もののふ){武人};達の鎧の豪奢な模様もここでは何の意味も成さない。
&ruby(こざくらきがえし){小桜黄返};、&ruby(くれないのはしのにおい){紅端匂};、&ruby(しらいとつまどり){白糸妻取};といった色鮮やかな&ruby(おどし){縅};((牛皮や鉄片を並べて綴じ、糸・皮・布で連ねた鎧の基礎となるもの。))も、夜の闇と血の色で黒く染まってゆく。
誤って谷底へと落ちていく者、血路を開いて戦う者。死屍累々とした戦場には血溜まりが赤黒い花を咲かせる。
盾は砕かれ、角笛は割られ。血の匂いに興奮した馬が後ろ脚で立ちあがって大きな声で嘶いた。
弓弦の音が鳴り響くたびに誰かが倒れ、薙刀が唸るたびに誰かが地にまみれるような修羅の刻。
大義も、名分も、そこには何もなく。そこにあるのはただただ不毛な命のやり取りだけ。


で、私達は今どこにいるかって?
よくぞ聞いてくれました、私達は前線から一里((現在の尺度で約534m。))ほど離れた木立の中で“勇敢に”待機しているところ。
しかも戦場においても獅子奮迅の働きであっという間に敵の識神を片づけたから後は黙って見てるだけ……というわけではない。
実は私達、今までのところ全くの出番なし。つまるところ、私達に関しちゃまだ何にも始まっちゃいないのさ。
……いい加減そろそろ足がしびれてきた。待ち続けるのもそれはそれでけっこう辛いものがある。
あの落雷の後で私達が現場に急行したところ、平穏の守備隊と蝦夷の奇襲部隊が押しつ押されつの攻防を繰り広げている真っ最中だった。
なんでも現場の話によると、みちのくの方で起きている反乱は揚動作戦の一環だったようで、蝦夷軍は中規模の(といっても平穏京を落とすには十分な)精鋭を集めて攻めよせてきたらしい。
平穏側はしばらくは防戦一方、後からやってくる増援が来るまで何とかして持ちこたえるかどうか、と言ったあたりだとか
因みに数人の味方の兵士が語ってくれたところでは敵方の識神は確認されておらず、昼間の落雷以外には気配もないとのこと。
ただ、あれはどう考えても自然現象じゃないからねぇ。カラッと晴れた空から突然雷が落っこちてくるなんてポケモンの技としか解釈しようがない。
というわけで私達は敵の識神が出てくるまでしばらく戦場から少し身を置いて待機することになった。
私達の相手はあくまで識神だからね、わざわざ自分の命を不用意に危険にさらすなんてことはしないに限る。
いや、実際は邪魔だからお払い箱にされたのと、平穏京の連中が私を怖がってそばにいてほしくない的な雰囲気だったんだけどさ。
ま、理由が何にせよこっちからすれば戦から離れていられるのは寧ろありがたい。危ない橋は渡るどころか近づくもんじゃないし、ね。
日が落ちてしばらく経った今になっても、なんら状況は変わらず。若干平穏側がじりじりと後退してきたぐらい。
阿鼻叫喚の地獄絵図を遠目に見ながら、しばし私の想いは闇夜を彷徨った。


