ポケモン小説wiki
北風を追いかけて の変更点


''注意事項''
-♂×♂の性的描写があります。
-読んでいて気分の悪くなる恐れのある描写が含まれています。
-読んでいて気分の悪くなる恐れのある描写が含まれています;におい、嘔吐、失禁、重度熱傷



&size(25){''北風を追いかけて''};


 仲間が掛けてくれた一言、それが大きな一歩を踏み出す幕開けとなろうとは――


 とある奥深い森林地帯の一角、ここにポケモンの群れが棲み着いていた。種族はデルビル、ヘルガーで、比較的大きな規模の群れながら、ボスを中心に統率の取れた平和な暮らしを送っていた。その群れの一員で、周りの仲間よりも一回り大きな体をした一匹の若いデルビル。彼こそが、これから始まるとは予想だにしない壮大な物語の主人公である。

「なあ、池にスイクンが来てるらしいぞ!」
 目を輝かせて興奮気味に話しかけてきた仲間の一匹。
「マジで?」
「それがマジっぽいんだ!」
 半信半疑に首を傾げるデルビルに語る仲間の口調は、どんどん熱を帯びる。
「池の水が今朝からめっちゃきれいになって、しかもめっちゃおいしくなってるんだ! なんなら飲んでみろって!」
 彼の首に掛けられたお手製の水筒に入っていた水を試しに飲んでみるデルビル。一口飲むなり、目の色が変わる。
「なんだこれ、あの池の水がこんなにうまくなんのかよ?」
「だろ? これがスイクンの力ってやつだ! なあ、まだいるらしいから見に行こうぜ!」
 積極的な誘いに苦笑を浮かべつつ、少し気にはなっていたので、一緒に見に行く事にした。
 池への道のりは日々の給水で通い慣れている。初めこそ普段と変わらぬ様相だが、池の方からやって来たメス達が黄色い声を上げていた。
「あ~スイクン様素敵~!」
「もう虜になっちゃう~!」
 容姿の相当優れたポケモンのようだ。どんな姿だろうか、些か緊張が芽生えてきた。先へ進むと、急に空気が冷たくなる。仲間曰く、これがスイクンのいる証との事。緊張と期待を胸に交互に抱きながら、群れの縄張りの境目に位置する池のほとりへと足を運んだ。
「ここに隠れよう」
 仲間が大きな木陰で手招きする。そこから池を覗くと、青く大きな四つ足のポケモンが佇んでいるのが見えた。独特な形の頭の角、紫色の長い鬣、風に流れるように棚引く白いリボン状の尻尾が二本。体格は筋肉を感じながらも隆々とし過ぎず、流れるような輪郭線が美しい。顔立ちは凛とした精悍さに満ち溢れている。デルビルは即座に目を奪われる。歩いたり、水を飲んだり、座ったり……全ての所作の美しさに一層釘付けになっていく。そして不意に目に飛び込む後ろ姿。臀部は引き締まりつつも筋肉で盛り上がり、その下には彼がオスである証の膨らみが見えた。デルビルの胸が一気に高鳴り、ごくりと唾を飲んだ。
(なんだろ、これ……)
 デルビルの中で、初めての感情が芽生える。それが何かわからず困惑するも、凛としたスイクンの佇まいに再び心奪われた。

「おい、戻るぞ! おい!」
 仲間に後頭部を小突かれて、はっと我に返る。
「もうすぐバトルの訓練だぞ。ちょっとでも遅れたらあの教官うるせーからな」
「おっと! それじゃ急がねぇとな」
 踵を返し、縄張りの中心へ向かって走り出した。その最中も、あの凛とした姿が脳裏に焼き付いて離れなかった。

 トレーニング中に於いても、少し気を抜くとスイクンの姿がちらつく。その度集中しようと気を入れ直すも、すぐに集中が途切れてしまい、普段やらないようなミスが出てしまった。
「おい! 何やってるんだ! しっかりしろ!」
 教官と呼ばれる、雄々しく精悍な顔立ちが印象的な中年のヘルガーから怒声が飛ぶ。
「すんません!」
 デルビルは大きく頭を下げ、体勢を立て直した。その後どうにか持ち直したものの、モヤモヤとした後味の悪さがトレーニングを終えても残っていた。広場の隅で独り座っていると、教官がやって来て、隣に座る。
「お前らしくなかったぞ。調子悪いのか?」
「考えてみたけど、俺もよくわかんねぇっす」
 デルビルはスイクンの事を口に出さず、わからない振りをした。教官は前足をそっとデルビルの頭に乗せ、優しく撫でた。
「そうか。もし何か悩みがあったら、遠慮なく俺に相談してくれ」
 教官の言葉に小さく頷くばかりのデルビル。彼はここから声量を落とした。
「ましてやお前は次代のボスの最有力候補とも言われている。これまでの頑張りが認められてるんだ。群れを守るために指示を出すにも、バトルでの判断力が必須だ。躓いてる場合じゃないぞ」
 またか、と心の中で嘆息をつく。幼少からバトルの筋がよく、頭の回転も速く、周りを見る能力に長けている事から、群れのトップに立つ事を期待されていた。それは彼自身感づいていたし、それに応えようと必死になった時期もあった。
 デルビルは今のボスとその側妻である母の間に生まれたという。何匹かいる側妻の中でも地位は比較的低いにも関わらず、ボスは母の元へ通う事が多かった。その件もあってか将来を期待されている事に対して、表には出さないながらも本妻の子や他の側妻含め一部の者から疎ましく思われている事もデルビルは知っていた。尚、彼はボスを父親だと思った事がなく、あくまで「ボス」であった。母の元へ足繁く通い、息子である彼とも触れ合っているにも関わらず。
「……お前のお母さんが死んでから、元気がないように見えるから俺はずっと心配でならないんだ。色々抱え込んでないか。だから……辛かったら、遠慮なく俺に話してくれ」
 教官の言う通り、デルビルの母親はこの世を去っている。子供を再び身籠ったが、病気を患って流れてしまい、不正出血を起こしてしまった。黄身と白身の混じった夥しい血溜まりの中、母親は故郷が群れの縄張りの外である事を明かし、望郷の念を残して事切れた。亡骸を埋める直前、ボスから慰めの言葉と共に抱き締められたが、あまり心に響かなかった。
 母を失った悲しみの中、彼の眼は外の世界へと向くようになった。近親交配による遺伝的弊害を防ぐ目的で、一部のオスは群れの外に棲む同族のメスと&ruby(つがい){番};になる使命を抱えて群れを出て行き、実際に相手を連れて戻って来た者も多い。そんな彼らの話を聞く機会もあり、以前より縄張りの外側への興味を抱きつつ心に仕舞っていたが、母の死が奇しくもそれを強める事に。ボスになれば自ずと縄張りの外へ出る事が許されなくなる。それならば、と次第にボスになる事に対する意欲が薄れてきている所であった。とはいえそんな事を教官に言える筈もなく。なぜなら彼も先代のボスだった身で、今のボスからの信頼も篤い。このトレーニングもボスに相応しい力量を身に着ける事が大きな目的の一つなのである。デルビルにとっても、教官は鍛錬のみならず、これまで生きるための様々な知識を親身に教えてくれた、育ての親同然の存在であり、ボスよりも遥かに慕う思いが強かった。もし今の思いを言葉にすれば、いくら教え子への気配りで評判の高い教官とはいえ、猛反対からの大揉めは必至。さすれば双方の心に爪痕が残るだろう。何としてもデルビルはそれを避けたかった。
 結局何も言えぬまま、デルビルは広場を後にした。その後、木の実畑の世話や見張り等の交替業務を終えて、独り住処へと戻った。

