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ライ麦畑で踊れ の変更点


&size(25){ライ麦畑で踊れ};
&size(30){ライ麦畑で踊れ}; 作:[[群々]]

#hr

「ねえねえ、お兄さんって、いわゆる『ろーにん』ってやつ?」
「&ruby(ひゃくがいきゅうきょう){百骸九竅};の中に物有、かりに名付て&ruby(ふうらぼう){風羅坊};といふ」
「お兄さんの場合、“八竅”、じゃないの?」
「……ませたガキめ」
「それにさ、お兄さん、ここまで歩いてくる途中、何歌ってたの?」
「なんだ」
「串に刺さって団子、ってやつ」
「……寿村の古い民謡さ」
「えー! 僕、そんなの聞いたことないもん。寿村から来た友達たくさん知ってるけど、誰も歌ってなかったよ」
「世界は広いんだよ、小僧」
「まあそれはともかく、ねえねえ、とにかく頼みがあるんだけど!」
「なんだ」
「この辺りだと月が見えない夜になるとおかしなことが起こるんだ。おかげでみんな、どいつもこいつも枕を高くして眠れなくなっちまって。オヤブンのガブリアスに食いちぎられたり、バサギリに首を刎ねられたり、ディアルガ様やパルキア様に踏み潰されたり、そんな夢ばっか見て気味が悪いってって、どんどんここを離れてっちゃう。集落もあっという間にこの寂れよう」
「ふうん」
「昔はキングとかクイーンとかがいて、ヒトを守ってくれてたって言うだろ。でもみんなどっか行っちゃって、どこもかしこも目を赤く光らせたオヤブンだらけになっちゃってるだろ。おまけにこんなことになって、みんなどうすればいいかわからないんだ。ねえ、お願い、頼むからさ……」
 そう聞かれたジュナイパーの男は紅葉色の編笠状をした羽根に片翼を載せ、目を細めながら周辺に広がる景色を眺めた。
「あれは稲穂じゃないな」
「え?」
「丈が違う」
「あれはね、僕のご主人とか、ここに越してきたヒトたちが作ったんだよ。ライ麦って呼んでる」
 イーブイが言うとおり、ズイの古蹟を取り囲む土壌には、点在する沼地を取り囲むように一面のライ麦畑が広がっていた。本当ならもう収穫されているのに、この騒ぎでみんなここを離れて行ってしまって、手付かずのまま放りっぱなしになっちゃったんだ、とイーブイが事の次第を話す間、ジュナイパーは目を凝らしてそのライ麦畑が風のまにまに揺れるのを観察する。
「ところで、お兄さん、名前は?」
「……ホールデン」
「ホールデン?」
「うん、ホールデン」
 微塵も表情を変えず、その響きを味わうように彼はこくりと頷いた。
「ホールデン・コールフィールドってのが僕の名前さ」
 イーブイは思わず長い耳をそばだたせた。
「おかしな名前! ホールデン・コー……長すぎて覚えきれないよ」
 ホールデン・コールフィールドと自称したジュナイパーは合羽のように羽織った翼を膨らませながら、白い息を吐いた。
「で、僕に何をして欲しいんだ」
「えっとね……だから、おかしなことの原因を何とかしてほしいんだ。そうしないとここには誰に住めなくなっちゃう」
 イーブイは気丈に振る舞っているが、ほんの微かながら小さな脚が震えていた。
「月の見えない真っ暗な夜に、おかしなものを見たんだよ間違いなく、ほらあそこ!」
 と言いながら、金色の平野に広がるライ麦畑をじっと首を伸ばして指し示した。
「忘れもしない、あれは6つ前の月の見えない夜のことだった。変なものがガサゴソとそこに入って行くのを夜目で見たんだ。そしたら、何だかずっとそこにずっと身を潜めて何かをしようとしている風だったんだ。その晩におっかない夢を僕らは見て、それからいつも、あの月がお空に見えなくなる夜が巡ってくるたびにこんなことが起こるんだ」
「6つ前か、よく覚えているな」
「僕はずっと密かにあの辺りを監視してたから間違いないもん」
「なるほど」
 ジュナイパーはイーブイの小僧の様子をじっと観察する。
「じゃあ何で君が行かないんだ」
「だって、僕みたいな子どもじゃ敵いそうにないもの」
「雄は度胸だ。やってみないとわからないこともあるだろう」
「蛮勇って言葉もあるじゃないか」
 苦い漢方薬を口にしたような表情になりそうだったのをすんでのところで堪えた。
「……助けてやらなくもないが、高くつくぞ」
「たとえば?」
「そうだな……まあこう見えて僕は肉食だからなあ」
 嘴を目一杯開き、強靭な脚の爪を見せつける。イーブイは総毛立ったが、瞳に宿る我慢強さとしぶとさは相変わらずだった。ジュナイパーは首を振った。
「冗談だよ」
 屈み込んで、翼をふんわりとイーブイの頭の上に置いた。
「悪趣味だなあ。えーと、&ruby(・){コ};ールデンさん?」
 ジュナイパーはくるる、と梟らしく鳴いた。
「で、今晩その新月が来るわけだ」
「晩になったら、きっとあそこに現れるよ。だから、一生のお願い、そいつを……」
「一生だなんて言葉、軽々しく使うんじゃない、小僧」
「じゃあ、半生!」
 ジュナイパーは腹を一気に凹ませながら吐息を吐いた。

#hr

 その夜、集落近くの崖上にこっそり隠れたイーブイに見守られながら、金色の平野と呼ばれる広大なライ麦畑にジュナイパーは一匹脚を踏み入れたのだった。
 そして、翌朝、ふう、と羽毛を膨らませながら、ホールデン・コールフィールドは帰ってきた。
「終わったよ」
 大きな欠伸をしながらどこかふんわりとした調子である。
「もう悪夢を見ることはない、僕が保証する」
「本当?!」
 イーブイは跳ね上がるくらいに喜んだ。が、すぐに慎重な性格を働かせた。
「けど、嘘だったら許しませんよ」
「疑わしい小僧だなあ」
「なら、何があったのか教えてくださいよ。僕もみんなに説明しないといけないんだから」
 やれやれ、ヒスイの夜明け以来、賢しいガキが増えたことだ。嘆息しつつ、そのジュナイパーがイーブイに語り聞かせたことは、おおむね次のようなものであった——