&ruby(えみし){蝦夷};。
縦に長く伸びる日本の地、その中でも北方に位置するみちのくの荒ぶる民。
朝廷の権威の範囲外に集落を形成し、事ある度に朝廷に反旗を翻してきた東北地方の一大勢力である彼らは昔からの朝敵だった。
そして何より蝦夷が恐れられるのは軍隊としてのその豪胆さ。
一人一人が東北の大自然の中で培われた生来の狩猟者たる資質を備えている。
冑はかぶっておらずその代わりに額には質素な白い布、身に付けた鎧は平穏風の華やかさとは無縁の角ばった黒い鋳鉄から打ちだされ。
武骨にして柔軟、その盾は堅く、その鎧は厚い。平穏の都に常駐する寄せ集め軍隊なんかよりも、ズーッと強そうだ。
伝承によると、蝦夷の先祖は&ruby(ながすねひこ){長脛彦};までさかのぼるらしい。
あ、知らない人のために言っておくけど、長脛彦ってのは天皇に反乱を起こして、最終的には饒速日命&ruby(にぎはやひのみこと){饒速日命};っていう神様に殺された日本書紀に出てくる豪族の長ね。
さすがに日本書紀ってのはわかるわよね……え、知らない?忘れた?う~、こんな解説でいちいち行数を増やしたくないんだけどなぁ。
要するに日本神話をまとめた書物。それで説明終わり!
えっと、どこまで話してたっけ?あぁ、蝦夷の話だったわね。
同じ日本に住む者といえど、蝦夷と和人(要するに一般的平穏人)は異なる部分がたくさんある。
日に焼けた褐色の肌、彫りが深く不敵な面構え。一般的な平穏人に比べて全体的に足が長く、その分身長も若干ながら高い。
もちろん文字だって私達の使うそれとは大分違う。多分漢字が伝わってないからなんでしょうね。
漢字が伝わってない時点で、そこから派生したひらがなもカタカナも存在しない。話し言葉は何とか通じたりするのが不思議なくらいだ。
現にここから見える敵陣の墨染めの風変わりな旗印には、私にはよくわからない大きな文字が乱雑に書きなぐってあった。
信仰だって平穏京では仏教もしくは神道が大多数なのに、あちらさんは地域固有の土着信仰。
簡潔に要約すれば、民族学的にも文化学的にも全く性質の異なる二民族ってわけ。
そんな両者が出会ったとき、一体何が起こるか?そりゃ争いに決まってるでしょうね、愚かな人間の事だから。
対立の発端は大和朝廷が遠い昔、蝦夷の住む地を国家に従属させようとしたことから始まる。
よせばいいのに、自分たちから喧嘩を吹っ掛けた訳だ。
巨大な軍事力にものを言わせてその版図を拡大しようとする朝廷に対して、蝦夷は真っ向から反抗した。
……私見を言わせてもらうと、この時点でいろいろと終わってるのよね……もっとましな外交手段でもあったでしょうに。
だけど大和は力づくで物事を解決してきた国だから、何事も強引に推し進めた。つまり、遠征軍をもってして蝦夷の地を蹂躙したわけ。
結果蝦夷はますます大和朝廷への敵対心を深め、反乱が頻発するようになって、それが今の状況を作り出したってハナシ。
我ながら解説してて馬鹿馬鹿しいことこの上ない。人間に生まれなくて良かった、良かった。


「おい、スサノオ」
「ん?」
前線を遠くに眺めながら物思いにふけっていた私は、清明の声で突如現実に引き戻された。
「ひょっとしたら識神使いだけ相手にしてりゃいいってもんじゃないかもな」
あら、いきなり何を言い出すかと思えば。
「つまり兵士を相手にするってこと?」
「そうに決まってんだろ。増援が来るまでこの調子だと絶対に持たないって」
「え~、異議あり。私達は識神だけ相手にしてればいいんじゃないの?」
「そんなこと言ってられるかよ。絶対あのままだったら負けるって。攻め込まれたらとにかくここで何とか足止めしないと」
「なーんで私達が体張ってとめなくちゃならないのさ。完全に任務の範囲外なんだけど」
そう言って私は口を尖らせた。何でこうもまぁ面倒事ばかり背負いこもうとするかなぁ。この阿倍清明って人種はほとほと理解に苦しむ。
いや、妙な義務感に目覚めるのはこいつの勝手だけど、それに私が巻き込まれるのはどう見ても理不尽だ。
「ほら見ろ、あそこの防御網。あんな薄っぺらいのすぐに破られたっておかしくないって」
またしても押され始めた平穏の守備隊の様子を見ながら、清明は顔をしかめた。
「いいか、もし本当に攻められたら生きるか死ぬかなんだぞ。お前だって奴らの敵なんだ、それぐらいわかるだろ?命が惜しけりゃ戦うしかない」
「ああそう、そりゃうれしいこったね。ありがたすぎて言葉にもならないわ」
私の皮肉の最後の方は、憂いに満ちた自分のため息で修飾された。
いーっつもこの調子。避けられない運命が転がり込んできてはその火消しにてんてこ舞いさせられる。
そんな私の様子も気にかけることなく、清明はしゃべり続けていた。
「実際に一戦交える羽目になったら、お前は火炎放射なりなんなりしてろ。時間稼ぎに威嚇だけでもいいから……って特性がそもそも威嚇だったか?」
「……当たり前じゃない、私達何年一緒にいると思ってんのよ?」
呆れ果てた返事が返った先には、清明の用意した意地悪が待っていた。
「だよなー、おっかない面してるもんな……あ、見ろ、今の顔。おお怖っ」
畜生、こいつ絶対今のが言いたかっただけに決まっている。相変わらず一言余計で、こういうあたりが非常に鬱陶しい。
噛みついてやりたいという衝動が身の内に湧きあがるのを感じつつ、私はかろうじて平静を保った。
私はこんな挑発ごときに乗るようなウインディじゃないのさ、うん。
「で、あんたはどうすんのさ。私が孤軍奮闘してるのを黙って横で見てるわけ?それとも枕を並べて討ち死にでもしてくれるのかしら?」
「……そこはもちろん前者だろ。大体なあ、賢い陰陽師ってのは自分は動かず識神を自在に操るもんだし」
「あーら感心だ事。遥か後方でのんびりしてるって言いたいの?」
「そりゃそーさ、自分の手を汚すなんてまっぴらだね……」