 夕食の木の実を食べ、きちんと歯を磨いてから寝床を整える。藁の上で体を丸くする。目を閉じると、やはりスイクンの姿が浮かんでくる。その雄々しくも美しい魅力に、デルビルの心臓は強く鼓動を発する。後ろ姿が映ると、激化の一途を辿る。ぷりっとしたお尻にきゅっと締まる肛門、ずっしりと重たそうな陰嚢。伝説と呼ばれる存在にも備わる雄の機能。デルビルの体は火照ってくる。以前から他のオスの体にも密かに興味を示していた。成獣を目前に控えた年頃、歳の近い友達や仲間の中には既に群れのメスと番になったり、それを前提として交際する者も少なくない。彼らから営みの話を聞く事は珍しくなく、何度か溜まったものを発散する際に番での行為を妄想してはいたものの、決まって果てるときはオス側を思い浮かべる事に罪悪感を覚え、独りで致すのを避けていた。股間のオレンジ色の突出が大きくなり、その先端から赤く顔を覗く彼の性器。
「チッ、しょーがねぇ……」
 たまらず背を丸めて口で咥え込む。強い塩気と独特の臭いが粘膜を支配する。スイクンの秘めたる突出を妄想しながら皮を剥いて根元まで露出させ、舌や時には牙を駆使して心地よい刺激を与えていく。自身の口内しか粘膜の感触を知らない雄の証は、途端に大きく硬くなり、脈動も次第に強くなっていく。やがて妄想はエスカレートして、スイクンの一物をしゃぶってご奉仕する、背徳感に満ち溢れた光景が脳内で展開される。いくらスイクンとてこの部分を刺激すれば快楽に悶えるオスになる筈。淫らな姿は&ruby(うぶ){初心};な彼を上り詰めさせるに十分すぎる威力を発した。先端から漏れ出す、尿とは異なるねっとりした体液を味わいながら、根元の瘤の張り出しと、竿の根元で快感を伴う圧の高まりを強く感じてくる。
「はふっ!! ぐるるぅぅっ!!!」
 快楽に耐えられなくなった瞬間、咥え込む怒張が雄々しく膨れ上がって口内に粘液を注ぎ込む。即座に広がる塩気と苦み、そして錆っぽい風味。あまり好きではない味だが、飲み込んだ。躍動が次第に落ち着くと、口内から解放する。デルビル自身驚く程の大きさを誇る、血管と筋の浮き立つ硬く張り詰めたままの雄を藁に押し付けた。その先端からじわじわ体液が漏れ出して藁に吸い込まれ、次第に水分を含んでぐしょぐしょになる。一時間程して、ようやく怒張していたモノが萎み始める。すっかり汚れた藁を処理しようと咥えると、滲み出た体液が舌に触れて眉を顰める。吸い切れずにその下の地面までも濡らしていた。別の場所に寝床を作り直し、再び丸まった。目を瞑ると、程なくして再びスイクンの姿が脳裏に浮かび出す。
「あー畜生……また血迷ってやがる」
 デルビルは頭を抱えた。先述の通り、自慰に於いても番のオス側に興奮して、メスには一切そういった感情を抱けずにいた。別に今すぐ番になりたいわけでもないので、さほど気に留めてはいなかった。事実、群れの面々には色めき立った話を聞かないお堅い奴と見られている。とはいえ、ボスの有力候補故か、秘密裏に群れのメスと番わせようとしている事も知っている。子孫を残す事も責務と見なされているがためなのだが、デルビルはわかっていつつも気乗りしない。そのうち他のオスと同じようにメスを欲するようになると思っていたが、その気配がない事に、複雑な思いを抱くばかりだった。結局致したにも関わらず目が冴えてしまい、そのまま一夜が過ぎる――

 デルビルは諦めて起き上がり、住処を出る。空は夜明けを間近にして東から徐々に白み始めていた。その足であの池へ向かう。道は真っ暗だが、元々夜行性で夜目が利くので支障はない。だが昨日とは違い、風の冷たさをあまり感じない。これが日常なのだが、それに少し寂しさのようなものを覚える。到着して目に入った池は、水面が凪いで天然の鏡となっていた。水際へ足を運び、頭を下げて水を飲む。昨日仲間に飲ませてもらった水の味そのままだった。舌が水面に触れて生じる波紋が、暁を反映する池全体に広がって刻一刻と美しい模様を作り出していく。
 突如身震いする体。冷たい微風が吹き込み、忽ち朝靄に包まれていく。もしやと思い、咄嗟に木陰に身を隠す。縄張りの外の方からあの姿が目に入った。スイクンだ。池のほとりで立ち止まり、水を飲む。デルビルの心臓は、あのときと同様に鼓動を速め、心地よい火照りも感じ始める。そして無意識のうちに木陰から出てきて池の方へとゆっくり歩き出す。スイクンは水を飲むのを止め、やおら顔を上げてデルビルを凝視する。寒色に囲まれる事で一層映える瞳の赤色に、デルビルは段々惹き込まれていく。そよ風に揺られる鬣、美しく棚引く尻尾、口元から滴る一粒の水、その佇まいは改めて彼を夢中にした。見つめ合ったまましばし沈黙の時が流れる。すると、スイクンは元来た方へと引き返し、姿を消した。朝靄も徐々に晴れる中、消えゆく後ろ姿がデルビルの脳内に強く余韻として残った。ふう、と長く息をつく。
「そうか、やっとわかったぜ……」
 頬を赤らめたまま、ふっと笑みを浮かべた。


 デルビルはこの日も普段通りに過ごす。朝の給水業務や狩りの手伝い、木の実の世話と、担当業務をこなしていく。
 畑で水やりをしているときのこと。傍らで土弄りをしていた仲間から、ある事を告げられる。
「あーあ、スイクン様旅立っちゃったって」
「マジ?」
 思わず目を丸くするデルビル。
「うん。今朝にはもういなくなったらしいよ。もっとあの美しくてかっこいい姿を見てたかったなぁ……」
 長く溜息をつくと、土弄りを再開する。
「でもどうせ遠い存在だし、私には釣り合わないってわかってるからね」
 彼女からすれば普段見る事のない伝説のポケモン、ましてやオスだからときめくのも致し方ない。けどこうやってきっぱり諦められるのも、一時の感情に惑わされず、きちんと現実を見る傾向にあるメスだからだろうなと、デルビルは感心していた。一方で、心の内に湧き上がるものを、彼は感じていた。
「――ねえ、聞いてる?」
 彼女の一声ではっとした。喋り続けていることすら耳に入っていなかった。
「スイクン様のこと考えてた? 君も見とれてたらしいけど、いくら憧れたって届くわけないよ。所詮私たちはその辺にうじゃうじゃいるデルビルだもん。いくらなんでも夢見すぎ。君ならなおさらそうじゃない?」
「はは、そうだな」
 笑いながら返して、水やりを続ける。彼女に聞こえないように舌打ちした。
(んだよ頭ごなしに決めつけやがって……)
 怒りの感情と共に、ある思いを一層募らせていく。やがて交替で別の仲間がやって来て、引継ぎを済ませて畑を出る。
(今日しかねぇ……!)
 大きく息を吸い、鼻から煙を出した。

 日が傾いてきた頃、デルビルはある場所へ足を運んでいた。目の前には泡と一緒に穴から湧き出す泥。泥火山と呼ばれているが、熱いわけではなく、湧水になぞらえて湧泥と呼んだ方がニュアンスとしては近い。幸いにも縄張りの領域内にこれがある。泥は住処の建造や修復の際に必須な材料でもある。デルビルは意を決して泥火山に飛び込んだ。泥の飛沫が上がり、一面灰色に塗れる。不快感を顔に露にするが、我慢する。もう一度飛び込み、体毛に泥を馴染ませる。身を震わせて泥を飛ばしたくなる衝動を抑え込み、じっとしている間に水分が程よく飛んで体に馴染んでくる。その姿で泥火山を去り、あらゆる感覚を研ぎ澄ませて注意深くひと目に付かない所を歩いて行く。その道中誰かの住処の裏を通ったりするも、デルビルの存在に気付く者は誰もいない。それは浴びた泥の賜物でもあった。泥の色で体色を隠すのみならず、強いと自覚している体臭を消して気配を完全に消していた。幼少の泥遊びでこっぴどく叱られた経験がなければ思い付かなかっただろう。においを情報源とするこの種族ならではの、それを逆手に取った作戦だった。
 ゆっくりと進み、やがて池へ続く道に辿り着いた。空は次第に橙を濃くしていく。ひと通りの少ない時間帯、これをわざと彼は狙っていた。そしてその道には入らず、藪へと踏み込んで行く。しばらく歩くと、遠くに見張りの姿が見えた。気を引き締め、注意深くその場を通過する。見つかる事なくやり過ごせば、池はすぐそこ。それでも万一の事を考え、気を抜かずに歩き続けた。やっと見えた水面。藪から覗き込み、誰もいない事を確認して恐る恐る姿を現す。そして池にゆっくり全身を浸す。透明な水に波紋が、続いて灰色の濁りが広がっていく。せっかくスイクンがきれいにした水を汚す罪悪感に駆られつつ、泥を落としていく。灰色が抜け、池から上がって毛に付いた水を振り払う。振り返ると、縄張りへ続く道が対岸に見えた。スイクンとの出会いによって決定的になった、外の世界へ行く夢。それが今、現実となる。
「ありがとな、そして……すまねぇ。あばよ」
 小声で呟き、池を立ち去る。