#hr

 屈強な脚でライ麦を踏み分けながら奥へ進んでいくと、果たして、畑の中心部に黒い影が佇んでいるのが見えた。間違えようもなかった。
「やあ」
 ジュナイパーは気さくな挨拶を交わした。影は俯いたまま、こちらの存在にも気づかないようであった。さらにもう一歩踏み出そうとした時、いきなり漆黒の波動がジュナイパーの胸を撃ち抜こうと飛んできたのを、軽い身のこなしでさっとかわした。
「気づいてるんじゃないか」
 薙ぎ倒されたライ麦を見遣りながら、ジュナイパーは続けた。
「おおかたこんなことだろうと思っていた。住民に悪夢を見せるタチのポケモンなんてダークライくらいしかいないからね」
 それにしても、なんでこんなとこに? と問いかけようとした瞬間、今度はジュナイパーの周りを闇の窓帷が覆った。ダークホールか、と思う間も無くジュナイパーは深い眠りへと引き摺り込まれていった。
「ふん、口ほどにもないヤツ……」
 悪夢へと誘う闇に囚われたジュナイパーが立ったままうつらうつらしているところに追い討ちをかけようとダークライが近づいた瞬間、こくり、こくりと動く嘴から何か言葉のようなものが漏れるのを聞いた。ヒトが書に記す崩し字のように曖昧な言葉に気を取られた瞬間、いきなり身体がふわりと持ち上げられる感覚を覚えた。
 眼前のジュナイパーは呻くでも苦しむでもなく、ただ大きな欠伸を一つかましていた。
「ああ、よく寝た」
 忽ちにしてジュナイパーの精神を取り巻いていた闇が陽炎のように揺らいで掻き消えてしまった。ダークライの首根っこはしかと掴まれ、そのほっそりとした身体が宙に吊り下がっていた。
「き、貴様っ」
 慌てふためいた暗黒ポケモンが身を捩らせて抵抗するが、ジュナイパーの強靭な腕っぷしからは容易に逃れようがなかった。
「なぜ平気でいられる!」
 ほう、とジュナイパーは嘴から息を紫煙のようにたなびかせた。
「さっきから片隅で天体の光のようにほのめいていた君を見ていた」
「俺の力を浴びて何とも思わないだと」
「悪夢なんてもう見慣れたよ」
 事もなげに気怠げな伸びをする。
「それに生きていることだって、これも立派な悪夢に違いない」
「減らず口を!」
 ダークライは咄嗟の動きでジュナイパーを振り払うと、両手で悪の波動を生み出して次々と投げつけた。ジュナイパーは動かなかった。波動弾が目と嘴の先に迫るその瞬間まで頑なにその脚をライ麦畑に踏みしめていた。あまり向こうみずな振る舞いにダークライは呆気に取られ、波動を作る手の力が抜けた。その僅かな隙であった、まるで自分の影から生えでもしたようにジュナイパーが現れ、あっ、と叫ぶまでもなく強烈な蹴りを腹に食らった。けたたましい音を立ててライ麦畑に倒れ込んだダークライの喉元を、ジュナイパーの脚爪がチクリと触れた。
「これでいいだろう」
 なだめすかすようにジュナイパーは声をかける。
「殺すつもりはないんだ」
 丸眼鏡をつけたような顔でじっとダークライのことを見据えた。
「ただ、どうしてこんなところにいるかを訊きたかった」
「……知って何になる」
「ここいらのポケモンや住民が困ってる。君、というよりは君にまとわっている力のせいだけれどもね。それに、君だって本来こんな場所に出没する理由もないだろう」
「仮に理由があったとして、貴様に話す筋合いでもあるまい」
 冷ややかにジュナイパーを睨みつけて、まだ反撃しようと腕に力を込めた。
「ううん」
 ダークライに対して身構えるでもなく、ジュナイパーは懐の羽根の深いところから、何か奇怪な形をした笛を取り出した。引きちぎった臓器のようなそれを見てダークライは慄然としてもたげた腕を止めた。ジュナイパーは悠然としてそれを構え、嘴で咥えると静かな面持ちで音色を奏でた。
「それは……」
 その響きは、この世のものとは到底思えぬものであった。ダークライは愕然としてその音に耳を傾けた。
「なぜ、貴様がそんなものを」
「今となってはもはや無用の長物だけど」
 旋律を奏で終えたジュナイパーは気障な含み笑いを漏らした。
「なんだか愛着が湧いちゃってね、捨てるに捨てられなくって」
「ということは、貴様……」
 決然とした目つきに、僅かな恥じらいとも躊躇いともつかぬものが混じっていた。言葉を継ごうとしたダークライを制するように、ジュナイパーは翼を伸ばす。
「ま、今はもう何者でもないよ」
 照れ臭そうに紅葉色のアゲハントの形をしたリボンのような胸元の羽根を弄りながら、ジュナイパーは恐縮する。
「強いて言うなら『キャッチャー・イン・ザ・ライ』ってとこだよ」
「何ワケのわからないことを言っている」
「で、ホールデン・コールフィールドというのが僕の名前」
「ふざけているのか?」
「こんな時代だからこそ、おふざけは肝心……そう思わない?」
 ダークライは閉口した。しかしこの曰く言い難い存在であるジュナイパーに対して、抗う意思も喪失していた。
「しょうがない、僕からは敢えて言うまいと思ってたけれど」
 臓器のような笛をガサゴソと音を立ててしまいながら、ジュナイパーは言った。
「僕が理由を当てる」
 笛がしっかりしまわれたかどうか、何度も胸の毛並みを撫でて確かめたあと、決然とした目で相手を見据え、そう宣言した。
「君がここにいるワケ……たぶん、アレだろう?」
 翼で指差した方向にはズイの古跡が背負う大いなる山脈が広がっている。その裏には、かつて舞台の戦場と呼ばれていたが、いまは&ruby(すすき){芒};が好き放題に伸びあれ荒んで久しい場所がある。
 ダークライはその方向を見つめると気抜けして両腕をへたりと地に垂らした。ジュナイパーは脚をどかしてやった。
「君にも雄の名誉というものはあると思ってね。極力配慮はしたつもりだ」
「……あいつと会ったことがあるのか」
「まあ、長く生きていると色んなことを経験せざるを得ないもので」
 ジュナイパーはそう応じた。
「いつのことだっただろうか。彼女がボソッと言ったことがあったのさ。君の名ははっきりとは言わなかったけどね。慕っているんだ、ってさ」
「ふん……余計なことを言ったものだな」
「『夜明け』からの長い間、彼女とは何度か会ったきりだけど、そのことが妙に頭の片隅に残ってた。何しろ、その思い人とは月が一巡する間にたった一度ずつしか会えないと言っていたから」
 ダークライはどぎまぎした。
「大丈夫さ、こう見えてちゃんとしているから失礼なことを詮索したりはしないよ。まあ、恋人の正体は十分察せるものだけれど」
 一陣の寒風が湿地のライ麦畑を吹き抜けた。全身を冬毛のように膨らませて、ジュナイパーはぶるぶると震えながら、さっきから畑の外側でカサカサと動き回っているパラセクトの気配を感じた。背中のキノコに精神を乗っ取られた虫は、時代が変わったことにも一向頓着せずにかしゃかしゃと喚いていた。おそらく、稲穂とライ麦の区別だってろくについていないのだろう。
「ただ、もっと時間が欲しい、と彼女は事あるごと言っていたな。もっとあの方と過ごす時間があれば、とかね。なんだかとても切実な様子だった。何だろうな、ただ好きな相手と睦むだけではない、そんなことよりもっと大切な何かを抱えているみたいだった。結局それだけは教えてもらえずじまいだったさ」
「……」
「けど、恐らくは君がその呪わしい身を厭わずにここに現れる理由、彼女の思いと何か関係があるのだろうね」
 ダークライは意を決したように立ち上がった。黒雲のような胴体から、か細い脚を曝け出し、ちょんと地べたに接した。
「……あいつとの約束を果たさなければならない」
「それが、ダークライである君がここにいる理由か」
「話すと長くなるが」
 ジュナイパーは夜空を見上げた。大気は澄み、くっきりと星々が輝いている。月の見えぬことを置いても清々しい夜更けの空である。