ほう。この私が盾になれと?

ここまで言ったところで、清明は私の表情をちらっとでも伺っておくべきだった。
そうすれば沸点に達したウインディが自分の方を危険な表情で睨みつけているのがわかったろうし、その直後繰り出された強烈な一撃だって避けられたかもしれない。
フム。つくづく残念な野郎だ。

周囲に立ち込めるのは香ばしい香り。大変上手に焼けましたー、なんちゃって。
「わかった、わかったから。さっきのは冗談だからもうよせ」
いい感じに焼き色がついた陰陽師は、よろめきながらもかろうじて立っていた。
新品だった水干もあちこち焼け焦げて、細い煙の筋を立ち昇らせている感じが何とも喜ばしい。
「俺もやることはやるから。だからお前は俺の指示通りに動いてくれ、頼むから、な?」
火炎放射の残煙を嘆息と一緒に吐き出しながら私は頷く。
最初からそうすればいいのに、こいつは一度痛い目を見ないとわからないというのが不思議。
「それでよろしい。人にものを頼む時はもう少し物言いを考えてから頼むことね」
「まったく、まだ何もしてないってのにこの有様じゃないか。でも生憎こういうのには慣れてる性質でね」
体のあちこちを確認して、水干についた煤を払い落とす。
「まぁ服が多少焦げたぐらいだ、うん。追加効果で火傷もしてないし」
ちえっ、なにが多少よ。建物の下敷きになったり火炎放射を至近距離で浴びたりしている割には、一向に死にそうな気配がない。
おっかしいわねぇ。物語の準主人公ってのはけっこう死に易いもんだと思ってたんだけど。
感動的な自己犠牲とか、はたまたうっかり何かをやらかしてあっけなく散るとか。
うーむ、準主人公補正ってやつかしら。なら私にはもうちょっと主人公補正が加えられてもいいと思うんだけどなぁ。
毎回毎回私だけが無駄に苦労してる気がするのはいかがなものか。苦労する星の下に生まれるとろくなことが無い。