 ――自分の道を信じて、進め

 デルビルの歩みが止まる。声が聞こえたような気がして辺りを見回すも、その姿を捉えられなかった。
「まさか……!」
 体が震える。たとえ気のせいだろうと、彼は声の主を確信していた。目頭が熱くなるのを抑え、デルビルは一目散に走り出した。念願叶って、群れの外の世界へ一歩踏み出した瞬間だった。

「――まったく。なんで言わないんだ」
 晴れの瞬間を木陰から見守る姿があった。
「気付かなかったフリをしろって見張りにお願いすることしか、あいつのためにしてやれなかったが、これでよかったんだよな? ベルナ……」
 見上げた空は紺が差し始め、明るい星が瞬いていた。


 只管に闇に包まれた森の中を走り続けていたが、ふと足を止める。見た事のない景色であったが、不思議と不安や恐怖は感じなかった。夜ともあって、多くのポケモンは既に眠っていて、活動しているのはごく一部の野生のポケモンのみ。ふと何かの鳴き声を耳が捉える。その声を辿っていくと、樹上にヨルノズクを発見した。
「すんません!」
 デルビルが声を掛けると、ヨルノズクは鳴くのを中断する。
「何だね?」
 ゆっくりと見下ろし、デルビルを見つめる。
「この辺に池ってあるっすか?」
「池ね。二つあるが」
「二つ……!」
 デルビルは期待にときめく。ヨルノズクは目を細めて続けた。
「スイクンに会うつもりか?」
 早速図星を突いてくる。そうとなれば話は早い。大きく頷くデルビル。
「会ってどうするかは知らんが、まあいい。教えてやろう」
「あざっす!」
 デルビルは喜びに目を輝かせ、何度も頭を下げた。やっぱり場所を聞くなら飛行タイプである。ヨルノズクの説明によると、一つ目の池は道なりに行った先の草原から見える山のうち、一つだけ高く聳え、頂に雪を抱く峰の方向へ行った先の藪の中にあり、ここから距離は近い。二つ目は同じ草原から北の方角、少し距離はあるが、遠くに険しい山脈の見える方へ森を突き進むと辿り着くという。
「最初に言った池は昼頃に水がきれいになったと風の便りが来た。二つ目の池はまだわからん。ともかく、すぐ旅立つかもしれん。会いたいなら急いだほうがいいぞ」
「あざまっす! 早速行くっす!」
 デルビルは道なりに走り出す。途中で道の脇の木に実っていたオレンの実を食べて体力を付け、走り続けるとヨルノズクの言う通り森を抜けて草原が広がっていた。攻撃する者がいないか警戒しつつ見晴らしのいい所に移動する。満月から少し欠けた月が出ているので、夜目の利くデルビルには十分な明るさ。見回すと、低い山々の中に一際高く聳える山が目に入る。そして北の方角には遠くに険しい山脈。ヨルノズクの説明と照らし合わせ、頭の中で整理した。
「一つ目から行くか……」
 早速駆け出す。真夜中とはいえ、月明かりの中で身を隠す物がないこの場所に長居するのは危険である。雪を抱く山頂を目印に進むと、程なくして藪が見えてくる。デルビルはその中へと分け入った。鼻でにおいを確認する。誰かの縄張りでもないようだ。群れにいた頃に教わった通り、奇襲されないよう音を立てずに立ち回りを考えながら進んでいく。踏み締める地面が少しずつ湿っていく。目的の池が近い証拠だ。草の切れ目が見え、そこから顔を出す。すぐ目の前に池があった。水を飲んでみると、群れにいた頃に飲んでいたものと味は大きく違うも、スイクンが浄化した証たる美味しさが感じられ、喉を潤していく。だが、吹いている風は少し暖かい。この近辺にスイクンがいない事を表していた。
 デルビルは来た道を引き返し、再び草原に出た。今度は北の険しい山脈を目印に森の中へと入って行く。群れから飛び出して通り抜けて来た森と比べ、足場が悪く苦戦する。
「出ていけよそ者!」
 更に数羽のヤミカラスに襲われる。悠長に戦っている暇もないため、えんまくで視界を遮って撹乱し、逃げ切った。
「チッ、息つく暇もねぇぜ……」
 デルビルは少しずつ外の世界の厳しさの片鱗を、そして群れの暮らしがいかに平和だったかを思い知る。だが一度決めた事。後戻りはできず、只管前に進むしかない。木々の切れ間を見つけ、空を見上げる。北の方角を指し示す星を発見して、それを頼りにまた走り出す。群れで学んだ事は決して無駄じゃない。そのありがたみを噛み締めて、デルビルは目的の池へと走り続けた。

 空の闇が薄れ始める。思えば群れを飛び出した日没から殆ど走り通しで、デルビルは疲労感を覚えていた。するとその体にひんやりした空気を感じる。即座に神経を研ぎ澄まし、冷たい風が吹く方へと向かう。火照った体から湯気が立ち上るのを感じる。どんどん進んでいくと、周囲が靄に包まれ始める。間違いない。デルビルは確信と期待を胸に、足取りも軽くなる。遠くに開けた場所が見えてきた。寒さを覚える程の風がそこから吹いている。その手前からゆっくり歩き出し、木々を抜けると、そこには大きく水面が広がっていた。ヨルノズクの言っていた、二つ目の池に違いなかった。見回すと、その一角に求めていたあの姿があった。驚かせないよう注意を払いつつ、デルビルは近づいて行った。

「スイクン……!」
 声を掛けると、スイクンはじっとデルビルを凝視する。
「貴様は、あの時の……」
「おう、その通りだぜ。お前に会うために、群れを飛び出してここまでやってきた」
「ほう。何故其処までして私に会いに来たのだ?」
 スイクンの静かな問いに、デルビルは鼻から煙を出して答えた。
「スイクン、俺はお前と一緒に旅がしてえ!」
「旅だと?」
 スイクンの目が丸く開く。デルビルは更に一歩前に出た。
「つーかそもそも、俺は本気でお前に惚れた! 好きだ! 狂っちまいそうなくれぇ胸がドキドキするんだ! こんな風になっちまったのは初めてなんだ!!」
 懸命に思いの丈をぶつけた。彼にとっては初めての告白だった。その叫びが周囲に響き、そして静寂が訪れる。ふっと笑みを浮かべ、沈黙を破るスイクン。
「今まで何回かメスに言い寄られた事は有るが、オスは初めてだな。此処まで臆せず告白してきたのも、貴様が初めてだ」
「俺は群れの中で、色々背負って生きてきた。けどお前に出会って、初めて自分に素直になれた。俺がゲイだってことも受け入れられた。だからすっげぇ感謝してる。ありがとう。今お前と出会って、どんなことがあってもずっと一緒にいてえって思いがどんどん強くなってる。頼む、スイクン! 一緒に行かせてくだせえ!!」
 必死に頭を下げて頼み込む姿に、困惑の色を隠せないスイクン。大きく息を吐いて、棚引く尻尾を伸ばしてデルビルの顔を持ち上げる。
「解った。ならば貴様が其れに相応しいか否か、試させてもらう」
「試す?」
 スイクンは靄に遮られた池の向こうに目をやる。
「貴様も見ただろうが、此の先に険しく切り立った山々が在る。其れを越えた先に在る大きな池が次の目的地だ」
「つまり俺に、そこまで来てみろと……?」
 おもむろに頷くスイクン。見るからにこれぞ難所という雰囲気を漂わせていたあの山が、本格的に立ちはだかる。ごくり、と唾を飲む音が心なしか大きく聞こえた。
「其の池で過ごすのは明後日の日の出まで。其れを過ぎれば私は旅立つ。無論次の目的地は貴様には教えん」
 与えられたチャンスは一度きり。試すにしては余りにも困難が過ぎる。恐らく篩い落とすためなのだろうが、デルビルは俄然燃え上がってきた。
「わかった。俺はやるぜ!」
 高らかに、スイクンの前で宣言する。デルビルを見つめる目が、少し細くなる。
「其の心意気は褒めてやろう。だが、其れが何時まで続くかだな」
 端から期待していない調子のスイクンに、段々強まる憤りを隠せなかった。
「頭ごなしに決めつけんじゃねぇ!!」
 鬼のような形相で、吠えた。既に背を向けていたスイクンが振り向き、嘆息を漏らす。
「決め付けるも何も、此れまで同じ目的で訪れた十数匹に同様の試練を与えて、達成出来た者はまだ誰も居ない。私と張り合うとは、そう言う事だ。兎もあれ、健闘を祈る」
 終始冷めた調子のスイクン。そのまま走り去って靄の中へと消えて行った。やがてその靄も晴れてくる。
「何としても……辿り着いてやる!」
 デルビルは確固たる決意の炎を燃やす。すぐさま後を追って森の中へと入って行った。