「日の出までは時間がある。問わず語りといこうよ」
 ジュナイパーは両翼を閉じてしかと直立し、話に耳を傾けることにした。ライ麦畑がそよと揺れた。ダークライは風になびく白髪のような頭部をさらと撫でさすりながら、時の糸を手繰り寄せるように語り始めた。
「……天冠山脈の頂上に現れたおかしな歪みが消え去ってだいぶ経った頃だ。だが、天が割れていようがなかろうが、元より俺には関係のないことだった。俺は遥か昔から、この忌まわしい悪夢をばら撒きながらヒスイの各地を彷徨っていたのだから。月が地上から完全に見えなくなるほんの僅かな間しかこの世に浮上していることはできなかったが、それでもヒトの世の趨勢というものはよくわかった。ヒトは群れを成し、些細なことで二組に分かれ、血みどろの争いをしていた。傍目から見れば愚かには違いない。しかし、不思議と滅びることもなかった。そうして悲しみと喜びを共に背負いながらも楽観というものを忘れず連綿と続くヒトの営みを尻目に、俺はあてどもない彷徨を続けていた。だからこの土地に来たのも何という理由もなかった。恐らくは何度も来たことがあったのだろうが、それ故に何も印象に残っていない。どうせ長くいるつもりもなかった。ひと時でも滞在すれば騒ぎが起こっておちおち過ごしていられなくなるのだから。ただ、その晩は古戦場の辺りだけがやたらに明るかった。俺にもなぜだかわからなかったが、不意にその明かりにつられるように、あの場所に来ていたんだ」
「そこで『クイーン』と出会った」
「あいつはただ一匹、石灯籠に灯された舞台の上で舞い続けていた」
 月の見えぬ空を陶然と見上げながら、ダークライは言葉を継いだ。
「ほのかに赤らんだ片脚をしなやかに伸ばしながら軽やかに、独楽よりもずっと自由自在に、緩やかに、急に、そうやってくるくると華奢な身体を回転させていた。突然、時が止まったかのように、あいつは動きを止めると、今度は舞台上がまるで純白の凍土であるかのように滑り始め、縦横自在に、何ものにも縛られず、地からも天からも自由であるかの如くに堂々とした身のこなしで舞い続けていたのを俺は見たのだ」
 ダークライは顔を上げ、今は誰とても足を踏み入れることも無くなった古戦場の方向を見遣った。沼地を徘徊するコダックは自分が見られているものと勘違いして、ライ麦畑を見つめ、悩ましい首を傾げた。
「そこまでを見届けて俺はこっそりと立ち去っていれば良かったのかもしれない。そうするべきだったのかもしれない。だが俺は立ち去る瞬間を逃し続け、次は次はとグズグズしているうちに、いきなり背後から手押しされたように変にどぎまぎしてしまった。物音に気付いたあいつはぴたりと動作を止めて、俺の姿を認めた。それが出会いだった」
「悪くない出会い方だ」
「馬鹿にしてないだろうな?」
 緞帳のような闇が再びまとわりつこうとしたので、ジュナイパーは肩をそびやかした。闇は天女の黒髪のようにそっと梟の顔面を撫ぜると、夜分の空気に溶け込んで消える。
「とんでもない」
 ジュナイパーは首を振った。
「……''そこにいるのは誰''、とあいつは聞いた。俺は俺自身が影のようなものであるにもかかわらず、影踏をされたかのように一歩たりとも動くことができず、棒立ちになってしまっていた。そうしているうちにあいつは鮮やかな足取りを取って、あっという間に俺の目の前にすらりと立って、じっと俺の瞳を見据えていたんだ。今となっては俺にも何があったのかはわからないが、ただ生まれて——しかしいつ生まれたのかだって俺にはもはやわからない、たぶんお前の持つその笛が呼び出すあの創世神が光と闇を生み出した瞬間からかもしれない——生まれてこの方誰かにじっと俺の顔を見つめられたことがなかったせいで、余計に強く意識してしまったからかもしれないが、あいつはどうしようもなく、顔を胴に埋めることさえできずに固まっている俺に向かって、''踊りを見ていたの''、と訊いた。それは当たらずとも遠からずといった程度のことだったが、俺はつい頷き、''じゃあ''、とあいつが微笑みながら俺の忌わしい両手を優しく掴み、俺は咄嗟に振り払おうとしてとうとうできなかった。''一緒に踊らない''、とあいつが可憐な振る舞いで俺を舞台上に引っ張ってしまった時、俺は無性に胸が熱くなったのを覚えている。最初はこんなことをさせられる恥ずかしさからだと思ったが、それだけではないようだった。俺の心の奥底で飢えていたものがほのかに暖かくなっていく感じ、後から考えればそういう風に考えられたし、実際俺は瞬く間にあいつの瞳を覗き込みながら——初めての感情を抱いてしまったのだろう」
 ダークライの白髪が炎のようにちろちろと揺らめいた。
「俺は新月の晩のたび、舞台の戦場を訪ねるようになっていた。俺の無意志が俺をその場に立たせていたとでも言えばよいのだろうか。その度、あいつはいつも寝静まった古戦場の舞台で踊っていた。誰に見せるでもなく、誰の喝采も崇拝を求めるでもなく、ただ身体の求める本能のままに清らかに踊っていることが、好ましく、羨ましいと思えた。あいつは俺に気づけば、''いらっしゃい''と微笑みながら、手を差し伸べてくれた。俺はそわそわとしながらも、あいつに誘われるがままに舞台に上がり、あいつとともに舞った。もちろん長らく生きさらばえて来たとはいっても、踊りなど不得手だから足手まといにしかならないが、不器用な歩調で俺は必死に、だがあいつの鷹揚な笑顔に絆されるようにして、あの華麗な動きについていこうとしたものだ。疲れ切って、すっかり息の上がった俺の身を優しく介抱しながら、あいつは嬉しげだった。身体を休めがてら語らえば、あいつは俺についてあれやこれやと質問した。屈託も何もなく、俺の異様な形を見て訝しむことすらなかったが、俺はいつまでも素性を隠していることもできなくないと観念した。ああ、洗いざらい正体を打ち明けてやったさ。もしかしたら、それを知って失望したあいつが俺から自然と距離を置いてくれるかもしれないとも思っていた。俺は自分の感情に反して、これを俺にヘドロのようにまとわりつく厄介事であると考えようとしていたが、所詮そんなものに意味はなかった。あいつはその程度のことで手のひらを返すような輩では全然なかった。''孤独なのね''、とあいつは言い、''私、そういう方好きよ''、とまであいつは言ってのけたから俺は呆気に取られた。そうしたらいきなりあいつは俺の身体を引き寄せ、気がつけば抱擁を交わすような体勢になっていたのだった」
「なんだか、君って押しには弱いんだね」
「もう一度悪夢を浴びせてやろうか?」
「同じ事さ」
 ふん、と肩を怒らせながら、ダークライは言葉を継いだ。
「俺とあいつはそのまま古戦場で新月の夜を明かしてしまった。俺は忍びなくてこっそりとそこを離れようとしても、あいつの手がそれこそ蔦のように絡みついて離さない。悶々としているうちに、俺の頭上に粉が舞った。用意周到なヤツだった。俺は眠気に囚われて微睡んでいるうちに朝になり、目を覚ましてハッとした俺の方がひどい悪夢を見たかの有様だ。あいつは周章狼狽する俺の騒ぎようで目を覚まし、しかも、優雅に欠伸をした。何も見なかったのか、とあいつの肩を揺すったが、あいつはただくすりと笑って、''いいの、どんな夢だろうが必ずあなたがそこにいるんだから''、と言ったんだ」
 パラセクトがのたうち回る音がここまで聞こえてきた。ダークライが振り撒いた闇によって、恐らくはドクケイルに食い散らかされる正夢を見ているのだろう、とジュナイパーは思った。
「懇ろになった俺たちはそうして月に一度、舞台の戦場で会うことにしていた。手に手をとって踊り、それから共寝する、たったそれだけのことだけで、生というのがここまで輝かしく思えてくるのは不思議なことだった。もう数えることもよしてしまったが、それまでの俺の生きてきた時間全てが滑稽に思えた。この世の裏側で延々と創世神への呪詛を吐き続けているギラティナに自慢してやりたいとさえ感じた」