ところで。まだ根本的な問題が解決していない。そう、この軟弱陰陽師の使い道がね。
逞しいという言葉からはほぼ無縁の細っこい手足、薄っぺらい胸板。ちょっと強めの風が吹いたら吹き飛びそうな頼りの無い感じと存在感の無さ。
どれをとっても有効な助っ人には見えない。ホント、このスサノオがいなければこいつの市場価値は一文((平安時代の通貨単位のうち、文は最小の単位。))にも満たないでしょうねぇ。
「そうは言ってもねぇ、実のところあんたに何ができるのさ?刀は持てないし、弓だって威力なないし。あぁ、そういえば例の札があったわね。それで大爆発すれば多分何人か巻き添えにできるし、滅びの歌ってのもありかもね……いや、あんたの歌は素でも滅びの歌だったっけ?他の選択肢となると、自爆とか三日月の舞いとか、あとは……」
あ、ちなみに例の札ってのは清明の持ってる呪文札の一つで、一回だけポケモンの技が仕えるとかなんとかいう代物。
そんな便利な物持ってるなら早く使えばいいのにさ、清明は「一枚しかないから」と言って使ってくれない。
私が列挙する“必ず自己犠牲の伴う”攻撃手段の数々に、清明はあきれ顔で私の言葉を遮った。
「……要するにお前は俺に早くくたばれって言ってんだな?」
「当たり。さすが飲み込みだけは早……イタッ!別にはたかなくてもいいじゃない!」
「さっきの仕返しの分も兼ねてだ」
ムスッとした顔の清明がこっちをジロリと見ながら言葉を続ける。
「なんかさ、お前毎回そのネタを引っ張ってくるのな。いい加減俺が犠牲になる前提が多すぎると思わないか?」
「死後はみんなに英雄扱いしてもらえるなら華々しい自己犠牲も悪くないと思うんだけど。戦争で死に方を選べるなんて贅沢な方よ」
「まだ死ぬにはいろいろと早すぎるんだよ、この馬鹿犬。陰陽師をなめるな」
懐から一巻きの巻物を取り出しながら清明が言った。
「俺には俺の方法があるの。いいか、見てろ」
何重にも巻かれた紐の封が解かれてみれば、そこに並ぶは無数に書かれた漢字達。
私達を封じている木簡に書かれているのよりも遥かに小さな文字がびっしりと並んでいる。
夜の暗さ故に細かい文字までは識別できないけど、なんとなく私の召喚札に似た文字が一面を埋め尽くしていた。
「……なにこれ?」
清明、応答せず。奴は代わりにゆっくりと首を振ると、小声で何かを呟いた。
「……」
突如その漢字達が、雲霞のように巻物からはがれてワッと空中に湧きあがった。
虫の大群の如く黒々と、はたから見ればゾッとする程に宙に漂う漢字達はまるで微小なアンノーンの漢字版と言ったところか。
「ウワ、何これ、気持ち悪……」
思わず口をついて出た私の言葉も一顧だにせず、無数の漢字達は今度は小さな集団に別れてあちこちに四散し始める。
ダメ……なんだか本気で気持ち悪くなってきた。漢字の放つ妙な妖気に首筋の毛がザワリと逆立つ。どこかで経験したようなこの感触、なんだろう?
這いずり回る文字列は何かを探すように散り散りとなって、草むらの陰や木立の間へと消えていく。
背中にふと冷たい感触がして振り向けば、ひと組の漢字達がゆらゆらと薄青い燐光を発しながら通り過ぎていくところだった。
ああうっ、ゾクッとする!形容しがたい気色の悪さに私はブルッと身震いした。な、何なのよ今のは?
ところが清明の方は涼しい顔で一部始終を眺めていた。最後の漢字の群れが巻物からはがれて行くのを見送ると、満足げに頷く。
「よし、これで準備完了。後は探し出すのを待つだけ、お手軽ポケモン調達術ってわけだ」
「……何それ、意味わかんない。あんた何時からあんな怪しげな妖術使うようになったの?」
「妖術じゃないってば……お、あそこで始まるからよーく見てろ。すぐにわかる」
清明が指差した方を見れば、少し離れた茂みがガサガサと揺れているのが目に入った。
闇夜の中で目をよく凝らしてみれば、なるほど、さっきの漢字の集団の一つが茂みの周囲をぐるっと取り囲んでいるのが見える。
どうやら何かを取り巻いてる……一体何を?そこまで考えて、ふとある可能性に思い当たった。
どこか身に覚えのある漢字の妖気。円を描く漢字列。なーるほど、この場でポケモンを新たに縛ろうとしてるわけか。
拘束を解こうと茂みがざわつけば、環の方も回転数を上げてその茂みにいる“何か”を捉えようとする。
十秒程度のことだったかしら?茂みは抵抗するように一層激しくガサガサやっていたが、しばらくするとピタッとざわつくのをやめた。
捕獲対象が静かになると、漢字の環は青白く淡い光を一瞬だけ放ち、そしてすべてがもとの闇と静寂に包まれた。
「&ruby(かりそめのしばり){仮初縛};、でしょ?違う?」
私が確認するように首をかしげると、清明は小さく頷く。
「そうだ。あ、あっちでも見つかったみたいだぞ」
同じような青い環があちこちでも光り始めた。木々の間、岩場の陰、枝の先……。
「よーし、これで何時でも呼び出せばポケモンが多少の助けにはなってくれるぞ。心強いじゃないか」
あっそう。じゃあ私がわざわざついてきてやった意味は一体どこに?
「それにしてもけっこうこの辺りにもいるもんだな。正直京都の近くは騒々しいから大分少ないと思ってたんだけど」
感心したように言葉を漏らした清明。まったく、人間たちの了見の狭さといったら。
「そりゃ普段人間はこんな山奥には来ないからね、ポケモンだって多少は残ってるでしょうよ」