 足場は悪くなく、起伏も少なくて滑り出しは順調だった。木の実を食べて小腹を満たし、森の奥へと走り続ける。あの険しい山を越えるためにも、一刻も早くこの森を抜けなければならないと、デルビルは考えていた。
「侵入者発見!」
 突如数匹のポケモンに行く手を阻まれる。デルビルは思わず渋い顔を浮かべる。強行突破も不可能ではなさそうだが、体力的に無駄な争いは避けたい上に多勢に無勢でかなり分が悪い。デルビルは仕方なく道を引き返し、別の方向から入って行く。
「一斉攻撃ー!」
 今度は別のポケモン達に襲撃され、なんとか退避した。更に違う道から、果ては藪の中を突き進んでも森に棲むポケモン達に邪魔されるばかり。えんまくで撹乱しようにも、この状態がずっと続けば体が持たない。
「ックショー!」
 先へと進めないデルビルは眉間に皺を寄せ、苛立ちを露にした。池を後にしてから四半日は経過して、太陽が南中に近い位置で木々の合間から燦々としている。この森は縄張り意識の強い群れが密集しているらしく、ましてや真昼間。正面から突破するのは得策ではない。
「森の外から行けってことか?」
 だがこの広大な森を横に抜けるだけでも時間を要する上に、大回りで更に時間を浪費する。もしも抜け道に縄張りがあれば抜ける事すらも困難必至。
「やっぱここを突っ切るしかねぇ……どうする俺! どうする俺!!」
 頭を掻き毟って必死に考えるデルビル。すると鼻が何かを捉える。
「くっせぇ……! 誰だこんなとこに」
 目をやったのは森に棲むポケモンと思われる……、即ち肥やしの材料である。顔を顰めてその場を離れる。すると、デルビルがある事に気が付いた。即座に体を丸めて鼻をひくひく動かす。
「……うわ、俺臭ぇじゃん」
 鼻という物は周囲のにおいを的確に判断するために自身のにおいに鈍感になるというが、その鼻ですら自身が臭いと主張している。ましてや他ポケモンなら尚の事。昔から自覚してはいたが、改めてその現実を突き付けられると肩を落としたくもなる。加えて、標準的な個体より体がかなり大きい事も、この場では不利に働く。焦りと盲目的な恋の前では、たとえ天性と呼ばれた判断力も無力同然。悪臭の導きで目を覚ましたデルビルは、一息ついて思案を始めた。
「そりゃすぐ気付かれるよな……だったら!」
 即座に閃いて更に道を引き返す。やって来たのは小さな川。その岸辺近くまで木々と土が迫っていた。デルビルは土を掘り出し、それを岸辺の一角に集める。今度は川へ入り、足を使って水を飛ばし、集めた土にたっぷり水分を含ませた。前足で捏ねてみると、程よくドロドロになっていた。デルビルは大用小用全て済ませてから覚悟を決めて川へ飛び込み、全身に水を浴びた。炎タイプ故に水浴びはあまり好まないが致し方ない。しばらく水と戯れた後に、身震いして水気を振り払い、その体で今度は泥に飛び込む。全身べちゃべちゃの泥塗れ。そう、あの方法である。ついでに足先に重点的に泥を塗る。足跡隠しと足音の抑制を兼ねての策であった。泥が体に馴染んできたのを確認して、デルビルは再び森の中を進む。相手に見つからないよう警戒して森の中を掻い潜って行く。デルビルの目論見は成功し、確実に険しい山脈へと近づきつつあった。
 突然鼻に当たる冷たい感触。空は黒い雲が覆っている。
「チッ、雨か」
 それでもデルビルは先へと進む。急激に強まる雨に体の泥は洗い流され、体力も余計に使ってしまうが、体臭を発しにくくなる上に大きな雨音で足音が掻き消される。今がチャンスと、デルビルは全力疾走した。
 それからしばらくして突然雨が止む。地面は水を含んでぬかるみ、途端に走りづらくなった。
「侵入者がいたぞ!」
 その上ここを縄張りとするポケモン達に発見されてしまう。水溜まりで大きくなった足音のせいだとデルビルは察した。煙を撒き、どうにか前へ前へと走って追撃を振り切る。予想以上に大きく体力を消耗してしまった。道半ばながら藪の中で休む事を決断する。目に付かない茂みの中で仮の寝床を整えて、デルビルはその上で体を丸めて眠りに入った。

 目を覚ますと、辺りは暗くなっていた。数時間程眠っていただろうか。デルビルやヘルガーは元々睡眠時間が短くても差し支えない種族であり、数時間程度なら充分だった。
 デルビルは立ち上がって藪から出た。すぐ近くに大きくぬかるんだ所が残っている。そこに身を投げ出し、またも全身を泥で覆った。体に馴染んだ所で、走り出す。目や耳のみならず、鼻で縄張りの範囲を把握し、ポケモンたちの凡その寝床の位置を割り出して、それを避けるように進んで行く。群れにいるときに学んだ方法だが、縄張りの多いこの森では特に役に立つ。時には慎重に、気配を殺して寝床の付近や縄張りを守るポケモン達の背後をやり過ごしたりもした。只でさえ広い森が、尚更広く感じられた。それでも気が急くのを抑え込んで、確実に前へと突き進んだ。

 流水の音を耳が拾う。この先に川があるようだ。更に進んで行くと、目の前に絶景と呼んでも差し支えない景色が広がっていた。平地と上り坂の境目がほぼ一直線に伸びて、そこから無数に水が湧き出している。中には小さな滝のように流れている物もあり、至る所で苔むしている。鼻からたっぷり吸い込んだ空気は、とても澄んでいる。走り通しで少し喉が渇いていたデルビル。湧き水を飲んでみると、スイクンが浄化した水に非常によく似た味わいが口に広がり、喉に流れてじわっと潤していく。彼の力なくともこの味を出せる大自然の偉大さに打ち震える。だがこんな所で道草を食う暇はない。ここから始まる上り坂、即ち目指していた山の裾にデルビルは一歩踏み出した。
 登る間に夜が明けて、眩い黄色の木漏れ日が差し始める。流石にここは足場が悪いためか縄張りは少ない。スパートを掛けるに申し分ない。途中で木の実を食べて腹ごしらえしてから、どんどん上へと登って行った。
 次第に生えている木が疎らになっていく。泥塗れの体の中で唯一濡れている鼻が、冷たい空気を感じ取った。標高が上がっている何よりの証。開けつつある視界に飛び込む険しい岩肌。こうして近くで見ると、来る者を拒むかの如き様相。そしてとうとう殆ど木が生えない所まで辿り着く。ごつごつした岩だらけで、山頂にかけて道なき道となっている。
「ここを登るのか……!」
 見上げたデルビルが、思わず固唾を呑む。ここまで来たからには怖気付くわけにはいかない。気を引き締め、岩山に足を踏み入れた。思った通り、足元は不安定で油断すると滑り落ちそうな有様だった。足場になりそうな窪んだ所も随所にあるが、大小の礫が転がっていて踏み込みがしづらく、しかもその中にイシツブテが紛れ込んでいる始末。かえって岩伝いに登ったほうが楽だと思う程。それでも一歩ずつ、山頂を目指して上へ上へと進んでいく。吹き付ける山風は冷涼さを増し、デルビルの呼吸も次第に荒くなる。標高のより高い所へ向かっている事が、一層体をもって実感された。
 安全を確保できそうな地形を発見して、そこで一旦体を休める。振り返ると、眼下には先程まで走り抜けて来た広大な森が広がっていた。その更に向こうには、この山並みを初めて目にした草原や、最初に訪れた池の方角の目印にした高山も見える。ともすると、初めて草原に出た場所から逆に辿れば、デルビルの生まれ育った群れの場所に行き着くだろうが、目視で確認はできなかった。
「こんなとこまで来ちまったんだな……」
 この一日半余り、無我夢中で移動した距離を考えると、こみ上げるものがあった。だがいつまでもそれに浸っていては先へ進めない。行くべき道は、岩肌に阻まれた向こう側。山の上へと目を向けて、再び登って行く。前へ進めば、辿り着けると信じて。