 月の見えぬ夜空を見上げ、ダークライは口元を綻ばせたが、すぐにきつく引き締め直した。
「だが、『夜明け』から長い時を経たヒスイは俺が月の一巡の間に悶々としているうちに目まぐるしく移ろっていくものだった。ひと月、またひと月と来るたび古戦場の辺りは荒れ果て、ヒトの気配も失せていた。かつてここに住み、あいつを崇めた者たちは時の流れと共に掻き消えていったものらしい。ただ舞台上だけはあいつが毎晩舞い続けていたおかげで草の一つも生えなかったが、それもまるで迫り来る芒の中にあっては陸の孤島のようにも、何かを必死に守ろうとする最後の砦のようでもあった。その頃になって俺はあいつが愉しみのために舞っているのではなく、もっと大きな、大いなるもののために舞い続けているのだということを知った」
「僕が会ったのもその頃の『クイーン』だった」
 ジュナイパーは呼応するように言った。
「何十回とその踊りに付き合っているうちに、俺の動きも見てくれは良くなってきた。あいつの動きが理解できるようになったし、あいつの呼吸も手にとるようにわかってきたんだ。''あと一息ね''、とあいつはつぶやいた。何をと訝しんでいれば、そのまま俺のことを祭壇の上に寝そべらせて手に口を当てて笑うばかりだった。何はともあれ、俺にとって最良の時期だったと言える」
 ジュナイパーは嘴笛を吹いた。ダークライの瞳が青白く光ったのでさっと目を逸らした。
「ある時、あいつは舞台の上でしどけなく寝そべり、何度もあくびをしながら俺に語りかけたことがあった。''ねえ、起きてる?'' あいつの手は白雲のようにたなびく俺の頭を梳かすように掻き撫でていた。俺はその感触がくすぐったくて体をぴくりとさせていたのだから、訊かなくとも俺が起きていることなどわかっていたのだろう、そのままあいつは語り続けた。''お願いがあるの''、物思いに沈んだような様子であいつはそう言った。俺は絆されたニャルマーのように喉を鳴らしながらあいつの言葉に耳を傾けていたが、''もし私が死んだら''——その瞬間、俺はすかさず姿勢を変えて、あいつと向き合った。あいつは優しく微笑んで見せたが、そこには冗談を取り繕うような振る舞いは微塵も見出すことができなかった。''ねえ、もし私が死んだらして欲しいことがあるの。''俺の顔があまりにも真面目すぎたのが可笑しかったのか、あいつは全身を丸めて笑いを堪えた。あいつが何を言おうとしているのかその時の俺にはわからず、ただ呆気に取られながら、身を捩らせて腰の辺りをぶるぶると震わせているあいつの様子を見て困惑するばかりだったが、あいつは気を取り直して俺のことをしかと見据えると、眼差しは真剣そのもので、俺はその場で金縛りを喰らったかのように身動きができないほどで、『クイーン』たるあいつの覇気というものをまざまざと感じ取ったのだったが、あいつは言ったんだ、''私が死んだら、ここからずっと麓にある、綺麗な金色の平野の下に私を埋めて欲しいの''、そんなことを言い、キョトンとしている俺の腕を存在を確かめるかのように掴んだ。''雲海峠に降りたときに何度か見下ろしたきりだけど、太陽に照らされると息を呑むほど美しいところなのよ''、と言い、''一緒に見ることができないのは本当に残念ね''、と嘆息した。俺は闇でしか生きられぬ性質だから、あいつが言う本当に美しい光景というのを目に焼き付けることはできそうもなかったんだ。
「……死ぬ時は『クイーン』ではなく一匹のドレディアとして眠りにつくことを彼女は望んだ」
「だが、あいつのお願いはただ単にその稲穂に遺体を埋めてほしいというだけではなかった。''そしたらね''——あいつは立ちすくんで金色の平野と呼ばれる一帯、しかし今は何もかもが宵闇に包まれている場所を見つめている俺の頬を優しくつつき、おどおどと振り向いた俺にしてやったりと笑うんだった——''踊ってほしいの、私が眠る稲穂の、その上で''、そうあいつは俺に頼んだんだ。俺はあいつの言わんとすることをよく飲み込めてはいなかったが、あの静かに輝く宝石のような瞳の得も言われぬ輝きに、ただ頷くしかなかった。よくわからんが、約束しようと俺は言った。あいつは何も言わずにっこりと頷き返し、俺たちは黙り合った。それから、また長い間俺たちは変わりゆくヒスイの地で共に過ごし、踊りながら、この時が永遠に続くものだと錯覚していた」
「ゆく河の流れは絶えずして。何もかもそういうものだろう」
「あの新月の晩もやたらと空気が澄んで冷えていたのを俺は覚えている」
 懐かしむように夜空を見渡しながら、ダークライは回顧する。
「古戦場がやけに騒がしかったから、俺は気が逸った。飛んで行って見れば、舞台の回りをならず者どもが取り囲んでいた。神聖な舞の舞台があたかも土俵にでもなったかのようだった。連中は好き勝手にそこに上がっては取っ組み合いをし、穢らわしい砂埃を上げながら、狂ったように騒いでいた。俺は闇に溶けてそいつらを見下ろしながら、血眼になって視線を彷徨わせてあいつを探したが、どこにもあいつの姿はなかった。俺はふと、舞台の裏手にある峻厳な崖に目を留めた。あの古戦場は湿地の高台に設られた場所で、その周囲には深い谷間が広がっているのはお前も知ってるだろうが、あの時の俺は首を横に振りながら血の気が引く思いでいた。お願いだ、そんな場所にはいないでくれ、頼むから、と必死に願いながら俺は断崖の上空を飛んだ」
 黒く細い腕を震わせながらダークライは俯く。何度でもあの悪夢的な瞬間に陥った感情を再現できるかのようである。
「無論、あいつはそこに倒れていたんだ。忘れもしない、崖下に生える広葉樹の根本にあいつは打ち捨てられていたんだ。散々嬲られ、凌辱もされたんだろう、そうしてボロ切れのように切り立った崖から突き落とされた、というよりも放り投げられたに違いない、まるで酔っ払いどもの余興の一つででもあるかのように、あいつは軽々と舞台から転落させられ……雄の屑どもの聞くに堪えない乱痴気騒ぎを意識から遠ざけようとしながら、俺はうつ伏せに、不自然な姿勢でくずおれていたあいつを抱き起こした。俺は叫んだが、後景の騒音にすぐかき消されてしまう。思えば俺が腹の底より叫んだことなどこの一度きりだった。だがそんなことも考えず、俺はあいつが意識を醒ますまでずっと呼びかけ続けていたんだ。やっとだった、あいつが微かに頸をもたげ、重たげな眼を開いてくれたのは。あいつの口元が何かを伝えようとしてもぞもぞと動くのを俺は制した。言われなくとも俺には全てがわかったと思った、あいつの鮮やかな舞の動きが理解できるのと同様に。馬鹿どもはずっと騒ぎ続けていた。俺は怒りに打ち震えたまま辺りに闇を撒き散らかした、瞬く間に一帯は静まり返った。それからすぐに阿鼻叫喚が始まった。高台にこんもりと山を成していた連中はおしなべて発狂し、雨のように谷間へと落ちていくのを見届けてから、あいつを介抱した俺は、この悍ましい、穢された祭壇を離れた。全身が熱り立った感情で震え上がっていた。新月の晩にしか姿を現すことのできぬ俺の身が悔しくてならなかった。いや、せめてもう少し早く来ることができれば、と考えれば考えるほどに無力感ばかりが募っていく。月の一巡する間、あいつはただ舞い続けているだけではなく、そうした時代という激流を何とか凌ごうと闘い続けていたのに、俺は何もしてやることができなかった。もはや誰も『キング』も『クイーン』のことも崇めぬ時代の宿命に対して、畢竟俺は傍観者でしかなかったのだ」
 ライ麦畑の上空をゴースの撒き散らしたガスが棚引いていくのにダークライは気を取られた。ジュナイパーもつられてその紫雲の風に流されていくのを見つめた。