えーと、今清明が何をやったのか改めて解説させてもらうわね。実際に見るのは私もこれが初めてだったんだけど。
さっき名前だけ出てきたけど、あれは「かりそめのしばり」って言って野生のポケモンを一定時間だけ陰陽師の思うままに操る方法なのさ。
とはいっても私達みたいに木簡に縛り付けて従えてるわけじゃなくて、短時間だけその能力を貸してもらうと言った方が近い。
だから識神並みの服従とか忠誠は期待できないし、野生だからそれほど高火力な技も持っていない場合が多い。
でも私達が覚えていない技を必要としたり、今みたいに加勢が欲しいときにはにはずいぶん便利な手法になり得るんだけど((つまり現在でいうキャプチャの平穏時代版。もちろん現在よりも呪術的要素の強いものではあるが、基本的にやっていることは同じ。))ね。
なるほど、だからさっき落ち着かない気分になったわけか。私が初めて木簡に縛られた時もあんな風な漢字の渦に閉じ込められたんだっけ。
まだ小さかった頃のことだから、すっかり忘れていたみたい。あれはまだ私が穢れを知らぬ愛くるしいガーディだった時代の事だからねぇ。
え、じゃあ今は汚れきった可愛げのないウインディなのかって?もちろんそんな事があるはずない!……と信じたい。
いや、この前散歩に行ったときにね、ちょっとかっこいいかなぁーって思うグラエナみっけて声をかけたらさ、真っ青になって逃げられたのよねぇ。
何がいけなかったのかしらねぇ……ブツブツ……。


「で、残る戦力は……」
「……こいつか」
そう、私達の手元に残ったのは只行にもらった例の木簡一枚。
使い込まれて相当年季の入っている識神の封印札には、のたくるような行書体が豪快に並んでいる。
改めて眺めてみると、ますます怪しい。つーか、何で“夜露死苦”なんて単語がまぎれてるのよ。
絶対おかしいけど、敢えてここはつっこまないわよ。“爆走”なんて単語も目に入らなかったことにしておこう。
「一騎当千?とか言ってたっけ?何というか……ものすごーく怪しいんだけど」
不審そのものといった表情で木の板を見つめる私に、清明も同調して頷く。
「俺だって開けたくはないけど……今はやむなしだろ?」
「まぁ確かに、少しでも力になってくれるならいいんだけどね。いきなり戦場で引っ張り出すわけにもいかないし、多少の状況説明ぐらいはしとかないと」
そう、識神は札の中にいる間は、外部の様子が全然わからない。
呼ばれて飛び出したはいいけど、何が起きてるかわからないと何の行動も起こせないってのはいただけないからね。
そういった意味でもここは一回呼びだしておくべきなのは確か。確かなのはわかってる……けど呼びだしたくないから問題なんだ。
「だよなぁ……よし、スサノオ、お前は少し下がってろ」
汚れた雑巾を持つように木簡を恐る恐る前に突き出した清明が唱える。
「行くぞ!陰陽五行十二陣!方位丑!」

ドカーン!!

いやいやいやいや、明らかに擬音語おかしいでしょ。普通そこ「どろん!」とかじゃないの?!
普通識神ときたら優雅な白煙とともに現れるもんなのに、何で爆音?そして爆煙?
あぁもう、嫌な予感しかしない……もういや、識神やめたい。私スサノオ、本日をもって識神を引退しまーす……。
短い間のお付き合いでしたが、ご愛読誠にありがとうございました……ってできたらどんなに楽なことか。
どうか、どうかまともな奴でいてください。戦力にならなくても、こっちに危害を加えないだけでもいいから。
で-もね。爆音に続いて響いたどら声が、私の一縷の望みを完全に粉砕した。