「誰だテメェは!?」
 突如響くドスの利いた声。そして目の前に立ちはだかる巨体。その主は、てつヨロイポケモンのボスゴドラ。
「ここはオレ様の縄張りだ! これ以上踏み込むなら容赦しねえ!!」
 低く唸って睨みを利かせてくる。タイプ相性的に不利であるのみならず、不安定な足場の中で、相手は自分より一回り、いや二回りも大きい。デルビルにとって勝算は無に等しかった。
「くっ……!」
 眉間に皺を寄せつつ、引き返す。不本意な退避ではあったが、不必要に争って時間と体力を無駄に消費するならと考えれば致し方ない。
「畜生、別のところから行くか……!」
 やむなくあのボスゴドラの縄張りを避けるようなルートから登り始める。とはいえ、縄張りは山一つ分とされている事はデルビルも耳にしている。かなりの大回りを余儀なくされる羽目になるのは明白だった。不安定な道のりを進みながら、峠になっている部分を目指す。だがその視界は一瞬にして阻まれた。
「通すわけにはいかないぞ!」
 現れたのはさっきとは別のボスゴドラ。ここも駄目か、とデルビルは舌打ちした。であれば、更に遠回りして反対側へ向かおう、そう思い掛けたときに追い打ちとばかりのボスゴドラの一声。
「残念だが、ここいらは余すとこなく俺たちボスゴドラがそれぞれ縄張りにしてるから、通るなんて無茶なことはやめときな! 死にたくなきゃさっさと帰れ!」
 希望は打ち砕かれ、苦虫を噛み潰したデルビルは素直に麓まで戻るしかなかった。
「んだよ、ここまで来たってのによぉ!!」
 様々な感情の渦巻く中、声を荒げた。かといって、このまま何もしないわけにはいかない。とりあえず何かできないか、麓で情報収集を始める。幸い、麓に棲むポケモン達はあの清水のお陰か、比較的気性は穏やかで話を聞く分にはさほど困難は伴わない。だが、あの山の話になると声を揃えて、行くなと忠告してきた。山盛りの木の実を持って行って頭を下げて頼み込めば、もしかすると通してもらえるかもしれないと言われたが、あの険路で大量の木の実を持っていくのは無謀極まりない。ならばと、デルビルは山の向こうへ行くルートを尋ねて回ると、ある一匹が教えてくれた。
「あの山を避けて行く道ならあるし、そっちを通ったほうが時間はかかるけど安全だよ」
「時間かかるって、どんだけかかるんだ?」
「うーん……」
 少し考えてから、そのポケモンは答えた。
「ここからだと急いでも二日かかるんじゃない?」
「二日ぁ!?」
 耳を疑い、素っ頓狂な声が思わず出てしまった。
「だって、あの山並みを大きく回る道だからね?向こうの森に辿り着くだけでもそれくらいかかるんじゃ」
「俺は明日の夜明けまでに山の向こうの池に着かなきゃいけねぇってのに……」
 頭を抱えるデルビル。流石にこれ以上は力になれないとそのポケモンは詫びた。どうすればいいかわからなくなり、苛立ちが募るデルビル。カッカする中歩いていると、せせらぎの音が耳に飛び込む。
「頭冷やすか……」
 湧水のほとりへと足を運び、おもむろに飲む。高山と森に磨かれた水の冷たさが、体に溜まった熱を奪っていく。やがて頭にも回り、天然の鎮静剤として作用する。ふう、と長く息をつく。冷静になって、せせらぎを聞きながら改めて思考に耽る。正攻法が駄目なら、何か裏を掻くような方法はないか。例えば地形を利用するとか……! デルビルは閃いた。こういうときこそ、飛行タイプだ!

 デルビルは空を見上げ、この辺を住処にしている飛行タイプのポケモンを探し始める。程なくして見つけた一羽のポッポ。声を掛けると、近くの木の枝に留まった。旅の者とわかるや、ポッポは耳を傾ける。早速デルビルはボスゴドラに気付かれないルートや山の越え方について尋ねる。少し考え込んでから、ポッポは答える。
「どこ通っても昼間は見つかるから、越えるなら夜しかないんじゃない?」
「夜? あんな危なっかしいとこを?」
「まあ、夜だったらボスゴドラも寝てるし」
「言われりゃ確かにそうだけどよぉ……」
 夜だと足元が見えづらい点もさながら、日没まで待っていると数時間も無駄になる。デルビルはその点を危惧していた。そして肝心な事をポッポに訊いてみた。
「俺が行こうとしてる山の向こうの池って、この山から遠いのか?」
「池? あぁ、大きな池があるけど、山の麓からそう遠くないから、今の時期なら暗いうちに麓まで降りれば十分間に合うんじゃない?」
「そっか……。賭けてみるしかねぇな」
 一息ついて、デルビルは決意を固めた。そのためには十分な体力、気力を付けなければならない。そんな事を考え始めた矢先、ポッポが更に付け加える。
「でも、月が出てきたら注意した方がいいかも。月明かりで見つかって大変な目に遭ったって聞いたことあるし……」
「マジか……」
 デルビルは空を見上げる。今晩の月は下弦の一歩手前。昇り始めるのは夜半前である。
「何はともあれ、いいこと聞けたぜ。サンキューな!」
「いいえ。でも油断したら本当に死ぬから気を付けてね……」
 不安げなポッポに、満面の笑みを見せたデルビル。山を越える段取りを頭の中で整理しながら、&ruby(ねぐら){塒};を探す。丁度いい場所を見つけてそこで体を丸める。絶対上手くいくと自分に言い聞かせ、今晩に向けて休養を取った。


 目を覚ますと、太陽は大きく西へ傾き、茜色に大空を染め上げる。大きく欠伸をしつつ、デルビルは動き出した。まず向かったのはオレンの木。ここでオレンの実を食べて厳しい夜の山を越える力を蓄えた。少し休んで調子を整えてから、再び山に挑む。坂を登るにつれ、日は沈んで空は闇の色に塗られていく。森を脱した頃には、西の空が僅かに赤の余韻を残すのみとなっていた。見上げると一面に無数の星が煌めき出す。本来夜行性のデルビルなら、この星明かりだけでも周囲を見るのは可能だが、この険しい岩山を踏破するには暗すぎる。不気味な程に張り詰めた静寂の中では、石ころ一個落ちただけでも下手をすれば命取り。あらゆる感覚を研ぎ澄ませ、慎重に一歩ずつ足を伸ばした。快晴で穏やかな天気とはいえ、吹き抜ける夜の山風は昼間のそれよりも凍て付き、触れる度にデルビルの体温を奪う。初めこそ身を震わせはしたが、山登りで火照ってくると逆に程よい冷却作用をもたらした。
 しばらく登ると、目の前に峠道が延びている。踏破するに比較的易しいのは明白。デルビルは早速その道へと入る。いつどこに潜むかもわからないボスゴドラへの警戒を怠らず、物音を立てないよう進んで行く。しばらくすると、デルビルは立ち止まる。そして少し身震いした。足元にポタポタと何かが滴る。そこから発せられる強い臭気。再び登り、また止まっては地面を少し濡らす。再三再四して、峠の頂が目前に迫った。デルビルは一呼吸置いた。だが彼は先へ進まず、引き返し始める。そして下り道の途中で、険しい横道へと入って行った。
(ちったあ時間稼ぎになっかな)
 峠道を一瞥して、岩肌を慎重によじ登るデルビル。気付かれる事を想定して、マーキングを逆手に取ったダミーで明後日の方向へと向かわせて撹乱する作戦。あえて険しい道を進むのも、こんな道など進むまいという先入観を植え付けるため。その作戦が奏功することを祈りつつ、酸素を求めて行われる荒々しい呼吸に湯気を纏わせて、寒々しい岩山の上を目指した。
 東の空に目を向ける。目に飛び込んだのは山から顔を出す赤黒い月。思いの外経過していた時間に焦燥感を煽られるが、周りは切り立った岩だらけ。一歩間違えたらと考えると、途端に身の毛がよだつ。デルビルは冷静を取り戻し、一歩ずつ着実にその先を目指した。