「俺の腕にもあいつの身体は軽かった、それこそここいらを漂うゴースのように、あいつの存在が希薄になっているのが伝わり胸の動悸が止まらなかった。ほとんど永久の命を与えられたような俺が感じるはずがない身を引き裂かれるような苦痛というのを、俺はこの時感じたように思った。忌々しい場所からなるべく遠く離れたところへ俺は夢中になって飛んだ。山を一つ越えたところで、眼下に鮮やかな黄金色の稲穂が目についたのはその時だった」
 ジュナイパーは今では一面のライ麦畑となったこの場所を見回し、ほうと息を吐いた。
「俺たちは誰の目にもつかないように奥へ掻き分け、あいつをそっと横に寝かせた。もう虫の息だった。古戦場から抜け出したとはいえ、俺があいつにしてやれることはもう何一つとしてないのだった。あいつは微かに何か言葉を漏らそうとしていたが、辺りを駆けずり回るパラスやパラセクトどもの金切り声が何度もそれを邪魔しやがった。俺は傷ついたあいつの姿をまじまじと見つめながら、とても口を開くことができなかった。ぐっと口を閉じていなければ、喉元まで込み上げてきている感情が堰を切って溢れてしまいそうだったし、何より俺の涙であいつの姿がボヤけるのもイヤだったし、あいつの声が余計に聞こえなくなってしまうのもゴメンだった。俺にしてやれるのは、ただ静かに最期の時間を共有することだけだったのに、肝心なときに俺はひどく不器用なのだ。かけてやるべき言葉を言えなかったし、するべき抱擁を交わすこともできなかった。俺はこれから起こる全てに慄然とし、ただ着実に死にゆくあいつを前に呆然としているほかなかった。残された時間が少なければ少ないほど、頭の回転が早くなるとは言うが俺は逆に、何も考えることができなくなってしまっていた。もう刻一刻とその瞬間は近づいているとわかっているにもかかわらず、情けないことに、俺は……」
 ダークライは言葉に詰まり、しばし風にそよぐライ麦の擦れ合う音に耳を澄ませた。さっきから騒いでいたパラセクトの悶絶がはたと途絶えたことにジュナイパーはいま気がついた。
「あいつは俺に声をかけた。その言葉を聞き取るに俺はまごついてしまうくらいには、幻のように微かな声だったんだ。今思えば、その声を聞くことができたのは何かの奇跡だったかもしれなかった。その言葉によって、俺はこうして今の今までこの場所に、ずっと呪縛霊のように縛られることにもなってしまったのだが、あいつは俺にこんなことを囁いたんだ、''来てくれて嬉しかった、最期に''——馬鹿なことを言うな、と俺は力なく口に出しそうになってやめた——''一緒にいることができて本当に良かった''と。確かにあの雄の屑どもがよりにもよって新月の夜にあのような蛮行を犯さなければ、俺とあいつの別れはもっと悲惨なものになっていたに違いなく、九相図のような見るも無惨な姿になったあいつと俺は対面することになっただろう。それを思えば、不幸中の幸い、などという言葉も安っぽかったが、確かに不思議な巡り合わせではあったんだ。俺の視界は馬鹿げたことに涙のせいで視界がぼやけ始めていたが、拭っても拭ってもすぐに溢れ出すものが俺の意思を邪魔していたが、俺はあいつのことをきっと見据え、あいつの発する全ての音を耳に留めようとした。''そんな怖い顔をしないで''、命が着実に尽きようとしているのにもかかわらず、あいつは笑顔を浮かべて俺をたしなめ、俺の頬を伝っていた涙にそっと手を伸ばし、それが今となってはあいつには何の足しにもならないだろうに、まるで恵みに与ったように嬉しそうだった。あいつは小さく泡立つ音を立てながら笑い、そして言った、''約束したこと、覚えててくれたのね''。だが俺はその瞬間にようやっとあの晩のことを思い出していたのだった。無意識でか、あの晩あいつと約束したその土地に、まさしくあいつが最期を迎える瞬間に辿り着いてしまっていたことを、あいつは俺が約束を忠実に守ってくれる証と受け止めて安心したようだった。俺は思わず、あっ、と言葉を漏らしていた。あいつは精一杯に呼吸し、''大丈夫よ''、と揶揄った、''心の準備ができるまで私はいつまでも待っているわ''、そこまで言い切ってあいつは肺の中の空気を出し切った、するとあいつの体から何か本質的なものが抜け出てしまったかのように、また一段と軽くなった。ハッとして俺があいつの体を必死に揺さぶった時にはもう遅かったんだ、あいつの目から光が消え、ゆっくりと閉じられると、いきなり首ががくりと横に傾いた、あいつはそれっきり動かなくなってしまった、そこにいるのはあいつではなく、あいつの抜け殻だということを受け入れるまで随分と時間がかかってしまったが、俺は悲しみに暮れるよりも先にあいつとの約束を守らなければならないことに気づいた。空を見上げれば、夜更けは間も無く過ぎようとしていた。俺は気が気がでなくなり、あいつの屍の傍の土をしゃにむに掘り返し、悲しみすらもその時は忘れ、ただ一心に土を掻くのに全ての精神を集中させていた。湿地の土壌は柔らかく、日の出前に何とか一匹は収まるような穴を掘ることができた俺は、その間ずっと横たわっていたあいつの横に寝そべり、もう動かなくなった頸に腕を絡め、ただ冷たい感触しかしないとわかりきっていながらも、長いようで短かったあの至上の時に溜め込んだ思いを全て吐露するように接吻をし、それからあいつを埋めてやったんだ」
 ダークライの話に同情してか、それともせせら笑ってか、ライ麦がまたひとしお揺れて音を立てた。その音を制するように、ジュナイパーは大きなくしゃみをすると、俄に辺りは静まり返った。
「だが、それから長いこと俺はこの場所へ戻ることができなかった。約束は簡単だった、あいつの亡骸を埋めたまさにその場所で、あいつの言った通りに踊ってやれば良かった。ただ、それは俺にとって極めて困難なことでもあった。まず、あいつを失った俺の悲しみは月が何巡しようとも消えることがないのが問題だった。時は悲しみを癒すものだと俗人は言うが、切り取られた体の一部がいつまで経っても蘇ることがないのと同様に、あいつの喪失は俺が想像していた以上に心を抉られる辛い経験だということが月を経るごとにいやというほどわかってきたんだ。夜空から月が消えると同時に煙のように俺の存在が沸き立つ度、俺は一晩泣き暮らすだけで時間を無駄にしてしまう、そんなことを繰り返していくうちに、俺の悲しみは燻され、そうしていっそう濃く、苦々しいものに変じていってしまった。あいつが永遠に眠っているあの場所で、俺はどうやって踊ればいいんだ? もちろん、あいつの言わんとすることはわかる、今は見る影もないあの古戦場であいつと一緒に踊ったような、照れ臭くも熱っぽい踊りをすればいい。あの言葉はいまだに謎めいてはいるが、それであいつが満足してくれるのなら、俺はこの義務を果たさないといけないことはわかっていた。だが今度こそはと意気揚々と紅蓮の湿地に現れ出たとしても、そこで俺の心は萎えてしまうのだった、あの場所へと近づくたび、忌わしい新月の夜にぼれ切れ同然になったあいつの体を抱えていた時のような激しい動悸がし始め、喉が勝手にひくひくと痙攣し、目頭が熱くなり、視界が朦朧としてくるんだ、まるであの時抱いた感情をそのまま再生するかのように。こんな有り様だからあのライ麦畑に足を踏み入れるまでにも随分と年を食ってしまった。同時に歩みを止めたものに対するディアルガ様の残酷さを痛感させられることにもなった。いつしかここも随分と人気が増え賑やかになっていたが、あいつがいた場所はもはや忘れられつつあったし、そこに近づく気にもならなかった、そこでは何も偲ぶこともできないだろうし、あいつとの約束を果たす気持ちがますます失せてしまうに違いなかった。ようやく、あいつが眠る場所のすぐそばに立つことができるようになった頃には、自生していた稲穂は背の高いライ麦に植え替わっていた。あの時に比べれば見た目は変わったが、ずっと綺麗で、美しい景色で、この土の下で眠るあいつの恵みか何かが土壌に働いたのではないかとさえ思った。だが、今度はその中へ分け入るために、まるで火吹き島のマグマに足を入れるかのような勇気が要った。ライ麦がそよりと揺れるたびに俺は誰かに見られているのではないかと思い、慌ててその場を立ち去ったし、ライ麦の穂が俺の身をくすぐるのも堪え難かった、まるで何もかもが俺が果たそうとする約束を馬鹿げたものと嘲っているかに思え、俺はそれに対して決然と反論するまでの度胸さえ持たず、ただまた一つ新月の晩を無駄にするのだった。死ぬことができればどれほど素晴らしいことかと何度も思った。俺はあいつのために悼むというよりはいつまでもあいつと共に眠ることの方を望みたかった。だが、死すら慰めにもならぬ身の上であるからには、俺はあいつがもう永遠に俺のそばにはいないのだという苦しみを背負っていかなければならなかった」