「なんやおめーら、人さまが心地よぅ寝とる時に呼びだすったぁ何事じゃ?!何時だとおもっとるんじゃボケぃ!」

……や っ ぱ り。
よりによってこいつとはね。そう、私と清明二人とも、非常に残念ながらこの声を「よ~く」知ってる。
陰陽寮の暴走族、誰の言うことも聞かない無頼漢。その悪評たるや最早折り紙つきの識神が、今回私達に与えられた加勢だった。
はて、こういうのを果たして加勢と言えるもんなのかしら?
たびたび暴れ出しては自分の主人すらぶっ飛ばし、一度怒ると手がつけようがない、そんな奴を?
まともな神経の持ち主なら、そうは絶対に言わない。
「丑年生まれの陰陽師はみんな不幸を見る」と言われているように、奴の担当に当たること自体が相当な不幸だというのが陰陽寮内部の通説なのさ。
どんな識神だってこいつに比べたらまだまだ従順かつ素直で扱いやすい部類に入る。たとえこの私、スサノオでもね。
とにかく、こいつを識神として操るにはとにかく頑丈な体と不屈の心、豊富な経験が必要って訳で。
間違っても新米なんかに預けるポケモンじゃない。ま、いくら愚痴を言っても仕方ない。いや、愚痴は言いたいけれどそれじゃ話が進まない。

おっと、先走っていろいろしゃべってたせいでどんな奴が登場したのか言ってなかったわね。
奴の華々しい経歴や評判を語るのはこの辺にしておいて、具体的にどんな奴が現れたのか読者のみなさんにお伝えしよう。
もうもうと湧き立つ硫黄のような煙の中から現れたのは、がっしりした体躯を持つ雄のケンタロスだった。
鞭の如くしなる三つ尾に獅子の様なむさくるしい鬣。蹄は荒々しく地面を引っ掻き、対になった角は猛々しさを秘めてこちらに向かって鋭く突き出している。
大きくせり上がった肩口、無く子も黙る厳つい顔つき。浮かべている憤怒の表情もひっくるめて、まさに猛牛と呼ぶに相応しい。
そして極めつけはその性格。簡潔に言ってしまえばあれよ、要するに「や」のつく人。言うのをためらわなければ、やーさん。
奴の名前はトコタチ。日本神話に基づく正式な名前は&ruby(くにのとこたちのかみ){国之常立神};という。
一応国土の守護神の名前をもらってるはずなんだけどね……むしろこいつは破壊神に近い。
一騎当千という只行の言葉はあながち間違っていなかったわけだ、ある意味で。
……とまぁ複雑な事情がいろいろとありまして、トコタチを迎えたのは一人と一匹のげんなりした表情になったわけ。
ハァ。今回、最初から最後まで私は何回のため息をつくことになるのやら。暇な人がいたら数えてみてちょうだい。

「おいコラ!二人ともシケた面して突っ立ちよって!何にもしょーることが無かんかったらわしゃ帰るけぇのう、はよ呼んだ理由いうてみ?」
「え、あ、いや、その……」
「あ?よぉ聞こえんわ、もっとはっきり喋れぃ!んなちっこい声で何か言われてもなんぼーにもならんわ!まったく、どいつもこいつもおえんやつじゃのう。は?わしがなんで戦なんかに介入せにゃならんのじゃ、そげーなわやな事言うたらおえんで?ふざけとんか?」
……ハァ。ここで一回また新たにため息追加。やれやれ、まだ何も始まっちゃいないのに気分はどん底へと下がりっぱなし。
先が思いやられるという言葉は、まさにこういう時のためにある。あ~あ、ツイてないなぁ。

#hr

スサノオ
「なんだかなぁ……今までのシリーズより大分ボリュームアップしたのはいいんだけど、その分更新が滞っちゃうのよね……いや、時間をかければ確かに作品としては向上するのかもしれないけど、エンターテイメントとしてはこのスパンはいただけないのさ。例えばさ、漫画週刊誌が一カ月ごとに話を掲載してもみんな前の話を忘れちゃうでしょ?そういった意味じゃジェットコースターに乗るみたいに読み手に息をつかせないぐらいのテンポで更新できたらいいのかな、と思ったりする……らしい。カヤツリ曰く。それにしてもなんでトコタチが岡山弁全開なのかしら?」

#pcomment(十干十二支!~蝦夷襲来編~コメログ,7);

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