 登っていた岩壁が途切れ、前方の視界が突如開けた。ようやくこの頂に足を踏み入れる。初めて見る向こうの世界は仄かな月明かりで美しく見えた。その下に目をやると、山の麓から続く森。さほど離れていない所に、木々の切れ間を見つけた。おもむろに振り返るデルビル。これまで通って来た道のりも、真夜中だと静まり返っている。遠くに見えるあの草原までは月に照らされていたが、彼の故郷の方向は闇に包まれ、昼間と同様その姿を捉える事ができない。眺めるうちに口元が震え出すが、ぷいと目を逸らし、前を向いた。
「じゃあな――」
 やがて岩壁に阻まれるその光景に別れを告げ、デルビルは下り坂へ一歩踏み出す。登ってきた方とは異なり、切り立った岩壁が殆どない代わりに急な坂が麓まで続いている地形。デルビルは固唾を呑む。ゆっくりと足を出すが、細かな石や砂が転がり落ちて、一瞬でも気を緩めようものなら麓まで一気に滑落。それが意味する事は、彼なら容易にわかり得た。登り以上に慎重に、かつ急がなければならない。時折滑りそうになりながらも、飛び出した岩を使ってどうにか制御していた。月はどんどん高く昇り、山肌が微かに青白く浮かび上がった。デルビルにとっては地形を把握する上での助け舟となった。
(待ってろよ、スイクン……!)
 彼に対する熱い思いを胸に、デルビルは麓を目指して悪路を下る。

「おい、何してやがる」
 突然の声に、毛が逆立つ。振り返ると、そこには寝ぼけ眼のボスゴドラ! 転がり落ちる石の音に目を覚ましたか。フラッシュバックする、ポッポのあの言葉。
「やべ、見つかっちまった!」
 真夜中の月の危険な一面を、この身で思い知る! デルビルは咄嗟にえんまくを振り撒き、急坂を駆け下りた。目まぐるしく変わる視界。一度スピードが出ると制止などほぼ不可能。デルビルは常に瞬時の判断を迫られる事態に陥ってしまう。
「待ちやがれ!」
 ボスゴドラが後を追う。山道に関しては彼の方が熟知しているのは明白。そしてデルビルの付近に岩が落下する。ちらっと後ろを見ると、ボスゴドラは完全に仕留めるつもりのようだ。
「クソッ!」
 二度目のえんまくを繰り出して視界を遮りに掛かる。逃げ延びようと踏み込んだ足が、転がっていた礫でツルッと滑った。
「げっ!!」
 デルビルは血の気が引いた。そのまま背中で着地して一回転する。ぎゅっと目を瞑り、死を覚悟した。その瞬間、脳裏に浮かび上がったのは、群れにいた頃に池で見たスイクンの凛とした姿。彼のためにここまで来たんだ。こんなところで死ねるか! デルビルの目がくわっと開く。もう一回転した末にデルビルは足を伸ばし、地面を捉える! 体勢を整え、一難こそ去ったが、まだ厄介な一難が背後に迫っている。いつの間にかじりじりと詰められ、捕まるのも時間の問題と察した。駆け下りながらデルビルは思考を巡らす。そしてある苦肉の策を思い立った。
「待て犬っころォォォ!」
 更に距離を縮めるボスゴドラ。眼下に飛び出した岩が見える。一か八か、やってみるしかない! デルビルはその岩で足を踏み込み、アクロバティックに跳躍した。そして空中でボスゴドラ目掛けてかえんほうしゃを繰り出す。それは見事ボスゴドラの顔面に命中した。
「うおぉっ!!」
 呻き声を上げてバランスを崩すボスゴドラ。上手く着地したデルビルはそのまま横へ逃げるように下って行く。鋼の巨体はゴロゴロと猛スピードで転がり落ち、やがてデルビルの横を通過した。その行き着く先には頑丈そうな巨岩が聳え立っていた。制御不能な山の主はそこへ向かってまっしぐら。程なくして殺風景な岩山に轟音が響き渡る。
「ぐああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
 続いて空気を震わす低くおぞましい絶叫。必死に逃げるうちに山は静寂を取り戻す。もう追っ手はいない、だが危険なスピードで駆け下りているのは相変わらず。飛び出した岩に足を踏み込んで左右にジャンプし、少しでもスピードを落とすよう努めるも、劇的な効果は得られない。そうこうしつつ駆け下りて行くと、地面に下草を発見する。それは徐々に数を増やし、低木もちらほら目に付き始めた。今だとばかりにデルビルは麓に背を向け、四肢で斜面に爪を食い込ませる。土埃を上げつつ滑り落ち続けるも、そのスピードは徐々に緩やかになる。ようやく止まったのは丁度麓の森の入り口付近だった。デルビルは酸欠気味の過呼吸の中、やっと安堵の時を得た。見上げると、越えてきた山が高く聳えている。ここまで一気に駆け下りて来たのかと想像すると、背筋が凍り付いた。今ここに立っている事が夢にも感じられた。生き延びられたからこそ、デルビルは更に先を目指そうとした。
「って……!」
 踏み出した足に走る痛み。見ると傷だらけで、爪は先の制止のせいで大きく削れている。無我夢中で駆け下りて意識の回らなかった部分が、今頃になってその存在を主張し始める。空はまだ暗い事を確認してから辺りを見回し、呼吸を整えつつ歩いて何かを探し出す。程なくしてある植物に目を付け、葉っぱを十枚程毟り取る。それを只管口の中で噛み潰す。滲み出した強烈な苦みが舌を苛み、体が拒否反応を示すも、脂汗を噴き出しながら必死になって抑え込み、こなれた葉と唾液を混ぜ合わせていく。程よい具合になった所で、口から緑を吐き出す。途端に虫唾が走り、咄嗟にその場を離れた。
「うええぇぇぇぇぇぇぇっっ!!」
 微かな黄色がびちゃびちゃと地面に迸り、不快な刺激臭が立ち込める。我慢の反動で猛烈な逆流となり、呼吸すら満足にできない。無理やり数滴搾り出すくらいまで、激しい胃の収縮は続いた。
「ペッ! クソぉ……やっぱこいつぁダメだ……」
 激動鎮まった後、口内に纏わり付く酸味を唾液混じりに吐き捨て、再び葉っぱのペーストへ足を運んだ。
「よし、胃液は混じってねぇな……」
 鮮やかな緑を確認してほっと一息。そしてそれを傷だらけの足に塗り付ける。傷口に沁みて顔を顰める。この葉っぱは傷に効く薬草で、唾液と一緒に擦り潰す事で薬効をより高める一方、酸に触れると黄変して効果を失う特徴がある。無論この薬草の知識も、教官から教わった物。離れて気付く偉大な彼に、改めて心の中で感謝する。同時に、初めて教わったときも苦みに耐え切れず嘔吐して、皆に笑われた事も思い出す。そんなこともあったな、と文字通り苦々しい表情を浮かべてしまう。それでも教官は笑う事なく、よく頑張ったと励ましてくれた事も同時に記憶に蘇った。しばらく安静にしていると、傷口から葉っぱの成分が染み込んでいくかのような感覚がする。ちょっとでもマシになれば、と天に願う。見上げた空は明るい星が輝き、闇が微かに薄れ始める。
「やべっ! ゆっくりしすぎた!」
 冷や汗をかいて飛び上がり、そのまま走り出す。お腹は空っぽだが、実がなる木に寄り道する暇はない。通り道に転がる木の実を拾い食いして小腹を満たそうとする。木々の向こうに広がる紺青のキャンバスは、東の方角から黄味がかった白い絵の具で徐々に薄く塗られていく。焦燥感を抑え切れず、息を切らして全力で静かな森を駆けていく。
「いでえっ!」
 突如足に走る激痛に思わず立ち止まる。爪が何本か折れ、至る所から出血して既にボロボロになっている。それでもデルビルは苦痛を堪えて再び走る。森の木々が薄明にぼんやり浮かび上がる。顔に受ける風がひんやりしてきた。その冷たさが、彼に微かな希望を与えた。
(間に合え、間に合え!)
 歯を食いしばって前へと突き進む。その間にも空は強く白んで段々闇を覆い隠す。目指す先から靄が立ち込めてきた。心に抱いた希望は、確信に変わる。スイクンはまだ、あの池にいる! 鼻で感じる、空気の水分。目指す池は目と鼻の先だ。


 デルビルの顔色が変わり、突如急停止する。目の前の藪の向こう、そこに恐らく目的の池がある筈。しかし、デルビルが只ならぬ空気を察知したのも、まさしくその場所だった。気配を殺して藪に分け入り、その向こうを覗き見る。白く煙る空間に水面が目に付く。これこそ目指していた池に違いなかった。視線を動かすと、寒色の目立つ獣の姿。だがそこには彼以外の姿もあった。
(人間……?)
 デルビルの目が驚きに丸くなる。人間の存在は知ってはいたものの、この辺り一帯は広大で、鬱蒼とした森が多くを占めているが故に人間は殆ど立ち入らないと聞いている。そしてその傍らには、人間の手持ちと思われるよこしまポケモン、ダーテングがいた。ポケモントレーナーと思しき人間が何かを喋っている。デルビルは聞き耳を立ててみた。
「俺の手持ちを五タテするとは、さすが伝説のポケモンと呼ばれるだけあるな」
 人間がほくそ笑むと、スイクンは険しい表情を浮かべ、一歩後ずさりする。
「だがこれで終わりだ。やれ、ダーテング!」
 人間の指示を受け、ダーテングが技を繰り出す。地面から草木が生えてきて、途端にスイクンに絡み付く。恐らくこれは、やどりぎのタネだろうか。スイクンが呻き、苦痛に顔が歪む。
「へっへっへ……これでスイクンは俺のものだ!」
 人間の言葉は完全に理解できるわけではないが、何を言っているかまでは伝わった。デルビルにふつふつと沸き上がる憤怒の情。鼻面に皺を刻み、牙を剥き出しにして唸った。ダーテングがじりじりとスイクンとの距離を詰めていく。ニヤリと笑みを浮かべ、手を掛けようとする!