「なげきつつひとりぬる夜のあくるまはいかに久しきものとかはしる、か」
 不意に古歌を口ずさんだジュナイパーにダークライは視線を向けた。
「貴様は死のうとしたことはあるのか?」
「青かった頃に何度か腹を切ろうとしたことはあったけどね」
「意外だな」
「でも死ねないんだよ、これが」
 ジュナイパーは苦笑いしながら一気に息を吐き出した。
「自分の力で死ぬのは思いのほかシンドイ、これはホントの話」
「だから、今の今まで生きさらばえているわけか」
「ディアルガ様のまにまに、かな。それに」
 そうして白い羽毛に覆われた胸を誇るようにひとしきり膨らませてみせる。
「大切な相手が今もどこかで生きているかもしれない、って考えると死ぬのはまた今度にしようって思ってしまう。堂々巡りだ、そう考えれば僕も君とさして変わらない」
「どういうことだ」
「今は関係ない話だよ」
 ジュナイパーの片翼が宙を切った。
「つまりね、何というか……死んで楽になるか、生きて悲しみと戦うか、的な……僕は僕の心で感じたままに物語を動かしてる……みたいな」
「随分と芝居がかった言葉だ」
「とにかく、話を続けよう。で、いろいろ葛藤があって、6つ前の新月になって君はようやくこの場所に立つことができた」
 ダークライは首を振り、風にそよぐライ麦の穂先を見つめながら言葉を継いだ。
「ようやっとここに足を踏み入れてみればなんと呆気ないことかと思わされる。俺の記憶と感覚は、稲穂がライ麦に変わろうともあいつが眠る場所を知っていた。他の奴らには何の変哲もないように見えるだろうが、俺が散々嘆き、己が身を呪った場所であるからには、その目に見える痕跡というものを察知することは何でもないことだった。俺はあいつの謎めいた、だがあいつらしいとも思えるあの願いを思い起こした。その時からどれだけの時が流れたものか、俺はいつしか数えるのも止していたからわからなくなっていたのだが、あいつは死の間際、ここで踊れと言った。俺は今はライ麦畑になったこの場所でそのことについて考えた、古戦場でうっかりあいつの舞に見惚れ、ほんの少し立ち尽くしてしまったことからこんな因果になろうとはな」
 揺れる穂先を指に絡めながら俯き、乾いた笑いをしてみせた。ほう、と息を吐いてからジュナイパーは問いかけた。
「まだ踊れないのか」
「俺はどうすればいい?」
 翡翠色の眼光がジュナイパーに向けられた。
「ああ、もちろん踊ることはできるだろう。俺の体は覚えているさ、舞台の戦場であいつと幾つもの夜を踊って明かしたのだからな。ただ」
「ただ?」
「どうしても身が入らぬのだ」
「ふうむ」
「あいつのために踊るからには、ただ踊るだけでは済まされない。この土の下で眠るあいつだけではなく、俺自身もまた心から満たされるものでなければ、そんなものは木のてっぺんで戯れるヒコザルの曲芸遊びにも及ばない。この場所に佇んでいると早くあいつの願いを果たさんとなおさらそのことが意識され、過ぎ去ったことを回顧して心が掻き乱されるような思いになるばかりだったが、このビッパの堰堤が決壊したように溢れ出てくる感情を俺はどう昇華させればいいのか一向自信が湧かなかった。踊らねばと考えど手足は急に麻痺したように動かず、俺の全身は弱々しくカタカタと震え、俺は何度も何度もあいつの今際の際の言葉を頭の内に繰り返して自己を鼓舞しようとしても駄目だった。俺はあいつの約束も守れぬ馬鹿者だと俺自身を罵り、あるいはあいつもまた妙なことを言って逝くものだと腐したくなるような気分にもなり、そうやって愚図愚図しながら一つまた一つと虚しく新月が過ぎていく……」
 夜更けを過ぎた夜空には明瞭に輝く星々が眩かった。夢から覚めたようにダークライははっとして身震いをした。
「今宵も、また、どういうわけか、貴様につまらぬ身の上話などして、時間を無下にしてしまった」
 そう苦々しく呟くと、首を横に振った。
「一体俺は何をしているのだろうな。何もせず、何も出来ず、この場所に立ち尽くして、何処へも行けぬ」
 ライ麦を踏み分ける音がすると、先ほどからダークライの話に耳を傾けていたジュナイパーが真正面に立っていた。
「僕が思うに、難しく考えることもないと思うんだ」
 首を軽く傾げながらダークライの顔を凝視する。間近でその顔を見せつけられると、真剣なのか、戯けているのかも見透かせなかった。
「君は『クイーン』のために、『クイーン』を心に思って踊ればいいんだ。君が抱えたあらゆる華やかな感情、黒々とした情念、そうしたものを吐き出すように、絞り出すように、浄化するように、精神と身体が命ずるままに」
「容易く言うものだ」
 ダークライは嘲りの視線を向ける。
「それが出来ぬというから……」
 しかし、ジュナイパーの顔からは怖気付くような気配もなく、前言を撤回するような風でもなかった。絶対的な眼差しで見据えられると、思わず身を仰け反らせたのはダークライの側であった。
「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」
 ジュナイパーがより顔を近づけてくるのに、ダークライはぎょっとし、背後のライ麦をまるで壁か何かででもあるかのようにさすった。
「なら、いいさ。助太刀をしよう。手本を見せてあげる」
 俄にジュナイパーは矢羽で宙を斬るように背を向け、両脚を大きく広げてしかと爪で地を掴むと、満点の星空を見上げ、輪のような白い息を吐き出した。
&size(30){「てーん〜ごくぅ〜じゃあなぁくぅて〜も〜ぅ! らーく〜えんじゃっなぁくぅて〜も〜ぅ!」};
 喉を引き絞ってその歌を歌いながら両翼を広げ、両脚でライ麦を踏みつけ律動を刻みながら、何かに取り憑かれたかのように踊り始めたジュナイパーに、ダークライは目を点にした。
「貴様いきなり何をして……」
&size(30){「あな〜たにあーえたしあ〜わっせ〜!」};
「気でも狂ったか!」
&size(30){「かんじて〜!」};
「おい! おい!」
&size(30){「かぜにぃ〜なりぃ〜たい〜!」};
 ダークライの呼びかけに構わず、ジュナイパーは歩調を踏み続けた。なおも調子外れの歌をがなりながら、力強く振るった翼でライ麦を薙ぎ倒し、全身の筋肉を緊張させて激しく体を揺り動かし続けた。まるで彼にしか聞こえぬ旋律や、笛の響きや太鼓の鼓動があるかのように、その幻聴の織りなす律動を身体に刻みながら舞踏する神がかった姿に気圧されて、ただ唖然としているばかりであったが、ジュナイパーはもはやそんなことを意識するでもなく、羽根を振りみだしながら、汗や唾を撒き散らしながら、はちきれんばかりの肉体から生命をしとどに迸らせている。まるで星を掴もうとするかのように力強く両翼を広げ、

 &size(30){うま〜れてきぃたこ〜とを〜ぅ! しーあ〜わっせにい〜っか〜んじ〜る〜ぅ!};

 &size(30){かあっこわる〜くたあってい〜い〜! あ〜なた〜と〜! かぜにぃ〜なりぃ〜たい〜!};

 &size(30){かぜにぃ〜かぜにぃ〜なりぃ〜たい〜!…………};

 ジュナイパーは一頻り絶唱するとぽんと垂直に跳び上がり、ライ麦の穂が砂煙のように立つ中に着地した。そして、はっ! と嘴を大きく開いて絶叫すると、大の字になった体はそのまま魂の抜けたように後ろへ音立てて倒れた。それでもなお律動に任せて脚をじたばたと動かし、ごろごろとライ麦畑の中を転がりながら精力の尽き果てるまで身を捩らせている。
「一体、何なのだ、これはっ!」
 ようやく奇怪な踊り手が落ち着いたのでそばに近づいたダークライに、ジュナイパーは疲れを滲ませながらも自信たっぷりの表情を見せつけた。
「見ただろう。踊るなんて簡単なことなんだから」
「違う、俺が言っているのは」
「そんなことはどうでもいいっ!」
 ぴしゃりとした言葉がダークライを黙らせた。まるでいきなり頬を打たれたかのように、呆然としているところにジュナイパーはさらに畳み掛けた。
「君もっ、ライ麦畑で、踊れっ!」
 そう力の限り怒鳴ると、横たわったまま懐から得も言われぬ笛を取り出し、がむしゃらに吹いた。ともかく何かをしなければならない、何かを表現しなければならないという狂気のような思いに駆られ、あのこの世のものとも思われぬ音で、聞いたこともないような旋律を奏でた。その音色は呆然と立ち尽くすダークライを煽り立てるようで、まるで地の底にあるもの、地の果てにあるものを招来するようなおどろおどろしい迫力をもって、それこそダークライが否応なしに有する悪夢の世界へと引き摺り込む大いなる闇よりも、かつてこの地方に現れた時空にヒビよりももっと大きく、深く、二匹が佇むライ麦畑一帯を覆っていた。
 ダークライの細く儚い腕が小刻みに震え、両拳をキツく握りしめた。この闖入者同然のジュナイパーの腑抜けた面を張り倒してやりたいという気持ちが込み上げてくる一方で、そんなことが矮小になってくるほどに、現に『クイーン』が眠っているこのライ麦畑に刻まれた不躾な痕跡を塗り替えてやらねばならぬという強烈な使命感が噴き出して落ち着かない気持ちになった。ジュナイパーが時に調子はずれで、不協和音になるがただひたすらに衝動的な感情を音に託しているさまを見て、馬鹿者とも下手物とも思った。だが、そんな相手を前にしてまるで世界を一瞬でぐるりと回るかのようにダークライの思考は煮え繰り返り、記憶の中にある過去も現在も未来も混濁して時の区別を失ったかのようになり、己の永遠かと思われた孤独も、『クイーン』と馴れ初めた恥じらいと喜びと、死に別れた悲しみと、またしても永遠に続くかと感じられる虚脱感が一挙に溢れ出し、もはや理性で考えることも抑えつけることも困難に思えてきた。ただ俄にダークライの使命感としか言いようのない感情が一気に怒張し、これまで散々遺言を執行することを拒んできた心に瞬く間にヒビを開けたかと思った途端、何もかもが打ち砕けたのだった。
 ダークライは踊った。
 彼があいつと呼び続けた『クイーン』の眠る土地の上で、細い脚を曝け出し、ふうと息を吐き軽やかに手を横に広げ膝を優しく曲げて礼をすると、片脚立ちになりくるくるとゆっくり回った。目を瞑り忽然たる顔付きで心もち首をもたげると、白髪のような頭が風にたなびいて帆のように揺らめく。ふと、回転を止めた途端に腕の力を抜いた。軛より解き放たれたレントラーのようにダークライはライ麦畑を颯爽と駆ける様は、毒素のように溜まっていた思いを全身を漲らせて表現し、放散しているかのようだった。荒々しく、だが繊細な身振りで、まるで伸ばした手の先に『クイーン』がいるかのような輪舞に、華麗に脚を開いてライ麦の丈よりも何度も高く宙に跳ぶ様は思いがけず優雅だった。そして、そのまま膝立ちになって、疱瘡患者が身悶えするように手脚を月の見えぬ空へと差し出す姿に情念が滲んでいた。
 ダークライの一連の動作は一篇の詩となり、クイーンとの甘美な日々と残酷な別れの全てを緊張し、弛緩した肉体の中に表現したのだった。
 万感交々到って舞い踊る姿をジュナイパーは横になりながら目にしかと留めていた。柄にもなく踊り狂った末のじんわりと染みてくる疲労感が眠気を煽り立てていたが、首を揺らし、意識も半ば夢うつつに揺蕩いながら、めくるめく走馬灯のようなダークライの踊りを眺めていると、不意に天上から眩い光の雨が降ったかに見えて、目を細める。顔を見上げたダークライの頭上に何かがふうわりと舞い降りてきているのが確かめられた。光輝くベールをまとったそれは紛れもなく「クイーン」だとジュナイパーは直感した。「クイーン」は長い時を費やしてダークライが約束を果たすのを見届けていたのだ、と感じられた。''ここまで私を待たせるのも、あなたらしいわ''、と「クイーン」が忽然とするダークライの耳元に囁きかけるのが聞こえるかのようだった。
「ほう!」
 そう嘆息し、ダークライとドレディアの手と手が触れ合った瞬間、糸が切れたように、ジュナイパーは深い眠りの中に突き落とされていった——