 ゴオォォォォォッ!

 豪炎が走り、ダーテングを阻む。揺らめく陽炎の中から現れたデルビルの姿。
「なんだこいつは!?」
「これ以上手出しはさせねぇ!」
 仰天する人間に鋭い視線を向け、威嚇する。捕らわれのスイクンも、突如見せたその姿に目を疑った。
「ほう、スイクンを守ろうってのかい。面白い、まずはこのデルビルからやっちまえ、ダーテング!」
 標的をデルビルに変えて、先制攻撃。それをかわしつつ、かえんほうしゃで迎え撃つ。
「ぐおっ!」
 ダーテングに当たって効果抜群。だがすぐに立て直してリーフブレード。
「ぐっ!」
 効果は今一つではあるが、進化後だけあってそれなりのダメージは食らう。デルビルは着地するが、その刹那に走る激痛に顔を顰める。再び攻めるダーテングの動きを見て咄嗟に回避してかえんほうしゃ。
「さすがに二度は通じないぜ!」
 ダーテングは団扇状の手で突風を生み出し、炎を散らした。そのまま連続攻撃を仕掛け、デルビルは防戦に徹する。相性では有利な筈だが、元々素早さで負ける相手な上に、種族柄打たれ弱い。重ねて山越えで負った無数の傷と消耗した体力が、状況を一層不利な方へと導く。炎技で抜群を取りに行くも、受けるダメージの方が上回っていた。
「ギャンッ!!」
 手痛い一撃を食らって吹っ飛ばされ、そのまま地面に倒れ込む。
「おやおや、もうおしまいか~?」
 にやついた人間に侮蔑される。ダーテングも勝利を確信していた。立ち上がろうとするも、足が震えて再び倒れる。眉間に皺が寄り、歯を軋ませた。
「番犬に丁度いいと思っていたが、こんな弱っちい駄犬は処分するしかないな! これでとどめだ、きあいだま!」
 ダーテングは大きく構え、両手に気を集め出す。何としてでも立ち上がろうと、デルビルは力を込め続ける。
「残念だったねえ~~スイクンも守れず犬死になんて♪」
「犬……死に……!」
 デルビル始めイヌ科のポケモンにとって最大の屈辱たる言葉を浴びせられた。その瞬間、デルビルの頭に幼少の出来事がフラッシュバックされる――


「好きな子はいるのかい?」
 それは母からの質問だった。ゆっくり首を横に振って答えると、母は優しい目つきで語りかけた。
「そうかい。お前も大きくなって、いつか誰かを好きになるかもしれない」
「そうかなあ?」
「それは母さんにもわからない。けどね、これだけは覚えておきなさい」
 首を傾げつつ興味ありげな愛息の頬を、そっと優しく舐める。
「もしその相手に何かあったとき、それこそ苦しくつらい目に遭ったり、もしかすると死んじゃうかもしれない。そんなときに自分の命を投げ出してでも護りたいと思える相手がいることは、とっても幸せなことなんだよ」
 幼いデルビルはきょとんとしていた。まだ早かったかと言わんばかりの、母の小さな吐息。
「……じゃあ母さんにはそういう相手はいたの?」
 デルビルに訊かれ、思わず目を丸くした。そして彼女の顔が曇る。
「……ええ、『いる』けど、もう昔のようには戻れないね……」
「どうして?」
 子供心は残酷である。時に悪意なく心の傷を容赦なく抉りに来るのだから。母はしばらく沈黙した後、小さく答えた。
「お前にもわかるように言うなら、母さんに体を張ってでも護る勇気がなかった、ってことかな」
 母は遠くを見つめる。その先に何があるかは、彼女しか知り得ない。首を傾げている我が子に気付き、いつになく真剣な表情を見せた。
「だからね、そういう幸せを見つけたら、堂々と掴みに行って、自分のものにしなさい。そしてその幸せがなくなりそうになったら、体を張ってでも護りなさい。そうしなかったら、後で絶対後悔するから!」
「う、うん……」
 母の語調に、理解が及ばないながら強い思いを感じ取ったデルビルは、とりあえず頷いた。
「たとえそれで相手が死んでしまったとしても、自分が『犬死に』と呼ばれるような死に方をしても、それで後悔が残ったとしても、何もしないで後悔するよりよっぽどマシだから、命を懸けてでも護りなさい! ――」


 亡き母の声が脳に響き、デルビルは我に返る。スイクンに目をやると、草木に拘束されて体力を奪われ、苦悶の喘ぎを零していた。
(母さん……!)
 デルビルの体の中で、熱いものが燻る。ダーテングは手にエネルギーを集め続けている。
(やっと、わかった……!)
 再び足に力を込める。大きく震えて言う事を聞かないが、それでも諦めずに立ち上がろうとする。
(俺が……)
 燻る炎が大きくなる。それに比例して、体に漲るものを実感し始める。
(俺が……スイクンを……)
 自分を信じて、有りっ丈の力を込める。傷だらけの足が、少しずつ大柄な体を支え始める。
「ほう、まだ立ち上がる力があるとはなぁ」
 余裕綽々に眺める人間。ダーテングの両手に収まるエネルギーは次第にその大きさを増す。
「俺が……スイクンを……!」
 歯軋りを立てながら前足を完全に伸ばし、後ろ足もよろけつつ臀部を持ち上げていく。囂々と燃え盛る心の炎は、満身創痍の体を熱く焦がす。とうとう四本の足は、彼の体重を完全に支えた!
「俺が……スイクンをッ!!」
 池の真上に広がる白くくすんだ青空に向けて、割れんばかりの大声を張り上げた。