 目を開ければ、もう日の出前であった。はたと体を起こすと、ダークライは背中を向け、これから日の昇ろうとする辺りを眺めて立ち尽くしていた。
「やあ」
 気さくな挨拶を交わすと、影のような背中がぴくと振れた。
「その様子だと、ばっちし踊れたみたいだね」
「……」
「せっかくだからちゃんと見たかったけど、張り切りすぎてしまったね」
「これは見せ物なんかじゃない」
 ダークライはなおも振り向かずに言った。
「あいつとの約束だったんだ」
「ふうん……」
「貴様も随分余計なことをしてくれた」
 苦々しく言うダークライの言うことを聞いて、ジュナイパーはほくそ笑む。
「どうして笑う」
「けど、こんなことでもしないと君は踊らないだろ」
「何が言いたい」
「君って、押しに弱いからさ」
 思わずダークライが振り向くと、ジュナイパーは両翼に顔を埋めてくつくつと笑いを堪えていた。拳を握りかけたが、馬鹿らしくてすぐに力を緩めた。東へと向き替えると、既に日暈が空にはみ出していた。ゆっくりと己の存在がまた暫く消える感覚がし始めていた。
「君はこれからどうするんだい」
 いつの間にか翼から顔を出したジュナイパーが、ダークライの背中に問いかけた。
「……この場所にもう未練はない」
 明けゆく空を見据えながらダークライは言った。
「もうここに執着せずとも、あいつの存在を感じることができる。いい場所を探そう、なるべく誰も害さず、誰にも害されないようなところへ行きたいと思っている」
「老兵は死なず、ただ消え去るのみ、か」
 ライ麦畑に冴えた風が吹き渡った。さらさらとライ麦の擦れる爽やかな音とともに、御光がさっと差し込んでくる。ダークライの姿が徐々に透明になっていく。
「貴様、何という名前だった」
「ホールデン・コールフィールド」
「相変わらず、馬鹿げた名前だ」
 まったく馬鹿げている。再び振り返ったダークライは、翡翠色の瞳できっと睨め付けた。
「貴様には礼は言わぬからな」
「別にいいさ」
 ジュナイパーは全身の羽根を膨らませた。
「君はただ雄としての名誉を果たしたんだ。僕はただ居合わせただけってことにしておこう」
 二匹はしばらく黙り合った。日輪の光はそのうちますます強まった。ダークライの肉体もなおさら希薄になっていった。
「……最後に一つだけ言っておこう」
 脚元からみるみると掻き消え、首の辺りだけが残り霊魂のように浮かんでいるダークライの姿をまじまじと見つめる。
「貴様はずっと勘違いしていたようだが、俺は雌だ。断じて間違えるな」
 次会うことはもうないだろうが、と付け加えてダークライは消えた。
「…………へ?」
 ジュナイパーは目を丸くして、ただ一匹残されたライ麦畑に立ち尽くしていた。

#hr

「……てなワケでね。これでいいか、小僧」
「だから急に酒盛りみたいに騒がしくなったんだね」
「まあ、百事オーライさ」
「ねえねえ、お兄さん、その、ダークライってヤツに見せた踊り、僕にも見せてよ」
「嫌だね」
「えー」
「あれは寿村でもめでたい時にしか踊らんもんさ」
「全然聞いたことないけどなあ」
「世界は本当に広いんだからな、小僧」
「まあ、いいや!」
 イーブイは満面の笑みを浮かべた。
「お兄さん、とにかく本当にありがとう!」
「素直でよろしい」
「ま、ようやく夜中に震えながら眠らなくって良くなるんだし……お兄さんには何てお礼をすればいいかな」
「礼なんか別にいい」
 ジュナイパーはそっぽを向いた。
「僕はただヤツが義理を果たすのに付き合っただけ」
「ふうん……律儀なんだねえ。ええと、ホールデン、コールデン、どっちだったっけ」
「ホールデン・コールフィールド」
「やっぱりヘンテコな名前! 名付け親も随分適当なことしたんだね」
 ブイブイと騒ぐイーブイをよそに、ジュナイパーはダークライがいたライ麦畑を振り返った。心地よい朝の風が吹き始め、そよそよと麦の擦れ合う音が聞こえていた。いや、もしかしたらまだ——と考えたところで、頬を膨らますイーブイに視線を戻した。
「僕はもう行く。精々元気でな、小僧」
「あ、ちょっと待ってよ!」
 そのまま立ち去ろうとしたジュナイパーの脚を咥えて引き止めた。
「最後に聞きたかったことがあるんだ。昨晩、お兄さんあの化け物の放つ闇を何度も喰らったじゃないか……どんな悪夢を見たの、って聞いてもいい?」
「なんで」
「だって、気になるんだもん」
 可愛げな犬歯を見せつけて笑うイーブイの顔にたじたじになって、ジュナイパーは肩をそびやかした。
「……ませたガキめ」
「で? どんなんだったの?」
「何度も見てるありふれた悪夢だよ。大切な誰かが僕の翼の届かないところへ行ってしまう……それだけさ」
「ふうん」
「じゃあ、僕は本当に行く」
「あっ、お兄さん! 最後に一つだけ言わせて!」
「なんだ!」
「お兄さん、僕のことずっと小僧小僧って言ってたけど、僕、正しくは女の子なんだからね……まったく、そういうの本当気を付けた方がいいからね。じゃねっ、ホールデン・コールフィールドさん!」
「…………へ?」
 嬉しげに集落の方へと駆け出していくイーブイの後ろ姿を見ながら、ジュナイパーはまたしても目を丸くした。

#hr
後書き

[[第十八回短編小説大会>第十八回短編小説大会のお知らせ]]に出すはず……だったものである。
しかし投稿期限は余裕でオーバーするし、書いてくうちに1卍で収められそうもないと悟るにいたり、エントリーを辞退させていただいたのだった。
とはいえ、ある程度のところまでは書いたのだからボツにするのも勿体ないし、だったら投票期間中にしれっと投稿してしまおうと目論んだのであるけれど、また書きあぐね……
結局大会終了後の投稿になりましたとさ

期せずして「大会には間に合わなくとも投稿する精神」を体現したわけでした(まあ、そもそも字数超過(2卍超)してるから出しても失格なんだけれど)。

内容についてですが、自作解説というのは基本的には野暮だと思っているし、本文で伝えられることが全てなのだから、余計なことは差し控えます。
とりあえずお題「らい」に当てはまるものとしては、「ライ麦」「ダークライ」「風来坊」、この辺でしょうか。

物語、というか文章の細かなところに分け入っていくと、次第に全体が見えなくなってくる、迷子のようになる、そんな混乱を感じながらの執筆となった。

いずれにせよこれで昨年の変態選手権に続いて、エントリーからのリタイアになってしまったので、執筆のペース配分やら反省することはしきりです。
ただ、どうしても形にして公開しないではいられなかったので、自棄というか意地を張った結果です。

長い言い分けも見苦しいのでここまで。反省するだけはして、よっしゃつぎいこ!


作品の感想やご指摘はこちら(↓)か[[ツイ垢 >https://twitter.com/GuenGuan]]へどうぞ

#pcomment(ライ麦畑で踊れの感想ログ,10,below)

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