「護るんだああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」


 突如、暗色の肉体から閃光が走る。転瞬にしてデルビルを包み込み、周囲の木々や池を明るく照らし、渦巻く風が枝葉や水面を大きく揺らす。人間は咄嗟に目を覆い、スイクンはぎゅっと目を瞑る。ダーテングはその眩さに集中が途切れ、きあいだまが失敗に終わる。光の中で、満ち溢れるエネルギーと同時に大きな体の変化を感じる。生まれてこの方馴染んできた姿形が失われていく筈なのに、後ろ向きな感情は些かもなく、寧ろ気持ちよさすら覚える。閃光が徐々に消滅していく。恐る恐る目を開けた二匹と一人は、一斉に驚愕した!
 そこに佇んでいたのは、程よく締まりつつも力強く筋肉の浮き立つ肉体に長い四肢、耳から生える大きく美しいカーブを描いた角。雄々しく精悍な顔立ち、黒い体色で引き立つ、胸部や背中の骨を模したパーツ、そして細長い槍状の尻尾。その姿は紛う事なきダークポケモン、ヘルガーだった! そしてその体は標準的なサイズを遥かに上回り、スイクンにも迫る大きさを誇る。さながらそれはオーロラをすっぽり覆い隠す暗黒の壁と形容するに相応しい。ゆっくり目を開け、高い目線でようやく実感する。進化を遂げても尚湧き上がる力。それに任せてデルビル、否、ヘルガーは遠吠えを上げた。
「ウオオォォォォォォォォォォォッ!!!」
 澄んだ空気を大きく震わす、死神の呼び声にも例えられる怪しく不気味な音色。これには流石のスイクンも鬣が大きく逆立つ。
「ひえぇっ……」
 ダーテングは大きく身震いしてその場で失禁してしまう。
「おっおい! なんてザマ見せてやがる! どうせ体力がねえんだ! 手早くやっちまえ!!」
 声を荒げる人間にも恐怖と焦りの色が滲む。はっとしたダーテング。半ば破れかぶれに攻撃を繰り出した。咄嗟にそれをかわすヘルガー。
(すげぇ……めっちゃ体が動く!)
 進化して得た機動性の高さに感動を覚えるが、それに浸る暇はない。反撃とばかりにかえんほうしゃを当てる。
「ぐわあぁ!」
 ダーテングの表情が苦悶に捩れる。進化によって劇的に上昇した威力を物語っていた。
「バカ野郎! さっさと仕留めろ!!」
 一層喚き散らす人間。ダーテングは怒涛の攻撃を仕掛けるが、それは精彩を欠いてヘルガーに全て回避されてしまう。ダーテングの焦燥ぶりを読み取ったヘルガーは再びかえんほうしゃ。だがそれはまたも手で起こした突風に掻き消される。
「その方法は通用しないぜ!」
「ならこれはどうだ?」
 ヘルガーの体から発せられる黒い波紋。風の影響を受けずダーテングに打ち付けられる。
「ぐふうっ!」
 食らったダーテングは技が出せない。進化で得た新たな技、あくのはどう! 同じ悪タイプに効果は今一つだが、運は天に味方して追加効果の怯みが発動した。それを確認するや否や、ヘルガーの体から陽炎が立ち上り、徐々に炎を伴って渦巻く。進化前から切り札として隠し持っていた大技が、今ここで発動される!
「食らえ、必殺! 『れんごく』!」
 それは容赦なくダーテングに牙を剥く。
「ぐわあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
 途端に炎に包まれ、身の毛もよだつ断末魔が森に木霊する。命中させづらい技ではあるが、大きな隙を見せた相手へ当てるに十分だった。消えゆく獄炎から現れた姿は全身大きく焼け爛れ、一部は黒く焦げて火が燻り、両手の団扇は完全に焼け失せ、燃え殻同然の手首からぽとりと地面に落ちた。一言も発さず、その場に力なく倒れ込む。無残に変わり果てた姿を慌ててモンスターボールに戻した。戦えるポケモンはもう手元に残っていない。ヘルガーは人間に怒りを込めた鋭い眼光を向ける。
「ひっ、ひえぇ……!」
 恐怖に怯え、ズボンが失禁で濡れていく。牙を剥き出して低く唸ると、じたばたしつつその場から逃げ出す。
「ひゃあぁぁぁぁぁぁっ!!!」
 半泣きで敗走するその背中目掛けて、極上の憤怒を込めた火の玉を撃ち出した。
「ギャアアアアアアァァァァァァァ!!!」
 見事命中して服に引火する。必死になって服を脱ぎ捨てながら、森の中へと消えて行った。この程度の火傷ならば死ぬ事はないだろうが、肌に残る痕や毒素による激痛は、命ある限り彼を苦しめ続けるに違いない。
「ウオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォン!!!」
 ヘルガーは誇らしい勝利の雄叫びを高らかに響かせた。耐え難い喉の渇きを覚え、池で水を飲もうとほとりへ歩き、水面に顔を近づける。映った自分の姿に、動きが止まる。進化が夢でない事をひしひしと実感し、そして図らずも、ある真実を思い知らされた。池の水を飲み、すっきりした味わいが口から喉を通って渇いた体に染み渡っていく。日の出を迎えた清々しい空を見上げ、感慨に浸った。
「ありがとな、母さん、父さん……!」
 道中の助けとなり、力を授けてくれた両親に、青年は心からの感謝を短い言葉に込めた。空前絶後の逆転劇を収めた頼もしい背中は、捕らわれのスイクンの目にも深く焼き付き、その胸を高鳴らせたのだった。


「大丈夫か!?」
 はっとして振り向いたヘルガーは顔色を変え、スイクンを拘束していた植物を焼き切って解き放つ。スイクンはその場に座る。
「此の位ならまだ平気だ。案ずるな」
 彼の目つきは、これまで見せていたよりも幾分柔和に見えた。ヘルガーの体がぶるぶる震え出す。
「よかった……」
 赤く輝く目から零れ出す大粒の滴。それは徐々に強まる雨の如く地面に落ちて散っていく。
「よかったあぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
 火が付いたように安堵と随喜の声を張り上げて号泣する。多くの困難に立ち向かい、必死にスイクンの背中を追いかけて、彼を護るために体を張った二日間の緊張がどれ程のものだったか、その糸が切れた反動たる怒涛の涙が物語っていた。
「ヘルガー……」
 スイクンの目からも、細い筋が流れる。尻尾を伸ばし、泣き続ける英雄に巻き付けて優しく引き寄せる。ヘルガーが初めて触れた、恋焦がれる存在の肌。短い体毛越しに自分よりも低い体温と、心地よい感触が伝わってくる。遠い所にいた彼が、今はこんなに近くにいる。体が密着するや、それが夢でない事を実感して溢れる感情の歯止めが利かなくなり、スイクンの胸で赤ん坊のように大泣きした。
「かたじけない……かたじけない……!」
 スイクンは声を震わせ、初めて感謝の言葉を発した。朝の爽やかな日差しが、木々の合間を抜けて彼らを明るく照らした。


 ヘルガーの目がゆっくり開く。いつの間にか横になって眠っていたようだ。見上げると、太陽は高い位置に輝いている。はっとして見回すが、周囲には誰もいない。吹いてくる風の暖かさにヘルガーの眠気が飛んだ。
「は!? マジかよ!」
 立ち上がろうとするが、これまでの冒険とバトルで体力が奪われたせいで足が竦んでしまう。
「嘘だろ、おい……!」
 景色が途端にぼやける。口元が震え、地面に薄く爪痕を残す。
「これじゃ……あんまりじゃねぇかよぉ……!」
 絶望に突っ伏して涙に沈む。その背中を、冷たい北風が走る。はっと顔を上げて振り向くと、凛とした姿がそこにあった。
「ううっ……置いてかれたって思っちまったじゃねぇか……!」
 顔をくしゃくしゃにして涙を流すヘルガーに、呆れて溜息を漏らす。
「愚か者。いくら私とて、其処まで薄情な真似はせんぞ」
 そしてゆっくりとヘルガーに背を向けて座る。尻尾を鬣に突っ込むと、中から木の実が転がり落ちる。
「さっさと食べて元気を出せ。何時までもメソメソして居たら男前が台無しだ」
 振り向き様に微かに笑みを浮かべた。その姿にいつの間にかヘルガーの涙は止まり、胸がじんわり温かくなる。採ってきてくれたのは体力回復に効果のあるオレンの実やオボンの実、そしてPP回復効果のあるヒメリの実。一個ずつ、じっくり噛み締めて味わう。スイクンが採ったというだけで、格別に美味に感じた。そしてみるみるうちに体に力が戻る。全て食べ終えると、すっかり立ち上がれるようになっていた。ヘルガーは真剣な表情で、改まる。
「答えを聞かせてくだせえ、スイクン」
 スイクンはすぐに言葉を発さず、ヘルガーを凝視し続ける。ごくり、と唾を飲む。スイクンの目がゆっくり閉じられる。そしてようやく口が動いた。
「……好きにするが良い」
 その返答に、思わず息を呑んだ。
「私の後をついて来ようが、別の道を歩もうが、貴様の自由だ。所詮私のじんつうりきなど効かないからな」
 スイクンはぷいっと視線を逸らした。遠回しながら、ヘルガーを認めた瞬間だった。その言葉を聞いて、彼の顔はみるみる晴れやかになる。
「ありがとよ、スイクン……!」
 黒く細長い尻尾が勢いよく振れる。抑え切れない喜びに任せ、ヘルガーはスイクンに飛び付いた。
「これで一緒に旅ができるぜぇ!!!」
「おい止めろ! くっつくな貴様!! 熱い! 臭い!」
 不快な表情と言動を露にするも、振り払う事は一切しないスイクン。バトルで見せた雄々しく勇ましい姿とは異なる一面を見せるヘルガーに、スイクンの表情の険しさが次第に薄れていく。呆れて大きく息をついた。
「全く貴様は……。もう旅立つぞ。私の足手纏いになる様なら容赦なく置いて行くからな」
 すっと立ち上がり、そのまま走り出すスイクン。ヘルガーもその後を追いかける。
「足手まといになんかならねぇよ!」
 彼は声高に宣言した。この体ならどこまでも一緒に行ける、揺るぎない確信が彼の胸を熱くした。


 ――奇しくもこの日はヘルガーがこの世に生を受けた日であり、同時に彼が成獣としての第一歩を踏み出した日でもあった。ヘルガーとスイクン、後に番となる彼らの新たな冒険は、まだ幕を開けたばかりだ――



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